私と貴方と夢中のキス
「本当はね、あんたのこと…嫌いってわけじゃないんだよ。」
それはユウタの双子のお姉さん、アヤカの言葉。
私がユウタの背中を流そうとして脱衣所に侵入したところで私は彼女に連れ出された。
連れ出され、ここリビングのソファに座らされた。
まったくユウタったら。
大声上げてアヤカを呼ばなくてもいいじゃない。
別にあのまま入れてくれたっていいじゃない。
お礼として…受け取ってくれてもいいじゃないの。
そんな風に思いながらも私は手渡されてたクッションを抱きしめ、隣に並べられている同じソファに座ったアヤカを見た。
触れればそのまま沈んでいきそうな黒髪。
見ているだけで吸い込まれそうになる瞳。
ユウタと同じ色。
しかし感じるものはユウタとはまた違う。
顔を見てみた。
整った顔。
人間の中でも可愛いほうにはいる彼女の顔。
揃えられた眉。
桃色の唇。
くりくりっとした目。
肌には傷なんてものはなく、輝くような白い肌。
男性に受けがいいと思えるその造形。
女性にも受けがいいと思える。
おそらくそれなりに人気があるのではないだろうか。
リリムの私にもそう思えた。
「―…あたしはさ。」
彼女は言った。
私を見て、先ほどのように嫌な表情を浮かべずに。
これといった表情も見せないで。
「あたしは、あんたみないなのは嫌いなんだ。」
「っ!」
正面からまたとんでもないことを言われた。
また、今まで言われたことのない言葉だ。
嫌い。
そんな言葉を私に言うものは今までいなかった。
男性も女性も友人にさえもそんなことを言われなかった。
それを彼女はハッキリと言う。
私に向かって、面と向かって。
隠すこともなく、飾ることなく、婉曲させることもなく。
ただ真っ直ぐに。
「ああ、勘違いしないでね。あんたが嫌いっていうわけじゃなくて、『あんたみたい』なのが嫌いなの。」
「…。」
それはどういった違いがあるのだろうか。
私みたいなの?
それは…いったいどういうことだろうか?
「それってどういうことなの、アヤカ。」
「どうもこうも。」
彼女は淡々とした口調で言う。
変わらない口調で。
私を前にしても、ユウタを前にしたときと変わらない調子で。
でも、少しばかりうんざりとした声で。
「あんたみたいなのは今までに何度か会ってきたんだよ。…いや、違うや。
―何度もゆうたに引き寄せられてきてるんだよ。」
「…?」
意味が、わからない。
それは何がどういう意味なのだろう。
引き寄せられて?
それは…どういったことなのだろうか。
「昔っからそうなんだ、ゆうたは。」
アヤカは語り続ける。
「ことあるごとに『そういったもの』を引き寄せてくる。困ったことにそれが明らかに『人じゃないもの』なんだよ。」
「…人じゃない?」
「あんたに近いっていうのかな。」
アヤカは私は指差した。
私に…近い?
近いってそれは…?
「あるときはね、修学旅行先のところで変な京都弁を使う女の人に手を引かれてるのを見た。別にそれくらいならいいんだけどさ。その女の人…。」
そこでいったん切って彼女は続ける。
話していいのか迷ったわけじゃないだろう。
私に聞かせていいのか迷ったわけでもないだろう。
アヤカは言った。
「影にね、尻尾があったんだよ。」
「…?」
影に…尻尾?
「それも一つじゃなくて四つ。しかも頭には獣みたいな耳ときてる。あたしはそれが見えた。ゆうたはそれを見て見ないふりをしてた。周りにいたってはそれが見えてなかった。」
獣の耳?
そして四本の尻尾?
それは…稲荷や妖狐の類じゃないのだろうか?
アヤカは語り続ける。
「他にもいたよ。海に行けば髪の毛ピンク色、赤い帽子を被った女の人と話してた。海に浸かった状態だから体は見えなかったけどね、その女の人の下半身、あたしは潜って見たんだよ。」
「髪の毛がピンクで赤い帽子…?」
「そう。それでいて下半身は―赤い鱗の魚だった。」
「っ!」
それは間違いようがない特徴。
それは明らかに―メロウ。
猥談が好きなマーメイド種。
「まだまだいるよ。ゆうたが引き寄せてきたものは。」
アヤカは続ける。
「一番酷いのはお父さんの実家だよ。あの田舎にはそういうものが沢山いた。」
そう言って手を見せた。
握った手を。
それから指を立てていく。
「小さい頃からゆうたにやたら懐いた猫。あれはあたしと二人っきりになると…しゃべるんだよ。猫の癖に猫被ってさ。」
しゃべる…猫!?
それはワーキャットじゃないの…いや。
それはワーキャットじゃなくて、ジパングにいるっているネコマタという魔物じゃ…。
「おばあちゃんが大切にしてた提灯もゆうたが持つと嬉しそうに光るんだよ。」
提灯が…?
「それから。」
アヤカの顔が変わった。
一気に冷めた表情になった。
私に向けたあの表情にどことなく似ているその顔で。
彼女は続けた。
冷たい声色で。
それを言った。
「龍みたいな女と、吸血鬼の女。」
「っ!?」
「あたしが最初に言ったあんたみたいなの…それがあの二人なんだよ。」
それは驚くべきことだろう。
先ほどからアヤカの言葉はこの世界にも私達と同じ魔物がいるということにしか聞こえなかった。
だが、それが。
それが、そんな上位種までいるとは思わなかった。
龍みたいなの…それはおそらくドラゴン。
吸血鬼…それは確実にヴァンパイア。
こんな魔法のない世界に。
こんな人間しかいない世界に。
「あの二人は違うんだよ。今までゆうたに引き寄せられてきたそれとは明らかに違う。」
苦い表情だった。
その言葉をいうことがそれほど苦しいのか。
それとも苦しい思いをしてきたのか。
アヤカはしゃべり続ける。
「龍の女のほうはね、最悪だよ。人を見れば傷つけずにはいられない。人を見たら殺さずにはいられない。そんな変わった症状をもった奴だったよ。」
ゆうたの…師匠みたいにね。
そう付け加えるアヤカの顔は今までにないくらい歪んでた。
師匠。
その言葉を発するのがとても嫌だというように。
口にすること自体汚らわしいといわんばかりに。
とんでもないくらいの嫌悪を感じさせる声だった。
「それをゆうたと二人がかりで止めたんだけど―」
「―ちょっと待って。」
「…何?」
今アヤカはなんと言った?
ユウタと…二人がかりで…なんていった?
止めた?
たった二人で?
ドラゴンを?
「止めたって…二人で止めたの?」
「そりゃそうだよ。運よく周りは人がいない田舎のお父さんの実家で、あたしとゆうたの二人だけしかいないときに来たんだから。」
「…止めたってどうやって?」
「素手だけど?」
「素手!?」
素手って…素手でたった二人でドラゴンを止めるなんて!?
