夕食後の接吻
教団の教えある国の中を、私たち王族が治める王国の城下町をまるでそこらの街と変わらぬ素振りで優雅に歩いてくる悪魔。周りの者は皆その姿に見蕩れて足を止め振り返る。いくらか抑えているらしいが完全に抑え込めてはいないようだ。
こんなところで出てくるとは思わなかった。こいつのことだ、また寝込みを襲いに来るだろうと踏んでいたがまさかこんな時間帯から人目をはばからずに堂々と歩いてくるとは…。
不幸中の幸いなのはこの女自身が正体を隠しているから魅了の力も押さえ込んでいるという事。そうでなければ民はみな心捕らわれることとなろう。そんなことになろうものなら国の全戦力とここで合間見えることになるが。
「随分と楽しそうにデートしてたみたいだけど楽しかった?」
「最悪だな。お前を見たせいで最悪の一日になった」
「もうっ、そんなこと言わないでよ」
殺気すら放つ私などおかまいなしにフィオナはにこにこ笑みを浮かべて隣に歩いてくる。
たどり着いたのはユウタの隣。私と反対側に来るように立ち止まった。
「…おい、何をしている?」
「何って私も混ぜてもらおうかなって思って」
「ユウタは私と共にいるんだ。お前なんぞ混ざる隙もあるわけないだろうが」
「何よ、自分のものみたいに言っちゃって。独占欲の強い女ね」
「消えろ。三秒数えてやる。そのうちに私の目の届かないところへ消えないと私が消す」
「もうっ、物騒なんだから」
ぷくぅと頬を膨らませる憎らしい存在。それは男性相手ならば可愛く映るのだろうが同性相手には腹立たしいだけだ。魔王の娘故の美貌では誰もが見蕩れる表情なのだが私にとっては殺意すら湧いてくる。
ちらりとユウタを見てみる。前回同様特に反応らしい反応はないが、逆に頭を抱えたそうな表情は浮かべていた。
「言っておくけど」
フィオナは私にわざと見せつけるようにユウタの手を取ると私と同じように腕を絡めた。それも腕だけではなく指先まで一方的に握り込む。
「約束は私が先だったもん」
「…………何?」
「…」
その言葉にフィオナを、次いでユウタを睨みつける。それはもう何もせずとも人を殺せるぐらい凄まじい視線で。それには流石のユウタも冷や汗を垂らした。
「ユウタ、どういうことだ?」
「…フィオナの言ったとおりだよ。今度休日に遊びに来るっていう約束をしたんだ。来る時間帯が夕食時になるだろうからそれもかねて食材を買いに来たってわけ。今日は予定があるっていったけど、その予定がこれだったんだよ」
「…なぜ?」
「色々と話を聞こうかと思って…」
「そんなもの私に聞けばいいだろうが。私以外にも話をしてくれる相手などお前にはたくさんいるはずだぞ?」
「なら聞きたいんだけどレジーナにとって魔物って何?」
「簡単だ。浄化すべき対象だろう?」
「ほら」
私の言葉にユウタは呆れたような表情でため息をついた。
「そういう答えしか返ってこないから直接聞こうと思ったんだよ」
「…」
別世界からの人間の扱いづらいところはこういった価値観を自分で作り上げていくところだろう。そうなる前に魔物は悪だと、消さなければいけない存在だと刷り込ませねば勇者には到底なれない。
ユウタの積極的な行動は賞賛すべきことなのだがその相手が魔物。それもリリム。その気軽さは正しく友人相手のそれと同じ。親しくなった相手との些細な一日を過ごそうと約束するのとなんら変わらない態度だった。
「…」
それ故頭が痛くなった。それどころか目眩すらする。
やはりこの男はダメかもしれない。いくらリリム相手の魅了を耐えられたとしても敵を敵と認識しない以上戦力にはなりえない。いくら優れた防具をつけていても剣を振るう意志がなければ相手は殺せないのと同じだ。
私はひとまずユウタよりもフィオナへと矛先を変えた。
「ふん。そんなもの認められるか。ユウタは私と共にいるんだ、お前のような輩が入る隙間など髪の毛一本もない」
「人の約束を無視してかっさらうような真似をするのがこの国の人なのかしら?」
「人?笑わせるな。お前は魔物だ、そんな相手の約束などあってたまるものか」
「言ってくれるわね、王国のお姫様」
「ふふん。お前もな、魔界の姫君」
互いから魔力が漏れ出し溢れかえる。それだけではなく冷たく背筋を震わせる剣呑な雰囲気も漂う。ここは王国の栄えある城下町だというのにその空間だけは戦場の真っ只中と同じだった。
「…はぁ」
その真ん中にいたユウタはため息をつく。お前のせいでこうなっているというのにその態度はいったいなんだ。
私の殺意を込めた眼光とリリムの無言の圧力の間でもユウタは物怖じすることなく、普段のような気軽さと気安さと、どことなく疲れたような表情で私を見つめた。
「レジーナ、喧嘩するにしても場所を選びなよ。ここは城下町なんだよ?」
「だからなんだ?私たちはどこだろうと堕落した魔物を浄化しなければならない。それが民を守ることとなり、国を救うこととなる」
「レジーナ」
一瞬私の名を呼ぶ声色が変わった。諭すようなものからわずかだが威圧をかけるような、ほんの一欠片恐怖心を刺激する色を混ぜた、そんなものに。
「―民を思いやる、王族の誇りを持った発言をしたにしてはあんまりなんじゃないの?」
「っ」
「人の上に立つ者は国のあり方を考え民を導かなければならない。そう言った王女様が民を巻き込むようなことをしていいの?」
「…」
こういうときには正論を述べてくるとはなんとも面倒な男だ。第一原因はお前だというのにどの口が言っているんだと問い詰めてやりたいぐらいなのに。
まっすぐに向けられた黒い瞳。吸い込まれるような瞳に私は視線を外せなくなる。
そして極めつけは私の名を呼ぶ、わからず屋を説得するような声。
「レジーナ…」
「………お前は。ああ、くそ」
そんな事を言われて損な瞳を向けられては断ることなどできないではないか。
まったくこの男は……なんと卑怯な男だろう。私を前に激闘を演じてみせたあれが全てではないとわかっていたがこんな一面すら持っているとは予想外だ。
なんとも、やりにくい。
本当に、わかりにくい。
「それからフィオナも。魔界のお姫様ならもう少し自重しろよ」
「え?私も?」
「当たり前だろ。前回みたいな事になったら無関係な人が巻き込まれかねないんだぞ?」
「でも仕掛けてきたのはレジーナの方じゃないの」
「いちいち煽るなって言ってんだよ」
「でも…」
「フィオナ」
「…そうね、私もやりすぎたわ」
渋々承諾するフィオナを見てふと思う。
この男、やはり戦力になるのではないかと。魔物相手で戦うことはできないだろうが説得という形で丸め込むことぐらいならやってのけそうだ。
もしそんなことができれば…ある意味勇者以上の戦果を出すのではないか。騙し討ち、暗殺、仲間割れ、敵を内部から崩壊させるための大きな足掛かりとなるかもしれない。本人に話せば全力で断るだろうが。
「ユウタってレジーナ相手でも物怖じしないのね。私も彼女も一応お姫様よ?」
「一応とはなんだ、一応とは」
「暴君に比べれば王女も姫君もかわいいもんさ」
「暴君?なんだ、ユウタは以前王族に仕えていたのか?それならばその服も納得だが」
「うちは代々平民だよ。それより」
ぐいっと私の腕とフィオナの腕を引っ張ってユウタは急かすように言葉を紡いだ。
「せっかく買い込んだ材料があるんだ、さっさと帰ろう?」
「帰るではないだろうが。ユウタ、お前まさかこのあとこの魔物と二人になるということか?」
「別にフィオナがなんかするわけじゃないって。だろ、フィオナ?」
「え、ええ…何もしないわよ…?」
そう言った割に血のように赤い瞳は私たちと視線を合わせぬように泳いでいた。
思惑が見え見えだ。これでは王族でなくとも見抜けるに違いない。
