鍛えた強さ 後編
鍛錬場内で向かい合って並ぶ。その間は私でも大股三歩ほどの距離が開いており、剣ももちろん拳も足も届かない位置だ。
私はゆっくりと腰を下げ片手の平をユウタさんへと向ける。もう片手を腰に添えいつでも飛び込める体勢をとった。
対してユウタさんは大きく足を前へ出す。右拳を脇に添え左拳を顔の位置で固定する。
初めて私と戦ったときと同じ構えだ。あれに私は一瞬で敗北したことを今でもよく覚えている。ならきっとまた一瞬の勝負にでてくることだろう。
「レジーナ、宣言頼むよ」
「…お前本当に私のことをなんだと思っているんだ。一国の王女に頼み込むことがどれだけのことかわかっているのか?」
「でもこういうことはレジーナの方が専門的じゃないの?レジーナだから頼みたいんだよ」
「…お前という奴はいやらしい頼み方をする。本当なら今の頼み事どころか普段の行いで牢屋にぶち込まれてもおかしくはないんだぞ?」
「あら、本当に牢屋に入れるなら私がもらっていくわよ?」
「貴様は黙っていろ。いいだろう、特別に私直々にやってやる。ありがたく思うんだな」
「はいはい」
一つ咳払いをするとレジーナ様は私達に向けて宣言する。
「これより黒崎ユウタ対リチェーチ・ガルディエータの試合を執り行う!」
凛とした声色は聞いているだけでも背筋が伸びてしまう。鍛錬場内は緊張感で包まれ、私もユウタさんも自然と集中力を高めていく。
「魔法の使用は禁止とする。それ以外なら何をしてもかまわん。互いに全力を尽くせ」
たった四人しかいないとはいえいるのはこの王国のトップ、魔界の頂点、そして私に敗北を与えてくれたユウタさん。護衛部隊の隊長なんて自分がここにいることが場違いな気がするが今この時が私の待ち望んだこと。私が求めていたことだ。
―だが、以前の試合では開始直後からの記憶がない。
何をされたのかも理解する前に私は倒された。魔法を使うことができないユウタさんにだ。
つまるところそれは試合開始直後を狙われたということに違いない。魔法を使わず、私を一瞬で気絶まで追いやる術を持っているということに他ならない。
そして、レジーナ様の声が鍛錬場内に響きわたった。
「―はじめっ!!」
―刹那、目の前にユウタさんがいた。
「っ!!」
私でも大股三歩ほどの距離。剣は振っても届かず、拳や足も当然。大きく踏み込んだところで同じ事だ。
だがそれをユウタさんは一瞬で、たった一歩で詰めてきた。脇に引き絞った拳を開き、私の顎へと向かって一直線につきだしてくる。
これだ!
初めての試合の時にはこれに意識をとられた。間合いの外からいきなり飛来され、受ける動作すら入らせず無防備に打ち抜かれる。普通に考えてこの距離を詰められるなんて思えず、対応なんてできるはずがない。
やっぱりと理解する。
これだけの事ができる人間がただ弱いはずがない。
私が負けたことはただの偶然のはずがない。
全ては当然のことだった。
「ふっ!」
私は横へ飛び込むことで何とか避ける。流石に二度も同じ技を食らうわけにはいかない。
見れば、ユウタさんのいたところだけ槌を振り下ろしたように窪んでいる。強く踏み込んだ為か靴の形をしっかりと刻みつけながら。
どんな脚力をしているんだ。
体勢を立て直して見据え直すとユウタさんは驚いたような表情を浮かべていた。
「避けないで欲しかったな」
「一度それに痛い目にあってますから」
「師匠に試合用にって叩き込まれた一撃必殺の技だったからね。実力潰しの技なんだよ。まぁ、これに限らず空手は一撃必殺が極意なんだけどさ。でも通じないとなると…こりゃ苦戦必須かな」
「ご冗談を」
苦戦を強いられるのはユウタさんではなく私だというのに。
何でもできそうな魔物の体。人間以上の力や強度を持っているというのに不安が募る。今の一撃は実力潰しだといったがそんなことができる時点でかなりの実力を隠し持っていると理解できる。
やっぱり強い。その事実を噛み締めると握った拳が歓喜に震える。
これこそ私の求めていた刺激。
これが私の望んでいたものだ。
「改めて、行きますよユウタさん!!」
今度はこちらの攻撃。
一気に駆け寄ると私は連続して攻撃を叩き込んだ。
肘を突出し脇腹を狙う―しかし、体を逸らして避けられる。
右腕で左腕を抑え込み左拳を叩き込む―だが、すり抜けられた左腕に抑えられる。
左膝を鳩尾に打ち込む―ところが、右肘に叩き落される。
「はぁっ!」
一気に大ぶりの蹴りを叩き込む。
「っ!」
それでも、ユウタさんも同じく蹴りを叩き込んできた。
魔物となった私の攻撃にことごとく反応してくる反射神経と反応速度。攻撃一つも撃ち漏らさずに応対する刹那の判断力と繊細な技術。レジーナ様が認めるのも当然な実力だ。
なら―今度は両手を押し付けるように突き出した。
力を骨から、筋肉から生み出し、伝達しては打撃として打ち込み、伝わる一帯を破壊する一撃!
「『胡蝶掌』!」
「っ」
だがその一撃も危険を察知したのかすぐさま手の届かぬ場所へと飛び退かれ、空ぶることとなった。
なら次は―手首を伸ばし、腕を短く前に向けて突き出す。腕全体から発した力を指先へ、爪の先へと伝達し、相手の体を砲弾のように貫く一撃!
「『標掌』!!」
「ふっ!」
だがこれも脇腹をかすめ、制服を切り裂くだけで不発に終わった。
私の技がことごとく避けられる。きっとこれは反射神経や反応速度だけの問題ではない。それだけなら魔物の私に分があるはずなのだから。
もっと別なこと、本能に刷り込まれたもっと別なことがユウタさんを突き動かしているに違いない。
これでは決定打は与えられないではないか。だが、このまま 続ければ体力が尽きるのは間違いなくユウタさんの方だ。なら長期戦に持ち込めば―
―違う。
そんなみみっちい戦いは私の望んだものではない。
あの体に刻みつけた実力を、骨身を削って鍛え上げた力を、隠し持った全力を私は感じたい。感じた上で、勝ちたいんだ。
「まだまだ行きますよっ!」
すぐさま飛び退いたユウタさんを追いかけて突き進むとユウタさんの正面に立つ。一撃加えるために拳を握ったその瞬間ぞっと背筋が震えた。
―まずいっ
本能的に察知した危険から逃れようと足を止め、その場を飛び退く。だがそれよりも早くユウタさんは私に向かって飛び込んできた。
「ぐっ!?」
そして放たれたのは固く握った拳の一撃。あまりの力の強さに思わずよろめき後退する。すると今度はこちらの番と言わんばかりにユウタさんが攻めに回った。
飛び上がっての膝蹴り―顔を逸らしてなんとか避ける。
膝に着地され、こめかみへ二度目の膝蹴り―右掌でやっと受け止める。
後方へ退くように飛びながら、顎を狙ったつま先の一撃―体を逸らして軌道を外れる。
体勢を立て直した次の瞬間、既に駆け出していたユウタさんは私に向かって肘を突き出していた。
「!!」
何とか飛び退こうと右へ動くが刹那でユウタさんの肘が肩を掠った。ダメージはほとんどなくそのまま距離を置く。
やっぱり彼は速い。普通の騎士とは比べ物にならないくらいに。
だが、だいたいわかってきたことがある。
彼の実力は紛れもない確かなものだ。きっと血反吐を吐くような鍛錬や、粉骨砕身の思いをしてきたに違いない。
だがそれでも鍛えようのないものというものがある。どれだけ鍛錬を重ねようと肉体を強化しようと人間の体には限界がある。空を鳥のように飛べないように、海を魚のように潜れないように。
ユウタさんも同じ事で彼は―腕の力が相当弱い。
ここぞという一撃は強烈なものだが連続して放たれた一撃は大した威力はなかった。せいぜい牽制程度かと思っていたがそうでもない。そうでなければ先ほどので既にかなりのダメージを負っている。
スピードはある。恐ろしい反応速度もある。常識はずれの瞬発力もある。だがそれに伴う強靭な攻撃力が欠けている。補っているのは技術であり、故に全ての攻撃が決定打になることはない。
その証拠に先ほどのように強烈な一撃が放たれるのは、それは私が彼から見て真っ直ぐ直線上に立ったとき、十分な踏み込みができる間合で脚力を活かせる位置にいるときだけだ。
地面を踏みしめる力を伝え、腰をひねる力を加え、腕を放つ力を足し、全身の筋肉を軋ませて拳というたった一転で爆発させる技。その勢いは私の目でも捕らえきれず、攻撃へと転換した時の破壊力は凄まじいもの。まともに食らえば魔物の体とはいえ無事では済まない一撃は連発することはできそうにないらしい。
恐ろしい技術の結晶だがわかってしまえば単純なもの。
尊敬する努力の結果だが理解してしまえばこちらのもの。
だからこそ!
