連載小説
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中編
「…ん?」

朝の支度を終え、さてこれから学校だとカバンを背負って自転車の鍵を手にしたとき、ポケットに入っていた携帯電話が震えた。
画面を見てみると表示されてるのは京極からの着信。
基本的にメールで話してくるあいつにしては珍しい。

「…はい?どうかした?」
「おぉ、黒崎君」
「…京極のお爺さんですか?」

これは…また…予想外な相手が電話をかけてきたもんだ。これ孫の携帯なのに勝手に使っていいのだろうか。って、そうじゃない。

「で、どうかしましたか?」
「ああ、時に黒崎君。君は巨乳な女性は好みだろうか」
「…まぁ、好きですけど」
「そうか好きか!それは良かった」
「…」

…どうして朝っぱらから巨乳が好きかどうか聞かれてるんだろう。
っていうかこの人あれだ、結構な『あれ』だ。
オレが知っている中で一番『あれ』なのは師匠ぐらいだと思ってたけど…まさか師匠以外にもいたとは…。

「……えっと、それでどうして電話をしてきたんですか?」
「おお、そうじゃ。忘れるとこだった。実は孫のことでのぅ。いや、今は孫娘か、ふぉっふぉっふぉ」
「…」

…笑えないだろ、それ。
自分の孫がいきなり女になったらお爺さんとして笑えないだろ、普通。

「で、京極…じゃなかった、怜君がどうかしたんですか?」
「ああ。あやつを学校に行かせようと思ってな」
「…え?学校に?」

…いやいやいや。あの姿で学校に行けるもんじゃないだろ。
以前は男だった奴がいきなり女だなんて勝手が変わるし、それに席がない。京極男ならあっても京極女じゃ周りの反応さえまったく変わる。
さらに言うならあいつ、なんでか美女だった。
あんな風貌でお年頃の男が沢山いる高校に行けば放っておく奴はいないというのに。

「黒崎君はきっと反対じゃろうがわワシらにとって怜はたったひとりの一人孫なんじゃ。甘やかしたいのもあるが立派な大人にもなってもらいたい」
「…」
「じゃから、頼む。あやつの傍に居て―」
「爺っ!テメー人の携帯で何やってんだ!」

電話の向こうからものすごい声が聞こえてきた。甲高い声はいったい誰のものなのかと考えてしまうが数秒して気づく。
そうだ、これ京極の声だ。
いつもはもっと低いし荒い声だというのにこれでは声だけで判断するは難しくなっている。
少しの物音とともに声がお爺さんのものからその女性に変わった。

「黒崎か!んなもんいらねーからな!一人で学校でもなんでも行くつもりだからな!」
「一人って…京極それで大丈夫か?」
「当たり前だろーが!つーか来るな!絶対に家に来る―おごっ!」

電話の向こうから変な声が聞こえた。女性が上げていい声じゃないものが。
同時に乾いた軽い、でも本人にとってはかなり重い一撃の音。それに続くのは痛みに耐える女のうめき声。

「あがぁ…爺…テメー…」
「ああすまんのう黒崎君。怜はちょいと照れておるだけじゃ。あれじゃよ、いわゆる『つんでれ』とでもいうやつじゃ」
「…」

お爺さん、京極を木刀かなんかで殴ったな。あの人一応師範代であいつの師だし。

「そういうわけで頼む。怜の隣にいてくれるかのう」

そこまでお願いされてはこちらも断れないというもの。しかも頼んできた相手がずっと年上で友人のお爺さんというのだから。
だけど、もとよりこちらもそのつもり。
学校へ行かすのは問題があるとしてもあいつの傍ぐらいにはいるつもりだ。

「分かりました」
「おぉ!頼まれてくれるのか」
「ええ、頑張らせていただきます」

オレの声に電話越しでお爺さんは嬉しそうにそうかそうかと繰り返す。向こうではきっと自慢の顎鬚をなでていることに違いない。

「ではワシの家前まで来てくれるかのう。怜をそこで待たしておこう。学校からはワシが言っておくからこやつのことを頼んだぞ、黒崎君」
「はい、分かりました」
「曾孫のことも頼んだぞ」
「わかりまし…え?」