「言っとくけどね、あたしもゆうたも武術を嗜んでるからね。それなりには戦えるんだよ。」
「それなりって…。」
それなり程度じゃ敵う相手じゃないのに。
ドラゴンを相手にすることができるのは勇者や歴戦の戦士くらいなのに。
「ユウタは空手、あたしは―っとこの話はいいや。続けるよ。」
そう言ってアヤカは話を戻す。
先ほどの話を再開する。
「とにかくね、その龍みたいな女を止めて気づいたんだよ。」
「気づく?」
こくりと静かに頷くアヤカ。
そして静かに言った。
「―あれはゆうたを傷つける。」
静かな声だった。
小さな声だった。
闇から響いてくる悲しみに溢れた声にも聞こえた。
闇夜に響く小さな怒声にも聞こえた。
どうしてそんな声を出すのかわからない。
なんでそんな風に言ったのかもわからない。
「ゆうたはあの症状を知ってる。だからこそ自分なら彼女を止められる。そんなことを言ってた。」
それはきっとユウタの優しさだろう。
まだ出会って半日と経ってないけど、わかってしまう。
ユウタは優しい。
それも、とっても。
「でもね、それはゆうたが傷つくことなんだよ。あの馬鹿が体を張ってまであの女を助けるってことなんだよ。」
逆に言えばそれは。
ドラゴン側の彼女から言えば、それは。
「あっちからしてみればゆうたの優しさに甘えるだけ。甘えて、傷つけるだけ。あたしはそれが一番嫌いなんだよ…っ!!」
アヤカの声は震えていた。
注意して聞かないとわからないくらいにかすかなものだけど。
でも、震えている。
それはきっと怒りによって。
ユウタが傷つくことによって。
「あの吸血鬼もそうだったよ。夜買い物をしてたら急に襲われた相手だって言うのに…その相手にゆうたは自分の手首を切って血をあげたんだよ。」
「っ!!」
それは、あまりにも優しすぎる。
吸血鬼のために自ら手首を切ることなんてできるだろうか。
それ以前に、夜に襲われたって…!?
そんな相手に優しく接することができるものなのだろうか…?
「生きるために血を啜る。それが吸血鬼っていうんなら仕方ないとは思う。でもその吸血鬼はね、何度もゆうたの傍にやってきた。ゆうたから血を何度も分けてもらうためにね。」
だから。
アヤカは続ける。
苦虫を噛み潰したような表情で。
苦痛に歪めたその顔で。
「―だからあたしはそういうのが大嫌い。」
そう言った。
「ゆうたの優しさに甘えて、ゆうたを傷つける奴が大嫌い。」
静かな声。
「ゆうたは誰に対しても優しすぎる。その優しさに甘える奴は大嫌い。」
小さな声。
「ゆうたは十分傷ついた。蔑まれたこともあった。だから、もうそんなことはさせたくないんだよ。」
それでもハッキリと届くもの。
「それに似たものを、あんたから感じた。」
アヤカはそう言って私を見据えた。
黒い瞳で私を捉えた。
逃げられないように、束縛するように。
「ゆうたの優しさに甘えてる、そんなふうに感じた。」
「…。」
「ゆうたの背中に隠れて、ゆうたに守られてる、そんなものを感じた。」
「…。」
「まるでゆうたの優しさに甘えるあの二人と…いや、あの師匠を含めた三人と同じものをね。どう?違う?」
「…。」
答えられない。
否定できない。
初めて会ったユウタにそんなことをされたことはない。
甘えてるのは…確かに甘えたのだが、ユウタに守られたことはない。
ない、はずなのに。
どうして否定できないのだろう。
どうして違うといえないのだろう。
「不思議だよね。」
アヤカは言った。
「あんたとゆうたは今日初めて会ったっていうのにさ。ゆうたはなんだかそんな風に感じてなかったみたい。」
「…え?」
「本当に、不思議。」
彼女は立ち上がる。
クッションを投げ捨て、そしてまた私を見る。
「あんたからはそんなものを感じても、ゆうたを傷つけるようなものじゃないみたいだね。」
「…。」
「似てるけど、違うみたいだね。」
「…。」
「それなら別にいいよ。」
そう言った。
何がいいのだろうか。
私に対して何を許可しているのだろうか。
「あんたさ、ゆうたとどうしたいの?」
「…え?」
「だから、ゆうたと何をしたいのって聞いてるの。」
それは…。
それは、いったいどういうことだろうか?
聞いている意味はわかってる。
その言葉を理解している。
しかし、今ここでそれを聞くということは、どういうことかわからない。
でもアヤカは続ける。
そんな私を気にかけることはなく、続ける。
「ゆうたにもっと甘えたい?」
それは……。
「ゆうたにもっと触れてみたい?」
それは…っ。
「ゆうたともっと、親しくなりたい?」
それはっ!
「本当はもっと近づきたいんでしょ?」
彼女は続ける。
その声色は先ほどとはなんらかわりないもの。
単調で平坦で淡白なもの。
でも、何か違う。
まるで誘うように。
私の気持ちを見透かすように。
私の心を惑わすように。
―私を、リリムを魅了するように、言った。
「ゆうたの傍にいたい?」
いたい。
「ゆうたともっと親密になりたい?」
なりたい。
「ゆうたとキスしたい?」
それは…したい…っ。
「ゆうたと、そういうこと、したい?」
それは……したい…!!
「ならすれば?」
「…え?」
気の抜けるような言葉だった。
あまりにも軽すぎるものだった。
今までの問いかけはなんだったと聞きなるくらいに。
「本当は別にいいんだよ。ゆうたが傷つかなければ誰がゆうたとそういう関係になろうとさ。」
ただ。
アヤカの目が細められた。
黒い瞳に何かが宿った。
深くて底も見えない闇の中からまるで刃が飛び出すような。
触れれば体を切り裂かれてしまいそうな。
逃げても肌を切り裂き、そして命を絶つような。
本能にすり込ませる怖さのような。
光を奪われた闇の中を歩く恐ろしさのような。
生物的に語りかけてくる恐怖を。
そんな感覚を。
「―ゆうたを傷つけるのなら…その時はわかってる?」
その声が。
その瞳が。
その気迫が。
感じたことのないものを感じさせた。
背筋が凍るなんて表現が生易しく感じられる。
先ほどまで単調に語ってた彼女とは思えないくらいに。
初めて見たときのアヤカとはまた違う、あの嫌そうな表情がマシだったと思えるくらいに。
怖かった。
そんなアヤカを前にして私はただ頷くことしか出来ない。
それ以外をしたら死んでしまう、そんな風に思えるから。
彼女がまるで人間のように思えないから。
私が頷くのを見るとアヤカはそう、と短く言った。
途端に消えた。
先ほどまで感じた嫌な感覚が。
人のそれとは思えないものが。
一瞬にして、何事もなかったかのように。
「それならいいや。それなら改めてよろしく、フィオナ。」
そしてアヤカは私に手を差し伸べてきた。
ユウタが私にやってきたのと同じように。
似た動き、似た仕草。
さすが双子、よく似ていると感心する。
そんなアヤカを前に私は。
「よろしく、アヤカ。」
その手をとった。
そう言ってとったアヤカの手は人肌としてのぬくもりはあるのだけど…ユウタよりも冷たいものだった。
それから後はなんと言えばいいのだろう。
口で言い表すのは難しい、そんな感じだった。
アヤカから
「そういうことするんならリビングでしないでよ。変な匂いがつくんだから。あ、それから声も抑えてよね。」
なんて注意事項のように言われて早速私はお風呂場に向かおうとしたところを止められた。
どうやらユウタから言われたことを守るらしい。
そのためにも私をお風呂場には行かせないという。
やるところはきちんとやるらしい。
アヤカはそういったタイプなのだろう。
「あのねぇ、ゆうたに言われたでしょ?それにお風呂だって意外と匂いが篭るんだよ。まったく。」
そう言ってアヤカはソファの下においてあった大きなバックに手を入れた。
黒くつやつやしたそれは先ほどユウタが自転車の籠に入れていたもの。
おそらくあれはユウタのバッグなのだろう。
それを勝手に漁っている。
…言っちゃいけないことだと思うけど…アヤカって自由なのね。
そんな風に思っていると彼女はユウタのバッグからあるものを取り出した。
それ。
薄くて円状。
そして片面には人のようなものが描かれていてもう片面は…なんだろう?