側面に回り込んで攻撃する。足の隣へ、今度は踵へ。背を向けあうように立てば肘を入れ、よろけたところで側面へと回り込み今度は膝を打ち込んだ。
「っ!」
ユウタさんを中心に円を描くように足を運ぶ。それがユウタさんへの対処法。絶対に正面には立たず、小技を重ねて体力を削っていく。魔物の体は人間よりもはるかに優れ、体力的にもずっと上だ。小技だろうと魔物の力なら威力は大技にも至る。
後は隙が生じるのを待つだけだ。
「うっ!」
肘が脇腹に突き刺さり悲鳴に似た声が漏れる。それでも構わず今度は後頭部に手の甲を撃ち込んだ。再びよろけたところに今度は膝を打ち込む。
容赦なんてものはない。これは試合とはいえ全力の戦い。そんなことをすれば失礼にあたる。私が魔物となった分有利ではあるがそれを踏まえて受け入れてくれたユウタさんに失礼だ。
だから勝つために腕を振るう。負けないために足を突き刺す。隙など見せず、休む暇など与えず、私は全力で攻撃を続ける。
これで勝てる。そう思ったそのとき。
「―………ふっ!」
「あぃっ!?」
突き出した拳をくぐり抜けると私の足ごと地面を踏み抜いた。足の甲から激痛がはしり一瞬動きが止まってしまう。
「そこっ!」
「!!」
次いで放たれたのは足払い。一気に重心ごと狩られ体が宙に浮く。だがこの程度すぐさま体勢を立て直そうともがくと私の視界にユウタさんの足が―
―踵が映った。
垂直に振り上げられた踵。それは一直線に私のお腹を打ち抜こうと振り下ろされる。体の柔軟さに驚かされるがその一撃は地面を槌で振り下ろしたように窪ませるほど強靱な足だ。まともには食らえない。
振り下ろされた踵を体をひねって両手で弾く。足はそのまま地面落ち、私は跳ね起きようと地面に手を向けたそのとき。
「ふんっ!」
踵を弾かれて体勢を崩したはずのユウタさんがお辞儀をするように頭を下げてきた。それは無防備に晒した私のお腹に直撃する。
「くふっ!?」
―頭突き!?
腹部の一撃に体勢を崩すがすぐさま飛び退き距離を置いた。
「―っ……!」
型にはまらぬ、武術とも呼べぬ単純な力技に驚愕する。身体的ダメージは少ないが、動揺は隠せない。
この人、何が何でも勝つ気でいるのか。体勢を崩されようが、怪我をしようが相手に隙あらば容赦なく狙う。それはまるで本能に従う獣のように。
だがそれは―それだけユウタさんは全力で来てくれていること。
私が全力で勝ちに行くように彼もまた私を全力で迎え撃ってくれる。
その意志が何よりも私を昂ぶらせてくれる。
その意気込みがどんなことよりも私を喜ばしてくれる。
だからこそ。
全力で私を倒しに来ているという意気込みへの称賛を。
ユウタさんという一人の男性に会えたことへの感謝を。
全てをこの試合で出しきらせてもらう!
「まだまだ行きますよ―『穿弓腿』!!」
片手を地面につき、上がった足で顎めがけて一直線に蹴りを放つ。これもまともに食らえば意識を容易く狩り、防御してもかなりのダメージを叩き込める。
それならば、ユウタさんは絶対に避けるはずだ。
問題は―どこへ逃げるか。
「うぉっ!」
下から一直線に突き出された足から逃げるようにユウタさんは飛んだ。つま先はギリギリのところで顎に届かず私の蹴りは不発に終わる。
だが、飛んだのは後ろではなく―上。
あの恐るべき跳躍力で私の足から上手く逃れたが体は地面から離れていた。
足が、地面から離れていた。
―ここだ!
一瞬にして背中を向け、足の筋肉を躍動させる。屈んだ姿勢から爆発する様に突き上げ、力を肩の一点に集中させて、叩き込む!
「『鉄山靠』!!」
ユウタさんの体との間で力が炸裂し、爆発する。
背中からぶつかる技の一つ。人間相手でも容易く弾き飛ばせる技だ。魔物となった今の私の力ならそれ以上の破壊力を生んでいることだろう。
そして生じた衝撃は容赦なくユウタさんの体を貫いた!
「ぐ、ふぅっ!?」
辛うじて両腕でかばうように防御したらしいが力を抑え込むことはできず、ユウタさんの体は鍛錬場の端まで飛ばされた。地面を数回転がり砂埃を巻き上げて、ようやく止まると仰向けになって動かなくなる。
「…ふぅ、あ」
流石に両足が浮いた状態では防御しようと踏み止まれず、叩き込まれた衝撃は逃げ場のない体内で響いたことだろう。横に避けられてはできなかったが上に逃げてくれて助かった。
息を吐き出して倒れたユウタさんを見る。強烈な一撃で体のどこかを痛めただろうが今は心配するときじゃない。
ユウタさんは動かない。
体に走る激痛か、骨が砕けて構造上無理なのか。
それともだまして動けないふりをしているのか。
よくよく見れば胸は上下しているが指先は動かず、立つ気力はないように見える。当然だ、先ほどの技は人間の時だってかなりの威力を持っていたんだ、まともに食らえば大怪我ものだ。
つまるところ。
「勝った…!」
胸を満たす充足感。心に潤いを与える勝利の実感。私の実力が上だという確証はこれ以上ないほどの高ぶりを与えてくれる。
傍ではフィオナさんが得意げに鼻を鳴らしレジーナ様を見ていた。
「どう、レジーナ。これが魔物よ?ユウタには悪いけど魔物の方が人間よりもずっと優れているでしょう?」
「…」
対するレジーナ様は屈辱に顔を歪めることなくただ一心にユウタさんを見つめている。まるで納得がいかないと言わんばかりに。それほどユウタさんが私に勝つことを確信していたのだろうか。
だが、既に勝敗は決まった。人間の時には勝てなかったが魔物となった私の勝利という形で。
「ふふん」
だが、レジーナ様はユウタさんの負けを認めようとはしていなかった。王族である彼女をたった一人で護衛するユウタさんにそれだけの信頼を置いていたから認められないのだろうか。
その考えは―間違っていた。
「おい。起きろ、ユウタ」
そう言ってレジーナ様は手にしていた刀剣を投げつけた。未だに倒れ込んでいるユウタさんへと向かって。
「あ!」
「レジーナ様!?」
避けられるはずがないユウタさんへの一撃
当たれば大怪我は免れない。何とか止めようと手を出すが投げ出された刀剣の方がずっと早くユウタさんへと到達する。名刀の如く鋭い刃の先は何にも遮られることなくユウタさんの頭へ突き刺さ―
「―うぉっ」
らなかった。
間一髪でユウタさんが顔を横に逸らしたおかげで頭のあった部分に剣は突き刺さっていた。
「…え?」
「舐めるなよ、魔物共が」
ユウタさんがゆっくりと起き上がる姿を見てレジーナ様は不敵に笑う。どこか妖しく、リリムであるフィオナさん以上に艶やかに。その笑みにははっきりとわかる程余裕が見て取れる。
「ただ速い程度で私の護衛が務まると思ったか?ただリリムの魅了が効かない程度で私一人を守り切れると思っているのか?そんな人間を私が護衛に選ぶと思ったのか?」
それはユウタさんへの信頼によるものだろう。こんな状況でも笑みを浮かべさせるほどの余裕がレジーナ様に…いや、ユウタさんにあるということだ。
「どうして私がユウタ一人だけを護衛にしていると思う?」
フィオナさんの隣からゆっくりと歩きだし、ユウタさんの傍に突き刺さった剣を引き抜いた。
ついでにと言わんばかりに彼の肩に肘を乗せる。若干鬱陶しそうに表情を歪めるユウタさんだがレジーナ様はお構いなしだ。