見抜けないのは変に親しく警戒心が薄れてしまったこの男ぐらいか。
そんな男とリリムが一つの部屋に二人きり。私の誘惑に靡かないところを見るとリリム相手でもなんとかなりそうな気がするが万が一ということもある。変に油断していると体の自由を奪われて一方的にということすら魔物は平然とやってのけるのだ。
…なら。
「…なら、私も共に行ってもいいだろう?」
「えー……約束したのは私だけなのに」
「別にお前に聞いているわけじゃない、ユウタに聞いているんだ」
「…まぁ食材は余裕があるから大丈夫だけど」
「では決まりだな」
ふふんと鼻を鳴らし、私はフィオナから奪い取るようにユウタを抱き寄せる。そのまますくい上げるように足に手を回してその体を二本の腕で抱き上げた。
「よし、帰るぞ」
「……………え?またこれ?」
「当然だ。それなら私を抱き上げて空を飛べるか?」
「いや、無理だけど…」
「だろう?ユウタは黙って私に抱かれていろ」
「え?二人とも何するの?」
隣にいるフィオナのことなど当然気にするつもりもない。というかできることなら飛んでる最中に振り切りたいものだ。
「さて、行くか。舌を噛むなよ?」
「…」
「ちょ、ちょっとねぇ?」
不満そうな表情を浮かべるユウタを見て笑みを浮かべると私はその場からフィオナを置いて一気に跳躍した。
城下町から場所を移して王宮内。出た時と同様の手段で見張りの連中に見つからずにある部屋へと飛んでいく。そこは私の部屋よりも小さいが一人で生活するには大きすぎるほどの空間を有した部屋だった。
「まったく!置いてかなくてもいいじゃない!」
ベランダに抱きかかえていたユウタを降ろすと隣で真っ白な大きい翼を羽ばたかせフィオナが頬をふくらませながら着地する。やはりこの程度では吹っ切れるわけがないか。
横目で姿を確認するがこんなやつわざわざ自宅へ呼ぶユウタの気がしれない。いくら魅了が効かずとも相手は魔物だというのに。
「…」
「?何かしら、レジーナ。もしかして私の翼がそんなに羨ましい?それなら貴方も翼のある魔物にしてあげるけど?」
「千切るぞ?」
「だから二人とも…」
呆れたようにため息をついてベランダから部屋へと入っていくユウタ。そのあとに続く私とフィオナ。
部屋の中はそれなりに金のかけられたつくりになっていた。
入口付近のドアは風呂場へと繋がっているし、ここには台所や来客を想定した椅子とテーブルといったものさえ完備されている。クローゼットの前に騎士の制服がかけられ、隣にはなにもかかっていないハンガーがぶら下がっている。隣にあるベッドは二人寝転んでも十分に広く、それでいて柔らかな素材を用いて作られているものだ。
どれも並の騎士に比べれば上等なもの。勇者になればさらにもっといい部屋の使用許可が降りるのだがユウタは別世界からの人間ということでせいぜいこの程度ということだ。ただ王族として少し費用を割き過ぎなのではないかと疑問に思ってしまうが。
部屋のど真ん中を陣取っている昼間見た藁の塊が目に付いた。それだけではなく狸の描かれた札も共についていた。ただ今は愛らしい狸の絵と色っぽいキスマークがやたら癪に障る。
「二人はそこの椅子にでも座って待って。今さっさと作るからさ」
その言葉に私とフィオナは距離をおいて椅子に座った。
ハンガーに着ていた黒い服をかけると中からこれまた同じ色をしたエプロンを取り出し羽織るユウタ。まるで降り積もった雪のような白い服の上にエプロンを羽織った姿はどうしてか……中々似合っている。
ユウタは部屋の中央に積まれたものを一瞥するとその中からいくつかの野菜を手にとった。頷くと洗うために台所へと足を進める。
「何を作るつもりなの?」
「んーとりあえずは肉じゃが」
「にくじゃが?それは先ほどの店であの女が出してきたものと同じではないか」
「そうだよ。食べて自分でも作りたくなっちゃってさ。意外と細かいところで味が変わるんだよ、こういう料理は。さてと、人参じゃがいも玉ねぎに白滝と豚肉と…」
そう言ってさっさと洗ったじゃがいもの皮を壁に立てかけられていた包丁で剥いていく。流れるような滑らかな動きは今までに何度も経験した者の手つき。おそらく自炊でもしていたのだろう。
さっさと一口大に切り分けて水にさらし、人参や玉葱や白く柔らかそうなものも同様に切っていく。
「…ふむ」
料理をするのは女の務め。最も私は王族ゆえにそんなこと丸投げだったゆえに経験は全くないが料理をする男の姿を眺めるというのは中々悪くない。戦いに特化した男の背中は男らしく好ましいと思っているが、これもこれでいいではないか。
そんなことを考えていてもユウタはさっさと料理を進めていく。レシピは手元にないのにてきぱき動くのは何度も作って慣れたせいだろうか。
時間にしてわずか数分。野菜を切り、炒め、気づけば既に鍋の中で煮詰めていた。手のかかる料理だと思っていたのだが簡単なのか、それともユウタが手早いだけなのか、経験のない私には判断はできない。
「………少し薄いか?」
手元にあった瓶から真っ黒な液体を混ぜ込み、鍋の中身を小皿に掬い口に含んでユウタは呟いた。
ふとこちらへ向けた視線が私とぶつかる。
「レジーナ、濃い味か薄味か好みがわかんないからちょっと味見してくれる?」
「一国の王女を味見に呼ぶとは何と無礼な男だ。お前それでも私の臣下か」
「さっき肉じゃが食べたじゃん。だから味がわかるでしょ?レジーナしかできないから頼みたいんだよ」
…私にしかできない、か。まったくこの男の言葉は些細なことでもどうしてこう響いてくるのだろうか。
「ふふん♪そうかそうか。私にしかできないというのならやってやろうではないか」
ちらりと横目でフィオナを見ると案の定唇を悔しそうに尖らせてこちらを睨みつけていた。いい気味だ。
椅子から立ち上がり隣に立つとユウタが小皿に汁を掬い取って手渡してくる。白い湯気の沸き立つそれは食欲をそそるなんともいい香りが漂ってきた。
「なんだか…あの女が出してきたのとはどことなく香りが違うな」
「わかる?たぶんオレとあの人じゃ隠し味が違うんだろうね」
「隠し味?」
「カレー粉、昆布茶、オイスターソース、バター…一見あわなそうなものとか意外なものを加えるとこれまたいい味になるんだよ」
「ふむ…」
少し冷まして小皿の汁をすする。舌で転がし味わうとあの商人の女性が出したものに似た味がした。似ているが、こちらのほうがずっとまろやかでコクがある。同じ料理のはずなのに隠し味が変わるだけで随分と違いの出る料理だ。
「ん〜っ♪いいな、この味」
「そっか。好みにあったんなら良かった」
「……………なによ、二人で楽しそうにしちゃって」
一人放っておかれたリリムがいじけたように言うとぶーぶーと駄々っ子のように頬を膨らませる。異性からなら受けはいいだろうが、同性から見ると嫌悪感を催すものだった。
「私もほーしーい!」
「…おっきい駄々っ子か」
「ふふん♪お前なんぞ取り入る隙はない。さっさとこの場から消え失せろ」
「だから、レジーナ……ったく。あとは灰汁取りして煮るだけだからもうちょっと待ってよ」
そう言ってテキパキと料理を進めるユウタ。言葉通り一分もしないうちに鍋に蓋をし、ぱんっと両手を合わせて次いでエプロンを外した。
「よし、あとは時間をかけて煮込むだけ」
「…手馴れているんだな」
「そりゃ毎日作ってたからさ」
「いいお婿さんになりそうね」
「そりゃどうも」
「どちらかというと嫁の方が似合いそうだがな」
「…その発言は嬉しくない」
畳んだエプロンをテーブルの端に置くとユウタは特にすることがなくなったのだろう、椅子に座りこんだ。私も移動して先ほど座っていた椅子に腰を下ろす。