鏡のようにきらきらしている。
不思議。
まるで宝石のように輝くそれを取り出したアヤカは私を見て笑った。
それも、とてつもない意地悪な笑みで。
とびきりの悪戯を思いついた子供のように。
それでも不思議なことに、それがどうみたところで可愛いとしか思えない。
「いいもの見せてあげる。これ見せてあげるんだからゆうたのところには行かないでよね?」
男の人を簡単に惑わせそうな小悪魔みたいに笑ってアヤカはそう言った。
そして見せられたものは…。
…口ではいえないものだろう。
確かに今までそういうものを目にしたことはあった。
お母様とお父様が交わっているのを見たことはあるし、お城の廊下や茂みの中でしている人たちを見たこともあった。
でも。
だからって。
いくら見ても平気というわけではない。
てれびというものに映ったそれ。
男女が絡み合っている姿だった。
「っ!!?」
「…まったく、ゆうたも何を借りてきてるんだか。」
そう言いつつもアヤカは楽しそうに見ていた。
いや、画面を見てるんじゃない、私の反応を見てる。
真っ赤になってクッションを抱きしめる私の姿を。
「ふぅ〜ん?淫魔の最高位っていうのに初心い反応だねぇ〜♪」
「ちょっと!これって!」
「そういうものだよ。流石にそっちの世界にはなかったんじゃないの?」
それはそうだ。
こんなものはない。
それ以前にてれびというものさえも存在しないのだから。
「リリムってサキュバスの最高位なんでしょ?で、サキュバスは淫魔なわけでしょ?それならニュースとかドラマとか見るよりもこっちのほうが好きなんじゃないの?ほらこれ見せてあげるんだからゆうたのところには行かないでよね。」
そう言ってアヤカはリビングから出て行った。
なんだったんだ。
あれはいったい何なんだ。
不思議なんて言葉じゃ表しきれない。
あまりにも勝手であまりにも自由で。
あまりにも予想外すぎる。
まるで嵐のような女性だ。
それでいて悪魔のような女の子。
底も見えない、何を思っているのかも読めない。
不思議としかいえない存在だ。
…なんだったのかしら、あれは。
することがないのでとりあえず先ほどからてれびというものを眺めることにした。
でも、いくら私がリリムだからといってこういうものを見せ付けるのはどうかと思う。
リリム、サキュバスの最高位、そして淫魔。
それでも恥じらいだってあるんだから。
…それでも。
してみたいとは思うけど。
…誰ともしたことはないのだらか。
先ほどのシーンは終わり、今はまた別の男女が絡み合おうとしている。
唇を重ねるだけのシーン。
これが先ほどのように激しくなって、それで…。
「っ!」
見ているだけで体が火照ってくる。
というか、アヤカはこんなものを見せて何がしたかったって言うの!?
こんな、こんなの…。
「…ユウタ。」
思わずユウタの名前が私の口から漏れた。
ユウタとしてみたら…どうなるだろう?
ユウタとキスしたら…どんな風に感じるだろう。
…わからない。
気持ち、いいのだろうか。
…わからない。
キスしたこともないから、わからない…っ。
それでも。
それでもしたいと思ってしまう。
どうして?
今まで会ってきた男の人とは思わなかったのに。
何で?
それは…相手がユウタだから?
そう思っていたら急にてれびが暗くなった。
「っ!」
「…。」
真っ暗なてれびに私が映る。
そしてその隣にはユウタが映った。
ユ、ユウタ!?
いつの間に来たのだろうか。
先ほどとは違う姿。
薄い寝巻きらしき服を着て、前面を大きく肌蹴てる。
少しばかり私の姿に近いかも。
大きく肌蹴たその姿。
寝巻きの間から見えるユウタの体は無駄な肉が付いていない筋肉質な体。
やはり着やせするタイプなのだろう。
…もっと、見てみたいかも。
そんな姿でなんとも気まずそうな顔をしていた。
…もしかしてユウタも見ていたのだろうか?
ユウタも…。
…ユウタも…。
………ユウタは…どうなのだろうか。
キス、したことはあるのだろうか。
ユウタは…。
そんな風に思いながらユウタに視線が移った。
ユウタの顔は真っ赤。
さっきまでお風呂に入っていたからというわけではないだろう。
それじゃあやっぱり…。
「えっと…その、テレビってすごいのねっ!」
考える前に口が動いていた。
「あ、ああ。まぁな。魔法がないからこうやって科学で補ってるんだよ。」
というのはユウタの言葉。
ただ単に私の言葉に返事したように聞こえるが、わかる。
沈黙にならないように気をつけてる。
沈黙になったら何をしでかすのかわからない。
重い空気の中、どうなってしまうかわからない。
そうなったら私も、きっと…。
「そういえば、さ。」
ユウタが何かを手に持って平静を保った声で言った。
そんな声を出してもユウタも内心ドキドキしているに違いない。
その証拠にいまだに視線は定まっていない。
でも、それは私も同じだけど。
「こんなの、飲む?」
そう言ってそれを手渡してきた。
透明な容器。
中には泡立った透明な液体が入っている。
…これは、薬だろうか?
それにしては容器はガラスのように硬くはない。
薬のような嫌な匂いもしない。
甘く、そして爽やかな香りだ。
「これは?」
「たぶんフィオナのいたとこじゃなかった飲み物。」
飲み物…。
確かにこんな飲み物はなかった。
こんな泡立つ液体もそうみたことはない。
私の親衛隊の隊長を務めているバフォメットが薬でそんなものを作っていた。
火にかけてもいないのに泡立っていたそれ。
色は紫、匂いは最悪な液体。
いったいあれは何だったんだろう。
わかったところで飲みたいとは思わないけど。
「そのままぐいっと。」
「ぐいっと?」
「そ。あ、でも刺激が強いからちょっとずつのほうがいいかも。」
刺激が強い…飲み物?
そんな言葉で思い浮かぶのは…お酒だろうか。
私も果実酒などいろいろと飲むけど…。
…どんなのかしら?
