連載小説
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三枚目のキャンパス
 逮捕された俺は領主邸の一室に軟禁されることになった。この町で罪を犯したわけではないので牢獄には入れられなかったが、事が終わるまで窓のない部屋で過ごさなくてはならない。明日には領主や町の幹部が集まって査問会を開くとのことだ。そこで全てを白状することになるだろうし、その後俺がどうなるかは領主の判断に委ねる。その覚悟はできているものの、領主らが真実を信じてくれるかが心配だ。

 俺の故郷は名高き画家ルトラージェンの生まれた土地だが、俺が生まれたときには戦災に見舞われて荒れた上、そこを支配する伯爵が絵に描いたような腐った地主だった。『畜生伯爵』の渾名の通り民を自分の食い物としか思わず、私腹を肥やすことばかり考えていたが、その息子は輪をかけて酷かった。税を払えなかった者は屋敷の中庭に綴じ込め、二階から矢を射かけて遊んだり、または古代の剣闘士に見立てて殺し合わせたり。後は使用人たちの食事を床にぶちまけ、犬のように口で直接食べさせて面白がるなど、その悪行は枚挙の暇がない。

 伯爵家が反乱で皆殺しにされたという話は聞いていた。だがまさか俺がその馬鹿息子に売った絵が、巡り巡ってこの町に来るとは思わなかった。しかも納品書とセットで。

 あの絵……ルトラージェン作『吊り橋の決闘』をそんな悪党に売った画商を、果たして信用できるのか。領主が俺を逮捕した理由はそれを確かめるためだ。

 全てが明らかになったとき、領主は、そしてマフリチェカは俺という画家をどう評価するだろうか。



 ぼんやりと考えていたとき、ドアをノックする音が聞こえた。
 外に見張りはいるものの、入り口自体に鍵はかかっていない。どうぞと応えるとドアが開き、よく知った男が顔を出した。

「こんばんは、クーベルマンさん」

 静かな声で、その男……テオ・ベッカーは挨拶する。鞄を一つ手に、BARにいるときよりも鈍い動作で部屋に入ってきた。カウンターにいるときの凛々しさは見受けられず、仕草にはどことなく野暮ったさが漂う。これはバーテンダーとしての顔ではなく、ただ一人の人間としての彼の姿なのだろう。

「領主に呼び出されたのか?」

 着席する彼に尋ねた。俺を領主に紹介した人間として、テオも聴取を受けることになるだろうとは思っていた。

「ええ。いろいろ訊かれましたが、僕は貴方の腕を見込んで推薦したと答えました。実際そうですから」
「……俺のことは何処まで話した?」

 テオは俺の罪を知っている、おそらく唯一の人物だ。客の秘密は守るのが接客業の常識だが、町の領主から根掘り葉掘り訊かれれば答えざるを得ないだろう。
 すると彼は笑みを浮かべ、首を横に振った。

「領主とは子供の頃からの友達でしてね。一ヶ月の間だけでしたが、僕の故郷で一緒に遊んだんです。イタズラもいろいろやりましたね」

 テオは鞄をテーブルの上に乗せながら、懐かしそうに話す。

「だから……誰かさんが花屋の窓ガラスを割ったとき、僕は犯人が誰か最後まで喋らなかったじゃないか、と言っておきました」
「……大した奴だよ、お前は」

 どうやら俺が思っていた以上に、彼は秘密厳守の鉄則を守るタチのようだ。駆け引きも分かっている。そして何より人を見る目があるから、俺の罪を知ることになったのだ。

「だが迷惑をかけたな」
「いえ、気にしてはおりません。ですが、これからどうなさるのですか?」

 紳士的に、しかし率直に、彼は問いかけてきた。俺もそれに率直な答えを返すことにした。

「そろそろ、罪と向き合う時なんだろうな」

 全て白状するつもりだ。その結果領主が俺を裁くというなら甘んじて受け入れよう。暗君に褒められるより名君に裁かれた方がいくらかはマシだ。

「あの絵がこの町に来たのは、絵がそれを望んだからじゃないかと思う。やった悪行をちゃんと清算しろ、ってな」
「……そうかもしれませんね」

 すっとテオは立ち上がり、その瞬間彼の雰囲気ががらりと変わる。野暮ったい青年から、大量の酒を背にカウンターに立っている、プロの風格が漂い始めた。彼が鞄を開けると、中には二本の瓶とグラス、氷の入った透明な容器などが見えた。瓶はリキュールとジュースのもので、銀色のシェーカーもある。

