裏切りの口説き文句
眼下に広がるのは水流に飲み込まれて崩れ去る一つの街。多くの人と魔物が住んでいた建物が並び、活気あふれる市場が開かれ皆明るく楽しく過ごしていたであろう場所だ。それが今は崩され瓦礫の山。木材が濁流に飲まれ、家具や酒瓶が水に流れ浮いていた。
まるで洪水の後のありさま。だがここは海に面してないし、川も氾濫するほど大きなものはない。大雨だって降ったわけじゃない。
自然災害によるものではなく人間の手によるもの。
それも、俺様の手によるものだ。
「…」
何度やっても慣れるもんじゃない。
何回やっても慣れていいものじゃない。
人の住み場所を壊すというのは命を救うためだとはいえ、こんなことに慣れたらそれこそ人間として終わりだろう。
俺様は隣で眼下の景色を見る魔物を見た。
背中から蝙蝠の様な翼が生え、角や尻尾まで生やした女性。見目麗しく誰もが美女と呼ぶ容姿をした彼女はサキュバスと呼ばれる一般的な魔物であり、今流されていく街の領主だ。
彼女は崩れ去る建物を寂しげに見つめている。当然だ、今まで自分が治めてきた街なのだから俺様には想像できないほどの愛着があったに違いない。それを生きるためとはいえ手放すことになるのだから抱いた哀傷は計り知れない。
そんな彼女に俺様は小さく呻くような声で言った。
「本当に済まねぇな…」
「何言ってるの。それはこっちのセリフだわ。私たち皆の住む場所を魔界に手配してくれたし、それにこれだけのお金も貰っちゃってるし、貴方には感謝しているのよ」
そう言った彼女の手元には俺様が報酬として貰っていた金貨の入った袋がある。それだけあれば遊んで暮らすこともできるだろうし、行き場を失った彼女たちにとっても十分な助けとなってくれるだろう。
だからと言って俺様の罪悪感が消えるわけじゃない。
「…それでも」
俺様にもっと力があれば。
この街だけじゃない、魔物という存在を、魔物と共存する人間を…あの王国から、教団から守る力があればこんなことにはならなかった。
魔界にいる知り合いに頼んで彼女たちの住まう場所を手配してもらい、こことは別の場所へと避難させる。そして俺様はこの街を消し去り、王国には勇者としての務めを果たしたと報告する。
それが今できる俺様にとっての最善のこと。
「…本当に、済まねぇ」
何度呟いてもそれは許されざる懺悔だった。
眼下に広がる街並みは既に水流に押し流されただの瓦礫と変貌していた。誰があそこに済んでいたと思えるだろうか、そう思えるほど木々は散り、壁は砕け、屋根は押し流されていた。
これこそが俺様の仕事。
勇者としてなさなければならない義務。
そして、力を持つものの責任。
「なぁ」
俺様は隣に立っていた真っ黒な服を着込んだ青少年に声をかけた。
特徴的なのはあの王国に二人しか存在しない黒髪黒目の姿。夜の闇に染めたような黒髪に、纏っている服まで同じ黒色。そして闇を押し固めたような瞳をもった俺様よりもたぶん一回りは年下だろう男性。
そして、俺様とあの女嫌いと同じ、別世界からの人間。
「ユウタ君」
俺様の声に彼は反応しなかった。いや、できなかったのだろう。
眼下に広がっているのは平和な日常とかけ離れた光景。死人は出ていなくともその破壊行為はあまりにも壮絶すぎるものだ。今までこのような出来事に無関係だった人間だったらこの反応も仕方ないだろう。
俺様も昔は似たようなものだった。
なぜなら俺様も彼同様にこの世界の人間ではないからだ。
「これが俺様達のしなきゃいけないことだ」
俺様は何も言わないユウタ君の前に立って言った。
勇者として、国の希望として、俺様達は魔物を殺さなければならない。
皆が美女の姿をした魔物。それは人間となんら変わらない声や外見をしているものばかりだ。中には異形な姿や一つ目のものもいるが誰もが人間に対して友好的である。
だがディユシエロ王国は、教団はその存在を否定している。この世界から一匹残らず消し去ることを目的としている。
いてはいけないと剣をふるう。
あってはならないと魔法を使う。
存在など許さないと殺しにかかる。
それは大人でも子供でも、魔物に関わった人間すら同じく当てはまる。
故に俺様達はそいつらを殺すことが仕事であり、このように街を破壊することが使命であった。
「だけどな、ユウタ君」
だからと言ってはいそうですかなんて頷けるほど俺様は狂っちゃいない。
「俺様達は力を持ってる。街一つをぶちこわせる力があるなら街一つを救える力でもあるはずだ」
握りしめた拳。手のひらに刻まれているのは独特の形をした十字架。それは紛れもない勇者という証。あの王国に召喚され選ばれた証拠だ。
「力は殺すために振るうことは正しいとは思えない」
宿っているのは退魔の力。
「力は守るために振るうことこそ正しいはずだ」
魔物を殺すために備わった力。
「大きな力を持った奴は軽々しく振るっちゃいけねぇ。力を持つ者にはそれ相応の責任を背負わされるからだ」
殺すことができるのなら、活かすこともできるはず。
強大な力だからこそ使い方を間違ってはならない。
理不尽に振るうのではなく、暴虐の限りを尽くすのではなく、正しい使い方をしなければならない。
それが力を持った者の責任だ。
「だから俺様達は責任を果たさなきゃいけねぇ」
王族が国を支える義務のように。
高貴な者が果たさねばならない責務のように。
