後編
「なぁ…黒崎…」
「んぅ?」
京極の家のパソコンで調べ始めて既に二週間、何の手がかりも得ることができずに無駄な時間だけが過ぎていく。そんな中のある日の夜京極はオレに声をかけてきた。
蒼色のタンクトップにこれまた短いトランクス姿。初めて目にした時よりもさらに露出を増やしているのは見せたいというよりも恥じらいをなくして男心を失わないようにしているのかもしれない。黒くて長く伸びた髪の毛から異様で、人目を惹きつける白髪も残っている。
そんな姿で京極は言った。
普段とは違う、高い声で。
いつもとは違う、沈んだ声で。
「…俺…戻れるのか…?」
「…」
その言葉に答えられるほど今の状況は良くない。
京極を女へと変えた白髪の女性の情報は何も手に入らない。
最悪手術して体を戻すと考えてもみたが…それをよしとできるワケでもないだろう。女性の体だったという事実が残る以上、京極の精神的にも一生消えない傷となる。
これだけの時間、これだけ視野を広げて情報収集に勤しんだというのに手がかりはゼロ。
逆に長い時間が京極の精神を潰してきているんだろう。
なら、オレが弱気になってはいけない。ここでこいつを弱気にさせてはいけない。
「何?女になりたくなった?」
あくまで冗談らしく、いつものように。不自然な優しさはいらない。オレと京極の仲にそんなものなんてものはないのだから。
だが京極はオレの言葉に何も答えなかった。ため息一つも付きやしない。
…あ、やべ。
流石の京極も今はこのセリフに返せないほど来ていたか。
そりゃ男の精神に女の体。合うはずがない器と中身じゃ限界というものがある。
「不安になるなよ。時間に限りがあるわけじゃないんだ、探してれば見つかるって」
「…ほんとーにか?」
「情報社会なんだから、少しは信用したら?」
「そんなもん信じねーよ。…お前を、信じていいのか?」
「…」
これまた重い言葉が来た。
気軽に答えてはいけない質問が来た。
この世の中、目立つような格好した女一人の情報なんてすぐさま入ってくる。今はまだだけどそれも時間の問題だろう。
だから信用も何も、ただ待ってればいいだけ。信じる意味もなくただ待ち焦がれていればいいだけ。時間制限もないのだから落ち着いていればいい。それだけなのに。
京極の言葉はそういうことじゃない。
オレがあの女の情報を得ることができるのか。
オレが京極を元に戻すことができるのか。
京極は、男に戻れるのか。
それこそ彼が聞いたことであり、期待していることであり、信じたいこと。
「…」
軽々しく答えられることじゃない。
嘘っぱちで補えるものではない。
京極の心情がわからないオレが言えるものでもない。
それでも…。
オレは椅子の向きを変えて京極の方を向いて言った。
「……もしものときは…責任でもなんでもとってやるよ」
男に向かって言える言葉じゃないだろう。
それでも何も言わないよりかはマシだ。
ここで黙っていることよりもずっとマシだ。
これ以上京極を不安にさせてはいけない。ただでさえ今はもう心が砕けそうだというんだ、さらに不安にさせればいつ心が折れるかわかったもんじゃない。
だから言える言葉はせいぜいこのぐらい。
オレにとっての精一杯のカッコつけだ。
「…はんっ、カッコつけてんじゃねーよ…バーカ…」
そう言いつつも京極の口元は確かに緩んでいた。
先ほどの沈んだ顔よりかはずっとマシになっていた。
それを見てひと安心する。
まだ、平気そうだ。まだ、大丈夫そうだ。
限界に近かったとしてもまだそこまでは達していない。
正直こんな精神状態でもうダメかと思っていたけどそうでもなさそうだ。流石あのお爺さんの孫であり、弟子なんだから。
目の前にいるのは誰もが目を奪われる程の美女であり、そんな彼女が綻んだだけでもとても魅力的。そんな顔を見せてくれるだけでも嬉しくなるのだが、その嬉しさは美女に笑みを魅せられたからだけではなく彼女が京極で、オレの大切な友人であることなのだろう。
「全然平気そうじゃん」
「それを言ったらお前はどーなんだよ。目の下にクマできてるぞ。お前…寝てねーのか?」
「あ?あぁ…まぁ」
実はこの二週間ほとんど寝ていない。
朝には学校へ行かなければいけないし、京極の家に訪れては情報が入っていないかを探している。家に帰れば家事があって、そのあとの時間は自宅にあるパソコンを使ってまた情報収集。限界ギリギリまで粘って泥のように眠っているから睡眠時間はギリギリまで削っていた。…授業中ちょっと寝てるけどそれでも体の不調は隠せないか。
だがそれを言うなら京極のほうもだ。あれからこんな精神状態でまともに寝れてないはずなのに顔色は優れている。疲れている様子がないし、クマも出来てなければ肌だって潤いを保ったまま、不調のふの字も見えやしない。
「…」
そんなオレを見て何を思ったのか京極は何も言わずに部屋から出て行った。戻ってきた時には片手に大きな瓶を、もう片手にはシンプルなガラス製のコップを二つぶら下げていた。
「喉ぐらい乾くだろ?飲もーぜ」
「まぁ…乾いたかもしれないけど…オレは酒は遠慮するからな?」
「そんなことわかってら。酒じゃねーから安心しろよ」
「んじゃ、いただこうかな」
パソコンの前で何時間も格闘していたから流石に目も疲れてきてるし体も悲鳴をあげている。ここらで一旦休んでおかないと体を壊してしまいそうだ。
それなら言葉に甘えさせてもらおう。
京極は持ってきた瓶の蓋をとり、グラスの中に注いでいく。溢れ出すたびに鼻腔をくすぐってくる香りは芳醇で色は透き通った泉のように透明。もしかしなくともかなり額が張るものなのではないだろうか。
「…京極、それ何?」
「疲労回復の効果があるんだとよ。爺のコレクションの中でもこんな普通なもんがあったから取ってきた」
「…怒られるんじゃ?」
「いーんだよ、あんな変態爺。精力剤とか媚薬とかコレクションしては俺達に出すくらいなんだし」
「…まぁ、そうだったけど」
オレは京極の手からグラスを受け取った。注がれた液体は部屋の安っぽい明かりでも美しく煌く。
同じように手にした京極は格好だけを見るなら品がないと思われる姿。タンクトップにトランクス、胡座をかいているその姿はどうみても女のそれじゃない。しかしそれでも背筋は伸びていてお爺さん同様に武人としての姿が見え隠れする。
無骨であっても美しく。
下品であっても雅やか。
さらに言えばどう見たところで美女であり、女性なら誰もが羨む体型をしているのだからどんな格好でも絵になってしまう。
距離が埋まるごとに強くなる香り。
この薬とはまた違う甘い匂いは包み込むように漂い、わずかながらもオレに京極が女であることを意識させる。他にも少し前かがみになるだけで丸見えになる胸の谷間、もうちょっとでトランクスから覗いてしまう女の部分。たとえ中身が男だとしても見た目は美女なので健全な高校男児にはあまりにも刺激が強すぎる。
さらに本人は無自覚で、普段通りにしてくるのだから堪ったもんじゃない。ただグラスを受け取るだけでもオレの中の理性が揺れに揺れる。
それでもなんとか理性を保ち、グラスを受け取ったオレは京極の前に腰をおろした。京極は歯を見せて笑い、顔の前にグラスを持ち上げる。
「それじゃあ」
「ああ」
特に何も言うこともなくオレからも掲げて京極とグラスをぶつける。
乾いた無機質な音が部屋に響いた。
飾りっけもなにもないその音だけ、会話はなかったがそれが疲れた体には心地いい。舌の上で転がすように味わうとほのかな酸味と深い甘味が染み渡るように広がった。それはまるで疲れた体が癒されるような、乾いた体が潤っていくような、そんな感じ。
なるほど、疲労回復にはもってこいの代物だ。
高級そうな分それ相応の効果が見込めることだろう。
だが、その飲み物のもたらしたものは疲労回復だけではなかった。
「…あちーな」
「…だな」
部屋の温度は至って普通、今の季節夏ではないが冬でもないから暖房なんてないハズなのにじんわりと体温が上がってきているのを感じる。運動を続けたあとにある全身から熱が吹き出していくようなあの火照った感覚に近いかもしれない。
なんだか知っているような、多分記憶にあるこの感じは何だったか…思い出せそうで、思い出せない。
ただ言えることはあまり良い記憶じゃないということぐらいなんだけど…。
「…京極?」
「…………あちー…」
いつの間にか朱に染まった頬。どこか浮かされたように紡ぐ声。目は焦点を失っているのかどこを見ているのかわからない。肌にはうっすらと汗が浮かんでいて吐く息は先ほどよりもずっと荒くなっていた。
先ほどの状態と比べると正常だなんて言えるはずもない。
一体何があったか、どうしてこうなったかなんて思い当たる原因といえばひとつしかなかった。
「…」
サビついてしまったかのように鈍くゆっくりと首を動かして事の原因を見る。
大きな一升瓶に入っていたそれ、芳醇で甘く、高価であろうその飲み物。その瓶をよく見てみると日本酒のようにも見えるのだが隅っこの方に葉っぱを被った『狸のマーク』がついていた。
原因になって当然といえば当然か、こいつの友人であるオレに精力剤なんて出してくるお爺さんが、女になったコイツにまで媚薬を出すお爺さんが集めているものにそんな疲労回復だけのモノなんてあるわけがなかった。
「…………あちー」
京極はグラグラと体を揺らした。不安定で見ているだけで心配になる。
まったく、先ほど飲んだものは一体なんだったのかと気になったがそれ以上に気にすべきは京極のこと。
体を揺らす彼はこてんと、オレの方へと体を倒してきた。
「っ!」
肩に置かれる彼の頭。胸に押し付けられる柔らかな肉。異常とも言えるほどに高くなった熱い体温。薬よりもずっと濃くて甘い香り。縮まってしまった二人の距離。
