人が消えた!謎の巨大異常現象をジパングに見た!!
山城の欠点は、地形に制約されるその作りであるというのは周知の事だ。
なので、どうしても相互で支援する事が出来ない場所というものが存在する。
そこを集中的に攻めて突破してしまえば、ドミノ倒しのように瞬時に制圧されてしまう。
その為に必要なのが、鉄砲の集中運用である。
「それで、この城の弱点と言えば…どこかわかるか?」
「この地形なら…東北端ですか?」
「その通り、一見攻め辛そうに見えるが、実はそこがこの城のアキレス腱となる」
東北端の曲輪は、この城の中では一番標高が高い。
更に、そこは設備が充実している場所でもあり、収容人数も多い。
普通に考えれば、そこを攻めるとなればかなりの労力を要するはずだ。
しかし、先の夜戦で守備兵力の半数を失った今ではまともに避ける兵力も無いだろう。
一番設備が充実している場所ならば、実質的にそこが本丸の役割を担っている。
事実、兵舎の類はここにしかない。
縦長の城の地形も、相互支援にかなりの支障をきたしている。
これが山城の弱点だ。
「さてさて、どう戦う?」
とは言うものの、城方の取れる手段は限られている。
城に籠り防戦するか、討って出るかだ。
だが、そのどちらを選んでも、未来は決まったようなものだが…
ついに本格手な攻撃が開始された。
太鼓や鐘の音が一斉に響き渡り、竹の束や梯子などを持った集団が前進を開始する。
その後ろに、武器を持った者が続く。
「そう言えば、何か交渉するとか言ってましたよね?」
生徒の1人が、そんな事を言い出した。
「ああ、じゃがこの様子では決裂したんじゃろうよ」
「そうです、城と城主の首を差し出せば他の者の命は助けると言う条件でしたが…」
馬上の鎧武者が口を挟んできた。
彼に聞いた方が詳細がわかるだろう。
「拒否したと?」
「期待はしていませんでしたよ」
「子供の首で自分たちが助かろうとは、思っていても口には出せんじゃろうな」
結局は到底無理な話だったのだ。
出来るだけ近く、戦闘を眺められる場所へと一行も移動する。
ついに、城方からも攻撃が開始された。
お互いの射程距離まで近づいたのだ。
「流れ弾や矢に注意するんじゃぞ」
とは言っても、身を隠すような場所も無い。
ここは戦場なのだ。
一方の先鋒の部隊は、ついに堀切まで到達した。
堀切とは、角度が急な空堀のようなものだ。
それが三重に連続して掘られている。
なので、その上に板などを置いて渡るわけだが…
「いい的じゃな」
そうなれば、竹の束や盾などの遮蔽物を持っては渡れない。
予想通り、城方の攻撃によって、板の上を渡る者が次々と矢玉によって倒されている。
普通なら容易に突破できるものではないが、ここで奇妙な点に気付く。
あまりにも城からの攻撃が少ないのだ。
「少ないですね」
城からの反撃の数が少ない、それは生徒達も気付いた。
目に見えるだけでも、鉄砲や矢を放つ者の姿はかなり少ない。
百にも満たないであろうその人数で防戦を行うのは、はっきり言って無理だ。
予想通り、反撃の少なさもあってか、短時間のうちに堀切を三つ突破し、橋頭堡を築いた。
ここまで来ればもう城方になす術は無い。
竹の束に隠れ、鉄砲の火力を一点に集中させる。
そして、その援護下で一気に塀にまで近づく。
土造りの城は、張り出した構造物が作れないために、下方に死角が出来る。
そこまで潜り込めば、鉄砲や矢にも当たらない。
櫓などからの攻撃は、鉄砲による狙撃で防げるわけだ。
予想通り、手早く塀にまで張り付いた兵士たちが、塀を強引に破壊しようとしている。
簡素な造りなので、簡単に壊されてしまうだろう。
「う〜ん」
非常に順調である。
しかし、何故かバフォメットの表情は冴えないまま唸り声をあげている。
喜び勇んで解説されてもそれはそれで困るのだが、あまりに口数が少ない。
何か腑に落ちない点でもあるのか。
「先生、どうしたんですか」
「うん?ああ、ちょっとばかし気になる事があってな」
生徒の問い掛けそう答えたバフォメットだったが、今一つ要領を得ないでいる。
「何が気になるんですか、言って下さいよ」
それを教えて貰わなければ授業にならないではないか。
「ん、そうか…なら言うがな…」
バフォメットが思っていた事はこうだ。
まず城方の兵力があまりにも少ない事。
「普通は投入出来うるだけの兵力を張り付けるはずじゃ、それが無い」
「逃げたんじゃないですか」
籠城中に人が減るのはよくある事だ。
前にも言ったが、最後まで着いてくる人間など実はとても少ないものである。
なので、生徒の言った事は中々説得力があった。
「まあ、そういう考え方も出来るがな…」
人が潜む空間など殆ど無いであろうその城に居るのは百名足らず。
話では四百程がまだ居たと言うので、一夜にして三百名以上が城を捨て逃げた。
しかし、いきなりそれだけの人間が消えれば、いくらなんでも気付く者が居るはずだ。
それが無かったのなら、残りの者は一体どこに消えたのだろうか?
「森の中じゃないっすか?」
「何じゃと?」
「いえね、だって城の背後の森の場所には部隊置いて無いんでしょ?」
「……」
何気なく生徒が言った言葉が、実は真実かもしれない。
自分たちが滞在していたので忘れがちだが、あの森に人は近寄らない。
当然、今回包囲している軍勢も森の中や近くは避けている。
つまり、完全に包囲したとは言えない状況なのだ。
しかし、それは城方であっても同じことだ。
人間が数百人規模で森の中に入れば、当然騒ぎが起こる。
それを昨夜に感じなかった時点で、生徒のいう事は否定される、されるのだが…
「急に人が消えるとは思えんな」
結局答えが出るまでには至らなかった。
そうこうしている間に、城の塀が強引に剥がされた。
すかさず、そこに鉄砲隊が制圧射撃を加える。
そうなればもう打つ手はない。
射撃の合間を縫って兵士が突入し、あれよあれよと言う間に曲輪に侵入した。
完全に占領されるのも時間の問題だろう。
「意外と早かったな…」
もう少し粘ると思ったが拍子抜けだ。
まあ、人数があれだけならよく持った方なのかもしれない。
しかし、これでは生徒達に何かが伝わったかどうかさえ怪しい。
流石にバフォメットも落胆の色を隠せなかった。
「…おやおや、これはこれは…フフッ」
「…?」
何かに気付いたのか、含みのある笑いを見せたのは天弧であった。
そう言えば、天狐は千里先の事まで見通せると言っていた。
ならば、戦場全体を見渡すのも容易な事。
「何か、あるのか?」
「ええ…とても、面白いものを見つけましたよ」
「ほう、ぜひ教えてはくれまいか」
「ばふぉめっとさんでも、気付きませんか?」
腰が低いように見えて、少々小馬鹿にしているようにも受け取れる。
やはり、狐は性格が悪い。
「是非ともお教え願いたいもんじゃな」
何を気付いたのか興味があるが、あまり関わりたくはない。
肝心な事だけ聞き出そうとしたのだが、その応えがあまりに予想外だった。
「人は消えて居ませんよ…ちゃんと居ます。森の中に」
「何じゃとぉ?」
先程の生徒と同じ事を言うとは思わなかった。
まさか、からかわれているのか。
「冗談じゃろ?」
先程述べたように、人を隠すには適しているが、危険も大きい。
そんな場所に数百人も人を潜ませるだろうか?
「では、城の主は何処へ行ったのでしょうか?」
「そう言われれば…」
城主が城を捨てるとは思えない。
しかし、曲輪に侵入した部隊から未だに主を捕えた討ち取ったの話は聞かない。
「どうなんじゃ?」
思い切って傍らの鎧武者にも聞いてみる。
戦に介入するつもりは無いが、全体の把握はしておきたい。
「…どうやら、居ないようです」
「なんと」
こちらにも報告が次々に入ってくる。
騎馬を率いる程の者なら、それも当然か。
「まだ数十人程が屋敷などに籠っているらしいのですが、どうやら大将の姿は…」
「無いか」
「はい」
となれば、天狐の言う事が俄然信憑性が上がる。
しかし、しかしだ、未だにその真意が掴めない。
仮にそれ程の人数を城の外に置いて、一体何がしたいのか。
「…」
考えが纏まらない。
これほどよくわからない行動を取られると、流石のバフォメットでもその真意を測りかねた。
「きっと隠した部隊で本陣襲うんだよ」
「…まさか」
生徒達は能天気である。
あーだこーだと激論を交わしている。
そのどれもが、考慮するに値しないものばかりだ。
しかし、今生徒が述べた事が妙に引っ掛かる。
「この状況でそれは無い、無いはずなんじゃ…」
何事も合理性に基いているとは限らない。
追い詰められた者が取る行動など、誰も予想出来ないという事などわかりきっていたではないか。
「狐、まだ見えるか?」
「失礼な、ちゃんと天狐と…」
「いいから答えろ、まだその集団は森の中に居るのか?」
「…いえ、今は動いています」
バフォメットの勢いに押されたのか、天狐が素直に応えた。
その集団は、今は留まる事無く、移動していると言う。
「何処へだ」
「西の方へ…大きく回り込んでいます」
「西…だと?」
ここから見て西の方角、つまり城の門や西の曲輪がある方向だ。
「そうか、やはりまだ…」
攻め手の戦力は東北端のこの場所に拘束されている。
西側に割いた兵力は、かなり少ないと見ていい。
「本陣は…!?」
普通なら本陣は後方に置くのが常識だが、何故か今回は違った。
ここから向かって西側の、丁度盆地のようになっている場所に攻め手の本陣が置かれていた。
いくら軍勢として纏まっているとは言え、己の勢力ごとに分かれて陣を張る。
それがこの軍勢の特徴だと前に指摘したが、いまでもそのままだった。
夜襲を受けた後すぐだと言うのにも関わらず、何の変化も無かった。
しかも、全体が東北へとシフトしているこの状態では、西側からの攻撃に対して無防備となる。
さらに盆地に陣を構えているので、急な行動が出来ない。
つまり…
「絶好の機会と言う訳か…」
狙うなら今しかない。
最初で最後の、これが絶好の機会となるだろう。
「…馬に…乗ってます、それも大勢が…」
「それが奥の手だったのか」
反対方向に敵の主力を誘い出し、手薄な所を奥の手で一気に攻める。
こういう事だったのか、その準備の為に、あえて一日名ばかりの交渉期間を置いたと。
「えらい緻密な戦をしよるわ」
どうも気にかかる、まるで空から戦場の推移を逐一確認しているような、そんな動きだ。
「…空か」
今まで黙っていた竜が口を開いた。
その視線は、空の方へと向けられている。
「烏が一羽…旋回している」
遥か上空、太陽を背にしながら旋回している翼が、小さくだが見えた。
あれが果たして城方の目となっていると断定は出来ないが、手段があると言えばこれくらいだ。
「そう言えば、この国には足が三本の烏が居るらしいな」
「八咫烏だね」
同じように空を見上げながら、ラティーファとハクロが呑気にそんな会話をしていた。
八咫烏と言えば、伝説に出てくる神の使い。実際に居るものではない。
…とも言い切れないのがこの世界の適当な所。
ともかく、城方が討って出たと言うのに間違いは無いだろう。
しばし間を置いて、西側の方から喚声が上がった。
旗などが激しく揺れ動いている。
どうやら、本当に来たらしい。
「おーおー。忙しい事じゃ」
こちら側にも、徐々に動揺が広がって来る。
まさか出てくるとは夢にも思うまい。
しかも自分たちの居る場所とは反対側から。
「まずい…」
そう声を発したのはあの鎧武者である。
流石に、彼も事の重大さに気づいたようだ。
「行かんのか?」
「…行きます」
「うむ、それが正しいと思う」
騎馬だけ先行して敵の横腹を突く。あの夜にやろうとしていた事だ。
今度は、それを遮るものは誰も居ない。
「わしらも行こう、ここはもういい」
囮の場所に留まっていても仕方がない。
ここは騎馬隊の後を追う事にする。
「次から次へと…ッ!」
必死で馬を走らせながら、そんな言葉が思わず口をついて出て来た。
混乱している、しかし、だからと言って動きを止める訳には行かない。
事は一刻を争う、ただ敵の動きを阻止する、それだけだ。
「やはり少ない…」
最初は数千程を率いていたのに、今ではついて来る者だけでも二百に満たない。
十分と言える数ではないが、今は仕方ない。
「あの妖怪め…」
元を正せば、事の原因はあの面妖な一団のせいではないのか。
夜襲の時もそうだ、童のような、小さい体の見慣れぬ妖怪。
あれ一人によって、総てが台無しとなってしまった。
それなのに、そんな相手に対して媚び諂う己は一体何だ。
自身の不甲斐無さに腹が立つ。
「おい」
「はっ!?」
隣を走る配下の者に話掛ける。
「槍はどう使うんだ…?」
