わるいひと
青い空、青い海、真っ白な砂浜…。只今夏真っ盛り。海水浴に来ている人々が思い思いに楽しんでいる。その中にこの場所に不釣り合いな男が一人、砂浜を歩いていた。男はこの暑さにも関わらず、黒のスーツを身に纏い、頭には黒の中折れ帽子を被っていた。見ているこっちが熱中症になりそうなくらいの黒ずくめの格好である。しかし、男は汗のひとつもかかず涼しい顔で歩いている。
「あら、格好良いお兄さん。そんな暑い格好してないで私と遊びましょう?」
男は途中でサキュバスに声を掛けられる。彼女は男を誘惑する様に胸元を見せてきた。
「すみません、私今仕事中ですので」
男はそれをやんわりと断ると、再び歩き出す。サキュバスが「クールでステキ…♪」と呟くのが聞こえたが、男は聞かなかった振りをしてこれ以上関わらないために足早にその場を去った。
海水浴場から離れ、岩場だらけになった場所で、男はある岩場の影に身を潜めた。
「さてと。情報によるとこの辺りの筈ですが…」
男は腕時計で時間を確認する。
「時間的にもうしばらく掛かりそうですねぇ」
男は岩影からある開けた場所を覗き込んだ。どうやらここで何かある様だ。
「それじゃ、その間に軽く食事でも済ませますか」
辺りの確認を終えた男は内ポケットからひとつの箱を出し、そこからスティック状の物を取り出して食べ始めた。どうやら健康食品的な食べ物らしい。
「…………ん?」
ひとつ食べ終え、ふたつめを食べようとした時、妙な視線を感じた。殺気は感じられないが確かにじっと見られている。気になってそちらに目線を向けると、目から上を海面から出している何かがいた。頭に神官のものと思われる白い帽子が見えるので恐らくシー・ビショップなのだろう。しばらくしてこちらの視線に気付いた彼女は慌てて海の中に潜っていった。
「…………………」
男は暫し呆気に取られていたが、再び食事を再開する。また暫くして視線を感じ顔を上げると、先程と同じように目から上だけを海面から出して此方をじーっと見つめていた。なかなかシュールな光景である。男は妙な空気に耐えきれず、波打ち際に近付いて彼女に声を掛けた。
「………あの、私に何かご用ですか?」
すると彼女は徐々に顔を出しながら近付いて来た。そして岩場に体を乗り出すと、無言のまま指をくわえてじっと男を見つめる。よく見ると、若干目線が上下している。それに気付いた男は自分の手元にあるこの食べ物を見ているんだと解釈した。
「……コレが欲しいのですか?」
男が訊ねると彼女は目を輝かせてコクコクと首を縦に振った。男は箱から新しいものを取り出して「あまり美味しいものでもありませんよ?」と言いつつ彼女に手渡した。すると彼女は手渡されたそれを嬉しそうに食べ始めた。
「では、私はこれで」
男は元居た岩影に戻ろうと踵を返す。が、片足が動かない。見れば彼女が足を掴んでいた。
「あの、まだ何かご用ですか?私今仕事中なんですが…」
「どんなお仕事をされているのですか?」
今まで言葉を発しなかった彼女が突然質問してきた。男は少し驚いたが、それに対し謎めいた言葉を紡いだ。
「そうですねぇ。『悪い人が悪い人をやっつける仕事』とでも…言っておきます」
「貴方は悪い人なんですか?悪い人をやっつけるのに?」
「ええ、私は悪い人なんです。ですから例えば貴女の大事な石板を壊したり、帽子を破いたりも平気でやっちゃいます」
そう言った直後、彼女は石板と帽子を守るように胸に抱え込み、目を潤ませながら男から距離をとる。今にも泣き出しそうな表情だ。
「あー…実際にはしませんから安心してください。あくまでも例えですよ、たとえ」
「ほ、本当ですか…?」
「えぇ、本当です。貴女は悪人ではないでしょう?」
彼女はブンブンと思い切り首を縦に振った。
「なら、貴女は私の標的には入りません」
「よ、良かった…」
大きな安堵の息を吐くと、再び近寄ってくる彼女。しかし、男は片手を前に出して制止させた。
「おっとすみません、そろそろ時間のようです。貴女は危ないですから早くお逃げなさい。いいですね?」
「えっ…?」
男は素早く元居た岩影に身を隠し、開けた場所の様子を窺った。しばらくすると、10人程の男を従えた髭面の男が現れた。見れば全員大きな袋を背負っている。中身は恐らく何処かから奪ってきた金品だろう。
「来ましたか…」
男は投擲用のナイフを三本指の間に挟み込んだ。そして髭面の男の足元より少し前を狙って放り投げた。
「だ、誰だ!?」
髭面の男は足元に突如突き刺さったナイフを見て慌てて辺りを見回した。
「これはどうも。お初にお目にかかります。盗賊団首領『マルコ=ディーガ』」
「お、お前はっ…『ツクヨミ』!」
髭面の男・マルコは、岩影からゆっくり現れた黒ずくめの男・ツクヨミを指差し、わなわなと震えだす。
「おやおや、私も有名になったものですねぇ」
「な、何でお前が此処にっ!?まさか!!」
「えぇ。貴方が考えている通りです。マルコ=ディーガ。暗殺の命により、貴方には此処で死んで頂きます」
ツクヨミは戦闘態勢に入ると、手首から鉤爪の付いた鎖をマルコに向かって投げ放つ。マルコは慌てて剣を抜いてそれを弾くと、部下にツクヨミを殺せと命令する。部下達はそれぞれの武器を持ってツクヨミに襲い掛かった。
「やれやれ…、私乱戦は苦手なんですよね」
ツクヨミは溜め息を吐くと、鎖を引き戻しながらその場で回転し始める。すると鎖がツクヨミを守る盾の様に回転を始めた。襲い掛かった者は皆、武器を弾かれ、鉤爪で首を引き裂かれて血飛沫を上げながら次々に肉塊へと姿を変えていった。回転が止まり、ツクヨミがマルコへと向き直った時には、もう生きている部下は一人も居なかった。
「あれ、もう終わりですか?ゴミの部下はやっぱりゴミなんですねぇ」
血溜まりの中、変わり果てた姿となったマルコの部下達を踏みつけるツクヨミ。その足元に銃弾が飛んできた。
「っとと、危ないなぁもう」
ツクヨミはその場からすぐに飛び退いた。ズレた帽子を戻しながらマルコを見やると、怒りを露わにした表情で銃をこちらに向けていた。
「テメェ、よくもやりやがったな!覚悟しやがれ!!」
「あらら、本当の事言われて怒っちゃいましたか」
「五月蝿ェ!蜂の巣にしてやる!!」
マルコは怒り狂って銃を乱射する。ツクヨミは横っ飛びで回避して岩影に身を隠した。
