連載小説
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命懸けの背中
「…いいでしょう。その意気込みだけは評価してあげます。だが」

服についていたステンドグラスの破片を払い落とすとこちらを見据える聖職者。その視線の先にいるのは私たちであり、一人の男の姿。この国では見られない黒髪黒目の、闇色を纏った存在。

「貴方は特に、罪深い……神に選ばれていながら魔物の方へと寝返るとは愚かにも程がある」
「…」
「貴方たち三人、この場で滅して差し上げます。リリムだろうがドラゴンだろうが、別世界の者だろうが、貴方たち三人は罪深き存在。神は申しております。『存在することすら罪である』と」
「はっ」

ディオースの言葉にユウタは馬鹿にしたように鼻で笑って手を振った。やれやれと呆れた様子で視線を投げかけ面倒くさそうにため息をつく。

「神様は随分と勝手なことで…」

ユウタは両手を上げて首をかしげた。神など信じていない、なんともつまらぬことだと言わんばかりの態度だ。
その態度は聖職者には一番腹立たしいことだろう。現にディオースのこめかみには青筋が浮いている。
だがそんなこと気にせずにユウタは平然と言葉を続けていく。

「わかんないねぇ。人の気持ちを無視して結婚式を祝福するのが神様なのかよ?神様の祝福っていうのはもっと幸せ溢れるもんだと思ってたけど」
「神に祝福されること自体が幸せなのです。神の祝福こそ、我らディユシエロ王国における全ての者が望む幸せ。そしてこの婚姻はディユシエロ王国をより強くするための婚姻。どちらもこの国になくてはならぬものであり、神も望むものです」
「そこに気持ちがなくても?」
「感情など二の次でしょう?」
「勝手どころか最低だ」
「その神に逆らう貴方こそ最低というのです、愚か者よ」
「まぁ、そんな神様こっちから願い下げだけど…それ以前に」

私たちからは背中しか見えないがきっとユウタは睨みつけていたのだろう。闇色の黒い瞳で。

「レジーナが泣くほど嫌がった」

ユウタは拳を握り締めた。
固く、固く、何ものにも砕けぬ鋼の如く。
強く、強く、全てをも貫く鉾の如く。
そして言った。

「そんなやつ、許せるかよ」

その言葉に背筋がぞくりとした。
恐怖ではない、慄く心でもない。私のことを想ってくれるその感情に体は反応した。
胸の奥が切なくなり、下腹部に欲望を混ぜた熱が灯る。心臓が一際跳ね上がり、思わず口元が緩んでしまう。

「ふふん♪」
「…」

隣で羨ましそうにフィオナが見ているがそんなことは関係ない。
周りには骸の如く横たわる騎士達で埋め尽くされているがどうでもいい。
目前ではディオースへユウタが命懸けの戦いを挑んでいるがそれでも私は嬉しさを隠しきれなかった。

「神は申しております…『愚か者』と」
「それしか言えないのかよ?まったく、こりゃとんだ疫病神だ」
「愚か者の話す言葉など聞く耳はありません。迅速に私に、神に浄化されてください」
「じゃ、もう話すのはやめだ」
「いいでしょう」

ユウタは腰を落として足を開いた。それでいて前傾姿勢になり拳二つを腰に添える。それは私に見せたものとは違う構え。防御と回避に重点を置いたものではない、攻撃のためのもの。

「ぶん殴る」
「浄化して差し上げます」

その瞬間、二人はその場から飛び出し、激突し合う。女の入る余地のない激戦の火蓋は今切って落とされた。






二人の様子を私達は離れたところで眺める。拳が振るわれるさまを、十字架を向けられるさまを、聖水が飛び、身を翻し足で凪ぐその様子を見つめ続ける。
ただ、見ているだけ。
隣で飛び出そうとするフィオナを止めながら。