とにかく味だけでも。
そう思って一口含んで私は飲み込んだ。
―よく覚えているのはここまで。
そこから先はよくわかっていない。
私は何をしていたのかよくわからない。
どうしていたのか覚えてもいない。
ユウタから渡された飲み物を飲んだ、そこまでしか覚えてない。
その味も、それから先のことも何も知らない。
―…もしかしたら…私は寝ていたのだろうか?
そう…なのかもしれない。
なぜならそのような感覚だったから。
おぼろげながらに記憶にあるのはそんなものだったから。
体がふわふわするというか。
まるで中に浮いているかのような感覚だったから。
お酒に酔ったときというよりもあれは…夢。
そう、夢の中にいるかのような感覚だった。
やる事が何でも上手くいくような。
私にできないことは何一つもないような。
全てが全て思い通りにいくような。
そんな感覚。
そうだ。きっとそうなんだ。
私は夢を見ていたに違いない。
だからだろう。
ユウタの肩に頭を乗せて寄りかかっていたことは。
ユウタに頭を撫でてもらっていたことは。
全て夢の中のこと。
でも、それにしては。
私が今していることも、夢なのだろうか?
掴んだ手から伝わるユウタの腕の感触は。
体の下に感じる男らしい体の感触は。
肌が重なり、伝わってくる体温は。
石鹸の匂いに混じって香るものは。
―唇から感じる、ユウタの唇の感触は夢なのだろうか?
あまりにも柔らかく。
あまりにも現実的。
夢とは思えないけど、でも夢のような…。
「んんっ!?ん、んんー!!」
「ふむ、むぅっ♪」
こうしてキスしているのだがそれでも唇は開かない。
何度キスをしても隙間さえ開かない。
抵抗、してるのだろうか?
夢の中なのに上手くいかないものね。
夢の中にしてはなんというか…ユウタらしい。
本当ならもっと抵抗したのかもしれない。
私の体の下にいようとユウタは抵抗したのかもしれない。
私がいくら誘惑しても自分を傷つけてまで止まるぐらいのことは…。
ガラスの破片で自分を傷つけてまで…?
…何でだろう。
知らないはずなのにそんな光景が浮かんだ。
私の誘惑に抵抗するユウタの姿が。
はっきりとじゃない、それもまた夢のようなあやふやでおぼろげに。
なぜだか感じた。
わからない。でも。
だからだろう。
私の手はユウタの手首を掴んでいる。
だからだろう。
私は誘惑なんて手を使わずにこうしている。
夢の中だから、こうしている。
現実じゃないんだから好きにしてる。
ユウタが抵抗できないようにして。
それでいて、ユウタを好きにできるように。
しかしそれでも唇は閉ざされたまま。
舌を使って唇の間をなぞっても硬く閉じたまま。
…それなら。
少し唇を離した。
その瞬間を待っていたというようにユウタは顔を背けて荒い息を吐く。
肩が上下するほどの呼吸をして。
それで私の体から逃げるように体を捩じらせた。
私の体の下で。
ソファと私の体の間で。
「はぁ、はぁっ、待てよっ!フィオ、ナっ!!」
そう言って私に向けた顔は真っ赤になっている。
恥じらいによるものか、照れによるものか。
それとも私とキスしたことによる興奮によるものか。
その表情が、可愛らしい。
そして、私の方を向いて口を開けたそれが私の狙っていたこと。
私はそれを狙ってまた唇を重ねた。
今度はさらに深くまで。
舌まで使って貪るように。
「んんむぅっ!!?」
「はぁむっ♪ん、んんむ♪ちゅ♪」
どろどろとした唾液を流し込んで。
その分ユウタの口の中から啜って。
貪るように舌を動かし、嘗め回す。
途中でユウタが押し返すように舌を突き出してきたのだが力が入っていなくて私の舌と絡み合った。
「ちゅ、はんん♪ふぁ、んん…んちゅ♪」
とても癖になる。
味はないはずなのにとても甘く感じる。
先ほどの飲み物の味を覚えてるわけじゃないけどそれでもそれよりもずっと甘い。
今までだって甘いものを口にすることはあったけど今までよりもずっと甘いもの。
蕩けるような、溶かすような。
とても甘くて、酔ってしまうキス。
そう言い切れる。
そのまま唇を離し、そしてまた重ねる。
荒々しくなってしまうのは仕方ない。
ユウタが暴れようとするのだから。
だけど何度も唇を重ねるたびにその抵抗の力は弱くなっていく。
掴んだ手首からは力が抜けて、手に持っていたあの容器を取り落とした。
かたんと軽い音を立てて床に落ちる音が聞こえる。
でも、そんなものを気にする暇はない。
今はこの行為を楽しみ似たい。
ユウタとのキスを堪能したい。
これが夢だというのなら。
夢だとわかっているのなら。
―せめて、今だけでも…。
ユウタの体が動きを止めた。
捩ることも私の体を押しのけようともしない。
完全に抵抗の意を失ったように見える。
ユウタから求めるようなことはしてくれないけど…でも。
これで十分しやすくなった。
それがわかって私は唇を離した。
二人の間に繋がる銀色の橋。
それは途中で切れてユウタの口の下に落ちた。
「はぁ、はぁ…はぁ…っ…!」
睨むような、脅すような表情のユウタ。
それは先ほどみたアヤカの顔に良く似ているのだがそれでも恐ろしくはなかった。
顔は赤く、睨んでいるというよりも興奮を紛らわせようとしている表情にも見える。
それが私の中の願望にさらに火をつけた。
「ユウタぁ♪」
もう一度キスをしようか?
それはとても魅力的だ。
しかし、それよりも…。
先ほどから感じている硬いもの。
私の体、ちょうど下腹部に当たる熱く滾ったもの。
それがなんだかわからないわけじゃない。
夢の中だろうとわからないわけじゃない。
それがユウタのだということはわかってる…!
今まで触れたこともない。
それでも感じるこの鉄のように硬い感触は。
それでも伝わる燃えるような熱は。
夢、なのだろうか?