高い地位を得た者がそれ相応の道を歩むように。
誤ってはいけない。
踏み違えてはならない。
惑ってはいけない。
「間違っても人の命を軽々しく奪っちゃならねぇ。それが人間じゃない魔物っつう存在でもだ」
力を持ったのなら正しい道を進むべきだ。
「俺様達は奪うんじゃねぇ。生かすんだ」
それが俺様のあるべき姿。それこそ俺様のやるべき行い。
力を持つ者の行かねばならない道。
「あの王国の、教団のやることを否定する。俺様は魔物を救う。それがあの国にとって間違ってると言われても、俺様はやらなきゃならねぇ」
早い話が裏切り行為だ。俺様を勇者として召喚したあの王国に背き、教団という存在に剣を向けることだ。
バレれば殺される。いや、それ以上の酷いことだってあり得る。魔物を平然と殺せと命じる奴らであり、彼女たち魔物もそれにかかわった人間も生き物とすら思わない連中だ。何をされるかわかったもんじゃない。
だからと言って殺戮に手を貸すほど俺様は愚かじゃない。
「死んでいい命はない。奪っていい存在はいない。だから、無慈悲な行いをする教団の目を欺いて俺様は今までこういうことをやってきたんだ」
住人を避難させて街を破壊する。
これだけ崩れた街ならば魔物がいるかどうかを探る連中はいないだろう。それなら教団の目をごまかせ、逃がした魔物を捜索されることはない。そして逃がした住人はどこか別の土地に移ってもらえばいい。教団の目の届かない魔界のどこかへと移り住んでもらえばいい。
本来ならば街を破壊せずに立ち向かうこともできる。現にその力を俺様は持っているはずだ。
だが、何回もできることではない。
向こうも戦力をそろえてくる。俺様と同じ勇者や兵器に魔法とありったけの力を向けてくる。それ以前に一つの街を守っているだけでは他の街まで守りきれない。最悪守りきれずに街の住人共々俺様も殺される。
だからこそ、あの王国内で勇者となった。
勇者となればたった一人で魔界へ赴くことができる。軍隊は必要ない、勇者一人にその戦力が備わってるからだ。
だからこそ、欺ける。
俺様が街を壊し、その証拠を持ち帰り報告すればその街はそれでおしまい。逃げた魔物の捜索も行われない。地図から街が消え去るが誰も犠牲になることはない。次の標的となる街を言い渡されればまた同じ事を繰り返す。
そうすれば何度も何度も救うことができる。
誰も殺さず活かすことができる。
「なぁ、ユウタ君」
俺様はユウタ君の手を取り瞳をまっすぐに見据えた。見れば見るほど吸い込まれそうになる闇色の瞳が街の景色からこちらを向く。
「俺様に、力を貸して―」
そこまで言って言葉が止まる。
手を取った別世界の人間は眼下の景色を眺め、俺様の言葉を聞いて、そして無言でこちらを見上げていた。
というか、目が点になっていた。
「…ユウタ、君?」
「…すいません、どちら様ですか?」
敬語にまでなっていた。
「え?ちょっと…何言ってるのユウタ君」
「いや、すいません。似た人を知っているんですがその人とんでもない女誑しなんで…えっと、オレは黒崎ゆうたです」
「いや、俺様アイルだけど」
「アイルって言うんですか。奇遇ですね、オレの知り合いと同じ名前だ」
「同じも何も本人だぜ、ユウタ君」
「…いや、嘘でしょ」
「何を思ってその発言?」
すごい胡散臭いものを見るような眼差しでこちらを見てくる黒髪黒目の青少年。普段は笑ってばかりだったからかそういう表情をされるとより精神的に響いてくる。
どうしてそんな顔をしているんだろう。俺様はそんな顔されるほど嫌な奴をしていただろうか。
「いや、だって…こんなのアイルじゃないって」
「嘘も何も本人だから。そりゃ普段とやってること違うけど俺様、アイルだから」
「え〜」
まだ怪訝そうな表情でこちらを見つめるユウタ君。だがそうなるのも今までの俺様の言動からしてみれば仕方ないかと後悔する。
召喚されたディユシエロ王国では女の子口説いておちゃらけてばかりだった俺様。かわいい子ちゃんを隣に侍らせているのが常であり、王宮のメイドや姫様を口説くのが日常だ。
そのせいでレジーナ姫様には何度か殺されかけたが。
「この前もナンパしてるような人の台詞とは思えないね」
「そ、そりゃしてたけどよ…でもナンパしてるからってそんな人間だと決めつけるのは早計だぜ」
「でも事実じゃん」
「…」
その一言にはさすがの俺様もイラっときた。いや、言ってることは全てユウタ君が正しくてただの図星なのだが。
だが俺様は知っている。この人畜無害そうな青少年だって俺様とあんまり変わらないことを。
「あーあーそれなら言ってやるけどよ!ユウタ君だって生涯不犯であるはずのシスターさんを口説いたって聞いてるぜ!?」
「シスター?それってヴィエラの事じゃないの?護衛役として一緒にいたから今でも話すだけだよ」
「だったら聖女様は?男子禁制の大聖堂に通って聖女様との逢瀬を楽しんでるって話だぞ!?」
「…確かに大聖堂で会ったけどさ、通ってはないよ。初めの頃王宮の食堂がどこにあるかわからなくて入ったぐらいだしさ」
シスターに聖女様。
どちらもあの王国における大切な存在で汚れることなど許されない生涯独身、鉄の規律を背負った女性だ。本来ならば男性と話し込むことすら許されず、聖女様に至っては何人たりとも侵入を許されない女のみの大聖堂の奥の部屋でしか会えないはずだというのに。