「何するのよっ!」

血のように真っ赤な魔性の瞳が向けられる。その中では怒りの感情を宿して。

「なんで助けにいかないの!?私たちも一緒になればあれぐらい」
「余裕で勝てる、か?」
「そうよ!」

押さえつけているフィオナの言葉に私はため息をついた。

「…お前は男が任せろと言った戦いに水を差すのか?今ユウタが戦っている理由はなんだかわかってるのか?」
「そんなの私達を守るため、でしょ?」
「正確には私達ではなく私だ。だが、戦いに出て行ってどうなる?ただでさえここは王国でも数少ない神聖な教会だ。魔物になった私であってもリリムのお前であってもこうしていること自体奇跡と言っていい」

私が騎士達を相手できたのも運が良かったといって言いだろう。この建物内で魔物が生存していることなど本来できないことだし、並の魔法使いの魔力すら退けられる。こんな場所だからこそ魔物が訪れることは絶対にないと断言できた場所なんだ。
ドラゴンの私。
リリムのフィオナ。
どちらも魔物の中で高位に位置する強大な存在。そのようなものだからこそ私達はこうして形をとどめていられると言っていい。

「現に私達は今弱ってる。目眩がするし、立っているだけでもそうとう体力を消費する。そんな状態で出て行って何を助けられる?私たちが足でまといになるだけだろう?」
「……で、でも」
「それに」

一番重要なことはここが教会ということじゃない。



ユウタが自分に任せてくれと言ったことだ。



男が任せろとまで言ったことに女が手を出すわけにはいかない。例え私とフィオナが加わって事が容易く運ぶこととなろうとも、私が手を出して事が無傷で済もうとも、それはユウタの覚悟を蔑ろにする行為となる。

「私達はこの戦いに手を出してはいけない」

この体が戦いへと赴きそうになっても。
この手が剣へと伸びてしまいそうになっても。
この心が彼に傷ついて欲しくないと思っても。

男が決めた覚悟を、それも女を…私を守ると決めた覚悟を踏みにじることなどできようか。

「だから…耐えろ」

歯を食いしばって、爪が食い込むのも構わずに腕を握り、動きそうな体を無理やり押さえつけてその場に立ち尽くす。
フィオナへの言葉は自分への言葉。言い聞かせるように紡いでは湧き上がる感情を押し殺そうと噛み締める。

「…」

なにか言いたげな表情で見つめてくるフィオナを隣に私はただユウタの背中を見つめ続けた。



―そう、背中を。



そもそもユウタは最初から私達を庇うつもりで戦っている。庇うのならば傷一つ付けることなく守りぬき、戦い抜く。
私達を庇う上で一番都合のいい場所はどこか。
私達を守る中で最も戦いやすい位置はどこか。
そんなこと、戦いに通じていない者でも分かることだろう。
すなわち。

私とフィオナの前―ディオースの前

つまり、私たちが立つ位置とユウタのいる場所。そしてディオースが攻撃を仕掛けた所。その三つは一つの線で結べるということ。
ディオースがここで飛び道具でも使おうものなら、ユウタがその攻撃をかわそうものなら、それは私達へと向かうこととなる。

「その身に受けよっ!」

それをいいことにディオースはありったけのナイフを投げつけてきた。
腕を狙って。頭に向かって。
体へ定めて、心臓を刺し貫こうと。
どれも聖水が毒のごとく塗られた銀の刃。私たち魔物にとっての猛毒となる武器だが人間であるユウタにとって無害であっても危険であることに変わりない。魔物に対する武器以前に触れれば斬れる刃なのだから。



だが、ユウタは引かない。



どこを狙われるのかわかっているのか、どこへ投げられたのか知っているのか。
まるで私と稽古をしたときと同じように我が身に迫る危機を読み取り行動する。ナイフが刺さる寸前で叩き落としては触れる前に受け止める。
指で、拳で、足で、つま先で。
弾き、逸らし、受け止め、落とす。



