憂さ晴らしの逢着
「…くそっ」
私は苦々しく吐き捨てるように呟いて王宮の廊下を歩いていた。かつかつとヒールの音を響かせながら行く宛てなく進み続ける。
『あんなこと』、わかってはいることだった。十分理解していた。いずれ来るだろうことは知っていた。
ふざけるなと怒鳴ってやりたかった。
あってたまるかと突きつけてやりたかった。
一国の王女としてどんなことでもまかり通るはずなのに、こればかりは私の意思は汲まれない。それも仕方ないと納得しているはずだった。
「くそ…っ」
一国の姫としてあってはならない言葉を再び吐き捨てる。
だが、収まらない。この程度では苛立ちなんてかき消せない。腹の奥で煮えたぎるこの感情。どうにかして発散できないものか。
そんな風に考えていると廊下の奥で一人の人間が目に入った。
「どうかな?可愛い可愛い子猫ちゃん♪」
歯の浮くような台詞を平然と吐いて目前の女性を口説く一人の人間。特徴的なのは深海のように真っ青な長髪だろうか。男と言うには体格はヤワそうだがその顔は整っていて十分に美という文字がつくほどのもの。
その人間は頬を朱に染めた女中の頬にそっと手を添えた。
「俺様と一緒に今夜、どう?」
「い、いけません…私には仕事がありますので…っ」
「つれないこと言わないでくれよ、子猫ちゃん♪俺様の瞳にはもう君しか映らないんだぜ?」
「だ、だめです…っ」
そうはいいつつもうっとりとした表情を浮かべる女中。女性であれば蕩けてしまうような甘く、だが私からしてみれば歯の浮くようなセリフを紡ぐ相手は優しく微笑むと添えた手で彼女の頬を撫でた。ただそれだけでも頬を朱に染めた女中は小さく言葉を紡ぐ。
「勇者、様ぁ…」
勇者。そう、女中の言うようにあの人間は勇者である。
この国でたった四人しかなれない頂点。一人一人が一軍以上の戦力を有することを条件に絶対的な地位を約束されるこの国の希望の光。民は慕い、王は信頼し、魔を滅することを使命とした存在だ。
その一角があの軟派者である。
「…」
一応王宮に仕える女中は一人でも欠けると仕事に支障をきたす。あのバカのナンパのせいで仕事が滞るのならこれは妥当な制裁となるだろう。王族として、そして人の上に立つものとして、正しき行いをするのが私の役目だ。
私は八つ当たり気味にナンパ者の背中を蹴り飛ばした。
「いだっ!?何しやがる!!」
背中を押さえてこちらを向いたそれは私の姿を見た途端表情を歪めた。
「げ、姫様…」
「なんだアイル。その言葉は」
アイル=フェン=リヴァージュ
それがこのナンパ者の名前であり、この国を背負う勇者である。
アイルはあからさまに苦々しい顔を浮かべ私の方へ向き直る。その隙に口説かれていた女中は私を見るなりはっとした表情を浮かべ、一礼してその場を駆け足で去っていった。
「あ、待ってよ子猫ちゃ〜んっ!……ったく、何してくれてんだよ姫様」
呼びかけにも答えず走り去っていった女中を残念そうに見送ると大きなため息とともに悪態をつく勇者。これでも一国を背負うほどの地位にいる者だというのだから頭が痛い。他の勇者も決して模範とはいえないが、少しは見習ってほしいものだ。
「真っ昼間から何をしているんだこのナンパ者」
「おっしゃったことそのまましてますぜ、姫様」
「お前は一応勇者だろう。それがあんな恥曝しのようなことばかりにかまけて…みっともないと思わないのか?」
「楽しいんだからよ、俺様やめらんねぇぜ。姫様だって戦うのが大好きだろ?つまりそういうことだ」
「それとこれとは話が別だ」
「同じだろ。姫様だって楽しんでやってるじゃん」
そう言ってアイルはにやりと笑みを浮かべた。何をするのかと思ったらするりと延びた手が私の頬に添えられ、指先が耳の下を撫でる。
「戦う楽しみしか知らないレジーナ姫、貴方様も口説かれる楽しみを知ってみませんか?」
その行動に、その言葉に、その手つきに、私は射殺すような視線でアイルを睨みつけた。
「くだらん。お前のような男らしくないナンパ者なぞに口説かれたところで楽しくはない」
「お〜怖」
ケラケラ品のない笑い声をあげて私の肌から手を離す。舌打ちをする私に向かってアイルは一言ぎりぎり聞こえる声で呟いた。
「ま、俺様も男らしい姫様を口説きたくはないんだけどねぇ」
「…」
私は無言で軟派者の腹を蹴り抜いた。床に倒れ伏した軟派者は蹴られた腹を押さえて悶えている。いい気味だ。
「ひ、ひどいぜ姫様ぁ」
それでも数十秒すれば何ともなかったかのようにけろりと喋るアイル。何とも鬱陶しい奴だ。まぁ、このぐらいの頑丈さがなければ勇者としてはやっていけないのだが。
「そんなにイライラしてちゃ俺様だって話しずらいんだって。口説きはしないけどお互い同じ歳同士、もっと仲良くしましょうぜ?」
「…ふんっ」
二度目は脇腹へ拳をたたき込んだ。鈍い音とともに再び崩れ落ちるアイル。私は特に気にすることなく置き去りにして歩き出した。
長い王宮の廊下を踏みしめて歩く。足音が壁に、天井に反響してうるさいが今はむしゃくしゃして気にならない。
そんな風にしてしばらく歩いていると足音以上の大きな音が窓の外から響いてきた。重く鋭く、耳慣れた音に私は足を止める。
「…ん?あれは」
私は窓の外の景色を見下ろした。城の中央部に位置するそこにあったのは騎士として仕える者達が鍛錬する修練場。その中央にいるのは模擬剣を振るう騎士達の姿。鍛練場の中央部にいるのは剣を振るって戦う二人の騎士。皆邪魔にならないように壁際で座り込み、二人の剣戟を見守っている。どうやら今は稽古の最中らしい。
「…ふふんっ♪」
いいものを見つけてしまった。こうムシャクシャしたときこそ体を動かしたいものだ。
「稽古に混ざらせてもらうぞ」
数分後私は騎士たちが稽古で使う模擬剣を片手に中庭の中央に立ってそう言った。
周りには先ほどまで稽古に励んでいた騎士達がこちらをじっと見つめている。皆顔には困惑の表情を浮かべながら口々に言葉を戸惑いの言葉を漏らしていた。
それもそうか。相手が一国を代表する姫様なのだからいきなりそんな発言されたらどうしていいのかわからないだろう。傷物にでもしようものなら打ち首は免れないし、一族郎党皆殺しなんて物騒な話もないわけじゃない。
だが、それを承知の上で掛かってくるバカで男らしいものが一人くらいいてもいいものだろうに。
「何だ?誰もかかってこないのか?」
「それはそうですよ、レジーナ様」
そう言ったのはいつの間にか私の側にいた男。周りの騎士たちと違って細かな装飾のされた鎧を纏う姿はただの騎士よりもずっと威厳と品格のあるものだった。この男こそ国の誇る精鋭騎士のトップ。騎士団長という役職を勝ち取った人間だ。
彼は呆れたような表情ながらもきちっとした口調と騎士の模範である礼儀正しい態度で私に言った。
「レジーナ様は一国の王女様。それを相手に全力を振るえる者無礼な者など騎士団にはおりません」
「そんなことは承知の上だ」
「それ以上に、私たちと貴方様では戦力差がありすぎます」
「…」
「ここにいる全員がレジーナ様に挑んだとしても勝てるどころか一撃入れることすらままならないのでは?」
それも重々承知の上でのことで私はここに立っている。
一応一国の姫という立場ではあるものの私は何度も戦場に赴き、時には策略を立てて、時には自ら剣を振るうことを何度もやってきた。それゆえここの騎士たちよりもずっと場数の数は多いだろうし、経験からいっても並べるのは隣の騎士団長くらいだろう。まず負けることはありえない。
だからこそ、それを覆すような男を見たいと思ってしまう。無謀で馬鹿などうしようもない者が一人くらいここにいてもいいのではないかと思ってしまう。
ここで立ち続けてもそんな男はいないし、誰も私へ向かってくることはない。何とも不抜けたというか、無駄に真面目というか。
だが、真面目であっても男であることに変わりない。
「こういうのはどうだ?私に一太刀…いや、一瞬触れるだけでもいい。それができた者には褒美として―」
私は自分の体を見せつけるように手を這わせ、艶めかしく言葉を紡いだ。
「―私を自由にできる権利を与えよう」
一国の王女の発言としてはまずありえないものだ。だがその言葉は騎士達を反応させるには十分なものだった。
私はさらにそこへ甘美な密を垂らすことにする。
「男だったらこの国一番の美貌を自由にしたくはないか?無論お咎めなしだ」
試しに自分の胸をすくい上げる。するとそれはドレス越しにも柔らかく形を変えて淫靡に歪んだ。
周りの男共の視線が集中し、唾を飲み込む音さえ聞こえてくる。
「一晩なんてケチくさいことは言わない。一週間…いや、一月でどうだ?一月もの間この高貴なる姫君に何をさせてもかまわないんだぞ?」
我ながら何という愚かなことを口走っているのだろうか。改めて考えるととんでもなく馬鹿馬鹿しい発言だ。自信があるからといって軽々しく言っていいものではない。
だが、そんなことを言ってしまうくらいに私は……焦っていたのかもしれない。
「どうだ?」
周りの騎士たちを見回した。皆息を荒くし、私に穴をあけるほどの視線を送ってくる。主に集中しているのは肌が露出した部分と先ほど見せつけた胸だ。
なんとも安っぽくて低俗な者達だと思う。もっとも紳士の下に野蛮な本能を隠してこそ男は勤まるというものだ。これくらい大目に見てやるとしよう。
「ふふんっ♪」
私は手元の模擬剣を握りしめ、空へと掲げる。そして、高らかに言った。
「男なら雄々しくかかってこい!!」
その一言により乱戦の火蓋は落とされた。
「…つまらん」
皆が皆剣を振るい我先にと私へ向かってきてから数十分。私は倒れ伏した騎士達の上に立っていた。
私を討ち取ろうとする威勢は男らしく素晴らしかった。だが素晴らしいのはそれだけだ。何人も私に傷を付けるどころか剣先すら届かない始末。さらには感情に流され欲望にまみれた一撃など見切るに容易く、また一斉に掛かってきたからか互いが互いの邪魔をしていた。
これが由緒正しき騎士団か。
これで教団屈指の精鋭部隊か。
部隊の指揮もないし、チームワークはかけらもないし、技量だってまったくない。一人前なのは威勢だけとはとんだ笑い種だ。これではいらだちを解消するどころか募る一方ではないか。
「つまらん」
もう一度私は吐き捨てるように呟いた。踏みつけた足下から『ありがとうございます』なんて聞こえてくるのだが無視。手にしていた模擬剣で肩を叩きながらため息をついた。
「あ〜あ…これまた随分頑張っちゃったんじゃないの、姫様」
そんなところへ耳に届く軽い声。そちらを振り向けば立っていたのは先ほど悶絶させたアイルの姿。どうやらもう回復したらしい。さすがは腐っても勇者というところか。
アイルは私の足下に山になっている騎士達を見てケタケタと笑った。
「いくら何でもやりすぎでしょ姫様。これじゃあ何か起きたときに騎士達が動けないぜ」
