あわあわスライムと冷静リョーシ
いつまでも続くと思っていた平穏。
私にとってのいつもで、それは日常と呼べるものだった。
朝起きれば彼の顔があって、こちらを振り向けば笑顔があって。
彼が笑えば、私も笑顔になる。
ちくちく痛む胸と、場違いなドキドキを抱きながら。
「ラムさんラムさん」
「なあにー?」
何気ない一言。
何でもないことのように思えて、名前を呼んでくれるのはすごく嬉しい。単純だとは分かっているんだけど、それでも。
私を嬉しくさせる一方で。
彼の次の一言で、私の『いつも』は、音を立てて、あっけなく。
「ラムさんって……モンスターだよね?」
一瞬で、崩れさった。
「うわーーん!」
「ほら、分かったから、そんなに泣くんじゃない。ああもう、水分が少なくなってきてるじゃないか」
「……落ち着くの」
「はいラムちゃん、ちーん」
「ずずずっ……ううっ、こんなのって、こんなのってぇ……」
泣きじゃくるスライムをセイレーンがあやし、塗れたティッシュを丸めながら聞く。
「それで? 彼氏君に正体がばれちゃったんだって?」
「そうなの……今まで頑張って隠してきたのに……うう」
「そっかぁー」
呆れた表情でチェシャ猫が口を開く。
「だから言ったじゃないか。魔物を隠し通すなんて無理だって。まともな人化の術を使えるようになってからっって忠告もしたさ」
「わ、分かってる……分かってたけど、でも……」
「……好きな人と少しでも早く一緒に居たかった。その気持ちを咎める者はここにはいない」
「ディネちゃん……」
「でもまだ完全にバレてはいないんだよね?」
「う、うん!」
「念のために聞くが……どんなやりとりをしたんだ?」
『うぇえええええっ!? そ、そそそそんなことはな、ない、よ、よ!?』
『そうなの?』
『そ、そうだよ! 何の証拠があって私がスライムだなんて!!』
『まだスライムだなんて言ってないけど』
『はうう!? で、でもちゃんと人間の体じゃない!』
『たまに輪郭歪んだり、足下にゼリーっぽいのが落ちてない?』
『シ、知ラナイナーキノセージャナイ?』
『固形物を食べてるの見たことないし……色つきの飲み物は露骨にさけてない?』
『こ、好みの問題だもん! お水が好きなの!』
『大人の女性って自称する割には僕の初等部時代の問題集開いては首傾げてるし』
『べ、勉強が苦手なだけだし!』
『時たま僕の股間に熱烈な視線を向けたと思えば涎垂らして目を輝かせては喉を鳴らすよね?』
『……実は君の恥骨がすっごい好みなの!』
『すごいカミングアウトだ。検尿の時に使った尿瓶を抱えて葛藤していたようだけど』
『い、いい機会だから私も調べてもらおうカナーって』
『その考えていたのに涎を滝のように流していたの……? 第一さ、普通の人間なら〈私は人間です〉ってプレートを首から下げる必要あるのかな?』
『…………』
『…………』
『…………落ち着いて聞いて』
『はい』
『当たり前と思っていることでも……再確認しなくちゃ、大切なことを見失うことも、あると思うの』
『そうですか』
『うん』
「ほーらバレてない!」
「少なくともあんたがアホの子ってことはバレバレだわ!」
チャシャ猫は頭を抱えると、ウンディーネの方を向く。
「なあ、もう少しマシな仕上がりにしてやれないか? 手遅れだとは思うけど」
「……チェシャは?」
「あたしじゃ無理だったよ……」
「……ライムも頑張ってはいるけど、限界はある。主に私の指導力」
「うん、まあ、そうだよねぇ……」
うなだれる二人をよそに、セイレーンは腕組みして首を傾げる。
「プレート作戦は失敗かあ……いっそ私が歌で暗示かけようか?」
「あたしの惑わしの力でも似たようなことはできるさ?」
「……頭の水をいじくってうやむやに……」
「ありがたいけど怖いよ皆! そういうのはダメ!」
「「「安全だよ?」」」
「そういう問題じゃないの!」
「結果的にぶっちゃけるしかないって、そんなこと言われても……ううう」
自然と涙が浮かぶ。体液か分泌液かも分からない、だが妙に冷たく感じる滴。
ふと、彼に出会ったときを思い出す。
忘れるはずもない。
土砂崩れで出来た深い穴に落ちて途方に暮れていた時に、事情も何も聞かず、ただせっせと階段を作り、私を導いてくれた。
もう少しスマートな方法があったのではないかと思わないでもないけど、とにかく彼が私のために何かしてくれたことに違いない。
怪我がないかだけ聞いて去ってしまった彼の後を追って、私生活をズサンにしがちな彼を助けるようになったのはそう長くはならなかった。