そして、進む。



ナイフを投げられているにも関わらず足を一歩ずつ踏み出していく。落ちたナイフを蹴飛ばして、飛び交う刃をものともせず、着実に距離を縮めていく。
武器を使わず、魔法の使えないユウタ。殴るにも腕が伸びるわけではない故にまず距離を縮めることが大前提だ。
だが、縮められれば後は決まったようなもの。
対して神の声を聞き入れ、その力を使役するディオース。魔を退ける能力を宿したそれは魔物には絶大な効果を発揮するが、魔物でない人間には意味をなさない。
それをわかってあの男もナイフを投げつけているのだろうが、私と稽古をしてきたものが今更ちんけな刃で止められるはずもない。

「ふっ」

二本同時に弾いた次の瞬間、ユウタは一気にディオースの懐に潜り込む。それと同時に右腕を引き絞った。

「歯ぁ食いしばれっ!!」

ガントレットをつけた拳の一撃。そんなものを鎧もつけない人間が受ければ大怪我をする。そして、結婚式に臨んでいた聖職者が服の下に鎧なんてものをつけているはずもない。

「か、神よぉぉぉおおおっ!」

もはや悲鳴に近い叫びが教会内に木霊する。戦いに臨んだ男にしては情けないとしか言えないのだがそんなこと容赦なくユウタは握った拳を振り抜いた。
鈍い音が響き渡る。
それと同時に赤い液体が噴出した。

「!?」
「っ!」

拳による打撃での出血にしてはあまりにも多い量の液体があたりに飛び散る。
だが驚いたのはそこではない。
今さっき殴られたディオースが顔を抑えながら笑みを浮かべているのと、殴ったユウタが顔を抑えていることだった。

「か、神に唾吐く愚か者め……」

口の端から血を垂らし。

「神に唾吐けば自ら被ることとなり」

揃っていた歯は隙間ができ。

「神に弓引けば自らに矢が刺さることとなる」

傷のなかった肌は色を変え。

「神に歯向かうとはそういうこと…」

それでも、不敵に笑う。

「自らが犯した愚行を呪えっ!!」

青白く光る十字架を掲げた聖職者は殴られた部分を拭いながらも負けを認めた表情ではなかった。むしろ、相手を罠にはめたと得意げな表情を浮かべている。

「え?え?ねぇ、今なにが起きたの!?レジーナ、ねぇ!?」

その言葉の意味を。
あの行いの趣旨を。
私は知っている。

「…くそっ」

唾を吐いても天に届かず、自らが被ることとなる。
矢を放っても神に届かず、自身へ矢が突き刺さる。
それが神へ逆らう愚か者の末路。
それこそが神の声を聞き入れる聖職者の手。
自らに傷が付けば相手にも傷が付き、そこへ退魔の力を持って蹂躙する。絶対的な力を手に圧倒的な浄化を行う。



それがディユシエロ王国で教皇という地位につけた男、ディオース・ネフェッシュ。



殴りつければ自分もともに傷付くこととなる。
かといって逃げ出せば私たちへと刃が向く。
進めば傷を。
引けば犠牲を。
どちらを選ぼうと無事で済む道はない。
正々堂々な勝負事ではない。男らしさも存在しない、最低最悪な男らしくない手段だった。

「外道が…っ!」
「ふはは、どうぞご勝手にお呼びください。神は申しております。『魔物の前ではどのような手段であれ正当化されるものだ』と!!」

ケタケタと狂ったように高笑いする聖職者。神聖さも神々しさもなにもない、哀れなほど愚かで見下げたただの人間の姿。私がさんざん嫌っていた魔物よりもずっと汚らわしい神の使者。
ユウタは動かない。
私達は動けない。
この状況で動けるのはあの聖職者のみ。

「貴方はこれで私を殴ることはできないっ!これで貴方は逃げ惑うしかできないっ!神に背いた愚か者どもよ、存分に逃げまわれっ!」

両腕を広げ、教会内に通る声が響き渡った。
絶対に揺るがない勝利を確信した声色。だがそれはどんな勝鬨よりも耳障りな騒音と大差ない。はて、これほどまでに聞いていられないものだったかとこんな状況なのに疑問に思う私がいた。
隣のフィオナを見ると苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべている。なりたての私にはまだ理解が追いつかないが、どうやら魔物からしてもあまりいい印象は抱けないらしい。
しかし、それが主神の意志。
それが、この王国のあり方。
それこそ、正義というものなんだ。

