連載小説
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おやすみなさいませ、御主人様
「はいこれ」

ある日突然ユウタ様は私へ一つの袋を渡してきた。大きく膨らみ、ずっしりと重いそれは少し揺らしただけで金属音が響く。中身は見ずともわかる。この量とこの重さ、これは全て硬貨だろう。

「…ユウタ様、これは一体何でしょうか?」
「お給料。本当ならもっと早くに渡したかったんだけどメイドさんの給料ってわからなくてさ。レジーナに聞いた一般的な給料を今まで分と、遅れたことのお詫び分」
「…ちなみに、お支払いはどこから?」

私は正式にこの王国に仕えているわけではない。仕えているのはユウタ様ただ一人だ。王国に忠誠を誓ったわけではないし、あちらから見れば私はユウタ様の拾い物でしかない。
それでも私は王宮内に暮らせている。
高い技術とそれなりの地位。双方あっても王宮内で部屋を与えられるのは、それも個室を頂けるのは一握り。メイドというただの従者一人に過ぎた待遇だが、その上給金まで支払われるだろうか。
私の疑問にユウタ様はこともなげに言った。

「オレの財布からだけど」
「…いただけません。そんな、ユウタ様のお給料を頂くなどとはあまりにも恐れ多いです」

本来ならば主従の関係とはそういうもの。労働の対価に給金を支払うのはどこの国でも変わらない。

だが、違う。

私は決してユウタ様のお給金目当てにメイドになったわけではない。
私の忠誠心はどれほど高価な宝石や金塊でも等々とはなりえない。
私が仕えたいと思ったからこそ仕えているだけなのだ。
それに、メイドというものは仕えているだけでもちびちびお金を稼ぐことも出来る。
例えばユウタ様へお出しする茶葉の出がらしを売る。王宮内で出た廃棄されるワイン瓶、コルクや蝋燭の燃えさしもまた同様。
さらにユウタ様は王族直属の護衛故の待遇の良さもある。そのおこぼれにあやかるだけで一人で暮らすには十分の稼ぎとなっていた。

「レジーナの護衛って基本毎日あるからお金を使う暇があんまりないのに結構入ってくるんだよ。使っても休日に食料買いだめするだけだし、なくなったら王宮の食堂で食べたりするし、文字も読めないから読書も出来ないし。ただ貯まってくだけだからぜんぜん平気だよ」
「…ならお金ではなく」

体でお支払いください、と言いかけて止めた。
危ない危ない、思わず本音が零れるところだった。流石のユウタ様とて慎みのない言動は逆に引かれかねない。
だが、魅力的な案ではある。せめて添い寝程度のお許しを得てそのまま同じベッドで寝転びああユウタ様そこはいけませふぇへへへ…。

「あ…涎垂れてるよ」
「…これは失礼しました」

涎を拭うとお給料を手渡される。
だが掌に伝わる重さはかなりのもの。いや、この王国のメイドがどれだけ貰っているか知らないが普通ここまでの重量にはならないだろう。
すなわち王宮勤めのメイド達がそれだけ優遇されているということか。
それともお詫びの分がそれだけ多いのか。
だが、どちらにしろ私の中ではただの金。それ以上の価値もそれ以下の価値もない。

「…ユウタ様。私がユウタ様に仕えるのは給料が欲しいからではありません。私が仕えたいからメイドをしているのです」
「わかってるよ。そのことについては本当に感謝してるし、申し訳なくも思ってる。だからその分を返したいんだよ」
「…私にとってメイドとは生き甲斐です。人生です。『メイド・畢生』です。受けた忠誠を金銭で支払われてはメイドとしての立つ瀬がありません」
「いや、これ普通のことだと思うんだけど…」

それに、とユウタ様はさらに言葉を続ける。

「ここんとこちゃんと休んだ日あった?」
「…私は既に人間ではありません。体を休める必要などないのです。ですからお給料も休みも」
「それでも、だよ。たまには趣味とか没頭する日があってもいいんじゃないの?女性なんだからお洒落とかしてみたら?」

キキーモラでなくとも心の底から気遣ってくれているのがよくわかる。
メイドとして扱うのではない、一人の女性として扱ってくださることは嬉しいが、同時にもどかしい。





それは―未だにユウタ様から一人のメイドとして見られていないということに他ならない。









寝室に入るユウタ様を見送ってから結局受け取ってしまった袋を取り出す。中身は部屋の明かりを眩しいくらいに反射する。一枚つまみあげるとそれは金色に輝いた。
全て金貨…それがこの量。一般的な家庭なら数か月は十分に暮らせることだろう。だが一人のメイドが貰うにも持て余し過ぎる。

「…どうしましょうか」

私とてやることがないわけではない。
空いた時間に行う料理や家事もある意味趣味。時には読書や時には音楽、武術を嗜むこともある。
だが、この王国で盛んにふるまわれる料理は全て完璧に作れる。
炊事洗濯掃除もあの自室ではほぼ不要。
愛読書である『紫髪の御主人様と愛欲の従者』は新作がまだ出ていない。
音楽もまた同様、流行の曲はまだ世に出ない。
武術も既に大方修めてしまった。
そもそも空いた時間があればユウタ様の傍にいたい。必要とされたい。それが今の私にとって一番の幸せだ。

「…ふふっ」

いつまでも頭の中に浮かぶユウタ様の姿に思わず笑ってしまう。
あまりにも依存している自分自身。
それを許容するユウタ様。
これではメイドと御主人様というよりも犬と飼い主。私は、構ってくれと尻尾を振るうダメな犬ではないか。だからもっと罵ってもあぁ、ユウタ様っ。
私は魔物になった。
ユウタ様の感情がわかるようになった。
体が丈夫で魅力的になった。
ユウタ様にさらに歩み寄れるようになった。