(さて、どうしましょう…。弾切れを待つ…というのは、賢いとは言えませんね。となると、はやり奪い取るのが妥当ですかね)
ツクヨミが行動を起こそうと決めて対峙しようとした時、彼の視界に一瞬白いものが見えた。先程のシー・ビショップの帽子だ。どうやら逃げろと忠告したにもかかわらず此方を見ている様だ。
(全くあの娘は…。とにかく彼女を巻き込むのはマズいですね…。早々に片付けてしまわないと)
「あぶないっ!」
彼女の叫ぶ声でツクヨミはとっさにその場を離れる。どうやら気を取られすぎていたらしい。マルコが此方に狙いを定めて引き金を引く瞬間だった。後数秒でも遅かったら命は無かったであろう。
「このアマ!余計な事を!!」
マルコはツクヨミからシー・ビショップに狙いを変え銃口を向けた。ツクヨミは彼女に向かって叫ぶ。
「早く海の中へ!」
「おせぇよ!」
マルコはシー・ビショップ目掛けて引き金を引こうとする。
「間に合えッ…!!」
ツクヨミは鎖を銃弾が通るであろう軌道上に向かって投げた。だが、鎖は軌道よりも少し手前までしか届かなかった。
「残念だったな。じゃあな、嬢ちゃん。恨むならツクヨミを恨みな」
弾丸がシー・ビショップ目掛けて飛んでいく。しかし、突如黒い何かが目にも留まらぬ速さで弾丸の直前を横切った。
「……あ、あれ?私何ともない…?」
目を伏せていた彼女はキョロキョロと自分の体を見回す。どうやら先程の黒い何かに当たったようだ。
「何だと…!?」
「あだだだだッ!」
変な声がした方に目を向けると、何故かツクヨミが倒れていた。見れば右腕から血を流している。
「あー…痛いですねぇ全く」
ツクヨミは立ち上がると服を払い、落ちた帽子を被りなおした。
「馬鹿な!あの距離から女を守ったってのか!?一体どうやって!?」
「どうやって?説明して欲しいんですか?全く、仕方ないですねぇ…。コレの説明、いろんな意味で恥ずかしいので嫌なのですが…」
ツクヨミはやれやれと溜め息をついた。
「私の扱うこの鎖。私は大蛇(オロチ)と呼んでいますが、本来の名前は『次元の鎖(ディメンション・チェイン)』というものです。能力は…えーと、此方の意思で伸縮自在に操れる事と、この鉤爪をどんな場所にでも引っかける事が出来るという事です。それが何もない空中であっても」
「つまり何か!?貴様はその反動で銃弾目掛けて突っ込んであの女を庇ったって事か!?」
「ピンポンピンポーン!大正解!パチパチパチパチパチ〜♪あー、でも賞品は何にもありませーん。残念でした〜!」
驚愕するマルコに対し、ふざけた反応を見せるツクヨミ。
「いや〜でも困るんですよねぇ。関係無い人を巻き込まないで頂けます?」
「るせぇ!ヘラヘラしやがって!」
マルコが再びツクヨミに銃を向けた。
「はぁ…さっきからキャンキャン五月蝿いですねぇ貴方は」
ツクヨミは鎖を使い、目にも留まらぬ速さでマルコに向かって突進する。あっという間にマルコ前に立つと、手刀で銃を払い落とし、それを蹴り飛ばす。そしてマルコの胸倉を片手で掴んで軽々と持ち上げた。
「……ちょっとおいたが過ぎるんじゃねぇか?マルコちゃんよぉ」
突如ツクヨミの言葉遣いが荒々しい物になる。否、言葉だけではない。雰囲気その物がまるで別人の様に変わっていた。細い目が見開かれ、深い闇を帯びた碧い瞳でギロリとマルコを睨みつける。
「調子に乗ってんじゃねーよ、このカスが!」
ツクヨミはマルコの胸倉を離すと思い切り蹴り飛ばした。
「ガハッ…!」
軽く宙を舞い、吹き飛ぶマルコ。地面に落ち、腹を押さえて咳き込む姿をツクヨミはつまらなさそうに見ていた。
「ったく、ゴミがイキがってんじゃねーよ。テメェもコイツらみたいに楽に殺してやろうと思ったけど、気が変わったわ」
ツクヨミは口を三日月の様にしてニヤリと笑う。
「テメェは俺様が飽きるまでなぶってから殺してやんよ…!」
そう言うとツクヨミは鎖を放ち、未だ立ち上がれないマルコの襟元に鉤爪を引っ掛ける。そしてそのまま宙に放り上げる様に鎖を手元に引っ張った。マルコの体は軽々と持ち上がり再び宙を舞う。
「思う存分遊んでやるから覚悟しな…」
宙を舞うマルコに再び鎖を投げ放ち、今度はその体に鎖を巻き付かせた。
「おらよっ!」
そのまま力一杯放り投げ岩壁に叩きつける。
「ぐあっ…!」
「おら、まだまだ行くぜ!」
今度はそのまま地面に叩きつける。そしてまた宙に浮かせて岩壁に叩きつける。その度に血が辺りに飛び散る。
「ひゃーははははははははは!!」
ツクヨミは狂気した様に笑いながら、まるで玩具で遊ぶように幾度となくマルコの体を岩壁へ、地面へと叩きつける。
「もっと遊んでやるからこっち来な…!」
今度は地面を引き摺る様にして足元に引き戻す。そして思い切り頭を踏みつけ、そのまま足蹴にする。
「おいおい、おねんねにはまだ早いぜ?マルコちゃん!」
「ぐっ、がっ、ごほっ…!」
「ほら、何とか言ったらどうよ?あ、顔蹴られまくって喋れねぇか。ひゃひゃひゃ!」
暫く蹴り続けていたが、何かを思い付いたツクヨミはマルコの腹を蹴り上げる。ゴロゴロと地を転がるマルコ。それをニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら見るツクヨミ。
「おいおいどうしたさっきの威勢はよぉ?俺様は右腕使えないんだぜ?テメェにとってはチャンスだろうが。少しは抵抗してくれねぇとつまんねぇじゃねぇか」
「う、うぅ…」
しかし、マルコにはもう戦意は無く、寧ろいつ殺されるか分からないこの一方的な暴力に恐怖していた。
「……逃げたかったらいつでも逃げてもいいんだぜ?」
何を思いついたのか突然そんな事を言い出したツクヨミ。その言葉に戸惑いながらも、這い蹲って逃げるマルコ。
「ヒッヒッヒ、そうだ逃げろ逃げろ。俺様の気が変わらない内になぁ」
ツクヨミはその姿を見ながら滑稽だと言わんばかりに腹を押さえて不気味に笑う。そんな事を気にする余裕もないマルコは少しでも距離をとろうと必死にもがく。しかし、どんなにもがいても途中で前へ進めなくなってしまった。
「ククク…ひゃっひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
突然大声で笑い出すツクヨミ。
「な…何が可笑しい?」
「いや〜悪ィ悪ィ。テメェがあまりにも無様でよぉ」
「ど、どういう…?」