体を見回す。
ちゃんと人間の体になっている……と思いたいが、気を抜くとすぐに輪郭が崩れて、元の液体状のボディが出てきてしまう。
友人達も必死に指導してはくれるのだが、如何せん物わかりが悪い自分。ここまで出来たのも奇跡なくらいだ。
嫌われると思っていても、それでもいつもと同じく足は彼の自宅へ向く。意欲の赴くまま同じことしか出来ない自分に嫌悪すら覚える。
そんなことをぼんやりと重いながら、扉をノックする。
このノックという行為に慣れるのにも時間がかかったものだ。何せ元が液体だ。浸すことはあってもこの手が物を叩くことはあまりない。
扉が開く。
彼が顔を見せると、それだけで胸が高鳴る。
気が緩んでボロが出てないかと思いつつ、重い口を開く。
「あっあの」
「よく来てくれた、さあ入って入って」
「わた……え?」
顔を歪めて怖い表情を見せるかと思えば、彼は笑顔だった。しかも上機嫌な声で室内へ促してもいる。
どういうことかと思いつつも、勢いに圧されて「おじゃまします」と玄関に入る。
怒った顔も見てみたかったな、などと不謹慎なことを思いつつも進められたスリッパを履く。
座ったテーブルに置かれた水を煽ると、向かいに座った彼が真剣な表情で言った。
「なあラム」
「ふえ?」
「実はその水……『魔物娘が飲むと術が解ける水』なんだ」
「え……ええええーー!! そ、そんなことないよ! 私水に何が入ってるかミクロ単位で分かるもん!」
ミクロが実際どんな単位なのかは知らないが、驚いて水を見やり、できるだけさりげなく足を見る。
動揺のわりには動いていない足を見てほっとしつつ、
「そ、そうなんだー急にどうしてー?」
「ふむ……今君が履いてるスリッパも実は『魔物娘が履くとビックリするスリッパ』なんだ」
「う、ウソ!?!?」
「あ、ビックリした」
「はっ!? ち、違うもんビックリしてないもん!」
「……そうか……」
身を乗り出して熱弁する私と対極に、彼は沈痛な雰囲気。
わあかっこいい、と思いながらもヒヤヒヤする。
「君が今まで使ってきたウチのタオルも、鍋の蓋も、ティッシュも、お椀も、全て『魔物娘が使うとどうにかなってしまうシリーズ』だ」
「うそうそ!?」
「ウソだ」
「うそーーー!?」
「もう何かの鳴き声みたいだな。だが次のはホントウだ」
何が来てももう騙されるものか、と身構える。
彼はすっと指を持ち上げると、
「実は俺の唇は……『ラムが触れると恋に目覚める唇』なんだ」
「うそっ……んむっ!?」
「ぷはっ……どうだ?」
「は、はわわ、はわわわ……はっ! 騙されないよ! 私もう君に恋してるもん!」
「成る程。僕のは『ラムが吸われると愛を感じる唇』でもあるんだ」
「ほんとに――んむぅ、ん、ちゅる、うぅんむ」
「ぷは、どうかな」
「……………………はっ! 愛も感じてるもん! もーん!」
「なんと。では君は魔物娘かな?」
「そう……チガウヨ」
「本当に?」
「チガウヨ」
「ふむ。君は魔物娘ではないんだね?」
「ウンウン」
「そうか。つまりラムは魔物娘じゃなくはないんだね」
「うん!」
「……」
「……」
「……認めたね」
「ず、ずるい! 私がバカって知ってるくせに、ロジックはずるいよお! うわーーん!」
ガッツポーズをしている彼のテーブルで、今度こそ泣き崩れる。
流した滴に合わせて、いつの間にか体が半透明の、魔物のものへ戻ってしまっていた。
「これまで君と仲良く出来てたのに……もうダメだよおしまいだよぉお」
「そもそも何で俺が魔物娘が嫌いだと?」
「だってだって! 私が『スライム印のゼリー』出したら嫌そうな顔で食べなかったじゃない!」
「君のことだから気づかないで出してると思ってたよ……君的には共食いとかにはならないんだねアレ」
「任意の上ならセーフだよぉ! ……ん?」
「どうかしたかい?」
「あれ……君、私達は嫌いじゃないの?」
「いや全然」
「……あれ?」
「大体嫌悪する相手を疑っているならキスなんてしないさ。もっと別の方法をとる」
状況が飲み込めずぼーっとする私に、初めて出会った日と同じ笑顔で笑いかけ、
「ま、なんだ。改めてよろしく」
「…………はい」
「そういえばさっきのリョーシ君らしくない口説き方は何だったの?」
「あれか? 『君を虜にする魅惑の言葉の香〜マッドハッター語録〜 代筆:稲荷』に載ってた」
「ああ、道理で……」
私にとってのいつもで、それは日常と呼べるものだった。