…曾孫?お爺さんにそんな子供がいたっけ?孫に当たる京極には子供なんて当然いないのに。
…まさかこのお爺さん。

「勉学も大事だがそれ以上に大事なことは沢山あるあるから積極的に励むのじゃぞ?」
「いや…お爺さん?」
「女子高校生も巨乳も好きな黒崎君ならやってくれると信じとるぞ。ワシはワシで婆さんがいるからのう。どれ、これから一発かましてくるとしようかの!」
「…」
「では黒崎君、怜のことを頼んだぞ。何、昼飯に精力剤と媚薬を持たせてあるから励めよ若人共」
「お、おいクソ爺!テメ―げふっ!!」
「…」
「ふぉっふぉっふぉ」

そのまま向こうの音が途切れる。つーつーと聞こえてくる音がやたらと虚しい。
…あのお爺さん、只者じゃないな。
あそこまで常識外してるというか、抜けているというか、超人的というか。間違いなくあの人、オレの師匠と同じタイプだ。流石にあれ以上とは行かないだろうけど、並んでもおかしくない。…達人とか師範代ってそういう人が多いのかな。
そんなことを思いつつオレは手にした携帯電話をポケットに仕舞って自転車の鍵を手に家を出た。










京極家の質素だがやたらでかい門の前に自転車をこいでいくといた。門の前に立つ同い年くらいの美女の姿があった。
以前見た茶色い長髪、一筋入った白いメッシュみたいなもの。整った顔立ちに服を窮屈そうに押し上げる大きな胸。男性ならば誰もが目を奪われる美貌であり同年代の男なら当然見蕩れてしまう、そんな女性。
京極怜。
いつもどおりというか最後の自分らしさというか右手には常に所持していた布に包まれた木刀があった。
いつもどおり。
そう、いつもと同じ姿。

「…」
「…」
「…」
「…はん」
「…テメー今鼻で笑いやがったな」

女性の姿になってしまったのは仕方がないとしよう。だがこの姿は…。
女となった京極は今までも、現在もオレが着ているのと同じ学ランを羽織っていた。学ランだけではない、その下に着ているのも履いているズボンも、オレと全く同じ制服姿だ。

「京極、そこはセーラー服だろ」
「お前、俺にセーラーを着ろっつーのか?」
「似合うと思うぞ」
「嬉しくねーよ」

でも女子が男子生徒用の制服を着ている姿もこう…ありだな。胸が窮屈なのか学ランはボタンを全部外し、押し上げられた白いワイシャツが眩しい。それだけじゃなくてシャツのボタンもいくつか外れていて豊かな谷間が丸見えだった。
…アリだな、こういうのも。
オレは自転車に跨ったまま荷台を手で叩いて京極に示す。

「ほら、乗れよ。学校遅れるぞ?」
「…」
「ほら」

しぶしぶ京極はオレの後ろに座る。横に置いてあったカバンをカゴに突っ込んで木刀を傘のように自転車に差した。手が両肩を掴んで準備は完了、さぁ行くかというところで違和感に気づく。
背中に感じる柔らかなものに。

「…」
「…」
「…デカイな」
「…木刀で殴られてーか」
「いえいえ」

両手で肩掴んだだけでここまでくっつくか。オレの師匠やお父さんの実家にいる先生、玉藻姐には流石にいかないが同年代の女子なら並べないレベルだぞこれ。

「…ちなみにブラは?」
「…テメー、殴られてーか?」
「してないのかよ」

まぁ薄々わかってたけど。

「……サラシだ」
「…へぇ」

それもまた、アリだな。

「お前そんなエロ本持ってなかった?オレが前に借りたやつの中にあったよな?サラシのみで裸のやつ」
「昨日全部燃やした」
「もったいねぇ」
「あんなのと一緒だと思うと震えが止まんねーよ」
「まったくだ」

こんな話ができるということはやはり中身は本物の京極だ。会わないうちに精神まで女っぽくはなってないらしい。
いつものようにそんな下らない話をしながらもオレはからから笑い、反対にぶすっとした京極を乗せて自転車を漕ぎ出した。










