恋とお前とオレとスキ 中編
この世界にも月はあるんだ、と知ってからしばらく経った夜。
雲ひとつない夜空には月と星が輝いていた。
月明かりと星の光。
どちらのものか分からない光が窓からさす中、オレは『カフェバー ネ―ヴェル・メーア』の二階の部屋、オレが住まわせてもらっている部屋の片付けをしていた。
「よし。」
机の上は片付けた。
床は埃がないように掃いた。
余計なものは片付けた。
ベッドのシーツは整えた。
…別にエロ本を隠したとかいうわけじゃないからね?
元々持ってないからね?
ここに住まわせてもらっている以上、さらには働かせてもらっている身でそんなモン買えるかよ。
あまりにも失礼だ。だからそんな本は買わない。
…本当だからね?
「っと。」
机の上にある飲み物を置いた。
グラスは二つ。中には氷。
その横には液体がなみなみと入ったビン。
当店オリジナル―というかオレオリジナルのドリンク。
オレのいた世界での普通にあった飲み物なんだけど…。
とにかくこれで準備は万端だ。
よっしゃ来い!いつでも来い!
そんなことを考えながらベッドに座ったそのときだった。
―チリンチリンっ
聞き覚えのある軽い音。
最近になって聞きなれたこの店のドアに付いている鈴の音だ。
本来この音は夜には聞かないはず。
この店は昼しか開いていないのだから。
というか、カフェバーなのだから本来は夜やるべきなのだろうけど。
やっと来たか…。
オレはベッドに沈んでいた腰を上げ、部屋から出て一階のカフェバーへと向かった。
今、家にいるのはオレとディランさんとクレメンスさんの三人だけ。
だからもしお客が来たときに出るのはオレになる。
一番下っ端だし…。
マリ姉は今日は孤児院のほうで泊まってくるという。
何だっけな…マリ姉が泊まってくるっていう日はこの家にいちゃいけないんだよな…?
何でだっけか?確か…とても大切な理由があったはず…。
そんなことを考えていながら階段を下りていくとカフェバーへと出た。
夜中だから暗い店内。
わずかに灯した明かり。
その光に照らされていつもオレと対談する席に腰掛けて―
―エレーヌはいた。
「お邪魔〜♪」
昼に見せたような笑顔でオレに手を振る彼女。
肩にはピンクのバッグらしきものを掛けて。
その顔には楽しげな笑いを浮かべて。
そこに座っていた。
「おう、エレーヌ。」
「約束どおりに来たわよ。早速で悪いんだけどユウタの部屋に上げてくれる?」
「…いきなり部屋かよ。」
「そうよ。私、まだ男の子の部屋に上がったことないんだから!」
「自慢げに言うなよ。」
何も誇れるようなことじゃないぞ、それ。
胸を張って言うなよ。
意外と大きい胸を主張するなよ…。
「ね、お願い♪」
「はいはい。」
こっちだってそのつもりだ。
こんな仕事場で夜まで話しこみたいとは思わない。
そりゃお洒落で雰囲気あるいい場所だとは思うけど。
エレーヌとの猥談にはあまりにもお洒落すぎる。
だからオレは彼女の手をとった。
オレの部屋に招待するために。
「ほら、手を貸せよ。」
「はい。」
エレーヌの体を持ち上げる。
左手を赤い鱗に包まれた尻尾の下へと通し、右手は背中へと通す。
それに答えるかのようにエレーヌはオレの首に腕を回した。
早い話が、お姫様抱っこでオレは彼女を持ち上げていた。
店の中まで水路は引かれていない。
それにオレの部屋は二階。
マーメイド種にとって階段を上るなんてことはあまりにも難しい。
ゆえにオレはエレーヌを運ぶためにこうやって抱き上げていた。
香る甘い臭いは香水かエレーヌの体臭かわからない
嬉しそうに笑う彼女はオレを見つめて言った。
「いいわね、お姫様抱っこって。」
「そう?」
「そうよ。皆があこがれる理由がわかるわ。」
腕に伝わる彼女の体重。
結構軽い。
体重とともに伝わるのはエレーヌの体の温もりと女性の体の柔らかな感触。
実はオレがこの家に来てからマリ姉をこうやって運んでいるから慣れているのだがなんというか…。
マリ姉とはずいぶん違う気持ちになる。
「そんじゃ運ぶぞ。」
器用に足でドアを開けることなんて実はできたりもするのだがそれは女性の前でやるにはいささか失礼だろう。
というか、エレーヌを女性として意識すればの話なんだけど。
なので足でドアを開けようとはせずにエレーヌに開けてもらい、彼女の体をベッドに座らせオレは近くの椅子に座って。
一息つく。
今の状況確認。
エレーヌがオレの部屋に来た。
男の子の部屋に女の子が来た。
高校男児にとってはかなりの一大イベントである!
なんて、言ってみたり。
実際にはオレの部屋に女性が来るのは初めてじゃない。
オレのいた世界ではよく双子の姉が侵入してきて部屋荒らしをしてきたし。
こっちの世界ではマリ姉がオレの部屋を訪ねてくることもあるくらいだ。
だから場慣れはしている。
なんていらない事を考えつつもエリーヌを見た。
オレのベッドに腰掛ける一人のメロウ。
意外と美人。
見た目はたぶんオレよりも上。というかマーメイド種なんて皆長寿の不老の身なんだからその年齢が分かりはしないんだけど。
その美人が楽しげに口を開いた。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?何だよ?」
「エッチな本どこに隠してるの?」
「ねぇよ!!」
開口一番にそれを聞いてくるか!?
「何よ、男の子の部屋に来たらまずはそれを聞くのが礼儀でしょ?」
「どんな礼儀だよ!お前は男子高校生か!?」
「男子…コウコウセイ…?」
「あ、いや…。」
こっちには高校生なんて職業ないからな。
分からなくても当然か。
「とにかくそんなモンねえよ。」
「ん〜…仕方ないわね。それなら女性者下着でも探すわ。」
「もっとねえよっ!!」
コイツはオレを何だと思ってるんだ!?
