リリムと四つの国(後編)
旅は出会いと別れの繰り返しだ。
それは私の散歩も同じ。
アルバとチェロの二人から揃って今夜は泊まっていけという誘いを丁寧に断り、ラブク国を後にした。
「さて、まずはロックね」
セスタールに到着した私はアルバが言っていた店を探し始める。
セスタールは先程までいたソロニーより規模が小さいようで、そのせいかほとんどの建物同士が密着している。
建物の作り自体はいいのだが、全体的にごちゃごちゃした感じの街だった。
魔界にも似た感じの街はあるが、人の世界でこういう街を見るのは初めてだ。
だから少し新鮮だったりする。
ただ、時刻は夕方になろうとしていた。
さっさとロックを見つけないと店を閉められてしまうだろう。
そうならないうちに店を見つけなくては。
「場所を尋ねたいのだけど、ロックという店を知っているかしら?」
私は地面に短剣やナイフを広げていた商人に声をかけてみた。
「ロック?ああ、ヒルダさんのとこか。それなら東門から広場に向かう通りにある。大きい店ではないが、通りに面しているからすぐにわかるだろう」
「そう。ありがとう」
かまわないよとばかりに片手を上げて挨拶する商人に礼を言うと、私は広場へと向かった。
時間が時間だからか、広場にはそれほど人がいなく、代わりに酒場と思われる建物から料理のいい香りと賑やかな声が聞こえてきた。
そんな酒場を横目で見ながら広場を抜け、東の通りを進む。
広場に続く道なだけあって道幅は広く、様々な店が軒を並べていた。
そんな中に件のロックもあった。
「ここが…」
看板に古めかしい文字で『ロック』と書かれているので間違いないだろう。
店の扉は閉まっているが、閉店している感じではないのでまだ営業中なはず。
私は店の扉に手をかけると鍵はかかっておらず、普通に扉が開いた。
よかった、まだ営業中だった。
内心ホッとしながら私は店内に入る。
武具屋なだけあって、壁には様々な武器がかけられ、入り口脇には見事な鎧が飾られていた。
「いらっしゃい」
そんな声がした方を見ると、無表情なミノタウロスがこちらを見ていた。
この人が店主のヒルダらしい。
アルバの話では結構な頑固者らしいが、受け取った書類を見せれば話くらいはしてくれるはず。
私は商品である武具には目もくれず、彼女のもとへ歩み寄る。
「少し話を訊きたいの。いいかしら?」
私が声をかけると、ヒルダは怪訝そうな顔になる。
「うちは武具屋だ。買う気がないならさっさと帰んな。小娘の相手をするほどあたしは暇じゃないんだ」
つれない態度だ。
まあ、予想してはいたから別にいいのだが。
「買い物をしに来たわけではない点については謝るわ。それと、これを」
アルバからの紹介状を懐から取り出してヒルダに渡す。
「これは…」
ヒルダは紹介状を開き、中の文面に目を通す。
大して長い文ではなかったらしく、すぐに顔を上げると彼女はため息をついた。
「あの男がこんな紹介状を書くとは、あんた何者だ?」
疲れた顔でヒルダはこちらを見る。
それに対し、私はフードを外して顔を出すと、軽く会釈する。
「初めまして、ヒルダさん。私はミリア。見て分かるかもしれないけど、サキュバスよ」
「ミリア、ね。あんたはあたしを知っているようだけど、一応自己紹介しようか。あたしはヒルダ。それとさんは付けなくていい。敬語は嫌いなんだ、よそよそしい感じがしてね」
「わかったわ。じゃあ、ヒルダ。あなたに訊きたいことがあるのだけど」
「ジオのことだろ?紹介状に書いてあるよ」
ヒルダはつまらなそうに紹介状をひらひらさせる。
どうやらアルバが気を利かせてくれたらしい。
「ええ、その通りよ。彼の、いえ、親子の行方を知らないかしら?」
「あいつの行方なら知ってるさ。うちで品を仕入れてここから北東にあるペースド国に行ったよ」
その発言にはさすがに軽いため息が出てしまう。
また国を越えたのか。
なんというか、張切りすぎではないだろうか。
「ペースド国ね…。やっぱり儲けるため?」
「そうだよ。ただ、なにもそこまでしなくてもいいだろうとあたしは思う」
それは私も同感だ。
これでは国巡りではないか。
「まあ、それだけ娘を思っているということでしょう。それで、詳しい行き先はどこかしら?」
「それを聞いてどうするんだい?」
「私は伝言を預かっているから、それを伝えに行くのよ」
クリスから伝言を頼まれた時は、ここまであちこちに行くことになるとは思わなかったが。
ところが私の言葉にヒルダは顔を険しくする。
「悪いことは言わない。ペースド国に行くのはやめときな」
「それはなぜ?」
「あの国はこの四つの国で唯一の反魔物派の国だからだ。当然、魔物は入国を禁止されている。入れば死刑だ。ジオ達は人だから問題ないが、あんたは違う。いくら伝言のためとはいえ、わざわざ命を賭けてまで行くところじゃない」
なるほど、そういうわけか。
ただ、そうなると疑問が出てくる。
「あなたが行くなという理由は分かった。では、なぜペースド国は親魔物派の国を放置しているの?彼らにとって私達魔物とそれに関わる人は全て邪悪な存在のはず。戦争になってもおかしくないと思うのだけど」
「戦争にならないのはお互いが持ちつ持たれつの関係だからさ。なんだかんだ言っても連中は他の国との付き合いなしにはやっていけない。まあ、それはどの国にも言えることだがね。だからお互い不干渉ということで四つの国は成り立っているのさ」
そういうことか。
ヒルダの説明で私は納得する。
「国同士の関係は分かった。だからこそ訊きたいのだけど、なぜジオ親子はペースド国にわざわざ売りに行ったの?」
ペースド国は反魔物派の国。
そんなところに魔物や親魔物派の人が作った武具を売りに行ったところで全く売れないと思うのだが。
だが、ヒルダはあっさりと答えた。
「儲かるからに決まっているだろ」
「儲かるの?」
ヒルダがなんでもないことのように言うので、私は思わず訊き返していた。
「ああ。他はどうか知らないが、この四つの国に関して言えば儲かる。それも驚くほどな。あんたも魔物だから分かると思うが、あたし達魔物が作った物の方が、人が作った物より質がいいことが多い。ドワーフの細工物だったり、アラクネの織物だったりな。そういった魔物が作った物はペースド国では信じられない値段で売れる。ジオがわざわざ向かったのもそれが理由だ」
どうやらこの地域だからこそ出来ることらしい。
ただ、それでも疑問は残る。
「売れるの?魔物が作った物が?」
普通なら反魔物派の国に魔物が作った物を持ち込もうとすれば犯罪扱いになるはずなのだ。
一体どういうことなのだろう?
「ああ、売れる。あんたはこう思ったんだろ?魔物が作った物が反魔物派の人に売れるわけがないと」
まるでこちらの心を読んだかのようにヒルダはそう言った。
それに対して私は素直に頷く。
「まあ、普通はそう思うだろうな。だから同じ疑問を持ったヤツが訊いてみたそうだ。なんで魔物とは取引しないのに、魔物の作った物は買うのかとな。そしたら連中はなんて言ったと思う?」
おもしろくなさそうにヒルダが尋ねてくるが、反魔物派の人の考えなど想像も出来ない。
だから私は首をかしげる。
「連中の言い分はこうだ。『物は邪悪ではないから』だと。全く馬鹿馬鹿しい」
ヒルダはたった今そう言われたかのように不機嫌そうな顔になる。
ただ、私は向こうの言い分もわかってしまう。
物に罪はない、ということなのだろう。
例え剣で誰かを殺しても、罪に問われるのは剣ではなくその剣を使った者なのだから。
それと同じ理屈で、魔物が作ろうと作られた物は邪悪ではない。
反魔物派らしい考え方かもしれない。
魔物から見れば屁理屈でしかないが。
「ご都合主義ね」
「そう思うだろう?」
私の理解を得られたからか、ヒルダは少しだけ表情をゆるめた。
それに合わせて私も微笑むと、逸れた話題を戻す。
「話を戻すけど、ジオ親子はペースド国のどこへ向かったの?」
「悪いが知らない。なにしろ魔物は入国禁止だからな。街の名前を言われたってどこかにあるかも分からないよ。だからあたしが知っているのはペースド国に行くまでの行方だ」
最終的な行き先はヒルダでも分からないということか。
それでも途中までの行き先を知っているなら充分だ。
またそこで行方を尋ねればいいのだから。
「じゃあ、それを教えてもらえる?」
「物好きだね。酔狂というか、奇特というか…。まあそれはいい。あいつが向かったのはペースド国との国境に最も近い街、エンデだ。そこからペースド国に向かうと言ってたよ」
「エンデね。ありがとう。じゃあ今度はそこで尋ねてみるわ」
私はこれでお暇しようと踵を返す。
そんな私にヒルダが声をかけてきた。
「なあ、一つ訊いていいかい?」
「なにかしら?」
私が肩越しに振り向くと彼女の真剣な目がこちらを見ていた。
「なぜ、そこまでする?あんたはあの親子とはなんの関係もないはずだ」
「幸せになってほしいからよ」
「そんな理由であんたは動いているのか?」
その問いに私は振り向くと、微笑みながら返事を返した。
「誰かの幸せを願うのはいけないことなの?」
その言葉にヒルダはハッとしたように目を見開く。
「…野暮なことを訊いたね。引き止めて悪かった」
「いいえ、気にしないで。じゃあ、私はこれで」
そう言って店を後にする。
次はエンデか。
店を後にした私は少し歩いたところで足を止める。
今のところ彼らの足取りは追えている。
だからこそクリスに手紙が届かなくなったことが気になる。
各国を渡り歩いていたにも関わらず、一年以上も手紙はちゃんと届いていた。
それが急に届かなくなった理由はなんだろう?
返事を書けない理由でも出来たのだろうか?