「こんな男らしくない腑抜け共に期待はしていない。いざとなったら私が行けばいいだけだ」
「とんでもない被害がでるからやめとけって」
呆れたように言うアイルを前に私は足下の騎士が握っていた模擬剣を蹴った。再び『ありがとうございます』と聞こえたのだが当然無視。乾いた音とともに転がっていくそれはアイルの側で動きを止めた。
「おいアイル。私は暇だ。相手しろ」
「え?俺様?」
「お前以外に誰がいると思ってるんだ」
勇者というのは稽古にあまり参加することはなく、積極的に戦ったりすることは禁止されている。というのも一人一人の戦力が大きすぎる故にそれに釣り合う相手がいないのと、いたとしても双方の消耗を防ぐためだ。
それだけの戦力があるのならいざというときのために温存しておくもの。だがアイル以外にも勇者と名乗る存在は三人いるんだ、一人ぐらい使いつぶしてもいいだろう。
だがやはりというか、アイルは渋る。
「えぇ?イヤだぜ俺様は。姫様の相手なんかしたら俺様の美貌が傷ついちゃうじゃん」
「別にお前の美貌なんてナンパにしか使えないだろ」
「ひっど〜。姫様そりゃないぜ。それに俺様を相手にするよりもあの女嫌いの野郎なんていいんじゃねえの?」
女嫌いの野郎。それはアイルと同じ地位にいる四人のうちの一人の勇者のこと。
相手が修道女だろうと女中だろうと、私たち王女であろうと容赦なく嫌い、露骨な態度をとる男性。性格は大問題だがそれでも勇者としてはこの上なく優秀であるから誰も強く言うことができないという厄介者。
「ふむ…」
確かにあの男なら適役だろう。女嫌いで嫌悪するあれならば私を本気で殺しに掛かってくる。せっかくの稽古なんだからそれぐらいやってもらわなければ楽しくない。
そんなふうに考えていると視界の端に一人の人間が映った。
「んん?」
どうやら先ほど皆の激闘についていけずに一人残っていたらしい。
周りに倒れ伏した者と同じ制服姿。防具一式も同様。ただ頭部に着ける防具を深くかぶったせいで顔は見えない。私に挑んできた屈強な騎士達と違い線の細い体をした男は手にした模擬剣を確かめるように握っている。
「ん?」
防具で影になって一瞬しか見えなかったが輝く瞳がちらりと覗いた。
「なんだ、まだいたのか」
大方同士討ちを避けるために飛び込まなかったのかそれとも私に勝てないと理解したからかかってこなかったんだろう。利口ではあるだろうが男らしいとは言えない。
私はその男に向かって歩み寄った。対して男はびくりと体を振るわせる。
「どうした?先ほどの私の言葉を聞いていなかったのか?」
男はその場から動かない。ただ狼狽えるばかりで模擬剣も満足に構えられていない。
「男らしくかかってこい。掠り傷だろうが打撃だろうが一撃でも私に攻撃をあてれば一月、私のことを自由にしていいのだぞ?」
それでも男は動かない。私の動きを見極めているのかそれとも臆しているのか。
どちらにしろ、男らしいとは思えない。
「来ないのか?」
ならば仕方ない。
「なら」
私自身が赴いてやるとしよう。
「こちらからいこう」
模擬剣を構えて私は飛び込んだ。一気に剣の届くぎりぎりの範囲内に踏み込んでいく。その際あえて上段に構え隙を見せつけてやるのも忘れない。
だが男は剣を振るわない。わざわざ私が餌を見せつけ食いつきやすくしているというのにだ。
そのまま軽くふるってやると乾いた音とともに模擬剣が宙に舞った。
「あっ」
「…」
男は模擬剣が吹き飛ばされた方へ視線を移していた。
何とも期待はずれの男だ。ここまでサービスしているのに一太刀も浴びせることなく終わってしまうなど呆気なさすぎる。それ以上に隙だらけだ。ここが戦場ならば敵から視線を外すなど自殺行為に等しいというのに。
このような男までもが騎士団に所属するなど頭が痛い。これでは騎士の採用基準を見直した方が良さそうだ。
呆気なく終わってしまった男を前に私は模擬剣を振り上げた。
見逃してもいいのだがここまでした以上他のもの同様に気絶させておくべきだろう。負けることを悔やみ、そうして騎士として一回り強くなる。この男にその可能性があるかはわからないがこんな男らしくないのが私の前に立っているというのは許し難いことでもある。
私はひと思いに男の頭を模擬剣で打ち抜いた。
だが―
「―…?」
手応えはなかった。人体を打ち抜く感触も、肉を突き上げる感覚も、人間一人分の体重もなにもない。ただ空を切っただけだった。
模擬剣の切っ先を見ればそこに先ほどの男が立ったままだった。
模擬剣は飛ばしたから持ってない。素手で受けたわけでもない。切っ先数センチ先に男の体があるだけだった。
どうやら私が模擬剣のリーチを見誤っていたらしい。随分とらしくない失敗をする。きっとこんな拍子抜けした相手のせいで調子がわずかながらに狂ったのだろう。
そう思って今度は下から顎を打ち抜くように切り上げた。
「っ!」
だが先ほど同様に空を切る始末。何も伝わってこない手応えに私は目を見開いた。
―また、当たらなかった。
一度目は奇跡というものがあるだろう。それこそ運が良かったとか、偶然だとかで処理できる。
だが二度も同じことが起きるはずはない。それ以前に二度も同じ失敗をする私ではない。
見ると剣先は顔を掠めることなく頭上へと突き出されていた。
「…なんだ」
拍子抜けしたが、案外やる男なのか。
試しにさらに一撃見舞いする。今度は脇腹へと凪ぐように振るうとまた剣は空を切った。
どうやら今度は剣のリーチからぎりぎり届かないところまで下がったらしい。先ほどと立っている位置が数歩変わっていた。
これで三度、よけられた。
これはもう偶然ではない、必然の域だ。
間違いなくこの男は見えている。私の攻撃をわかっている。届かないぎりぎりの場所を見極めている。
私は自然に笑みが浮かんだ。
「ふふんっ」
徐々によくなっていく機嫌。感情に突き動かされるままに再び剣を振るうとまたはずれた。
足下を狙った一撃はその場から片足を上げるだけで避けられる。
先ほどまで騎士達を昏倒させてきた私の一撃が並のものではないことは証明できている。それどころか単純な戦力とすれば勇者と並ぶぐらいはあると自負している。だというのに私の一撃をぎりぎりで躱すこの男はいったい何なのか。
今度は一歩強く踏み込んで抉るように模擬剣を突き出す。それだけではなく追撃をかけるように蹴りまで放つ。
一瞬に二度の攻撃。並の男なら昏倒どころか骨折ものの技だがやはり男はするりと避ける。剣先を半身そらして避け、蹴りにあわせて体を捻ってやり過ごす。
凪げば煽られ、突けば流れ、それはまるで風に舞う木の葉を切っているかのような姿だった。
「ふふんっ♪いいぞ、お前っ!」
その言葉とともに今度はフェイントをかけて模擬剣を突きだした。懐を狙うと見せて頭を狙う。すると今度の攻撃に男は―
「―っ!?」
フェイクである一撃に過剰な反応を示した。腹部だけ引かせやはり剣先が届かないぎりぎりの位置まで逃げる。だがその一撃は罠であり、本命は頭部を狙った一撃だ。
―かんっと堅い感触が模擬剣に伝わってきた。
肉を打つ感触ではない。骨を突いた感覚でもない。
どうやらつけていた防具をはじいただけらしく、防具が宙へ飛ばされた。フェイクだと気づいてからの間一髪の回避には感嘆に値する瞬発力だった。
遅れて地面に転がる音が中庭内に響きわたる。深く被った防具に隠された素顔が今露わになった。
「…んん?」
見慣れない顔立ちに私たちとは違う肌の色。ここの国ではまず見られない髪の毛にまっすぐ向けられた特徴的な瞳。
アイルが青と表現できるならこの男は黒だった。
短く癖のある夜のような黒髪に光のない闇を切り裂きはめ込んだような瞳。どちらもこの国の民には見られないものであり、この大陸でもそうそういない人間のもの。
確か…あの女嫌いもこのような感じだったはずだ。あいつの髪の毛はくすんだ黒髪だったが目の前の男同様に瞳は黒だったはず。
知り合いか、関わり深いものか、それとも偶然似ているだけか。
一瞬考え込むと後ろからアイルの驚く声が聞こえてきた。
「ユ、ユウタ君!?」
聞き覚えのある名前に私はああ、そうだったと思う。確かこの男は数週間前に異世界から呼び寄せた者だった。
勇者になるべく、また国の希望となるべき者を他の世界から召還するという儀式によって召還された者は特別な力を持っているだとか、主神により特別な力を与えられるだとか、勇者になるべく素質が備わっていると言われている。呼び出された者には当たり外れがあるが私の知る中では召還された者は皆この国で高い地位についていた。
ならこの男はどうか。
青少年というべき年頃でありながら私に真っ向から立っている。騎士共が倒れ伏す中で一人私の攻撃を避け続ける姿は常人の域から飛び抜けている。戦闘の素質は十分だといえるだろう。
「ふふんっ♪」
存外他の世界というのは馬鹿にできないものだ。このような平和ぼけした顔の小僧が私の攻撃を容易く避けるというのだから。
「気に入ったぞ、小僧」
私は模擬剣の切っ先をまっすぐ向けて構える。いつでも突き出し貫けるように。
訓練とはいえ突きの攻撃は大怪我をする危険性があるがこの小僧なら容易く避けるだろう。避けられずとも反応くらいは見せてくれるはずだ。
「男らしく掛かってこい、小僧。私に一撃入れればお前の勝ちなんだぞ?これだけ私の攻撃を避けられるというのだから、直撃は難しくても掠る程度の攻撃ならできるのではないか?」
相手は動かない。私の言葉を聞いてただ静かに腰を下げ、足を広げてこちらへ手のひらを向けた。何の構えかはわからない。今まで見たことのないものだ。だがそれからわかることは一つ。
―迎え撃つつもりか、この私を…!
きっとカウンターで私に攻撃をあわせるのだろう。積極性に欠けるものの戦う意志を見せたところは賞賛してやろう。
「ふふんっ♪」
私は小僧の目を見据えながら呼吸を整えていく。さほど乱れてはいないがより集中力を高めるため、湧き出した闘争心を鋭く研ぎ澄ますため、戦う意志を見せた小僧への返礼のため。
漆黒色の瞳は私の体を捉えたまま動かない。あちらも同じようにただ静かに呼吸を整え、来る一撃に備えて構え続ける。
勝負はほんの一瞬。瞬きよりも短い一刹那。
「ふっ!」
極限まで高めた集中を解き放ち、模擬剣の鋒を胸の中央めがけて打ち出した。人の目にはまず映らない闘争心の一撃は一直線に突き進んでいく。
瞬きすれば終わってしまう。
息を呑む暇さえ与えない。
その一撃を小僧は―
「っ!」
―ばんっと、あろう事か両手で私の剣を挟み込んだ。
「っ♪」
まさか真っ向から剣による攻撃を受け止めるとは度胸があるなんてものではない。そこには確かな知識と見合った経験と、刹那の判断力と屈しない覚悟がある。
戦うためにはどれ一つとして欠けてはならないもの。激戦を経なければ手に入れることのできないもの。
―この男は、最高だ!