「護衛に求められるのは何よりも自身の身を守ることだ。リチェーチ、それはよく理解しているだろう?」
それは言われた通り護衛部隊の隊長である私が一番よく知っている。守るためにはまず自分を守れなければいけない。自分が壁となるためには自分が一番頑丈でなければいけない。
そのために体力や耐久力が私の部隊には何よりも求められる。それは私もまた同じこと。
そしてレジーナ様はユウタさんの顔に自分の顔を寄せ一言。
「私の護衛がたかだが一撃二撃程度で沈むほど柔な男だと思うな」
その一言に込められた信頼は私には計り知れないものだった。ユウタさんとレジーナ様だからこそ通じる感情が込められた一言にフィオナ様はどこか悔しげに表情を歪めている。
だがやはりというか、ユウタさんは呆れたようにため息をついた。
「…今ので結構がたがたなんだけど」
「だったら骨の一本でも折ってから言うんだな。ほら、さっさと戦ってこい」
「え、ちょっと…」
背中を押されユウタさんは仕方ないと言わんばかりにまたため息をつき、ゆっくりと歩きだした。
「ああもうっ。全く仕方ないな…!」
一歩一歩確実に距離を詰めてくる。だというのに気迫も戦意も何も感じさせない。ただゆったりと、王宮の廊下を歩くかのように落ち着いたその姿は戦っている最中とは思えないほど。
何を隠しているのか警戒してしまう。いきなり駆け出してまた私に一撃くらわすのだろうか。だが最初の一撃を見切った今、既に射程距離が割れている以上むざむざとくらうことなどない。
―あと、五歩。
拳を握らず。
―あと、四歩。
踏み込むこともなく。
―あと、三歩。
ガードすることもなく。
―あと、二歩。
構えを取らず、無防備に。
―そして、あと一歩。
戦意の欠片もない動きで、不意を狙った一撃もなくユウタさんは私の傍に立った。
「…え?」
あまりにも突拍子もないことで思わず首をかしげそうになる。遥か後ろにいたフィオナさんも理解できないと言わんばかりな表情を浮かべていた。
既に彼が立っているのはこちらの射程距離。私の攻撃が十分に届く位置。そんなところまでのこのこと進んできたのだから何かあるはずだ。だというのにユウタさんからは何も感じられない。その動きには予備動作すら見られない。
戦う意志をなくしたのか?そんなことあるはずないのに―そう思いかけた次の瞬間。
「っ」
突然拳が降りぬかれた。それも体を回転させての裏拳。あまりにも突然のことで反応が遅れ、左肩を打ち抜いた。
「いっ!!」
それは今までに比べてあまりにも重い一撃だった。
だがユウタさんは一撃では止まらずそのまま回転し、今度は肘が撃ち込まれる。
これもまた重い一撃。今までと比べ物にならないくらいに強く、鈍い痛みを響かせてくる。
「くっ!」
どうしてここにきて技の威力がいきなり上がったのか。魔法の気配はないし、そもそもユウタさんは魔法は使えない。
続いて今度は足を振りぬいた。あまりにも早く、鋭くこめかみへと撃ち込まれる。辛うじて手の甲で受け止めるがあまりの衝撃に体が揺らいだ。
まだ止まらない。今度は回転しつつ膝が太腿に突き刺さる。ガードしたはずだというのに鈍い痛みが走った。
ああ、そうか。
回転を掛けることで威力を底上げしているんだ。隙は大きくなってしまうが加えられた遠心力も叩き込むことで一撃一撃が脅威となる。自分の弱点を知っているからこそこの技術。
本当にこの人は何を隠しているかわからない。まるで子供の夢を詰めたおもちゃ箱のように次から次へと私を楽しませてくれる。
―なら!
私は大きく腕を広げ、ユウタさんの体を正面から抱きしめた。
「わ!?」
「捕まえましたよ!」
両腕ごと巻き込んで抱き込めばいくらユウタさんと言えど抵抗はできない。人間の力で魔物の腕力には敵わない。腕力の弱い彼ならなおのことだろう。
「…胸当たってるよ」
「当ててるんです!」
こんな状況だというのに余裕の発言。それは彼にはまだ秘策が残っているという証拠だろうか。
なら、その秘策を出させる前に落とす!私は一気に腕に力を込め、彼の意識を落とさんと締め上げた―刹那。
「んぎゃひっ!?」
脇腹に走った筆舌しがたい不快な感覚に思わず腕を離してしまった。その隙を見てユウタさんはすぐさま距離を置く。
その顔には悪戯が成功したような子供っぽい笑みを浮かべて。
「知らなかった?肋骨を擦るとかなり不快な刺激が伴うんだよ。中学時代にはこれが流行ってね。実際護身術としても十円玉で擦るっていうのがあるんだよ」
わきわきと両手を動かして楽しそうに語るユウタさん。なるほど、これなら先ほどの余裕も納得だ。
だが規格外極まりない。そんなことは今初めて知ったし、その知識を活かせる技量も持ち合わせている。それがどれだけ私の頭を混乱させることか。
―だからこそ、面白い。
次から次へと披露される技術に翻弄される。私の持っていない知識に惑わされ、見たことのない動きに悩まされる。
―だからこそ、楽しい。
まだだ。もっとこの高揚を、戦っているという実感を得たい。私の目指した目標がどれだけ強いかを感じたい。
―そして、勝ちたい!
「まだまだ止まりませんからね!!」
体を回転させ、拳を叩き込む。だが掌で払われる。
懐まで踏み込んで肘を突き刺す。しかし一歩下がられ避けられる。
なら、ユウタさんの真似をして―
「これでどうです!」
足元を狙った回転蹴り。それにとどまらずもう一回転して頭を狙った回し蹴り。まだまだ止まらない、飛び上がってこめかみを狙った回転蹴り。
「おっと!」
三連続の蹴りだというのに一撃目は飛び越え、二撃目は体を反らし、三度目は当たる寸前のところで後ろへ飛んだ。そして反撃へと移るユウタさんは止まらずにすぐ飛び込んでくる。
一撃目は拳。頭狙いを目で見て避ける。
二撃目は膝蹴り。太腿狙いを掌で受ける。
三撃目は手刀。腕で受け止め反撃に移ろうと拳を握りしめた次の瞬間目の前に手の平が伸びてきた。
「っ!」
反射的に顔を引き、そのせいで上体も後ろへと下がってしまう。そうなれば顔よりも足が前に出てしまうのは当然の事。
そしてユウタさんはそこへと狙いを定めた。
「ふっ!!」
風の如く速い蹴りが足を狩る。それも両足を地面から引きはがされ私は後ろへと倒れかけた。
―ここだ!!
攻撃が成功したと確信するその一瞬。
反撃が来ないだろうと高を括る一刹那。
このときならユウタさんと言えど大きな隙が生じるはずだ!!
後方へと傾いた体をそのままに、むしろ下へと頭を落とす。となれば反対に足が上がり、その先にはユウタさんの顎があった。
安定を求めて地面に片手をつき、狙いを外さぬように二度目の蹴り技を一気に叩き込む!
「『穿弓腿』!!」
その一撃はユウタさんの顎を打ち抜いた―はずだった。
やはりというべきか大技に対しての回避行動が速かった。私の足が届くよりも早く顔を逸らし、軌道上から避けていた。
そして次にくるのは―攻撃!
回避体勢から左足を後ろに下げ、右腕を引き絞るユウタさん。それは紛れもない攻撃への予備動作。あまりにもわかりやすい構えだがこの位置でこのタイミングで出すということはかなり重い一撃になるはずだ。
―なら、私も!