「あれ?ないの?」
「あるわけねえだろ!オレはそんな変態じゃねえよ!」
「え?おかしいわね…。この前旅人から教えてもらった話じゃ男の子は女性の下着に興奮するって言ってたのに。」
「それはある種の性癖を持った奴だろ…。」
「あちゃ〜…嘘だったのね…。血あげちゃったじゃないの。」
そういえば『人魚の血』って大半がメロウが提供してるんだっけな。
猥談やら色恋話のお礼として、だっけ?
「血をあげたって…どのくらい?」
「ワインボトル一本分。」
「馬鹿だろお前…ぶっ倒れるぞ…。」
人間でもワインボトル一本分の血を抜いたらそう満足に動けないのに。
「そういえばユウタってあたしから『お礼』を貰いたがらないわね。何で?」
そういえばそうだった。
エレーヌに何回かそんなエロい話を教えた見返りにどこからか取り出した小さいビンに入った血を貰った。
すぐに返したけど。
「あたし達の血を飲めば不老長寿になれるのよ?」
「無駄に歳月生きてもなー。」
「これ売ればかなりのお金になるのよ?」
「人様の血を売るほどオレは畜生じゃねえよ。」
「変わってるわね、あなた。」
「よく言われるんだよな、それ。」
オレとエレーヌは互いに顔を見合わせて笑いあった。
さて、喉も渇いてきたし飲み物でも出すか。
オレは机に置いてあったビンから中の液体を二つのグラスに注ぐ。
片方はオレのでもう片方はエレーヌの。
なみなみと注いだそれを彼女に手渡し、再び椅子に腰掛けた。
「これがユウタの言ってた飲み物?」
「そう。女性向けに考えてる新メニュー。まぁ飲んで見てくれよ。」
エレーヌはグラスを近づけて香りをかぐ。
「へぇ〜。甘そうでいい匂いね。」
「そりゃメニューに考えてるからな。それなりのもんだよ。」
「それじゃ、いただきます。」
そう言ってエレーヌはグラスの中の液体を飲んだ。
一口含んで飲み込む。
彼女の小さな喉が鳴った。
「…おいしいわね、これ…!」
「だろ?」
オレのいた世界で作られていた手軽にできる飲み物。
それなりの味は保障できるさ。
「牛乳と卵、砂糖にバニラエッセンスを混ぜたもんだよ。」
「名前は?」
「ミルクシェイク…なんて言いたいんだけど正式名称は別。」
「別?」
…どうしようか。
これ言ったら絶対エレーヌはなんか言うな。
というか狙って作ったからな。
「…正式名称は…『ミルクセーキ』。」
「なにそれ!エッチな名前ね!」
ほら言った!予想通りの反応したぞ!
エレーヌは楽しげに笑いながら言う。
「『ミルク精液』なんて!」
「おかしい!!なんか一気に別物になったぞ!!」
それは確かにオレも思ってたけどさ!
そうなんだよ、オレも思っちゃったんだよ!
「先に言葉を付ければもっとエッチになるわね。例えばそう、『オチン―」
「そんな言葉付けるな!」
何を付けようとしたか予想がついたぞ!
エレーヌは発想が侮れないな!
コイツ本当にやるやつだな!
「んで、お前が持ってきたものって?」
「あ、そうそう。それよ!」
エレーヌはグラスをオレに渡してバッグの中から本を取り出した。
小さく、薄いそれ。
表紙はピンク色で文字はない。
…一目見ただけでそんな本って感じがするな…。
「エロ本?」
「そうよ。この前のよりもずっとすごいんだから!」
そう言って彼女はぺらぺらと本をめくった。
オレはグラスを机に置き、ベッドに座ってエレーヌの本を後ろから覗き込む。
エレーヌの本にはしっかりと男女の絡まってる絵が描かれていた。
けっこうリアルな絵だな…。
って、オレは何を見てるんだ…。
さて、傍から見てみよう。
男の部屋に来た女性が持ってきたエロ本を男と一緒に見てるこの状況。
…何だこれ?かなりシュールじゃん…。
「ほらこれよ!」
そう言ってエレーヌが見せてきたその絵。
やはり男と女が絡み合うイラスト。
姿勢は二人が寝転がり、互いの性器を舐めているところだった。
「ん?シックスナイン?」
「!知ってるの!?」
「まぁな。別名、二つ巴。そんで男が上になれば椋鳥っていうんだと。」
お盛んな年頃だから、そこらへんの知識はあるさ。
というか高校男児なら話題に上がりまくりだからな、それ。
男子でよく話して女子に引かれるやつだからな、それ。
恍惚とした表情で眺めているエレーヌ。
…何でそんなうっとりしてるんだよ。
「いいわよね〜…。足がないあたし達もできるかしら?」
「できるんじゃ―」
その先を言いかけてやめた。
なんて言うか…この先の展開の予想がつきそうで。
オレがこのまま「できるんじゃねーの?」とか言ったらエレーヌは―
「じゃぁできるか確かめてみましょう!」
「は?確かめるってどうやって?」
「簡単よ〜。あたしとユウタがするの♪」
「…は?」
「だ・か・らぁ、ユウタとあたしがこの絵のようにお互いのものを…♪」
「いやいやいや、待てよ!」
「んもう!白々しい態度ね…ユウタのここ、こんなになってるじゃないの♪」
「っ!!おい、ちょっと待った!」
「んふふ〜♪口では何だかんだ言っても体は正直ですね〜♪」
「それっ!女の言う台詞かよっ!!」
…やべ。ありうる。
エレーヌならやりかねない…。
オレがエレーヌとそんな関係を持てるなんてことは思っていないけど。
さすがにオレも其処まで自惚れている訳じゃないけど。
コイツはやりかねない…。
恥ずかしながら、男としてこんなエロい絵を見せられて下半身少し臨戦態勢だし…。
「こんなの、してみた―」
「それよかさ!」
エレーヌの次の発言を打ち消すように。
オレはエレーヌからもしかしたら危ない一線を越えるかもしれないという状況から抜け出すためにも無理やり話題を変える。
「他にはなんか持ってこなかったのかよ?」
「他?勿論あるわよ。」
あったのか。
どうせまたそんなモンだと思うけど。
エレーヌは本をオレに手渡し、バッグを探る。
「ん〜そうねぇ…ユウタ、少し後ろ向いててくれないかしら?」
「何で?」
「着替えるから。」
「着替え、え?」
服でも持ってきたのかよ?
