連載小説
[TOP][目次]
雨と貴方とオレとキス 前編
どんよりと黒く染まった天井。
手を伸ばしても届かぬ広い空一面が雲に覆われていた。
そこからは数多の雫が降り注ぎ、大地を濡らす。
この町の石畳を叩き、水路で跳ねて。
一面を濡らしていく。
その雨が降り注いでいる中にオレこと黒崎ゆうたは立っていた。
「…。」
この世界にも傘はある。
だが、そんなものなんてささずに、オレは立っていた。
雨はやみそうもない。
この時期だとよく雨が降るとクレメンスさんから聞いた。
まるでジパングのツユという時期みたいと彼女は言っていた。
梅雨。
オレのいた世界でも、いや。
オレのいた国でもあった季節だ。
オレはその季節が好きだ。
なぜならその季節はオレの…オレと双子の姉の誕生日だから。
オレ達が世界に生を受けたそのときも雨は降っていたらしい。
そうだと母から聞いている。
もしオレがまだあっちの世界にいるのなら。
そして双子の姉と…家族と共にいるのなら。
オレは誕生日を祝われていたのかもしれない。
この時期、もしかしたら雨の降る日で。
家の中でケーキを仲良く人数分に分けて食べていたかもしれない。
いつものような誕生日をすごしていたかもしれない。
特にプレゼントなんてないけどそれでも楽しい日だったに違いない。
だけど。
今のオレは違った。
少なくとも、楽しくはなかった。
嫌なものを見たからだ…。

―マリンこと、マリ姉。

オレの命を救ってくれた恩人。
この世界に来て不安だったオレを助けてくれた女性。
優しくお淑やかなマーメイド。
そのマリ姉をこの雨が降る少し前に見かけた。
この港町の水路を使って泳いでいる後姿を見た。
そのまま声を掛けてみようかとしたのだが…声は出せなかった。
マリ姉の隣。
水路のすぐ傍を歩く人の姿。
まるでマリ姉と一緒になって歩いているその人間は―男だった。
しかも、見覚えのある男。
オレはあの男を知っていた。
あの男は…カフェバーによく来ていた男だ。
カフェバーで最近よくマリ姉と話していた男だ。
仲良く、仲睦まじく。
二人して楽しそうに、話していた。
あの男だ。
話の内容はわからない。
その二人の姿を見たくなくてオレは一心不乱にグラスを拭いていたから。
二人の姿なんて見ないようにしていたから。
聞こえる笑い声も、仲睦まじい雰囲気も。
その男とマリ姉が一緒にいるのが耐えられなかったから。
だって…オレは…。

―マリ姉が、好きだから。

その優しい性格が。
その綺麗な声が。
その人形のように整った顔が。
その美しい姿が。
好きだった。
この歳になってようやく恋というものを自覚した。
初恋、だった。
それなのに。
これが、現実。
非常で思い通りにいかないのが現実。
それが、人生。
上手い話なんて、上手い展開なんて何一つないのが人生。
わかってるさ。
嫌ってほどに。

そんなこと…わかってたはずなのに。

いまだ雨の降り続く中。
オレはただ立っていることしか出来なかった。
町行く人々は皆家に帰ってしまっている。
この街道にはオレ一人がぽつんと立っているだけだ。
一人寂しく、雨に打たれているだけだ。
「…。」
雨は好きだ。
オレが生まれた日にも降っていたから。
雨に濡れるのは嫌いじゃない。
何でも洗い流してくれそうな気がするから。
嫌な気持ちも、嫌なことも。
こんな、嫌な感情も。
「…はっ。」
苦笑が出る。
オレはあの男に嫉妬してる。
そんな自分が…嫌だ。
こんなの、惨めだ。
人は人、自分は自分。
それでいて他人は他人。
関係はない。
何一つ…ない。
顔を上げてみた。
容赦なく降り注ぐ雨粒がオレを濡らして地面へと滴っていく。
それだけでも気持ちがいい。
頭の中のもやもやまで流されるように感じられる。
髪に、額に、瞼に、頬に、鼻に、顎に。
唇に。
雫はぶつかり、弾けていく。
そんな中でオレは唇に触れた。
指でそっとなぞる。
あのときのことを、思い出して。
マリ姉に助けられたあのときのことを。

