オルバス審問官は深いため息を吐いた。この町に着くまで何日もかけて山道を歩かされたこともそうだったが、本来ならここに来るはずではなかったのに、という鬱屈した感情が、余計に彼をうんざりさせた。
　
「ヤードの町へようこそ、私がガボンです。あなたのことはすでに伺っております、どうぞこちらへ」

　出迎えに来た神父の挨拶もほとんど耳に入ってこない。足は相手についてゆくが、頭の中は自分のことでいっぱいだった。
　それもこれも魔王の代替わりのせいだ。今まで戦ってきた怪物どもが、ある日突然美女に化けるなど誰が想像するだろうか。この訳のわからない未曾有の変異に、人類もまた訳もわからないまま向き合わされることになったのだ。
　一体脅威は増したのか、減ったのか。今までと同じやり方で大丈夫なのか――。そうした人々の不安につけこむように、異端、邪教が方々で、あぶくのようにわきはじめた。
　
「あなたが派遣されてくると聞いて驚きましたよ。今までそんなこと一度もありませんでしたから。やはり嵐の前触れなのでしょうか？」
「そういうことだ」

　急増する異端者や反乱分子を押さえつけるために多くの人員が割かれた。それでもまだ人が足りぬと各地で悲鳴があがっているが、対策は遅々として進まない。当たり前だ。何が起こっているのかすら把握できていない状態で、どう手を打てというのか。
　そんな体たらくなので、この田舎町が魔物に乗っ取られている、という噂がとどいても、教区の指導者たちができることといえば、誰かに様子を見に行かせることくらいだった。貧乏くじを引かされた自分など捨石のようなものだ。
　本来なら、もっと大きな任務を任せてもらえるはずだった。それが、代替わりのせいですべて台無しになってしまった。

「長旅で疲れたでしょう。教会はもうすぐそこですから」

　ガボンが横でいろいろと世話話をふってくるが、オルバスはうつむき加減についてゆくだけで、相槌すら打とうとしない。
　
「ああ、あそこです。ほら、扉の前で手を振ってるでしょう？」

　そう言われて顔を上げたオルバスは、はたと立ち止まり、目をしばだたかせた。
　建物が並んだ右手の奥に教会が見える、それはいい。そこに誰かが立っているのもわかる。しかし、あれは人なのか、それとも人に似た何かなのか――。
　近づいてみるとその姿がはっきりしてきた。ただ、それが自分にとって理解できる代物なのかは別の話だ。
　犬のような顔、というよりほぼ犬そのものの顔をした生き物が、きちんと背筋を伸ばして立っている。体毛があるためかどうか知らないが、まとっている服はもはやただの飾りだ。体に対して布地が全く足りていない。
　――童話や子供の夢想にでも出てきそうなやつが、なぜ今、御主が創造し給うこの世界に存在しているのだ。
　オルバスは頭の中の混乱を何とか整理しようとしていた。そんな彼を知ってか知らずか、ガボン神父はのんきに話をすすめてゆく。
　
「紹介しましょう、ラブラです。ラブラ、こちらが都から派遣されてきたオルバス審問官だ」
「初めましてオルバスさま。わたくし、神父さまの召使いをしております、ラブラ・ド・ルゥと申します。お会いできて光栄です」

　ラブラと呼ばれたその生き物は、流暢な言葉づかいで自己紹介をすると、優雅にお辞儀までして見せた。しかし、犬の顔をしたやつにいきなりそんなことをされても、よほどの間抜けでもないかぎり「はいそうですかよろしくどうぞ」などと返事できるわけがない。
　オルバスはラブラの挨拶を無視してガボンを問い詰めだした。

「これはなんだ」
「飼犬ですよ。私がひろってからもう十年になります」
「最初からこうだったとでもいうのか？」
「まさか！　最初は普通の犬でしたよ。飼いつづけているうちにこうなったのです」

　一瞬言葉がでてこなくなった。あまりに馬鹿げた返答だったので、どう反応すればいいか頭が迷ったせいだ。
　それにしても、御主のはからいによって意志の力を授けられた人間を差し置いて、犬がこのような振る舞いをするとはなんともけしからん話ではないか。
　
「この町では長い間犬を飼っていると、立ったり喋ったりしだすのか。どのようなしつけをしたのか聞きたいものだな」
「奇跡ですよ、オルバスどの。この町に奇跡がおきたのです」

　オルバスの皮肉にもかかわらず、神父の言葉は真剣そのものだ。
　
「馬鹿にしているのか」
「滅相もない。ですが、疑われる気持ちもわかります。そのために調査に参られたのでしょう？」
「わかっているなら、どういうことか説明しろ」

　ガボン神父の話をかいつまんでまとめるとこうだ。
　ある時から飼っていた犬が尋常でないほど賢くなってきたので、これは何かの思し召しではと感じ、神父は犬に、より一層心をこめて世話をし続けた。すると、日を追うごとに町中の動物たちが次々と変化してゆき、気が付くとラブラもこのような姿になっていた、というのだ。

「愛情を注ぎ続ければ、たとえ動物であっても必ずそれにこたえてくれます。精霊ですら人のかたちをとることがあるのですから、私たちの友がこのように変わったのも、きっと何か意味のあることに違いありません」
「ご主人さまにそうおっしゃっていただけるだけでも、わたくしは幸せです」

　絆を確かめ合うように肩を寄せ合う主人と召使い。そんな姿を見せつけられて、今度こそ本当に何も言えなくなってしまった。
　これも、魔王の代替わりの影響だというのか。直接的な原因は何で、いかなる対策を採るべきなのか――。着いたばかりだというのに早速疑問だらけだ。
　こちらも大所帯で来たならば、力に物をいわせて「調査」を強行できたのだが、いかんせん今はオルバス一人。
　さらに周囲に目をやると、神父が言った通り、他にも多くの「二足歩行の犬」が普通に道を行き交っていて、すでにヤードの町ではこれが当たり前の風景になっていることが見てとれる。こんな状況で告発だなんだと騒ぎ立てても、逆にこちらが吊し上げに遭いかねない。

