『深い深い森の中』 |
「……ん、ん? あ、もう朝なのね」
この地域に夏しかいない渡り鳥たちが戻ってきている。 独特の鳴き声のこの鳥たちが来ることで大陸のとある地域は夏の知らせを得るのだ。 暖かくなった気温につられて肌がほんのり熱を帯び、当たる風もまたどことなく暖かい。 そんなとある土地のとある森の奥の奥、そこで一人暮らす彼女はちょっとしたわけありだ。 ―――病気? 別に病気と言うことはなく、彼女は生まれてから大きな病気になどただの一度も罹ったことなどない。 ―――大けが? 別に醜悪な傷を持っているわけではない。むしろ女性として誰もが羨む程の珠玉の美肌である。 ―――盲目? ある意味そうかもしれない。だが彼女の縦に割れる瞳を持つ、琥珀色の瞳孔はちゃんと双球ともに物を視界へ捉えている。盲目ではない。 ―――欠損? ある意味正しい。彼女はちゃんと両手がある……しかし足のあるべき場所には彼女の【人としてあるべき胴体】の三倍くらい長い藍色の鱗がキラキラ光る蛇体、蛇の下半身に覆われているから。 ―――恥ずかしがり屋? それは違う。彼女はとても気立てが良い故、誰にでも好かれるだろう。しかし大抵の人間は彼女の下半身と頭の蛇達を見て悲鳴をあげるが。 ―――では、なぜ? それは…… 「徹夜で本を読むべきではないわね。髪の蛇たちもぐったりしちゃったし」 一匹の髪となっている蛇の首根っこを片手で摘みプラプラとさせる彼女の目元にも若干クマができている。 摘ままれた蛇はただただブランコのように首をふり、時折「やめてぇ〜」と言いたげな瞳で自分の主に抗議しているようだ。 「はぁ〜、空気がよどんでるわね。換気しましょ?」 『ピロピロリィ…』 「あら、トリさんこんにちは。あまり私の目は見ないでね?」 呼んでいたであろう本に栞を挟み、彼女は蛇体を滑らせてすぐ近くのカーテンで閉められた窓をさっと退かして開け放つ。 途端、彼女目掛けてぶわっと風が流れ込み彼女の蛇たちも一気に目を覚ましたようだ。 閉じていた本たちも風に煽られて勝手にページが捲られるも彼女は一向に気にしていない。 そしてあまりの陽の眩しさで目を閉じていた彼女が再び開眼すれば、目の前の高い木の枝に一匹の小鳥がいるではないか。 ……夏にやってくるという渡り鳥が。 『ピピィ』 「うふふ、アナタはどこから来たのかしら?」 ある理由故に隠すように伸ばした前髪を揺らし、彼女は古木で象られた窓枠へと頬杖ついて微笑みながらのご挨拶。 決して鳥にすら瞳を見せることはない。 そう、この家に住み始めてこれまで、ずっと。 ―――ぐぅ〜〜…… 「あ、あら?」 朝と思っていた彼女のお腹から盛大にアルトボイス歌手張りの芯を確りさせたとある音が。 慌てて振り返った壁かけ時計を確認すれば、なんとすでにおやつ時であった。 彼女の突飛過ぎたアクションに鳥は驚き、彼女が振り返るときにはもういない。 「……お、おやつにしましょうか」 成長途中の、しかし淑女までカウントダウンに入っている彼女は、スレンダーな体つきで床を擦る度に動く彼女の腰はやはり魔物娘らしく自然と艶っぽい動きになっている。 本人は全く気にしていないが。 ボロ布と間違う程に荒れている長めのローブに身を包んだ彼女の前髪、それはなんだか目隠しにも見える。 ―――彼女がここにいる理由? 実は彼女、子供の頃に制御が効かずに男の子を石にさせてしまう。 言わば魔力制御不可による暴発だ。 それ故に…… 彼女は孤独を選ばざるを得なかった。 ―――親は? 彼女は孤児だ。 ―――兄弟姉妹は? 石にされた男の子を心配するも彼女を誰一人として慰めなかった。敵意は無かったのが唯一の救いか。 ―――石にした子は? 幸いにも彼女が去った数日後にリッチの手によって解呪されたようだ。今も心身ともに正常らしい。 「……また、みんなと遊びたいなぁ」 この森ですでに数年、人間では長い数年も魔物である彼女の尺度からすれば微々たるものである。 そんな口端にドーナッツの食べかすをつける彼女の呟きは空に消えた。 ……こんな森深くに誰一人来るはずもなくて。 「はぁ。あの子、あの後大丈夫だったかな? わ、私の魔力が残って後遺症になってないかな……だ、大丈夫かな? あぁ、きっとその時の私はアレね……」 『物語のバケモノみたいだったのかしら……』 一つだけした大きな失敗に恐怖している彼女は未だに過去を払拭できずにいた。 たった一人、誰が使っていたかわからない空き家を使いだして。 蹲って唸って。 立ち上がっては泣きだして。 泣き晴れればまた蹲って。 