フレイムポーション
僕は子供が嫌いだ。考えなしに突飛な行動をとるからだ。
昔は僕もあんな感じだったなんて考えたくもない。
「泣いて いるのかい?」
そんな僕が何故この子に声をかけてしまったのか
生涯をかけても答えが出るかわからない。
僕は女が嫌いだ。アレは真理の探究に理解を示そうとしない。
『難しい話はやめてイイコトしない?』とは何事か!
「ミンナ コワガル ナカヨク デキナイ」
この子の声は子供である事を差し引いても甲高い。
女の子である事に初めて気がついた。
僕は魔物が嫌いだ。友達が魔物に襲われたからだ。
痩せ細りつつも奇妙に笑う友人は数日後失踪した。
「カラダ イロ チガウ ワタシ ナンデ?」
夕日を受けて赤く色づく体は良く見れば元々そういう色で
朱色のローブをかぶったように見えた体には手足が無い。
以上の個人的趣向と偶発的遭遇の帰結が錯乱と逃亡という
短絡的なものにならなかったのは学術的好奇心からだろうか?
いや 違う。
「僕が知ってる範囲で良ければ 君の事を教えてあげる」
何か言葉にできない予感めいたものに突き動かされて
僕は女の子の隣に座る。何のためらいも無く。
「君の体が赤いのは他の子よりも強く賢くなれるかもしれない印さ」
「シルシ?」
「そうさ。だから君が何か悪いことをした訳じゃないんだよ」
「ワタシ ワルクナイ?」
「悪くないけど 足りなかったのかもしれないね」
「タリナイ?」
女の子が首らしきものを傾げる。夕焼けの反射に目がくらむ。
「君は悲しくて皆から離れてしまったのではないかい?」
「ウン イッショ イテモ コワガル」
「悲しくても一緒にいるのさ。悲しいって叫ぶんだ」
「サケブ?」
「そうさ。叫んでだめなら怒ってもいい。叩いたっていいさ」
「ダメ! イタイノ ダメ!」
「そうかい?それなら…困っている子がいたら助けてあげるんだ」
「タスケル?」
「いつも誰かに何かできないか考えてごらん。悲しんでいる暇も無い」
「カンガエル…」
独り言のように呟く女の子はすでに泣いていなかった。
太陽もそろそろ向こうの山に隠れそうだ。
「僕はそろそろ帰るよ。夜になるとおっかないからね」
「カエル? モット ハナソウ」
「この森には薬草を取りに来るからまた会えるよ」
こうして僕達の初遭遇は実に平和的に終了した。
名前が無かったレッドスライムに僕は『ベス』という名前をつけた。
ちなみに僕の名前はナイジェル・ハスター。薬草を研究しています。
――――――――――――――
「ナイジェル オハヨー」
「やあベス。今日も薬草採取にもってこいの天気だね」
あれから二ヶ月ほど経過して今は夏。他のスライムはベスを受け入れた。
今では彼女を若いスライムのリーダーに抜擢するくらいである。
他のスライムたちに僕を紹介してくれた時は数十匹のスライムに囲まれて
生きた心地がしなかったが思わぬ申し出を受けることとなった。
森の中にいる間は他の魔物から守ってくれるというのだ。
『スライム イジメル ニンゲン オオイ オマエ チガウ ヨカッタ』
一番大きいスライムが体を震わせて語った。
どうやら面白半分でスライム討伐をする馬鹿がいるらしい。
魔物というだけで嫌っていた僕には耳が痛い話だ。
護衛は基本的にベスが受け持つ事になった。彼女はレッドスライムなので
若くても成体並の攻撃力を持っているからだ。薬草採取も手伝ってくれる。
「ナイジェル コレハ クスリ? ソレトモ ドク?」
「花だけ使える。葉と根には毒があるんだ」
ベスはとても賢い。薬草の種類も大抵は一発で覚えてしまう。言葉も
出会った時より単語が増えて、心なしか流暢になってきた気がする。
沼のほとりを散策している時、無理な体勢で薬草を取っていた僕は
足を滑らせて沼に落ちた。水中は視界が悪く意外にも底が深い。
全身を襲う衝撃に僕は肺の中身を盛大にぶちまけてしまった。
パニックを起こした僕はでたらめに手足を動かし水面らしき方を目指すが
濡れた服がまとわりついて満足に動けない。もうだめかと思った時
泡をまとって一抱えくらいの何かが飛び込んできて顔にまとわりついた。
「ナイジェル!」
耳に張り付いた部分から聞き慣れた声が響いて僕は硬直した。ベス?
「スコシダケ ガマンシテ」
顔を完全に覆ったベスの一部がおもむろに僕の口に進入した。
一息で気道をふさぐ水を吸出し体外へ戻っていく。
入れ替わりに新鮮な空気が肺を満たす。少し頭が働くようになった。
ベスの体は僕の鼻先から管を形成して水面まで延びていた。
「スイメンマデェ カラダヲ ノバシタッ タドレバ ャン! アガレル」
僕の呼吸がくすぐったいのか 時折身を振るわせるベスの導くまま
僕が生きられる場所を求めてひたすら手足を漕いだ。
ようやく陸地に辿り着いた僕は草の上にしりもちをついて脱力した。
夕焼け色の視界が突然開けてベスが僕から離れる。
目の前に結像したベスの顔を見ると 僕の眼鏡をかけていた。
「う うはっ わははははははっ! 似合うかもっ それっ!」
「コワサナイヨウニ シテタラ カエスノ ワスレタ フフッ ハハハ」
緊張の糸が切れた僕たちはしばらく時を忘れて笑い転げた。
集めた薬草は駄目にしたが、そんな事はどうでもいいと思えるほど
楽しい一日だった。
――――――――――――――
「まちに いってみたいなぁ」
不安と期待が入り混じった表情のベスが僕を見つめる。
棒読みだった口調に最近は感情が乗り始め、あどけない仕草で懇願する。
請われるままに街の話をしていた僕にも責任はあるのだろう。
僕の住む街は友好的な魔物との親交がある。
だがそれは外周部の市場での交易が許可されているだけの話で
外周部と中心部を分ける頑強な門を魔物が越える事は許されていない。
ベスが憧れる『街』は中心部のことで市場では満足できないだろう。
どうしたものかと途方に暮れていると不意にベスが微笑む。
「やっぱり むりだよね ごめん わすれて」
ああ またか
ベスは我を押し通すという事が無い。幼くして譲ってばかりいる。
そんな彼女の姿に僕はいつしか焦燥を覚えるようになっていた。
なにかこう このあいまいな微笑を満面の笑みに変えたくなるのだ。
「僕にまかせて」
気がつくと口からそんな言葉が飛び出していた。
「わぁ…」
門をくぐりぬけたところで、くぐもった歓声が上がる。
とりあえず第一段階は成功といったところか。
秋口に入り厚着する人が増えたことを利用して僕は服の下に
ベスをもぐりこませて街に戻った。
ボディチェックの時、顔見知りの門番に見つめられて肝を冷やしたが
「山で旨いもん食べ過ぎたのか。腹が出てるぞ」
と言われただけで済んだ。危ない危ない。
襟元の隙間から街を眺めているベスの口から感動の溜息が止まらない。
危ない橋を渡って連れてきた甲斐があるというものである。
一息つくために下宿先へと足を早めた矢先のことだった。
「おーい ナイジェル」
聞き慣れた声だった。今だけは会いたくない相手だった。
トーマス・キャンベル先生 この街の医者で僕の恩人だ。
外周市場でケチな薬屋をやっていた僕を拾い上げてくれた人。
人の良さそうな顔をして病巣のように弱みをえぐり抜く人。
「…ナイジェル 今度は何をやったんだい?」
「開口一番で罪人扱いですか!? 何を根拠に」
「患者さんの薬の袋を取り違えた時と同じ顔をしてるよ?」
「どんな顔ですか! いやだなぁ もぅ…」
「いいから診療所まで来なさい♪」
そうして先生は僕の手を掴むと診療所まで引きずっていった。
――――――――――――――
「はじめまして ベスともうします」
「はじめましてトーマス・キャンベルです。先生と呼ばれると喜びます♪」
一見なごやかな挨拶風景だがベスの表面は奇妙に波打っている。
ここは先生の診療所。病院と呼ぶには小さく、入院施設も無い。
先生が扱う薬は僕が調合して、基本的にはここで患者さんに渡す。
先生は外周市場でも有名な『好事家』で魔物に対して偏見は無い。
というか現在外周部の邸宅で魔物と家庭を持っている。
この街一の名医だった先生は、魔物を愛したことで中心部を追われたが
腕と人柄を惜しんだ人たちが診療所を用意したのだ。
実は街長が『親友♪』で、裏で手を回していたというのは後で聞いた。
『親友♪』と言った時の先生の黒い笑みが忘れられない…
「ナイジェル これもらった」
思索に耽っているとベスが手の平を差し出してきた。
そこにはスライムが好むスウェットの実が転がっていた。
名前の通り『汗の味』がするそれは外周市場で手に入る。もちろん森でも。
「よかったじゃないか。お礼は言ったかい?」
「うん!」
ベスは緊張を解いて笑顔を見せていた。先生もニコニコしている。
つられて僕も笑った。
「そういえば最近、森に行くとき楽しそうだねぇ♪」
油断した。迂闊だった。こういう人だった。
「市場の薬草は鮮度が悪い上に種類も少ないと嘆いていたのは春先か…」
遠い目をして呟く口元がプルプル震えている。
「時にベスちゃん。ナイジェルとはいつ知り合ったんだい?」
「さくらがさいてた なまえをもらったつぎのひ ふたりでみたの…」
そう 桜舞う中 話の続きをしたなぁ 思考は過去に逃避していた。
「そっか 名前つけちゃったか そっか…」
ガシィ! と両肩を掴まれた。
「君が『ヒカルゲンジシンドローム』だったなんて!今すぐ診察だ!」
「どうしてあなたはすぐ脳味噌が炎症を起こしちゃうのですか!」
聴診器を突きつける腕を掴み抵抗する僕を見てベスは可笑しそうに笑う。
当初の目的を大きく外したが今回の冒険はおおむね成功のようだ。
帰りに担当したのも先程の門番だった。
ボディチェックの後、簡素な布袋を僕の手に握らせて「仲良くな」と一言。
袋の中身はスウェットの実だった。
――――――――――――――
紅葉も散り始めた頃、僕は森に放置されていた小屋の修繕をしていた。
先生曰く「君でも直せそうだし街長から許可もらったから♪」とのこと。
冬になると突然の天候変化が命取りになるからこの提案は渡りに船だった。
「ナイジェル 居る?」
ドアを器用に開けてベスが入ってきた。街に行った日から度々
先生の家でお世話になるうちに随分と言葉が達者になった。
殲滅魔法のように喋り続ける先生を相手にしていたので急激に経験値が
上がったようだ。僕としては複雑だが。
先生はベスが沼で僕を助けた話を聞いて、何やらひどく感激していた。
その後も何かと医学知識を吹き込まれたベスは先生と共謀して
僕を実験台にして様々な医学的検証を重ねていた。つまりはイタズラだ。
先生とベスがコンビの時は警戒しなくてはいけない今日この頃である。
「初日とは比べ物にならないくらい綺麗になったね」
「あぁ。壁も床も徹底的に磨いたからね。壊れた窓も直したし」
初めて訪れた時は埃と蜘蛛の巣のせいでベスの体が真っ黒になった。
半べそをかくベスを泉に連れて行こうとしたら「一人でできる!」と
一言残して逃げられてしまい、なにやら物悲しい気分になったものだ。
レッドスライムは年頃になるのも早いのだろう。賢いし。
などとつらつらと考えていると不意に視界に影が差す。
「汗だくじゃない じっとしてて」
不意に伸びてきた彼女の一部が手の平のように展開し僕の顔を拭う。
最近ベスは僕が少しでも汗をかくとその体で拭き取るようになっていた。
この季節でも屋内での作業は空気がこもりやすく、その度に僕は
それなりに汗をかき、それを見咎めた彼女の世話になるのだ。
気恥ずかしくもあったがそれもスライムの習性かと思うと
変に意識してはベスに失礼ではないかと考え平静を装っていたが…
「ん…ぴちゅ…ちゅる…」
ベスは拭った部分を舐め始めた。普段の子供じみた様相を一変させて
切なげに眉根を寄せて瞑目しつつ舌を這わせている姿に暫し見惚れた。
この時の僕はどれだけ間抜けな顔をしていたのだろうか。
ベスは目を開けてこちらを見るとビシリと固まった。
「あ…私… ゴメン!わタしイケナイこトシた!」
焦って呂律が回ってないよベス君! 僕も頭が回ってないけどね!