さらには一国の王女であるレジーナ姫様すら興味を持っている。あれがただ興味あるだけだとは言い難い。興味なんて軽いもんじゃない、もっと重要で深い感情を抱いているとしてもおかしくない。
一国の姫に重要人物に聖職者とは。この青少年、俺様が考えている以上にやるのかもしれない。
「ともかく片っ端からメイドさんやらシスターやら口説いてる人に比べりゃマシだと思うんだよね」
「ユウタ君自分の事棚に上げるんじゃねぇぜ」
「歯の浮くような台詞言いまくってるのによく言うよ」
「んん?俺様のどの台詞で歯が浮くんだ?」
ユウタ君は俺様の服を引っ掴むと顔を寄せた。
ぐいっと近づく異国の顔立ち。それから特徴的な闇色の瞳。何度も思ったが見つめ続けると吸い込まれそうな不思議な感覚に陥る。それは瞳の色のせいか、それとも底の見えない性格ゆえのものか。
じっと見つめてくると彼は顔をさらに近づけ俺様の耳元でそっと囁いた。
「俺様、君のこと好きになっちゃいそう…」
ぞくっとした。
確かにその一言は俺様が以前に言ったことだ。だが彼には縁のないような言葉であり、さらには普段とちょっと声色を変えて囁かれた。普段を知っている俺様からすればこんな声を出せたのかと思うほどでありたまったもんじゃない。
その一言で俺様の思考は停止した。
「うふ♪そんな大胆な告白するなんて素敵ねぇ♪思わず私が好きになっちゃいそう」
「え?いや、これアイルが言ってたことなんですけど」
「でも貴方もいずれその言葉を言える相手が欲しいんじゃないかしら?」
「いや、別にオレはそんなこと言いませんし」
「私だったら言われてみたいわ♪」
「お姉さんぐらいの美人なら絶対に言ってくれる男性が現れますよ」
「あら、それなら貴方は?」
「…ん?」
「私、領主だからって皆と平等に関わりを持つんだけどそのせいで特別な人に出会えてないの。だからね、今だけでもいいから…ね♪」
「ためし程度でこんなこと言っていいもんじゃないと思うんですが」
「あら、それじゃあ本気になれば言ってくれるのかしら?」
「いや、オレらは初対面ですからそういうのは気が早いと言いますか相手の事を知らな過ぎると言いますか…」
「誰だって最初は初対面よ。互いの事なんてこれから知っていけばいいじゃないの。なんなら、今ここで貴方を知りたいわ…♪」
「いや!ちょっと!ま…アイル!アイル!!」
「…はっ!」
呼ばれる声に思考が戻ってくる。声のする方を見ればユウタ君がこちらへ助けを求めるように手を振ってる。そして隣には誘惑しているのか襲いかかってるのかしなだれかかるサキュバスの姿が。
「な、何してんだよっ!」
大慌てで引っ剥がすと彼女は残念そうにユウタ君を見つめ俺様を睨みつけてきた。
「あん、いいとこなのに邪魔しないでよ」
「あんた領主だろ!領主だったらさっさっと皆のところ行ってこいよ!」
「大丈夫。皆新しいお家で楽しくやってるだろうから邪魔しちゃ悪いわ。それに私だって領主って言っても一人の女なの。旦那様見つけて家庭だって気づきたいわ」
「領主なら領主らしく責任もって振る舞えって言ってんだよっ!」
あぁ、頭が痛い。
魔物というのは皆美女の姿をしている上に男にとっては抵抗しがたい魅力を備えている。さらには生まれながらにして誘惑する技術を本能で得ているのだから人間からしてみれば男にとっても女にとってもやっかいなことこの上ない。
「何よ、もしかして羨ましかったの?」
「っ!」
「あら、赤くなっちゃって意外と初なのかしら♪」
「うるせぇ!」
本当にやっかいなことこの上ない。
美人で蠱惑的で、盛んで積極的で真っ直ぐで―
―あることに対して敏感なのだから。
「ああ、ったく、ともかくだ、ユウタ君」
領主を突き飛ばして俺様は再び眼下の光景へと視線を向けた。彼は小さく息を吐き出し俺様と同じ所へ視線を向ける。
もう跡形もなくなった街の姿。もう生活なんてできない水没した街の跡。
そして、俺様が見せたかった事実。
「俺様がここに連れてきたのは他でもねぇ、この事を知ってもらいたかったんだ」
「…このこと」
「ああ、そうだ」
水流に流される街並み。崩れていく建物。渦巻く並に飲まれる木材。今ここに一つの街が姿を消した。地図上からもやがて消されることだろう。
そして街に住んでいた住民は全てが魔界に用意された街へと移動した。皆は既に新しい家で新しい生活を送っていることだろう。
街を壊す。魔物を逃がす。
これが、全て俺様一人でやったことだ。
「魔物を逃がすって事はあの王国に取っちゃ大罪だ。首をはねられてもおかしくねぇ、それ以上にひどいことをされちまう」
だけど、と言葉を続ける。
「俺様と一緒に魔物を助けてくれねぇか?」
ちらりと横目で俺様の事を見て視線を戻す。普段浮かべている笑みは消え、何を思っているのかわからない表情をしていた。
やはりわかりにくい人間だと思う。
別世界の人間同士何か通じるものがあるかと思ったがその底は計り知れない。レジーナ姫様の護衛を務めるというのだからそれ相応の実力があるはずだが強そうには見えないし、勇者の地位を求める欲深というわけではない。
「…なんでオレにその話を?」
「ユウタ君なら俺様を手伝ってくれると思ったからさ」
俺様はユウタ君が信じるに値する男だと思った。