…うん、きっと夢だ。
だから、何でも上手くいく。
きっと、このまましても…。
「待てよ、フィオナ…っ!」
熱に浮かされながらもそういったユウタ。
顔を真っ赤にして何とか抵抗しようとするその姿。
寝巻きは乱れ、先ほどよりも肌の露出も増えている。
ぞくりと、した。
リリムとしての本能が疼きだした。
―いい、よね…?このまましちゃっても…。
どうせ夢なのだから。
どうしたって夢なのだから。
現実では叶わないとしても、夢の中ぐらいなら…。
だから。
私はユウタの体に手を這わせ、再び顔を近づけ、そして行為を進めようと。
更なる先をしようとしてゆっくり身を寄せた―
―頭に衝撃が走った。
「っ!?」
鈍い衝撃。
それでも殴られたようなものじゃない。
頭の中を直接揺さぶるような衝撃だった。
それを受けたと思ったときには既に私の意識は闇に沈んでいった。
何をされたのかわからない。
ただ眠るような感覚。
自然と眠りに落ちるような感覚だった。
ただ、聞こえた。
意識が落ちる前に一言。
聞こえたような、気がした…。
「リビングでするなって言ったでしょーが。まったく。」
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
それはユウタの双子のお姉さん、アヤカの言葉。
私がユウタの背中を流そうとして脱衣所に侵入したところで私は彼女に連れ出された。
連れ出され、ここリビングのソファに座らされた。
まったくユウタったら。
大声上げてアヤカを呼ばなくてもいいじゃない。
別にあのまま入れてくれたっていいじゃない。
お礼として…受け取ってくれてもいいじゃないの。
そんな風に思いながらも私は手渡されてたクッションを抱きしめ、隣に並べられている同じソファに座ったアヤカを見た。
触れればそのまま沈んでいきそうな黒髪。
見ているだけで吸い込まれそうになる瞳。
ユウタと同じ色。
しかし感じるものはユウタとはまた違う。
顔を見てみた。
整った顔。
人間の中でも可愛いほうにはいる彼女の顔。
揃えられた眉。
桃色の唇。
くりくりっとした目。
肌には傷なんてものはなく、輝くような白い肌。
男性に受けがいいと思えるその造形。
女性にも受けがいいと思える。
おそらくそれなりに人気があるのではないだろうか。
リリムの私にもそう思えた。
「―…あたしはさ。」
彼女は言った。
私を見て、先ほどのように嫌な表情を浮かべずに。
これといった表情も見せないで。
「あたしは、あんたみないなのは嫌いなんだ。」
「っ!」
正面からまたとんでもないことを言われた。
また、今まで言われたことのない言葉だ。
嫌い。
そんな言葉を私に言うものは今までいなかった。
男性も女性も友人にさえもそんなことを言われなかった。
それを彼女はハッキリと言う。
私に向かって、面と向かって。
隠すこともなく、飾ることなく、婉曲させることもなく。
ただ真っ直ぐに。
「ああ、勘違いしないでね。あんたが嫌いっていうわけじゃなくて、『あんたみたい』なのが嫌いなの。」
「…。」
それはどういった違いがあるのだろうか。
私みたいなの?
それは…いったいどういうことだろうか?
「それってどういうことなの、アヤカ。」
「どうもこうも。」
彼女は淡々とした口調で言う。
変わらない口調で。
私を前にしても、ユウタを前にしたときと変わらない調子で。
でも、少しばかりうんざりとした声で。
「あんたみたいなのは今までに何度か会ってきたんだよ。…いや、違うや。
―何度もゆうたに引き寄せられてきてるんだよ。」
「…?」
意味が、わからない。
それは何がどういう意味なのだろう。
引き寄せられて?
それは…どういったことなのだろうか。
「昔っからそうなんだ、ゆうたは。」
アヤカは語り続ける。
「ことあるごとに『そういったもの』を引き寄せてくる。困ったことにそれが明らかに『人じゃないもの』なんだよ。」
「…人じゃない?」
「あんたに近いっていうのかな。」
アヤカは私は指差した。
私に…近い?
近いってそれは…?
「あるときはね、修学旅行先のところで変な京都弁を使う女の人に手を引かれてるのを見た。別にそれくらいならいいんだけどさ。その女の人…。」
そこでいったん切って彼女は続ける。
話していいのか迷ったわけじゃないだろう。
私に聞かせていいのか迷ったわけでもないだろう。
アヤカは言った。
「影にね、尻尾があったんだよ。」
「…?」
影に…尻尾?
「それも一つじゃなくて四つ。しかも頭には獣みたいな耳ときてる。あたしはそれが見えた。ゆうたはそれを見て見ないふりをしてた。周りにいたってはそれが見えてなかった。」
獣の耳?
そして四本の尻尾?
それは…稲荷や妖狐の類じゃないのだろうか?
アヤカは語り続ける。
「他にもいたよ。海に行けば髪の毛ピンク色、赤い帽子を被った女の人と話してた。海に浸かった状態だから体は見えなかったけどね、その女の人の下半身、あたしは潜って見たんだよ。」
「髪の毛がピンクで赤い帽子…?」
「そう。それでいて下半身は―赤い鱗の魚だった。」
「っ!」
それは間違いようがない特徴。
それは明らかに―メロウ。
猥談が好きなマーメイド種。
「まだまだいるよ。ゆうたが引き寄せてきたものは。」
アヤカは続ける。
「一番酷いのはお父さんの実家だよ。あの田舎にはそういうものが沢山いた。」
そう言って手を見せた。
握った手を。
それから指を立てていく。
「小さい頃からゆうたにやたら懐いた猫。あれはあたしと二人っきりになると…しゃべるんだよ。猫の癖に猫被ってさ。」
しゃべる…猫!?
それはワーキャットじゃないの…いや。
それはワーキャットじゃなくて、ジパングにいるっているネコマタという魔物じゃ…。
「おばあちゃんが大切にしてた提灯もゆうたが持つと嬉しそうに光るんだよ。」
提灯が…?
「それから。」
アヤカの顔が変わった。
一気に冷めた表情になった。
私に向けたあの表情にどことなく似ているその顔で。
彼女は続けた。
冷たい声色で。
それを言った。
「龍みたいな女と、吸血鬼の女。」
「っ!?」
「あたしが最初に言ったあんたみたいなの…それがあの二人なんだよ。」
それは驚くべきことだろう。
先ほどからアヤカの言葉はこの世界にも私達と同じ魔物がいるということにしか聞こえなかった。
だが、それが。
それが、そんな上位種までいるとは思わなかった。
龍みたいなの…それはおそらくドラゴン。
吸血鬼…それは確実にヴァンパイア。
こんな魔法のない世界に。
こんな人間しかいない世界に。
「あの二人は違うんだよ。今までゆうたに引き寄せられてきたそれとは明らかに違う。」
苦い表情だった。
その言葉をいうことがそれほど苦しいのか。
それとも苦しい思いをしてきたのか。
アヤカはしゃべり続ける。
「龍の女のほうはね、最悪だよ。人を見れば傷つけずにはいられない。人を見たら殺さずにはいられない。そんな変わった症状をもった奴だったよ。」
ゆうたの…師匠みたいにね。
そう付け加えるアヤカの顔は今までにないくらい歪んでた。
師匠。
その言葉を発するのがとても嫌だというように。
口にすること自体汚らわしいといわんばかりに。
とんでもないくらいの嫌悪を感じさせる声だった。
「それをゆうたと二人がかりで止めたんだけど―」
「―ちょっと待って。」
「…何?」
今アヤカはなんと言った?
ユウタと…二人がかりで…なんていった?
止めた?
たった二人で?
ドラゴンを?
「止めたって…二人で止めたの?」
「そりゃそうだよ。運よく周りは人がいない田舎のお父さんの実家で、あたしとゆうたの二人だけしかいないときに来たんだから。」
「…止めたってどうやって?」
「素手だけど?」
「素手!?」
素手って…素手でたった二人でドラゴンを止めるなんて!?
