連載小説
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おまけ その1
国家は防衛だけやってりゃええんよ
よっしゃ、ほな治安は市民が守ろか。

どんな大層な事でも発端なんぞ適当なものだ。
熟練した商船の群れと、先進的な造船技術に支えられた貿易や漁業。
長い年月をかけて干拓された豊かな後背地。
更には戦乱を逃れた亡命者などの資本や技術。
とりあえず、代表的なものだけでもこれだけある。
自由な気風が売りのこの都市だが、実の所は旧世代の自治区の最後の生き残りでもあった。
土地貴族や聖界貴族などの力がそれほど強く無い。
商業、産業資本家でもある上層市民などの指導される都市が、自治権と自主性を保っているに過ぎない。

「それがこの都市である」

「はあ…さいですか」

さりげなく日常会話に混ぜる努力くらいすればいいのに。
なんて思った所で口には出さない。

「おはよう、今日もいい天気だ」

「どこがですか」

窓を見れば、まだ昼前だと言うのに辺りは薄暗く、どんよりとした空気を漂わせていた。
年が明けたとは言え、まだまだ冬真っ盛りの今日この頃、むしろこれからが本番ともいえる。

「こういうのは気持ちの問題だよ」

精神論で天候を変えられたらどれ程便利な事だろうか。
とは言え、相手は上官なので適当に話を合わせておくのが無難だろう。

「フーシェ隊長、会議の時間です」

部下が開けっ放しのドアから顔を覗かせ、やる気の無い敬礼をして足早に立ち去る。
仮にも上官に対してその態度は無いだろうと思ったのだが、当の本人はあまり気にしていない様子。

「さて、今日は何人殺されたと思うね?マクファーソン君」

「やめて下さいよ隊長…」

面白く無い冗談だ。
この上司…フーシェ隊長のユーモアのセンスは最悪だと思う。
しかし口には出来ない。だって部下だもん。









会議室と言っても、そんな豪勢な所ではない。
数十人程度が部屋に詰め込まれている。
無論、椅子など無い。全員立ったままだ。
ただでさえそんなに広く無い部屋に汗臭い男が達集まる。
一部の人間しか喜ばないであろうそんな状況だが、これも仕方ない。
だって仕事だもん。
上の方からお達しが来たのは昨日の事。
ある事件が切っ掛けで、憲兵隊もその捜査に投入される事になった。
確かに、国家憲兵隊と言う名目上、犯罪捜査や治安維持なども行う。
しかし、ここは自治都市だ。
市民たちが独自に結成した市民隊などが普段は治安維持にあたっている。
ので、ここでの憲兵隊の役割は少ない。
普通の奴なら、軍隊に入っても憲兵にはならんだろう。
なる奴と言えば、怠け者や変人くらいだ。
では、この俺はそのどちらだろうか?
恐らく前者だ、適当に雑務をこなして少ない捨扶持を貰って細々と生きる。
そんな考えを持つ者はここにはたくさん居る。

「マクファーソン君、聞いているのかね?」

「えっ!?…あ、ハイ。聞いてます」

檀上には、フーシェ隊長がいる。
この人はまた無駄に話が長くて困る。
一日の労働時間でキツイのは、この隊長の朝の御言葉を聞いている時くらいなものだ。

「では聞こう、今日で犠牲者は何人だ?」

「…わ、わかりません」

「やれやれ、これは重要な話なのだよ…今までの犠牲者は、全部で10人だ」

「…増えてますか」

「また昨夜被害が出たようだ、それも2人も」

今度は2人か…。
思った事と言えば、それくらいだった。
最早その位しか思う事が無いほど、人死にが日常化してきている。

ここ数日、都市で妙な事件が起こっていた。
連続殺人である。
殺し自体そう珍しいものでもないが、たった数日で既に10人も犠牲になっている。
これは尋常ではない。
普通なら、こういう事は市民隊に任せるのだが、どうみても趣味で集まっている連中の手におえる事件じゃない。
と、言う訳で。我々憲兵隊も捜査に投入されるに至ったわけだ。

「被害者は?」

「1人は娼婦、もう1人は初老の男性。お互い接点は無しだ」

「またか…」

被害者の数は10人だが、それぞれ全く無関係な人物だ。
性別、年齢、職業、交友関係、その他諸々…
調べてみても、何の繋がりも無い。
単に快楽目的か、精神異常者の類か。
はっきり言って何もわからない、完全に手詰まりだ。

「さて、今日こそ何か進展があったかな?」

とりあえず、捜査の進展状況について確認しあう。
まず問題なのは、この事件に敵対する勢力が関わっていないかどうかだ。
例えば、反魔物領の人間、敵国からの亡命者等を洗い出す。
ちょっとでも怪しい者が居れば、関所などに記録が残っているはずだ。
しかし…

「怪しい人物の往来はありませんでした…」

当たり前だ。
怪しい奴が堂々と関所等の人目の多い所を通るわけがない。
もしかすると、どこぞから侵入して潜伏しているかもしれない。

「私はね、どうも単独行動だとは思えない」

フーシェ隊長の見解は、複数犯、それもある程度の目的を持った集団の仕業ではないかと。
仮にそうだとすれば、これは明らかな破壊工作やテロ活動になる。
敵対する国や勢力の犯行と言えなくも無い。
確かに、これが単独犯であるとは考えにくい。
何しろ、犯行は夜行われているのは共通なのだが…
被害者の発見された場所や現場の範囲が、あまりに広すぎる。
この都市の面積を考えても、1人の人間が夜通し走り回って人を殺す、とも考えにくい。
夜になると人通りも多くなる場所などでも、殺人が行われている。
どう考えても、単独犯では不可能だ。

「とは言え、ならこんな回りくどい事をするかな…」

何か明確な意思を伝えようとしているとか、そんな様子も見られない。
犯行声明文等が発表されたとの情報も全くない。
これでは上記の理由で犯行を行う意味が無い。

「それとも、愉快犯と、その模倣犯の類が出たか…」

ただ単に、殺人などを目的としたサークル、または秘密結社、儀式…
他にも色々ある。
それらを一つずつ虱潰しに調べて行こう、と言うわけだ。
にしては、人数が足りない。

「人増えないなぁ…」

そう呟くと。

「そりゃそうだろう、徴兵で来た奴に専門職なんぞ出来るわけがない」

隣の奴が口を挟んできた。
徴兵制が施行されてから、兵力供給の心配は無くなった。
しかし問題は、志願者がこの頃少なくなって来ているという事だ。
若者が徴兵されて約2年程兵役に就き、その後予備役に編入される。
こうすれば、ある程度纏まった数の正規軍と、余裕のある予備兵力が毎年生産されるわけだ。
だが、徴兵は基本的に歩兵にしかならない。
憲兵も一応は歩兵から志願者などを募ったりはしているが、なり手が少ない。
ある程度の実務能力も必要になるので、2年で辞める人間がなれる職種ではない。
それは勿論、他にも色々あるのだが…
何しろ人が足りないと言うのが今最も懸念すべき問題なのだ。
安価な兵力供給源だった傭兵業が、段々と落ち目になっている昨今。
市民を使う正規軍は、運用にも金がかかるのだ。

「はぁ…面倒だな」

それから、今までの捜査線上であがった怪しい人物をリストアップしていく。
流石に何日も経てば、そこそこの数までは絞り込めて来た。
そして、最も怪しいであろう人物から最優先で捜査を行う事になる。

「まずはデンケ」

「デンケさんが?」

地主であり、デンケ父さんの愛称で皆から愛される名士の名が挙がった。
この男を知っている者は憲兵隊内部にも居るが、その誰もが信じられないと言った表情を見せた。

「最近、どこから仕入れたとも知れない安い肉を売りさばいている」

「ヒューマン・ジャーキーって事ですか?」

「それを調べるんだよ、召使などからの話では、最近浮浪者などを多く雇い入れているらしい」

つまり、その安い肉の正体が…と言う訳だ。
しかし、なら今回の事件と直接関わりは無いんじゃないか?
被害者は全員、五体満足のまま発見されている。

「怪しいから調べるんだ、直接今回の事件と関係無くても、間接的にかかわっているかもしれないだろう?」

とはフーシェ隊長の御言葉である、なる程そういう事か。

「次は…ドクター・ウィリアム」

今度は医者の名前である。
医者か、それもあり得そうな話だ。
このドクター・ウィリアム。今でこそ医者なんぞをやってはいるが、実は昔から札付きのワルで有名だった。

「彼と酒を飲むと必ず具合が悪くなる…なんて話も入ってきているからね」

「毒殺ですか?」

「さあねぇ」

遺体の状況は様々だった。
背後からバッサリ斬られた者や、喉を掻き切られた者。
馬乗りにされめった刺しにされた者から、窒息死した者まで。
殺り方が一定していない。

「プライドの高い奴ほど同じ方法に拘るものだが…」

「焦ってるんですかね?」

「それとも、殺し方は問題ではなく、殺したと言う結果が目的なのか…」

とりあえず調査してみない事には始まらない。
それぞれ役割を与えられた者が次々と会議室を後にする。
気が付けば、部屋には俺と隊長の2人だけが残ってしまった。

「…あれ?」

どういう事だろう?あれか、今日はもう帰っていいよとかそんな展開か?