言葉をかけることができなかった僕をベスは悲しげに見つめた。
「ゴメンね ナイジェル 魔物が嫌いなのに 変なことして」
今度は僕が固まる番だった。なぜ彼女がこんなことを言うんだ?
「女も 子供も 嫌い なんだよね?」
彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。初めて会った時のように。
「今までゴメンね…」
「ベス!」
止める間も無くドアを開け放ち走り去るベスを追いかけようとした。
小屋を出て辺りを見渡してもベスの姿は見えず僕は途方にくれた。
気がついたら酒持参で先生の家のドアを叩いていた。
――――――――――――――
「よーするに? フラれた と…」
「僕の説明から出た答えがそれですか先生!」
酒瓶をあけてから長針が何周したかわからない今、僕らは酔っていた。
つまみを出してくれる奥さんの顔には「困った人たちねぇ」と書いてある。
「僕はベスに笑ってほしかっただけなんです。どうしてあんな…」
ベスの言動は不可解だったがそれ以上に僕は彼女の事を情欲の対象として
見たことを恥じていた。
「君は潔癖すぎるよナイジェル…ぅいっき!」
錯乱の末、いつもより強い酒を買ったのに先生はいつも以上のペースで
飲んでいる。飲めば飲むほど舌が回るのか舌好調だ。
「まぁ なんだ? 私にも責任が無いわけでは無いようだし…」
「なんか 聞き捨てならない事言ってませんか? 先生!」
「いや…君とベスが初めて我が家を訪れた日の事だよ」
そう その日まで僕は先生のお宅を訪問した事が無い。
理由はひとつ 『奥様は魔物』 だからだ。
ベスのおかげで魔物に対する偏見が薄れていた事もあり、わりとすんなり
奥さんとも挨拶できたと自分では思っていた。
「君が診療所に薬を届けに行ったとき。ベスに聞かれたのさ」
「僕がいないのを良い事に何を吹き込んだのですか…」
「ふむ。『ナイジェルは先生と仲いいのに今日初めて家に来たの?』って」
先生の目がすっと鋭くなる。病巣を見定める医者の目だ。
事実、僕の痛くも無かった腹が急に強張り重くなる。
「私も迷ったよ。彼女の知らない君の事を伝えるべきか否か」
僕は先生を見つめた。恨みがましい目をしていたはずだ。
「でも君は きっと一生 彼女にその事を告げないと思った」
先生は真正面から僕を見据えた。
「だから言った。『深い意味は無いと思う。ただ…』」
僕は立ち上がっていた。椅子が倒れたらしい音がする。
「『彼は魔物が嫌いだと言ってたよ』ってね」
気付いたら先生の胸倉を掴んでいた。
「『女も子供も嫌いだってさ。だから驚いているんだ。』」
それでも先生は続ける。揺るぎない瞳で。
「『君の何かが彼を変えたんだよ』」
一瞬で頭が真っ白になった。
「『君との出会いはナイジェルにとって幸運だった』とね」
先生から離れた手が力なく垂れる。身動きひとつとれやしない。
「私は余計な事をしたかもしれない…」
目を伏せて溜息混じりに先生が呟く。
「その後の彼女は見ていて痛々しかった」
曰く。
「人間みたいに話せればナイジェルは嫌わない」と言ってずっと
僕の知らないところで言葉の練習に明け暮れていたらしい。
渡した辞書や小説も瞬く間に読む姿は鬼気迫るものがあったらしい。
どうしてそこまでするのか聞いた時の彼女の答えは
「私にできる事を考えたの まだ足りないかもしれないけど」
ここまで聞いて僕は居ても立ってもいられなくなった。
今すぐベスに会わなければ、もう一度ちゃんと話さなければならない。
「先生、奥さん。僕はこれで失礼します」
「ん。今度は二人できてね♪」
先生は尊大な態度で、奥さんは無言で手を振って見送ってくれた。
僕は月明かりを頼りに森を目指して走った。
――――――――――――――
朝焼けの中で 泣いている
「私を怖がらないで…」
声を殺して 体を震わせて
「仲良くしたいよ…」
あの日のように たった一人で
「そばにいてはいけないの?」
あの日のように あの人が来た
「泣いて いるのかい?」
あぁ あの人の声だ 息も絶え絶えで 足元もおぼつかない
「やっと見つけたよ ベス」
いつものように笑ってくれた とてもうれしい
「君に伝えたい事があるんだ」
…やっぱりお別れなのかな 悲しいな 辛いな…
「僕は、馬鹿なんだ!」
…へ?
――――――――――――――
びっくりして涙が引っ込んでるベスに畳み掛けるように語る。
「僕は馬鹿だから、言ってくれないとわからない事がたくさんあるんだ!」
僕のほうが感極まって涙声になってきた。かっこ悪い。それでも。
「わがまま言ってよ。弱音を吐いてよ。初めて会ったときみたいに…」
ベスに負けないくらいの大粒の涙を流しながら叫んだ。
「大好きだから、聞きたいんだ!」
張り詰めた静寂の中、僕の荒れた吐息だけが重なる。
ベスはうつむいたまま動かない。両の手を形成し強く握りこんでいる。
「ナイジェルは勝手だよ…」
体を震わせて吐き出すように言葉をつむぐ。
「『いつも誰かに何かできないか考えて』って言ったの ナイジェルだよ!」
止まっていた涙がまた溢れてきている。
「わがままなんて 言えるはずないよ!」
ああ、そうか。
「やっぱり僕の言った事が原因だったんだね…」
ベスと会っていた時に感じた不可解な焦燥感の正体はこれか。
「気付くのが遅くなってごめん」
僕の言葉がベスを縛り付けてしまったのだ。
「勝手な事ばかり言ってるけど…」
僕にほどく事ができるなら。
「それでも、君のわがままを聞きたい」
それだけ言うと、僕はベスを抱きしめた。わぁ やわらかい…
突然の出来事で表面が波打っている。かわいいとか思うのは末期なのか?