「言っとくけどね、あたしもゆうたも武術を嗜んでるからね。それなりには戦えるんだよ。」
「それなりって…。」
それなり程度じゃ敵う相手じゃないのに。
ドラゴンを相手にすることができるのは勇者や歴戦の戦士くらいなのに。
「ユウタは空手、あたしは―っとこの話はいいや。続けるよ。」
そう言ってアヤカは話を戻す。
先ほどの話を再開する。
「とにかくね、その龍みたいな女を止めて気づいたんだよ。」
「気づく?」
こくりと静かに頷くアヤカ。
そして静かに言った。
「―あれはゆうたを傷つける。」
静かな声だった。
小さな声だった。
闇から響いてくる悲しみに溢れた声にも聞こえた。
闇夜に響く小さな怒声にも聞こえた。
どうしてそんな声を出すのかわからない。
なんでそんな風に言ったのかもわからない。
「ゆうたはあの症状を知ってる。だからこそ自分なら彼女を止められる。そんなことを言ってた。」
それはきっとユウタの優しさだろう。
まだ出会って半日と経ってないけど、わかってしまう。
ユウタは優しい。
それも、とっても。
「でもね、それはゆうたが傷つくことなんだよ。あの馬鹿が体を張ってまであの女を助けるってことなんだよ。」
逆に言えばそれは。
ドラゴン側の彼女から言えば、それは。
「あっちからしてみればゆうたの優しさに甘えるだけ。甘えて、傷つけるだけ。あたしはそれが一番嫌いなんだよ…っ!!」
アヤカの声は震えていた。
注意して聞かないとわからないくらいにかすかなものだけど。
でも、震えている。
それはきっと怒りによって。
ユウタが傷つくことによって。
「あの吸血鬼もそうだったよ。夜買い物をしてたら急に襲われた相手だって言うのに…その相手にゆうたは自分の手首を切って血をあげたんだよ。」
「っ!!」
それは、あまりにも優しすぎる。
吸血鬼のために自ら手首を切ることなんてできるだろうか。
それ以前に、夜に襲われたって…!?
そんな相手に優しく接することができるものなのだろうか…?
「生きるために血を啜る。それが吸血鬼っていうんなら仕方ないとは思う。でもその吸血鬼はね、何度もゆうたの傍にやってきた。ゆうたから血を何度も分けてもらうためにね。」
だから。
アヤカは続ける。
苦虫を噛み潰したような表情で。
苦痛に歪めたその顔で。
「―だからあたしはそういうのが大嫌い。」
そう言った。
「ゆうたの優しさに甘えて、ゆうたを傷つける奴が大嫌い。」
静かな声。
「ゆうたは誰に対しても優しすぎる。その優しさに甘える奴は大嫌い。」
小さな声。
「ゆうたは十分傷ついた。蔑まれたこともあった。だから、もうそんなことはさせたくないんだよ。」
それでもハッキリと届くもの。
「それに似たものを、あんたから感じた。」
アヤカはそう言って私を見据えた。
黒い瞳で私を捉えた。
逃げられないように、束縛するように。
「ゆうたの優しさに甘えてる、そんなふうに感じた。」
「…。」
「ゆうたの背中に隠れて、ゆうたに守られてる、そんなものを感じた。」
「…。」
「まるでゆうたの優しさに甘えるあの二人と…いや、あの師匠を含めた三人と同じものをね。どう?違う?」
「…。」
答えられない。
否定できない。
初めて会ったユウタにそんなことをされたことはない。
甘えてるのは…確かに甘えたのだが、ユウタに守られたことはない。
ない、はずなのに。
どうして否定できないのだろう。
どうして違うといえないのだろう。
「不思議だよね。」
アヤカは言った。
「あんたとゆうたは今日初めて会ったっていうのにさ。ゆうたはなんだかそんな風に感じてなかったみたい。」
「…え?」
「本当に、不思議。」
彼女は立ち上がる。
クッションを投げ捨て、そしてまた私を見る。
「あんたからはそんなものを感じても、ゆうたを傷つけるようなものじゃないみたいだね。」
「…。」
「似てるけど、違うみたいだね。」
「…。」
「それなら別にいいよ。」
そう言った。
何がいいのだろうか。
私に対して何を許可しているのだろうか。
「あんたさ、ゆうたとどうしたいの?」
「…え?」
「だから、ゆうたと何をしたいのって聞いてるの。」
それは…。
それは、いったいどういうことだろうか?
聞いている意味はわかってる。
その言葉を理解している。
しかし、今ここでそれを聞くということは、どういうことかわからない。
でもアヤカは続ける。
そんな私を気にかけることはなく、続ける。
「ゆうたにもっと甘えたい?」
それは……。
「ゆうたにもっと触れてみたい?」
それは…っ。
「ゆうたともっと、親しくなりたい?」
それはっ!
「本当はもっと近づきたいんでしょ?」
彼女は続ける。
その声色は先ほどとはなんらかわりないもの。
単調で平坦で淡白なもの。
でも、何か違う。
まるで誘うように。
私の気持ちを見透かすように。
私の心を惑わすように。
―私を、リリムを魅了するように、言った。
「ゆうたの傍にいたい?」
いたい。
「ゆうたともっと親密になりたい?」
なりたい。
「ゆうたとキスしたい?」
それは…したい…っ。
「ゆうたと、そういうこと、したい?」
それは……したい…!!
「ならすれば?」
「…え?」
気の抜けるような言葉だった。
あまりにも軽すぎるものだった。
今までの問いかけはなんだったと聞きなるくらいに。
「本当は別にいいんだよ。ゆうたが傷つかなければ誰がゆうたとそういう関係になろうとさ。」
ただ。
アヤカの目が細められた。
黒い瞳に何かが宿った。
深くて底も見えない闇の中からまるで刃が飛び出すような。
触れれば体を切り裂かれてしまいそうな。
逃げても肌を切り裂き、そして命を絶つような。
本能にすり込ませる怖さのような。
光を奪われた闇の中を歩く恐ろしさのような。
生物的に語りかけてくる恐怖を。
そんな感覚を。
「―ゆうたを傷つけるのなら…その時はわかってる?」
その声が。
その瞳が。
その気迫が。
感じたことのないものを感じさせた。
背筋が凍るなんて表現が生易しく感じられる。
先ほどまで単調に語ってた彼女とは思えないくらいに。
初めて見たときのアヤカとはまた違う、あの嫌そうな表情がマシだったと思えるくらいに。
怖かった。
そんなアヤカを前にして私はただ頷くことしか出来ない。
それ以外をしたら死んでしまう、そんな風に思えるから。
彼女がまるで人間のように思えないから。
私が頷くのを見るとアヤカはそう、と短く言った。
途端に消えた。
先ほどまで感じた嫌な感覚が。
人のそれとは思えないものが。
一瞬にして、何事もなかったかのように。
「それならいいや。それなら改めてよろしく、フィオナ。」
そしてアヤカは私に手を差し伸べてきた。
ユウタが私にやってきたのと同じように。
似た動き、似た仕草。
さすが双子、よく似ていると感心する。
そんなアヤカを前に私は。
「よろしく、アヤカ。」
その手をとった。
そう言ってとったアヤカの手は人肌としてのぬくもりはあるのだけど…ユウタよりも冷たいものだった。
それから後はなんと言えばいいのだろう。
口で言い表すのは難しい、そんな感じだった。
アヤカから
「そういうことするんならリビングでしないでよ。変な匂いがつくんだから。あ、それから声も抑えてよね。」
なんて注意事項のように言われて早速私はお風呂場に向かおうとしたところを止められた。
どうやらユウタから言われたことを守るらしい。
そのためにも私をお風呂場には行かせないという。
やるところはきちんとやるらしい。
アヤカはそういったタイプなのだろう。
「あのねぇ、ゆうたに言われたでしょ?それにお風呂だって意外と匂いが篭るんだよ。まったく。」
そう言ってアヤカはソファの下においてあった大きなバックに手を入れた。
黒くつやつやしたそれは先ほどユウタが自転車の籠に入れていたもの。
おそらくあれはユウタのバッグなのだろう。
それを勝手に漁っている。
…言っちゃいけないことだと思うけど…アヤカって自由なのね。
そんな風に思っていると彼女はユウタのバッグからあるものを取り出した。
それ。
薄くて円状。
そして片面には人のようなものが描かれていてもう片面は…なんだろう?