「うふふ〜♪見たい?」
「いや、いいわ。」
「ひどっ!?そこは期待してくれなきゃいけないところでしょ!」
「だったら最初から聞くなよ…。」
服だったらそんな桃色な展開はないし平気そうだ。
オレが理性を保てばいいだけだし。
…保てるかなオレ。
「覗かないでよ♪」
「後ろにいる状況でかよ…。」
というか、ここで着替えるなよ。
いくら後ろ向いているとはいえオレは男だぞ?
あまりにも気を抜きすぎというか…無防備すぎるというか…。
とにかくオレは後ろを向いた。
部屋を出たほうがいいんだろうけどこっちのほうが早いし。
それにオレとエレーヌの仲だ。そこらへんは了承してくれていると思う。
男の後ろで着替える女。
オレの後ろで肌身を晒しているエレーヌ。
…あれ?何この美味しい状況。
人生であるかないかの奇跡。
もしオレがここで振り返ってエレーヌを押し倒したりしたらそのまま行為に及べ―
やばいやばい、オレの理性が流されかけてる!!
こういう時は素数だ!素数を数えるんだオレ!
1、2、3、5、7、9、11、13、15、17…
あれ?そもそも素数って何だっけ?
あれ?オレ、今何を数えてたっけ?
オレ…混乱してね?
かちゃかちゃと何かが合わさる音が後ろでした。
硬いもの同士が重なるような、そんな音。
まるで貝殻みたいな…。
…貝殻?エレーヌの服で貝殻って言うと…あの貝殻ビキニか?
え?脱いでんの?
何で?上から着ないの?
そんなことを考えていたそのとき。
「いいわよ。」
エレーヌの声がかかった。
それにオレは振り向いた。
振り向いて、固まった。
「…。」
絶句。
エレーヌを見て言葉を失った。
エレーヌの姿。
何か特別な服を着たわけでもない普段と変わらない露出の多い姿。
後姿を見れば普段と変わっていないように見えるだろう。
だが、前から見れば変化に気づく。
その変化は、体のとある部分。
普段している貝殻ビキニが変わっていた。
それがビーズやらラメ入りやらで可愛くデコレーションされているのならまだよかった。
そんな可愛らしいものよりもエレーヌは過激なものを好んでいるというのがよくわかる姿。
その貝殻ビキニが普段の大きさをホタテとしようものなら今の貝殻は―
―シジミ。
もしくはアサリでもいいかもしれない。
貝に詳しくないオレがあまり的確な例えを出せないのだが…なんていうか…。
味噌汁に入ってるようなあの小さな貝殻を紐を使って水着のように胸に押し当ててる姿。
きわどい。
とんでもなくきわどかった。
オレのいた世界でもこんな姿があったな。
そうだ、あれだ―
「マイクロビキニじゃねーか!!」
「どう?素敵でしょ?」
エレーヌは楽しげにオレに笑いかけた。
笑えねーよ?
女が男のために着替えたものがマイクロビキニだなんて笑えねーよ!?
冗談だとしても苦笑いもできねえよ!?
「お前さ、それ男の前でするような姿じゃねーだろ!」
オレは極力エレーヌの姿を見ないように顔を逸らした。
今見たら本当にやばい。
オレの理性を崩しにかかってくるような、そんな姿だった。
「あれ〜?どうしたのユウタ?そんなに顔を赤くしちゃって?」
エレーヌはオレの顔を下から覗き込むようにして身を寄せてきた。
自然、上目遣いになるその仕草。
見つめあう形になるオレとエレーヌ。
「ねぇ?どう?この姿。」
「どうって…。」
「きれい?エッチ?」
「エロくはあるけどさ…。」
正直答えにくい質問だ。
なんでオレは女性にエロいビキニを着ているところを見せられているんだ!?
わけわかんねーよ!
波乱万丈過ぎるわ!
エロ漫画にもこんなストーリーはねえよ!
オレはすぐさま学ランを脱ぎ、彼女の肩にかけてやる。
肌の露出が少なくなるように。
オレが何もしないでいられるように。
「女性がそうやって男の前で肌を晒すなよ。」
「何でよ?」
「何でって…。」
コイツ、わかってやってないのか?
「オレが、その…襲ったらまずいだろーが…。」
普段からエロい話をしている相手だとしてもオレはちゃんとした男。
目の前で結構な美女が裸に近い格好をしていれば抑えられるはずの理性も抑えられなくなる。
欲望が滾り、本能が猛り。
ひとつ間違えれば越えてしまう。
一線を。ボーダーラインを。
もう戻れない、引き返せない。
「………襲えば良いじゃない。」
「あん?」
ぼそりと何かを呟いたエレーヌ。
声が小さくて聞き取れない。
今エレーヌは何を言った?