「…あれ?」
「んっ?」
だがそう思ったのも束の間、私の一撃の勢いを殺すことができずに小僧は体勢を崩して後ろに倒れかかる。それどころか未だ模擬剣を握ったままの私も巻き込むように体を引かれた。
足が地面から離れていく。重心がぶれてバランスが崩れてしまう。この程度すぐに体勢を立て直せるはずだったが一瞬気が緩んでしまったらしく体が追いつかない。
「おわっ!」
「きゃっ!」
結果、私は小僧諸共中庭の地面に倒れ伏した。
傍から見れば私が押し倒しているようで小僧の上に覆いかぶさっている。傍らで「姫様大胆〜」と軽い声が聞こえるのだが今はそれどころではない。
すぐさま身を起こすと小僧の指先が喉元に添えられていることに気づいた。おそらく私を受け止めるつもりで手を出したのかもう片方は肩を掴んでいた。対する私は模擬剣から手離れ、力なく覆いかぶさっていた。
膠着状態。
添えられた指先には切り揃えられたとはいえ力の加減で喉を破壊できるだろう爪がある。その気はないだろうがこの小僧にはそれほどの技量があることはもう理解している。
「ふふっ……♪」
「…あ、ごめん」
私は小さく笑い、小僧は慌てて手をどけるものの勝敗は既に決まっていた。
「っはー…しっかし驚いたなぁ。ユウタ君一体騎士たちに紛れてなにやってんの?服だって騎士の制服になってるし、いつも一緒にいる女嫌いは?」
「なんだか遠征行くって言ってしばらくここにはいないよ」
「うん?ユウタ君は一緒に行かねーの?」
「オレにはまだ色々と早いとさ。だからせめて体だけでも動かしとかないと鈍っちゃうからここで紛れて練習してたんだよ」
「その割には目立たないように端の方でサボってたみたいだけど?」
「異界人だからか皆オレを邪険に扱ってくれるからさ、一人でやってたんだよ」
「…そこまでしてこんな連中と一緒にいなくてもいいんじゃねーの?ほれ、俺様のところに来ればナンパの楽しさを伝授してやるぜ?」
「遠慮しとく」
パタパタと服についた砂を落としながら小僧はアイルと話しているのを私は眺めていた。女ばかり口説くこの馬鹿勇者が男相手にプライベートでここまで話をすることはまず見られない。それどころかこの小僧、他の勇者とも良好な関係であるのだから驚きだ。
「んで、姫様。結果は誰が見ても明らかだったけどどうするんで?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらアイルはこちらを振り返った。その隣にいる小僧は私の発言など覚えていないのかキョトンとしている。
だが、勝敗は勝敗だ。発言の内容を忘れていても私が負け、この小僧が勝った。その事実は変わらない。
それにアイルはしっかりと聞いていたらしい。あんなことを言ってしまった手前なかったことなどできはしない。王女があそこまで豪語したのだから取り消そうものなら一生の恥だ。
「…仕方ない。ディユシエロ王国王女、レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロに二言はない。煮るなり焼くなりお前の好きにすればいい」
「…えー」
私の言葉にあからさまに迷惑がる小僧。これでも勇気を持った発言だったというのにこのような顔をされると正直腹立たしい。
「どうした?男だったらこのような美人を前に何もしないなど腰抜けと同じだぞ?」
「そうだぜユウタ君。ここは思い切って裸踊りでもさせて」
「ふんっ!」
全力の一撃をアイルの腹めがけて打ち込む。アイルは中庭の城壁まで飛ばされ、轟音とともにヒビを入れて事切れたように動かなくなった。やりすぎかもしれないがこのくらいが馬鹿にはちょうどいい。
改めて目の前の男を見据える。依然として変わらない困り顔を浮かべ視線を泳がす姿はじれったさを覚えるものだった。
「何だ?決めかねているのか?悩むことは悪い事じゃないが曖昧なのは男としていいとはいえないぞ」
「いや、その、いや…」
どもる言葉に移ろう視線。頬を掻いては乾いた笑いでごまかそうとする男に私はため息をついた。
先ほどの大胆な行動は何だったのか。私の攻撃を掻い潜った精神力に一撃必殺に値する剣撃を平然と避ける度胸。格上の存在の前に立つ並ならない覚悟と無様な姿を晒さない肝の据わった姿勢。
どれも男としてこの上なく上等なもの。だというのにどうしてこんな些細なことを迷っているのか。
「…よし」
そう思っているとようやく覚悟を決めたのか男は私をまっすぐに見つめてきた。光の届かない谷底のような限りなく広がる闇の色をした瞳の中に私の姿が映し出される。
「決まったか?」
私の言葉に静かに頷いた。
「ならば申してみよ」
正直恥ずかしいことこの上ない。だがああ言ってしまったゆえに何でもしなければならない。一国の王女に対して男が何をさせるかなんて予想はつくがそれを踏まえた上での発言だったんだ、こうなってしまった以上どうにもできない。
今更遅い後悔をしつつ言葉を待っていると男はにぃっと笑って言った。
「んじゃ、パスで」
「…は?」
あまりにも短い返答に思わず拍子抜けした声が出た。
「パスって言ったんだよ。パス」
「は……はぁ!?その発言がどう言うことかわかっているのか!一国の王女を自由にできると言っているのに何を言ってるんだ!?」
「だからパスだって言ってるんだよ。いきなりそんなこと言われても偶々勝っちゃったようなもんだし本来なら無効じゃないの?」
「ふざけるな。あれはお前の勝ちだろう?王女相手がそうだと言っているんだからそうなんだ!」
「えー…」
再びあからさまに困った顔をする男。がしがしと頭を掻いて仕方ないかと小さく呟きこちらを見据える。
一度見たら忘れられない、すべてを吸い込みそうな闇色の瞳。その中に宿る光は柔らかなもの。
「んじゃこの勝敗はなかったことにする。それがオレの望みかな」
「…ふざけているのかお前は」
先ほどと何らか変わらない発言に思わずドスの利いた低い声が出る。それどころか手元にあった模擬剣をつかみ取っていた。ここで殴りかかってもどうせ避けられてしまうのだろうが。
だが相手はからから子供のように笑うだけ。それでいて鬼の首をとったような表情をこちらに向けてきた。
「んん?ディユシエロ王国のお姫様に二言はなかったんじゃないの?」
「っ!」
この男は…っ!!
先ほどは最高だと思ったが全然違う。腹の底が全く見えず何を考えているのかもわからない。私の妹とはまた違う読めない思考を持った変わり者だった。
「お、男だったら決断に迫られてもそのようにあやふやにするのではなくしゃんとしー」
「二言は、なかったんじゃないの?」
「〜っ!!」
その言葉に私は口を噤むしかなかった。
なんともこの男は、男らしくない意地の悪い男だ…っ!
「くそっ!」
城下町の明かりも弱まり空高く輝く月の光が射し込む夜。稽古に乱入騒ぎも終わり、今日やるべき仕事も済ませた私は一人部屋にこもっていた。本来この時間帯は妹や父上と談笑したり軍務の見直しをしたり、戦略の本を読んだりとするのだがあいにく私にはそれすらも手に着かない。
私はベッドの上に四肢を投げ出して倒れ伏していた。
「…くそ」
思い出されるのは昼間の稽古のこと。そして、あの小僧のこと。
私の一撃一撃を容易く避け、それどころか受け止めようとする覚悟すら見せてきた。だというのに子供っぽい笑みを浮かべるかと思いきや人の揚げ足を取って得意げな顔をする。にこやかに笑っているかと思えばとびきりの悪戯を思いついた小童みたいな発言をする。人の神経を逆撫でするようでいて挑発とはまた違う感覚に悪意は欠片も感じられない。
「…くそ」
だからこそタチが悪い。
何を考えているのかわからない。深く切り立った谷底のように底が見えない暗闇のようになにがあるのかわからない。その心の中も思惑も、人の上に立つことに慣れている私にさえ推し量ることはできない。
だからこそ―
「…ふふん♪」
―だからこそ、面白い。
あんな人間今までいなかった。別世界からきた人間は皆とても変わった者共だったがあれは他の者以上に変わってる。皆変に突出した性格だったがあれはそんなものではない。特に目立つ人柄ではないが、それでも惹かれる何かがある。
「黒崎…ユウタ、か…」
そっと唇に乗せる男の名。男の名など今まで何人も口にしてきたがその名前だけは不思議なくらいに馴染んでくる。
私よりも一回りは歳が離れていそうな青少年。平々凡々な面構えをしながらもそこらの騎士以上に戦える姿。子供みたいにからから笑う声。そして、闇を切り裂いてはめ込んだような黒い瞳。
ベッドの上で寝転がり、異性のことを考える。それはまるで恋い焦がれる乙女のような姿だっただろう。
「…」
そして、憂う姿も乙女の姿だったかもしれない。
「どうして…」
どうして今になってあのような者が出てくるのだろうか。
どうしてもっと早く私の前に出てきてくれなかったのだろうか。
男らしくなくても私の周りにいないようなタイプの人間がこんなタイミングで出てきてくれるのだろう。
主神を恨みたくなった。
主神あってのこの国だというのに、皆崇めて称えなければいけない存在なのに、それでも恨めしく思ってしまう。
「いや…」
こんなのバカバカしい。恋い焦がれる歳はもうとっくに過ぎたというのに。うだうだ今更言ったところで事態は好転しない。
だが、楽しみでしょうがないことも事実。あのような男性に今までどうして会えなかったのかという後悔とこれから何をしてやろうかという期待を胸に私は薄ら笑みを浮かべた。
その時だった。
「…っ」
背後でかたんっと乾いた音がした。音からするにおそらく飾っている刀剣がたてた音だろう。それならば気にならない。
それだけならば、気にならなかった。
「…何をしている?」
私はベッドから身を起こして背後へと問いかける。傍から見れば私一人しかいない部屋で何をしているのかと思われることだろう。だが構わず私はしゃべり続ける。
「今日の私は頗る気分がいいんだ、邪魔をするな。そのまま去るなら何もしないでいてやる」
背後へ振り向くことはしない。だが背後にいるであろう何かに向かって私は一応の警戒態勢をとった。
しかし相手の反応はない。それはつまり、立ち去るつもりはないということ。
「…ふんっ!」
私は傍らに飾ってあった刀剣の一つを背後へ投げつけた。鋭く光る刃は回転しながらそこにあるであろうものを容赦なく突き刺さらんと向かっていく。
「きゃんっ」
次の瞬間、この空間内にはないはずの私以外の声が聞こえた。遅れて刃が固い壁に突き刺さる音が響く。
「い、いきなり剣を投げつけるってどういう常識してるのよ!!」
「お前なんぞに常識は必要ないだろう?」
耳障りな高い怒声に私は冷たい返答を返す。本来ならばそんなことすらもしてやるいわれもないが答えないとしつこくつきまとってくるから仕方ない。
「もう、相変わらずなんだから」
その一言に私はゆっくりと背後を振り返った。
普段見慣れた私の部屋。豪勢な装飾の施された置物や猛々しいデザインの刀剣が飾られた壁、高級そうな絨毯に天蓋付きのベッドと王族としてありがちな空間内でここにいてはいけない女が一人立っていた。