「あまりいい感じはしないわね…」
空を見上げればもう陽が沈みかけている。
今からエンデに行っても大した情報は得られないだろう。
とはいえ、この街ではもう得られる情報はなさそうだし、行ったほうがいいかも。
そう判断した私は転移魔法でエンデへと飛んだのだった。
エンデは静かな街だった。
夜だからというのもあるが、全体的に落ち着いた雰囲気の街。
それが私の感想だった。
とりあえず酒場にでも行こう。
情報収集のついでに食事も出来るしね。
そんなわけで適当な酒場に入った。
酒場は時間が時間だからか、テーブル席に空きはなく、カウンターしか空いていなかった。
街によっては酒場は賑やかな場所もあるが、ここはどちらかというと静かな場所のようだ。だから店内も賑やかというよりは談笑を楽しんでいるというほうがしっくりくる感じだった。
私はカウンター席に座ると、目の前にいるマスターらしき男に声をかける。
「少し話を訊きたいのだけど、いいかしら?」
そう話しかけると、男は無言で笑いながら人差し指を立てた。
一杯頼めということだろう。
情報の対価としては安いものだ。
「ぶどう酒を」
私が注文すると、男はすぐに持ってきてくれた。
「どうぞ」
目の前に置かれたぶどう酒にそっと口を付けると、香りも味も良かった。
レナの作った酒といい勝負かもしれない。
「それで、訊きたいことというのは?」
「大したことではないわ。最近のペースド国の動向を知りたいの」
私の質問は意外だったのか、男は少し驚いた顔になった。
「動向ですか。それはまた奇妙なことを訊きますね」
「そう?ちょっとした世間話のつもりなのだけど」
「そうですね。特に真新しい話や噂は聞きません。あるとすればペースド国の傭兵が国境付近で見かけられたということくらいですか。それもだいぶ前の話ですが」
手紙が届かなくなったことから、戦でもあったのではと思ったのだが、男に嘘を言っている様子はない。
となるとジオ親子は無事にペースド国に辿り着いたということだろうか?
あれこれと考え事をする私に男は「それと」と付け加えた。
「それと?」
「これはペースド国のことではありませんが、数か月前からこの国の小さな村がいくつか襲撃されています。襲われた村はどれも壊滅、犯人は捕まっていません」
「なぜそんな話を私にするの?」
私の問いに男は苦笑を浮かべた。
「あなたの望む情報の価値がそのぶどう酒の価値とは不釣り合いだったので。それくらいペースド国については情報が入ってこないのですよ。国境に最も近いこの街でさえね」
「そう…」
返事を返しながらも、私の頭の中ではある仮説が浮かんでいた。
もし、壊滅したという村にジオ親子がいたとしたら?
そう考えると手紙が来なくなった理由としてぴったりと当てはまってしまう。
そしてそれは最悪の事態。
そうあって欲しくはないが、そんな最悪の可能性もあり得るのだ。
「亡くなった人達はどこかで確認できたりする?」
「もちろん。遺体は近くの街が回収して弔ったそうですから、その街の市民議会にでも問い合わせれば教えてもらえるはずです」
「で、その街はどこにあるの?」
「ここから南西にあるグラードという名の街ですよ」
グラードか。
明日確認に行ったほうがいいかもしれない。
「そう、分かったわ。話は変わるけど、この街に宿はいくつあるかしら?」
「宿ですか。宿の数は四つです。泊まるのでしたら、北通りのコーリスという宿がお勧めですね。部屋は綺麗だし、値段も良心的です」
男は宿と聞いて私が今夜泊まる場所を探していると思ったのか、そう説明してくれた。
だが、私は泊まる場所ではなく宿の数が知りたかったのだ。
ジオ親子はヒルダの店で品を仕入れたのだから、この街では恐らく武具は仕入れないはず。
となるとここへはペースド国へ向かうための通過点として立ち寄ったはずだから、少しは滞在していたのではと予想したのだ。
つまりここでは宿で彼らの行き先を尋ねるべきだろう。
宿の数が四つだけというのは幸いだ。
行方を尋ねる先は少ない方が時間を無駄にせずに済む。
明日は朝から動くことにしよう。
今後の予定を決めた私はそのまま酒場で食事を済ませ、勧められたコーリスという宿に向かった。
「いらっしゃい。お泊りで?」
扉を開けて中に入ると満面の笑顔で店主が迎えてくれた。
「ええ。一泊したいのだけど部屋は空いてる?」
「もちろんでございます。では、部屋に案内させていただきます」
「その前に一つ尋ねたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「ええ、かまいませんよ。なんでしょうか?」
店主が話を聞いてくれるようなので、私は要件を告げた。
「この宿にジオという男と若い娘の二人組が泊まったことはないかしら?」
「ジオ、ですか…」
私の問いに店主は首をかしげるが、すぐにハッとしたようにこちらを見た。
「ああ、ひょっとしてあの人かな?」
どうやら思い当たることがあるらしい。
店主はカウンターから宿泊台帳を取り出すと、パラパラとめくり始める。
そしてあるページを開いたところで手が止まった。
「この方ですかね?」
そう言って宿泊台帳を見せてきた。
そこには『ジオ 他一名』と記されていた。
日付は半年と少し前。
間違いなくジオ親子だろう。
まさか泊まろうとした宿で話を聞けるとは思わなかった。
「ええ、そうよ」
「ああ、やはりそうですか。戦士のような方だったのでよく覚えていますよ。この方がどうかしたのですか?」
「彼に伝言を預かっているのよ。だからどこへ向かったか知らないかしら?」
ジオ親子がペースド国に向かったことは分かっている。
だから知りたいのはより詳しい行き先だ。
「詳しい行き先までは残念ながら。ただ、ペースド国に向かうとのことでしたから恐らくエトールに向かったのではないかと」
「それも街なの?」
「ええ。国境を越えたら最初に辿り着く街です。ペースド国に向かう人のほとんどが最初に向かう街ですから、恐らくそこへ向かったのでは」
なるほど、それなら可能性はありそうだ。
ペースド国にある以上エトールも反魔物派の街だろうが、よほどのことがない限り侵入してもバレない自信はある。
だから明日はまずエトールへ向かおう。
後はそこでどれだけ情報を得られるかによって、グラードに向かうか決めればいい。
「こちらになります」
部屋に案内され、一泊分の宿泊料を渡すと店主は去っていく。
「明日には追い着きたいものね…」
ベッドにもぐり込んだ私はそう呟き、目を閉じたのだった。
クリスもそうだったが、商人の朝は早いらしい。
扉を開け閉めする音で私は目が覚めた。
目覚めたのだが、少し寝足りない気がする。
だから目を閉じて去ってしまった眠気を呼び戻そうとするが、二度寝が出来ない私には無駄な努力だった。
「やれやれ…」
ため息とともに体を起こす。
どうせ二度寝なんて出来ないのだから、無駄な努力をして意味のない時間を過ごすよりはさっさと起きた方がいい。
まだ起きていない頭でそう判断し、気持ちを切り替える。
よし、行動開始と行こう。
ローブを身につけ、部屋を後にする。
私が案内されたのは二階の部屋で、階段を下りると店主がテーブルを雑巾で拭いていた。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
起こされなければもっとよく眠れたのだけど、とは言わなかった。
「それはよかった。ああ、お急ぎでなければすぐに簡単な朝食を用意しますがいかがします?」
「じゃあ、お願いするわ」
「かしこまりました」
店主はうやうやしく頭を下げると奥に引っ込んでいった。
そして持ってきたのはパン、バター、牛乳、一口サイズにカットされたチーズ、リンゴ丸ごと一つというものだった。
はっきり言って多すぎる。
確かにどれも調理の必要がないものだが、朝からこんなに食べられるほど私は空腹じゃない。
とはいえ出されたものに手を付けないのも悪いので、申し訳程度に食べておけばいいだろう。
そう思って食べ始めた時だった。
「そう言えば今朝早くにいらしたお客さんから聞いた話なのですが、何日か前にセスタールからほぼ東、ここからだと南に当たるローチの村付近でバイパー傭兵団を見かけたと言っていましたね」
おしゃべりが好きなのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、店主はそんなことを言ってきた。
「バイパー傭兵団?」
振られた話を無視するのも悪いので、私はその部分を復唱する。
「おや、ご存知ないですか?狙った獲物は必ず仕留めるということで、味方にすれば頼もしく、敵に回すとこれほど恐ろしい集団はいないと言われるペースド国出身の傭兵団ですよ」
店主は丁寧に説明してくれたが、私にとってはあまり興味を持てない話だ。
「ペースド国の傭兵さんがこの国になんの用かしらね」
「それはアレじゃないですか?最近この国の村が相次いで襲撃されているじゃないですか。国が犯人を捕えた者には懸賞金を出すと公言しましたから、それが目当てなのでは」
そういえば昨夜、酒場でもそんな話を聞いた。
懸賞金まで付けるということは、想像以上に深刻な問題のようだ。
出来ればそちらも手助けしたいところだが、今の私には優先しなければならないことがある。
なので襲撃事件については一旦保留にするしかない。
出来ることならそのバイパー傭兵団が解決してくれるといいのだが。
「なら、その傭兵さん達に期待しましょ」
私はそう言って立ち上がる。
パンは完食したので朝食はこれで終わりだ。
なにより、このまま座っていては店主の話に付き合うことになりかねない。
「ごちそうさま。そろそろ行くわ」
「そうですか…。では、またのご利用をお待ちしています」
どこか残念そうな目の店主に見送られながら、私は宿を後にした。
外に出ると早朝なだけあって空気が新鮮に感じられる。
「さてと」
まずはエトールだ。
ただ、反魔物派の街だからすぐ傍に転移して目撃されたら言い訳出来ない。
よって少し離れた位置に転移することにした。
エトールから少し離れた平原に転移した私は辺りを見回し、誰もいないのを確認する。
問題はなさそうだ。
平原にある道をしばらく進むと街が見えてきた。
そして到着したエトールでは当然のように見張りが街の入り口にいたが、堂々と歩いて行ったら簡単に通過できてしまった。
すんなりと街に入れたのはいいのが、見張りは少し怠慢な気もする。
まあ、困るのは私じゃないから別にいいのだけど。
そんなことを思いながら私は酒場に向かう。
朝の鐘が鳴って間もないが、私が見つけた酒場は開店していた。
さすがにこの時間では客はおらず、店内は静かだった。
「おや、朝一から客とは珍しい」
冗談めいた声でそう言ったのはカウンターの奥にいた若い男。
それ以外に人影はないのでこの男がマスターなのだろう。
「じゃあ、その珍しいお客さんと少しおしゃべりしてもらえるかしら?」
「へえ、女とは意外だね。けど、歓迎するよ。少なくとも野郎よりはよっぽどね」
そう言って悪戯っぽく笑う。
そんな笑顔にこちらも軽く笑うと、カウンター席に座る。
「さて、どんなお話をお望みで?」
「その前に水をもらえるかしら?歩きっぱなしで今さっき到着したところだから、喉が渇いてるの」
「おっと、これは失礼」
マスターはわざとらしくおどけると奥へ行き、すぐにグラスを持って帰ってきた。
「どうぞ、お嬢さん」
目の前に置かれたグラスには薄い紫色の液体がたっぷりとつがれていた。
どう見ても水ではない。
「私は水をお願いしたはずだけど」
「声から察するに美人みたいなのでサービスだよ。あ、それとも酒は苦手だったかな?」
美人は得をすると誰かが言っていた気がするが、これもそうなのだろうか?