一気に心臓の鼓動が激しくなった。
抱きつくように体を倒した美女はそのまま息を吸って吐き出す。熱い吐息が首筋をくすぐって背筋がぞくりと震えた。
こいつは友人なのに。
こいつは男のはずなのに。
思わず女と認識してしまう。
「黒崎…」
「な、なんだよ…っ」
艶めいた色っぽい声で囁かれた。ただそれだけでもこの状況で、この状態では変なものを意識してしまう。
それはいけないはずなのに。
やってはいけないことなのに。
「…暑い」
「…だったら離れろよ」
「違う、そうじゃねーんだよ…背中が、変なんだよ…」
「背中…?」
彼の言葉にオレは肩ごしに背中を見た。
そして、気づく。
「…っ!」
そこには蒼色の布地を内側から押しあげるように何かがうごめいていた。何かは分からない。大きくて、硬そうで、まるで骨が直接肌の外に出てこようとしているかのように。
「熱い…っ!これ…んんっ!?」
背中だけではない。
履いていた下着の方、臀部の尾骨あたりからも同じように何かが蠢き、突き破ろうと布地を押す。
「京極!?」
「黒崎ぃ…っ!何か、ぁあっ…変になる、く…っ!!」
「…脱がすぞ」
流石にこのままではいけない。
オレは京極のタンクトップを押し上げる何かを確認するために彼の服を一気に脱がした。
途端に、部屋の明かりを遮るようにそれが広がった。
「…っ!?」
とても大きく、人間一人なら楽に包み込めてしまいそうなそれ。ところどころ尖りつつも薄い皮みたいなものが張られたそれは間違いなく―
―翼。
それもコウモリのようなあの翼。
なんで、どうして。そんなものが京極の背中から生えてくるんだ。
原因は女になったことか。それとも先ほど飲んだ薬のせいか。
あるいは両方か。
「あああああああああぁぁぁぁぁあああああっ!!」
悲鳴のように甲高い声が部屋に響く。それとともに京極の臀部から一本、それが突き出してきた。
―尻尾。
それも先端がハートに見える奇妙な尻尾。まるでムチのようにしなるそれは明らかに人間にはあるはずのないもの。
何が起きているんだか分からない。
ただでさえ女となっているのに今度は人じゃないものまでが生える始末。
理解なんてもう追いつかない。
今肩に乗っている彼の頭の横に感じる、頬に押し付けられる硬いそれは何か。生えている理由が理解できなくともそれが何かは見てわかった。
―角。
ねじ曲がった、角。
尻尾に翼、そして角を生やした京極の姿は人間であって、人間じゃない。
まるでおとぎ話に出てくる悪魔の姿。
そんな姿になった京極は力尽きたようにオレに寄りかかったままぐったりとしてしまう。荒くなった呼吸を整え、肩が上下するのだがその度に胸の柔らかさが嫌でも伝わってきた。
「きょ、京極…?」
あまりの変化に驚きつつも声をかけて確認する。ここまで体が変わって中身まで変わってないか、京極のままなのか。
彼は疲れたようにゆっくりと顔をこちらへ向けてきた。頭は肩に乗せたまま熱い吐息が首筋をくすぐる。
潤んだ瞳。上気した頬。何かを言いたげに開いた唇。
「黒崎…」
「っ何…?」
小さな声で囁くように聞こえたオレの名前。妖艶な美女の声では普段友人に呼ばれるのとは全く違う。
まるで耳の中を犯されるような、頭の中まで染み渡るような感覚があった。
「何か…変だ…」
「そりゃ…見た目、すごい変わってるぞお前」
「違う…そうじゃ、なくって…ぇ…」
ずりずりと擦りつけるように体を揺らす京極。以前川原の帰り、自転車に乗せて抱きつかれたあの時と似ているが彼の胸を覆うものは何もない。先ほど脱がせたタンクトップはオレの手にある。
「へ、ん…ビリビリする…ぁ♪」
「っ!」
掠れた甘い声。
普段なら絶対に出さない、蕩けた声。
聞いた途端に思わず体が固まって何もできなくなった。
「おかしー、んだよ…なんか、ぁ…」
「う…ん…」
「なんか、ん…すげー……」
「…すげー、何?」
「…」
そして京極は何を思ったのか開いた口をそのままで舌を出してオレの首筋を舐めた。
「―っ!!」
思わず体が反射的に動いて京極の体を突き飛ばしてしまう。
何をした?
何をされた?
どうして京極は人の首筋を舐めてきた?
いたずらなんてものじゃない。男が男にやるもんじゃない。
突き飛ばされたことにより彼は畳の上に倒れ込んだ。その衝撃によってか壁に立て掛けられていた木刀が数本、彼の傍に落ちる。そのまま気絶でもしてくれれば何も起こすこともないのだろうがあのお爺さんの孫、伊達に鍛えておらずこの程度では特に傷ついた様子もない。
京極はゆっくりと両手で体を起こした。
「…!」
先程はくっついていたから見えなかったものが重力に従って揺れていた。大きな膨らみに桜色の先端部分。男ではない、女の持つ部位。
ただでさえ露出の多い格好をしていたというのに隠していた布を先ほどオレが脱がせてしまった。窮屈そうにタンクトップを押し上げていた大きな胸がぶるんと震え、長い茶髪が揺れる。
裸。
上半身だけとは言え、元男だったとは言え、そこにあるのは美女の裸体。
いつもしていたサラシ用の包帯は窮屈だから部屋の中ではしていないらしく隠してくれるものは何もない。
「京極、服っ!」
慌てて目を逸らすも男としての本性は隠せない。何度も横目でチラチラと見てしまいそうになる。
しかし京極は隠そうとはしなかった。男だったのだからある意味当然の行為。恥じらう様子なんて欠片もない。
いやぁ、もうちょっとこう隠して恥じらって欲しいというか、そっちのほうが見ていて嬉しいというか…って何を思ってるんだオレは。相手は男友達だっていうのに…。
それにあの時は下を見ちゃったわけだし、と京極と学校であったことを思いだす。
…思い出さない方がよかったかも。
そんなことを考えていると目の前の京極が四つん這いながらゆっくりと手を前に出した。
「お…おい、京極?」
「…っん」
京極が一歩進んできた。両手両足をついてゆっくりと、まるで獲物を狙う獣のように。
一歩、また一歩。
彼が進むたびにオレは同じように後ろへ下がる。
一歩、次いで一歩。
翼が広がり、尻尾が猫のように揺れる。瞳に宿った光には勝機の色が見えない。あるのは狩人の色で、欲望の色。
何の欲望か、何を狩るつもりなのかわからない。
…いや、分かりたくない。
心のどこかでそれを理解している自分がいる。
頭の隅でそれを否定している自分がいる。
そんなことはありえない。
元男だった京極が、そんなことするなんてあっちゃいけない。
男の尊厳を捨てるような事を、自分自身を否定するようなことを進んでできるはずがない。
ない、のに…。
先ほど口にした飲み物は京極の体をおかしくした。それだけでは留まらず体外に変化はないが滾るような熱が下腹部を中心に広がって行く気がする。じりじり焦がし、自らが止まれなくなるように、緩んだ理性を溶かしていくかのように。
目の前で迫ってくる美女の姿、それもあと一枚で裸という格好はあまりにも反則的。迫られた分だけ下がってはいるもの逃げるのをやめてこのまま襲いかかりたいと思っている自分がいた。
「京極…おい…っ!」
何度名前を呼んでも瞳の色は変わらない。先ほど生えた尻尾が妖しく揺らめき大きな翼が覆い隠さんばかりに広げられる。朱色に染まった頬に潤んだ目、艶のある柔らかそうな唇は妖艶に誘う娼婦の姿に近かった。
一筋入った白髪が部屋の明かりに妖しく煌く。
異常なほど目に付くそれはある意味京極がこの姿に変わった証。女へと変えられてしまった証拠。
ああくそ、一体誰がこんなことしてくれたんだよ…っ!!
この状況を作ってくれたもうひとりの見たこともない女に悪態をついたが今は意味がない。
魅力的な女性が目の前にいる。
オレを求めるかのように身を寄せてくる。
「黒崎ィ…」
熱に浮かされたようにオレの名を唇にのせ、ぬるりと艶やかな舌が覗く。
求めているのか、誘っているのかもはやわからない。
今ここで正面から求められたら…オレは断りきれるだろうか…?
むしろこれほどの美女から求められているというんだ、何を拒んでいるん―
「―っ!」
一瞬自分の頭の中に浮かんだ邪な気持ちを振り払うように頭を振った。
何を、なんてことを考えているんだオレは!
そりゃ確かに今の京極は美女の姿、それも雑誌やテレビで出ているアイドルと比べても遜色ない程の美貌を持った女性の姿をしている。胸だってグラビアアイドル並みに大きく魅力的だ。
それでも、それだからって京極が男であろうとする覚悟を踏みにじることができようか。
体が女になってしまっても抗い続ける彼の気持ちを否定できようか。
そんなの、できるわけがない。
しかし京極はオレの気持ちを知ってか知らずかその体を寄せてきた。
手を動かして四つん這いの姿から近寄ってくる。
その分オレは後ろへ下がるのだが…すぐそこに壁が迫っていた。
くそ、後ろが麩だったら鵺出すことも出来たっていうのに。障子でも良かった。そのまま突き破って出ればいいだけの話なのだから。
ぎしっと、何かが軋んだ。
それは畳だったかもしれないしオレの理性だったかもしれない。
現に今京極の手はオレの体の上に乗せられていたのだから。
じんわりとした熱が腹部から染み込んでくる。オレ以上に高い体温が甘い熱となって理性を蕩けさせていく気がした。
「京極…本当に、やめ」
ろ、と言い切る前に腕が動かなくなる。押さえつけられたわけではないのに関節を決められたかのように。うまく見ることはできないが何かを引っ掛けられている感覚がする。硬くて、細長い…何か。
「…っ!」
そういえばさっき木刀が部屋の隅で倒れてたっけ。もともと剣道家の孫なんだから部屋に木刀が一本二本あってもおかしくはない。
その木刀を用いれば相手の動きを止めることができないはずがない…っ!