闇夜の中でも輝く真っ白な髪の毛をなびかせて、暗闇に溶けるような真っ黒な服を纏って、深淵から見据えるような真っ赤な瞳をこちらに向けて。
女は笑う、楽しそうに。
そして呼ぶ、私の名前を。
「レ・ジ・ー・ナ♪」
相手が普通の男性ならば誰もが魅了されていた。
相手がただの女性であっても魅惑に捕らわれていた。
それほどまでに女は美しく、だけども禍々しい存在だった。
悪魔のような翼を広げ、化け物のような尻尾を揺らし、怪物のような黒い角を生やしたその女はー
「フィオナ…っ」
―魔物の頂点である魔王の娘。
―かつて率いていた私の騎士達を全て奪い去っていった魔界の姫君。
「さっさと消えろ。私は今虫の居所が悪い」
「何よ、さっきは頗る気分がいいって言ってたでしょ?」
「お前のせいで悪くなった。さっさと失せろ。じゃないと消すぞ?」
「いやん、怖い」
楽しげに身をくねらせるリリムを前に私は別の刀剣を投げつけた。
「きゃっ!?ちょ、ちょっと!そんなに連続して投げないでよ!!」
「うるさい黙れ消えろ」
次々と投げつけるのだがリリムは髪数本を散らすだけで一向に刺さりはしない。あんな軽そうな女でも魔王の娘と言うことだろう、その実力は並の勇者すら軽く凌駕する。
この国の勇者でもやっと対等にといえるくらいか。
私でも悔しいが同程度というぐらいだろうか。
それ故私がここにいる限りこのリリムはこの国で自由に行動できない。
代わりにこのリリムのせいで私は滅多に国外に出られない。
仮に私が出て行けばこの国は大きな戦力を失うこととなる。その隙に攻られようものならば陥落はしなくとも甚大な被害を受けることは免れない。
だがそれは向こうにもいえること。私が軍を率いて魔界に攻め込めば容易く落とす自信はある。流石に損害を出さずにとはいかないがそれでも壊滅的なダメージを与えてやれると豪語できる。
それゆえここで私はこのリリムの抑止力となっていて、このリリムは私の枷となっていた。
「もう、相変わらずなんだから」
ここで四人の勇者を呼べばリリムといえど苦戦は必須。だがそれは私の力がリリム一人にすら手間取る弱者だという証明にもなる。一国を統べるための王族として、軍務を司る王女としてそれはあってはならない。
それ以上にこの国の恥になる。
以前この国以上に栄え、皆の希望となっていた国があった。宗教国家として大規模に発展し、有能な人材にも恵まれていた素晴らしい国だった。
だが陥落した。
相手は違うが落としたのは私の目の前にいるのと同じリリム。
そのような存在の進入を容易く許すなどあってはならないことだ。もしもあの国と同じと思われればそこかしこから攻められることとなろう。そのような事態に陥ればこの国と言えど激しい消耗を強いられる。最悪落とされることだってある。
それはあってはならないことだ。王族として、王女としてこの国の未来を守らなければならないのだから。
「…ふん」
目の前にいるのは今現在この国に私以外に気づかれずに侵入できるたった一人の存在。それでいて気を抜けば国一つを落とされかねない脅威。
互いに枷として、楔としてあり続けなければどちらかが甚大な被害を出すこととなる。だからこそ私が止めなければならないし、できることならここで浄化しなければならない。
私は魔力を手に集中させる。ゆっくりと溜まっていくそれは明かりのない部屋を白く照らし出し、やがては剣の形となった。
王族に宿る退魔の力。魔物の魔力を浄化する光。掠っただけでも体内に侵入し内側から焼き尽くす神聖なる刃。
だが相手はそれを知っているのに依然として不敵な笑みを浮かべるだけ。
「あら?今日も踊る?」
そう言ってゆっくり引き抜くように手を伸ばすとそこには紫色に輝く禍々しい魔力が剣を象っていた。
リリムが作り出した濃密な魔力の塊。掠ろうものなら猛毒のように浸透し体中を汚染する、一太刀で堕落へと引きずり込む凶悪な刃。
互いが互いを殺す剣を握りしめ私たちは相対する。
「―ふっ」
先に動いたのは私だった。それなりに距離のある位置から飛び込んでいく。手にした剣で昼間よりもずっと鋭く、ずっと早く貫くために最速の一撃を打ち出した。しかしリリムは真っ向からその禍々しい刃で受け止めた。
退魔の光と堕落の光が交わることなく弾ける。二つの光は流星のように飛び散ると部屋の暗がりに飲まれて消えた。
「そんなカッカしないでよ。せっかくの綺麗な顔が台無しよ?」
「黙れ。私の護衛達を奪っておいてよくもまぁいけしゃあしゃあとここへ来れるな」
「あの人たちなら皆魔物と一緒に暮らしてるわよ?それはもう私から見ても羨ましいくらいにね」
「そうか、なら浄化する対象が増えるということだ」
「もう、そんな物騒なこと言わないで。貴方も一緒にこちらへ来ましょうよ?」
「お前が死ぬなら考えてやろう。最も、考えたところで行くはずないがな…っ」
込めた力を一瞬でも抜こうものなら相手の刃は容易く私を貫くだろう。逆もまた、同じ。
お互いの実力は同程度。ゆえに一瞬の油断が命取りとなる。
力任せに弾くとそのまま一閃、二閃と剣と剣がぶつかりあった。
首を狙えば弾かれ、足を狙えば飛んで避け、心臓を狙えば受け止められる。
だがこちらも負けてはいない。
体を狙われれば翻し、腕を狙われればいなし、胸を狙われれば叩きつける。
傍から見れば目で追えない激戦の中、それでも喋る余裕があるのはまだまだ余力を残しているからだろう。
「もう、こんなこと毎回してるだけじゃないの」
「それが嫌なら剣を捨てればいいだろう?安心しろ、痛みを与えず浄化してやる」
「物騒なことはなしにしましょうよ。私は貴方と争いたいとは思ってないんだから」
「どうだか。魔物の言うことなんぞ信用できるか」
「ひどいわね。もう、なんで毎回貴方はツンケンしてるのかしら?自分にとって大切な男性を見つけてみたら変わるんじゃないの?」
その言葉に一瞬脳裏に過る男性像。私と一回り年齢の離れた青少年の姿。
ああ、そうだ、それがあるじゃないか。
私は思いついたらすぐさま剣を象っていた魔力を消し去った。
「っ!」
「大切ではないが、興味を抱いた男性ならばいるぞ」
いきなり剣が消えたことにより体勢を崩すリリム。だがこれで禍々しい剣を遮るものはなくなった。このチャンスを見逃すほどこの魔物は愚かではない。
「ふっ!」
一瞬、普通の人間ではまず目で追えない一撃が打ち出された。
瞬きすれば終わってしまう。
息を呑む暇さえ与えない。
その一撃を―
―ばしんっと、私は両手でその刃を受け止めた。
「えっ!?」
「ふふんっ♪存外、度胸があればできるものだな!」
両手に浄化の魔力を放出させ、リリムの刃を受け止めた。バチバチと白と紫の光が飛び散るがこれで相手は剣を振るうことはできなくなる。
次の瞬間私は剣を無理やり引き寄せた。
「え、あ!」
昼間の私のように体勢を崩したリリム。そのまま剣を引っ張り、思い切り床へと叩きつけてやる。
「きゃっ!」
一瞬痛みに顔を歪めるも瞼を閉じないところは魔物といえ流石というべきか。だがマウントはこちらが取った。この状況、有利なのは私だ。
すぐさま私は魔力を纏ったままの片手を突き出した。
「や、ちょっと待って!」
剣に比べれば威力は劣るが魔物にとって脅威であることに変わりない一撃。リリムは全力で首を左に傾け間一髪で避けた。
はらりと、数本切れた白い髪の毛が散り、青い炎を出して消えた。
「ちょっと!何してくれるのよ!結構気に入ってるとこなのに!」
「安心しろ、どうせ全て浄化されるっ!」
たった一度指先が貫けば間違いなくこの魔物は終わりだ。素手で肉体を貫く技術なんて私にはないがそれでもかすり傷程度ならなんとかなるはず。傷口さえ開けばこちらのもの。
しかしリリムの表情には焦りの色は見られなかった。
「ちょっと分が悪いわね。残念だけど今日はここら辺でお暇させてもらうわ」
そう言ってリリムは私の背後に何かを向けた。視界の端に映った白く細いそれは人間にない尻尾。その先で私ではなく何を狙っているのか、それはすぐに知ることとなる。
「割れて」
その言葉とともにはじき出される魔力の塊。どす黒く禍々しいそれは部屋のドア付近にぶつかると弾けて消えた。
ぱりんっとガラスを叩き割ったような音を立てて。
「―っ!」
その音は紛れもないこの部屋の結界を破った音だった。
どのような衝撃を防ぎ、どんな魔法すら退ける強固な防御魔法。数人係で発動する大型魔法ですら耐えうるそれが遮るのは単純な力だけではない。
私の下でにやりと笑みを浮かべるリリム。してやられたと認識する頃には後の祭りだった。
「きゃぁああああああっ!!誰かぁぁあ!!」
防音機能すら持っていた結界が破られた今、上げられた悲鳴は遮られることなく部屋の外に聞こえてしまう。さらには、外には私を護衛する騎士が二人、常に待機していた。
この国を治める王族の一人、それも女性の部屋から悲鳴が聞こえれば男だろうが女だろうが、女中であろうが騎士であろうが驚かずに入られない。
そして、リリムの目論見通り部屋のドアが開け放たれた。
「レジーナ様!?」
「どうかなさいましたか!?」
剣を携えた二人の視線が取っ組み合ってる私に向く。しかしそこにいるのは私だけではない。
ただ存在するだけで男を魅了する魔性の美貌を持った禍々しい存在。いるだけで人間を堕落へと導く魔の体現者。ただ見ただけで心を奪う魔王の娘。
「見るなっ!」
叫ぶものの時すでに遅く二人の視界にリリムが入ってしまう。ただそれだけだった。
二人は目を見開きその場に硬直する。顔を赤く染め域を荒げ剣から手が離れていく。そして、まるで自ら襲ってくださいと懇願するように体から力を抜いて倒れ込んでしまった。
しまった。そう思ったときにはリリムは私の下から抜け出していた。
「じゃあね、レジーナ♪」
まるで再会を約束した友のように気軽に私の名前を口にするとリリムの足下からどす黒い液状の何かが膨れ上がり包まれる。もごもごと蠢くそれに飲み込まれしばらくするとその物体は内側から破裂するように弾け飛んだ。
結果、その場には何もなかったかのように私の視界には普段通りの部屋の光景が広がっていた。
「…くそ」
また、してやられた。
お互いの実力が拮抗しているからか勝負はつかない。私は魔物にならない代わりにあのリリムを浄化することができない。それどころか損失まで出す始末だ。
護衛の騎士二人を見る。二人はもういなくなったというのに未だに恍惚とした表情を浮かべて何かを待ち望んでいた。
リリム特有の、見るだけで心を虜にする『魅了』。かつて私に忠誠を誓った護衛部隊全員を姿を見せるだけで心を捉え、魔物へと堕落させた恐るべきもの。
一度捕らわれれば暫く心は戻らない。
一旦絡まれたらすぐに理性は返らない。
それにあらがえるのは私や勇者のような存在ぐらいだろう。
「これでは護衛も勤まらないな…」
まともな理性が戻らない二人を前に私はそう呟いた。この二人が正気に戻るには暫く日を要することになる。仕方ない、無理矢理気絶でもさせ他の騎士に回収させておこう。