だけども私は―ユウタ様のために行動ができているのか。



先走る欲望とメイドの理性。渦巻く本能と従者の心得。混ざり混ざって残るのは果たして私の望んだ『メイド・理想』なのか。

「…ダメ、ですね」

こんな迷いがあっては一人前のメイドには到底なれない。ユウタ様の仰るように少しは休息を取るべきだろうか。

「―…あ」

休息という言葉にふと思い出した。
休日のユウタ様は基本部屋でのんびりしたり街中を散策していたと仰っていた。だが誰かと約束事があれば何が何でも守ろうとし、そのときは仕えるべき王女様相手にも反抗するほどだ。

例えば―ナンパ者の勇者様とお食事しに出かけたり。

例えば―変態な研究者の所へ世話をしに行ったり。

例えば―生真面目な修道女と共に孤児院へ手伝いに行ったり。

例えば―女嫌いの勇者様とテラスでお話したり。

例えば―愛らしくも腹黒い勇者様に渋々ついて行ったり。

例えば―厳粛で戦闘狂な王女様に連れ出されたり。

例えば、例えば、例えば―

私の知る限りユウタ様は休日誰かと共に過ごされている。少なくとも、ユウタ様が仰る程にのんびりしているように見受けられない。



―つまるところ、ユウタ様自身も十分にお体を休まれていないということだ。



ならばメイドとして行うべきことは一つだけだ。
メイドがご主人様の休日を横取りすることは烏滸がましい。折角のお休みをメイド如きに消費させてしまうなど笑止千万だ。
だが、その時間を無駄にするか、有意義にするかはメイドの腕にかかっている。つまるところ私の、『メイド・才腕』の見せ所である。










「…ユウタ様。今度の休日のご予定はありますか?」
「ん?いやー特にないけど、どうして?」
「…ユウタ様は休日とはいえ心身ともに休まれているとは思えません。なので、一度誰もいない静かな湖で休まれてはと思いまして」
「湖かぁ、いいね。でもどうやって行くの?」
「…それはユウタ様から頂いたお金で用意しました。馬と馬具一式です」
「馬?」
「…ええ、馬です。実は―」






「…私、乗馬も趣味なんです」
「乗馬?え、マジで?すごいね」

ユウタ様の休日に二人並んで王宮の馬小屋に来ていた。多くの人が乗る馬たちが何匹も並ぶ中、離れた場所にいる1頭の馬がいる。
その足は強靭に地面を踏みしめ。
その鬣は艶やかに黒く揺れ。
その瞳は鏡のように世界を映す。
ユウタ様を見て、馬を見て、そして一人満足げに頷く。



やはりユウタ様には黒馬に跨ってもらうのが一番似合う。



身に纏った黒衣に黒髪、そして闇色の瞳。どれも黒一色のユウタ様だからこそ黒馬との姿がよく映える。
だが、ここで一つの問題が生じた。隣に立ちすくむユウタ様から感じられる不安に私は確信する。

「…ユウタ様は乗馬の経験はあまりなさらないのですね」
「っていうか初めてなんだよね。こっちに来ても遠出するときは徒歩だったし」
「…初めて、ですか」
「うん、そう」
「…初体験ですか」
「うん?何で言い直したの?」

実はそうだと思っていた。
初めて出会ったときもあんな場所を馬も使わずに歩いていたユウタ様だ。次の街まで遠い場所で一人でいるのはお金がないか、それ以外の理由だろう。転移魔法が使えるなら話は別だがユウタ様からは今も以前も魔力を感じない。
つまるところユウタ様は歩く以外に移動手段を持ち合わせていない。

「…ご安心ください。馬の扱いは全て私に任せユウタ様はゆったりとお寛ぎ下さい」
「く、寛ぐって言ったって馬に跨ること自体初めてじゃ色々危ないでしょ」
「…そう思われることも仕方ないことでしょう。ですが、どうかこの私を信じてください」
「………そこまで言うんならよろしく頼むよ」
「…はい、では」

引き連れた黒馬へ乗らせるに私は跪いた。
馬の高さは人より大きい。鞍を付け鐙を備えて乗りやすくなったとはいえ落ちれば一溜りもない。出来ることなら安定した台があればいいが都合よくあるわけもない。
だからこそ私が体を張ってまで足場になる。文字通り身を挺して御主人様に尽くすというわけだ。
ついでに合法的に踏んでもらえる。素晴らしい。
足場となる背中を平らにし、支えとなる手を差し出す。後はユウタ様の手を取って背中に乗せればいいだけだ。

「ユウタ様、御手をこちらへ」
「よっと」

だがユウタ様は私の手を掴むことなく軽快な身のこなしで馬に跨ってしまった。

「……」

……。
バランス感覚も悪いものではなく初めてだというのに背筋を伸ばして安定している。護衛という職業故か運動神経は悪いものではない。これなら少し教えるだけでも十分上達するだろう。
だが、せっかくの初体験をむざむざと済ませるつもりはない。手取り足取りうふんあはんふぇへへへなハプニングを交えて教えるよりかは頼ってもらえる方が正直メイドとして嬉しい。
そんなことを考えていると馬上からユウタ様が手を差し伸べてきた。