彼女を見ればオレがかけた学ランの裾を強く握り締めていた。
何かを耐えるように。
「どうした?」
「べっつにぃ〜。」
エレーヌはあさっての方向を向いてベッドへと倒れこんだ。
手にしたエロ本を力なくめくり、眺めて。
何だよ、コイツ。
オレにエロ本を見せに来て、マイクロビキニを見せ付けて。
何がしたったんだよ。まったく。
オレは小さく息を吐いてエレーヌと同じようにベッドに倒れこんだ。
隣に寝転ぶエレーヌは静かに本を見ている。
部屋は嫌な沈黙が支配していた。
そういえば…こんな嫌な沈黙をエレーヌと話しているときに感じたことはなかったな。
いつも笑ってて、いつも二人で楽しんでて。
何やってんだって言われそうな話題で盛り上がって。
こんなに静かになったこと、初めてだ。
…何やってんだろうな、オレは。
普段とは違う雰囲気の中で。
エレーヌといて感じることのなかった沈黙の中にいて。
そんな風に思った。
「…エレーヌ。」
そう呼ぼうとして、やめた。
彼女の名前を呼ぶ前に、何か聞こえたから。
何か、なんと言うか…物音のような、声のような。
エレーヌを見れば手に持っていた本を閉じてオレを見ていた。
「…何か聞こえたわよね?」
「ああ。」
かすかにだが、確実にそれは聞こえた。
この家のどこかからするその物音が。
「何かしら?まさか…泥棒?」
「まさか。」
この町には自警団がいる。
夜間でも何か危ないことでもないかパトロールをしている。
そんな町で犯罪を犯すものならすぐさま牢屋行きだろう。
「あ、鍵は?」
「…あ。」
言われて気がついた。
オレはエレーヌをこの家に招き入れて戸締りをしたっけ?
エレーヌが入ってきたこの店のドア。
彼女がいつ来てもいいようにドアの鍵を開けていた。
その後もエレーヌを運んだり、その後話したりしてその鍵を閉める暇がなかったはず…。
「やっべ…泥棒だったら困るな…。」
泥棒だったらどうするか。
迎え撃つ?
一応それなりの迎撃技術は持っているんだ。
あの空手の師匠の下にいたんだ、この世界のゴロツキだろうが泥棒だろうが相手にできる自信はある。
そうするのが一番手っ取り早い。
そう思ったオレはベッドから立ち上が―
「待って。」
エレーヌが立ち上がろうとしていたオレの腕をつかんだ。
「どうした?」
「よく聞いてみて。この声…。」
「声?」
言われてオレは耳を澄ます。
この物音がどこからしてくるのか。エレーヌが言った声が何なのか。
わずかな音も聞き漏らさないように。
「…っ…。」
聞こえた。
確かに誰かの声だった。
…声だったのは確かなんだけど…なんか、思っていたよりも高い声。
男の声じゃない、女のような声だった。
…女?え?ちょっと待って。
この声…よく聞いてみると…。
「……っ……ぁっ…。」
「っ!!」
げっ!この声はっ!!
気づいてしまった。この声の正体に。
この声が誰のものか、そしてこの声が何なのか。
しまった、と思った。
マリ姉が今この家ではなく孤児院で泊まっている理由。
その理由がこれだった。
「…エレーヌ、下の店のほう行こう。」
オレはエレーヌの腕を引っつかんで抱き上げようとするが、エレーヌはオレの唇に指を当て、黙らす。
静かに、と目で示してきた。
おいおいおい!やばいんだよ!お前なんかがこの部屋に、この家に今いたら!
この声の正体がわかったら本当にやばいんだよ!
徐々にはっきりしてくる声。
だんだん大きくなってくるそれ。
エレーヌに気がついて欲しくないな!本当に!
だってこの声―
「―なんかこの声…喘ぎ声みたいね…。」
「っ!!!!」
そうなんだよな!
これ喘ぎ声なんだもんな!
ついでに言うとこの声の主はマーメイド。
この店のマスターの妻、クレメンスさんの声だしさ!
忘れてたよ、今日この日を!
エレーヌが遊びにくることからすっかりと忘れてた!
今日は―
―ディランさんとクレメンスさんの夫婦の営みの日だ…!
いくら娘でもそんな夫婦の事情の声を聞きたいとは思わない。
こんな声を聞かされて夜を明けられるわけがない。
だからマリ姉は孤児院で泊まっているんだ。
オレがこの家に住み始めた当初はよくマリ姉に手を引かれてこの店をともに出て孤児院へ泊まりに行ってたし。
なんで忘れてたかな、オレ!
今までのようにマリ姉とともに孤児院へ行っておくべきだった!
「…ぁっ♪…そんなっあ、あっ♪…♪」
部屋にはオレとエレーヌの二人。
男と女。
嫌な沈黙の変わりに艶のかかったマーメイドの喘ぐ声が聞こえる。
何だこの雰囲気。
何だこの状況はっ!?
気まずいなんてものじゃねえぞ!!
エレーヌを見れば…。
「…はぁ…はぁ…。」
息を荒くして顔を真っ赤に染めていた。
この声にあてられてる…。
触発されてる!
響いてくる声によって興奮したのオレの唇に触れているエレーヌの指から高い体温が伝わる。
やばい、本当に。
オレのほうもさっきまでエロ本、そしてエレーヌのマイクロビキニ姿を目に映していたんだから体はもう反応してる。
気づかれたら本当にやばい…!
「ユウ、タぁ…。」
エレーヌの声にまで艶がかかってきた!
頬を興奮で赤く染めたその表情。
普段オレとともに猥談をして楽しむような顔じゃない。
それは女の顔。
男の本能を刺激してくるような表情。
オレの理性を崩してくるような顔。
「え、エレーヌ、下に行こうぜ?さすがにこんな声を聞いてる中でおしゃべりなんてできないだろ?」
できる限りの平静を保って言う。
ここでオレが踏みとどまらないと、やばいから。
超えちゃいけない線を越えるから。
エレーヌの腕を掴んで抱き上げようと体を寄せたそのとき。
エレーヌに腕を引っ張られた。
予想していなかった行動にオレの体は力のままに動き、引かれる。
そして気がつけばオレの体は…。
「…え?」
ベッドの上に倒れていて、
エレーヌが上から覆いかぶさるような体勢で。
傍から見てみるとそれは―
オレはエレーヌに押し倒されていた。
コイバナ 第二章 これにて終了
雲ひとつない夜空には月と星が輝いていた。
月明かりと星の光。
どちらのものか分からない光が窓からさす中、オレは『カフェバー ネ―ヴェル・メーア』の二階の部屋、オレが住まわせてもらっている部屋の片付けをしていた。
「よし。」
机の上は片付けた。
床は埃がないように掃いた。
余計なものは片付けた。
ベッドのシーツは整えた。
…別にエロ本を隠したとかいうわけじゃないからね?
