中編
高校生で一人暮らしなんて普通しない。よほど金銭的余裕があるか、親元を離れたいなどの理由がない限りはそんなことはしない。オレも唯一知っているのはとある後輩一人だけであって小鳥遊さんがしていたなど初耳だ。
だがサキュバスとなった彼女にとっては好都合だったことだろう。両親に知られたら一大事間違いなしだ。
「…」
サキュバスとはいえ同級生の女子生徒。女系家族故に姉達の部屋には何度も入っていたが、家族以外で『まとも』な女性の部屋を訪れるのはこれが初めてである。
師匠は例外として。後輩も……同じく。
小奇麗なマンションの中へと入り階段を上り、目的の階で綺麗な壁を右手に移動する。一つ二つ三つ…過ぎていくドアを数えていると一番端で足を止めた。
教えられた番号と目の前の番号を確認する。苗字もきちんと『小鳥遊』とあるので間違いないだろう。
ドアから一歩引いて辺りを見渡す。小ざっぱりとした建物だが防犯対策も一応されており監視カメラが数台ついていた。
女性の一人暮らし、それも高校生には十分住みやすいだろうが金銭面はどうしてるのだろう。うちの学校バイト禁止だし。
なんて考えるのは失礼だろう。オレはさっさとインターホンを押した。
「はい」
短い小さな返事がするとすぐにドアが開けられる。向こう側にいたのは小鳥遊さん。薄い布地で黄色のシャツ、同じ色のズボンを履いて彼女は眼鏡越しで眠たげにオレを見つめていた。先ほどまで寝ていたのか下ろした髪に癖がつき、背中から生えた翼が気だるげに下がっている。
「入って」
「…あ、うん」
促されるままに中へと入ると鍵を掛けられる。ご丁寧にチェーンまで。案内されたリビングに座り込んで改めて小鳥遊さんの姿を見る。
その姿を見て数秒。先ほど言葉が出せなかったのはいつもは見えない瞳がオレを捕らえていたからだった。
日本人特有の黒髪黒目。だけどもその目は切れ長で若干鋭さを感じさせる。だが、決して険悪なものではなく、凛として孤高とした雰囲気を抱かせた。
飾らず言えば美人だった。
それはもう別人かと思えるほどに。
「…眼鏡」
「ん?」
「眼鏡変えたの?」
いつもつけてる牛乳瓶の底みたいな眼鏡ではない。オレの視線もはっきり通る程に度がない眼鏡。滅茶苦茶目の悪い彼女にとってそれでは足元すら見えないのではないだろうか。
だが小鳥遊さんは首を振る。
「伊達眼鏡。かけてないと落ち着かないから」
「あぁ、そうなんだ……え?伊達なの?」
「サキュバスになってから視力がよくなったから」
「…へぇ」
揺れるハートの形をした尻尾と翼、髪の毛の間から生えた角を見て考える。サキュバスなんて人間と比べたらずっと格の高い生物なんだろう。それなら身体能力も遥かに高いに違いない。空飛べそうだし。
…いや。
「じゃ、学校でつけてるのは?」
「今までつけてたやつに別のレンズはめ込んだ」
「別の…って、それで見えるの?」
「平気。ないと落ち着かないから」
「そっか」
もったいないと思う。
長身で無駄な肉もなく、制服のせいでわかりにくいがスタイルは良い。さらには眼鏡で隠れていた顔も綺麗。同級生の中では確実にレベルは高いだろう。それなら男子も放っておかないというのに。
「今お茶入れてくるから」
「あ、お構いなくー」
立ち上がると台所へと行ってしまう小鳥遊さん。残されたオレは失礼ながらも部屋を見渡していた。
飾り気のない部屋の風景。ベッドと棚とクローゼットにノートパソコン。物欲がないのか家具は少なく最低限だ。一人暮らしで部屋の間取り問題もあるだろうがそれにしても女の子らしくないというか…。
ふと身近な女性である我が双子の姉と比べてしまう。あやかなら黄緑色のカーペットだとか、花柄の芳香剤とか、可愛らしいクッションとかでさりげなく飾っている。
師匠もあれで結構女性らしいインテリア家具を揃えてる。ハート型の果物を付ける植物とか、芸術作品にも見える蜜の容器とかもあったっけ。
小鳥遊さんはそんなことにかまけてる余裕がないのか興味自体がないのだろうか。天才の考えはよくわからない。
「…あ」
ただ、一つ目を引くものがあった。
小さな本棚に所狭しと詰め込まれたいくつもの本。少女マンガのように飾られた背表紙ではなく、参考書のように分厚いものでもない。黒い背表紙に黄色い文字。中にはピンクや紫と妖しいものも混じっている。
「……」
普段授業中に本を読む彼女だがもしかしてこれらを読んでいるのだろうか。そう思って少し近づくと背表紙の文字が瞳に映る。
『年上の彼女 艶めかしい指づかい』
『背徳な夜 快楽に堕ちる体』
『壁際の艶声』
どう見ても全年齢向けの本ではなかった。
というかこれ官能小説だ。
「……なんだこれ」
「官能小説」
「わっ」
いつの間にか戻って来た小鳥遊さんがオレの前にカップを置く。ふわりと香るリンゴの香りからしてアップルティーだろう。
オレの前に座り込んだ彼女は本棚から一冊抜き取ってオレに見せてくる。下着をつけた上半身だけの女性が飾る表紙はまさに大人向けだ。
見てはいけない物を見てしまった気がするが小鳥遊さんはどこ吹く風だった。
―いや、もしかすればサキュバスだから、だろうか。
男性の精を糧とするサキュバスにとって恥じらいというのはあまり関係ないのかも。逆に性的なことに興味を抱き、それならこの態度も少し納得できるが…。
「サキュバスになるとその…こういう本も好きになったりするの?」
「いや、前から」
「えっ」
「むっつりだから」
「自覚あるんだ…」
何とも反応に困る言葉にオレは苦笑いすら浮かべられない。