「―ということで京極の親戚の娘さんだ。転校してきてわからないことだらけだろうが皆仲良くしてやってくれ」

おぉ〜と男子からは歓声が上がり、女子からは羨望の視線が注がれる中、京極怜は頭を下げた。

「京極レンです。よろしくお願いします」

形だけの挨拶で形だけの笑みを浮かべただけだったがそれだけでも男子は騒ぎ出す。まぁあれだけ美人なんだ、それが当然の反応だろう。もしも京極が男であのような美女が転校してきたのなら同じように歓声を上げていたに違いない。

「代わりに京極はしばらく学校に来れないらしい。なんでもお爺さんの手伝いだとかで遠くまで行ってしまうそうだ。だからその分空いた席を使ってくれ」

そう言って担任はオレの後ろの席を差した。

「黒崎の後ろだ。あそこに京極が座っていたから今日からあそこに座ってくれ」
「はい」

スタスタと歩いては自然な動作で席に着く女子生徒、レン。
ちなみに言うとオレの後ろの席は京極がいつも座っていた席であって、今も京極が座っているので対して変わらない。本人にとってはいつもどおりだ。

「ではホームルームを続けるぞ。今日の予定なんだが―」

担任の声を聞き流しながらオレは後ろへ体重をかけて椅子を傾ける。そのままわずかに首を捻って小声でいつものように京極に話しかけた。

「よくやってくれたよな、お爺さん」
「ああ。あんなふざけた理由でよくもまー通ったもんだ。」
「名前がカタカナになっただけだし」
「ほんとーなら別の名前をつけられるとこだったけどな」
「学ランで通ってるし」
「私服の高校行ってたことになってるんだと。制服なんざ用意してねーから俺のを代わりにもらって着てるってわけだ」
「なるほど」

彼もまたいつものように身を乗り出してオレの話に答える。周りから見ればどうして初対面なのに親しくできているのかと不思議でたまらないのだろう。特に男子にとっては。今もこうして話しているだけで皆が皆視線をこちらへ向けてくる。それも男子から京極に集中的に。
皆…この美女が男手京極だと知ったらどんな反応をするのだろうか。考えてみただけで…。

「…は」
「今何で鼻で笑った?」
「いえいえ」

絶望ものだろうな。特に男子。でも今は女性なんだから関係ないか。京極本人だってわかってても見蕩れることに違いない。それどころかわかった上でそれでもいいと言って迫ってくる奴さえいそうだ。

「…おい黒崎」
「どうした?」
「…なんか皆して俺を見てねーか?」
「まぁ…見てるな」

バリバリ見てる。隣にいる女子も後ろの男子もオレの前にいる男子も教室の隅に席がある男子も皆してだ。

「…」
「転校初日からすごい人気だな、京極」
「…」

無言で睨まれた。女性になろうともその瞳には一流の武人らしい鋭い光が宿っている。
やはり女性として見られることは気に入らないらしい。男でなくなって数日は経つがなれるものではないんだろう。まったく、と小さくため息をついてオレは京極に小声で伝える。

「女が学ランきてる時点で注目の的になるだろ。頭のその白い髪の毛もだ」
「…なるほど」

茶髪に混じって垂れた白い一筋の髪の毛。学ランを着ていることと同じくらいに注目を集める要因となっていた。
だがやはりそれ以上に注目されている理由は。

「後はお前がやたらと美人だからだろ」
「…美人なんて言われても嬉しくねーよ」

どこか人間離れした美貌。豊かな胸にスラリとした体、長めの足に整った顔。
このままモデルとしてもいけるんじゃないかと思える程だった。雑誌の表紙を飾っていても違和感なんてなにもない。むしろこのままテレビに出れるんじゃないか。

「鳥肌たつっつーんだよ」
「お前ならそうかもな」

それでも事実は事実。オレの後ろに座った京極という女は間違いなくこのクラス内なら一番の美人だ。
まったく、こんな姿に変えた女性っていったい誰なんだよ。こめかみを抑えて京極を一瞥し、オレは小さくため息をついた。