ただ、ペースド国にいる以上この人も反魔物派なのだろう。
正体を明かしたらどんな顔をするか見てみたい気もするが、今はふざけている場合ではない。
「いいえ。じゃあ、遠慮なくいただくわ」
ぶどう酒へと口をつけると、マスターは満足そうに頷いた。
「いやあ、やはり美人に飲んでもらえると嬉しいね。で、肝心の本題は?」
「ちょっと人を探しているのだけど、戦士のような外見をした男と若い娘の二人組を知らないかしら?」
「ひょっとしてそれは商人の親子だったりするか?」
意外な返事だ。
私としては見た覚えがあればいいくらいの気持ちで尋ねたのだが、マスターはこちらの予想以上にジオ親子について知っているらしい。
「その通りよ。なにか知っているのね?」
「知っていると言えるかは分からないが、つい最近立ち寄った傭兵がそんな話をしていたのを覚えているよ。バイパー傭兵団という名でね、うちの国じゃ結構有名な連中なんだが、話ぶりじゃその親子を追ってるみたいだったかな」
その言葉に私は少なからず困惑する。
私がマスターに尋ねた二人組といったら、恐らくジオ親子しかいないはず。
しかし、なぜ傭兵があの親子のことを追うのだろう?
「なぜ傭兵が商人を追うの?」
「さすがに理由は分からないな。ただ、商人が追われる理由は限られているからね。借金を踏み倒したとか、商品を持ち逃げしたとかじゃないかな」
その意見はもっともなもの。
ただ、私は会ったことはないが、話を聞く限りではジオはそんなことをする人ではない気がする。
それなのに追われていた。
理由は分からないが、いい感じはしない。
「…ありがとう。もう行くわ」
「なんだ、もう行くのか?もう少しお話しても…」
立ち上がり、足早に酒場を出て行く私にマスターの言葉はほとんど耳に入っていなかった。
頭に浮かぶのは今朝の宿の主人の話。
数日前にローチの村付近で見かけられたというバイパー傭兵団。
その傭兵団に追われていたというジオ親子。
これらの情報からは、どう考えても良い想像は出来そうもない。
酒場を出た私は細い路地へと入っていく。
辺りに人目がないのを確認すると、ローチの村へと転移した。
空は今日も快晴だ。どこまでも続く青は見ていて気持ちがいい。
晴れ渡った空だけを見ていられたなら、ずっと穏やかでいられたことだろう。
そう、空だけを見ていられたなら。
ローチの村に到着した私は絶句した。
そこにはかつては建物だっただろう残骸があちこちにあった。
中には無事なものもあるが、多くは焼かれて原型を留めていなかった。そのせいか、焼け焦げた匂いがする。
家がそんな状態だから、そこに住んでいた者達も無事なはずがなく、あちこちに遺体があった。
「なんでこんなことを…」
これがこの国で起きている襲撃事件なのだろう。
顔を歪めながら、私は村へと入っていく。
この村は魔物と人とが共に暮らしていたらしく、人だけでなく魔物の遺体も見受けられた。
昔、教団の粛清にあって壊滅した街を見たことがなければ、間違いなく胃の中のものを吐き出していただろう。
それくらい酷い光景だった。
それでも私は村の奥へと進む。
なんで奥へと進んだのかは分からない。
ひょっとしたら予感があったからかもしれない。
広場らしき場所に着いた時だった。
そこに倒れている一人の遺体が目に入った。
歳は40半ばといったところで、短い金髪。
そして、コインに似た首飾り。
それが分かった時、私の鼓動が一際大きく鳴った。
息を飲むと、ゆっくりとその人の傍に行く。
既に事切れているのは一目で分かる。
私はそっと首飾りに手を伸ばした。
その裏には『愛する父へ マリアン』という文字が刻まれていた。
「この人が…」
認めたくないが認めるしかない。
この人こそがジオなのだと。
私はそっとその頬に手を触れる。
当然だがそこにぬくもりはなく、あるのは生気を失った冷たい肌。
現実は甘くない。
それは理解している。
それでもこの現実はあんまりだ。
なぜ娘の幸せを願った父が殺されなければならないのだ。
やり場のない思いをこらえながら立ち上がろうとした時だった。
辺りに警笛が鳴り響いた。
その音に続いて近くの建物から男達が次々に飛び出してきた。
どうやら見張りがいたらしい。
村の惨状を目にしてすっかり気配を探ることを失念していた。
私を取り囲むように男達は包囲の輪を作る。
私を包囲した男達はどう見ても傭兵だ。
この人達がバイパー傭兵団なのだろうか?
私が油断なく辺りに神経を張り巡らせていると包囲の一部が崩れ、一人の男が姿を現した。
身に付けているものが他の人と比べて豪華なので、恐らく頭だろう。
「ほう、まだ生き残りがいたか」
頭はつまらなそうにこちらを見た。
「あなたが頭ね?」
こちらの問いに頭はおっという顔になる。
「女か。そうなると、殺すのはとりあえず保留だな」
「どういう意味かしら?」
私の問いに頭は初めて笑った。
まるで大事な秘密をばらすような笑みだった。
「簡単なことだ。お前が人間で、なおかつ器量の良い女だったなら殺しはしない。だが、普通の女だったり魔物だったなら死んでもらう」
「器量が良かったら、あなた達の玩具として生かしてもらえるということかしら?」
私の言葉に頭は笑みを強める。
「それは違う。俺達は依頼されたことをするだけだ。人の、それも器量の良い娘だけを連れて来いという依頼をな。さあ、そのフードを取って顔を見せてもらおうか」
「依頼されたから、こんな酷いことをしたの?」
そう言った途端、頭はついに声を上げて笑いだした。
「おかしなことを言う。酷いのは依頼者だろ?なにしろ人の娘以外は皆殺しにしろというんだからな。俺達は頼まれたことをしただけにすぎん。どんな汚い依頼だろうとこなし、その代わりに報酬をもらう。これが俺達の仕事だ」
確かに傭兵とはそういう存在だろう。
それが仕事として成立し、実際に人々の間で受け入れられている。
それは理解している。
ただ、理解するのと納得するのは話が別だ。
なにしろこの傭兵達はこの村を壊滅させたのだから。
「では、なぜこの人を殺したの?」
「ああ、そいつか。最初は殺すつもりはなかったさ。大人しく武具さえ差し出せば命は助かったのにな。全く商人ってヤツは理解しかねる」
どうやらジオのことを覚えているらしく、頭は呆れた口調でそう語った。
「それだけで?たったそれだけの理由で殺したというの?」
「そいつが魔物が作った武具を持ってさえいなければ、こうして追い回して殺すこともなかったさ。お前は知らないだろうが、俺達の国では魔物が作った武器は信じられない値段で取引される。そんな価値ある武具をたくさん持った商人が目の前に現れたら、是非ともお譲りしてもらいたくなるだろう?しかし、そいつは譲ってくれなかった。だから力づくで貰うことにしたわけだ」
だから殺したというのか。
あまりにも理不尽な物言いに静かな怒りが沸き上がってくる。
私が黙ってしまったのを怖気づいたと勘違いしたのか、頭は饒舌に話を続ける。
「そんなわけで強引に貰い受けることにしたんだが、商人にしては中々に抵抗したな。半年間の追いかけっこはそれなりに楽しかった。傑作なのはなんとか逃げ切れていると思っていたところか。俺達の最終目標であるこの村に逃げるように誘導されているとも知らずにな。おかげで思い通りに報酬と武具がまとめて手に入った」
頭はぱんぱんに膨らんだ袋を取り出すと得意気に見せてきた。
楽しそうな頭とは逆に、私の感情は急激に凍てついていく。
「で、お前はそいつの知り合いかなにかか?だとしたら悪いことをしたな。まあ、不幸な事故だったと思って諦め―」
「もういい。黙って」
限界だった。
もうこの男の話は聞きたくない。
だから私は言葉を遮ると同時にある魔法を使った。
「!?」
私の周りにいる傭兵達が次々に倒れていく。
頭も例外ではなく、他の者達と同様に地面にひれ伏した。
私はゆっくりと頭の前に歩み寄ると、見下ろしながら告げた。
「重力魔法を受けた気分はどう?」
「魔法!?…魔物か…!!」
頭がなんとか睨みつけてくるが、大地にひれ伏しているこの状況では迫力などありはしない。
「あなたに問うわ。彼の娘はどうしたの?」
「な、に…?」
「彼には娘がいたはず。一緒に行動していた娘がね。彼女はどうしたの?同じように殺した?」
冷たい目で見下ろしながら、無感情な声で問い質す。
傍から見れば、きっと処刑人かなにかに見えたことだろう。
「あの娘なら依頼者に引き渡した…!」
「では、その依頼者は誰?こんな酷いことを依頼した黒幕は?」
だが、私の問いに頭は顔を歪めるだけで答えなかった。
口封じも報酬に含まれていたのだろう。
この状況でも依頼者との約束を守ろうとするその心構えには普段なら感心するところだが、今は単なる悪あがきにしか見えない。
だから嫌でもしゃべるように重力魔法の威力を上げる。
「ぐあっ!!」
より強い重力が加わったからか、傭兵達は悲鳴を上げ、武器や鎧が軋む音がした。
「言いなさい。それとも、このまま体を潰されたい?」
脅し文句とともにまた威力を上げる。
そろそろ体の内部が圧迫されて痛みを感じるころだ。
それでもまだ話せるくらいには抑えているが。
「ペ、ペースド国の、ナー、ル…。その街の、トルウィン奴隷商だ…!この国の、村を襲えと言ったのも、あいつらだ…!」