そうなると私の護衛役はいなくなる。まぁ、いたところで私が自分の身を守れないわけもないのだが。
「…ああ、そうだ」
新しい護衛として適する奴がいるではないか。
私の攻撃を容易く退けて、偶然とはいえ私の実力を上回る興味深いあの男が。
「ふふんっ♪」
そうと決まればすぐにでも。
私は机の上にあった羽ペンとインクを手に取るとすぐさま羊皮紙を広げる。そこへ鼻歌交じりに文字を描いていくのだった。
私は苦々しく吐き捨てるように呟いて王宮の廊下を歩いていた。かつかつとヒールの音を響かせながら行く宛てなく進み続ける。
『あんなこと』、わかってはいることだった。十分理解していた。いずれ来るだろうことは知っていた。
ふざけるなと怒鳴ってやりたかった。
あってたまるかと突きつけてやりたかった。
一国の王女としてどんなことでもまかり通るはずなのに、こればかりは私の意思は汲まれない。それも仕方ないと納得しているはずだった。
「くそ…っ」
一国の姫としてあってはならない言葉を再び吐き捨てる。
だが、収まらない。この程度では苛立ちなんてかき消せない。腹の奥で煮えたぎるこの感情。どうにかして発散できないものか。
そんな風に考えていると廊下の奥で一人の人間が目に入った。
「どうかな?可愛い可愛い子猫ちゃん♪」
歯の浮くような台詞を平然と吐いて目前の女性を口説く一人の人間。特徴的なのは深海のように真っ青な長髪だろうか。男と言うには体格はヤワそうだがその顔は整っていて十分に美という文字がつくほどのもの。
その人間は頬を朱に染めた女中の頬にそっと手を添えた。
「俺様と一緒に今夜、どう?」
「い、いけません…私には仕事がありますので…っ」
「つれないこと言わないでくれよ、子猫ちゃん♪俺様の瞳にはもう君しか映らないんだぜ?」
「だ、だめです…っ」
そうはいいつつもうっとりとした表情を浮かべる女中。女性であれば蕩けてしまうような甘く、だが私からしてみれば歯の浮くようなセリフを紡ぐ相手は優しく微笑むと添えた手で彼女の頬を撫でた。ただそれだけでも頬を朱に染めた女中は小さく言葉を紡ぐ。
「勇者、様ぁ…」
勇者。そう、女中の言うようにあの人間は勇者である。
この国でたった四人しかなれない頂点。一人一人が一軍以上の戦力を有することを条件に絶対的な地位を約束されるこの国の希望の光。民は慕い、王は信頼し、魔を滅することを使命とした存在だ。
その一角があの軟派者である。
「…」
一応王宮に仕える女中は一人でも欠けると仕事に支障をきたす。あのバカのナンパのせいで仕事が滞るのならこれは妥当な制裁となるだろう。王族として、そして人の上に立つものとして、正しき行いをするのが私の役目だ。
私は八つ当たり気味にナンパ者の背中を蹴り飛ばした。
「いだっ!?何しやがる!!」
背中を押さえてこちらを向いたそれは私の姿を見た途端表情を歪めた。
「げ、姫様…」
「なんだアイル。その言葉は」
アイル=フェン=リヴァージュ
それがこのナンパ者の名前であり、この国を背負う勇者である。
アイルはあからさまに苦々しい顔を浮かべ私の方へ向き直る。その隙に口説かれていた女中は私を見るなりはっとした表情を浮かべ、一礼してその場を駆け足で去っていった。
「あ、待ってよ子猫ちゃ〜んっ!……ったく、何してくれてんだよ姫様」
呼びかけにも答えず走り去っていった女中を残念そうに見送ると大きなため息とともに悪態をつく勇者。これでも一国を背負うほどの地位にいる者だというのだから頭が痛い。他の勇者も決して模範とはいえないが、少しは見習ってほしいものだ。
「真っ昼間から何をしているんだこのナンパ者」
「おっしゃったことそのまましてますぜ、姫様」
「お前は一応勇者だろう。それがあんな恥曝しのようなことばかりにかまけて…みっともないと思わないのか?」
「楽しいんだからよ、俺様やめらんねぇぜ。姫様だって戦うのが大好きだろ?つまりそういうことだ」
「それとこれとは話が別だ」
「同じだろ。姫様だって楽しんでやってるじゃん」
そう言ってアイルはにやりと笑みを浮かべた。何をするのかと思ったらするりと延びた手が私の頬に添えられ、指先が耳の下を撫でる。
「戦う楽しみしか知らないレジーナ姫、貴方様も口説かれる楽しみを知ってみませんか?」
その行動に、その言葉に、その手つきに、私は射殺すような視線でアイルを睨みつけた。
「くだらん。お前のような男らしくないナンパ者なぞに口説かれたところで楽しくはない」
「お〜怖」
ケラケラ品のない笑い声をあげて私の肌から手を離す。舌打ちをする私に向かってアイルは一言ぎりぎり聞こえる声で呟いた。
「ま、俺様も男らしい姫様を口説きたくはないんだけどねぇ」
「…」
私は無言で軟派者の腹を蹴り抜いた。床に倒れ伏した軟派者は蹴られた腹を押さえて悶えている。いい気味だ。
「ひ、ひどいぜ姫様ぁ」
それでも数十秒すれば何ともなかったかのようにけろりと喋るアイル。何とも鬱陶しい奴だ。まぁ、このぐらいの頑丈さがなければ勇者としてはやっていけないのだが。
「そんなにイライラしてちゃ俺様だって話しずらいんだって。口説きはしないけどお互い同じ歳同士、もっと仲良くしましょうぜ?」
「…ふんっ」
二度目は脇腹へ拳をたたき込んだ。鈍い音とともに再び崩れ落ちるアイル。私は特に気にすることなく置き去りにして歩き出した。
長い王宮の廊下を踏みしめて歩く。足音が壁に、天井に反響してうるさいが今はむしゃくしゃして気にならない。
そんな風にしてしばらく歩いていると足音以上の大きな音が窓の外から響いてきた。重く鋭く、耳慣れた音に私は足を止める。
「…ん?あれは」
私は窓の外の景色を見下ろした。城の中央部に位置するそこにあったのは騎士として仕える者達が鍛錬する修練場。その中央にいるのは模擬剣を振るう騎士達の姿。鍛練場の中央部にいるのは剣を振るって戦う二人の騎士。皆邪魔にならないように壁際で座り込み、二人の剣戟を見守っている。どうやら今は稽古の最中らしい。
「…ふふんっ♪」
いいものを見つけてしまった。こうムシャクシャしたときこそ体を動かしたいものだ。
「稽古に混ざらせてもらうぞ」
数分後私は騎士たちが稽古で使う模擬剣を片手に中庭の中央に立ってそう言った。
周りには先ほどまで稽古に励んでいた騎士達がこちらをじっと見つめている。皆顔には困惑の表情を浮かべながら口々に言葉を戸惑いの言葉を漏らしていた。
それもそうか。相手が一国を代表する姫様なのだからいきなりそんな発言されたらどうしていいのかわからないだろう。傷物にでもしようものなら打ち首は免れないし、一族郎党皆殺しなんて物騒な話もないわけじゃない。
だが、それを承知の上で掛かってくるバカで男らしいものが一人くらいいてもいいものだろうに。
「何だ?誰もかかってこないのか?」
「それはそうですよ、レジーナ様」
そう言ったのはいつの間にか私の側にいた男。周りの騎士たちと違って細かな装飾のされた鎧を纏う姿はただの騎士よりもずっと威厳と品格のあるものだった。この男こそ国の誇る精鋭騎士のトップ。騎士団長という役職を勝ち取った人間だ。
彼は呆れたような表情ながらもきちっとした口調と騎士の模範である礼儀正しい態度で私に言った。
「レジーナ様は一国の王女様。それを相手に全力を振るえる者無礼な者など騎士団にはおりません」
「そんなことは承知の上だ」
「それ以上に、私たちと貴方様では戦力差がありすぎます」
「…」
「ここにいる全員がレジーナ様に挑んだとしても勝てるどころか一撃入れることすらままならないのでは?」
それも重々承知の上でのことで私はここに立っている。
一応一国の姫という立場ではあるものの私は何度も戦場に赴き、時には策略を立てて、時には自ら剣を振るうことを何度もやってきた。それゆえここの騎士たちよりもずっと場数の数は多いだろうし、経験からいっても並べるのは隣の騎士団長くらいだろう。まず負けることはありえない。
だからこそ、それを覆すような男を見たいと思ってしまう。無謀で馬鹿などうしようもない者が一人くらいここにいてもいいのではないかと思ってしまう。
ここで立ち続けてもそんな男はいないし、誰も私へ向かってくることはない。何とも不抜けたというか、無駄に真面目というか。
だが、真面目であっても男であることに変わりない。
「こういうのはどうだ?私に一太刀…いや、一瞬触れるだけでもいい。それができた者には褒美として―」
私は自分の体を見せつけるように手を這わせ、艶めかしく言葉を紡いだ。
「―私を自由にできる権利を与えよう」
一国の王女の発言としてはまずありえないものだ。だがその言葉は騎士達を反応させるには十分なものだった。
私はさらにそこへ甘美な密を垂らすことにする。
「男だったらこの国一番の美貌を自由にしたくはないか?無論お咎めなしだ」
試しに自分の胸をすくい上げる。するとそれはドレス越しにも柔らかく形を変えて淫靡に歪んだ。
周りの男共の視線が集中し、唾を飲み込む音さえ聞こえてくる。
「一晩なんてケチくさいことは言わない。一週間…いや、一月でどうだ?一月もの間この高貴なる姫君に何をさせてもかまわないんだぞ?」
我ながら何という愚かなことを口走っているのだろうか。改めて考えるととんでもなく馬鹿馬鹿しい発言だ。自信があるからといって軽々しく言っていいものではない。
だが、そんなことを言ってしまうくらいに私は……焦っていたのかもしれない。
「どうだ?」
周りの騎士たちを見回した。皆息を荒くし、私に穴をあけるほどの視線を送ってくる。主に集中しているのは肌が露出した部分と先ほど見せつけた胸だ。
なんとも安っぽくて低俗な者達だと思う。もっとも紳士の下に野蛮な本能を隠してこそ男は勤まるというものだ。これくらい大目に見てやるとしよう。
「ふふんっ♪」
私は手元の模擬剣を握りしめ、空へと掲げる。そして、高らかに言った。
「男なら雄々しくかかってこい!!」
その一言により乱戦の火蓋は落とされた。
「…つまらん」
皆が皆剣を振るい我先にと私へ向かってきてから数十分。私は倒れ伏した騎士達の上に立っていた。
私を討ち取ろうとする威勢は男らしく素晴らしかった。だが素晴らしいのはそれだけだ。何人も私に傷を付けるどころか剣先すら届かない始末。さらには感情に流され欲望にまみれた一撃など見切るに容易く、また一斉に掛かってきたからか互いが互いの邪魔をしていた。
これが由緒正しき騎士団か。
これで教団屈指の精鋭部隊か。
部隊の指揮もないし、チームワークはかけらもないし、技量だってまったくない。一人前なのは威勢だけとはとんだ笑い種だ。これではいらだちを解消するどころか募る一方ではないか。
「つまらん」
もう一度私は吐き捨てるように呟いた。踏みつけた足下から『ありがとうございます』なんて聞こえてくるのだが無視。手にしていた模擬剣で肩を叩きながらため息をついた。
「あ〜あ…これまた随分頑張っちゃったんじゃないの、姫様」
そんなところへ耳に届く軽い声。そちらを振り向けば立っていたのは先ほど悶絶させたアイルの姿。どうやらもう回復したらしい。さすがは腐っても勇者というところか。