元々持ってないからね?
ここに住まわせてもらっている以上、さらには働かせてもらっている身でそんなモン買えるかよ。
あまりにも失礼だ。だからそんな本は買わない。
…本当だからね?
「っと。」
机の上にある飲み物を置いた。
グラスは二つ。中には氷。
その横には液体がなみなみと入ったビン。
当店オリジナル―というかオレオリジナルのドリンク。
オレのいた世界での普通にあった飲み物なんだけど…。
とにかくこれで準備は万端だ。
よっしゃ来い!いつでも来い!
そんなことを考えながらベッドに座ったそのときだった。
―チリンチリンっ
聞き覚えのある軽い音。
最近になって聞きなれたこの店のドアに付いている鈴の音だ。
本来この音は夜には聞かないはず。
この店は昼しか開いていないのだから。
というか、カフェバーなのだから本来は夜やるべきなのだろうけど。
やっと来たか…。
オレはベッドに沈んでいた腰を上げ、部屋から出て一階のカフェバーへと向かった。
今、家にいるのはオレとディランさんとクレメンスさんの三人だけ。
だからもしお客が来たときに出るのはオレになる。
一番下っ端だし…。
マリ姉は今日は孤児院のほうで泊まってくるという。
何だっけな…マリ姉が泊まってくるっていう日はこの家にいちゃいけないんだよな…?
何でだっけか?確か…とても大切な理由があったはず…。
そんなことを考えていながら階段を下りていくとカフェバーへと出た。
夜中だから暗い店内。
わずかに灯した明かり。
その光に照らされていつもオレと対談する席に腰掛けて―
―エレーヌはいた。
「お邪魔〜♪」
昼に見せたような笑顔でオレに手を振る彼女。
肩にはピンクのバッグらしきものを掛けて。
その顔には楽しげな笑いを浮かべて。
そこに座っていた。
「おう、エレーヌ。」
「約束どおりに来たわよ。早速で悪いんだけどユウタの部屋に上げてくれる?」
「…いきなり部屋かよ。」
「そうよ。私、まだ男の子の部屋に上がったことないんだから!」
「自慢げに言うなよ。」
何も誇れるようなことじゃないぞ、それ。
胸を張って言うなよ。
意外と大きい胸を主張するなよ…。
「ね、お願い♪」
「はいはい。」
こっちだってそのつもりだ。
こんな仕事場で夜まで話しこみたいとは思わない。
そりゃお洒落で雰囲気あるいい場所だとは思うけど。
エレーヌとの猥談にはあまりにもお洒落すぎる。
だからオレは彼女の手をとった。
オレの部屋に招待するために。
「ほら、手を貸せよ。」
「はい。」
エレーヌの体を持ち上げる。
左手を赤い鱗に包まれた尻尾の下へと通し、右手は背中へと通す。
それに答えるかのようにエレーヌはオレの首に腕を回した。
早い話が、お姫様抱っこでオレは彼女を持ち上げていた。
店の中まで水路は引かれていない。
それにオレの部屋は二階。
マーメイド種にとって階段を上るなんてことはあまりにも難しい。
ゆえにオレはエレーヌを運ぶためにこうやって抱き上げていた。
香る甘い臭いは香水かエレーヌの体臭かわからない
嬉しそうに笑う彼女はオレを見つめて言った。
「いいわね、お姫様抱っこって。」
「そう?」
「そうよ。皆があこがれる理由がわかるわ。」
腕に伝わる彼女の体重。
結構軽い。
体重とともに伝わるのはエレーヌの体の温もりと女性の体の柔らかな感触。
実はオレがこの家に来てからマリ姉をこうやって運んでいるから慣れているのだがなんというか…。
マリ姉とはずいぶん違う気持ちになる。
「そんじゃ運ぶぞ。」
器用に足でドアを開けることなんて実はできたりもするのだがそれは女性の前でやるにはいささか失礼だろう。
というか、エレーヌを女性として意識すればの話なんだけど。
なので足でドアを開けようとはせずにエレーヌに開けてもらい、彼女の体をベッドに座らせオレは近くの椅子に座って。
一息つく。
今の状況確認。
エレーヌがオレの部屋に来た。
男の子の部屋に女の子が来た。
高校男児にとってはかなりの一大イベントである!
なんて、言ってみたり。
実際にはオレの部屋に女性が来るのは初めてじゃない。
オレのいた世界ではよく双子の姉が侵入してきて部屋荒らしをしてきたし。
こっちの世界ではマリ姉がオレの部屋を訪ねてくることもあるくらいだ。
だから場慣れはしている。
なんていらない事を考えつつもエリーヌを見た。
オレのベッドに腰掛ける一人のメロウ。
意外と美人。
見た目はたぶんオレよりも上。というかマーメイド種なんて皆長寿の不老の身なんだからその年齢が分かりはしないんだけど。
その美人が楽しげに口を開いた。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?何だよ?」
「エッチな本どこに隠してるの?」
「ねぇよ!!」
開口一番にそれを聞いてくるか!?
「何よ、男の子の部屋に来たらまずはそれを聞くのが礼儀でしょ?」
「どんな礼儀だよ!お前は男子高校生か!?」
「男子…コウコウセイ…?」
「あ、いや…。」
こっちには高校生なんて職業ないからな。
分からなくても当然か。
「とにかくそんなモンねえよ。」
「ん〜…仕方ないわね。それなら女性者下着でも探すわ。」
「もっとねえよっ!!」
コイツはオレを何だと思ってるんだ!?