「テメェの腰、よく見てみろや」
「?………っ!!」
体を捻って腰を見てみるとベルト部分に鎖の付いた鉤爪が引っかかっていた。その先は勿論ツクヨミの手元である。
「なっ…!?」
「ククク…、テメェはホントアホだな。俺様がマジで逃がすとでも思ったのか?」
「な…な…」
「ひゃーはーっ!いいねぇその表情!僅かな希望が絶たれて一気に絶望のどん底に叩きつけられたって感じ?ひゃっはははは!」
顔面蒼白になり、マルコは悲痛な叫び声を上げた。そして糸がぷっつりと切れた様に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「おい、マルコちゃん?マルコちゃーん!生きてますかー?……チッ、気絶してやがる。さっさと起きろや、このクズがぁ!!」
ツクヨミはマルコを引き戻し、倒れた彼の膝を思い切り踏みつけた。バキッという骨が砕ける音と共に声にならない悲鳴を上げ、マルコの意識が戻る。
「あ…あが…が…!」
「お目覚めかマルコちゃん。さぁ、もっと俺様を楽しませてくれよ…!」
しかし、再びマルコの意識は無くなった。ツクヨミは顔をバチバチと叩いたが反応はない。脈を測ると、弱々しく動いていた。放っておいてもじきに死ぬだろう。
「んだよ、もうちょっと楽しませてくれると思ったんだが、まぁ所詮こんなもんか。……んじゃ、サヨナラだマルコちゃん。とっととおっ死ねや」
ツクヨミは反応しないマルコに飽きたのか、あっさりと首をはねて殺してしまった。
「さて、任務完了…ですね」
目的が達成されると、先程までの荒々しさが嘘のように穏やかな口調に戻る。恐らく、今までのが自分を悪人だという理由、彼の『本性』なのであろう。彼は内ポケットから透明な板を取り出すと、それを耳に当てて話し始めた。
「あー、もしもし。ツクヨミです。マルコ=ディーガの件、完了しましたので回収の方よろしくお願いします。場所は―――」
好奇心から殺戮劇の場から離れられなかったシー・ビショップは複雑な心境にいた。目の前には直視出来ない程の地獄絵図が広がり、一度見てしまえば一生脳裏にこびり付いて離れなくなってしまうだろうという恐怖と、自分を守ってくれたツクヨミの優しさにえもいわれぬ嬉しさを感じ、恋心を抱いたためである。彼女も温厚とはいえやはり魔物。彼が欲しいと本能が叫び、無意識の内に体が熱く火照り、欲情の炎が燃え上がっていた。
「――し?もしもーし?聞こえてますー?見えてますかー?」
「ひゃうっ!?」
急に声を掛けられ、ビックリして素っ頓狂な声を上げる彼女。気付けばツクヨミが一番近い岩場にしゃがみ込んで笑顔で手を振っていた。その姿にドキドキして顔を朱に染める。
「あぁ、気が付かれましたか。大丈夫でした?」
「あっ、はっ、はいっ!大丈夫れひゅ!///」
ドキドキしたまま喋ったせいで彼女は盛大に噛んでしまった。
「あぅ…///」
真っ赤になって恥ずかしがる彼女を見て、ツクヨミはクスクスと笑った。
「ホント変な方ですねぇ貴女は」
「あっ…あのっ!」
「何ですか?」
「お怪我は大丈夫なのですか?」
彼女は銃弾が当たった場所を心配そうに見つめる。
「そうですねぇ。平気と言えば嘘になりますが、そう大した事はないですよ。弾を取り出すのは少々面倒ですが…」
苦笑混じりに答えるツクヨミは上半身裸になった。銃弾を抜き取るためだ。彼女はそれを見てしまい更に顔を真っ赤にする。
「あれ、どうしました?顔がトマトみたいに真っ赤になってますよ?」
「だ、だって…その、は、はだ、はだ、裸…あぅ///」
彼女は更に真っ赤になって俯いてしまう。ツクヨミは「あぁ」と今更ながらに気付いた。
「すみません、こうしないと取り出せないもので…」
ツクヨミは脱いだ上着からピンセットを取り出すと、腕に埋まった銃弾を抜き取ろうとする。
「痛つつ〜…。やっぱり痛いものは痛いですねぇ…………っと。ふぅ、取れました」
抜き取った銃弾をポケットに回収すると、未だ真っ赤になっている彼女に声をかける。
「あの、すみません。貴女治癒魔法は使えますか?」
「へっ?あっ、はい!」
「じゃあすみませんが、この傷塞いじゃって貰えます?」
「は、はい。わかりました」
彼女は何とか気を落ち着かせると、傷口に手を翳して呪文を唱え始めた。暖かい光が傷口を癒していく。しばらくすると血は止まり、傷跡も判らなくなった。
「お、終わりました」
ツクヨミは腕を回して感触を確かめる。少し違和感があるものの、痛みは完全に無くなっていた。
「ありがとうございます。おかげで助かりましたよ」
「此方こそ、命がけで守っていただきありがとうございました」
お互いに頭を下げあう。それが何故か妙に可笑しく、二人して笑ってしまった。
それからしばらくすると遠くから黒いヘリが近付いてきた。
「来ましたか」
ヘリはツクヨミ達が居る近くで着陸した。ドアが開き、中から一人の男と、アラクネが現れた。ツクヨミは上着を着直すと二人に近寄り、挨拶を交わす。
「お待ちしてました。ハヤカゼさん、マーズの姐さん」
「おう、ご苦労さん。で、早速だが、ヤツの亡骸は?」
「そこですよ。奪われた品もあります。……あー、袋が血塗れになっちゃってますねぇ」
ツクヨミはさっきまで戦っていた場所を指差す。ハヤカゼは其方に向かい、亡骸を1つ1つ確認していく。
「また派手にやったんだね。てことはヤツはアンタの逆鱗に触れちゃったのかい?」
「えぇ、まぁそんなとこです」
呆れながら言うマーズに、ツクヨミはお恥ずかしい限りですと苦笑混じりに付け加える。
「確認した。とりあえず全部回収するぞ。マーズ、手伝ってくれ」
「了解よ」
マーズはハヤカゼの元へ向かい、彼と一緒に遺体を回収し始めた。しばらくそれを見ていたツクヨミは、ふとあることを思い出し、シー・ビショップの元へ戻る。
「あのー…すみません。今日ここで起きた事は、ご内密にして頂けます?」
そう言って口元に指を当ててニコリと笑う。その表情にまた彼女は顔を赤らめる。
「あ、はいっ。………あ、「ツクヨミ、帰還するよ」あのっ」
彼女が何かを言おうとした時に丁度被る形でマーズがツクヨミに声を掛けた。
「えぇ、今行きます。…では、私はこれで。もう危ない真似をしてはいけませんよ?」
そう言ってツクヨミは彼女に背を向けて歩きだす。
(待って!行かないでっ!私、貴方の事がっ!!)
