すれちがいまちがい
「炎の猟犬よ!」
叫びとともに生み出された炎は虚空を走り、最後に残った魔物を貫いた。
「やれやれ、危ない所だったぜ」
周囲に倒れている魔物たちを見回して、背の高い男が息をついた。
「大丈夫か、ティム?」
彼は背後を振り返り、相棒である魔法使いを見る。
「だ、大丈夫。き、キールこそ平気…?」
ティムと呼ばれた小柄な少年は青ざめた顔で手にした杖にすがりつくように立っていた。
「いや全然大丈夫じゃないだろ、お前」
長身の青年―キールは苦笑しながら意地っ張りな親友へと歩み寄った。
「今日はこの辺にしよう。収穫もあったんだし、遺跡荒らしってのは引き際が肝心だ」
キールは華奢な相棒へ肩を貸すと半ば引きずるように来た道を引き返す。
「ごめん、キール…」
「別にいいって」
剣士のキールと魔法使いのティムはここ―古マノア遺跡を根城にする遺跡荒らしである。
古代の都市の遺跡に潜り、そこから価値のある物品を持ち帰り売りさばく、それが2人の生業だ。
無論、楽な仕事ではない。遺跡に棲み付いた魔物と魔物の仕掛けた罠が遺跡荒らしの行く手を阻む。
文字通り命がけ、ハイリスク・ハイリターンなヤクザな商売である。
故郷の農村の退屈な生活に反発したキールとそんな彼に強引に誘われた幼馴染のティムは
紆余曲折を経て、いっぱしの遺跡荒らしとして活動していた。
遺跡から帰還した2人は手に入れた宝を馴染みの店で売り払い、並んで通りを歩いていた。
「結構な稼ぎになったな」
だいぶ太った財布を思い浮かべてキールが満足げに笑う。
「これでしばらくは宿代に困らないね」
駆け出しの頃の極貧生活でも思い出したらしくティムはそんな返事を返した。
「ばっか、何貧乏くさい事言ってんだよ! ぱあっと使って命の洗濯でもしようぜ!」
キールは幼馴染の正面に回り込むと笑顔でそう主張する。
「命の洗濯って、"真夜中の華"の事!?」
ティムはだらしの無い顔をしている親友を呆れ顔で見上げた。
"真夜中の華"、それは歓楽街にあるいかがわしい店。
金次第で色んなサービスをしてくれるという噂だ。
そういう方面に奥手なティムは無論、店にいった事などない。
キールはここの所、まとまった金が入る度に店へと通っていた。
「どうだ、たまにはお前も一緒に?」
キールは鼻息を荒くして、相棒の顔を覗き込む。
「い、いいよ、ボクは! 一人で行ってくれば!」
ティムは顔を赤らめながら断る。
「仕方ないなー。じゃ、1人で行って来るわ!」
そう軽やかに宣言したキールはまるで足に羽根が生えたかのような
浮ついた足取りで雑踏の中へと消えていった。
「はあ…、買い物でもして帰ろう…」
1人残された少年は肩を落とすとトボトボと歩き始めた。
別に親友のプライベートをとやかく言うつもりはない。
心の中で言い訳しながら彼は通りを歩く。
(相棒だからって四六時中一緒にいなければならないわけでもないし。
ボクだって、たまに1人で静かに本でも読んで過ごしたい時だってある。)
キールの事を考えれば考えるほど、ティムの胸にモヤモヤしたものが溜まっていく。
特に帰ってきた友人が全身から安物の香水の臭いをプンプンさせているかと思うと憂鬱だ。
最近、ティムは幼馴染との間に隔たりを感じていた。
小さい頃のティムは仲間外れにされがちな子だった。
ちょっとだけ運動神経が悪く、気が弱いというだけで子供たちの輪から外されていた。
そんなティムに手を差し伸べてくれたのはキールだった。
面倒見が良い兄貴分―彼は3人兄弟の末っ子だったが―といった性格だったキールは
何くれとティムの世話を焼いてくれた。
後から聞いた話ではどうやらキールは弟が欲しかったらしい。