朝起きれば彼の顔があって、こちらを振り向けば笑顔があって。
彼が笑えば、私も笑顔になる。
ちくちく痛む胸と、場違いなドキドキを抱きながら。
「ラムさんラムさん」
「なあにー?」
何気ない一言。
何でもないことのように思えて、名前を呼んでくれるのはすごく嬉しい。単純だとは分かっているんだけど、それでも。
私を嬉しくさせる一方で。
彼の次の一言で、私の『いつも』は、音を立てて、あっけなく。
「ラムさんって……モンスターだよね?」
一瞬で、崩れさった。
「うわーーん!」
「ほら、分かったから、そんなに泣くんじゃない。ああもう、水分が少なくなってきてるじゃないか」
「……落ち着くの」
「はいラムちゃん、ちーん」
「ずずずっ……ううっ、こんなのって、こんなのってぇ……」
泣きじゃくるスライムをセイレーンがあやし、塗れたティッシュを丸めながら聞く。
「それで? 彼氏君に正体がばれちゃったんだって?」
「そうなの……今まで頑張って隠してきたのに……うう」
「そっかぁー」
呆れた表情でチェシャ猫が口を開く。
「だから言ったじゃないか。魔物を隠し通すなんて無理だって。まともな人化の術を使えるようになってからっって忠告もしたさ」
「わ、分かってる……分かってたけど、でも……」
「……好きな人と少しでも早く一緒に居たかった。その気持ちを咎める者はここにはいない」
「ディネちゃん……」
「でもまだ完全にバレてはいないんだよね?」
「う、うん!」
「念のために聞くが……どんなやりとりをしたんだ?」
『うぇえええええっ!? そ、そそそそんなことはな、ない、よ、よ!?』
『そうなの?』
『そ、そうだよ! 何の証拠があって私がスライムだなんて!!』
『まだスライムだなんて言ってないけど』
『はうう!? で、でもちゃんと人間の体じゃない!』
『たまに輪郭歪んだり、足下にゼリーっぽいのが落ちてない?』
『シ、知ラナイナーキノセージャナイ?』
『固形物を食べてるの見たことないし……色つきの飲み物は露骨にさけてない?』
『こ、好みの問題だもん! お水が好きなの!』
『大人の女性って自称する割には僕の初等部時代の問題集開いては首傾げてるし』
『べ、勉強が苦手なだけだし!』
『時たま僕の股間に熱烈な視線を向けたと思えば涎垂らして目を輝かせては喉を鳴らすよね?』
『……実は君の恥骨がすっごい好みなの!』
『すごいカミングアウトだ。検尿の時に使った尿瓶を抱えて葛藤していたようだけど』
『い、いい機会だから私も調べてもらおうカナーって』
『その考えていたのに涎を滝のように流していたの……? 第一さ、普通の人間なら〈私は人間です〉ってプレートを首から下げる必要あるのかな?』
『…………』
『…………』
『…………落ち着いて聞いて』
『はい』
『当たり前と思っていることでも……再確認しなくちゃ、大切なことを見失うことも、あると思うの』
『そうですか』
『うん』
「ほーらバレてない!」
「少なくともあんたがアホの子ってことはバレバレだわ!」
チャシャ猫は頭を抱えると、ウンディーネの方を向く。
「なあ、もう少しマシな仕上がりにしてやれないか? 手遅れだとは思うけど」
「……チェシャは?」
「あたしじゃ無理だったよ……」
「……ライムも頑張ってはいるけど、限界はある。主に私の指導力」
「うん、まあ、そうだよねぇ……」
うなだれる二人をよそに、セイレーンは腕組みして首を傾げる。
「プレート作戦は失敗かあ……いっそ私が歌で暗示かけようか?」
「あたしの惑わしの力でも似たようなことはできるさ?」
「……頭の水をいじくってうやむやに……」
「ありがたいけど怖いよ皆! そういうのはダメ!」
「「「安全だよ?」」」
「そういう問題じゃないの!」
「結果的にぶっちゃけるしかないって、そんなこと言われても……ううう」
自然と涙が浮かぶ。体液か分泌液かも分からない、だが妙に冷たく感じる滴。
ふと、彼に出会ったときを思い出す。
忘れるはずもない。
土砂崩れで出来た深い穴に落ちて途方に暮れていた時に、事情も何も聞かず、ただせっせと階段を作り、私を導いてくれた。
もう少しスマートな方法があったのではないかと思わないでもないけど、とにかく彼が私のために何かしてくれたことに違いない。
怪我がないかだけ聞いて去ってしまった彼の後を追って、私生活をズサンにしがちな彼を助けるようになったのはそう長くはならなかった。
体を見回す。