「本当ならお茶でも出したほうがいいんだろうけど、淹れるための道具とか茶葉がないんだ。ごめん」
「茶ぐらい女中でも呼んで淹れさせればいいだろう」
「今この状況で呼べと?」
「…そうだな」
一国の王女が男性の部屋にいる状態で呼ぼうものなら問題だ。さらには同じ空間に魔王の娘がいるというのだから大問題だ。
よくよく考えると今王宮の一室にこの国を陥落させかねない脅威がいる。その隣に一国の王女がいる。その間にいるのが平々凡々な顔をした別世界からの男性というのだからなんとも奇妙で恐ろしい組み合わせだろう。
「ねぇユウタ」
その脅威が両手を組み、その上に顎を乗せて異界の人間を見つめる。舐め回すような、それでいて何か特別な情を込めた視線で。
「何?」
「ユウタってなにかやりたいことないの?別世界から来たって前言ってたけどせっかく来たならやりたいことの一つや二つ、それから夢くらいあるんじゃないの?」
なんとも唐突な話題だった。いきなりどうしてそんなことを聞くのかわからない、そんな内容の言葉だった。
そんな言葉にユウタの答えた言葉は一つ。
「ない」
即答だった。
あまりにもハッキリと、きっぱりとした言葉だった。迷いのない、飾りもない、ただ単純で簡素な言葉だった。
「ないって…そんな言い切らなくても」
「実際そうなんだから仕方ないさ。まぁ、それでも上げるとするなら―」
一瞬、気のせいだったと思えるほどほんの一瞬だけユウタは私を一瞥する。
「いたって普通に生きて、平和に過ごして、何気ない日常を楽しんで暮らしたい。好きな人と結婚して、家庭を作って、働いてお金を稼いで子供の成長を見ていって…そんなところ、だったな」
語った夢はあまりにも単調なもの。
平和すぎてあまりにも退屈なもの。
あるものが聞けば鼻で笑い、ある者ならば馬鹿にするような面白みに欠けるものだった。
―だが。
「…」
あの商人からもらったにくじゃがとやらで儚げな表情を浮かべていたユウタ。それから今語った夢。それはきっとユウタのいた世界でしか叶えられないものだったのだろう。
大切な人がいて、好きな人がいて、共に過ごしたい人がいて、契りたい人がいて。そんな世界から無理やり連れてきた私にユウタの夢はあまりにも辛く鋭く、虚しいものだった。
「なら、私と一緒に魔界にいかない?」
「え?」
「はっ!?」
「魔界に来ればユウタの望んでるような平和な日常が過ごせるわよ。ううん、もっと幸せな毎日になるはずよ?」
「いいわけないだろうが!!ユウタは私の護衛だぞ!?それをお前なんぞにみすみす手渡せるはずあるか!!」
私は椅子から立ち上がり守るようにユウタの前に立ち塞がった。
どうやら先ほどの唐突な話題はこれへの付箋だったというわけか。なんともいやらしく、腹立たしい魔物だ。
ただでさえこの魔物には私の護衛部隊全てを盗られているというのだ。もうあんなこと二度も起こさせるわけにはいかない。例え今あるものがいずれ手が届かなくなってしまうと分かっていても…手放せるものではない。
「せっかくだけど」
ユウタは前に出た私を座らせながら言葉を紡いだ。
「一応今はレジーナに仕える護衛だからさ。そこまで勝手にはできないんだ」
「そっか」
「ふふん♪なんだかんだ言ってもちゃんと私の護衛ということを忘れていないようだな♪感心だ」
「日本人は勤勉なんで」
カラカラ子供のように笑うユウタ。それは見ている方も楽しくなるような純粋な笑みだった。
だが、よくよく考えてみるとこの国に忠誠を誓ったわけではないユウタにとって本来ならばどうでもいいことのはずだ。私に忠を尽くす義理もない、命令に従う意味もない。本来ならば自身の生活を奪った私達を恨んでもおかしくない。
「…」
それでも笑っていられるユウタを見ていると素直に喜べなくなってしまう。
「ん?結構経ったか?ちょっと様子見てくるから待ってて」
そう言ったユウタを前に私は静かに頷くことしかできなかった。
「はい、お待たせ」
そう言って目前に出されたのはあのとき商人の女が持ってきたのと同じもの。だがそれ以外にも真っ白に輝く粒と茶色の液体の入った椀が並べられる。どちらも見たことのないものだが漂ってくる香りは空腹を刺激した。
「ユウタ、これはなんだ?」
「白米と味噌汁。白米はほら、昼間に見た米俵にはいってたあれを炊いたやつで、こっちの味噌汁は大豆って言う豆を発行させた調味料から作ったスープ。米は炊くのに釜が必要なんだけど先に買っておいたんだよ」
「…なんというか、あの女が作ったのとあんまり変わらないな」
「そりゃ肉じゃがなんだし」
「これってジパングで出る料理に似てるのね」
「似てるって言うか、多分同じ。調味料はジパングって国から取り寄せてもらったんだ」
かたりと乾いた音を立てて私たちの前に二本の棒が置かれる。これも昼間にあの女に手渡されたものと同じもの、箸だろう。
「いただきます」
「では、いただこう」
「い…いただきます……」
静かに箸を手に取り肉じゃがへと伸ばすユウタ。私も同様に自分の前に置かれたものへと伸ばして食する。
「〜っ♪」
「…」
口いっぱいに広がる旨みとほんのりと出てくる甘味。さらには先ほど以上に深いコクが舌へ染み込んでくる。
なんとも美味。王宮の料理に比べれば飾り気も豪勢さも欠けるがその分味は素晴らしい。昼間のあの商人が出したものと同じはずなのに段違いな味に舌鼓を打つ。使っている食材も調理法もいたってシンプルだったのによくもまぁこれほどの味が出せるものだと感心してしまう。
「あの女が作ったものよりうまいな!」
「それはどうも」
「…」
ちらりと先ほどから無言な隣を横目で見た。箸も持たずにもじもじとするフィオナの姿が瞳に映る。手は膝の上で握りこまれて料理に手をつける素振りは見せない。トイレに行きたいというわけではなさそうだ。
…ふむ、これは。
「お前…箸が使えないな?」
「うっ」
図星だったのか動きが止まった。
「ふふん♪魔界の姫君とあろうものが食事の作法を知らないとはなんと愚かなことだろうなぁ♪それで姫と名乗っているのだから片腹痛い」
「な、なによ!誰にだってできることとできないことぐらいあるでしょ!」
「人の上に立つ者がそんな些細なことすら気にかけることができないことがちゃんちゃらおかしいというんだ」
「何よ!喧嘩売ってるの!?」
「ふふん♪当然のことを言われてなに逆上しているんだ?」
「二人とも、食事中に喧嘩するなよ」
「だってレジーナが…」
「ふふん♪フィオナが勝手にしたまでだ」
「…子供か」
呆れたようにため息をつくとユウタは箸を置いた。
「それじゃナイフとフォークを持ってくればいいか」
「そんな、迷惑かけられないわ」
「んなこと言っても食べられなきゃ意味ないだろ」
「…それなら」
チラチラと恥ずかしそうにユウタへと視線を向けてフィオナは頬を赤くする。それは普通の者なら一生心を奪われかねない表情だっただろう。それでもユウタは特に気にすることなく首をかしげた。
「その、ね…ユウタに食べさせて欲しいかな…って」
「…はい?」
「むっ!?」
いきなりその発言はどういうことだ。常識が欠けているというか、頭の中が沸騰しているというか…いや、魔物ならこれが常識なのか。
「…………まぁ、仕方ないか」
そして仕方ないと言って実行しようとする馬鹿。これがユウタなのだからなんと頭が痛いことか。
椅子を引きユウタは皿を手に取り、箸で掬い取った肉じゃがをフィオナの口へと運ぶ。
「ほら、口あけて。あーん」
「あーん♪」
「…」
料理を口へと運ぶユウタ。
料理を美味そうに噛み締め笑みを浮かべるフィオナ。
それを見ている私。
「…」
正直不愉快極まりない。
