『不良妖狐ときままな買い物』 |
「何々、葱に豆腐に白滝に牛蒡に牛肉……今日はすき焼きですか白光様っ♪」
顔に笑顔をべったりと張り付けた妖狐が一人、長い長い神社の石段を軽快な下駄の音を響かせて。 太陽が中点に向かって登り始めるたばかりの時間に、やや速足で千早を纏う巫女さんが降っていく。 草履を履かずにカランコロンと鳴らす下駄、足取りに合わせてキラキラ輝くもの。 それは半分に切られた左耳に態々穴を開けてつけた輪っかになってる翠の石、翡翠でできた大陸でピアスと呼ばれる耳飾り。 ……ここに住むことになった時に【白光(しかり)】という白い九尾の妖狐から送られた大切なものである。 鼻歌を歌って気分上々の妖狐さん、彼女の名前は【梅香(ばいか)】という。 紆余曲折を経てここに住んでいる彼女だが、気が付けば白光に続いて古株の部類に入っているのだから時間の流れは早いものである。 そんな梅香も今日、梅雨明けした後の珍しく晴ているこの日、盆地独特の湿気と気温を尻尾を湿らされて鬱陶しいと思いながら歩を進めていく。 ミンミンミンミンと喧しい蝉の声を背景に石段を下りきると、見えてくるのは木造建築の二階建ての宿屋の集合地。 朝から昼にかけてのこの時間にいる客などもういないので閑散としたものだ。 しかし、その風景は二つの丁目の境道を跨げばすぐに変わる。 あれだけ閑散としていた同じ道なのに、ちらほらと露店が出てきたからだ。 そしてその露店も歩けば歩いた分だけ増えていき、大通りの裏通りまできて見ればそれはもう足の踏み場もないほどに。 「おはようございます梅香さん!」 「おはようございます姉御っ!」 「おはよう梅香様!」 これから昼の刻に差し掛かるためにじりじりと太陽が元気になることで上がる気温。 先ほどより一段と焼かれる空気を肌と肺に感じて歩き続ける彼女に周りからは元気よく挨拶が飛んでくる。 …朝市が終わって昼市になる切り替わり時でもある。 ただの挨拶でしかないのだが彼女は必ず一つ一つの声に「おぅ!」「きばんなよ!」「おはようさん!」とちゃんと返すあたり律儀なのだろう。 その挨拶と喧騒の多い大通り、中央街道を歩いて材料を巡ろうと商店を除いていたところで彼女はちょっとした顔見知りを見つけた。 その顔見知りは辺りをきょろきょろと忙しなく首を振って何かを探し出そうとしているようで、首や体と一緒にふりふりと二本の細い尻尾や耳が動いているのはなんとも愛嬌たっぷりである。 「はぁ、またかぃな」 その顔見知りは本来この場所には絶対にいないはず、故に一緒にもう一人がどこかにいるはずである。 しかしながらそのもう一人の影は一向に見えない為、仕方なく彼女は落ち着かないその人物へと溜息を一つし話しかけることにしたようで。 「鈴歌(すずか)ぁ、また逃げたの? あの馬鹿花魁……」 「ぇ? あぁ、梅香さん! おは……おっと、こんにちはです。はぃぃ、またなんですよぉぉ」 「そう、またぁ」 馬鹿花魁と遊郭の最高位である誇りある称号の花魁に馬鹿をつけるなど不届きであるが、その関係者である2本の尻尾を持つネコマタの彼女はさして害した様子もなく妖狐の彼女にわんわん泣いてしがみ付いてきたのであった。 耳をぺたりと垂らせて尻尾を逆毛にするネコマタに対し「よぉしよし♪」と頭を撫でてそれを受け入れる妖狐である。 だが、実は大方の検討がついているのだ。 ……しかし、妖狐もその花魁の事情を知っていて且つ花魁自体がその事を秘匿にしていることもあって今の今まで口を割ったことはない。 「たぶん……もうすぐお昼だからきっとそこらにいるんじゃないかな?」 「ぐすっ、と言いいますと?」 綺麗な着物で着飾っていても涙のせいで化粧がボロボロになっているのがわかっていないのか、顔を上げて妖狐を見るときには白粉がほとんどなくなっていた。 ……涙交じりで声を上げたネコマタにちょっと胸の内がときめいた妖狐だった。 「ほら、きっと安芸(あき)のところじゃない?」 「……わ、わかりました! そっちに行ってみます!!」 「あ、化粧は直していきなさいよ?」 懐から懐紙を取り出してネコマタの彼女の目元を拭き上げる妖狐の尻尾はゆらりゆらり、と心の内を表すようにゆっくりと揺れて、ネコマタの方も「うにゃん♪」と嬉しそうに尻尾を揺らしていた。 