「あれ?ないの?」
「あるわけねえだろ!オレはそんな変態じゃねえよ!」
「え?おかしいわね…。この前旅人から教えてもらった話じゃ男の子は女性の下着に興奮するって言ってたのに。」
「それはある種の性癖を持った奴だろ…。」
「あちゃ〜…嘘だったのね…。血あげちゃったじゃないの。」
そういえば『人魚の血』って大半がメロウが提供してるんだっけな。
猥談やら色恋話のお礼として、だっけ?
「血をあげたって…どのくらい?」
「ワインボトル一本分。」
「馬鹿だろお前…ぶっ倒れるぞ…。」
人間でもワインボトル一本分の血を抜いたらそう満足に動けないのに。
「そういえばユウタってあたしから『お礼』を貰いたがらないわね。何で?」
そういえばそうだった。
エレーヌに何回かそんなエロい話を教えた見返りにどこからか取り出した小さいビンに入った血を貰った。
すぐに返したけど。
「あたし達の血を飲めば不老長寿になれるのよ?」
「無駄に歳月生きてもなー。」
「これ売ればかなりのお金になるのよ?」
「人様の血を売るほどオレは畜生じゃねえよ。」
「変わってるわね、あなた。」
「よく言われるんだよな、それ。」
オレとエレーヌは互いに顔を見合わせて笑いあった。
さて、喉も渇いてきたし飲み物でも出すか。
オレは机に置いてあったビンから中の液体を二つのグラスに注ぐ。
片方はオレのでもう片方はエレーヌの。
なみなみと注いだそれを彼女に手渡し、再び椅子に腰掛けた。
「これがユウタの言ってた飲み物?」
「そう。女性向けに考えてる新メニュー。まぁ飲んで見てくれよ。」
エレーヌはグラスを近づけて香りをかぐ。
「へぇ〜。甘そうでいい匂いね。」
「そりゃメニューに考えてるからな。それなりのもんだよ。」
「それじゃ、いただきます。」
そう言ってエレーヌはグラスの中の液体を飲んだ。
一口含んで飲み込む。
彼女の小さな喉が鳴った。
「…おいしいわね、これ…!」
「だろ?」
オレのいた世界で作られていた手軽にできる飲み物。
それなりの味は保障できるさ。
「牛乳と卵、砂糖にバニラエッセンスを混ぜたもんだよ。」
「名前は?」
「ミルクシェイク…なんて言いたいんだけど正式名称は別。」
「別?」
…どうしようか。
これ言ったら絶対エレーヌはなんか言うな。
というか狙って作ったからな。
「…正式名称は…『ミルクセーキ』。」
「なにそれ!エッチな名前ね!」
ほら言った!予想通りの反応したぞ!
エレーヌは楽しげに笑いながら言う。
「『ミルク精液』なんて!」
「おかしい!!なんか一気に別物になったぞ!!」
それは確かにオレも思ってたけどさ!
そうなんだよ、オレも思っちゃったんだよ!
「先に言葉を付ければもっとエッチになるわね。例えばそう、『オチン―」
「そんな言葉付けるな!」
何を付けようとしたか予想がついたぞ!
エレーヌは発想が侮れないな!
コイツ本当にやるやつだな!
「んで、お前が持ってきたものって?」
「あ、そうそう。それよ!」
エレーヌはグラスをオレに渡してバッグの中から本を取り出した。
小さく、薄いそれ。
表紙はピンク色で文字はない。
…一目見ただけでそんな本って感じがするな…。
「エロ本?」
「そうよ。この前のよりもずっとすごいんだから!」
そう言って彼女はぺらぺらと本をめくった。
オレはグラスを机に置き、ベッドに座ってエレーヌの本を後ろから覗き込む。
エレーヌの本にはしっかりと男女の絡まってる絵が描かれていた。
けっこうリアルな絵だな…。
って、オレは何を見てるんだ…。
さて、傍から見てみよう。
男の部屋に来た女性が持ってきたエロ本を男と一緒に見てるこの状況。
…何だこれ?かなりシュールじゃん…。
「ほらこれよ!」
そう言ってエレーヌが見せてきたその絵。
やはり男と女が絡み合うイラスト。
姿勢は二人が寝転がり、互いの性器を舐めているところだった。
「ん?シックスナイン?」
「!知ってるの!?」
「まぁな。別名、二つ巴。そんで男が上になれば椋鳥っていうんだと。」
お盛んな年頃だから、そこらへんの知識はあるさ。
というか高校男児なら話題に上がりまくりだからな、それ。
男子でよく話して女子に引かれるやつだからな、それ。
恍惚とした表情で眺めているエレーヌ。
…何でそんなうっとりしてるんだよ。
「いいわよね〜…。足がないあたし達もできるかしら?」
「できるんじゃ―」
その先を言いかけてやめた。
なんて言うか…この先の展開の予想がつきそうで。
オレがこのまま「できるんじゃねーの?」とか言ったらエレーヌは―
「じゃぁできるか確かめてみましょう!」
「は?確かめるってどうやって?」
「簡単よ〜。あたしとユウタがするの♪」
「…は?」
「だ・か・らぁ、ユウタとあたしがこの絵のようにお互いのものを…♪」
「いやいやいや、待てよ!」
「んもう!白々しい態度ね…ユウタのここ、こんなになってるじゃないの♪」
「っ!!おい、ちょっと待った!」
「んふふ〜♪口では何だかんだ言っても体は正直ですね〜♪」
「それっ!女の言う台詞かよっ!!」
…やべ。ありうる。
エレーヌならやりかねない…。
オレがエレーヌとそんな関係を持てるなんてことは思っていないけど。
さすがにオレも其処まで自惚れている訳じゃないけど。
コイツはやりかねない…。
恥ずかしながら、男としてこんなエロい絵を見せられて下半身少し臨戦態勢だし…。
「こんなの、してみた―」
「それよかさ!」
エレーヌの次の発言を打ち消すように。
オレはエレーヌからもしかしたら危ない一線を越えるかもしれないという状況から抜け出すためにも無理やり話題を変える。
「他にはなんか持ってこなかったのかよ?」
「他?勿論あるわよ。」
あったのか。
どうせまたそんなモンだと思うけど。
エレーヌは本をオレに手渡し、バッグを探る。
「ん〜そうねぇ…ユウタ、少し後ろ向いててくれないかしら?」
「何で?」
「着替えるから。」
「着替え、え?」
服でも持ってきたのかよ?