アイルは私の足下に山になっている騎士達を見てケタケタと笑った。
「いくら何でもやりすぎでしょ姫様。これじゃあ何か起きたときに騎士達が動けないぜ」
「こんな男らしくない腑抜け共に期待はしていない。いざとなったら私が行けばいいだけだ」
「とんでもない被害がでるからやめとけって」
呆れたように言うアイルを前に私は足下の騎士が握っていた模擬剣を蹴った。再び『ありがとうございます』と聞こえたのだが当然無視。乾いた音とともに転がっていくそれはアイルの側で動きを止めた。
「おいアイル。私は暇だ。相手しろ」
「え?俺様?」
「お前以外に誰がいると思ってるんだ」
勇者というのは稽古にあまり参加することはなく、積極的に戦ったりすることは禁止されている。というのも一人一人の戦力が大きすぎる故にそれに釣り合う相手がいないのと、いたとしても双方の消耗を防ぐためだ。
それだけの戦力があるのならいざというときのために温存しておくもの。だがアイル以外にも勇者と名乗る存在は三人いるんだ、一人ぐらい使いつぶしてもいいだろう。
だがやはりというか、アイルは渋る。
「えぇ?イヤだぜ俺様は。姫様の相手なんかしたら俺様の美貌が傷ついちゃうじゃん」
「別にお前の美貌なんてナンパにしか使えないだろ」
「ひっど〜。姫様そりゃないぜ。それに俺様を相手にするよりもあの女嫌いの野郎なんていいんじゃねえの?」
女嫌いの野郎。それはアイルと同じ地位にいる四人のうちの一人の勇者のこと。
相手が修道女だろうと女中だろうと、私たち王女であろうと容赦なく嫌い、露骨な態度をとる男性。性格は大問題だがそれでも勇者としてはこの上なく優秀であるから誰も強く言うことができないという厄介者。
「ふむ…」
確かにあの男なら適役だろう。女嫌いで嫌悪するあれならば私を本気で殺しに掛かってくる。せっかくの稽古なんだからそれぐらいやってもらわなければ楽しくない。
そんなふうに考えていると視界の端に一人の人間が映った。
「んん?」
どうやら先ほど皆の激闘についていけずに一人残っていたらしい。
周りに倒れ伏した者と同じ制服姿。防具一式も同様。ただ頭部に着ける防具を深くかぶったせいで顔は見えない。私に挑んできた屈強な騎士達と違い線の細い体をした男は手にした模擬剣を確かめるように握っている。
「ん?」
防具で影になって一瞬しか見えなかったが輝く瞳がちらりと覗いた。
「なんだ、まだいたのか」
大方同士討ちを避けるために飛び込まなかったのかそれとも私に勝てないと理解したからかかってこなかったんだろう。利口ではあるだろうが男らしいとは言えない。
私はその男に向かって歩み寄った。対して男はびくりと体を振るわせる。
「どうした?先ほどの私の言葉を聞いていなかったのか?」
男はその場から動かない。ただ狼狽えるばかりで模擬剣も満足に構えられていない。
「男らしくかかってこい。掠り傷だろうが打撃だろうが一撃でも私に攻撃をあてれば一月、私のことを自由にしていいのだぞ?」
それでも男は動かない。私の動きを見極めているのかそれとも臆しているのか。
どちらにしろ、男らしいとは思えない。
「来ないのか?」
ならば仕方ない。
「なら」
私自身が赴いてやるとしよう。
「こちらからいこう」
模擬剣を構えて私は飛び込んだ。一気に剣の届くぎりぎりの範囲内に踏み込んでいく。その際あえて上段に構え隙を見せつけてやるのも忘れない。
だが男は剣を振るわない。わざわざ私が餌を見せつけ食いつきやすくしているというのにだ。
そのまま軽くふるってやると乾いた音とともに模擬剣が宙に舞った。
「あっ」
「…」
男は模擬剣が吹き飛ばされた方へ視線を移していた。
何とも期待はずれの男だ。ここまでサービスしているのに一太刀も浴びせることなく終わってしまうなど呆気なさすぎる。それ以上に隙だらけだ。ここが戦場ならば敵から視線を外すなど自殺行為に等しいというのに。
このような男までもが騎士団に所属するなど頭が痛い。これでは騎士の採用基準を見直した方が良さそうだ。
呆気なく終わってしまった男を前に私は模擬剣を振り上げた。
見逃してもいいのだがここまでした以上他のもの同様に気絶させておくべきだろう。負けることを悔やみ、そうして騎士として一回り強くなる。この男にその可能性があるかはわからないがこんな男らしくないのが私の前に立っているというのは許し難いことでもある。
私はひと思いに男の頭を模擬剣で打ち抜いた。
だが―
「―…?」
手応えはなかった。人体を打ち抜く感触も、肉を突き上げる感覚も、人間一人分の体重もなにもない。ただ空を切っただけだった。
模擬剣の切っ先を見ればそこに先ほどの男が立ったままだった。
模擬剣は飛ばしたから持ってない。素手で受けたわけでもない。切っ先数センチ先に男の体があるだけだった。
どうやら私が模擬剣のリーチを見誤っていたらしい。随分とらしくない失敗をする。きっとこんな拍子抜けした相手のせいで調子がわずかながらに狂ったのだろう。
そう思って今度は下から顎を打ち抜くように切り上げた。
「っ!」
だが先ほど同様に空を切る始末。何も伝わってこない手応えに私は目を見開いた。
―また、当たらなかった。
一度目は奇跡というものがあるだろう。それこそ運が良かったとか、偶然だとかで処理できる。
だが二度も同じことが起きるはずはない。それ以前に二度も同じ失敗をする私ではない。
見ると剣先は顔を掠めることなく頭上へと突き出されていた。
「…なんだ」
拍子抜けしたが、案外やる男なのか。
試しにさらに一撃見舞いする。今度は脇腹へと凪ぐように振るうとまた剣は空を切った。
どうやら今度は剣のリーチからぎりぎり届かないところまで下がったらしい。先ほどと立っている位置が数歩変わっていた。
これで三度、よけられた。
これはもう偶然ではない、必然の域だ。
間違いなくこの男は見えている。私の攻撃をわかっている。届かないぎりぎりの場所を見極めている。
私は自然に笑みが浮かんだ。
「ふふんっ」
徐々によくなっていく機嫌。感情に突き動かされるままに再び剣を振るうとまたはずれた。
足下を狙った一撃はその場から片足を上げるだけで避けられる。
先ほどまで騎士達を昏倒させてきた私の一撃が並のものではないことは証明できている。それどころか単純な戦力とすれば勇者と並ぶぐらいはあると自負している。だというのに私の一撃をぎりぎりで躱すこの男はいったい何なのか。
今度は一歩強く踏み込んで抉るように模擬剣を突き出す。それだけではなく追撃をかけるように蹴りまで放つ。
一瞬に二度の攻撃。並の男なら昏倒どころか骨折ものの技だがやはり男はするりと避ける。剣先を半身そらして避け、蹴りにあわせて体を捻ってやり過ごす。
凪げば煽られ、突けば流れ、それはまるで風に舞う木の葉を切っているかのような姿だった。
「ふふんっ♪いいぞ、お前っ!」
その言葉とともに今度はフェイントをかけて模擬剣を突きだした。懐を狙うと見せて頭を狙う。すると今度の攻撃に男は―
「―っ!?」
フェイクである一撃に過剰な反応を示した。腹部だけ引かせやはり剣先が届かないぎりぎりの位置まで逃げる。だがその一撃は罠であり、本命は頭部を狙った一撃だ。
―かんっと堅い感触が模擬剣に伝わってきた。
肉を打つ感触ではない。骨を突いた感覚でもない。
どうやらつけていた防具をはじいただけらしく、防具が宙へ飛ばされた。フェイクだと気づいてからの間一髪の回避には感嘆に値する瞬発力だった。
遅れて地面に転がる音が中庭内に響きわたる。深く被った防具に隠された素顔が今露わになった。
「…んん?」
見慣れない顔立ちに私たちとは違う肌の色。ここの国ではまず見られない髪の毛にまっすぐ向けられた特徴的な瞳。
アイルが青と表現できるならこの男は黒だった。
短く癖のある夜のような黒髪に光のない闇を切り裂きはめ込んだような瞳。どちらもこの国の民には見られないものであり、この大陸でもそうそういない人間のもの。
確か…あの女嫌いもこのような感じだったはずだ。あいつの髪の毛はくすんだ黒髪だったが目の前の男同様に瞳は黒だったはず。
知り合いか、関わり深いものか、それとも偶然似ているだけか。
一瞬考え込むと後ろからアイルの驚く声が聞こえてきた。
「ユ、ユウタ君!?」
聞き覚えのある名前に私はああ、そうだったと思う。確かこの男は数週間前に異世界から呼び寄せた者だった。
勇者になるべく、また国の希望となるべき者を他の世界から召還するという儀式によって召還された者は特別な力を持っているだとか、主神により特別な力を与えられるだとか、勇者になるべく素質が備わっていると言われている。呼び出された者には当たり外れがあるが私の知る中では召還された者は皆この国で高い地位についていた。
ならこの男はどうか。
青少年というべき年頃でありながら私に真っ向から立っている。騎士共が倒れ伏す中で一人私の攻撃を避け続ける姿は常人の域から飛び抜けている。戦闘の素質は十分だといえるだろう。
「ふふんっ♪」
存外他の世界というのは馬鹿にできないものだ。このような平和ぼけした顔の小僧が私の攻撃を容易く避けるというのだから。
「気に入ったぞ、小僧」
私は模擬剣の切っ先をまっすぐ向けて構える。いつでも突き出し貫けるように。
訓練とはいえ突きの攻撃は大怪我をする危険性があるがこの小僧なら容易く避けるだろう。避けられずとも反応くらいは見せてくれるはずだ。
「男らしく掛かってこい、小僧。私に一撃入れればお前の勝ちなんだぞ?これだけ私の攻撃を避けられるというのだから、直撃は難しくても掠る程度の攻撃ならできるのではないか?」
相手は動かない。私の言葉を聞いてただ静かに腰を下げ、足を広げてこちらへ手のひらを向けた。何の構えかはわからない。今まで見たことのないものだ。だがそれからわかることは一つ。
―迎え撃つつもりか、この私を…!
きっとカウンターで私に攻撃をあわせるのだろう。積極性に欠けるものの戦う意志を見せたところは賞賛してやろう。
「ふふんっ♪」
私は小僧の目を見据えながら呼吸を整えていく。さほど乱れてはいないがより集中力を高めるため、湧き出した闘争心を鋭く研ぎ澄ますため、戦う意志を見せた小僧への返礼のため。
漆黒色の瞳は私の体を捉えたまま動かない。あちらも同じようにただ静かに呼吸を整え、来る一撃に備えて構え続ける。
勝負はほんの一瞬。瞬きよりも短い一刹那。
「ふっ!」
極限まで高めた集中を解き放ち、模擬剣の鋒を胸の中央めがけて打ち出した。人の目にはまず映らない闘争心の一撃は一直線に突き進んでいく。
瞬きすれば終わってしまう。
息を呑む暇さえ与えない。
その一撃を小僧は―
「っ!」
―ばんっと、あろう事か両手で私の剣を挟み込んだ。
「っ♪」
まさか真っ向から剣による攻撃を受け止めるとは度胸があるなんてものではない。そこには確かな知識と見合った経験と、刹那の判断力と屈しない覚悟がある。
戦うためにはどれ一つとして欠けてはならないもの。激戦を経なければ手に入れることのできないもの。
―この男は、最高だ!
