私とゆ・う・わ・く♪
ユウタが来てからもう五日。
ユウタと共に過ごす毎日は独りで過ごし、まだ見ぬ旦那様を探しに行っていたあの色のない日よりもずっと素晴らしかった。
時間の流れを早く感じる。
まるで止まっていた時間が動き出したような。
色あせた世界に色が戻ってきたような感じがする。
だが、この五日間。
ユウタは私からの接触を極力避けていた。
手足が触れ合う程度ならまだ平気。
なのだが。
手を繋ごうとしてもすり抜けられ。
抱きつこうにもかわされ。
胸を押し付けてみようにも一歩引かれて届かなくて。
寝ている間に抱きついてもいつの間にか逃げられて。
腕枕さえ許してもらえず。
それならとキスをせがんだらお説教をもらった。
そんな大事なことはちゃんと好きになった男とやれ。
決まってユウタはそう言うのだ。
許してもらっていることといえば頭を撫でるくらい。
…少ない。
年頃の男女はこんなものだろうか…いや違う。
あまりにもユウタが引きすぎている。
一歩身を引いているというか。
一線を守っているというか。
これ以上進むのを拒んでいるようで。
私と触れ合うことを拒否している。
または、私に触れさせないようにしている。
だが。
それは私にとって逆効果かもしれない。
私はリリム。
男を求めずにいられない魔物。
ユウタが遠ざかれば遠ざかるほど。
ユウタが拒めば拒むほど。
私は彼を欲する。
その体を。
その精を。
ユウタの全てを求める。
この五日間、よく耐えたと思う。
本当なら私の魅力でユウタは私を求めずにはいられなかったはずだ。
私もユウタを構わず襲っていたはずだ。
それなのにユウタは平然としている。
私を頑なに拒み続ける。
だから。
私はユウタから精をもらえない。
私を襲わないから。
私が襲えないようにするから。
そんなことをするから。
私の本能は。欲望は。
私に命令を下す。
私を、支配する。
ユウタを襲え、と。
もともとそれが理由で召喚したようなものだった。
だから、私は命令に、本能に従うまで…。
抗わず、刃向かわず。
素直に、従順に。
だが、真正面から襲い掛かってもユウタを襲えるとは思っていない。
それどころか必ず止められる。
確実に拒まれる。
腕力だって人よりはあると思うけど、きっとユウタのほうが上。
力でねじ伏せるにもそんなことは出来るわけない。
バフォメットであるヘレナに一撃入れたというのだ、それなりの実力はあると思っていい。
それなら魔法でも使ってしまおうかしら…。
それならユウタにも効果は出て…くれなさそうだ。
私の近くにいるのに魅了されないのだから魔法でどうにかなるようなものでもない。
それなら手はない?
いや、まだある。
私が襲えないというならユウタから襲ってもらおう。
ユウタが私を求めるように仕向ければいい。
ユウタが私を欲しくなるように。
―誘惑、してあげればいい。
ユウタを誘って、惑わせばいい。
それなら簡単だ。
誘惑なら私にも出来る。
あのお母様の娘なんだから、それくらい余裕のはずだ。
…それでユウタをその気にさせられるかはわからないが。
それでもやろう。
私は本能に支配されながらも冷静に着々と準備を進めた。
男の人は女の人の裸に弱い。
それは私が町に出たとき露出の多い格好をしているときによくわかること。
男の人の視線が集まるのは私の体質だけではないはずだ。
だからユウタは私にもっと露出の少ない服を着ろと言っていた。
変な男が寄ってこないようにと。
あれはユウタ自身が襲わないようにという意味も込められていたのではないだろうか?
それなら…きっとユウタも女の人の裸には弱いはずだ。
だから。
それで迫ってみよう。
ただ迫ってもユウタは逃げるらしい。
それも恐ろしく早く。
他の魔物娘から聞いたのだけど、ユウタに迫った娘がいたらしい。
この五日間に、すでにそこまで興味を持った者がいるということ。
その事実は私自身、嫌な思いにさせられた。
何でかはわからない。
ただ、嫌だ。
他の娘といることが、なぜだか嫌だった。
だがそれでもいい話を聞いた。
迫ってもユウタは逃げ出す。
何をしようと必ず。
この前はクイーンスライムがユウタに襲い掛かったと聞いたけどそれすら避けた。
あのスライムを、だ。
流動体で形のない娘をどうやって避けたのだろう…。
他にもこの城にいるリザードマンが勝負を仕掛けたのに煙のように消えたとか。
ラミアに巻きつかれながらも抜け出して逃げたとか。
あれならドラゴン相手でも逃げ切るんじゃないかといわれるほど素早いらしい。
そんなユウタを捕まえるなんて事私はできない。
以前何からか逃げていたのだろうか?
とにかく。
狙うのはユウタが逃げられないようなとき。
ユウタが逃げ出したいと思わないときだ。
それで考え付いたのは。
思いついたところは。
―お風呂。
裸になっているところで外に逃げ出そうと思わないはずだ。
それにこの城の中で男が裸で駆けずり回るなんて行為をすれば確実に捕まる。
魔物娘に。
そして行為へと及んでそのままゴールイン。
最悪他の娘たちも寄ってきて乱交。
ユウタもここへ来て五日、この城にいる娘たちがそのぐらいのことを平然とやってのけることぐらいわかっている。
だからこそ、ユウタはお風呂場から逃げ出せない。
それなら!
やはり狙うのはお風呂のときだ!
「そんじゃ、お風呂借りるわ。」
「ええ、いいわよ。」
いつものように私に許可をとってユウタはお風呂場へと進んでいく。
ゆったりとした足取り。
そのまま進んでいったユウタは脱衣所へと通じるドアを開けて中に入っていく。
がちゃりと。
無機質な音をたててドアが閉まった。
…よし。これでいい。
あとはユウタが服を脱いでお風呂に入っているときに私も入ればいい。
そうすればユウタは逃げられず、私を真正面から受け止める形になる。
そのまま体を、胸を押し付けて誘惑すれば…!
その後の展開を想像した私は思わず笑みを浮かべた。
鏡で見てないから確かなことわからないけど…たぶんいやらしい笑みを。
「おじゃましま〜す…。」
小声で脱衣所のドアをそっと開けた。
ドアの向こうに広がるのは私の部屋と同じくらい豪華な部屋。
細かなところまで豪勢に作られた脱衣所。
そこに私の求める男の姿はなかった。
置いてあったタオルがなくなっている。
持って入っていったのだろう。
その代わりにタオルのあったところには服が置いてあった。
ユウタが普段から着ている黒い服と白い服。
それと………。
「っ!これ…。」
私の知っているものと少し違う。
綺麗に作られたそれを私は手にとって見た。
服と同じように黒いそれ。
だけど普段目にすることはないだろうそれ。
これって…たぶん……。
―……ユウタの…パンツ。
「………………………………………………あ、いけない。」
思わず目的を見失うところだった。
私は手に取ったそれを丁寧に畳んでもとの場所に戻す。
さて、と。
それじゃあ改めて…行動に移りましょうか。
私はお風呂場へと通じるドアを前に服を脱ぎだした。
私の部屋についているお風呂は大浴場に比べれば小さいほうだ。
だけど、そこらのお風呂よりは広い。
五人くらいなら余裕で入れるぐらいは広い。
そのお風呂場に反響している音。
ごしごし、わしわしと。
体を擦る音が聞こえてくるところから今ユウタは体を洗っているのだろう。
それは、好都合。
そんな状態なら湯銭に戻ることもそのまま出て行くことも出来ない。
チャンスだ。
私は遠慮なんてものせず、ためらいなんて持たず、迷うことなくドアを開けた。
「お背中流しに来ました〜♪」
「っ!!?」
ユウタがすぐさま振り返って見る。
その黒い瞳に映る私の姿。
髪は下ろしたまま。
タオル一枚を巻いただけで体のラインはくっきりと浮き出たこの姿。
背中の翼や尻尾は器用に出した、私らしい姿。
ユウタの目にはどう映っているのだろう?
そう思うと少し体の奥が熱くなる。
「馬っ鹿!お前何やってんだよ!?あ、ちょっと!」
「なによ、馬鹿って!」
「オレが入ってるだろーが!」
振り返ってこっちを見たユウタのその姿。
タオルを巻いていたので下半身は見えない。
それでも見えた泡のついたユウタの体。
服に隠れて見えなかったけど意外と着やせをするタイプらしい。
その体は綺麗だった。
余計な筋肉はついていないライン。
細身なのにがっしりとした肩。
全体的に引き締まっている体。
見ていて…体の奥がまた熱くなった。
「おいっ!何で入ってきてるんだよ!」
大慌てで言うその様子からこの行為は効果適面だったようだ。
やはりユウタも女の肌に弱い。
その証拠に普段はそう変わらない顔が赤くなっている。
恥ずかしがっているのか、それとも照れているのか。
落ち着いた雰囲気のあるユウタからは想像できない姿が可愛い。
「だから言ったでしょ?お背中流しに来たって。」
「出てけよ!女の子がそんなことすんなよ!」
「むっ。ここは私の部屋よ?私がどうしようと勝手でしょ?」
「だからってこれは行き過ぎだろ!」
「私がユウタの背中を流すだけでどこが行き過ぎてるの?」
「入ってくる時点で行き過ぎてんだよ!」
やはり受け入れようとしない。
頑なに私を拒んでくる。
なんでユウタはそうまでして私を拒絶するのだろうか。
それほどまでに私は嫌われている…わけでもないはずなのに。
それでも私は止まらない。
それほどまでして精が欲しい。
そこまでしてもユウタが欲しい。
だから、さらに畳み掛ける。
近づいていって、追い詰める。
「お、おいっ!フィオナ!何する気だよ!」
「ん〜?だから言ったじゃない。背中を流してあげる♪」
「だからなんで急に!」
「なんとなく?」
「なんだよそれ!?」
「ユウタだって言ってたじゃない。」
「ぐっ!」
ユウタが私と初めて寝るときに顔を向けていた理由。
なんとなく。
ユウタはそう言って私を見ないようにしていた。
今思うとなんて便利な言葉なのだろう。
「ね、お願い♪」
「何でお願いされるんだよ…?」
「私、背中流したことないの。だから、ね?」
「そういうことはもっと大切な奴とやれっていってるだろ?」
そう言ってユウタはため息をつく。
また、だ。
困ったように、呆れたようにするときは必ずため息をつく。
何について呆れているのか、ユウタの言葉の意味は何なのか。
それは、わからないけど。
困ったときにため息をつくのがユウタの癖だということはわかってきた。
それほど私が背中を流すことは困ることだろうか?