「…落ち着くなーここ」
「…いや、こんなとこで落ち着いていいのか?」
「教室に戻れねーよ、あんな状況じゃ」
「そりゃまぁ…皆京極と話したがってるしな」

オレと京極は朝のあと、皆を避けるためにある場所で座っていた。空間的には広いが異臭が鼻を突き、衛生的とは言い難い場所。人気がないとは言えないがこの時間帯ならまだ平気だろう。
オレと京極はトイレにいた。
ちなみにいうと当然男子トイレだ。

「…」
「…あ?なんだよ黒崎」
「いや、お前男子トイレに入って平気なのかなと」
「俺は男だぞ?何下らねーこと言ってんだよ」
「中身だけじゃん」

何気ない顔で入っていくのはいつものことなのだがやはり体は女性、周りに男子がいれば絶対に驚くこと間違いない。さらには出るとき、外に生徒が誰かいたらそれだけで大騒ぎだ。転校初日というのに男子トイレから出てくる女子転校生なんて見られたらおしまいだ。

「あー、せっかくトイレなんだし用足しとくか」
「…え?オレいるんだけど?」
「お前男だろーが」
「お前女なんだよ」

壁に備えられた便器に当然のように立つが、体が女性だということを自覚してるのかこいつは。お前はそっち使えないだろ。
あーちょっとベルト外そうとするなよ、女の体なんだから色々と変なもの考えちゃうだろ。

「いくなら個室だろ。っつうか女子トイレ行けばよかったんじゃね?」
「俺に女子トイレ行けっつーのか?」
「…男だもんな」

いろいろ、気まずいよな。

「なら場所移動しようぜ。流石にここ、もうすぐ皆来るだろうからさ」
「あーそうだな。もうすぐ一時間目始まるもんな」
「体育だぞ?着替えないといけないから急ごう」
「着替えなら俺はここに持ってきてる」
「しっかりしてるな」

流石の京極もあの男子集まる教室内で着替えることはできないよな。…いや、京極は女なんだから女子更衣室行かないといけないんか。そっちの方を嫌がってるんだなきっと。
なんてことを考えていたらドアの外が騒がしくなった。

「…!」
「やべ…っ!」

すぐさま外に出るにしても皆はきっとドアの前。男子トイレであるここから出ていくには京極がいる状態では絶望的。
だからといってこのまま皆が入ってきてオレらを見つけても絶望物。
やばいっ!これ本当にやばいっ!

「おい、京極―」

彼を呼んだ次の瞬間、オレの腕は引かれていた。女性にしては強めの力で一つの個室に引き込んでいく。トイレのドアが開くのと、個室のドアに鍵がかかるのは同時だった。

「でさー、あの先生がよ」
「わかるわかる、おれも同じこと思ってた」

途端騒がしくなる外。扉一枚隔てた空間に数人の男子が入ってきた。
その中でオレと京極は互いに顔を見合わせる。やっちまった、そんな顔で二人してため息を付いた。

「…どうする?」
「どうするも…出られねーだろ」
「だから、どうするかなんだよ」
「…」

この状況、大声なんて出したらバレてしまうこと間違いない。京極の声は普段よりも高くなった女声なんだから男子しかいないハズのここで出そうものなら一発でバレる。
だからといってこのままじっとしているわけにもいかない。次の授業は外で体育。遅刻などすれば校庭を走らす鬼教師の授業だ。

「急がないと…」
「…仕方ねー」

何を思いついたのか京極はそのまま学ランを脱ぎ始めた。

「っ!何してんだよっ!?」
「あ?着替えてるだけだろーがよ」

小声で言いながらも京極はワイシャツのボタンを外していく。包帯に巻かれながらも窮屈そうに形を変えた大きな胸が露になっていく。

「ちょちょちょっと待った!まずいだろこれ!まずいって!」
「何もまずくねーだろお前も俺も男なんだし」
「いやいやいや!」

こいつ本当に自覚あるのだろうか。
トイレの個室に男女が声を潜めて二人。状況的にも色々と危ないというのにさらに服を脱ぐなんて危険極まりない。
そういえば京極の持ってたエロ本にこんなのあったな。声を殺してトイレの中でヤってるやつ。外に人がいる中で我慢するあの描写は素晴らしくエロかったなあれ。
いやいやいやいや!何考えてるんだ、オレ!