前々から何を考えているのかわからない女性だったがここまで飛びぬけていたとは思わなかった。どことなく師匠と同じ匂いがする。ベクトルは違うが根本が同じっぽい。
小鳥遊さんは掴んだ本をオレの前に差し出してくる。
「読む?」
「読まない」
「おすすめあるけど?」
「いらない」
「似たようなことしてるもんね」
「うっ」
何の抑揚もない声だが発言が同級生のそれではない。顔を見ればこれといった感情を宿さぬすまし顔。何を考えているのか見当もつかない。
天才というのは凡人が理解できるものではない。歴史の偉人も理解されるのは難しいことだったし、彼女の思考もオレ如きが理解できないのかもしれない。
返す言葉も見当たらず何かしら取り繕うとカップを取って―落としかけた。
「んなっ!?」
目の前の小鳥遊さんがいきなり薄手の服に手をかけ、その前面を肌蹴ていた。下着はつけてないのか思い切り肌色が見えている。それどころか昨日揉ませてもらった大きな膨らみも、その先端も、動きにつれて揺れるところまで見てしまいすぐさま視線を下へと下げた。
「何してんの!」
「着替え。パジャマのままでいいならいいけど」
「いや!ここで着替えるの!?」
「服、そこあるから」
指さす先を見れば畳まれた衣服が置かれていた。黄緑色のシャツとジーンズ。飾り気のない、華やかさに欠けるちょっと男っぽいラフな服だ。
だがその上に置かれていたのは薄青のとあるもの。折りたたまずに広げられたそれは白のレースやリボンと細かな飾りが目立つ。シンプルな服とは違う、そこはかとない色気を漂わせる一般的な女性らしい下着だった。
「…普通は仕舞っとくもんじゃないの?」
「いつもここで着替えてるから」
「ならせめてオレが来る前にしてほしかった…」
見えてしまった上半身は陸上をやっていたからか無駄な肉は一切なく、だからと言ってがりがりに細いわけではない。程よく肉感的でありながら何よりも目を引いたのは胸だろう。昨日に見たとはいえやはり大きく形も良く、目が離せなくなる。薄いピンクの先端は上を向き、窓から差し込む光が陰影を落とす。
「興奮した?」
「っ………それわざわざ聞く?」
単純な好奇心か、はたまた悪戯心か。聞かれて恥ずかしいようなことを平然と口にされては堪ったもんじゃない。
しかし彼女は抉るように爆弾を投下する。
「勃起」
「っ!」
慌てて足を組み直すも既に手遅れ。彼女の眼はオレの下腹部をじっと見つめていた。今更気にするような関係ではないのだけどやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
小鳥遊さんは寝巻を肌蹴た姿のままゆっくり顔を寄せてきた。
「今日の朝ごはん、食べていい?」
見せつけるように舌で唇を舐めていく。同級生とは思えない艶やかな仕草にオレは喉を鳴らすのだった。
二人きりの空間は見られることもないし、聞かれることもない。邪魔は入らず、気を配る必要もない学校と違ってやりたいことが自由にできる。
故に、歯止めとなるものもまた存在しない。
「どう?」
「どうって…」
ベッドに座ったオレと膝をついて体を寄せた小鳥遊さん。上は脱ぎ捨て晒された大きな胸がオレのものを挟み込んでいた。
刺激は微弱ながらも目に映る姿はかなりくるものがある。同年代の才女が大きな胸をつかって男性器を挟み込むという、なんとも嗜虐心を煽る光景だ。
しかも今はあのどぎつい眼鏡ではない。度のない伊達眼鏡のおかげでその目がよく見える。大きく切れ長で、凛とした雰囲気を醸し出す瞳。顔が整っていることは知っていたがただ一か所見えるようになるだけでこうもどきりとさせられるものかと驚かされる。
「ん」
「…っ」
母性の証とも言うべき胸で挟まれ両端から力を込められる。柔らかなそれは淫靡に形を変えながら醜い男の証を擦りあげる。決して痛みに届かなく快感に掠る刺激だがこの光景だけでも十分だった。
「滑り悪い」
まるで他人の間違いを指摘するように呟くと大きく開けた口から舌を出す。いつもオレのものを舐めているその先からねっとりとした唾液が滴り落ちた。生暖かいそれは胸の間へと滴り広がるとまぶすようにオレのものへも落とされる。
まるでやることがAVだがその知識も本から得たのだろうか。
「ん」
満足したように頷くと行為を再開する。やわやわと胸を揺らし、滑らかな肌が擦れあう。広がった唾液が潤滑油となり引っかかることなく上下する。揺れる胸が、突き刺す刺激がまた堪らない。
「気持ちいい?」
「っん」
「良かった」
小鳥遊さんはよく具合をオレに聞いてくる。痛いことは決してしないし、要望があれば聞き入れてくれる。ただ単にオレを食べ物として扱うというよりもまるでオレを悦ばせることが目的みたいな行為だ。
サキュバスらしくないというか…いや、本物のサキュバスを知らないので何とも言えないか。
「〜ぁっ!!」
突然両側からかかる圧力が増した。大きな胸がさらに深い谷をつくりオレのものを飲み込む。手や舌では得られない感触に思わず声が漏れかけた。
見上げる瞳が細められ、桜色の唇が得意げに曲背を描いた。
「それじゃあ、これは?」
視線が下へと戻ると左右を擦り合わせるように力を込める。揉まれるように右へ左へ。突き出した先端が左右に揺れ擦れた。
ただ挟み込むだけではなく左右から別々にかかる圧力に翻弄される。唾液のおかげで滑りはよく大きな胸が柔らかく形を変えた。摩擦はなく痛みもないが刺激は強くて何よりも先ほど以上にいやらしい。
「出そう?」
「ん…っ」
「そう」
頷くと小鳥遊さんは胸から手を離した。突然快感が消え去り顔をあげると彼女は大きく口を開けていた。