そういった関係が5年前まで続いた。
というのもティムが村を訪れた魔法使いに見いだされて、
3年ほど、魔法の勉強の為に町に出ていた為である。
(あの頃は毎月、キールに手紙を送っていたっけ。)
思わず懐かしくなって、空を見上げる。
親友に毎月手紙を送っていたものの、返事は良くて3回に一度。
しかも内容は村の近況を伝えるだけの素っ気ないもの。
(それでも返事が届いた時は妙に上機嫌になって、学友たちに気味悪がられたっけ。)
過去の失敗を思い出して、ティムは苦笑する。
3年で基礎を学び、彼は村に戻った。
それなりに才能があったティムを周囲は引き止めたものの、彼の決意は固かった。
彼が魔法を学んだ理由、それが村の役に立つ為、ひいてはキールの役に立つ為だったからだ。
ティムが帰郷して、ひと月、退屈な村の暮らしに我慢の限界を超えたキールが村を飛び出した。
キールを心配したティムはなし崩し的に同行する事となる。
それから約2年、2人で一緒に頑張ってきた。
以前なら収穫があれば2人でささやかな祝杯を上げていた。
とはいえ、2人とも酒は弱いので豪勢な食事をとってただけだが。
だが、キールの店通いのせいで、それも減っていた。
元々、ティムはお祭り騒ぎを好むような性質ではない。
となれば、1人寂しく祝杯を挙げる気にはなれなかった。
「こんにちは」
ドアが開き、来客を告げるベルがカラカラとなった。
「ああ、いらっしゃい! …って、ティム君、いい所に!」
ここはすっかり常連となった薬屋。
店に入ってきたティムを見て、店主が嬉しそうに声を上げた。
「どうかしたんですか?」
「実はねー。ちょっと困ってて」
と店主は訳を話し始める。
それはある人物が熱病にかかり、その解熱剤が足りないという話だった。
「ティム君、ベイビーブラックって知ってるよね?」
「ええ、小さい、黒いキノコですよね?」
ベイビーブラックは爪ほどの黒い傘を持つキノコだ。湿った場所を好み遺跡でも良く見かける。
「ちょっと行って採って来てくれないかな?」
店主は縋る様な眼差しでティムに頼み込んでくる。
「ええと…」
キールとは別れたのはだいぶ前だ。すでにアルコールが入っている可能性がある。
彼は酒に弱いから、酔っていては役に立たないだろう。
それに女の人に囲まれて、鼻の下をのばしている親友を見るのは嫌だ。
幸い、少し休んだおかげで体力も魔力もだいぶ回復している。
それにベイビーブラックが生えている場所は遺跡の浅い場所だ。
1人でも大丈夫だろう。
「分かりました」
ティムは店主の頼みを承諾すると1人遺跡へと向かった。
そこに待ち受ける運命など知らずに。
「よし、これくらいで十分かな?」
ティムは採取したキノコをズタ袋に入れて呟いた。すでに袋は一杯だ。
「日が暮れる前に帰らないと」
地下に広がる遺跡には昼も夜も無い。
だが、夜間は魔物の活動が活性化すると言われている。
ここまで運良く魔物には出くわさなかった。
だが、遺跡に滞在する時間が長ければ長いほど魔物に遭遇する確率は上昇する。
ティムは袋を肩に担ぐと遺跡の外を目指す。
大丈夫、四半刻も歩けば、安全圏に――。
その時、カツンと小さな音が暗闇に響いた。
自分の足音とは違う誰かの足音。それがゆっくりと前方から近づいてきている。
自分と同じ遺跡荒らし。ティムの脳裏にそんな考えが浮かぶ。
遺跡で同業者に出会うことも珍しい事ではない。
だが、彼は1つの違和感に気づいた。
(明かりが無い…!)
地下にある遺跡内は当然暗く、照明無しで歩き回れるような場所ではない。
事実、ティムもランタンを下げていた。
いや、暗闇でも歩き回れる存在はいる。
(魔物…!)