「おっと」
「!」

いつの間にかズボンまで脱いでおり、その時に手が引っかかったのかパンツまでが一緒に脱げてしまっていた。
この前同様に男物の下着。だがいくら男物をつけようとも体は女のもの。
だからその下にあったのは―

「…何手で目隠してんだよ」
「見てない!何も見てない!」
「何も?何見るんだよ」
「見てない!」

一瞬ちらりと見えてしまったその部分。本来男としての証があるべきところには何もなかった。なかったからこそ女性の証となるものがあった。
京極は中身は男だから恥じらいなんてものはない。オレに裸を見られたって平気にきまってる。
だけどオレはそうじゃない。中身は男だし見た目も男だけど目の前にいるのは女性でそれも美女。そんな彼女が服を脱いで半裸の姿をしているというのだからオレはもうパニック。
ちょっと待って!
ほんとに待って!
なにこれ拷問!?
見たいと思う気持ちを必死に抑え両手で目を抑える。
結局そのままオレは地獄のような、天国のような時間を京極と過ごすハメになった。










授業も終わり掃除の時間
当番でない生徒は部活だったりするが高校三年生のオレたちにとっては既に卒業してしまって今は受験勉強の時期。オレは当番なのでことあと教室掃除をしていかなければならない。
だけど京極は違った。

「…」

一人教室の入口に無言で立つ一人の女子生徒。木刀を杖の代わりにして両手を載せ只ならない雰囲気を纏っている。
それでも彼女の美貌は損なわれない。いくら刺々しい雰囲気だろうが鋭い視線を送ろうが美人というのはどんなことをしても絵になるものだ。
それは京極にも言えること。
現にこれから喧嘩でもするような殺気立っている京極を遠目で眺める男子生徒がたくさんいた。うちのクラスだけではなく他のクラスの連中までいる。皆転校してきた美女の姿を見たいがためだろう。何人かで集まってヒソヒソと語り合っているが、内容はきっと…男らしい内容なんだろうな。

「…京極」

声をかけるには恐ろしい雰囲気と、場違いな程の美貌に声を掛けづらいと感じたがそれでもオレは京極を呼んだ。

「…あ?」

案の定、穴を開けるような鋭い視線と地獄から響くような低い声が返ってきた。

「機嫌悪そうだな」
「…イライラしてんだよ」
「だよな」
「なんだよあいつらはよー…ジロジロ見てきたかと思えば休み時間には質問攻めだぞ?」
「転校生ってそういうもんだろ」
「趣味は何ですか?好きなタイプは?ウザってーったらありゃしねーんだよ…っ!」

だんっと床を強く踏みこむ京極。あまりの強さにここら一帯の窓ガラスが震えた気がした。

「とにかく俺はもう帰るからな?こんな変な目で見られるとこずっといられねーんだよ」
「あ、待てよ。オレ掃除だから少ししたらすぐ行くから」
「待てねーよ。俺は帰る」
「いや、お爺さんに頼まれてるんだぞ?」
「知るか。俺は付き添いが必要なガキじゃねーんだよ」
「でも」

と続けようとしたところで布に包まれている木刀の切っ先が喉元に添えられた。あと少しオレが前に出るか京極が木刀を推し進めればすぐさまオレの喉へと食い込んだだろう。
そこに乗せられた気迫は尋常じゃないほど荒々しく、刀のように鋭かった。

「何度も言わせんじゃねー」
「…わかったよ」

これ以上止めれば京極は確実に切れる。普段は温厚とは言い難いが女となったことによるストレスは半端なもんじゃないのだろう。好奇の目に晒されてるだけじゃない。立ち振る舞い、言葉遣いや態度だって女性らしくしなければならないのだ。
トイレだって本当なら女子トイレ行かないといけなかったし。そもそもオレの前で着替えとかもうやめてほしい。美女の姿で裸になるとかやめてほしい。そのおかげでオレは朝から悶々してたし。

