連載小説
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私と優しさ
「まぁそこにでも座りなよ。」
私は彼女に勧められるままに椅子に座った。
なぜだか少し温かい。
まるでさっきまで誰かが座っていたかのように。
「こんなところへ来てどうしたんだい?」
そういうクレマンティーヌはワイングラスを片手に優雅に私を見据える。
ワイングラス。
中に入っている赤い液体は勿論血だろう。
彼女はヴァンパイアなのだから。
「別になんでもないわよ。ただ気晴らしがしたかっただけ。」
適当な理由をでっち上げて答えた。
本当はフィオナに言われたから来た。
ユウタを探しに来た…なんて言えなかった。
ユウタを探しに来たわけじゃないんだから。
ユウタを求めていたわけじゃないのだから…。
「ふふ、そうかい。」
クレマンティーヌは特に気にした様子もなくグラス内の血を味わう。
そんな彼女を横目で見てテーブルに視線を落とした。
そこにあったのはチェス盤。
その上には駒が配置されている。
クレマンティーヌ側からはばらばらに。
私側からは集まるように。
それは今さっきまでチェスをしていたかのようだった。
「…誰かとしていたの?」
「知っているかい?チェスというのは一人でも出来るのだよ。」
彼女は私を見ずに言う。
それでも得意げに。
私よりもずっと気品を感じさせる姿で。
「といっても教わったのは最近だけどね。」
「教わった?」
「そう。教わったのだよ。」
誰に、と聞こうとしてやめた。
きっとそれは私が知っている人物だから。
クレマンティーヌも同じように答えそうだったから。
「君の思っているとおりだよ。」
彼女は言った。
やはりこちらを見ずに。
それでも私の心を見透かしたかのように。
「何百年と生きてきたがまだ新しい発見があるものだな。彼には驚かされたよ。」
あえて名を呼ばないその人物。
彼と呼んでも誰だかわかるというのに。
「向こうでは『詰め将棋』というらしいけどね。」
そう言って彼女は私のほうを見る。
その血のような瞳で私を捉える。
「喧嘩でもしたのだろう?」
「…何よ、急に。」
「いやぁ、そんな顔をしているからね。今の君は。」
そこで彼女はグラスを置いた。
静かに。
音を立てることなどせずに上品に。
そしてチェス盤を示す。
「見てみな。このチェス盤を。」
そういわれてチェス盤を見てみる。
駒がばらばらに配置された盤。
とくにこれといったものはないのに…いや。
なんだろうか、これは。
黒い駒のほとんどの配置。
キングを囲むように並んでいた。
まるでキングを守るかのように。
敵の攻撃を受け止めるかのように。
そしてひとつ。
黒い駒の中で一つだけ敵の陣に乗り込んでいる駒がある。
ナイト。
それ一つだけだった。
「その陣形は『囲い』と言ってね、キングを守るように駒が配置されているだろう?」
「ええ、されてるわ。」
「見たままそれは防御の陣さ。といってもそれも彼から教わったことなのだがね。」
「…そう。」
そこで顔を上げればクレマンティーヌは私を見ていた。
「これを見て気づくことは?」
「…そんなの、あるの?」
そういうと彼女は笑う。
まぁ、当然か、と続けた。
「知っているかい?こんな些細なゲームにも性格というのは出てくるのだよ。」
「…。」
いきなり話が変わったような気がする。
いつもこうなんだ。
私よりもずっと多く長く生きている彼女はいつもこう、わからないことを言う。
昔から私に諭すように。
気づかせるように。
「その陣形を見せてくれたのは彼でね、前にチェスを共にしたときに彼はすぐにそれをしたのだよ。」
「…そう。」
それはきっと私から離れていた少しの間のときだろう。
わずかな時間をユウタと過ごしていたのだろう。
「初めて見る陣だったが…なんとも彼らしいと思わないかい?」
「え?」
「防御だよ。彼はすぐさま受身の体勢をとったのだよ。」
「…それが何?」
言っていることが全然理解できなかった。
何を言いたいのかもわからなかった。
「本当に彼らしいよ。」
「…どこがよ。」
「これだよ。」
そう言ってチェス盤を指すクレマンティーヌ。
やはりわからない。
このチェス盤が、この黒い駒が何を示しているのだろうか?
「この陣は彼の性格も的確に表してくれたよ。」
そう言って私に教え込むかのように言う彼女。
昔と同じ。
何か教えたいことがあるとクレマンティーヌはいつもこうだった。
まるで教師のように語り掛けてくる。
「防御というのは攻撃に対するものだ。相手の攻撃に耐え、攻撃を受け止めるものだ。」
「…そんなこと、知ってるわよ。」
「知っているなら君は彼と喧嘩はしないだろう?」
「…。」
そんなことまでわかるわけないじゃない。
わかっていたから何?
喧嘩をせずにいられたというの?
「話を戻そうか。防御を率先してしようとする彼はまさしく彼らしい。相手の『理不尽』に耐え、相手の『気持ち』を受け止める。」
理不尽?
気持ち?
何が言いたいのよ。
いったい何を教えたいのよ。
「彼はとても優しかったのだろう?現に私と接してくれる彼はとても優しかったよ。ヴァンパイアだというのに恐怖することもない。それどころか私を一人の女性として扱ってくれる。」
「…。」
ヘレナの言っていたことと同じ…。
ユウタが私たちをまとめて女の子といったこと…。
「あれはすごいね。人間があそこまで誰かにやさしくできるものではないよ。人間から見ればあれは嫌われる対象だよ。偽善と間違われて、蔑まれるものだよ。いや…。」
そこで彼女は少し言葉を止めた。
その先を言うのをためらっているかのように。
そして数秒考え込んで、重そうに口を開いた。