「はぁ?急に何を言い出すのですか」
「いいから、教えろ」
「どうと言いましても…こう相手を突いたりするものですが…」
「ほう、突くのか…そうか!」
特に会話に意味は無い。
誰かと話して気を紛わせたかった、それだけだ。
話しかけられた当の本人は、いきなり何を言い出すんだと言った表情を浮かべている。
わからんだろう、わかるわけがない。
これは己にしかわからない事だ。
「一気に敵の側面を突く、他の事はいい、それだけを目指せ!」
配下の騎馬隊の陣形を、縦隊へと変える。
敵の側面へ楔を打ち込むような形だ。
その先頭を駆ける。
この城を取り巻く包囲陣は小さい(元々城自体の規模が小さい)ので、早くも前方に敵が見えた。
西側に薄く配置された味方を蹴散らしながら、真っ直ぐ本陣を目指している。
「構えろ!突入する!」
槍を片手で構え、馬の腹を蹴る。
更に距離を縮めるののだが、ここで意外な事が起こった。
敵の一団が、急に二手に分かれたのだ。
しかも、その分かれた一団が、こちらに向けて突っ込んできた。
この期に及んで、少ない戦力を更に分散させるとは、何を考えている。
「こちらに来ます!」
「狼狽えるな!このまま突っ切る!」
今更策を弄した所で何とかなるとは思えない。
こちらの動きを遮るのが目的なら、そのまま力で押し切ってやる。
「数では此方が有利だ!」
向かってくる集団はやはり数が少ない。
ざっと見ても数十騎程度。
こちらの半数以下だ。
更に距離が縮む。
もうここまで来れば、お互いの顔すら認識出来る。
皆適当に相手を定め、それに向かって武器を構える。
自分の相手も決まった。
「長巻か…!」
手綱を持たず、両手で長巻を持ち雄叫びを上げながら向かってくる。
一目見ただけで、かなりの熟練だと言う事がわかる。
しかし…
「届くか!」
すれ違いざまに、相手が得物を振り下ろす。
それに合わせて、こちらも手に持つ槍を片手で水平に薙ぎ払う。
得物の長さでは、槍の方に軍配が上がる。
長巻は虚しく空を切り、此方の槍が相手の顔面を切り裂いた。
そのまま勢いを止めず馬を走らせる。
相手がどうなったかまで確認している暇はないが、とりあえず戦闘不能にはなったろう。
他の者も続々と後を追ってくる。
一度後ろを振り返ると、馬の足を止めて相手と斬り合い突き合う者が居る。
「足を止めるな!捨て置け!」
今の衝突で、若干のズレが生じた。
真横から突っ込むつもりだったが、後ろ斜めから敵に近づくような形となってしまった。
それでも何とか追いついた。
列の中央、一段と層が厚い部分がある、その中に大将がいる。
流石にそこまで潜り込む事は出来ないが、勢いは殺した。
一人、また一人とこちらに向かって来るので、その都度槍を振り回して叩き落とす。
二つの集団が並走すると言う、何とも奇妙な恰好になった。
打開策を見いだせぬまま槍を振るっている。
すると、先程の衝突で足を止めていた者達が、集団の先頭部分へと突っ込んでいく。
僅か十数騎程度ではあったが、これで敵の動きが止まった。
「突貫しろ!」
隊列が乱れた中へ、強引に馬を進める。
何とか敵の中央部へと飛び入る事が出来た。
取り巻きの者が必死に槍を繰り出すが、それをかわす。
中央の色鮮やかな甲冑を身に纏った者、それが将だ。
その豪華な甲冑さえも、見ているだけで無性に苛立つ。
「御首級、頂戴する」
槍を勢い良く突き出す。
向こうもこちらに気付くと、身を捻って刀を合わせて来た。
「なんと!?」
上手い具合に槍を弾かれ、そのまま勢いですれ違う。
あの体勢から防ぐとは思わなかった。
馬の足を止め、もう一度討ち込もうと振り返る。
「ふう…」
呼吸を落ち着ける。
気が付けば周りは敵だらけだった。
味方はまだ突破出来ていない。
しかし、周りの敵もこちらに手を出す訳でもなく、遠巻きにして様子を伺っているだけだ。
「うん…?大将を守らんのか」
一方の大将はと言えば、太刀を右手に持ったまま対峙している。
何かがおかしい、思えば違和感は最初からあった。
道理に反するその行動の数々も、何となくではあるが今ならわかる。
「初陣と言う訳か」
「歴史に名を残すにはどうすればいいと思う?」
先を行く騎馬を小走りで追いかけている最中、急にバフォメットがそんな事を言い出した。
「そりゃあ…天才なら残るでしょ?」
「1つはそれじゃな」
「他にもあるんですか?」
「まずはお前が言ったように能力がある事、これに勝るものはない」
そもそも、歴史の表舞台に立つ為には能力が無くてはいけない。
「次に、逸話が多い事」
例えば、政治や戦だけではなく、他の分野等で功績を遺したりすればいいわけだ。
芸術などの分野で名を残す者も多くいる。
「そして最後に、これはもしかしたら一番重要な事かもしれん」
「なんです…?」
「不遇。と言う要素じゃよ」
「茶番だな」
何の事は無い、今までの行動の総ては、この大将に戦を経験させる為だけに行ったものだ。
その気持ちはわからなくもないが、相手をさせられる方はたまったものではない。
「大将が、そんな事でいいのか?」
まだ幼い顔立ちで、身に纏う甲冑も微妙に体に合っていない。
鎧を着ると言うより、着られているように感じる。
しかし、仮にも一軍を指揮する立場の大将だ。
幼いなどと言う理由で許されるものではない、むしろ腹立たしくもある。
「御相手願います」
当の本人はと言えば、まるでそれが当然のごとく振る舞っている。
こちらの煽りなど無視するような態度だ。
成程、一応は大将としての自覚はあるようだ、このような煽りに乗るようでは将失格である。
「ほう、初陣の相手をせよと申すか」
「駄目でしょうか」
「いや、大将首を貰えるのであれば願っても無い事だ」
「気の早い方ですね」
「あまり時間は掛けられんぞ」
「我が名は…」
「名乗らずともいい」
相手が馬の腹を蹴った。
太刀を右手で振りかぶりこちらに向かってくる。
一呼吸置いてから、こっちも馬の腹を蹴る。
確かに、あの体勢で突きを受け流すくらいだ、中々強い。
先程の長巻使いを見てもわかるように、まさに虎の子と言った具合だ。
全員それなりに練度が高い。
「しかし…っ」
槍を持つ手に力を込める。
槍は突くだけではない、先程のように斬る事も出来る。
元々馬の上から徒歩の者を突く為にあるようなものだ。
馬上の者を突けば、こちらがその抵抗で馬から飛び落ちてしまうかもしれない。
なので、ここで取るべき道は一つ。
「経験が足りん!」
思い切り槍を横腹に叩きつける。
その拍子に、相手が馬から落ちた。
「馬上で太刀など…最後の手段だと教わらなかったのか」
己も馬から降りて、相手に近づく。
落ちた時に受け身を取れなかったのか、何やらもがき苦しんでいた。
それでも、何とか起き上がると、太刀を両手に持ち構える。
落馬して死なれては恰好が悪すぎる。
基本は出来ているようだが、如何せん経験がものを言う世界なのだ。
「さあ、参られよ」
お互い徒歩同士、邪魔をするものも居ない。
少しだけ、遊んでやろう。
どうせ遅かれ早かれ死ぬ身だ、大して問題は無い。
何故かそんな事を考えている。
「…ハァッ!!」
大きく太刀を振り被り、こちらに飛び込んできた。
「隙だらけだ」
槍の石突(槍の柄の地面に突き立てる金具の部分)で思い切り足の甲を突いた。
見落とされがちだが、ここは急所だ。
突かれると一時的ではあるが動きが止まり、戦闘不能となる。
「グゥッ!?」
右足の甲を抑えてその場に蹲ってしまった。
大切な太刀まで放り出すとは呆れたものだ。
「得物を放り投げるとは、なっていないな」
続け様に、槍を振り下ろす。
頭は兜で防護しているとはいえ、衝撃に対してはあまり強くない。
金属がへこむ鈍い音を立てて、槍の柄の真ん中部分折れてしまった。
「おおっと、しまった」
槍を捨て、こちらも太刀を抜く。
脳震盪を起こしてうつ伏せに倒れている相手の腹を蹴り、再び無理やり起こして立たせる。
はてさて、ここまで己は鬼畜な男だっただろうか。
「ぐ…ふぅ…っはぁ…」
相手はもう息も絶え絶えだった。
足腰も震え、手に持つ太刀を杖のように地面に突き刺しそれを支えにやっと立っている。
「今度は此方も太刀だ、どうした?早く討ち込んで来い」
流石に取り巻きの者も、我慢の限界か得物を振りかざし向かって来ようとする者もいた。
しかし、その中に居た初老の武者が他の者を無言で制していた。
家老だろうか、かなり地位が高い者であるのは間違いない。
何も言わず、ただこちらをじっと見据えているだけだ。
恐らく、この大将の教育係でもしていたのだろう。
「下の者に対して恥ずかしくないのか、貴様は」
「…なにを…」
「なんだ」
「なにをそんなに…怒っているのですか…」
「…」
気が付くと、太刀を振り上げていた。
無意識のうちに体が動く、発する言葉の一語一句まで気に障る奴だ。
「青二才が…」
「…くっ!」
相手も刀を横に倒し防御の構えを見せた。
しかし、そんな事は関係ない。
「そんな構えで防げると思うてか!」
ただ力任せに、振り上げた太刀を思い切り振り下ろした。
刀の刃同士がぶつかり火花を散らす。
それでもなお、強引に振り下ろす。
相手の刀は真っ二つに折れ、こちらの太刀が右の肩口を深く斬った。
いや、斬ると言うよりは割る、と言った表現の方が相応しいだろう。
肉を裂き、骨を断ち切った。
しかし、そのせいで太刀が抜けなくなってしまった。
止むを得ず、相手の胸を足で蹴り、その瞬間刃を引き抜いた。
断面から鮮血が噴出し、地面を朱に染める。
「チッ…もう使えんな」
血と脂肪がべったり付いた刀身を眺めてごちる。
刃も欠けている、どうやらもう武器としてこれは使えないだろ。
業物なので一応は鞘に納めたが、さてどうする。
ああも偉そうな事を口にしておきながら、武器を二つ駄目にしてしまった。
「やれやれ、もうこれしか無いか」
腰に下げた脇差を鞘から抜く。
もう武器と呼べるようなものはこれしか残っていない。
しかし、脇差などただ相手の首を刎ねる為にあるようなものだ。
戦いに使えるとも思えない。
大体、そんな戦い方は雑兵がするものだ。
将たるもののする事ではない。
「…ふっ」
自然と笑みがこぼれる。
とにかく、止めを刺さなくては。
首を取らねば、逆に失礼というものだ。
その相手はと言えば、今度は仰向けに地面に倒れていた。
まだ微かに体が動いている。
「まだ見えるか?」
相手に近づき、顔を見下ろす。
斬られた肩からは、血が大量に流れ出ている。
その表情は苦痛に歪んでいる。
目が、此方をじっと見つめて来る。
何かを訴えようとしている。
「何か言い残す事は無いか?」
膝を折り、顔を口元に近づける。
何か言いたげに、鯉のようにパクパク口を動かしていた。
「な…ぜ…怒ったの…ですか…」
息も絶え絶えになりながら、必死に言葉を発する。
先程と同じような問い掛けだが、今は怒る気がしなかった。
「某…いや、私はな…」
それどころか、その理由を説明しようとさえしている。
どういう心境の変化なのだ。
「……」
「私は…妾の子だ」
何故、こんな初めて会った人間にそんな事を言っている。
しかも敵の大将ではないか。
本意では無いはずなのに、口が勝手に動く。
「…そうでしたか…っなら…怒るのも…わかる気が…しますっ…」
「怒ると言うよりは、羨ましかった…妬んでいたのかもしれないな」
妾の子と言えど、男子であればそれなりに使い道がある。
仮に本妻に男子が無い場合は、本家を継ぐ事すら可能になる。
しかし、問題は…既に男子が居る場合ならどうなるか。
「父の顔など知らず育ち…いざ目通りが叶ったと思えば他家に養子に行けと言われた」
今回戦場に赴いた理由も、実の父親を助ける為の援軍だ。
しかし、それでも本陣に近付く事すら叶わないでいる。
それでも、親であり大将でもある父親をこうして必死で守っているのだ。
思い上がりと言われるかもしれないが、何度か危機を救ったと言う自負もある。
けれども、礼の一つも寄越さない父が、憎らしく思えていた。
「父親の愛情を受け…家を継ぎ…こうして家来に初陣の御膳立てまでして貰っている」
そんな恵まれた境遇にいる、目の前の子供が、どうしようもなく羨ましかった。
だから、あのような酷い事をやってしまった。
「グブッ…ッ!…」
また血を吐いた。それも大量に。
柄にもなく長話をしてしまった。
これ以上苦しませるのも可哀想だ。
「そろそろ、楽にしてやろう」
話を切り上げ、片手で頭を起こし脇差を首に押し当てる。
「目を閉じた方がいいぞ」
誰も自分が死ぬ瞬間を見たいとは思わないだろ。
だが、何故かその目は虚空を見つめ続けている。
もう言葉さえわからないのか?