落ち着かせるように軽く撫でてみる。余計波打ってる。逆効果だ。
声を上げて泣き出したベスを泣き止むまで撫で続ける僕だった。
――――――――――――――
「…どうしてこんなに お酒臭いの?」
泣き止んでからの第一声がそれだった。
「ぼっ 僕だって落ち込んだら酒に逃げる事もあるのさ!」
良い大人が胸張ってする言い訳じゃないな。反省しよう。
「お酒飲んだって事は…街から走ってきたの!?」
「うん。酒飲んだら会いたくなって…ぶぇきしゅん!」
「あぁもう汗だくじゃない 小屋に行こう!」
この時期、朝焼けが綺麗な日は寒い。僕らは早足で小屋に向かった。
小屋に着いた僕たちは暖を取るためにそれぞれ動く。
僕は暖炉に薪を組み種火を放り込む。次いでかまどに石を置く。
ベスは途中の泉で汲んで来た水を小屋に置いてあったバスタブに入れる。
スライムの体はバスタブ一杯分ほどの水なら運搬可能なのだそうな。
見た目についてはノーコメントで。ベスが激しく怒りそうだし。
焼けた石をバスタブに入れればお湯が沸く。乱暴だが他に方法が無い。
やっと薪に火がついたところなのでまだまだ時間がかかりそうだ。
「ナイジェル それ 脱いで」
『脱いで』と言う単語に激しく動揺したが別に他意はなさそうだ。
僕は恥ずかしいのを我慢して上半身から服を脱ぐ。
椅子にでもかけて干そうかと考えているとベスに服を取られてしまった。
僕の服をしばらく抱きかかえると、それだけでカラカラに乾いている。
スライムの水分操作は他の種族と比べて精密性に優れている。
薬を作る時も熱を通さず濃度をあげたり有効成分を分離させたりと大活躍だ。
「ありがとう。助かったよ」
乾いた服に伸ばした手を、ベスの手が優しく包んだ。
「…体の汗も」
前言撤回。他意はあったようです。
「ベス。顔の汗もセーフとは言いづらいけど体はアウト…」「ナイジェル」
かぶせるように呼ばれただけで声も出ない。
「私は 魔物だよ スライムだよ 人とは違う」
少しだけ寂しそうな顔をしてベスが呟く。
「どんなに幼く見えても 気に入った男を欲しがる本能は変わらないよ」
僕の手を包む手が細かく震えている。
「女の子に『大好き』って言った責任は 取ってもらう」
腕を強く引かれ上体を傾けた僕はベスの体に倒れこんだ。
顔だけ持ち上げられてベスが僕の唇を奪う。
とても優しい触れてるだけのキスに僕たちは酔いしれた。
――――――――――――――
唇を貪っていた舌が顎を伝い首まで降りてくる。
あまり他人に触れさせない部分を舌で押し付けるように拭われる。
「ちょ ベス。落ち着いて」「ずっと 直接 舐めたかった…」
舐めるのに夢中で僕の声が聞こえていない。舌は胸まで降りている。
「んー ぴちゅ ちゅるる〜 ん!」「だー ベス 乳首は反則だよ!」
頭を掴んで引き離そうとするがベスはスライム特有の柔軟性ですり抜ける。
ベスの指がベルトの金具にかかった時、情けなくも悲鳴を上げてしまった。
「うわぁぁぁぁ!ベス!さすがにそれは駄目だ!」
必死でベルトを掴む手すら唇で愛撫されて力が入らない。
「我慢しなくていいって 言ったよね?」
腰にすがりついたベスが上目使いで見つめてくる。
「人間の倫理観とか そういうのも 勉強したけど」
潤んだ瞳から今にも涙がこぼれそうだ。
「もう 汗では 駄目なの…」
ベスの言葉で思考がホワイトアウトした隙にベルトにかかっていた
指が外れた。すばやく金具を外されて下着ごとズボンを下ろされる。
「〜〜〜〜!?」「これが…男の人の…」
はい。正直に申し上げます。絶好調です。絶賛稼動中です。
年端もいかない女の子に脱がされて興奮してます。情けない事に。
「ナイジェルも 我慢してたんだ」
「あぁもぅ!そうだよ!僕もずっとベスとそうなれたらいいと思って…」
言葉をキスでふさがれた。今度のキスは舌を絡める濃密なものだった。
ベスの舌が僕の口内を溶かしてしまいそうな勢いで動く。
きゅっ…
キスで液状化した脳が瞬時に凝固した。ベスが僕の肉棒を握ったからだ。
全くの不意打ちだったのでそれだけで達しそうになったが何とか我慢。
「よだれもおいしいけど これが欲しい」
浅いキスをするとベスは顔を僕の股間に移して、おもむろに口に含む。
「ん…むっ ぅん ん!」
歯を食いしばって耐えるがそう長く持ちそうにない。
ベスはスライムなので歯がない。隙間なく咥え込む事が可能なのだ。
他の女のソレは知らないがベスの口は極上の快楽を与えてくれる。
「あぁ ベス ベスぅっ!」「ん! ぅン! ん〜…」
だらしなく吐き出した僕の精をベスが嚥下する。
身を震わせて味わっているベスは暖炉の火の照り返しを受けて
妖艶に煌いて僕を誘う。
――――――――――――――
僕の両脚に腰掛けて喘いでいるベスに手を伸ばし、頭を撫でる。
「ベス…気持ちよかった…」
ベスは撫でていた僕の手を掴み頬に当てて、安らかに微笑む。
「やっぱりこれが 一番 満たされる…」
僕の目を見つめて手を下腹部に当ててベスが宣言した。
「今度は ここにもらう」
ためらいはあった
でも それ以上に 愛したかった
それで十分だ
僕はゆっくりうなずくと今度は僕からキスをした。
ベスは少し驚いた後、先程より控えめにゆっくりと舌を巡らせた。
互いのリズムを合わせるようなキスを済ませてしばし見詰め合う。
僕と交わるためにベスは極めて人型に近い形態をとった。
中腰の姿勢のベスの股間は僕の足を濡らすほど高ぶっていた。
前戯はいらないとでも言うように肉棒に座り込もうとするベスに
「ベス 大好きだ」
いきなり話しかけたからか、勢いあまって一気に置くまで入った。
「あ あぅ は ふン…」「う くっ!」
お互い刺激が強すぎて二の句を告げない。
震える事しかできない間、僕はベスを見つめていた。
「私も 大好きだよ」
不意打ち気味にベスが返事をくれた。繋がった部分が波打っている。
僕はベスの太ももに手を添えて腰を軽く一突きした。
「はン!あ あぁ…」
どうやら痛みはないようなので僕は少しづつ動こうとするも
「あぁ なにこれ 気持ちいいよぅ」
ベスさんに先を越されました。いきなりそんなグラインドさせないで〜
このままではあっという間に昇天しそうなので僕も動こう。
始める前からいっぱいいっぱいだった僕らは上り詰めるのも早かった。
「あぁ ナイジェル ナイジェルぅ」
「ベス 僕は そろそろ…」
「わたしも もうダメ!」
「くぅっ!」「あ! ぃあああああン!」
溜め続けた精を抱きしめながら放つ。ベスも歓喜に震えている。
快感の波が穏やかになる頃、僕らはどちらからともなく キスをした。
「ベス 僕は なんかこう 幸せだ」
「ナイジェル…」
言ってから照れくさくなって目を伏せると驚きの光景があった。
「ベス お お お おっぱいが!」
「え? …あっ!」
先ほどまでフラットだったベスの胸に明らかなふくらみが二つある。
「多分 ナイジェルの精液を吸収したからだよ…」
「か かわいい」
「バカーーー!」
このあと沸かした風呂に入るだけのはずが一回
ベッドで寝るだけのはずが一回
朝 起きただけのはずが一回
気がついたらベスの胸が一夜でBカップになっていて
先生にメチャクチャ冷やかされた…
――――――――――――――
本格的に冬を迎えた頃、僕たちの生活に多少の変化があった。
ひとつめは、スライムが外周市場に進出した事である。
先生がどうしてもとせがむのでスライムの集落に連れて行ったところ
全てのスライムが依然と比べ物にならないほど流暢にしゃべっていた。
ベスの説明では、ベスの一族は接触する事で経験を一部共有できるらしい。
振動によって情報を伝達する。言わば人間には理解不能な高速言語だ。
ベスが時々震えていたり波打っていたのはコレを無意識にしていたらしい。
冬になるとやる事が無いとぼやいていたスライムに先生は提案した。
「新しく作った僕の病院を手伝ってくれない?」
先生はつぶれた宿屋を改造して病院にしたのだ。
ベスと経験共有したスライム達はある程度の医療知識を持っていて
病院の看護士としての適正を備えていると先生は考えたらしい。
こうして世にも不思議なスライム病院が外周市場でオープンした。
ふたつめは、ベスが新聞に載ったことだ。
スライム病院は僕の予想をはるかに越えて繁盛している。
最初は住民運動が起きるほどの反対を受けるスタートだったものの
急患で運び込まれた人の口コミでスライムの献身的な看護が評判になり
患者さんの数が少しづつ増えていった。そんなときだった。
病院の特殊性と話題性に飛びついたのが外周新聞の記者だ。
取材当日。たまたま居合わせたベスを目ざとく見つけた記者の質問に
先生は当社比120%の真実を吹き込んだ。間に受けた記者は
「なんていい話…これを記事にしない手はないわ!」
と叫ぶと羽を生やしてあっというまに飛んでいった。
どうやらあの記者はカラステングという魔物が化けていたらしい。
「僕も初めて見たよ。またこないかなぁ♪」とは先生の談。
翌日の外周新聞の一面記事の見出しは「スライム病院の小さな灯火」
病院に触れた部分は最初だけで残り全部が恋愛小説だった。
僕とベスのこれまでが練乳たらしたみたいに甘く脚色されていた。
「おぉう!僕の10倍はロマンティックにしてくれたね♪」
とかほざいた先生と掴み合いの喧嘩をした。いつもの事だ。
――――――――――――――
冬しか採れない薬草がある。それも貴重な効能のものだ。
市場で売っているものは高価で鮮度もいまいちなので今年からは
自分で採取する事にした。山小屋が無ければ命がけの作業だ。
今頃ベスは病院の手伝いをしているのだろう。
あの新聞のせいで病院を訪れる人が突然増えて対応に追われている。
本来半分ほど森に残っているスライムもほとんどが病院にいっている。
でも、ヘビーローテーションを潜り抜けてベスは明日あたり非番のはず。
「休みになったら すぐに小屋に行くから」
と言っていたので明日の夜は二人っきりだ。我知らず頬が緩んでいた。
本日の薬草採取に出るためドアを開けると外に人影がある。
どうやら牧師のようだ。無宗教なので流派はわからない。
「おぉ あなたが かの有名な『灯火の想い人』ですか?」
あの新聞を読んだらしい。ゴシップ好きな牧師だ。
「困るのですよ。あなたのような人がいると」
ボン!と爆発が起こり僕は小屋の壁に叩きつけられた。
僕が立っていた場所は地面がえぐれて土砂が四散している。
立ち上がろうとして初めて脚が火傷でひきつれている事に気付く。
「魔物と交流するのは まぁ いいでしょう」
顔に笑みを貼り付けて牧師が近づいてくる。手の平に魔法円が輝く。
僕の横で壁が爆発する。蝶番が外れてドアも吹き飛び小屋はボロボロだ。
僕は地面に投げ出された。今度は利き手をやられて満足に身動きが取れない。
「しかし、あなたのように親密になってしまったら魔物の思うつぼです」
目の前に来ていた牧師は僕の髪を掴んで強引に上体を起こさせた。
「あなたもご存知のはずです。魔物は人間を身篭る事が 無い」
そう、人と魔物が結ばれても生まれるのは魔物だけだ。
「これは魔物側の気の長い民族浄化に他なりません」
そのような説を大真面目に語る学者がいるのは知っていた。
「あなたは魔物側のプロパガンダに使われたのです。お気の毒ですが…」
牧師の空いてる右手が魔法円を形成しながら顔を覆う。
「来世で 幸せになってもらいましょう」
その言葉を最後に僕の意識は掻き消えた。