「…仕方ないな。」
そうして、頷いてしまうのもユウタだ。
やっぱりユウタは甘いところがある。
どうしようもなく甘くて、そして優しくて。
思わずこちらが甘えたくなるようなところが。
それがユウタにとっていいところなのかもしれない。
だから私は甘えてしまう。
その甘さに、心ゆくまで。
「変なことすんなよ?」
「大丈夫、私に任せて…♪」
お風呂場にあった椅子にユウタを座らせ、私は手に石鹸を持つ。
ユウタからスポンジを渡されたが、使うつもりはない。
そんなもので洗っていてはこの状況の意味がない。
お風呂場に男と女。
男が椅子に座って背を向けているこの状態で女がすべきことは…一つ。
スポンジなんて無粋なものを使わずに、肌と肌の触れ合いを。
文字通り体を重ねて洗い合う。
そして、そのまま行為へと及んで…♪
…よしっ!
そうと決まれば私は体に巻いたタオルに手を掛け―
「―もし、スポンジ使わないで洗うつもりならオレは自分ひとりで洗うからな?」
ずるっと、転びそうになった。
ユウタからの的確な、私のやろうとしていることを見透かしているかのような発言だった。
何でわかったのだろう…。
びっくりさせるつもりだったのに。
そしてそのままするつもりだったというのに…。
いや、でも。
ユウタは言った。
『スポンジを使わないで』と。
それならまだいける。
スポンジを使いながら体で洗えば、いける。
まだまだ、大丈夫だ!
私は再びタオルに手を掛けて―
「―…変な接触するなよ?」
再び的確な発言だった。
何なんだ、この男は。
何でこうも私の行動を制限できるんだ。
ユウタは私のやろうとしていることに気づいているのだろうか?
あまりにも的を射た発言というか。
私の行動を先読みしているというか。
手馴れているような発言だった。
「…どうした?」
少しばかり振り返って私を見るユウタ。
顔には思い切り怪訝そうな表情を浮かべて。
「い、いえっ!何もないわよ?」
そう言った私の声はうわずってしまう。
平然としているつもりがユウタに変な不信感を持たせてしまう。
だがユウタはそんな私を見て、やはり困ったようにため息をついた。
「…師匠といるみたい。」
「?え、何?」
「いんや、何でもねえよ。それよりも背中、流してくれるんだろ?」
ああ、そうだ。
それが目的だった。
あくまで表面上の、だけど。
「それじゃあ、流すわね。」
ユウタに言われたとおりにスポンジを石鹸で泡立てる。
泡立てながら眺めるユウタの背中。
細身なんだけど思った以上に広い。
傷らしい傷はなく綺麗だ。
私の思い描く男らしい背中とはまた違うけど。
それでも…。
見ているだけでもユウタを男と認識せざるおえなくなる。
私は泡立ったスポンジをユウタの背中にそっと付けた。
スポンジと、ついでに私の手も。
手のひらから伝わってくるユウタの体温。
背中の感触。
やはり硬い。だけど温かい。
ユウタらしい、というのもおかしいけど。
それでも、やはり落ち着く。
だからだろう。
私の体は私の意思に反して行動した。
気づけば私はスポンジを持った手も、ユウタの背を撫でていた手も。
ユウタの胸へとまわしていた。
背中を向けている相手の胸へと手をまわすなんて、できないことじゃない。
でも、そんなことをすれば当然二人の距離は縮まる。
二人の隙間はなくなって―
―私はユウタに抱きついていた。
「…おい、何してんだよ。」
呆れたような声。
それでいて低い、私を脅すかのような声だった。
私の行為を禁じている。
私の接触を拒否している。
それは、わかる。
わかるけど、どうでも良かった。
ユウタの背中を抱きしめているとそんな気持ちになったから。
とても落ち着けて、とても安心して。
本人が怒っているのにぜんぜん平気で。
頭の中がふわふわとするというか…ほわほわしてるというか…。
タオル越しに感じるユウタの背中。
一枚の布を越して伝わるユウタの鼓動。
それを感じて。
もっと抱きしめたくなって。
もっと触れたくなってしまう。
どろどろとした本能も。
汚らしい欲望も。
もうどうでもよくなってしまう。
頭を撫でられるときとはまた違うこの感覚を。
ともに寝るのも違う至福の時をもっと味わいたい。
ただ、それだけ…。
「もう少し…だけ…。」
うわごとのように呟いた私の声は届いたのだろうか。
ユウタはまたかよ、と呟くようにしてそっと私の手に手を重ねてくれた。
「少しだけ、だからな…。」
そういってくれたユウタの声はとても優しくて。
私はユウタの背に抱きついたまま瞼を下ろした。
その後に何をしたのかはよく覚えていない。
思い出せるものを浮かべると、ユウタと共にお風呂の中に浸かっていたということぐらい。
頭がぽわぽわとする感覚の中で私はユウタに寄り添っていた。
ユウタもたぶん私を受け止めてくれていたと思う。
肩にまだじんわりと残る熱がそれの証拠。
ユウタに肩を抱かれていたこと。
ただそれだけ。
特別何をしたということじゃない。
何か発展があったというわけでもない。
行為になんて当然及んでいない。
それなのに。
とても満たされた。
とても、満足してしまった。
私はユウタを誘惑して襲わせるつもりだったのに。
毒気を抜かれ、それどころか満たされてしまった。
そして、もう一度その感覚を味わおうと思いたくなる。
だけど隣にいるはずのユウタはいない。
先ほど出て行ってしまったからだ。
「もう少し温まれよ」と一言残して。
それが少し寂しかった。
もう少し、共にいたかった。
でもユウタの言うとおりに私はお風呂に浸かっている。
ただ一人。
広いお風呂場がより広く感じられる。
一人、ぽつんとお湯に浸かる私。
それは傍から見たらとても寂しいものに見えただろう。
私自身、寂しいし。
でも。
部屋に戻ればユウタがいてくれる。
そこでまた頭を撫でてもらうなりしてもらえばいい。
そう思うとこの一人の時間も寂しくなくなる。
逆に待っている時間さえ楽しくなる。
一人で愛しの旦那様を探しに行っていたあのころとはぜんぜん違う。
ユウタがいるというだけでここまで私の生活に変化があるなんて思わなかった。
さてと。
さっさとお風呂から上がってしまおう。
早くユウタに頭を撫でてもらおう。
抱きしめてもらいたいなんて思っちゃうけどユウタのことだ。
それは許してくれないだろう。
無理やりやればいくらかはいけると思うけど…抵抗しそう。
悪ければお説教ももらいそう。
そんなことを考えながら私はお風呂から上がる。
右足から出て、次いで左足。
お湯の滴る体を動かして脱衣所へと進む。
その途中に気づいた。
…あれ?
私、目的変わってない?
前回は失敗してしまった。
とんでもないヘマをしてしまった。
あまりにもユウタが私を安心させすぎるから。
ユウタが私を優しく受け止めるから。
毒気を、欲望を。
思い切り抜かれてしまった。
だけど!
私はリリム!
そんなことぐらいでめげないし、あきらめるつもりもない!
同じ部屋で寝ているのだから誘惑する機会はかなり多い。
それこそこの城に住んでいる娘たちよりもずっと。
ただ誘惑するぐらいじゃあまり反応を示してくれないユウタだけど…。
それでも私が襲い掛かるよりも確実だ。
行為へと及んでもらう。
そしてユウタから精をもらう。
そのためにも失敗できない!
というわけで私は着々と準備を進めていた。
今、ユウタはこの部屋にはいない。
といってもお風呂に入っているだけだ。
その間に私は準備する。
メイドから用意してもらった夕食の準備を。
テーブルに私の分とユウタの分の料理がのったお皿を配置して。
これで食事の準備は出来た。
あとは、ちょっとした…誘惑を…♪
「ふぃ〜…。」
ほくほくとした様子でユウタがお風呂から上がった。
タオルを肩にかけて、お湯で濡れた髪の毛がしっとりと額に張り付いていてどことなく艶やかなだ。
服装もがくらんという服を片腕にかけ、あの白い服のボタンをいくつか開けたラフな姿。
同じ服だというのに着方を変えるだけでこうも変わるものなのね。
ただ、開け放たれた服の隙間から胸板が見える。
ちらちらと。
垣間見えるそれが色っぽい。
男の人に色気を感じる瞬間があるとすればこんなときなのだろう。
この前私がお風呂で見たあの胸板。
たった一枚の服に包まれるだけでこうも色気が出るとは思わなかった。
そんなことを感じると自然と体の奥が熱くなる。
っていけない。
私が誘惑されてどうする。
私が誘惑してユウタに襲わせなきゃ意味ないのに…。
とにかく。
私はユウタを誘惑するために、いざ行動に移った。
「ねぇ〜ユウタ…♪」
甘えるような声でユウタを呼ぶ。
ユウタはまだ私の姿を視界におさめていない。
それでいい。
今の私の姿は普段の露出の多いあの服装ではない。
家庭的な姿と思える姿。
だから、ユウタが私を見たときが、勝負。
「ん?何?」
そう言って私のほうを見る。
私の姿を、見る。
そこで私は言った。
「ご飯にする?」
私の今の姿。
それはエプロン姿だ。
女の子らしいピンク色でファンシーなエプロンをかけた私。
男の人なら家庭的な女性が好みということを聞いた。
エキドナのエリヴィラからだ。
それなら家庭的な姿はもっと好きなのではないのだろうか?
そして、その姿で迫られたら…どうなるのだろうか?
だから私は続けて言った。
こちらを向いたユウタという一人の男に向かって。
ユウタを誘惑する言葉を。
男の人なら陥落するだろう魅惑の声で。
「それとも…わ・た・し・にする♪」
ただのエプロン姿ではない。
私の今の姿は―
―裸エプロン。
この姿は男の人の夢だろう。
男の人ならこの姿に思わず欲情することだろう。
耐えられる男の人なんて皆無だろう。
お父様だってこの姿ででたお母様をその場で押し倒したと言っていたし。
だから私は翼を広げて迎え入れるように。
尻尾を揺らして誘うように。
そんなふうにしてユウタを誘惑する。
そんな私を前にしたユウタは―
「―…。」
無言だった。
というか固まっていた。
さっきまで艶やかに湿っていた髪の毛さえ固まっていた。
…え?何で…?
予想外の反応なんだけど…?
もっとこう…がばーとか来てくれないの?
そんなことを考えているとユウタが動き出した。
つかつかと、歩き出して。
私との距離を詰めてくる。
来たっ!とうとうユウタから来たっ!!
やはりこう際どい姿がユウタは好きなのね!
歩み寄ってくるユウタは私の背後にまわる。
私の背中に、立つ。
そのままどうするのだろう?
予想が出来るのはこのまま荒々しく抱きついてそのままとか…。
はたまたテーブルに押し倒してくれたりするのだろうか?
あの優しいユウタが一体どのようなものを求めてくるのか予想出来ない。
いったいどのようなことを私にしてくれるのだろう?
どきどきする…♪
私の背後にいるユウタから布のこすれるような音がした。
服を脱いでいるのだろうか?