そう思って、脇差を持つ手に力を込める。
すると、小さくとだが、何か言葉を発した。
「何だ?」
口元へ耳を近づける。
「ゆ…」
「ゆ?」
「ゆ…き…が…」
「雪だと?」
顔を見上げると、確かに空は一面鉛色に染まっていた。
気温も、ずっと下がったように感じる。
今まで意識していなかった分、余計そう思えた。
「しかし雪など…」
そう言い掛けて気付く。
意識しないと見えない程度だが、確かに雪だ。
ちらほらと、空から落ちてきている。
「ああ…確かに、雪だな」
「…さ…むい…です…」
「目を閉じるんだ、早く」
そう言うと、小さく頷きゆっくり目を閉じた。
目尻からは涙があふれ出ている。
これはどういう涙だろうか。
苦痛によるものか、悔し涙だろうか。
それとも、他の何かか…
「あ…りが…とう…ござ…い……」
「…ッ!」
太刀を持つ手に力を込め、一気に下ろす。
グシャリと鈍い音を立てて、首に深々と刃が刺さる。
一瞬で逝けるようにした、だからもう死んでいる。
それなのに、その表情は眠っているように穏やかなものだった。
「…勝ったはずなのに…妙に静かだな」
首を切り落としても、勝名乗りを上げる事が出来なかった。
ただ茫然と、膝をついたまま、空を見上げている。
雪が体に落ちると、すぐに溶けて無くなってしまう。
「確かに、寒い…」
そろそろ、冬も本番と言った所か。
本格的に寒くなってくる。
戦も終わった事だ、今はただ、ゆっくりと休みたい。
倒した相手への思いなどではなく、そんな事を一番に思ってしまう。
雪の量も、段々と増えて来た。
寒いのは嫌いだが、雪が降るのを眺めるのは好きだ。
「ふん…及第点と言った所か…」
何とか追いついたバフォメット一行であったが、既に決着がついていた。
肝心な所を見る事が出来なかったが、実は少しだけ安心していた。
事の次第は、バフォメットにはハッキリと見えていた。
いや、恐らく天狐や目の良い者であれば、総て見えていたハズだ。
しかし、誰もその様子を口には出さなかった。
見ていて楽しいものではないのは確かだ。
それでも、バフォメットは満足だった。
大方思った通りに事が進んだ。
「先生、あれ…」
「うん?」
生徒が城の方向を指差す。
すると、最後まで抵抗していた西の曲輪から火の手が上がっていた。
「慕われておったんじゃな…本当に…」
最後まで着いてくる人間が、こんなに多く居た。
それだけでも、一見無謀に見える戦いを行った甲斐があった。のだろうか。
「どうだろう…」
「僕は無駄だと思いますけど」
「俺もそう思います」
生徒達の反応は、意外と冷ややかなものだった。
「まあ、そんなものか」
全員が共感するとは思わない。
ジパングでなくとも、自分たちの国や大陸で行われている戦争などもそんなものだ。
隊列を組んだ兵士達が対峙し、互いの指揮官同士が帽子を取り挨拶を交わす。
そんなどこかのんびりとした光景、軍事的革新が進む中で、古き良き戦争と言われている。
しかし、そんなものに憧れる者など、限られた人間だけだろう。
結局は立場の違いで総てが決まる。
下の者にそんな事を考える余裕などあるはずがない。
こればかりは、明確な答えなど無いのだ。
「とにかく、持った印象は大事にするんじゃぞ」
考え方を強制する事はない、受け取り方は各自の自由だ。
戦が終わった。
結果は誰が見ても明らかだ。
何ともスッキリしない終わり方のように見えるが、そういうものだ。
「あの人たち、どうすんのかな…」
大将を失ったとは言え、まだ城方の将兵が数多く戦場に残っている。
セオリー通りなら、この後敵の掃討にかかるのだが…
「む…!」
今まで戦いを見守っていた城方の軍勢が一斉に動き出した。
それも、先程と同じ方向に。
「あいつら…」
見届けた後は、今度は自分たちの番だと言わんばかりに、勢いよく本陣に向けて突っ込んだ。
既に大将もやられ、隊列もズタズタに乱されている。
なにより、こうも時間をロスしてしまっては、相手に防御を固める暇を与えてしまっている。
事実、盆地から続々と本陣の部隊が姿を表している。
そして、東北側に寄っていた他の部隊も駆けつけてきている。
もう何をやっても無駄だ、唯一あるとすれば、今から全力で戦線離脱をはかるべきだ。
「と言っても、拠るべき所など既に無かったな」
ならばどうなるか…それくらいはわかる。
「では諸君、帰ろうか」
「あれ、最後まで見ないんですか?」
「お前は戦いではなく、集団自殺を見たいのか?」
これ以上は、何の意味も無い行為だ。
ギリギリ今までは、多少なりとも意味があったろう。
だがこれには無い。
それを態々見せようとも思わない、何しろこのような展開は嫌いだ。
「後味が悪いだけじゃ…こんなものは」
バフォメットが踵を返し、歩きだす。
元来た道を辿って帰るのだ、自分たちの故郷へと。
背後から喚声が上がり、一呼吸置いてから連続した銃撃音が響き渡る。
馬の嘶きや、大勢の悲鳴や怒号が入り混じる。
しかし、それに一瞥もくれずに、一行は戦場を後にした。
バフォメットの野外授業、これにて終了である。
「悪いの、こんな場所まで見送りとは」
所変わって森の中、一行は足早に帰宅の途についていた。
かなり奥まで来たのだが、あの鎧武者が見送りに来てくれた。
しかも1人である。
「いえ、先程はお見苦しい所をお見せしてしまって…」
あの後、取った首を家来に預けて、1人一行の後を追ってきたらしい。
森の中に入るのは危険なので、見送りは良いと言ったのだが。
本人がどうしても来たいと言うので渋々了承したわけだ。
「帰りは気を付けるんじゃぞ。お前なんぞ良い獲物じゃ」
魔物に襲われないようにと注意を促す。
とは言え、その辺は運で決まるようなものだ。
「大丈夫です、多分…」
頼りない返事が返ってくる。
それからしばらく歩くと、バフォメットが急に足を止めた。
「この辺じゃったかな…?」
「どうしたんすか、先生」
「よし…ちゃんとあった」
何かを探しているのか、地面を弄っていた。
そしてお目当てのものを見つけたようだ。
「これで帰れるぞ〜」
「はい?」
「どこでも○アみたいなもんじゃよ」
「例えが微妙に古いんですよアンタ」
とにかく、これで帰る事が出来るらしい。
思い返せば、碌な目に合わなかった。
誰もがそう思っていた。
「では、私はこれで…」
「うん、ご苦労じゃったな」
ここで鎧武者とはお別れだ。
結局名前も知らないような相手だったが、妙な親近感がわいてくる。
「ああ、ちょっと待て」
「何でしょうか」
馬首を反対方向へめぐらせようとした時、バフォメットが声を掛けた。
まだ言いたいことがあるのだとか。
「まあ何じゃ…その…上手くは言えんが…」
「…」
「この後何が起こるかは誰にもわからん、しかしな…とりあえずは、生き続ける事じゃ」
「生きろと、言いますか」
「うん、お前はまだまだ伸びる。やがて歴史がその能力を必要とする時が来るかもしれん…」
その時の為に、早まった行動はするな。
と言う事だ。
「元気でな」
その言葉に、ただ頷いて見せた。
そして再び、馬を走らせる。
もう会う事は無いだろう、しかし、これも縁だ。
出来る事なら大成して欲しい。それが願いでもあった。
走り去る後姿を、皆で見送る。
「さーて、じゃあ俺もそろそろ帰るわ」
はたしてガイド役をちゃんと務めたのであろうかアカオニさんであった。
忘れていたが、彼女もここが家のようなものだ。
他の者は皆ついてくるようだが、彼女は違う。
「一緒に来るか?」
「何でだよ、別に用も無えし…」
「寂しいじゃろう?」
「まあ確かに、これだけ人数が減れば寂しくなるだろうよ」
考えても見れば、ここが魔物の森となった元凶さえ出ていくのだ。
これから先、はたして今まで通り暮らしていけるのか、それさえわからない。
「なるようになるさ」
当の本人はどこまでも楽観的だった。
「じゃあな」
「ああ、またどこかで」
手短に別れの挨拶を交わすと、アカオニは森の中に姿を消した。
「アッサリしてますね〜」
「これが大人の関係と言う奴じゃ」
「どの口でそれを言うかな…」
最後までこんな感じである。
再び一行が歩きだす。
その列は、森の奥の暗闇に紛れて姿を消した。
「へっ、やっと帰ったか」
瓢箪の栓を抜き、中身を一気に喉の奥へと流し込む。
喉の奥が燃えるような感覚。
自棄酒も、前後不覚になってしまえばアカオニの名が泣く。
「参ったなぁ…まさか寂しいのか…」
あれだけ大勢で騒ぎ回ったのも久しぶりだった。
最初は、面倒な事を引き受けてしまったと後悔したものだ。
しかし段々打ち解けていくに従って、中々心地よく感じたりもした。
「ん〜…寝るか」
過ぎた事を悔やんでも仕方ない。
そういう時はどうすればいいのか、眠ればいいのだ。
そうと決まれば話は早い、寝よう。
適当な場所を探してしばらく歩き回っていると、妙なものを見つけた。
さっき分かれた鎧武者が、まだこんな場所に居た。
「何してんだアイツ…?」
馬の足を止め、頭を忙しなく上下左右に動かしている。
何かを探しているような、そんな風に見えた。
「姿を見せたらどうだ?」
気配に気付いたのはついさっき。
それでも、今までに妙な感覚はあった。
誰かにずっと監視されているような、そんな感覚だ。
「…」
顔を見上げる、空は曇り、雪もちらつくような悪天候だ。
高く伸びた木々が風で揺れ、ザワザワと音を立てている。
その音に紛れて、何かが素早く動き回っている。
妖怪の類なのは間違いないようだが、その真意が掴めない。
襲うつもりなら、その機会は今までいくらでもあった。
「気付いたか、人間」
「…!」
声が聞こえた。
予想通り女の声だ。
しかし困った、こちらは手ぶらのようなものだ。
脇差しか無い、となれば逃げた方が良いか。
だが馬の足で逃げられるとも思えない。
さてどうする、戦うか。
「感性は鋭いようだな」
そう言うと、意外とあっけなくその姿を現して来た。
黒い羽が、辺りに舞い散る。
その人とも獣とも言えない奇妙な姿。
「…烏天狗のお出ましか」
その正体は、ある意味一番厄介なものだった。
本来関わる事など無い。
人前に姿を現す時は決まって、その者を攫ってしまう。
「某が善人に見えるかね」
「今さら取り繕わなくても良い、全部見ていたんだ。普通に話して欲しい」
「…私に何の用だ」
「野暮な事を言う、もうわかっているはず。だろう?」
やはり、攫いに来た。
何故こうも妙な者に好かれるのだろうか。
頭が痛くなってくる。
「なら尚更おかしいだろう…私が善人に見えるか?」
「ああ見えるとも、慎重に選別したさ」
「私が言うのも何だが…良い趣味とは言えん」
先程、まだ子供と言えるであろう敵を散々嬲って殺した男に対する評価とも思えない。
本当にちゃんと見ていたのか。
「兎に角無理だ、断る」
「やれやれ。だったらこっちも少々手荒い手段を取らざるを得ないが…」
「おいおい。牛若丸にでもなれというのか」
鞍馬天狗に剣術でも習っておくべきだったかな。
そして五条の大橋で弁慶でも打ち倒して家来にするか…
駄目だ。現実逃避になっている。
大体あんな判官贔屓の人生を歩むのはごめんだ。
出来るなら、常に強者でありたい。
「剣術なら、私が教えてもいい。大天狗のようにとはいかないが、少しくらい腕に覚えがあってね」
何とも至れり尽くせりではないか。
なら是非お願いしよう…
「なワケあるか!」
うっかり流されそうになった。
きっと疲れているのだ、決して本意では無い、と思う。
脇差を鞘から抜き放ち、右手で構える。
「存外石頭なんだな、君は」
やれやれ、と言った表情で烏天狗も構えを取る。
馬上のままで平気だろうか、そもそも勝てるのか?