「さて、マクファーソン君にはちょっと別の事を頼みたいんだが…」

などと意味有り気な事を言いつつ、こちらに歩み寄ってくる。

「この展開…まさか!?」

オフィスラブ。

「やりたいのかい?」

「いえ、遠慮しておきます」

突っ込まれるかと思ったら、微妙にまんざらでもないと言った態度を見せる。
これは別の所に別の物を突っ込まれてしまうかもしれない。
身の危険を感じ素直に謝る。
オッサンとオッスオッスするのは嫌だ。

「君は別件だよ」

「別件?」

この期に及んで別の事をする余裕があるのか。

「別件と言うか…まあ関係あるんだけど無いと言うか」

「ハッキリしませんね」

「単刀直入に言うとだね、実はもう1人、怪しい人物が居るんだよ」

「へぇ?もう1人ですか?」

そんな奴が居たとは初めて知った。

「こいつだ」

そう言って、懐から紙切れのような物を取り出し手渡してくる。

「誰すかこれ?」

そこに描かれていたのは、油断した顔で鼻の穴に指を突っ込んでいる幼女の姿。
本人が見たらすごく怒りそうな一枚だ。

「魔物なんだよね」

「そうですか魔物ですかへぇ…って魔物!?」

「候補に挙げられているのは何も人間だけじゃないよ、彼女は魔物…それもバフォメットだ」



















「と言う訳なんで、手伝ってくれないか?」

「断る」

「あ、そうか…」

捜査線上に魔物が浮上するとは思わなかった。
そんな事が有り得るのだろうか?昔の話ならまだ納得は出来るが…
今の時代、人を襲いはすれど殺す魔物なんぞ居るのか。
とは言え、怪しいと言われたら調べるしかない。
なので、捜査の協力を依頼する為に俺はある場所を訪れたわけだ。

「じゃあ帰るわ、邪魔してすまん」

「だから断ると言った…おい、ちょっと待て」

「なに?」

「諦めが良すぎる。もっと粘れ」

「だって断るって言ったじゃないか」

「そこは…ほらアレだ。こういう場合にはお約束のようなものだ」

「えぇ〜…めんどい」

この都市は親魔物領なので、魔王軍の部隊が派遣されている。
都市の防衛や治安維持は基本的に自前の軍隊でその役割をこなす事になっている。
なら何で居るのかと言えばだ、一応名目上は魔王領とは同盟関係に近いものがある。
ので、緊急時などのお互いの情報交換の窓口の為に少数だが魔王軍の部隊が駐屯しているのだ。
無論、彼女達の身内に何かあれば、それに対応する権利もある。
何故俺に魔物の捜査を担当させられたのかと言うと、ちゃんと理由がある。
ここに居る魔王軍の中に、知人が居るのだ。
魔物の事は魔物に、と言うわけで、捜査協力を依頼したのだがあっさり断られてしまった。

「是が非でも口説き落とそうと言う気が無いのか」

「無い」

魔王軍が駐屯している場所は、市街から少し離れたところにあった。
余り目立たない場所にある小さな建物が、窓口のような所だ。
外から見ても看板の類があるわけではないので、ぱっと見魔王軍が居るとは気付き難い。
そこには10人程が駐在している。
勿論、すべて魔物だ。
知人と言うのは、その建物の長でもあるデュラハンの事だった。

「そんな事だからいつまでたっても女1人捕まえられないんだお前は」

「はぁ…さいですか」

断られたので、諦めて帰ろうと背を向けた途端、後ろから引き留められた。
振り返ると、机から身を乗り出してこちらを睨みつけている。
相手をするのが非常に面倒だ。

「いいからもう一度頼んでみろ、私も気が変わるかもしれん」

「いや、別にそこまでして頼みたくないし…」

「ほう…?そうか…本当にいいのか?」

「だから良いって言ってるじゃないか」

一体どうした訳だ。
断った癖にもっと頼めとはどういう了見だ。
実を言うと、断られたらスッパリ諦めて帰ろうと思っていた。
そうすれば、他の奴にこの案件を任せられて俺は普通の仕事に戻れる。
と思ったのに、こいつと来たら…

「まあ、話だけでも聞いてやらん事は無いぞ」

「はあ?」

そう言って、再び大げさに椅子に腰かけると、トントンと机の上を指先で2度、3度と叩く。
こっちに来いと言う意思表示だ。
相変わらず人の話を聞かない奴だ。
ここまで来ると、逆らったら後が怖いので渋々従う事にする。
立ち話も何なのでと、彼女の部下が気を利かせて椅子を持ってきてくれた。
それに腰かけ、机を挟んで向かい合う。

「偉くなったもんだ」

「なに、閑職みたいなものだ」

「そうかぁ?」

何にせよ一応は隊長だ。
それくらいなら、十分高給取りだとは思うが、本人にとっては余り良いものではないらしい。

「それはお前の向上心が無さすぎるんだ」

「人間と魔物の軍隊を一緒にされても困るがなぁ…」

とはいえ、それは周りからもよく言われる事だ。
かれこれ下っ端のまま何年も同じ地位に居る。
隊長からもさっさと昇進しろだの上に行けだの言われたりもするが、あまり気が進まない。
上に行けば責任も増える。
軍隊で一番楽な地位は、実は下士官だと思う。
事実、周りの連中も中々昇進しようとはしない。
ある程度自由な時間を与えられ、仕事量もそこそこで責任もあまりない。
そんな立場が凄く良い。
下の奴等に威張れるし。

「下種だな」

「うん、そう思う」

否定はしない。

「そんな事より、話聞くんだろ?」

「忙しないなお前は…」

「早く片付けて帰りたいんだよ」

厄介ごとは溜め込んではいけない。
さっさと片付けるのが一番だ。






ようやく本題に入ろうと思った矢先、部屋のドアがノックされた。
またしても出鼻をくじかれたと思い振り返ると、トレイを持った女性が入って来た。

「…レッサーサキュバスか?」

「新しく入った部下だ」

気を利かせて紅茶を持ってきてくれたらしい。
柔らかい物腰の、いかにも女性的な仕草が目立つ。
目の前に居る誰かさんとは大違いだ。

「誰の事を言っている?」

「さあ、誰だろうな」

そんな様子を見て小さく微笑みながら退室する彼女を見送る。
ハートの形をした尻尾がゆらゆら揺れていた。

「そう言えば…あの子…」

「気があるのか?」

「そうじゃなくて、何で私服なんだ?」

忘れがちだがここは軍隊の施設だ。
目の前に居るこのデュラハンも鎧を着こんでいる。

「…おい」

「なに?」

手に持つカップに口を付ける寸前、何かに気付いたように口を開いた。
いや、何かこっちを睨んでる。
すっごい顔怖い…

「お前…私の名前を忘れたんじゃないだろうな?」

「…………いえ」

「何だその間は、まさか本当に…」

「そ、そんな訳無いだろ!ちゃんと覚えてるに決まってる…多分」

「じゃあ言ってみろ、私は誰だ」

「……」

…………………………………………
……………………………………
………………………………
…………………………
……………………
………………
…………
……

何だっけ?

「よし、殺す」

「待って!マジで待って!ヒント…ヒント頂戴!」

「アホか!仮にそれで正解してもうれしくもなんとも無いわ!」

今にも手にした剣を鞘から抜き放ちそうな彼女を必死で諌める。
思えば昔も似たような展開に出くわした事があった気がする。
何だったかな…えーっと…

「あの世でゆっくり思い出せ、あの世があればの話だがな!」

こっちが必死に思い出していると、とうとう剣を抜き放ち鞘を乱暴に投げ捨てる。
そして、その黒い鈍く光る剣を思い切り振り被った。
禍々しいオーラを纏っている。
机を挟んで一体何をやっているんだ俺たちは…

