冬の終りが近付き、春の訪れを感じ始めた町に終雪が降った。一面を白く染め上げる雪は一晩にして町を覆い尽くした。分厚い鈍色の雲は未だに雪を降り積もらせ、町をしんと静まりかえらせている。雪の積もる音さえ聞こえて来そうな静寂の中を弥彦とお華は肩を寄せ合い歩いている。目的地は稲荷亭である。この冬の季節、稲荷亭では旨い鴨肉を使った料理が出されるのだ。中でも弥彦のお気に入りは鍋焼きうどんである。
出し汁に醤油と砂糖を加えて甘じょっぱく仕立てた物へ、うどん、麩、ぶつ切りにしたたっぷりの根深を加えて煮立てる。そこへ鉄鍋で炒りつけた鴨肉を薄く切ったものを入れ、新鮮な鶏卵を落とし込むのだ。弥彦はこれへひきたての薫り良い一味唐辛子を振りかけて、汗をかきつつ啜るのが好きなのである。
寒さと空腹のせいか、二人は歩みを早めると稲荷亭へ向かった。雪はその勢いを強めつつある。

雪に紛れるようにして、二人の人影が町へと入ってきた。どちらも笠を深く被り、辺りを気にしている。その体躯からして男と女の二人組のようである。男は笠を軽く持ち上げると、辺りへ素早く視線を走らせた。そして、女に何か二、三言話すと女は小さく頷いた。男は再び視線を走らせると、女の手を引いて手近な店に滑り込んだ。

弥彦とお華が食事を済ませた頃、からりと稲荷亭の扉が開かれた。吹き込んで来た雪は、地面に着く前に溶けて落ちた。弥彦は何の気なしに稲荷亭にやって来た者を見た。一人は身成の良さからそれなりの身分と見えた。もう一人は白銀の髪に青い肌という何とも目立つ出で立ちだった。その二人は出入口近くの席に着くと静かに腰を下ろした。春が近付いているとはいえ、雪の降る日は冷えるので、そこに陣取っている者は少ない。

「ゆきおんなのようですね…」

弥彦はお華の言葉に頷くと、ちらりと男を見た。色白で身成が良い事から何処かの大店の跡取りか何かであろう。弥彦の視線に気付いたのか、男は弥彦を見ると小さくお辞儀をした。弥彦はそれに答えると、湯飲みに残った温い茶を飲み干した。そして、席を立って二人分の勘定を済ませるとお華を連れて稲荷亭を出た。


その日の夜、弥彦とお華の住む部屋を訪れる者がいた。どんどんと叩かれる戸の音に目を覚ました弥彦は、眠たげに瞼を擦りつつ戸を少しばかり開けた。ぴゅうぴゅうと吹き込む風と雪に、直ぐにでも戸を閉めきりたかった弥彦であったが、訪ねて来た者を見ると目を見開いた。

「貴殿らはたしか…」
「夜分に失礼と重々承知の上でお頼みします。どうか、私共を匿っていただきたい」

来訪者は昼間、稲荷亭で見かけた男とゆきおんなの二人組であった。その退っ引きならない様に、弥彦は二人を招き入れた。お華は突然やって来た二人組に目を丸くして驚いていたが、このままでは寒かろうと温かい茶を入れようとした。しかし、それを男が制した。

「今は訳有ってのんびりとしていられません。お気遣いは痛み入りますが…」

その時、こちらへ向かってくる幾人かの足音が聞こえた。ざくざくと雪を踏みしだく足音は一旦なりを潜めると、散り散りになった。

「ああ、ついに来てしまった…」
「宗太様、どうか落ち着きください。このささめ、どのような事があろうと共にあります」

宗太と呼ばれた男が頭を抱えていると、ささめと名乗ったゆきおんなが気遣うように寄り添った。どうやらこの二人は某かに追われる身であるようだ。
足音が隣の部屋で止まると何やら問答をする声が聞こえた。おそらく次はこの部屋へ来るだろう。弥彦はお華に二言三言、小声で言うと、やおら着ている着物の帯を緩めてややはだけた格好と成った。お華は宗太とささめの手を引くと、押入れに隠した。