それじゃあ、もうすぐにでも…♪
だが、それから先のユウタの行動は。
思い切り私の予想外というか…ある意味では予想できていた行動だった。
「何やってるんだよ…。」
とても疲れたようで、呆れたような声。
そして肩にかかる硬い布。
いや、これは服だ。
ユウタがいつも纏っているがくらんという服。
それを掛けられた。
そっと優しく、温かく。
そして呆れた声で言われる。
「女の子がそういうことを軽々しくするなよ。」
…まるっきり動じてくれていなかった。
「…ここまでしてるのに反応しないのね。」
「馬鹿、そういうことは想い人にやれって言うんだよ。」
「何でよ?」
「何でもだ。」
平坦な口調でのお説教。
少し振り返ってみるとそこにいるユウタは平然としている様子。
いや、それは上っ面だけだ。
一瞬だけ見えたユウタの顔は赤く染まっていた。
無反応、というわけでもない。
応じていない、ということでもない。
ユウタは私の誘惑に動じてくれている。
それでも、踏みとどまってしまうけど。
やはりここまでしてもユウタは動いてくれなかった。
後一歩というところで止まってしまった。
ユウタらしい。
だからこそ、もう一歩踏み出して欲しい。
そうして私を―
「服着て来いよ。それじゃあ目のやり場に困るだろーが。」
そう言ってユウタは私を押し出した。
その力に従うように私は前に進んでいく。
押されるままに向かう先にはクローゼット。
私の服が保管されているとこ。
「もう少しマシな服にしろって。着替え終わるまで外にいるからな?」
そう言ってユウタはそそくさと部屋を出て行ってしまう。
「あ、ちょっとユウタっ!」
引き止める暇もなく。
誘惑する隙さえなく。
ユウタは出て行ってしまった。
…やはり、ユウタだ。
これくらいで動じてはくれない。
動じてくれていたのなら私を目の前にした時点で魅了されているだろうけど。
それ以前に襲ってくれているだろうけど。
そうじゃないから、ユウタだ。
甘えては仕方ないなんて言って受け止めてくれるのに。
後一歩というところで拒んでくる。
最後の一線は確実に守る。
ボーダーラインは死守する。
そんな、男の人。
それはわかっている。
わかっているからこそ、まだ手は打ってある。
この程度であきらめられない。
私だって必死だ。
ユウタの精をもらうために必死だ。
そこまでして欲しいのだから。
リリムとして、男性の精は生きていく上で必要になる。
だからなんとしてもユウタの精をもらいたい。
そこで、だ。
まだ私には手が残っている。
このクローゼットの一番奥にそれはある。
お母様がお父様を誘惑するときに使う服。
お父様をイチコロにしたという思い出のある服。
その同じ服を私用に作ってもらった。
魅了の魔法なんてかかっていない、ただの服だけど。
それでも私が着ることによって効果は抜群だ。
私はクローゼットをあけ、それをみた。
…よし、いける。
絶対に、ユウタだって抵抗できないはず。
本能のままに私を襲いに来るはず。
だから、今はまだ待つ。
ねらい目は夜の、寝る前。
そのときに着る。
着て、ユウタにこの姿を見せるだけ。
それだけでいい。
あのユウタもきっとイチコロ。
どれほど拒絶しようが頑なに拒もうが、そんなものは意味をなさないくらいに。
今度のは裸エプロンなんて目じゃないくらいにすごいんだから…!
ユウタの言われたとおりいつもの服に着替え夕食を食べ、その後いつものようにおしゃべりしたりして…。
気づけば真夜中。
もう寝る時間だった。
「それじゃあ、もう寝ましょ。」
「そだな。」
いつものように私から言い出して二人でベッドに向かう。
はずなのだが。
私はユウタを見て言った。
「少しだけ後ろ向いててくれないかしら?」
「ん?どうした?」
「ちょっと着替えたくて…ね?」
「…それならオレ出てった方がよくね?」
「ううん、大丈夫。すぐに終わるから。」
文字通りすぐだ。
ただ一枚の服に着替えるだけ。
それにユウタが外に出て行ってしまっては困る。
ドアに近いところにいればユウタは確実に逃げ出すし、それに今の時間盛んになっている娘たちが多いのだから。
気を抜いていたらユウタをとられてしまうだから。
だからユウタにはドアに遠いベッドの近くにいてもらわないと。
「水、もらうよ?」
「え?あ、うん。」
ユウタはテーブルの上に置いてあるガラス製の水差しから水を注いで飲んでいるようだった。
そこまでなら大丈夫。
ドアとは距離がある。
まだ、いける。
ユウタは私から見て背中を向けているが私が言いというまでこちらを向くつもりはないようだ。
興味がない?
そういうわけでもないだろう。
それはここ数日でよくわかったのだから。
ユウタだって昂ぶるときがあるって、顔を赤くしているときにわかったのだから。
顔に出さないだけでユウタは耐えている。
それさえわかればいい。
私の魅力が効かなくてもいい。
理性の壁があってもいい。
そんなもの、ここまでだから。
もうすぐ壊してあげるのだから。
―私を襲うように最高の誘惑をしてあげるのだから…♪
布のこすれる音。
そして、床に落ちる音。
そのどちらにもユウタは反応を示した様子はない。
それでもかまわず私は着替えを続ける。
クローゼットの奥からそれを取り出して、着た。
前をとめて、これでいい。
すぐに着れる寝巻き用の服。
それに身を包んだ私は先にベッドに入った。
着替えた私の姿を隠すようにシーツに身をくるむ。
「いいわよ♪」
「ん。」
短い声と共にユウタは振り返った。
特に期待した様子もない顔。
もう少し期待してもらいたいものだと思う。
まぁ…期待以上のものを用意してあるんだけどね…♪
「パジャマにでも着替えたのか?」
「ふふ、そんなとこね♪」
微笑む私にユウタは怪訝そうな顔をした。
何かある、そういった表情。
気づかれてしまっている。
それでも、その気づいたものが何なのかまでわかってはいないようだ。
それで、いい。
「…なんかまた変なことしてないだろーな?」
「着替えただけよ♪」
「…ふ〜ん?」
着替えたといってもユウタの目に映るのはシーツに包まった私の姿。
どんな姿をしているのかはわからない。
そんな私を前にしてもユウタは普段と変わらずに歩み寄り、いつものようにベッドに腰掛けた。
がくらんという服を脱いで、最近ではベルトも外して。
いくらか身軽な姿。
そのまま脱いでもっと寝やすい姿になったらと聞いたことがあったがユウタ曰く「女の子の前でこれ以上脱げるかよ。」だそうだ。
そんなこと、意味のないことなのに。
これからすることを考えれば余計な手間を増やすだけなのに。
いや、着たままするというのもまたいいかもしれないけど。
それでも私は肌と肌を合わせる、二人して裸の姿のほうが好きだ。
そちらのほうが寄り相手を感じられそうだし。
何よりユウタを感じてみたいし。
がくらんをしわがつかないようにと器用に畳んでユウタはベッドに上がってくる。
―今だっ!
私はシーツの隙間から出した尻尾をユウタの腕に絡ませて引っ張った。
「!おわっ!?」
これから寝ようとしていた体勢に力を加えれば容易にバランスは崩れる。
私が引っ張ったほうへと。
私の上へと。
ユウタの体は倒れこんだ。
そして。
私の顔とユウタの顔が近づく。
あと少しで触れ合いそうな距離まで。
唇と唇が重なりそうなところまで。
なんとか踏ん張って堪えているようだけど体は密着して。
シーツ越しにユウタの体があって。
「…。」
「…。」
お互い、何も言わない。
ただ、見詰め合っていた。
私はユウタの黒い瞳を。
ユウタは私の赤い瞳を。
互いに映して何も言わなかった。
静寂。沈黙。
静かな息遣いだけが耳に響く。
あと…少し…。
あと少しで…唇が…。
そんな空間で先に言葉を発したのはユウタだった。
「…何すんだよ。」
呆れ返ったいつも声色。
そこにある表情も同じような顔。
困ったような、疲れたような顔。
「こんな危ない姿勢とらせんなよ。」
そう言って体を起こして離れていくユウタ。
やはり、堅い。
どこまでやっても必ず止まってしまう。
でも、そんなの。
予想通りだ。
だから私はユウタが離れていくのと同時にシーツをとって見せた。
隠していた体をユウタの目に曝け出すように。
ユウタからよく見えるように。
シーツを取り払った私の姿を見たユウタは―
「―っ!!?」
一瞬で顔色が変わった。
驚愕、そして紅潮。
それもそうだろう。
今の私の姿はあの露出の多い普段着とは違う。
寝るための服。
―ネグリジェ。
お母様も愛用している寝巻き。
だが、ただ寝るための服ではない。
もちろん男の人と寝るための、服だ。
そのためにもこのネグリジェは薄手。
近くで見ればわかると思うが…透けるほど薄い。
私の肌が見えるほどに。
だから体を起こしつつも私の近くにいるユウタには。
私の姿が、ネグリジェを着て透けている私の体が見えている。
私の姿が瞳に焼き付いている。
「フィオナっ!なんつー格好してんだよっ!」
流石のユウタもこれには反応を示した。
今までで一番大きな反応だろう。
そこへ、畳み掛ける。
「ねぇ…ユウタ…。」
そっと呟くように。
甘く囁くように。
ユウタの心をかき乱すように。
理性を狂わすように。
私はネグリジェの裾を指で摘んで持ち上げる。
あらわになる私の足。
透き通るような白い肌の太腿。
そのまま誘い込むように翼を広げて。
足をひらいて…。
言った。
「しよ…♪」
「っ!」
そういわれたユウタは即座に視線を私から外した。
それでも。
顔が真っ赤になっていることは隠せない。
ユウタも興奮している。
それが私を昂らせる。
そして、期待させる。
今度こそ上手くいくと。
ユウタが誘われてくれると。
私から顔を背けたユウタはそのまま口を開いた。
そこから出てくるのは肯定の言葉だろう。
私の誘いを受けるという言葉だろう…!
そうして口を開いたユウタが発した言葉は―
「―何度も言わせるな…っ!」
否定の言葉だった。
私の誘いを断る言葉だった。
「…え?」
思わず間の抜けた声が出てしまうぐらいに。
ユウタの行動は予想外のもので。
いつもどおりのものだった。
「女の子が、そんな姿を晒すなよ…。」
顔を合わせず、視線を合わせず。
ユウタはうめくように言った。
「もっと…好きになった相手にやってやれ…っ。」
私の姿を見ないように。
私の体を見ないように。
ユウタは留まり、離れていく。
「…な、んで…。」
わからなかった。
ユウタがここまでして誘惑されない理由が。
ここまでしているのに襲わずにいられるユウタが。
何で?
どうして?
ここまで拒めるわけが…わからない…!