声を発する暇もなく彼女は顔を寄せた。唇が先端を擽り裏筋を舌がなぞりあげながら喉の奥まで飲み込まれる。えずくのではないかと思うほど深く唇が根元まで届くほど。だというのに顔を離すことなく啜り上げられた。
「っ!!」
徐々に押し上げていくような微弱な快楽から一転、搾り取る様な強烈な快感に一気に頭の中が白く染まる。堪える暇などあるはずもなく、オレは小鳥遊さんの喉奥へ精液を吐き出した。
「んんっ」
もう何度もやってきていること故に小鳥遊さんは苦も無く精液を啜り上げていく。尿道に残った一滴すらも搾り取ろうと唇が窄められカリ首をひっかけた。敏感になり腰が砕けるような快感を堪えているとゆっくり上がった頭がいきなり落ちた。
「わっ」
「んぐっんんっ」
口内に唾液をためて頭が上へ下へと動いていく。温かな口内で舌に巻きつかれ唇で扱かれ時には頬を押し付けられて。
もっと搾り取るつもりか激しさは増すばかり。叩き込まれる快感は壮絶で頭を押しのけようと両手を使うも力が入らない。さらには気づけば腰に両腕が回されている始末。堪えることも逃げることも出来やしない。
それをいいことに彼女はひたすら激しく動き続ける。わざとカリ首を唇で引っ掛けては
時折わざとぶつかる固い感触。痛みはないが柔らかな感触ばかりの中でそれは予想外の刺激を生みオレは二度目の絶頂を迎えて精液を吐き出した。
「ん……♪」
どことなく嬉しそうなくぐもった声を出しながら小鳥遊さんはようやく頭をあげて口を離す。唾液にぬめりながらもそそり立ったオレのものは日の光でいやらしく輝いていた。
小鳥遊さんは滴った唾液を舐めとる。その仕草がなんと淫靡なことか。見ているだけでもぞくりとしてしまう。普段の姿を知っているからなおの事。その上サキュバスなのだから年頃の男には堪ったもんじゃない。
「ごちそうさま」
艶やかな唇が紡いだのはやはり抑揚のない声。相変わらずの雰囲気と調子になんだか事務的に絞られているようにも思えてしまう。その単調さにちょっと興奮したりもするのだけど…。
ようやく止んだ快感の波にベッドへと体を横たえた。気づけば荒くなった呼吸を整えながら首だけ動かして小鳥遊さんを見るとオレの膝に手を置いてこちらに顔を向けている。
度のない眼鏡越しに向けられた切れ長の瞳がただ真っ直ぐに見つめてくる。感情のない顔だが何かしらの意思を込めた視線を送ってきていた。
「な、なに?」
「おかわり貰える?」
「…ぇっ」
返事をする気力すら起きないのだがそれを肯定と受け取った小鳥遊さんは再び顔を寄せ行為を続けるのだった。
「お礼がしたい」
「…あ、そう言えばそっちも目的だっけ」
肌蹴た服を着直してベッドに背を預け並んでいるとふと小鳥遊さんがそう言った。
確かに今日呼ばれた理由の一つではあるがお礼と言われてもピンとこない。健全な高校男児にとっちゃ正直こちらがしたいくらいだ。
「ご飯、作るから待ってて」
「料理ならオレも作れるよ」
お礼だとしても正直女性の部屋でじっとしているのは落ち着かない。座った視線の先に官能小説が並ぶ光景も原因だろう。それ以上に普段小鳥遊さんが眠っているベッドに座っているんだ、先ほどの姿と重なって悶悶としてくる。
「じゃ、手伝って」
やはりその言葉も口調も先ほどの行為の余韻を一切感じさせないさっぱりしたものだった。
背中を追って台所へ入ると既に献立を決めていたのか冷蔵庫から食材を出して並べていく。
「…」
並べていく、のだが…よく食材を見て見ればオクラやサトイモ、牡蠣やスルメ、レバーにニンニク、極めつけは鰻ときた。
どれも精をつける食べ物ばかり。オレの体を気遣ってのことだろう。それ以外のこともあるだろうけど。
「苦手な食べ物ある?」
「いや、ない、けど…」
「よかった」
それだけの言葉のやり取りを済ますと小鳥遊さんはすぐさま料理に取り掛かる。
流石に一人暮らしをしているからか手際が良い。迷うことなく食材を手に取り皮を剥いたり鍋に入れたりと進めていく。
「これ刻んで」
「はいはい」
こちらも料理には手慣れたものだ。渡された材料を次から次へとまな板で刻んで器に乗せていく。その様子をフライパンで炒めている最中だというのに小鳥遊さんはじっと見つめていた。
「指切ったりしないんだ」
「そりゃ慣れてるからね」
「舐めて欲しい?」
「え?」
脈絡ない発言に思わず包丁が止まる。
いきなり何を、そう思ってふと自分の手へと視線を落とした。
包丁を握ったオレに指。その言葉の意味を少し考えて納得する。大方不注意で指を切るとでも思ったのだろう。
「何?サキュバスに見せかけて実は吸血鬼だった?」
そんな冗談を言いながら人差し指を見せつけるように揺らす。すると小鳥遊さんの瞳が左右に揺れ―
「はむっ」
「ちょっとっ!?」
突然指先に吸い付かれた。
ざらついた舌が指を撫でて唾液をたっぷりと塗り付けていく。塗りこまれた部分が熱を持ち神経が浮き彫りにされたみたいに感じてしまう。ただの指一本だというのに体が震えるほどの快感だった。
「んっ…」
桜色の唇が離れて唾液のアーチを作り、ぷつりと途切れた。部屋の明かりで艶めかしく映るそれを小鳥遊さんは見せつけるように舌で拭うと一言。
「どきっとした?」
「驚きはしたけど…」
「興奮した?」
「えっ」
オレの言葉にやはりこれといった反応はない。聞き返したところでさっさと料理に戻ってしまった。
素っ気ないのか興味ないのか、はたまたただの悪戯なのかはわからない。
相変わらず感情表現の乏しい同級生だと思う。だが、無表情の裏には女性らしく異性との関わりに憧れを持っていたりするのかもしれない。性的な興味は本棚にびっしり詰まる程なんだし。