観念したのか、頭はそう白状した。
つまりいくつもの襲撃事件はトルウィン奴隷商が企て、バイパー傭兵団が実行したということか。
「これで、全部だ…。頼む、助けて、くれ…!」
途切れそうな声で懇願してくる頭に、私は突き放すように言った。
「休息も慈悲も与えないわ。与えるのは絶望だけ」
「なっ…」
信じられないことを聞いたように頭は目を見開いた。
「なぜ驚いているの?武具欲しさに人を殺めたあなた達を許すとでも思った?罪には罰を。それは当然でしょう?」
そう言って別の魔法を使う。
それに合わせて傭兵達は次々に意識を失っていく。
使ったのは眠らせて悪夢を見せる魔法。
本当なら亡くなった人たちの無念を晴らしてあげたいが、彼らを裁くのはこの国に任せるべきだ。
「悪夢をさ迷うといいわ。次に目が覚めた時に待っているのは冷たい牢屋だと思うけど」
意識を失った頭にそう告げる。
依頼したのはトルウィン奴隷商でも、実行したのは彼らだ。
相応の報いを受けることだろう。
私は彼らの荷物からロープを探し出して傭兵達を一人残さず縛り上げると、次の作業に移る。
少しでも埋葬しやすいように亡くなった人達の遺体を一か所にまとめるのだ。
ローブを脱いで動きやすくすると、一番大きな家へ一人ずつ運んでいく。
そんな作業が終わったのはすっかり夜になってからだった。
最後の一人を運び終えた私の服は彼らの血で真っ赤になっていた。
これでいい。
私は広場へ移動すると、血に染まった衣服を脱いでそっと地面に置く。
続けて魔法でリリムとしての衣装に着替える。
今からやるのはダークプリーストに教えてもらった魂を弔う儀式。
必要なものは亡くなった人達の血と体の一部。そして儀式を実行する者の体の一部。
血は私が着ていた服に染み込んでいる。
体の一部は遺体を運ぶ際に髪の毛を少しだけ切っておいた。
それを服の周りに置く。
これで準備は整った。
あとは私の体の一部。
私は翼を出すと、そこから羽を一つ抜く。
その羽へ弔いの紅い炎を灯すと、服へ置いた。
瞬く間に燃え上がる服。
紅の炎はゆっくりと燃え広がり、静かな火柱となって空まで伸びる。
彼らの髪も燃え、火の粉となる。
だが火の粉は消えることはなく、螺旋を描くように火柱に寄り添って空へと昇っていく。
「あなた達の魂が、再びこの世界へと導かれますように」
亡くなった人達の魂がどうなるかは分からない。
それでも、いつかこの世界へ帰ってくると信じよう。
だからその日まで。
「さようなら…」
火柱を見上げながら、別れの言葉を告げる。
魂の弔いを済ませた私は静かにその場を後にした。
雲一つない夜だった。
まだ人が眠るには早い時間に、私はロックの店のドアを叩いた。
程なくして扉が開き、ヒルダが不機嫌そうな顔を覗かせた。
「こんな時間に一体だれ…、ああ、あんたか」
「夜分に訪問したことは謝るわ。少しいいかしら?」
ヒルダは無言でこちらを見ていたが私の様子から察してくれたらしく、くいと顔を動かした。
入れということだろう。
店に入った私はそのまま奥の部屋に通された。
恐らくは商談用の部屋だろう。
三人は座れそうなソファが二つ向き合って置かれていて、その間には綺麗なテーブルがあった。
ヒルダは片方のソファに座ると、私に向かいに座るようにと顎でしゃくる。
「こんな時間に来たってことは何か話があるんだろ?」
私が座るとヒルダはそう口火を切った。
「ええ、そうよ」
「で、ジオのヤツには会えたか?」
その問いにはどう答えるべきなのだろう。
素直に全てを話すべきだろうか?
私が何も答えず俯いたままだったからか、ヒルダは訝しむように目を細めた。
「…まさか、あいつらの身に何かあったのか?」
私は顔を上げて彼女の目を見ると、ゆっくりと首を横に振った。
残念だった、とでも言うように。
それが分かったのか、ヒルダの目が見開かれる。
そして彼女はすぐに片手で両目を覆った。
「あの馬鹿…。だからあたしは言ったのに…」
覆っている手の間から涙がこぼれる。
どうやらジオには同じ商売仲間以上の感情があったらしい。
私はそんなヒルダにどう声をかけていいのか分からず、黙り込むしかなかった。
それからしばらくは部屋にヒルダのすすり泣く声だけが響いた。
「…みっともないところを見せたね」
やがて泣き止んだヒルダはまだ赤い目でこちらを見ながらそう言った。
「いいえ。あなたにとって彼は大事な仲間だったのでしょう?親しい人のために涙を流すのは悪いことじゃないわ」
「ああ、そうだね…。大事な仲間だったよ。それこそ、一緒に商売をしたいと思うほどに」
ヒルダは立ち上がると席を外し、隣りの部屋から大きな酒瓶とグラスを二つずつ持ってきた。
「酒は飲めるだろう?」
「それは上等のものではないの?」
私の問いに、テーブルに酒瓶を置いたヒルダは軽く笑う。
「ああ。あいつの、マリアンの結婚式に贈ろうと思っていた酒だ。けど、もう意味がない。だから責めて願おう。あの世では笑って暮らせるように」
そう言って栓をあけようとするヒルダの手を、私は手を重ねて止める。
「その酒、開けるのはまだ早いわ」
「どういう意味だい?」
「恐らく、マリアンはまだ生きているわ」
ヒルダは驚いた顔でこちらを見た。
「生きてるのか…?あの子は?」
「ええ。だからこの酒は予定通り、二人の結婚式に贈って」
「じゃあ、そっちの酒は?」
ヒルダは私の前に置かれた酒を目で示す。
その問いに私は笑顔で答えた。
「彼の墓前に」
ヒルダはその言葉に目を閉じる。
しばらくして目を開いた彼女は穏やかな顔でこちらを見た。
「…そうしよう」
「では、ここに来た理由を話してもいいかしら?」
「理由?ジオの訃報を報せてくれたんじゃないのか?」
「それもあるけど、私がここに来たのはあなたに頼みたいことがあったからよ」
ジオの死。
確かにそれを報せる意味でもここに来たのは事実。
だが、本当の目的は他にある。
「それはなんだい?」
「亡くなった人達の埋葬をお願いしたいの。場所はローチの村。遺体は大きな家にまとめておいたから」
言葉ともにぱんぱんに膨らんだ袋を取り出してテーブルに置く。
頭から奪っておいたお金だ。
「このお金でお願い」
「随分あるな。こんな大金、一体どうしたんだ?」
ヒルダは私と袋とを交互に見つめる。
「亡くなった人達の命の値段よ。だから全部使ってくれて構わないわ」
「…そうか。分かった」
「それと、村の襲撃犯も捕まえてあるから、そっちもお願い」
「襲撃犯って、最近騒がれているヤツらか?だとしたら賞金が出るぞ」
それは知っている。
だが、お金なんて欲しくはない。
そんなものを貰ったところで死者は帰ってこないのだから。
「あなたが代理で貰って。賞金は亡くなった人達の埋葬に当ててもらえる?」
「代理って、あんたが直接もらえばいいだろ」
「私には、まだやることがあるから」
マリアンの奪還という仕事が私には残っている。
だからヒルダに頼みに来たのだ。
「やること?」
「マリアンは奴隷商に引き渡されたそうよ。だから、返してもらいに行くわ。彼女は、マリアンは彼のものなのだから」
「奴隷商だと?だとしたら、今はどこにいるかも分からないだろ?もう売られてしまった可能性だって―」
「関係ないわ」
私は遮るように言葉を重ねると、ヒルダを見た。
「彼女が今どこにいようと関係ない。例え世界に果てがなくとも、必ず見つけ出すわ」
そう、必ず見つけ出してみせる。
ジオが幸せを願い、クリスが愛した人なのだから。
「…どうしてそこまでするんだ?あたしには理解出来ない」
初めて会った時にも言われた言葉。
それを再び言ったヒルダの目は真剣そのもの。
私はその目を真っ直ぐに見つめ返す。
「娘の幸せを願った父はこの世を去り、その娘は愛する人と結ばれず奴隷へと成り果てた。この世界ではありふれた悲劇の一つね。でも、この現実は私が望んだ結末ではないから」
私が望んだのはささやかな結末。
「私は見たいのよ」
そう言ってヒルダに微笑む。
彼女はそれだけでは分からなかったのか、どういう意味だ?と目で訴えてきた。
「私が見たいのは悲劇ではなく、愛し合う二人は結ばれて幸せになるという物語。そんなお伽噺のような結末が見たいからよ」
私は母様のように世界のシステムを書き換えることは出来ない。
それでも人が織り成す物語くらいなら私でも書き換えることは出来る。
だからマリアンを返してもらいに行くのだ。
彼女がクリスのもとへ帰ることが出来れば、悲劇は愛し合う二人は結ばれて幸せに暮らしたという物語に書き換わるのだから。
「…なぜアルバがあんな紹介状を書いたのか分かったよ」
そう言ってヒルダは笑った。
「あんたの頼みは引き受ける。葬儀屋には話をつけとく。立派な墓も作ってもらう。だから、私も一つ頼みたい」
ヒルダはそこで言葉を区切る。
そして母親のような目で私を見た。
「あの子を、マリアンを必ず取り返してくれ。あの子はジオの忘れ形見だから」
「ええ、約束するわ」
短い挨拶を交わすと、私はロックを後にする。
「さあ、終幕にしましょう」
誰にともなく呟くと転移魔法でナールへと向かった。
トルウィン奴隷商は立派な商会だった。
五階建ての建物は隣接する建物と比べても一際目立っている。
それだけ儲かっているのだろう。
その方法が真っ当かは別だが。
私は商会を見上げると、この建物を覆うように結界を張る。