そうして「ありがとうございます」と言うお礼と共にネコマタは再び走り去ってしまったのだが、すぐにジョロウグモの化粧屋を見つけて駆け込んだのは余談である。 「さて、買い物の前にお昼を……ん? なんだあのデカい影」 「はいはい」とにこやかに手を振って見送った彼女は時間が時間だったのでお昼を取ろうと歩き出したのだが、不意に目の前の人垣から頭一つ飛び出る影を見つけて疑問の視線を向けてしまう。 ……確かに、人や妖狐などから見て頭一つ分大きな物の怪がいるではないか。 「おぉぉ、ウシオニかいな。でも随分と萎らしおらしいけど」 自分の記憶違いでなければ、と頭の中で思い描いた特徴と比較して…察するにその種族はウシオニであった。 「珍しいこともあるもんだ」と一人完結した彼女はそのまま何事もなく歩き出して一路、『狐路〜きつねみち〜』まで移動を開始し、ものの数分で予定してたとこに着いてしまう。 「あ、いらっしゃ」 「はいはい、ご苦労さん。勝手に座らせてもらうよ」 「え、あ、あのっ」 紺の暖簾に「狐路」と銘打たれたそれを潜って引違戸をあけ、案内嬢を無視して一直線に彼女は何の気兼ねもなく料理をする板前さんの見える対面席へと深々に腰を据えて目録表に目を通す。 「あのぉ、案内の娘を無視するのはいかがなものかと?」 「うん? あぁ、すまんね安芸」 「はぁ……では何時もの『宵ヶ淵(よいがぶち)』で?」 目録を睨み付ける様に見て決めかねている彼女に対して溜息交じりで声をかけてきたのは着物の袖を括り、割烹着を身にまとい、手拭いで髪をまとめていた如何にも料理人な妖狐である。 彼女は台所側からそう声をかけるも客の巫女妖狐は目を全く向けず、かわりに尻尾を二房振ってこたえるという不躾よう。 しかしこれが常であるのか再び溜息を吐いて諦めた様子で板前妖狐はそのまま奥へと引っ込んでしまったのだった。 その時、渇いた音を出す引違戸が開けられて店に誰かが入ってきたことを知らせてくれる。 「失敬、安芸さんはいますか?」 「あら? お奉行さん?」 「……ケッ、何しに来たんだか」 ちょうど酒を巫女まで持ってきたところ、そこで先ほどの来訪者を告げる戸の擦れる音がしたので巫女と板前共々視線をそちらへ向ければ……なんとこの街のお奉行様である黒い妖狐【禮前(らいぜん)】がおり、その場に私服であろう瑠璃色の着物を着て店に足を踏み入れたところである。 悪態をつく巫女妖狐を尻目に案内嬢に案内された禮前のその腰の据え場所はやはり、というか当然のように悪態をついた巫女妖狐の隣であった。 「よぅ、オブギョウサマ」 「おぉ? 誰かと思えば片耳の梅香サンですか?」 「……あぁん!? やるんかぃなっ!! ワレぇ!」 売り言葉に買い言葉。 最初に仰々しく言葉をかけた巫女妖狐に対して黒妖狐も鼻で笑うように投げ返す。 暫くの沈黙の後、案の定この黒妖狐に対してだけ堪忍袋の緒が切れ易い巫女妖狐が声を張り上げ、黒妖狐の胸ぐらをつかんで眼を敵意丸出しで睨み付けてしまった。 先ほどまで和気藹々と話をしていたほかの客も黒々とした、強大な妖気丸出しの梅香のせいで空気が一気に鉛のように重くなり沈黙をせざるを得ない。 対して涼しい顔の禮前も表情を一切崩していないものの、こちらも普段小さくしている九本の尻尾を元の大きさに戻して逆毛だち、梅香に負けず劣らずの強大な妖気を出して威嚇をすれば尚のこと重い店内の空気に。 「はい、喧嘩するなら出禁にしますよ?」 「うっ」 「くっ」 鉛どころか石の壁に閉じ込められたような空気を一気に消し去る鈴のような声がどこからともなく発せられた。 ……板前妖狐が発した声である。 自分の店の良さを理解し、常連である二人に対して釘をさすようにさらりと仏頂面で告げるとどうだ、二人とも一瞬固まってすぐに何事もなかったかのように着席したのであった。 勿論それに伴い膨れ上がっていた二人分の妖気は綺麗に霧散したのだ。 そして再び戻る和気藹々の喧騒…店主である安芸がこの店では最強である。 と、その時。 「梨花さまぁぁあああああああああっ!!見つけましたよおおおおおおっ!!」 「……あぁ、入ろうとしてたのか? 梨花のヤツめ」 「……いつもながら、な展開だな」 「はい、どうぞ。なんだか風物詩ですね?」 「あぁ、全くだ。……くぅぅ! 安芸の水精霊で冷やされた酒はうんめぇなぁ!」 