別れという悲しさと好きという感情が彼女の気を高揚させ、大胆な行動を取らせていた。海中を蹴り、勢いよく海を飛び出してツクヨミの両足を掴んだのだ。
「えっ?ちょっまっ…!」
驚きバランスを崩したツクヨミはそのまま岩場にビタッと前倒しになる。
「「うわ…ちょー痛そう…」」
ハヤカゼとマーズの二人は思わず自分の顔を押さえる。
「痛たたたた…、急に何するんですか貴女は?危ないじゃないですかぁ」
ツクヨミは岩場に打ち付け真っ赤になった鼻を押さえながら彼女の方に向いた。
「ごめんなさいっ!でも、でもっ!」
「ツクヨミ、その娘は?」
マーズが必死になってツクヨミにすがりつくシー・ビショップを見て訊ねる。
「ええっと、命の助け合いをした仲…という感じでしょうか」
「……?相変わらずアンタの言い回しは理解出来ないよ。…にしても随分と懐かれちゃってるわね。アンタの事好きになっちゃったんじゃない?」
「まさかそんな…」
苦笑混じりに否定しようとするツクヨミ。だがシー・ビショップはそれを大きな声でかき消した。
「ツ、ツクヨミさんっ!私をお嫁さんにしてくださいっ!!」
「は、はいぃっ!?」
「あら♪」
恥ずかしさのあまり涙ぐみ真っ赤になる彼女。ツクヨミは慌てて断ろうとする。
「あ、あのですね?私のお仕事はこの通りいつ死ぬかもわからない危ないお仕事です。ですから私のそばに居たら命がいくつあっても足りませんよ?」
彼女はそれを聞いても離そうとせず、寧ろギュッと強く足を抱きしめる。
「そ、それに危険な目にもあわせたくありませんし、貴女みたいな純粋な方が悪道に足を踏み入れるなんて…」
「それでも構いませんっ!貴方が悪なら私も悪になりますっ!」
「あ、いや…でも…」
彼女の気迫に圧されるも言葉を濁すツクヨミ。その煮え切らない態度にマーズはツクヨミの肩を掴んで一喝した。
「観念しなツクヨミ。これだけ慕ってくれてるのに無碍にするのは可哀想よ。それともアンタはこんな可愛い女の子にここまで言わせておいて恥かかせるつもりかい?そんなことしたら私が許さないよ」
「あ、姐さん!?」
「よし、じゃあツクヨミは海洋部隊として任務を行うという事で、俺が上に言っておいてやる」
「そんな、ハヤカゼさんまで!?」
二人が彼女の味方についてしまったため、もう言い逃れ出来なくなってしまったツクヨミには、選択肢は残されていなかった。
「はぁ…わかりましたよ。これよりツクヨミは海洋部隊として、この者と共に任務を遂行します」
「良かったね、お嬢ちゃん。ツクヨミもOKだって」
「ツクヨミと仲良くな、お嬢ちゃん」
「ありがとうございますっ♪」
二人に祝福され、彼女は涙を浮かべて喜んだ。
「で、ものすごーく今更なんですが…貴女のお名前は?」
「はい。レイラ、レイラ=ヴェールです。ツクヨミさま」
レイラはニッコリと微笑んだ。
「レイラ嬢。さまなんてつけないでください。私そういうむず痒い呼ばれ方は苦手なんです」
「じゃあ私も嬢ってつけないでレイラって呼び捨てで呼んでください♪」
「あ、あはは…、お手柔らかに」
「じゃあ俺達は帰るから、後は仲良くやってくれ」
そう言ってハヤカゼとマーズはヘリへと戻る。飛び立つ際にマーズは一言残していった。『ツクヨミはカナヅチだ』と。弱点をバラされ慌てるツクヨミと何故か嬉しそうににっこり笑うレイラを見て、二人を乗せたヘリは空の彼方へと飛んでいった。
「じゃあ早速儀式を行いましょう。ツクヨミさんには泳げる体になって頂かないと」
「あー、儀式ってやっぱり『アレ』ですよね?」
「はい♪……優しく、してくださいね?///」
「あ、あはははは……」
顔を赤らめ、期待の籠もった上目遣いでツクヨミを見つめる。ツクヨミはそれをただただ苦笑で返すだけだった。その後、すぐに儀式を執り行い、ツクヨミは泳げる体になったが、自由に泳げるまで相当な時間が掛かった。だが、その時間が二人をより一層親密にさせていった。
ツクヨミがレイラと共に暮らし始めて数ヶ月経ったある日、二人の元に荷物が届いた。送り主はマーズだった。
「マーズの姐さんからのプレゼントですか。少し大きめ箱の様ですが、一体何でしょうね?」
箱を開けると、そこにはシー・ビショップ達が着用する帽子と法衣が入っていた。ただひとつ違う点は、ダークプリーストの法衣を連想させる様な漆黒の物だった。
「これは…姐さんのお手製ですね」
「すごい…!これ着てみてもいいですか?」
レイラは目をキラキラさせながら訊ねた。
「えぇ、もちろんです。貴女の為の物ですから」
そう言うや否やその場で着替え始めるレイラ。ツクヨミは慌てて背を向ける。
「全く、相変わらず好奇心の塊ですね…貴女は」
苦笑しながら言うが、そんな言葉は彼女の耳には聞こえていないだろう。嬉しそうに鼻歌を歌いながら着替えているのだから。
「終わりましたよ」
「そうですか。………おや、これはなかなか」
振り返り、レイラの姿を改めて見る。白が黒に変わっただけなのだが、少女が淑女に変わったというか、大人っぽい雰囲気が強く出ている感じであった。
「似合ってますか?」
「えぇ。なかなか斬新でとても良く似合ってますよ」
「良かった。これでお揃いですね♪」
「お揃い?…あぁ、なるほど」
一瞬どういう事か解らなかったが、服の色の事を言っているのだとすぐ理解した。
「それで、私一度言ってみたい事があるんですけど、この機会に言ってみても良いですか?」
「…?えぇ、どうぞ?」
突然そんな事を言い出した彼女の意図が解らず、ツクヨミは許可をだした。
「こほん。で、では…。………ひゃっはー!てめぇはおれさまがやっつけてやんよ!………以上です」
言い切った彼女の表情は、顔を赤らめながらもどこか満足げのある感じだった。対するツクヨミはというと盛大にコケていた。
「………………い、一応訊きますが、誰のマネですかそれ?」
「もちろん貴方ですよ」
どういう表情をしていいか解らないままツクヨミが問うと、彼女はにっこり笑ってそう言った。
「ですよねー。………悪いことは言いません。お止めなさい」
「えーっ!?」
止めろと言われて思いの外ショックを受けるレイラに、ツクヨミは呆れる。
「えーっ!?じゃないですよもう」
「じゃあじゃあ、せめてひゃっはー!だけは言わせて下さい!」
「はいぃ?」
「良いでしょ?ねっ?ねっ?」
諦めきれない彼女はまるで子供の様にねだる。