鏡のようにきらきらしている。
不思議。
まるで宝石のように輝くそれを取り出したアヤカは私を見て笑った。
それも、とてつもない意地悪な笑みで。
とびきりの悪戯を思いついた子供のように。
それでも不思議なことに、それがどうみたところで可愛いとしか思えない。
「いいもの見せてあげる。これ見せてあげるんだからゆうたのところには行かないでよね?」
男の人を簡単に惑わせそうな小悪魔みたいに笑ってアヤカはそう言った。
そして見せられたものは…。
…口ではいえないものだろう。
確かに今までそういうものを目にしたことはあった。
お母様とお父様が交わっているのを見たことはあるし、お城の廊下や茂みの中でしている人たちを見たこともあった。
でも。
だからって。
いくら見ても平気というわけではない。
てれびというものに映ったそれ。
男女が絡み合っている姿だった。
「っ!!?」
「…まったく、ゆうたも何を借りてきてるんだか。」
そう言いつつもアヤカは楽しそうに見ていた。
いや、画面を見てるんじゃない、私の反応を見てる。
真っ赤になってクッションを抱きしめる私の姿を。
「ふぅ〜ん?淫魔の最高位っていうのに初心い反応だねぇ〜♪」
「ちょっと!これって!」
「そういうものだよ。流石にそっちの世界にはなかったんじゃないの?」
それはそうだ。
こんなものはない。
それ以前にてれびというものさえも存在しないのだから。
「リリムってサキュバスの最高位なんでしょ?で、サキュバスは淫魔なわけでしょ?それならニュースとかドラマとか見るよりもこっちのほうが好きなんじゃないの?ほらこれ見せてあげるんだからゆうたのところには行かないでよね。」
そう言ってアヤカはリビングから出て行った。
なんだったんだ。
あれはいったい何なんだ。
不思議なんて言葉じゃ表しきれない。
あまりにも勝手であまりにも自由で。
あまりにも予想外すぎる。
まるで嵐のような女性だ。
それでいて悪魔のような女の子。
底も見えない、何を思っているのかも読めない。
不思議としかいえない存在だ。
…なんだったのかしら、あれは。
することがないのでとりあえず先ほどからてれびというものを眺めることにした。
でも、いくら私がリリムだからといってこういうものを見せ付けるのはどうかと思う。
リリム、サキュバスの最高位、そして淫魔。
それでも恥じらいだってあるんだから。
…それでも。
してみたいとは思うけど。
…誰ともしたことはないのだらか。
先ほどのシーンは終わり、今はまた別の男女が絡み合おうとしている。
唇を重ねるだけのシーン。
これが先ほどのように激しくなって、それで…。
「っ!」
見ているだけで体が火照ってくる。
というか、アヤカはこんなものを見せて何がしたかったって言うの!?
こんな、こんなの…。
「…ユウタ。」
思わずユウタの名前が私の口から漏れた。
ユウタとしてみたら…どうなるだろう?
ユウタとキスしたら…どんな風に感じるだろう。
…わからない。
気持ち、いいのだろうか。
…わからない。
キスしたこともないから、わからない…っ。
それでも。
それでもしたいと思ってしまう。
どうして?
今まで会ってきた男の人とは思わなかったのに。
何で?
それは…相手がユウタだから?
そう思っていたら急にてれびが暗くなった。
「っ!」
「…。」
真っ暗なてれびに私が映る。
そしてその隣にはユウタが映った。
ユ、ユウタ!?
いつの間に来たのだろうか。
先ほどとは違う姿。
薄い寝巻きらしき服を着て、前面を大きく肌蹴てる。
少しばかり私の姿に近いかも。
大きく肌蹴たその姿。
寝巻きの間から見えるユウタの体は無駄な肉が付いていない筋肉質な体。
やはり着やせするタイプなのだろう。
…もっと、見てみたいかも。
そんな姿でなんとも気まずそうな顔をしていた。
…もしかしてユウタも見ていたのだろうか?
ユウタも…。
…ユウタも…。
………ユウタは…どうなのだろうか。
キス、したことはあるのだろうか。
ユウタは…。
そんな風に思いながらユウタに視線が移った。
ユウタの顔は真っ赤。
さっきまでお風呂に入っていたからというわけではないだろう。
それじゃあやっぱり…。
「えっと…その、テレビってすごいのねっ!」
考える前に口が動いていた。
「あ、ああ。まぁな。魔法がないからこうやって科学で補ってるんだよ。」
というのはユウタの言葉。
ただ単に私の言葉に返事したように聞こえるが、わかる。
沈黙にならないように気をつけてる。
沈黙になったら何をしでかすのかわからない。
重い空気の中、どうなってしまうかわからない。
そうなったら私も、きっと…。
「そういえば、さ。」
ユウタが何かを手に持って平静を保った声で言った。
そんな声を出してもユウタも内心ドキドキしているに違いない。
その証拠にいまだに視線は定まっていない。
でも、それは私も同じだけど。
「こんなの、飲む?」
そう言ってそれを手渡してきた。
透明な容器。
中には泡立った透明な液体が入っている。
…これは、薬だろうか?
それにしては容器はガラスのように硬くはない。
薬のような嫌な匂いもしない。
甘く、そして爽やかな香りだ。
「これは?」
「たぶんフィオナのいたとこじゃなかった飲み物。」
飲み物…。
確かにこんな飲み物はなかった。
こんな泡立つ液体もそうみたことはない。
私の親衛隊の隊長を務めているバフォメットが薬でそんなものを作っていた。
火にかけてもいないのに泡立っていたそれ。
色は紫、匂いは最悪な液体。
いったいあれは何だったんだろう。
わかったところで飲みたいとは思わないけど。
「そのままぐいっと。」
「ぐいっと?」
「そ。あ、でも刺激が強いからちょっとずつのほうがいいかも。」
刺激が強い…飲み物?
そんな言葉で思い浮かぶのは…お酒だろうか。
私も果実酒などいろいろと飲むけど…。
…どんなのかしら?