同じ別世界の人間だからではない。あの女嫌いのように残虐非道ではない。魔物嫌いな彼女のように彼女たちを毛嫌いするわけではない。
魔物を人間と同じと捉え、同等に扱える価値観があるからこそ俺様は彼にこの話を持ちかけたんだ。
だがユウタ君は呆れたようにため息をついて癖のある黒髪をかきあげた。
「あのさ、いきなりこんなこと話して良かったの?」
「え?」
「オレが全部バラしたらどうするつもりだったのさ?不用意というか、不用心なんじゃないの」
「…」
「まだまだ相手の素性すらわかってないのにそういうこと話すのって早計だと思うよ」
先ほどの俺様の言葉で返された。
正しくそうだろう。そう思うのも仕方ないことだ。彼がこの世界に来て、俺様達が関わりを持ってまだ三ヶ月少々しか過ぎていない。その中で共に過ごした時間は長いとはいえても深いとは言えない。
だが、それでもユウタ君なら応えてくれるという確信は俺様にはあった。
「いや、ユウタ君。俺様こうみえても人を見抜く力はあるんだぜ?そりゃもうレジーナ姫様にも負けなくらいに」
「毎回ナンパしてるから?」
「…なかなかキツいこと言うな」
この青少年、案外言葉に刺がある。いや、言われる俺様自身のほうが大問題なんだけど。
俺様とユウタ君、どちらが正しいかと聞かれれば彼になる。まだ俺様は彼の人柄を全て理解した訳じゃないし、裏切らないという保証はない。人を見抜く力があるとは言ったものの彼の本質を知ったわけじゃない。
「ちなみにオレが裏切ったらどうするつもりだったのさ?あの国じゃ裏切ったら極刑どころじゃすまないでしょ。たぶんレジーナもあの人も殺しに来るんじゃないの?」
「…」
ユウタ君があの人と言ったのはきっと女嫌いの事だろう。
魔物であろうと王族であろうと聖職者であろうと構わず毛嫌いするあの男性。女性であれば殺すことを躊躇わず、むしろ嬉嬉として殺戮をする。女性に荷担したものであれば同様に刃を向けてくるかもしれない。
その実力はあの国で俺様を含めた、たった四人しかなれない勇者の地位にいるほどのもの。たった一人でも国一つを傾け、一軍とやりあうことのできる戦力を有する。
正しく兵器。
あれとやりあうことになったら無事では済まない。いや、命を落とす可能性の方が大きい。同じ勇者と言えあれは俺様とは一線を画するのだから。
だが…。
「そんなこと、覚悟してるに決まってるぜ」
例えユウタ君が裏切って俺様が狙われることになろうとも俺様はこの行為をやめることはない。
力あるものは弱者を守る盾とならねばならない。
地位あるものは力なきものを導く先導者とならねばならない。
人としての在り方から、力を持つ者の責任から、地位ある者の生き方から俺様は逃げてはいけない。
「殺されてもいいと?」
「何の罪もない可憐な花たちを散らすのは男のやることじゃねぇぜ」
「男の、ね…」
意味深に俺様の言葉を繰り返す。何を思っているのか察することはできそうにない。ただまっすぐ眼下の景色を眺め、ユウタ君は小さく息を吐き出した。
「いいよ」
そして紡いだ言葉は呆気ない一言だった。
あまりにも簡単で単純な返答に一瞬面食らってしまう。だが実際その答えで何が変わるか彼はわかっているはずだ。短い言葉だがその言葉に命がかかるということを理解しているはずだ。
「…いいのか?ディユシエロ王国を裏切ることになるんだぜ?」
正直に言えば嬉しい。こんな提案に乗ってくれて喜ばしい。
だが素直に喜べないのは一歩間違えれば極刑は免れないほどの事態だからだ。誰かに知られれば即殺されることもある。この決定はあの王国での安全を放棄することとなる。
だがユウタ君はどうもしない。恐れるわけでも嘆くわけでも、興味すらなさそうに言った。
「別に。オレは今レジーナの護衛やってるからレジーナを守る以外の事を制限なんてされてないよ。魔物を殺せなんて命令一度だって受けたことないし」
ディユシエロ王国王女の護衛という役職上俺様達勇者や騎士達のように魔物の殲滅を任されることはまずない。第一に命がけで対象を守ることであり、守り抜くことが全てである。ならそれ以外を制限するほどあの王国はお固くないということだろうか。
それに、と続けてユウタ君はにぃっと普段のように笑みを浮かべて俺様を見た。
「オレを裏切らないって信じて話してくれたんならその誠意に応えるべきなんだろうって思ってさ」
その言葉と笑みに俺様は確信する。
やっぱり俺様の目は間違っていなかった。彼は俺様の期待に応えてくれる人材で、頼りになってくれる逸材だ。あの王国でそういない異色の存在であり、魔物たちの助けとなってくれるだろう。
そして行く行くは……きっと、俺様の事も……。
「へへへ、済まねぇな」
俺様は感謝の意を込めながらこれからよろしくという意味で手を差し出した。だがユウタ君は軽くその手をはたく。痛みはない。だがその行為に俺様は言葉を失った。
ここまで来て拒絶されるのか。不安な気持ちを胸に抱くがそうではなかった。
「男だったら、こうでしょ」
そう言ってユウタ君は拳を突き出した。俺様よりも年下なのに拳は一回り大きく骨ばった印象のある拳。それは岩のように固そうで、その分覚悟が染み込んでいそうなものだった。
それでも表情には同年代の友人相手に浮かべるような親しげな笑みを浮かべている。
「…だな」