フィオナの表情を見て嬉しそうに微笑むユウタも、頬を赤くして照れくさそうにするフィオナも、腹立たしい。
何より私の護衛だと自覚しておきながら魔物相手にこの態度。先程は堂々と私の護衛だと言ったくせにこれはいったいどういうことだ。
さらには迷惑はかけられないと言っておいて思い切り迷惑をかけているフィオナ。こいつ自分で言ったことも覚えていないのか、この程度は迷惑のうちにはいらないのか。どちらにしろ常識の欠けている行為だろう。
ユウタが箸を引いたタイミングを見計らい、私は箸を握り直した。
「…おいユウタ」
「はい?」
「こっちを向け。食べさせてやる」
「は?」
こんなものを見せつけられて黙っていられるか。
ただでさえ一番親しくされたくない相手と仲良くする姿を見せつけられているんだ、このまま何もせずにいればこの私、レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロの名が泣くというものだ。
今まで様々な戦争を経験してきた私にとって戦わずして負けるとは最大級の屈辱。いや、負ける気など微塵もない。私には勝利以外存在しない。
「いや、オレ一人で食べられるけど?」
「わざわざ一国の王女が食べさせてやると言っているんだぞ?こちらを向け、口をあけろ」
「いや、別にそんなことされなくとも平気だって」
「口をあけろ」
「いや、だから」
「あけろ」
「……はい」
箸で掬ったものをそっと開いた口の中へと運ぶ。当然私が使った箸で。
「うまいか?」
「うまいも何もこれはオレが作ったものだから」
「詰まらぬ事をいうな。そういうのは素直に答えればいい。一国の王女から食べさせてもらうことなど普通あり得ることではないのだからな」
「…了解」
「…」
したり顔でフィオナを見てやると無言でこちらを睨みつけてきた。それも羨ましそうな表情で。
ふふん♪なんともいい気持ちだ。私がやっていることはこの女にはできないこと、その優越感はまた格別だ。
食べさせられるのと食べさせるのとではあまりにも大きな差がある。小動物のようにただ一方的に与えられるだけの存在と甲斐甲斐しく食べさせてやるのとでは相手の抱く印象だって違う。手間や迷惑をかけるよりも世話を焼くようにする方がいいに決まっているだろう。
「…ユウタ、私にも頂戴」
「お前は一人で食べていればいいだろうが」
「食べられないからユウタに頼んでるの。それとも何?貴方が私に食べさせてくれるの?」
「そんなの虫唾が走るだろうが」
「ほら。ねぇユウタ、あーん」
「ユウタ、こちらを向いて口を開けろ」
「………はぁ」
「それじゃあお邪魔しました」
「ふふん。ユウタ、明日こそはちゃんと護衛として来るんだぞ」
「あ、うん…」
どこか疲れたように言葉を紡ぐユウタ。それはまるで手の掛かる子供を相手にした親のような姿だ。実際目の前にいたのは王国の王女と魔界の姫君、国一つ滅ぼしかねない戦力を有する女性が二人もいたのだから仕方ないことといえよう。
隣ではフィオナが立っていた。というか、正確に言うと私が無理やり立たせていた。
というのもこのまま私が戻ればこの部屋にユウタと二人きりになってしまう。そんなことではこの魔物が何をしでかすかわかったのではない。魔物側へと勧誘しあまつさえ交わりを求めて襲いかかることだろう。そんなことになれば魅了の効かないユウタでも耐えられるわけがない。
それ故この魔物は私の力をもって強制退去させようということだ。
「えっとね…その、ね…」
もじもじと頬を朱に染めながらフィオナはユウタの側に身を寄せた。下から見上げるような上目遣いで恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「今日はおいしいご飯をありがとう。それからお話できなくてごめんなさいね」
「ああ、いいよ。今度来たときにでもしてくれればさ。そのときは…そうだな、鯖の味噌煮とか豚の角煮とかつくろうか?」
「あ、うん…楽しみにしてるわ。それで、ね…?」
「うん?」
何をするのかと思ってみていれば突然顔をユウタの顔へとよせた。次の瞬間唇と右頬が音を立ててふれ合う。
「ちゅっ♪」
「!」
一歩体を引くと照れくさそうに顔を赤らめたフィオナが笑みを浮かべた。その笑みは流石魔物というか、同性である私でさえ美しいと感じてしまう。異性であるならば魅了がなくとも心を奪われていたかもしれない。
「ふふっ♪お礼」
「あ……あ、ああ」
それでも平常を保っていられるユウタは流石と言ったところだろうか。あの護衛の騎士や私の率いていた者達と違って我を失うことなどせずに普段通りに接するところはただ者ではない。
ただし、年相応の青少年と言うところかキスされたことでこちらも恥ずかしそうに頬を朱に染め掻いているところはいただけない。
恥ずかしそうに顔を赤くするフィオナと照れたように頬をかくユウタ。顔立ちの違う異国の男性と魔性の美貌を備えた魔物。まっさらな雪のように白いリリムと闇のように真っ黒な人間。
その正反対の姿をしたもの同士だからか、似合っているように見えてしまう。
「…」
もし今自分の顔を鏡で見れば青筋が浮かんでいたかもしれない。眉間に皺が寄っていたかもしれない。目つきが鋭く、剣呑な表情を浮かべていたかもしれない。とにかく自分の浮かべてる表情すら自覚できるほど今の私は苛立っていた。
人の護衛に何をやっているのだと。
魔物相手に何でれでれしているのだと。
苛立ち、腹立ち、しゃくにさわってむかむかする。
―このまま黙っていられようか。
―このまま見過ごすことができようか。
―そんなこと、できるわけがない。
先ほどと同様だ。私はこの国の王女、それも戦争を司り、軍事力を保持し、この国における軍務全ての決定権を持つ王女だ。その私が目の前でいかにもな挑発を受けて何もしないはずがない。例え罠だとわかっている挑発でも踏み越え勝利を掴む、それが私なのだから。
「ユウタ」
名を呼ぶとはっとした表情でこちらへ向き直るユウタ。先ほどとは打って変わって表情がわずかに緊張でこわばっている。フィオナの時は照れていたのにまるで怒られる前の子供みたいにビクビクするとはなんとも失礼だ。
「な、何…?」
「名を呼んだだけでそんな緊張するな。普段通りにしろ」
「普段通りにしろって…さっきのレジーナめちゃくちゃキレてたじゃん」
「うるさい黙れ。ちょっとこちらに体をよせろ」
困惑したような、それでいてどことなくびくつきながらユウタは私の方へと歩み寄ってくる。一歩、二歩、そこで足と止めた。後一歩近づけば体が触れ合うというこの距離ならばちょうどいい。
「顔をこちらへ向けろ」
「はっ!?」
「いいからさっさとしろ」
先ほどフィオナがしたことと同じ事をするのだろうとユウタは思っているに違いない。顔を赤くし、目を見開いてこちらを見つめてきた。
その様子を見て理解する。やはり年相応に初なところがあるらしい。本当にこの男は何を隠しているのかわからない。その表情はあとどんなものを浮かべてくれるのか見ていたくなる。
そして、これから私がすることでどのような表情を浮かべるのか眺めさせてもらおう。
「ふふんっ」
勝負というのは同じことで勝負するからこそその勝敗ははっきりとするものだ。剣術なら剣術、馬術なら馬術、そうすることによって明確な勝ち負けを決定することができる。
だが、ただ勝つために同じ事をするのは間違いだ。より高いパフォーマンスをしたもの、より質の高い挑戦をしたもの、より大きな賭に出たもの、より優れた実力を披露するものにこそ勝利というのは訪れる。
ならばどうするか。
フィオナがしたことはユウタの右頬にキスをしたこと。
ならば左頬に同じ事をするか?