―…好きに、なったのになぁ。

出会った時から、助けられた時から。
マリ姉のこと、好きになったのに。
やっぱり初恋なんて叶わないものだろうか。
ふと、双子の姉に言われたことを思い出す。



「初恋って叶わないんだって。」
「…なんだそりゃ?」
懐かしき記憶。
遠い昔の思い出。
確かあれはオレ達が高校に上がってすぐのころだった。
双子の姉がへんな本を開いてオレに言った。
「ジンクスだよ?知らないの?」
「いや、唐突過ぎるって。なんで初恋は叶わないんだよ?」
「だから、ジンクスだって言ってるでしょ?」
「…確証ないじゃん。」
「だってジンクスだからね。」
「普段から現実主義のお前にしちゃ珍しい発言だな?」
「私だって占いとか好きだし。」
ああ、そうだ。
あのときに読んでいた本は確かおまじないの類の本だったな。
金運から恋愛運まで。
なんでも思い通りにことを上手く運べるなんていうのが売りだった本。
それを見ていた双子の姉に言われたことだ。
「だから、恋するんなら早めにしとけば?」
「なんだそれ…。」
「たとえば…嫌だけどあの師匠とかは?」
「何が嫌なのかわかんねーけど…叶わないこと前提の恋なんてしてもな…。」
「今のうちにしておけば振られたとしてもたいして傷残らないでしょ?」
「振られること前提かよ。」
「とにかく。」
彼女はオレに指を向けていった。
命令口調で。
堂々と、偉そうに。
宣言するように、命令するように言いつけてきた。
「さっさと初恋でもして、他の人を好きになって。あの師匠から離れてくれる?」

その言葉の真意はわからない。
あいつはやたらと師匠を嫌っていたからなぁ。
なんであんなに嫌っているのかはわからない。
まるで親の敵のように嫌っていた。
師匠もあいつを嫌っていた。
というよりかは苦手のようだった。
二人とも犬猿の仲。
きっと今でもそうなんだろう。
なんて。
余計なことまで思い出してしまった。
いや、今は余計なことだけを思い出したい。
なにも考えずにいられるように。
このまま雨に流されてしまいたいように。
オレはただ一人立ち続けた。
学生服が雨で濡れるのもかまわずに。
Yシャツまで濡れて肌に張り付くのも厭わずに。
ただ、じっと立ち続けた。
そんな中で雨は変わらず降り続ける。