これでこの建物は世間から断絶された。
だから中でどんな騒ぎが起ころうと回りが気づくことはない。
準備を済ませると私は入り口へと向かう。
夜なので扉は当然閉まっているが、そんなものは関係ない。
開錠魔法で鍵を開けると私は中へ入る。
大きい建物なだけあって感じられる気配が多い。
とりあえず一階にある二つの気配へと向かおう。
奴隷の居場所はそのどちらかから訊き出せばいい。
私は二つの気配がする部屋の前に移動するとノブに手をかける。
しかし、意外なことに鍵がかかっていた。
仕方なく魔法で鍵を外して扉を開けると、一組の男女が交わっていた。
いや、正確には娘が犯されていたと言ったほうがいいかもしれない。
なにしろ娘は辛そうな顔で涙を流していたのだから。
私という突然の訪問者に二人は揃ってこちらを見た。
男は性交の邪魔をする者を睨みつけるように。
娘は助けを求めるような目で。
「なんだ、お前は!!」
今の私はローブを着ているからだろう。
男は魅了されずにベッド脇にあったテーブルから短剣を掴むと、私に斬りかかってきた。
短剣一本、裸で向かってくる勇気は評価してあげなくもないが、はっきり言って無謀だ。
私は短剣を人差し指だけで受け止める。
「な!!」
男が驚いている隙に刃の部分を素早く握り崩壊魔法をかける。
結果、短剣の刃の部分は塵となって消滅した。
「馬鹿な!対魔の剣だぞ!?」
その発言には呆れてしまう。
確かに触ってみてそんな力はあったが、申し訳程度のもの。
あれでは成長した魔物には普通の剣と大差ない。
つまり見習いが作った物だろう。
そんな剣でリリムに効果があるわけがない。
私は驚く男の頭を掴むと、魔法をかける。
「今から二十四時間、悪夢をさ迷いなさい」
男が白目を向いて倒れるのを確認すると、娘に視線を向ける。
娘のこちらを見た目は心底怯えていた。
私は娘の傍に歩み寄るとフードを外す。
「心配しないで。私はあなたに危害を加える気はないから」
微笑みかけると、娘はそれで少し安心したのだろう。顔から怯えの色が消えた。
「あなたは一体…」
「私はある人を助けに来たのよ。あなたは奴隷としてここに連れてこられたのでしょう?私を他の奴隷のところに案内してもらえないかしら?あなた達を助けたいの」
娘は理解出来ないといったように呆けていたが、やがて頭が言葉を認識したらしい。
私を見ると、力強く頷いた。
「ありがとう。じゃあ、服を着て。案内はそれからね」
さすがに裸の娘に案内させるつもりはない。
娘が服を着るのを見計らって行こうとすると、呼び止められた。
「あの、あなたは何者なんですか?」
振り返れば、娘は恐怖と好奇心とが混ざったような顔をしていた。
娘は器量が良いのでそんな顔も可愛らしい。
私は口の端だけで笑うと、ローブを脱いだ。
着ていた服はローチの村で燃やしてしまったのでリリムの衣装のままだ。
それに加えて翼も出し、尻尾と一緒に見せてあげた。
「魔物…」
「そうよ。ところであなたの名前はマリアンだったりするかしら?」
「いいえ。その人を助けに来たんですか?」
私の問いに娘は首を振ると、逆に問い返してきた。
「ええ。だから案内して?みんながいる場所へ」
「分かりました。でも、まずは鍵を見つけないと…」
「それは問題ないわ。どんな鍵だろうと、人が作った鍵なんて私には無意味だから」
「そうなんですか?じゃあ、こっちです」
娘は私の前に出て歩き始める。
そして案内されたのは一階の一番奥にある部屋だった。
その部屋は倉庫らしく、広い空間に様々な物が置いてあった。
娘は倉庫の奥にある扉の前で足を止める。
「この先です」
「分かったわ」
私は開錠魔法を使い、鍵を開ける。
扉を開けた先は、下り階段があった。
どうやら地下室があるらしい。
今度は私が先に出て階段を下りて行く。
大して長くない階段が終わると、またしても扉があった。
「厳重なことね」
「この先にいるのは奴隷は奴隷でも商品として売られない奴隷です…。その、せ―」
娘が全部を言う前に、私はその唇に人差し指を当てて封をした。
「それ以上は言わなくていいわ。同じ女として聞きたくないから」
娘がなにを言おうとしたかは分かる。
この先にいるのは商品ではない奴隷。
つまり性奴隷ということだろう。
それが間違いでないことは、先程この娘が犯されていたことから間違いないはず。
私はため息をつくと、魔法で鍵を外して扉を開けた。
扉の先にあった部屋は、牢屋ばかりで奴隷に相応しい地下室だった。
一人一人別の牢屋に入れられていて、人のいる牢屋が全部で15個。
私が扉を開けたからか、全員が怯えるような目でこちらを見ていた。
全員の意識がこちらに向いているのを確認すると、私は穏やかに告げた。
「この中にマリアンという人はいる?」
私の言葉に、最も奥にいた娘がビクリと体を反応させた。
なるほど、彼女がそうか。
私は再びため息をつくと、人がいる牢屋全てに開錠魔法を使う。
それに合わせて鍵が外れ、勢いよく牢の扉が開いていく。
「あなた達は自由よ。ここから逃げなさい」
驚く娘達にそう言うと、私は真っ直ぐにマリアンのもとへと歩み寄る。
近くで見たマリアンは私から見ても美人だった。
髪は母親譲りなのだろう、綺麗な空色。
だが、顔がだいぶやつれてしまっている。
「あなたがマリアンね?」
牢の中に入ると、床に座り込んでしまっている彼女に声をかける。
「…あなたは一体誰ですか?なぜ私を…」
「私はミリア、クリスの使いよ。あなたを迎えに来たわ、マリアン」
クリスと聞いてマリアンの顔に少しだけ活力が戻った。
「クリスの…。あの人は、クリスは元気でしたか?」
「ええ。手紙でやり取りしていたのだから、それくらいは分かるでしょう?」
「手紙…。そうですね、半年前までは…、傭兵に追われるまではずっとやり取りしていました」
マリアンは辛そうに顔を俯かせた。
半年間の逃亡生活、そして父の死が彼女をここまで疲弊させてしまったのだろう。
そんな彼女の様子は見ていて辛かった。
だから早く彼のもとへ連れていこう。
「彼は今もあなたの帰りを待っているわ。さあ、行きましょう。私が連れていってあげるわ」
しかし、マリアンは私が差し出した手を掴むことはなく、顔をゆっくりと横に振った。
「…行けません」
「どうして?」
「私は汚されてしまった…。クリスと将来を約束した私はもういないんです…。だから、クリスに伝えて下さい。マリアンは父とともに死んでいたと。だから、私のことは忘れて幸せになってと。そう彼に」
話しながらマリアンは涙を流す。
そんな様子が見ていられず、私は無理矢理マリアンを引っ張り上げて立たせると、言ってあげた。
「嘘ね」
「え?」
「心が泣いてるわ」
マリアンの胸へそっと手を当てる。
「彼を愛しているのでしょう?その彼に忘れられてもいいの?彼と一緒に幸せにならなくていいの?」
「幸せになんて、なれません…。私のせいで父さんは死んでしまった…。それなのに、私だけが幸せになんてなれるはずがありません。そんなの、許されるはずが…」
「そうね、確かにジオさんは亡くなってしまった。でも、あなたは生きてる。だからあなたは幸せにならなくちゃいけない。ジオさんの分までね。あなたは幸せになる義務があるわ」
「でも」
「クリスは」
マリアンが何か言おうとするのを、私は言葉で遮る。
「クリスは他の娘の誘いにも応じず、私の誘惑にも負けず、あなたを想い続けているわ。彼の真っ直ぐな想いに応えられるのはあなただけなのよ」
「それでもダメです!こんな、こんな汚れてしまった私は絶対にクリスには見せられない!!」
悲痛な叫びとともにマリアンは両手で顔を覆う。
好きな人のために、清らかな身でいたかったのだろう。
その気持ちは痛いほど分かった。
だから私はある提案をした。
「じゃあ、生まれ変わる?」
「…え?」
マリアンは顔を上げると、すがるような目で私を見た。
「私は人を魔物に変えることが出来るの。『人』としてのマリアンが彼に会えないなら、『魔物』になれば会えるということよね?」
「私が魔物に…?」
「強要はしないわ。それは人を辞めるということだから。あくまで選択肢の一つ。人として彼のところに帰るか、魔物として彼のところに帰るかの違いだけ」
「魔物に…」
魅力的な提案だったのか、マリアンは繰り返し呟いていた。
「さあ、どうする?あなたの答えを聞かせて」
「私が魔物になっても、クリスは受け入れてくれるでしょうか…?」
「その問いの答えはあなたが一番よく解っているはずよ。あなたが知る彼を思い出してみるといいわ」
「クリスを…」
姉妹の中には積極的に魔物に変えようとする者もいるが、私は消極的だ。
本人が望むのなら魔物に変えるが、無理矢理変えたりはしない。
魔物に変えるということは存在を変えてしまうことだから。
だからマリアンにも強要はしない。
望むのなら与える。
それだけだ。
やがてマリアンはどうするのか決めたらしく、強い意志の宿った目で見つめてきた。
「私を魔物にして下さい」
「いいの?人を辞めても」
気持ちは変わらないだろうが、一応確認する。
「はい…。私はずっと守られてばかりだったから、だから、今度は私が守りたいんです。クリスを、クリスとの幸せを。魔物になれば、それくらいは私にも出来るはずだから」
「そう」