「あれは嫌われたことがあるから出来る優しさだろうな…。」

重々しく言った。
「おそらく蔑まれた経験があったのだろうな、彼は。だからこそ相手のことを受け止める優しさを持っているのだろう。」
「…そんなこと、貴方にわかるの?」
「わかるさ。これでも長く生きているからね。」
もっとも、人間なんてただ見てきただけだけど。
そう悲しそうにクレマンティーヌは付け加えた。
そういえば、彼女にはまだ夫がいなかった。
お母様と歳が近いというのにだ。
確か男嫌いだから…だったっけ?
「残念ながら私は男嫌いというわけではないよ。」
また私の心を見透かしたかのような発言だった。
「ただ、とんでもない『難病』持ちというだけでね。今まで男性はおろか人間ともろくに接せなかったんだよ。」
だからいつも遠目で見てきたのさ。
そういう彼女はやはり悲しそう。
それはそうだろう。
私たちにとって男の人と接せないなんて悲しい以外に何もないのだから。
「だけどね。彼の優しさは人間に嫌われるものでも、私たちにとっては温かなものなのだ。彼の優しさは、私たちからしたらとても好いてしまうものだ。」
そこで言葉を切り、一息つく。
そして紡ぐ。
ユウタのことについて、話し出す。
「まるで見たままのような男さ。彼は闇のように深い底のない優しさを持っていてる。それはあまりにも心地良すぎて私たちはその優しさに沈んでしまうんだよ。気づけば闇の中にいて、それなのに安心できる。私たちが夜に生きるものだからというわけではないだろう。抜け出そうにも抜け出せない。無限の闇はそんなことを許さないだろうが…彼の場合は私たちが抜け出したいと思う気持ちを沸かせない。」
「ユウタが…闇…。」
「ああ、彼は本当に闇のような男だよ。一度触れてしまえばそう簡単には抜け出せない。どんな相手だろうと優しく受け止め、温かな手で握ってくれて安心させてくれる。あまりの居心地の良さに離れる気も失せてしまうほどにね。」
「それは…。」
言えてるかもしれない。
あの温かな手で撫でてくれる。
甘えたときには受け止めてくれる。
仕方ないといいながらも受け入れてくれる。
ギリギリのところまで。
後一歩というところまで許してくれる。
そして、その闇に一番沈められているのは間違いなく―私。
「その優しさを一番知っているのは君、フィオナだ。だが…一番理解していないさすぎるのも、君なのだよ。」
そういう彼女の目の奥には感情が篭っていた。
それは怒り。
理不尽に対する怒り。
まるでユウタに出てけと言った私に向けられているようだった。
「君は理不尽だよ。彼の優しさを前に甘えすぎてその大切さを見ない。受け止められた理不尽を見ていないのだよ、君は。」
流石にその言い方はないと思う。
思わず私もかちんと来てしまった。
自然と目つきが睨み付けるようになってしまう。
そして思わず反発してしまう。
クレマンティーヌの言葉を認めたくないというように。