あんな雨の降り注ぐ中で長い時間突っ立っていたオレにツケは回ってくるのは当然。
恥ずかしながら雨で体を冷やしてしまいオレは―
「風邪ね。」
風邪を引いてしまった。
馬鹿は風邪引かないというからそんなこと平気だろうなんて思っていたんだけど。
どうやらオレは馬鹿じゃないらしい。
なんて考える。
風邪が馬鹿だろうが馬鹿じゃなかろうが引くって事ぐらい知っているんだけどね。
「何で雨の中に突っ立っていたのよ?それも服がびっしょり濡れるほどの長時間も。あれじゃあ海に入ってきたのと同じじゃないの。」
そう注意してくれるのはクレメンスさん。
オレの部屋でオレをベッドに寝かせて。
彼女はオレの顔を覗き込んで言った。
呆れたように。
「…すいません。」
オレは謝ることしか出来ない。
何に対して謝っているのかわからないけど。
ただ、雨の中に突っ立っていただけだから。
そんなオレを見てクレメンスさんはため息をついた。
やはり、呆れているように。
「何か…あったわね?」
「え?」
「そんな顔してるわ。」
そんな顔をしていただろうか?
今は風邪を引いたこともあって体の調子は悪い。
そんなこともあって今のオレがいったいどんな状態なのか、どんな顔をしているのかわからないでいる。
流石に風邪を引いているこの状態で自分の体のがどうなっているのかわかるほどオレの体は頑丈じゃないといことだ。
「…わかりますか?」
オレは弱弱しく聞くことしか出来なかった。
クレメンスさんは小さくうなずく。
「悩み事、かしら?」
「…どうでしょうね。」
オレは茶化した答えを言う。
別に悩みをここで伝えるのも良かったのだが…その相手はクレメンスさん。
マリ姉の母親。
そんな彼女に今のオレの悩みを伝えられるわけがない。
『貴方の娘のマリンさんが好きです。だからあの男と別れてもらえるように言ってください』なんて、いえるわけがない。
そんなことを相談してどうする?
そんなことを頼んで何になる?
馬鹿じゃないか。
そんなこと、言えるわけない。
何よりそんな他人に頼ったやりかた、オレは嫌いだ。
大嫌いだ。
「…恋かしら?」
「っ!?」
体が硬直した。
思わず反応してしまった。
あまりにも予想外な発言に。
あまりにもオレの胸中を射ているその言葉に。
「その様子を見ると図星のようね。誰か好きな人でも出来たのかしらね?」
「…まぁ…そんなところですよ。」
その相手は貴方の娘さんなんですけどね。
オレはクレメンスさんから顔をそらした。
顔を見られているとこれ以上のことを見破られそうだから。
この女性、オレの胸の内を容易く見抜いてきそうだ。
流石はマーメイド。
見かけよりも歳をとっている分経験豊富。
それ以上にこの女性は結婚しているのだから他人の愛だの恋だのというものには敏感なのだろう。
クレメンスさんは顔をそらしたオレを見てくすくすと笑う。
おかしそうというよりも面白いという感じで。
「他人には知られたくはないものよね?」
「…そりゃそうですよ。」
恋の悩みを他人に打ち明けられることなんて出来ない。
好んでしたいとも思わない。
こういうものは自分ひとりで出来てこそ、じゃないのだろうか。
そう思っているからなおのこと。
クレメンスさんにこの感情を見抜かれたくなかった。
「ふふ、そう。それじゃあ大いに悩みなさい。恋っていうのはねユウタ、悩んでこそ、なのよ?」
「…よくわからないですね。」
「よくわからないから、恋なんだから。」
わけのわからない言葉。
だが、言っているのがクレメンスさんなのでその言葉がとても深く感じられる。
さすが既婚者とでもいうところか。
「クレメンスさんはどうだったんですか?」
「え?私?」
「はい。悩んだり恋焦がれたりはしたんですか?」
「私の場合は…ちょっと特殊だから。」
「特殊?」
クレメンスさんは照れたように笑う。
既婚者だというのに衰えないその美貌。
とても一児の母に思えない美しさ。
思わず見とれてしまうほどだった。
「私に場合はあの人が海に落ちてきてね…そこを助けたのよ。」
「…ああ、そうですか。」
「それでそのまま恋に落ちて…ね?」
「…。」
悩んでねーじゃん。
何言ってるんだよこの女性は。
深みなんてなにもねーじゃん…。
「とにかくね。」
クレメンスさんは仕切りなおすように言った。
「恋なんだから。命一杯誰かを好きになって、恋焦がれて、それで悩んでいきなさい。」
「ははは…頑張りますよ。」
オレは力ない返事しか返せなかった。
風邪を引いたことからか、それともこの恋が既に終わったということからか。
体に力なんて入らずにいた。
そんなオレを見たクレメンスさんは。
「そういえば。」
そう言って話題を変えた。
「もうすぐ貴方の誕生日じゃないの。」
「…あ。」
言われてみれば確かにそういえばそうだった。
この世界に来て一年とか言うんじゃなく、この世界での梅雨の時期。
この世界にも暦というのは存在するのだがオレのいた世界ほど細かいというわけでもない。
大まかに春夏秋冬の四季によって分かれている。
その中の春と夏の間。
ちょうど梅雨にあたる時期。
そこをオレの誕生日とされた。
確かにオレは梅雨の時期に生まれた。
六月生まれのふたご座である。
その梅雨生まれとして近いうちに誕生日を祝おうとクレメンスさんからの提案である。
「誕生日を迎える貴方がそんな暗いと皆も暗くなるわよ?」
「…はい。」
別に誕生日パーティー開くわけじゃないんだから暗くてもいいと思うんだけどな。
というか…。
「…。」
嫌な誕生日になりそうだ。
ふと窓から外を見れば窓の外は相変わらず雨模様。
弱弱しくも雫が窓ガラスを叩いている。
…もう一度、雨にでもうたれてこようか。
そうすれば…今よりはすっきり出来ると思う。
風邪も悪化するだろうけど。
オレは窓の外を眺めたまま小さく息を吐いた。
普通に吐いたつもりだが、どうもため息のようになってしまう。
それを聞いてクレメンスさんは苦笑した。
「重症ね。」
「そうですかね?」
「それこそ、恋よ。」
貴方に言われても実感わきませんけどね。
オレも思わず苦笑する。
それに対してクレメンスさんは微笑んだ。
そして静かに言う。
オレに言い聞かせるように。
「それじゃあ、頑張りなさいな。男の子。まだまだ青春する年頃なんだから。」
「頑張れるところまで…頑張りますよ。」
「ふふっ、そう。それじゃあここから先は…。」
クレメンスさんは後ろを振り返った。
椅子に座ったまま上体を捻って。
その視線の先にはこの部屋唯一の出入り口。
古くも頑丈で落ち着いた雰囲気のある扉。
それが音もなく開いた。
ちょうど良いタイミングで。
まるで見計らったように。
そこでクレメンスさんは言った。