「わ、わかりましたからそんな泣きそうな目で見ないで下さい」
観念した様にツクヨミが言うと、彼女の表情はぱあっと明るくなった。喜んで「ひゃっはーひゃっはー」言ってる彼女を見て、ツクヨミは『本性』を出すのを少し自粛しようと心の中で誓った。
以来、ある港町に『黒衣のシー・ビショップ』が住むという噂が広まり、その港町はカップルが飛躍的に増え、犯罪数が極端に減ったという。そして今日も新たなカップルが誕生し、犯罪者が消えていった。
「ひゃっはー☆この港町を幸せいっぱいにしてやんよー♪」
「あら、格好良いお兄さん。そんな暑い格好してないで私と遊びましょう?」
男は途中でサキュバスに声を掛けられる。彼女は男を誘惑する様に胸元を見せてきた。
「すみません、私今仕事中ですので」
男はそれをやんわりと断ると、再び歩き出す。サキュバスが「クールでステキ…♪」と呟くのが聞こえたが、男は聞かなかった振りをしてこれ以上関わらないために足早にその場を去った。
海水浴場から離れ、岩場だらけになった場所で、男はある岩場の影に身を潜めた。
「さてと。情報によるとこの辺りの筈ですが…」
男は腕時計で時間を確認する。
「時間的にもうしばらく掛かりそうですねぇ」
男は岩影からある開けた場所を覗き込んだ。どうやらここで何かある様だ。
「それじゃ、その間に軽く食事でも済ませますか」
辺りの確認を終えた男は内ポケットからひとつの箱を出し、そこからスティック状の物を取り出して食べ始めた。どうやら健康食品的な食べ物らしい。
「…………ん?」
ひとつ食べ終え、ふたつめを食べようとした時、妙な視線を感じた。殺気は感じられないが確かにじっと見られている。気になってそちらに目線を向けると、目から上を海面から出している何かがいた。頭に神官のものと思われる白い帽子が見えるので恐らくシー・ビショップなのだろう。しばらくしてこちらの視線に気付いた彼女は慌てて海の中に潜っていった。
「…………………」
男は暫し呆気に取られていたが、再び食事を再開する。また暫くして視線を感じ顔を上げると、先程と同じように目から上だけを海面から出して此方をじーっと見つめていた。なかなかシュールな光景である。男は妙な空気に耐えきれず、波打ち際に近付いて彼女に声を掛けた。
「………あの、私に何かご用ですか?」
すると彼女は徐々に顔を出しながら近付いて来た。そして岩場に体を乗り出すと、無言のまま指をくわえてじっと男を見つめる。よく見ると、若干目線が上下している。それに気付いた男は自分の手元にあるこの食べ物を見ているんだと解釈した。
「……コレが欲しいのですか?」
男が訊ねると彼女は目を輝かせてコクコクと首を縦に振った。男は箱から新しいものを取り出して「あまり美味しいものでもありませんよ?」と言いつつ彼女に手渡した。すると彼女は手渡されたそれを嬉しそうに食べ始めた。
「では、私はこれで」
男は元居た岩影に戻ろうと踵を返す。が、片足が動かない。見れば彼女が足を掴んでいた。
「あの、まだ何かご用ですか?私今仕事中なんですが…」
「どんなお仕事をされているのですか?」
今まで言葉を発しなかった彼女が突然質問してきた。男は少し驚いたが、それに対し謎めいた言葉を紡いだ。
「そうですねぇ。『悪い人が悪い人をやっつける仕事』とでも…言っておきます」
「貴方は悪い人なんですか?悪い人をやっつけるのに?」
「ええ、私は悪い人なんです。ですから例えば貴女の大事な石板を壊したり、帽子を破いたりも平気でやっちゃいます」
そう言った直後、彼女は石板と帽子を守るように胸に抱え込み、目を潤ませながら男から距離をとる。今にも泣き出しそうな表情だ。
「あー…実際にはしませんから安心してください。あくまでも例えですよ、たとえ」
「ほ、本当ですか…?」
「えぇ、本当です。貴女は悪人ではないでしょう?」
彼女はブンブンと思い切り首を縦に振った。
「なら、貴女は私の標的には入りません」
「よ、良かった…」
大きな安堵の息を吐くと、再び近寄ってくる彼女。しかし、男は片手を前に出して制止させた。
「おっとすみません、そろそろ時間のようです。貴女は危ないですから早くお逃げなさい。いいですね?」
「えっ…?」
男は素早く元居た岩影に身を隠し、開けた場所の様子を窺った。しばらくすると、10人程の男を従えた髭面の男が現れた。見れば全員大きな袋を背負っている。中身は恐らく何処かから奪ってきた金品だろう。
「来ましたか…」
男は投擲用のナイフを三本指の間に挟み込んだ。そして髭面の男の足元より少し前を狙って放り投げた。
「だ、誰だ!?」
髭面の男は足元に突如突き刺さったナイフを見て慌てて辺りを見回した。
「これはどうも。お初にお目にかかります。盗賊団首領『マルコ=ディーガ』」
「お、お前はっ…『ツクヨミ』!」
髭面の男・マルコは、岩影からゆっくり現れた黒ずくめの男・ツクヨミを指差し、わなわなと震えだす。
「おやおや、私も有名になったものですねぇ」
「な、何でお前が此処にっ!?まさか!!」
「えぇ。貴方が考えている通りです。マルコ=ディーガ。暗殺の命により、貴方には此処で死んで頂きます」
ツクヨミは戦闘態勢に入ると、手首から鉤爪の付いた鎖をマルコに向かって投げ放つ。マルコは慌てて剣を抜いてそれを弾くと、部下にツクヨミを殺せと命令する。部下達はそれぞれの武器を持ってツクヨミに襲い掛かった。
「やれやれ…、私乱戦は苦手なんですよね」
ツクヨミは溜め息を吐くと、鎖を引き戻しながらその場で回転し始める。すると鎖がツクヨミを守る盾の様に回転を始めた。襲い掛かった者は皆、武器を弾かれ、鉤爪で首を引き裂かれて血飛沫を上げながら次々に肉塊へと姿を変えていった。回転が止まり、ツクヨミがマルコへと向き直った時には、もう生きている部下は一人も居なかった。
「あれ、もう終わりですか?ゴミの部下はやっぱりゴミなんですねぇ」
血溜まりの中、変わり果てた姿となったマルコの部下達を踏みつけるツクヨミ。その足元に銃弾が飛んできた。
「っとと、危ないなぁもう」
ツクヨミはその場からすぐに飛び退いた。ズレた帽子を戻しながらマルコを見やると、怒りを露わにした表情で銃をこちらに向けていた。
「テメェ、よくもやりやがったな!覚悟しやがれ!!」
「あらら、本当の事言われて怒っちゃいましたか」
「五月蝿ェ!蜂の巣にしてやる!!」