とうとう京極はオレの体の上にまたがってきた。ぐりぐりと腰を押し付けては逃さないように体重をかけてくる。
体に伝わってくる京極の体。
温かく、柔らかく、甘い香りまでするそれは疑いようもない女のもの。
「すげー、苦しーんだよ……黒崎…っ」
欲するように唇にオレの名をのせる。
人の心を見透かすように笑みを浮かべる。
まずい、まずい、非常にまずい。
逃げられないのに、拒みたいと思えないのに。さらに追い討ちをかけるようにこんなことをされて止まっていられるはずもない。
しかし木刀によって体を絡め取られていることはある意味では良かった。このままオレが襲いかかろうとせずに済むのだから。
だけど逆に京極にとっても好都合だろう。こんな状態で抵抗なんてできないのだから。
「逃げねーでくれよ、なぁ…♪」
そう言って京極はとうとうオレの服に手をかけた。
「おい、この馬鹿っ!!」
「お前も、暑いんだろ?ほらよ…っ」
まるで酔ったかのような言動だが明らかに酔いとは違う。
欲に惑い、色に染まり、本能に全てを任せた獣の姿。
京極は一気にオレのズボンをずり下ろした。
「っ!!」
「へぇ…♪なに、硬くしてんだよ…♪」
当然だ。これほど魅力的な女性に迫られて興奮しない男はいない。それを京極はわかっているはずだ。自分の容姿を見ているのだから、男としての精神がまだあるのだから当然理解しているだろう。
オレの反応を楽しむように眺めた後、京極は自分の最後の服に手をかけた。
「!」
「んん…っと」
自身の履いていたトランクスを京極は見せつけるようにズリ下げていく。もともとぴっちりしていない構造なのに下がっていくほど花のような、頭の中まで染み込むような香りが部屋に充満してきた。
ねっとりとトランクスから糸が引いた。部屋の光でいやらしく光るそれは京極の股間からつながっている。
「…っ!」
隠すべきものを捨てて、さらけ出したその部分。
男の証は消え失せてあるのは刀で切りつけたような一筋の割れ目。あの時、トイレの個室で目にしたのとは違ってそこはこれでもかというほど粘質の液体が滴っていた。
これなら既に準備はいらないはずだ、しようと思えばすぐにできる。
そう、すぐに…。
「なぁ…」
甘い声で耳元に囁く。
「なんか…欲しーんだよ…」
柔らかな手のひらが脇腹を撫でる。
「…熱くて、硬くて…どろどろしてて…何かわからねーのに、欲しくてたまらねーんだよ…」
細い指が絡みつき角度を調節する。
「…なぁ、いーだろ…?」
もう一度そう聞いて、ピンク色の粘膜と先端が触れ合った。
「んぅ…♪」
「っ…!」
ねっとりとした粘液の感触と染み込んでくるような媚熱、感じたことのない柔らかさが先っぽから伝わってくる。
京極はその感覚に笑みを深めた。
もう何も聞く気はないだろう。オレも答えることなんてできないのだから。
そして止まることなく腰はゆっくりと降りてきた。
「ん、あぁぁぁあああああああ♪」
誰も味わったことのないその場所は初めて侵入してきた異物を熱烈に歓迎してくる。火傷しそうなくらいに熱い粘液が、胸とは違った柔らかさをもつ肉壁が、全てをもってオレを飲み込んでいった。
「ふ…は、あ…入った、ぁ…♪」
びくびくと体を震わせて先ほどよりもより一層顔をとろけさせた京極は言った。
今まで凛々しく剣術家の孫として強い男であった京極の姿は欠片もない。そこにいるのは快楽に酔いしれ、乱れる女だけ。
見たことも想像さえもできなかった魅惑的な女だ。
「ふ、く…どうだよ、黒崎…お前の、全部入ったぞ…ん…♪」
「何してんだよ…っ!」
ぎちぎちに締め付けてくる京極のそこは初めてだからだろうちぎられるんじゃないかと思うほどにキツイ。それだというのに痛みは全く感じられない。あるのは筆舌し難い快楽。悪魔がもたらす極上の快感。
抗いと思えない、抵抗したいなんて思えない、逆らうことがバカバカしいと思える。
せめてもの抵抗として口を開くもそこから出てきた声は震え、期待の色を含んでいることを隠せない。
「は、はは…なんつー顔してるんだよ…だらしねーな♪」
「お前に、言われたく、ないんだけど…っ!」
男のオレを受け入れて快楽に歪んだだらしのない顔を浮かべている京極。
女の京極に飲み込まれた快感に身悶えするオレ。
互いに自分自身の顔を見ることはできないがきっと目の前にいる相手と同じような顔をしていることは容易にわかった。
「ん、くふぅ…♪」
京極はゆっくりと腰を上げていく。徐々に上がっていくにつれて粘液と赤い何かに染まった自分自身が露になっていった。
このまま引き抜ぬけばよかったと思う。ここで止まることができたんならまだましだったのかもしれないと思う。
それでも京極の目は変わらずぎらつき快楽を求めているのが丸分かりだし、オレもまた無意識に抵抗するはずの力を体から抜いていた。
「ん、はぁあああ♪」
下ろしたときと同じ速さで再びオレのモノが飲み込まれていった。先ほど以上の快楽がオレを襲う。わかってはいたが耐え切れるほど生易しい感覚じゃない。何度も耐えられるほどオレは経験豊富なわけないし、もっとしたいと主張する本能だけは一丁前だ。
甘い刺激は止むことがない。京極の腰は止まることなく貪るように動き続ける。
単調な上下だけではない、前後や捻りを加えたそれは初めて行為に及んだ女性が成せるものじゃない。それでもできるのは膨大な量の知識と回復薬による性欲増強、それから悪魔のようになってしまったことによるものか。
柔らかい媚肉の感触はわずかに動いたでも目の前を真っ白に染め上げるほどに気持ちがいい。騎乗されているからその快楽を止めることなんて出来やしない。
一方的に叩きつけられる初めての感覚。
未経験者にはあまりにも辛くて、甘くて、蕩けてしまいそうになる。
「京極、やめ…っ!」
「ふぁっ…ぁあ♪やぁ、んくっ♪すげー…気持ちいぃ…っ♪」
淫らな声が降り注ぎ、耳からオレを犯してくる。
淫靡に揺れる豊かな胸に踊るように動く体を見せ付けられる。
息を吸えば甘くいやらしい香りが肺いっぱいに埋め尽くす。
抵抗なんて許さない、拒否なんて認めない。
男のように荒々しくも女のように繊細に。
その動きが、その姿が、その全てがオレを狂わせ惑わせる。
もっと欲しいと思わせる。
全てを捨てて、目の前の極上の美女をめちゃくちゃにしたいと本能が訴えてる。
―そう…。
揺れ動く豊満な胸を揉みしだきたいと。
―だから…。
腰を動かしてさらに快楽を求めたいと。
―少しぐらいは…。
目の前の女性を、めちゃくちゃにしてやりたいと…っ!
―…いいだろ…?
「そ、らっ!」
腰に力を込めて一気に京極を下から突き上げた。
「んひゅっ♪」
予想外な行動に驚き、いきなりの快感に京極は目を見開いて嬌声を上げる。突きこんだ瞬間ぷしゅっと何かが吹き出したように見えたがそれ以上に彼女の顔に目がいった。
「あ、あぁあ…いきなり…なに、するんだよぉ…っ♪」
力なくそう言った彼女の顔は先ほどよりもずっと蕩けた顔をしている。
もう男であったことなんて誰が見てもわからない女のものに。
その顔が、その声が。
もっと聞きたくて、もっと欲しくなる。
「…悪い」
「え?ぁ、あ、おい、んん♪」
ぐっちゃぐっちゃと何度も腰を動かして下から突き上げる。京極がしたようにオレからも激しく、より淫らに責め立てる。
抵抗も躊躇いも、オレが止めるべきだった理性も全て投げ捨て一心不乱に腰を動かし続けた。
後悔すべきはずなのにそれすら快楽に染め上げられる。しかし染め上げられたのは後悔だけではなかった。
本当はしていけないはずなのに、受け止めちゃいけないはずなのに。
思っちゃいけないはずなのに、認めちゃいけないはずなのに。
オレの上で体を交える京極のことを―
―可愛らしくて美しく、淫らで愛らしい女と思ってしまう。
「んはぁああああ♪んぅん♪いぃ、い♪」
だらしなく開いた口から甘い声が交じった息を吐き出している。快楽に染まった瞳は正気とは言い難くもしっかりとオレを見据えていた。
「もっと、もっと動け、よっ♪」
「うぁ…無茶言うなって…っ!」
自分で腰を動かしてはいるが京極もまた責め立てるようにねちっこく動き続けている。跳ねるだけではなくぐりぐりと押し付けては膣はキツく締め上げてくる。そんな動きにそんな責めに初めてのオレが耐えきれるはずもない。
「京極…悪い、もう…出る…っ」
「え、あぁ♪何だ、よ、早えーよ、んんっ♪」
「そう言う…お前だって、さっきっからイってるクセに…っ!」