「若い者同士に任せるわ♪」

そして開ききる扉。
その扉の向こうには今最も会いたくない女性がいた。
「マリ…姉…!?」
この店カフェバーのマスターであり、クレメンスさんの夫、またマリ姉の父親である男性。
ディランさんに抱かれ運ばれている状態でそこにいた。
微笑を浮かべたその顔でオレを見ている。
「それじゃあ、お邪魔ものは退散しましょうか。」
ディランさんは何も言わずにマリ姉をベッドの端に座らせ、代わりに椅子に座っていたクレメンスさんを抱き上げて部屋を出て行った。
部屋に残されたのは人間一人にマーメイド一人。
オレとマリ姉の二人である。
「…。」
はっきり言って…気まずい雰囲気。
それはそうだろう。
今目の前にオレの恋した女性がいて、その女性が異性と並んで歩いているという光景をオレは目にしてしまったのだから。
想い人に既に意中の人がいるということを…知っているのだから。
だがマリ姉はそんなオレを知ってか知らずか優しそうなその笑みをオレに向けてきた。
「ユウタ、体は大丈夫?」
「…ん。」
オレは静かに頷くことしかでいない。
いつものように話しかけられるわけがない。
こんな状況でオレはいったい何が出来る?
あんな光景を目にしておいて。
オレは彼女にどう対応すればいい?
そう悩んでしまう。
「そう、良かった。」
そう言って微笑むマリ姉。
綺麗な笑顔。
オレの恋した表情。
いつもならその顔に見とれていたはずなのに今は…。
今は…とても胸が苦しくなる。
なぜならその表情はオレに向けられているはずなのに別の人にも向けられているから。
あの男へと。
「…っ。」
なに…やってるんだろう、オレは。
何を考えているんだろう…オレは。
こんな…マリ姉と一緒に歩いていたあの男に嫉妬して。
マリ姉を…独占したいと思ってて…。
こんな…オレって…。

…最悪だ。

「でも顔真っ赤よ?まだ熱とかあるんじゃないの?」
そう言ってマリ姉は体を近づけてくる。
ベッドに座っているのでそのまま上体を倒すようにしてオレへと身を寄せる。
が。
オレは慌てて後ろに下がる。
マリ姉から逃げるように。
その体に触れないように。
「平気だよ、マリ姉。」
平気ではない。
実は目の前が揺れているように見えるぐらいだ。
頭痛も少し、する。
風邪なんてたいしたことじゃないと思っていたがどうやら今までの疲れも一緒に影響を及ぼしてくれているようだ。
体の調子が悪すぎる。
それでも。
今のオレに触れて欲しくなかった。
「そう?」
マリ姉は心配そうな顔をしてオレの顔を覗き込んでくる。
「っ。」
近い。
吐息がかかるほどの距離。
吐息と共に香るマリ姉の香水なんかじゃ絶対に出せない優しい香り。
思わず体が強張ってしまう。
「すきありっ♪」
「っ!」
そこへ付け込むように、その瞬間マリ姉はオレの額に自分の額を押し当てた。
額か伝わるマリ姉の体温。
オレよりも少し低く、心地いい。
「ん〜?やっぱり熱あるじゃないの。ちゃんと寝てなさい、ユウタ。」
そのまま体重をかけてオレの体をベッドへと倒す。
ぼふんっと音を立ててベッドに沈むオレとマリ姉の体。
まるで押し倒されているような形。
親しくない者には絶対にしないであろう行為。
そう考えるとマリ姉はオレのことをそれなりに親しい関係だと思っているのだろう。