その笑みにつられて笑い、俺様はその拳に自分の拳をぶつけるのだった。
まるで洪水の後のありさま。だがここは海に面してないし、川も氾濫するほど大きなものはない。大雨だって降ったわけじゃない。
自然災害によるものではなく人間の手によるもの。
それも、俺様の手によるものだ。
「…」
何度やっても慣れるもんじゃない。
何回やっても慣れていいものじゃない。
人の住み場所を壊すというのは命を救うためだとはいえ、こんなことに慣れたらそれこそ人間として終わりだろう。
俺様は隣で眼下の景色を見る魔物を見た。
背中から蝙蝠の様な翼が生え、角や尻尾まで生やした女性。見目麗しく誰もが美女と呼ぶ容姿をした彼女はサキュバスと呼ばれる一般的な魔物であり、今流されていく街の領主だ。
彼女は崩れ去る建物を寂しげに見つめている。当然だ、今まで自分が治めてきた街なのだから俺様には想像できないほどの愛着があったに違いない。それを生きるためとはいえ手放すことになるのだから抱いた哀傷は計り知れない。
そんな彼女に俺様は小さく呻くような声で言った。
「本当に済まねぇな…」
「何言ってるの。それはこっちのセリフだわ。私たち皆の住む場所を魔界に手配してくれたし、それにこれだけのお金も貰っちゃってるし、貴方には感謝しているのよ」
そう言った彼女の手元には俺様が報酬として貰っていた金貨の入った袋がある。それだけあれば遊んで暮らすこともできるだろうし、行き場を失った彼女たちにとっても十分な助けとなってくれるだろう。
だからと言って俺様の罪悪感が消えるわけじゃない。
「…それでも」
俺様にもっと力があれば。
この街だけじゃない、魔物という存在を、魔物と共存する人間を…あの王国から、教団から守る力があればこんなことにはならなかった。
魔界にいる知り合いに頼んで彼女たちの住まう場所を手配してもらい、こことは別の場所へと避難させる。そして俺様はこの街を消し去り、王国には勇者としての務めを果たしたと報告する。
それが今できる俺様にとっての最善のこと。
「…本当に、済まねぇ」
何度呟いてもそれは許されざる懺悔だった。
眼下に広がる街並みは既に水流に押し流されただの瓦礫と変貌していた。誰があそこに済んでいたと思えるだろうか、そう思えるほど木々は散り、壁は砕け、屋根は押し流されていた。
これこそが俺様の仕事。
勇者としてなさなければならない義務。
そして、力を持つものの責任。
「なぁ」
俺様は隣に立っていた真っ黒な服を着込んだ青少年に声をかけた。
特徴的なのはあの王国に二人しか存在しない黒髪黒目の姿。夜の闇に染めたような黒髪に、纏っている服まで同じ黒色。そして闇を押し固めたような瞳をもった俺様よりもたぶん一回りは年下だろう男性。
そして、俺様とあの女嫌いと同じ、別世界からの人間。
「ユウタ君」
俺様の声に彼は反応しなかった。いや、できなかったのだろう。
眼下に広がっているのは平和な日常とかけ離れた光景。死人は出ていなくともその破壊行為はあまりにも壮絶すぎるものだ。今までこのような出来事に無関係だった人間だったらこの反応も仕方ないだろう。
俺様も昔は似たようなものだった。
なぜなら俺様も彼同様にこの世界の人間ではないからだ。
「これが俺様達のしなきゃいけないことだ」
俺様は何も言わないユウタ君の前に立って言った。
勇者として、国の希望として、俺様達は魔物を殺さなければならない。
皆が美女の姿をした魔物。それは人間となんら変わらない声や外見をしているものばかりだ。中には異形な姿や一つ目のものもいるが誰もが人間に対して友好的である。
だがディユシエロ王国は、教団はその存在を否定している。この世界から一匹残らず消し去ることを目的としている。
いてはいけないと剣をふるう。
あってはならないと魔法を使う。
存在など許さないと殺しにかかる。
それは大人でも子供でも、魔物に関わった人間すら同じく当てはまる。
故に俺様達はそいつらを殺すことが仕事であり、このように街を破壊することが使命であった。
「だけどな、ユウタ君」
だからと言ってはいそうですかなんて頷けるほど俺様は狂っちゃいない。
「俺様達は力を持ってる。街一つをぶちこわせる力があるなら街一つを救える力でもあるはずだ」
握りしめた拳。手のひらに刻まれているのは独特の形をした十字架。それは紛れもない勇者という証。あの王国に召喚され選ばれた証拠だ。
「力は殺すために振るうことは正しいとは思えない」
宿っているのは退魔の力。
「力は守るために振るうことこそ正しいはずだ」
魔物を殺すために備わった力。
「大きな力を持った奴は軽々しく振るっちゃいけねぇ。力を持つ者にはそれ相応の責任を背負わされるからだ」
殺すことができるのなら、活かすこともできるはず。
強大な力だからこそ使い方を間違ってはならない。
理不尽に振るうのではなく、暴虐の限りを尽くすのではなく、正しい使い方をしなければならない。
それが力を持った者の責任だ。
「だから俺様達は責任を果たさなきゃいけねぇ」
王族が国を支える義務のように。
高貴な者が果たさねばならない責務のように。
高い地位を得た者がそれ相応の道を歩むように。
誤ってはいけない。
踏み違えてはならない。
惑ってはいけない。
「間違っても人の命を軽々しく奪っちゃならねぇ。それが人間じゃない魔物っつう存在でもだ」