「なら荷物くらい寄せよ。持ってってやるから」
「…」

オレの言葉に京極は無言でバッグと木刀を投げ渡した。
そのままオレの方を見ることなく歩き出す。周りからは依然として好奇の視線が送られるのだが本人はもう気にも止めずにただ足を進める。後ろ姿は背筋がピンとした武人らしいもので男だったときと全く変わらないのだが、女になったその姿はまるでモデルが衣装を来て歩いているみたいだ。
衣装に至っては学ラン、前面ボタンを外しワイシャツは途中まで外されて見えるのは大きな胸の谷間。
奇妙であるが美しく、奇天烈だけども麗しい。
ありゃ視線をよこせって言ってるようなもんだろ…。
そんなことには全く気づかない京極を見ながらオレは疲れたようにため息をついた。










帰り道、自転車をこいでいると河原近くで集団ができているのを見かけた。
夕焼けで赤く照らされたそこには黒い服を着ている集団はやけに目立つ。
学ラン?でもうちの学校の生徒であんな奴ら見かけないな。
なんてことを思いながらその集団の中に一つ目立つものを見かけた。夕日を反射して眩しい、白いもの。
…あれ?あれって髪の毛だよな。メッシュみたいに一筋生えてるあの髪の毛ってもしかして…。

「何度も言わすんじゃねーよ」

聞き覚えのある甲高い声がここまで響いてくる。
間違いない、ようやく聞きなれてきた女版京極の声だった。
何やってんだ、あいつ。

「そんなつれないこと言わないでさぁ…おれらと遊ぼうぜ」

…相手も相手で何やってんだ。
囲っている男どもは皆それぞれ髪の毛を金やら銀やら染めてよく見れば遠目にも目立つ大きめのピアスをつけている。誰がどう見たところで不良にしか見えない。それもよくありがちな三流ものだ。

「さっさと消えろよ。俺は今虫の居所がわりぃーんだよ」
「可愛いのにそんな顔しちゃもったいないぜ?」
「そうだぜ。男ものの制服なんて着ちゃってさぁ。服ならおれらが買ってやるから、ね、ね?」

…面倒くさそうだな。
見た目がいい女になった京極が一人で出歩けばそうなるのは当然だというのにあいつはそこらへんをわかってないな。
いや、分かりたくないのかもしれない。
囲まれた京極、対して周りにいるのは六、七人の男たち。皆ヒョロヒョロであんなの相手なら京極も一人で十分だろうといった相手だ。
いつもならば。

「テメェら…痛い目みてーってわけかよ」

そう言って京極は普段手に持っている木刀を抜い―

「―…?」

ない。
そう、京極の手に木刀はない。
いつもならば自分の一部のように持ち歩いているのだが京極は一人で帰ったために忘れていたんだ。木刀はオレに預けたままだってことを。

「…」
「んん?どうしたんだ?痛い目見せてくれるんじゃなかったのか?」
「威勢がいいねぇ、嫌いじゃないぜ」

遠目からでもわかる男どもの卑下た笑い声。きっと顔にはニヤニヤと品のない笑みを浮かべてることだろう。
その証拠にここからでも見えた京極の顔がすごい嫌そうな顔をしていた。
それでも構わず男どもは京極に詰め寄っていく。リーダーらしき男を筆頭に周りを取り囲んでいく男ども。
本来ならあんな相手朝飯前の京極だが今は女性であり、きっと身体能力は女性らしいものになっているはず。そして唯一であって最高の武器がない状態では剣道家としての実力を発揮できるわけがない。

「へっへ、さっきまでの威勢はどうしちゃったのかな?ん?」
「しおらしい姿もいいねぇ」
「だーいじょーぶ、優しくしてやるからよ」

正直あんな不良が現実にいたことに驚きなのだがそれ以上にイラッときた。
京極一人にあんなに偉そうな態度をとってる阿呆どもに。
何もできない京極を皆で囲っている姿に。
それ以上に―