――――――――――――――
綺麗な夕焼けだ
あたり一面にオレンジ色が広がって
物悲しいけど暖かい
僕の好きな あの人の色だ
体が動かない あの人と見たいのに
あ ベス そこにいたんだ
どうして君の顔が逆さまに見えるんだろう
あぁ 僕は君の中にいるのか
君の一部になれるなら
それも 悪くない
――――――――――――――
スライム病院のロビーに一番大きいスライムが飛び込んできたのは
診察時間が終わった夕方のことだった。
小屋の半壊 ナイジェルの容態 誰もが耳を疑った。
トーマス・キャンベルは話を聞くなり医療器具と薬をまとめて現場に急いだ。
今日は患者が少なかったのでベスに休みをあげた事が幸いした。
この一番大きなスライムは容積を駆使した移動術が巧みでベスの次に
速く走る。トーマスを乗せたままでも驚異的なスピードで森へと急ぐ。
小屋は見る影も無く壊れていた。玄関周辺は原型すらない。
四隅の柱が一本折れているせいで全体的に傾いている。
そんな倒壊寸前の小屋の中にベスとナイジェルがいた。
一目見た時、トーマスは患者のナイジェルを見つけられなかった。
ひとしきり視線を走らせて ベスの体が異常に大きい事に気付く。
凝視したトーマスは息を呑んだ。
ベスの体に 人が一人 入っていたからだ。
この人物かナイジェルだという確証がトーマスには持てなかった。
顔が無残に焼かれているのである。一部は炭化している。
黒く煤けた顔に薄く開いた目だけが異常に白く。トーマスが医者でなければ
正視に耐えなかっただろう。体も四肢をはじめとして火傷だらけだ。
よく見ると四肢の火傷は衝撃を伴っているのに対して顔の火傷は
ただ焼かれただけといった印象だ。周囲の燃えカスもそう多くない。
トーマスは確信した。これは魔法による暴力行為である と。
しかし今は現場検証をしている場合ではない。トーマスが口を開く。
「ベス。ナイジェルの容態は?」
移動の間に変化が無かったか確認が必要だ。ベスが気丈に答える。
「皮膚の火傷による痛みのせいでショック状態を起こしていました」
「ふむ その格好は皮膚を失った部分の保護のためかい?」
「はい。生き残った皮膚の働きをトレースして組織の維持を試みています」
「うん。とりあえず現状維持。他には?」
「顔面の火傷はあくまで副産物です。この魔法の狙いは呼吸器です」
「…やっぱり。肺の状況は?」
「呼吸ができない程度に痛めつけています 苦しむように…」
ベスの目から一筋の涙が流れるのをトーマスは静かに見つめる。
「そうか…でもそれで君が間に合った。流れは僕らに来ている」
トーマスは医者にそぐわぬ獰猛な笑みで告げる。
「死神には他で働いてもらおう」
――――――――――――――
あれ 先生 いつ来たんですか
せっかくベスと二人きりだったのに
何で そんなに真面目な顔しているんですか
僕 また何かやらかしましたか
うわ その笑顔やめてくださいよ
先生がその顔の時はろくな事が無いんだから
――――――――――――――
「ここでの治療は消耗が激しい。適した環境は近くにある?」
「一族が越冬に使う洞窟があります。地熱で冬でも暖かい場所です」
「では そこに行こう」
一番大きいスライムがベスとナイジェルを乗せて慎重に移動する。
トーマスは小屋で使えそうなものを吟味して持てるだけ持つと
ベスたちの後を追いかけて走った。夕日は山影に呑まれていた。
――――――――――――――
死なせない
絶対 生きてもらう
私は 人ではないけれど
魔物だから できる事がある
だから 諦めたりしない
ずっと 一緒にいるんだ
――――――――――――――
夕焼けばかり見ている
大好きな色だけど もっと見たいものがある
ベスの笑顔だ
ベスが笑わない ずっと心配そうな顔をしている
大丈夫だよ と言いたいのに 声が出ない
夢なら覚めてくれ
――――――――――――――
目覚めの引き金は、突然の肺の痛みだった。
「がはっ!ぐっ…ぶへ!」
よだれを濃くしたような液体を吐きながら咳き込む。
「あぁ 久しぶりの呼吸なんだから ゆっくりね」
気の抜けた声が僕の興奮を若干和らげる。
「よかったね ベス。私たちは賭けに勝ったよ」
抱きかかえられている。懐かしい感触だ。
目の前で 大好きな人が 笑いながら泣いている。
「やあ ベス」
「ナイジェル おはよう 今日も薬草採取にもってこいの天気だよ」
――――――――――――――
結論から言うと
僕は2ヶ月ほど意識不明だったらしい。
ベスが全身全霊で生命維持を施してやっと生きている状態で
皮膚と肺が治るまでベスの外に出せない状況だったらしい。
最初の一週間はそれこそ綱渡りで小康状態を保つコツを掴むまで
いつ死んでもおかしくなかったそうだ。
容態が落ち着いたのを機に僕を病院まで運んで万全の体制を敷き
街の人の治療も休まなかった先生のパワーには舌を巻くばかりだ。
ベスは僕の意識が戻ったのを確認すると糸が切れたように眠りについた。
2ヶ月間僕の生命を維持し続けて、ろくに眠ていなかったと先生が言う。
僕は先生にお礼を言うとベスを抱きしめて声を殺して泣いた。
流動食が食べられるようになった頃、先生がスクラップブックを持ってきた。
表紙には飾り文字で『外周新聞ダイジェスト♪』 嫌な予感しかしない。
一つ目の記事の見出しは『灯火の想い人 襲撃 排斥派の仕業か!?』
僕がこの病院に収容された日付の新聞だ。襲撃から一週間も経っている。
怪訝な顔を読み取ったように先生が語る。
「あの日の夜中には記者が来たんだけど人命優先って事で納得させたよ」
その代わり密着取材の約束させられた♪とか余計な事を言っていた。
二つ目の記事の見出しは「驚愕! 隠された悲劇 排斥派の暴力履歴」
僕のように襲われた人が過去にたくさんいたらしい。挙げられた名前の中に
先生と街長、それに門番の人の名前までがある。先生に尋ねると
「あぁ み〜んな『親友♪』だよ」
…先生の人脈の正体はこれか。全て魔物つながりなんだ。
三つ目の見出しは…後で語ろう。
ベスと先生の行った治療について読者にわかりやすいように書いている。
傷口が常に体液で覆われていたために火傷の跡が残りにくかった事や
千切れた血管の代わりにベスの魔法で血液循環を代行していた事など
ベスの応急処置とその後の生命維持について先生からの賛辞が並んでいる。
『彼女は以前にも救命活動を行っている。私の目に狂いはなかった』
と自分が医療系に引っ張った事もさりげなくアピールされていた。
僕の命を救ったベスには荘厳華麗なな二つ名がついていた。
『舞い踊る炎の蜜薬 ベス・ザ・フレイムポーション』
それがこの記事の見出しだった。
――――――――――――――
普通の食事が取れるようになったら回復はあっという間だった。
僕が意識不明の間にベスと先生は知識を総動員して治療をした。
その内容は復帰後も視野に入れていて動かせるようになった関節は
随時ほぐしていったと言う。おかげさまで体は動くのだが衰えた筋力は
リハビリしないと戻らないので当分森まで歩けないと言われた。
僕ががっかりしているとベスが微笑みながら言ってくれた。
「春になったら 一度だけ森に連れて行ってあげる」
暖かい日が続くなぁと思っていたら突然先生が叫んだ。
「ハナミだ!ハナミをするぞ!」
どうやら外周新聞の記者から東国のホームパーティーについて聞かされて
いてもたってもいられなくなったらしい。
僕以外のみんなは用意が済んでいた。…サプライズってやつだ。
戸惑う僕はベスに抱えられて森まで超スピードで運ばれた。
森に着くと桜が満開で花びらが薄く漂っていた。
いつか見た風景。また二人で見れた幸せ。
しばし見惚れていると一番大きいスライムが先生他数名を乗せて到着した。
病院を空にするわけにいかないので花見は交代制で行うと言う。
先生は一番飲んで一番騒いで服を脱ぎ始めた段階で奥さんに殴られていた。
僕は酒を飲めるほど回復していなかったのでベスと花を見ていた。
昼が過ぎて先生が帰る時、この日2度目のサプライズをくれた。
「街長が『小屋の再建は終わった』って。今夜はベスと仲良くね♪」
到着した第二陣の中にカラステングの記者がいた。今日も人型だ
「この私が正しい花見を教えてあげます!」とほざいて大暴れする始末。
途中で見せてくれた『風の魔法による桜津波』は豪奢で壮観だった。
これで隠し芸を人に強要しなければ良い人なのに…
ベスが酒の空き瓶を片付けている間に記者からこの日3度目のサプライズ。
「奴等が何を言ったかは想像がつきます。でも、これだけは信じて欲しい」
ケタケタ笑いながらも、どこか遠い目をして記者が語る。
「我々にも魔王が何を考えているか不明なのです。魔物も一枚岩ではない」
貴重な日本酒の瓶に頬擦りしながら真面目な事を仰る。
「魔物が人を求めるのにどんな意味があるのか。我々も取材中なのです」
すっと立ち上がり爽やかに笑うと変化を解いた。黒い羽が濡れたように光る。
「あなたと彼女は答えに一歩近づけた気がします。これからもよろしく」
突風に目を閉じた隙に記者は消えてしまった。
荒ぶる花びらと一枚の黒羽が残して。
――――――――――――――
第二陣(カラステング早退)が帰り宴もお開きになった。
突然ベスが僕を抱えてゆっくり移動を始める。
なんだかとても恥ずかしいのだがベスが満面の笑みなので何も言えない。
夕焼けの綺麗な丘でベスが立ち止まる。忘れられない場所だ。
自分の足で立ってベスを軽く抱き寄せる。
ベスがそっと僕の胸に触れる。
「ナイジェル…本当に大丈夫なの?」
ベスが触れている場所には奇妙な紋章がある。
奇跡の生還を遂げた僕の胸にいつの間にか現れた印。
燃え盛る雫に見えるこの紋章が現れた時から僕の体に幾つか変化があった。
一つ目はベスの一族が使う高速言語を理解し使えるようになった事。
二つ目はスライムほどではないが水分操作の魔法が使えるようになった事。
ベスはひどく心配したが先生はニッコリ笑うと『問題なし!』と断言した。
「体は平気だよ。能力はまだ慣れないけど…きっと大丈夫さ!」
触れた手からベスの感情が流れ込んできて少し照れくさい。
「だって君と同じ能力なんだよ?なんだか嬉しくって」
僕の感情を無意識にベスに送ってしまったらしい。ベスも照れている。
「ねぇ ナイジェル これからもそばにいて…」
「僕のほうこそ頼むよ。君がいると毎日楽しいんだ」
そして僕らはキスをする。触れてるだけで溶けてしまいそうなキス。
いつの間にか夕日まで帰ってしまった。季節柄まだ肌寒い。
「小屋に行こう。街長が直してくれたんだってさ」
「うん… 知ってるよ…」
…やっぱりベスもグルか。まぁいいか。それも一興。
「久しぶりに二人っきり 今夜は何も我慢しないからね?」
「ベスさん怖いよ。病み上がりなんだからお手柔らかにね…」
再びベスは僕を抱きかかえて移動する。僕はベスのなすがまま。
やっぱりベスはわがままを言っている時が一番かわいい。
これからも僕にだけわがままを言ってくれれば それで良い。
―――――――fin―――――――
P.S
小屋の外で護衛と称して出歯亀してた輩はベスの手でボコボコにされました。
昔は僕もあんな感じだったなんて考えたくもない。
「泣いて いるのかい?」
そんな僕が何故この子に声をかけてしまったのか
生涯をかけても答えが出るかわからない。
僕は女が嫌いだ。アレは真理の探究に理解を示そうとしない。
『難しい話はやめてイイコトしない?』とは何事か!