ティムは袋を放り出すと背負っていた杖を引き抜いた。
ランタンを掲げ、目を凝らすと1つの人影が闇に浮かんだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。魔法使いさん」
ランタンの光の中に入ってきたのは肌も露な女性だった。
勿論、普通の人間ではない。頭にねじくれた角を生やし、背に蝙蝠の翼を持つ魔物。
「サキュバス! どうして、こんな浅い場所に、こんな強力な魔物が!?」
思わぬ強敵の出現にティムはじりじりと後退する。
「うふふふ……知りたい?」
魔物はゆっくりと間合いを詰めながら妖艶に笑う。
その眼は舐め回すようにティムの全身を捉えている。
「それはね……遺跡の深い場所にやってくる男がムサい奴か、下品な奴しかいないからよ!」
沈黙。
「…話がよく分からないけど?」
呆気にとられたティムが思わず聞き返す。
「だから! 私はキミみたいな可愛い子が好みなの!!」
やっぱり、危機でした。
「逃げなくてもいいのよ? お姉さんと愉しい事しましょ?」
「そ、それ以上近づくと攻撃魔法を撃つよ!」
迫る魔物を制する為、ティムはそう叫んだ。
「あら怖い。じゃあ、キミがこっちに来て?」
サキュバスの双眸が妖しく輝くと不意にティムの身体が硬直した。
(あ…。)
声を上げる暇もなく意識にモヤがかかったように歪む。
我知らず、足を踏み出す。目の前にいるのは愛しい人だ。
愛しい人を愛するのに理性などいらない。己の欲望をぶつけろ。
内なる声の叫びはティムの意識を満たす。
「さあ、2人で行きましょう? 素敵な世界に」
頭から爪先まで貫くような感覚が頭を真っ白に塗りつぶし、
腰を中心として爆発する。
「っひゃはっ♪ 素敵よ、キミぃ。どんどん、あふれてくるぅ♪」
肉のぶつかる音。液体がかき回される音。
汗と体液の混じったむせ返るような匂い。喘ぎと嬌声の響き。
けれど、ティムの心は何も感じていなかった。
サキュバスの誘惑の魔法で縛られた意識と身体は貪る様に
己が欲望を満たしている。だが、ティムの心はそれをまるで他人事のように眺めていた。
果てしなく続く狂宴。
その中で華奢な少年の身体は疲労の頂点に達していた。
「うふふふ……頑張ったわね。でも、もう少し頑張れるようになって欲しいわ」
サキュバスは疲れ果てて眠りについた少年へと魔力を注ぐ。
少年をインキュバスへと変える為に。
透明な水の中に絵の具を垂らしたかのようにティムの世界が染まっていく。
ゆっくりと、しかし確実に彼は人ならざるものへと変貌していく。
(嫌だ…)
そこに至り、ティムの心に嫌悪と恐怖が湧き起こる。
(助けて、キール!)
心の中で親友の名を呼ぶ。
ああ、そうかとティムは納得する。
困窮した時に真っ先に浮かんだのは親友の、キールの事。
結局、ボクはキールが自分から離れていくのが怖かったのだと。
キールの行動に憤る事で自ら壁を作り、自分の中の寂しさを
誤魔化していただけだったのだと。
(ごめん、キール。でもボクはキミの傍にいたいだけだったんだ)
塗りつぶされていく世界にゆっくりとティムの心も溶けていく。
その心が消える瞬間、何かが砕ける音が少年の世界に響いた。
叫びとともに生み出された炎は虚空を走り、最後に残った魔物を貫いた。
「やれやれ、危ない所だったぜ」
周囲に倒れている魔物たちを見回して、背の高い男が息をついた。
「大丈夫か、ティム?」
彼は背後を振り返り、相棒である魔法使いを見る。
「だ、大丈夫。き、キールこそ平気…?」
ティムと呼ばれた小柄な少年は青ざめた顔で手にした杖にすがりつくように立っていた。
「いや全然大丈夫じゃないだろ、お前」
長身の青年―キールは苦笑しながら意地っ張りな親友へと歩み寄った。
「今日はこの辺にしよう。収穫もあったんだし、遺跡荒らしってのは引き際が肝心だ」
キールは華奢な相棒へ肩を貸すと半ば引きずるように来た道を引き返す。
「ごめん、キール…」
「別にいいって」
剣士のキールと魔法使いのティムはここ―古マノア遺跡を根城にする遺跡荒らしである。
古代の都市の遺跡に潜り、そこから価値のある物品を持ち帰り売りさばく、それが2人の生業だ。
無論、楽な仕事ではない。遺跡に棲み付いた魔物と魔物の仕掛けた罠が遺跡荒らしの行く手を阻む。
文字通り命がけ、ハイリスク・ハイリターンなヤクザな商売である。
故郷の農村の退屈な生活に反発したキールとそんな彼に強引に誘われた幼馴染のティムは
紆余曲折を経て、いっぱしの遺跡荒らしとして活動していた。
遺跡から帰還した2人は手に入れた宝を馴染みの店で売り払い、並んで通りを歩いていた。
「結構な稼ぎになったな」
だいぶ太った財布を思い浮かべてキールが満足げに笑う。
「これでしばらくは宿代に困らないね」
駆け出しの頃の極貧生活でも思い出したらしくティムはそんな返事を返した。
「ばっか、何貧乏くさい事言ってんだよ! ぱあっと使って命の洗濯でもしようぜ!」
キールは幼馴染の正面に回り込むと笑顔でそう主張する。
「命の洗濯って、"真夜中の華"の事!?」
ティムはだらしの無い顔をしている親友を呆れ顔で見上げた。