私は軽く笑うと彼女と距離と詰め、そっとキスをした。
「ミリアさん?一体なにを…」
「あなたを魔物にするための準備よ」
そう言って再びキスをする。
さっきのように一瞬ではなく、恋人同士がするような長いキスを。
「や、やめ…んっ…」
マリアンは最初こそ嫌がるように私の体を押し返してきていたが、生憎とリリムのキスだ。それは女性さえも魅了できる。
すぐに私を押していた手は腰に回され、今度は逆に引き寄せてきた。
私も負けじと抱きしめ、マリアンの体を壁に押し付ける。
マリアンはすっかり私に魅了されたらしく、貪るように舌を絡めてくる。
私もそれに舌で応じながら、手をマリアンの腰に移動させ、下着を脱がそうとする。
しかし、そこに下着の手応えはなかった。
恐らく、商館の人間がすぐに事に望めるように下着を着させていないのだろう。
だが、今はそれがありがたい。
マリアンはスカートなので、その内側へと尻尾を侵入させる。
それに気づいたのか、マリアンは私から唇を離した。
「ミリアさん?なにを…」
「汚されてしまったのでしょう?だから綺麗にしてあげるわ。上だけでなく、下の口もね」
それと同時にマリアンの秘部へと尻尾を潜り込ませる。
「んっ!あっ…そこは、んっ、ダメ…あっ!んんー!」
可愛い声で喘ぎ始めたマリアンの口は再びキスをしてふさぐ。
マリアンの蜜壺はさっきのキスですっかりその気になったらしく、既に愛液でぐしょぐしょに濡れていた。
おかげで尻尾はするすると膣の奥へと入っていく。
それが感じられるからか、マリアンは私にキスをされながら快感に身悶えする。
だが、私は少し悲しかった。
本来ならあるはずの膜がなかったから。
それを破るのはクリスだったのに。
唇を離してマリアンを見つめる。
私という媚薬に完全に酔ってしまったらしく、マリアンは恍惚とした表情で目をさ迷わせていた。
性に溺れる彼女も魅力的だ。
だから、もっと可愛いところを見せてもらおう。
私は尻尾を円を描くように膣へと擦りつける。
「あうっ!や、ん、ああッ、だ、だめ…も、もう、ん!げ、限界…んぅ!」
悲鳴にも近い声を上げるマリアンの体が痙攣してきた。
宣言通り、限界が近いらしい。
「じゃあ、これで終わりにしましょう」
とっくに到達していた尻尾の先端を子宮へとぶつけた。
「ああああッ!」
私が一際強く尻尾で突き上げると、マリアンは絶頂を迎えた。
私はそれと同時にマリアンの中へと魔力を放つ。
同時に溢れる愛液が尻尾を濡らし、スカートにシミを作っていく。
「はあ、はあ、あぅぅ…」
魔力を放ち終わると、尻尾を抜いて彼女の体を解放する。
糸の切れた人形のように崩れ落ちるマリアン。
だが、休む間もなく変化が始まった。
「あう!?」
魔物化する際に感じるのは痛みではなく快感。
マリアンも内側からの快感を抑え込むように体を抱きしめる。
そんなマリアンの頭からは、空色の髪をかき分けて白い角が顔を見せた。
「ん、くうッ…!」
続けて羽ばたくような音とともに、髪と同じ空色の翼が上着を突き破って腰の辺りに生える。
最後にハート型の尻尾が突き出て、ようやく体から出られたことを喜ぶようにゆらゆらと揺れた。
「はあ、はあ、はあ…」
変化が終わったマリアンは荒い息とともに床に手をつく。
実は変化はこれだけでなく、もう一つある。
もっとも、それは一番最初に終わっているのだが。
その変化とは処女膜の再生。
ちぎれてしまった腕などは無理だが、処女膜くらいなら再生出来るのだ。
それも魔物化する際に一度だけだが。
だが、今度こそは愛する人がそれを破ってくれるだろう。
「どう?生まれ変わった気分は?」
「不思議な気分です。でも、嫌な気はしません」
「そう。じゃあ、行きましょう。彼が待っているわ」
私とマリアンが牢を出ると、他の娘達に行く手を遮られた。
一体どういうつもりなのだろう?
それを問おうと思ったのだが、一番最初に出会った娘が先に声を出した。
「あの…、お、お願いがあります。私達も魔物にして下さい」
意外な申し出だ。
「自分の言っていることを理解してる?魔物になるということは、人を辞めるということよ。あなたに、あなた達にその覚悟があるの?」
「覚悟は出来てます。私達にはもう帰る場所も、帰りを待っている人もいません…。みんな殺されてしまったから…。だから…人であることに未練などありません」
そう言った娘の顔は赤い。
私とマリアンの情事を見ていたからだろう。
それでも、その顔には強い意志が見てとれた。
他の娘も顔を上気させてこそいるものの、こちらを見る目は希望に満ちていた。
「…分かったわ。その願いを叶えましょう。覚悟が出来ている人から前へ出なさい。望み通り、魔物にしてあげる」
ため息とともにそう言うと、娘達は次々に前へ出てくる。
そして、地下室には娘達の嬌声が響いた。
最後の一人がラミアへと姿を変えると、私達は地下室から倉庫へと上がった。
変化する過程で服が破けてしまった者もいるので、倉庫で服を調達する。
彼女達は服を着ると、忠実なしもべの如く私の前に整列した。
「さあ、宴を始めましょう。あなた達全員が主役よ。これからは思うように生きなさい」
私は一人一人の顔を見ると、最後に言い放った。
「誕生日おめでとう、みんな」
それを合図に彼女達は我先にと倉庫を飛び出していく。
彼女達が望んだのは復讐。
自分たちをこんな目に遭わせた者達への報復だった。
一応、命は奪わないように言っておいたから死人は出ないだろう。
逆を言えば命以外は保障しないということだが、それは自業自得と言える。
「私も少し行ってくるわ。あなたはここで待ってて」
一人残っていたマリアンにそう言い残し、早くもあちこちから悲鳴が聞こえる商館を最上階へと向かう。
向かうのはこの商会の主の部屋。
でも私自身は何もしない。
ただ告げるだけだ。
最上階に着いた私は唯一気配がある部屋の扉を開ける。
そこでは一人の男が積み上げた金貨の枚数を数えていた。
「お邪魔するわ」
男に声をかけると、まるで死人でも見たような顔をした。
「なっ!魔物!?一体どこから!?」
「もちろん、入り口から」
「な、何が目的だ!?俺を食うつもりか!?」
「いいえ。私は告げに来ただけ」
「告げるだと?なにをだ!」
男は声を荒げるが、私は微笑むだけ。
彼女達の気配が近づいてくるのが分かる。
「どうやら来たみたいね。あなたの死神達が」
私がそう言った瞬間、扉が乱暴に開けられ、次々に彼女達が入ってくる。
「な、なんで、こんなに魔物が…」
「良かったわね。みんな、あなたにお礼がしたいそうよ。たっぷりと可愛がってもらいなさい」
獲物を追い詰めるように彼女達はゆっくりと男へ近づいていく。
「ま、待て…、金ならいくらでも払う。だ、だから、助け…」
顔を引きつらせる男に、私は笑顔で告げた。
「良い夜を」
それを合図に彼女達が一斉に襲いかかる。
男の絶叫と悲鳴が響く部屋の扉をゆっくりと閉めて後にすると、私は倉庫へ戻った。
「もういいんですか?」
「ええ。じゃあ、行きましょう。愛しい彼のもとへ」
「あの人達は置いていくんですか?」
「転移魔法陣を置いておくから問題ないわ」
この魔法陣の行き先は魔界のとある街。
まだまだ発展途上だから、彼女達を受け入れる余裕がある街だ。
「さあ、行きましょう」
私はマリアンの手を握ると、クリスの家の前へと飛んだ。
「ここは、クリスの家?」
「そうよ。ほら、行きなさい。彼が待っているわ」
クリスの家の前に転移すると、私は彼女を促す。
そう言われてマリアンはおずおずと扉の前に行くと、控えめにノックする。
「はい。どちらさま…」
すぐに出てきたクリスは目の前にいる人を見て固まった。
「マリアン…?」
「ええ、そうよ…。久しぶり、クリス」
「マリアン?その姿は一体…」
「こ、これは、その…」
クリスはマリアンの姿を見て驚いたようだったが、すぐに真剣な表情になった。
「もしかして、魔物になったから手紙の返事をくれなかったのかい?」
「違う!違うの!この姿と手紙は関係ないの!私が魔物になったのは、あなたとずっと一緒にいたかったから!あなたと幸せになりたかったから!だから…」
途中で力尽きたかのように俯くマリアンに、クリスは微笑んだ。
「そうか」
そう言ってマリアンを抱きしめた。
「え?」
「人の君も綺麗だったけど、魔物になった君はもっと綺麗だよ」
「いいの?私はもうあなたの知ってるマリアンじゃないのよ?それでもいいの?」
「関係ないよ。人だろうと魔物だろうとマリアンはマリアンだ」
そう言われ、マリアンの目から涙がこぼれる。
「クリス、クリス!会いたかった、ずっと会いたかった!」
「おかえり、マリアン」
二人は見つめ合い、そのままキスをする。
完全に二人だけの世界だ。
もっとも感動の再開を邪魔する気はない。
だからそっとその場を立ち去るつもりだった。
「待って下さい!」
振り返れば、クリスとマリアンが揃ってこちらを見ていた。
「なにか用?」
「あなたのおかげでマリアンが無事に帰ってきました。本当にありがとうございます」
クリスが頭を下げ、それに続けてマリアンも頭を下げる。
「礼を言われるようなことはしてないわ。それに…救えなかった命もあるから」
マリアンはハッとしてクリスを見る。
「クリス、父さんは」
ジオのことを告げようとしたマリアンを、クリスは手で制す。