「ミンナ コワガル ナカヨク デキナイ」
この子の声は子供である事を差し引いても甲高い。
女の子である事に初めて気がついた。
僕は魔物が嫌いだ。友達が魔物に襲われたからだ。
痩せ細りつつも奇妙に笑う友人は数日後失踪した。
「カラダ イロ チガウ ワタシ ナンデ?」
夕日を受けて赤く色づく体は良く見れば元々そういう色で
朱色のローブをかぶったように見えた体には手足が無い。
以上の個人的趣向と偶発的遭遇の帰結が錯乱と逃亡という
短絡的なものにならなかったのは学術的好奇心からだろうか?
いや 違う。
「僕が知ってる範囲で良ければ 君の事を教えてあげる」
何か言葉にできない予感めいたものに突き動かされて
僕は女の子の隣に座る。何のためらいも無く。
「君の体が赤いのは他の子よりも強く賢くなれるかもしれない印さ」
「シルシ?」
「そうさ。だから君が何か悪いことをした訳じゃないんだよ」
「ワタシ ワルクナイ?」
「悪くないけど 足りなかったのかもしれないね」
「タリナイ?」
女の子が首らしきものを傾げる。夕焼けの反射に目がくらむ。
「君は悲しくて皆から離れてしまったのではないかい?」
「ウン イッショ イテモ コワガル」
「悲しくても一緒にいるのさ。悲しいって叫ぶんだ」
「サケブ?」
「そうさ。叫んでだめなら怒ってもいい。叩いたっていいさ」
「ダメ! イタイノ ダメ!」
「そうかい?それなら…困っている子がいたら助けてあげるんだ」
「タスケル?」
「いつも誰かに何かできないか考えてごらん。悲しんでいる暇も無い」
「カンガエル…」
独り言のように呟く女の子はすでに泣いていなかった。
太陽もそろそろ向こうの山に隠れそうだ。
「僕はそろそろ帰るよ。夜になるとおっかないからね」
「カエル? モット ハナソウ」
「この森には薬草を取りに来るからまた会えるよ」
こうして僕達の初遭遇は実に平和的に終了した。
名前が無かったレッドスライムに僕は『ベス』という名前をつけた。
ちなみに僕の名前はナイジェル・ハスター。薬草を研究しています。
――――――――――――――
「ナイジェル オハヨー」
「やあベス。今日も薬草採取にもってこいの天気だね」
あれから二ヶ月ほど経過して今は夏。他のスライムはベスを受け入れた。
今では彼女を若いスライムのリーダーに抜擢するくらいである。
他のスライムたちに僕を紹介してくれた時は数十匹のスライムに囲まれて
生きた心地がしなかったが思わぬ申し出を受けることとなった。
森の中にいる間は他の魔物から守ってくれるというのだ。
『スライム イジメル ニンゲン オオイ オマエ チガウ ヨカッタ』
一番大きいスライムが体を震わせて語った。
どうやら面白半分でスライム討伐をする馬鹿がいるらしい。
魔物というだけで嫌っていた僕には耳が痛い話だ。
護衛は基本的にベスが受け持つ事になった。彼女はレッドスライムなので
若くても成体並の攻撃力を持っているからだ。薬草採取も手伝ってくれる。
「ナイジェル コレハ クスリ? ソレトモ ドク?」
「花だけ使える。葉と根には毒があるんだ」
ベスはとても賢い。薬草の種類も大抵は一発で覚えてしまう。言葉も
出会った時より単語が増えて、心なしか流暢になってきた気がする。
沼のほとりを散策している時、無理な体勢で薬草を取っていた僕は
足を滑らせて沼に落ちた。水中は視界が悪く意外にも底が深い。
全身を襲う衝撃に僕は肺の中身を盛大にぶちまけてしまった。
パニックを起こした僕はでたらめに手足を動かし水面らしき方を目指すが
濡れた服がまとわりついて満足に動けない。もうだめかと思った時
泡をまとって一抱えくらいの何かが飛び込んできて顔にまとわりついた。
「ナイジェル!」
耳に張り付いた部分から聞き慣れた声が響いて僕は硬直した。ベス?
「スコシダケ ガマンシテ」
顔を完全に覆ったベスの一部がおもむろに僕の口に進入した。
一息で気道をふさぐ水を吸出し体外へ戻っていく。
入れ替わりに新鮮な空気が肺を満たす。少し頭が働くようになった。
ベスの体は僕の鼻先から管を形成して水面まで延びていた。
「スイメンマデェ カラダヲ ノバシタッ タドレバ ャン! アガレル」
僕の呼吸がくすぐったいのか 時折身を振るわせるベスの導くまま
僕が生きられる場所を求めてひたすら手足を漕いだ。
ようやく陸地に辿り着いた僕は草の上にしりもちをついて脱力した。
夕焼け色の視界が突然開けてベスが僕から離れる。
目の前に結像したベスの顔を見ると 僕の眼鏡をかけていた。
「う うはっ わははははははっ! 似合うかもっ それっ!」
「コワサナイヨウニ シテタラ カエスノ ワスレタ フフッ ハハハ」
緊張の糸が切れた僕たちはしばらく時を忘れて笑い転げた。
集めた薬草は駄目にしたが、そんな事はどうでもいいと思えるほど
楽しい一日だった。
――――――――――――――
「まちに いってみたいなぁ」
不安と期待が入り混じった表情のベスが僕を見つめる。
棒読みだった口調に最近は感情が乗り始め、あどけない仕草で懇願する。
請われるままに街の話をしていた僕にも責任はあるのだろう。
僕の住む街は友好的な魔物との親交がある。
だがそれは外周部の市場での交易が許可されているだけの話で
外周部と中心部を分ける頑強な門を魔物が越える事は許されていない。
ベスが憧れる『街』は中心部のことで市場では満足できないだろう。
どうしたものかと途方に暮れていると不意にベスが微笑む。
「やっぱり むりだよね ごめん わすれて」
ああ またか
ベスは我を押し通すという事が無い。幼くして譲ってばかりいる。
そんな彼女の姿に僕はいつしか焦燥を覚えるようになっていた。
なにかこう このあいまいな微笑を満面の笑みに変えたくなるのだ。
「僕にまかせて」
気がつくと口からそんな言葉が飛び出していた。
「わぁ…」
門をくぐりぬけたところで、くぐもった歓声が上がる。
とりあえず第一段階は成功といったところか。
秋口に入り厚着する人が増えたことを利用して僕は服の下に
ベスをもぐりこませて街に戻った。
ボディチェックの時、顔見知りの門番に見つめられて肝を冷やしたが
「山で旨いもん食べ過ぎたのか。腹が出てるぞ」
と言われただけで済んだ。危ない危ない。
襟元の隙間から街を眺めているベスの口から感動の溜息が止まらない。
危ない橋を渡って連れてきた甲斐があるというものである。
一息つくために下宿先へと足を早めた矢先のことだった。
「おーい ナイジェル」
聞き慣れた声だった。今だけは会いたくない相手だった。
トーマス・キャンベル先生 この街の医者で僕の恩人だ。
外周市場でケチな薬屋をやっていた僕を拾い上げてくれた人。
人の良さそうな顔をして病巣のように弱みをえぐり抜く人。
「…ナイジェル 今度は何をやったんだい?」
「開口一番で罪人扱いですか!? 何を根拠に」
「患者さんの薬の袋を取り違えた時と同じ顔をしてるよ?」
「どんな顔ですか! いやだなぁ もぅ…」
「いいから診療所まで来なさい♪」
そうして先生は僕の手を掴むと診療所まで引きずっていった。
――――――――――――――
「はじめまして ベスともうします」
「はじめましてトーマス・キャンベルです。先生と呼ばれると喜びます♪」
一見なごやかな挨拶風景だがベスの表面は奇妙に波打っている。
ここは先生の診療所。病院と呼ぶには小さく、入院施設も無い。
先生が扱う薬は僕が調合して、基本的にはここで患者さんに渡す。
先生は外周市場でも有名な『好事家』で魔物に対して偏見は無い。
というか現在外周部の邸宅で魔物と家庭を持っている。
この街一の名医だった先生は、魔物を愛したことで中心部を追われたが
腕と人柄を惜しんだ人たちが診療所を用意したのだ。
実は街長が『親友♪』で、裏で手を回していたというのは後で聞いた。
『親友♪』と言った時の先生の黒い笑みが忘れられない…
「ナイジェル これもらった」
思索に耽っているとベスが手の平を差し出してきた。
そこにはスライムが好むスウェットの実が転がっていた。
名前の通り『汗の味』がするそれは外周市場で手に入る。もちろん森でも。
「よかったじゃないか。お礼は言ったかい?」
「うん!」
ベスは緊張を解いて笑顔を見せていた。先生もニコニコしている。
つられて僕も笑った。
「そういえば最近、森に行くとき楽しそうだねぇ♪」
油断した。迂闊だった。こういう人だった。
「市場の薬草は鮮度が悪い上に種類も少ないと嘆いていたのは春先か…」
遠い目をして呟く口元がプルプル震えている。
「時にベスちゃん。ナイジェルとはいつ知り合ったんだい?」
「さくらがさいてた なまえをもらったつぎのひ ふたりでみたの…」
そう 桜舞う中 話の続きをしたなぁ 思考は過去に逃避していた。
「そっか 名前つけちゃったか そっか…」
ガシィ! と両肩を掴まれた。
「君が『ヒカルゲンジシンドローム』だったなんて!今すぐ診察だ!」
「どうしてあなたはすぐ脳味噌が炎症を起こしちゃうのですか!」
聴診器を突きつける腕を掴み抵抗する僕を見てベスは可笑しそうに笑う。
当初の目的を大きく外したが今回の冒険はおおむね成功のようだ。
帰りに担当したのも先程の門番だった。
ボディチェックの後、簡素な布袋を僕の手に握らせて「仲良くな」と一言。
袋の中身はスウェットの実だった。
――――――――――――――
紅葉も散り始めた頃、僕は森に放置されていた小屋の修繕をしていた。
先生曰く「君でも直せそうだし街長から許可もらったから♪」とのこと。
冬になると突然の天候変化が命取りになるからこの提案は渡りに船だった。
「ナイジェル 居る?」
ドアを器用に開けてベスが入ってきた。街に行った日から度々
先生の家でお世話になるうちに随分と言葉が達者になった。
殲滅魔法のように喋り続ける先生を相手にしていたので急激に経験値が
上がったようだ。僕としては複雑だが。
先生はベスが沼で僕を助けた話を聞いて、何やらひどく感激していた。
その後も何かと医学知識を吹き込まれたベスは先生と共謀して
僕を実験台にして様々な医学的検証を重ねていた。つまりはイタズラだ。
先生とベスがコンビの時は警戒しなくてはいけない今日この頃である。
「初日とは比べ物にならないくらい綺麗になったね」
「あぁ。壁も床も徹底的に磨いたからね。壊れた窓も直したし」
初めて訪れた時は埃と蜘蛛の巣のせいでベスの体が真っ黒になった。
半べそをかくベスを泉に連れて行こうとしたら「一人でできる!」と
一言残して逃げられてしまい、なにやら物悲しい気分になったものだ。
レッドスライムは年頃になるのも早いのだろう。賢いし。
などとつらつらと考えていると不意に視界に影が差す。
「汗だくじゃない じっとしてて」
不意に伸びてきた彼女の一部が手の平のように展開し僕の顔を拭う。
最近ベスは僕が少しでも汗をかくとその体で拭き取るようになっていた。
この季節でも屋内での作業は空気がこもりやすく、その度に僕は
それなりに汗をかき、それを見咎めた彼女の世話になるのだ。
気恥ずかしくもあったがそれもスライムの習性かと思うと
変に意識してはベスに失礼ではないかと考え平静を装っていたが…
「ん…ぴちゅ…ちゅる…」
ベスは拭った部分を舐め始めた。普段の子供じみた様相を一変させて
切なげに眉根を寄せて瞑目しつつ舌を這わせている姿に暫し見惚れた。
この時の僕はどれだけ間抜けな顔をしていたのだろうか。
ベスは目を開けてこちらを見るとビシリと固まった。
「あ…私… ゴメン!わタしイケナイこトシた!」
焦って呂律が回ってないよベス君! 僕も頭が回ってないけどね!