―だけど。

オレ以上に親しい者が、親しくなりたい者が…いるのに。
マリ姉は体を起こしたりせずにそのまま、倒れたままの状態でオレに笑いかけてきた。
「ね?」
「…。」
その対応に、その行為にオレは―

「―ダメでしょ、マリ姉…。」
静かに口を開いた。
「うん?どうして?」
「オレみたいな男に…こんなことしちゃ、いけないでしょ。」
女性なんだから。
異性なんだから。

―マリ姉には、好きな人が…いるんだから。

「どうしたの…ユウタ。」
不思議そうな顔を見せてくるマリ姉。
そんな顔しなくても理由なんてわかっているはずだろう。
自分の胸に聞けばすぐにわかるだろう。
「別に気にしなくてもいいのよ?」
気にせずにいられるかっていうんだよ。
オレはマリ姉が好きで。
マリ姉はあの男が好きで。
オレの初恋は既に終わっているのに。
オレはまだマリ姉が好きだから。
「…気にしなくてもって…無理だよ…マリ姉。」
オレはそっぽを向いて言った。
はき捨てるように。
むしろ毒づくように。
「…?どうしたの?今日のユウタ少し変よ?」
確かにいつのもオレからしてみれば変かもしれない。
今までマリ姉に対する対応はこんな雑なものじゃなかった。
もっとちゃんとした対応だった。
それでも。
今は仕方ないだろう。
風邪を引いて、心病んでいるこの状態だから。
だからオレは…いつもと違う態度をとってしまった。
「変って…何だよ…。」
「…?」
感情的に。
「…そうだよ…どうせ…オレは変だよ…っ!」
「え?どうしたのユウタ?」
「マリ姉はっ!」
オレはマリ姉とは視線を合わせずに言葉を続ける。
真っ直ぐさなんてない。
根性の捻じ曲がったオレの感情を―

―ぶつける。

「好きな人がいるんだろっ!?」
怒鳴るような声だった。
むしろ悲鳴に近かったかもしれない。
オレの、溜め込んでいた嫌な感情の悲鳴。
叫び声。
怒りであり、憤りである。
それは自分に対するものなのに愚かにもオレは。
マリ姉にぶつけるという最悪な方法をとってしまった。
「オレなんて年下の男よりもずっとかっこいい、大人の男が好きなんだろっ!?町中を一緒に歩いてたあの男のことがっ!」
「っ!?何でそれを!?」
その反応が気に食わなかった。
オレに知られたくはなかったというようなその反応が。
とても、気に食わないっ!
「そうだよな…オレなんてマリ姉からしてみればただのガキだもんな…。いいとこ、弟みたいな存在だもんな…!」
「…ユウタ。」
「っ…馬鹿みたいだよな…オレってやつは。」
苦笑気味に鼻で笑って。
自嘲気味に呟いて。
シーツの下にある拳を握り締めた。
そして、言ってしまった。
オレの、心を。
この感情を。

「勝手に…マリ姉を…好きになって。」

「っ!!」
それは驚きの表情だっただろう。
普段のマリ姉は落ち着いた雰囲気のある大人の女性。
だがその雰囲気もない。
そりゃそうだ。
目の前で、弟の存在のようなオレが、好きだといっているのだから。
「…ユウタ。」
マリ姉は静かにオレの名を呼んだ。
それなのにオレは冷たく当たってしまう。
乱暴に対応してしまう。
「…何さ。」
「その…ごめんなさい…!」
それは謝罪の言葉だった。
遠慮するような、どことなく困った表情をしたマリ姉からの謝罪の言葉。
何に対して?
そんなもの皆まで言わなくてもわかる。
最初から、決まっている。
オレの好意に対して、だ。
「ユウタがそんな…私のことを好きだったなんて…知らなくて…。」
ああ、そうだよ。
好きだよ。
オレはマリ姉が、好きなんだよ。
初めて会ったあのときから。
命を救ってくれたあのときから。
その優しい性格が。
その綺麗な姿が。
好きで好きでたまらないんだよ。
それでもマリ姉は別の男が好きなんだ。
わかっているんだ。理解しているんだ。
心苦しくなるその事実を、ちゃんと認識しているんだ。
それなのにオレは。
「…理不尽だよ、マリ姉って…。」
そう言ってしまう。
マリ姉をさらに困らせる言葉を吐いてしまう。
「え?」
マリ姉は予想通りに困った表情でオレを見た。
そんなマリ姉にオレは言ってはいけない一言を。
今まで隠していたことを。
言葉にして、マリ姉に伝えてしまう。