―その女に手を出そうとしている姿に。





中身は男であって、オレの友人である。そんな事実は今更ながら百も承知。
それでも―なぜか。
なのに―どうしてか。





―無性に腹が立つ。





京極に話せばバカじゃねーのと言われただろうがそれでもこの苛立ちは隠せない。

「…ちっ」

オレは舌打ちをして自転車に差していた木刀を手に、その場から走り出した。
京極都の距離は五十メートルと少し。限界のスピードまで出すには十分な距離だ。

「おれ、いいとこ知ってるんだよねぇ。一緒に行こうぜ?」

リーダーの男の手が京極の肩を強く掴んだその瞬間オレは地面を強く蹴った。



刹那。



リーダーの顔面に膝が刺さった。



「ごあっ!?」
「「「「「っ!!」」」」」
「黒崎っ!?」

全力の勢いとオレの全体重、そしてとても硬い膝の一撃はリーダーをその場からぶっ飛ばすには十分なものだった。あまりの勢いにその体は転がって地面に強かに打ち付けられる。そのままぐったりと動かなくなるが…重症ではないだろう。無事ではすまないけど。
掴まれていたことによりバランスを崩した京極、蹴った後に着地をしたオレはよろけた友人の手を引いて、抱き寄せた。
それはまるでお姫様のように。
正直男と男で気持ち悪いと思えたかもしれないが実際は男と女。それに今はそれを気にしているほど余裕はなかった。

「リーダー!?」
「な、なんだテメェっ?!」

一瞬遅れて周りの男たちが反応する。京極を取り囲んでいたのが今やオレと京極の二人を逃さないように取り囲んでいた。
その中で、オレは京極を抱き寄せたままに高らかに宣言する。



「こいつはオレの女だ!!」



「っ!!」
「「「「!」」」」

周りが驚く中オレは見せつけるようにさらに抱き寄せた。男だったら絶対にない柔らかさを腕の中で感じつつも目前の相手たちを睨みつける。

「人の女に手出すっていうんなら…わかってるか?」

一瞬不良どもは固まった。いきなり現れた奴が横から全力でリーダーを蹴り飛ばした上にそのようなことを言ったんだ、誰だって固まるか。

「お、おい黒崎っ!」

慌てて京極の声が耳に届く。京極にしては珍しい、慌てたその声色は女性になってかやたらと魅惑的に響いてきた。

「ん?」
「何じゃねーだろっ!いきなり出てきて何やってんだよっ!?」
「何?見て分からないのかよ?」

京極の手に持っていた木刀を押し付ける。これさえあればこいつは百人力。剣道家に木刀は鬼に金棒とでもいうところか。
だから、京極の身はこれで安全だ。
だから。

「友人を守るのは当たり前のことだろ。少しはオレにかっこつけさせろよ」

ここから先はオレの領分。
女となった京極に無理させるつもりはない。例え一流の武人だろうと女となった彼が全力を出せるとは思えない。
故にここは、オレの出番だ。

「てめぇ…やりやがったな…っ!」
「先に手を出したのはどっちだ?人の女に手出すからそんなことになるんだよ」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、このがきがっ!」

一歩踏み出してくる不良ども。いかに数がいようともこんな相手に負けるはずもない。
オレはすぐさま京極を後ろへやって拳を握り込み、目の前の相手を殴りつけようとした、その時だった。

「うがっ!」
「!」

目の前の男が不自然に飛んだ。
正面からものすごい力をぶつけられたように仰け反り、数メートル後ろへと転がっていく。
その様子にオレは一瞬固まり、周りの不良たちもいきなりの出来事に動きを止める。
何があった?
その答えはオレの頬スレスレに突き出された木刀が答えとなっていた。

「…何一人で全部やろーとしてんだよ」

低くドスを効かせようともイマイチ迫力に欠ける女の声。それでも込められていた気迫はとても女には出せるようなものではない。
抜いた刀身のように鋭い視線がオレの肩ごしから周りを貫いた。

「おい、黒崎…テメー独り占めしてカッコがつくなんて思ってんじゃねーよ」

先ほど前にいた男を吹っ飛ばした木刀が引かれていく。オレの視界から消えるとすぐさま一歩、京極は隣に踏み出してきた。

「ちょーど鬱憤が溜まってたとこなんだ、俺にやらせろよ、なぁ?」

揺れる長い髪の毛に、混じった一筋の白。幽鬼のように歩みだしては木刀を構えた女。そこから放つ気迫はただの人間にはあまりにも鋭すぎて、あまりにも重すぎる。

「え?…ちょっと?」
「何するきなのかな、お嬢さん…?」

殺気漂う京極の姿に流石の不良どももなにか危機を感じたのだろう、声が震えていた。
長い付き合いであるオレでさえここまで荒れてなおかつこんな凄んだ気迫ある京極を見るのは初めてだ。
女としての生活と、学校での皆の対応と、この不良どもがやったことにより京極の怒りは限界を迎えているのだろう。
無理もない。