"真夜中の華"、それは歓楽街にあるいかがわしい店。
金次第で色んなサービスをしてくれるという噂だ。
そういう方面に奥手なティムは無論、店にいった事などない。
キールはここの所、まとまった金が入る度に店へと通っていた。
「どうだ、たまにはお前も一緒に?」
キールは鼻息を荒くして、相棒の顔を覗き込む。
「い、いいよ、ボクは! 一人で行ってくれば!」
ティムは顔を赤らめながら断る。
「仕方ないなー。じゃ、1人で行って来るわ!」
そう軽やかに宣言したキールはまるで足に羽根が生えたかのような
浮ついた足取りで雑踏の中へと消えていった。
「はあ…、買い物でもして帰ろう…」
1人残された少年は肩を落とすとトボトボと歩き始めた。
別に親友のプライベートをとやかく言うつもりはない。
心の中で言い訳しながら彼は通りを歩く。
(相棒だからって四六時中一緒にいなければならないわけでもないし。
ボクだって、たまに1人で静かに本でも読んで過ごしたい時だってある。)
キールの事を考えれば考えるほど、ティムの胸にモヤモヤしたものが溜まっていく。
特に帰ってきた友人が全身から安物の香水の臭いをプンプンさせているかと思うと憂鬱だ。
最近、ティムは幼馴染との間に隔たりを感じていた。
小さい頃のティムは仲間外れにされがちな子だった。
ちょっとだけ運動神経が悪く、気が弱いというだけで子供たちの輪から外されていた。
そんなティムに手を差し伸べてくれたのはキールだった。
面倒見が良い兄貴分―彼は3人兄弟の末っ子だったが―といった性格だったキールは
何くれとティムの世話を焼いてくれた。
後から聞いた話ではどうやらキールは弟が欲しかったらしい。
そういった関係が5年前まで続いた。
というのもティムが村を訪れた魔法使いに見いだされて、
3年ほど、魔法の勉強の為に町に出ていた為である。
(あの頃は毎月、キールに手紙を送っていたっけ。)
思わず懐かしくなって、空を見上げる。
親友に毎月手紙を送っていたものの、返事は良くて3回に一度。
しかも内容は村の近況を伝えるだけの素っ気ないもの。
(それでも返事が届いた時は妙に上機嫌になって、学友たちに気味悪がられたっけ。)
過去の失敗を思い出して、ティムは苦笑する。
3年で基礎を学び、彼は村に戻った。
それなりに才能があったティムを周囲は引き止めたものの、彼の決意は固かった。
彼が魔法を学んだ理由、それが村の役に立つ為、ひいてはキールの役に立つ為だったからだ。
ティムが帰郷して、ひと月、退屈な村の暮らしに我慢の限界を超えたキールが村を飛び出した。
キールを心配したティムはなし崩し的に同行する事となる。
それから約2年、2人で一緒に頑張ってきた。
以前なら収穫があれば2人でささやかな祝杯を上げていた。
とはいえ、2人とも酒は弱いので豪勢な食事をとってただけだが。
だが、キールの店通いのせいで、それも減っていた。
元々、ティムはお祭り騒ぎを好むような性質ではない。
となれば、1人寂しく祝杯を挙げる気にはなれなかった。
「こんにちは」
ドアが開き、来客を告げるベルがカラカラとなった。
「ああ、いらっしゃい! …って、ティム君、いい所に!」
ここはすっかり常連となった薬屋。
店に入ってきたティムを見て、店主が嬉しそうに声を上げた。
「どうかしたんですか?」
「実はねー。ちょっと困ってて」
と店主は訳を話し始める。
それはある人物が熱病にかかり、その解熱剤が足りないという話だった。
「ティム君、ベイビーブラックって知ってるよね?」
「ええ、小さい、黒いキノコですよね?」
ベイビーブラックは爪ほどの黒い傘を持つキノコだ。湿った場所を好み遺跡でも良く見かける。
「ちょっと行って採って来てくれないかな?」
店主は縋る様な眼差しでティムに頼み込んでくる。
「ええと…」
キールとは別れたのはだいぶ前だ。すでにアルコールが入っている可能性がある。
彼は酒に弱いから、酔っていては役に立たないだろう。
それに女の人に囲まれて、鼻の下をのばしている親友を見るのは嫌だ。
幸い、少し休んだおかげで体力も魔力もだいぶ回復している。
それにベイビーブラックが生えている場所は遺跡の浅い場所だ。
1人でも大丈夫だろう。
「分かりました」
ティムは店主の頼みを承諾すると1人遺跡へと向かった。
そこに待ち受ける運命など知らずに。
「よし、これくらいで十分かな?」
ティムは採取したキノコをズタ袋に入れて呟いた。すでに袋は一杯だ。
「日が暮れる前に帰らないと」
地下に広がる遺跡には昼も夜も無い。
だが、夜間は魔物の活動が活性化すると言われている。
ここまで運良く魔物には出くわさなかった。
だが、遺跡に滞在する時間が長ければ長いほど魔物に遭遇する確率は上昇する。
ティムは袋を肩に担ぐと遺跡の外を目指す。
大丈夫、四半刻も歩けば、安全圏に――。
その時、カツンと小さな音が暗闇に響いた。
自分の足音とは違う誰かの足音。それがゆっくりと前方から近づいてきている。
自分と同じ遺跡荒らし。ティムの脳裏にそんな考えが浮かぶ。
遺跡で同業者に出会うことも珍しい事ではない。
だが、彼は1つの違和感に気づいた。
(明かりが無い…!)