すぐさま地面から起き上がると構えに移り、拳を握る。そしてすぐさま突出すとユウタさんの顔面寸前で止まった。
「…っ!」
だが、ユウタさんは避けない。この技がまだ発動前だと見切っていたからか拳を構えたまま私を見つめている。
私よりも先に拳を叩き込むつもりか。なら、ユウタさんよりも速くこの拳を叩き込む!防御や回避に移って長引かせるよりも今この時に決める!私よりも速い彼との戦いでは今この時こそが好機なのだから!!
「っ!」
「…っ」
拳を突出し、顔面に添える私。
拳を構え私に突き刺すユウタさん。
ほぼ同時の行動だがお互いに拳が触れ合っていた。ならあとは技の発動が早い方が勝つ!
「はっ」
呼吸、脈動、瞬発、発動。体内で練り上げた力を打ち込む。
だが、この技は突き抜けるのではなく浸透させるもの。ただの打撃とは異なり内側に響き、破壊する技。いくら打たれ強いユウタさんとはいえまともにくらえば無事で済むはずがない!
「『寸勁』!!」
轟音が鳴り響く。
顔面に向かって容赦のない一撃を叩き込んだ。踏みしめた地面にヒビが入り、全身の筋肉が軋む。
「――」
顔面で受けたユウタさんは動かない。呼吸音すら聞こえない。意識があるのかもわからないが今の一撃を受けて立っていられるはずがない。いくらレジーナ様が認めた頑丈さを持っていようともその体は人間であることにかわりな―
「―…リチェー、チ」
「っ!?」
耐えていた。倒れることなく立ちつくし、動くことなく構えたままで。拳が刺さったままだというのに私の方を真っ直ぐ見つめていた。
どうして―そう思ってよく見ると彼の足元が窪んでいた。まるでハンマーでも振るわれたかのように大きく、だというのにユウタさんの足は微動だにしていない。
もしかして瞬間的に衝撃を地面に逃していた?そんな馬鹿みたいなことが…そう思っているとレジーナ様の言葉を思い出した。
『相手の力や自分の力を水流のごとく捌き扱う技の一種だそうだ』
それだ!
その技術を私は先ほど見ていたではないか!
あの舞うような武術にそんな芸当ができるなんて思えない。だが今現在で起きていることは紛れもない事実であって、否定しようのない現実だ。
そして、ここにきて勝利への確信を覆された。この状況下では大きな動揺となり私の心に広がってくる。
大技を使ってしまった。
トドメだと思ってしまった。
肉体が、精神が、揺らいでしまう。
それはほんの一瞬の出来事で数秒後にはいつも通りへと戻れるほどに些細な物。
だが、この戦いにおいて。
私よりもずっと速いユウタさんにおいて。
その一瞬は―決定打となる!
「行くよ…!」
一瞬でユウタさんの目つきが変わった。どこか重く、鋭く、禍々しさすら覚える雰囲気にぞくりと背筋が震える。
本能が訴える。これは―危険だ!
「一」
まるで砲弾の如く一直線に踏み込んできて鳩尾に一撃。辛うじて右掌で受け止めるがその一撃はあまりにも重かった。
私の方が力は上だ。抑え込めるはずだというのにユウタさんの拳は私の腕を弾き飛ばした。
だが、一撃では終わらない。
「二」
私がよろめき後退した分、再び風のように踏み込んできて胸へ一撃。なんとか左腕で受け止めるが先ほど以上に強く、腕に痺れが生じる。
体がふらつく。耐えきれているはずなのに勢いに押されている。ダメージはまだほとんどないが彼の速さに体が踏みとどまれない。
また一歩、バランスを崩さないために下がった分追い打ちをかけるようにユウタさんは踏み込んで肩へ一撃。
「三」
「っ!!」
弾かれた右腕を狙ってかその拳は容易く突き刺さる。痛みはある。でも、耐えきれないほどではない。だが、肩を打ち抜かれたことで崩れかけていた体勢がさらに揺れる。
ここで倒れれば魔物でも耐えきれない一撃を貰うことになる。そうならないために私はさらに一歩下がってしまう―が、それこそがユウタさんの狙いだった。
「四」
今度は左肩に打ち込まれる。勢いをつけて砲弾の如く突き進み、打ち出された拳は真っ直ぐ突き刺さった。だが魔物である私にとってやはり耐えきれないものではない。この程度ならまだ耐えきれるはずだ。
だが体はよろめいていた。先ほどから執拗に崩された体勢のせいで防御もうまくできていない。このままでは確実にトドメとなる一撃を貰ってしまう。
そしてその予感は的中する。
「五」
崩された防御を直すため、よろめいた体勢を戻すため今まで以上に距離が開いてしまった。それはユウタさんが勢いをつけるには十分すぎるほどの距離。そして、私の一撃では届かない、彼の跳躍できる射程圏内。
―まずいっ!
そう気づいた時にはすでに遅かった。
「リチェーチ」
優しく名前を呼ばれるが引き絞られた拳からは身の毛もよだつような気迫を感じる。柔らかな笑みを浮かべているがその瞳の奥には確かな戦意が見て取れる。
間違いなく、この一撃はトドメとなる!
「我慢して」
普段と変わらぬ優しい声色に思わず気が抜けかけるがそんなことをすれば容易く体を砕かれる。防御しようと体勢を立て直したいがそんな暇を与えてくれるわけもない。せめてと体に力を込め、叩き込まれる一撃に備えようとした、次の瞬間。
「っ!!」
瞬きせずにしっかりと見据えたその一撃は防御をはがされた私の腹部に容赦なく突き刺さった。
「が、ぁ!?」
重い一撃というわけではなかった。私以上の力が込められているわけではなかった。
だがその一撃は真っ直ぐ過ぎた。力が伝わってきたのは拳『だけ』であり、その形だけに力が突き抜ける。骨にヒビを入れるような乱雑で力任せの一撃ではない、たった一点を貫く技術で練り上げた一撃だった。
拳が腹部にめり込み、内臓を圧迫する。私のように力のままに弾き飛ばされることはなかったがその一撃は腹部を貫き打ち抜いた。
「う、く…ふっ……!?」
苦しい。呼吸が乱れる。何とか整えようとしても体が言うことを聞かず膝をついてしまう。吐き気を催すが堪える。それでも腕すら動かず目の前がぼやけてきた。
まさかたった一撃でここまで追い込まれるとは思わなかった。力がないからこそ技術で補う。しかもその技術は派手のない一撃必殺技。ここぞというときに使われては流石の私でも耐えられない。
「よっと」
とんっとユウタさんに頭を押された。踏ん張ることなどできないまま力に従い後方へと倒れ込む。冷たい空気が吹き付ける鍛錬場内で私は仰向けに倒された。
「あ、れ…」
体が動かない。人間よりも遙かに頑丈で体力も規格外な魔物の体だというのに。
呼吸は乱れていても体力には余裕がある。鍛錬場内を走り回れと言われれば軽くこなせるほどに。先ほどの一撃は確かに響いたがこの体はその程度で打ち負かされるほど弱くはない。
だというのに私の体は指先一本すら動かなかった。
「…あぁ」
違うんだ。体はまだまだ戦える。普通の騎士と試合をしろと言われれば勝つ自信もある。
だが余裕がないのは体ではなく―精神だ。
真っ直ぐに向けられる黒い瞳。何のために鍛えたのかわからない技術。わからないが、確かにはっきりと決められた覚悟。そして芯を通したかのように勝利を求めて曲がらぬ心。
それは全て全力で私と戦ってくれるためにしたもの。
その全力が私の精神に負けを認めさせた。実際のところこのまま戦い続ければ体力的には私が勝てると思う。だがユウタさんの体力がつきるまでに勝てるとは限らない。まだまだ秘策を残してたり、必殺技を隠していたりするかもしれない。
結局のところこの戦いを経て確実にわかったことは一つ。
「やっぱり、ユウタさんは強いじゃないですかぁ…」
春の訪れを感じさせる冷たくも自然の香りを運ぶ風を感じながら私は二度目の敗北を噛み締める。だがそれは敗北というにはあまりにも爽快な味だった。
私はゆっくりと腰を下げ片手の平をユウタさんへと向ける。もう片手を腰に添えいつでも飛び込める体勢をとった。
対してユウタさんは大きく足を前へ出す。右拳を脇に添え左拳を顔の位置で固定する。
初めて私と戦ったときと同じ構えだ。あれに私は一瞬で敗北したことを今でもよく覚えている。ならきっとまた一瞬の勝負にでてくることだろう。