「…はい、終わったよ」
「ありがとう。こんどはこれお願い」
「わかった」
指示された材料を渡すとさらに次の食材を渡される。洗って皮を剥いて、まな板に並べていると視界の端で動くものに視線が移った。
「…」
背中から生えた翼に臀部から伸びた尻尾。髪の毛の間から突き出した角に尖った耳。隠す必要がないからこその姿だが料理をする姿に―少し違和感を抱く。
―小鳥遊さんの今の主食は男性の精液。普通の食事は必要あるのだろうか。
サキュバスとなったのなら男性の精液を糧とする。もしかすれば食費が浮くし金銭的にはいいのかな、なんて現金な考えをしてしまうがどこかで利益が出るのならどこかで不利益が出るのは当然のこと。
サキュバスとなった利点があるのならその反対も当然あるに決まってる。
「……不便じゃない?」
だからか、翼を畳み尻尾を揺らす小鳥遊さんの後ろ姿を見てふと、そんなことを口走っていた。
「うん?」
「いや、サキュバスになっちゃってさ」
人間の社会にとってサキュバスとして生きるのはあまりにも不便ではないのか。
男性の精を糧とする代わりに普通の食事は必要ないとすれば。それは言いかえれば一人で生きることはできないということだ。
自分一人で処理できる問題ではない。必ず男性という相手が必要になってしまう。
あまりいい考えではないがそういう店に勤めるとか、はたまた道端でそういう男性を捉まえるとか手段はあるだろうが…。
「特に」
しかし小鳥遊さんはやはり抑揚のない声で、しかも素っ気なく言った。
「サキュバスから戻りたいとか思わないの?」
「思わない。むしろ、望んでなったから」
「のぞ、え?」
包丁を止めてそちらを向くが小鳥遊さんは鍋の中身を見つめている。湧き上がる蒸気のせいで眼鏡が曇っているがお構いなしだ。
「私がお願いしてこうなったから」
「お願いしてって………え?小鳥遊さんをそんな風にした人がいるの?」
「人じゃなくて、悪魔」
「あ、あくま?」
「そう。今の私みたいな羽とか翼とか生やしてた。あと白かった」
細かいことを気にしないのかあまりにも大雑把な特徴。だが、それでも何より気にかかるのは悪魔と白。全身が白い服だった―という単純な意味ではないだろう。
しかし―なぜ。
頼んでまで人を捨てる理由とはなんなのか。
人を捨ててまで人外になりたかった理由は何か。
「小鳥遊さん…」
それを訪ねようとして、やめた。
逆に言えば人をやめてまでしたかったことがあるということ。それだけ重いことを軽々しく聞くのは失礼だろう。そう思って包丁へと視線を戻すと握っていたオレの腕に何かが絡みついていた。
細くて長くて黒くて、まるで綱の様に絡まったそれは小鳥遊さんの臀部から伸びている。どうやら彼女の尻尾らしい。
腕を引かれるように尻尾に引かれて再び視線を戻すと小鳥遊さんが体ごとこちらを向いていた。
「黒崎君は嫌?」
「えっ!」
真っ直ぐにこちらを見つめる二つの瞳と短くも確かな意思を宿した声。桜色の唇は絵やの明かりで艶やかに光り意味深な言葉を紡いだ。
思わず言葉を失い見入ってしまう。曇った眼鏡のせいで台無しだが。
「サキュバスな私は、嫌?」
それをオレに尋ねるのはただ負担をかけているから―だけだろうか。
ひょっとすると、なんて邪推してしまうのはオレがまだまだ青いからか。だが期待してしまうのも無理はない。
それだけ小鳥遊さんは綺麗だ。また行為も魅力的。性的知識も豊富でサキュバスなんて男だったら靡かないわけがない。言葉数は少ないがだからと言って気まずくもないし話せない訳じゃない。
「嫌?」
「い、やって……」
一歩、踏み出してきた小鳥遊さん。
一人暮らしの狭い空間ではたった一歩でオレの目の前に迫ってこれる。体が触れ合う距離へと近づいた彼女はそのまま目を覗き込んできた。
曇りが徐々にはれ切れ長の目にオレの顔が映し出される。それほどの距離だというのにさらに顔を寄せてくる。
鼻先が触れ合いそうな位置で、吐息が頬を擽る近さ。そこでようやく止まった彼女は答えを待っているのか動かない。
真っ直ぐな視線を受けるがあまりにも近すぎて目が逸らせない。後ろに下がろうにも絡みついた尻尾がそれを許さない。
「ぁっ」
とうとう鼻先が触れ合った。思わず体を震わせるが小鳥遊さんは平然と顔を寄せてくる。近いどころじゃない。このままいけば―
―キス、出来そう。
ふとそんな考えが浮かんでしまう。
そうしている間にも小鳥遊さんは躊躇いなく距離を詰めてくる。いや、もう詰める距離すらない。後はただ触れて重なり合うだけだ。
キスなんて、今更だとも思ってはいる。それ以上の事を既にしているわけだしむしろ今まで何でしなかったのかというくらい。
だが、それが一つの区切りであることはオレも小鳥遊さんも理解している。だからこそ今まで食事であろうと性欲処理であろうと軽々しくしなかった。
しなかった、わけだが。
「ん…」
いつの間にか伸ばされた手が肩に置かれ首筋を登って後頭部へと添えられた。さらには包み隠すように翼がまわされる。
まるで恋人がする熱い抱擁。人間以上に強く密なサキュバスの抱擁に何もできなくなってしまう。
近づいていく唇にゆっくり瞼が閉じていく―その時。
「っ!鍋吹き零れてる!!」
「あ」
吹き零れる音に気付いたオレの言葉にすぐにそちらへと顔を向ける。
特に慌てた様子もなく火を消す小鳥遊さん。だが消したところで先ほどの雰囲気には戻れそうにもない。話す話題も見つからず結局そのまま並んで静かに料理を作り続けたのだった。
