オレとその後
あの日。
師匠の正体を知ってからもうひと月がたった今日この日。
「…こんなもんか」
オレは鏡の前で自分の姿を見てそう言った。
普段の学生服姿ではなく私服姿、それも少し見栄えのいいものを着ていた。
本当ならもっといい服とかがいいのだけど高校生がそんなに豪華な格好はできないし、以前行った高級レストランに入れるような服は持ってない。
そもそも高校生があんなところに入る機会あるはずがないっていうのに。
…今日も行くつもりなのかな。
そんなことを考えていたら家のインターホンがなった。
「!はいはーい」
今家にいるのはオレとお父さんとあやかのみ。
二人とも二階にいるだろうから出なきゃいけないのはオレ。
しかし、ここであやかが出て行ったら玄関先で争いごとになりそうなので絶対にさせない。
いつもの靴を履いてドアに手を掛ける。
確認はしない。
この時間にここに来るのはあの人だけだから。
鍵を開けてドアを開いた。
「早いですねし―んむっ!?」
言葉が止まった。
というのもドアが開いて顔を出した瞬間、流れるような動作で頬に手を添えられ一瞬で唇を塞がれたから。
途端に感じる甘い味。
触れ合っている唇から伝わる柔らかな感触。
優しくもしっかりと固定し、オレが逃げないようにする手。
肺いっぱいに入ってくる甘く爽やかな香り。
眼前いっぱいに広がる綺麗な顔。
「んちゅ♪」
結構長い時間唇を重ねてようやく彼女は離れていった。
離際にもう一度、キスするのを忘れずに。
「…いくらなんでも人の家の前でするもんじゃないでしょ、師匠」
「んふふ〜♪だってしたいんだもん♪」
普段よりもずっと嬉しそうに笑みを浮かべる最愛の女性がそこにいた。
それも師匠は普段の空手着や私服姿じゃない、露出の多い珍しいドレスを着て。
「どうかな?どうかな?初めて着るドレスなんだけど似合うかな?」
両手を後ろにまわしてドレスを見せつける師匠。
だがそんなことをすればドレスよりもドレスを押し上げる大きな胸が目立って直視しにくい。
もう何度も師匠の一糸まとわぬ姿を見てきているのにだ。
「…」
「…?どうしたのユウタ…あ、照れてる?」
「…いえ」
「んふふ〜♪んもうユウタったら素直じゃないな〜♪ユウタならいつでもどこでも見せてあげるよ♪」
「じゃ、今はやめてください」
まったくこの女性は…。
普段通りに戻ったら戻ったで大変だ。
でも、これがやっぱり師匠らしい。
「でも…ユウタにはこっちを見てもらいたいかな」
そう言って一度くるりとその場で回ると師匠の背中から翼が、お尻から尻尾が、頭から角が生えた。
もう見慣れた師匠の本当の姿。
人間ではない、リリムの姿。
ドレスを纏う異形な姿は言葉にできないほどに美しい。
師匠の現実離れした美貌がより映える姿だった。
「…師匠」
「うん、どうかな♪」
「えっと…すごく…」
「邪魔」
オレのすぐ後ろからかったるそうな声が聞こえた。
それを聞いて師匠がオレに向けていた嬉しそうな笑みとは違う笑みを浮かべる。
そしてがしり、と肩に手がかかった。
「人んちの玄関先で何やってるのさ」
振り向けばそこにいたのはオレのよく知る顔。
師匠が人間ではない姿をしているというのに平然と、そして明らかに嫌そうな表情を隠すことなく浮かべて。
「…あやか」
「お姉さん、いたんだね」
「いるに決まってるでしょ?ここ誰の家だと思ってるの?」
「ユウタの家かな」
そう言って師匠はオレの肩を抱いた。