「落ち着けって…ヨランド」

まさにそれを振り下ろさんとした時、ようやく思い出した。
彼女の名前…確かヨランドだった。

「…冗談が過ぎるぞ。アール」

答えに納得したのか、寸での所で剣を収めて椅子に座りなおしてくれた。
会うのが久しぶりだと相手の名前を忘れたり…

「するよな?」

「お前だけだ」

「すいません…」

お互い気を取り直して、今度こそ本題に入る事が出来た。
何で説明するまでこんなに苦労しなきゃらなんのか。



















「つまり、今起きている連続殺人事件の犯人が魔物だと言うのか?」

「いや、あくまで怪しい人物の中に魔物が居るだけだよ」

一通り説明し終わって、乾いた喉を潤そうとカップを手に取り口に運ぶ。
もう冷たくなっている紅茶を一気に流し込んだ。

「ふむ、バフォメットか…」

「アホみたいな顔してるだろ?」

「いやこれはアホそのものだ」

こっちが手渡した似顔絵をじっと見つめながら、そう言い放った。
そこまでハッキリ言うか。本人が聞いてたら泣くぞ。

「この顔…どこかで見たような…」

「知り合いか?」

「ちょっと待て…確かこのへんに…」

そういうと、机の引き出しをあけて何かを探し始めた。
ごそごそと奥の方に手を突っ込んでいる。
そして、大きな分厚い本を取り出した。

「これだ」

「何これ」

「我々が所属している方面軍の年鑑だ」

「何でそんなもん持ってるんだよ」

「なあに騎士団に入る時に貰ったものだ」

そう言いながら、手で本についた埃をはらう。
どうやら長い間その場所が定位置だったんだろう。
本は読まれてこそ価値があるって誰か言ってたな。

「確か……どれだったかな?」

「なあ、それ見て何か意味あるのか?」

「その似顔絵を見てピンときてな、確かこの辺り…あった」

ページをペラペラ捲りながら何かを探しているようだ。
そしてお目当てのページを見つけたのか、本を見開いて机の上に置く。
ヨランドが指差す項目にあったのは、ある人物に対する記述だった。

「誰これ」

「何代か前の司令官だ」

「へぇ…バフォメットだったのか」

そのページにも、小さく似顔絵のようなものが描かれていた。
手に持った似顔絵のそれと見比べてみると、ほぼ完全に一致した。

「っておい、また鼻ほじってるぞこのバフォメット」

指を鼻の中に突っ込みながら、無防備に欠伸をしているその姿。
仮にも軍隊が出す本なのに、それに描かれている肖像画までこんな有様だった。
もしかして虐められてたのか、司令官なのに。

「まさかこの人がこんな所に居たとは…」

ヨランドの話では、このバフォメットはかなり昔に軍隊を辞めた。
それっきり、ずっと消息不明となっていたらしい。

「辞めたのか?」

「責任を取ってな」

「責任って?」

「そうか、お前は知らんのか」

「だって下手すりゃ生まれてないぞ俺」

司令官としての在任期間を見ても、俺が知りようのない人物なのは間違いない。

「私も直接は知らんが…この人が在任中にある戦争で大敗を喫したそうなんだ」

「ほう。負けたのか」

「その責任を取って軍から身を引いたらしい」

「司令官殿は大変だな」

立場が上になると責任も多くなる。
良くも悪くも凡人では絶対に司令官など務まらないだろう。

「で、この人は今どこにいる?」

「学校で教師やってるらしい」

「教師だと…?それは知らなかった」

「まあ普通に暮らしてたら縁が無いだろう」

司令官殿が今や教師に身を落としている。
戦争って奴は嫌だねぇ、負けたら全部台無しになってしまう。

「つまり、お前はこの方の調査を命じられたんだな?」

「うん、そういう事」

「そうか…」

しかしまあ、ここに来て正解だった。
核心には迫れなかったが、被疑者の経歴が少しわかった。
成程元軍人か…
元々高位な魔物である事に加え、軍隊に居たとなればプロと言ってもいい。
こりゃあちっとばかし怪しいかもしれない。

「よし、ありがとさん」

「ん…?どうした」

「いや、もう十分だ。そろそろ行くよ」

長居をするつもりは無かった。
情報を仕入れたら、さっさと次に向かう。
とりあえずその勤務先の学校まで行ってみよう。
居なくても、本人の住所くらいはわかるだろう。
一言礼を言っていから椅子から立ち上がり、部屋を後にする。

「待て待て」

またしてもドアノブを掴んだ所で、後ろから引き留められてしまった。

「なんや」

「訛ってるぞ」

「…なんだ?」

「私も行く、ちょっと待ってろ」

「何でついて来るんだよ」

手早く机の上の物を片付けると、ポールハンガーに引っ掛けてある外套を羽織る。
片手には、あの中二病全開の剣を持っていた。

「よし」

「よし、じゃねえよ。何でついて来るんだって聞いてるんだが」

「手伝ってやろうと言うのに、何だその言い草は」

「手伝う?」

「魔物の事は魔物に任せろという事だ」

いや自分の仕事しろよ。
突然何を言い出すんだこいつは。

「仮に荒事になったとして、お前1人で何とか出来ると思うのか?」

「そん時はそん時だ」

「いいから、お前は先に外で待ってろ、今日はもう店じまいだ」

「そんなんでいいのか…」

上がこんな適当な人間なら、どれだけ下の人間が苦労する事か。

「いいか、ちゃんと待ってるんだぞ?もし逃げたら…」

「逃げたら?」

「お前の家を燃やす」

「やめて賃貸だからやめて」

意外と洒落にならんことを言いやがる。
そんな事をされたらたまらん。
仕方ないからおとなしくいう事を聞いておこう。
どうせ今日1日だけの付き合いだ、我慢だ我慢。

「ふふ、そんなに嬉しいのか?」

うわー…やっぱり無理そう。



























「魔物が怪しいか…」

戸締りの確認をしながら、あいつが言った事を思い出す。
まさか、昔の話ならいざ知らず、この時代に人を殺す魔物など居るとは思えないが。

「隊長、お先に失礼します」

先程紅茶を運んできてくれた部下のレッサーサキュバスが声を掛けて来た。
黙って帰っても良いのに、律儀な奴だ。
と言うか他の奴らがずぼら過ぎるだけかもしれないが…
そう言えば、さっきあいつが妙な事を言っていた。
何故彼女は私服なのかと。
答えは簡単、彼女はただの事務員だからだ。
そんな事もすぐにわからないとは、全く昔から変わっていない。
ここ最近は顔を見せて来なかったので心配したが元気そうでなによりだ。
ただ、私の名前を忘れるとは許しがたい事でもある。
もう一度、体で覚えさせてやろうか。

「ふふふ…」

「隊長、口から涎垂れてますよ」

「これは心の汗だ」

「そこにその言葉を使いますか普通」

「…ところで、お前で最後か?」

「強引に話逸らしましたね…はい、私で最後です」

今の時代、魔王軍も慢性的な人手不足に悩んでいる。
彼女も、この街で雇われた、と言うより私が雇った。
元人間故か、他の連中より仕事熱心だ。
むしろ問題は他の部下なんだがな…
デスクワークも出来ない脳筋連中に、目を離せばすぐに仕事をサボる輩も居る。
独立愚連隊などと言う者も居るが、内情はこんなものだ。
何度か補充要請を出したりはしたが、希望が叶えられた事は無い。

「戸締りお願いしますね」

「ああ、ご苦労だった」

私もさっさと出よう。
相手がアレと言え人を待たせているんだ。

「久しぶりに楽しくなりそうだ…フッ」

自然と顔が綻ぶ。
本人には決して見られたく無い、弱みを見せたら駄目だ。


















「待たせたな」

「遅い、帰っていいか?」

「明日から路上生活になるがいいのか?」

「本気で家燃やすのかよ!」

我が家の為にも逃げる事は不可能なようだ。
本気でやりそうだから怖いんだよな、こいつ。

「さて、何処に行く?」

「学校」

「どこかに寄り道は?」

「しない」

「腕でも組むか?」

「嫌です」

「つまらん…」

そう言って、少し寂しそうな顔をする。
んな顔されてもなぁ…仕事でやってるんだし。
公私混同しまくりだこの人は。
昔から全く変わっていない。

「とにかく、妙な事しないでくれよな」

「わかったわかった」

ようやっと出発する事が出来た。
2人で並んで歩き出す。
すると悲しいかな、ヨランドさんの方が俺より頭一つ分くらい背が高い。
俺だって平均くらいあるのに…
周りの目が妙に気になる。
嫌でも目立つだろうな、それがあんまり会いたくなかった理由の一つでもある。
意識しても無駄な事なんだが、だからこそ余計意識してしまう。

「それにしても…」

気晴らしに、街の通りに目を向けてみる。
意外に、街は活気に溢れていた。
商店や露店などが所狭しと立ち並い、人々がそれに群がっている。
暗い話題が世間を賑わせていると言うのに、いつもと変わりない日常が繰り広げられている。

「平和が一番だ…」

「年寄みたいな事を言うな」

「そうかな」

しばらく歩いていると、ゴブリンの集団とすれ違った。
ゴブリンが群れているのはいつもの事なので特に問題は無い。
だが、誰かを探しているような様子だったのが少し気になった。
まあ、今回の事件と関係は無いだろう。
魔物の被害者は出て居ないし、何しろ犯行が起こるのは決まって夜中にだ。
そうこうしている内に、目的地の学校の前まで到着した。
市街で唯一の教育機関と言うだけあって、中々規模が大きい。