「……ユウタ。」
私はユウタを見て彼の名を呼んだ。
それでもユウタはこちらを見ようとはしない。
意地でも見ないつもりだろう。
それが、少し悲しかった。
「…ねぇ…ユウタ。」
「…何?」
「ユウタから見て…私って魅力…ない?」
「…あるけど?」
「じゃあ、何で目を合わせてくれないの…?」
「…魅力的だから、合わせられないんだよ。」
「どうして?」
「……そういうことを、どーでもいい奴とするな。後悔するぞ…。」
ユウタは静かに言ってベッドから出て立った。
その先の行動がなんだか私はしっている。
この部屋を出るのだろう。
私が着替えるまで部屋の外にいるのだろう。
せっかくここまでしたのに。
ここまで誘惑しようとしたのに。
それでもユウタは振り向かない。
…それでも。
私はあきらめられなかった。
それ以上に欲しかった。
むき出しの欲望のままに。
本能の赴くままに。
ユウタが襲ってくれないのなら…もういいだろう。
抵抗されようが構わない。
最初から。
―私が襲ってしまえばいいんだ。
ユウタが抵抗をする前に。
ユウタが逃げ出す前に。
私を拒むことなど出来ないように。
私を拒否する暇さえないように。
その考えが浮かんだ途端に私の体は動いていた。
歩き出そうとするユウタの背中へ飛び込んでいった。
遅れて、ユウタが振り向く。
その視界に私が入る。
「フィオナっ!?」
遅れた反応なのにユウタは向かってきた私を受け止めるように手を広げた。
広げて、あいたその胸へと飛び込む私。
飛び込んで、抱きついて。
それで止まらなかった。
飛び込んだ力は止めきれずユウタを後ろへ押し倒す。
そうなることをわかっていたかのようにユウタは私を抱きしめた。
衝撃から身を守るために。
私の体を傷つけないために。
―衝撃。
ユウタの背は床に叩きつけられる前に近くにあったテーブルにぶつかる。
そうして、倒れる。
テーブルにぶつかった衝撃で上に置いてある水差しが音を立てて落ちた。
割れて破片は飛び散り、飛沫が舞う。
でもそんなもの、興味ない。
今私はユウタにしか興味を持ってない。
「っ痛つ…フィオナ…なにすんだよ…っ!」
痛みに顔を歪めながらも手はしっかり私の背へとまわしてある。
私の体が床に接しないように。
やはり、ユウタは優しい。
どんなときも。どこまでも。
だから甘えて、誘えば…上手くいくと思ってたのに…。
それでも、もう限界。
「ユウタ…♪」
私は倒れたユウタに覆いかぶさる。
胸板に手をついて。
そっと身を寄せて。
顔を、唇を近づけて。
「フィオナ…っ!」
「いいでしょ…?しよ…♪」
胸を押し付けて。
耳元でささやいてあげる。
「気持ち、いいよ…♪」
「っく…!」
揺らいだ。
ユウタの意志が、理性が。
今ハッキリとわかった。
重なる肌から伝わる鼓動が。
一段と大きく伝わったから。
「やめろよ…っ!フィオナ…っ!!」
「ねぇ…ユウタぁ♪」
「…ぁっ…!」
理性が焦がれる。
本能が疼く。
欲望が燃え上がる。
ユウタもきっと同じはずだ。
この距離で、この体勢で。
異性にささやかれて理性を保てるはずがない。
相手がリリムなのにここまで魅力を拒める男の人はいるわけがない。
今まで私をかたくなに拒んだユウタだけど。
そんなユウタでもこれは効いている。
私が誘惑するよりもずっと強く。より深く。
だがそれは。
私にも言えことだった。
ユウタに触れるたびに体が熱くなる。
胸に手を乗せただけで、安らぐ。
身を寄せるだけで心昂ぶる。
この安心感が欲しい。
この精が欲しい。
この欲望を埋めたい。
そのためにも。
私は貪欲にもユウタを求めずにいられなくなる。
自分で誘惑の言葉を囁いておきながらユウタの声に誘われてる。
その荒くなる息遣いに。
赤く染まった顔に。
私は惑わされる。
ユウタの頬を私の手で包み込んだ。
「っ!」
「んっ………ユウタぁ…キス、しようよ…♪」
逃げられないように固定して。
そっと顔を近づける。
ユウタからは動かせないので当然私から。
誘惑なんてする気もない。
私からユウタを襲ってあげる。
もう少し。
互いの吐いた息が頬に当たるその距離で。
徐々に狭まるこの距離で。
唇と唇の隙間は埋められようとしたそのとき。
―ぺきりと、音がした。
何の音かはわからない。
何かが割れたような音。
でも、そんなもの気にしていられるほど余裕はない。
「んっ…♪」
ユウタの唇に私の唇を重ねたい。
そのまま思うがまま貪って。
そのまま絡み合って溶け合いたい。
私は瞼を下ろした。
唇の感触をより感じるために。
私とユウタの隙間はもうないに等しい。
それなら目を瞑っていても出来る。
―だから私はそのまま唇を重ねた。
唇から伝わってきた感触。
それは少し硬い。
私の予想していたものとは違う感触だった。
「…?」
不思議に思って目を開ければそこにあるのはユウタの顔。
ただ、幾分か顔の赤さが引いていた。
興奮が収まっていた。
そして、一番気になるのがユウタの唇が見えたこと。
おかしい。
私とキスしているのなら唇は見えないはずなのに。
そこでようやく気づいた。
私の唇に触れているのはユウタの唇なんかではない。
指の腹。
優しく受け止めるように、私の進行を止めるように。
ユウタが抑えていたのだ。
でも……なんで…?
「フィオナ。」
ユウタは静かに言う。
私の目を見て。
その黒い瞳に私の顔を映して。
「軽々しくそういうことをやるなよ…。女の子なんだから、もっと体を、大事にしろ…。」
それはユウタが普段から言うことと同じだった。
いちいち体を大切にしろとか、女の子なのだからとか。
いつもどおり。
さっきまで昂ぶっていたのにいつの間にか戻っている。
落ち着いてしまっている。
何で…!?さっきまでユウタもその気になっていたのに…!
「…そら。」
「っつ!?」
そう戸惑う私にユウタはピンッとおでこをはじいた。
デコピン。
一瞬何が起きたのかわからなくなる。
「フィオナ。お前は魅力的だよ。だからこそ…オレなんかで妥協すんな。」
「ユ、ウタ…?」
「リリムの食料が男性の精だってことは知ってるさ。だからこそ、オレなんかで済まそうとすんなよ。」
そう言ってユウタは私の下から抜け出した。
器用に体を滑らすようにして。
まるで流れる水のような手際のよさで。
そうして立ち上がる。
特に何事もなかったかのように。
平然として。
「オレなんかよりもいい男なんて、腐るほどいるだろ?だから、そういう奴としろよ。もっと好きになって、心のそこから愛おしいって思える奴と。」
そう言うのだった。
どうして……。
どうしてそこまでユウタは頑なに私を拒んでくれるの…?
それほどまでにユウタは肌を重ねていけない理由があるの…?
何で私を受け入れてくれないの…?
そこまでして自分を留めないといけないわけがあるの…?
ねぇ、何で…?
「何で…してくれないの…?」
「…。」
「何でよ…ユウタぁ………っ!!」
「…だから、言っただろうが。」
そう言ってユウタは床に置いてあるがくらんとベルトを掴んだ。
右手で。
左手は庇うようにして。
よく見れば左手は何か握りこんでいた。
握りこんだその指の隙間から―
―血が垂れていた。
それを見て私は床を見る。
水差しが割れて破片が散ったところを見る。
そこには…数滴の血。
誰のものかなんていわなくてもわかる。
ユウタのだ。
その血は破片が集まっているところに落ちている。
それを見て理解した。
ユウタは水差しの破片を握っていたんだ。
痛みで誘惑を振り切ったんだ。
欲望を振り切って、本能をねじ伏せて。
そこまでして私に抗ったんだ…。
…どうして。
そこまでして抗うんだろう。
そこまでして本能をねじ伏せるのだろう。
ユウタだって心のどこかでは私を求めているんじゃないの?
欲望が燃えているんじゃないの?
どうして…?
ユウタは歩き出した。
その先にはドア。
それが意味することはわかる。
「…出て行く気なの…?」
「ああ、悪いけどそうさせてもらう。」
「…何でよ?」
「…このままじゃ、本当に抑えられなくなる。フィオナ自身も―
―オレ自身も…。」
ユウタは静かに言う。
痛みで冷静さを完全に取り戻して。
「…何でよ。襲えばいいでしょ…。」
「…だから、何度も言わすな。」
「何よ、ユウタにはそこまでしてしたくないの?」
「…正直したいさ。」
「じゃあすればいいでしょ?」
「それでも、しない。」
「…何でよ。」
「理由は同じ。それに、オレはしたいってだけでしたくはないし。」
「………何でよっ!?」
気づけば私は怒鳴っていた。
ユウタのその態度に。
あまりにも拒んでくるその対応に。
「それは私が悪いって事!?それともユウタがしたくないってこと!?」
「…フィオナは悪くない。」
「じゃあ何よ!?ユウタがしたくないって事なの!?」
「…オレは、フィオナとつりあわないからな。」
そう言ってユウタは笑った。
とても悲しげに。
あの時、私の部屋に初めて来たとき。
窓の外を眺めつつ浮かべていたあの表情で。
見ている私も悲しくなりそうな顔だった。
それを前にしているのに私は自分勝手に振舞ってしまう。
「…本気で、出て行くの?出て行くつもりなの?」
「…。」
ユウタは無言。
何も言わずに私を見ている。
その悲しそうな表情で。
それがたまらなく嫌で、とても、嫌だった。
「それならさっさと出てってよっ!」
思わず怒鳴ってしまった私。
あまりの感情の高ぶりにユウタにしてはいけないことをしていた。
優しく受け止めてくれたユウタにたいしてあまりにも勝手な行動。
それでも、今の私はそれがわかるほど冷静ではなかった。
ユウタが私を拒んだことが認められなくて。
自棄になっていた。
「さっさと出て行って、どこへでもいけばいいでしょっ!出てけっ!!」
それに対してユウタは。
怒鳴りもせず。
怒りもせず。
私に言い返すなんてこともしない。
こんな私の感情を受け止めてくれていて。
悲しげに笑ってドアを開いた。
そして、言った。
「じゃあな、フィオナ。今度は、もっといい男を見つけろよ…。」
そう言ってドアは閉じられた。
音もせずに。
最初からしまっていたと思ってしまうくらいに静かに。
「…。」
こうして部屋には私一人になった。
広い部屋に、私が一人。
ユウタはいない。
ユウタを召喚してからこの部屋で初めて一人になった。
もう戻ってこないという意味で。
もう帰ってこないという事で
「…ユウタの、馬鹿。」
そう呟いた言葉は虚しく部屋に響くだけだった。
ユウタと共に過ごす毎日は独りで過ごし、まだ見ぬ旦那様を探しに行っていたあの色のない日よりもずっと素晴らしかった。
時間の流れを早く感じる。
まるで止まっていた時間が動き出したような。
色あせた世界に色が戻ってきたような感じがする。
だが、この五日間。
ユウタは私からの接触を極力避けていた。
手足が触れ合う程度ならまだ平気。
なのだが。
手を繋ごうとしてもすり抜けられ。
抱きつこうにもかわされ。
胸を押し付けてみようにも一歩引かれて届かなくて。
寝ている間に抱きついてもいつの間にか逃げられて。
腕枕さえ許してもらえず。
それならとキスをせがんだらお説教をもらった。
そんな大事なことはちゃんと好きになった男とやれ。
決まってユウタはそう言うのだ。
許してもらっていることといえば頭を撫でるくらい。
…少ない。
年頃の男女はこんなものだろうか…いや違う。
あまりにもユウタが引きすぎている。
一歩身を引いているというか。
一線を守っているというか。
これ以上進むのを拒んでいるようで。
私と触れ合うことを拒否している。
または、私に触れさせないようにしている。
だが。
それは私にとって逆効果かもしれない。
私はリリム。
男を求めずにいられない魔物。
ユウタが遠ざかれば遠ざかるほど。
ユウタが拒めば拒むほど。
私は彼を欲する。
その体を。
その精を。
ユウタの全てを求める。
この五日間、よく耐えたと思う。
本当なら私の魅力でユウタは私を求めずにはいられなかったはずだ。
私もユウタを構わず襲っていたはずだ。
それなのにユウタは平然としている。
私を頑なに拒み続ける。
だから。
私はユウタから精をもらえない。
私を襲わないから。
私が襲えないようにするから。
そんなことをするから。
私の本能は。欲望は。
私に命令を下す。
私を、支配する。
ユウタを襲え、と。
もともとそれが理由で召喚したようなものだった。
だから、私は命令に、本能に従うまで…。
抗わず、刃向かわず。
素直に、従順に。
だが、真正面から襲い掛かってもユウタを襲えるとは思っていない。
それどころか必ず止められる。
確実に拒まれる。
腕力だって人よりはあると思うけど、きっとユウタのほうが上。
力でねじ伏せるにもそんなことは出来るわけない。
バフォメットであるヘレナに一撃入れたというのだ、それなりの実力はあると思っていい。
それなら魔法でも使ってしまおうかしら…。
それならユウタにも効果は出て…くれなさそうだ。
私の近くにいるのに魅了されないのだから魔法でどうにかなるようなものでもない。
それなら手はない?