精神が不安定だったあの頃から今まで彼女を支えていたもの、それは旧魔物時代の魔物達をモチーフにした恐らく前の住人が持っていたであろう大量の本だった。 壁一面にずらりと並んだ本をすでに上から下まで、今までで十周するほど読んではいるが飽きることなく読んでいるみたいで。 もう戻れないと勝手に自己完結した彼女にとってこの本を読む時間こそ一番の落ち着く時であり、自分の世界に閉じこもれるから。 「……ダメね、鬱になっちゃってる。こんな時はアレを読まなきゃ」 テーブルにそっと飲みかけのハーブティーのカップを置き、椅子から腰を離して向かったのは『恋物語』が多く揃っている棚だった。 「……今も、今ももし彼が生きていたのなら……こんな本の中みたいな恋をしてみたかったなぁ」 密かに好きだった男の子。 彼女の中ではあの時のまま時間が止まっているので彼の安否などわからない。 ―――(物語の中でしか安著できない私。物語の中でしかいないアナタ。) ―――(この無機質な世界に憧れる、それくらいなら、これくらいなら許してくれますか?) 彼女にとって精一杯の我儘、それは本の中で彼と彼女に登場人物を置き換えて想像というより妄想をすること。 突飛な物語の未来は果たしてどんな事を描いているのか。 胸の内に膨らむ妄想は止めどなく。 ―――(いっそ、ノックでもしてやってきてくれないかな?) その時。 『トン……トントン……』 ―――なんと本当に彼女の住んでいる家の扉をノックする音がしたのだ! 「っ!? ぇ、ぇっ、ぁっ!?」 『……トントン』 「……あれ? いない、のかな?」 再びされる扉のノック。 彼女にとって、この家に住み始める際の確認時に彼女がしたノック以降聞くのも久しい乾いた木の音。 彼女はあまりの驚きに、恐怖に、混乱した。 ―――(ぇ、だれ? 誰ダレだれ? 男の人?? 誰!?) ノックの後のしゃべり声。 声変わりの後だろうか、若々しいテノールボイス。 慌てふためく彼女は蛇体を引いて後ずさり。 しかし運悪く飲みかけのティーカップをひっかけてしまい、読みかけの本諸共に机をお茶まみれにさせてしまう。 「っっ! あ、ぁぁ、ど、どうしよう……!!」 一体何に対してか。 机、ドア、机、ドア。 視線を行ったり来たり。 忙しなく慌てる彼女に同調して髪の蛇たちもソワソワ、ソワソワ落ち着かない。 ―――「目を合わせると石になってしまう」 今さら、何故か今さら親のその言葉がよみがえる。 ……彼女の両親に聞いたこと。 子供の頃から聞かされ、すでにその頃から目はそうなっていた。 ……知らなかったその頃の髪はもっと短かった。 旧世代の物語の中なんかじゃいつも怖がられる種族ばかりだった。 ……そんなこと知っている。 『トントン』 「っ!!」 またドアをノック。 緊張の為? それとも恐怖の為? 彼女の体は一向に動いてくれない。 ガタガタ震え出し、背中を壁にぴたりとつけた体勢で。 『トントン……あれ? 鍵あいてる? えっと、すいませんお邪魔します』 「っっっ!!!!!」 いつもいつも彼女は一人だった。 それは決して比喩ではなく。 彼女の家の周りに人はおろか魔物もいない。 動物もいない。 いるのは動かぬ太い幹の木々だけだ。 それ故に、普段から家に鍵をかけるなどしない彼女。 ……今、まさにこの時、彼女は自分の迂闊さを再認識させられた。 ―――「目を合わせると石になってしまう」 「っ! だ、ダメっ! 私を……目を見ないでっ!」 また咄嗟に浮かび上がった母の言葉。 彼女は殆ど無意識のうちに両手で目を覆うとその場にうずくまり、蜷局を自分にまきつけて拒絶の意を相手に伝えた。 「え、ぇ?」 「わ、私の目を見ると石になっちゃうわ!」 彼女にいきなりそんなことを言われれば誰だって驚くだろうに。 彼もまた例に漏れず。 彼女は下を向き、目もとじて、両手でさらにガードをすると自然に蹲る形になるのだが彼女は気づいてないのか? ある意味間が抜けた彼女に対して彼は何の億尾も見せず、戸惑うことなくかつかつと革靴の重い音を響かせてゆっくり近づいてゆく。 近づく足音に彼女は敏感になりさらにガードを固くしたのだが…… 「あっははは!! そうか、石になってしまうのか!! ……ふぅ。大丈夫だよ」 「っ! い、いゃ! 手を、手をどけてっ!」 「大丈夫だよ。僕は【あの時】確かに石になったけど……大丈夫。そんなに怯えなくてもいいんだよ?」 彼は彼女の両手をそっと握り、膝をついて屈むとゆっくりと彼女のガードを解いていく。 ゆっくり、ゆっくり。 そよ風のように語る彼は決して彼女から無理やりに剥がそうとしない。 そう、あたかも【彼女を元々知っている口調】で。 