よりによってあやかが手を掛けている反対側の肩をだ。
「…喧嘩売ってるの?」
「そんなことしないよ。だってお姉さんは自分にとってのお姉さんになるんだもんねぇ」
「…」
ぴきりとあやかの額に青筋が浮かんだ気がした。
いや…本当に浮かんでいた。
本当に師匠の事嫌ってるな。
師匠の正体を知ってもその対応を変えることはなかったが…変えないというのもまた問題かもしれない。
「おっと、これはいけないかな?それじゃあユウタ行こっか♪」
「え?師匠―」
あやかから逃げるように言った師匠はオレの体を抱きしめ、軽々と持ち上げる。
それもいわゆるお姫様抱っこの形で。
「…」
「ちょっ!?師匠っ!!」
冷たい目で見てくるあやかを前にしているというのに師匠はただただ笑みを浮かべそのまま翼を広げた。
落とさないようにか師匠の尻尾がくるりと腰に巻きついてくる。
「じゃあね、お姉さん」
「…ふん、さっさと行けば?」
その言葉を聞き終わる前に師匠は地面を強く蹴って飛び上がっていた。
一瞬体にかかる重力が消え去り、不安定な浮遊感を味わう。
何度飛んでもやはり慣れない。
師匠に抱かれて飛ぶのはこれが初めてというわけじゃないがまだ少し怖い。
そんなことを思っていると飛び上がった目の前で―
―家のベランダでタバコを吹かしているお父さんの姿があった。
「あ」
「あ」
「…ん」
師匠の正体を知っていて、オレに押し付けてしまったと言っていたから今更こんな姿を見られたところで驚きはしない。
一瞬師匠とオレは固まるがお父さんはそんなオレ達を見ても特に気にすることなくタバコを咥えなおす。
先端から出る煙が揺らめいた。
「出かけるのか?」
「え?あ…うん」
「泊まりか?」
「はいっ!」
「ちょっと師匠っ!」
いくらなんでもそんなことを人の親の前ではっきり言わないでもらいたいっ!
ついでに言うと下には睨むようにこちらを見上げるあやかがまだいるのだし。
いい笑顔でハッキリと言った師匠を前にお父さんは苦笑した。
咥えていたタバコをつまんで離し、オレを見る。
「ゆうた、頑張ってこいよ」
「え、あ…うん」
「お義父さん、息子さんをお借りしますね」
「ええ、どうぞ」
これといって特にいうわけもない。
もともと放任主義の父親なんだしオレが誰と付き合おうと気にすることもないんだろう。
その相手が人間じゃなかろうと。
その相手が本当は自分が請け負うべき対象だったとしても。
「許可も貰ったしそれじゃあ行こっか♪」
「…親の前でそんな許可貰うのって…複雑なんですけど」
「それじゃあユウタを貰っちゃう許可をとる?」
「気が早いです」
まったくと頭を抱えたくなったがなんとも師匠らしい。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ユウタと一緒に行ってきます♪」
「ああ、行ってこい」
お父さんの見送りを背にオレは師匠に抱き上げられたまま、夜の空に繰り出していった。
「…行っちゃったわね、あの二人」
「…なんだ来てたのか」
「ええ。ようやく最愛の妹が想い人と一緒になれたんだもの、今までずっと泣き顔だった分幸せな顔は見ておきたいわ」
「そりゃそうだな」
「でもね、本当は貴方に救ってもらいたかったのよ?『カラテ』を教えたのだって貴方なら食いついてくるかもしれないって思ったから」
「やっぱり教えてたのか。お前といい妹といい皆天才肌だな」
「バカにしないでくれる?私のお母様は魔王よ」