力を持ったのなら正しい道を進むべきだ。
「俺様達は奪うんじゃねぇ。生かすんだ」
それが俺様のあるべき姿。それこそ俺様のやるべき行い。
力を持つ者の行かねばならない道。
「あの王国の、教団のやることを否定する。俺様は魔物を救う。それがあの国にとって間違ってると言われても、俺様はやらなきゃならねぇ」
早い話が裏切り行為だ。俺様を勇者として召喚したあの王国に背き、教団という存在に剣を向けることだ。
バレれば殺される。いや、それ以上の酷いことだってあり得る。魔物を平然と殺せと命じる奴らであり、彼女たち魔物もそれにかかわった人間も生き物とすら思わない連中だ。何をされるかわかったもんじゃない。
だからと言って殺戮に手を貸すほど俺様は愚かじゃない。
「死んでいい命はない。奪っていい存在はいない。だから、無慈悲な行いをする教団の目を欺いて俺様は今までこういうことをやってきたんだ」
住人を避難させて街を破壊する。
これだけ崩れた街ならば魔物がいるかどうかを探る連中はいないだろう。それなら教団の目をごまかせ、逃がした魔物を捜索されることはない。そして逃がした住人はどこか別の土地に移ってもらえばいい。教団の目の届かない魔界のどこかへと移り住んでもらえばいい。
本来ならば街を破壊せずに立ち向かうこともできる。現にその力を俺様は持っているはずだ。
だが、何回もできることではない。
向こうも戦力をそろえてくる。俺様と同じ勇者や兵器に魔法とありったけの力を向けてくる。それ以前に一つの街を守っているだけでは他の街まで守りきれない。最悪守りきれずに街の住人共々俺様も殺される。
だからこそ、あの王国内で勇者となった。
勇者となればたった一人で魔界へ赴くことができる。軍隊は必要ない、勇者一人にその戦力が備わってるからだ。
だからこそ、欺ける。
俺様が街を壊し、その証拠を持ち帰り報告すればその街はそれでおしまい。逃げた魔物の捜索も行われない。地図から街が消え去るが誰も犠牲になることはない。次の標的となる街を言い渡されればまた同じ事を繰り返す。
そうすれば何度も何度も救うことができる。
誰も殺さず活かすことができる。
「なぁ、ユウタ君」
俺様はユウタ君の手を取り瞳をまっすぐに見据えた。見れば見るほど吸い込まれそうになる闇色の瞳が街の景色からこちらを向く。
「俺様に、力を貸して―」
そこまで言って言葉が止まる。
手を取った別世界の人間は眼下の景色を眺め、俺様の言葉を聞いて、そして無言でこちらを見上げていた。
というか、目が点になっていた。
「…ユウタ、君?」
「…すいません、どちら様ですか?」
敬語にまでなっていた。
「え?ちょっと…何言ってるのユウタ君」
「いや、すいません。似た人を知っているんですがその人とんでもない女誑しなんで…えっと、オレは黒崎ゆうたです」
「いや、俺様アイルだけど」
「アイルって言うんですか。奇遇ですね、オレの知り合いと同じ名前だ」
「同じも何も本人だぜ、ユウタ君」
「…いや、嘘でしょ」
「何を思ってその発言?」
すごい胡散臭いものを見るような眼差しでこちらを見てくる黒髪黒目の青少年。普段は笑ってばかりだったからかそういう表情をされるとより精神的に響いてくる。
どうしてそんな顔をしているんだろう。俺様はそんな顔されるほど嫌な奴をしていただろうか。
「いや、だって…こんなのアイルじゃないって」
「嘘も何も本人だから。そりゃ普段とやってること違うけど俺様、アイルだから」
「え〜」
まだ怪訝そうな表情でこちらを見つめるユウタ君。だがそうなるのも今までの俺様の言動からしてみれば仕方ないかと後悔する。
召喚されたディユシエロ王国では女の子口説いておちゃらけてばかりだった俺様。かわいい子ちゃんを隣に侍らせているのが常であり、王宮のメイドや姫様を口説くのが日常だ。
そのせいでレジーナ姫様には何度か殺されかけたが。
「この前もナンパしてるような人の台詞とは思えないね」
「そ、そりゃしてたけどよ…でもナンパしてるからってそんな人間だと決めつけるのは早計だぜ」
「でも事実じゃん」
「…」
その一言にはさすがの俺様もイラっときた。いや、言ってることは全てユウタ君が正しくてただの図星なのだが。
だが俺様は知っている。この人畜無害そうな青少年だって俺様とあんまり変わらないことを。
「あーあーそれなら言ってやるけどよ!ユウタ君だって生涯不犯であるはずのシスターさんを口説いたって聞いてるぜ!?」
「シスター?それってヴィエラの事じゃないの?護衛役として一緒にいたから今でも話すだけだよ」
「だったら聖女様は?男子禁制の大聖堂に通って聖女様との逢瀬を楽しんでるって話だぞ!?」
「…確かに大聖堂で会ったけどさ、通ってはないよ。初めの頃王宮の食堂がどこにあるかわからなくて入ったぐらいだしさ」
シスターに聖女様。
どちらもあの王国における大切な存在で汚れることなど許されない生涯独身、鉄の規律を背負った女性だ。本来ならば男性と話し込むことすら許されず、聖女様に至っては何人たりとも侵入を許されない女のみの大聖堂の奥の部屋でしか会えないはずだというのに。
さらには一国の王女であるレジーナ姫様すら興味を持っている。あれがただ興味あるだけだとは言い難い。興味なんて軽いもんじゃない、もっと重要で深い感情を抱いているとしてもおかしくない。