「…あれ?」
「んっ?」
だがそう思ったのも束の間、私の一撃の勢いを殺すことができずに小僧は体勢を崩して後ろに倒れかかる。それどころか未だ模擬剣を握ったままの私も巻き込むように体を引かれた。
足が地面から離れていく。重心がぶれてバランスが崩れてしまう。この程度すぐに体勢を立て直せるはずだったが一瞬気が緩んでしまったらしく体が追いつかない。
「おわっ!」
「きゃっ!」
結果、私は小僧諸共中庭の地面に倒れ伏した。
傍から見れば私が押し倒しているようで小僧の上に覆いかぶさっている。傍らで「姫様大胆〜」と軽い声が聞こえるのだが今はそれどころではない。
すぐさま身を起こすと小僧の指先が喉元に添えられていることに気づいた。おそらく私を受け止めるつもりで手を出したのかもう片方は肩を掴んでいた。対する私は模擬剣から手離れ、力なく覆いかぶさっていた。
膠着状態。
添えられた指先には切り揃えられたとはいえ力の加減で喉を破壊できるだろう爪がある。その気はないだろうがこの小僧にはそれほどの技量があることはもう理解している。
「ふふっ……♪」
「…あ、ごめん」
私は小さく笑い、小僧は慌てて手をどけるものの勝敗は既に決まっていた。
「っはー…しっかし驚いたなぁ。ユウタ君一体騎士たちに紛れてなにやってんの?服だって騎士の制服になってるし、いつも一緒にいる女嫌いは?」
「なんだか遠征行くって言ってしばらくここにはいないよ」
「うん?ユウタ君は一緒に行かねーの?」
「オレにはまだ色々と早いとさ。だからせめて体だけでも動かしとかないと鈍っちゃうからここで紛れて練習してたんだよ」
「その割には目立たないように端の方でサボってたみたいだけど?」
「異界人だからか皆オレを邪険に扱ってくれるからさ、一人でやってたんだよ」
「…そこまでしてこんな連中と一緒にいなくてもいいんじゃねーの?ほれ、俺様のところに来ればナンパの楽しさを伝授してやるぜ?」
「遠慮しとく」
パタパタと服についた砂を落としながら小僧はアイルと話しているのを私は眺めていた。女ばかり口説くこの馬鹿勇者が男相手にプライベートでここまで話をすることはまず見られない。それどころかこの小僧、他の勇者とも良好な関係であるのだから驚きだ。
「んで、姫様。結果は誰が見ても明らかだったけどどうするんで?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらアイルはこちらを振り返った。その隣にいる小僧は私の発言など覚えていないのかキョトンとしている。
だが、勝敗は勝敗だ。発言の内容を忘れていても私が負け、この小僧が勝った。その事実は変わらない。
それにアイルはしっかりと聞いていたらしい。あんなことを言ってしまった手前なかったことなどできはしない。王女があそこまで豪語したのだから取り消そうものなら一生の恥だ。
「…仕方ない。ディユシエロ王国王女、レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロに二言はない。煮るなり焼くなりお前の好きにすればいい」
「…えー」
私の言葉にあからさまに迷惑がる小僧。これでも勇気を持った発言だったというのにこのような顔をされると正直腹立たしい。
「どうした?男だったらこのような美人を前に何もしないなど腰抜けと同じだぞ?」
「そうだぜユウタ君。ここは思い切って裸踊りでもさせて」
「ふんっ!」
全力の一撃をアイルの腹めがけて打ち込む。アイルは中庭の城壁まで飛ばされ、轟音とともにヒビを入れて事切れたように動かなくなった。やりすぎかもしれないがこのくらいが馬鹿にはちょうどいい。
改めて目の前の男を見据える。依然として変わらない困り顔を浮かべ視線を泳がす姿はじれったさを覚えるものだった。
「何だ?決めかねているのか?悩むことは悪い事じゃないが曖昧なのは男としていいとはいえないぞ」
「いや、その、いや…」
どもる言葉に移ろう視線。頬を掻いては乾いた笑いでごまかそうとする男に私はため息をついた。
先ほどの大胆な行動は何だったのか。私の攻撃を掻い潜った精神力に一撃必殺に値する剣撃を平然と避ける度胸。格上の存在の前に立つ並ならない覚悟と無様な姿を晒さない肝の据わった姿勢。
どれも男としてこの上なく上等なもの。だというのにどうしてこんな些細なことを迷っているのか。
「…よし」
そう思っているとようやく覚悟を決めたのか男は私をまっすぐに見つめてきた。光の届かない谷底のような限りなく広がる闇の色をした瞳の中に私の姿が映し出される。
「決まったか?」
私の言葉に静かに頷いた。
「ならば申してみよ」
正直恥ずかしいことこの上ない。だがああ言ってしまったゆえに何でもしなければならない。一国の王女に対して男が何をさせるかなんて予想はつくがそれを踏まえた上での発言だったんだ、こうなってしまった以上どうにもできない。
今更遅い後悔をしつつ言葉を待っていると男はにぃっと笑って言った。
「んじゃ、パスで」
「…は?」
あまりにも短い返答に思わず拍子抜けした声が出た。
「パスって言ったんだよ。パス」
「は……はぁ!?その発言がどう言うことかわかっているのか!一国の王女を自由にできると言っているのに何を言ってるんだ!?」
「だからパスだって言ってるんだよ。いきなりそんなこと言われても偶々勝っちゃったようなもんだし本来なら無効じゃないの?」
「ふざけるな。あれはお前の勝ちだろう?王女相手がそうだと言っているんだからそうなんだ!」
「えー…」
再びあからさまに困った顔をする男。がしがしと頭を掻いて仕方ないかと小さく呟きこちらを見据える。
一度見たら忘れられない、すべてを吸い込みそうな闇色の瞳。その中に宿る光は柔らかなもの。
「んじゃこの勝敗はなかったことにする。それがオレの望みかな」
「…ふざけているのかお前は」
先ほどと何らか変わらない発言に思わずドスの利いた低い声が出る。それどころか手元にあった模擬剣をつかみ取っていた。ここで殴りかかってもどうせ避けられてしまうのだろうが。
だが相手はからから子供のように笑うだけ。それでいて鬼の首をとったような表情をこちらに向けてきた。
「んん?ディユシエロ王国のお姫様に二言はなかったんじゃないの?」
「っ!」
この男は…っ!!
先ほどは最高だと思ったが全然違う。腹の底が全く見えず何を考えているのかもわからない。私の妹とはまた違う読めない思考を持った変わり者だった。
「お、男だったら決断に迫られてもそのようにあやふやにするのではなくしゃんとしー」
「二言は、なかったんじゃないの?」
「〜っ!!」
その言葉に私は口を噤むしかなかった。
なんともこの男は、男らしくない意地の悪い男だ…っ!
「くそっ!」
城下町の明かりも弱まり空高く輝く月の光が射し込む夜。稽古に乱入騒ぎも終わり、今日やるべき仕事も済ませた私は一人部屋にこもっていた。本来この時間帯は妹や父上と談笑したり軍務の見直しをしたり、戦略の本を読んだりとするのだがあいにく私にはそれすらも手に着かない。
私はベッドの上に四肢を投げ出して倒れ伏していた。
「…くそ」
思い出されるのは昼間の稽古のこと。そして、あの小僧のこと。
私の一撃一撃を容易く避け、それどころか受け止めようとする覚悟すら見せてきた。だというのに子供っぽい笑みを浮かべるかと思いきや人の揚げ足を取って得意げな顔をする。にこやかに笑っているかと思えばとびきりの悪戯を思いついた小童みたいな発言をする。人の神経を逆撫でするようでいて挑発とはまた違う感覚に悪意は欠片も感じられない。
「…くそ」
だからこそタチが悪い。
何を考えているのかわからない。深く切り立った谷底のように底が見えない暗闇のようになにがあるのかわからない。その心の中も思惑も、人の上に立つことに慣れている私にさえ推し量ることはできない。
だからこそ―
「…ふふん♪」
―だからこそ、面白い。
あんな人間今までいなかった。別世界からきた人間は皆とても変わった者共だったがあれは他の者以上に変わってる。皆変に突出した性格だったがあれはそんなものではない。特に目立つ人柄ではないが、それでも惹かれる何かがある。
「黒崎…ユウタ、か…」
そっと唇に乗せる男の名。男の名など今まで何人も口にしてきたがその名前だけは不思議なくらいに馴染んでくる。
私よりも一回りは歳が離れていそうな青少年。平々凡々な面構えをしながらもそこらの騎士以上に戦える姿。子供みたいにからから笑う声。そして、闇を切り裂いてはめ込んだような黒い瞳。
ベッドの上で寝転がり、異性のことを考える。それはまるで恋い焦がれる乙女のような姿だっただろう。
「…」
そして、憂う姿も乙女の姿だったかもしれない。
「どうして…」
どうして今になってあのような者が出てくるのだろうか。
どうしてもっと早く私の前に出てきてくれなかったのだろうか。
男らしくなくても私の周りにいないようなタイプの人間がこんなタイミングで出てきてくれるのだろう。
主神を恨みたくなった。
主神あってのこの国だというのに、皆崇めて称えなければいけない存在なのに、それでも恨めしく思ってしまう。
「いや…」
こんなのバカバカしい。恋い焦がれる歳はもうとっくに過ぎたというのに。うだうだ今更言ったところで事態は好転しない。
だが、楽しみでしょうがないことも事実。あのような男性に今までどうして会えなかったのかという後悔とこれから何をしてやろうかという期待を胸に私は薄ら笑みを浮かべた。
その時だった。
「…っ」
背後でかたんっと乾いた音がした。音からするにおそらく飾っている刀剣がたてた音だろう。それならば気にならない。
それだけならば、気にならなかった。
「…何をしている?」
私はベッドから身を起こして背後へと問いかける。傍から見れば私一人しかいない部屋で何をしているのかと思われることだろう。だが構わず私はしゃべり続ける。
「今日の私は頗る気分がいいんだ、邪魔をするな。そのまま去るなら何もしないでいてやる」
背後へ振り向くことはしない。だが背後にいるであろう何かに向かって私は一応の警戒態勢をとった。
しかし相手の反応はない。それはつまり、立ち去るつもりはないということ。
「…ふんっ!」
私は傍らに飾ってあった刀剣の一つを背後へ投げつけた。鋭く光る刃は回転しながらそこにあるであろうものを容赦なく突き刺さらんと向かっていく。
「きゃんっ」
次の瞬間、この空間内にはないはずの私以外の声が聞こえた。遅れて刃が固い壁に突き刺さる音が響く。
「い、いきなり剣を投げつけるってどういう常識してるのよ!!」
「お前なんぞに常識は必要ないだろう?」
耳障りな高い怒声に私は冷たい返答を返す。本来ならばそんなことすらもしてやるいわれもないが答えないとしつこくつきまとってくるから仕方ない。
「もう、相変わらずなんだから」
その一言に私はゆっくりと背後を振り返った。
普段見慣れた私の部屋。豪勢な装飾の施された置物や猛々しいデザインの刀剣が飾られた壁、高級そうな絨毯に天蓋付きのベッドと王族としてありがちな空間内でここにいてはいけない女が一人立っていた。
闇夜の中でも輝く真っ白な髪の毛をなびかせて、暗闇に溶けるような真っ黒な服を纏って、深淵から見据えるような真っ赤な瞳をこちらに向けて。
女は笑う、楽しそうに。
そして呼ぶ、私の名前を。
「レ・ジ・ー・ナ♪」
相手が普通の男性ならば誰もが魅了されていた。