「前にも聞いた。…一応言っておくと俺は好きで武術やってたんじゃない。もともとうちの家系で仕方なくやってたんだ。それに…俺にはもう、妻がいるからな」
「…ずるいわ」
「…ああ」
「こんな美女のリリムに迫られたっていうのに」
「……俺は、ずっと人間だからな」
「…そう、だったわね」
「ああ…」
「…皮肉よね、私と貴方がダメだったからこそあの子が救われたなんて」
「その分息子に苦労かけることになったのは忍びなかったけどな」
「こういうときって笑えばいいのかしら?」
「さぁな」
「…昔っから貴方ってそっけないわよね。私を前にしても平然としてるし」
「美女には慣れてるんだよ。ガキの頃から龍神に狐が傍にいたんだからな」
「だから私も振られたのかしら?」
「…それ以上蒸し返すな。お互い今更だろう?」
「…ええ、そうね」
「…」
「…タバコ、また吸ってるのね」
「仕方ないだろう、こうでもしないと寄ってくる奴は寄ってくるんだ」
「貴方のお母様譲りの体質、だったかしら?」
「お袋は職業が職業だったからな、狐と龍の神様に好かれるようじゃないといけなかったんだって前話したろ」
「ええ。あの二人も元気かしら?」
「ああ。今じゃ数も増えて皆ゆうたの成長を楽しみにしてたけどな」
「それをあの子がとっちゃうなんてちょっと可哀想ね」
「どうだろうな。あいつら、独り占めする気は元からないからあと数年たったら仲良くゆうたを囲ってるんじゃないか?」
「でも、私たちの真下にいる子はそれを許してくれるのかしら?」
「あやかのことか?あいつも気難しい年頃なんだよ。女の子ってそうだろ?あいつらも、それからお前も」
「ひどい言い方するのね」
「前からこうだろうが」
「ふふ、そういうところは変わらないのね」
「お前も相変わらずだ」
「……ねぇ」
「ん?」
「知ってる?私貴方のこと好きだったのよ」
「ああ、知ってる。俺もお前のこと好きだったからな」
「ほんと、皮肉よね」
「ああ、全くだ」
「んふふ〜♪到着♪」
「…」
「あれ?ユウタどうしたの?」
「…いや、だって」
この女性、流石に空から着地する姿を見られるわけにもいかずここの建物の裏に下りてくれたはいいがあろうことかそのままで受付を済ませてこの部屋に来た。
このままで。
オレをお姫様抱っこで抱き上げたままで。
「…恥ずかしくて死ぬかと思いましたよ」
「真っ赤になっちゃって可愛かったよ♪」
「下ろしてください」
「ん〜自分はもう少しこうしたかったんだけどなぁ」
師匠は渋々とオレの体を下ろしてくれた。
柔らかな感触が伝わり体重分だけそこが沈んだ。
続いて隣に当然のように座る。
二人並んでオレと師匠は眼前の光景を眺めた。
「いい眺めですね」
「そうでしょ?」
「…ちなみにこの部屋って」
「うん、一番高い部屋だよ」
「…ですか」
一番高い部屋。
師匠の言葉のとおりここはオレの家じゃないし、師匠の家でもない。
ここは外。街の中で一番大きなホテルの最上階の一室。
部屋の中はとても大きく、ベッドは師匠の部屋のものと同じくらいにふかふかで柔らかく、また夜景を一望できる大きな窓までついているときた。
一晩泊まるだけでどれくらいの金額を取られるのか…正直恐ろしくて学生には想像ができない。
いつもなら師匠の家なのだが突然師匠が外でしたいと言い出して今ここにいる。
聞いたときはまさか野外でするのかと一瞬引いたが流石にそこらの常識はあってくれたようだ…常識、あるよね師匠?