「エミリー、おいで」



―そんな笑顔を浮かべられては卑怯だと、思った。



「…はいっ」

力のままに引き上げられる。その細腕からは想像できないほどに強く、そして軽々と。
馬上で体を抱き留められると当然ながら距離がなくなる。肩が胸板に触れ足裏に腕を回されて、マッサージ以上に強く密に触れ合える。
ああ、堪らない。
このまま身を委ねていたいがユウタ様は初体験。危険が伴う行為は避けるべきだ。
それと、お楽しみもあるのだし。

「…失礼ですが、ユウタ様。馬への乗り方は本来こうではありません」
「え?」
「…少し、お邪魔します」
「あ、ちょっと?」

馬上で身を捩り位置を変え、そして私は―



「…これが本来の二人乗りです」



ユウタ様の背中に抱きついた。

「…?…?えっと…え?エミリー。何これ?」
「…二人乗りの乗馬です」
「普通逆じゃない?」
「…ユウタ様。乗馬という者は二人乗りになる際はこのような姿が正しいのです。馬の体は中心の方が揺れにくく、足の上に位置する腰に付近の方が揺れます。いかに馬具があっても慣れぬ者からすれば腰を痛める原因となりましょう。ですので、こちらは私にお任せください」
「でもこれ端から見たらすごい格好なんだけど」
「…我慢してください。落馬するよりはずっと安全です」
「でも…」
「…痛めた腰や臀部の治療を私のみに任せていただけるというのならお譲りいたしますが?」
「……………なら、いいかな」
「…かしこまりました」

了承も得たので手綱を引き馬の足を進める。ゆっくりと歩いても座っているのは生き物の上。激しくはないがユウタ様と私の体は上下に揺れる。
ああ、これは堪らない。抱きしめているだけでも胸を満たす充足感。布越しの肌の熱すら感じ取れ、伝わってくる温もりに切なく息が零れ落ちた。涎も落ちた。

「結構響いてくるね」
「…乗馬とはそういうものです。生き物の上に乗るのですから馬車と比べれば揺れますし、落馬という危険性もあります。その分利点もありますが」
「手軽に乗れるって事?」
「…それ以外にも沢山ありますよ」

例えば抱きつくための口実となること。
逞しい背中に張り付くように体を寄せ、離さぬように腕を回す。たとえこの腕が体を這い回っても馬上では仕方ないことであり、初めてであるユウタ様には疑われることもなければ咎められることもない。
ただ今のユウタ様は落ちないように体のバランスをとりながら私と距離を置こうとしている。どうやら背中に感じる感触に緊張しているらしい。


そして感じるのは、確かに募っていく黒い欲望だった。


「…ユウタ様、もう少し私に体をお任せください」
「いや、任せるってどうやって」
「…私の方に体重をおかけください。そちらのほうが私も気持ちよ…しっかりと馬を操りやすいので」
「でもオレ結構重いし、バランス崩れそうだからいいよ」
「…仕えるメイドが御主人様のお体を支えられずして何がメイドでしょうか。それに私は今や人の身ではありません。必ずやユウタ様のお体の支えとなってご覧入れましょう」
「いや、いいから」
「…遠慮しないでください」
「いいからっ!」

じたばたと暴れようとするユウタ様を抱き留め、動かないように腕を腕に絡めて締め上げた。必死に抜け出そうとするが人間が魔物の力に適うはずもなくユウタ様はあきらめたように力を抜く。それを良いことに私はさらに腕で抱き寄せた。
後はこのまま湖へと行けばいい。誰もいない開放的な空間ならばユウタ様とておおらかな気分になるだろう。そこへ募らせていた欲望とトドメに『私をた・べ・て』と差し出せばいくらユウタ様とて襲わずにはいられまい。
素晴らしい。あまりの素晴らしさに涎が垂れた。

「…では、行きましょうか」
「こんなとこ人に見られたら…」
「…ご安心下さい。人目に付かない道を行きますので」

こちらとしても見つかることは極力控えなければならない。
魔物の姿を偽っているとはいえ勇者クラスの方まで誤魔化せるとは思えないし、何よりこの時間を誰かに邪魔されたくない。
ユウタ様は赤くなった顔を俯かせる。あぁ、堪らない。襲いたい。
抱きしめながら不快感を与えぬように手綱を引いて馬を走らせる。落馬の危険や馬の消耗も考えてあまりスピード出さぬようにと注意して。

「あれ?」
「あ、リチェーチ!?」

しかし、王宮の門付近まで来たそのときだった。
門の側を歩いていた金髪の女性が駆け寄ってきた。緑を基準とした独特の制服姿で大きくスリットの入った長いスカートには特徴的な十字架が刻まれている。おそらく彼女も王宮に使える騎士の一人なのだろう。

「何してるんですか、ユウタさん!あれ、そちらにいるのは…メイドさんですか?」
「み、見ないで!リチェーチ!!」

じたばたと暴れるが危ないので全身を使って押さえ込む。その際手を腕の内側に突っ込んだり体を撫でまわしてしまうが、これは至って仕方ないことだ。

「へー」

ユウタ様は成すすべなく顔を真っ赤にして俯く。
私は存分にユウタ様をまさぐっている。
リチェーチ様は馬上で暴れるユウタ様と抑え込む私を興味津々に見つめていた。

「そちらはメイドさんですね。お二人で街にお出かけですか?」
「…そのようなところです」

きらきらとした瞳は私達の姿が珍しいからではない。とても羨ましそうな視線の理由は………どうやら彼女もお出かけをしたいからだろう。キキーモラとしていや、普通の人間でもわかる程に顔を輝かせていた。