「…それはユウタのほうでしょ。理不尽なのは私じゃない…ユウタのほうよ。」

「…。」
彼女は何も言わない。
相変わらずの怒りを込めた瞳で見ているだけで。
「大体勝手よ、ユウタは。私の、リリムの魅了が効かないから私が誘惑までしてあげてるのに…その誘いを拒否するんだもの。」
「…。」
「私の言葉を踏みにじってるだけじゃない。」
「…。」
「私の魅惑を認めないだけじゃない…。」
「…本当に君という奴には呆れるな。」
クレマンティーヌがやっと口を開く。
しかしそこから出たのは私を貶す意味を込めた言葉だった。
「…何が言いたいのよ。」
「まんま、だよ。君には本当に呆れたものだ。それは自分しか考えてないものが口にする言葉なのだよ。」
「…。」
何が言いたい?
それは私が自分勝手といいたいのだろうか?
「人間とは理性的な生き物だ。私たち魔物よりもずっと固い志を持って、何にも染まらない心を持っている。」
「…。」
「彼の理性は、志はかなり固いね。いつでも冷静で他人に気を配っている。誘惑なんてものでつられていればそれは最初から君の魅了に負けていたはずではないのかい?」
それは…言えてる。
どこまで誘惑しても頑なに拒むのがユウタなんだ。
最初に出会ったときからずっとそれだった。
「そして心は漆黒のごとく、一色だ。誰も揺るがすことは出来ない。誰も染めることはできない。だからこそ、彼はいつまでも彼であり続けることが出来るだろうね。」
「…。」
「そして、その心は常に優しさに染まっている。」
「…。」
「相手を思って行動することが出来る彼が君の誘惑を振り切った理由?それを君は理解できないのかい?それが彼がしたくないからというだけでその誘惑を踏みにじったと思うのかい?」
「…。」
「君は彼を何だと思っていたんだい?」
「…それは。」
そこで私はようやく喋り出す。
「男の人、でしょ。」
それ以外に何がある?
ユウタは男、それだけだろうに。
優しいという人間であるだけだろうに。
しかしクレマンティーヌは鼻で笑った。
私の答えを蔑むように。
「笑わせる。彼をただの男としか思っていなかったのかい。それは彼でなくとも誘惑されても振り切られるだけだね。」
「…どういう意味よ。」
「それが彼の誘惑を踏みにじった理由だろう。彼が頑なに拒んだわけだろう。」
それをもう少し知るべきだ。
そう言ってクレマンティーヌは言葉を切った。
静かに私を見据えて動作を止める。
そのまま何も言わずに数分が経ち、彼女は口を開いた。
少し考えてみようか、という言葉と共に。
「君が彼の立場だとしたらどうかな?」
「…私が?」
「君のような考えで召喚されたとしたらどうなんだい?」
そういわれて考えてみる。
私が逆に召喚されたら…。
そこにいるのはユウタ…いや、ユウタが私を呼んでくれるだろうか?
そもそもユウタは魔法の知識を持ってない。
そんな彼が私を召喚するなんて不可能。
召喚魔法はかなりの高位魔法なのだから。
それじゃあ私は誰かに呼び出される。
それも私と同じ理由だから…私を妻にする?
それは…嫌だ。
いくらなんでもいきなり召喚されて初対面の者の妻にされたくはない。
それに、そんなとことに召喚された私はどうなるのだろう。
生活は一変してしまうだろう。
この世界にも返ってこれるかわからないだろう…。

―この世界に……?

そこまで考えて気づいてしまった。
一気に体中の血が引いていく。
体内だが一気に冷えてしまうほどに。
氷結魔法を体内に放たれたかのように。
心臓まで凍りついたかのように感じられた。
「気づいたかい?」
クレマンティーヌは言った。
静かに。
瞳に怒りはない。
あるのは呆れたといわんばかりの表情だった。
「君は理不尽だ。どんなところにいたのかわからない人間を召喚するなんて。もしかしたらこことは違う世界で過ごしていた彼を―

―ユウタを、勝手に召喚してしまうなんて。」

クレマンティーヌが初めて彼をユウタと呼んだ。
その言葉に込められているのは好意か、それとも哀れみか。
この世界に勝手に連れてこられたユウタに対するものとしかわからなかった。
「ユウタにはユウタの生活があったはずだ。ユウタにはユウタを待っている人がいたはずだ。もしかすると恋人も、結婚もしていたのかもしれないな。それを勝手に召喚しただと?
ふざけるな。」
その言葉が今までで一番胸を貫いた。
剣で刺されたかのような痛みを残した。
いや、実際に剣で貫かれたほうがマシだったかもしれない。
そう思ってしまうほどのことを私はやってしまった。
「君はユウタの人生を横取りしたのだよ。勝手にね。自分の都合のままにユウタの人生を変えてしまったのだよ。」
そこで思い出す。
ユウタは私に向かって言っていたこと。