「レジーナ、宣言頼むよ」
「…お前本当に私のことをなんだと思っているんだ。一国の王女に頼み込むことがどれだけのことかわかっているのか?」
「でもこういうことはレジーナの方が専門的じゃないの?レジーナだから頼みたいんだよ」
「…お前という奴はいやらしい頼み方をする。本当なら今の頼み事どころか普段の行いで牢屋にぶち込まれてもおかしくはないんだぞ?」
「あら、本当に牢屋に入れるなら私がもらっていくわよ?」
「貴様は黙っていろ。いいだろう、特別に私直々にやってやる。ありがたく思うんだな」
「はいはい」
一つ咳払いをするとレジーナ様は私達に向けて宣言する。
「これより黒崎ユウタ対リチェーチ・ガルディエータの試合を執り行う!」
凛とした声色は聞いているだけでも背筋が伸びてしまう。鍛錬場内は緊張感で包まれ、私もユウタさんも自然と集中力を高めていく。
「魔法の使用は禁止とする。それ以外なら何をしてもかまわん。互いに全力を尽くせ」
たった四人しかいないとはいえいるのはこの王国のトップ、魔界の頂点、そして私に敗北を与えてくれたユウタさん。護衛部隊の隊長なんて自分がここにいることが場違いな気がするが今この時が私の待ち望んだこと。私が求めていたことだ。
―だが、以前の試合では開始直後からの記憶がない。
何をされたのかも理解する前に私は倒された。魔法を使うことができないユウタさんにだ。
つまるところそれは試合開始直後を狙われたということに違いない。魔法を使わず、私を一瞬で気絶まで追いやる術を持っているということに他ならない。
そして、レジーナ様の声が鍛錬場内に響きわたった。
「―はじめっ!!」
―刹那、目の前にユウタさんがいた。
「っ!!」
私でも大股三歩ほどの距離。剣は振っても届かず、拳や足も当然。大きく踏み込んだところで同じ事だ。
だがそれをユウタさんは一瞬で、たった一歩で詰めてきた。脇に引き絞った拳を開き、私の顎へと向かって一直線につきだしてくる。
これだ!
初めての試合の時にはこれに意識をとられた。間合いの外からいきなり飛来され、受ける動作すら入らせず無防備に打ち抜かれる。普通に考えてこの距離を詰められるなんて思えず、対応なんてできるはずがない。
やっぱりと理解する。
これだけの事ができる人間がただ弱いはずがない。
私が負けたことはただの偶然のはずがない。
全ては当然のことだった。
「ふっ!」
私は横へ飛び込むことで何とか避ける。流石に二度も同じ技を食らうわけにはいかない。
見れば、ユウタさんのいたところだけ槌を振り下ろしたように窪んでいる。強く踏み込んだ為か靴の形をしっかりと刻みつけながら。
どんな脚力をしているんだ。
体勢を立て直して見据え直すとユウタさんは驚いたような表情を浮かべていた。
「避けないで欲しかったな」
「一度それに痛い目にあってますから」
「師匠に試合用にって叩き込まれた一撃必殺の技だったからね。実力潰しの技なんだよ。まぁ、これに限らず空手は一撃必殺が極意なんだけどさ。でも通じないとなると…こりゃ苦戦必須かな」
「ご冗談を」
苦戦を強いられるのはユウタさんではなく私だというのに。
何でもできそうな魔物の体。人間以上の力や強度を持っているというのに不安が募る。今の一撃は実力潰しだといったがそんなことができる時点でかなりの実力を隠し持っていると理解できる。
やっぱり強い。その事実を噛み締めると握った拳が歓喜に震える。
これこそ私の求めていた刺激。
これが私の望んでいたものだ。
「改めて、行きますよユウタさん!!」
今度はこちらの攻撃。
一気に駆け寄ると私は連続して攻撃を叩き込んだ。
肘を突出し脇腹を狙う―しかし、体を逸らして避けられる。
右腕で左腕を抑え込み左拳を叩き込む―だが、すり抜けられた左腕に抑えられる。
左膝を鳩尾に打ち込む―ところが、右肘に叩き落される。
「はぁっ!」
一気に大ぶりの蹴りを叩き込む。
「っ!」
それでも、ユウタさんも同じく蹴りを叩き込んできた。
魔物となった私の攻撃にことごとく反応してくる反射神経と反応速度。攻撃一つも撃ち漏らさずに応対する刹那の判断力と繊細な技術。レジーナ様が認めるのも当然な実力だ。
なら―今度は両手を押し付けるように突き出した。
力を骨から、筋肉から生み出し、伝達しては打撃として打ち込み、伝わる一帯を破壊する一撃!
「『胡蝶掌』!」
「っ」
だがその一撃も危険を察知したのかすぐさま手の届かぬ場所へと飛び退かれ、空ぶることとなった。
なら次は―手首を伸ばし、腕を短く前に向けて突き出す。腕全体から発した力を指先へ、爪の先へと伝達し、相手の体を砲弾のように貫く一撃!
「『標掌』!!」
「ふっ!」
だがこれも脇腹をかすめ、制服を切り裂くだけで不発に終わった。
私の技がことごとく避けられる。きっとこれは反射神経や反応速度だけの問題ではない。それだけなら魔物の私に分があるはずなのだから。
もっと別なこと、本能に刷り込まれたもっと別なことがユウタさんを突き動かしているに違いない。
これでは決定打は与えられないではないか。だが、このまま 続ければ体力が尽きるのは間違いなくユウタさんの方だ。なら長期戦に持ち込めば―
―違う。
そんなみみっちい戦いは私の望んだものではない。
あの体に刻みつけた実力を、骨身を削って鍛え上げた力を、隠し持った全力を私は感じたい。感じた上で、勝ちたいんだ。
「まだまだ行きますよっ!」
すぐさま飛び退いたユウタさんを追いかけて突き進むとユウタさんの正面に立つ。一撃加えるために拳を握ったその瞬間ぞっと背筋が震えた。
―まずいっ
本能的に察知した危険から逃れようと足を止め、その場を飛び退く。だがそれよりも早くユウタさんは私に向かって飛び込んできた。
「ぐっ!?」
そして放たれたのは固く握った拳の一撃。あまりの力の強さに思わずよろめき後退する。すると今度はこちらの番と言わんばかりにユウタさんが攻めに回った。
飛び上がっての膝蹴り―顔を逸らしてなんとか避ける。
膝に着地され、こめかみへ二度目の膝蹴り―右掌でやっと受け止める。
後方へ退くように飛びながら、顎を狙ったつま先の一撃―体を逸らして軌道を外れる。
体勢を立て直した次の瞬間、既に駆け出していたユウタさんは私に向かって肘を突き出していた。
「!!」
何とか飛び退こうと右へ動くが刹那でユウタさんの肘が肩を掠った。ダメージはほとんどなくそのまま距離を置く。
やっぱり彼は速い。普通の騎士とは比べ物にならないくらいに。
だが、だいたいわかってきたことがある。
彼の実力は紛れもない確かなものだ。きっと血反吐を吐くような鍛錬や、粉骨砕身の思いをしてきたに違いない。
だがそれでも鍛えようのないものというものがある。どれだけ鍛錬を重ねようと肉体を強化しようと人間の体には限界がある。空を鳥のように飛べないように、海を魚のように潜れないように。
ユウタさんも同じ事で彼は―腕の力が相当弱い。
ここぞという一撃は強烈なものだが連続して放たれた一撃は大した威力はなかった。せいぜい牽制程度かと思っていたがそうでもない。そうでなければ先ほどので既にかなりのダメージを負っている。
スピードはある。恐ろしい反応速度もある。常識はずれの瞬発力もある。だがそれに伴う強靭な攻撃力が欠けている。補っているのは技術であり、故に全ての攻撃が決定打になることはない。
その証拠に先ほどのように強烈な一撃が放たれるのは、それは私が彼から見て真っ直ぐ直線上に立ったとき、十分な踏み込みができる間合で脚力を活かせる位置にいるときだけだ。
地面を踏みしめる力を伝え、腰をひねる力を加え、腕を放つ力を足し、全身の筋肉を軋ませて拳というたった一転で爆発させる技。その勢いは私の目でも捕らえきれず、攻撃へと転換した時の破壊力は凄まじいもの。まともに食らえば魔物の体とはいえ無事では済まない一撃は連発することはできそうにないらしい。
恐ろしい技術の結晶だがわかってしまえば単純なもの。
尊敬する努力の結果だが理解してしまえばこちらのもの。
だからこそ!