一国の姫に重要人物に聖職者とは。この青少年、俺様が考えている以上にやるのかもしれない。
「ともかく片っ端からメイドさんやらシスターやら口説いてる人に比べりゃマシだと思うんだよね」
「ユウタ君自分の事棚に上げるんじゃねぇぜ」
「歯の浮くような台詞言いまくってるのによく言うよ」
「んん?俺様のどの台詞で歯が浮くんだ?」
ユウタ君は俺様の服を引っ掴むと顔を寄せた。
ぐいっと近づく異国の顔立ち。それから特徴的な闇色の瞳。何度も思ったが見つめ続けると吸い込まれそうな不思議な感覚に陥る。それは瞳の色のせいか、それとも底の見えない性格ゆえのものか。
じっと見つめてくると彼は顔をさらに近づけ俺様の耳元でそっと囁いた。
「俺様、君のこと好きになっちゃいそう…」
ぞくっとした。
確かにその一言は俺様が以前に言ったことだ。だが彼には縁のないような言葉であり、さらには普段とちょっと声色を変えて囁かれた。普段を知っている俺様からすればこんな声を出せたのかと思うほどでありたまったもんじゃない。
その一言で俺様の思考は停止した。
「うふ♪そんな大胆な告白するなんて素敵ねぇ♪思わず私が好きになっちゃいそう」
「え?いや、これアイルが言ってたことなんですけど」
「でも貴方もいずれその言葉を言える相手が欲しいんじゃないかしら?」
「いや、別にオレはそんなこと言いませんし」
「私だったら言われてみたいわ♪」
「お姉さんぐらいの美人なら絶対に言ってくれる男性が現れますよ」
「あら、それなら貴方は?」
「…ん?」
「私、領主だからって皆と平等に関わりを持つんだけどそのせいで特別な人に出会えてないの。だからね、今だけでもいいから…ね♪」
「ためし程度でこんなこと言っていいもんじゃないと思うんですが」
「あら、それじゃあ本気になれば言ってくれるのかしら?」
「いや、オレらは初対面ですからそういうのは気が早いと言いますか相手の事を知らな過ぎると言いますか…」
「誰だって最初は初対面よ。互いの事なんてこれから知っていけばいいじゃないの。なんなら、今ここで貴方を知りたいわ…♪」
「いや!ちょっと!ま…アイル!アイル!!」
「…はっ!」
呼ばれる声に思考が戻ってくる。声のする方を見ればユウタ君がこちらへ助けを求めるように手を振ってる。そして隣には誘惑しているのか襲いかかってるのかしなだれかかるサキュバスの姿が。
「な、何してんだよっ!」
大慌てで引っ剥がすと彼女は残念そうにユウタ君を見つめ俺様を睨みつけてきた。
「あん、いいとこなのに邪魔しないでよ」
「あんた領主だろ!領主だったらさっさっと皆のところ行ってこいよ!」
「大丈夫。皆新しいお家で楽しくやってるだろうから邪魔しちゃ悪いわ。それに私だって領主って言っても一人の女なの。旦那様見つけて家庭だって気づきたいわ」
「領主なら領主らしく責任もって振る舞えって言ってんだよっ!」
あぁ、頭が痛い。
魔物というのは皆美女の姿をしている上に男にとっては抵抗しがたい魅力を備えている。さらには生まれながらにして誘惑する技術を本能で得ているのだから人間からしてみれば男にとっても女にとってもやっかいなことこの上ない。
「何よ、もしかして羨ましかったの?」
「っ!」
「あら、赤くなっちゃって意外と初なのかしら♪」
「うるせぇ!」
本当にやっかいなことこの上ない。
美人で蠱惑的で、盛んで積極的で真っ直ぐで―
―あることに対して敏感なのだから。
「ああ、ったく、ともかくだ、ユウタ君」
領主を突き飛ばして俺様は再び眼下の光景へと視線を向けた。彼は小さく息を吐き出し俺様と同じ所へ視線を向ける。
もう跡形もなくなった街の姿。もう生活なんてできない水没した街の跡。
そして、俺様が見せたかった事実。
「俺様がここに連れてきたのは他でもねぇ、この事を知ってもらいたかったんだ」
「…このこと」
「ああ、そうだ」
水流に流される街並み。崩れていく建物。渦巻く並に飲まれる木材。今ここに一つの街が姿を消した。地図上からもやがて消されることだろう。
そして街に住んでいた住民は全てが魔界に用意された街へと移動した。皆は既に新しい家で新しい生活を送っていることだろう。
街を壊す。魔物を逃がす。
これが、全て俺様一人でやったことだ。
「魔物を逃がすって事はあの王国に取っちゃ大罪だ。首をはねられてもおかしくねぇ、それ以上にひどいことをされちまう」
だけど、と言葉を続ける。
「俺様と一緒に魔物を助けてくれねぇか?」
ちらりと横目で俺様の事を見て視線を戻す。普段浮かべている笑みは消え、何を思っているのかわからない表情をしていた。
やはりわかりにくい人間だと思う。
別世界の人間同士何か通じるものがあるかと思ったがその底は計り知れない。レジーナ姫様の護衛を務めるというのだからそれ相応の実力があるはずだが強そうには見えないし、勇者の地位を求める欲深というわけではない。
「…なんでオレにその話を?」
「ユウタ君なら俺様を手伝ってくれると思ったからさ」
俺様はユウタ君が信じるに値する男だと思った。
同じ別世界の人間だからではない。あの女嫌いのように残虐非道ではない。魔物嫌いな彼女のように彼女たちを毛嫌いするわけではない。
魔物を人間と同じと捉え、同等に扱える価値観があるからこそ俺様は彼にこの話を持ちかけたんだ。