「すぐさまその背を刃で貫き神の元で裁きを―」

殺意を込めた刃を握り直した次の瞬間、鈍い音が響いた。

「!!」
「っ!」
「!?」

その一撃は重い打撃だったのかバランスを崩したディオースは絨毯の上に手をついた。
遅れて殴った者の右肩が十字に裂け、血が吹き出した。

「…で?」

それでもユウタは止まらなかった。

「ごちゃごちゃうるさいんだよ。怪我するからって何だ?それぐらい覚悟決めてるに決まってるだろうが」

肩を回し、腕をしならせ、準備運動を改めてやるような気軽さでユウタは体をほぐしていく。

「たかだかこの程度でなんだ?これで神罰だとでも言うつもりかよ?この程度なら師匠の傍にいるほうがずっと痛かったし、もっと辛いんだよ。それ以上に―」

再び拳を握り直して。

「レジーナを殺そうとしておいて…黙ったままでいられるかぁっ!!」

また、打ち抜いた。

「ぐぅっ!!」

今度はディオースの腹。みぞおちを正確に狙った強力な一撃。あまりの力に一瞬足が離れるほどだった。
だが、拳が離れた次の瞬間肌の避ける音と共にユウタの服から液体が溢れ出す。黒い服ではわかりにくいがそれは確かに真っ赤な血液だった。

「…っ」

流石に今度ばかりはダメージが響いたのか一瞬動きが止まった。
だが、たった一瞬だけ。
次の瞬間にはユウタは拳を握って足を進めていた。
握った拳に踏み出す足。そして痛みに怯まぬ覚悟に私を守ると決めた意志。

「…ユウタ」

私にはわからない。

喜べばいいのか、嘆けばいいのか、わからない。
守られたいとは思っていたがここまでやってほしいわけじゃない。
血みどろになってまで闘う姿は雄々しいと思ったがこんなの気が気じゃない。
手を伸ばして止められるだろうか。
それでは私がユウタの覚悟を踏みにじる。
声を出して応援するか。
それでも私はユウタを止めたいと思ってる。
全く私というやつは…本当に変わってしまった。
悔しさなのか嬉しさなのかわからない筆舌し難い感情を胸に私は拳を強く握りしめて目の前の光景を見つめ続ける。

「あぁああっ!!」

怒声のような声が響いては鮮血が舞う。
殴られ続けている聖職者はいくらダメージを返せるとは言え全てを返せるわけではない。あれほどの攻撃を続ければユウタの身は危険だが、それでもディオースは確実に追い詰められていく。
今度は膝を狙った蹴りが炸裂した。

「っ!」

次の瞬間黒くてわかり辛いが今度は足が裂けたらしい。先ほどの一撃があまりにも強かったのか今度ばかりは動きが止まる。それどころか支えることができなくなり、絨毯に倒れかかった。

「愚か者めっ!」

その隙を見逃すほど聖職者は愚かではない。
膝を付いたユウタを下から蹴り上げる。傷口から血が舞いながら手をつく暇もなく教会の床の上に倒された。

「ぐっぅ」
「なにも律儀に相手をする必要などないっ!神の恩恵を受けるこの場では魔物の方がよっぽど浄化しやすい!」

ディオースは倒れ込んだユウタを踏み、私たちへと標的を変えた。青白く光る十字架を握ったまま振りかぶる。まるで剣のように鋭くなった一端が刺されば私は間違いなく浄化される。フィオナにしても同様だろう。

「ちぃっ!」

反応するも先程の攻防とこの教会のおかげで体がうまく動かない。弾こうにも腕が上がる前に刃が届くのが先だろう。逃げ出そうにも今の状態では容易く狩られる。

「ふんっ」

フィオナはかろうじて紫色に輝く防壁を作り上げるがあまりにも薄い。こんな場所で魔物が魔法を使うこと自体かなりの集中力がいるのだが、できたところで素人以下のものしかできないだろう。
抵抗の手段はない。
逃避の道はない。

「神よ!今貴方の元へ魔物を二匹送ります!