側面に回り込んで攻撃する。足の隣へ、今度は踵へ。背を向けあうように立てば肘を入れ、よろけたところで側面へと回り込み今度は膝を打ち込んだ。
「っ!」
ユウタさんを中心に円を描くように足を運ぶ。それがユウタさんへの対処法。絶対に正面には立たず、小技を重ねて体力を削っていく。魔物の体は人間よりもはるかに優れ、体力的にもずっと上だ。小技だろうと魔物の力なら威力は大技にも至る。
後は隙が生じるのを待つだけだ。
「うっ!」
肘が脇腹に突き刺さり悲鳴に似た声が漏れる。それでも構わず今度は後頭部に手の甲を撃ち込んだ。再びよろけたところに今度は膝を打ち込む。
容赦なんてものはない。これは試合とはいえ全力の戦い。そんなことをすれば失礼にあたる。私が魔物となった分有利ではあるがそれを踏まえて受け入れてくれたユウタさんに失礼だ。
だから勝つために腕を振るう。負けないために足を突き刺す。隙など見せず、休む暇など与えず、私は全力で攻撃を続ける。
これで勝てる。そう思ったそのとき。
「―………ふっ!」
「あぃっ!?」
突き出した拳をくぐり抜けると私の足ごと地面を踏み抜いた。足の甲から激痛がはしり一瞬動きが止まってしまう。
「そこっ!」
「!!」
次いで放たれたのは足払い。一気に重心ごと狩られ体が宙に浮く。だがこの程度すぐさま体勢を立て直そうともがくと私の視界にユウタさんの足が―
―踵が映った。
垂直に振り上げられた踵。それは一直線に私のお腹を打ち抜こうと振り下ろされる。体の柔軟さに驚かされるがその一撃は地面を槌で振り下ろしたように窪ませるほど強靱な足だ。まともには食らえない。
振り下ろされた踵を体をひねって両手で弾く。足はそのまま地面落ち、私は跳ね起きようと地面に手を向けたそのとき。
「ふんっ!」
踵を弾かれて体勢を崩したはずのユウタさんがお辞儀をするように頭を下げてきた。それは無防備に晒した私のお腹に直撃する。
「くふっ!?」
―頭突き!?
腹部の一撃に体勢を崩すがすぐさま飛び退き距離を置いた。
「―っ……!」
型にはまらぬ、武術とも呼べぬ単純な力技に驚愕する。身体的ダメージは少ないが、動揺は隠せない。
この人、何が何でも勝つ気でいるのか。体勢を崩されようが、怪我をしようが相手に隙あらば容赦なく狙う。それはまるで本能に従う獣のように。
だがそれは―それだけユウタさんは全力で来てくれていること。
私が全力で勝ちに行くように彼もまた私を全力で迎え撃ってくれる。
その意志が何よりも私を昂ぶらせてくれる。
その意気込みがどんなことよりも私を喜ばしてくれる。
だからこそ。
全力で私を倒しに来ているという意気込みへの称賛を。
ユウタさんという一人の男性に会えたことへの感謝を。
全てをこの試合で出しきらせてもらう!
「まだまだ行きますよ―『穿弓腿』!!」
片手を地面につき、上がった足で顎めがけて一直線に蹴りを放つ。これもまともに食らえば意識を容易く狩り、防御してもかなりのダメージを叩き込める。
それならば、ユウタさんは絶対に避けるはずだ。
問題は―どこへ逃げるか。
「うぉっ!」
下から一直線に突き出された足から逃げるようにユウタさんは飛んだ。つま先はギリギリのところで顎に届かず私の蹴りは不発に終わる。
だが、飛んだのは後ろではなく―上。
あの恐るべき跳躍力で私の足から上手く逃れたが体は地面から離れていた。
足が、地面から離れていた。
―ここだ!
一瞬にして背中を向け、足の筋肉を躍動させる。屈んだ姿勢から爆発する様に突き上げ、力を肩の一点に集中させて、叩き込む!
「『鉄山靠』!!」
ユウタさんの体との間で力が炸裂し、爆発する。
背中からぶつかる技の一つ。人間相手でも容易く弾き飛ばせる技だ。魔物となった今の私の力ならそれ以上の破壊力を生んでいることだろう。
そして生じた衝撃は容赦なくユウタさんの体を貫いた!
「ぐ、ふぅっ!?」
辛うじて両腕でかばうように防御したらしいが力を抑え込むことはできず、ユウタさんの体は鍛錬場の端まで飛ばされた。地面を数回転がり砂埃を巻き上げて、ようやく止まると仰向けになって動かなくなる。
「…ふぅ、あ」
流石に両足が浮いた状態では防御しようと踏み止まれず、叩き込まれた衝撃は逃げ場のない体内で響いたことだろう。横に避けられてはできなかったが上に逃げてくれて助かった。
息を吐き出して倒れたユウタさんを見る。強烈な一撃で体のどこかを痛めただろうが今は心配するときじゃない。
ユウタさんは動かない。
体に走る激痛か、骨が砕けて構造上無理なのか。
それともだまして動けないふりをしているのか。
よくよく見れば胸は上下しているが指先は動かず、立つ気力はないように見える。当然だ、先ほどの技は人間の時だってかなりの威力を持っていたんだ、まともに食らえば大怪我ものだ。
つまるところ。
「勝った…!」
胸を満たす充足感。心に潤いを与える勝利の実感。私の実力が上だという確証はこれ以上ないほどの高ぶりを与えてくれる。
傍ではフィオナさんが得意げに鼻を鳴らしレジーナ様を見ていた。
「どう、レジーナ。これが魔物よ?ユウタには悪いけど魔物の方が人間よりもずっと優れているでしょう?」
「…」
対するレジーナ様は屈辱に顔を歪めることなくただ一心にユウタさんを見つめている。まるで納得がいかないと言わんばかりに。それほどユウタさんが私に勝つことを確信していたのだろうか。
だが、既に勝敗は決まった。人間の時には勝てなかったが魔物となった私の勝利という形で。
「ふふん」
だが、レジーナ様はユウタさんの負けを認めようとはしていなかった。王族である彼女をたった一人で護衛するユウタさんにそれだけの信頼を置いていたから認められないのだろうか。
その考えは―間違っていた。
「おい。起きろ、ユウタ」
そう言ってレジーナ様は手にしていた刀剣を投げつけた。未だに倒れ込んでいるユウタさんへと向かって。
「あ!」
「レジーナ様!?」
避けられるはずがないユウタさんへの一撃
当たれば大怪我は免れない。何とか止めようと手を出すが投げ出された刀剣の方がずっと早くユウタさんへと到達する。名刀の如く鋭い刃の先は何にも遮られることなくユウタさんの頭へ突き刺さ―
「―うぉっ」
らなかった。
間一髪でユウタさんが顔を横に逸らしたおかげで頭のあった部分に剣は突き刺さっていた。
「…え?」
「舐めるなよ、魔物共が」
ユウタさんがゆっくりと起き上がる姿を見てレジーナ様は不敵に笑う。どこか妖しく、リリムであるフィオナさん以上に艶やかに。その笑みにははっきりとわかる程余裕が見て取れる。
「ただ速い程度で私の護衛が務まると思ったか?ただリリムの魅了が効かない程度で私一人を守り切れると思っているのか?そんな人間を私が護衛に選ぶと思ったのか?」
それはユウタさんへの信頼によるものだろう。こんな状況でも笑みを浮かべさせるほどの余裕がレジーナ様に…いや、ユウタさんにあるということだ。
「どうして私がユウタ一人だけを護衛にしていると思う?」
フィオナさんの隣からゆっくりと歩きだし、ユウタさんの傍に突き刺さった剣を引き抜いた。
ついでにと言わんばかりに彼の肩に肘を乗せる。若干鬱陶しそうに表情を歪めるユウタさんだがレジーナ様はお構いなしだ。