―答えは『否』
ぐいっと指先でユウタの顎をひっつかむ。そのまま顔を上へと無理やり向けさせた。驚き見開かれた闇色の瞳が私の顔を映し出す。何度見ても引き込まれそうになる闇の色。私はそれを数秒眺めてから自分の顔をつきだした。
より正確に言うならば唇を。
押しつけた先は頬ではなく、唇に。
「んっ!」
「むっ!?」
「きゃっ!?」
私はユウタへ口づけをしていた。
男だというのに細くも逞しい腕の感触や異常なほど堅い手の甲や骨の感覚と比べるとその部分はずっと柔らかい。
さらには先ほどまで同じものを食べていたはずなのにどこか甘さを感じられる。そういえばこの男昼餉の時にデザートを多めに注文していたな。きっと女のように甘党なのだろうが、その割には甘すぎる。
驚き目を見開くユウタ。顔は真っ赤になりあわてたように両手をばたつかせた。だがその程度容易く片手で押さえ込んで行為を続ける。
舐るように、啄むように。
啜るように、噛み付くように。
隣にいた淫魔すら目を見開くほどの熱い口づけ。あまりの突然の大胆行動に顔も赤く染まっている。
「んっ♪」
「…」
「…」
唇を離すとユウタは固まったまま、フィオナはこちらをじっと見つめていた。対して私は指を突きつけ胸を張る。
「ふふんっ♪これは今日の分の褒美だ♪」
そんなことを言ってはいるが王族である私がこのようなことみだりにできるわけではない。一挙一動が国を左右する王女ゆえ、責任のとれないことをむやみにできるはずもない。
「私のファーストキスだぞ?ありがたく受け取っておけ♪」
だがユウタは顔を先ほど以上真っ赤にさせて俯いた。随分と反応が初々しいというか、悪くはない。
「…し、師匠にも奪われたことないのに……」
「何かいったか?」
「…いいえ」
ユウタの反応からするにこっちも同じで初めてのようだ。
初めてか…初めて……ふふん♪なんとも悪くない。相手にとっての初めての相手となるのは筆舌し難い喜びがあるものだ。
キスというの初めてしたが、悪くない。力ずくで一方的になってしまったが感触も味もどこかクセになる。
「明日はちゃんと私の護衛に来るんだぞ、ユウタ」
未だ顔を赤くしているユウタに私は指先をつきつけ、ドアを閉めると未だ固まっていたフィオナの首根っこを掴んで自室へと帰っていくのだった。
こんなところで出てくるとは思わなかった。こいつのことだ、また寝込みを襲いに来るだろうと踏んでいたがまさかこんな時間帯から人目をはばからずに堂々と歩いてくるとは…。
不幸中の幸いなのはこの女自身が正体を隠しているから魅了の力も押さえ込んでいるという事。そうでなければ民はみな心捕らわれることとなろう。そんなことになろうものなら国の全戦力とここで合間見えることになるが。
「随分と楽しそうにデートしてたみたいだけど楽しかった?」
「最悪だな。お前を見たせいで最悪の一日になった」
「もうっ、そんなこと言わないでよ」
殺気すら放つ私などおかまいなしにフィオナはにこにこ笑みを浮かべて隣に歩いてくる。
たどり着いたのはユウタの隣。私と反対側に来るように立ち止まった。
「…おい、何をしている?」
「何って私も混ぜてもらおうかなって思って」
「ユウタは私と共にいるんだ。お前なんぞ混ざる隙もあるわけないだろうが」
「何よ、自分のものみたいに言っちゃって。独占欲の強い女ね」
「消えろ。三秒数えてやる。そのうちに私の目の届かないところへ消えないと私が消す」
「もうっ、物騒なんだから」
ぷくぅと頬を膨らませる憎らしい存在。それは男性相手ならば可愛く映るのだろうが同性相手には腹立たしいだけだ。魔王の娘故の美貌では誰もが見蕩れる表情なのだが私にとっては殺意すら湧いてくる。
ちらりとユウタを見てみる。前回同様特に反応らしい反応はないが、逆に頭を抱えたそうな表情は浮かべていた。
「言っておくけど」
フィオナは私にわざと見せつけるようにユウタの手を取ると私と同じように腕を絡めた。それも腕だけではなく指先まで一方的に握り込む。
「約束は私が先だったもん」
「…………何?」
「…」
その言葉にフィオナを、次いでユウタを睨みつける。それはもう何もせずとも人を殺せるぐらい凄まじい視線で。それには流石のユウタも冷や汗を垂らした。
「ユウタ、どういうことだ?」
「…フィオナの言ったとおりだよ。今度休日に遊びに来るっていう約束をしたんだ。来る時間帯が夕食時になるだろうからそれもかねて食材を買いに来たってわけ。今日は予定があるっていったけど、その予定がこれだったんだよ」
「…なぜ?」
「色々と話を聞こうかと思って…」
「そんなもの私に聞けばいいだろうが。私以外にも話をしてくれる相手などお前にはたくさんいるはずだぞ?」
「なら聞きたいんだけどレジーナにとって魔物って何?」
「簡単だ。浄化すべき対象だろう?」
「ほら」
私の言葉にユウタは呆れたような表情でため息をついた。
「そういう答えしか返ってこないから直接聞こうと思ったんだよ」
「…」
別世界からの人間の扱いづらいところはこういった価値観を自分で作り上げていくところだろう。そうなる前に魔物は悪だと、消さなければいけない存在だと刷り込ませねば勇者には到底なれない。
ユウタの積極的な行動は賞賛すべきことなのだがその相手が魔物。それもリリム。その気軽さは正しく友人相手のそれと同じ。親しくなった相手との些細な一日を過ごそうと約束するのとなんら変わらない態度だった。
「…」
それ故頭が痛くなった。それどころか目眩すらする。
やはりこの男はダメかもしれない。いくらリリム相手の魅了を耐えられたとしても敵を敵と認識しない以上戦力にはなりえない。いくら優れた防具をつけていても剣を振るう意志がなければ相手は殺せないのと同じだ。
私はひとまずユウタよりもフィオナへと矛先を変えた。
「ふん。そんなもの認められるか。ユウタは私と共にいるんだ、お前のような輩が入る隙間など髪の毛一本もない」
「人の約束を無視してかっさらうような真似をするのがこの国の人なのかしら?」
「人?笑わせるな。お前は魔物だ、そんな相手の約束などあってたまるものか」
「言ってくれるわね、王国のお姫様」
「ふふん。お前もな、魔界の姫君」
互いから魔力が漏れ出し溢れかえる。それだけではなく冷たく背筋を震わせる剣呑な雰囲気も漂う。ここは王国の栄えある城下町だというのにその空間だけは戦場の真っ只中と同じだった。
「…はぁ」
その真ん中にいたユウタはため息をつく。お前のせいでこうなっているというのにその態度はいったいなんだ。
私の殺意を込めた眼光とリリムの無言の圧力の間でもユウタは物怖じすることなく、普段のような気軽さと気安さと、どことなく疲れたような表情で私を見つめた。
「レジーナ、喧嘩するにしても場所を選びなよ。ここは城下町なんだよ?」
「だからなんだ?私たちはどこだろうと堕落した魔物を浄化しなければならない。それが民を守ることとなり、国を救うこととなる」
「レジーナ」
一瞬私の名を呼ぶ声色が変わった。諭すようなものからわずかだが威圧をかけるような、ほんの一欠片恐怖心を刺激する色を混ぜた、そんなものに。
「―民を思いやる、王族の誇りを持った発言をしたにしてはあんまりなんじゃないの?」
「っ」
「人の上に立つ者は国のあり方を考え民を導かなければならない。そう言った王女様が民を巻き込むようなことをしていいの?」
「…」
こういうときには正論を述べてくるとはなんとも面倒な男だ。第一原因はお前だというのにどの口が言っているんだと問い詰めてやりたいぐらいなのに。
まっすぐに向けられた黒い瞳。吸い込まれるような瞳に私は視線を外せなくなる。
そして極めつけは私の名を呼ぶ、わからず屋を説得するような声。
「レジーナ…」
「………お前は。ああ、くそ」
そんな事を言われて損な瞳を向けられては断ることなどできないではないか。
まったくこの男は……なんと卑怯な男だろう。私を前に激闘を演じてみせたあれが全てではないとわかっていたがこんな一面すら持っているとは予想外だ。
なんとも、やりにくい。
本当に、わかりにくい。
「それからフィオナも。魔界のお姫様ならもう少し自重しろよ」
「え?私も?」
「当たり前だろ。前回みたいな事になったら無関係な人が巻き込まれかねないんだぞ?」
「でも仕掛けてきたのはレジーナの方じゃないの」
「いちいち煽るなって言ってんだよ」
「でも…」
「フィオナ」
「…そうね、私もやりすぎたわ」
渋々承諾するフィオナを見てふと思う。
この男、やはり戦力になるのではないかと。魔物相手で戦うことはできないだろうが説得という形で丸め込むことぐらいならやってのけそうだ。
もしそんなことができれば…ある意味勇者以上の戦果を出すのではないか。騙し討ち、暗殺、仲間割れ、敵を内部から崩壊させるための大きな足掛かりとなるかもしれない。本人に話せば全力で断るだろうが。