マルコは怒り狂って銃を乱射する。ツクヨミは横っ飛びで回避して岩影に身を隠した。
(さて、どうしましょう…。弾切れを待つ…というのは、賢いとは言えませんね。となると、はやり奪い取るのが妥当ですかね)
ツクヨミが行動を起こそうと決めて対峙しようとした時、彼の視界に一瞬白いものが見えた。先程のシー・ビショップの帽子だ。どうやら逃げろと忠告したにもかかわらず此方を見ている様だ。
(全くあの娘は…。とにかく彼女を巻き込むのはマズいですね…。早々に片付けてしまわないと)
「あぶないっ!」
彼女の叫ぶ声でツクヨミはとっさにその場を離れる。どうやら気を取られすぎていたらしい。マルコが此方に狙いを定めて引き金を引く瞬間だった。後数秒でも遅かったら命は無かったであろう。
「このアマ!余計な事を!!」
マルコはツクヨミからシー・ビショップに狙いを変え銃口を向けた。ツクヨミは彼女に向かって叫ぶ。
「早く海の中へ!」
「おせぇよ!」
マルコはシー・ビショップ目掛けて引き金を引こうとする。
「間に合えッ…!!」
ツクヨミは鎖を銃弾が通るであろう軌道上に向かって投げた。だが、鎖は軌道よりも少し手前までしか届かなかった。
「残念だったな。じゃあな、嬢ちゃん。恨むならツクヨミを恨みな」
弾丸がシー・ビショップ目掛けて飛んでいく。しかし、突如黒い何かが目にも留まらぬ速さで弾丸の直前を横切った。
「……あ、あれ?私何ともない…?」
目を伏せていた彼女はキョロキョロと自分の体を見回す。どうやら先程の黒い何かに当たったようだ。
「何だと…!?」
「あだだだだッ!」
変な声がした方に目を向けると、何故かツクヨミが倒れていた。見れば右腕から血を流している。
「あー…痛いですねぇ全く」
ツクヨミは立ち上がると服を払い、落ちた帽子を被りなおした。
「馬鹿な!あの距離から女を守ったってのか!?一体どうやって!?」
「どうやって?説明して欲しいんですか?全く、仕方ないですねぇ…。コレの説明、いろんな意味で恥ずかしいので嫌なのですが…」
ツクヨミはやれやれと溜め息をついた。
「私の扱うこの鎖。私は大蛇(オロチ)と呼んでいますが、本来の名前は『次元の鎖(ディメンション・チェイン)』というものです。能力は…えーと、此方の意思で伸縮自在に操れる事と、この鉤爪をどんな場所にでも引っかける事が出来るという事です。それが何もない空中であっても」
「つまり何か!?貴様はその反動で銃弾目掛けて突っ込んであの女を庇ったって事か!?」
「ピンポンピンポーン!大正解!パチパチパチパチパチ〜♪あー、でも賞品は何にもありませーん。残念でした〜!」
驚愕するマルコに対し、ふざけた反応を見せるツクヨミ。
「いや〜でも困るんですよねぇ。関係無い人を巻き込まないで頂けます?」
「るせぇ!ヘラヘラしやがって!」
マルコが再びツクヨミに銃を向けた。
「はぁ…さっきからキャンキャン五月蝿いですねぇ貴方は」
ツクヨミは鎖を使い、目にも留まらぬ速さでマルコに向かって突進する。あっという間にマルコ前に立つと、手刀で銃を払い落とし、それを蹴り飛ばす。そしてマルコの胸倉を片手で掴んで軽々と持ち上げた。
「……ちょっとおいたが過ぎるんじゃねぇか?マルコちゃんよぉ」
突如ツクヨミの言葉遣いが荒々しい物になる。否、言葉だけではない。雰囲気その物がまるで別人の様に変わっていた。細い目が見開かれ、深い闇を帯びた碧い瞳でギロリとマルコを睨みつける。
「調子に乗ってんじゃねーよ、このカスが!」
ツクヨミはマルコの胸倉を離すと思い切り蹴り飛ばした。
「ガハッ…!」
軽く宙を舞い、吹き飛ぶマルコ。地面に落ち、腹を押さえて咳き込む姿をツクヨミはつまらなさそうに見ていた。
「ったく、ゴミがイキがってんじゃねーよ。テメェもコイツらみたいに楽に殺してやろうと思ったけど、気が変わったわ」
ツクヨミは口を三日月の様にしてニヤリと笑う。
「テメェは俺様が飽きるまでなぶってから殺してやんよ…!」
そう言うとツクヨミは鎖を放ち、未だ立ち上がれないマルコの襟元に鉤爪を引っ掛ける。そしてそのまま宙に放り上げる様に鎖を手元に引っ張った。マルコの体は軽々と持ち上がり再び宙を舞う。
「思う存分遊んでやるから覚悟しな…」
宙を舞うマルコに再び鎖を投げ放ち、今度はその体に鎖を巻き付かせた。
「おらよっ!」
そのまま力一杯放り投げ岩壁に叩きつける。
「ぐあっ…!」
「おら、まだまだ行くぜ!」
今度はそのまま地面に叩きつける。そしてまた宙に浮かせて岩壁に叩きつける。その度に血が辺りに飛び散る。
「ひゃーははははははははは!!」
ツクヨミは狂気した様に笑いながら、まるで玩具で遊ぶように幾度となくマルコの体を岩壁へ、地面へと叩きつける。
「もっと遊んでやるからこっち来な…!」
今度は地面を引き摺る様にして足元に引き戻す。そして思い切り頭を踏みつけ、そのまま足蹴にする。
「おいおい、おねんねにはまだ早いぜ?マルコちゃん!」
「ぐっ、がっ、ごほっ…!」
「ほら、何とか言ったらどうよ?あ、顔蹴られまくって喋れねぇか。ひゃひゃひゃ!」
暫く蹴り続けていたが、何かを思い付いたツクヨミはマルコの腹を蹴り上げる。ゴロゴロと地を転がるマルコ。それをニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら見るツクヨミ。
「おいおいどうしたさっきの威勢はよぉ?俺様は右腕使えないんだぜ?テメェにとってはチャンスだろうが。少しは抵抗してくれねぇとつまんねぇじゃねぇか」
「う、うぅ…」
しかし、マルコにはもう戦意は無く、寧ろいつ殺されるか分からないこの一方的な暴力に恐怖していた。
「……逃げたかったらいつでも逃げてもいいんだぜ?」
何を思いついたのか突然そんな事を言い出したツクヨミ。その言葉に戸惑いながらも、這い蹲って逃げるマルコ。
「ヒッヒッヒ、そうだ逃げろ逃げろ。俺様の気が変わらない内になぁ」
ツクヨミはその姿を見ながら滑稽だと言わんばかりに腹を押さえて不気味に笑う。そんな事を気にする余裕もないマルコは少しでも距離をとろうと必死にもがく。しかし、どんなにもがいても途中で前へ進めなくなってしまった。
「ククク…ひゃっひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
突然大声で笑い出すツクヨミ。
「な…何が可笑しい?」
「いや〜悪ィ悪ィ。テメェがあまりにも無様でよぉ」
