読切小説
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送り火の夜に
 薄暗い雑木林を抜けると幾重にも並んだ提灯の列が見えた。

「山裾に沿って、灯かりが並んでいるのが、まるで星の川みたい」

 いつか2人で祭り見物に出かけた時の、彼女の言葉が不意に甦った。
けれど、彼女はもういない。

 一瞬の出来事だったと言う。
耳を劈(つんざ)く轟音と白い閃光の中に彼女は消えてしまったと。

 激しい炎に全て飲み込まれ、何も残っていない。
戦地から帰ってきた僕に彼女の母親が、そう告げた。

 これは報いだろうか。
僕が誰かの大切な人を奪ったから。
運命が僕から彼女を奪ったのだろうか。

 帰郷してからずっと。
彼女を護れなかったという自責の念が僕を苛んでいた。

 夜の空気の向こうから楽しげな祭のざわめきが聴こえてくる。
けれど、今の僕にはそれがとても遠くに感じられた。

(帰ろう…)
 重い足取りでゆっくりと踵を返す。
何かと塞ぎがちな僕を気遣って、祭り見物に送り出してくれた家族には悪いけれど。

 あの中に。
誰もが笑う、あの煌きの中に。
とても入っていける気分では無かった。

「お祭り、行かないんですか?」
 突然、暗がりの中からそう問いかけられた。
びっくりして、闇の中に目を凝らし、再び、ぎょっとなる。
そこに立っていたのは狐のお面をつけた浴衣姿の女性だった。

「お祭り、行かないんですか?」
 驚きの余り言葉を失っていると、彼女はもう一度そう訊ねてきた。
声や背格好からして若い娘のようだった。
「…ああ、なんだか気分が乗らなくて…」
 正面から僕を見据える狐面の妙な迫力に押されて、僕はもごもごとそう答えた。
「そんな、勿体無いですよ。今日という日は今日しかないんですよ?」
 ずいずいとこちらの鼻先まで白い狐が迫ってきた。
「一緒に行きましょう!」
 唐突に。彼女の手が僕の手に触れる。
そして、僕の手を強引に、明るい方へと引っ張った。
「ちょっとちょっと…!」
 我ながら何が起こっているかも分からずに。
彼女の為すがままに引っ張られていく。

 その時、彼女の手を振り払えなかったのはきっと。
柔らかく温かいその手に、懐かしさを覚えてしまったから。

##########

 目が覚めたのは何時の事だったか。
暑い夏の夕暮れだったか。涼しい秋の夜だったか。
 たったひとつ覚えているのはあの人が。
眠っている私の傍で泣いていた事だけ。
 本当は「泣く事なんてなんだよ」と彼を慰めてあげたかった。
 もう逢えないと半ば覚悟していたのに。
約束通り帰ってきてくれた貴方に「おかえりなさい」と言いたかった。
 けれど、その時の私はとてもボンヤリとしていて。
とてもとても眠くて。何も言う事ができなかった。

 そんな私に一雫。熱い何かが染み渡った。
それは貴方の涙だった。

 貴方を悲しませている。

 そう想った瞬間。ボンヤリとしていた私の心が形を取り戻す。
そうして、目を見開くと遠くに、提灯の灯かりが見えた。

(きっと、あそこに貴方がいる)

 そう確信して一目散に、私を迎えるように輝くその光を目指した。

##########

 提灯の灯かりに照らされた参道を見知らぬ少女に手を引かれて歩く。
「ほらほら、早く早く!」
 宵闇と蝋燭の幽(かす)かな光で斑に染まった狐の顔が僕に笑いかけてくる。
「見て見て、綿菓子ですよ!」
 一体何がそんなに楽しいのか。彼女は子供のようにはしゃぎ、僕の手を引っ張る。
強引に連れて来られ、半ば困惑していた僕もそんな少女の様を見て、思わず苦笑した。

 参道の両脇に並んだ出店の1つで、中年の店主が綿菓子を作っていた。
まず、ドラム缶のような機械の中に黄(きい)ザラと呼ばれる粒の大きな黄褐色の砂糖を流し込む。
続いて、足踏み用のペダルを踏んで機械を動かし、溶けて糸状になった飴を消毒箸(割り箸)で絡め取っていく。

 昔から変わらぬ懐かしい甘い匂い。
店先で待っていた子供が出来上がった綿菓子を受け取って嬉しそうに笑う。
 祭りの風景は今も昔も変わらない。
只1つ、僕が笑えない大人になってしまった事を除いては。
 数秒だろうか。物思いしていた僕の手を、再び少女が引っ張った。
「行きましょう! あっちに金魚すくいがあるみたいですよ!」
「…綿菓子はいいのかい?」
 今までの態度からてっきり買うつもりだと思っていたが。
「食べられませんから」
 少女は自分の顔を覆う狐のお面を指差してあっさりとそう言い放つ。
そう答えた彼女の声色には少しだけ寂しげな色が混ざっていた。
「でも金魚すくいならできますよ!」
 けれどそれも一瞬の事。少女は明るい声を上げ、浴衣の袖を翻す。
「だから、早く行きましょう!」
「いや、急がなくても金魚すくいは逃げないって!」
「ぐずぐずしてたら、目玉の出目金や黒いのが獲られちゃいますから!」
 少女に手を引かれて小走りに。下駄を鳴らして駆けていく。
しっかりと握った彼女の手はしかし、今にも離れて消えてしまいそうな気がした。