相手がただの女性であっても魅惑に捕らわれていた。
それほどまでに女は美しく、だけども禍々しい存在だった。
悪魔のような翼を広げ、化け物のような尻尾を揺らし、怪物のような黒い角を生やしたその女はー
「フィオナ…っ」
―魔物の頂点である魔王の娘。
―かつて率いていた私の騎士達を全て奪い去っていった魔界の姫君。
「さっさと消えろ。私は今虫の居所が悪い」
「何よ、さっきは頗る気分がいいって言ってたでしょ?」
「お前のせいで悪くなった。さっさと失せろ。じゃないと消すぞ?」
「いやん、怖い」
楽しげに身をくねらせるリリムを前に私は別の刀剣を投げつけた。
「きゃっ!?ちょ、ちょっと!そんなに連続して投げないでよ!!」
「うるさい黙れ消えろ」
次々と投げつけるのだがリリムは髪数本を散らすだけで一向に刺さりはしない。あんな軽そうな女でも魔王の娘と言うことだろう、その実力は並の勇者すら軽く凌駕する。
この国の勇者でもやっと対等にといえるくらいか。
私でも悔しいが同程度というぐらいだろうか。
それ故私がここにいる限りこのリリムはこの国で自由に行動できない。
代わりにこのリリムのせいで私は滅多に国外に出られない。
仮に私が出て行けばこの国は大きな戦力を失うこととなる。その隙に攻られようものならば陥落はしなくとも甚大な被害を受けることは免れない。
だがそれは向こうにもいえること。私が軍を率いて魔界に攻め込めば容易く落とす自信はある。流石に損害を出さずにとはいかないがそれでも壊滅的なダメージを与えてやれると豪語できる。
それゆえここで私はこのリリムの抑止力となっていて、このリリムは私の枷となっていた。
「もう、相変わらずなんだから」
ここで四人の勇者を呼べばリリムといえど苦戦は必須。だがそれは私の力がリリム一人にすら手間取る弱者だという証明にもなる。一国を統べるための王族として、軍務を司る王女としてそれはあってはならない。
それ以上にこの国の恥になる。
以前この国以上に栄え、皆の希望となっていた国があった。宗教国家として大規模に発展し、有能な人材にも恵まれていた素晴らしい国だった。
だが陥落した。
相手は違うが落としたのは私の目の前にいるのと同じリリム。
そのような存在の進入を容易く許すなどあってはならないことだ。もしもあの国と同じと思われればそこかしこから攻められることとなろう。そのような事態に陥ればこの国と言えど激しい消耗を強いられる。最悪落とされることだってある。
それはあってはならないことだ。王族として、王女としてこの国の未来を守らなければならないのだから。
「…ふん」
目の前にいるのは今現在この国に私以外に気づかれずに侵入できるたった一人の存在。それでいて気を抜けば国一つを落とされかねない脅威。
互いに枷として、楔としてあり続けなければどちらかが甚大な被害を出すこととなる。だからこそ私が止めなければならないし、できることならここで浄化しなければならない。
私は魔力を手に集中させる。ゆっくりと溜まっていくそれは明かりのない部屋を白く照らし出し、やがては剣の形となった。
王族に宿る退魔の力。魔物の魔力を浄化する光。掠っただけでも体内に侵入し内側から焼き尽くす神聖なる刃。
だが相手はそれを知っているのに依然として不敵な笑みを浮かべるだけ。
「あら?今日も踊る?」
そう言ってゆっくり引き抜くように手を伸ばすとそこには紫色に輝く禍々しい魔力が剣を象っていた。
リリムが作り出した濃密な魔力の塊。掠ろうものなら猛毒のように浸透し体中を汚染する、一太刀で堕落へと引きずり込む凶悪な刃。
互いが互いを殺す剣を握りしめ私たちは相対する。
「―ふっ」
先に動いたのは私だった。それなりに距離のある位置から飛び込んでいく。手にした剣で昼間よりもずっと鋭く、ずっと早く貫くために最速の一撃を打ち出した。しかしリリムは真っ向からその禍々しい刃で受け止めた。
退魔の光と堕落の光が交わることなく弾ける。二つの光は流星のように飛び散ると部屋の暗がりに飲まれて消えた。
「そんなカッカしないでよ。せっかくの綺麗な顔が台無しよ?」
「黙れ。私の護衛達を奪っておいてよくもまぁいけしゃあしゃあとここへ来れるな」
「あの人たちなら皆魔物と一緒に暮らしてるわよ?それはもう私から見ても羨ましいくらいにね」
「そうか、なら浄化する対象が増えるということだ」
「もう、そんな物騒なこと言わないで。貴方も一緒にこちらへ来ましょうよ?」
「お前が死ぬなら考えてやろう。最も、考えたところで行くはずないがな…っ」
込めた力を一瞬でも抜こうものなら相手の刃は容易く私を貫くだろう。逆もまた、同じ。
お互いの実力は同程度。ゆえに一瞬の油断が命取りとなる。
力任せに弾くとそのまま一閃、二閃と剣と剣がぶつかりあった。
首を狙えば弾かれ、足を狙えば飛んで避け、心臓を狙えば受け止められる。
だがこちらも負けてはいない。
体を狙われれば翻し、腕を狙われればいなし、胸を狙われれば叩きつける。
傍から見れば目で追えない激戦の中、それでも喋る余裕があるのはまだまだ余力を残しているからだろう。
「もう、こんなこと毎回してるだけじゃないの」
「それが嫌なら剣を捨てればいいだろう?安心しろ、痛みを与えず浄化してやる」
「物騒なことはなしにしましょうよ。私は貴方と争いたいとは思ってないんだから」
「どうだか。魔物の言うことなんぞ信用できるか」
「ひどいわね。もう、なんで毎回貴方はツンケンしてるのかしら?自分にとって大切な男性を見つけてみたら変わるんじゃないの?」
その言葉に一瞬脳裏に過る男性像。私と一回り年齢の離れた青少年の姿。
ああ、そうだ、それがあるじゃないか。
私は思いついたらすぐさま剣を象っていた魔力を消し去った。
「っ!」
「大切ではないが、興味を抱いた男性ならばいるぞ」
いきなり剣が消えたことにより体勢を崩すリリム。だがこれで禍々しい剣を遮るものはなくなった。このチャンスを見逃すほどこの魔物は愚かではない。
「ふっ!」
一瞬、普通の人間ではまず目で追えない一撃が打ち出された。
瞬きすれば終わってしまう。
息を呑む暇さえ与えない。
その一撃を―
―ばしんっと、私は両手でその刃を受け止めた。
「えっ!?」
「ふふんっ♪存外、度胸があればできるものだな!」
両手に浄化の魔力を放出させ、リリムの刃を受け止めた。バチバチと白と紫の光が飛び散るがこれで相手は剣を振るうことはできなくなる。
次の瞬間私は剣を無理やり引き寄せた。
「え、あ!」
昼間の私のように体勢を崩したリリム。そのまま剣を引っ張り、思い切り床へと叩きつけてやる。
「きゃっ!」
一瞬痛みに顔を歪めるも瞼を閉じないところは魔物といえ流石というべきか。だがマウントはこちらが取った。この状況、有利なのは私だ。
すぐさま私は魔力を纏ったままの片手を突き出した。
「や、ちょっと待って!」
剣に比べれば威力は劣るが魔物にとって脅威であることに変わりない一撃。リリムは全力で首を左に傾け間一髪で避けた。
はらりと、数本切れた白い髪の毛が散り、青い炎を出して消えた。
「ちょっと!何してくれるのよ!結構気に入ってるとこなのに!」
「安心しろ、どうせ全て浄化されるっ!」
たった一度指先が貫けば間違いなくこの魔物は終わりだ。素手で肉体を貫く技術なんて私にはないがそれでもかすり傷程度ならなんとかなるはず。傷口さえ開けばこちらのもの。
しかしリリムの表情には焦りの色は見られなかった。
「ちょっと分が悪いわね。残念だけど今日はここら辺でお暇させてもらうわ」
そう言ってリリムは私の背後に何かを向けた。視界の端に映った白く細いそれは人間にない尻尾。その先で私ではなく何を狙っているのか、それはすぐに知ることとなる。
「割れて」
その言葉とともにはじき出される魔力の塊。どす黒く禍々しいそれは部屋のドア付近にぶつかると弾けて消えた。
ぱりんっとガラスを叩き割ったような音を立てて。
「―っ!」
その音は紛れもないこの部屋の結界を破った音だった。
どのような衝撃を防ぎ、どんな魔法すら退ける強固な防御魔法。数人係で発動する大型魔法ですら耐えうるそれが遮るのは単純な力だけではない。
私の下でにやりと笑みを浮かべるリリム。してやられたと認識する頃には後の祭りだった。
「きゃぁああああああっ!!誰かぁぁあ!!」
防音機能すら持っていた結界が破られた今、上げられた悲鳴は遮られることなく部屋の外に聞こえてしまう。さらには、外には私を護衛する騎士が二人、常に待機していた。
この国を治める王族の一人、それも女性の部屋から悲鳴が聞こえれば男だろうが女だろうが、女中であろうが騎士であろうが驚かずに入られない。
そして、リリムの目論見通り部屋のドアが開け放たれた。
「レジーナ様!?」
「どうかなさいましたか!?」
剣を携えた二人の視線が取っ組み合ってる私に向く。しかしそこにいるのは私だけではない。
ただ存在するだけで男を魅了する魔性の美貌を持った禍々しい存在。いるだけで人間を堕落へと導く魔の体現者。ただ見ただけで心を奪う魔王の娘。
「見るなっ!」
叫ぶものの時すでに遅く二人の視界にリリムが入ってしまう。ただそれだけだった。
二人は目を見開きその場に硬直する。顔を赤く染め域を荒げ剣から手が離れていく。そして、まるで自ら襲ってくださいと懇願するように体から力を抜いて倒れ込んでしまった。
しまった。そう思ったときにはリリムは私の下から抜け出していた。
「じゃあね、レジーナ♪」
まるで再会を約束した友のように気軽に私の名前を口にするとリリムの足下からどす黒い液状の何かが膨れ上がり包まれる。もごもごと蠢くそれに飲み込まれしばらくするとその物体は内側から破裂するように弾け飛んだ。
結果、その場には何もなかったかのように私の視界には普段通りの部屋の光景が広がっていた。
「…くそ」
また、してやられた。
お互いの実力が拮抗しているからか勝負はつかない。私は魔物にならない代わりにあのリリムを浄化することができない。それどころか損失まで出す始末だ。
護衛の騎士二人を見る。二人はもういなくなったというのに未だに恍惚とした表情を浮かべて何かを待ち望んでいた。
リリム特有の、見るだけで心を虜にする『魅了』。かつて私に忠誠を誓った護衛部隊全員を姿を見せるだけで心を捉え、魔物へと堕落させた恐るべきもの。
一度捕らわれれば暫く心は戻らない。
一旦絡まれたらすぐに理性は返らない。
それにあらがえるのは私や勇者のような存在ぐらいだろう。
「これでは護衛も勤まらないな…」
まともな理性が戻らない二人を前に私はそう呟いた。この二人が正気に戻るには暫く日を要することになる。仕方ない、無理矢理気絶でもさせ他の騎士に回収させておこう。
そうなると私の護衛役はいなくなる。まぁ、いたところで私が自分の身を守れないわけもないのだが。
「…ああ、そうだ」
新しい護衛として適する奴がいるではないか。
私の攻撃を容易く退けて、偶然とはいえ私の実力を上回る興味深いあの男が。
「ふふんっ♪」
そうと決まればすぐにでも。
私は机の上にあった羽ペンとインクを手に取るとすぐさま羊皮紙を広げる。そこへ鼻歌交じりに文字を描いていくのだった。
14/03/08 23:36更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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