「たまには…こういうロマンチックなのもいいよね♪」
「まぁ…いつも一方的に襲われてますからいいですね」
「自分は襲ってないよ!ただちょっと積極的っていうか…激しめっていうか…♪」
「買い物してる最中に襲い掛かってきたときが一番困りました」
「ぶぅー」
「膨れないでくださいよ」
まったく、そう呟いて苦笑する。
師匠もしばらく膨れていたがくすりと笑ってオレの肩に頭を預けてきた。
するりと、やはりいつものように尻尾が絡みついてくるのだが特にいうわけでもなくそのままにさせておく。
オレからもベッドについた手を動かし師匠の肩を抱いた。
「んふふ〜♪」
ただそれだけでも師匠は嬉しそうに声を上げてすりすりと体を押し付けてくる。
思えばあの時を堺に師匠、本当にこらえ性がなくなったな。
いや、もともとなかったけどさらになくなったというか。
それでもやっぱりこっちの方が師匠らしい。
角が生えていようが尻尾があろうが翼があろうとも。
―笑ってくれている方が師匠らしい。
「ねぇ、ユウタ…」
オレに頭を預けた師匠はそっと、小さな声で囁くように言った。
嬉しそうに、そして切なそうに。
「自分はさ、こうしてるだけで幸せなんだよ」
オレが傍に居るのは昔から変わってないことかもしれない。
それでも今はいる距離が違う。
前よりずっと近い、密な関係。
ずっと寄り添いたかった、ずっと歩み寄りたかった。
それがようやく実った事実。
それがやっと成った現実。
それがオレと師匠の望んだもの。
「…オレもですよ」
互いに体を寄せ合ってとくに何も言わず静かに夜景を眺める。
ただ隣にいるだけで、傍で寄り添っているだけでも師匠といるだけでとても嬉しい。
聞こえてくるのは師匠の息遣いぐらいだけどたまにはこういうのもいい。
そんな中で師匠がそっとオレに言った。
「ねぇ…ユウタ。聞いてくれないかな…自分の名前を」
「師匠の、名前?」
そういえばオレは師匠の名前を知らない。
恥ずかしながら体を重ねたというのにまだ知らない。
師匠は師匠。それが昔からだったから今更聞くつもりもなかった。
それでも、やはり知りたい。
「うん。ユウタにだけは教えておきたいんだ」
師匠がオレの目を覗き込んだ。
赤く、赤い潤んだ瞳。
魔性の光を宿しつつもオレをまっすぐ見つめていた。
「…はい、教えてください」
オレは頷き、師匠も頷く。
そのまま彼女はオレの耳元に口を寄せた。
この部屋で、オレと師匠の二人しかいない空間で、オレにしか聞こえない小さな声で。
師匠は自身の名を口にする。
「―『 』―」
「…それが、師匠の名前ですか」
「うん。お母様がくれた…大切な名前だよ」
師匠は顔を動かさずに耳元で続ける。
表情は見えなかったがその言葉には温かな感情がこもっているのがわかった。
「大切だからこそユウタに呼んで欲しいんだ」
「わかりました」
オレは師匠の耳元に口を寄せる。
腕を彼女の首にまわして離さないようにと抱きしめて。
そっと、彼女の名を囁いた。
「― ―」
「―んんっ♪やっぱりユウタに呼んでもらえると嬉しいや♪」
身を震わせて師匠からも腕をまわしてオレを抱きしめてくる。
優しく強く、温かくて柔らかく。
腕だけではなくて灰色の翼までもがオレを包み込んだ。
たった二人しかいない部屋の中でわずかな物音も聞こえない空間に包まれる。
オレと師匠の二人きり。
聞こえてくるのは彼女の息遣いと胸の鼓動。
「ユウタ」
「はい?」
「大好きだよ♪」
そう言って彼女はオレ唇に口づけを落とした。
両方共くすぐったくて甘くって、何度されても嬉しくなる行為。