だがサキュバスとなった彼女にとっては好都合だったことだろう。両親に知られたら一大事間違いなしだ。
「…」
サキュバスとはいえ同級生の女子生徒。女系家族故に姉達の部屋には何度も入っていたが、家族以外で『まとも』な女性の部屋を訪れるのはこれが初めてである。
師匠は例外として。後輩も……同じく。
小奇麗なマンションの中へと入り階段を上り、目的の階で綺麗な壁を右手に移動する。一つ二つ三つ…過ぎていくドアを数えていると一番端で足を止めた。
教えられた番号と目の前の番号を確認する。苗字もきちんと『小鳥遊』とあるので間違いないだろう。
ドアから一歩引いて辺りを見渡す。小ざっぱりとした建物だが防犯対策も一応されており監視カメラが数台ついていた。
女性の一人暮らし、それも高校生には十分住みやすいだろうが金銭面はどうしてるのだろう。うちの学校バイト禁止だし。
なんて考えるのは失礼だろう。オレはさっさとインターホンを押した。
「はい」
短い小さな返事がするとすぐにドアが開けられる。向こう側にいたのは小鳥遊さん。薄い布地で黄色のシャツ、同じ色のズボンを履いて彼女は眼鏡越しで眠たげにオレを見つめていた。先ほどまで寝ていたのか下ろした髪に癖がつき、背中から生えた翼が気だるげに下がっている。
「入って」
「…あ、うん」
促されるままに中へと入ると鍵を掛けられる。ご丁寧にチェーンまで。案内されたリビングに座り込んで改めて小鳥遊さんの姿を見る。
その姿を見て数秒。先ほど言葉が出せなかったのはいつもは見えない瞳がオレを捕らえていたからだった。
日本人特有の黒髪黒目。だけどもその目は切れ長で若干鋭さを感じさせる。だが、決して険悪なものではなく、凛として孤高とした雰囲気を抱かせた。
飾らず言えば美人だった。
それはもう別人かと思えるほどに。
「…眼鏡」
「ん?」
「眼鏡変えたの?」
いつもつけてる牛乳瓶の底みたいな眼鏡ではない。オレの視線もはっきり通る程に度がない眼鏡。滅茶苦茶目の悪い彼女にとってそれでは足元すら見えないのではないだろうか。
だが小鳥遊さんは首を振る。
「伊達眼鏡。かけてないと落ち着かないから」
「あぁ、そうなんだ……え?伊達なの?」
「サキュバスになってから視力がよくなったから」
「…へぇ」
揺れるハートの形をした尻尾と翼、髪の毛の間から生えた角を見て考える。サキュバスなんて人間と比べたらずっと格の高い生物なんだろう。それなら身体能力も遥かに高いに違いない。空飛べそうだし。
…いや。
「じゃ、学校でつけてるのは?」
「今までつけてたやつに別のレンズはめ込んだ」
「別の…って、それで見えるの?」
「平気。ないと落ち着かないから」
「そっか」
もったいないと思う。
長身で無駄な肉もなく、制服のせいでわかりにくいがスタイルは良い。さらには眼鏡で隠れていた顔も綺麗。同級生の中では確実にレベルは高いだろう。それなら男子も放っておかないというのに。
「今お茶入れてくるから」
「あ、お構いなくー」
立ち上がると台所へと行ってしまう小鳥遊さん。残されたオレは失礼ながらも部屋を見渡していた。
飾り気のない部屋の風景。ベッドと棚とクローゼットにノートパソコン。物欲がないのか家具は少なく最低限だ。一人暮らしで部屋の間取り問題もあるだろうがそれにしても女の子らしくないというか…。
ふと身近な女性である我が双子の姉と比べてしまう。あやかなら黄緑色のカーペットだとか、花柄の芳香剤とか、可愛らしいクッションとかでさりげなく飾っている。
師匠もあれで結構女性らしいインテリア家具を揃えてる。ハート型の果物を付ける植物とか、芸術作品にも見える蜜の容器とかもあったっけ。
小鳥遊さんはそんなことにかまけてる余裕がないのか興味自体がないのだろうか。天才の考えはよくわからない。
「…あ」
ただ、一つ目を引くものがあった。
小さな本棚に所狭しと詰め込まれたいくつもの本。少女マンガのように飾られた背表紙ではなく、参考書のように分厚いものでもない。黒い背表紙に黄色い文字。中にはピンクや紫と妖しいものも混じっている。
「……」
普段授業中に本を読む彼女だがもしかしてこれらを読んでいるのだろうか。そう思って少し近づくと背表紙の文字が瞳に映る。
『年上の彼女 艶めかしい指づかい』
『背徳な夜 快楽に堕ちる体』
『壁際の艶声』
どう見ても全年齢向けの本ではなかった。
というかこれ官能小説だ。
「……なんだこれ」
「官能小説」
「わっ」
いつの間にか戻って来た小鳥遊さんがオレの前にカップを置く。ふわりと香るリンゴの香りからしてアップルティーだろう。
オレの前に座り込んだ彼女は本棚から一冊抜き取ってオレに見せてくる。下着をつけた上半身だけの女性が飾る表紙はまさに大人向けだ。
見てはいけない物を見てしまった気がするが小鳥遊さんはどこ吹く風だった。
―いや、もしかすればサキュバスだから、だろうか。
男性の精を糧とするサキュバスにとって恥じらいというのはあまり関係ないのかも。逆に性的なことに興味を抱き、それならこの態度も少し納得できるが…。
「サキュバスになるとその…こういう本も好きになったりするの?」
「いや、前から」
「えっ」
「むっつりだから」
「自覚あるんだ…」
何とも反応に困る言葉にオレは苦笑いすら浮かべられない。
前々から何を考えているのかわからない女性だったがここまで飛びぬけていたとは思わなかった。どことなく師匠と同じ匂いがする。ベクトルは違うが根本が同じっぽい。
小鳥遊さんは掴んだ本をオレの前に差し出してくる。
「読む?」
「読まない」
「おすすめあるけど?」
「いらない」