いや、まだある。
私が襲えないというならユウタから襲ってもらおう。
ユウタが私を求めるように仕向ければいい。
ユウタが私を欲しくなるように。
―誘惑、してあげればいい。
ユウタを誘って、惑わせばいい。
それなら簡単だ。
誘惑なら私にも出来る。
あのお母様の娘なんだから、それくらい余裕のはずだ。
…それでユウタをその気にさせられるかはわからないが。
それでもやろう。
私は本能に支配されながらも冷静に着々と準備を進めた。
男の人は女の人の裸に弱い。
それは私が町に出たとき露出の多い格好をしているときによくわかること。
男の人の視線が集まるのは私の体質だけではないはずだ。
だからユウタは私にもっと露出の少ない服を着ろと言っていた。
変な男が寄ってこないようにと。
あれはユウタ自身が襲わないようにという意味も込められていたのではないだろうか?
それなら…きっとユウタも女の人の裸には弱いはずだ。
だから。
それで迫ってみよう。
ただ迫ってもユウタは逃げるらしい。
それも恐ろしく早く。
他の魔物娘から聞いたのだけど、ユウタに迫った娘がいたらしい。
この五日間に、すでにそこまで興味を持った者がいるということ。
その事実は私自身、嫌な思いにさせられた。
何でかはわからない。
ただ、嫌だ。
他の娘といることが、なぜだか嫌だった。
だがそれでもいい話を聞いた。
迫ってもユウタは逃げ出す。
何をしようと必ず。
この前はクイーンスライムがユウタに襲い掛かったと聞いたけどそれすら避けた。
あのスライムを、だ。
流動体で形のない娘をどうやって避けたのだろう…。
他にもこの城にいるリザードマンが勝負を仕掛けたのに煙のように消えたとか。
ラミアに巻きつかれながらも抜け出して逃げたとか。
あれならドラゴン相手でも逃げ切るんじゃないかといわれるほど素早いらしい。
そんなユウタを捕まえるなんて事私はできない。
以前何からか逃げていたのだろうか?
とにかく。
狙うのはユウタが逃げられないようなとき。
ユウタが逃げ出したいと思わないときだ。
それで考え付いたのは。
思いついたところは。
―お風呂。
裸になっているところで外に逃げ出そうと思わないはずだ。
それにこの城の中で男が裸で駆けずり回るなんて行為をすれば確実に捕まる。
魔物娘に。
そして行為へと及んでそのままゴールイン。
最悪他の娘たちも寄ってきて乱交。
ユウタもここへ来て五日、この城にいる娘たちがそのぐらいのことを平然とやってのけることぐらいわかっている。
だからこそ、ユウタはお風呂場から逃げ出せない。
それなら!
やはり狙うのはお風呂のときだ!
「そんじゃ、お風呂借りるわ。」
「ええ、いいわよ。」
いつものように私に許可をとってユウタはお風呂場へと進んでいく。
ゆったりとした足取り。
そのまま進んでいったユウタは脱衣所へと通じるドアを開けて中に入っていく。
がちゃりと。
無機質な音をたててドアが閉まった。
…よし。これでいい。
あとはユウタが服を脱いでお風呂に入っているときに私も入ればいい。
そうすればユウタは逃げられず、私を真正面から受け止める形になる。
そのまま体を、胸を押し付けて誘惑すれば…!
その後の展開を想像した私は思わず笑みを浮かべた。
鏡で見てないから確かなことわからないけど…たぶんいやらしい笑みを。
「おじゃましま〜す…。」
小声で脱衣所のドアをそっと開けた。
ドアの向こうに広がるのは私の部屋と同じくらい豪華な部屋。
細かなところまで豪勢に作られた脱衣所。
そこに私の求める男の姿はなかった。
置いてあったタオルがなくなっている。
持って入っていったのだろう。
その代わりにタオルのあったところには服が置いてあった。
ユウタが普段から着ている黒い服と白い服。
それと………。
「っ!これ…。」
私の知っているものと少し違う。
綺麗に作られたそれを私は手にとって見た。
服と同じように黒いそれ。
だけど普段目にすることはないだろうそれ。
これって…たぶん……。
―……ユウタの…パンツ。
「………………………………………………あ、いけない。」
思わず目的を見失うところだった。
私は手に取ったそれを丁寧に畳んでもとの場所に戻す。
さて、と。
それじゃあ改めて…行動に移りましょうか。
私はお風呂場へと通じるドアを前に服を脱ぎだした。
私の部屋についているお風呂は大浴場に比べれば小さいほうだ。
だけど、そこらのお風呂よりは広い。
五人くらいなら余裕で入れるぐらいは広い。
そのお風呂場に反響している音。
ごしごし、わしわしと。
体を擦る音が聞こえてくるところから今ユウタは体を洗っているのだろう。
それは、好都合。
そんな状態なら湯銭に戻ることもそのまま出て行くことも出来ない。
チャンスだ。
私は遠慮なんてものせず、ためらいなんて持たず、迷うことなくドアを開けた。
「お背中流しに来ました〜♪」
「っ!!?」
ユウタがすぐさま振り返って見る。
その黒い瞳に映る私の姿。
髪は下ろしたまま。
タオル一枚を巻いただけで体のラインはくっきりと浮き出たこの姿。
背中の翼や尻尾は器用に出した、私らしい姿。
ユウタの目にはどう映っているのだろう?
そう思うと少し体の奥が熱くなる。
「馬っ鹿!お前何やってんだよ!?あ、ちょっと!」
「なによ、馬鹿って!」
「オレが入ってるだろーが!」
振り返ってこっちを見たユウタのその姿。
タオルを巻いていたので下半身は見えない。
それでも見えた泡のついたユウタの体。
服に隠れて見えなかったけど意外と着やせをするタイプらしい。
その体は綺麗だった。
余計な筋肉はついていないライン。
細身なのにがっしりとした肩。
全体的に引き締まっている体。
見ていて…体の奥がまた熱くなった。
「おいっ!何で入ってきてるんだよ!」
大慌てで言うその様子からこの行為は効果適面だったようだ。
やはりユウタも女の肌に弱い。
その証拠に普段はそう変わらない顔が赤くなっている。
恥ずかしがっているのか、それとも照れているのか。
落ち着いた雰囲気のあるユウタからは想像できない姿が可愛い。
「だから言ったでしょ?お背中流しに来たって。」
「出てけよ!女の子がそんなことすんなよ!」
「むっ。ここは私の部屋よ?私がどうしようと勝手でしょ?」
「だからってこれは行き過ぎだろ!」
「私がユウタの背中を流すだけでどこが行き過ぎてるの?」
「入ってくる時点で行き過ぎてんだよ!」
やはり受け入れようとしない。
頑なに私を拒んでくる。
なんでユウタはそうまでして私を拒絶するのだろうか。
それほどまでに私は嫌われている…わけでもないはずなのに。
それでも私は止まらない。
それほどまでして精が欲しい。
そこまでしてもユウタが欲しい。
だから、さらに畳み掛ける。
近づいていって、追い詰める。
「お、おいっ!フィオナ!何する気だよ!」
「ん〜?だから言ったじゃない。背中を流してあげる♪」
「だからなんで急に!」
「なんとなく?」
「なんだよそれ!?」
「ユウタだって言ってたじゃない。」
「ぐっ!」
ユウタが私と初めて寝るときに顔を向けていた理由。
なんとなく。
ユウタはそう言って私を見ないようにしていた。
今思うとなんて便利な言葉なのだろう。
「ね、お願い♪」
「何でお願いされるんだよ…?」
「私、背中流したことないの。だから、ね?」
「そういうことはもっと大切な奴とやれっていってるだろ?」
そう言ってユウタはため息をつく。
また、だ。
困ったように、呆れたようにするときは必ずため息をつく。
何について呆れているのか、ユウタの言葉の意味は何なのか。
それは、わからないけど。
困ったときにため息をつくのがユウタの癖だということはわかってきた。
それほど私が背中を流すことは困ることだろうか?