「護衛に求められるのは何よりも自身の身を守ることだ。リチェーチ、それはよく理解しているだろう?」
それは言われた通り護衛部隊の隊長である私が一番よく知っている。守るためにはまず自分を守れなければいけない。自分が壁となるためには自分が一番頑丈でなければいけない。
そのために体力や耐久力が私の部隊には何よりも求められる。それは私もまた同じこと。
そしてレジーナ様はユウタさんの顔に自分の顔を寄せ一言。
「私の護衛がたかだが一撃二撃程度で沈むほど柔な男だと思うな」
その一言に込められた信頼は私には計り知れないものだった。ユウタさんとレジーナ様だからこそ通じる感情が込められた一言にフィオナ様はどこか悔しげに表情を歪めている。
だがやはりというか、ユウタさんは呆れたようにため息をついた。
「…今ので結構がたがたなんだけど」
「だったら骨の一本でも折ってから言うんだな。ほら、さっさと戦ってこい」
「え、ちょっと…」
背中を押されユウタさんは仕方ないと言わんばかりにまたため息をつき、ゆっくりと歩きだした。
「ああもうっ。全く仕方ないな…!」
一歩一歩確実に距離を詰めてくる。だというのに気迫も戦意も何も感じさせない。ただゆったりと、王宮の廊下を歩くかのように落ち着いたその姿は戦っている最中とは思えないほど。
何を隠しているのか警戒してしまう。いきなり駆け出してまた私に一撃くらわすのだろうか。だが最初の一撃を見切った今、既に射程距離が割れている以上むざむざとくらうことなどない。
―あと、五歩。
拳を握らず。
―あと、四歩。
踏み込むこともなく。
―あと、三歩。
ガードすることもなく。
―あと、二歩。
構えを取らず、無防備に。
―そして、あと一歩。
戦意の欠片もない動きで、不意を狙った一撃もなくユウタさんは私の傍に立った。
「…え?」
あまりにも突拍子もないことで思わず首をかしげそうになる。遥か後ろにいたフィオナさんも理解できないと言わんばかりな表情を浮かべていた。
既に彼が立っているのはこちらの射程距離。私の攻撃が十分に届く位置。そんなところまでのこのこと進んできたのだから何かあるはずだ。だというのにユウタさんからは何も感じられない。その動きには予備動作すら見られない。
戦う意志をなくしたのか?そんなことあるはずないのに―そう思いかけた次の瞬間。
「っ」
突然拳が降りぬかれた。それも体を回転させての裏拳。あまりにも突然のことで反応が遅れ、左肩を打ち抜いた。
「いっ!!」
それは今までに比べてあまりにも重い一撃だった。
だがユウタさんは一撃では止まらずそのまま回転し、今度は肘が撃ち込まれる。
これもまた重い一撃。今までと比べ物にならないくらいに強く、鈍い痛みを響かせてくる。
「くっ!」
どうしてここにきて技の威力がいきなり上がったのか。魔法の気配はないし、そもそもユウタさんは魔法は使えない。
続いて今度は足を振りぬいた。あまりにも早く、鋭くこめかみへと撃ち込まれる。辛うじて手の甲で受け止めるがあまりの衝撃に体が揺らいだ。
まだ止まらない。今度は回転しつつ膝が太腿に突き刺さる。ガードしたはずだというのに鈍い痛みが走った。
ああ、そうか。
回転を掛けることで威力を底上げしているんだ。隙は大きくなってしまうが加えられた遠心力も叩き込むことで一撃一撃が脅威となる。自分の弱点を知っているからこそこの技術。
本当にこの人は何を隠しているかわからない。まるで子供の夢を詰めたおもちゃ箱のように次から次へと私を楽しませてくれる。
―なら!
私は大きく腕を広げ、ユウタさんの体を正面から抱きしめた。
「わ!?」
「捕まえましたよ!」
両腕ごと巻き込んで抱き込めばいくらユウタさんと言えど抵抗はできない。人間の力で魔物の腕力には敵わない。腕力の弱い彼ならなおのことだろう。
「…胸当たってるよ」
「当ててるんです!」
こんな状況だというのに余裕の発言。それは彼にはまだ秘策が残っているという証拠だろうか。
なら、その秘策を出させる前に落とす!私は一気に腕に力を込め、彼の意識を落とさんと締め上げた―刹那。
「んぎゃひっ!?」
脇腹に走った筆舌しがたい不快な感覚に思わず腕を離してしまった。その隙を見てユウタさんはすぐさま距離を置く。
その顔には悪戯が成功したような子供っぽい笑みを浮かべて。
「知らなかった?肋骨を擦るとかなり不快な刺激が伴うんだよ。中学時代にはこれが流行ってね。実際護身術としても十円玉で擦るっていうのがあるんだよ」
わきわきと両手を動かして楽しそうに語るユウタさん。なるほど、これなら先ほどの余裕も納得だ。
だが規格外極まりない。そんなことは今初めて知ったし、その知識を活かせる技量も持ち合わせている。それがどれだけ私の頭を混乱させることか。
―だからこそ、面白い。
次から次へと披露される技術に翻弄される。私の持っていない知識に惑わされ、見たことのない動きに悩まされる。
―だからこそ、楽しい。
まだだ。もっとこの高揚を、戦っているという実感を得たい。私の目指した目標がどれだけ強いかを感じたい。
―そして、勝ちたい!
「まだまだ止まりませんからね!!」
体を回転させ、拳を叩き込む。だが掌で払われる。
懐まで踏み込んで肘を突き刺す。しかし一歩下がられ避けられる。
なら、ユウタさんの真似をして―
「これでどうです!」
足元を狙った回転蹴り。それにとどまらずもう一回転して頭を狙った回し蹴り。まだまだ止まらない、飛び上がってこめかみを狙った回転蹴り。
「おっと!」
三連続の蹴りだというのに一撃目は飛び越え、二撃目は体を反らし、三度目は当たる寸前のところで後ろへ飛んだ。そして反撃へと移るユウタさんは止まらずにすぐ飛び込んでくる。
一撃目は拳。頭狙いを目で見て避ける。
二撃目は膝蹴り。太腿狙いを掌で受ける。
三撃目は手刀。腕で受け止め反撃に移ろうと拳を握りしめた次の瞬間目の前に手の平が伸びてきた。
「っ!」
反射的に顔を引き、そのせいで上体も後ろへと下がってしまう。そうなれば顔よりも足が前に出てしまうのは当然の事。
そしてユウタさんはそこへと狙いを定めた。
「ふっ!!」
風の如く速い蹴りが足を狩る。それも両足を地面から引きはがされ私は後ろへと倒れかけた。
―ここだ!!
攻撃が成功したと確信するその一瞬。
反撃が来ないだろうと高を括る一刹那。
このときならユウタさんと言えど大きな隙が生じるはずだ!!
後方へと傾いた体をそのままに、むしろ下へと頭を落とす。となれば反対に足が上がり、その先にはユウタさんの顎があった。
安定を求めて地面に片手をつき、狙いを外さぬように二度目の蹴り技を一気に叩き込む!
「『穿弓腿』!!」
その一撃はユウタさんの顎を打ち抜いた―はずだった。
やはりというべきか大技に対しての回避行動が速かった。私の足が届くよりも早く顔を逸らし、軌道上から避けていた。
そして次にくるのは―攻撃!
回避体勢から左足を後ろに下げ、右腕を引き絞るユウタさん。それは紛れもない攻撃への予備動作。あまりにもわかりやすい構えだがこの位置でこのタイミングで出すということはかなり重い一撃になるはずだ。
―なら、私も!