お互いに顔をそむけ合う禮前と梅香は何気なく語り合うところへすかさず安芸が一言。 暖簾の外からひときわ大きな声、先ほどまで巫女妖狐に泣きついていたネコマタの娘の声が響き渡った。 その後に二人分の草履と下駄の音と共に「待って梨花さまああああぁぁぁぁ!!勝手に出歩かないで下さいぃ……ぃぃ……」と叫び声が遠ざかって行ったのを板前妖狐が持ってきた酒をちびちびと飲みながら聞いた巫女妖狐である。 その漫談のようなやり取りを聞いている途中、再び引違戸が開けられて多くの影がぞろぞろと店内に入ってきた。 「いらっしゃいませー!!ってあれ?異人さんですか?」 「はい……そうじゃないのもいますけどね」 「五名様ですね……一名はウシオニさんですか……」 そんな時にふたたび開いた扉をまた見れば、なんと今朝方目についたウシオニの御一行がいるではないか。 「ほぅ、ウシオニか……」 「そんな珍しゅうないで……」 「この街にもいらっしゃいますね?」 「おぅ、北区におるで!」 机に向かって顔を俯かせていた禮前と梅香は横目でちらりとそちらを見て再び視線を戻し、口角を少しだけ上げてぼそりとつぶやきあった。 いつの間にか出されていたお冷を持っていた黒妖狐に対し、適度な突っ込みをする板前妖狐、悪態をつかないでまともに答える巫女妖狐。 ……うち一人は出来上がったのか、地の喋り方になっているけど。 「あとは……ん? あの白髪の娘はリリムではないのか?」 「ぁん? 禮前みとぉに【千里眼(せんりがん)】もってないから。そんなん、わからへんがな」 「えっと……去年の秋ごろにいらした方と同族の方ですか?」 呆れたように言い返す巫女妖狐に全く触れずに禮前はもう一度その集団へと視線を移すと【琥珀色だった瞳が紅蓮の炎より赤い緋色に輝き】、すぐにまた琥珀色に戻って机へと向き直った。 ……禮前は奉行という役職に就く上で人や魔物娘の嘘を完全に見破らなければならず、その真意を見定めるために元々の体質である【極限の集中力】を昇華させて身に着けた技である。 自分の妖気を全て目に集中させることで【その者の本質】を見分けるのだ。 ……それがたとえ道化を演じきる腹黒な役人や強欲商人、完璧な変装をした刑部狸や【リリム】であったとしたも。 「かもしれん。確証はないが……家族やもしれんな」 「はぁ?」 「まぁ……確かめてみようかしら?」 実は当たっていたりもする。 ……観察力もずば抜けている禮前であった。 「……アタイは居たらダメなのか?」 「あ、いえ、そうではありません!この店ではお客様を選ぶことはありませんから!!」 「え……じゃあ今なんで……」 「えっと……下半身が少し大きいので広めのほうがいいかなと思ったので……」 わたわたと腕を左右に振って否定的な意見を出す妖狐の案内嬢。 ……見ている分には非常に微笑ましい。 「まぁ、あんだけデカイんと普通の店入れんちゃうん?」 「むぅ……確かにそれはあるかもしれないな…よし、今度調べさせるか」 「期待して入っても椅子が無くて食べれませんでした、では確かに悲しいですものね」 腕を組んでうんうんうなる黒妖狐、頬杖ついて伊都息入れる巫女妖狐、頬に手を当てて眉をひそめる板前妖狐……まさに三者三様の意見である。 「気分を悪くしたのなら謝ります!!」 「あ、だ、大丈夫です!アタイの勘違いですから!!」 「そうですか……ではお座敷のほうにご案内します!」 「はい、おねがいします!」 どうやら話が通じたようで五人(?)はそのまま奥へと通されていったのだった。 「あ、そうだ安芸さん……膳の値段の事なんだけど?」 「鬼奉行様の頼みでも安くしませんよ」 「……せめて御奉行様と呼んで下さい……それに逆です。目安箱でももっと高くてもという声が多いのですよ……」 「あら?それはまた面白い意見ですね。でも値段を変える気は無いですよ」 思い出したかのように袖から束ねられた嘆願書を取り出しそれを見せる禮前に、安芸は「やはり」という表情で苦笑いをしつつそれを聞き流し再び調理の為に台所へと戻ってしまった。 がっくりと肩を落とし「またダメか……」と細々とした声を出す禮前はそのまま机へと顔を伏せてしまい全く動かなくなってしまう。 その時の耳と尻尾も力なく垂れているのは言うまでもなく。 「あっはは! 何時ものことやろぅ? 気にせんでえぇねん!」 