地下にある遺跡内は当然暗く、照明無しで歩き回れるような場所ではない。
事実、ティムもランタンを下げていた。
いや、暗闇でも歩き回れる存在はいる。
(魔物…!)
ティムは袋を放り出すと背負っていた杖を引き抜いた。
ランタンを掲げ、目を凝らすと1つの人影が闇に浮かんだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。魔法使いさん」
ランタンの光の中に入ってきたのは肌も露な女性だった。
勿論、普通の人間ではない。頭にねじくれた角を生やし、背に蝙蝠の翼を持つ魔物。
「サキュバス! どうして、こんな浅い場所に、こんな強力な魔物が!?」
思わぬ強敵の出現にティムはじりじりと後退する。
「うふふふ……知りたい?」
魔物はゆっくりと間合いを詰めながら妖艶に笑う。
その眼は舐め回すようにティムの全身を捉えている。
「それはね……遺跡の深い場所にやってくる男がムサい奴か、下品な奴しかいないからよ!」
沈黙。
「…話がよく分からないけど?」
呆気にとられたティムが思わず聞き返す。
「だから! 私はキミみたいな可愛い子が好みなの!!」
やっぱり、危機でした。
「逃げなくてもいいのよ? お姉さんと愉しい事しましょ?」
「そ、それ以上近づくと攻撃魔法を撃つよ!」
迫る魔物を制する為、ティムはそう叫んだ。
「あら怖い。じゃあ、キミがこっちに来て?」
サキュバスの双眸が妖しく輝くと不意にティムの身体が硬直した。
(あ…。)
声を上げる暇もなく意識にモヤがかかったように歪む。
我知らず、足を踏み出す。目の前にいるのは愛しい人だ。
愛しい人を愛するのに理性などいらない。己の欲望をぶつけろ。
内なる声の叫びはティムの意識を満たす。
「さあ、2人で行きましょう? 素敵な世界に」
頭から爪先まで貫くような感覚が頭を真っ白に塗りつぶし、
腰を中心として爆発する。
「っひゃはっ♪ 素敵よ、キミぃ。どんどん、あふれてくるぅ♪」
肉のぶつかる音。液体がかき回される音。
汗と体液の混じったむせ返るような匂い。喘ぎと嬌声の響き。
けれど、ティムの心は何も感じていなかった。
サキュバスの誘惑の魔法で縛られた意識と身体は貪る様に
己が欲望を満たしている。だが、ティムの心はそれをまるで他人事のように眺めていた。
果てしなく続く狂宴。
その中で華奢な少年の身体は疲労の頂点に達していた。
「うふふふ……頑張ったわね。でも、もう少し頑張れるようになって欲しいわ」
サキュバスは疲れ果てて眠りについた少年へと魔力を注ぐ。
少年をインキュバスへと変える為に。
透明な水の中に絵の具を垂らしたかのようにティムの世界が染まっていく。
ゆっくりと、しかし確実に彼は人ならざるものへと変貌していく。
(嫌だ…)
そこに至り、ティムの心に嫌悪と恐怖が湧き起こる。
(助けて、キール!)
心の中で親友の名を呼ぶ。
ああ、そうかとティムは納得する。
困窮した時に真っ先に浮かんだのは親友の、キールの事。
結局、ボクはキールが自分から離れていくのが怖かったのだと。
キールの行動に憤る事で自ら壁を作り、自分の中の寂しさを
誤魔化していただけだったのだと。
(ごめん、キール。でもボクはキミの傍にいたいだけだったんだ)
塗りつぶされていく世界にゆっくりとティムの心も溶けていく。
その心が消える瞬間、何かが砕ける音が少年の世界に響いた。
11/03/28 18:04更新 / 蔭ル。
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