すぐさま地面から起き上がると構えに移り、拳を握る。そしてすぐさま突出すとユウタさんの顔面寸前で止まった。
「…っ!」
だが、ユウタさんは避けない。この技がまだ発動前だと見切っていたからか拳を構えたまま私を見つめている。
私よりも先に拳を叩き込むつもりか。なら、ユウタさんよりも速くこの拳を叩き込む!防御や回避に移って長引かせるよりも今この時に決める!私よりも速い彼との戦いでは今この時こそが好機なのだから!!
「っ!」
「…っ」
拳を突出し、顔面に添える私。
拳を構え私に突き刺すユウタさん。
ほぼ同時の行動だがお互いに拳が触れ合っていた。ならあとは技の発動が早い方が勝つ!
「はっ」
呼吸、脈動、瞬発、発動。体内で練り上げた力を打ち込む。
だが、この技は突き抜けるのではなく浸透させるもの。ただの打撃とは異なり内側に響き、破壊する技。いくら打たれ強いユウタさんとはいえまともにくらえば無事で済むはずがない!
「『寸勁』!!」
轟音が鳴り響く。
顔面に向かって容赦のない一撃を叩き込んだ。踏みしめた地面にヒビが入り、全身の筋肉が軋む。
「――」
顔面で受けたユウタさんは動かない。呼吸音すら聞こえない。意識があるのかもわからないが今の一撃を受けて立っていられるはずがない。いくらレジーナ様が認めた頑丈さを持っていようともその体は人間であることにかわりな―
「―…リチェー、チ」
「っ!?」
耐えていた。倒れることなく立ちつくし、動くことなく構えたままで。拳が刺さったままだというのに私の方を真っ直ぐ見つめていた。
どうして―そう思ってよく見ると彼の足元が窪んでいた。まるでハンマーでも振るわれたかのように大きく、だというのにユウタさんの足は微動だにしていない。
もしかして瞬間的に衝撃を地面に逃していた?そんな馬鹿みたいなことが…そう思っているとレジーナ様の言葉を思い出した。
『相手の力や自分の力を水流のごとく捌き扱う技の一種だそうだ』
それだ!
その技術を私は先ほど見ていたではないか!
あの舞うような武術にそんな芸当ができるなんて思えない。だが今現在で起きていることは紛れもない事実であって、否定しようのない現実だ。
そして、ここにきて勝利への確信を覆された。この状況下では大きな動揺となり私の心に広がってくる。
大技を使ってしまった。
トドメだと思ってしまった。
肉体が、精神が、揺らいでしまう。
それはほんの一瞬の出来事で数秒後にはいつも通りへと戻れるほどに些細な物。
だが、この戦いにおいて。
私よりもずっと速いユウタさんにおいて。
その一瞬は―決定打となる!
「行くよ…!」
一瞬でユウタさんの目つきが変わった。どこか重く、鋭く、禍々しさすら覚える雰囲気にぞくりと背筋が震える。
本能が訴える。これは―危険だ!
「一」
まるで砲弾の如く一直線に踏み込んできて鳩尾に一撃。辛うじて右掌で受け止めるがその一撃はあまりにも重かった。
私の方が力は上だ。抑え込めるはずだというのにユウタさんの拳は私の腕を弾き飛ばした。
だが、一撃では終わらない。
「二」
私がよろめき後退した分、再び風のように踏み込んできて胸へ一撃。なんとか左腕で受け止めるが先ほど以上に強く、腕に痺れが生じる。
体がふらつく。耐えきれているはずなのに勢いに押されている。ダメージはまだほとんどないが彼の速さに体が踏みとどまれない。
また一歩、バランスを崩さないために下がった分追い打ちをかけるようにユウタさんは踏み込んで肩へ一撃。
「三」
「っ!!」
弾かれた右腕を狙ってかその拳は容易く突き刺さる。痛みはある。でも、耐えきれないほどではない。だが、肩を打ち抜かれたことで崩れかけていた体勢がさらに揺れる。
ここで倒れれば魔物でも耐えきれない一撃を貰うことになる。そうならないために私はさらに一歩下がってしまう―が、それこそがユウタさんの狙いだった。
「四」
今度は左肩に打ち込まれる。勢いをつけて砲弾の如く突き進み、打ち出された拳は真っ直ぐ突き刺さった。だが魔物である私にとってやはり耐えきれないものではない。この程度ならまだ耐えきれるはずだ。
だが体はよろめいていた。先ほどから執拗に崩された体勢のせいで防御もうまくできていない。このままでは確実にトドメとなる一撃を貰ってしまう。
そしてその予感は的中する。
「五」
崩された防御を直すため、よろめいた体勢を戻すため今まで以上に距離が開いてしまった。それはユウタさんが勢いをつけるには十分すぎるほどの距離。そして、私の一撃では届かない、彼の跳躍できる射程圏内。
―まずいっ!
そう気づいた時にはすでに遅かった。
「リチェーチ」
優しく名前を呼ばれるが引き絞られた拳からは身の毛もよだつような気迫を感じる。柔らかな笑みを浮かべているがその瞳の奥には確かな戦意が見て取れる。
間違いなく、この一撃はトドメとなる!
「我慢して」
普段と変わらぬ優しい声色に思わず気が抜けかけるがそんなことをすれば容易く体を砕かれる。防御しようと体勢を立て直したいがそんな暇を与えてくれるわけもない。せめてと体に力を込め、叩き込まれる一撃に備えようとした、次の瞬間。
「っ!!」
瞬きせずにしっかりと見据えたその一撃は防御をはがされた私の腹部に容赦なく突き刺さった。
「が、ぁ!?」
重い一撃というわけではなかった。私以上の力が込められているわけではなかった。
だがその一撃は真っ直ぐ過ぎた。力が伝わってきたのは拳『だけ』であり、その形だけに力が突き抜ける。骨にヒビを入れるような乱雑で力任せの一撃ではない、たった一点を貫く技術で練り上げた一撃だった。
拳が腹部にめり込み、内臓を圧迫する。私のように力のままに弾き飛ばされることはなかったがその一撃は腹部を貫き打ち抜いた。
「う、く…ふっ……!?」
苦しい。呼吸が乱れる。何とか整えようとしても体が言うことを聞かず膝をついてしまう。吐き気を催すが堪える。それでも腕すら動かず目の前がぼやけてきた。
まさかたった一撃でここまで追い込まれるとは思わなかった。力がないからこそ技術で補う。しかもその技術は派手のない一撃必殺技。ここぞというときに使われては流石の私でも耐えられない。
「よっと」
とんっとユウタさんに頭を押された。踏ん張ることなどできないまま力に従い後方へと倒れ込む。冷たい空気が吹き付ける鍛錬場内で私は仰向けに倒された。
「あ、れ…」
体が動かない。人間よりも遙かに頑丈で体力も規格外な魔物の体だというのに。
呼吸は乱れていても体力には余裕がある。鍛錬場内を走り回れと言われれば軽くこなせるほどに。先ほどの一撃は確かに響いたがこの体はその程度で打ち負かされるほど弱くはない。
だというのに私の体は指先一本すら動かなかった。
「…あぁ」
違うんだ。体はまだまだ戦える。普通の騎士と試合をしろと言われれば勝つ自信もある。
だが余裕がないのは体ではなく―精神だ。
真っ直ぐに向けられる黒い瞳。何のために鍛えたのかわからない技術。わからないが、確かにはっきりと決められた覚悟。そして芯を通したかのように勝利を求めて曲がらぬ心。
それは全て全力で私と戦ってくれるためにしたもの。
その全力が私の精神に負けを認めさせた。実際のところこのまま戦い続ければ体力的には私が勝てると思う。だがユウタさんの体力がつきるまでに勝てるとは限らない。まだまだ秘策を残してたり、必殺技を隠していたりするかもしれない。
結局のところこの戦いを経て確実にわかったことは一つ。
「やっぱり、ユウタさんは強いじゃないですかぁ…」
春の訪れを感じさせる冷たくも自然の香りを運ぶ風を感じながら私は二度目の敗北を噛み締める。だがそれは敗北というにはあまりにも爽快な味だった。
14/12/01 23:05更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
戻る
次へ