「ぅぅ、分かってはいるが……ん? なんだ梅香、お前買い出しか?」 「ん? おぅ、白光様が直々に使いを言いよってくれたん。なにか?」 「いやな? ここ、【豊泉さんの団子と最中】って……ここでゆっくりしてていいのか?」 いつの間にか袖から落ちてしまったのか、床に落ちていた紙切れを目ざとく見つけた黒妖狐はすっと手に取って軽く読み上げた途端に巫女妖狐に対して心配の声を上げたのだ。 ……紙を見られても怒らなかったのはそれぐらいで壊れるような浅い間柄ではないためである。 しかし問題はそこではなく、書留の下方に「出来たらでいいので…」と申し訳ないという意思がひしひしと伝わる文面で黒妖狐が読み上げた内容が書かれていたことだ。 それを黒妖狐から聞いた途端にピタリと空にお猪口を止めたまま、上機嫌だった巫女妖狐は見る見る顔色が悪くなって尻尾が暴れ出し、禮前が拾い上げたその書留を掠め取り、穴があくほど凝視してより一層顔が蒼くなった。 「……安芸っ! 【活狐天(かこてん)】!! お猪口一杯分でもえぇから、はよぉ!」 「え、あ、は、はい!」 「ぅ、まだ有ったのかあの酒」 禮前にはも最も苦い思い出のあるお酒。 その酒とは【大吟醸・活狐天(かこてん)】というもので、年にジパングへ入ってくる量が一升瓶五〇本入ってこれれば良い方だという大陸産ジパング系の酒では超稀少酒。 霧の大陸で酒池肉林をしている妖狐の魔力とサバトでの薬物実験で偶然生まれたその酒は「夫を一時的に女にしてオシオキしたい」「もっと毛艶をよくしたい」「夜とかのここ一番で頑張りたい」という願望を詰めたまさにハイブリットな品である。 妖狐の魔力を主成分としてたっぷり使っているので効能は折り紙つき。 ただし【あくまでも一時的】であり、【性転換中に魔力を流し込まないように】という注意書きがあるので飲用量とかはきちんと守りましょう。 肝心の味は、栓を開けてもあまり匂いを感じづらい。 しかしそれは数秒だけでその後にやってくるのは…辺りがいきなりたわわに実る秋穂の中にいるのを錯覚させる米独特のにおいがくるのだ。 続いて口に含めばまるでスライムの如くねっとりと口内を湿らせていき、喉の奥まで到達するのに通常の酒の倍かかる。口に広がるのはまだ米の香りである。 ただし喉を過ぎたら【妖狐の魔力】が一気に膨れ上がりイグニスがつくる業火に並ぶ、と例えられる熱が今まで通ってきた道を焼き焦がすように一気に激しく燃え上がる。 用量が適量であればカーッ、となる程度だが少しでも多いと…体全体が沸騰する感覚に陥いるいわば毒薬どころか劇薬に近しい酒なのだ。 この沸騰状態と言える状態になると人間男なら性転換、人間女なら即座に妖狐、魔物娘(モフ系)だったら体内の際簿が激しく活性化されて発情状態一歩手前まで進んでしまう。 その他の種族であってもモフ系魔物に等しい恩恵があるそうで。 ……故に禮前の夫である瑠璃は酒瓶に書かれていた禁則事項を守らなかった為に起きた事故でもあるが、それはまた別のお話。 「はい、どうぞ」 「おおきにっ!」 そうこうしているうちに 奥からお猪口一つだけをお盆に乗せて安芸が現れて梅香まで小走りするのと同時に、梅香は立ち上がってお猪口をぶん取り一気に呷った。 すると一拍の間をおいて梅香の体中、全身の毛という毛が一瞬で逆毛立ち、溢れる妖気も先ほどの禮前以上に濃いものへと変わったのである。 「ふぉぉ! 白光様ぁ! 今、梅香が買うてきますぅぅぅぅぅぅ!!!!」 「あ」 「あ」 意気揚々、と言えば聞こえがいいが巫女妖狐は大声を張り上げて店の入り口めがけて走り出して勢いそのまま扉に突っ込んで破壊してしまった。 ばきりっと大きな音をたてて、原型を留めぬほどに木端微塵になった引違戸にその惨劇が見える位置にいるまわりの客からも禮前や安芸と同じように口をあんぐり開けて呆けてしまう。 しかしそれをお構いなしに彼女はただただ走って…姿を消してしまったのである。 ……その扉を壊される時、中から「何コレ!?美味しいって言葉じゃ全然足りない位美味しい!!」「おいしー!あまーい!!」と同じくらい大きな声が聞こえたのは余談である。 で、当の梅香はというと? 千早をはためかせ、緋袴を土埃で少し汚しつつ、必死の形相で大通りを駆け抜けていく妖狐。 たとえ今、妖狐に対して声をかけたとしても無視されるだろう。 