「…仕方ないな。」
そうして、頷いてしまうのもユウタだ。
やっぱりユウタは甘いところがある。
どうしようもなく甘くて、そして優しくて。
思わずこちらが甘えたくなるようなところが。
それがユウタにとっていいところなのかもしれない。
だから私は甘えてしまう。
その甘さに、心ゆくまで。
「変なことすんなよ?」
「大丈夫、私に任せて…♪」
お風呂場にあった椅子にユウタを座らせ、私は手に石鹸を持つ。
ユウタからスポンジを渡されたが、使うつもりはない。
そんなもので洗っていてはこの状況の意味がない。
お風呂場に男と女。
男が椅子に座って背を向けているこの状態で女がすべきことは…一つ。
スポンジなんて無粋なものを使わずに、肌と肌の触れ合いを。
文字通り体を重ねて洗い合う。
そして、そのまま行為へと及んで…♪
…よしっ!
そうと決まれば私は体に巻いたタオルに手を掛け―
「―もし、スポンジ使わないで洗うつもりならオレは自分ひとりで洗うからな?」
ずるっと、転びそうになった。
ユウタからの的確な、私のやろうとしていることを見透かしているかのような発言だった。
何でわかったのだろう…。
びっくりさせるつもりだったのに。
そしてそのままするつもりだったというのに…。
いや、でも。
ユウタは言った。
『スポンジを使わないで』と。
それならまだいける。
スポンジを使いながら体で洗えば、いける。
まだまだ、大丈夫だ!
私は再びタオルに手を掛けて―
「―…変な接触するなよ?」
再び的確な発言だった。
何なんだ、この男は。
何でこうも私の行動を制限できるんだ。
ユウタは私のやろうとしていることに気づいているのだろうか?
あまりにも的を射た発言というか。
私の行動を先読みしているというか。
手馴れているような発言だった。
「…どうした?」
少しばかり振り返って私を見るユウタ。
顔には思い切り怪訝そうな表情を浮かべて。
「い、いえっ!何もないわよ?」
そう言った私の声はうわずってしまう。
平然としているつもりがユウタに変な不信感を持たせてしまう。
だがユウタはそんな私を見て、やはり困ったようにため息をついた。
「…師匠といるみたい。」
「?え、何?」
「いんや、何でもねえよ。それよりも背中、流してくれるんだろ?」
ああ、そうだ。
それが目的だった。
あくまで表面上の、だけど。
「それじゃあ、流すわね。」
ユウタに言われたとおりにスポンジを石鹸で泡立てる。
泡立てながら眺めるユウタの背中。
細身なんだけど思った以上に広い。
傷らしい傷はなく綺麗だ。
私の思い描く男らしい背中とはまた違うけど。
それでも…。
見ているだけでもユウタを男と認識せざるおえなくなる。
私は泡立ったスポンジをユウタの背中にそっと付けた。
スポンジと、ついでに私の手も。
手のひらから伝わってくるユウタの体温。
背中の感触。
やはり硬い。だけど温かい。
ユウタらしい、というのもおかしいけど。
それでも、やはり落ち着く。
だからだろう。
私の体は私の意思に反して行動した。
気づけば私はスポンジを持った手も、ユウタの背を撫でていた手も。
ユウタの胸へとまわしていた。
背中を向けている相手の胸へと手をまわすなんて、できないことじゃない。
でも、そんなことをすれば当然二人の距離は縮まる。
二人の隙間はなくなって―
―私はユウタに抱きついていた。
「…おい、何してんだよ。」
呆れたような声。
それでいて低い、私を脅すかのような声だった。
私の行為を禁じている。
私の接触を拒否している。
それは、わかる。
わかるけど、どうでも良かった。
ユウタの背中を抱きしめているとそんな気持ちになったから。
とても落ち着けて、とても安心して。
本人が怒っているのにぜんぜん平気で。
頭の中がふわふわとするというか…ほわほわしてるというか…。
タオル越しに感じるユウタの背中。
一枚の布を越して伝わるユウタの鼓動。
それを感じて。
もっと抱きしめたくなって。
もっと触れたくなってしまう。
どろどろとした本能も。
汚らしい欲望も。
もうどうでもよくなってしまう。
頭を撫でられるときとはまた違うこの感覚を。
ともに寝るのも違う至福の時をもっと味わいたい。
ただ、それだけ…。
「もう少し…だけ…。」
うわごとのように呟いた私の声は届いたのだろうか。
ユウタはまたかよ、と呟くようにしてそっと私の手に手を重ねてくれた。
「少しだけ、だからな…。」
そういってくれたユウタの声はとても優しくて。
私はユウタの背に抱きついたまま瞼を下ろした。
その後に何をしたのかはよく覚えていない。
思い出せるものを浮かべると、ユウタと共にお風呂の中に浸かっていたということぐらい。
頭がぽわぽわとする感覚の中で私はユウタに寄り添っていた。
ユウタもたぶん私を受け止めてくれていたと思う。
肩にまだじんわりと残る熱がそれの証拠。
ユウタに肩を抱かれていたこと。
ただそれだけ。
特別何をしたということじゃない。
何か発展があったというわけでもない。
行為になんて当然及んでいない。
それなのに。
とても満たされた。
とても、満足してしまった。
私はユウタを誘惑して襲わせるつもりだったのに。
毒気を抜かれ、それどころか満たされてしまった。
そして、もう一度その感覚を味わおうと思いたくなる。
だけど隣にいるはずのユウタはいない。
先ほど出て行ってしまったからだ。
「もう少し温まれよ」と一言残して。
それが少し寂しかった。
もう少し、共にいたかった。
でもユウタの言うとおりに私はお風呂に浸かっている。
ただ一人。
広いお風呂場がより広く感じられる。
一人、ぽつんとお湯に浸かる私。
それは傍から見たらとても寂しいものに見えただろう。
私自身、寂しいし。
でも。
部屋に戻ればユウタがいてくれる。
そこでまた頭を撫でてもらうなりしてもらえばいい。
そう思うとこの一人の時間も寂しくなくなる。
逆に待っている時間さえ楽しくなる。
一人で愛しの旦那様を探しに行っていたあのころとはぜんぜん違う。
ユウタがいるというだけでここまで私の生活に変化があるなんて思わなかった。
さてと。
さっさとお風呂から上がってしまおう。
早くユウタに頭を撫でてもらおう。
抱きしめてもらいたいなんて思っちゃうけどユウタのことだ。
それは許してくれないだろう。
無理やりやればいくらかはいけると思うけど…抵抗しそう。
悪ければお説教ももらいそう。
そんなことを考えながら私はお風呂から上がる。
右足から出て、次いで左足。
お湯の滴る体を動かして脱衣所へと進む。
その途中に気づいた。
…あれ?
私、目的変わってない?
前回は失敗してしまった。
とんでもないヘマをしてしまった。
あまりにもユウタが私を安心させすぎるから。
ユウタが私を優しく受け止めるから。
毒気を、欲望を。
思い切り抜かれてしまった。
だけど!
私はリリム!
そんなことぐらいでめげないし、あきらめるつもりもない!
同じ部屋で寝ているのだから誘惑する機会はかなり多い。
それこそこの城に住んでいる娘たちよりもずっと。
ただ誘惑するぐらいじゃあまり反応を示してくれないユウタだけど…。
それでも私が襲い掛かるよりも確実だ。
行為へと及んでもらう。
そしてユウタから精をもらう。
そのためにも失敗できない!
というわけで私は着々と準備を進めていた。
今、ユウタはこの部屋にはいない。
といってもお風呂に入っているだけだ。
その間に私は準備する。
メイドから用意してもらった夕食の準備を。
テーブルに私の分とユウタの分の料理がのったお皿を配置して。
これで食事の準備は出来た。
あとは、ちょっとした…誘惑を…♪
「ふぃ〜…。」
ほくほくとした様子でユウタがお風呂から上がった。
タオルを肩にかけて、お湯で濡れた髪の毛がしっとりと額に張り付いていてどことなく艶やかなだ。
服装もがくらんという服を片腕にかけ、あの白い服のボタンをいくつか開けたラフな姿。
同じ服だというのに着方を変えるだけでこうも変わるものなのね。
ただ、開け放たれた服の隙間から胸板が見える。
ちらちらと。
垣間見えるそれが色っぽい。
男の人に色気を感じる瞬間があるとすればこんなときなのだろう。
この前私がお風呂で見たあの胸板。
たった一枚の服に包まれるだけでこうも色気が出るとは思わなかった。
そんなことを感じると自然と体の奥が熱くなる。
っていけない。
私が誘惑されてどうする。
私が誘惑してユウタに襲わせなきゃ意味ないのに…。
とにかく。
私はユウタを誘惑するために、いざ行動に移った。
「ねぇ〜ユウタ…♪」
甘えるような声でユウタを呼ぶ。
ユウタはまだ私の姿を視界におさめていない。
それでいい。
今の私の姿は普段の露出の多いあの服装ではない。
家庭的な姿と思える姿。
だから、ユウタが私を見たときが、勝負。
「ん?何?」
そう言って私のほうを見る。
私の姿を、見る。
そこで私は言った。
「ご飯にする?」
私の今の姿。
それはエプロン姿だ。
女の子らしいピンク色でファンシーなエプロンをかけた私。
男の人なら家庭的な女性が好みということを聞いた。
エキドナのエリヴィラからだ。
それなら家庭的な姿はもっと好きなのではないのだろうか?
そして、その姿で迫られたら…どうなるのだろうか?
だから私は続けて言った。
こちらを向いたユウタという一人の男に向かって。
ユウタを誘惑する言葉を。
男の人なら陥落するだろう魅惑の声で。
「それとも…わ・た・し・にする♪」
ただのエプロン姿ではない。
私の今の姿は―
―裸エプロン。
この姿は男の人の夢だろう。
男の人ならこの姿に思わず欲情することだろう。
耐えられる男の人なんて皆無だろう。
お父様だってこの姿ででたお母様をその場で押し倒したと言っていたし。
だから私は翼を広げて迎え入れるように。
尻尾を揺らして誘うように。
そんなふうにしてユウタを誘惑する。
そんな私を前にしたユウタは―
「―…。」
無言だった。
というか固まっていた。
さっきまで艶やかに湿っていた髪の毛さえ固まっていた。
…え?何で…?
予想外の反応なんだけど…?
もっとこう…がばーとか来てくれないの?
そんなことを考えているとユウタが動き出した。
つかつかと、歩き出して。
私との距離を詰めてくる。
来たっ!とうとうユウタから来たっ!!
やはりこう際どい姿がユウタは好きなのね!
歩み寄ってくるユウタは私の背後にまわる。
私の背中に、立つ。
そのままどうするのだろう?
予想が出来るのはこのまま荒々しく抱きついてそのままとか…。
はたまたテーブルに押し倒してくれたりするのだろうか?
あの優しいユウタが一体どのようなものを求めてくるのか予想出来ない。
いったいどのようなことを私にしてくれるのだろう?
どきどきする…♪
私の背後にいるユウタから布のこすれるような音がした。
服を脱いでいるのだろうか?