「訳は知りませんが、身動ぎ一つしてはなりませんよ」

お華は襖を閉めざまにそう言うと、こちらも着物をはだけさせた。色白でほっそりとした身体の線が露になりかけると布団に入り、掛け布団で身体の前面を隠した。
ついに、足音が弥彦の待ち受ける戸口の前に来た。控えめに叩かれる戸の音が部屋の中でやけに大きく響いた。押入れに隠れる宗太とささめは互いの手をきつく握ると、息をすることも忘れてしまったかの様に押し黙っていた。

「もし、誰ぞ居られるか」

低い声が尋ねた。弥彦は声の主に待つよう言うと、戸を僅かに開いた。

「このような時間に何用か」

弥彦がやや強く言うと、男は怯む事無く返した。

「探し人をしている。身成の良い細身の男と銀の髪に青い肌の女だ」
「その様な者は見ておらぬ」
「この辺りで見たという話だ。隠し立ては身の為にならぬぞ」

男は弥彦の肩越しに部屋の中を窺ったが、行灯に照らされた薄暗い部屋の中には布団で身を隠してこちらを不審そうに見る唐傘おばけがいるのみだった。

「夜半に訪れるのみならず、覗き見るとは感心ならんな」
「これは失礼。ではおいとまするとしよう」

男は悪びれずにそう言い残すと雪の中を去っていった。弥彦は男の姿が見えなくなるのを確認すると、ぶるりと身震いをして戸を閉めた。

「もう出て来ても良かろう」

弥彦がそう言うと押入れの襖が開き、恐る恐る宗太が顔を出した。そして、安全を確認したのか顔から緊張の色が消え、もう一度押入れに隠れた後にささめを伴って出て来た。どちらも安堵の表情を浮かべている。

「宗太殿とささめ殿と言ったか…こうなった以上、訳をお聞かせ願おう」

戸に心張り棒を掛けた弥彦は、卓を出すとどっかりと座った。そこへお華が熱く入れた茶を出す。
暫し言い淀んでいた宗太であったが、ささめが卓に着くのを見ると諦めたように卓に着いた。

「宗太様、望まずとは言え巻き込んでしまったからには話さねばなりません」
「その様だね…」
「話せば長くなりますが…」

そして、ささめは静かに語り出した。


二人は元々、この町より遥か西にある藩の出だそうだ。宗太は一帯では名の通った商家の跡取りであり、ささめは彼を慕う氷精である。
二人の出会いは去年の冬の事だった。霧の大陸から吹く風が重たい雪を孕んで吹き荒れる夜、商談の帰りに帰路を急いだ宗太は普段使わぬ山道を通って雪山に迷い混んだ。最早、これまでと諦めかけた所へささめの住む小屋の灯りが見えたことで、宗太は事なきを得たのだ。それから暫くの間、逢瀬を繰り返していた二人であったが、ついにはそれが露見することとなった。商談も何も無いにも関わらず、冬の外へ出て行く宗太を訝しんだ彼の父が店の者に後を着けさせたのだ。宗太の父は怒りに怒った。宗太はいずれこの商家の後を継ぎ、然るべき相手と婚姻を結ばせようと考えていたからだ。宗太はこれに猛反発して家を飛び出そうとしたが、父に捕まり、屋敷に閉じ込められていた。
そして、幾日か経った日の事だ。その日は朝から吹雪いていた。どの家々も固く戸を閉めてじっと吹雪が止むのを待っている。がたがたと揺れる部屋の戸に辟易していた宗太は、ささめと出会った日の事を思い出していた。

「ささめは健やかにしているだろうか…」

宗太がそう呟くと、戸の揺れが一層激しくなり、ついには大きな音を立てて外れてしまった。猛烈に吹き込む雪に顔を伏せる宗太であったが、彼の視界に誰かの足が入った。何とか顔を上げると、そこには虚ろな瞳で微笑むささめがいた。