「うるせっ♪」
オレの言葉を否定するように京極は腰をさらに早く動かしてきた。ただでさえ限界が近いというのに一層激しい快楽が追い討ちをかけてくる。
「ほら、出せばいいだろっ♪ん…っんくぁ♪ほ、らぁっ♪」
「おい、それって本当に、まず―」
ぐぐぐっと下腹部に力を込めても我慢できるわけがなかった。
とどめと言わんばかりに京極は腰を持ち上げ、一気に落としてくる。
腰と腰がぶつかり合う音が部屋に響き、とうとうオレは限界を迎えた。
「んあああああああああああああああっ♪」
ガクガクと腰を揺らして、ビクビクと体を震わせて、盛大に京極は絶頂に達した。
次から次へと吐き出していく精を彼女は受け入れ、搾り取るように膣が蠢いては蕩けた顔でオレを見つめる。
潤んだ瞳、だらしなく開いた口、朱に染まった頬。とても艶っぽくて、可愛らしくて、愛おしい。
ピンと張った尻尾が徐々に力なく倒れこみ、それにあわせるように京極もまた体を倒してきた。
触れ合う体。重なる肌。互いの胸から伝わる早鐘のような鼓動がやけに大きく響いてきた。
京極は繋がりあった部分を見つめて口元に笑みを浮かべる。とびきりいやらしい、悪魔の笑みを。
「まだ全然、硬いな…♪」
「…うるせ」
「黒崎らしいっつーか、なんっつーか…」
「うるせ」
「一回だけで満足してねーんだろ?」
「…そんなの、お前もなんだろ?」
「はっ…わかってるじゃねーか♪なら…付き合ってくれるんだろ?」
「…拒否できる状況でもないんだよ」
「へっへ、当然だ♪」
そしてオレと京極は止まっていた腰を再び動かし、互いを貪り合っていった。
事が終わりを迎えたとき、既に外は明るくなっていた。障子越しに降り注ぐ日の光がやたら眩しく感じるのは…きっと眠ってないからなのかもしれない。
そりゃ…一晩中盛り合ってたら寝る暇もない…。
性欲お盛んな花の十代、そして相手は突然悪魔のような姿になってしまったが美女。
気の知れた仲であるとはいえ体を重ねるほど親しいはずがない。そもそも男同士だったというのだからいくら美女の体で迫って来てもここまでするつもりは無かった。
それなのに…。
「…」
「…」
オレと京極は互いに頭を抱えて畳に突っ伏していた。畳独特の緑の香りとそれを上書きするように染み付いた淫靡な匂いが鼻をつく。これじゃあ消えるのに時間がかかりそうだ…。
二人して動かない。
というよりも動けない。
あまりの激しさにオレは腰が抜けているし、京極は京極で何度も果てたせいで力が入らなくなっていることだろう。
だがそれ以上の原因は恥ずかしさ。
体を重ねてしまったこと、互いを異性として意識してしまったこと。
求めるように貪りあった時間は共に初めての経験であり、人生においてこれ以上記憶に残るものはないだろう。
消したくても消せやしない、後悔しても取り消すことなんてできない、思い出すだけで顔から火を吹きそうになる事実。
「…どうする?」
「…何を?」
「…これから?」
「…知らねーよ」
「…」
ここまでしてしまった以上、もうどうにもならず投げやりになっていることが体に伝わってくる。
首を動かし突っ伏している京極の姿を見た。同じ姿勢で同じように落ち込んではいるのだがどうしてだろう、禍々しいコウモリのような翼がパタパタ動いていた。それだけではなく艶のある鞭のような尻尾もだ。先端がハートの形をしていることによりその動きがまた愛らしく感じる。
そして、耳。
人間とは全く違うまるで御伽噺にでてくる妖精やエルフのように尖っている耳がほんのりと…いや、結構赤く染まっていた。恥じらいによるものか、興奮のあとによるものか、それとも照れている…というのはどうなんだろう。
重苦しい沈黙の中あまりの気まずさに耐え兼ねたのか京極は静かに口を開いた。
「…にん………取れよ」
あまりに小さい声。
オレに向かっていったと言うよりも自分に言い聞かせたのではないかというほど小さく弱々しい声だった。
「…ん?」
「……とれよ…っ」
今度は先ほどよりも大きくなった。しかし全部を聞き取るにはまだ足りない。
「…何?」
もっとよく聞こえるようにオレは体を起こして耳を近づけた。しかし京極は相変わらず突っ伏したまま。
「…ん……っ」
「…ん?」
やはり、聞こえない。
それほど大声では言いにくいことなのだろうか。
気のせいか耳を染めていた朱色は顔にまで至っているし。
「…聞こえないからもっと大きな声で頼む」
「…っ!」
オレの言葉に意を決したのか京極はやっと顔をあげた。
ようやく見れたその目はまるで名刀のように鋭く、オレを貫きそうなほど。
だというのに顔全体はこれ以上ないほどに真っ赤。湯気でも立ちそうなくらいに赤い。
そんな顔をした京極はいきなりオレの胸ぐらを引っつかむとこれでもかというほど近づき、もはや叫んでいるといってもいいくらい大きな声で言った。
「責任とれって言ってんだよっ!!」
あまりの大きさに部屋の障子が震えるほど。間近にいるオレはたまったもんじゃない。予想外の声量に顔を顰めながらも先ほどの京極の言葉を頭の中で繰り返す。
責任とれって言ってんだよ?
責任?
責任を…とる?
…うん?
「はっ?!お前それどういう意味で言ってるんだよっ!?」
「うるせーっ!」
怒鳴ったかと思えば京極はそのままオレの首を引っ掴む。一瞬息が止まり動きまでもが止まる。そこを狙ってか京極の顔が一気に近づいた。
「―っ…?」
眼前いっぱいに広がった美女の顔。頬を真っ赤に染め上げて目を閉じているその顔はとても綺麗で男だったら誰もが邪な感情を抱かずにはいられない。
だがそれ以上に抱いたのは疑問。
唇に感じるこの感触は一体なんなのか。
伝わってくる蕩けるような甘さはなんなのか。
…いや、本当はわかってる。
ただ信じられない。
それを京極がしてくるだろうか?
よりによって同性相手に、そんなことができるはずがないのに。
キスなんて…っ!!!
「ぷはっ!!」
「はぁっ!!お前、何やってくれてんだよっ!!」
結構長く重ねていたかもしれない唇を離し慌てて息を吸い込んだ。それでも感じた蕩けるような甘さは消えないし、少し湿った唇を舐めると未だにその甘さを感じられる。
それが信じられない。
京極は恥ずかしそうに、それでもオレを見つめている。
状況が状況ならこんな美女に見つめられたらそりゃ嬉しいが、今はそんな状況じゃない。
大慌てなオレと違って京極は落ち着いていた。もっともそれはオレと比べたらの話だが。
顔には笑みを浮かべているが強ばっているし、余裕を見せようとしているのだろうが正直よの字も見えやしない。
それでも京極は精一杯の虚勢を貼りながら、大きな胸を張ってオレに言った。
「責任…とってくれんだろ…?」
「…っ」
「俺の純潔を奪った分と、唇まで盗んだ分、それからお前、俺の女だなんて言いやがった分、きっちり責任とれよ」
「何言ってるんだよ!大体唇盗んだのお前だろっ!」
「うるせー!!責任取れっ!!」
責任。
そうだ、オレは確かにそう言っていた。
京極をこれ以上不安がらせることのないように、一時的なものとして口にしていた。
だけど、それを本気で捉えるものか?
本気で言っているのならそれは―
「―京極…お前、それ…どういう意味かわかって言って…」
「…当たり前だろーが…」
照れくさそうに視線を外す京極。
しかしその姿はどうみても男には見えるはずがない。
どの角度からみても整っている綺麗な女性の顔。
男物の服を着ても隠しきれない魅力的な女の体。
こんな距離だからこそ香る、クセになるような甘い匂い。
それから、囁かれるように耳に届く高くて透き通った声。
男性として生きていくことは絶対無理と言い切れても、女性として生きていくのならこの上ないほどの美貌を兼ねているし、きっと誰もが受け入れてくれるだろう。
そして、京極の言葉はそれを肯定していて。
つまり、京極は―
「―…男として生きるのを…捨てるのかよ…っ」
京極は無言で頷いた。顔の赤みは引くことがないが、向けられた瞳にはハッキリと覚悟の光が宿っていた。
揺らぎ無い、友の覚悟。
一生自分を捨てるという決意。
そこまでいってはオレなんかが止めることはできない。
ここまで決めておいて考えを変えろなんてことは言えない。
「…ああ」
彼は、静かに頷いた。
「あんなに戻りたがってたのに?今まで散々女の体で苦労したのに?それなのに…何で」
「…女の体の方が色々と、都合いいかもしれねーんだよ」
「…は?」
都合?