「言わなくていい。君だけが帰ってきた。それだけで察しは付いてたから。…辛かったね」
「クリス…」
「クリス君。彼女を守ってあげられるのはもうあなただけよ。だから、大切にしてあげてね」
力強く頷くクリス。
「はい!」
彼の返事に満足の笑みを浮かべると、私は告げた。
「あなた達に良き日々が多くありますように」
軽く手を振って彼らと別れる。
静かな夜道を歩くのは私一人。
それでも私は笑みをこぼす。
転移魔法をはじめとするいくつもの魔法に魔物化。
おかげで随分と魔力を使ってしまった。
もう魔力は半分も残っていない。
そこまでして私が得られたものはない。
いや、一つだけある。
それは小さな満足感。
費やした労力と見返りに釣り合いは取れていないが、そんなことはどうでもいい。
悲劇は私が望んだ結末へと書き換えることが出来たのだから。
「さてと」
これからどうしようか。
最優先すべきは失った魔力の補充だが、あの二人を見た後ではそんな気分になれない。
そうなると。
「夕食ね」
今日は朝食を軽く食べただけだ。
かといって、今から家に帰って自分で作る気は全くしない。
よって行き先は一つ。
私は「狐の尻尾」へと転移した。
営業時間は過ぎていたがまだ扉に鍵はかかっておらず、私が扉を開けると二人が後片付けをしていた。
「あ、ミリアさん。どうしたんです?今日は食事ですか?」
すぐに気づいたレナが声をかけてくれた。
「ええ。適当に料理とお酒をお願いしたいの。いいかしら?」
「もちろんですよ。待ってて下さいね、今用意しますから」
「では、テーブルは汚れているのでカウンター席へどうぞ」
すっかり従業員らしくなったハンス君に案内され、席に座る。
「今日もまた散歩に?」
お冷を出しながらハンス君が質問してくる。
「ええ。でも、今回はさすがに疲れたわ」
その後、シーフードパスタを食べ、赤ワインを飲んだところまでは覚えているのだが、そこからの記憶がない。
どうも、疲れてそのまま眠ってしまったらしい。
私の寝顔にハンス君が見惚れて、その後レナにたっぷりと搾られたらしいのだが、それを私が知ったのは後日だった。
私が目を覚ましたのはレナの家の客室。
そっと部屋を出ると、レナの部屋の前で足を止める。
静かに扉を開けて中を覗けば、裸の二人が抱き合うように眠っていた。
状況を見るに、昨夜もシていたらしい。
お礼を言おうと思ったのだが、起こすのも悪いので書置きを残して私は店を後にする。
「まずは魔力の補充ね」
私の四つの国を巡る物語は昨日で終わった。
そして今日はまた別の物語を見ることになるだろう。
私は今から行く先で見られるであろう物語に思いを馳せ、笑みをこぼす。
そして私は今日もまた、気ままな散歩へと出かけたのだった。
それは私の散歩も同じ。
アルバとチェロの二人から揃って今夜は泊まっていけという誘いを丁寧に断り、ラブク国を後にした。
「さて、まずはロックね」
セスタールに到着した私はアルバが言っていた店を探し始める。
セスタールは先程までいたソロニーより規模が小さいようで、そのせいかほとんどの建物同士が密着している。
建物の作り自体はいいのだが、全体的にごちゃごちゃした感じの街だった。
魔界にも似た感じの街はあるが、人の世界でこういう街を見るのは初めてだ。
だから少し新鮮だったりする。
ただ、時刻は夕方になろうとしていた。
さっさとロックを見つけないと店を閉められてしまうだろう。
そうならないうちに店を見つけなくては。
「場所を尋ねたいのだけど、ロックという店を知っているかしら?」
私は地面に短剣やナイフを広げていた商人に声をかけてみた。
「ロック?ああ、ヒルダさんのとこか。それなら東門から広場に向かう通りにある。大きい店ではないが、通りに面しているからすぐにわかるだろう」
「そう。ありがとう」
かまわないよとばかりに片手を上げて挨拶する商人に礼を言うと、私は広場へと向かった。
時間が時間だからか、広場にはそれほど人がいなく、代わりに酒場と思われる建物から料理のいい香りと賑やかな声が聞こえてきた。
そんな酒場を横目で見ながら広場を抜け、東の通りを進む。
広場に続く道なだけあって道幅は広く、様々な店が軒を並べていた。
そんな中に件のロックもあった。
「ここが…」
看板に古めかしい文字で『ロック』と書かれているので間違いないだろう。
店の扉は閉まっているが、閉店している感じではないのでまだ営業中なはず。
私は店の扉に手をかけると鍵はかかっておらず、普通に扉が開いた。
よかった、まだ営業中だった。
内心ホッとしながら私は店内に入る。
武具屋なだけあって、壁には様々な武器がかけられ、入り口脇には見事な鎧が飾られていた。
「いらっしゃい」
そんな声がした方を見ると、無表情なミノタウロスがこちらを見ていた。
この人が店主のヒルダらしい。
アルバの話では結構な頑固者らしいが、受け取った書類を見せれば話くらいはしてくれるはず。
私は商品である武具には目もくれず、彼女のもとへ歩み寄る。
「少し話を訊きたいの。いいかしら?」
私が声をかけると、ヒルダは怪訝そうな顔になる。
「うちは武具屋だ。買う気がないならさっさと帰んな。小娘の相手をするほどあたしは暇じゃないんだ」
つれない態度だ。
まあ、予想してはいたから別にいいのだが。
「買い物をしに来たわけではない点については謝るわ。それと、これを」
アルバからの紹介状を懐から取り出してヒルダに渡す。
「これは…」
ヒルダは紹介状を開き、中の文面に目を通す。
大して長い文ではなかったらしく、すぐに顔を上げると彼女はため息をついた。
「あの男がこんな紹介状を書くとは、あんた何者だ?」
疲れた顔でヒルダはこちらを見る。
それに対し、私はフードを外して顔を出すと、軽く会釈する。
「初めまして、ヒルダさん。私はミリア。見て分かるかもしれないけど、サキュバスよ」
「ミリア、ね。あんたはあたしを知っているようだけど、一応自己紹介しようか。あたしはヒルダ。それとさんは付けなくていい。敬語は嫌いなんだ、よそよそしい感じがしてね」
「わかったわ。じゃあ、ヒルダ。あなたに訊きたいことがあるのだけど」
「ジオのことだろ?紹介状に書いてあるよ」
ヒルダはつまらなそうに紹介状をひらひらさせる。
どうやらアルバが気を利かせてくれたらしい。
「ええ、その通りよ。彼の、いえ、親子の行方を知らないかしら?」
「あいつの行方なら知ってるさ。うちで品を仕入れてここから北東にあるペースド国に行ったよ」
その発言にはさすがに軽いため息が出てしまう。
また国を越えたのか。
なんというか、張切りすぎではないだろうか。
「ペースド国ね…。やっぱり儲けるため?」
「そうだよ。ただ、なにもそこまでしなくてもいいだろうとあたしは思う」
それは私も同感だ。
これでは国巡りではないか。
「まあ、それだけ娘を思っているということでしょう。それで、詳しい行き先はどこかしら?」
「それを聞いてどうするんだい?」
「私は伝言を預かっているから、それを伝えに行くのよ」
クリスから伝言を頼まれた時は、ここまであちこちに行くことになるとは思わなかったが。
ところが私の言葉にヒルダは顔を険しくする。
「悪いことは言わない。ペースド国に行くのはやめときな」
「それはなぜ?」
「あの国はこの四つの国で唯一の反魔物派の国だからだ。当然、魔物は入国を禁止されている。入れば死刑だ。ジオ達は人だから問題ないが、あんたは違う。いくら伝言のためとはいえ、わざわざ命を賭けてまで行くところじゃない」
なるほど、そういうわけか。
ただ、そうなると疑問が出てくる。
「あなたが行くなという理由は分かった。では、なぜペースド国は親魔物派の国を放置しているの?彼らにとって私達魔物とそれに関わる人は全て邪悪な存在のはず。戦争になってもおかしくないと思うのだけど」
「戦争にならないのはお互いが持ちつ持たれつの関係だからさ。なんだかんだ言っても連中は他の国との付き合いなしにはやっていけない。まあ、それはどの国にも言えることだがね。だからお互い不干渉ということで四つの国は成り立っているのさ」
そういうことか。
ヒルダの説明で私は納得する。
「国同士の関係は分かった。だからこそ訊きたいのだけど、なぜジオ親子はペースド国にわざわざ売りに行ったの?」
ペースド国は反魔物派の国。
そんなところに魔物や親魔物派の人が作った武具を売りに行ったところで全く売れないと思うのだが。
だが、ヒルダはあっさりと答えた。
「儲かるからに決まっているだろ」
「儲かるの?」
ヒルダがなんでもないことのように言うので、私は思わず訊き返していた。
「ああ。他はどうか知らないが、この四つの国に関して言えば儲かる。それも驚くほどな。あんたも魔物だから分かると思うが、あたし達魔物が作った物の方が、人が作った物より質がいいことが多い。ドワーフの細工物だったり、アラクネの織物だったりな。そういった魔物が作った物はペースド国では信じられない値段で売れる。ジオがわざわざ向かったのもそれが理由だ」
どうやらこの地域だからこそ出来ることらしい。
ただ、それでも疑問は残る。
「売れるの?魔物が作った物が?」
普通なら反魔物派の国に魔物が作った物を持ち込もうとすれば犯罪扱いになるはずなのだ。
一体どういうことなのだろう?