言葉をかけることができなかった僕をベスは悲しげに見つめた。
「ゴメンね ナイジェル 魔物が嫌いなのに 変なことして」
今度は僕が固まる番だった。なぜ彼女がこんなことを言うんだ?
「女も 子供も 嫌い なんだよね?」
彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。初めて会った時のように。
「今までゴメンね…」
「ベス!」
止める間も無くドアを開け放ち走り去るベスを追いかけようとした。
小屋を出て辺りを見渡してもベスの姿は見えず僕は途方にくれた。
気がついたら酒持参で先生の家のドアを叩いていた。
――――――――――――――
「よーするに? フラれた と…」
「僕の説明から出た答えがそれですか先生!」
酒瓶をあけてから長針が何周したかわからない今、僕らは酔っていた。
つまみを出してくれる奥さんの顔には「困った人たちねぇ」と書いてある。
「僕はベスに笑ってほしかっただけなんです。どうしてあんな…」
ベスの言動は不可解だったがそれ以上に僕は彼女の事を情欲の対象として
見たことを恥じていた。
「君は潔癖すぎるよナイジェル…ぅいっき!」
錯乱の末、いつもより強い酒を買ったのに先生はいつも以上のペースで
飲んでいる。飲めば飲むほど舌が回るのか舌好調だ。
「まぁ なんだ? 私にも責任が無いわけでは無いようだし…」
「なんか 聞き捨てならない事言ってませんか? 先生!」
「いや…君とベスが初めて我が家を訪れた日の事だよ」
そう その日まで僕は先生のお宅を訪問した事が無い。
理由はひとつ 『奥様は魔物』 だからだ。
ベスのおかげで魔物に対する偏見が薄れていた事もあり、わりとすんなり
奥さんとも挨拶できたと自分では思っていた。
「君が診療所に薬を届けに行ったとき。ベスに聞かれたのさ」
「僕がいないのを良い事に何を吹き込んだのですか…」
「ふむ。『ナイジェルは先生と仲いいのに今日初めて家に来たの?』って」
先生の目がすっと鋭くなる。病巣を見定める医者の目だ。
事実、僕の痛くも無かった腹が急に強張り重くなる。
「私も迷ったよ。彼女の知らない君の事を伝えるべきか否か」
僕は先生を見つめた。恨みがましい目をしていたはずだ。
「でも君は きっと一生 彼女にその事を告げないと思った」
先生は真正面から僕を見据えた。
「だから言った。『深い意味は無いと思う。ただ…』」
僕は立ち上がっていた。椅子が倒れたらしい音がする。
「『彼は魔物が嫌いだと言ってたよ』ってね」
気付いたら先生の胸倉を掴んでいた。
「『女も子供も嫌いだってさ。だから驚いているんだ。』」
それでも先生は続ける。揺るぎない瞳で。
「『君の何かが彼を変えたんだよ』」
一瞬で頭が真っ白になった。
「『君との出会いはナイジェルにとって幸運だった』とね」
先生から離れた手が力なく垂れる。身動きひとつとれやしない。
「私は余計な事をしたかもしれない…」
目を伏せて溜息混じりに先生が呟く。
「その後の彼女は見ていて痛々しかった」
曰く。
「人間みたいに話せればナイジェルは嫌わない」と言ってずっと
僕の知らないところで言葉の練習に明け暮れていたらしい。
渡した辞書や小説も瞬く間に読む姿は鬼気迫るものがあったらしい。
どうしてそこまでするのか聞いた時の彼女の答えは
「私にできる事を考えたの まだ足りないかもしれないけど」
ここまで聞いて僕は居ても立ってもいられなくなった。
今すぐベスに会わなければ、もう一度ちゃんと話さなければならない。
「先生、奥さん。僕はこれで失礼します」
「ん。今度は二人できてね♪」
先生は尊大な態度で、奥さんは無言で手を振って見送ってくれた。
僕は月明かりを頼りに森を目指して走った。
――――――――――――――
朝焼けの中で 泣いている
「私を怖がらないで…」
声を殺して 体を震わせて
「仲良くしたいよ…」
あの日のように たった一人で
「そばにいてはいけないの?」
あの日のように あの人が来た
「泣いて いるのかい?」
あぁ あの人の声だ 息も絶え絶えで 足元もおぼつかない
「やっと見つけたよ ベス」
いつものように笑ってくれた とてもうれしい
「君に伝えたい事があるんだ」
…やっぱりお別れなのかな 悲しいな 辛いな…
「僕は、馬鹿なんだ!」
…へ?
――――――――――――――
びっくりして涙が引っ込んでるベスに畳み掛けるように語る。
「僕は馬鹿だから、言ってくれないとわからない事がたくさんあるんだ!」
僕のほうが感極まって涙声になってきた。かっこ悪い。それでも。
「わがまま言ってよ。弱音を吐いてよ。初めて会ったときみたいに…」
ベスに負けないくらいの大粒の涙を流しながら叫んだ。
「大好きだから、聞きたいんだ!」
張り詰めた静寂の中、僕の荒れた吐息だけが重なる。
ベスはうつむいたまま動かない。両の手を形成し強く握りこんでいる。
「ナイジェルは勝手だよ…」
体を震わせて吐き出すように言葉をつむぐ。
「『いつも誰かに何かできないか考えて』って言ったの ナイジェルだよ!」
止まっていた涙がまた溢れてきている。
「わがままなんて 言えるはずないよ!」
ああ、そうか。
「やっぱり僕の言った事が原因だったんだね…」
ベスと会っていた時に感じた不可解な焦燥感の正体はこれか。
「気付くのが遅くなってごめん」
僕の言葉がベスを縛り付けてしまったのだ。
「勝手な事ばかり言ってるけど…」
僕にほどく事ができるなら。
「それでも、君のわがままを聞きたい」
それだけ言うと、僕はベスを抱きしめた。わぁ やわらかい…
突然の出来事で表面が波打っている。かわいいとか思うのは末期なのか?