女の体でいることで何の都合が良くなるというのだろうか。
男の精神に女の体、食い違って生み出すのが苦労とストレスだって存分に体感したはずなのに。
京極の目がオレを映して切なげに唇を開いた。
「…なら…俺とキスするのは嫌だったか…?」
先ほどの行為。
柔らかなさと甘い風味と肌を重ねるのとは違った感覚。
初めてした、口づけ。
嫌かどうかと聞かれれば当然…。
「…嫌、じゃない」
体で言えば男と女。
見た目で言えば凡人と美人。
根本的には人間と、人外。
心においては男と男。
それでもオレが女性となった京極に惹かれていないとは言えなかった。以前には川原でナンパされていた時は恥ずかしいことを叫んだぐらいにオレは彼に…いや、彼女に惹かれている。きっと好意に近いものを持っている。
京極は小さく笑って言った。
「そっか…なら、それでいーだろ?これ以上あの女のこと探しても見つかりそうもねーし、ここまで体が変わって戻れる気もしねーし…それに、お前にこれ以上無理なんてさせられねーからよ」
「…京極」
「だから俺は…このままで…
―女のままでいい…」
「…」
「それに、お前の変態さについてけるのも、俺ぐれーだしな。お前をずっと独り身にさせたら哀れだなーって思ってよ」
「…お前にだけは言われたくないんだよ、馬鹿」
「へへ」
京極がそれでいいなら、それがいい。
京極が受け入れるのならオレもまたそれを受け入れよう。
今までの苦労は水の泡になろうとも、彼が、彼女が受け入れるんだ。
オレにとってはそれが最良であって、最善であって、最高の道。
彼女が責任を獲れというのならば喜んで取らせてもらおう。
当然友人としてではない。
一人の女として。
オレの、恋人として。
「『オレの女だ』なんて言ったんだからよー…一生かけてでも責任、とってもらうからな」
「ああ、任せとけ。お前が嫌って言うほど責任とってやるよ」
そう言って笑って、オレと京極はいつものように互いが拳を握り、あわせる。
それはいつものオレたちの合図であり、確認。
ずっと前からやっていたオレと京極だけのもの。
姿形が変わったとしても、やはり変わらない。
男のようにゴツゴツしたわけではない柔らかで綺麗な手でも。
女性であっても紛れもない京極だった。
「んぅ?」
京極の家のパソコンで調べ始めて既に二週間、何の手がかりも得ることができずに無駄な時間だけが過ぎていく。そんな中のある日の夜京極はオレに声をかけてきた。
蒼色のタンクトップにこれまた短いトランクス姿。初めて目にした時よりもさらに露出を増やしているのは見せたいというよりも恥じらいをなくして男心を失わないようにしているのかもしれない。黒くて長く伸びた髪の毛から異様で、人目を惹きつける白髪も残っている。
そんな姿で京極は言った。
普段とは違う、高い声で。
いつもとは違う、沈んだ声で。
「…俺…戻れるのか…?」
「…」
その言葉に答えられるほど今の状況は良くない。
京極を女へと変えた白髪の女性の情報は何も手に入らない。
最悪手術して体を戻すと考えてもみたが…それをよしとできるワケでもないだろう。女性の体だったという事実が残る以上、京極の精神的にも一生消えない傷となる。
これだけの時間、これだけ視野を広げて情報収集に勤しんだというのに手がかりはゼロ。
逆に長い時間が京極の精神を潰してきているんだろう。
なら、オレが弱気になってはいけない。ここでこいつを弱気にさせてはいけない。
「何?女になりたくなった?」
あくまで冗談らしく、いつものように。不自然な優しさはいらない。オレと京極の仲にそんなものなんてものはないのだから。
だが京極はオレの言葉に何も答えなかった。ため息一つも付きやしない。
…あ、やべ。
流石の京極も今はこのセリフに返せないほど来ていたか。
そりゃ男の精神に女の体。合うはずがない器と中身じゃ限界というものがある。
「不安になるなよ。時間に限りがあるわけじゃないんだ、探してれば見つかるって」
「…ほんとーにか?」
「情報社会なんだから、少しは信用したら?」
「そんなもん信じねーよ。…お前を、信じていいのか?」
「…」
これまた重い言葉が来た。
気軽に答えてはいけない質問が来た。
この世の中、目立つような格好した女一人の情報なんてすぐさま入ってくる。今はまだだけどそれも時間の問題だろう。
だから信用も何も、ただ待ってればいいだけ。信じる意味もなくただ待ち焦がれていればいいだけ。時間制限もないのだから落ち着いていればいい。それだけなのに。
京極の言葉はそういうことじゃない。
オレがあの女の情報を得ることができるのか。
オレが京極を元に戻すことができるのか。
京極は、男に戻れるのか。
それこそ彼が聞いたことであり、期待していることであり、信じたいこと。
「…」
軽々しく答えられることじゃない。
嘘っぱちで補えるものではない。
京極の心情がわからないオレが言えるものでもない。
それでも…。
オレは椅子の向きを変えて京極の方を向いて言った。
「……もしものときは…責任でもなんでもとってやるよ」
男に向かって言える言葉じゃないだろう。
それでも何も言わないよりかはマシだ。
ここで黙っていることよりもずっとマシだ。
これ以上京極を不安にさせてはいけない。ただでさえ今はもう心が砕けそうだというんだ、さらに不安にさせればいつ心が折れるかわかったもんじゃない。
だから言える言葉はせいぜいこのぐらい。
オレにとっての精一杯のカッコつけだ。
「…はんっ、カッコつけてんじゃねーよ…バーカ…」
そう言いつつも京極の口元は確かに緩んでいた。
先ほどの沈んだ顔よりかはずっとマシになっていた。
それを見てひと安心する。
まだ、平気そうだ。まだ、大丈夫そうだ。
限界に近かったとしてもまだそこまでは達していない。
正直こんな精神状態でもうダメかと思っていたけどそうでもなさそうだ。流石あのお爺さんの孫であり、弟子なんだから。
目の前にいるのは誰もが目を奪われる程の美女であり、そんな彼女が綻んだだけでもとても魅力的。そんな顔を見せてくれるだけでも嬉しくなるのだが、その嬉しさは美女に笑みを魅せられたからだけではなく彼女が京極で、オレの大切な友人であることなのだろう。
「全然平気そうじゃん」
「それを言ったらお前はどーなんだよ。目の下にクマできてるぞ。お前…寝てねーのか?」
「あ?あぁ…まぁ」
実はこの二週間ほとんど寝ていない。
朝には学校へ行かなければいけないし、京極の家に訪れては情報が入っていないかを探している。家に帰れば家事があって、そのあとの時間は自宅にあるパソコンを使ってまた情報収集。限界ギリギリまで粘って泥のように眠っているから睡眠時間はギリギリまで削っていた。…授業中ちょっと寝てるけどそれでも体の不調は隠せないか。
だがそれを言うなら京極のほうもだ。あれからこんな精神状態でまともに寝れてないはずなのに顔色は優れている。疲れている様子がないし、クマも出来てなければ肌だって潤いを保ったまま、不調のふの字も見えやしない。
「…」
そんなオレを見て何を思ったのか京極は何も言わずに部屋から出て行った。戻ってきた時には片手に大きな瓶を、もう片手にはシンプルなガラス製のコップを二つぶら下げていた。
「喉ぐらい乾くだろ?飲もーぜ」
「まぁ…乾いたかもしれないけど…オレは酒は遠慮するからな?」
「そんなことわかってら。酒じゃねーから安心しろよ」
「んじゃ、いただこうかな」
パソコンの前で何時間も格闘していたから流石に目も疲れてきてるし体も悲鳴をあげている。ここらで一旦休んでおかないと体を壊してしまいそうだ。
それなら言葉に甘えさせてもらおう。
京極は持ってきた瓶の蓋をとり、グラスの中に注いでいく。溢れ出すたびに鼻腔をくすぐってくる香りは芳醇で色は透き通った泉のように透明。もしかしなくともかなり額が張るものなのではないだろうか。
「…京極、それ何?」
「疲労回復の効果があるんだとよ。爺のコレクションの中でもこんな普通なもんがあったから取ってきた」
「…怒られるんじゃ?」
「いーんだよ、あんな変態爺。精力剤とか媚薬とかコレクションしては俺達に出すくらいなんだし」
「…まぁ、そうだったけど」
オレは京極の手からグラスを受け取った。注がれた液体は部屋の安っぽい明かりでも美しく煌く。
同じように手にした京極は格好だけを見るなら品がないと思われる姿。タンクトップにトランクス、胡座をかいているその姿はどうみても女のそれじゃない。しかしそれでも背筋は伸びていてお爺さん同様に武人としての姿が見え隠れする。
無骨であっても美しく。
下品であっても雅やか。
さらに言えばどう見たところで美女であり、女性なら誰もが羨む体型をしているのだからどんな格好でも絵になってしまう。
距離が埋まるごとに強くなる香り。
この薬とはまた違う甘い匂いは包み込むように漂い、わずかながらもオレに京極が女であることを意識させる。他にも少し前かがみになるだけで丸見えになる胸の谷間、もうちょっとでトランクスから覗いてしまう女の部分。たとえ中身が男だとしても見た目は美女なので健全な高校男児にはあまりにも刺激が強すぎる。
さらに本人は無自覚で、普段通りにしてくるのだから堪ったもんじゃない。ただグラスを受け取るだけでもオレの中の理性が揺れに揺れる。
それでもなんとか理性を保ち、グラスを受け取ったオレは京極の前に腰をおろした。京極は歯を見せて笑い、顔の前にグラスを持ち上げる。
「それじゃあ」
「ああ」
特に何も言うこともなくオレからも掲げて京極とグラスをぶつける。
乾いた無機質な音が部屋に響いた。
飾りっけもなにもないその音だけ、会話はなかったがそれが疲れた体には心地いい。舌の上で転がすように味わうとほのかな酸味と深い甘味が染み渡るように広がった。それはまるで疲れた体が癒されるような、乾いた体が潤っていくような、そんな感じ。
なるほど、疲労回復にはもってこいの代物だ。
高級そうな分それ相応の効果が見込めることだろう。
だが、その飲み物のもたらしたものは疲労回復だけではなかった。
「…あちーな」
「…だな」
部屋の温度は至って普通、今の季節夏ではないが冬でもないから暖房なんてないハズなのにじんわりと体温が上がってきているのを感じる。運動を続けたあとにある全身から熱が吹き出していくようなあの火照った感覚に近いかもしれない。
なんだか知っているような、多分記憶にあるこの感じは何だったか…思い出せそうで、思い出せない。
ただ言えることはあまり良い記憶じゃないということぐらいなんだけど…。
「…京極?」
「…………あちー…」
いつの間にか朱に染まった頬。どこか浮かされたように紡ぐ声。目は焦点を失っているのかどこを見ているのかわからない。肌にはうっすらと汗が浮かんでいて吐く息は先ほどよりもずっと荒くなっていた。
先ほどの状態と比べると正常だなんて言えるはずもない。