##########

 彼の手を引いて、懐かしいお祭りの夜を歩く。
いつか私の手を引いてくれた優しい彼の手を今度は私が引っ張って進む。
 悲しみで曇った大切な男性(ひと)の表情(かお)が晴れるように。
お祭りの空気を吸っておどけてみせる。

 あっ。ちょっとだけ笑った。
たぶん苦笑だ。
それでもいい。もっと沢山笑って欲しい。

 辛い事も悲しい事もある人生で、それでも最後には笑えるように。
私の元気を分けてあげたい。

 私には身体が軽いと思えるくらい元気が満ちているのだもん。
そう自分を誤魔化して、笑顔を浮かべる。
 本当は分かっていた。自分の身体がスカスカな事くらい。
それでも今は彼だけの事しか考えない。

 どうか繋いだ手から元気が流れ込んで、彼の悲しみが消えますように。
かみさま…どうか、もうすこしだけ――。

##########

 神社の境内に設けられた櫓を囲んで人々が踊る。
老いも若きも、男も女も楽しげに。
 盆踊りは祖先や亡くなった人の供養の為に踊るだという。
亡くなった人々が同じようにあの世で楽しく踊れるようと願いを込めて。

 僕と狐面の少女は並んで、その光景を遠くから眺めていた。
2人とも黙って、それでも手は固く繋いだまま。
言いたい事は山ほどある。
けれど、心は簡単には言葉になってはくれなかった。

「今日は楽しかったですね…」
 最初に口を開いたのは彼女の方だった。
少女のその言葉を聞いて、ああ夢はもう終わりなのだと悟った。
 もうすぐ祭りは終わってしまう。
一夜の夢は朝がくれば、泡のように弾けて消える。
こんなにも優しく温かいのに。離れて消える運命(さだめ)にある。

 失いたくない。もう二度と離したくない。
そう想いを込めて、彼女の方を振り返る。
そこには狐の面が消え去った彼女の素顔があった。

 彼女は僕を見つめて優しく笑っていた。

「僕が悲しんでいたから…還ってきてくれたのか?」
 本当は引き止める為の言葉を言うつもりだった。
けれど、幸せそうに笑う少女を見て、僕の口から出たのはそんな言葉だった。
 彼女が傍にいてくれるのは僕の幸せ。
しかし、彼女の幸せはどうなのだろう?
不意に湧き上った不安が瞬く間に僕の心を占めていく。
僕の悲しみの所為で彼女が還ってきたのだとしたら、僕が彼女を不幸にしているのではないか。
そんな不安に心が揺らいだ。

「うん、半分はそうかな」
 笑ったまま、事も無げに彼女が答える。
ズキリと僕の心が軋みを上げた。
「…残りの半分は?」
でもその痛みは一瞬で消えてしまった。続けて告げられた彼女の言葉によって。
「私が貴方の傍にいたいとそう願ったから」
 恥ずかしそうにそう笑う少女。
僕はそんな彼女を思いっきり抱き締めた。
「! く…苦しいよ…」
 そう言われて慌てて力を緩めるが決して離さない。
 遠慮する必要など無かったのだ。
自分を、彼女の気持ちを疑ってしまったのが馬鹿みたいだ。
「もう二度と離さない…」
 彼女への想いが心から溢れ出て、そう言うのが精一杯だった。
「…ありがとう。私もずっと傍にいたかった…」
 唐突に腕の中から彼女の温かさが失われた。
少女の身体が急速に冷たくなっていき、しっかりと抱き締めている筈の腕から彼女の存在が消えていく。
「…ごめんね。時間みたい」
 そう弱弱しく彼女は微笑んだ。

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「…ごめんね。時間みたい」
 自分という心の輪郭があやふやになっていくのが分かった。
元通り、ボンヤリと意識に霞がかかっていく。
 何より残念なのは抱き締めてくれる彼の温もりが遠ざかっていく事だ。
「いくなっ!」
 遠くで彼が叫ぶ。
(ごめんね…)
 もう言葉すら出せない。
薄れいく視界の中で彼の目に涙が光っているのが見えた。
(ああ…また貴方を悲しませてしまった…)
 大切な男性(ひと)を悲しませない為に還ってきたのに。
(来年、きっと還ってくるから…)
 最後の力を振り絞って、彼の腕の中で背を伸ばす。
(約束するから…)
 自分の唇で彼の唇を塞ぐ。
精一杯の想いを込めて、夢中で彼の唇を味わう。
彼にそれに答えるように私の唇を優しく受け止めてくれた。

 何も感じられなくなった私の感覚に口づけの感触だけが。
熱くハッキリと感じられた。

 トクンと私の中で失くした筈の心臓が跳ねる。
(ああ…はじめてだっけ…)
 私はそう想った。

##########

 そして、夏は終わり。
季節が巡り、また夏が来る。

 その夢の続きがどうなったかを知る者はいない。
只一つ、この夏も人々が亡くなった人を悼み、想う気持ちだけは変わらない。
11/08/18 19:01更新 / 蔭ル。

■作者メッセージ
解説あるいは言い訳
 涙(体液)に含まれていた精によってゴーストさんは実体化した…という設定です。





皆さんに不評の旧版あとがき
読まない方がいいです。










台無し解説あるいは言い訳。
 涙(体液)に含まれていた精によって、ゴーストさんは実体化したのじゃよ。
涙スゲーな(笑)

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