「似たようなことしてるもんね」
「うっ」
何の抑揚もない声だが発言が同級生のそれではない。顔を見ればこれといった感情を宿さぬすまし顔。何を考えているのか見当もつかない。
天才というのは凡人が理解できるものではない。歴史の偉人も理解されるのは難しいことだったし、彼女の思考もオレ如きが理解できないのかもしれない。
返す言葉も見当たらず何かしら取り繕うとカップを取って―落としかけた。
「んなっ!?」
目の前の小鳥遊さんがいきなり薄手の服に手をかけ、その前面を肌蹴ていた。下着はつけてないのか思い切り肌色が見えている。それどころか昨日揉ませてもらった大きな膨らみも、その先端も、動きにつれて揺れるところまで見てしまいすぐさま視線を下へと下げた。
「何してんの!」
「着替え。パジャマのままでいいならいいけど」
「いや!ここで着替えるの!?」
「服、そこあるから」
指さす先を見れば畳まれた衣服が置かれていた。黄緑色のシャツとジーンズ。飾り気のない、華やかさに欠けるちょっと男っぽいラフな服だ。
だがその上に置かれていたのは薄青のとあるもの。折りたたまずに広げられたそれは白のレースやリボンと細かな飾りが目立つ。シンプルな服とは違う、そこはかとない色気を漂わせる一般的な女性らしい下着だった。
「…普通は仕舞っとくもんじゃないの?」
「いつもここで着替えてるから」
「ならせめてオレが来る前にしてほしかった…」
見えてしまった上半身は陸上をやっていたからか無駄な肉は一切なく、だからと言ってがりがりに細いわけではない。程よく肉感的でありながら何よりも目を引いたのは胸だろう。昨日に見たとはいえやはり大きく形も良く、目が離せなくなる。薄いピンクの先端は上を向き、窓から差し込む光が陰影を落とす。
「興奮した?」
「っ………それわざわざ聞く?」
単純な好奇心か、はたまた悪戯心か。聞かれて恥ずかしいようなことを平然と口にされては堪ったもんじゃない。
しかし彼女は抉るように爆弾を投下する。
「勃起」
「っ!」
慌てて足を組み直すも既に手遅れ。彼女の眼はオレの下腹部をじっと見つめていた。今更気にするような関係ではないのだけどやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
小鳥遊さんは寝巻を肌蹴た姿のままゆっくり顔を寄せてきた。
「今日の朝ごはん、食べていい?」
見せつけるように舌で唇を舐めていく。同級生とは思えない艶やかな仕草にオレは喉を鳴らすのだった。
二人きりの空間は見られることもないし、聞かれることもない。邪魔は入らず、気を配る必要もない学校と違ってやりたいことが自由にできる。
故に、歯止めとなるものもまた存在しない。
「どう?」
「どうって…」
ベッドに座ったオレと膝をついて体を寄せた小鳥遊さん。上は脱ぎ捨て晒された大きな胸がオレのものを挟み込んでいた。
刺激は微弱ながらも目に映る姿はかなりくるものがある。同年代の才女が大きな胸をつかって男性器を挟み込むという、なんとも嗜虐心を煽る光景だ。
しかも今はあのどぎつい眼鏡ではない。度のない伊達眼鏡のおかげでその目がよく見える。大きく切れ長で、凛とした雰囲気を醸し出す瞳。顔が整っていることは知っていたがただ一か所見えるようになるだけでこうもどきりとさせられるものかと驚かされる。
「ん」
「…っ」
母性の証とも言うべき胸で挟まれ両端から力を込められる。柔らかなそれは淫靡に形を変えながら醜い男の証を擦りあげる。決して痛みに届かなく快感に掠る刺激だがこの光景だけでも十分だった。
「滑り悪い」
まるで他人の間違いを指摘するように呟くと大きく開けた口から舌を出す。いつもオレのものを舐めているその先からねっとりとした唾液が滴り落ちた。生暖かいそれは胸の間へと滴り広がるとまぶすようにオレのものへも落とされる。
まるでやることがAVだがその知識も本から得たのだろうか。
「ん」
満足したように頷くと行為を再開する。やわやわと胸を揺らし、滑らかな肌が擦れあう。広がった唾液が潤滑油となり引っかかることなく上下する。揺れる胸が、突き刺す刺激がまた堪らない。
「気持ちいい?」
「っん」
「良かった」
小鳥遊さんはよく具合をオレに聞いてくる。痛いことは決してしないし、要望があれば聞き入れてくれる。ただ単にオレを食べ物として扱うというよりもまるでオレを悦ばせることが目的みたいな行為だ。
サキュバスらしくないというか…いや、本物のサキュバスを知らないので何とも言えないか。
「〜ぁっ!!」
突然両側からかかる圧力が増した。大きな胸がさらに深い谷をつくりオレのものを飲み込む。手や舌では得られない感触に思わず声が漏れかけた。
見上げる瞳が細められ、桜色の唇が得意げに曲背を描いた。
「それじゃあ、これは?」
視線が下へと戻ると左右を擦り合わせるように力を込める。揉まれるように右へ左へ。突き出した先端が左右に揺れ擦れた。
ただ挟み込むだけではなく左右から別々にかかる圧力に翻弄される。唾液のおかげで滑りはよく大きな胸が柔らかく形を変えた。摩擦はなく痛みもないが刺激は強くて何よりも先ほど以上にいやらしい。
「出そう?」
「ん…っ」
「そう」
頷くと小鳥遊さんは胸から手を離した。突然快感が消え去り顔をあげると彼女は大きく口を開けていた。
声を発する暇もなく彼女は顔を寄せた。唇が先端を擽り裏筋を舌がなぞりあげながら喉の奥まで飲み込まれる。えずくのではないかと思うほど深く唇が根元まで届くほど。だというのに顔を離すことなく啜り上げられた。
「っ!!」