それじゃあ、もうすぐにでも…♪
だが、それから先のユウタの行動は。
思い切り私の予想外というか…ある意味では予想できていた行動だった。
「何やってるんだよ…。」
とても疲れたようで、呆れたような声。
そして肩にかかる硬い布。
いや、これは服だ。
ユウタがいつも纏っているがくらんという服。
それを掛けられた。
そっと優しく、温かく。
そして呆れた声で言われる。
「女の子がそういうことを軽々しくするなよ。」
…まるっきり動じてくれていなかった。
「…ここまでしてるのに反応しないのね。」
「馬鹿、そういうことは想い人にやれって言うんだよ。」
「何でよ?」
「何でもだ。」
平坦な口調でのお説教。
少し振り返ってみるとそこにいるユウタは平然としている様子。
いや、それは上っ面だけだ。
一瞬だけ見えたユウタの顔は赤く染まっていた。
無反応、というわけでもない。
応じていない、ということでもない。
ユウタは私の誘惑に動じてくれている。
それでも、踏みとどまってしまうけど。
やはりここまでしてもユウタは動いてくれなかった。
後一歩というところで止まってしまった。
ユウタらしい。
だからこそ、もう一歩踏み出して欲しい。
そうして私を―
「服着て来いよ。それじゃあ目のやり場に困るだろーが。」
そう言ってユウタは私を押し出した。
その力に従うように私は前に進んでいく。
押されるままに向かう先にはクローゼット。
私の服が保管されているとこ。
「もう少しマシな服にしろって。着替え終わるまで外にいるからな?」
そう言ってユウタはそそくさと部屋を出て行ってしまう。
「あ、ちょっとユウタっ!」
引き止める暇もなく。
誘惑する隙さえなく。
ユウタは出て行ってしまった。
…やはり、ユウタだ。
これくらいで動じてはくれない。
動じてくれていたのなら私を目の前にした時点で魅了されているだろうけど。
それ以前に襲ってくれているだろうけど。
そうじゃないから、ユウタだ。
甘えては仕方ないなんて言って受け止めてくれるのに。
後一歩というところで拒んでくる。
最後の一線は確実に守る。
ボーダーラインは死守する。
そんな、男の人。
それはわかっている。
わかっているからこそ、まだ手は打ってある。
この程度であきらめられない。
私だって必死だ。
ユウタの精をもらうために必死だ。
そこまでして欲しいのだから。
リリムとして、男性の精は生きていく上で必要になる。
だからなんとしてもユウタの精をもらいたい。
そこで、だ。
まだ私には手が残っている。
このクローゼットの一番奥にそれはある。
お母様がお父様を誘惑するときに使う服。
お父様をイチコロにしたという思い出のある服。
その同じ服を私用に作ってもらった。
魅了の魔法なんてかかっていない、ただの服だけど。
それでも私が着ることによって効果は抜群だ。
私はクローゼットをあけ、それをみた。
…よし、いける。
絶対に、ユウタだって抵抗できないはず。
本能のままに私を襲いに来るはず。
だから、今はまだ待つ。
ねらい目は夜の、寝る前。
そのときに着る。
着て、ユウタにこの姿を見せるだけ。
それだけでいい。
あのユウタもきっとイチコロ。
どれほど拒絶しようが頑なに拒もうが、そんなものは意味をなさないくらいに。
今度のは裸エプロンなんて目じゃないくらいにすごいんだから…!
ユウタの言われたとおりいつもの服に着替え夕食を食べ、その後いつものようにおしゃべりしたりして…。
気づけば真夜中。
もう寝る時間だった。
「それじゃあ、もう寝ましょ。」
「そだな。」
いつものように私から言い出して二人でベッドに向かう。
はずなのだが。
私はユウタを見て言った。
「少しだけ後ろ向いててくれないかしら?」
「ん?どうした?」
「ちょっと着替えたくて…ね?」
「…それならオレ出てった方がよくね?」
「ううん、大丈夫。すぐに終わるから。」
文字通りすぐだ。
ただ一枚の服に着替えるだけ。
それにユウタが外に出て行ってしまっては困る。
ドアに近いところにいればユウタは確実に逃げ出すし、それに今の時間盛んになっている娘たちが多いのだから。
気を抜いていたらユウタをとられてしまうだから。
だからユウタにはドアに遠いベッドの近くにいてもらわないと。
「水、もらうよ?」
「え?あ、うん。」
ユウタはテーブルの上に置いてあるガラス製の水差しから水を注いで飲んでいるようだった。
そこまでなら大丈夫。
ドアとは距離がある。
まだ、いける。
ユウタは私から見て背中を向けているが私が言いというまでこちらを向くつもりはないようだ。
興味がない?
そういうわけでもないだろう。
それはここ数日でよくわかったのだから。
ユウタだって昂ぶるときがあるって、顔を赤くしているときにわかったのだから。
顔に出さないだけでユウタは耐えている。
それさえわかればいい。
私の魅力が効かなくてもいい。
理性の壁があってもいい。
そんなもの、ここまでだから。
もうすぐ壊してあげるのだから。
―私を襲うように最高の誘惑をしてあげるのだから…♪
布のこすれる音。
そして、床に落ちる音。
そのどちらにもユウタは反応を示した様子はない。
それでもかまわず私は着替えを続ける。
クローゼットの奥からそれを取り出して、着た。
前をとめて、これでいい。
すぐに着れる寝巻き用の服。
それに身を包んだ私は先にベッドに入った。
着替えた私の姿を隠すようにシーツに身をくるむ。
「いいわよ♪」
「ん。」
短い声と共にユウタは振り返った。
特に期待した様子もない顔。
もう少し期待してもらいたいものだと思う。
まぁ…期待以上のものを用意してあるんだけどね…♪
「パジャマにでも着替えたのか?」
「ふふ、そんなとこね♪」
微笑む私にユウタは怪訝そうな顔をした。
何かある、そういった表情。
気づかれてしまっている。
それでも、その気づいたものが何なのかまでわかってはいないようだ。
それで、いい。
「…なんかまた変なことしてないだろーな?」
「着替えただけよ♪」
「…ふ〜ん?」
着替えたといってもユウタの目に映るのはシーツに包まった私の姿。
どんな姿をしているのかはわからない。
そんな私を前にしてもユウタは普段と変わらずに歩み寄り、いつものようにベッドに腰掛けた。
がくらんという服を脱いで、最近ではベルトも外して。
いくらか身軽な姿。
そのまま脱いでもっと寝やすい姿になったらと聞いたことがあったがユウタ曰く「女の子の前でこれ以上脱げるかよ。」だそうだ。
そんなこと、意味のないことなのに。
これからすることを考えれば余計な手間を増やすだけなのに。
いや、着たままするというのもまたいいかもしれないけど。
それでも私は肌と肌を合わせる、二人して裸の姿のほうが好きだ。
そちらのほうが寄り相手を感じられそうだし。
何よりユウタを感じてみたいし。
がくらんをしわがつかないようにと器用に畳んでユウタはベッドに上がってくる。
―今だっ!
私はシーツの隙間から出した尻尾をユウタの腕に絡ませて引っ張った。
「!おわっ!?」
これから寝ようとしていた体勢に力を加えれば容易にバランスは崩れる。
私が引っ張ったほうへと。
私の上へと。
ユウタの体は倒れこんだ。
そして。
私の顔とユウタの顔が近づく。
あと少しで触れ合いそうな距離まで。
唇と唇が重なりそうなところまで。
なんとか踏ん張って堪えているようだけど体は密着して。
シーツ越しにユウタの体があって。
「…。」
「…。」
お互い、何も言わない。
ただ、見詰め合っていた。
私はユウタの黒い瞳を。
ユウタは私の赤い瞳を。
互いに映して何も言わなかった。
静寂。沈黙。
静かな息遣いだけが耳に響く。
あと…少し…。
あと少しで…唇が…。
そんな空間で先に言葉を発したのはユウタだった。
「…何すんだよ。」
呆れ返ったいつも声色。
そこにある表情も同じような顔。
困ったような、疲れたような顔。
「こんな危ない姿勢とらせんなよ。」
そう言って体を起こして離れていくユウタ。
やはり、堅い。
どこまでやっても必ず止まってしまう。
でも、そんなの。
予想通りだ。
だから私はユウタが離れていくのと同時にシーツをとって見せた。
隠していた体をユウタの目に曝け出すように。
ユウタからよく見えるように。
シーツを取り払った私の姿を見たユウタは―
「―っ!!?」
一瞬で顔色が変わった。
驚愕、そして紅潮。
それもそうだろう。
今の私の姿はあの露出の多い普段着とは違う。
寝るための服。
―ネグリジェ。
お母様も愛用している寝巻き。
だが、ただ寝るための服ではない。
もちろん男の人と寝るための、服だ。
そのためにもこのネグリジェは薄手。
近くで見ればわかると思うが…透けるほど薄い。
私の肌が見えるほどに。
だから体を起こしつつも私の近くにいるユウタには。
私の姿が、ネグリジェを着て透けている私の体が見えている。
私の姿が瞳に焼き付いている。
「フィオナっ!なんつー格好してんだよっ!」
流石のユウタもこれには反応を示した。
今までで一番大きな反応だろう。
そこへ、畳み掛ける。
「ねぇ…ユウタ…。」
そっと呟くように。
甘く囁くように。
ユウタの心をかき乱すように。
理性を狂わすように。
私はネグリジェの裾を指で摘んで持ち上げる。
あらわになる私の足。
透き通るような白い肌の太腿。
そのまま誘い込むように翼を広げて。
足をひらいて…。
言った。
「しよ…♪」
「っ!」
そういわれたユウタは即座に視線を私から外した。
それでも。
顔が真っ赤になっていることは隠せない。
ユウタも興奮している。
それが私を昂らせる。
そして、期待させる。
今度こそ上手くいくと。
ユウタが誘われてくれると。
私から顔を背けたユウタはそのまま口を開いた。
そこから出てくるのは肯定の言葉だろう。
私の誘いを受けるという言葉だろう…!
そうして口を開いたユウタが発した言葉は―
「―何度も言わせるな…っ!」
否定の言葉だった。
私の誘いを断る言葉だった。
「…え?」
思わず間の抜けた声が出てしまうぐらいに。
ユウタの行動は予想外のもので。
いつもどおりのものだった。
「女の子が、そんな姿を晒すなよ…。」
顔を合わせず、視線を合わせず。
ユウタはうめくように言った。
「もっと…好きになった相手にやってやれ…っ。」
私の姿を見ないように。
私の体を見ないように。
ユウタは留まり、離れていく。
「…な、んで…。」
わからなかった。
ユウタがここまでして誘惑されない理由が。
ここまでしているのに襲わずにいられるユウタが。
何で?
どうして?
ここまで拒めるわけが…わからない…!