「その前に、カクテルを一杯サービスしましょう」

 彼は小さなグラスを卓上へ置く。どのような考えがあって、ここに酒などを持ってきたのか。心中は測りかねるが、軟禁状態で悶々とした時間を過ごすより、こいつがカクテルを作る手並みを見ていた方がいい。
 テオはまずシェーカーに氷を入れた。水晶のように透き通った氷が甲高い音を立てて注ぎ込まれ、続いて酒瓶の栓が開けられる。花の絵がラベルに書かれたピンク色の酒だ。魔界の花から作られたリキュールだろうか。
 メジャーカップで測った酒がシェーカーに注がれ、アルコールと花の香りが広がる。そこへジュースも加えられる。こちらは柑橘系のようだ。

「シェイクはただ混ぜるだけでなく、他にも意味があります。ご存知ですか?」
「酒の中に気泡を作り、氷が解けて加水されることで口当たりがよくなるんだろう」

 リズミカルにシェーカーが振られ、氷が鳴る。銀色のシェーカーの表面が白く曇り始めた。
 ぴたりと手が止まり、テオは鮮やかな手つきで中身をグラスに注いだ。グラスは混ざる前の酒がギリギリ入る程度の大きさで、シェイクして氷が解けた分量が増えているはずだ。

 だが躊躇いなく注がれた薄いオレンジ色のカクテルは、グラスの縁から全く溢れることなく収まった。無論シェーカーの中に酒は残っていない。

「そう……氷が程よく解けたタイミングを見極めることが大事です。シェイクし過ぎた水っぽいカクテルは美味しくありませんからね」

 出来上がりか、と思ったのも束の間、今度は服の胸ポケットから香水瓶ほどの小さな瓶を取り出した。中身は酒ではなく粉のようだ。光を受けてきらきらと輝くその粉末を、ほんの少しカクテルの上に浮かべる。魔法火のランプの光を受け、表面の粉末が幻想的な虹色に煌めく。嗅ぐだけで幸せな気分になりそうな、花の香りが花をくすぐった。

「フェアリー・レイクというカクテルです。どうぞお飲みください」
「妖精の湖、か……」

 グラスの中でカクテルの水面が美しく輝きを放ち、中から虹が立ち上っているようにさえ見える。俺はグラスを手に取り、一口飲んだ。甘ったるい味を想像していたが、予想とは大分違う。確かに甘いが、強い花のリキュールの香りと、ジュースの柑橘系の香りが合わさり何とも爽やかな、それでいて豊かな香りを作り出している。柑橘類だとは分かっても、オレンジともライムとも違う独特の香りだ。妖精の国を題材とした名画の数々が脳裏に浮かんだ。このグラスに妖精の国を閉じ込めたような、多幸感溢れる味わいだった。

「……美味い。このジュースは何だ?」

 尋ねるとテオは笑みを浮かべた。

「ユズです。ジパングの柑橘類で、最近この町にも輸入されるようになりました。浮世絵と一緒にね」

 浮世絵と聞いて、店での会話を思い出す。そして妖精の湖という名のカクテル。

「マフリチェカはどうしている?」
「彼女は貴方のことを全て知っているわけではありません。しかし悪人に名画を売り渡すような人間ではないと、そう信じていますね」

 大体、予想していた答えだ。俺は絵を愛している。彼女もそのことを信じている。

「カクテルに入れた粉はフェアリーパウダー……つまり妖精の鱗粉でしてね。今回はリャナンシーのものを使いましたが」
「彼女の、か……」

 グラスの中に浮かぶ虹色の輝きを見ていると、すぐそこに彼女がいるような気がしてくる。俺のことを信じているというメッセージをテオに託したのだろう。
 俺は真実を全て白状するつもりでいる。だがそれを最初に告げるべき相手は領主ではないと思った。マフリチェカだ。彼女に本当の俺を伝えなければならない。そして俺という画家に対する彼女の評価を、甘んじて受け止めなくてはならない。

「テオ、頼む。マフリチェカを領主に会わせてやってくれ」

 決心はすんなりついた。元より選択肢は多くなかったのだ。保身などということは考えない。全てを明るみに出すための選択だ。

「そしてあの絵を見せてやって欲しい。『吊り橋の決闘』を。それで全てが分かるはずだ」
「……分かりました」

 テオは頷いた。

「貴方の決心に、敬意を表します」




















………













……


































「ではこれより、査問会を執り行う」

 朝の会議場にて、領主が告げた。半円形のテーブルには領主を中心として町の幹部が着座している。証人席にはテオとマフリチェカが座り、そして壁にあの絵がかけられている。
 吊り橋の上で剣を手に対峙する、二人の若者を描いた名画。背景には三日月が描かれ、向かい合う剣士を見下ろしている。剣士達はその瞳に誇りを滲ませ、双方一歩も退かぬ信念で死のゲームに挑もうとしている。あの伯爵家の馬鹿息子が好きそうな構図だった。腐った奴ほど勇敢な英雄の物語には心曵かれるらしい。