「うふふ〜♪見たい?」
「いや、いいわ。」
「ひどっ!?そこは期待してくれなきゃいけないところでしょ!」
「だったら最初から聞くなよ…。」
服だったらそんな桃色な展開はないし平気そうだ。
オレが理性を保てばいいだけだし。
…保てるかなオレ。
「覗かないでよ♪」
「後ろにいる状況でかよ…。」
というか、ここで着替えるなよ。
いくら後ろ向いているとはいえオレは男だぞ?
あまりにも気を抜きすぎというか…無防備すぎるというか…。
とにかくオレは後ろを向いた。
部屋を出たほうがいいんだろうけどこっちのほうが早いし。
それにオレとエレーヌの仲だ。そこらへんは了承してくれていると思う。
男の後ろで着替える女。
オレの後ろで肌身を晒しているエレーヌ。
…あれ?何この美味しい状況。
人生であるかないかの奇跡。
もしオレがここで振り返ってエレーヌを押し倒したりしたらそのまま行為に及べ―
やばいやばい、オレの理性が流されかけてる!!
こういう時は素数だ!素数を数えるんだオレ!
1、2、3、5、7、9、11、13、15、17…
あれ?そもそも素数って何だっけ?
あれ?オレ、今何を数えてたっけ?
オレ…混乱してね?
かちゃかちゃと何かが合わさる音が後ろでした。
硬いもの同士が重なるような、そんな音。
まるで貝殻みたいな…。
…貝殻?エレーヌの服で貝殻って言うと…あの貝殻ビキニか?
え?脱いでんの?
何で?上から着ないの?
そんなことを考えていたそのとき。
「いいわよ。」
エレーヌの声がかかった。
それにオレは振り向いた。
振り向いて、固まった。
「…。」
絶句。
エレーヌを見て言葉を失った。
エレーヌの姿。
何か特別な服を着たわけでもない普段と変わらない露出の多い姿。
後姿を見れば普段と変わっていないように見えるだろう。
だが、前から見れば変化に気づく。
その変化は、体のとある部分。
普段している貝殻ビキニが変わっていた。
それがビーズやらラメ入りやらで可愛くデコレーションされているのならまだよかった。
そんな可愛らしいものよりもエレーヌは過激なものを好んでいるというのがよくわかる姿。
その貝殻ビキニが普段の大きさをホタテとしようものなら今の貝殻は―
―シジミ。
もしくはアサリでもいいかもしれない。
貝に詳しくないオレがあまり的確な例えを出せないのだが…なんていうか…。
味噌汁に入ってるようなあの小さな貝殻を紐を使って水着のように胸に押し当ててる姿。
きわどい。
とんでもなくきわどかった。
オレのいた世界でもこんな姿があったな。
そうだ、あれだ―
「マイクロビキニじゃねーか!!」
「どう?素敵でしょ?」
エレーヌは楽しげにオレに笑いかけた。
笑えねーよ?
女が男のために着替えたものがマイクロビキニだなんて笑えねーよ!?
冗談だとしても苦笑いもできねえよ!?
「お前さ、それ男の前でするような姿じゃねーだろ!」
オレは極力エレーヌの姿を見ないように顔を逸らした。
今見たら本当にやばい。
オレの理性を崩しにかかってくるような、そんな姿だった。
「あれ〜?どうしたのユウタ?そんなに顔を赤くしちゃって?」
エレーヌはオレの顔を下から覗き込むようにして身を寄せてきた。
自然、上目遣いになるその仕草。
見つめあう形になるオレとエレーヌ。
「ねぇ?どう?この姿。」
「どうって…。」
「きれい?エッチ?」
「エロくはあるけどさ…。」
正直答えにくい質問だ。
なんでオレは女性にエロいビキニを着ているところを見せられているんだ!?
わけわかんねーよ!
波乱万丈過ぎるわ!
エロ漫画にもこんなストーリーはねえよ!
オレはすぐさま学ランを脱ぎ、彼女の肩にかけてやる。
肌の露出が少なくなるように。
オレが何もしないでいられるように。
「女性がそうやって男の前で肌を晒すなよ。」
「何でよ?」
「何でって…。」
コイツ、わかってやってないのか?
「オレが、その…襲ったらまずいだろーが…。」
普段からエロい話をしている相手だとしてもオレはちゃんとした男。
目の前で結構な美女が裸に近い格好をしていれば抑えられるはずの理性も抑えられなくなる。
欲望が滾り、本能が猛り。
ひとつ間違えれば越えてしまう。
一線を。ボーダーラインを。
もう戻れない、引き返せない。
「………襲えば良いじゃない。」
「あん?」
ぼそりと何かを呟いたエレーヌ。
声が小さくて聞き取れない。
今エレーヌは何を言った?