ちゃんと人間の体になっている……と思いたいが、気を抜くとすぐに輪郭が崩れて、元の液体状のボディが出てきてしまう。
友人達も必死に指導してはくれるのだが、如何せん物わかりが悪い自分。ここまで出来たのも奇跡なくらいだ。
嫌われると思っていても、それでもいつもと同じく足は彼の自宅へ向く。意欲の赴くまま同じことしか出来ない自分に嫌悪すら覚える。
そんなことをぼんやりと重いながら、扉をノックする。
このノックという行為に慣れるのにも時間がかかったものだ。何せ元が液体だ。浸すことはあってもこの手が物を叩くことはあまりない。
扉が開く。
彼が顔を見せると、それだけで胸が高鳴る。
気が緩んでボロが出てないかと思いつつ、重い口を開く。
「あっあの」
「よく来てくれた、さあ入って入って」
「わた……え?」
顔を歪めて怖い表情を見せるかと思えば、彼は笑顔だった。しかも上機嫌な声で室内へ促してもいる。
どういうことかと思いつつも、勢いに圧されて「おじゃまします」と玄関に入る。
怒った顔も見てみたかったな、などと不謹慎なことを思いつつも進められたスリッパを履く。
座ったテーブルに置かれた水を煽ると、向かいに座った彼が真剣な表情で言った。
「なあラム」
「ふえ?」
「実はその水……『魔物娘が飲むと術が解ける水』なんだ」
「え……ええええーー!! そ、そんなことないよ! 私水に何が入ってるかミクロ単位で分かるもん!」
ミクロが実際どんな単位なのかは知らないが、驚いて水を見やり、できるだけさりげなく足を見る。
動揺のわりには動いていない足を見てほっとしつつ、
「そ、そうなんだー急にどうしてー?」
「ふむ……今君が履いてるスリッパも実は『魔物娘が履くとビックリするスリッパ』なんだ」
「う、ウソ!?!?」
「あ、ビックリした」
「はっ!? ち、違うもんビックリしてないもん!」
「……そうか……」
身を乗り出して熱弁する私と対極に、彼は沈痛な雰囲気。
わあかっこいい、と思いながらもヒヤヒヤする。
「君が今まで使ってきたウチのタオルも、鍋の蓋も、ティッシュも、お椀も、全て『魔物娘が使うとどうにかなってしまうシリーズ』だ」
「うそうそ!?」
「ウソだ」
「うそーーー!?」
「もう何かの鳴き声みたいだな。だが次のはホントウだ」
何が来てももう騙されるものか、と身構える。
彼はすっと指を持ち上げると、
「実は俺の唇は……『ラムが触れると恋に目覚める唇』なんだ」
「うそっ……んむっ!?」
「ぷはっ……どうだ?」
「は、はわわ、はわわわ……はっ! 騙されないよ! 私もう君に恋してるもん!」
「成る程。僕のは『ラムが吸われると愛を感じる唇』でもあるんだ」
「ほんとに――んむぅ、ん、ちゅる、うぅんむ」
「ぷは、どうかな」
「……………………はっ! 愛も感じてるもん! もーん!」
「なんと。では君は魔物娘かな?」
「そう……チガウヨ」
「本当に?」
「チガウヨ」
「ふむ。君は魔物娘ではないんだね?」
「ウンウン」
「そうか。つまりラムは魔物娘じゃなくはないんだね」
「うん!」
「……」
「……」
「……認めたね」
「ず、ずるい! 私がバカって知ってるくせに、ロジックはずるいよお! うわーーん!」
ガッツポーズをしている彼のテーブルで、今度こそ泣き崩れる。
流した滴に合わせて、いつの間にか体が半透明の、魔物のものへ戻ってしまっていた。
「これまで君と仲良く出来てたのに……もうダメだよおしまいだよぉお」
「そもそも何で俺が魔物娘が嫌いだと?」
「だってだって! 私が『スライム印のゼリー』出したら嫌そうな顔で食べなかったじゃない!」
「君のことだから気づかないで出してると思ってたよ……君的には共食いとかにはならないんだねアレ」
「任意の上ならセーフだよぉ! ……ん?」
「どうかしたかい?」
「あれ……君、私達は嫌いじゃないの?」
「いや全然」
「……あれ?」
「大体嫌悪する相手を疑っているならキスなんてしないさ。もっと別の方法をとる」
状況が飲み込めずぼーっとする私に、初めて出会った日と同じ笑顔で笑いかけ、
「ま、なんだ。改めてよろしく」
「…………はい」
「そういえばさっきのリョーシ君らしくない口説き方は何だったの?」
「あれか? 『君を虜にする魅惑の言葉の香〜マッドハッター語録〜 代筆:稲荷』に載ってた」
「ああ、道理で……」
15/01/03 19:06更新 / たたれっと
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