そう簡単に見逃しては貰えないだろう。
しかし、こちらとてただでやられはしない。
「来い!」
「言われなくても」
「いや〜、こりゃあ面白れぇわ」
木の上に登り、枝によりかかりその様子を杯片手に眺めているアカオニである。
眠気もどこかへ吹っ飛んだ。酒の肴には丁度いい余興になる。
「意外と悪くねえかもな、こういうのも」
他人の不幸は蜜の味、と言うものだ。
最も、これが不幸と感じるか幸福と感じるかは、当の本人以外はわからないだろうが。
「俺も旦那探すかな〜」
あれだけ見せつけられては、多少なりともそんな気持ちがわいてくる。
今度人里まで出てみようか。酒豪でなくとも、気が合うならそれで良い。
後は時間があればどうにでもなるはずだ。
旦那が出来たら、自慢をしにアイツに会いに行くと言うのも悪く無いかもしれない。
そう思うと、じわじわ笑いがこみ上げてくる。
「お、勝負ありか」
残念ながら、彼にとっては不幸な展開になったしまったようだ。
烏天狗の勝ちである。
「あい、と言う訳で帰って来たぞ」
「ま〜た色々過程を吹っ飛ばしましたね」
「いいのじゃ」
しつこいようだがいいのである。
歩いている内に、景色が変わった。
かと思えば、いつの間にか学校の校庭に居たのだ。
生徒達も驚いただろう、あまりにアッサリ過ぎる終わり方だ。
「解散式するぞ〜」
「何でそんな所だけ律儀にやるんですか」
「だってしおりに書いとるし…」
「あ、そう言えばそんなものがあったような…」
道中殆ど触れられなかった旅のしおりが、ここにきて急に脚光を浴びた。
終わりよければ総て良し。
最後くらいはキッチリと決めてやろうという事だ。
生徒達が二列に並び、その前にバフォメットが立つ。
「さて諸君、今までご苦労じゃった」
今までの出来事を振り返る。
きっと脳内ではサライや蛍の光が流れている事だろう。
「まあ、今日はゆっくり休んで疲れを癒して欲しい」
皆クタクタに疲れていた。
丸三日、森や原っぱを走り回ったのだ。
普段机に向かってばかりの生徒達にとってみれば、相当な重労働だ。
「わしも疲れた…はよ帰って寝たい」
本音はそれである。
と言う訳で、旅の余韻を味わう暇も無く、解散式が終了した。
「後日感想を書いて提出するんじゃぞ〜原稿用紙10枚程度でええから」
「え〜…レポートあるんすか…」
「無条件で単位下さいよ…」
予想通りの反応が返ってくる。
「出席確認を兼ねたもんじゃから、それをせんと単位をやれんのじゃよ」
そういう事なので、嫌でもやるしかないわけだ。
「ここまで来たんだ…みすみす単位を落としたりするもんか」
最早意地である。
その後、連絡事項を2、3伝えると、本当に解散となる。
生徒達が続々と学校を後にする。
「ついて来るの?」
「はい…」
「まあいいや…と見せかけてダッシュ!さよなら!」
「だから見えてるんですよ、どこに行っても」
いきなり走り出した生徒である。
そんな事で天狐から逃げられるとは思えないが、まあ本人がやりたいようにすればいいか。
少し困ったような表情で、その後を天弧が追う。
この後の展開を考えると…ご愁傷様としか言い様が無い。
「ここが君の国か…」
「とりあえず、家に帰ろう…寝たい」
「昼間から寝たいだなんて…全く君は大胆な男だ」
「違うよ!もう何で頭の中が全面桃色の発想しか出来ないかな…」
リザードマンのシズカと、彼女を連れて来た生徒。
こちらも今後が心配になる。
「じゃあ行こうか」
「…よろしく、お願いします…」
そう言って、恭しく頭を下げるのはサイクロプスのイレーネだった。
「そんな畏まらなくていいよ、うちは物作りの家だから…親もきっと歓迎してくれるよ」
「…家族…」
何とも微笑ましい光景だ。
このペアは、特に心配無いだろう。
お互いぴったりな組み合わせだと思う。
「イヴァちゃ〜ん、行くよ〜」
「おめぇなぁ…イヴァちゃんって言うなっつったろうに、鶏かよ」
「わかったよイヴァネッテ」
「…っ急に真顔になるなよ、バカ…」
こっちも、何だかんだで上手くやれそうな気がする。
「じゃあなイレーネ、と言っても…これが今生の別れってわけでもねえな」
「…また、いつでも…会えますよ…イヴァちゃん…」
「ついに師匠まで省略しやがったなテメー!」
「はは…どうやって親に言えば良いんだ…」
こちらは、雪女親子を連れて来た生徒だ。
また同じような事を言って悩んでいる。
「ちゃんと御爺様と御婆様に挨拶するんですよ?」
「うん…」
「そう言えば…孫になるんだったな…ユキメ」
彼の今後の人生に幸多き事を願わずにはいられない。
「で、君らもついてくるの?」
「と、当然だろう…嫁なのだから」
「当たり前だよね〜妻だもん」
「ねえ、冗談でもそれマジやめてよ…」
魔物を、しかも2人も連れて帰って来たと親が知ったらどんな反応を示すか…
「何なら僕は二号さんでもいいよ」
「根本的な解決になってねえよ!」
ハクロはどこまでもこんな調子で、ラティーファの方は妙に落ち着きが無い。
重婚は出来ただろうか、いや…ハクロの方は事実婚でもOKだと言う事なのでは…
「何考えてんだよ…俺…」
諦めたらそこで試合終了だ。希望は捨てるな。
「俺らも帰るか…」
「はい…」
ドラゴンと、それを連れて来た生徒のペアも帰宅の途についた。
「重くないかそれ」
ドラゴンの肩には、金塊が詰まった鞄の紐がかけられている。
人間の力では引き摺る事すら出来ないであろうそれを、彼女は軽々と運んでいる。
「この程度、何て事は無いさ…」
「ならいいんだけど…」
大量の金塊、これを銀と交換するのが当初の目的だったハズだが…
「近所にちょっとづつ配るか」
「良いのか…これは総て貴方の物だぞ」
「身の丈に合った生活を…ってやつだよ、お前が居れば御釣りが来るくらいだ」
確かにドラゴンが居れば、何かと不自由はしなくなるだろう。
それくらい余裕が出たという事だ。
人間的に少し成長したらしい。
「さて、わしも帰るか…」
生徒達が全員立ち去るまで待っていたバフォメットも、最後の1人を見送ってから自身も帰宅する事にした。
「と、その前に…」
職員室の自分の席に荷物を置きっぱなしにしていた事を思い出す。
さっさと取って来ようと職員室の入り口まで小走りで向かう。
「あ〜ん?何じゃ…?」
今日は休日のハズだったが、何故か職員室の周りには人通りが多い。
何かあったのだろうか?
「お〜い、どうしたんじゃ」
「うん…?…バッ…バフォメット先生!?」
バフォメットが声を掛けたのは、同じ学校で働く教師のアヌビスであった。
実を言うと、旅のしおりの中身を作ったのも彼女である。
なので、一言礼でも言って置こうと思った所に偶然出会ったのだが…
「せ…先生っ…いつ戻ったんですか…?」
「いや、今さっきじゃが…」
こちらの姿を認めるや否や、急にたどたどしい口調となる。
その表情も、何かに怯えているようなもので、大量の冷や汗をかいていた。
耳は垂れ下がり、尻尾は股の間に挟まって、体もブルブル震えている。
風邪でもひいたか?