一体何があったか、どうしてこうなったかなんて思い当たる原因といえばひとつしかなかった。
「…」
サビついてしまったかのように鈍くゆっくりと首を動かして事の原因を見る。
大きな一升瓶に入っていたそれ、芳醇で甘く、高価であろうその飲み物。その瓶をよく見てみると日本酒のようにも見えるのだが隅っこの方に葉っぱを被った『狸のマーク』がついていた。
原因になって当然といえば当然か、こいつの友人であるオレに精力剤なんて出してくるお爺さんが、女になったコイツにまで媚薬を出すお爺さんが集めているものにそんな疲労回復だけのモノなんてあるわけがなかった。
「…………あちー」
京極はグラグラと体を揺らした。不安定で見ているだけで心配になる。
まったく、先ほど飲んだものは一体なんだったのかと気になったがそれ以上に気にすべきは京極のこと。
体を揺らす彼はこてんと、オレの方へと体を倒してきた。
「っ!」
肩に置かれる彼の頭。胸に押し付けられる柔らかな肉。異常とも言えるほどに高くなった熱い体温。薬よりもずっと濃くて甘い香り。縮まってしまった二人の距離。
一気に心臓の鼓動が激しくなった。
抱きつくように体を倒した美女はそのまま息を吸って吐き出す。熱い吐息が首筋をくすぐって背筋がぞくりと震えた。
こいつは友人なのに。
こいつは男のはずなのに。
思わず女と認識してしまう。
「黒崎…」
「な、なんだよ…っ」
艶めいた色っぽい声で囁かれた。ただそれだけでもこの状況で、この状態では変なものを意識してしまう。
それはいけないはずなのに。
やってはいけないことなのに。
「…暑い」
「…だったら離れろよ」
「違う、そうじゃねーんだよ…背中が、変なんだよ…」
「背中…?」
彼の言葉にオレは肩ごしに背中を見た。
そして、気づく。
「…っ!」
そこには蒼色の布地を内側から押しあげるように何かがうごめいていた。何かは分からない。大きくて、硬そうで、まるで骨が直接肌の外に出てこようとしているかのように。
「熱い…っ!これ…んんっ!?」
背中だけではない。
履いていた下着の方、臀部の尾骨あたりからも同じように何かが蠢き、突き破ろうと布地を押す。
「京極!?」
「黒崎ぃ…っ!何か、ぁあっ…変になる、く…っ!!」
「…脱がすぞ」
流石にこのままではいけない。
オレは京極のタンクトップを押し上げる何かを確認するために彼の服を一気に脱がした。
途端に、部屋の明かりを遮るようにそれが広がった。
「…っ!?」
とても大きく、人間一人なら楽に包み込めてしまいそうなそれ。ところどころ尖りつつも薄い皮みたいなものが張られたそれは間違いなく―
―翼。
それもコウモリのようなあの翼。
なんで、どうして。そんなものが京極の背中から生えてくるんだ。
原因は女になったことか。それとも先ほど飲んだ薬のせいか。
あるいは両方か。
「あああああああああぁぁぁぁぁあああああっ!!」
悲鳴のように甲高い声が部屋に響く。それとともに京極の臀部から一本、それが突き出してきた。
―尻尾。
それも先端がハートに見える奇妙な尻尾。まるでムチのようにしなるそれは明らかに人間にはあるはずのないもの。
何が起きているんだか分からない。
ただでさえ女となっているのに今度は人じゃないものまでが生える始末。
理解なんてもう追いつかない。
今肩に乗っている彼の頭の横に感じる、頬に押し付けられる硬いそれは何か。生えている理由が理解できなくともそれが何かは見てわかった。
―角。
ねじ曲がった、角。
尻尾に翼、そして角を生やした京極の姿は人間であって、人間じゃない。
まるでおとぎ話に出てくる悪魔の姿。
そんな姿になった京極は力尽きたようにオレに寄りかかったままぐったりとしてしまう。荒くなった呼吸を整え、肩が上下するのだがその度に胸の柔らかさが嫌でも伝わってきた。
「きょ、京極…?」
あまりの変化に驚きつつも声をかけて確認する。ここまで体が変わって中身まで変わってないか、京極のままなのか。
彼は疲れたようにゆっくりと顔をこちらへ向けてきた。頭は肩に乗せたまま熱い吐息が首筋をくすぐる。
潤んだ瞳。上気した頬。何かを言いたげに開いた唇。
「黒崎…」
「っ何…?」
小さな声で囁くように聞こえたオレの名前。妖艶な美女の声では普段友人に呼ばれるのとは全く違う。
まるで耳の中を犯されるような、頭の中まで染み渡るような感覚があった。
「何か…変だ…」
「そりゃ…見た目、すごい変わってるぞお前」
「違う…そうじゃ、なくって…ぇ…」
ずりずりと擦りつけるように体を揺らす京極。以前川原の帰り、自転車に乗せて抱きつかれたあの時と似ているが彼の胸を覆うものは何もない。先ほど脱がせたタンクトップはオレの手にある。
「へ、ん…ビリビリする…ぁ♪」
「っ!」
掠れた甘い声。
普段なら絶対に出さない、蕩けた声。
聞いた途端に思わず体が固まって何もできなくなった。
「おかしー、んだよ…なんか、ぁ…」
「う…ん…」
「なんか、ん…すげー……」
「…すげー、何?」
「…」
そして京極は何を思ったのか開いた口をそのままで舌を出してオレの首筋を舐めた。
「―っ!!」
思わず体が反射的に動いて京極の体を突き飛ばしてしまう。
何をした?
何をされた?
どうして京極は人の首筋を舐めてきた?
いたずらなんてものじゃない。男が男にやるもんじゃない。
突き飛ばされたことにより彼は畳の上に倒れ込んだ。その衝撃によってか壁に立て掛けられていた木刀が数本、彼の傍に落ちる。そのまま気絶でもしてくれれば何も起こすこともないのだろうがあのお爺さんの孫、伊達に鍛えておらずこの程度では特に傷ついた様子もない。
京極はゆっくりと両手で体を起こした。
「…!」
先程はくっついていたから見えなかったものが重力に従って揺れていた。大きな膨らみに桜色の先端部分。男ではない、女の持つ部位。
ただでさえ露出の多い格好をしていたというのに隠していた布を先ほどオレが脱がせてしまった。窮屈そうにタンクトップを押し上げていた大きな胸がぶるんと震え、長い茶髪が揺れる。
裸。
上半身だけとは言え、元男だったとは言え、そこにあるのは美女の裸体。
いつもしていたサラシ用の包帯は窮屈だから部屋の中ではしていないらしく隠してくれるものは何もない。
「京極、服っ!」
慌てて目を逸らすも男としての本性は隠せない。何度も横目でチラチラと見てしまいそうになる。
しかし京極は隠そうとはしなかった。男だったのだからある意味当然の行為。恥じらう様子なんて欠片もない。
いやぁ、もうちょっとこう隠して恥じらって欲しいというか、そっちのほうが見ていて嬉しいというか…って何を思ってるんだオレは。相手は男友達だっていうのに…。
それにあの時は下を見ちゃったわけだし、と京極と学校であったことを思いだす。
…思い出さない方がよかったかも。
そんなことを考えていると目の前の京極が四つん這いながらゆっくりと手を前に出した。
「お…おい、京極?」
「…っん」
京極が一歩進んできた。両手両足をついてゆっくりと、まるで獲物を狙う獣のように。
一歩、また一歩。
彼が進むたびにオレは同じように後ろへ下がる。
一歩、次いで一歩。
翼が広がり、尻尾が猫のように揺れる。瞳に宿った光には勝機の色が見えない。あるのは狩人の色で、欲望の色。
何の欲望か、何を狩るつもりなのかわからない。
…いや、分かりたくない。
心のどこかでそれを理解している自分がいる。
頭の隅でそれを否定している自分がいる。
そんなことはありえない。
元男だった京極が、そんなことするなんてあっちゃいけない。
男の尊厳を捨てるような事を、自分自身を否定するようなことを進んでできるはずがない。
ない、のに…。
先ほど口にした飲み物は京極の体をおかしくした。それだけでは留まらず体外に変化はないが滾るような熱が下腹部を中心に広がって行く気がする。じりじり焦がし、自らが止まれなくなるように、緩んだ理性を溶かしていくかのように。
目の前で迫ってくる美女の姿、それもあと一枚で裸という格好はあまりにも反則的。迫られた分だけ下がってはいるもの逃げるのをやめてこのまま襲いかかりたいと思っている自分がいた。
「京極…おい…っ!」
何度名前を呼んでも瞳の色は変わらない。先ほど生えた尻尾が妖しく揺らめき大きな翼が覆い隠さんばかりに広げられる。朱色に染まった頬に潤んだ目、艶のある柔らかそうな唇は妖艶に誘う娼婦の姿に近かった。
一筋入った白髪が部屋の明かりに妖しく煌く。
異常なほど目に付くそれはある意味京極がこの姿に変わった証。女へと変えられてしまった証拠。
ああくそ、一体誰がこんなことしてくれたんだよ…っ!!
この状況を作ってくれたもうひとりの見たこともない女に悪態をついたが今は意味がない。
魅力的な女性が目の前にいる。
オレを求めるかのように身を寄せてくる。
「黒崎ィ…」
熱に浮かされたようにオレの名を唇にのせ、ぬるりと艶やかな舌が覗く。
求めているのか、誘っているのかもはやわからない。
今ここで正面から求められたら…オレは断りきれるだろうか…?
むしろこれほどの美女から求められているというんだ、何を拒んでいるん―
「―っ!」
一瞬自分の頭の中に浮かんだ邪な気持ちを振り払うように頭を振った。
何を、なんてことを考えているんだオレは!
そりゃ確かに今の京極は美女の姿、それも雑誌やテレビで出ているアイドルと比べても遜色ない程の美貌を持った女性の姿をしている。胸だってグラビアアイドル並みに大きく魅力的だ。
それでも、それだからって京極が男であろうとする覚悟を踏みにじることができようか。
体が女になってしまっても抗い続ける彼の気持ちを否定できようか。
そんなの、できるわけがない。
しかし京極はオレの気持ちを知ってか知らずかその体を寄せてきた。
手を動かして四つん這いの姿から近寄ってくる。
その分オレは後ろへ下がるのだが…すぐそこに壁が迫っていた。
くそ、後ろが麩だったら鵺出すことも出来たっていうのに。障子でも良かった。そのまま突き破って出ればいいだけの話なのだから。
ぎしっと、何かが軋んだ。
それは畳だったかもしれないしオレの理性だったかもしれない。
現に今京極の手はオレの体の上に乗せられていたのだから。
じんわりとした熱が腹部から染み込んでくる。オレ以上に高い体温が甘い熱となって理性を蕩けさせていく気がした。
「京極…本当に、やめ」
ろ、と言い切る前に腕が動かなくなる。押さえつけられたわけではないのに関節を決められたかのように。うまく見ることはできないが何かを引っ掛けられている感覚がする。硬くて、細長い…何か。
「…っ!」
そういえばさっき木刀が部屋の隅で倒れてたっけ。もともと剣道家の孫なんだから部屋に木刀が一本二本あってもおかしくはない。
その木刀を用いれば相手の動きを止めることができないはずがない…っ!