落ち着かせるように軽く撫でてみる。余計波打ってる。逆効果だ。
声を上げて泣き出したベスを泣き止むまで撫で続ける僕だった。
――――――――――――――
「…どうしてこんなに お酒臭いの?」
泣き止んでからの第一声がそれだった。
「ぼっ 僕だって落ち込んだら酒に逃げる事もあるのさ!」
良い大人が胸張ってする言い訳じゃないな。反省しよう。
「お酒飲んだって事は…街から走ってきたの!?」
「うん。酒飲んだら会いたくなって…ぶぇきしゅん!」
「あぁもう汗だくじゃない 小屋に行こう!」
この時期、朝焼けが綺麗な日は寒い。僕らは早足で小屋に向かった。
小屋に着いた僕たちは暖を取るためにそれぞれ動く。
僕は暖炉に薪を組み種火を放り込む。次いでかまどに石を置く。
ベスは途中の泉で汲んで来た水を小屋に置いてあったバスタブに入れる。
スライムの体はバスタブ一杯分ほどの水なら運搬可能なのだそうな。
見た目についてはノーコメントで。ベスが激しく怒りそうだし。
焼けた石をバスタブに入れればお湯が沸く。乱暴だが他に方法が無い。
やっと薪に火がついたところなのでまだまだ時間がかかりそうだ。
「ナイジェル それ 脱いで」
『脱いで』と言う単語に激しく動揺したが別に他意はなさそうだ。
僕は恥ずかしいのを我慢して上半身から服を脱ぐ。
椅子にでもかけて干そうかと考えているとベスに服を取られてしまった。
僕の服をしばらく抱きかかえると、それだけでカラカラに乾いている。
スライムの水分操作は他の種族と比べて精密性に優れている。
薬を作る時も熱を通さず濃度をあげたり有効成分を分離させたりと大活躍だ。
「ありがとう。助かったよ」
乾いた服に伸ばした手を、ベスの手が優しく包んだ。
「…体の汗も」
前言撤回。他意はあったようです。
「ベス。顔の汗もセーフとは言いづらいけど体はアウト…」「ナイジェル」
かぶせるように呼ばれただけで声も出ない。
「私は 魔物だよ スライムだよ 人とは違う」
少しだけ寂しそうな顔をしてベスが呟く。
「どんなに幼く見えても 気に入った男を欲しがる本能は変わらないよ」
僕の手を包む手が細かく震えている。
「女の子に『大好き』って言った責任は 取ってもらう」
腕を強く引かれ上体を傾けた僕はベスの体に倒れこんだ。
顔だけ持ち上げられてベスが僕の唇を奪う。
とても優しい触れてるだけのキスに僕たちは酔いしれた。
――――――――――――――
唇を貪っていた舌が顎を伝い首まで降りてくる。
あまり他人に触れさせない部分を舌で押し付けるように拭われる。
「ちょ ベス。落ち着いて」「ずっと 直接 舐めたかった…」
舐めるのに夢中で僕の声が聞こえていない。舌は胸まで降りている。
「んー ぴちゅ ちゅるる〜 ん!」「だー ベス 乳首は反則だよ!」
頭を掴んで引き離そうとするがベスはスライム特有の柔軟性ですり抜ける。
ベスの指がベルトの金具にかかった時、情けなくも悲鳴を上げてしまった。
「うわぁぁぁぁ!ベス!さすがにそれは駄目だ!」
必死でベルトを掴む手すら唇で愛撫されて力が入らない。
「我慢しなくていいって 言ったよね?」
腰にすがりついたベスが上目使いで見つめてくる。
「人間の倫理観とか そういうのも 勉強したけど」
潤んだ瞳から今にも涙がこぼれそうだ。
「もう 汗では 駄目なの…」
ベスの言葉で思考がホワイトアウトした隙にベルトにかかっていた
指が外れた。すばやく金具を外されて下着ごとズボンを下ろされる。
「〜〜〜〜!?」「これが…男の人の…」
はい。正直に申し上げます。絶好調です。絶賛稼動中です。
年端もいかない女の子に脱がされて興奮してます。情けない事に。
「ナイジェルも 我慢してたんだ」
「あぁもぅ!そうだよ!僕もずっとベスとそうなれたらいいと思って…」
言葉をキスでふさがれた。今度のキスは舌を絡める濃密なものだった。
ベスの舌が僕の口内を溶かしてしまいそうな勢いで動く。
きゅっ…
キスで液状化した脳が瞬時に凝固した。ベスが僕の肉棒を握ったからだ。
全くの不意打ちだったのでそれだけで達しそうになったが何とか我慢。
「よだれもおいしいけど これが欲しい」
浅いキスをするとベスは顔を僕の股間に移して、おもむろに口に含む。
「ん…むっ ぅん ん!」
歯を食いしばって耐えるがそう長く持ちそうにない。
ベスはスライムなので歯がない。隙間なく咥え込む事が可能なのだ。
他の女のソレは知らないがベスの口は極上の快楽を与えてくれる。
「あぁ ベス ベスぅっ!」「ん! ぅン! ん〜…」
だらしなく吐き出した僕の精をベスが嚥下する。
身を震わせて味わっているベスは暖炉の火の照り返しを受けて
妖艶に煌いて僕を誘う。
――――――――――――――
僕の両脚に腰掛けて喘いでいるベスに手を伸ばし、頭を撫でる。
「ベス…気持ちよかった…」
ベスは撫でていた僕の手を掴み頬に当てて、安らかに微笑む。
「やっぱりこれが 一番 満たされる…」
僕の目を見つめて手を下腹部に当ててベスが宣言した。
「今度は ここにもらう」
ためらいはあった
でも それ以上に 愛したかった
それで十分だ
僕はゆっくりうなずくと今度は僕からキスをした。
ベスは少し驚いた後、先程より控えめにゆっくりと舌を巡らせた。
互いのリズムを合わせるようなキスを済ませてしばし見詰め合う。
僕と交わるためにベスは極めて人型に近い形態をとった。
中腰の姿勢のベスの股間は僕の足を濡らすほど高ぶっていた。
前戯はいらないとでも言うように肉棒に座り込もうとするベスに
「ベス 大好きだ」
いきなり話しかけたからか、勢いあまって一気に置くまで入った。
「あ あぅ は ふン…」「う くっ!」
お互い刺激が強すぎて二の句を告げない。
震える事しかできない間、僕はベスを見つめていた。
「私も 大好きだよ」
不意打ち気味にベスが返事をくれた。繋がった部分が波打っている。
僕はベスの太ももに手を添えて腰を軽く一突きした。
「はン!あ あぁ…」
どうやら痛みはないようなので僕は少しづつ動こうとするも
「あぁ なにこれ 気持ちいいよぅ」
ベスさんに先を越されました。いきなりそんなグラインドさせないで〜
このままではあっという間に昇天しそうなので僕も動こう。
始める前からいっぱいいっぱいだった僕らは上り詰めるのも早かった。
「あぁ ナイジェル ナイジェルぅ」
「ベス 僕は そろそろ…」
「わたしも もうダメ!」
「くぅっ!」「あ! ぃあああああン!」
溜め続けた精を抱きしめながら放つ。ベスも歓喜に震えている。
快感の波が穏やかになる頃、僕らはどちらからともなく キスをした。
「ベス 僕は なんかこう 幸せだ」
「ナイジェル…」
言ってから照れくさくなって目を伏せると驚きの光景があった。
「ベス お お お おっぱいが!」
「え? …あっ!」
先ほどまでフラットだったベスの胸に明らかなふくらみが二つある。
「多分 ナイジェルの精液を吸収したからだよ…」
「か かわいい」
「バカーーー!」
このあと沸かした風呂に入るだけのはずが一回
ベッドで寝るだけのはずが一回
朝 起きただけのはずが一回
気がついたらベスの胸が一夜でBカップになっていて
先生にメチャクチャ冷やかされた…
――――――――――――――
本格的に冬を迎えた頃、僕たちの生活に多少の変化があった。
ひとつめは、スライムが外周市場に進出した事である。
先生がどうしてもとせがむのでスライムの集落に連れて行ったところ
全てのスライムが依然と比べ物にならないほど流暢にしゃべっていた。
ベスの説明では、ベスの一族は接触する事で経験を一部共有できるらしい。
振動によって情報を伝達する。言わば人間には理解不能な高速言語だ。
ベスが時々震えていたり波打っていたのはコレを無意識にしていたらしい。
冬になるとやる事が無いとぼやいていたスライムに先生は提案した。
「新しく作った僕の病院を手伝ってくれない?」
先生はつぶれた宿屋を改造して病院にしたのだ。
ベスと経験共有したスライム達はある程度の医療知識を持っていて
病院の看護士としての適正を備えていると先生は考えたらしい。
こうして世にも不思議なスライム病院が外周市場でオープンした。
ふたつめは、ベスが新聞に載ったことだ。
スライム病院は僕の予想をはるかに越えて繁盛している。
最初は住民運動が起きるほどの反対を受けるスタートだったものの
急患で運び込まれた人の口コミでスライムの献身的な看護が評判になり
患者さんの数が少しづつ増えていった。そんなときだった。
病院の特殊性と話題性に飛びついたのが外周新聞の記者だ。
取材当日。たまたま居合わせたベスを目ざとく見つけた記者の質問に
先生は当社比120%の真実を吹き込んだ。間に受けた記者は
「なんていい話…これを記事にしない手はないわ!」
と叫ぶと羽を生やしてあっというまに飛んでいった。
どうやらあの記者はカラステングという魔物が化けていたらしい。
「僕も初めて見たよ。またこないかなぁ♪」とは先生の談。
翌日の外周新聞の一面記事の見出しは「スライム病院の小さな灯火」
病院に触れた部分は最初だけで残り全部が恋愛小説だった。
僕とベスのこれまでが練乳たらしたみたいに甘く脚色されていた。
「おぉう!僕の10倍はロマンティックにしてくれたね♪」
とかほざいた先生と掴み合いの喧嘩をした。いつもの事だ。
――――――――――――――
冬しか採れない薬草がある。それも貴重な効能のものだ。
市場で売っているものは高価で鮮度もいまいちなので今年からは
自分で採取する事にした。山小屋が無ければ命がけの作業だ。
今頃ベスは病院の手伝いをしているのだろう。
あの新聞のせいで病院を訪れる人が突然増えて対応に追われている。
本来半分ほど森に残っているスライムもほとんどが病院にいっている。
でも、ヘビーローテーションを潜り抜けてベスは明日あたり非番のはず。
「休みになったら すぐに小屋に行くから」
と言っていたので明日の夜は二人っきりだ。我知らず頬が緩んでいた。
本日の薬草採取に出るためドアを開けると外に人影がある。
どうやら牧師のようだ。無宗教なので流派はわからない。
「おぉ あなたが かの有名な『灯火の想い人』ですか?」
あの新聞を読んだらしい。ゴシップ好きな牧師だ。
「困るのですよ。あなたのような人がいると」
ボン!と爆発が起こり僕は小屋の壁に叩きつけられた。
僕が立っていた場所は地面がえぐれて土砂が四散している。
立ち上がろうとして初めて脚が火傷でひきつれている事に気付く。
「魔物と交流するのは まぁ いいでしょう」
顔に笑みを貼り付けて牧師が近づいてくる。手の平に魔法円が輝く。
僕の横で壁が爆発する。蝶番が外れてドアも吹き飛び小屋はボロボロだ。
僕は地面に投げ出された。今度は利き手をやられて満足に身動きが取れない。
「しかし、あなたのように親密になってしまったら魔物の思うつぼです」
目の前に来ていた牧師は僕の髪を掴んで強引に上体を起こさせた。
「あなたもご存知のはずです。魔物は人間を身篭る事が 無い」
そう、人と魔物が結ばれても生まれるのは魔物だけだ。
「これは魔物側の気の長い民族浄化に他なりません」
そのような説を大真面目に語る学者がいるのは知っていた。
「あなたは魔物側のプロパガンダに使われたのです。お気の毒ですが…」
牧師の空いてる右手が魔法円を形成しながら顔を覆う。