好きだと言われて、キスをされて、オレからも応じる様に返してあげる。
こちらから唇を重ね、そのまま二人でベッドに倒れこんだ。
翼を開き、部屋の明かりで彼女の姿を確認する。
ベッドに広がった灰色の髪に真っ赤な瞳。
嬉しそうに笑みを浮かべるその姿。
何度も体を重ねるたびに愛くるしくなっていく存在。
オレにとって大切な女性。
そんな彼女にオレからも同じようにそっと囁いた。
「オレも、大好きですよ―」
まだまだ夜は始まったばかりだ。
―HAPPY END―
師匠の正体を知ってからもうひと月がたった今日この日。
「…こんなもんか」
オレは鏡の前で自分の姿を見てそう言った。
普段の学生服姿ではなく私服姿、それも少し見栄えのいいものを着ていた。
本当ならもっといい服とかがいいのだけど高校生がそんなに豪華な格好はできないし、以前行った高級レストランに入れるような服は持ってない。
そもそも高校生があんなところに入る機会あるはずがないっていうのに。
…今日も行くつもりなのかな。
そんなことを考えていたら家のインターホンがなった。
「!はいはーい」
今家にいるのはオレとお父さんとあやかのみ。
二人とも二階にいるだろうから出なきゃいけないのはオレ。
しかし、ここであやかが出て行ったら玄関先で争いごとになりそうなので絶対にさせない。
いつもの靴を履いてドアに手を掛ける。
確認はしない。
この時間にここに来るのはあの人だけだから。
鍵を開けてドアを開いた。
「早いですねし―んむっ!?」
言葉が止まった。
というのもドアが開いて顔を出した瞬間、流れるような動作で頬に手を添えられ一瞬で唇を塞がれたから。
途端に感じる甘い味。
触れ合っている唇から伝わる柔らかな感触。
優しくもしっかりと固定し、オレが逃げないようにする手。
肺いっぱいに入ってくる甘く爽やかな香り。
眼前いっぱいに広がる綺麗な顔。
「んちゅ♪」
結構長い時間唇を重ねてようやく彼女は離れていった。
離際にもう一度、キスするのを忘れずに。
「…いくらなんでも人の家の前でするもんじゃないでしょ、師匠」
「んふふ〜♪だってしたいんだもん♪」
普段よりもずっと嬉しそうに笑みを浮かべる最愛の女性がそこにいた。
それも師匠は普段の空手着や私服姿じゃない、露出の多い珍しいドレスを着て。
「どうかな?どうかな?初めて着るドレスなんだけど似合うかな?」
両手を後ろにまわしてドレスを見せつける師匠。
だがそんなことをすればドレスよりもドレスを押し上げる大きな胸が目立って直視しにくい。
もう何度も師匠の一糸まとわぬ姿を見てきているのにだ。
「…」
「…?どうしたのユウタ…あ、照れてる?」
「…いえ」
「んふふ〜♪んもうユウタったら素直じゃないな〜♪ユウタならいつでもどこでも見せてあげるよ♪」
「じゃ、今はやめてください」
まったくこの女性は…。
普段通りに戻ったら戻ったで大変だ。
でも、これがやっぱり師匠らしい。
「でも…ユウタにはこっちを見てもらいたいかな」
そう言って一度くるりとその場で回ると師匠の背中から翼が、お尻から尻尾が、頭から角が生えた。
もう見慣れた師匠の本当の姿。
人間ではない、リリムの姿。
ドレスを纏う異形な姿は言葉にできないほどに美しい。
師匠の現実離れした美貌がより映える姿だった。
「…師匠」
「うん、どうかな♪」
「えっと…すごく…」
「邪魔」
オレのすぐ後ろからかったるそうな声が聞こえた。
それを聞いて師匠がオレに向けていた嬉しそうな笑みとは違う笑みを浮かべる。
そしてがしり、と肩に手がかかった。
「人んちの玄関先で何やってるのさ」
振り向けばそこにいたのはオレのよく知る顔。