神の声が聞けるからと陶酔した男はそれでも正確に狙いを合わせて私たちへと刃を投げた。
聖水で濡れた銀色の刃。
魔物の魔法など容易く砕く退魔の力。
刺さろうが、切れようが、掠ろうが、あるのは死。

「どうか容赦なき裁きを!」



―次の瞬間、赤い液体が吹き出した。



刺さったのは腕だった。腕の中心から外れ骨は無事だろうが刃は貫通して見ているだけで痛々しいほどだ。
フィオナは驚愕の表情を浮かべている。
私は苦痛に悶えているわけじゃない。
ディオースはその光景に目を見開いた。



刺されたのはユウタだった。



荒い呼吸をしながらも、体中から血を振りまきながらも、それでも私達を守るように立ち尽くす男の姿。荒い呼吸に肩が上下し今にも倒れてしまいそうであっても、力強く立ち塞がる人間の姿。
おそらくガントレットに弾かれて跳躍することを考えていたのだろ。覆えていない部分を鋒に押し付けて投擲を防ぐ荒業をやってのけた。
倒れ込んでいたというのに俊敏な動きはそれを可能にさせた。
傷を負った体だというのにその覚悟は実現させた。

「くそっ!」

慌てて引き抜きその刃で目前のユウタを切り倒さんと振り抜いた。
だがその一撃はあまりにも荒く、あまりにも粗末な一撃。驚愕と焦燥により乱れたそれは容易くよけられてしまうものだろう。
次の瞬間金属と金属の擦れ合う音が響いた。

ユウタが刃を受け止めていた。

私に見せた模擬剣を両手のひらで受け止める技。だが今しているものはそれと違う。
掌で刃を受け止めているのではなく、拳で挟み込んでいる。添えるように受け止めたのではなく、押しつぶさんばかりに力を込めている。

「は、離せっ!」

その力は人間一人に引っ張れるほどヤワなものではないらしくディオースは焦って引き抜こうと試みるがピクリとも動かない。聖水の入った瓶で殴り付けられても、別の十字架で叩かれてもユウタは耐えるように止まったままだ。
何をしても動かない刃。それを拳で挟み込んだユウタは一瞬体を震わせた。



―それは爆発だった。



金属と金属のぶつかり合う爆発音。耳を劈かんばかりの音は大気をも震わせ響き渡る。
それはユウタが二つの拳を力任せにぶつけた音。両側から挟み込んでの拳擊。暴力と暴力で打ち抜いた一撃だった。



―その一撃は、聖職者の掲げる証をへし折った。



銀色の刃はあっけなく砕け絨毯へと破片が散る。一瞬私もフィオナも、そしてあの聖職者も何が起きたのかわからなかった。
だが砕けた十字架の刃と小さく息を吐いたユウタが何を起こしたのか物語っていた。
砕けた破片に挟み込んだ拳が二つ。そして先ほどの爆音。紛れもない破壊のあと。
当然ながら刃は容易く潰れるようなものでできていない。刃としての機能を持ち合わせているので剣と同等の頑丈さがあるはずだ。人間の力なんかで砕けるわけがない。
どこをどうやったのかわからない。見ていても理解できるものではなかった。
おそらくあれは武器折の技だったのかもしれない。模擬剣とはいえ私の一撃を素手で止めたユウタだ、できても不思議ではない。
自身の証が砕かれたことにより慌てたディオースは恐れおののいた。

「馬鹿な…神を崇める十字架が…罪人を裁くための十字架が…!?」

信じたくないことだろうが起きたことは事実。それでも認めたくないのかなんどもなんども聞こえない声で何やら呟く聖職者。流石に退魔の力を込めた十字架を失えば神の声を聞けようともできることなど限られてくるのだろう。
それはつまり、先程のようなことが起こらなくなるということ。傷つけられてもその傷をユウタが負うことなどないということだ。