用事があって呼び止めようものなら「じゃかしぃわぁボケェェ!」と鉄拳が飛んでくること請け合いである。 ミンミンという声に交じってジリジリジリジリという音も混ざってきたこの時分、すでに妖狐は宵ノ宮の大通りの大門を潜り抜け終わって砂利がたっぷり詰められた街道を走る、走る、走る。 どこかの城仕えなのか、見事な家紋が入った羽織を着て街道を心地よい蹄の音をたてて快走するケンタウロスですらあっさり抜いて、その事実に呆けるケンタウロスを置き去りにするほどに。 ……空を飛ぶハーピーの飛脚便ですら抜くのではなかろうか? そしてものの半刻(一時間弱)、走りに走って走りぬき、たどり着いた近隣の街。 宵ノ宮ほど大きくはないけれども、それでも大きな町と言って過言ではない。 その町の大門を通り過ぎ、この街の大通りを走りぬく。 しかし、急に方向転換して大通りと直下角に交わる道へ踏ん張りながら足を後ろへ蹴りだし、勢い殺さず綺麗に通過した。 その急激な方向転換を幾度も繰り返したその先、日除けの大きな簾のかかる二階建て長屋のある一角を見て「よ、よしっ! 店ぇ開いているわぁ!」と思わず漏れる感嘆の声。 ……その町の中のとある老舗の和菓子店、【豊泉(ホウセン)】にシルフ以上の速度で駆けこむ白と赤の服を着た黄色の弾丸。 大きく肩で息をするその黄色い塊は、あまりの速度で走った為にべったりと衣服を汗で張り付かせて妙に艶っぽいのだが、それを気にするような男衆は残念ながらここにはいない。 衣服だけではない。 自慢の金色の尻尾も湿気と汗のせいでぺちゃりと表面積を小さくさせてしまい、耳もいつも以上に輪郭がくっきりと出る程にへ立っているのがわかる。 しかし、重ねて言うがそれを見て発情するような男衆はここにはいない。 ……なぜならおやつ時ちょっと過ぎた時間でほとんど客がいない店内に店番であろう老婆が一人いるだけだから。 「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……ほ、豊泉のぉだ、団子ぉ……あとぉ、も、最中もぉ……ぜぇ……」 「誰かと思ったらぁ梅香さんじゃぁないですかぁ!」 団子などが並ぶ餡子独特の匂いが漂っているこの店奥にてお茶を啜っていた一人の老婆は梅香に気付き、木製の番台へと湯呑を置いて、全然まがっていない腰を伸ばして立ち上がり、息切れ激しい巫女妖狐へとそそくさと歩み寄っていき、肩をとんとんと軽く叩いて笑顔で歓迎したのだった。 対して梅香の方も慣れているのか「わ、りぃねぇ…はぁ、はぁ…」と触られていることに然程嫌悪感は感じられない。 寧ろ笑顔で安心したような表情で礼を言うのだから。 老婆に促されて引き出してもらった座椅子にそっと腰を落として「ふぅ」と溜息を一つする梅香。 その額には珠玉の如き大玉の汗が無数にあったが、気を利かせた老婆が「おつかれさまさねぇ」と何処からか持ってきた手拭いで拭いていたものであっという間にカラリと渇いてしまった。 これにもまた梅香は礼を述べるのだが「きにしなさんなぁ」と一笑されてしまうが、それどころかいつの間にやら老婆の手元には湯呑が二つあったので「…本当にすいません」と再び地の喋り方でなく人当たりの良い【いつもの梅香】になってしまっていた。 「……あ、そんでぇ今日は〜何にするの?」 「ふぅあっ!? えっと……串団子詰め合わせと黒餡最中を…」 「どの煎餅を詰めていくんだぃ?」 老婆も空いていた座椅子を引きずって来て、強い日差しが入らないように立てかけられた簾をかいくぐってくる涼風に火照った体を冷やす梅香の隣へと座り軽く談笑を始めた。 ……いつもは白光自身がふらりとやってくるか、その時付き添いで梅香が一緒にやってくるのが常だったために梅香と老婆の二人での会話は双方にとってちょっと新鮮だったようでとんとん拍子に話が弾んでいる。 しかし、そのまったりとした時間の中で不意に本題である買い物の話を振られた梅香はちょうど湯呑の中身の昆布茶を飲み終えたところで、急に話をふられたされたものだから尻尾をビンと張って驚いて危うくむせそうになっていた。 ちょっと赤く頬を染めて、照れ隠しの為かやや早口にして「これと、これと…」と指をさして商品を指定していけば、「はいはぃ」とこちらもニッコリと笑顔でそれらをひょいひょいと拾い上げては和紙でできた紙袋へと笹の葉で巻いて的確に、且つ丁寧に隙間なく詰めていく。 