とうとう京極はオレの体の上にまたがってきた。ぐりぐりと腰を押し付けては逃さないように体重をかけてくる。
体に伝わってくる京極の体。
温かく、柔らかく、甘い香りまでするそれは疑いようもない女のもの。
「すげー、苦しーんだよ……黒崎…っ」
欲するように唇にオレの名をのせる。
人の心を見透かすように笑みを浮かべる。
まずい、まずい、非常にまずい。
逃げられないのに、拒みたいと思えないのに。さらに追い討ちをかけるようにこんなことをされて止まっていられるはずもない。
しかし木刀によって体を絡め取られていることはある意味では良かった。このままオレが襲いかかろうとせずに済むのだから。
だけど逆に京極にとっても好都合だろう。こんな状態で抵抗なんてできないのだから。
「逃げねーでくれよ、なぁ…♪」
そう言って京極はとうとうオレの服に手をかけた。
「おい、この馬鹿っ!!」
「お前も、暑いんだろ?ほらよ…っ」
まるで酔ったかのような言動だが明らかに酔いとは違う。
欲に惑い、色に染まり、本能に全てを任せた獣の姿。
京極は一気にオレのズボンをずり下ろした。
「っ!!」
「へぇ…♪なに、硬くしてんだよ…♪」
当然だ。これほど魅力的な女性に迫られて興奮しない男はいない。それを京極はわかっているはずだ。自分の容姿を見ているのだから、男としての精神がまだあるのだから当然理解しているだろう。
オレの反応を楽しむように眺めた後、京極は自分の最後の服に手をかけた。
「!」
「んん…っと」
自身の履いていたトランクスを京極は見せつけるようにズリ下げていく。もともとぴっちりしていない構造なのに下がっていくほど花のような、頭の中まで染み込むような香りが部屋に充満してきた。
ねっとりとトランクスから糸が引いた。部屋の光でいやらしく光るそれは京極の股間からつながっている。
「…っ!」
隠すべきものを捨てて、さらけ出したその部分。
男の証は消え失せてあるのは刀で切りつけたような一筋の割れ目。あの時、トイレの個室で目にしたのとは違ってそこはこれでもかというほど粘質の液体が滴っていた。
これなら既に準備はいらないはずだ、しようと思えばすぐにできる。
そう、すぐに…。
「なぁ…」
甘い声で耳元に囁く。
「なんか…欲しーんだよ…」
柔らかな手のひらが脇腹を撫でる。
「…熱くて、硬くて…どろどろしてて…何かわからねーのに、欲しくてたまらねーんだよ…」
細い指が絡みつき角度を調節する。
「…なぁ、いーだろ…?」
もう一度そう聞いて、ピンク色の粘膜と先端が触れ合った。
「んぅ…♪」
「っ…!」
ねっとりとした粘液の感触と染み込んでくるような媚熱、感じたことのない柔らかさが先っぽから伝わってくる。
京極はその感覚に笑みを深めた。
もう何も聞く気はないだろう。オレも答えることなんてできないのだから。
そして止まることなく腰はゆっくりと降りてきた。
「ん、あぁぁぁあああああああ♪」
誰も味わったことのないその場所は初めて侵入してきた異物を熱烈に歓迎してくる。火傷しそうなくらいに熱い粘液が、胸とは違った柔らかさをもつ肉壁が、全てをもってオレを飲み込んでいった。
「ふ…は、あ…入った、ぁ…♪」
びくびくと体を震わせて先ほどよりもより一層顔をとろけさせた京極は言った。
今まで凛々しく剣術家の孫として強い男であった京極の姿は欠片もない。そこにいるのは快楽に酔いしれ、乱れる女だけ。
見たことも想像さえもできなかった魅惑的な女だ。
「ふ、く…どうだよ、黒崎…お前の、全部入ったぞ…ん…♪」
「何してんだよ…っ!」
ぎちぎちに締め付けてくる京極のそこは初めてだからだろうちぎられるんじゃないかと思うほどにキツイ。それだというのに痛みは全く感じられない。あるのは筆舌し難い快楽。悪魔がもたらす極上の快感。
抗いと思えない、抵抗したいなんて思えない、逆らうことがバカバカしいと思える。
せめてもの抵抗として口を開くもそこから出てきた声は震え、期待の色を含んでいることを隠せない。
「は、はは…なんつー顔してるんだよ…だらしねーな♪」
「お前に、言われたく、ないんだけど…っ!」
男のオレを受け入れて快楽に歪んだだらしのない顔を浮かべている京極。
女の京極に飲み込まれた快感に身悶えするオレ。
互いに自分自身の顔を見ることはできないがきっと目の前にいる相手と同じような顔をしていることは容易にわかった。
「ん、くふぅ…♪」
京極はゆっくりと腰を上げていく。徐々に上がっていくにつれて粘液と赤い何かに染まった自分自身が露になっていった。
このまま引き抜ぬけばよかったと思う。ここで止まることができたんならまだましだったのかもしれないと思う。
それでも京極の目は変わらずぎらつき快楽を求めているのが丸分かりだし、オレもまた無意識に抵抗するはずの力を体から抜いていた。
「ん、はぁあああ♪」
下ろしたときと同じ速さで再びオレのモノが飲み込まれていった。先ほど以上の快楽がオレを襲う。わかってはいたが耐え切れるほど生易しい感覚じゃない。何度も耐えられるほどオレは経験豊富なわけないし、もっとしたいと主張する本能だけは一丁前だ。
甘い刺激は止むことがない。京極の腰は止まることなく貪るように動き続ける。
単調な上下だけではない、前後や捻りを加えたそれは初めて行為に及んだ女性が成せるものじゃない。それでもできるのは膨大な量の知識と回復薬による性欲増強、それから悪魔のようになってしまったことによるものか。
柔らかい媚肉の感触はわずかに動いたでも目の前を真っ白に染め上げるほどに気持ちがいい。騎乗されているからその快楽を止めることなんて出来やしない。
一方的に叩きつけられる初めての感覚。
未経験者にはあまりにも辛くて、甘くて、蕩けてしまいそうになる。
「京極、やめ…っ!」
「ふぁっ…ぁあ♪やぁ、んくっ♪すげー…気持ちいぃ…っ♪」
淫らな声が降り注ぎ、耳からオレを犯してくる。
淫靡に揺れる豊かな胸に踊るように動く体を見せ付けられる。
息を吸えば甘くいやらしい香りが肺いっぱいに埋め尽くす。
抵抗なんて許さない、拒否なんて認めない。
男のように荒々しくも女のように繊細に。
その動きが、その姿が、その全てがオレを狂わせ惑わせる。
もっと欲しいと思わせる。
全てを捨てて、目の前の極上の美女をめちゃくちゃにしたいと本能が訴えてる。
―そう…。
揺れ動く豊満な胸を揉みしだきたいと。
―だから…。
腰を動かしてさらに快楽を求めたいと。
―少しぐらいは…。
目の前の女性を、めちゃくちゃにしてやりたいと…っ!
―…いいだろ…?
「そ、らっ!」
腰に力を込めて一気に京極を下から突き上げた。
「んひゅっ♪」
予想外な行動に驚き、いきなりの快感に京極は目を見開いて嬌声を上げる。突きこんだ瞬間ぷしゅっと何かが吹き出したように見えたがそれ以上に彼女の顔に目がいった。
「あ、あぁあ…いきなり…なに、するんだよぉ…っ♪」
力なくそう言った彼女の顔は先ほどよりもずっと蕩けた顔をしている。
もう男であったことなんて誰が見てもわからない女のものに。
その顔が、その声が。
もっと聞きたくて、もっと欲しくなる。
「…悪い」
「え?ぁ、あ、おい、んん♪」
ぐっちゃぐっちゃと何度も腰を動かして下から突き上げる。京極がしたようにオレからも激しく、より淫らに責め立てる。
抵抗も躊躇いも、オレが止めるべきだった理性も全て投げ捨て一心不乱に腰を動かし続けた。
後悔すべきはずなのにそれすら快楽に染め上げられる。しかし染め上げられたのは後悔だけではなかった。
本当はしていけないはずなのに、受け止めちゃいけないはずなのに。
思っちゃいけないはずなのに、認めちゃいけないはずなのに。
オレの上で体を交える京極のことを―
―可愛らしくて美しく、淫らで愛らしい女と思ってしまう。
「んはぁああああ♪んぅん♪いぃ、い♪」
だらしなく開いた口から甘い声が交じった息を吐き出している。快楽に染まった瞳は正気とは言い難くもしっかりとオレを見据えていた。
「もっと、もっと動け、よっ♪」
「うぁ…無茶言うなって…っ!」
自分で腰を動かしてはいるが京極もまた責め立てるようにねちっこく動き続けている。跳ねるだけではなくぐりぐりと押し付けては膣はキツく締め上げてくる。そんな動きにそんな責めに初めてのオレが耐えきれるはずもない。
「京極…悪い、もう…出る…っ」
「え、あぁ♪何だ、よ、早えーよ、んんっ♪」
「そう言う…お前だって、さっきっからイってるクセに…っ!」
「うるせっ♪」
オレの言葉を否定するように京極は腰をさらに早く動かしてきた。ただでさえ限界が近いというのに一層激しい快楽が追い討ちをかけてくる。
「ほら、出せばいいだろっ♪ん…っんくぁ♪ほ、らぁっ♪」
「おい、それって本当に、まず―」
ぐぐぐっと下腹部に力を込めても我慢できるわけがなかった。
とどめと言わんばかりに京極は腰を持ち上げ、一気に落としてくる。
腰と腰がぶつかり合う音が部屋に響き、とうとうオレは限界を迎えた。
「んあああああああああああああああっ♪」
ガクガクと腰を揺らして、ビクビクと体を震わせて、盛大に京極は絶頂に達した。
次から次へと吐き出していく精を彼女は受け入れ、搾り取るように膣が蠢いては蕩けた顔でオレを見つめる。
潤んだ瞳、だらしなく開いた口、朱に染まった頬。とても艶っぽくて、可愛らしくて、愛おしい。
ピンと張った尻尾が徐々に力なく倒れこみ、それにあわせるように京極もまた体を倒してきた。
触れ合う体。重なる肌。互いの胸から伝わる早鐘のような鼓動がやけに大きく響いてきた。
京極は繋がりあった部分を見つめて口元に笑みを浮かべる。とびきりいやらしい、悪魔の笑みを。
「まだ全然、硬いな…♪」
「…うるせ」