『ここに来れたことはある意味では嬉しかった。感謝はしてるよ、フィオナ。』

そう言っていた。
微笑んで。
私に感謝していると言っていた。
でもそれは、本当は感謝していなかったんじゃないの?
『ある意味では嬉しかった』?
その言葉の意味は…?
ユウタは…。
「ユウタは怒りを知らないわけではないだろうに。自分の人生をめちゃくちゃにされて怒っているのではないか?それでも、ユウタは君になんと言った?怒ったかい?憤ったかい?違うのだろう。」
そうだ、全然違う。
ユウタは怒らなかった。
憤ることもなかった。
私によろしくといって微笑んでくれた。
私に料理を作ってくれた。
私にユウタの知っていることを教えてくれた。
私のおねだりを仕方ないといいながらも受け入れてくれた。

ユウタは…私に微笑んでくれていた…。
私を優しく受け止めてくれた…!

「ユウ、タ…。」
それなのに私はどうした?
出てけと言ってしまった。
怒って、怒鳴って、ユウタを勝手だと言ってしまった。
本当に怒りたいのはユウタのほうなのに。
本当に勝手なのは私のほうなのに。
それでもユウタは言っていた。
悲しげに微笑んで。

『じゃあな、フィオナ。今度は、もっといい男を見つけろよ…。』

今だからわかる。
クレマンティーヌに言われて、わかった。
ユウタはずっと私のことを考えてくれいた。
あの発言も。
あの行動も。
自分を傷つけてまで本能を抑えたことも。
全ては私を思ってやったことではないのか?
ユウタは最初から私を思っていてくれたのではないか?
もっと好きになった男とやれと言ったユウタはどんな気持ちだった?
本能をそこまで抑えなければいけなかった理由は…私を気遣ったからじゃないのか?
それなのに…私は…。
「ユウタぁ…。」
気づいた途端に目から涙が溢れ出した。
目の前にいるクレマンティーヌの顔が歪む。
人前だというのに涙が止まらなかった。
私自身の理不尽さに。愚かさに。
それと、どこまでも優しいユウタに対して。
溢れだすこの感情を止められなかった。
「…ようやく気づいたのか。」
ため息交じりの発言。
それはもう呆れているといってもよかった。
いや、呆れて当然だろう。
私はそれほどのことをしてしまったのだから。
今まで気づくべきことを気づかずにいたのだから。
私は…なんて自分勝手だったんだろう…。
ユウタのことをこれっぽっちも考えなくて。
ユウタにただ感情をぶつけるだけぶつけてしまった。
それなのにユウタは。
常に私に優しくしてくれた。
私に微笑んでくれた。
私の頭を撫でて、ずっと傍に付き添っていてくれた…。
「気づかなかっただろう?なんせユウタが君に常に付き添っていたのはそのことに気づかせないようにするためなんだよ。」
「っ!?」
「…本当は言ってはいけないとユウタから言われていたのだけどね。」
そういう彼女は笑っていた。
静かに楽しげに。
少し視線を下に向けて。
足元を見つめて。
「ユウタはそこまで気を配っていたのだよ。それが、ユウタのいない今ならよくわかるだろう?ユウタがどれほど君を想っていたのかを。ユウタがどれほど君に優しくしていたのかを、ね…。」
それは気づいていた。
ここに来るまでに既に心のどこかは気づいていた。
ユウタがいなくなった日常。
ユウタがいなくなった時間。
二人でいることが普通となっていたはずなのに、それが急に一人に戻ってしまった。
そして、気づかされた。
たった数時間が一日のように感じた。
一日にも満たない短い時間が永遠に思えた。
ユウタといる時間がどれほど楽しいか。
ユウタと過ごす日々がどれほど嬉しいか。

―ユウタが私にとってどれほど大切だったのか。

セスタが、フィオナが、エリヴィラが。
皆が皆ユウタと触れ合ってその気持ちを揺れ動かされたのを見て。
皆が抱いたその感情を悟ってしまって。
私自身が抱くその気持ちに気づかされた。
でも、もう。