「なんじゃ〜何かあったのか?」
「せ、先生…あ、あなたと言う人はっ!」
「えっ?何なに?」
こちらが、近づくと、何故か彼女が一歩後ずさる。
露骨に避けられている気がする。
「わしが何かやったのか?」
更に近づく。すると同じようにまた後ずさっていく。
「おい、一体何じゃ!」
じれったい、とりあえず捕まえて強引にでも理由を聞こう。
そう思って伸ばした右手が、彼女に届く前に、何者かに掴まれた。
「おう!?」
手を掴んだのは、鎧を着た兵士らしき人物。
「誰じゃお前」
「…被疑者確保!」
急に大声でそんな事を叫んだ。
するとどこに隠れていたのか、物陰などから兵士が大勢飛び出してきた。
それぞれ槍や剣、銃を手にしている。
「お、お!?」
気付けば、完全に周りを包囲されていた。
武器がこちらに向けられている。
「無駄な抵抗はやめるんだ」
「何もしとらんじゃろうが!」
急な出来事で抵抗する事が出来ない。
あれよあれよと言う間に、バフォメットの両手は縄で縛られてしまった。
「あれか、ワシに乱暴する気じゃな!?」
ついにエロSSらしい展開が自分に巡って来た。
欲を言えば、そのシチュエーションくらいは自分で決めさせて欲しかった。
大好きな兄と、ふかふかの大きなベッドの上で初めてを迎える…
何とも乙女らしい妄想だ。
「ああんっ!初めてでそんなきついプレイは無理じゃっ!…」
これから起こるであろう凄惨な凌辱劇を想像して、涎を垂らしながら身をくねらせる。
「…あれ?」
しかし、ビックリするほど誰も乗って来なかった。
「恥ずかしい…」
素に戻ると、恥ずかしさで死にたくなってくる。
「よし、詰所まで連れていけ」
一通り放置プレイを味あわせた後、兵士達によってバフォメットは連れて行かれてしまった。
どうやらスルーされるのが一番堪えるらしい。
何とも職務に忠実な兵士諸君だろうか、ギャグ空間に引き摺りこむ隙が全くない。
「先生…」
連行されるバフォメットを見送るアヌビスであった。
頼まれた事とは言え、同僚を憲兵隊に引き渡してしまった事への罪悪感が残ったままだ。
「連れて行かれた?」
ヒョイと、窓から顔を覗かせたのは、これまた同僚の学校図書館司書のエキドナであった。
「いいんでしょうか…仮にも同僚であるバフォメット先生を売り渡したみたいで…」
「いいんじゃない?面白いし」
「そんな…もし犯人だと断定されたらどうするんですか」
「無い無い、それは無いって」
「だと良いんですけど…」
エキドナの方は、あまり深刻に捉えていないようだった。
「あのお子ちゃまが犯人なわけ無いでしょう?」
そう言うと、手に持った新聞を広げて見せる。
一面には、デカデカと『殺人鬼、また現る』と言う文字が書かれていた。
「それにね…」
「何ですか?」
「あの子が犯人なら…切り裂きジャックじゃなくて切り裂きジルになってるわよ」
などと不謹慎な事を言ってケラケラ笑う。
「ジル・ド・レか、はたまたエリザベート・バートリの再来か…」
今巷を騒がせている、連続殺人犯。
なんとその容疑者の1人が、バフォメットだったのだ。
なので、どうしても相互で支援する事が出来ない場所というものが存在する。
そこを集中的に攻めて突破してしまえば、ドミノ倒しのように瞬時に制圧されてしまう。
その為に必要なのが、鉄砲の集中運用である。
「それで、この城の弱点と言えば…どこかわかるか?」
「この地形なら…東北端ですか?」
「その通り、一見攻め辛そうに見えるが、実はそこがこの城のアキレス腱となる」
東北端の曲輪は、この城の中では一番標高が高い。
更に、そこは設備が充実している場所でもあり、収容人数も多い。
普通に考えれば、そこを攻めるとなればかなりの労力を要するはずだ。
しかし、先の夜戦で守備兵力の半数を失った今ではまともに避ける兵力も無いだろう。
一番設備が充実している場所ならば、実質的にそこが本丸の役割を担っている。
事実、兵舎の類はここにしかない。
縦長の城の地形も、相互支援にかなりの支障をきたしている。
これが山城の弱点だ。
「さてさて、どう戦う?」
とは言うものの、城方の取れる手段は限られている。
城に籠り防戦するか、討って出るかだ。
だが、そのどちらを選んでも、未来は決まったようなものだが…
ついに本格手な攻撃が開始された。
太鼓や鐘の音が一斉に響き渡り、竹の束や梯子などを持った集団が前進を開始する。
その後ろに、武器を持った者が続く。
「そう言えば、何か交渉するとか言ってましたよね?」
生徒の1人が、そんな事を言い出した。
「ああ、じゃがこの様子では決裂したんじゃろうよ」
「そうです、城と城主の首を差し出せば他の者の命は助けると言う条件でしたが…」
馬上の鎧武者が口を挟んできた。
彼に聞いた方が詳細がわかるだろう。
「拒否したと?」
「期待はしていませんでしたよ」
「子供の首で自分たちが助かろうとは、思っていても口には出せんじゃろうな」
結局は到底無理な話だったのだ。
出来るだけ近く、戦闘を眺められる場所へと一行も移動する。
ついに、城方からも攻撃が開始された。
お互いの射程距離まで近づいたのだ。
「流れ弾や矢に注意するんじゃぞ」
とは言っても、身を隠すような場所も無い。
ここは戦場なのだ。
一方の先鋒の部隊は、ついに堀切まで到達した。
堀切とは、角度が急な空堀のようなものだ。
それが三重に連続して掘られている。
なので、その上に板などを置いて渡るわけだが…
「いい的じゃな」
そうなれば、竹の束や盾などの遮蔽物を持っては渡れない。
予想通り、城方の攻撃によって、板の上を渡る者が次々と矢玉によって倒されている。
普通なら容易に突破できるものではないが、ここで奇妙な点に気付く。
あまりにも城からの攻撃が少ないのだ。
「少ないですね」
城からの反撃の数が少ない、それは生徒達も気付いた。
目に見えるだけでも、鉄砲や矢を放つ者の姿はかなり少ない。
百にも満たないであろうその人数で防戦を行うのは、はっきり言って無理だ。
予想通り、反撃の少なさもあってか、短時間のうちに堀切を三つ突破し、橋頭堡を築いた。
ここまで来ればもう城方になす術は無い。
竹の束に隠れ、鉄砲の火力を一点に集中させる。
そして、その援護下で一気に塀にまで近づく。
土造りの城は、張り出した構造物が作れないために、下方に死角が出来る。
そこまで潜り込めば、鉄砲や矢にも当たらない。
櫓などからの攻撃は、鉄砲による狙撃で防げるわけだ。
予想通り、手早く塀にまで張り付いた兵士たちが、塀を強引に破壊しようとしている。
簡素な造りなので、簡単に壊されてしまうだろう。
「う〜ん」
非常に順調である。
しかし、何故かバフォメットの表情は冴えないまま唸り声をあげている。
喜び勇んで解説されてもそれはそれで困るのだが、あまりに口数が少ない。
何か腑に落ちない点でもあるのか。
「先生、どうしたんですか」
「うん?ああ、ちょっとばかし気になる事があってな」
生徒の問い掛けそう答えたバフォメットだったが、今一つ要領を得ないでいる。
「何が気になるんですか、言って下さいよ」
それを教えて貰わなければ授業にならないではないか。
「ん、そうか…なら言うがな…」
バフォメットが思っていた事はこうだ。
まず城方の兵力があまりにも少ない事。
「普通は投入出来うるだけの兵力を張り付けるはずじゃ、それが無い」
「逃げたんじゃないですか」
籠城中に人が減るのはよくある事だ。
前にも言ったが、最後まで着いてくる人間など実はとても少ないものである。
なので、生徒の言った事は中々説得力があった。
「まあ、そういう考え方も出来るがな…」
人が潜む空間など殆ど無いであろうその城に居るのは百名足らず。
話では四百程がまだ居たと言うので、一夜にして三百名以上が城を捨て逃げた。
しかし、いきなりそれだけの人間が消えれば、いくらなんでも気付く者が居るはずだ。
それが無かったのなら、残りの者は一体どこに消えたのだろうか?
「森の中じゃないっすか?」
「何じゃと?」
「いえね、だって城の背後の森の場所には部隊置いて無いんでしょ?」
「……」
何気なく生徒が言った言葉が、実は真実かもしれない。
自分たちが滞在していたので忘れがちだが、あの森に人は近寄らない。
当然、今回包囲している軍勢も森の中や近くは避けている。
つまり、完全に包囲したとは言えない状況なのだ。
しかし、それは城方であっても同じことだ。
人間が数百人規模で森の中に入れば、当然騒ぎが起こる。
それを昨夜に感じなかった時点で、生徒のいう事は否定される、されるのだが…
「急に人が消えるとは思えんな」
結局答えが出るまでには至らなかった。
そうこうしている間に、城の塀が強引に剥がされた。
すかさず、そこに鉄砲隊が制圧射撃を加える。
そうなればもう打つ手はない。
射撃の合間を縫って兵士が突入し、あれよあれよと言う間に曲輪に侵入した。
完全に占領されるのも時間の問題だろう。
「意外と早かったな…」
もう少し粘ると思ったが拍子抜けだ。
まあ、人数があれだけならよく持った方なのかもしれない。
しかし、これでは生徒達に何かが伝わったかどうかさえ怪しい。
流石にバフォメットも落胆の色を隠せなかった。
「…おやおや、これはこれは…フフッ」
「…?」
何かに気付いたのか、含みのある笑いを見せたのは天弧であった。
そう言えば、天狐は千里先の事まで見通せると言っていた。
ならば、戦場全体を見渡すのも容易な事。
「何か、あるのか?」
「ええ…とても、面白いものを見つけましたよ」
「ほう、ぜひ教えてはくれまいか」
「ばふぉめっとさんでも、気付きませんか?」
腰が低いように見えて、少々小馬鹿にしているようにも受け取れる。
やはり、狐は性格が悪い。
「是非ともお教え願いたいもんじゃな」
何を気付いたのか興味があるが、あまり関わりたくはない。
肝心な事だけ聞き出そうとしたのだが、その応えがあまりに予想外だった。
「人は消えて居ませんよ…ちゃんと居ます。森の中に」
「何じゃとぉ?」
先程の生徒と同じ事を言うとは思わなかった。
まさか、からかわれているのか。
「冗談じゃろ?」
先程述べたように、人を隠すには適しているが、危険も大きい。
そんな場所に数百人も人を潜ませるだろうか?
「では、城の主は何処へ行ったのでしょうか?」
「そう言われれば…」
城主が城を捨てるとは思えない。
しかし、曲輪に侵入した部隊から未だに主を捕えた討ち取ったの話は聞かない。
「どうなんじゃ?」
思い切って傍らの鎧武者にも聞いてみる。
戦に介入するつもりは無いが、全体の把握はしておきたい。
「…どうやら、居ないようです」
「なんと」
こちらにも報告が次々に入ってくる。
騎馬を率いる程の者なら、それも当然か。
「まだ数十人程が屋敷などに籠っているらしいのですが、どうやら大将の姿は…」
「無いか」
「はい」
となれば、天狐の言う事が俄然信憑性が上がる。
しかし、しかしだ、未だにその真意が掴めない。
仮にそれ程の人数を城の外に置いて、一体何がしたいのか。
「…」
考えが纏まらない。
これほどよくわからない行動を取られると、流石のバフォメットでもその真意を測りかねた。
「きっと隠した部隊で本陣襲うんだよ」
「…まさか」
生徒達は能天気である。
あーだこーだと激論を交わしている。
そのどれもが、考慮するに値しないものばかりだ。
しかし、今生徒が述べた事が妙に引っ掛かる。
「この状況でそれは無い、無いはずなんじゃ…」
何事も合理性に基いているとは限らない。
追い詰められた者が取る行動など、誰も予想出来ないという事などわかりきっていたではないか。
「狐、まだ見えるか?」
「失礼な、ちゃんと天狐と…」
「いいから答えろ、まだその集団は森の中に居るのか?」
「…いえ、今は動いています」
バフォメットの勢いに押されたのか、天狐が素直に応えた。
その集団は、今は留まる事無く、移動していると言う。
「何処へだ」
「西の方へ…大きく回り込んでいます」
「西…だと?」
ここから見て西の方角、つまり城の門や西の曲輪がある方向だ。
「そうか、やはりまだ…」
攻め手の戦力は東北端のこの場所に拘束されている。
西側に割いた兵力は、かなり少ないと見ていい。
「本陣は…!?」
普通なら本陣は後方に置くのが常識だが、何故か今回は違った。
ここから向かって西側の、丁度盆地のようになっている場所に攻め手の本陣が置かれていた。
いくら軍勢として纏まっているとは言え、己の勢力ごとに分かれて陣を張る。
それがこの軍勢の特徴だと前に指摘したが、いまでもそのままだった。
夜襲を受けた後すぐだと言うのにも関わらず、何の変化も無かった。
しかも、全体が東北へとシフトしているこの状態では、西側からの攻撃に対して無防備となる。
さらに盆地に陣を構えているので、急な行動が出来ない。
つまり…
「絶好の機会と言う訳か…」
狙うなら今しかない。
最初で最後の、これが絶好の機会となるだろう。
「…馬に…乗ってます、それも大勢が…」
「それが奥の手だったのか」
反対方向に敵の主力を誘い出し、手薄な所を奥の手で一気に攻める。
こういう事だったのか、その準備の為に、あえて一日名ばかりの交渉期間を置いたと。
「えらい緻密な戦をしよるわ」
どうも気にかかる、まるで空から戦場の推移を逐一確認しているような、そんな動きだ。
「…空か」
今まで黙っていた竜が口を開いた。
その視線は、空の方へと向けられている。
「烏が一羽…旋回している」
遥か上空、太陽を背にしながら旋回している翼が、小さくだが見えた。
あれが果たして城方の目となっていると断定は出来ないが、手段があると言えばこれくらいだ。
「そう言えば、この国には足が三本の烏が居るらしいな」
「八咫烏だね」
同じように空を見上げながら、ラティーファとハクロが呑気にそんな会話をしていた。
八咫烏と言えば、伝説に出てくる神の使い。実際に居るものではない。
…とも言い切れないのがこの世界の適当な所。
ともかく、城方が討って出たと言うのに間違いは無いだろう。
しばし間を置いて、西側の方から喚声が上がった。
旗などが激しく揺れ動いている。