とにかく味だけでも。
そう思って一口含んで私は飲み込んだ。
―よく覚えているのはここまで。
そこから先はよくわかっていない。
私は何をしていたのかよくわからない。
どうしていたのか覚えてもいない。
ユウタから渡された飲み物を飲んだ、そこまでしか覚えてない。
その味も、それから先のことも何も知らない。
―…もしかしたら…私は寝ていたのだろうか?
そう…なのかもしれない。
なぜならそのような感覚だったから。
おぼろげながらに記憶にあるのはそんなものだったから。
体がふわふわするというか。
まるで中に浮いているかのような感覚だったから。
お酒に酔ったときというよりもあれは…夢。
そう、夢の中にいるかのような感覚だった。
やる事が何でも上手くいくような。
私にできないことは何一つもないような。
全てが全て思い通りにいくような。
そんな感覚。
そうだ。きっとそうなんだ。
私は夢を見ていたに違いない。
だからだろう。
ユウタの肩に頭を乗せて寄りかかっていたことは。
ユウタに頭を撫でてもらっていたことは。
全て夢の中のこと。
でも、それにしては。
私が今していることも、夢なのだろうか?
掴んだ手から伝わるユウタの腕の感触は。
体の下に感じる男らしい体の感触は。
肌が重なり、伝わってくる体温は。
石鹸の匂いに混じって香るものは。
―唇から感じる、ユウタの唇の感触は夢なのだろうか?
あまりにも柔らかく。
あまりにも現実的。
夢とは思えないけど、でも夢のような…。
「んんっ!?ん、んんー!!」
「ふむ、むぅっ♪」
こうしてキスしているのだがそれでも唇は開かない。
何度キスをしても隙間さえ開かない。
抵抗、してるのだろうか?
夢の中なのに上手くいかないものね。
夢の中にしてはなんというか…ユウタらしい。
本当ならもっと抵抗したのかもしれない。
私の体の下にいようとユウタは抵抗したのかもしれない。
私がいくら誘惑しても自分を傷つけてまで止まるぐらいのことは…。
ガラスの破片で自分を傷つけてまで…?
…何でだろう。
知らないはずなのにそんな光景が浮かんだ。
私の誘惑に抵抗するユウタの姿が。
はっきりとじゃない、それもまた夢のようなあやふやでおぼろげに。
なぜだか感じた。
わからない。でも。
だからだろう。
私の手はユウタの手首を掴んでいる。
だからだろう。
私は誘惑なんて手を使わずにこうしている。
夢の中だから、こうしている。
現実じゃないんだから好きにしてる。
ユウタが抵抗できないようにして。
それでいて、ユウタを好きにできるように。
しかしそれでも唇は閉ざされたまま。
舌を使って唇の間をなぞっても硬く閉じたまま。
…それなら。
少し唇を離した。
その瞬間を待っていたというようにユウタは顔を背けて荒い息を吐く。
肩が上下するほどの呼吸をして。
それで私の体から逃げるように体を捩じらせた。
私の体の下で。
ソファと私の体の間で。
「はぁ、はぁっ、待てよっ!フィオ、ナっ!!」
そう言って私に向けた顔は真っ赤になっている。
恥じらいによるものか、照れによるものか。
それとも私とキスしたことによる興奮によるものか。
その表情が、可愛らしい。
そして、私の方を向いて口を開けたそれが私の狙っていたこと。
私はそれを狙ってまた唇を重ねた。
今度はさらに深くまで。
舌まで使って貪るように。
「んんむぅっ!!?」
「はぁむっ♪ん、んんむ♪ちゅ♪」
どろどろとした唾液を流し込んで。
その分ユウタの口の中から啜って。
貪るように舌を動かし、嘗め回す。
途中でユウタが押し返すように舌を突き出してきたのだが力が入っていなくて私の舌と絡み合った。
「ちゅ、はんん♪ふぁ、んん…んちゅ♪」
とても癖になる。
味はないはずなのにとても甘く感じる。
先ほどの飲み物の味を覚えてるわけじゃないけどそれでもそれよりもずっと甘い。
今までだって甘いものを口にすることはあったけど今までよりもずっと甘いもの。
蕩けるような、溶かすような。
とても甘くて、酔ってしまうキス。
そう言い切れる。
そのまま唇を離し、そしてまた重ねる。
荒々しくなってしまうのは仕方ない。
ユウタが暴れようとするのだから。
だけど何度も唇を重ねるたびにその抵抗の力は弱くなっていく。
掴んだ手首からは力が抜けて、手に持っていたあの容器を取り落とした。
かたんと軽い音を立てて床に落ちる音が聞こえる。
でも、そんなものを気にする暇はない。
今はこの行為を楽しみ似たい。
ユウタとのキスを堪能したい。
これが夢だというのなら。
夢だとわかっているのなら。
―せめて、今だけでも…。
ユウタの体が動きを止めた。
捩ることも私の体を押しのけようともしない。
完全に抵抗の意を失ったように見える。
ユウタから求めるようなことはしてくれないけど…でも。
これで十分しやすくなった。
それがわかって私は唇を離した。
二人の間に繋がる銀色の橋。
それは途中で切れてユウタの口の下に落ちた。
「はぁ、はぁ…はぁ…っ…!」
睨むような、脅すような表情のユウタ。
それは先ほどみたアヤカの顔に良く似ているのだがそれでも恐ろしくはなかった。
顔は赤く、睨んでいるというよりも興奮を紛らわせようとしている表情にも見える。
それが私の中の願望にさらに火をつけた。
「ユウタぁ♪」
もう一度キスをしようか?
それはとても魅力的だ。
しかし、それよりも…。
先ほどから感じている硬いもの。
私の体、ちょうど下腹部に当たる熱く滾ったもの。
それがなんだかわからないわけじゃない。
夢の中だろうとわからないわけじゃない。
それがユウタのだということはわかってる…!
今まで触れたこともない。
それでも感じるこの鉄のように硬い感触は。
それでも伝わる燃えるような熱は。
夢、なのだろうか?
…うん、きっと夢だ。
だから、何でも上手くいく。
きっと、このまましても…。
「待てよ、フィオナ…っ!」
熱に浮かされながらもそういったユウタ。
顔を真っ赤にして何とか抵抗しようとするその姿。
寝巻きは乱れ、先ほどよりも肌の露出も増えている。
ぞくりと、した。
リリムとしての本能が疼きだした。
―いい、よね…?このまましちゃっても…。
どうせ夢なのだから。
どうしたって夢なのだから。
現実では叶わないとしても、夢の中ぐらいなら…。
だから。
私はユウタの体に手を這わせ、再び顔を近づけ、そして行為を進めようと。
更なる先をしようとしてゆっくり身を寄せた―
―頭に衝撃が走った。
「っ!?」
鈍い衝撃。
それでも殴られたようなものじゃない。
頭の中を直接揺さぶるような衝撃だった。
それを受けたと思ったときには既に私の意識は闇に沈んでいった。
何をされたのかわからない。
ただ眠るような感覚。
自然と眠りに落ちるような感覚だった。
ただ、聞こえた。
意識が落ちる前に一言。
聞こえたような、気がした…。
「リビングでするなって言ったでしょーが。まったく。」
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
11/08/17 21:49更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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