「ここか」

「ふむ、初めて見た」

俺もヨランドも、学校を見るのは初めてだった。
校門の前には、『関係者以外立ち入り禁止』と言う看板が立てられている。
勝手に入って怒られないかな?学校って確か治外法権があったよな…

「どうした。早く来い」

「うわぁーこいつぁ頼もしいやー…」

ヨランドさんがこっちの考えなどお構いなしと言った具合に門を潜り中へと進んでいく。
もう知らん、何かあったらアイツのせいにしよう。
意を決して俺も門を潜り校内へと足を進める。
すると、前方から何やら見慣れた集団が向かってくる。

「あれ?」

それは、デンケの捜査を命じられた奴らだった。
何でこんな所の居るんだろう。ここに居たのか、デンケさん。

「あれーマクファーソンさんじゃないですか」

向こうもこちらに気付いた。
先頭を歩いていた兵士が駆け寄ってくる。
見知った顔だ。

「何やってんのお前ら」

「マクファーソンさんの応援に行けって隊長に言われたんですよ」

「聞いてないって…それより、お前らの方はもう終わったのか?」

この様子からすると、デンケの方はシロだったようだ。

「はい、今回の事件とは無関係でした」

「そうか…」

「あくまで今回の、ですけどね」

「含みのある言い方すんなぁ…」

「いや、実はですね…本当に作ってたんですよ」

「何を」

「ヒューマン・ジャーキーを」

「…おい」

嫌な噂は大抵真実だ、とは今俺が思いついた事だ。
まさか本当にヒューマン・ジャーキーだったとは…
詳細を聞けば、予想通り浮浪者を大量に雇っては材料としていたらしい。
工場に踏み込んだ時も、まさに『調理』を行っている真っ最中だったとか。

「で、どうしたんだ?」

「若いのが何人か朝食とご対面して病院に運ばれました」

そりゃあ仕方ない。そんな場所に行けば俺だって吐きそうだ。
しかし、聞きたいことはそれじゃない。

「違う、デンケさんはどうなった?」

「市民隊に引き渡しました」

「いいのかよ」

「煮るなり焼くなり好きにしていいって隊長が言ってましたし…」

そんなもん、末路が決まったようなもんじゃないか。
と、今回の事件と関係ないんならどうでもいいか。

「で、全員学校に来たと?」

「ハイ、お蔭で被疑者を確保出来ました」

「マジか!?早いな」

対象のバフォメットは、どうやら学校に居たらしい。
二度手間にならずに済んだのかな?

「…そのバフォメットはどこだ」

「あれです」

同僚が指差す先には、仲間の連中に抱えられた縄の束のようなものがあった。
それがモゾモゾと動いている。

「気持ち悪…」
 
パっと見、ミイラみたいだ。
中にマミーでも入ってるんじゃないかと思えてくる。

「抵抗するんで縛り上げたんですよ」

「いや、死ぬぞそれ」

ギチギチに縛り上げられてるので、確かに逃げられる心配は無いかもしれない。
だが、それじゃあ息が出来ないんじゃないのか?

「魔物だから大丈夫でしょう…多分」

「多分っつったなオイ」

こいつらの魔物観は一体どうなってるんだ。
いくらなんでもどこぞの究極生物みたいに万能じゃないだろ。

「これから取り調べか?」

「はい、マクファーソンさんは?」

「う〜ん…」

どうするか…被疑者を確保したんならこのまま本部まで帰ってもいいんだが。

「じゃあ俺は、奴さんの自宅を調べてみるわ」

凶器の類、あるいは犯罪を立証する証拠でも探しに行こう。
うん、それがいい。
第一ここでハイおしまいですなんて行ったら連れのアイツが何て言うか…
本当に家を燃やされかねない。

「ならお任せします、何人かお貸ししましょうか?」

「いや、いい。余った奴らはウィリアムの方へ回せ」

「了解しました、ではこれで」

バフォメットらしい縄の塊が運ばれていった。
これから尋問などが待っているのだが、それまで生きているかちょっと心配だ。

「さてさて、住所を聞きますか」

同じ先生連中なら住所くらい知っているだろう。
そう思って、職員室がある所まで小走りで進む。
すると、既にヨランドが居た。
こっちが同僚と話している間に辿り着いていたようだ。
何やら魔物らしい人物と話している。

「おーい!ねえちゃ…ッ!」

「…!今何と言った!?」

うっかり昔の口癖を喋ろうとしてしまった。
何とか最後まで言わずに済んだが、もう遅かった。
キッチリ聞きとられてしまったようだ。

「ヨランドさん、何をなさっているんでしょうか?」

「違う、今さっき何と言ったと聞いているんだ」

満面の笑みを近づけて問いただしてきた。

「いや、普通に呼んだだけですけど」

「い〜や違う、昔のように言ったはずだ。『お姉ちゃん』と!」

「言ってない!」

「なら今言え!早く!」

「なんでだよ」

変なスイッチが入ってしまった。
妙な事に拘るんだもんなぁ。
こうなると、言い出したら聞かないから困る。

「あの、ちょっとお2人さん?」

しばらく押し問答を繰り広げていると、不意に声を掛けられた。
その方向へ振り向くと、 さっきヨランドと話していた魔物が居た。
人間の上半身と蛇のような下半身…ラミア?

「エキドナなんだけど」

「エキドナさん?」

これまた中々珍しいのが居たもんだ。
何だこの学校、珍種ばっかり集めてんのか?

「何?人の目の前でイチャイチャして…自慢?」

「え?」

どこをどう見たらそんな風に見えるんだ。

「ああ、自慢だ」

「おいやめろ」

火に油を注ぐ馬鹿も居る。
もうヤダ、おうち帰りたい…








「はい、住所」

「どうもすいません」

それから紆余曲折あって、何とか住所を聞き出す事に成功した。
態々場所をメモしてそれをこちらに渡す。
ここからそう遠くない場所にあるようだ。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど…」

「何でしょうか?」

「本気であの子が犯人だと思ってるの?」

「さあ、それを調べるのが仕事なんですがね」

一応は数ある内の被疑者の1人、と言う事になっている。
あくまで今のところはだが。

「あの子じゃないわよ」

「言い切りますね」

「アリバイもあるし…何より魔物は人を殺さないわ」

「『今は』ですがね」

「ふんっ…いつまでも過去の話を…」

「歴史を学ぶのは楽しいですよ、同じことの繰り返しですけどね」

過去の行いがいつ未来になるとも限らない。
不安な事はあるもんだ、いつの時代でも。



それから学校を後にして、バフォメットの自宅へと向かう。
隣にはピッタリとヨランドが並んでいる。
しかし、お互い言葉を発する事なく、黙りこんだままだ。

「昼でも食うか?」

沈黙に耐えきれなくなって、何となくそんな事を口にする。
時間的にも不自然ではないと思う。

「当然奢りだろうな?」

「薄給だけど飯奢る金くらいあるって」

実際無いんですけどね。
しかし、いくら相手が高給取りだからって女に払わせるのは何と言うか気が引ける。
安いプライドだな本当に。

「あの店でいいか」

適当な店を見つけて中に入る。
昼時なのでそこそこ混み合っていた。
空いている席を見つけて、そこに腰かける。
やっぱり目立つなぁ、主に連れが。

「さて、何を食べる?」

「何でもいい」

それより問題は値段だ。

「それが一番駄目な答えらしいぞ」

「へぇ」

何が駄目なのか知らんが、何でもいいが一番駄目らしい。
なので適当にランチメニューを選んでそれを店員に伝える。

「なら私はこれを」

お互い別々のものを頼んだ。
値段を見ても、ギリギリ許容範囲に収まったので一安心だ。

「デザートは駄目か?」

「パフェでも食うのか?」

「ならそれを頼もう」

「おいおい…」

意外と可愛いものを食うんだな。
なんて呑気な事を考えている暇じゃない。

「…半分出そうか?」

こっちの考えてる事を察したのか、ヨランドが助け舟を出してくれた。
乗りたい、実に魅力的な提案だが…

「いんや、大丈夫」

最早意固地になってるな、俺。
それから、運ばれて来た料理を食べても味がさっぱりわからない。
何故か食べている最中に大粒の涙まで溢れてくる始末だ。

「泣くほど美味かったのか?」

「しょっぱかった…」

結局涙の味くらいしかわからなかった。
意外と高いんだもんこの店…

「ほれ、一口どうだ」

そう言ってヨランドがスプーンをこちらに差し出してくる。
嬉しそうにパフェ食いやがって…俺の金なのに。
何て事を口に出して言えるハズも無い。

「あーん」

「……」

黙って口をあけてそれを受け取る。

「甘いなぁ…」

口の中に、濃厚な風味と甘さが広がる。
美味い。けど何か自分がすごく惨めな気がしてきた。
更にもう一口要求したのだが。

「もうやらん」

断られてしまった。




















「教師って儲からないのか…」

店を出て再び目的地へと向かう。
エキドナが書いてくれた地図を見るともうすぐ着く。

「お世辞にも良い所とは言えんな」

実際その通りだ。
都市の中でも、貧困層が比較的多く集まる場所。
バフォメットが住んでいる所もそこにあった。
薄暗い路地を抜けると、お目当てのものが見えた。
通りに沿った、隣同士が完全に引っ付いている4階建ての建物。
外装はボロボロで、モルタル壁などは所々に亀裂が入っている。
ここはアパートメント、典型的な労働者階級向けの集合住宅だった。