そのやり取りを経て詰めた団子は述べ二十八串、小豆最中に至っては三十四個である。 …勿論一袋では入りきれないので二つに分けての梱包であった。 「ありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそぉ〜毎度ありぃ」 「ではまた……あ、冬の大根最中。あれは必ず食べに来るのでっ! 楽しみにしてますよ!!」 まだ夏なので日が高い。 その赤くなるにはまだ早い太陽の下へと再び出た梅香はすぐに振り向いて軽く会釈をすれば、「またきなさぃな」と店先まで出てきた老婆に笑顔で手を振ふられ送り出された。 老婆の暖かいおもてなしに梅香もつられていい笑顔になって「はい、またいつか!」と自信満々に答えて豊泉を背に宵ノ宮へと走り出したのであった。 「……いつも元気だねぇ、宵ノ宮のお狐様達は」 梅香の背中が見えなくなった頃、不意に漏らす老婆の独り言は誰にも聞かれることはなかった。 その表情をうかがい知ることはできないが、どこか声質が憂いを帯びたような…いや、気のせいだろう。 「師匠、団子焼きあがりましたよっ!」 「おや、随分と早く焼ける様になったんだねぇ? 歓心したよぉ」 「ぃ、いやぁまだまだですよぉ」 そんな老婆に突如として声がかかった。 後ろから、店の簾を潜って出てきたその男に掛けられたのだ。 老婆が何事かと振り向けば作務衣姿に手拭いを頭に巻いた男が手袋をつけてそこにいた。 ……老婆の店で働くたった一人の従業員である若い男である。 「あの人には焼き具合を見てもらったのかぃ?」 「はい。でも【アイツにも食べて評価してもらえ】と…」 「はいはぃ。いいですよぉ、食べてみましょぅ」 二人そろって店内へと戻っていけば、時を待たずして「うん! 合格っ!」との声。 さらに待てば店内からは今までの空気を塗り替える様に甘い、仄かな香りが店の外にまで漂い出して、それにつられてやってきたお客様。 ……また今日も忙しくなる豊泉であった。 ……一方、こちらはというと? 「はぁ〜やっと帰ってこれたぁ〜」 と、溜息一つするのはおなじみ巫女妖狐の梅香である。 そんな安緒もつかの間で、一刻(二時間)走り続けてやっと帰ってきたのだが街へ入る為に大門を潜った瞬間に「あっ! 食材っ!!」とはっとした表情になって立ち止まりすぐさま夕市が間もなく開催されるであろう中央街道へと走り出した。 ……まだまだ日は白々としており、赤くなるのは当面先のようだ。 「う、流石に多いわぁ……まぁ、買えたからえぇけど……」 ほどなくして市場に到着したがやはり夕飯支度時、人が波のように蠢いていた。 その荒波の中へと梅香は難なく体をもぐりこませて目的の物を素早く手短に集めて行けば、あっという間に買い物が終わってしまった。 ……ほとんど走ったままの為か、梅香は少々疲れた様子である。 「はぁ、気づいてよかったぁ〜」 「あれ? 梅香さんかい?」 「ん?……おぉ! 瑠璃(るり)と禮華(らいか)じゃないか!」 買い物が終わって近くの茶屋にてまた一息ついていると人混みの中から良く見た顔が二人、梅香の座った赤布がかかっている長椅子へと歩み寄ってきたではないか。 一人は瑠璃色の毛並みの四尾の妖狐。 毛並みに合わせてか暗い感じの色合いの着物であるが帯に金糸を使っているので暗い感じはなかった。 続いて黒い毛並みの一尾の妖狐。 ……どことなーく、どことなーく、昼間に見たような顔であるが? 「どうしたん? 夕餉の買い物かいな?」 「(梅香さん、酒飲んでるな?)ま、まぁそんなところです」 「私はちょうど給仕の仕事が終わった所に瑠璃父さ…母さんがいたので一緒に」 瑠璃と言われた妖狐の手元を見れば、確かにどっさりとした風呂敷にたっぷりと野菜が入っていた。 対して禮華と呼ばれた黒妖狐はというと、確かに仕事終わりなのか手提げ巾着一つだけである。 「そういえば禮華、また禮前に怒られたのか?」 「う゛っ」 「ははぁん? たがらかいな、頭が膨れてんねぇ?」 瑠理がジト目で見やれば、バツが悪いのかプイッと顔を反らす禮華。 その様子を「えぇ玩具が来よったわぁ♪」という隠す気なんて更々無い表情の梅香。 「また迫ったんだろ? あんまりやり過ぎると…最悪自宅でお説教四刻(八時間)になるぞ?」 