「ユウタってレジーナ相手でも物怖じしないのね。私も彼女も一応お姫様よ?」
「一応とはなんだ、一応とは」
「暴君に比べれば王女も姫君もかわいいもんさ」
「暴君?なんだ、ユウタは以前王族に仕えていたのか?それならばその服も納得だが」
「うちは代々平民だよ。それより」
ぐいっと私の腕とフィオナの腕を引っ張ってユウタは急かすように言葉を紡いだ。
「せっかく買い込んだ材料があるんだ、さっさと帰ろう?」
「帰るではないだろうが。ユウタ、お前まさかこのあとこの魔物と二人になるということか?」
「別にフィオナがなんかするわけじゃないって。だろ、フィオナ?」
「え、ええ…何もしないわよ…?」
そう言った割に血のように赤い瞳は私たちと視線を合わせぬように泳いでいた。
思惑が見え見えだ。これでは王族でなくとも見抜けるに違いない。
見抜けないのは変に親しく警戒心が薄れてしまったこの男ぐらいか。
そんな男とリリムが一つの部屋に二人きり。私の誘惑に靡かないところを見るとリリム相手でもなんとかなりそうな気がするが万が一ということもある。変に油断していると体の自由を奪われて一方的にということすら魔物は平然とやってのけるのだ。
…なら。
「…なら、私も共に行ってもいいだろう?」
「えー……約束したのは私だけなのに」
「別にお前に聞いているわけじゃない、ユウタに聞いているんだ」
「…まぁ食材は余裕があるから大丈夫だけど」
「では決まりだな」
ふふんと鼻を鳴らし、私はフィオナから奪い取るようにユウタを抱き寄せる。そのまますくい上げるように足に手を回してその体を二本の腕で抱き上げた。
「よし、帰るぞ」
「……………え?またこれ?」
「当然だ。それなら私を抱き上げて空を飛べるか?」
「いや、無理だけど…」
「だろう?ユウタは黙って私に抱かれていろ」
「え?二人とも何するの?」
隣にいるフィオナのことなど当然気にするつもりもない。というかできることなら飛んでる最中に振り切りたいものだ。
「さて、行くか。舌を噛むなよ?」
「…」
「ちょ、ちょっとねぇ?」
不満そうな表情を浮かべるユウタを見て笑みを浮かべると私はその場からフィオナを置いて一気に跳躍した。
城下町から場所を移して王宮内。出た時と同様の手段で見張りの連中に見つからずにある部屋へと飛んでいく。そこは私の部屋よりも小さいが一人で生活するには大きすぎるほどの空間を有した部屋だった。
「まったく!置いてかなくてもいいじゃない!」
ベランダに抱きかかえていたユウタを降ろすと隣で真っ白な大きい翼を羽ばたかせフィオナが頬をふくらませながら着地する。やはりこの程度では吹っ切れるわけがないか。
横目で姿を確認するがこんなやつわざわざ自宅へ呼ぶユウタの気がしれない。いくら魅了が効かずとも相手は魔物だというのに。
「…」
「?何かしら、レジーナ。もしかして私の翼がそんなに羨ましい?それなら貴方も翼のある魔物にしてあげるけど?」
「千切るぞ?」
「だから二人とも…」
呆れたようにため息をついてベランダから部屋へと入っていくユウタ。そのあとに続く私とフィオナ。
部屋の中はそれなりに金のかけられたつくりになっていた。
入口付近のドアは風呂場へと繋がっているし、ここには台所や来客を想定した椅子とテーブルといったものさえ完備されている。クローゼットの前に騎士の制服がかけられ、隣にはなにもかかっていないハンガーがぶら下がっている。隣にあるベッドは二人寝転んでも十分に広く、それでいて柔らかな素材を用いて作られているものだ。
どれも並の騎士に比べれば上等なもの。勇者になればさらにもっといい部屋の使用許可が降りるのだがユウタは別世界からの人間ということでせいぜいこの程度ということだ。ただ王族として少し費用を割き過ぎなのではないかと疑問に思ってしまうが。
部屋のど真ん中を陣取っている昼間見た藁の塊が目に付いた。それだけではなく狸の描かれた札も共についていた。ただ今は愛らしい狸の絵と色っぽいキスマークがやたら癪に障る。
「二人はそこの椅子にでも座って待って。今さっさと作るからさ」
その言葉に私とフィオナは距離をおいて椅子に座った。
ハンガーに着ていた黒い服をかけると中からこれまた同じ色をしたエプロンを取り出し羽織るユウタ。まるで降り積もった雪のような白い服の上にエプロンを羽織った姿はどうしてか……中々似合っている。
ユウタは部屋の中央に積まれたものを一瞥するとその中からいくつかの野菜を手にとった。頷くと洗うために台所へと足を進める。
「何を作るつもりなの?」
「んーとりあえずは肉じゃが」
「にくじゃが?それは先ほどの店であの女が出してきたものと同じではないか」
「そうだよ。食べて自分でも作りたくなっちゃってさ。意外と細かいところで味が変わるんだよ、こういう料理は。さてと、人参じゃがいも玉ねぎに白滝と豚肉と…」
そう言ってさっさと洗ったじゃがいもの皮を壁に立てかけられていた包丁で剥いていく。流れるような滑らかな動きは今までに何度も経験した者の手つき。おそらく自炊でもしていたのだろう。
さっさと一口大に切り分けて水にさらし、人参や玉葱や白く柔らかそうなものも同様に切っていく。
「…ふむ」
料理をするのは女の務め。最も私は王族ゆえにそんなこと丸投げだったゆえに経験は全くないが料理をする男の姿を眺めるというのは中々悪くない。戦いに特化した男の背中は男らしく好ましいと思っているが、これもこれでいいではないか。
そんなことを考えていてもユウタはさっさと料理を進めていく。レシピは手元にないのにてきぱき動くのは何度も作って慣れたせいだろうか。
時間にしてわずか数分。野菜を切り、炒め、気づけば既に鍋の中で煮詰めていた。手のかかる料理だと思っていたのだが簡単なのか、それともユウタが手早いだけなのか、経験のない私には判断はできない。
「………少し薄いか?」
手元にあった瓶から真っ黒な液体を混ぜ込み、鍋の中身を小皿に掬い口に含んでユウタは呟いた。
ふとこちらへ向けた視線が私とぶつかる。
「レジーナ、濃い味か薄味か好みがわかんないからちょっと味見してくれる?」
「一国の王女を味見に呼ぶとは何と無礼な男だ。お前それでも私の臣下か」
「さっき肉じゃが食べたじゃん。だから味がわかるでしょ?レジーナしかできないから頼みたいんだよ」
…私にしかできない、か。まったくこの男の言葉は些細なことでもどうしてこう響いてくるのだろうか。
「ふふん♪そうかそうか。私にしかできないというのならやってやろうではないか」
ちらりと横目でフィオナを見ると案の定唇を悔しそうに尖らせてこちらを睨みつけていた。いい気味だ。
椅子から立ち上がり隣に立つとユウタが小皿に汁を掬い取って手渡してくる。白い湯気の沸き立つそれは食欲をそそるなんともいい香りが漂ってきた。
「なんだか…あの女が出してきたのとはどことなく香りが違うな」
「わかる?たぶんオレとあの人じゃ隠し味が違うんだろうね」
「隠し味?」
「カレー粉、昆布茶、オイスターソース、バター…一見あわなそうなものとか意外なものを加えるとこれまたいい味になるんだよ」
「ふむ…」
少し冷まして小皿の汁をすする。舌で転がし味わうとあの商人の女性が出したものに似た味がした。似ているが、こちらのほうがずっとまろやかでコクがある。同じ料理のはずなのに隠し味が変わるだけで随分と違いの出る料理だ。
「ん〜っ♪いいな、この味」
「そっか。好みにあったんなら良かった」
「……………なによ、二人で楽しそうにしちゃって」
一人放っておかれたリリムがいじけたように言うとぶーぶーと駄々っ子のように頬を膨らませる。異性からなら受けはいいだろうが、同性から見ると嫌悪感を催すものだった。
「私もほーしーい!」
「…おっきい駄々っ子か」
「ふふん♪お前なんぞ取り入る隙はない。さっさとこの場から消え失せろ」
「だから、レジーナ……ったく。あとは灰汁取りして煮るだけだからもうちょっと待ってよ」
そう言ってテキパキと料理を進めるユウタ。言葉通り一分もしないうちに鍋に蓋をし、ぱんっと両手を合わせて次いでエプロンを外した。
「よし、あとは時間をかけて煮込むだけ」
「…手馴れているんだな」
「そりゃ毎日作ってたからさ」
「いいお婿さんになりそうね」
「そりゃどうも」
「どちらかというと嫁の方が似合いそうだがな」
「…その発言は嬉しくない」
畳んだエプロンをテーブルの端に置くとユウタは特にすることがなくなったのだろう、椅子に座りこんだ。私も移動して先ほど座っていた椅子に腰を下ろす。
「本当ならお茶でも出したほうがいいんだろうけど、淹れるための道具とか茶葉がないんだ。ごめん」
「茶ぐらい女中でも呼んで淹れさせればいいだろう」
「今この状況で呼べと?」
「…そうだな」