「さ、ささめ！」
「宗太様が何時まで経ってもいらっしゃらぬので、このささめ、お迎えに参りましたよ」

ささめは宗太にしなだれかかると、ふぅっと、冷たい吐息を吹き掛けた。

「宗太様を待ち、身も心も溶けてしまいそうな程に恋い焦がれた日々、この胸の切なさ、如何様にしてお伝えすればいいか…」
「ささめ…ごめんよ…」

ささめは宗太の後ろに回って着物の上を脱がし、自分も着物の上を脱いでその乳房を晒すと宗太の背中に当てた。ひんやりと柔らかな感触と、うなじをくすぐる冷ややかな吐息が宗太に人肌恋しさを募らせた。

「ああ、なんと温かいのでしょう…この温もり、手放したくありません…ですが、これが許されざる恋慕なら、あの雪山の奧深くへと宗太様を連れ去り、根雪となって二人凍てついてしまいましょうか」

ささめの細くしなやかな指が宗太の身体を愛撫し、細雪の積もるが如くゆっくりと宗太の体温を奪い、劣情を募らせた。

「さ、ささめ…」
「どうかしましたか？」

寒さかはたまた劣情からか、震える声で語りかける宗太にささめは暗い笑みを向けた。その手は休む事無く愛撫を続けている。

「に、逃げよう…誰も来ることの無い、北へ、遥か北の地へ」
「…何処へなりとも、ささめは着いて参りますよ」

かくして二人は吹雪に紛れ、逐電したのであった。



「その様な訳があったのですね…」

お華は目尻に涙を溜めて、神妙な顔で頷いて聞いていた。弥彦も神妙な顔であったが、お華のそれとは違うようである。

「あい分かった。しかし宗太殿、家の事は如何なされるつもりか」

宗太は弥彦の問いに自嘲すると、苦々しく答えた。

「家には弟がおります。まだ若いですが、商才は私以上のものです。私が居ても居なくても、店を取り仕切るのは弟でしょう」
「…では、何故二人は追われるのか」
「体裁でしょう。大店の跡取りがほだされて逐電したとあっては、沽券に関わるのでしょう」

もっとも、その程度の事で家が傾くようなことは無いでしょうが、と言うと宗太は俯いてしまった。弥彦は口を引き結んで押し黙っていたが、重々しく口を開いた。

「長屋を出て東へ行った港に、北から鰊を運んで来た商船が停まっている。その商船は北に戻るにさいし、人足を募っているそうだ」
「それは本当ですか！」

宗太はその話を聞くと、目を輝かせた。だが、弥彦の表情は暗い。

「しかし、北への船旅は長く険しいと聞く。人足の仕事も苦しいものだろう」
「構いません。もとより死中に活を求めておりますので」
「…そうか」

弥彦は自分の頬を張ると、すっくと立ち上がった。

「お華、飯と何か汁の仕度を頼む。某は着物を調達しよう。商船に乗ろうというのにその出で立ちでは目立ってしまう」
「はい、弥彦様」

そして、宗太とささめは用意された飯を食べ、古着に袖を通すと弥彦とお華に何度も礼を述べた。

「いつか、二人での生活が落ち着いたならば必ず文を送ります。弥彦殿も奥方様も息災で」
「ああ。それより、急いだ方が良いだろう」

弥彦は戸を開けると二人を急かした。東の空が赤く染まり出している。雪が止んだ今、急がねば船は出てしまうだろう。

「それでは、私共はこれで参ります。いつかまた」

宗太はささめの手を取ると、港へ向けて駆けた。朝日へ向かう二つの人影は止まる事無く駆け続けた。

「これで、良かったのだろうか…」

弥彦はだれに話しかけるでもなく言った。

「それは私にも分かりません。ただ、二人の無事を祈るばかりにございます」

南風が吹いた。暖かな春風である。冬が終わり、春がやって来たのだ。

■作者メッセージ
ヤンデレってこうですかね？いまいち分からなかったですが、こんな感じでしょうか。

タイトルに心中が入っているのは、ヤンデレのゆきおんな、冬、時代小説という単語から出て来てしまったためです。
内容が内容であるので、修正すべき所があれば遠慮なくどうぞ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。