「黒崎らしいっつーか、なんっつーか…」
「うるせ」
「一回だけで満足してねーんだろ?」
「…そんなの、お前もなんだろ?」
「はっ…わかってるじゃねーか♪なら…付き合ってくれるんだろ?」
「…拒否できる状況でもないんだよ」
「へっへ、当然だ♪」
そしてオレと京極は止まっていた腰を再び動かし、互いを貪り合っていった。
事が終わりを迎えたとき、既に外は明るくなっていた。障子越しに降り注ぐ日の光がやたら眩しく感じるのは…きっと眠ってないからなのかもしれない。
そりゃ…一晩中盛り合ってたら寝る暇もない…。
性欲お盛んな花の十代、そして相手は突然悪魔のような姿になってしまったが美女。
気の知れた仲であるとはいえ体を重ねるほど親しいはずがない。そもそも男同士だったというのだからいくら美女の体で迫って来てもここまでするつもりは無かった。
それなのに…。
「…」
「…」
オレと京極は互いに頭を抱えて畳に突っ伏していた。畳独特の緑の香りとそれを上書きするように染み付いた淫靡な匂いが鼻をつく。これじゃあ消えるのに時間がかかりそうだ…。
二人して動かない。
というよりも動けない。
あまりの激しさにオレは腰が抜けているし、京極は京極で何度も果てたせいで力が入らなくなっていることだろう。
だがそれ以上の原因は恥ずかしさ。
体を重ねてしまったこと、互いを異性として意識してしまったこと。
求めるように貪りあった時間は共に初めての経験であり、人生においてこれ以上記憶に残るものはないだろう。
消したくても消せやしない、後悔しても取り消すことなんてできない、思い出すだけで顔から火を吹きそうになる事実。
「…どうする?」
「…何を?」
「…これから?」
「…知らねーよ」
「…」
ここまでしてしまった以上、もうどうにもならず投げやりになっていることが体に伝わってくる。
首を動かし突っ伏している京極の姿を見た。同じ姿勢で同じように落ち込んではいるのだがどうしてだろう、禍々しいコウモリのような翼がパタパタ動いていた。それだけではなく艶のある鞭のような尻尾もだ。先端がハートの形をしていることによりその動きがまた愛らしく感じる。
そして、耳。
人間とは全く違うまるで御伽噺にでてくる妖精やエルフのように尖っている耳がほんのりと…いや、結構赤く染まっていた。恥じらいによるものか、興奮のあとによるものか、それとも照れている…というのはどうなんだろう。
重苦しい沈黙の中あまりの気まずさに耐え兼ねたのか京極は静かに口を開いた。
「…にん………取れよ」
あまりに小さい声。
オレに向かっていったと言うよりも自分に言い聞かせたのではないかというほど小さく弱々しい声だった。
「…ん?」
「……とれよ…っ」
今度は先ほどよりも大きくなった。しかし全部を聞き取るにはまだ足りない。
「…何?」
もっとよく聞こえるようにオレは体を起こして耳を近づけた。しかし京極は相変わらず突っ伏したまま。
「…ん……っ」
「…ん?」
やはり、聞こえない。
それほど大声では言いにくいことなのだろうか。
気のせいか耳を染めていた朱色は顔にまで至っているし。
「…聞こえないからもっと大きな声で頼む」
「…っ!」
オレの言葉に意を決したのか京極はやっと顔をあげた。
ようやく見れたその目はまるで名刀のように鋭く、オレを貫きそうなほど。
だというのに顔全体はこれ以上ないほどに真っ赤。湯気でも立ちそうなくらいに赤い。
そんな顔をした京極はいきなりオレの胸ぐらを引っつかむとこれでもかというほど近づき、もはや叫んでいるといってもいいくらい大きな声で言った。
「責任とれって言ってんだよっ!!」
あまりの大きさに部屋の障子が震えるほど。間近にいるオレはたまったもんじゃない。予想外の声量に顔を顰めながらも先ほどの京極の言葉を頭の中で繰り返す。
責任とれって言ってんだよ?
責任?
責任を…とる?
…うん?
「はっ?!お前それどういう意味で言ってるんだよっ!?」
「うるせーっ!」
怒鳴ったかと思えば京極はそのままオレの首を引っ掴む。一瞬息が止まり動きまでもが止まる。そこを狙ってか京極の顔が一気に近づいた。
「―っ…?」
眼前いっぱいに広がった美女の顔。頬を真っ赤に染め上げて目を閉じているその顔はとても綺麗で男だったら誰もが邪な感情を抱かずにはいられない。
だがそれ以上に抱いたのは疑問。
唇に感じるこの感触は一体なんなのか。
伝わってくる蕩けるような甘さはなんなのか。
…いや、本当はわかってる。
ただ信じられない。
それを京極がしてくるだろうか?
よりによって同性相手に、そんなことができるはずがないのに。
キスなんて…っ!!!
「ぷはっ!!」
「はぁっ!!お前、何やってくれてんだよっ!!」
結構長く重ねていたかもしれない唇を離し慌てて息を吸い込んだ。それでも感じた蕩けるような甘さは消えないし、少し湿った唇を舐めると未だにその甘さを感じられる。
それが信じられない。
京極は恥ずかしそうに、それでもオレを見つめている。
状況が状況ならこんな美女に見つめられたらそりゃ嬉しいが、今はそんな状況じゃない。
大慌てなオレと違って京極は落ち着いていた。もっともそれはオレと比べたらの話だが。
顔には笑みを浮かべているが強ばっているし、余裕を見せようとしているのだろうが正直よの字も見えやしない。
それでも京極は精一杯の虚勢を貼りながら、大きな胸を張ってオレに言った。
「責任…とってくれんだろ…?」
「…っ」
「俺の純潔を奪った分と、唇まで盗んだ分、それからお前、俺の女だなんて言いやがった分、きっちり責任とれよ」
「何言ってるんだよ!大体唇盗んだのお前だろっ!」
「うるせー!!責任取れっ!!」
責任。
そうだ、オレは確かにそう言っていた。
京極をこれ以上不安がらせることのないように、一時的なものとして口にしていた。
だけど、それを本気で捉えるものか?
本気で言っているのならそれは―
「―京極…お前、それ…どういう意味かわかって言って…」
「…当たり前だろーが…」
照れくさそうに視線を外す京極。
しかしその姿はどうみても男には見えるはずがない。
どの角度からみても整っている綺麗な女性の顔。
男物の服を着ても隠しきれない魅力的な女の体。
こんな距離だからこそ香る、クセになるような甘い匂い。
それから、囁かれるように耳に届く高くて透き通った声。
男性として生きていくことは絶対無理と言い切れても、女性として生きていくのならこの上ないほどの美貌を兼ねているし、きっと誰もが受け入れてくれるだろう。
そして、京極の言葉はそれを肯定していて。
つまり、京極は―
「―…男として生きるのを…捨てるのかよ…っ」
京極は無言で頷いた。顔の赤みは引くことがないが、向けられた瞳にはハッキリと覚悟の光が宿っていた。
揺らぎ無い、友の覚悟。
一生自分を捨てるという決意。
そこまでいってはオレなんかが止めることはできない。
ここまで決めておいて考えを変えろなんてことは言えない。
「…ああ」
彼は、静かに頷いた。
「あんなに戻りたがってたのに?今まで散々女の体で苦労したのに?それなのに…何で」
「…女の体の方が色々と、都合いいかもしれねーんだよ」
「…は?」
都合?
女の体でいることで何の都合が良くなるというのだろうか。
男の精神に女の体、食い違って生み出すのが苦労とストレスだって存分に体感したはずなのに。
京極の目がオレを映して切なげに唇を開いた。
「…なら…俺とキスするのは嫌だったか…?」
先ほどの行為。
柔らかなさと甘い風味と肌を重ねるのとは違った感覚。
初めてした、口づけ。
嫌かどうかと聞かれれば当然…。
「…嫌、じゃない」
体で言えば男と女。
見た目で言えば凡人と美人。
根本的には人間と、人外。
心においては男と男。
それでもオレが女性となった京極に惹かれていないとは言えなかった。以前には川原でナンパされていた時は恥ずかしいことを叫んだぐらいにオレは彼に…いや、彼女に惹かれている。きっと好意に近いものを持っている。
京極は小さく笑って言った。
「そっか…なら、それでいーだろ?これ以上あの女のこと探しても見つかりそうもねーし、ここまで体が変わって戻れる気もしねーし…それに、お前にこれ以上無理なんてさせられねーからよ」
「…京極」
「だから俺は…このままで…
―女のままでいい…」
「…」
「それに、お前の変態さについてけるのも、俺ぐれーだしな。お前をずっと独り身にさせたら哀れだなーって思ってよ」
「…お前にだけは言われたくないんだよ、馬鹿」
「へへ」
京極がそれでいいなら、それがいい。
京極が受け入れるのならオレもまたそれを受け入れよう。
今までの苦労は水の泡になろうとも、彼が、彼女が受け入れるんだ。
オレにとってはそれが最良であって、最善であって、最高の道。
彼女が責任を獲れというのならば喜んで取らせてもらおう。
当然友人としてではない。
一人の女として。
オレの、恋人として。
「『オレの女だ』なんて言ったんだからよー…一生かけてでも責任、とってもらうからな」
「ああ、任せとけ。お前が嫌って言うほど責任とってやるよ」
そう言って笑って、オレと京極はいつものように互いが拳を握り、あわせる。
それはいつものオレたちの合図であり、確認。
ずっと前からやっていたオレと京極だけのもの。
姿形が変わったとしても、やはり変わらない。
男のようにゴツゴツしたわけではない柔らかで綺麗な手でも。
女性であっても紛れもない京極だった。
12/10/28 20:14更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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