徐々に押し上げていくような微弱な快楽から一転、搾り取る様な強烈な快感に一気に頭の中が白く染まる。堪える暇などあるはずもなく、オレは小鳥遊さんの喉奥へ精液を吐き出した。
「んんっ」
もう何度もやってきていること故に小鳥遊さんは苦も無く精液を啜り上げていく。尿道に残った一滴すらも搾り取ろうと唇が窄められカリ首をひっかけた。敏感になり腰が砕けるような快感を堪えているとゆっくり上がった頭がいきなり落ちた。
「わっ」
「んぐっんんっ」
口内に唾液をためて頭が上へ下へと動いていく。温かな口内で舌に巻きつかれ唇で扱かれ時には頬を押し付けられて。
もっと搾り取るつもりか激しさは増すばかり。叩き込まれる快感は壮絶で頭を押しのけようと両手を使うも力が入らない。さらには気づけば腰に両腕が回されている始末。堪えることも逃げることも出来やしない。
それをいいことに彼女はひたすら激しく動き続ける。わざとカリ首を唇で引っ掛けては
時折わざとぶつかる固い感触。痛みはないが柔らかな感触ばかりの中でそれは予想外の刺激を生みオレは二度目の絶頂を迎えて精液を吐き出した。
「ん……♪」
どことなく嬉しそうなくぐもった声を出しながら小鳥遊さんはようやく頭をあげて口を離す。唾液にぬめりながらもそそり立ったオレのものは日の光でいやらしく輝いていた。
小鳥遊さんは滴った唾液を舐めとる。その仕草がなんと淫靡なことか。見ているだけでもぞくりとしてしまう。普段の姿を知っているからなおの事。その上サキュバスなのだから年頃の男には堪ったもんじゃない。
「ごちそうさま」
艶やかな唇が紡いだのはやはり抑揚のない声。相変わらずの雰囲気と調子になんだか事務的に絞られているようにも思えてしまう。その単調さにちょっと興奮したりもするのだけど…。
ようやく止んだ快感の波にベッドへと体を横たえた。気づけば荒くなった呼吸を整えながら首だけ動かして小鳥遊さんを見るとオレの膝に手を置いてこちらに顔を向けている。
度のない眼鏡越しに向けられた切れ長の瞳がただ真っ直ぐに見つめてくる。感情のない顔だが何かしらの意思を込めた視線を送ってきていた。
「な、なに?」
「おかわり貰える?」
「…ぇっ」
返事をする気力すら起きないのだがそれを肯定と受け取った小鳥遊さんは再び顔を寄せ行為を続けるのだった。
「お礼がしたい」
「…あ、そう言えばそっちも目的だっけ」
肌蹴た服を着直してベッドに背を預け並んでいるとふと小鳥遊さんがそう言った。
確かに今日呼ばれた理由の一つではあるがお礼と言われてもピンとこない。健全な高校男児にとっちゃ正直こちらがしたいくらいだ。
「ご飯、作るから待ってて」
「料理ならオレも作れるよ」
お礼だとしても正直女性の部屋でじっとしているのは落ち着かない。座った視線の先に官能小説が並ぶ光景も原因だろう。それ以上に普段小鳥遊さんが眠っているベッドに座っているんだ、先ほどの姿と重なって悶悶としてくる。
「じゃ、手伝って」
やはりその言葉も口調も先ほどの行為の余韻を一切感じさせないさっぱりしたものだった。
背中を追って台所へ入ると既に献立を決めていたのか冷蔵庫から食材を出して並べていく。
「…」
並べていく、のだが…よく食材を見て見ればオクラやサトイモ、牡蠣やスルメ、レバーにニンニク、極めつけは鰻ときた。
どれも精をつける食べ物ばかり。オレの体を気遣ってのことだろう。それ以外のこともあるだろうけど。
「苦手な食べ物ある?」
「いや、ない、けど…」
「よかった」
それだけの言葉のやり取りを済ますと小鳥遊さんはすぐさま料理に取り掛かる。
流石に一人暮らしをしているからか手際が良い。迷うことなく食材を手に取り皮を剥いたり鍋に入れたりと進めていく。
「これ刻んで」
「はいはい」
こちらも料理には手慣れたものだ。渡された材料を次から次へとまな板で刻んで器に乗せていく。その様子をフライパンで炒めている最中だというのに小鳥遊さんはじっと見つめていた。
「指切ったりしないんだ」
「そりゃ慣れてるからね」
「舐めて欲しい?」
「え?」
脈絡ない発言に思わず包丁が止まる。
いきなり何を、そう思ってふと自分の手へと視線を落とした。
包丁を握ったオレに指。その言葉の意味を少し考えて納得する。大方不注意で指を切るとでも思ったのだろう。
「何?サキュバスに見せかけて実は吸血鬼だった?」
そんな冗談を言いながら人差し指を見せつけるように揺らす。すると小鳥遊さんの瞳が左右に揺れ―
「はむっ」
「ちょっとっ!?」
突然指先に吸い付かれた。
ざらついた舌が指を撫でて唾液をたっぷりと塗り付けていく。塗りこまれた部分が熱を持ち神経が浮き彫りにされたみたいに感じてしまう。ただの指一本だというのに体が震えるほどの快感だった。
「んっ…」
桜色の唇が離れて唾液のアーチを作り、ぷつりと途切れた。部屋の明かりで艶めかしく映るそれを小鳥遊さんは見せつけるように舌で拭うと一言。
「どきっとした?」
「驚きはしたけど…」
「興奮した?」
「えっ」
オレの言葉にやはりこれといった反応はない。聞き返したところでさっさと料理に戻ってしまった。
素っ気ないのか興味ないのか、はたまたただの悪戯なのかはわからない。
相変わらず感情表現の乏しい同級生だと思う。だが、無表情の裏には女性らしく異性との関わりに憧れを持っていたりするのかもしれない。性的な興味は本棚にびっしり詰まる程なんだし。
「…はい、終わったよ」
「ありがとう。こんどはこれお願い」
「わかった」
指示された材料を渡すとさらに次の食材を渡される。洗って皮を剥いて、まな板に並べていると視界の端で動くものに視線が移った。