どうやら、本当に来たらしい。
「おーおー。忙しい事じゃ」
こちら側にも、徐々に動揺が広がって来る。
まさか出てくるとは夢にも思うまい。
しかも自分たちの居る場所とは反対側から。
「まずい…」
そう声を発したのはあの鎧武者である。
流石に、彼も事の重大さに気づいたようだ。
「行かんのか?」
「…行きます」
「うむ、それが正しいと思う」
騎馬だけ先行して敵の横腹を突く。あの夜にやろうとしていた事だ。
今度は、それを遮るものは誰も居ない。
「わしらも行こう、ここはもういい」
囮の場所に留まっていても仕方がない。
ここは騎馬隊の後を追う事にする。
「次から次へと…ッ!」
必死で馬を走らせながら、そんな言葉が思わず口をついて出て来た。
混乱している、しかし、だからと言って動きを止める訳には行かない。
事は一刻を争う、ただ敵の動きを阻止する、それだけだ。
「やはり少ない…」
最初は数千程を率いていたのに、今ではついて来る者だけでも二百に満たない。
十分と言える数ではないが、今は仕方ない。
「あの妖怪め…」
元を正せば、事の原因はあの面妖な一団のせいではないのか。
夜襲の時もそうだ、童のような、小さい体の見慣れぬ妖怪。
あれ一人によって、総てが台無しとなってしまった。
それなのに、そんな相手に対して媚び諂う己は一体何だ。
自身の不甲斐無さに腹が立つ。
「おい」
「はっ!?」
隣を走る配下の者に話掛ける。
「槍はどう使うんだ…?」
「はぁ?急に何を言い出すのですか」
「いいから、教えろ」
「どうと言いましても…こう相手を突いたりするものですが…」
「ほう、突くのか…そうか!」
特に会話に意味は無い。
誰かと話して気を紛わせたかった、それだけだ。
話しかけられた当の本人は、いきなり何を言い出すんだと言った表情を浮かべている。
わからんだろう、わかるわけがない。
これは己にしかわからない事だ。
「一気に敵の側面を突く、他の事はいい、それだけを目指せ!」
配下の騎馬隊の陣形を、縦隊へと変える。
敵の側面へ楔を打ち込むような形だ。
その先頭を駆ける。
この城を取り巻く包囲陣は小さい(元々城自体の規模が小さい)ので、早くも前方に敵が見えた。
西側に薄く配置された味方を蹴散らしながら、真っ直ぐ本陣を目指している。
「構えろ!突入する!」
槍を片手で構え、馬の腹を蹴る。
更に距離を縮めるののだが、ここで意外な事が起こった。
敵の一団が、急に二手に分かれたのだ。
しかも、その分かれた一団が、こちらに向けて突っ込んできた。
この期に及んで、少ない戦力を更に分散させるとは、何を考えている。
「こちらに来ます!」
「狼狽えるな!このまま突っ切る!」
今更策を弄した所で何とかなるとは思えない。
こちらの動きを遮るのが目的なら、そのまま力で押し切ってやる。
「数では此方が有利だ!」
向かってくる集団はやはり数が少ない。
ざっと見ても数十騎程度。
こちらの半数以下だ。
更に距離が縮む。
もうここまで来れば、お互いの顔すら認識出来る。
皆適当に相手を定め、それに向かって武器を構える。
自分の相手も決まった。
「長巻か…!」
手綱を持たず、両手で長巻を持ち雄叫びを上げながら向かってくる。
一目見ただけで、かなりの熟練だと言う事がわかる。
しかし…
「届くか!」
すれ違いざまに、相手が得物を振り下ろす。
それに合わせて、こちらも手に持つ槍を片手で水平に薙ぎ払う。
得物の長さでは、槍の方に軍配が上がる。
長巻は虚しく空を切り、此方の槍が相手の顔面を切り裂いた。
そのまま勢いを止めず馬を走らせる。
相手がどうなったかまで確認している暇はないが、とりあえず戦闘不能にはなったろう。
他の者も続々と後を追ってくる。
一度後ろを振り返ると、馬の足を止めて相手と斬り合い突き合う者が居る。
「足を止めるな!捨て置け!」
今の衝突で、若干のズレが生じた。
真横から突っ込むつもりだったが、後ろ斜めから敵に近づくような形となってしまった。
それでも何とか追いついた。
列の中央、一段と層が厚い部分がある、その中に大将がいる。
流石にそこまで潜り込む事は出来ないが、勢いは殺した。
一人、また一人とこちらに向かって来るので、その都度槍を振り回して叩き落とす。
二つの集団が並走すると言う、何とも奇妙な恰好になった。
打開策を見いだせぬまま槍を振るっている。
すると、先程の衝突で足を止めていた者達が、集団の先頭部分へと突っ込んでいく。
僅か十数騎程度ではあったが、これで敵の動きが止まった。
「突貫しろ!」
隊列が乱れた中へ、強引に馬を進める。
何とか敵の中央部へと飛び入る事が出来た。
取り巻きの者が必死に槍を繰り出すが、それをかわす。
中央の色鮮やかな甲冑を身に纏った者、それが将だ。
その豪華な甲冑さえも、見ているだけで無性に苛立つ。
「御首級、頂戴する」
槍を勢い良く突き出す。
向こうもこちらに気付くと、身を捻って刀を合わせて来た。
「なんと!?」
上手い具合に槍を弾かれ、そのまま勢いですれ違う。
あの体勢から防ぐとは思わなかった。
馬の足を止め、もう一度討ち込もうと振り返る。
「ふう…」
呼吸を落ち着ける。
気が付けば周りは敵だらけだった。
味方はまだ突破出来ていない。
しかし、周りの敵もこちらに手を出す訳でもなく、遠巻きにして様子を伺っているだけだ。
「うん…?大将を守らんのか」
一方の大将はと言えば、太刀を右手に持ったまま対峙している。
何かがおかしい、思えば違和感は最初からあった。
道理に反するその行動の数々も、何となくではあるが今ならわかる。
「初陣と言う訳か」
「歴史に名を残すにはどうすればいいと思う?」
先を行く騎馬を小走りで追いかけている最中、急にバフォメットがそんな事を言い出した。
「そりゃあ…天才なら残るでしょ?」
「1つはそれじゃな」
「他にもあるんですか?」
「まずはお前が言ったように能力がある事、これに勝るものはない」
そもそも、歴史の表舞台に立つ為には能力が無くてはいけない。
「次に、逸話が多い事」
例えば、政治や戦だけではなく、他の分野等で功績を遺したりすればいいわけだ。
芸術などの分野で名を残す者も多くいる。
「そして最後に、これはもしかしたら一番重要な事かもしれん」
「なんです…?」
「不遇。と言う要素じゃよ」
「茶番だな」
何の事は無い、今までの行動の総ては、この大将に戦を経験させる為だけに行ったものだ。
その気持ちはわからなくもないが、相手をさせられる方はたまったものではない。
「大将が、そんな事でいいのか?」
まだ幼い顔立ちで、身に纏う甲冑も微妙に体に合っていない。
鎧を着ると言うより、着られているように感じる。
しかし、仮にも一軍を指揮する立場の大将だ。
幼いなどと言う理由で許されるものではない、むしろ腹立たしくもある。
「御相手願います」
当の本人はと言えば、まるでそれが当然のごとく振る舞っている。
こちらの煽りなど無視するような態度だ。
成程、一応は大将としての自覚はあるようだ、このような煽りに乗るようでは将失格である。
「ほう、初陣の相手をせよと申すか」
「駄目でしょうか」
「いや、大将首を貰えるのであれば願っても無い事だ」
「気の早い方ですね」
「あまり時間は掛けられんぞ」
「我が名は…」
「名乗らずともいい」
相手が馬の腹を蹴った。
太刀を右手で振りかぶりこちらに向かってくる。
一呼吸置いてから、こっちも馬の腹を蹴る。
確かに、あの体勢で突きを受け流すくらいだ、中々強い。
先程の長巻使いを見てもわかるように、まさに虎の子と言った具合だ。
全員それなりに練度が高い。
「しかし…っ」
槍を持つ手に力を込める。
槍は突くだけではない、先程のように斬る事も出来る。
元々馬の上から徒歩の者を突く為にあるようなものだ。
馬上の者を突けば、こちらがその抵抗で馬から飛び落ちてしまうかもしれない。
なので、ここで取るべき道は一つ。
「経験が足りん!」
思い切り槍を横腹に叩きつける。
その拍子に、相手が馬から落ちた。
「馬上で太刀など…最後の手段だと教わらなかったのか」
己も馬から降りて、相手に近づく。
落ちた時に受け身を取れなかったのか、何やらもがき苦しんでいた。
それでも、何とか起き上がると、太刀を両手に持ち構える。
落馬して死なれては恰好が悪すぎる。
基本は出来ているようだが、如何せん経験がものを言う世界なのだ。
「さあ、参られよ」
お互い徒歩同士、邪魔をするものも居ない。
少しだけ、遊んでやろう。
どうせ遅かれ早かれ死ぬ身だ、大して問題は無い。
何故かそんな事を考えている。
「…ハァッ!!」
大きく太刀を振り被り、こちらに飛び込んできた。
「隙だらけだ」
槍の石突(槍の柄の地面に突き立てる金具の部分)で思い切り足の甲を突いた。
見落とされがちだが、ここは急所だ。
突かれると一時的ではあるが動きが止まり、戦闘不能となる。
「グゥッ!?」
右足の甲を抑えてその場に蹲ってしまった。
大切な太刀まで放り出すとは呆れたものだ。
「得物を放り投げるとは、なっていないな」
続け様に、槍を振り下ろす。
頭は兜で防護しているとはいえ、衝撃に対してはあまり強くない。
金属がへこむ鈍い音を立てて、槍の柄の真ん中部分折れてしまった。
「おおっと、しまった」
槍を捨て、こちらも太刀を抜く。
脳震盪を起こしてうつ伏せに倒れている相手の腹を蹴り、再び無理やり起こして立たせる。
はてさて、ここまで己は鬼畜な男だっただろうか。
「ぐ…ふぅ…っはぁ…」
相手はもう息も絶え絶えだった。
足腰も震え、手に持つ太刀を杖のように地面に突き刺しそれを支えにやっと立っている。
「今度は此方も太刀だ、どうした?早く討ち込んで来い」
流石に取り巻きの者も、我慢の限界か得物を振りかざし向かって来ようとする者もいた。
しかし、その中に居た初老の武者が他の者を無言で制していた。
家老だろうか、かなり地位が高い者であるのは間違いない。
何も言わず、ただこちらをじっと見据えているだけだ。
恐らく、この大将の教育係でもしていたのだろう。
「下の者に対して恥ずかしくないのか、貴様は」
「…なにを…」
「なんだ」
「なにをそんなに…怒っているのですか…」
「…」
気が付くと、太刀を振り上げていた。
無意識のうちに体が動く、発する言葉の一語一句まで気に障る奴だ。
「青二才が…」
「…くっ!」
相手も刀を横に倒し防御の構えを見せた。
しかし、そんな事は関係ない。
「そんな構えで防げると思うてか!」
ただ力任せに、振り上げた太刀を思い切り振り下ろした。
刀の刃同士がぶつかり火花を散らす。
それでもなお、強引に振り下ろす。
相手の刀は真っ二つに折れ、こちらの太刀が右の肩口を深く斬った。
いや、斬ると言うよりは割る、と言った表現の方が相応しいだろう。
肉を裂き、骨を断ち切った。
しかし、そのせいで太刀が抜けなくなってしまった。
止むを得ず、相手の胸を足で蹴り、その瞬間刃を引き抜いた。
断面から鮮血が噴出し、地面を朱に染める。
「チッ…もう使えんな」
血と脂肪がべったり付いた刀身を眺めてごちる。
刃も欠けている、どうやらもう武器としてこれは使えないだろ。
業物なので一応は鞘に納めたが、さてどうする。
ああも偉そうな事を口にしておきながら、武器を二つ駄目にしてしまった。
「やれやれ、もうこれしか無いか」
腰に下げた脇差を鞘から抜く。
もう武器と呼べるようなものはこれしか残っていない。
しかし、脇差などただ相手の首を刎ねる為にあるようなものだ。
戦いに使えるとも思えない。
大体、そんな戦い方は雑兵がするものだ。
将たるもののする事ではない。
「…ふっ」
自然と笑みがこぼれる。
とにかく、止めを刺さなくては。
首を取らねば、逆に失礼というものだ。
その相手はと言えば、今度は仰向けに地面に倒れていた。
まだ微かに体が動いている。
「まだ見えるか?」
相手に近づき、顔を見下ろす。
斬られた肩からは、血が大量に流れ出ている。
その表情は苦痛に歪んでいる。
目が、此方をじっと見つめて来る。
何かを訴えようとしている。
「何か言い残す事は無いか?」
膝を折り、顔を口元に近づける。
何か言いたげに、鯉のようにパクパク口を動かしていた。
「な…ぜ…怒ったの…ですか…」
息も絶え絶えになりながら、必死に言葉を発する。
先程と同じような問い掛けだが、今は怒る気がしなかった。
「某…いや、私はな…」
それどころか、その理由を説明しようとさえしている。
どういう心境の変化なのだ。
「……」
「私は…妾の子だ」
何故、こんな初めて会った人間にそんな事を言っている。
しかも敵の大将ではないか。
本意では無いはずなのに、口が勝手に動く。
「…そうでしたか…っなら…怒るのも…わかる気が…しますっ…」
「怒ると言うよりは、羨ましかった…妬んでいたのかもしれないな」
妾の子と言えど、男子であればそれなりに使い道がある。
仮に本妻に男子が無い場合は、本家を継ぐ事すら可能になる。
しかし、問題は…既に男子が居る場合ならどうなるか。
「父の顔など知らず育ち…いざ目通りが叶ったと思えば他家に養子に行けと言われた」
今回戦場に赴いた理由も、実の父親を助ける為の援軍だ。
しかし、それでも本陣に近付く事すら叶わないでいる。
それでも、親であり大将でもある父親をこうして必死で守っているのだ。
思い上がりと言われるかもしれないが、何度か危機を救ったと言う自負もある。
けれども、礼の一つも寄越さない父が、憎らしく思えていた。
「父親の愛情を受け…家を継ぎ…こうして家来に初陣の御膳立てまでして貰っている」
そんな恵まれた境遇にいる、目の前の子供が、どうしようもなく羨ましかった。
だから、あのような酷い事をやってしまった。
「グブッ…ッ!…」
また血を吐いた。それも大量に。
柄にもなく長話をしてしまった。
これ以上苦しませるのも可哀想だ。
「そろそろ、楽にしてやろう」
話を切り上げ、片手で頭を起こし脇差を首に押し当てる。
「目を閉じた方がいいぞ」
誰も自分が死ぬ瞬間を見たいとは思わないだろ。
だが、何故かその目は虚空を見つめ続けている。
もう言葉さえわからないのか?