師匠が人間ではない姿をしているというのに平然と、そして明らかに嫌そうな表情を隠すことなく浮かべて。
「…あやか」
「お姉さん、いたんだね」
「いるに決まってるでしょ?ここ誰の家だと思ってるの?」
「ユウタの家かな」
そう言って師匠はオレの肩を抱いた。
よりによってあやかが手を掛けている反対側の肩をだ。
「…喧嘩売ってるの?」
「そんなことしないよ。だってお姉さんは自分にとってのお姉さんになるんだもんねぇ」
「…」
ぴきりとあやかの額に青筋が浮かんだ気がした。
いや…本当に浮かんでいた。
本当に師匠の事嫌ってるな。
師匠の正体を知ってもその対応を変えることはなかったが…変えないというのもまた問題かもしれない。
「おっと、これはいけないかな?それじゃあユウタ行こっか♪」
「え?師匠―」
あやかから逃げるように言った師匠はオレの体を抱きしめ、軽々と持ち上げる。
それもいわゆるお姫様抱っこの形で。
「…」
「ちょっ!?師匠っ!!」
冷たい目で見てくるあやかを前にしているというのに師匠はただただ笑みを浮かべそのまま翼を広げた。
落とさないようにか師匠の尻尾がくるりと腰に巻きついてくる。
「じゃあね、お姉さん」
「…ふん、さっさと行けば?」
その言葉を聞き終わる前に師匠は地面を強く蹴って飛び上がっていた。
一瞬体にかかる重力が消え去り、不安定な浮遊感を味わう。
何度飛んでもやはり慣れない。
師匠に抱かれて飛ぶのはこれが初めてというわけじゃないがまだ少し怖い。
そんなことを思っていると飛び上がった目の前で―
―家のベランダでタバコを吹かしているお父さんの姿があった。
「あ」
「あ」
「…ん」
師匠の正体を知っていて、オレに押し付けてしまったと言っていたから今更こんな姿を見られたところで驚きはしない。
一瞬師匠とオレは固まるがお父さんはそんなオレ達を見ても特に気にすることなくタバコを咥えなおす。
先端から出る煙が揺らめいた。
「出かけるのか?」
「え?あ…うん」
「泊まりか?」
「はいっ!」
「ちょっと師匠っ!」
いくらなんでもそんなことを人の親の前ではっきり言わないでもらいたいっ!
ついでに言うと下には睨むようにこちらを見上げるあやかがまだいるのだし。
いい笑顔でハッキリと言った師匠を前にお父さんは苦笑した。
咥えていたタバコをつまんで離し、オレを見る。
「ゆうた、頑張ってこいよ」
「え、あ…うん」
「お義父さん、息子さんをお借りしますね」
「ええ、どうぞ」
これといって特にいうわけもない。
もともと放任主義の父親なんだしオレが誰と付き合おうと気にすることもないんだろう。
その相手が人間じゃなかろうと。
その相手が本当は自分が請け負うべき対象だったとしても。
「許可も貰ったしそれじゃあ行こっか♪」
「…親の前でそんな許可貰うのって…複雑なんですけど」
「それじゃあユウタを貰っちゃう許可をとる?」
「気が早いです」
まったくと頭を抱えたくなったがなんとも師匠らしい。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ユウタと一緒に行ってきます♪」
「ああ、行ってこい」
お父さんの見送りを背にオレは師匠に抱き上げられたまま、夜の空に繰り出していった。
「…行っちゃったわね、あの二人」
「…なんだ来てたのか」
「ええ。ようやく最愛の妹が想い人と一緒になれたんだもの、今までずっと泣き顔だった分幸せな顔は見ておきたいわ」
「そりゃそうだな」
「でもね、本当は貴方に救ってもらいたかったのよ?『カラテ』を教えたのだって貴方なら食いついてくるかもしれないって思ったから」