「3階だったかな」

流石に無断で部屋に押し入る事も出来ないので、管理人を訪ねて事情を説明する。
何とか了承を得て部屋の中を見せて貰う事にした。

「この辺は、魔物が多いんですか?」

ギシギシと、足を踏み出すたびに音を立てて軋む階段を昇る。
管理人は、この年老いた男1人だけだとか。

「そこまで多くはありませんが、まあちらほらと」

このアパートメントも、魔物だけではなく人間も勿論住んでいる。
今まで特にトラブルも無く、上手い事共存してきたらしい。
バフォメットがここで暮らすようになったのも、随分前からだとか。

「ここです」

ようやく部屋の前まで到着した。
さっそく中に入ろうと、管理人にドアの鍵を開けて貰おうとしたのだが。

「あのう〜…」

不意に背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこには少女が立っていた。

「バフォメットさんのお知り合いですか〜?」

「え?」

「魔女か」

流石ヨランド、一目見ただけでこの少女が魔物だと気付いたらしい。

「ああ、アンタ確か下の階の…」

大分間を置いてから、管理人の方もようやく反応を示した。
なんでも彼女は魔女で、下の階の住人だとか。
バフォメットに魔女か…サバトでもやってるのかここは。

「バフォメットさんは居ます?」

「いや、俺らは生憎知り合いじゃないんだよ」

「そうなんですか〜…困ったなぁ」

「何か用事かい?」

「留守なんですか?」

「ああ…みたいだな」

どうやら何か用事があったみたいだが、生憎本人は不在である。
それどころか、ここ数日は家に帰ってはいないだろうと言う旨を彼女に説明した。

「えっ…そんなまさか」

すると、予想外の反応が返って来た。

「だって昨日の晩に音がしてましたよ?」

「…それはどういう事かな?」

「丁度その事でお話があったんですよ」

魔女が言うには、昨晩上の部屋から妙な物音を聞いたと言う。
それも何度も。

「何か重いものを叩きつけるような…そんな感じでした」

「音ねぇ…」

風で物が自然に倒れる音を聞いたとも考えられない。
誰かがその時間、そこに居たという事になる。

「…とりあえず、開けて貰えます?」

「ああ、ハイハイ…」

とにかく、中を確認しない事には始まらない。
さっさとドアを開けて欲しいのだが…

「え〜っと…鍵はどれだったかな?」

束になった鍵を一本一本穴に差し込んで確認している。
管理人の動きが凄く遅い。

「急いで下さいよ」

「わかってますよ…あ〜どれだったかなぁ?」

「はぁ…」

その様子を見ていると思わず思わずため息が漏れてしまう。

「あの、もう1つ」

「え?」

「もう1つあるんです、気になる事が」

管理人が鍵と死闘を繰り広げている様子を見守っていると、再び魔女が話しかけて来た。

「もう1つって?」

「これがホントの目的だったんですけど…」

「何でもいい、気になる事があったら言ってほしいな」

「ハイ、その…音が聞こえた後からですね…天井から…」

「天井から?」

「何か赤い液体のようなものが…染み出て来たんですよ」

「なんだって!?」

「オンボロアパートですから、雨漏りとかも酷いんですよ」

なので、上から水が漏れて来る事は今までも何度かあったそうだ。
しかし、赤い液体が染み出て来たのは初めてらしい。
そりゃそうだろう。

「だから、バフォメットさん何やってるのかな〜って思って…」

「聞きに来たと?」

「ハイ、その通りです」

これは…ちょっとマズいな。
話を聞く限り予想出来る事と言えば…アレしかない。

「…」

「行くか?」

ヨランドと目が合うと、そう言って来た。
それだけで意味は伝わった。
強行突入する。
まだ中に人が居るかもしれない。

「管理人さん、ちょっと退けて貰えますか」

「まだ開いてませんよ…もうちょっと待って下さいな」

「修理代は後で出しますから、すいません」

強引に管理人をドアの前から引き剥がす。
ヨランドが剣に手をかけた。
だが室内で大剣を振り回して大丈夫なんだろうか。

「お前、武器は?」

「ちゃんとあるさ」

剣や槍なんぞ使うのは時代遅れだ。
今の時代はコレだよコレ。

「フリントロック式のピストル」

懐から取り出したのは、今流行の最新式のピストルだ。
これなら室内で使っても邪魔にはならない。

「またそんなものに頼って…」

銃を見た途端、ヨランドがそんな事を言ってくる。
そりゃあ、こいつを見せてキャーキャー黄色い声を上げるとは思わない。
でもこの冷めた反応は辛い。

「だって便利だし」

「剣をつかえ剣を、ちゃんと教えただろう?」

「剣はお前が居ればいいじゃん」

どう足掻いたところで、デュラハンを超える技量を持つのは不可能に近い。
だったら別に剣に拘る必要も無い。
手軽に戦闘力を手に入れるのは銃が一番だ。
どうもヨランドさんはお気に召さない様子だがこればっかりは譲れない。

「とにかく、行くぞ」

「そろそろ再教育せねばならんか…」

ヨランドが何やらブツブツと呟いてるが、ちゃんと突入する体勢を取っていた。
管理人と魔女を後ろに下がらせ、タイミングを計る。

「…」

ゆっくりと、体を動かしドアノブを掴む。
やはり鍵はかかったまま、ドアは内開きのようだ。
それをヨランドに身振り手振りで知らせる。
すると、ゆっくりと頷いてみせた。
さあここからが本番だ。
こういう場合は、思い切り蹴り飛ばして鍵を開ける。
一回やってみたかったんだアレ。
ドアの前に立ち、ゆっくりと片足を上げる、そして力いっぱい蹴り…

「どけ」

「へ?」

その声に反応して振り返ると、ヨランドが剣を水平に構えている。
そして思い切り、それを突いて来た。

「ぅおいッ!?」

咄嗟に身を捻って、間一髪その突きをかわす。
すると、目の前のドアに剣が突き刺さり、その衝撃でドアが丸ごと部屋の中まで吹っ飛んでしまった。

「…よし」

一歩も動かず、上半身の力だけでそれをやってのけた。
凄いねデュラハン、こりゃ勝てねえわ。

「このくらい誰でも出来るだろう?」

「出来るか」

少なくとも俺には無理です、はい。
それより、今までの行動の意味無いじゃん、こんなに音立てたら。
人の話本当に聞いてんのかなこの人。
それとも聞いた上であえて違う事してるのかな。
どっちにしろタチが悪い。

「ん…この臭いは」

形容し難い体勢のまま床に倒れている俺を跨いで、ズケズケと部屋の中に入っていく。
部屋の中は真っ暗だったが、入ってすぐヨランドが声を上げた。
こっちも一呼吸置いて腐臭が鼻についた。
生物が腐ったような、そんな臭い。
嫌な予感に限って毎回当たるもんだ、何かがある。それも通常の状態ではないだろう。

「暗いな…」

「1人で進むな、危ないから」

「誰に言っているんだ誰に」

心配無いとは思う、でも一応言ってみたかったんだよ。

「カンテラ、お借りしますね」

管理人が持っていたカンテラを奪い取り、俺も部屋の中へと足を踏み入れる。
中に入ると、更に臭いがキツくなった。
一応職業柄、こういう事はすぐ理解できる。
これは明らかに肉が腐った臭いだ。
夏場じゃなくて良かった、昔見た死体は一日しか経ってないのにもう妙な汁がそこら中に…
いかん、妙な事を思い出してしまった。
あれからしばらくは肉の類が全く口に出来なかった。
今でも思い出すと気持ちが悪くなってくる。

「アール、こっちだ」

奥からヨランドが呼ぶ声が聞こえた。
しかし、よく何にもぶつからずに歩けるなアイツ。
デュラハンって夜目がきくとかそんな性質があったっけ?
足元をカンテラで照らしながら、ゆっくりと進む。
床には本や紙屑などが散乱していた。
昨日の晩、大きな音がしたと魔女は言っていた。
これもその時荒らされたものだろうか?
廊下を通り、リビングとおぼしき場所まで進む。
すると、ヨランドが部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
既に剣を鞘に収めている、この部屋はもう誰も居なかったようだ。

「下を照らしてみろ」

ヨランドが足で何か塊のようなものををゴツゴツと蹴っている。
蹴ったらいかんだろ蹴ったら。
そう思いつつ、言われた通りにヨランドの足元にカンテラを近づける。

「足太いなお前」

ヨランドの足が見えた。

「…おい」

「ハイ、スイマセン…」

冗談なのに…
気を取り直して、再び足元を照らす。
そして見つけた、塊の正体を。

「…頭か?」

「人じゃない、獣のようだ。しかしでかいな」

ぱっと見ただけでよくわかるその大きさ。
ヨランドの太い足を2本合わせてもまだ足りないくらいだ。

「…」

ゴツン。

「いてぇ!?」

無言で思い切り頭を殴られた。
何でこっちの思考を読めるんだ!?