「来世で 幸せになってもらいましょう」
その言葉を最後に僕の意識は掻き消えた。
――――――――――――――
綺麗な夕焼けだ
あたり一面にオレンジ色が広がって
物悲しいけど暖かい
僕の好きな あの人の色だ
体が動かない あの人と見たいのに
あ ベス そこにいたんだ
どうして君の顔が逆さまに見えるんだろう
あぁ 僕は君の中にいるのか
君の一部になれるなら
それも 悪くない
――――――――――――――
スライム病院のロビーに一番大きいスライムが飛び込んできたのは
診察時間が終わった夕方のことだった。
小屋の半壊 ナイジェルの容態 誰もが耳を疑った。
トーマス・キャンベルは話を聞くなり医療器具と薬をまとめて現場に急いだ。
今日は患者が少なかったのでベスに休みをあげた事が幸いした。
この一番大きなスライムは容積を駆使した移動術が巧みでベスの次に
速く走る。トーマスを乗せたままでも驚異的なスピードで森へと急ぐ。
小屋は見る影も無く壊れていた。玄関周辺は原型すらない。
四隅の柱が一本折れているせいで全体的に傾いている。
そんな倒壊寸前の小屋の中にベスとナイジェルがいた。
一目見た時、トーマスは患者のナイジェルを見つけられなかった。
ひとしきり視線を走らせて ベスの体が異常に大きい事に気付く。
凝視したトーマスは息を呑んだ。
ベスの体に 人が一人 入っていたからだ。
この人物かナイジェルだという確証がトーマスには持てなかった。
顔が無残に焼かれているのである。一部は炭化している。
黒く煤けた顔に薄く開いた目だけが異常に白く。トーマスが医者でなければ
正視に耐えなかっただろう。体も四肢をはじめとして火傷だらけだ。
よく見ると四肢の火傷は衝撃を伴っているのに対して顔の火傷は
ただ焼かれただけといった印象だ。周囲の燃えカスもそう多くない。
トーマスは確信した。これは魔法による暴力行為である と。
しかし今は現場検証をしている場合ではない。トーマスが口を開く。
「ベス。ナイジェルの容態は?」
移動の間に変化が無かったか確認が必要だ。ベスが気丈に答える。
「皮膚の火傷による痛みのせいでショック状態を起こしていました」
「ふむ その格好は皮膚を失った部分の保護のためかい?」
「はい。生き残った皮膚の働きをトレースして組織の維持を試みています」
「うん。とりあえず現状維持。他には?」
「顔面の火傷はあくまで副産物です。この魔法の狙いは呼吸器です」
「…やっぱり。肺の状況は?」
「呼吸ができない程度に痛めつけています 苦しむように…」
ベスの目から一筋の涙が流れるのをトーマスは静かに見つめる。
「そうか…でもそれで君が間に合った。流れは僕らに来ている」
トーマスは医者にそぐわぬ獰猛な笑みで告げる。
「死神には他で働いてもらおう」
――――――――――――――
あれ 先生 いつ来たんですか
せっかくベスと二人きりだったのに
何で そんなに真面目な顔しているんですか
僕 また何かやらかしましたか
うわ その笑顔やめてくださいよ
先生がその顔の時はろくな事が無いんだから
――――――――――――――
「ここでの治療は消耗が激しい。適した環境は近くにある?」
「一族が越冬に使う洞窟があります。地熱で冬でも暖かい場所です」
「では そこに行こう」
一番大きいスライムがベスとナイジェルを乗せて慎重に移動する。
トーマスは小屋で使えそうなものを吟味して持てるだけ持つと
ベスたちの後を追いかけて走った。夕日は山影に呑まれていた。
――――――――――――――
死なせない
絶対 生きてもらう
私は 人ではないけれど
魔物だから できる事がある
だから 諦めたりしない
ずっと 一緒にいるんだ
――――――――――――――
夕焼けばかり見ている
大好きな色だけど もっと見たいものがある
ベスの笑顔だ
ベスが笑わない ずっと心配そうな顔をしている
大丈夫だよ と言いたいのに 声が出ない
夢なら覚めてくれ
――――――――――――――
目覚めの引き金は、突然の肺の痛みだった。
「がはっ!ぐっ…ぶへ!」
よだれを濃くしたような液体を吐きながら咳き込む。
「あぁ 久しぶりの呼吸なんだから ゆっくりね」
気の抜けた声が僕の興奮を若干和らげる。
「よかったね ベス。私たちは賭けに勝ったよ」
抱きかかえられている。懐かしい感触だ。
目の前で 大好きな人が 笑いながら泣いている。
「やあ ベス」
「ナイジェル おはよう 今日も薬草採取にもってこいの天気だよ」
――――――――――――――
結論から言うと
僕は2ヶ月ほど意識不明だったらしい。
ベスが全身全霊で生命維持を施してやっと生きている状態で
皮膚と肺が治るまでベスの外に出せない状況だったらしい。
最初の一週間はそれこそ綱渡りで小康状態を保つコツを掴むまで
いつ死んでもおかしくなかったそうだ。
容態が落ち着いたのを機に僕を病院まで運んで万全の体制を敷き
街の人の治療も休まなかった先生のパワーには舌を巻くばかりだ。
ベスは僕の意識が戻ったのを確認すると糸が切れたように眠りについた。
2ヶ月間僕の生命を維持し続けて、ろくに眠ていなかったと先生が言う。
僕は先生にお礼を言うとベスを抱きしめて声を殺して泣いた。
流動食が食べられるようになった頃、先生がスクラップブックを持ってきた。
表紙には飾り文字で『外周新聞ダイジェスト♪』 嫌な予感しかしない。
一つ目の記事の見出しは『灯火の想い人 襲撃 排斥派の仕業か!?』
僕がこの病院に収容された日付の新聞だ。襲撃から一週間も経っている。
怪訝な顔を読み取ったように先生が語る。
「あの日の夜中には記者が来たんだけど人命優先って事で納得させたよ」
その代わり密着取材の約束させられた♪とか余計な事を言っていた。
二つ目の記事の見出しは「驚愕! 隠された悲劇 排斥派の暴力履歴」
僕のように襲われた人が過去にたくさんいたらしい。挙げられた名前の中に
先生と街長、それに門番の人の名前までがある。先生に尋ねると
「あぁ み〜んな『親友♪』だよ」
…先生の人脈の正体はこれか。全て魔物つながりなんだ。
三つ目の見出しは…後で語ろう。
ベスと先生の行った治療について読者にわかりやすいように書いている。
傷口が常に体液で覆われていたために火傷の跡が残りにくかった事や
千切れた血管の代わりにベスの魔法で血液循環を代行していた事など
ベスの応急処置とその後の生命維持について先生からの賛辞が並んでいる。
『彼女は以前にも救命活動を行っている。私の目に狂いはなかった』
と自分が医療系に引っ張った事もさりげなくアピールされていた。
僕の命を救ったベスには荘厳華麗なな二つ名がついていた。
『舞い踊る炎の蜜薬 ベス・ザ・フレイムポーション』
それがこの記事の見出しだった。
――――――――――――――
普通の食事が取れるようになったら回復はあっという間だった。
僕が意識不明の間にベスと先生は知識を総動員して治療をした。
その内容は復帰後も視野に入れていて動かせるようになった関節は
随時ほぐしていったと言う。おかげさまで体は動くのだが衰えた筋力は
リハビリしないと戻らないので当分森まで歩けないと言われた。
僕ががっかりしているとベスが微笑みながら言ってくれた。
「春になったら 一度だけ森に連れて行ってあげる」
暖かい日が続くなぁと思っていたら突然先生が叫んだ。
「ハナミだ!ハナミをするぞ!」
どうやら外周新聞の記者から東国のホームパーティーについて聞かされて
いてもたってもいられなくなったらしい。
僕以外のみんなは用意が済んでいた。…サプライズってやつだ。
戸惑う僕はベスに抱えられて森まで超スピードで運ばれた。
森に着くと桜が満開で花びらが薄く漂っていた。
いつか見た風景。また二人で見れた幸せ。
しばし見惚れていると一番大きいスライムが先生他数名を乗せて到着した。
病院を空にするわけにいかないので花見は交代制で行うと言う。
先生は一番飲んで一番騒いで服を脱ぎ始めた段階で奥さんに殴られていた。
僕は酒を飲めるほど回復していなかったのでベスと花を見ていた。
昼が過ぎて先生が帰る時、この日2度目のサプライズをくれた。
「街長が『小屋の再建は終わった』って。今夜はベスと仲良くね♪」
到着した第二陣の中にカラステングの記者がいた。今日も人型だ
「この私が正しい花見を教えてあげます!」とほざいて大暴れする始末。
途中で見せてくれた『風の魔法による桜津波』は豪奢で壮観だった。
これで隠し芸を人に強要しなければ良い人なのに…
ベスが酒の空き瓶を片付けている間に記者からこの日3度目のサプライズ。
「奴等が何を言ったかは想像がつきます。でも、これだけは信じて欲しい」
ケタケタ笑いながらも、どこか遠い目をして記者が語る。
「我々にも魔王が何を考えているか不明なのです。魔物も一枚岩ではない」
貴重な日本酒の瓶に頬擦りしながら真面目な事を仰る。
「魔物が人を求めるのにどんな意味があるのか。我々も取材中なのです」
すっと立ち上がり爽やかに笑うと変化を解いた。黒い羽が濡れたように光る。
「あなたと彼女は答えに一歩近づけた気がします。これからもよろしく」
突風に目を閉じた隙に記者は消えてしまった。
荒ぶる花びらと一枚の黒羽が残して。
――――――――――――――
第二陣(カラステング早退)が帰り宴もお開きになった。
突然ベスが僕を抱えてゆっくり移動を始める。
なんだかとても恥ずかしいのだがベスが満面の笑みなので何も言えない。
夕焼けの綺麗な丘でベスが立ち止まる。忘れられない場所だ。
自分の足で立ってベスを軽く抱き寄せる。
ベスがそっと僕の胸に触れる。
「ナイジェル…本当に大丈夫なの?」
ベスが触れている場所には奇妙な紋章がある。
奇跡の生還を遂げた僕の胸にいつの間にか現れた印。
燃え盛る雫に見えるこの紋章が現れた時から僕の体に幾つか変化があった。
一つ目はベスの一族が使う高速言語を理解し使えるようになった事。
二つ目はスライムほどではないが水分操作の魔法が使えるようになった事。
ベスはひどく心配したが先生はニッコリ笑うと『問題なし!』と断言した。
「体は平気だよ。能力はまだ慣れないけど…きっと大丈夫さ!」
触れた手からベスの感情が流れ込んできて少し照れくさい。
「だって君と同じ能力なんだよ?なんだか嬉しくって」
僕の感情を無意識にベスに送ってしまったらしい。ベスも照れている。
「ねぇ ナイジェル これからもそばにいて…」
「僕のほうこそ頼むよ。君がいると毎日楽しいんだ」
そして僕らはキスをする。触れてるだけで溶けてしまいそうなキス。
いつの間にか夕日まで帰ってしまった。季節柄まだ肌寒い。
「小屋に行こう。街長が直してくれたんだってさ」
「うん… 知ってるよ…」
…やっぱりベスもグルか。まぁいいか。それも一興。
「久しぶりに二人っきり 今夜は何も我慢しないからね?」
「ベスさん怖いよ。病み上がりなんだからお手柔らかにね…」
再びベスは僕を抱きかかえて移動する。僕はベスのなすがまま。
やっぱりベスはわがままを言っている時が一番かわいい。
これからも僕にだけわがままを言ってくれれば それで良い。
―――――――fin―――――――
P.S
小屋の外で護衛と称して出歯亀してた輩はベスの手でボコボコにされました。
09/10/19 13:38更新 / Junk-Kids