彼女を見ればオレがかけた学ランの裾を強く握り締めていた。
何かを耐えるように。
「どうした?」
「べっつにぃ〜。」
エレーヌはあさっての方向を向いてベッドへと倒れこんだ。
手にしたエロ本を力なくめくり、眺めて。
何だよ、コイツ。
オレにエロ本を見せに来て、マイクロビキニを見せ付けて。
何がしたったんだよ。まったく。
オレは小さく息を吐いてエレーヌと同じようにベッドに倒れこんだ。
隣に寝転ぶエレーヌは静かに本を見ている。
部屋は嫌な沈黙が支配していた。
そういえば…こんな嫌な沈黙をエレーヌと話しているときに感じたことはなかったな。
いつも笑ってて、いつも二人で楽しんでて。
何やってんだって言われそうな話題で盛り上がって。
こんなに静かになったこと、初めてだ。
…何やってんだろうな、オレは。
普段とは違う雰囲気の中で。
エレーヌといて感じることのなかった沈黙の中にいて。
そんな風に思った。
「…エレーヌ。」
そう呼ぼうとして、やめた。
彼女の名前を呼ぶ前に、何か聞こえたから。
何か、なんと言うか…物音のような、声のような。
エレーヌを見れば手に持っていた本を閉じてオレを見ていた。
「…何か聞こえたわよね?」
「ああ。」
かすかにだが、確実にそれは聞こえた。
この家のどこかからするその物音が。
「何かしら?まさか…泥棒?」
「まさか。」
この町には自警団がいる。
夜間でも何か危ないことでもないかパトロールをしている。
そんな町で犯罪を犯すものならすぐさま牢屋行きだろう。
「あ、鍵は?」
「…あ。」
言われて気がついた。
オレはエレーヌをこの家に招き入れて戸締りをしたっけ?
エレーヌが入ってきたこの店のドア。
彼女がいつ来てもいいようにドアの鍵を開けていた。
その後もエレーヌを運んだり、その後話したりしてその鍵を閉める暇がなかったはず…。
「やっべ…泥棒だったら困るな…。」
泥棒だったらどうするか。
迎え撃つ?
一応それなりの迎撃技術は持っているんだ。
あの空手の師匠の下にいたんだ、この世界のゴロツキだろうが泥棒だろうが相手にできる自信はある。
そうするのが一番手っ取り早い。
そう思ったオレはベッドから立ち上が―
「待って。」
エレーヌが立ち上がろうとしていたオレの腕をつかんだ。
「どうした?」
「よく聞いてみて。この声…。」
「声?」
言われてオレは耳を澄ます。
この物音がどこからしてくるのか。エレーヌが言った声が何なのか。
わずかな音も聞き漏らさないように。
「…っ…。」
聞こえた。
確かに誰かの声だった。
…声だったのは確かなんだけど…なんか、思っていたよりも高い声。
男の声じゃない、女のような声だった。
…女?え?ちょっと待って。
この声…よく聞いてみると…。
「……っ……ぁっ…。」
「っ!!」
げっ!この声はっ!!
気づいてしまった。この声の正体に。
この声が誰のものか、そしてこの声が何なのか。
しまった、と思った。
マリ姉が今この家ではなく孤児院で泊まっている理由。
その理由がこれだった。
「…エレーヌ、下の店のほう行こう。」
オレはエレーヌの腕を引っつかんで抱き上げようとするが、エレーヌはオレの唇に指を当て、黙らす。
静かに、と目で示してきた。
おいおいおい!やばいんだよ!お前なんかがこの部屋に、この家に今いたら!
この声の正体がわかったら本当にやばいんだよ!
徐々にはっきりしてくる声。
だんだん大きくなってくるそれ。
エレーヌに気がついて欲しくないな!本当に!
だってこの声―
「―なんかこの声…喘ぎ声みたいね…。」
「っ!!!!」
そうなんだよな!
これ喘ぎ声なんだもんな!
ついでに言うとこの声の主はマーメイド。
この店のマスターの妻、クレメンスさんの声だしさ!
忘れてたよ、今日この日を!
エレーヌが遊びにくることからすっかりと忘れてた!
今日は―
―ディランさんとクレメンスさんの夫婦の営みの日だ…!
いくら娘でもそんな夫婦の事情の声を聞きたいとは思わない。
こんな声を聞かされて夜を明けられるわけがない。
だからマリ姉は孤児院で泊まっているんだ。
オレがこの家に住み始めた当初はよくマリ姉に手を引かれてこの店をともに出て孤児院へ泊まりに行ってたし。
なんで忘れてたかな、オレ!
今までのようにマリ姉とともに孤児院へ行っておくべきだった!
「…ぁっ♪…そんなっあ、あっ♪…♪」
部屋にはオレとエレーヌの二人。
男と女。
嫌な沈黙の変わりに艶のかかったマーメイドの喘ぐ声が聞こえる。
何だこの雰囲気。
何だこの状況はっ!?
気まずいなんてものじゃねえぞ!!
エレーヌを見れば…。
「…はぁ…はぁ…。」
息を荒くして顔を真っ赤に染めていた。
この声にあてられてる…。
触発されてる!
響いてくる声によって興奮したのオレの唇に触れているエレーヌの指から高い体温が伝わる。
やばい、本当に。
オレのほうもさっきまでエロ本、そしてエレーヌのマイクロビキニ姿を目に映していたんだから体はもう反応してる。
気づかれたら本当にやばい…!
「ユウ、タぁ…。」
エレーヌの声にまで艶がかかってきた!
頬を興奮で赤く染めたその表情。
普段オレとともに猥談をして楽しむような顔じゃない。
それは女の顔。
男の本能を刺激してくるような表情。
オレの理性を崩してくるような顔。
「え、エレーヌ、下に行こうぜ?さすがにこんな声を聞いてる中でおしゃべりなんてできないだろ?」
できる限りの平静を保って言う。
ここでオレが踏みとどまらないと、やばいから。
超えちゃいけない線を越えるから。
エレーヌの腕を掴んで抱き上げようと体を寄せたそのとき。
エレーヌに腕を引っ張られた。
予想していなかった行動にオレの体は力のままに動き、引かれる。
そして気がつけばオレの体は…。
「…え?」
ベッドの上に倒れていて、
エレーヌが上から覆いかぶさるような体勢で。
傍から見てみるとそれは―
オレはエレーヌに押し倒されていた。
コイバナ 第二章 これにて終了
11/04/07 15:56更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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