そう思って、脇差を持つ手に力を込める。
すると、小さくとだが、何か言葉を発した。
「何だ?」
口元へ耳を近づける。
「ゆ…」
「ゆ?」
「ゆ…き…が…」
「雪だと?」
顔を見上げると、確かに空は一面鉛色に染まっていた。
気温も、ずっと下がったように感じる。
今まで意識していなかった分、余計そう思えた。
「しかし雪など…」
そう言い掛けて気付く。
意識しないと見えない程度だが、確かに雪だ。
ちらほらと、空から落ちてきている。
「ああ…確かに、雪だな」
「…さ…むい…です…」
「目を閉じるんだ、早く」
そう言うと、小さく頷きゆっくり目を閉じた。
目尻からは涙があふれ出ている。
これはどういう涙だろうか。
苦痛によるものか、悔し涙だろうか。
それとも、他の何かか…
「あ…りが…とう…ござ…い……」
「…ッ!」
太刀を持つ手に力を込め、一気に下ろす。
グシャリと鈍い音を立てて、首に深々と刃が刺さる。
一瞬で逝けるようにした、だからもう死んでいる。
それなのに、その表情は眠っているように穏やかなものだった。
「…勝ったはずなのに…妙に静かだな」
首を切り落としても、勝名乗りを上げる事が出来なかった。
ただ茫然と、膝をついたまま、空を見上げている。
雪が体に落ちると、すぐに溶けて無くなってしまう。
「確かに、寒い…」
そろそろ、冬も本番と言った所か。
本格的に寒くなってくる。
戦も終わった事だ、今はただ、ゆっくりと休みたい。
倒した相手への思いなどではなく、そんな事を一番に思ってしまう。
雪の量も、段々と増えて来た。
寒いのは嫌いだが、雪が降るのを眺めるのは好きだ。
「ふん…及第点と言った所か…」
何とか追いついたバフォメット一行であったが、既に決着がついていた。
肝心な所を見る事が出来なかったが、実は少しだけ安心していた。
事の次第は、バフォメットにはハッキリと見えていた。
いや、恐らく天狐や目の良い者であれば、総て見えていたハズだ。
しかし、誰もその様子を口には出さなかった。
見ていて楽しいものではないのは確かだ。
それでも、バフォメットは満足だった。
大方思った通りに事が進んだ。
「先生、あれ…」
「うん?」
生徒が城の方向を指差す。
すると、最後まで抵抗していた西の曲輪から火の手が上がっていた。
「慕われておったんじゃな…本当に…」
最後まで着いてくる人間が、こんなに多く居た。
それだけでも、一見無謀に見える戦いを行った甲斐があった。のだろうか。
「どうだろう…」
「僕は無駄だと思いますけど」
「俺もそう思います」
生徒達の反応は、意外と冷ややかなものだった。
「まあ、そんなものか」
全員が共感するとは思わない。
ジパングでなくとも、自分たちの国や大陸で行われている戦争などもそんなものだ。
隊列を組んだ兵士達が対峙し、互いの指揮官同士が帽子を取り挨拶を交わす。
そんなどこかのんびりとした光景、軍事的革新が進む中で、古き良き戦争と言われている。
しかし、そんなものに憧れる者など、限られた人間だけだろう。
結局は立場の違いで総てが決まる。
下の者にそんな事を考える余裕などあるはずがない。
こればかりは、明確な答えなど無いのだ。
「とにかく、持った印象は大事にするんじゃぞ」
考え方を強制する事はない、受け取り方は各自の自由だ。
戦が終わった。
結果は誰が見ても明らかだ。
何ともスッキリしない終わり方のように見えるが、そういうものだ。
「あの人たち、どうすんのかな…」
大将を失ったとは言え、まだ城方の将兵が数多く戦場に残っている。
セオリー通りなら、この後敵の掃討にかかるのだが…
「む…!」
今まで戦いを見守っていた城方の軍勢が一斉に動き出した。
それも、先程と同じ方向に。
「あいつら…」
見届けた後は、今度は自分たちの番だと言わんばかりに、勢いよく本陣に向けて突っ込んだ。
既に大将もやられ、隊列もズタズタに乱されている。
なにより、こうも時間をロスしてしまっては、相手に防御を固める暇を与えてしまっている。
事実、盆地から続々と本陣の部隊が姿を表している。
そして、東北側に寄っていた他の部隊も駆けつけてきている。
もう何をやっても無駄だ、唯一あるとすれば、今から全力で戦線離脱をはかるべきだ。
「と言っても、拠るべき所など既に無かったな」
ならばどうなるか…それくらいはわかる。
「では諸君、帰ろうか」
「あれ、最後まで見ないんですか?」
「お前は戦いではなく、集団自殺を見たいのか?」
これ以上は、何の意味も無い行為だ。
ギリギリ今までは、多少なりとも意味があったろう。
だがこれには無い。
それを態々見せようとも思わない、何しろこのような展開は嫌いだ。
「後味が悪いだけじゃ…こんなものは」
バフォメットが踵を返し、歩きだす。
元来た道を辿って帰るのだ、自分たちの故郷へと。
背後から喚声が上がり、一呼吸置いてから連続した銃撃音が響き渡る。
馬の嘶きや、大勢の悲鳴や怒号が入り混じる。
しかし、それに一瞥もくれずに、一行は戦場を後にした。
バフォメットの野外授業、これにて終了である。
「悪いの、こんな場所まで見送りとは」
所変わって森の中、一行は足早に帰宅の途についていた。
かなり奥まで来たのだが、あの鎧武者が見送りに来てくれた。
しかも1人である。
「いえ、先程はお見苦しい所をお見せしてしまって…」
あの後、取った首を家来に預けて、1人一行の後を追ってきたらしい。
森の中に入るのは危険なので、見送りは良いと言ったのだが。
本人がどうしても来たいと言うので渋々了承したわけだ。
「帰りは気を付けるんじゃぞ。お前なんぞ良い獲物じゃ」
魔物に襲われないようにと注意を促す。
とは言え、その辺は運で決まるようなものだ。
「大丈夫です、多分…」
頼りない返事が返ってくる。
それからしばらく歩くと、バフォメットが急に足を止めた。
「この辺じゃったかな…?」
「どうしたんすか、先生」
「よし…ちゃんとあった」
何かを探しているのか、地面を弄っていた。
そしてお目当てのものを見つけたようだ。
「これで帰れるぞ〜」
「はい?」
「どこでも○アみたいなもんじゃよ」
「例えが微妙に古いんですよアンタ」
とにかく、これで帰る事が出来るらしい。
思い返せば、碌な目に合わなかった。
誰もがそう思っていた。
「では、私はこれで…」
「うん、ご苦労じゃったな」
ここで鎧武者とはお別れだ。
結局名前も知らないような相手だったが、妙な親近感がわいてくる。
「ああ、ちょっと待て」
「何でしょうか」
馬首を反対方向へめぐらせようとした時、バフォメットが声を掛けた。
まだ言いたいことがあるのだとか。
「まあ何じゃ…その…上手くは言えんが…」
「…」
「この後何が起こるかは誰にもわからん、しかしな…とりあえずは、生き続ける事じゃ」
「生きろと、言いますか」
「うん、お前はまだまだ伸びる。やがて歴史がその能力を必要とする時が来るかもしれん…」
その時の為に、早まった行動はするな。
と言う事だ。
「元気でな」
その言葉に、ただ頷いて見せた。
そして再び、馬を走らせる。
もう会う事は無いだろう、しかし、これも縁だ。
出来る事なら大成して欲しい。それが願いでもあった。
走り去る後姿を、皆で見送る。
「さーて、じゃあ俺もそろそろ帰るわ」
はたしてガイド役をちゃんと務めたのであろうかアカオニさんであった。
忘れていたが、彼女もここが家のようなものだ。
他の者は皆ついてくるようだが、彼女は違う。
「一緒に来るか?」
「何でだよ、別に用も無えし…」
「寂しいじゃろう?」
「まあ確かに、これだけ人数が減れば寂しくなるだろうよ」
考えても見れば、ここが魔物の森となった元凶さえ出ていくのだ。
これから先、はたして今まで通り暮らしていけるのか、それさえわからない。
「なるようになるさ」
当の本人はどこまでも楽観的だった。
「じゃあな」
「ああ、またどこかで」
手短に別れの挨拶を交わすと、アカオニは森の中に姿を消した。
「アッサリしてますね〜」
「これが大人の関係と言う奴じゃ」
「どの口でそれを言うかな…」
最後までこんな感じである。
再び一行が歩きだす。
その列は、森の奥の暗闇に紛れて姿を消した。
「へっ、やっと帰ったか」
瓢箪の栓を抜き、中身を一気に喉の奥へと流し込む。
喉の奥が燃えるような感覚。
自棄酒も、前後不覚になってしまえばアカオニの名が泣く。
「参ったなぁ…まさか寂しいのか…」
あれだけ大勢で騒ぎ回ったのも久しぶりだった。
最初は、面倒な事を引き受けてしまったと後悔したものだ。
しかし段々打ち解けていくに従って、中々心地よく感じたりもした。
「ん〜…寝るか」
過ぎた事を悔やんでも仕方ない。
そういう時はどうすればいいのか、眠ればいいのだ。
そうと決まれば話は早い、寝よう。
適当な場所を探してしばらく歩き回っていると、妙なものを見つけた。
さっき分かれた鎧武者が、まだこんな場所に居た。
「何してんだアイツ…?」
馬の足を止め、頭を忙しなく上下左右に動かしている。
何かを探しているような、そんな風に見えた。
「姿を見せたらどうだ?」
気配に気付いたのはついさっき。
それでも、今までに妙な感覚はあった。
誰かにずっと監視されているような、そんな感覚だ。
「…」
顔を見上げる、空は曇り、雪もちらつくような悪天候だ。
高く伸びた木々が風で揺れ、ザワザワと音を立てている。
その音に紛れて、何かが素早く動き回っている。
妖怪の類なのは間違いないようだが、その真意が掴めない。
襲うつもりなら、その機会は今までいくらでもあった。
「気付いたか、人間」
「…!」
声が聞こえた。
予想通り女の声だ。
しかし困った、こちらは手ぶらのようなものだ。
脇差しか無い、となれば逃げた方が良いか。
だが馬の足で逃げられるとも思えない。
さてどうする、戦うか。
「感性は鋭いようだな」
そう言うと、意外とあっけなくその姿を現して来た。
黒い羽が、辺りに舞い散る。
その人とも獣とも言えない奇妙な姿。
「…烏天狗のお出ましか」
その正体は、ある意味一番厄介なものだった。
本来関わる事など無い。
人前に姿を現す時は決まって、その者を攫ってしまう。
「某が善人に見えるかね」
「今さら取り繕わなくても良い、全部見ていたんだ。普通に話して欲しい」
「…私に何の用だ」
「野暮な事を言う、もうわかっているはず。だろう?」
やはり、攫いに来た。
何故こうも妙な者に好かれるのだろうか。
頭が痛くなってくる。
「なら尚更おかしいだろう…私が善人に見えるか?」
「ああ見えるとも、慎重に選別したさ」
「私が言うのも何だが…良い趣味とは言えん」
先程、まだ子供と言えるであろう敵を散々嬲って殺した男に対する評価とも思えない。
本当にちゃんと見ていたのか。
「兎に角無理だ、断る」
「やれやれ。だったらこっちも少々手荒い手段を取らざるを得ないが…」
「おいおい。牛若丸にでもなれというのか」
鞍馬天狗に剣術でも習っておくべきだったかな。
そして五条の大橋で弁慶でも打ち倒して家来にするか…
駄目だ。現実逃避になっている。
大体あんな判官贔屓の人生を歩むのはごめんだ。
出来るなら、常に強者でありたい。
「剣術なら、私が教えてもいい。大天狗のようにとはいかないが、少しくらい腕に覚えがあってね」
何とも至れり尽くせりではないか。
なら是非お願いしよう…
「なワケあるか!」
うっかり流されそうになった。
きっと疲れているのだ、決して本意では無い、と思う。
脇差を鞘から抜き放ち、右手で構える。
「存外石頭なんだな、君は」
やれやれ、と言った表情で烏天狗も構えを取る。
馬上のままで平気だろうか、そもそも勝てるのか?