「ぇ? え? あ、あぁ、う、嘘っ……!」 「嘘じゃないよ」 「ぇ、ぇぁ」 完全に手が彼女の両手から除けられた時、彼女の耳には確りと聞こえていた。 あの時、と彼はそういった事を。 まさかと、お願いだからと、幾度となく駆け巡る彼女のなんとも言い辛い感情がとうとう彼女の目を開けさせた。 確認したい。 この目で。 また。 ―――(まさか、アナタなの?!) 再び目を開けた先にいた彼。 彼女の記憶から引き出されたあの彼をずっと大人にしたイメージ。 妄想の中で愛を語り合ったあの顔。 ベットに寝崩れて愛の言葉をささやきあったあの顔。 悪い敵を懲らしめると言って出ていった凛々しい鎧姿のあの顔。 毒を盛られて眠っている彼女に解呪のキスをしてくれたあの顔。 ドクン。 「あ、あぁ……!!」 「やぁ、久しぶりだね。すっかり綺麗になったみたいで」 「ぁう、ぅあ゛……ご、ごめ゛ん、な゛ざい゛……ごめ゛ん゛な゛ざい゛っっ!!」 驚き一色だった彼女の中で何かがはじけた。 その途端、彼女は彼に体重を預ける様に前のめりに倒れると彼をがっしり抱きしめ大声を上げ泣きだしたのだ。 しかも泣きながら謝るという、なんともはや。 彼の方も「やれやれ、ずいぶんな泣き虫になったなぁ」と呆れ口調なのにどこか嬉しそう。 「大丈夫。謝ることないよ」 「僕はここにいるから」 「もう泣かないで」 「気にしてないよ」 彼女の心に染み入る様に、彼は坦々とにこやかに喋っては彼女の背中をポンポンと軽くたたく。その度に少しずつ。 少しずつ。 彼女の中に長い間溜まっていた黒い氷が少しずつ。 彼の言葉で少しずつ。 少しずつ。 涙と一緒に少しずつ。 ゴメンの言葉と一緒に少しずつ。 少しずつ。 ―――彼女の後悔を流していった。 「っぐすっ……えぐっ……」 「ふふ、落ち着いた?」 「う、うん」 落ち着きを取り戻した彼女は今まで自分がどんな体勢でどんなことをしていたか、冷静になって 考えだして頭から湯気を出し彼をドンと突き飛ばし「あ、ご、ごめん!?」とあわあわ。 そんな彼女が面白いのか彼は再び笑い「大丈夫だよ」と笑顔で答え彼女を少しでも安心させようとしたが、彼女はと言えば再び赤面してあわあわ。 そんなやり取りを暫くつづけ、最終的にテーブルに備え付けてある椅子に座るということに落ち着いたようで。 「へぇ、ずっとこの家で?」 「うん。みんな元気かな?」 「うん。みんなして帰りを待ってるよ。と言うわけで……さぁ、ウチへ帰ろうよ」 椅子から立ち上がりエスコートの意味でそっと手の平を差し出した彼。 彼女自身の中で残っていた蟠りもすっかりとれている以上、この家にいる意味は最早皆無である。 ならば答えは…… 「……うん♪」 彼の手を握り返したその瞬間、暗がりになり始めていた部屋の中に明かりが灯された。 時間になると勝手に魔法で明かりが点くというものだが、これは前のオーナーの細工らしい。 「もう夜か。外は少し寒いからこれを着なよ」と差し出されたコートと彼の優しさを着込んで再び進む彼女。 さっと玄関の扉を開けそのまま彼女の手を引いて玄関を潜った彼、その彼に続き彼女も潜ろうとした、その時。 ―――あなたがまた迷ったときはここで待っているから。 「……?」 「ん? どうかした?」 「あ、うぅんなんでもないの!」 あの時なにか、そういわれたような気がした。 その時の彼女の眼には光源の光の揺らぎで照らされる、彼女が幾度も読み返した本だけだったのに。 気のせいだ、と片付けて彼と一緒に外へ出た彼女はそっとドアを閉めた。 ―――ありがとう、と一言添えて。 あれから数年。 舞台となったその家で……。 「ぱぱぁ! ままぁ! だいすきぃ!」 「ふふ、私もよ♪」 「元気があってよろしい! その元気はパパに似たかな?」 御昼前の森を手をつなぎ家へ向かい歩く三人。 夏風が今日もまた吹く。 彼がくれたフードを少しだけ揺らして。 手をつなぐ子とおそろいのフードを揺らして。 【完】 |
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今回のSSを書くきっかけになったのは『空想フォレスト/じん』でした。
原曲の地点ですでにメデューサちゃんの事、と聞いて腕が勝手に…!! ただ原曲の歌詞通りには書けなかったのでアレンジ込みまくりですが…なんとか原曲に近くできたとはおもいましゅ(震 いかがでしたか? 感想などおまちしておりましゅ…! p.s. 感想返せていませんがちゃんとよんでますぅ!ありがとうございまぁぁす!! 13/07/17 08:27 じゃっくりー |