「オレに…勝手にキスをしてさ…!」

「っ!!?」
その驚いている表情からしてオレが知っているわけないと思っていたのだろう。
だが、知っているんだ。
オレがこの世界に来て、海に投げ出されて助けられたあのとき。
オレはマリ姉に抱かれて岸まで運ばれた。
その先のこと。
砂浜の感触を背に感じるところ。
マリ姉はオレを助けて岸に寝かせたのだろう。
その場面。
意識が朦朧とする中。
マリ姉の顔が、初めて見るような美しい顔が近づいてくるその光景を見た。
その次に唇に柔らかな感触が伝わった。
温かく、心安らぐその感触が唇だとわかるのは当分先のことだったが。
それでもはっきりと覚えている。
岸に寝かされていたのをよく覚えている。
ということはそのときはすでに身の安全は確保できていたはずなんだ。
人工呼吸なんてものは必要なかったはずなんだ。
それなのに。
マリ姉はオレに口付けた。
そっとキスをした。
荒々しく情熱的なものではない。
妖艶で官能的なものでもない。
優しく甘いそんなもの。
オレにとってのファーストキス。
相手はマーメイド。
マリ姉がオレに口付けたその理由はわからない。
それを聞く勇気があるほどオレは度胸がないから。
抱いたこの感情が砕けるのが怖かったから。
だけど。
今のオレはそれを言ってしまった。
聞いてしまった。
マリ姉は困ったような表情を…いや。
とても困った顔でオレを見た。
当然だ。
こんなことをいきなり言われて。
困らないわけがない。
こんな姑息な手を使われて。
困惑しないはずがない。
こんな…。
こんな卑怯な真似をしないと聞けないなんて。

オレは…汚い。

と思った。
こんな、今まで心の奥底で感じていたことを。
今まで溜め込んでいたことを吐露して。
それで気分が良くなるわけでもないのに。
マリ姉を困らせるだけなのに。
それなのにオレは心のどこかで満足している。
好きな女の子を困らせる男子なんてよくいるだろうけどそれは好意という感情から。
純粋で綺麗な心から。
でもオレは。
嫉妬からだ。
汚く、どす黒く、どろどろしておぞましい感情から。
こんな自分勝手なことをしてしまった。
…何なんだよ、オレは。
こんな…本当に馬鹿みたいで。
とても汚い。
あまりの自己嫌悪。
鼻の奥がつんっとする。
目の前が歪み、涙が出そうになる。
本当に…オレっている奴は…。
こんな、困らせるようなことしか出来なくて。
自分勝手で。
最悪だ…っ!
それなのにマリ姉は。
オレの好意を、オレの嫉妬をぶつけられて困惑していたマリ姉は。
オレに嫌な言葉の一つもぶつけることなくそこにいた。
優しくそばにいてくれた。
「…ユウタ。」
そっと呟かれるオレの名前。
それを聞けるほど今のオレに余裕はない。
だから気づかなかった。
温かなものに包まれていたということに。
安らぐ感覚の中にいたということに。
いつの間にかオレは―

―マリ姉に抱きしめられていた。




黒崎ゆうたの誕生日 これにて始まり
11/05/08 20:25更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
戻る 次へ

■作者メッセージ
というわけでのマーメイド編です!
マーメイドであるマリ姉に恋をした主人公!
次回早いですけど後編!
エロエロします!


それと、おまけでこのマーメイド編の後に港ルートに主人公の過去の話を書こうと思っています
師匠、出ます!
というか、師匠メインです!
デレデレ師匠です!
お楽しみに!

「というわけで!自分と我が愛しの愛しい愛弟子であるユウタとのラブラブエッチな物語をお楽しみに!」
「師匠っ!過去ですからね!そんなエロなんてしてなかったですからね!」
「それなら今すればいいんだよ♪」
「は?」
「ほらほら〜♪全部自分がしてあげるから…ね♪」
「いやいやいや、師匠?怖いですよ?息荒いですよ?目がぎらついてますよ?ってちょっ!待って師匠っ!!!」

お楽しみにっ!!

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33