そう簡単に見逃しては貰えないだろう。
しかし、こちらとてただでやられはしない。
「来い!」
「言われなくても」
「いや〜、こりゃあ面白れぇわ」
木の上に登り、枝によりかかりその様子を杯片手に眺めているアカオニである。
眠気もどこかへ吹っ飛んだ。酒の肴には丁度いい余興になる。
「意外と悪くねえかもな、こういうのも」
他人の不幸は蜜の味、と言うものだ。
最も、これが不幸と感じるか幸福と感じるかは、当の本人以外はわからないだろうが。
「俺も旦那探すかな〜」
あれだけ見せつけられては、多少なりともそんな気持ちがわいてくる。
今度人里まで出てみようか。酒豪でなくとも、気が合うならそれで良い。
後は時間があればどうにでもなるはずだ。
旦那が出来たら、自慢をしにアイツに会いに行くと言うのも悪く無いかもしれない。
そう思うと、じわじわ笑いがこみ上げてくる。
「お、勝負ありか」
残念ながら、彼にとっては不幸な展開になったしまったようだ。
烏天狗の勝ちである。
「あい、と言う訳で帰って来たぞ」
「ま〜た色々過程を吹っ飛ばしましたね」
「いいのじゃ」
しつこいようだがいいのである。
歩いている内に、景色が変わった。
かと思えば、いつの間にか学校の校庭に居たのだ。
生徒達も驚いただろう、あまりにアッサリ過ぎる終わり方だ。
「解散式するぞ〜」
「何でそんな所だけ律儀にやるんですか」
「だってしおりに書いとるし…」
「あ、そう言えばそんなものがあったような…」
道中殆ど触れられなかった旅のしおりが、ここにきて急に脚光を浴びた。
終わりよければ総て良し。
最後くらいはキッチリと決めてやろうという事だ。
生徒達が二列に並び、その前にバフォメットが立つ。
「さて諸君、今までご苦労じゃった」
今までの出来事を振り返る。
きっと脳内ではサライや蛍の光が流れている事だろう。
「まあ、今日はゆっくり休んで疲れを癒して欲しい」
皆クタクタに疲れていた。
丸三日、森や原っぱを走り回ったのだ。
普段机に向かってばかりの生徒達にとってみれば、相当な重労働だ。
「わしも疲れた…はよ帰って寝たい」
本音はそれである。
と言う訳で、旅の余韻を味わう暇も無く、解散式が終了した。
「後日感想を書いて提出するんじゃぞ〜原稿用紙10枚程度でええから」
「え〜…レポートあるんすか…」
「無条件で単位下さいよ…」
予想通りの反応が返ってくる。
「出席確認を兼ねたもんじゃから、それをせんと単位をやれんのじゃよ」
そういう事なので、嫌でもやるしかないわけだ。
「ここまで来たんだ…みすみす単位を落としたりするもんか」
最早意地である。
その後、連絡事項を2、3伝えると、本当に解散となる。
生徒達が続々と学校を後にする。
「ついて来るの?」
「はい…」
「まあいいや…と見せかけてダッシュ!さよなら!」
「だから見えてるんですよ、どこに行っても」
いきなり走り出した生徒である。
そんな事で天狐から逃げられるとは思えないが、まあ本人がやりたいようにすればいいか。
少し困ったような表情で、その後を天弧が追う。
この後の展開を考えると…ご愁傷様としか言い様が無い。
「ここが君の国か…」
「とりあえず、家に帰ろう…寝たい」
「昼間から寝たいだなんて…全く君は大胆な男だ」
「違うよ!もう何で頭の中が全面桃色の発想しか出来ないかな…」
リザードマンのシズカと、彼女を連れて来た生徒。
こちらも今後が心配になる。
「じゃあ行こうか」
「…よろしく、お願いします…」
そう言って、恭しく頭を下げるのはサイクロプスのイレーネだった。
「そんな畏まらなくていいよ、うちは物作りの家だから…親もきっと歓迎してくれるよ」
「…家族…」
何とも微笑ましい光景だ。
このペアは、特に心配無いだろう。
お互いぴったりな組み合わせだと思う。
「イヴァちゃ〜ん、行くよ〜」
「おめぇなぁ…イヴァちゃんって言うなっつったろうに、鶏かよ」
「わかったよイヴァネッテ」
「…っ急に真顔になるなよ、バカ…」
こっちも、何だかんだで上手くやれそうな気がする。
「じゃあなイレーネ、と言っても…これが今生の別れってわけでもねえな」
「…また、いつでも…会えますよ…イヴァちゃん…」
「ついに師匠まで省略しやがったなテメー!」
「はは…どうやって親に言えば良いんだ…」
こちらは、雪女親子を連れて来た生徒だ。
また同じような事を言って悩んでいる。
「ちゃんと御爺様と御婆様に挨拶するんですよ?」
「うん…」
「そう言えば…孫になるんだったな…ユキメ」
彼の今後の人生に幸多き事を願わずにはいられない。
「で、君らもついてくるの?」
「と、当然だろう…嫁なのだから」
「当たり前だよね〜妻だもん」
「ねえ、冗談でもそれマジやめてよ…」
魔物を、しかも2人も連れて帰って来たと親が知ったらどんな反応を示すか…
「何なら僕は二号さんでもいいよ」
「根本的な解決になってねえよ!」
ハクロはどこまでもこんな調子で、ラティーファの方は妙に落ち着きが無い。
重婚は出来ただろうか、いや…ハクロの方は事実婚でもOKだと言う事なのでは…
「何考えてんだよ…俺…」
諦めたらそこで試合終了だ。希望は捨てるな。
「俺らも帰るか…」
「はい…」
ドラゴンと、それを連れて来た生徒のペアも帰宅の途についた。
「重くないかそれ」
ドラゴンの肩には、金塊が詰まった鞄の紐がかけられている。
人間の力では引き摺る事すら出来ないであろうそれを、彼女は軽々と運んでいる。
「この程度、何て事は無いさ…」
「ならいいんだけど…」
大量の金塊、これを銀と交換するのが当初の目的だったハズだが…
「近所にちょっとづつ配るか」
「良いのか…これは総て貴方の物だぞ」
「身の丈に合った生活を…ってやつだよ、お前が居れば御釣りが来るくらいだ」
確かにドラゴンが居れば、何かと不自由はしなくなるだろう。
それくらい余裕が出たという事だ。
人間的に少し成長したらしい。
「さて、わしも帰るか…」
生徒達が全員立ち去るまで待っていたバフォメットも、最後の1人を見送ってから自身も帰宅する事にした。
「と、その前に…」
職員室の自分の席に荷物を置きっぱなしにしていた事を思い出す。
さっさと取って来ようと職員室の入り口まで小走りで向かう。
「あ〜ん?何じゃ…?」
今日は休日のハズだったが、何故か職員室の周りには人通りが多い。
何かあったのだろうか?
「お〜い、どうしたんじゃ」
「うん…?…バッ…バフォメット先生!?」
バフォメットが声を掛けたのは、同じ学校で働く教師のアヌビスであった。
実を言うと、旅のしおりの中身を作ったのも彼女である。
なので、一言礼でも言って置こうと思った所に偶然出会ったのだが…
「せ…先生っ…いつ戻ったんですか…?」
「いや、今さっきじゃが…」
こちらの姿を認めるや否や、急にたどたどしい口調となる。
その表情も、何かに怯えているようなもので、大量の冷や汗をかいていた。
耳は垂れ下がり、尻尾は股の間に挟まって、体もブルブル震えている。
風邪でもひいたか?
「なんじゃ〜何かあったのか?」
「せ、先生…あ、あなたと言う人はっ!」
「えっ?何なに?」
こちらが、近づくと、何故か彼女が一歩後ずさる。
露骨に避けられている気がする。
「わしが何かやったのか?」
更に近づく。すると同じようにまた後ずさっていく。
「おい、一体何じゃ!」
じれったい、とりあえず捕まえて強引にでも理由を聞こう。
そう思って伸ばした右手が、彼女に届く前に、何者かに掴まれた。
「おう!?」
手を掴んだのは、鎧を着た兵士らしき人物。
「誰じゃお前」
「…被疑者確保!」
急に大声でそんな事を叫んだ。
するとどこに隠れていたのか、物陰などから兵士が大勢飛び出してきた。
それぞれ槍や剣、銃を手にしている。
「お、お!?」
気付けば、完全に周りを包囲されていた。
武器がこちらに向けられている。
「無駄な抵抗はやめるんだ」
「何もしとらんじゃろうが!」
急な出来事で抵抗する事が出来ない。
あれよあれよと言う間に、バフォメットの両手は縄で縛られてしまった。
「あれか、ワシに乱暴する気じゃな!?」
ついにエロSSらしい展開が自分に巡って来た。
欲を言えば、そのシチュエーションくらいは自分で決めさせて欲しかった。
大好きな兄と、ふかふかの大きなベッドの上で初めてを迎える…
何とも乙女らしい妄想だ。
「ああんっ!初めてでそんなきついプレイは無理じゃっ!…」
これから起こるであろう凄惨な凌辱劇を想像して、涎を垂らしながら身をくねらせる。
「…あれ?」
しかし、ビックリするほど誰も乗って来なかった。
「恥ずかしい…」
素に戻ると、恥ずかしさで死にたくなってくる。
「よし、詰所まで連れていけ」
一通り放置プレイを味あわせた後、兵士達によってバフォメットは連れて行かれてしまった。
どうやらスルーされるのが一番堪えるらしい。
何とも職務に忠実な兵士諸君だろうか、ギャグ空間に引き摺りこむ隙が全くない。
「先生…」
連行されるバフォメットを見送るアヌビスであった。
頼まれた事とは言え、同僚を憲兵隊に引き渡してしまった事への罪悪感が残ったままだ。
「連れて行かれた?」
ヒョイと、窓から顔を覗かせたのは、これまた同僚の学校図書館司書のエキドナであった。
「いいんでしょうか…仮にも同僚であるバフォメット先生を売り渡したみたいで…」
「いいんじゃない?面白いし」
「そんな…もし犯人だと断定されたらどうするんですか」
「無い無い、それは無いって」
「だと良いんですけど…」
エキドナの方は、あまり深刻に捉えていないようだった。
「あのお子ちゃまが犯人なわけ無いでしょう?」
そう言うと、手に持った新聞を広げて見せる。
一面には、デカデカと『殺人鬼、また現る』と言う文字が書かれていた。
「それにね…」
「何ですか?」
「あの子が犯人なら…切り裂きジャックじゃなくて切り裂きジルになってるわよ」
などと不謹慎な事を言ってケラケラ笑う。
「ジル・ド・レか、はたまたエリザベート・バートリの再来か…」
今巷を騒がせている、連続殺人犯。
なんとその容疑者の1人が、バフォメットだったのだ。
11/01/20 03:57更新 / 白出汁
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