「ど、どういう…?」
「テメェの腰、よく見てみろや」
「?………っ!!」
体を捻って腰を見てみるとベルト部分に鎖の付いた鉤爪が引っかかっていた。その先は勿論ツクヨミの手元である。
「なっ…!?」
「ククク…、テメェはホントアホだな。俺様がマジで逃がすとでも思ったのか?」
「な…な…」
「ひゃーはーっ!いいねぇその表情!僅かな希望が絶たれて一気に絶望のどん底に叩きつけられたって感じ?ひゃっはははは!」
顔面蒼白になり、マルコは悲痛な叫び声を上げた。そして糸がぷっつりと切れた様に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「おい、マルコちゃん?マルコちゃーん!生きてますかー?……チッ、気絶してやがる。さっさと起きろや、このクズがぁ!!」
ツクヨミはマルコを引き戻し、倒れた彼の膝を思い切り踏みつけた。バキッという骨が砕ける音と共に声にならない悲鳴を上げ、マルコの意識が戻る。
「あ…あが…が…!」
「お目覚めかマルコちゃん。さぁ、もっと俺様を楽しませてくれよ…!」
しかし、再びマルコの意識は無くなった。ツクヨミは顔をバチバチと叩いたが反応はない。脈を測ると、弱々しく動いていた。放っておいてもじきに死ぬだろう。
「んだよ、もうちょっと楽しませてくれると思ったんだが、まぁ所詮こんなもんか。……んじゃ、サヨナラだマルコちゃん。とっととおっ死ねや」
ツクヨミは反応しないマルコに飽きたのか、あっさりと首をはねて殺してしまった。
「さて、任務完了…ですね」
目的が達成されると、先程までの荒々しさが嘘のように穏やかな口調に戻る。恐らく、今までのが自分を悪人だという理由、彼の『本性』なのであろう。彼は内ポケットから透明な板を取り出すと、それを耳に当てて話し始めた。
「あー、もしもし。ツクヨミです。マルコ=ディーガの件、完了しましたので回収の方よろしくお願いします。場所は―――」
好奇心から殺戮劇の場から離れられなかったシー・ビショップは複雑な心境にいた。目の前には直視出来ない程の地獄絵図が広がり、一度見てしまえば一生脳裏にこびり付いて離れなくなってしまうだろうという恐怖と、自分を守ってくれたツクヨミの優しさにえもいわれぬ嬉しさを感じ、恋心を抱いたためである。彼女も温厚とはいえやはり魔物。彼が欲しいと本能が叫び、無意識の内に体が熱く火照り、欲情の炎が燃え上がっていた。
「――し?もしもーし?聞こえてますー?見えてますかー?」
「ひゃうっ!?」
急に声を掛けられ、ビックリして素っ頓狂な声を上げる彼女。気付けばツクヨミが一番近い岩場にしゃがみ込んで笑顔で手を振っていた。その姿にドキドキして顔を朱に染める。
「あぁ、気が付かれましたか。大丈夫でした?」
「あっ、はっ、はいっ!大丈夫れひゅ!///」
ドキドキしたまま喋ったせいで彼女は盛大に噛んでしまった。
「あぅ…///」
真っ赤になって恥ずかしがる彼女を見て、ツクヨミはクスクスと笑った。
「ホント変な方ですねぇ貴女は」
「あっ…あのっ!」
「何ですか?」
「お怪我は大丈夫なのですか?」
彼女は銃弾が当たった場所を心配そうに見つめる。
「そうですねぇ。平気と言えば嘘になりますが、そう大した事はないですよ。弾を取り出すのは少々面倒ですが…」
苦笑混じりに答えるツクヨミは上半身裸になった。銃弾を抜き取るためだ。彼女はそれを見てしまい更に顔を真っ赤にする。
「あれ、どうしました?顔がトマトみたいに真っ赤になってますよ?」
「だ、だって…その、は、はだ、はだ、裸…あぅ///」
彼女は更に真っ赤になって俯いてしまう。ツクヨミは「あぁ」と今更ながらに気付いた。
「すみません、こうしないと取り出せないもので…」
ツクヨミは脱いだ上着からピンセットを取り出すと、腕に埋まった銃弾を抜き取ろうとする。
「痛つつ〜…。やっぱり痛いものは痛いですねぇ…………っと。ふぅ、取れました」
抜き取った銃弾をポケットに回収すると、未だ真っ赤になっている彼女に声をかける。
「あの、すみません。貴女治癒魔法は使えますか?」
「へっ?あっ、はい!」
「じゃあすみませんが、この傷塞いじゃって貰えます?」
「は、はい。わかりました」
彼女は何とか気を落ち着かせると、傷口に手を翳して呪文を唱え始めた。暖かい光が傷口を癒していく。しばらくすると血は止まり、傷跡も判らなくなった。
「お、終わりました」
ツクヨミは腕を回して感触を確かめる。少し違和感があるものの、痛みは完全に無くなっていた。
「ありがとうございます。おかげで助かりましたよ」
「此方こそ、命がけで守っていただきありがとうございました」
お互いに頭を下げあう。それが何故か妙に可笑しく、二人して笑ってしまった。
それからしばらくすると遠くから黒いヘリが近付いてきた。
「来ましたか」
ヘリはツクヨミ達が居る近くで着陸した。ドアが開き、中から一人の男と、アラクネが現れた。ツクヨミは上着を着直すと二人に近寄り、挨拶を交わす。
「お待ちしてました。ハヤカゼさん、マーズの姐さん」
「おう、ご苦労さん。で、早速だが、ヤツの亡骸は?」
「そこですよ。奪われた品もあります。……あー、袋が血塗れになっちゃってますねぇ」
ツクヨミはさっきまで戦っていた場所を指差す。ハヤカゼは其方に向かい、亡骸を1つ1つ確認していく。
「また派手にやったんだね。てことはヤツはアンタの逆鱗に触れちゃったのかい?」
「えぇ、まぁそんなとこです」
呆れながら言うマーズに、ツクヨミはお恥ずかしい限りですと苦笑混じりに付け加える。
「確認した。とりあえず全部回収するぞ。マーズ、手伝ってくれ」
「了解よ」
マーズはハヤカゼの元へ向かい、彼と一緒に遺体を回収し始めた。しばらくそれを見ていたツクヨミは、ふとあることを思い出し、シー・ビショップの元へ戻る。
「あのー…すみません。今日ここで起きた事は、ご内密にして頂けます?」
そう言って口元に指を当ててニコリと笑う。その表情にまた彼女は顔を赤らめる。
「あ、はいっ。………あ、「ツクヨミ、帰還するよ」あのっ」
彼女が何かを言おうとした時に丁度被る形でマーズがツクヨミに声を掛けた。
「えぇ、今行きます。…では、私はこれで。もう危ない真似をしてはいけませんよ?」
そう言ってツクヨミは彼女に背を向けて歩きだす。
(待って!行かないでっ!私、貴方の事がっ!!)