 俺は部屋の中心に立ち、幹部や証人たちの視線を一身に受けていた。マフリチェカだけが俯き、時折心配そうな視線を投げ掛けてくる。

 幹部の中からアヌビスが起立し、羊皮紙の書簡を読み始めた。

「被告人、ベルスト・ヴァン・クーベルマンは地底遺跡発掘隊として領主邸に雇用された。しかし我が町の私掠船が教団から接収した名画『吊り橋の決闘』が、かつて画商を営んでいたクーベルマン氏の手により売却されていたことが明らかになった。証拠は同じく接収した納品書である」

 淀みない事務的な声を聞きながら、俺は改めて絵を見た。美しく、そして勇ましい絵だ。だが何故誰も気づかなかったのか。

「売却相手は暴君と悪名高く、六ヶ月前に農民反乱で滅ぼされたゲルシェレン伯爵家であった。同伯爵家の悪行の数々は口に出すもおぞましいもので、そのような暴君に名画を売却したクーベルマン氏は信用に足る人物か、今一度確認を要し、場合によっては解雇処分を下すものとする」

 アヌビスが着席し、一瞬会議場は静寂に包まれた。領主は灰色の瞳で俺をじっと見ていた。赤髪の美しい、聡明そうな女性だ。魔界の貴族ヴァンパイアに相応しい風格を持っている。だが彼女もまた、気づかなかったのだ。

「……そなたは我々の目の暗さを笑っていただろうな」

 静かな声で彼女は言った。

「証人、マフリチェカ・ジーネ。そなたがこの絵を鑑定した結果を述べよ」

 証人席のテーブルの上に、小さなリャナンシーが立った。俺はただ正面のみに目を向けていた。マフリチェカの姿を見ると、決心が揺らいでしまいそうに思えたからだ。

「この絵、『吊り橋の決闘』は稀に見る傑作と言う他ありません」

 屹然とした声で彼女は語り始めた。あのどもりがちな彼女がこうも力強く話せるのか。リャナンシーとして美術界の過ちを正そうという使命感があるのかもしれない。俺にそんな強さが少しでもあれば、少しは違う人生を歩めたのだろうか。

 裕福な錬金術師の家に生まれた俺は、趣味で絵を描きながらも親の跡を継いで順風満帆な人生を歩むはずだった。それが狂い始めたのは、親父が放火の罪であの畜生伯爵に捕らえられ、処刑されたときだろう。無論あの暴君の裁きだ、冤罪は明らかだった。伯爵の狙いは親父の保有していた、美術品のコレクションを差し押さえることだったのだ。
 このままでは自分の身も危ないと感じ、俺は故郷を飛び出した。親父の仇を討つこともできない無力さを痛感しながら、町の路傍で似顔絵などを描いて糊口を凌いだ。

「しかし他のルトラージェン作の絵画とはタッチが異なることが、慎重に見比べてみれば分かりました。そして何より……」

 時々画商などに自分の作品を持ち込んではみたが、一回分の食事代になれば良い方だった。しかしある日、俺の描いた絵が袋一杯の金貨に化けたことがある。
 俺はたまに有名な画家の絵を模写していたのだが、その複製画を見た画商が本物と勘違いしたのだ。一応模写だとは言ったが、画商は真作と思い込んでいた。俺のような無名の画家に、巨匠の作品を精巧に模写するなどできるわけがないと考えていたのだろう。

「違う『力』を感じました。私たちリャナンシーが糧とする、創作物に宿った精が違うもの……別人のものです」

 その模写が『真作』として売れてしまったとき、俺は復讐の方法を見つけた。腐った奴らにはそれに相応しいものを売りつけ、奴らが何よりも好きな『金』を奪い取ってやればいいと。

「そしてその精は、私の知っている人物のものでした」




 やがて俺は自ら、罪人となった。







「この絵はルトラージェンの描いた物ではなく……ベルスト・ヴァン・クーベルマンさん自信の手による、贋作です」




14/05/30 20:33更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
お読み頂きありあがとうございます。
区切りなどでやや悩み、お待たせして申し訳有りません。

少し短めですが、区切りの都合で今回はここまでです。
おそらく次回かその次辺りで完結となると思います。

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