「私もついて行って良いですか!?」
「え?」
「…いけません」

案の定な発言に私はきっぱりと断りをいれた。
どうやら、ユウタ様と少なからず交友関係のあるリチェーチ様。親しげに会話する様子を見ただけでどういった関係かはだいたいわかる。
女性に甘く、優しいユウタ様のことだ、彼女に対しても同じならきっとねだられるままに甘やかしているに違いない。
日々王女様相手でぼろぼろな毎日では肉体的にも精神的にも疲労がたまってしょうがないはず。そんなユウタ様を労わるため二人きりで湖へ出向くはずが、彼女のような人がくればさらに疲れてしまいかねない。

「…リチェーチ様には勤めるべき仕事があるはずです。それをせず、あろうことかサボろうなどとは仕える者として言語道断の行い。許されざる行為です」
「それなら大丈夫です!いつもこうですから!」
「…」

絶句だった。
王宮勤めなら王族に忠誠を誓っているようなもの。それを怠り、果ては余所へ遊びに行くなどとは。
これ以上つきあっていては埒があかない。それにここではユウタ様と関わりのあるお方が他にもいる。同様の事態になる前にさっさと出るべきだ。

「…それでは失礼します。ユウタ様、少々揺れます」
「え?あっ」

話を切り上げ馬の腹を蹴った。手綱を使い姿勢をとって一気に抜けようと駆歩へ移る。

「…んむ」
「うぉぐっ!?」

だが、突然リチェーチ様がユウタ様の腹部へ腕を回した。女性でも長身故に容易く馬上の体を抱きしめるとそのまま動かず頬を膨らませる。

「嫌です!私も行きたいんです!遊びに行きたいんです!!」

だだをこね始めた。なんと子供っぽいことか。年齢的には私に近く大人と呼べるはずなのに中身は子供同然で今もユウタ様に抱きついて離れない。
困ったものだ。思わずため息をつきたいが御主人様の前でそんなことをするわけにもいかない。引き剥がすにも馬上では難しく、仕方なくこのまま馬を進めようとする。

「…」

だが、馬が動かない。手綱を打ってもやはり動かない。
どうやらリチェーチ様が抱きついていることで馬も動けなくなっているらしい。いや、ただ単に馬ごと抑え込まれているようだ。
馬の力に勝るとは腐っても王宮勤めということだろう。

「あ、そうだ」

何かに気付いたリチェーチ様は顔をあげて私―ではなくユウタ様を見上げる。

「要人警護ってことで許可貰ってきますからそれでどうでしょう?」
「…要人?」
「はい!ユウタさんの身に何かあったらレジーナ様が怒っちゃいますから。外に行くのなら私が」
「…不要です」

しかしユウタ様が答えるよりも先に私が答える。肩から顔を出し失礼にならない程度に見下しながら言い放つ。

「…私はメイドです。炊事洗濯だけではなく護衛もまた私の仕事です。外がどれほど危険だろうが私一人でユウタ様の身を守ることができますのでご遠慮ください」

というか、こんな不甲斐ない方に任せられるはずがない。

「大丈夫です!私にとって護衛は本職ですので!」
「いや、それは分かってるけどオレも仕事、護衛だからね?」
「私とユウタさんが一緒なら負ける気しませんね!」
「別に争いに行くわけじゃないんだけど」

流石のユウタ様も困惑気味。だけど、浮かべるのは苦笑だけ。決して嫌な感情一つ湧き出さないのはそれだけ優しい性格ゆえだろうか。

「許可とってきます!」

びしっと姿勢を正したかと思えばどこからか紙を取り出しペンでさらさらと綴っていく。許可証や報告書の類らしいそれを書き終えると近くに落ちていた石に括り付けた。

「よいしょー!」

何をするかと思えば次の瞬間王宮の窓へ向かって投げつける。ガラスの砕け散る音と悲鳴が響きやがて静かになった。
唖然だった。目の前で起きたことにみっともなく口を開けることしかできなかった。

「終わりました!」
「うん、別の意味でも終わったと思うよ」
「大丈夫ですよ、いつも通りですから!」
「…それはそれで問題なのでは?」
「それではこれから護衛として一日付き合いますね!」

にぱぁと輝くように笑顔になるリチェーチ様。こんなに純粋な笑みを見せられては断りづらいことこの上ない。さらに言えば馬を抑え込める力もある。今更逃げ切れるとは思えない。

「あぁ、もう…まったく」

困りながらも笑うユウタ様はチェーチ様の頭をぽんぽんと叩いている。まるで幼子をあやすような行為だが彼女も喜んでいるらしく顔を綻ばせた。

「仕方ないな。エミリー、一緒に連れてっていい?」
「…仰せの通りに」

御主人様の意向に背くことなどメイドはしない。仰るならその言葉に従うまでだ。その言葉がいくら私の意思と異なっていても。
















「…到着です」
「わぁ…!」

渋々リチェーチ様もつれて出かけた先は王国からそれなりに離れた場所だった。大きな湖が空を写し柔らかな風が草を揺らす。日差しは程よく、緑の香りが鼻をくすぐる。
街中の喧騒も王宮内の雑多さもない自然のみの空間で私はユウタ様を馬から下ろす。

「ディユシエロ王国から離れたところにこんな素敵な場所があったんですね!」
「はぁー、すごいね。こんな湖初めて見たよ」

リチェーチ様は大いに驚き感動を身振り手振りで表す。目の前にあるというのにその感動を共有しようとするさまはまんま子供のようだった。
対してユウタ様は静かながらも心の奥で感動している。極力いつも通りをよそおうも心には響いてくれたらしい。
それがわかっただけでも私には十分だ。