「顔に出てる」

「そ、そうだったのか」

覆面でも被ろうかな。
そんな事より問題なのはこの頭だ。

「まさか食い残しってわけじゃないよな…」

「こんなものを1人で食えると思うか?」

ご丁寧に皮まで剥がれいるその頭。
よく見ると、どうやら猪辺りだろう。
こんなものがこの街で獲れるハズが無い。
他所から入って来たとも考えにくい。
こんなもんが通りで売られていたら噂になるレベルだ。
更に周りを照らすと、今度は内臓や骨などが発見出来た。
大きさから言って、この猪(?)のものだろう。
そこら中血や骨や内臓が飛び散っている。
臭いの原因はコレだ。

「こっちには血が溜めてあるな…」

ヨランドが部屋の隅々まで確認していく。
浴室を覗くと、バスタブには血が大量に溜められていた。

「うへぇ…勘弁してくれよ」

こんな風呂に入ってたのか?バフォメットさんよ。
エリザベート・バートリが若い娘を挽き殺してその血を浴びたように…
猪を殺して血風呂でも楽しんでいたってのか?
いくらなんでも狂ってる、何の為にこんな事を…
それから更に部屋の中を捜索したが、他には何も見つからなかった。
ただ、頭が置いてあったリビングの床に魔方陣らしきものが書かれていた。
俺もヨランドも魔法は専門外なのでよくわからない。
儀式的なものかもしれないと思い、魔女にでも聞こうかと思ったが、流石にこれを見せるのは酷だ。

「一旦出よう」

「そうだな、私も少し気分が悪くなってきた」

外へ出て、管理人にこの部屋に誰も入れるなと頼む。
とにかく応援を呼ぼう、その為にも一度本部へ戻ろう。
丁度バフォメットの取り調べも行われている、本人に話を聞きたい。
ヨランドも了承し、2人で足早に憲兵隊本部に戻る。


































「お前がやったんだろう!?さっさと吐いたらどうだ!?」

薄暗い部屋に、兵士の怒声が響き渡る。

「いつまでそうしているつもりだ!この人殺し!」

「わ…わしは人殺しなんぞしとらん…」

「嘘をつくんじゃない!」

兵士の1人が拳を机に叩きつける。
その拍子に、少女の体がビクンと震える。

「こんな事が出来るのはお前くらいなもんだろうが!」

「無実じゃ!わしは無実じゃ!」

「まだ言うかこのクソアマ!」

必死に無実を訴える少女の髪を、男が乱暴に掴み上げる。

「あうぅ…」

少女の顔が苦痛に歪む、しかし兵士達が手を緩める事は無かった。
髪を持ち上げたままの体勢から、勢いよく机に顔面を叩きつける。
最早取り調べなどと呼べるものではない、ただの暴行だ。
しかし、この空間でそれを止めに入る者は居ない。
何度も何度も、男は少女の顔を机に叩きつける。
ここは憲兵隊本部にある取調室。
殺人容疑をかけられたバフォメットが取り調べをされている。

「おい…なんだこれは」

「ひでぇ…何でこんな事を…」

本部に戻ってから、さっそく隊長に掛け合って現場を確保する人員を向かわせた。
こちらはバフォメットの取り調べに参加しようと、取調室の前まで来たわけだ。
硝子越しにその様子を見つめて居たのだが、これはちょっと行き過ぎだ。
隣で見ていたヨランドは怒り心頭だ。
そりゃそうだ、仮にも元身内がこんな目にあわされている。
下手な事をすれば魔王軍と敵対する事にもつながりかねない。
そんな簡単な事もわからんのかあいつ等…
でも変だな…今取り調べをやってる連中がこんな事をするハズが…

「許せん!」

などと考えていると、とうとう隣人の怒りが爆発してしまった。

「おい、妙な事すんな」

「手出しはするな、いくらお前が言おうとこれは見過ごせん」

完全に頭に血がのぼってやがる。
俺の静止を振り切って、ヨランドが強引に取調室のドアを蹴り破った。

「貴様らァ!!そこまでだ!」






「だから違うと言うとるじゃろうが!」

それまで黙り込んでいたバフォメットが急に大声を出した。

「もっとこう、顎を掴んで顔を近づけて舐め回すようにこっちを見つめてじゃな…」

バフォメットが兵士の手を振りほどき、身振り手振りで何かを伝えている。

「『お前の家族も不幸になってええんかぁ…あぁ!?』って言うんじゃよ」

「勘弁して下さいよバフォメットさん」

「流石に俺らもそこまで出来ませんって」

「それから…机を蹴り飛ばしたり煙草の煙を拭き掛けたりじゃな…」



「え…?」

先程の様子とは打って変わって、今度はバフォメットが兵士達にダメだしをしている。
頭が真っ白になった、一体何なんだこの光景は…

「取り調べ室での暴行ごっこも飽きてきたのう…」

「もうやめましょうよ、変に問題になったら俺ら困りますし…」

「それより腹減りません?何か出前します?」

「あ〜そうじゃなぁ…メニューとかあるのか?」

「和洋中なんでもありますぜ」

「ほほう、そりゃ楽しみじゃ」

「じゃあ取ってきますわ」

そう言うと、兵士の1人が部屋から出て行った。
そのやり取りを見つめる俺たちは、その場に固まったまま動けなかった。
今までのは全部遊びでやってたって事…なのか?

「…そこの変なポーズで固まっとるデュラハンも捕まったんか?」

ようやくバフォメットがこちらに気付いた。

「あ…いや…その…」

「まあ、そんな事はどうでもいいんじゃがな」

ヨランドはまだ動けなかった。
それどころか、顔がみるみる内に赤く染まっていく。
耳朶まで真っ赤になってしまった。

「おい、ヨランドさん?」

肩に手を置き、必死に呼びかける。
顔だけを器用にこちらに向けると、ゆっくりこう言い放った。

「よ、予想通りだったな」






「無理すんな、な?」

憐れな…笑いはすまいが。
だが、実を言えば少しざまあみろと言う気持ちもあった。
必死にそれを悟られぬよう平静を装う。












ヨランドが今にも泣き出しそうになったので、止む無く一旦取調室を後にする。
後ろから「何しに来たんじゃ…」というバフォメットの呟きが聞こえた。
本当に何しに来たんだろうね、マジで。

「泣くなって、俺なんていっつもそんな目に会ってるんだぜ?」

「だから辛いんだ…」

「おいそりゃ一体どういう意味だ!?」

人がせっかく慰めてやってんのに何なのこの人。

「ツンデレと言う奴だ」

「どこがだよ、お前ツンツン尖り過ぎて刺さるわ」

「刺すのはお前の役目だろう」

「下ネタはやめろ」


「仲良いね君たち」

「どこがですか隊長」

どこからともなく、フーシェ隊長がやってきた。
どう見ても俺が苛められてると思うんですけど隊長。

「あの様子じゃあバフォメットもシロみたいだね」

「えっ、そうなんですか?」

隊長の口から予想外の言葉を聞かされた。
詳しい話を聞けば、実は被疑者全員が無関係な事が証明されたらしい。
いや、確かにバフォメットを除く2人…デンケとウィリアムだが。
デンケの方は、既に身柄を市民隊に引き渡している。

「ウィリアムの方は?」

「何週間も前にこの街を出て行ったらしい…さっき確認が取れた」

なんじゃそりゃ。
居る筈も無い人間を今まで探し回ってたって事か?
そりゃ見つからんわけだ。

「はぁ〜…」

一気に肩の力が抜ける。
と言う事はだ、今日候補にあがった連中は全員犯人じゃなかったと。
そういうわけか。

「バフォメットの方は…?」

一応聞いてみる。

「彼女も、居なかったんだよ」

「居なかった、とは?」

「今の今まで生徒達とどこか遠くに居たらしい、それも確認が取れた」

「なんですと」

生徒約30人と、魔物達10人余りが証言した。
これはどう考えても無実だろう。

「なら彼女を…」

「もう帰って貰ってもいいね」

これ以上拘束しておく理由は無い。
厄介な事になる前に、丁重にお引き取り願おう。


「あ〜楽しかった」

「よく食いますね〜」

「俺らもご馳走になってすいません」

噂をすれば何とやら。
そのバフォメット本人が、腹を擦りながらこちらにやって来た。
無実の罪でこんな場所まで連れて来られた割には、思いの外楽しそうだ。

「数々のご無礼、お許し願いたい」

隊長自ら頭を下げた。
俺もそれに倣い頭を下げる。

「済んだ事はもういいんじゃよ、頭を上げとくれ」

簡単に許してもらえた。
器がデカイと言うかなんと言うか、もしかしたら本当にアホなのかもしれない。
とにかく、一安心だ。

「誰がアホじゃ!」

怒らせてしまった。
声に出していたようだ。

「マクファーソン君、しばらく喋らないでもらえるかな」

「全くお前は…本当にどうしようもない奴だな!」

おい最後の部外者。
嬉しそうに指を刺しながら偉そうに胸を張るコイツが凄く憎い。
さっきまで泣きそうなツラしてたくせに!