―もう…遅い…。

あんなにつらく当たってしまったのだから。
今更ごめんなさいなんて言って許してもらえるなんて虫のいいだけじゃない。
散々な目にあわせてしまったユウタをさらに追い討ちかけるようなことをして。
自分のことしか頭になかった。
私はユウタのことを見ていなかったんだ。
ユウタという存在があるということを認識しているだけで。
私はユウタを襲おうとしていた。
でも、そんな私を止めてくれた。
それでいつも言ってくれた。
もっと好きになった相手としろと。
もっと大切な奴としろと。
私をリリムとして扱うだけじゃない。
ユウタは私を一人の女の子として扱ってくれた。
その柔らかな優しさで。
その包まれるような温もりで。
ユウタはずっと私を見ていてくれた。
大切に扱ってくれた。
それなのに…私は…っ!!
「ユウタぁ……っ!」
涙が止まらなかった。
顔を手で押さえても指の隙間から零れだす。
拭おうにも指が動かない。
体を動かすほど心に余裕がないから。
あまりの感情に体が動けないから。
ただひたすらに涙を流し続けた。
そんな私を見ていたクレマンティーヌはまたため息をつく。
呆れたように。
疲れたように。
手のかかる子供を前にするかのように。
「ただ泣いているだけでいいのかい?そんなことをしていていいのかい?フィオナ。」
彼女は言った。
静かに私に諭すように。
心の内に語りかけてくるように。
「そんなことをしてもユウタは戻ってこないだろう?それどころか今頃どこかの娘に捕まっているかもしれないな。そして襲われているかもしれない。そんなところを黙って見過ごすのかい?泣いていたからといってユウタを放っておくのかい?」
そんなの、嫌だ。
ユウタを誰にも渡したくない。
もっと私の傍にいて欲しい。
私の傍で笑っていて欲しい。
…でも。
「私は…ユウタに、ひどいことを言っちゃったのよ…っ!?」
言ってしまったんだ、私は。
ユウタにひどいことを。
怒鳴って出てけと。大声で。
そんな怒鳴った相手が今更どうやってユウタに会いに行けと?
どう謝ればユウタは許してくれる?
それ以前に私はユウタに理不尽なことをしてしまったんだ。
それを、どう償えばいい?
「だから諦めると?ユウタが他の娘のところに行ってしまってもいいと?それで君はユウタが誰かの隣で笑っているのを遠目で見続けるのかい?」
「そんなの…嫌に決まってるでしょっ!!」
私は怒鳴った。
涙を流したまま。
自分の感情をあらわにした。
「それなら今すべきことはわかっているはずだろう?泣いている暇なんてないはずだ。」
「…でも。」
話せることがない。
謝れる言葉が見つからない。
償えるものなんて、何もない。
「迷っているのだね…仕方ない。それなら私がユウタを呼んで来てあげよう。」
そう言ってクレマンティーヌは立ち上がった。
長い金色の髪が優雅に揺れる。
一瞬、また下を見て、そして私を見た。
「私はヴァンパイアだからな。蝙蝠でも使えばユウタの居場所なんてすぐにわかるよ。」
「…でも、どうすれば?」
「それは君自身が考えて出すべきだよ。その先の答えを自分で導くものさ。」
そうしてクレマンティーヌは歩き出した。
私が来た方向へとゆっくり。
しかし、歩き出して2、3歩で止まり、振り返った。
私を見て笑って。
その笑みはとても意地悪な笑みだった。
「しかし…もしかしたら連れてくる途中に私が襲ってしまうかもしれないな♪」
「っ!?」
それは爆弾発言だった。
今まで男はおろか、人間とも接したことのないクレマンティーヌからしたらその発言はとても危険なものに聞こえた。
泣いていた私が思わず涙を流すのをやめてしまうくらいに。
それも、その相手が。
よりによってユウタというのだ。
「フフ、冗談…ではないのだよ。」
彼女は笑みを変えた。
さっきと同じ意地の悪い笑みではない。
慈しむような笑みだ。
その笑みを私に、いや、私の隣のテーブルに…向けていた。
それが私に向けられているわけではないことはわかる。
その笑みの先にいるのはきっとユウタ。
ここにはいない、私が呼んだ男。
「私もユウタが好きになったよ。ユウタはこんな面倒な『難病』を持った私に接してくれた。女の子に接するように優しくね。さらに言えば、さっき飲んでいた血もユウタのものさ。」
ぺろりとわざとらしく舌を出して唇を舐めとるクレマンティーヌ。
私に見えるように、見せつけるかのように。
「自身の体を傷つけることを躊躇わずに私に血を分けてくれた。私がヴァンパイアだというのにユウタはそれを含めた上で私を女の子として扱ってくれたのだよ。あんな男、私も放っておけないな。」
それは容易に想像できる。
あの優しいユウタならきっとやりかねない。
相手がヴァンパイアなら自分の血を喜んで分けてくれるのだろう。
リリムである私に魅了されなかったんだ、ヴァンパイアのクレマンティーヌから魅了なんてものはされるわけがない。
だからきっと、自分の意志で差し出したのだろう。
「さて、邪魔者はここで消え去ろう。あとは若いもの同士の話だろうが…フィオナ、私もユウタを狙っているから気をつけるんだな。」
そう言った彼女はまた意地悪な笑みを浮かべる。
それでも私よりずっと年上の彼女の笑みが純粋な女の子のように見えた。
「あまりユウタを放っておけば…私はユウタを攫っていくよ。だからそうなる前にさっさとユウタに想いを告げるのだな。慌てても、迷っても。ユウタは君を待っているだろうからね。」
それも君にすぐ近くで。
君の思っているよりも傍で。
そう告げたクレマンティーヌは去っていった。
その後姿がエリヴィラと重なる。
とても機嫌の良さそうな姿だった。
そんなクレマンティーヌが屋上を去って、私は一人になった。
また、寂しくなった。
こうやって一人になるとどれほど寂しいのか今更になって気づかされる。
いや、これもユウタのせいだ。
ユウタが私と共にいてくれたから。
一人でいることが嫌になってしまう。
ユウタといたいと思ってしまう。
ユウタと…。
「…ユウ、タ。」
私はユウタの名を呼んだ。
ここにはいない男の名を。
私が召喚してしまった男の名を。
ユウタは…こんな私をどう思っていたのだろう。
どうしてユウタは私を怒らなかったのだろう。
私は理不尽なのに。
私は勝手なのに。
本当に勝手なのに…。
私は自分のことしか考えていないのだから。
怒っていたのに、怒鳴ってしまったのに。