「あー?どーした?俺と遊んでくれるんじゃねーのか?」
「い、いや…そんなハードプレイはちょっと…」
「そ、そうだよな、女の子はもっとお淑やかじゃないと…」

女の子。
その言葉が耳に届いた瞬間、それを言った男が一人、また宙を舞った。はるか後方へ飛んでいき先ほど転がった男と同じように転がっていく。強かに体を打ち付けながら止まった体は見たところ起き上がる気配はなかった。

「おっと手が滑っちまったじゃねーか」

ぽんぽんと手のひらを木刀で叩く一人の女。顔には笑みが張り付いていてこんな状況でも魅力的に映るのだが、その雰囲気はただ事じゃない。
死神の鎌を手に迫る女神とでも言うべきか。

「人数は減ったが遊べねーわけじゃねーよな?」
「い、いや…結構です!」
「おれ達、帰ります!!」

自分がどんな相手に声をかけたか今更わかったらしい不良ども。
だがそれは既に手遅れであり、この女の手から逃げることなんて不可能。
できることはせいぜい、安らかな気絶を願うのみ。

「待てよ。誘ってきたのはそっちじゃねーか。心行くまで楽しもーぜ?」

まるで魅惑的な娼婦のように囁いた京極は満面の笑みで木刀を振り上げた。










それから数分。
オレと京極の周りを囲っていた男たちは全員地面に伸びていた。皆が皆気を失っているというか、失神している。
とてもひどい惨劇だった。
途中で不良たちが「やめてくれ!」から「助けてくれ!」に変わったときは流石にオレも手を止めた。だが当然ながら今更助けを乞ったところで女と言われ、ナンパまでされた京極が許すはずがない。木刀を振りかざして笑いながら殴りかかっていく姿は…流石に美女とは言え恐ろしいものがあった。
そんな美女は今、自転車に跨ったオレの隣にいた。
表情は今までの鬱憤を晴らせたからかすっきりしているのだがどこか浮かない。
何かを迷うように。
何かを躊躇うように。
オレを見てはあーとか、うーとか唸っている。
そんな京極を怪訝に思いながらも前にオレは自転車を叩いた。

「ほら、帰るぞ?」
「…」

無言でオレの後ろに乗ってくる京極。朝とはちょっと違う雰囲気に戸惑いつつもまぁ大丈夫だろうと思い荷物をかごの中へと突っ込んだ。
京極の手がそっと肩を掴む。それは朝と同じ、はずだった。
そのまま両腕が胸に回り、強く抱きしめてきた。
途端に感じる背中の柔らかさ。学ラン越しにも伝わってくる男にはない感触。

「…京極、あの…」
「…」
「…当たってるんだけど?」

京極は何も応えない。首を捻って後ろを確認するとうつむいてオレの体に頭を押し付けてる姿が見えた。
どうしたのだろうか。ケガなんてしてないのに体調でも悪いのだろうか。

「…とよ」
「…」

とても小さな声で届いたその言葉。聞き取ることはできなかったがなんといったかはわかった。

『ありがとよ』

友人であるオレに向かって言うには恥ずかしい言葉。
素直に口にしないところがなんとも京極らしい。
とすればこうやって抱きついているのはきっと、せめてものお礼というとこか。女にされては嬉しいことだが女の京極にとってそれを誰かにするのはきついものがあるはずなのに。

「いえいえ」

オレはとくに気にすることなく前を向いてそんなことを言った。
男と女という異性の壁ができようが、オレと京極の間はなんら変わらない。だからたまには、こうやって助けるのもまたいいかもしれない。オレはそんなことを思いながら背中に柔らかな感触を受けつつも自転車のペダルを漕ぎ始めた。
12/10/21 20:12更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで中編でした
学校での主人公ラッキースケベ?に放課後のオレの女発言
今回はちょっと積極的というか、親友であることもあって距離が近いです
親友の京極も恥じらいないのに最後の方ではしおらいくなって…
次回は後編、致しちゃいますよ!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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