「チィっ、この……愚か者がぁああああっ!!」

だが、それでも立ち向かう姿は賞賛すべきことだろう。倒れ込んでいる騎士の手から剣を奪い取ると鋒をユウタに向けて踏み出した。
だが、肉弾戦ではあまりにも差がありすぎた。
かすることなく身を翻したユウタは下から抉るように拳を打ち出すとディオースの顔面の中央を捉えた。

「だらぁっ!!」

怒鳴り声にも似た声をあげユウタが力任せに振り抜いた。殴られた聖職者は力に従い後方へと倒される。下の絨毯が倒れた衝撃を吸収するだろうがそれでもダメージは大きいことだろう。
倒れ込んだ聖職者へ向かってユウタは足を踏み出した。

「っと」

散らばった瓶の破片を踏み砕きながら。

「さっきの十字架…やっぱり大事なものだったんだよな?」

のびている騎士達を踏みつけながら。

「もうないんなら、さっきみたいに怪我しなくなるんだろ?なら―」

砕け散った十字架を踏みにじりながら―ユウタは一気に駆けだした。

「まず、一発っ!」

次の瞬間引き絞った腕から目にも止まらぬ速さで拳が打ち出される。

響いたのは爆音だった。

肉と金属がぶつかり合うような鈍い音じゃない。もっと暴力的でもっと破壊的な、常識を越えた一発。砲弾をゼロ距離で打ち込んだかのような、魔法陣を体に刻み込み発動させたかのような、そんな一撃だった。
ディオースの体はその場から無様に飛ばされた。床に体を打ち付けて力の働くままに何度も何度も転がってようやく止まる。

「ぐぁ……がぁああ…っ!?」

自分自身何が起きたのか分かっていない。きっと私もあの一撃を受ければ同じだったかもしれない。
魔法も肉体改造も何も施していないただの人間がガントレットをはめた腕で殴っただけ。だというのに大人一人を吹っ飛ばすその威力。まともに喰らえば無事では済まないことなどわかりきっていた。
だが、その一撃は始まりを告げる一撃であり、終わりではない。
ユウタは地面を蹴って体を回転させ、起き上がっている途中だったディオースに背中を向けた。

「二発っ!」

今度は自分の後ろへと向けて風を切る蹴りを放たれる。

響いたのは炸裂音だった。

回転し、後ろを向いて後方へ放つ蹴り。遠心力と蹴りぬく力を最大限に発揮する体捌きによりまたもやディオースの体は飛ばされた。顎を狙い打つようにして打ち込まれた蹴りによりこれまた後方に、壁に貼り付けてあった十字架に叩きつけられた。

「お、ごぁぁ……っ!?」

苦痛に悶える呻き声。常識はずれの一撃に驚愕する喚き声。
それでも流石教皇というべきかその手は十字架を固く握りしめて離さない。もっともその十字架は既に壊され、退魔の力など消え失せてしまったが。
そこへユウタがゆっくり歩いて近づいてく。私たちからは背中しか見えなく浮かべている表情はわからない。

「んで…三発目」

ディオースから僅かに距離を取り、手の届く位置で足を大きく開いた。腰を沈ませ両腕を伸ばし、小さく息を吐く。
それは誰が見てもわかる構えだった。

「レジーナを、泣かせたこと…歯ァ食いしばって悔やんでろ…っ」

ゆっくりとユウタが二つの拳をディオースに押し付けた。
何をするつもりなのかわからない。拳を引かなければ一撃は放てないし、あれでは近すぎて蹴りも満足に入れられないのではないか。
だが気づく。
あれこそがユウタの隠し持っていた実力の結晶だと。
あの技がユウタが見せなかった大技であると。