「町の中を案内しろ」
「教会で休まれなくてもよいのですか？」
「山越え程度で堪えるようではこの仕事は務まらん」

　まずはより多くの「証拠」を集めることだ。いつ手をつけるかは、帰ってから上の者をまじえて相談すればいい。オルバスはそう判断した。


◆


　ガボン神父とラブラの後について町の通りを抜けると、大きくひらけた場所についた。ガボンがオルバスのほうに向きなおり、説明を始める。
　
「この町で一番大きな広場です。地元の人間はここを“ペットガーデン”と呼んでおります」
「町中にしてはやけに広くないか」
「もともとは兵隊を訓練させるための場所だったので。だいぶ昔の話ですが」

　ちゅうちうちちちっ、ちうぅぅぅっ、ずずずっ、じゅるるっ……

「それがなぜ広場に？」
「ここに来る途中、何度か回り道をさせられたでしょう。この辺りは大雨が降ると土砂崩れが頻発して、せっかく作った道をふさいでしまうんです。幸い規模は小さいのですが――」

　ちちちぢゅうぅぅぅ、かぷっ、かぽっ、ちう、ちうちう……

「――こんな不便すぎる所だと誰も攻めてこないし、兵隊が余計にいても割に合わないんですよ。地脈が乱れているせいか魔術もまともに使えないようですし……」
「それにしても不用心に過ぎる――」

　じるるるるっ、きゅぽっくぽっ、ずずっ、ずずずず……

「待て、さっきから何の音だ」
「はい？」

　ぢぢっぢゅううううぅぅぅう!!

　音のしているほうにオルバスが顔を向ける。
　そこにはベンチに座った男と犬――ラブラより人に近い姿をしている、そいつらが一心不乱にディープキスをかましていた。
　いや、何だこれは。なぜ犬が人間とあんな真似をしている？

「おい――」
「オルバスさま、憩いの時間を邪魔しては気の毒です。そっとしておきましょう？」

　声をかけようとしたオルバスは、驚いたように目を丸くしてラブラのほうを振り返った。まさか犬に自分の行為を咎められるとは予想だにしていなかった。

「あれが“憩い”だと？」
「あら、オルバスさまは動物と戯れたりはしないのですか？」

　今度はラブラが驚いた表情を見せる。

「物心のついた時からずっと教会を転々としてきた。そのようなこととは無縁だ」
「まあ、それはいけません。一人ぼっちでは心が荒んでしまいます」
「何も知らないだろうと思って私を誤魔化そうとしているのではないだろうな」
「何をですか？」
「あれが動物と戯れているとでもいうのか？」

　ラブラはパチパチと綺麗な瞳をまばたきさせると、困ったようにちょっと首をかしげた。何故そんなことを尋ねてくるのかわからない、といった様子だ。

「スキンシップをご存じないのですか？」
「何だその妙な造語は」
「え……」
「ラブラ、オルバスどのは外から来られたかただから――」

　ガボンがこちらをはばかるような小さい声で召使いに指摘をする。

「あっ、失礼いたしました」

　まるでこちらが無知な人間の扱いをされているようで、面白くなかった。

「お前たちはこれが御主の教えに――、おい待て、あれは何だ、何をやっている」

　話している途中、また視界に妙なものをとらえた。
　男が地べたに足を広げて座ったままボーッとしている。それだけならまだどうということはない。問題は男の股の間に、誰かが体をわりこませているということだ。
　早足で近づいてゆくとどういう状況かすぐに分かった。
　頭に王冠をのせたデカい猫が、陶然とズボンの股倉に顔をすりよせていた。しかもそいつは時々思い出したように前足を使って、男の股間のあたりをフミフミし続けている。

「いろいろ言いたいことはあるが、まず」

　審問官は努めて冷静になろうとした。これが違うの町でのことならば、最悪、王族に対する不敬行為等々で、生きたまま切り刻まれてもおかしくないことなのだから。

「あれも“戯れ”だというのか？」
「スキンシップですよ。猫はよくああやるんです」
「何の意味がある」

　その質問に対して、神父は肩をすくめるのみだった。理由はわからないがとにかく猫はそうするんだ、とでも言いたげに。
　オルバスは目じりのあたりを指でギュッと抑えた。彼はこういう意味不明な行為を放置したままにすることが大嫌いだった。

「一旦確認させてもらうぞ。この町では犬や猫を長く飼っていると人間の真似事をしはじめ、立ったり喋ったりするばかりか、す、す」
「スキンシップです、オルバスどの」
「“スキンシップ”などと称して飼い主に不埒な行為をはたらくようになるのか」
「まあ、不埒だなんてオルバスさま、はしたないですよ」
「お前の同類に対してそう言っているのだ！」

　思わず声を荒げてしまう。目の前でいきなり大声をあげられたラブラは、申し訳なさそうに肩を縮こまらせた。
　地べたでくつろいでいた男が迷惑そうな視線を向けてくる。猫のほうもお楽しみを邪魔されたと思っているのか、あっちへ行けと言わんばかりに睨みつけてきた。
　教会の者らしからぬ醜態を見せてしまったオルバスは、さすがに決まりが悪くなったのか、咳払いをして誤魔化すと、すぐにその場を離れた。

「あ、オルバスどの」

　神父が慌ててついてゆく。ラブラも、カップルに頭を下げて謝るとすぐに二人を追いかけはじめた。