「…では昼食にしましょう」

移動に大分時間を割いたので既に太陽は真上にあった。ユウタ様もそろそろ昼食のタイミングだ。何も言わないが空腹であることは既にわかっている。
私は取り出した敷物を広げユウタ様の手を取り座るように促した。

「これってレジャーシート代わりかな」
「…?私が縫いました敷物です。防虫素材も織り込んでいるので虫は近づいてきません。このように天気の良い日には椅子よりも地面に座る方が気持ち良く、草木の匂いや湖の風はきっと癒しをもたらすことでしょう」
「んふー!良いですねぇ!」

当然とばかりに私とは反対側、ユウタ様の隣に胡坐をかいたリチェーチ様に思わずぴくりと反応しかける。

「…では」

白く大きな布地を取り出し空いている敷物の上に乗せる。掴んだ布地へ指先から魔力を流し込むと一気に取り払った。
現れたのは複数の大きな皿にいくつものったサンドウィッチ。冷肉やハム、さらにはキュウリやミントなどを挟んだちょっと高級なものもある。他にもバタートースト等、主にパンで作った料理が並んだ。

「わぁ、すごいですね!空間圧縮を施した魔道具ですか?」
「…メイドを極めし者しか扱えぬ魔法、『メイド・魔術』でございます」
「え?そんな魔法あるの?」
「…自作の魔法ですので」

魔法一つ作ることは容易いことではない。十分な知識、相応の技量、数多の改善を繰り返してようやく完成へたどり着くまで早くても数年かかるのが普通だ。王宮勤めの研究者など専門家なら短く済むが普通の者ならまず完成すら難しい。

「…圧縮した空間内に固定化魔法をかけて常に一日三食、それを一週間分保存しております」
「固定化?」
「物が傷まなかったり壊れないようにする魔法ですよ、ユウタさん。よく騎士たちの防具や料理の食材保存にも用いられる結構有名なものですが使えるのは上級魔術師位の難しい魔法なんです」
「…これならいつでもできたての料理を二十一食分お出しすることができるということです」
「えっと、もしかしてエミリーって魔法の腕もすごいの?」
「すごいどころじゃないですよ!ディユシエロ王国内でもこれほどの魔法を扱えれば部隊長にもなれますよ!」
「…私は、メイドですので」

家事だけに精通しているメイドなど三流。御主人様の求めることを全てこなせてようやく一流。だが、それ以上の高みを目指すのが私である。
メイドとして、メイドによる、御主人様のための魔法。それは日々の家事や料理だけではなく戦闘でも活躍できる。これぞ私が編み出した『メイド・魔術』である。

「…それでは、ユウタ様」

私が促すとユウタ様は両手を合わせる。隣のリチェーチ様も慣れた手付きで両手を合わせた。

「それじゃあ、頂きます」
「頂きます!」
「…どうぞ、召し上がれ」















ユウタ様がよく食べることは知っていた。だが、リチェーチ様も思った以上に良く食べる。元々複数人いても大丈夫なように一食一食多めに作ったがぺろりと食べてしまわれた。お二人とも体を張る職業故だろうか。
そろそろデザートになるものをと思い今度はスリーティアーズを取り出す。上にあるのは沢山のスコーンであり、それを手に取りカップに紅茶を淹れる。クリームとジャムを合わせて完成だ。

「…クリームティーです。デザートにどうぞ」

紅茶とスコーン、それからジャムとクロテッドクリームで一般的なクリームティーである。王国内のカフェでもよく見かけられるほどに有名だが当然私のものはそこらのものと一線を画している。
用いたジャムは甘味を重視し酸味を仄かに抑えた特別性。クリームには油分を抑えつつもくどくなるほどたっぷりと、しかしジャムの風味を損なわない程度に甘く仕上げた。極めつけはスコーンに混ぜた僅かな塩気。全ての甘味を引き出しながらスコーン自体の味も楽しめる、とびきり甘い一品。
対する紅茶は爽やかなもの。シッキムをメインにブレンドしたこれまた私の特別性だ。
どれもこれもユウタ様の好みに合わせたものである。

「…どうぞ」

半分に割ったスコーンにクロテッドクリームとジャムを塗りユウタ様へと手渡す。すると珍しそうにそれを眺めた。

「これってスコーン?」
「…はい、一般的な紅茶のセットです」
「へぇ、こっちじゃアイルと食べに行った時ぐらいしか見ないから新鮮だ」
「え、ユウタさん、アイルさんともお知り合いなんですか!?」
「うん。結構おいしいカフェとか連れてってもらうんだ。まぁ、その後店員さん口説きに行っちゃうから困るんだけど」

何気なくそんなことを言ったユウタ様はスコーンを齧った。リチェーチ様も自分でクリーム、ジャムの順で零れるくらいにたっぷり塗り付けて食べる。

「ん………美味しいね」

スコーンを味わいぽつりと零した言葉だが確かな喜びを感じられる。いつも浮かべる笑みとは違う、心から喜びを見せる笑みに私は頭を下げた。
どうやら見事、好みに応じることができたらしい。メイドとして当たり前のことであってもやはり嬉しいものは嬉しい。
続いて私の肌にジャムとクリームを塗り付けて食べてもらってふぇへへ…。