「が、神よぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」

その叫び声は救済を求めたものか、それとも最後の悪あがきか。聖職者の言葉に耳を貸す気のないユウタが一瞬、大きく体を震わせた。次の瞬間―



「―『砕』―」



響いたのは轟音だった。



金属と肉体のぶつかり合う音と形容するにはあまりにも無理な音が教会内に響き空気が震える。
その一撃は雷鳴の如く耳を劈き。
その拳擊は断罪の如く体を貫いた。
力は肉体の後ろにあった十字架をも貫き壁に深くヒビを入れ、破片を散らせた。おそらくあれでは隠れて見えないあの十字架にもヒビや傷が入っていることだろう。
単純な暴力と、難解な技術。
その二つをまとめ上げた一撃は誰が見てもわかるぐらいに見た目通りに、文字通りに聖職者を打ち砕いた。

「…っは」

止めていた息を吐き出すとゆっくりと拳が離れていく。支えを失った聖職者は力なく倒れ込んでいった。
両手につけていたガントレットを外すと袖の中から赤い液体が滴った。そんなこと構うことなくガントレットを投げ捨てるとこちらを向くその男。

「終わったよ」

体中から血を流し、今にも倒れてしまいそうなのにからから笑う姿は普段となにも変わらない。
その姿を見て目頭が熱くなる。鼻の奥がつんとして、思わず目に涙がたまってきた。声は震え泣きそうになってしまうがそれでも私は平静を装って言った。

「ふふん…馬鹿者め」
「あ、はは」

そんな状態で一歩踏み出すと案の定ユウタは倒れ込んできた。肌の裂ける激痛と大量の出血で意識は朦朧となっているというのに本当にこの男は大馬鹿者だ。そんな馬鹿を私は抱き寄せた。

「…汚れるよ」
「かまわん」

真っ白な鱗が鮮血に濡れていく。赤く赤く、艶やかに光っては絨毯の上に滴り落ちた。
だが、私を守るために流した血を汚らわしいなんて思うわけがない。体を張り、傷を負うことをためらわず向かって言ったその証をどうして貶すことができようか。

「さっさと傷を治すぞ?そうでないと流石に死んでしまうからな」
「ん…どうやって?」
「こういうときこそ魔法だろう?ただ私は回復や治療の魔法は全く使えんから別の者をたよることになる。そのためにもこの国からはオサラバだ」

後ろにいたフィオナを一瞥する。フィオナは私達を邪魔しないように気遣ってかこちらにはよってこないが私の視線に気づくとぶんぶん首を振った。
どうやらここに治療魔法を扱えるものはいないらしい。
ならばさっさとここではないどこかへと向かうのがいいだろう。転移魔法を用いてジパングへ行くのもいい、フィオナの案内で魔界へ飛ぶのもいい。とにかくユウタの傷を癒せるものがいるところへ行かなければ。

「そっか…ごめん、迷惑かけて」
「何を言っているんだ、馬鹿者が。私を助けるために立ち向かったのに何を遠慮する必要がある?私を守ること自体名誉なことだと教えたはずだぞ?誇らしいことなのだから謝るな」
「そう?」
「ああ、だから今は少し休んでおけ」

両手にかかる重みがユウタの存在を実感させてくれる。一週間前からずっと欲しくてたまらなかったものがいま腕の中にある。
傷を負ってまでも私を守った男の存在は私よりも一回り年下のはずなのに何よりも大きくてそして、何よりも愛おしい。
血濡れた頬を拭うように撫でるとユウタは力なく笑った。

「…なんだかオレ、レジーナに抱き上げられること多い気がする」
「ふふん。そんなことを言うならさっさと私を抱けるぐらいに傷を治すんだな。」
「ん…そ、する…」

声もそろそろ出せなくなってきたのか消え入りそうな大きさだった。この状態を長く続けていれば流石に命を落としかねない。
私達は急いで教会から抜け出した。外には騎士が待ち構えているかと思ったがどうやら全ての戦力を私に向け、それ以外は周辺の住人共々避難させたらしくあまりにも静かだった。耳を澄ませて集中力を研ぎ澄ませるも人の気配は感じられない。