「うひぃ…ちょっと勘弁したいなぁ…」 「あっはは! そんなに溜まっとるんなら」 長椅子からすくっ、と立ち上がった梅香が禮華のとこまで歩みつめてそっと黒妖狐の顎下に人差し指の腹をあてた。 梅香より一寸ほど身長が低い、後ろ髪を跳ね上げて凛とした顔の禮華の顎をくいっと上げさせて更に梅香は艶のある声で「くふふ♪」と笑った後、顔を禮華へと徐々に近づけて…… 「んっ……ぱぁ、くふふ♪ ウチが相手したるさかぃ、いつでもきぃな♪」 「んぁ……は、ふぁぃ……梅香……お姉さぁん……♪」 「うぉい!? 何、人ん家の娘を誘惑するんだっ!? 禮華もっ!! そんな恋する乙女の視線をするんじゃないっっ!!!」 深い口づけを送った巫女に対して、目を見開き尻尾も逆立っていたはずの黒妖狐は次第に尻尾が垂れはじめ、ついでに目じりも垂れ下がる。 やがて口を離す頃にはもうすっかり骨抜きにされたのか、蕩けた表情と熱い眼差しを梅香に送る禮華であった。 ……近くにいた瑠璃はそれはもう酷い取り乱しようであった。 四本の尻尾すべてが不規則にうねって逆毛立ち、喉の奥から低い声の悲鳴のような声を上げて耳を忙しなくはたはたと上下させて猛抗議してはいるものの……二人はそんなの関係ない、とまたどちらからともなく口づけを交わしあってすっかり自分たちの世界へと入ってしまったのだった。 それから暫くして? 「いやぁ〜やりすぎてもうたわぁ♪」 こころなしか、肌の艶張が良くなった梅香は禮家と別れて帰路の途中である。 まだ酔いが抜けず西ジパング方面独特の話し方になっているが、これが地なのだからしょうがない。 辺りはすっかり赤からろら先に変わっており、ヒグラシすらも鳴きやんで静かになったものであるが、盆地の熱はそう簡単には抜けない。 なので気温と湿度はまだ高く、甚平や浴衣で出歩く人々の首にはしっかり手拭いが巻かれているのもまた風物詩か。 「ふぃ〜……ん? あのウシオニ、昼間のかぃな?」 朝通った宿場町へと差し掛かったその時のこと。 昼間に安芸の『狐路〜きつねのみち〜』にて店員と問答していたあのウシオニと小さな白い髪の淫魔(?)達が通りの中央でおろおろとしているではないか。 「なんやろ? 宿でもさがしとるんかな?」 暫く傍観していた梅香の結論は正しかった。 彼女たちは宿の前まで来るとそのうちの別の誰かが止めに入り、また別の宿でまた別の人が止めに入る、という見ていて怪しいことこの上ない状態である。 「……はぁ、みてられんわ」 溜息を一つ、盛大に大きくした後に怪しい集団へと歩みを続けていく野菜やら両手に手荷物満載の巫女妖狐。 勿論、そんな主婦然とした巫女服の人が近づいてて気づかない道理は無いわけで。 「あ、あのぉ何か用でしょうか?」 「ぁん? 怪しい動きしている集団が気になったから声かけただけや」 「ぅ……やっぱりアメリたち、へんにみえてたんだ……」 真っ先に気付いたのは以外にもモコモコとした白い毛の多い魔物娘であった。 「……ちっぱい、やなぁ」などと内心思いつつ梅香は思っていることをサラリと包み隠さず言うわけだが、仮にも初対面なので口調はやんわりとした感じである。 そして直に言われたことで顔を俯かせ、「あぁ……」「やっぱり……」「せやからいうたやん……」という声と落ち込む面々であった。 「んで? アンタら何しとん?」 「あ、えっとですね? 宿の場所を教えてもらったのですが……どの宿かわからないんですよ……」 「ぁぁ……やっぱりかぃな……」 そして案の定、宿がわからなくて迷子になっていたようだ。 それもそのはず、この口逢神社参道通り(くちあわせじんじゃさんどうどおり)は近隣の街でも屈指の宿場である為に数多くの宿屋が軒を連ねているのだから。 ……その数は現在利用可能な宿だけで八十軒あり、建設途中や準備中も含めれば百軒にものぼる。 迷っても仕方のないことである。 「誰から教わったん? それによっては値段がちゃうし……」 「えっとね! ルリってヨウコのお姉ちゃんからっ!」 「瑠璃かいな! せやったら……あぁもぅメンドイっ!! 口で言うのもなんやから、ウチの後ついてきぃ!!」 ニッコリと笑って一行を先導するように前へと出て歩き出す妖狐に「はぁい!」「あ、ちょちょっとアメリちゃん!?」