「とにかく、わしは帰るぞ」

「いや、ちょっと待って下さいな」

「なんじゃ」

「その前に代金、払って下さいよ」

「…え?」

兵士達の言葉を受けてバフォメットが素っ頓狂な声を上げる。
目が点になるとはこういう事を言うのだろう。
そう言えば、さっき出前を取るとかそんな話をしていたのを思い出した。

「出前、取ったんですか」

「おう」

「なら代金払って下さい、早く」

「何でじゃ」

バフォメットに説明していなかったのか?
実を言うと出前を取ったりするのは本来禁止されている。
しかし本人がどうしても、と言う場合にのみ限って許される事もある。
勿論、その時の代金は自分で支払う事になる決まりになっている。

「説明してなかったのか?」

取り調べを担当した奴の話では、ちゃんと事前に説明しておいたと言う。

「聞いとらんぞ!」

だが当の本人はこの様子。
どちらかが嘘をついているという事になる。
さてさて、どうしたもんか。

「だいたいわし金もっとらんし…」

「…なんだと?」

「つまり…どの道食い逃げって事ですか御嬢さん」

「………」


「確保」

隊長の号令を受けて、兵士たちがバフォメットの両腕を掴んだ。

「しまった!?」

今しまったって言ったぞ。
この野郎…知っててやりやがったな。

「ち、違うんじゃ!金はある!学校に帰れば!」

「一晩くらい留置所で頭を冷やしておきなさい」

「な、何でこうなるんじゃ…」

抵抗虚しく、両腕を抱え上げられながら連れて行かれるバフォメットであった。
心配しなくても、初犯で無銭飲食くらいなら刑務所に入るまではいかない。
精々厳重注意くらいで帰れるさ。

「何だか庇う気が失せて来た…」

あれが大先輩さんの姿とは思いたく無いだろう。
ヨランドには気の毒だが、これも現実なのだ。
まあそれは良いとして、困ったな。
本筋の話が全く進展していない。
これで魔物が関わっていると言う可能性も消えた。
という事はだ、これでヨランドさんの出番もこれで終わり。

「やった…ついに解放されるんだ…」

誰にも気づかれないように、小さくガッツポーズを決める。
今日は激務だった。本当に…疲れた。











結局、この日は特に進展も無く業務は終了。
俺もさっさと家に帰る事にする。
基本的に士官以外は兵舎暮らしなのだが、例外もある。
俺は自分で申告して外に部屋を借りた。
衣食住とりあえずは総て揃う環境はとてもすばらしいのだが…
古参連中がいつまでもそこにしがみついている訳にもいかない。
出来るだけ若い奴らに気を使わせないようにする為でもある。
安物件、あのバフォメットのアパートメントと同じようなものだ。
それでも、愛する我が家に帰る足取りはとても軽い。
帰り道に、いつも立ち寄る露店で夕食を購入する。
しかし、今日は出費がかさみ、尚且つあんな嫌なもんを見た後だ。
とても肉を食う気にはなれない、ので果物を何個か適当に見繕う。
家には黒パンと、ワインも少しは残っていたはずだ。
確かチーズもあったかな?まあ腹に入れば何でも一緒だ。

「とは言え…やっぱり料理作ってくれる人が欲しいな」

同期の連中もどんどん所帯持ちになっている。
焦っている訳じゃないが、やっぱり意識してしまうものだ。
そんな相手も居ない癖にだ。

「なら相手になってやってもいいぞ」

「……」

とりあえず、何かをするにしてもこの事件が終わってからだ。
明日もまた街中を歩き回る事になるだろう。
勿論1人で。

「いや、2人でだろう?」

「……」

そんな事を考えている内に、家の前まで到着した。
夜道は危険だ、もしかするとあの殺人犯が近くをうろついているかもしれない。
それとは別に、強盗なりが襲って来たりするかも。

「…無いか」

「そうだ、そんな心配は無用だ」

「……」

階段を昇り、部屋の前までやって来た。
カギを開けると、勢いよくドアを開き、すぐさま中に入って扉を閉める。

「…あれ!?」

閉めようと思ったのだが、あと少しの所で閉まらない。
ドアの隙間に、剣のような物が差し込まれそれが原因だと気付いた時にはもう遅かった。

「なぜ閉める」

すさまじい力で強引にドアをこじ開けて、ヨランドが中に侵入してきた。

「招いて無いぞ!?」

「もう中に入ったからいいんだ」

「よくねえよ」

最後の最後で油断してしまった。
実を言うと、あれからヨランドはずっと着いて来ていたのだ。
もうお前の出番は終わったんだと丁寧に説明して納得したと思ったのに。
気が付くと後ろにべったり張り付いてやがった。
最初は無視していたんだが、それでもめげずにしつこく話しかけて来た。
流石に家の中にまでは無断で入ってこないだろうと思っていたがそれが甘かったんだな。
この通り、易々と侵入されてしまった。

「帰れよ」

「家はここから逆方向だ」

「だから何だってんだ」

「お前はか弱い女の子に夜道を歩かせる気なのか?」

「自分で女の子って言うなよ」

こんなゴツイ女の子が居るか。何歳だよお前。
だいたいこんなもん襲ってどうすんだ。
逆に襲われそうなもんだ。

「だから一晩泊めてくれ」

「嫌です帰って下さい」

「それにしても狭いな…」

「なあとりあえず会話しようぜ」

一方的に会話を切り上げて、ヨランドが部屋の奥へ足を進める。
いい加減このやり取りも疲れて来た。
もう好きなようにさせて満足して貰うのが解放される一番の近道かもしれない。
そもそも、お願いを持って行ったのは俺だ、あまり強くは言えない。

「はぁ…仕方ないか」







「無理を言ってすまないな」

「へいへい」

テーブルの上にはグラスが二つ。
外套を脱ぎ、着込んだ鎧も外す。
武器を適当にベッドの上に放り投げて、椅子に腰かける。
今日は本当に疲れた。

「だらしない奴だ」

「別にいいだろ」

向かいに座るヨランドも、外套や鎧の類を外してあった。
ご丁寧に部屋の隅にまとめて置いてある。
性格の違いというやつか、俺とは正反対だ。
ブラウス1枚隔てた程度では抑えられないだろう、その良く発育した体。
目のやりどころに非常に困るんだが、ヨランドの方はあまり気にしていない様子だった。
最も、俺とてそんな艶っぽい展開を期待している訳じゃないからいいんだが。

「飲むか?」

「貰おう」

元々1人で飲むつもりだった、なので2人で飲めば1杯分も無い。
安物のワインだが、何もないよりマシと言うもの。

「今日はお疲れさんでした」

「お互いにな」

お互いを労りながら、手にしたグラスを合わせる。

「晩飯と呼べるもんでもないけど…」

とりあえずある物をつまみにする。
買ってきた果物も、適当に剥いて食べる。

「それにしても…」

「なんだ」

「こうして2人っきりになるのも久しぶりだな」

「確かにな」

そもそも今までこいつを家に招いた事も無いし、俺もヨランドの家に行った事は無い。
つまり、その程度の間柄なのだ、俺たちは。

「もっと深い仲になってもいいんだぞ?」

「そうですかい」

最も、向こうはいつでもウェルカムのようだが…
流れに任せるのは嫌なんですよ。



こいつ…ヨランドと知り合ったのはもう随分前の事だ。
その時は俺はまだガキだった。
とは言え、特にコレと言って話すようなものも無い。
俺が森を歩いているといきなり襲われた、それだけだ。
そう、襲われたんですよ…
ある日、森の中、デュラハンに出会った。
で襲われたと…
デュラハンを嫁にした人はさぞかし感動的な出会いを経て結ばれたんでしょうけど。
俺なんて…こんな馴れ初めしか無い。
正直あんまり思い出したくない、ある意味トラウマになっている。
一応その時こいつも俺と同い年くらいだったらしいが、それでも魔物に違いは無いわけで。
それ以来の付き合いなのだが、襲われたのは今の所その1回だけで済んでいる。
向こうもそれなりに悪いとは思っているようで、口ではああ言うが実行に移す事はない。