「…っは」

教会の敷地外へと踏み出すと肌を刺激する嫌な感覚が消え去った。それだけではなく頭痛も目眩も何事もなかったかのように収まる。これならばまた騎士達が襲ってきてもユウタを守って全力で戦えることだろう。

「それではさっさと行くぞ。フィオナ、お前転移魔法使えたな?」
「使えるけど国の外に魔法陣しておいたからそっちに行きましょう。そんな直ぐに行くなんてもったいないわ」
「…そうだな」

もうこの国には戻ってこれないことだろう。なら、せめて最後に国の全てを見ておきたい。
それならば空を飛んだほうがいい。飛んだところで騎士たちは飛べないし、せいぜい飛べるのはあの女嫌いの勇者のみ。その勇者も私たちがかかれば負けることはないはずだ。
私は背中から生えている真っ白な翼を広げる。魔物化して初めて羽ばたかせる翼。思っていた以上に大きいそれは人間一人楽に包めるほどのものだ。

「レジーナ、貴方今まで人の姿でいたのに飛べるの?」
「舐めるなよフィオナ」

確かに魔物化して魔物の姿を見せたのは今が初めてでこの体を動かすのもまた初めてだ。翼も尻尾も慣れていないのだから上手く動かすことなどできないだろう。
だが、それでも先程と比べればましだ。
ここは教会の外。神を称え崇める空間から離れたのなら体は自由に動かせるし、王国内だろうと本領を発揮できるというもの。これならば初めてだろうが飛ぶことだってできるだろう。
なにより私なんだ、いくら初めてだろうがそれでもやり遂げられるに決まってる。

「ユウタ、飛ぶぞ?」
「…ん」

既に意識が消えそうな中でもなんとか返事を返すユウタ。やはり血を失いすぎたのか、これは本当に急いだほうが良さそうだ。
巨大な翼を大きく広げ跳躍するときのように足に力を込めた。

「ふっ」

次の瞬間、地面を深く穿つヒビをいれながら私は空へ向かって飛び出した。足からは地面の感触が消え、翼を動かし大気を唸らす。風を肌に感じ、私は飛んでいことを理解した。地面に一度降りずとも空に漂えることに思わず感動してしまう。

「ふふん。悪くないな、この体も」
「でしょ?」

隣で笑うフィオナを一瞥し私は視線を下へと向けた。眼下に広がるのは見慣れた町並み。普段王宮のベランダから一望できたのとはまた違う王国の姿だ。
私の生まれ育った国。
私が背負うべきだった王国。

「こうして見ると流石に名残惜しいものだな」

例え対立することとなろうとも故郷であることに変わりない。きっともう戻ってくることはできないのだろうと覚悟して魔物になったのだがやはり哀愁がこみ上げてくる。
もしも戻ることができた時にはこの王国は姿を変えていないと言い切れない。そうなると今がこのディユシエロ王国の見納めになる。
もしかしたらユウタもこのような感情をいだいていたのかもしれない。いや、ユウタの場合は選択の余地なくここへと召喚されたのだからまだ私のほうがマシか。
そんな風に考えながら意識を失いかけているユウタの頬をそっと撫でた。

「…ふふん」

ここで育ち、戦場を駆け、王女として有り続けたレジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロは今この時をもって死ぬ。
ここにいるのは魔物となり、ドラゴンとして君臨する地上の王者レジーナ。腕の中に抱いた者と共に道を歩む一人の女だ。

「さらばだ、我が国よ」

もう帰ることのない自分と王国へ別れを告げると私達はその場から飛び去るのだった。
13/12/02 00:40更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで今回は聖職者VS高校生の戦いとなりました
背中を見つめるレジーナも女性として守られる覚悟をフィオナに見せつけてくれましたがこんな危なっかしいものでは彼女も気が気ではなかったでしょう
次回はとうとうこの長く続いた話の終わり、最後となります!
国を出て行ったレジーナは魔物となって変わってしまった自分の心を彼に打ち明けて…そしてエロエロしちゃいますよ!

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございます!!
次回もよろしくお願いします!!

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33