「………………あぅ」

対するリチェーチ様は先ほどまで浮かべていた輝く笑みとは一転して似合わぬ難しい表情を浮かべていた。

「リチェーチ?どうかした?」
「……………なんていうか、異常なほどに甘ったるいんですね」

当然だ。用意した料理は全てユウタ様の好みに合わせて作ったものなのだから。
お肉が好き。
甘いものが好き。
高級感あるものより沢山の量が好き。
しかし、その中でも程度は存在する。ユウタ様好みの甘さは普通よりちょっと行き過ぎるぐらい。
リチェーチ様にとってはあまりにもくどかったのだろう。嬉々として料理を運んでいた手が止まり口も動いていない。舌にこびりついた甘味に難しい表情を浮かべていた。

「やっぱりユウタさんが作ってくれるものとは違うんですね」
「…私がユウタ様のために作りましたので」
「うぅ、まだ五個目なのに進まない…」

食べかけのスコーンを持ちながらも辛そうに肩を揺らす。だが、調子に乗ってクリームもジャムもべったりつけたリチェーチ様が悪い。既に五個も食べているのだ、同情の余地はないだろう。
だが、その姿を放っておけるほど非常でないのが私の御主人様。

「なら、リチェーチ。それ食べよっか?」
「あ、お願いできますか?」
「ん、貰うね」

関節キスだというのに共に恥じる様子も照れる様子もない。だが、二人の間の空気は決して悪くもない。まるで子供同士の戯れの様に微笑ましい。
半分ほど残ったスコーンをユウタ様は二口程で食べた。だが、大量のジャムを塗りたくったせいで口元についてしまう。
薄紅色の唇付近についた甘ったるいジャム。まるで子供っぽさを感じさせる姿に私はふと気づいた。



―舐めとる絶好のチャンス。



さりげなさを装い子猫の如くジャムを舐めとる。上手くすれば沈みかけていた欲望を刺激し、キキーモラの魅力も相まって一気に爆発して…あぁ、そんなユウタ様、リチェーチ様の前で、あっそんないけませふぇへへへ…。

「あ、ユウタさん口元にジャムついてますよ」
「ん?ぁ」

頬に手を添え顔を寄せる―それより先にリチェーチ様の指先がジャムを拭い取った。それをまるで当たり前のように自分の口へと運びぺろりと舐める。

「えへへ〜♪」

隠した尻尾が突き出そうだった。多分、こめかみは引くついていたに違いない。
やはりというか、二人の間の空気は甘い。ただ、やはりというか。恋人の様な甘ったるいものではない。色気よりも純粋さのある微笑ましい戯れだ。
だが、目の前で、しかも今私がするはずだったことをされては堪ったものではない。
ユウタ様もまた微笑みを返す。胸に湧き出すのはこちらもまた、欲望のない純粋な好意の感情のみ。裏も表もないその光景はとても仲の良い姿だった。





―私が入り込む余地が見当たらない程に。





「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまです!」

先ほどとは別の布を被せ空いた食器を別空間へと仕舞い込む。
さて、食事が終われば後はのんびりと過ごしていただこう。元々ユウタ様が休めるようにと訪れたのだ、このまま食休みをするも眠るもよいだろう。
本当なら私も食・べ・て、だったのだが乗馬中に感じていた欲望は既に消え失せている。リチェーチ様がいる手前みっともない姿を晒すわけにもいかないからだろう。折角解放的になられているのに…内心舌打ちしたいくらいだった。

「えっと、それじゃあユウタさん」

隣で胡坐をかいていたリチェーチ様が四つん這いでユウタ様に身を寄せる。まるで女豹のような仕草に一瞬警戒した。
まさか、私が隣にいるのにユウタ様に襲い掛かるおつもりか。交わる姿を見せつけるおつもりか。ならば、是非とも私も交えて―

「えへぇ♪」
「いいよ、ほら」

だがその胸中に欲望なんてものは見当たらない。
応じるように足を伸ばしたユウタ様。何かと思えばすぐにリチェーチ様が横たわり太腿の上に頭を置いた。
戦慄が走った。
怒りも湧いた。

「ん〜ん♪」

猫撫で声を上げ太腿に頬を擦りつける。その表情はみっともないくらいにだらけ、だけども幸せそうに蕩けている。

なんと、なんと羨ましいことか!

男性の膝の上がいいのではない。ユウタ様だからこそ意味がある。しかし私はメイドであって、ユウタ様は御主人様。私が求めてはいけないことだと自覚しつつも羨望を止められない。そんな行為を容易く、気軽にリチェーチ様はして見せた。
頬擦りして一息つくとすぐに静かになる。どうやらもう眠られたらしい。
膝の上で眠ってしまったリチェーチ様の頭を撫でるユウタ様。その顔はまるで幼子を見守るように暖かく、穏やかな笑みを浮かべていた。抱いた感情には嫌悪感は一切なく慈しみにあふれている。それはまるで、我が子を愛おしむ母親のように。

「…」

伝わってくる。異性を好きになるのとはまた違う、好きという感情が。
感じてしまう。側にいるだけでも優しくなれる、大切だという心が。
ユウタ様が抱いているのは好きは好きでもまた違った好きなのだろう。ともにいるのが楽しいから、甘えてくるから仕方なく、それでも全く悪い気のしない無邪気な子供を相手にするかのような感情だ。
しかし、一度傾けば容易く一線を突破しかねない。それだけの親しみと感情がある以上、可能性は否定できなかった。