別れという悲しさと好きという感情が彼女の気を高揚させ、大胆な行動を取らせていた。海中を蹴り、勢いよく海を飛び出してツクヨミの両足を掴んだのだ。
「えっ?ちょっまっ…!」
驚きバランスを崩したツクヨミはそのまま岩場にビタッと前倒しになる。
「「うわ…ちょー痛そう…」」
ハヤカゼとマーズの二人は思わず自分の顔を押さえる。
「痛たたたた…、急に何するんですか貴女は?危ないじゃないですかぁ」
ツクヨミは岩場に打ち付け真っ赤になった鼻を押さえながら彼女の方に向いた。
「ごめんなさいっ!でも、でもっ!」
「ツクヨミ、その娘は?」
マーズが必死になってツクヨミにすがりつくシー・ビショップを見て訊ねる。
「ええっと、命の助け合いをした仲…という感じでしょうか」
「……?相変わらずアンタの言い回しは理解出来ないよ。…にしても随分と懐かれちゃってるわね。アンタの事好きになっちゃったんじゃない?」
「まさかそんな…」
苦笑混じりに否定しようとするツクヨミ。だがシー・ビショップはそれを大きな声でかき消した。
「ツ、ツクヨミさんっ!私をお嫁さんにしてくださいっ!!」
「は、はいぃっ!?」
「あら♪」
恥ずかしさのあまり涙ぐみ真っ赤になる彼女。ツクヨミは慌てて断ろうとする。
「あ、あのですね?私のお仕事はこの通りいつ死ぬかもわからない危ないお仕事です。ですから私のそばに居たら命がいくつあっても足りませんよ?」
彼女はそれを聞いても離そうとせず、寧ろギュッと強く足を抱きしめる。
「そ、それに危険な目にもあわせたくありませんし、貴女みたいな純粋な方が悪道に足を踏み入れるなんて…」
「それでも構いませんっ!貴方が悪なら私も悪になりますっ!」
「あ、いや…でも…」
彼女の気迫に圧されるも言葉を濁すツクヨミ。その煮え切らない態度にマーズはツクヨミの肩を掴んで一喝した。
「観念しなツクヨミ。これだけ慕ってくれてるのに無碍にするのは可哀想よ。それともアンタはこんな可愛い女の子にここまで言わせておいて恥かかせるつもりかい?そんなことしたら私が許さないよ」
「あ、姐さん!?」
「よし、じゃあツクヨミは海洋部隊として任務を行うという事で、俺が上に言っておいてやる」
「そんな、ハヤカゼさんまで!?」
二人が彼女の味方についてしまったため、もう言い逃れ出来なくなってしまったツクヨミには、選択肢は残されていなかった。
「はぁ…わかりましたよ。これよりツクヨミは海洋部隊として、この者と共に任務を遂行します」
「良かったね、お嬢ちゃん。ツクヨミもOKだって」
「ツクヨミと仲良くな、お嬢ちゃん」
「ありがとうございますっ♪」
二人に祝福され、彼女は涙を浮かべて喜んだ。
「で、ものすごーく今更なんですが…貴女のお名前は?」
「はい。レイラ、レイラ=ヴェールです。ツクヨミさま」
レイラはニッコリと微笑んだ。
「レイラ嬢。さまなんてつけないでください。私そういうむず痒い呼ばれ方は苦手なんです」
「じゃあ私も嬢ってつけないでレイラって呼び捨てで呼んでください♪」
「あ、あはは…、お手柔らかに」
「じゃあ俺達は帰るから、後は仲良くやってくれ」
そう言ってハヤカゼとマーズはヘリへと戻る。飛び立つ際にマーズは一言残していった。『ツクヨミはカナヅチだ』と。弱点をバラされ慌てるツクヨミと何故か嬉しそうににっこり笑うレイラを見て、二人を乗せたヘリは空の彼方へと飛んでいった。
「じゃあ早速儀式を行いましょう。ツクヨミさんには泳げる体になって頂かないと」
「あー、儀式ってやっぱり『アレ』ですよね?」
「はい♪……優しく、してくださいね?///」
「あ、あはははは……」
顔を赤らめ、期待の籠もった上目遣いでツクヨミを見つめる。ツクヨミはそれをただただ苦笑で返すだけだった。その後、すぐに儀式を執り行い、ツクヨミは泳げる体になったが、自由に泳げるまで相当な時間が掛かった。だが、その時間が二人をより一層親密にさせていった。
ツクヨミがレイラと共に暮らし始めて数ヶ月経ったある日、二人の元に荷物が届いた。送り主はマーズだった。
「マーズの姐さんからのプレゼントですか。少し大きめ箱の様ですが、一体何でしょうね?」
箱を開けると、そこにはシー・ビショップ達が着用する帽子と法衣が入っていた。ただひとつ違う点は、ダークプリーストの法衣を連想させる様な漆黒の物だった。
「これは…姐さんのお手製ですね」
「すごい…!これ着てみてもいいですか?」
レイラは目をキラキラさせながら訊ねた。
「えぇ、もちろんです。貴女の為の物ですから」
そう言うや否やその場で着替え始めるレイラ。ツクヨミは慌てて背を向ける。
「全く、相変わらず好奇心の塊ですね…貴女は」
苦笑しながら言うが、そんな言葉は彼女の耳には聞こえていないだろう。嬉しそうに鼻歌を歌いながら着替えているのだから。
「終わりましたよ」
「そうですか。………おや、これはなかなか」
振り返り、レイラの姿を改めて見る。白が黒に変わっただけなのだが、少女が淑女に変わったというか、大人っぽい雰囲気が強く出ている感じであった。
「似合ってますか?」
「えぇ。なかなか斬新でとても良く似合ってますよ」
「良かった。これでお揃いですね♪」
「お揃い?…あぁ、なるほど」
一瞬どういう事か解らなかったが、服の色の事を言っているのだとすぐ理解した。
「それで、私一度言ってみたい事があるんですけど、この機会に言ってみても良いですか?」
「…?えぇ、どうぞ?」
突然そんな事を言い出した彼女の意図が解らず、ツクヨミは許可をだした。
「こほん。で、では…。………ひゃっはー!てめぇはおれさまがやっつけてやんよ!………以上です」
言い切った彼女の表情は、顔を赤らめながらもどこか満足げのある感じだった。対するツクヨミはというと盛大にコケていた。
「………………い、一応訊きますが、誰のマネですかそれ?」
「もちろん貴方ですよ」
どういう表情をしていいか解らないままツクヨミが問うと、彼女はにっこり笑ってそう言った。
「ですよねー。………悪いことは言いません。お止めなさい」
「えーっ!?」
止めろと言われて思いの外ショックを受けるレイラに、ツクヨミは呆れる。
「えーっ!?じゃないですよもう」
「じゃあじゃあ、せめてひゃっはー!だけは言わせて下さい!」
「はいぃ?」
「良いでしょ?ねっ?ねっ?」
諦めきれない彼女はまるで子供の様にねだる。
「わ、わかりましたからそんな泣きそうな目で見ないで下さい」
観念した様にツクヨミが言うと、彼女の表情はぱあっと明るくなった。喜んで「ひゃっはーひゃっはー」言ってる彼女を見て、ツクヨミは『本性』を出すのを少し自粛しようと心の中で誓った。
以来、ある港町に『黒衣のシー・ビショップ』が住むという噂が広まり、その港町はカップルが飛躍的に増え、犯罪数が極端に減ったという。そして今日も新たなカップルが誕生し、犯罪者が消えていった。
「ひゃっはー☆この港町を幸せいっぱいにしてやんよー♪」
11/09/01 23:34更新 / 夜桜かなで