―それでも一緒にいたいと思ってしまっている。

「ユウタぁ…。」
止まったはずの涙が再び溢れ出す。
私の感情のように流れ出す。
私は…ユウタとともにいたかった。
もっと一緒にいたかった。
もっと撫でてもらいたかった。
もっと抱きしめたかった。
もっと微笑んでもらいたかった。
あの時と同じように、ユウタが男だからじゃない。
今はユウタという一人の存在として。
一人の人間として。
この感情を抱いた。

―私は……ユウタのことが……。

「フィオナ殿っ!!」
と、そこで。
私が涙を流しているところで荒々しく声を上げた者がいた。
それはヘレナだった。
おそらく転移魔法で異動してきたのだろう、何もないところからヘレナは現れた。
とても慌てた様子で。
「泣いておる場合ではありませんぞっ!」
「な、何よ!?」
慌てて涙を拭う私。
ヘレナにこんな姿を見られたくはない。
情けなさ過ぎて、ヘレナが私をいじるのに使いそうだったから。
それでも、私が泣いている姿を目の前にしてもヘレナは何も反応しない。
変わらず慌てているだけで。
「そんなに慌ててどうしたのよ?」
「落ち着いて聞いてくだされ…。」
そういう貴方のほうが落ち着いたらどうなのよ?
流石にそんなことは言わなかったが思ってしまう。
それほど彼女は慌てていた。
普段からしたらそれはとても珍しい。
常に子供のような言動からは予想できない姿。
そんな姿をしているヘレナは言った。


「教団が、勇者と名乗る者と共に魔界へ攻め込んできおった。」
11/06/08 20:57更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
とうとうこの話も佳境に入ってきました!
私の作品の中で初めて登場する教団
リリムがいるというのに魔界へと攻め込んできた彼らの真意は!?
そしてゆうたの優しさに気づいた彼女はこれからどうするのか!?

そして大きく出てきたクレマンティーヌ!
彼女の持つ『難病』は師匠ほどではないにしても厄介なものなのです
詳しくは街ルートで書きます!

そしてさらに!
このシーンではクレマンティーヌとフィオナの会話でしたが…実はもう一人いるんですよ!
ヘレナではない人物が、どこかにいました!
それは…!?

それから!
前回の話『貴方と皆』の挿絵を載せました
もしよければ見てくださいませ

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