「……ユウタ。」
私はユウタを見て彼の名を呼んだ。
それでもユウタはこちらを見ようとはしない。
意地でも見ないつもりだろう。
それが、少し悲しかった。
「…ねぇ…ユウタ。」
「…何?」
「ユウタから見て…私って魅力…ない?」
「…あるけど?」
「じゃあ、何で目を合わせてくれないの…?」
「…魅力的だから、合わせられないんだよ。」
「どうして?」
「……そういうことを、どーでもいい奴とするな。後悔するぞ…。」
ユウタは静かに言ってベッドから出て立った。
その先の行動がなんだか私はしっている。
この部屋を出るのだろう。
私が着替えるまで部屋の外にいるのだろう。
せっかくここまでしたのに。
ここまで誘惑しようとしたのに。
それでもユウタは振り向かない。
…それでも。
私はあきらめられなかった。
それ以上に欲しかった。
むき出しの欲望のままに。
本能の赴くままに。
ユウタが襲ってくれないのなら…もういいだろう。
抵抗されようが構わない。
最初から。
―私が襲ってしまえばいいんだ。
ユウタが抵抗をする前に。
ユウタが逃げ出す前に。
私を拒むことなど出来ないように。
私を拒否する暇さえないように。
その考えが浮かんだ途端に私の体は動いていた。
歩き出そうとするユウタの背中へ飛び込んでいった。
遅れて、ユウタが振り向く。
その視界に私が入る。
「フィオナっ!?」
遅れた反応なのにユウタは向かってきた私を受け止めるように手を広げた。
広げて、あいたその胸へと飛び込む私。
飛び込んで、抱きついて。
それで止まらなかった。
飛び込んだ力は止めきれずユウタを後ろへ押し倒す。
そうなることをわかっていたかのようにユウタは私を抱きしめた。
衝撃から身を守るために。
私の体を傷つけないために。
―衝撃。
ユウタの背は床に叩きつけられる前に近くにあったテーブルにぶつかる。
そうして、倒れる。
テーブルにぶつかった衝撃で上に置いてある水差しが音を立てて落ちた。
割れて破片は飛び散り、飛沫が舞う。
でもそんなもの、興味ない。
今私はユウタにしか興味を持ってない。
「っ痛つ…フィオナ…なにすんだよ…っ!」
痛みに顔を歪めながらも手はしっかり私の背へとまわしてある。
私の体が床に接しないように。
やはり、ユウタは優しい。
どんなときも。どこまでも。
だから甘えて、誘えば…上手くいくと思ってたのに…。
それでも、もう限界。
「ユウタ…♪」
私は倒れたユウタに覆いかぶさる。
胸板に手をついて。
そっと身を寄せて。
顔を、唇を近づけて。
「フィオナ…っ!」
「いいでしょ…?しよ…♪」
胸を押し付けて。
耳元でささやいてあげる。
「気持ち、いいよ…♪」
「っく…!」
揺らいだ。
ユウタの意志が、理性が。
今ハッキリとわかった。
重なる肌から伝わる鼓動が。
一段と大きく伝わったから。
「やめろよ…っ!フィオナ…っ!!」
「ねぇ…ユウタぁ♪」
「…ぁっ…!」
理性が焦がれる。
本能が疼く。
欲望が燃え上がる。
ユウタもきっと同じはずだ。
この距離で、この体勢で。
異性にささやかれて理性を保てるはずがない。
相手がリリムなのにここまで魅力を拒める男の人はいるわけがない。
今まで私をかたくなに拒んだユウタだけど。
そんなユウタでもこれは効いている。
私が誘惑するよりもずっと強く。より深く。
だがそれは。
私にも言えことだった。
ユウタに触れるたびに体が熱くなる。
胸に手を乗せただけで、安らぐ。
身を寄せるだけで心昂ぶる。
この安心感が欲しい。
この精が欲しい。
この欲望を埋めたい。
そのためにも。
私は貪欲にもユウタを求めずにいられなくなる。
自分で誘惑の言葉を囁いておきながらユウタの声に誘われてる。
その荒くなる息遣いに。
赤く染まった顔に。
私は惑わされる。
ユウタの頬を私の手で包み込んだ。
「っ!」
「んっ………ユウタぁ…キス、しようよ…♪」
逃げられないように固定して。
そっと顔を近づける。
ユウタからは動かせないので当然私から。
誘惑なんてする気もない。
私からユウタを襲ってあげる。
もう少し。
互いの吐いた息が頬に当たるその距離で。
徐々に狭まるこの距離で。
唇と唇の隙間は埋められようとしたそのとき。
―ぺきりと、音がした。
何の音かはわからない。
何かが割れたような音。
でも、そんなもの気にしていられるほど余裕はない。
「んっ…♪」
ユウタの唇に私の唇を重ねたい。
そのまま思うがまま貪って。
そのまま絡み合って溶け合いたい。
私は瞼を下ろした。
唇の感触をより感じるために。
私とユウタの隙間はもうないに等しい。
それなら目を瞑っていても出来る。
―だから私はそのまま唇を重ねた。
唇から伝わってきた感触。
それは少し硬い。
私の予想していたものとは違う感触だった。
「…?」
不思議に思って目を開ければそこにあるのはユウタの顔。
ただ、幾分か顔の赤さが引いていた。
興奮が収まっていた。
そして、一番気になるのがユウタの唇が見えたこと。
おかしい。
私とキスしているのなら唇は見えないはずなのに。
そこでようやく気づいた。
私の唇に触れているのはユウタの唇なんかではない。
指の腹。
優しく受け止めるように、私の進行を止めるように。
ユウタが抑えていたのだ。
でも……なんで…?
「フィオナ。」
ユウタは静かに言う。
私の目を見て。
その黒い瞳に私の顔を映して。
「軽々しくそういうことをやるなよ…。女の子なんだから、もっと体を、大事にしろ…。」
それはユウタが普段から言うことと同じだった。
いちいち体を大切にしろとか、女の子なのだからとか。
いつもどおり。
さっきまで昂ぶっていたのにいつの間にか戻っている。
落ち着いてしまっている。
何で…!?さっきまでユウタもその気になっていたのに…!
「…そら。」
「っつ!?」
そう戸惑う私にユウタはピンッとおでこをはじいた。
デコピン。
一瞬何が起きたのかわからなくなる。
「フィオナ。お前は魅力的だよ。だからこそ…オレなんかで妥協すんな。」
「ユ、ウタ…?」
「リリムの食料が男性の精だってことは知ってるさ。だからこそ、オレなんかで済まそうとすんなよ。」
そう言ってユウタは私の下から抜け出した。
器用に体を滑らすようにして。
まるで流れる水のような手際のよさで。
そうして立ち上がる。
特に何事もなかったかのように。
平然として。
「オレなんかよりもいい男なんて、腐るほどいるだろ?だから、そういう奴としろよ。もっと好きになって、心のそこから愛おしいって思える奴と。」
そう言うのだった。
どうして……。
どうしてそこまでユウタは頑なに私を拒んでくれるの…?
それほどまでにユウタは肌を重ねていけない理由があるの…?
何で私を受け入れてくれないの…?
そこまでして自分を留めないといけないわけがあるの…?
ねぇ、何で…?
「何で…してくれないの…?」
「…。」
「何でよ…ユウタぁ………っ!!」
「…だから、言っただろうが。」
そう言ってユウタは床に置いてあるがくらんとベルトを掴んだ。
右手で。
左手は庇うようにして。
よく見れば左手は何か握りこんでいた。
握りこんだその指の隙間から―
―血が垂れていた。
それを見て私は床を見る。
水差しが割れて破片が散ったところを見る。
そこには…数滴の血。
誰のものかなんていわなくてもわかる。
ユウタのだ。
その血は破片が集まっているところに落ちている。
それを見て理解した。
ユウタは水差しの破片を握っていたんだ。
痛みで誘惑を振り切ったんだ。
欲望を振り切って、本能をねじ伏せて。
そこまでして私に抗ったんだ…。
…どうして。
そこまでして抗うんだろう。
そこまでして本能をねじ伏せるのだろう。
ユウタだって心のどこかでは私を求めているんじゃないの?
欲望が燃えているんじゃないの?
どうして…?
ユウタは歩き出した。
その先にはドア。
それが意味することはわかる。
「…出て行く気なの…?」
「ああ、悪いけどそうさせてもらう。」
「…何でよ?」
「…このままじゃ、本当に抑えられなくなる。フィオナ自身も―
―オレ自身も…。」
ユウタは静かに言う。
痛みで冷静さを完全に取り戻して。
「…何でよ。襲えばいいでしょ…。」
「…だから、何度も言わすな。」
「何よ、ユウタにはそこまでしてしたくないの?」
「…正直したいさ。」
「じゃあすればいいでしょ?」
「それでも、しない。」
「…何でよ。」
「理由は同じ。それに、オレはしたいってだけでしたくはないし。」
「………何でよっ!?」
気づけば私は怒鳴っていた。
ユウタのその態度に。
あまりにも拒んでくるその対応に。
「それは私が悪いって事!?それともユウタがしたくないってこと!?」
「…フィオナは悪くない。」
「じゃあ何よ!?ユウタがしたくないって事なの!?」
「…オレは、フィオナとつりあわないからな。」
そう言ってユウタは笑った。
とても悲しげに。
あの時、私の部屋に初めて来たとき。
窓の外を眺めつつ浮かべていたあの表情で。
見ている私も悲しくなりそうな顔だった。
それを前にしているのに私は自分勝手に振舞ってしまう。
「…本気で、出て行くの?出て行くつもりなの?」
「…。」
ユウタは無言。
何も言わずに私を見ている。
その悲しそうな表情で。
それがたまらなく嫌で、とても、嫌だった。
「それならさっさと出てってよっ!」
思わず怒鳴ってしまった私。
あまりの感情の高ぶりにユウタにしてはいけないことをしていた。
優しく受け止めてくれたユウタにたいしてあまりにも勝手な行動。
それでも、今の私はそれがわかるほど冷静ではなかった。
ユウタが私を拒んだことが認められなくて。
自棄になっていた。
「さっさと出て行って、どこへでもいけばいいでしょっ!出てけっ!!」
それに対してユウタは。
怒鳴りもせず。
怒りもせず。
私に言い返すなんてこともしない。
こんな私の感情を受け止めてくれていて。
悲しげに笑ってドアを開いた。
そして、言った。
「じゃあな、フィオナ。今度は、もっといい男を見つけろよ…。」
そう言ってドアは閉じられた。
音もせずに。
最初からしまっていたと思ってしまうくらいに静かに。
「…。」
こうして部屋には私一人になった。
広い部屋に、私が一人。
ユウタはいない。
ユウタを召喚してからこの部屋で初めて一人になった。
もう戻ってこないという意味で。
もう帰ってこないという事で
「…ユウタの、馬鹿。」
そう呟いた言葉は虚しく部屋に響くだけだった。
11/06/04 20:30更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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