―悔しくあった。



メイドとして私の方がユウタ様の傍にいる。だが、私以上に触れ合い、あまつさえこんな笑みを向けられていることに。
私はメイドとしてユウタ様の隣にいる。しかし、メイド以上に親しさを持ち、さらには同じ感情を抱いていることに。
メイドが御主人様を求めるのは烏滸がましい。それを重々承知しているはずだった。だが今の私はなんだ。魔物になったから、感情の止め方が変わってしまったから。


ユウタ様が気になって仕方がない。否、気にしてほしくて仕方がない。


メイドとしてあるまじき感情だった。だが、否定するにはあまりにも強すぎる好意だ。押し殺す気はないものの混じりだした独占欲が私の頭を痛くする。

「…すぅ……ん」

呑気に膝の上で寝息を立てるリチェーチ様が腹立たしい。ユウタ様を護衛すると言っておいてこの所業。自分の言葉に責任すら感じていないのかと憤りが湧いてくる。

「…んぅ」

だが、眠るリチェーチ様に誘われたのかユウタ様が気だるげな声を上げた。
この昼下がり。お腹が膨れればリチェーチ様に限らず眠たくなることだろう。欠伸をかみ殺しながらも眠たげにおちる瞼を擦っている。

「…ユウタ様。大丈夫ですか?」
「ん。平気…って言いたいけどちょっと無理かな。このままじっとしてたら眠りそう」
「…なら、リチェーチ様をどかしましょうか?」
「いや、いいよ。いつもこうだし。起こしちゃうわけにもいかないからね」

本当にお優しい方。
だが、いつも?いつもとはどういうことだろう。私だって頑張ったところでべたべた触ることを許されないというのに!
湯浴みのお供も許されず、着替えすら一人で済まされるというのに!

「でもこのまま眠ったら倒れそう…」
「…それなら、私にもたれ掛かって下さい」
「重くない?」
「…先刻も申し上げましたが私はユウタ様に仕えるメイドです。御主人様の体も心も支えられてこそ、メイドです」
「でも女性だし」
「…もう魔物ですよ、私は。ですから遠慮せずにどうぞ」

そう言いつつ私はユウタ様の隣に座り込み、肩を引っ張った。微睡みに沈みかけた体はたやすく私の方へと倒れ込み、肩に頭が乗せられる。

「あ…」
「…どうぞお休み下さい。そのための休日ですので」
「ん…それじゃあ、お言葉に甘えて…」

瞼を閉じて数秒、すぐに肩にかかる重みが増した。どうやら意識を手放したらしい。耳を澄ませればかすかに寝息が聞こえてくる。

「…」

起こさぬようにユウタ様見つめる。
以前マッサージ中に見せたのとは違う、穏やかな寝顔。風が黒髪を揺らし、日差しが影を落とす真昼ではまた違った印象を抱かせた。


しかし、中途半端にお預けを食らった私は穏やかではいられない。


こちらは何度垂涎したことか。
昂ぶり、熱を帯びた体を持て余している。
せめてと思い首筋に顔を埋めた。

「…ふーっ……ふーっ……」
「んっ…」
「…!」

意識の浮上を感じ取り慌てて顔を離す。
ユウタ様自身が仰っていたように眠りは浅いらしい。これでは下手に触れては起こしてしまいかねない。

「…では」

改めて体勢を整え倒れぬようにと腰に手を回す。
肩にかかる重みがとても心地よく、肌に伝わってくる体温に心が満ちていく。

「…おやすみなさいませ、ユウタ様」

もっといろいろしたいが御主人様の安眠を妨害できるはずもなく、慈しむように頭を撫でながら佇むのだった。

「……」



やっぱりお尻も撫でておこう。










「…」

眩しい太陽も傾きはじめ、午後の心地よい風が草を揺らして頬を撫でていく。湖故に少しばかり冷たいが吹くのだが肌寒さへは届かない。
…?
改めて身形を確認しようとして―気づいた。
私の肩にかけられた真っ黒な服。厚手の生地でできたそれは紛れもなくユウタ様の衣服。
隣へ視線を向ければ未だに眠りの中にいるユウタ様。だが、上半身は目も覚めるような真っ白な服を纏っている。

「…不覚」

私は苦々しげにつぶやいた。
どうやら私はユウタ様に寄りかかられたま眠ってしまったらしい。この日和のせいだなんて理由にならない、ユウタ様の体温が心地よかったなどいいわけにもならない。
何より、自分の身より私の身を案じて上着を掛けられるなど大失態だ。

「んっ…んぅ」

悩ましげに声を零すユウタ様。どうやら途中で目を覚ましたらしく眠っている私を寝かせ、改めて自分も寝なおしたと言うところだろう。

「…本当に、貴方様は」

いつも変わらぬその対応に頬が緩む。
だが、このままではユウタ様が風邪をひきかねない。掛けられていた上着を手に取り肩へとかけ直して―

「…」
「…」
「…何か?」
「おはようございます」

私に向けられるリチェーチ様の視線に気が付いた。
彼女は依然としてユウタ様の膝の上でごろごろしている。羨ましい。

「メイドさんは休まないんですか?」
「…私はユウタ様のメイドです。ユウタ様が十分に休まれている最中にどうして休むことができましょうか」
「生真面目さんですねぇ」

それを言うなら貴方は何のために来たのだと問いただしたい。
他者に自分の生き方を強要するつもりはない。だからと言って自身の在り方に誇りを持つことすらしないのかと呆れてものもいえない。
リチェーチ様は寝ころんだまま体勢を変え顔を真っ直ぐこちらへ向けてきた。