「やっぱり教えてたのか。お前といい妹といい皆天才肌だな」
「バカにしないでくれる?私のお母様は魔王よ」
「前にも聞いた。…一応言っておくと俺は好きで武術やってたんじゃない。もともとうちの家系で仕方なくやってたんだ。それに…俺にはもう、妻がいるからな」
「…ずるいわ」
「…ああ」
「こんな美女のリリムに迫られたっていうのに」
「……俺は、ずっと人間だからな」
「…そう、だったわね」
「ああ…」
「…皮肉よね、私と貴方がダメだったからこそあの子が救われたなんて」
「その分息子に苦労かけることになったのは忍びなかったけどな」
「こういうときって笑えばいいのかしら?」
「さぁな」
「…昔っから貴方ってそっけないわよね。私を前にしても平然としてるし」
「美女には慣れてるんだよ。ガキの頃から龍神に狐が傍にいたんだからな」
「だから私も振られたのかしら?」
「…それ以上蒸し返すな。お互い今更だろう?」
「…ええ、そうね」
「…」
「…タバコ、また吸ってるのね」
「仕方ないだろう、こうでもしないと寄ってくる奴は寄ってくるんだ」
「貴方のお母様譲りの体質、だったかしら?」
「お袋は職業が職業だったからな、狐と龍の神様に好かれるようじゃないといけなかったんだって前話したろ」
「ええ。あの二人も元気かしら?」
「ああ。今じゃ数も増えて皆ゆうたの成長を楽しみにしてたけどな」
「それをあの子がとっちゃうなんてちょっと可哀想ね」
「どうだろうな。あいつら、独り占めする気は元からないからあと数年たったら仲良くゆうたを囲ってるんじゃないか?」
「でも、私たちの真下にいる子はそれを許してくれるのかしら?」
「あやかのことか?あいつも気難しい年頃なんだよ。女の子ってそうだろ?あいつらも、それからお前も」
「ひどい言い方するのね」
「前からこうだろうが」
「ふふ、そういうところは変わらないのね」
「お前も相変わらずだ」
「……ねぇ」
「ん?」
「知ってる?私貴方のこと好きだったのよ」
「ああ、知ってる。俺もお前のこと好きだったからな」
「ほんと、皮肉よね」
「ああ、全くだ」
「んふふ〜♪到着♪」
「…」
「あれ?ユウタどうしたの?」
「…いや、だって」
この女性、流石に空から着地する姿を見られるわけにもいかずここの建物の裏に下りてくれたはいいがあろうことかそのままで受付を済ませてこの部屋に来た。
このままで。
オレをお姫様抱っこで抱き上げたままで。
「…恥ずかしくて死ぬかと思いましたよ」
「真っ赤になっちゃって可愛かったよ♪」
「下ろしてください」
「ん〜自分はもう少しこうしたかったんだけどなぁ」
師匠は渋々とオレの体を下ろしてくれた。
柔らかな感触が伝わり体重分だけそこが沈んだ。
続いて隣に当然のように座る。
二人並んでオレと師匠は眼前の光景を眺めた。
「いい眺めですね」
「そうでしょ?」
「…ちなみにこの部屋って」
「うん、一番高い部屋だよ」
「…ですか」
一番高い部屋。
師匠の言葉のとおりここはオレの家じゃないし、師匠の家でもない。
ここは外。街の中で一番大きなホテルの最上階の一室。
部屋の中はとても大きく、ベッドは師匠の部屋のものと同じくらいにふかふかで柔らかく、また夜景を一望できる大きな窓までついているときた。
一晩泊まるだけでどれくらいの金額を取られるのか…正直恐ろしくて学生には想像ができない。
いつもなら師匠の家なのだが突然師匠が外でしたいと言い出して今ここにいる。
聞いたときはまさか野外でするのかと一瞬引いたが流石にそこらの常識はあってくれたようだ…常識、あるよね師匠?