一国の王女が男性の部屋にいる状態で呼ぼうものなら問題だ。さらには同じ空間に魔王の娘がいるというのだから大問題だ。
よくよく考えると今王宮の一室にこの国を陥落させかねない脅威がいる。その隣に一国の王女がいる。その間にいるのが平々凡々な顔をした別世界からの男性というのだからなんとも奇妙で恐ろしい組み合わせだろう。
「ねぇユウタ」
その脅威が両手を組み、その上に顎を乗せて異界の人間を見つめる。舐め回すような、それでいて何か特別な情を込めた視線で。
「何?」
「ユウタってなにかやりたいことないの?別世界から来たって前言ってたけどせっかく来たならやりたいことの一つや二つ、それから夢くらいあるんじゃないの?」
なんとも唐突な話題だった。いきなりどうしてそんなことを聞くのかわからない、そんな内容の言葉だった。
そんな言葉にユウタの答えた言葉は一つ。
「ない」
即答だった。
あまりにもハッキリと、きっぱりとした言葉だった。迷いのない、飾りもない、ただ単純で簡素な言葉だった。
「ないって…そんな言い切らなくても」
「実際そうなんだから仕方ないさ。まぁ、それでも上げるとするなら―」
一瞬、気のせいだったと思えるほどほんの一瞬だけユウタは私を一瞥する。
「いたって普通に生きて、平和に過ごして、何気ない日常を楽しんで暮らしたい。好きな人と結婚して、家庭を作って、働いてお金を稼いで子供の成長を見ていって…そんなところ、だったな」
語った夢はあまりにも単調なもの。
平和すぎてあまりにも退屈なもの。
あるものが聞けば鼻で笑い、ある者ならば馬鹿にするような面白みに欠けるものだった。
―だが。
「…」
あの商人からもらったにくじゃがとやらで儚げな表情を浮かべていたユウタ。それから今語った夢。それはきっとユウタのいた世界でしか叶えられないものだったのだろう。
大切な人がいて、好きな人がいて、共に過ごしたい人がいて、契りたい人がいて。そんな世界から無理やり連れてきた私にユウタの夢はあまりにも辛く鋭く、虚しいものだった。
「なら、私と一緒に魔界にいかない?」
「え?」
「はっ!?」
「魔界に来ればユウタの望んでるような平和な日常が過ごせるわよ。ううん、もっと幸せな毎日になるはずよ?」
「いいわけないだろうが!!ユウタは私の護衛だぞ!?それをお前なんぞにみすみす手渡せるはずあるか!!」
私は椅子から立ち上がり守るようにユウタの前に立ち塞がった。
どうやら先ほどの唐突な話題はこれへの付箋だったというわけか。なんともいやらしく、腹立たしい魔物だ。
ただでさえこの魔物には私の護衛部隊全てを盗られているというのだ。もうあんなこと二度も起こさせるわけにはいかない。例え今あるものがいずれ手が届かなくなってしまうと分かっていても…手放せるものではない。
「せっかくだけど」
ユウタは前に出た私を座らせながら言葉を紡いだ。
「一応今はレジーナに仕える護衛だからさ。そこまで勝手にはできないんだ」
「そっか」
「ふふん♪なんだかんだ言ってもちゃんと私の護衛ということを忘れていないようだな♪感心だ」
「日本人は勤勉なんで」
カラカラ子供のように笑うユウタ。それは見ている方も楽しくなるような純粋な笑みだった。
だが、よくよく考えてみるとこの国に忠誠を誓ったわけではないユウタにとって本来ならばどうでもいいことのはずだ。私に忠を尽くす義理もない、命令に従う意味もない。本来ならば自身の生活を奪った私達を恨んでもおかしくない。
「…」
それでも笑っていられるユウタを見ていると素直に喜べなくなってしまう。
「ん?結構経ったか?ちょっと様子見てくるから待ってて」
そう言ったユウタを前に私は静かに頷くことしかできなかった。
「はい、お待たせ」
そう言って目前に出されたのはあのとき商人の女が持ってきたのと同じもの。だがそれ以外にも真っ白に輝く粒と茶色の液体の入った椀が並べられる。どちらも見たことのないものだが漂ってくる香りは空腹を刺激した。
「ユウタ、これはなんだ?」
「白米と味噌汁。白米はほら、昼間に見た米俵にはいってたあれを炊いたやつで、こっちの味噌汁は大豆って言う豆を発行させた調味料から作ったスープ。米は炊くのに釜が必要なんだけど先に買っておいたんだよ」
「…なんというか、あの女が作ったのとあんまり変わらないな」
「そりゃ肉じゃがなんだし」
「これってジパングで出る料理に似てるのね」
「似てるって言うか、多分同じ。調味料はジパングって国から取り寄せてもらったんだ」
かたりと乾いた音を立てて私たちの前に二本の棒が置かれる。これも昼間にあの女に手渡されたものと同じもの、箸だろう。
「いただきます」
「では、いただこう」
「い…いただきます……」
静かに箸を手に取り肉じゃがへと伸ばすユウタ。私も同様に自分の前に置かれたものへと伸ばして食する。
「〜っ♪」
「…」
口いっぱいに広がる旨みとほんのりと出てくる甘味。さらには先ほど以上に深いコクが舌へ染み込んでくる。
なんとも美味。王宮の料理に比べれば飾り気も豪勢さも欠けるがその分味は素晴らしい。昼間のあの商人が出したものと同じはずなのに段違いな味に舌鼓を打つ。使っている食材も調理法もいたってシンプルだったのによくもまぁこれほどの味が出せるものだと感心してしまう。
「あの女が作ったものよりうまいな!」
「それはどうも」
「…」
ちらりと先ほどから無言な隣を横目で見た。箸も持たずにもじもじとするフィオナの姿が瞳に映る。手は膝の上で握りこまれて料理に手をつける素振りは見せない。トイレに行きたいというわけではなさそうだ。
…ふむ、これは。
「お前…箸が使えないな?」
「うっ」
図星だったのか動きが止まった。
「ふふん♪魔界の姫君とあろうものが食事の作法を知らないとはなんと愚かなことだろうなぁ♪それで姫と名乗っているのだから片腹痛い」
「な、なによ!誰にだってできることとできないことぐらいあるでしょ!」
「人の上に立つ者がそんな些細なことすら気にかけることができないことがちゃんちゃらおかしいというんだ」
「何よ!喧嘩売ってるの!?」
「ふふん♪当然のことを言われてなに逆上しているんだ?」
「二人とも、食事中に喧嘩するなよ」
「だってレジーナが…」
「ふふん♪フィオナが勝手にしたまでだ」
「…子供か」
呆れたようにため息をつくとユウタは箸を置いた。
「それじゃナイフとフォークを持ってくればいいか」
「そんな、迷惑かけられないわ」
「んなこと言っても食べられなきゃ意味ないだろ」
「…それなら」
チラチラと恥ずかしそうにユウタへと視線を向けてフィオナは頬を赤くする。それは普通の者なら一生心を奪われかねない表情だっただろう。それでもユウタは特に気にすることなく首をかしげた。
「その、ね…ユウタに食べさせて欲しいかな…って」
「…はい?」
「むっ!?」
いきなりその発言はどういうことだ。常識が欠けているというか、頭の中が沸騰しているというか…いや、魔物ならこれが常識なのか。
「…………まぁ、仕方ないか」
そして仕方ないと言って実行しようとする馬鹿。これがユウタなのだからなんと頭が痛いことか。
椅子を引きユウタは皿を手に取り、箸で掬い取った肉じゃがをフィオナの口へと運ぶ。
「ほら、口あけて。あーん」
「あーん♪」
「…」
料理を口へと運ぶユウタ。
料理を美味そうに噛み締め笑みを浮かべるフィオナ。
それを見ている私。
「…」
正直不愉快極まりない。
フィオナの表情を見て嬉しそうに微笑むユウタも、頬を赤くして照れくさそうにするフィオナも、腹立たしい。
何より私の護衛だと自覚しておきながら魔物相手にこの態度。先程は堂々と私の護衛だと言ったくせにこれはいったいどういうことだ。
さらには迷惑はかけられないと言っておいて思い切り迷惑をかけているフィオナ。こいつ自分で言ったことも覚えていないのか、この程度は迷惑のうちにはいらないのか。どちらにしろ常識の欠けている行為だろう。
ユウタが箸を引いたタイミングを見計らい、私は箸を握り直した。
「…おいユウタ」
「はい?」
「こっちを向け。食べさせてやる」
「は?」
こんなものを見せつけられて黙っていられるか。
ただでさえ一番親しくされたくない相手と仲良くする姿を見せつけられているんだ、このまま何もせずにいればこの私、レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロの名が泣くというものだ。
今まで様々な戦争を経験してきた私にとって戦わずして負けるとは最大級の屈辱。いや、負ける気など微塵もない。私には勝利以外存在しない。
「いや、オレ一人で食べられるけど?」
「わざわざ一国の王女が食べさせてやると言っているんだぞ?こちらを向け、口をあけろ」
「いや、別にそんなことされなくとも平気だって」
「口をあけろ」
「いや、だから」
「あけろ」
「……はい」