「…」
背中から生えた翼に臀部から伸びた尻尾。髪の毛の間から突き出した角に尖った耳。隠す必要がないからこその姿だが料理をする姿に―少し違和感を抱く。
―小鳥遊さんの今の主食は男性の精液。普通の食事は必要あるのだろうか。
サキュバスとなったのなら男性の精液を糧とする。もしかすれば食費が浮くし金銭的にはいいのかな、なんて現金な考えをしてしまうがどこかで利益が出るのならどこかで不利益が出るのは当然のこと。
サキュバスとなった利点があるのならその反対も当然あるに決まってる。
「……不便じゃない?」
だからか、翼を畳み尻尾を揺らす小鳥遊さんの後ろ姿を見てふと、そんなことを口走っていた。
「うん?」
「いや、サキュバスになっちゃってさ」
人間の社会にとってサキュバスとして生きるのはあまりにも不便ではないのか。
男性の精を糧とする代わりに普通の食事は必要ないとすれば。それは言いかえれば一人で生きることはできないということだ。
自分一人で処理できる問題ではない。必ず男性という相手が必要になってしまう。
あまりいい考えではないがそういう店に勤めるとか、はたまた道端でそういう男性を捉まえるとか手段はあるだろうが…。
「特に」
しかし小鳥遊さんはやはり抑揚のない声で、しかも素っ気なく言った。
「サキュバスから戻りたいとか思わないの?」
「思わない。むしろ、望んでなったから」
「のぞ、え?」
包丁を止めてそちらを向くが小鳥遊さんは鍋の中身を見つめている。湧き上がる蒸気のせいで眼鏡が曇っているがお構いなしだ。
「私がお願いしてこうなったから」
「お願いしてって………え?小鳥遊さんをそんな風にした人がいるの?」
「人じゃなくて、悪魔」
「あ、あくま?」
「そう。今の私みたいな羽とか翼とか生やしてた。あと白かった」
細かいことを気にしないのかあまりにも大雑把な特徴。だが、それでも何より気にかかるのは悪魔と白。全身が白い服だった―という単純な意味ではないだろう。
しかし―なぜ。
頼んでまで人を捨てる理由とはなんなのか。
人を捨ててまで人外になりたかった理由は何か。
「小鳥遊さん…」
それを訪ねようとして、やめた。
逆に言えば人をやめてまでしたかったことがあるということ。それだけ重いことを軽々しく聞くのは失礼だろう。そう思って包丁へと視線を戻すと握っていたオレの腕に何かが絡みついていた。
細くて長くて黒くて、まるで綱の様に絡まったそれは小鳥遊さんの臀部から伸びている。どうやら彼女の尻尾らしい。
腕を引かれるように尻尾に引かれて再び視線を戻すと小鳥遊さんが体ごとこちらを向いていた。
「黒崎君は嫌?」
「えっ!」
真っ直ぐにこちらを見つめる二つの瞳と短くも確かな意思を宿した声。桜色の唇は絵やの明かりで艶やかに光り意味深な言葉を紡いだ。
思わず言葉を失い見入ってしまう。曇った眼鏡のせいで台無しだが。
「サキュバスな私は、嫌?」
それをオレに尋ねるのはただ負担をかけているから―だけだろうか。
ひょっとすると、なんて邪推してしまうのはオレがまだまだ青いからか。だが期待してしまうのも無理はない。
それだけ小鳥遊さんは綺麗だ。また行為も魅力的。性的知識も豊富でサキュバスなんて男だったら靡かないわけがない。言葉数は少ないがだからと言って気まずくもないし話せない訳じゃない。
「嫌?」
「い、やって……」
一歩、踏み出してきた小鳥遊さん。
一人暮らしの狭い空間ではたった一歩でオレの目の前に迫ってこれる。体が触れ合う距離へと近づいた彼女はそのまま目を覗き込んできた。
曇りが徐々にはれ切れ長の目にオレの顔が映し出される。それほどの距離だというのにさらに顔を寄せてくる。
鼻先が触れ合いそうな位置で、吐息が頬を擽る近さ。そこでようやく止まった彼女は答えを待っているのか動かない。
真っ直ぐな視線を受けるがあまりにも近すぎて目が逸らせない。後ろに下がろうにも絡みついた尻尾がそれを許さない。
「ぁっ」
とうとう鼻先が触れ合った。思わず体を震わせるが小鳥遊さんは平然と顔を寄せてくる。近いどころじゃない。このままいけば―
―キス、出来そう。
ふとそんな考えが浮かんでしまう。
そうしている間にも小鳥遊さんは躊躇いなく距離を詰めてくる。いや、もう詰める距離すらない。後はただ触れて重なり合うだけだ。
キスなんて、今更だとも思ってはいる。それ以上の事を既にしているわけだしむしろ今まで何でしなかったのかというくらい。
だが、それが一つの区切りであることはオレも小鳥遊さんも理解している。だからこそ今まで食事であろうと性欲処理であろうと軽々しくしなかった。
しなかった、わけだが。
「ん…」
いつの間にか伸ばされた手が肩に置かれ首筋を登って後頭部へと添えられた。さらには包み隠すように翼がまわされる。
まるで恋人がする熱い抱擁。人間以上に強く密なサキュバスの抱擁に何もできなくなってしまう。
近づいていく唇にゆっくり瞼が閉じていく―その時。
「っ!鍋吹き零れてる!!」
「あ」
吹き零れる音に気付いたオレの言葉にすぐにそちらへと顔を向ける。
特に慌てた様子もなく火を消す小鳥遊さん。だが消したところで先ほどの雰囲気には戻れそうにもない。話す話題も見つからず結局そのまま並んで静かに料理を作り続けたのだった。
15/11/23 20:58更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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