「たまには…こういうロマンチックなのもいいよね♪」
「まぁ…いつも一方的に襲われてますからいいですね」
「自分は襲ってないよ!ただちょっと積極的っていうか…激しめっていうか…♪」
「買い物してる最中に襲い掛かってきたときが一番困りました」
「ぶぅー」
「膨れないでくださいよ」
まったく、そう呟いて苦笑する。
師匠もしばらく膨れていたがくすりと笑ってオレの肩に頭を預けてきた。
するりと、やはりいつものように尻尾が絡みついてくるのだが特にいうわけでもなくそのままにさせておく。
オレからもベッドについた手を動かし師匠の肩を抱いた。
「んふふ〜♪」
ただそれだけでも師匠は嬉しそうに声を上げてすりすりと体を押し付けてくる。
思えばあの時を堺に師匠、本当にこらえ性がなくなったな。
いや、もともとなかったけどさらになくなったというか。
それでもやっぱりこっちの方が師匠らしい。
角が生えていようが尻尾があろうが翼があろうとも。
―笑ってくれている方が師匠らしい。
「ねぇ、ユウタ…」
オレに頭を預けた師匠はそっと、小さな声で囁くように言った。
嬉しそうに、そして切なそうに。
「自分はさ、こうしてるだけで幸せなんだよ」
オレが傍に居るのは昔から変わってないことかもしれない。
それでも今はいる距離が違う。
前よりずっと近い、密な関係。
ずっと寄り添いたかった、ずっと歩み寄りたかった。
それがようやく実った事実。
それがやっと成った現実。
それがオレと師匠の望んだもの。
「…オレもですよ」
互いに体を寄せ合ってとくに何も言わず静かに夜景を眺める。
ただ隣にいるだけで、傍で寄り添っているだけでも師匠といるだけでとても嬉しい。
聞こえてくるのは師匠の息遣いぐらいだけどたまにはこういうのもいい。
そんな中で師匠がそっとオレに言った。
「ねぇ…ユウタ。聞いてくれないかな…自分の名前を」
「師匠の、名前?」
そういえばオレは師匠の名前を知らない。
恥ずかしながら体を重ねたというのにまだ知らない。
師匠は師匠。それが昔からだったから今更聞くつもりもなかった。
それでも、やはり知りたい。
「うん。ユウタにだけは教えておきたいんだ」
師匠がオレの目を覗き込んだ。
赤く、赤い潤んだ瞳。
魔性の光を宿しつつもオレをまっすぐ見つめていた。
「…はい、教えてください」
オレは頷き、師匠も頷く。
そのまま彼女はオレの耳元に口を寄せた。
この部屋で、オレと師匠の二人しかいない空間で、オレにしか聞こえない小さな声で。
師匠は自身の名を口にする。
「―『 』―」
「…それが、師匠の名前ですか」
「うん。お母様がくれた…大切な名前だよ」
師匠は顔を動かさずに耳元で続ける。
表情は見えなかったがその言葉には温かな感情がこもっているのがわかった。
「大切だからこそユウタに呼んで欲しいんだ」
「わかりました」
オレは師匠の耳元に口を寄せる。
腕を彼女の首にまわして離さないようにと抱きしめて。
そっと、彼女の名を囁いた。
「― ―」
「―んんっ♪やっぱりユウタに呼んでもらえると嬉しいや♪」
身を震わせて師匠からも腕をまわしてオレを抱きしめてくる。
優しく強く、温かくて柔らかく。
腕だけではなくて灰色の翼までもがオレを包み込んだ。
たった二人しかいない部屋の中でわずかな物音も聞こえない空間に包まれる。
オレと師匠の二人きり。
聞こえてくるのは彼女の息遣いと胸の鼓動。
「ユウタ」
「はい?」
「大好きだよ♪」
そう言って彼女はオレ唇に口づけを落とした。
両方共くすぐったくて甘くって、何度されても嬉しくなる行為。
好きだと言われて、キスをされて、オレからも応じる様に返してあげる。
こちらから唇を重ね、そのまま二人でベッドに倒れこんだ。
翼を開き、部屋の明かりで彼女の姿を確認する。
ベッドに広がった灰色の髪に真っ赤な瞳。
嬉しそうに笑みを浮かべるその姿。
何度も体を重ねるたびに愛くるしくなっていく存在。
オレにとって大切な女性。
そんな彼女にオレからも同じようにそっと囁いた。
「オレも、大好きですよ―」
まだまだ夜は始まったばかりだ。
―HAPPY END―
12/09/15 20:31更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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