「本当にユウタさんのメイドさんなんですね」
「…どういう意味ですか?」

挑発にしてはあまりにも単純な感情を乗せていた言葉に私は疑問を返す。

「そのままですよ。もしかしたらユウタさん、今度はメイドさんから酷い目に合わされてるんじゃないかなーって」
「…なぜ、私がそのようなことをしなければいけないのですか」
「知らないんですか?ユウタさん、最初の頃は酷いいじめを受けてたんですよ」
「…っ!」

憮然とした声と言葉に一瞬呼吸を忘れてしまう。それでもリチェーチ様は止まらずに言葉を続けた。

「私も教えられたのはずっと後の事だったんですけどね。そもそもユウタさん、自分で何でもかんでもやろうとしちゃう人ですし」
「…」
「ユウタさんっていろんな知り合いがいますけど、王宮内だと圧倒的に嫌ってる人が多いんですよ。今はレジーナ様直属の護衛やってるから露骨なことは減ったようですが、だからといってなくなったわけじゃありません。休日ユウタさんの傍に誰かがいるのって、そう言う理由でもあるんです」
「…っ」

その言葉に何も言い返せない。
私一人居れば十分だ、なんて傲慢なことを再び抱けるはずもない。

「でも、また同じような目にあってたら私が何とかしなきゃいけないんだって思って、今日もついてきたんですが杞憂でよかったですよ」
「…」

王宮であれほど必死に私達に縋り付いてきたのはそれが理由だったとは。
ユウタ様自身自分の事には無頓着。だからこそ、誰かが傍に付き添い庇う必要がある。でないと、きっと一人で全て抱え込むだけだから。
それを私は分かっていた、はずだった。



だがリチェーチ様は私以上に理解していた。



「しばらくは安心出来そうです」

ユウタ様と共に笑っていた表情が嘘だったのかと思えるほどに冷たく鋭い眼光を最後にリチェーチ様は向き直り瞼を閉じる。先ほどまで胸中に疑心と警戒は消え失せた。しばらくすると再び安らかな寝息が聞こえてくる。


その姿を見て私は―下唇を強く噛み締める。


わかっているはずだった。
理解しているはずだった。
結局のところ私はキキーモラとなってメイドとしての進化を遂げた。ユウタ様の感情がわかるようになり、好みを察することも出来るようになった。

だが、結局はそれだけだ。

私以上にリチェーチ様の方が長く傍に居る。
私よりもユウタ様の隣にいる方はもっといる。
その間に起きた事態は把握できない。
それ以前の出来事など知る由もない。



キキーモラになった私はユウタ様を理解できても―知り尽くしたわけではない。



御家族はどうなさったのか。
どうしてあの王国へ訪れたのか。
故郷はどこなのか。
今までに何があったのか。
好みのタイプはなんなのか。
オカズは何を使っているのか。
性癖の方はどうなのか。
半年間近く仕えているのに私はそんなことすら知らない。
無論、知ろうと努めてもユウタ様の事を知っている者などほぼいない。いたとしてもまず教えてもらえない。さらにユウタ様は自分の事を全く語ろうともしない。



自分の未熟さが腹立たしい。



私もまだメイドとして完璧ではないということだ。万能には程遠い。だからこそ人間を捨てキキーモラになった。
だが。

「…」

私はユウタ様の膝で眠るリチェーチ様を見つめた。
私よりもずっとユウタ様を知っている。だが、傍に居る時間は私の方が長い。
それでも、私は彼女の様にはなれてない。
ユウタ様にあのような笑みを浮かべてもらったことなどない。



その事実が何よりも悔しくて、何よりも―羨ましかった。





















既に日も沈みかけてきた時間帯。敷物を仕舞った私は来た時の様にユウタ様の背で馬の手綱を握っていた。
極力揺れを抑えた馬上でもやはりユウタ様は背筋を伸ばしたままだった。先ほどは寄りかかって下さったというのに今は剣でも刺さっているように真っ直ぐだ。
その姿は勇ましくあるが―私にとっては寂しくもある。



先ほどまでのリチェーチ様と、私との差を見せつけられているようで。



これほどまでに近いのにどうして私との距離は遠いのだろうか。
傍に居るだけでは足りないとわかっていてもその先へ至れないのはどうしてか。
歯痒くて、悔しくて、切なくて。
決して欲望では終わらない想いが胸を締め付ける。

「エミリー」
「…はい」

自然と手綱を握る手に力が籠る。欲望のまま腕を回して体を擦りつけたいが、苦渋を味わった今そんな気分になれない。
だが、私の手にそっとユウタ様の手が触れる。私よりも少し低く、だが優しい体温が溶け込んでくる。
胸が高鳴った。

「今日はありがとう。ここに来れて、最高の一日だったよ」
「…恐悦至極に存じます」
「また、どこか一緒に行こっか」
「…はい、喜んでお供させていただきます」

首だけでこちらを向いたユウタ様へ頭を下げる。胸中に抱いた気持ちを感じ取り嬉しさに頬が赤くなる。
夕日で影をおとした横顔は穏やかな笑みを浮かべていた。奇しくもそれは私が初めて見るお姿だった。
16/02/14 21:34更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで堕落ルートメイド編、第三話でした
ちゃっかり別ルートのリチェーチが登場した回でした
ほのぼののようで、まざまざと見せつけられちゃう現実
メイドとして傍に付き従っているからと言って埋められないものもある、ということですね
もっと歩み寄るために主人公の事を知る。そのためエミリーは次回ある方の所へ訪れます
どのルートにおいてもある意味ラスボスに近いだろう、王女様の所へと
というわけで次回も次回で波乱が起きそうです

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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