「妙な縁だなぁ…」

離れては出会い、また離れては出会いの繰り返し。
何故か、また会ってしまう。不思議なもんだ。
俺がこの街にやって来て、ようやく落ち着いた時期にヨランドもやって来た。
それから何年経ったか、こうやって良くわからない関係を続けている。

「私も…そろそろ受け入れて欲しいんだがな…」

「…酔ってるのか?」

「素面で言えん事もある」

「今はまだ…応えられないと思う」

「そうか、それも仕方ないな」

それっきり、お互い黙り込んでしまった。
早々に空になったグラスを置き、黙々とチーズや果物を口に運ぶ。
結局食事が終わるまで、どちらも言葉を発する事は無かった。







食事が終われば、後は寝るだけだ。
寝る前にシャワーを浴びる訳だが…

「悪いな、先に使わせて貰った」

なんとこの物件、お湯が出るのだ。
それが気に入って、ここに住んでいるようなもんだ。
これが文明の利器か、はたまた魔法魔術の類かは知らん。
そんな細かい事はこの際どうでもいい。
蛇口を捻ればお湯が出る!何と幸せだろうか。

「サイズが合わないな…」

「まあ、我慢するさ」

先にヨランドにシャワーを進めた。
一泊する準備は無かったようなので、俺の上着を貸してやった。

「普通はサイズが合わないって言っても…大きい方だよな」

だが残念な事に身長は俺の方が小さい。
ので俺の服を着たヨランダはとても窮屈そうだ。
体のラインがこれでもかと言わんばかりに強調されている。
さっきより目のやり場に困る。

「お前も浴びて来い」

濡れた頭をタオルで拭きながらヨランドにそう言われた。
俺もさっさと浴びて寝ますか。





「で、何で一緒に寝るんだ?」

「寒いからだ」

シャワーを浴びて、いよいよ寝ようと思ったらまた問題が発生した。
さっきも言ったがここはあくまで1人用の家だ。
なので、ベッドもシングルが1つあるだけだ。
流石にそれはお前が使えと言って、俺は小汚いソファーでも使おう。
そう思っていた矢先だった。

「寒いって…そりゃわかるけど」

季節はまだ冬、そんな時期に上着1枚は確かに寒かろう。
でも、だからと言って同じベッドに寝ようなんて言い出すとは思わなかった。

「暖房替わりだ、やましい気持ちは無い」

「それはそれでどうなのよ…」

「いいから、来い」

ベッドに入り、ポンポンとマットを叩く。
おっさんかお前は。

「はいはい…失礼しますよ」

観念して、俺もベッドの中に入る。
あ、そう言えば枕が…

「一緒に使えば良いだろう」

「狭いぞ…」

「なら近づけばいい」

そう言うと、ヨランドの腕が俺の体に触れて来た。

「!?」

更に体を密着させ、こっちを抱き抱えるような体勢になった。

「…何もしないんだよな?」

「ああ、しないさ」

お互い顔を見合わせる。

「温かいな」

「ああ…うん」

「明日も忙しくなりそうだ…お休み」

「明日もって…お前!」

まさか明日もついて来る気か!?
そう思って顔を上げたが、既にヨランドからは規則正しい寝息を立てていた。
寝るの早過ぎだろ、子供じゃあるまいし…

「はあ…ああ…」

明日言えば良いか。
確かに温かい、こっちもすぐに眠れそうだ。

「…お休み」

目を閉じる、こういうのも悪く無いな、たまにはだけど。



「…寝たか?」

薄目を開けて確認してみる。
どうやら眠ったようだ。
寝たフリをして様子を伺っていたのだが、少し拍子抜けだ。

「全く…どっちが子供なんだか…」

寝顔だけは、昔と同じだ。
最近全く顔を見せて来ないと思えばこれだ。
嫌われているのか好かれているのかよくわからない。

「私も限界が近いんだぞ…」

諦めるつもりは無いし、私が他の男に走る事も無い。
だが不安なのは…目の前で無防備な寝顔を晒しているこの男だ。
他の女に心が移るかもしれない、他の魔物に襲われでもしたらと思うと…

「襲いたい…」

息が掛かるような目の前に居るのに、手を出せないこのもどかしさ。
気が狂いそうになるが、ああ言った手前我慢するしか無い。
悶々とした気分を必死に抑えようと、再び目を閉じた。
いつか、こちらの気持ちを受け入れてくれる日が来るのだろうか。
もしかすると永遠に訪れないかもしれない。それが不安で仕方が無かった。







寒い、そう思って目を開けると、目の前に居る筈の人が居なかった。
もう起きたのだろうか、それならいっそ一緒に起こしてくれれば良かったのに。

「…ヨランド?」

起き上がって辺りを見渡しても、その姿はどこにも無かった。

「帰ったのかな?」

この時期はベッドから出るだけでも億劫だ。
それでも、何とか気合を入れて立ち上がり、リビングの方へと進む。
壁際に置いてあった、ヨランドの鎧や剣も無かった。
帰るなら一言くらい声を掛けてくれてもいいだろうに。

「…なんだよ」

ボサボサの頭を掻き毟りならが、椅子に腰かける。
何となく、寂しい気がする。

「…ん?」

ふと、テーブルの方へ目をやると、おかしなものが見えた。

「朝飯?」

黒パンと、皿の中には目玉焼きや、焼いたベーコンにソーセージ。
ご丁寧に焼きトマトまで添えられていた。
ティーカップの中には、コーヒーだろうか紅茶だろうか。
茶色い液体が注がれていた。

「…」

湯気が立ち昇るそれを手に取り口元に運ぶ。

「カフェオレか…」

コーヒーと牛乳の割合が丁度いい。
何とも豪勢な朝食じゃないか。

「はて…」

と、ここでふと疑問が浮かぶ。
これを用意したのは一体誰だろうか。
それにもう一人前の料理が、俺の向かいに並べられている。

「まさか…」

だが、これを用意できる人間は1人しかいない。

「ヨランドが用意したってのか…」

そう呟いた時、玄関の方向から足音が聞こえた。
こちらに向かってくるその音に気付いて顔を上げると、現れたのはヨランドだった。

「起きたのか」

昨日と同じ、既に鎧を身に纏った上からエプロンをつけている。
その余りのアンバランスさに思わず噴出しそうになってしまった。

「お前が用意したのか?」

「ああ、そうだ」

そう言って、右手に持った新聞をこっちに投げてよこしてきた。
新聞は、毎朝玄関の隙間に挟まれている。
それを取って来てくれた。

「ありがとさん…しかし、お前さん料理出来たんだな」

「お前が料理を作ってくれる人が欲しいと昨日言っていたからな」

「あ…」

言われて思い出す。
そんなどうでもいいぼやきを律儀に覚えていてくれたのか。

「まず食べよう、冷める前に」

「そうだな」

ご厚意に感謝しつつ、2人一緒に朝食を取る。
味も申し分ない出来だ。

「ありがたいなぁ…」

久しくまともな朝食を摂った事が無かったので、余計そう思う。
いい嫁さんになるわ。

「それにしても、材料は一体どうしたんだ?」

「朝市に行って買ってきた」

「何時に起きたんだよ」

「少し早くな」

こりゃますますもっていかんな、堕ちそうだ。

「それよりも、さっさと食べて新聞を見た方がいい」

「なんだ急に」

「また増えたぞ」

「…!?」

それから、さっさと朝飯を平らげて新聞に手を伸ばす。
怖れていた事がまた起きた。

「一気に4人も…」

また殺人である、今度は一晩で4人も。

「情報が早いな…」

「それは号外分らしい、本来の朝刊はこっちだ」

そう言って、ヨランドが更に新聞を持ってきた。
こっちが、いつも通りの朝刊。
そして俺が今手に取っているのが号外。

「律儀に届けてくれたのか?」

「いや、外で配っていたからそれを貰ってきたんだ」

「あーどうりで…」

起きた時気配を感じなかった訳だ、外に居たんだな。
しっかし、ついに号外を出すレベルにまで来てしまったか。

「…近いな」

新聞の文面に目を通す。
被害者の4人は、今まで通り遠く離れた場所でそれぞれ殺されていた。
その中の1人が殺された場所が、俺の家から結構近い。

「港の近くか」

「直接行ってみるか?」

「そうだな…そっちの方が早いだろう…うん?」

昨日寝る前も思ったが、こいつ何でついて来るんだ?
その旨をヨランドに正直に打ち明けると、予想外の答えが返って来た。

「もしかしたら、本当に犯人は人外かもしれん」

「人外?魔物じゃなくてか?」

「私も余り確信が持てないんだが、いずれわかるだろう」

11/05/14 07:56更新 / 白出汁
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つづく

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