だがユウタ君は呆れたようにため息をついて癖のある黒髪をかきあげた。
「あのさ、いきなりこんなこと話して良かったの?」
「え?」
「オレが全部バラしたらどうするつもりだったのさ?不用意というか、不用心なんじゃないの」
「…」
「まだまだ相手の素性すらわかってないのにそういうこと話すのって早計だと思うよ」
先ほどの俺様の言葉で返された。
正しくそうだろう。そう思うのも仕方ないことだ。彼がこの世界に来て、俺様達が関わりを持ってまだ三ヶ月少々しか過ぎていない。その中で共に過ごした時間は長いとはいえても深いとは言えない。
だが、それでもユウタ君なら応えてくれるという確信は俺様にはあった。
「いや、ユウタ君。俺様こうみえても人を見抜く力はあるんだぜ?そりゃもうレジーナ姫様にも負けなくらいに」
「毎回ナンパしてるから?」
「…なかなかキツいこと言うな」
この青少年、案外言葉に刺がある。いや、言われる俺様自身のほうが大問題なんだけど。
俺様とユウタ君、どちらが正しいかと聞かれれば彼になる。まだ俺様は彼の人柄を全て理解した訳じゃないし、裏切らないという保証はない。人を見抜く力があるとは言ったものの彼の本質を知ったわけじゃない。
「ちなみにオレが裏切ったらどうするつもりだったのさ?あの国じゃ裏切ったら極刑どころじゃすまないでしょ。たぶんレジーナもあの人も殺しに来るんじゃないの?」
「…」
ユウタ君があの人と言ったのはきっと女嫌いの事だろう。
魔物であろうと王族であろうと聖職者であろうと構わず毛嫌いするあの男性。女性であれば殺すことを躊躇わず、むしろ嬉嬉として殺戮をする。女性に荷担したものであれば同様に刃を向けてくるかもしれない。
その実力はあの国で俺様を含めた、たった四人しかなれない勇者の地位にいるほどのもの。たった一人でも国一つを傾け、一軍とやりあうことのできる戦力を有する。
正しく兵器。
あれとやりあうことになったら無事では済まない。いや、命を落とす可能性の方が大きい。同じ勇者と言えあれは俺様とは一線を画するのだから。
だが…。
「そんなこと、覚悟してるに決まってるぜ」
例えユウタ君が裏切って俺様が狙われることになろうとも俺様はこの行為をやめることはない。
力あるものは弱者を守る盾とならねばならない。
地位あるものは力なきものを導く先導者とならねばならない。
人としての在り方から、力を持つ者の責任から、地位ある者の生き方から俺様は逃げてはいけない。
「殺されてもいいと?」
「何の罪もない可憐な花たちを散らすのは男のやることじゃねぇぜ」
「男の、ね…」
意味深に俺様の言葉を繰り返す。何を思っているのか察することはできそうにない。ただまっすぐ眼下の景色を眺め、ユウタ君は小さく息を吐き出した。
「いいよ」
そして紡いだ言葉は呆気ない一言だった。
あまりにも簡単で単純な返答に一瞬面食らってしまう。だが実際その答えで何が変わるか彼はわかっているはずだ。短い言葉だがその言葉に命がかかるということを理解しているはずだ。
「…いいのか?ディユシエロ王国を裏切ることになるんだぜ?」
正直に言えば嬉しい。こんな提案に乗ってくれて喜ばしい。
だが素直に喜べないのは一歩間違えれば極刑は免れないほどの事態だからだ。誰かに知られれば即殺されることもある。この決定はあの王国での安全を放棄することとなる。
だがユウタ君はどうもしない。恐れるわけでも嘆くわけでも、興味すらなさそうに言った。
「別に。オレは今レジーナの護衛やってるからレジーナを守る以外の事を制限なんてされてないよ。魔物を殺せなんて命令一度だって受けたことないし」
ディユシエロ王国王女の護衛という役職上俺様達勇者や騎士達のように魔物の殲滅を任されることはまずない。第一に命がけで対象を守ることであり、守り抜くことが全てである。ならそれ以外を制限するほどあの王国はお固くないということだろうか。
それに、と続けてユウタ君はにぃっと普段のように笑みを浮かべて俺様を見た。
「オレを裏切らないって信じて話してくれたんならその誠意に応えるべきなんだろうって思ってさ」
その言葉と笑みに俺様は確信する。
やっぱり俺様の目は間違っていなかった。彼は俺様の期待に応えてくれる人材で、頼りになってくれる逸材だ。あの王国でそういない異色の存在であり、魔物たちの助けとなってくれるだろう。
そして行く行くは……きっと、俺様の事も……。
「へへへ、済まねぇな」
俺様は感謝の意を込めながらこれからよろしくという意味で手を差し出した。だがユウタ君は軽くその手をはたく。痛みはない。だがその行為に俺様は言葉を失った。
ここまで来て拒絶されるのか。不安な気持ちを胸に抱くがそうではなかった。
「男だったら、こうでしょ」
そう言ってユウタ君は拳を突き出した。俺様よりも年下なのに拳は一回り大きく骨ばった印象のある拳。それは岩のように固そうで、その分覚悟が染み込んでいそうなものだった。
それでも表情には同年代の友人相手に浮かべるような親しげな笑みを浮かべている。
「…だな」
その笑みにつられて笑い、俺様はその拳に自分の拳をぶつけるのだった。
14/04/20 22:20更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
戻る
次へ