とすこし遅れながらも後ろをついていく面々。 やがて六分の一刻(三十分)ほど歩くと見えてきた宿屋を指さして梅香が「アレや」と優しく教えたのだ。 「ありがとうございます!」 「えぇって、困ったときはお互い様やん? それよりも空き部屋確認してきぃな」 「あっ、は、はぃ!」 たどり着いてお礼をする面々にケラケラと笑って尻尾をふるりと揺らすそのしぐさはまさに世話焼きの姉御である。 「……ねぇ、ヨウコさんの名前は?」 「ウチの名かぃ? ウチは梅香言うんよ。アンタは?」 「アメリだよ!」 梅香の案内のお蔭でたどり着いた宿前にて「部屋が空いてるか確認してくるね」と白いモコモコの魔物娘と連れの男(?)と商人みたいな女(?)が一緒に宿の中へと入っていった。 そして残されたのはウシオニと白い髪の娘である。 だが不意に白い魔物の娘、アメリちゃんから声を掛けられて簡単な自己紹介をすることになったのだが、何故かずっと梅香の顔を見続けるアメリちゃん。 ……視線の感じるところは顔より高い所であるが? 「……な、なんや??」 「バイカさん、そのお耳……」 「ん? あぁ、片耳は珍しいやろ? これは…悪戯しすぎてお殿様に切られたんよ」 「オトノサマ?」 このまま「はい、さよなら」なんてできる雰囲気でなくなった梅香は暫しアメリちゃんとお話をしてほかの面々の帰還を待ってあげることにしたみたい。 その間、元来の姉御肌が起因してかアメリちゃんとの会話が思いのほか弾んでしまい、気が付けば他の面々が戻ってきた後であった。 「すいません……」 「えぇねん、えぇねん♪ 気にしぃなって♪ あ、そやアメリちゃん」 「ふみゅ?」 サマリという少女(アメリちゃんから聞いた)に抱き上げられたアメリちゃんに対して梅香はそっと自分の短い耳に手を当て、音もなくその煌びやかな翡翠の円環を取り外したのだ。 そしてその円環はすっとアメリちゃんの前に差し出されて、きょとんとするアメリちゃんに梅香はこう言った。 「アメリちゃん、ウチはアメリちゃんの事を気に入ったで! せやからまた会うと約束してコイツを預けておくわ……【白光(しかり)様】【禮前(らいぜん)】【私】や【宵ノ宮の妖気】にさらされ続けた【妖狐の魔力をたっぷりと吸い込んだ】この円環をな♪ 何か困ったら使ってもええんよ?」 「えぇ?! いいの!?」 「おぅ!! せやから……ちゃんと会いに来てなっ♪」 話上手なアメリちゃんをこの短時間で甚く気に入った梅香は自身の宝物である翡翠の円環をアメリちゃんにあげたのだ。 腕輪ほどもある大きな円環を何の気兼ねもなく渡す梅香にあアメリちゃんは「わぁぁ♪ ありがとう! バイカお姉ちゃん!」と非常に嬉しそうである。 「ほな、ウチはこれで帰るでぇ」 「うん! またあおうね!! バイカお姉ちゃん!!!」 手を振る面々にニッカリ笑顔と尻尾で答えて梅香は再び帰路へと戻り、あっという間に神社の社務所の台所へとついた。 そこではすでに下準備をしていた白光と他の巫女服を着た面々、それと白光の旦那である黒江がいて…… 「す、すいません白光様っ! 故あって遅くなりましたっっ!!」 「……ふふっ♪ 何か良い事でもございましたか? 梅香さんの顔が綻んでいますよ?」 今日あった事、それら全てを準備が整ったすきやき鍋をつつきながら話す梅香は終始笑顔だったらしい。 巫女仲間からもそのことを弄られつつも梅香はこう思う。 『たまぁには、買い物もえぇなぁ…♪』 【完】 |
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あけましておめでとうございます!(遅
狐年もよろしくお願いしますコンコン(>ω<) さて、作品中ごろにて出てきた『豊泉(ほうせん)』。 こちらは『初ヶ瀬マキナ』様の著、『孤独のレシピ〜とある淫魔(リリム)の食事録(レシピリスト)』内に出てきたあのお店であります! 使用許可、ありがとうございます! そして今回冒頭で説明いたしました通り『マイクロミー』様の著『幼き王女ときままな旅』にてコラボさせていただいたのでそのお礼に書かせていただきました!! マイクロミーさん! おかしい所はございませんか!? さてさて、いかがだったでしょうか?(´・ω・) 感想などお待ちしております…(汗 13/01/15 22:33 じゃっくりー |