箸で掬ったものをそっと開いた口の中へと運ぶ。当然私が使った箸で。
「うまいか?」
「うまいも何もこれはオレが作ったものだから」
「詰まらぬ事をいうな。そういうのは素直に答えればいい。一国の王女から食べさせてもらうことなど普通あり得ることではないのだからな」
「…了解」
「…」
したり顔でフィオナを見てやると無言でこちらを睨みつけてきた。それも羨ましそうな表情で。
ふふん♪なんともいい気持ちだ。私がやっていることはこの女にはできないこと、その優越感はまた格別だ。
食べさせられるのと食べさせるのとではあまりにも大きな差がある。小動物のようにただ一方的に与えられるだけの存在と甲斐甲斐しく食べさせてやるのとでは相手の抱く印象だって違う。手間や迷惑をかけるよりも世話を焼くようにする方がいいに決まっているだろう。
「…ユウタ、私にも頂戴」
「お前は一人で食べていればいいだろうが」
「食べられないからユウタに頼んでるの。それとも何?貴方が私に食べさせてくれるの?」
「そんなの虫唾が走るだろうが」
「ほら。ねぇユウタ、あーん」
「ユウタ、こちらを向いて口を開けろ」
「………はぁ」
「それじゃあお邪魔しました」
「ふふん。ユウタ、明日こそはちゃんと護衛として来るんだぞ」
「あ、うん…」
どこか疲れたように言葉を紡ぐユウタ。それはまるで手の掛かる子供を相手にした親のような姿だ。実際目の前にいたのは王国の王女と魔界の姫君、国一つ滅ぼしかねない戦力を有する女性が二人もいたのだから仕方ないことといえよう。
隣ではフィオナが立っていた。というか、正確に言うと私が無理やり立たせていた。
というのもこのまま私が戻ればこの部屋にユウタと二人きりになってしまう。そんなことではこの魔物が何をしでかすかわかったのではない。魔物側へと勧誘しあまつさえ交わりを求めて襲いかかることだろう。そんなことになれば魅了の効かないユウタでも耐えられるわけがない。
それ故この魔物は私の力をもって強制退去させようということだ。
「えっとね…その、ね…」
もじもじと頬を朱に染めながらフィオナはユウタの側に身を寄せた。下から見上げるような上目遣いで恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「今日はおいしいご飯をありがとう。それからお話できなくてごめんなさいね」
「ああ、いいよ。今度来たときにでもしてくれればさ。そのときは…そうだな、鯖の味噌煮とか豚の角煮とかつくろうか?」
「あ、うん…楽しみにしてるわ。それで、ね…?」
「うん?」
何をするのかと思ってみていれば突然顔をユウタの顔へとよせた。次の瞬間唇と右頬が音を立ててふれ合う。
「ちゅっ♪」
「!」
一歩体を引くと照れくさそうに顔を赤らめたフィオナが笑みを浮かべた。その笑みは流石魔物というか、同性である私でさえ美しいと感じてしまう。異性であるならば魅了がなくとも心を奪われていたかもしれない。
「ふふっ♪お礼」
「あ……あ、ああ」
それでも平常を保っていられるユウタは流石と言ったところだろうか。あの護衛の騎士や私の率いていた者達と違って我を失うことなどせずに普段通りに接するところはただ者ではない。
ただし、年相応の青少年と言うところかキスされたことでこちらも恥ずかしそうに頬を朱に染め掻いているところはいただけない。
恥ずかしそうに顔を赤くするフィオナと照れたように頬をかくユウタ。顔立ちの違う異国の男性と魔性の美貌を備えた魔物。まっさらな雪のように白いリリムと闇のように真っ黒な人間。
その正反対の姿をしたもの同士だからか、似合っているように見えてしまう。
「…」
もし今自分の顔を鏡で見れば青筋が浮かんでいたかもしれない。眉間に皺が寄っていたかもしれない。目つきが鋭く、剣呑な表情を浮かべていたかもしれない。とにかく自分の浮かべてる表情すら自覚できるほど今の私は苛立っていた。
人の護衛に何をやっているのだと。
魔物相手に何でれでれしているのだと。
苛立ち、腹立ち、しゃくにさわってむかむかする。
―このまま黙っていられようか。
―このまま見過ごすことができようか。
―そんなこと、できるわけがない。
先ほどと同様だ。私はこの国の王女、それも戦争を司り、軍事力を保持し、この国における軍務全ての決定権を持つ王女だ。その私が目の前でいかにもな挑発を受けて何もしないはずがない。例え罠だとわかっている挑発でも踏み越え勝利を掴む、それが私なのだから。
「ユウタ」
名を呼ぶとはっとした表情でこちらへ向き直るユウタ。先ほどとは打って変わって表情がわずかに緊張でこわばっている。フィオナの時は照れていたのにまるで怒られる前の子供みたいにビクビクするとはなんとも失礼だ。
「な、何…?」
「名を呼んだだけでそんな緊張するな。普段通りにしろ」
「普段通りにしろって…さっきのレジーナめちゃくちゃキレてたじゃん」
「うるさい黙れ。ちょっとこちらに体をよせろ」
困惑したような、それでいてどことなくびくつきながらユウタは私の方へと歩み寄ってくる。一歩、二歩、そこで足と止めた。後一歩近づけば体が触れ合うというこの距離ならばちょうどいい。
「顔をこちらへ向けろ」
「はっ!?」
「いいからさっさとしろ」
先ほどフィオナがしたことと同じ事をするのだろうとユウタは思っているに違いない。顔を赤くし、目を見開いてこちらを見つめてきた。
その様子を見て理解する。やはり年相応に初なところがあるらしい。本当にこの男は何を隠しているのかわからない。その表情はあとどんなものを浮かべてくれるのか見ていたくなる。
そして、これから私がすることでどのような表情を浮かべるのか眺めさせてもらおう。
「ふふんっ」
勝負というのは同じことで勝負するからこそその勝敗ははっきりとするものだ。剣術なら剣術、馬術なら馬術、そうすることによって明確な勝ち負けを決定することができる。
だが、ただ勝つために同じ事をするのは間違いだ。より高いパフォーマンスをしたもの、より質の高い挑戦をしたもの、より大きな賭に出たもの、より優れた実力を披露するものにこそ勝利というのは訪れる。
ならばどうするか。
フィオナがしたことはユウタの右頬にキスをしたこと。
ならば左頬に同じ事をするか?
―答えは『否』
ぐいっと指先でユウタの顎をひっつかむ。そのまま顔を上へと無理やり向けさせた。驚き見開かれた闇色の瞳が私の顔を映し出す。何度見ても引き込まれそうになる闇の色。私はそれを数秒眺めてから自分の顔をつきだした。
より正確に言うならば唇を。
押しつけた先は頬ではなく、唇に。
「んっ!」
「むっ!?」
「きゃっ!?」
私はユウタへ口づけをしていた。
男だというのに細くも逞しい腕の感触や異常なほど堅い手の甲や骨の感覚と比べるとその部分はずっと柔らかい。
さらには先ほどまで同じものを食べていたはずなのにどこか甘さを感じられる。そういえばこの男昼餉の時にデザートを多めに注文していたな。きっと女のように甘党なのだろうが、その割には甘すぎる。
驚き目を見開くユウタ。顔は真っ赤になりあわてたように両手をばたつかせた。だがその程度容易く片手で押さえ込んで行為を続ける。
舐るように、啄むように。
啜るように、噛み付くように。
隣にいた淫魔すら目を見開くほどの熱い口づけ。あまりの突然の大胆行動に顔も赤く染まっている。
「んっ♪」
「…」
「…」
唇を離すとユウタは固まったまま、フィオナはこちらをじっと見つめていた。対して私は指を突きつけ胸を張る。
「ふふんっ♪これは今日の分の褒美だ♪」
そんなことを言ってはいるが王族である私がこのようなことみだりにできるわけではない。一挙一動が国を左右する王女ゆえ、責任のとれないことをむやみにできるはずもない。
「私のファーストキスだぞ?ありがたく受け取っておけ♪」
だがユウタは顔を先ほど以上真っ赤にさせて俯いた。随分と反応が初々しいというか、悪くはない。
「…し、師匠にも奪われたことないのに……」
「何かいったか?」
「…いいえ」
ユウタの反応からするにこっちも同じで初めてのようだ。
初めてか…初めて……ふふん♪なんとも悪くない。相手にとっての初めての相手となるのは筆舌し難い喜びがあるものだ。
キスというの初めてしたが、悪くない。力ずくで一方的になってしまったが感触も味もどこかクセになる。
「明日はちゃんと私の護衛に来るんだぞ、ユウタ」
未だ顔を赤くしているユウタに私は指先をつきつけ、ドアを閉めると未だ固まっていたフィオナの首根っこを掴んで自室へと帰っていくのだった。
13/10/06 22:15更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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