「ああ、売れる。あんたはこう思ったんだろ?魔物が作った物が反魔物派の人に売れるわけがないと」
まるでこちらの心を読んだかのようにヒルダはそう言った。
それに対して私は素直に頷く。
「まあ、普通はそう思うだろうな。だから同じ疑問を持ったヤツが訊いてみたそうだ。なんで魔物とは取引しないのに、魔物の作った物は買うのかとな。そしたら連中はなんて言ったと思う?」
おもしろくなさそうにヒルダが尋ねてくるが、反魔物派の人の考えなど想像も出来ない。
だから私は首をかしげる。
「連中の言い分はこうだ。『物は邪悪ではないから』だと。全く馬鹿馬鹿しい」
ヒルダはたった今そう言われたかのように不機嫌そうな顔になる。
ただ、私は向こうの言い分もわかってしまう。
物に罪はない、ということなのだろう。
例え剣で誰かを殺しても、罪に問われるのは剣ではなくその剣を使った者なのだから。
それと同じ理屈で、魔物が作ろうと作られた物は邪悪ではない。
反魔物派らしい考え方かもしれない。
魔物から見れば屁理屈でしかないが。
「ご都合主義ね」
「そう思うだろう?」
私の理解を得られたからか、ヒルダは少しだけ表情をゆるめた。
それに合わせて私も微笑むと、逸れた話題を戻す。
「話を戻すけど、ジオ親子はペースド国のどこへ向かったの?」
「悪いが知らない。なにしろ魔物は入国禁止だからな。街の名前を言われたってどこかにあるかも分からないよ。だからあたしが知っているのはペースド国に行くまでの行方だ」
最終的な行き先はヒルダでも分からないということか。
それでも途中までの行き先を知っているなら充分だ。
またそこで行方を尋ねればいいのだから。
「じゃあ、それを教えてもらえる?」
「物好きだね。酔狂というか、奇特というか…。まあそれはいい。あいつが向かったのはペースド国との国境に最も近い街、エンデだ。そこからペースド国に向かうと言ってたよ」
「エンデね。ありがとう。じゃあ今度はそこで尋ねてみるわ」
私はこれでお暇しようと踵を返す。
そんな私にヒルダが声をかけてきた。
「なあ、一つ訊いていいかい?」
「なにかしら?」
私が肩越しに振り向くと彼女の真剣な目がこちらを見ていた。
「なぜ、そこまでする?あんたはあの親子とはなんの関係もないはずだ」
「幸せになってほしいからよ」
「そんな理由であんたは動いているのか?」
その問いに私は振り向くと、微笑みながら返事を返した。
「誰かの幸せを願うのはいけないことなの?」
その言葉にヒルダはハッとしたように目を見開く。
「…野暮なことを訊いたね。引き止めて悪かった」
「いいえ、気にしないで。じゃあ、私はこれで」
そう言って店を後にする。
次はエンデか。
店を後にした私は少し歩いたところで足を止める。
今のところ彼らの足取りは追えている。
だからこそクリスに手紙が届かなくなったことが気になる。
各国を渡り歩いていたにも関わらず、一年以上も手紙はちゃんと届いていた。
それが急に届かなくなった理由はなんだろう?
返事を書けない理由でも出来たのだろうか?
「あまりいい感じはしないわね…」
空を見上げればもう陽が沈みかけている。
今からエンデに行っても大した情報は得られないだろう。
とはいえ、この街ではもう得られる情報はなさそうだし、行ったほうがいいかも。
そう判断した私は転移魔法でエンデへと飛んだのだった。
エンデは静かな街だった。
夜だからというのもあるが、全体的に落ち着いた雰囲気の街。
それが私の感想だった。
とりあえず酒場にでも行こう。
情報収集のついでに食事も出来るしね。
そんなわけで適当な酒場に入った。
酒場は時間が時間だからか、テーブル席に空きはなく、カウンターしか空いていなかった。
街によっては酒場は賑やかな場所もあるが、ここはどちらかというと静かな場所のようだ。だから店内も賑やかというよりは談笑を楽しんでいるというほうがしっくりくる感じだった。
私はカウンター席に座ると、目の前にいるマスターらしき男に声をかける。
「少し話を訊きたいのだけど、いいかしら?」
そう話しかけると、男は無言で笑いながら人差し指を立てた。
一杯頼めということだろう。
情報の対価としては安いものだ。
「ぶどう酒を」
私が注文すると、男はすぐに持ってきてくれた。
「どうぞ」
目の前に置かれたぶどう酒にそっと口を付けると、香りも味も良かった。
レナの作った酒といい勝負かもしれない。
「それで、訊きたいことというのは?」
「大したことではないわ。最近のペースド国の動向を知りたいの」
私の質問は意外だったのか、男は少し驚いた顔になった。
「動向ですか。それはまた奇妙なことを訊きますね」
「そう?ちょっとした世間話のつもりなのだけど」
「そうですね。特に真新しい話や噂は聞きません。あるとすればペースド国の傭兵が国境付近で見かけられたということくらいですか。それもだいぶ前の話ですが」
手紙が届かなくなったことから、戦でもあったのではと思ったのだが、男に嘘を言っている様子はない。
となるとジオ親子は無事にペースド国に辿り着いたということだろうか?
あれこれと考え事をする私に男は「それと」と付け加えた。
「それと?」
「これはペースド国のことではありませんが、数か月前からこの国の小さな村がいくつか襲撃されています。襲われた村はどれも壊滅、犯人は捕まっていません」
「なぜそんな話を私にするの?」
私の問いに男は苦笑を浮かべた。
「あなたの望む情報の価値がそのぶどう酒の価値とは不釣り合いだったので。それくらいペースド国については情報が入ってこないのですよ。国境に最も近いこの街でさえね」
「そう…」
返事を返しながらも、私の頭の中ではある仮説が浮かんでいた。
もし、壊滅したという村にジオ親子がいたとしたら?
そう考えると手紙が来なくなった理由としてぴったりと当てはまってしまう。
そしてそれは最悪の事態。
そうあって欲しくはないが、そんな最悪の可能性もあり得るのだ。
「亡くなった人達はどこかで確認できたりする?」
「もちろん。遺体は近くの街が回収して弔ったそうですから、その街の市民議会にでも問い合わせれば教えてもらえるはずです」
「で、その街はどこにあるの?」
「ここから南西にあるグラードという名の街ですよ」
グラードか。
明日確認に行ったほうがいいかもしれない。
「そう、分かったわ。話は変わるけど、この街に宿はいくつあるかしら?」
「宿ですか。宿の数は四つです。泊まるのでしたら、北通りのコーリスという宿がお勧めですね。部屋は綺麗だし、値段も良心的です」
男は宿と聞いて私が今夜泊まる場所を探していると思ったのか、そう説明してくれた。
だが、私は泊まる場所ではなく宿の数が知りたかったのだ。
ジオ親子はヒルダの店で品を仕入れたのだから、この街では恐らく武具は仕入れないはず。
となるとここへはペースド国へ向かうための通過点として立ち寄ったはずだから、少しは滞在していたのではと予想したのだ。
つまりここでは宿で彼らの行き先を尋ねるべきだろう。
宿の数が四つだけというのは幸いだ。
行方を尋ねる先は少ない方が時間を無駄にせずに済む。
明日は朝から動くことにしよう。
今後の予定を決めた私はそのまま酒場で食事を済ませ、勧められたコーリスという宿に向かった。
「いらっしゃい。お泊りで?」
扉を開けて中に入ると満面の笑顔で店主が迎えてくれた。
「ええ。一泊したいのだけど部屋は空いてる?」
「もちろんでございます。では、部屋に案内させていただきます」
「その前に一つ尋ねたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「ええ、かまいませんよ。なんでしょうか?」
店主が話を聞いてくれるようなので、私は要件を告げた。
「この宿にジオという男と若い娘の二人組が泊まったことはないかしら?」
「ジオ、ですか…」
私の問いに店主は首をかしげるが、すぐにハッとしたようにこちらを見た。
「ああ、ひょっとしてあの人かな?」
どうやら思い当たることがあるらしい。
店主はカウンターから宿泊台帳を取り出すと、パラパラとめくり始める。
そしてあるページを開いたところで手が止まった。
「この方ですかね?」
そう言って宿泊台帳を見せてきた。
そこには『ジオ 他一名』と記されていた。
日付は半年と少し前。
間違いなくジオ親子だろう。
まさか泊まろうとした宿で話を聞けるとは思わなかった。
「ええ、そうよ」
「ああ、やはりそうですか。戦士のような方だったのでよく覚えていますよ。この方がどうかしたのですか?」
「彼に伝言を預かっているのよ。だからどこへ向かったか知らないかしら?」
ジオ親子がペースド国に向かったことは分かっている。
だから知りたいのはより詳しい行き先だ。
「詳しい行き先までは残念ながら。ただ、ペースド国に向かうとのことでしたから恐らくエトールに向かったのではないかと」
「それも街なの?」
「ええ。国境を越えたら最初に辿り着く街です。ペースド国に向かう人のほとんどが最初に向かう街ですから、恐らくそこへ向かったのでは」
なるほど、それなら可能性はありそうだ。
ペースド国にある以上エトールも反魔物派の街だろうが、よほどのことがない限り侵入してもバレない自信はある。
だから明日はまずエトールへ向かおう。
後はそこでどれだけ情報を得られるかによって、グラードに向かうか決めればいい。
「こちらになります」
部屋に案内され、一泊分の宿泊料を渡すと店主は去っていく。
「明日には追い着きたいものね…」
ベッドにもぐり込んだ私はそう呟き、目を閉じたのだった。
クリスもそうだったが、商人の朝は早いらしい。
扉を開け閉めする音で私は目が覚めた。
目覚めたのだが、少し寝足りない気がする。
だから目を閉じて去ってしまった眠気を呼び戻そうとするが、二度寝が出来ない私には無駄な努力だった。
「やれやれ…」
ため息とともに体を起こす。
どうせ二度寝なんて出来ないのだから、無駄な努力をして意味のない時間を過ごすよりはさっさと起きた方がいい。
まだ起きていない頭でそう判断し、気持ちを切り替える。
よし、行動開始と行こう。
ローブを身につけ、部屋を後にする。
私が案内されたのは二階の部屋で、階段を下りると店主がテーブルを雑巾で拭いていた。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
起こされなければもっとよく眠れたのだけど、とは言わなかった。
「それはよかった。ああ、お急ぎでなければすぐに簡単な朝食を用意しますがいかがします?」
「じゃあ、お願いするわ」
「かしこまりました」
店主はうやうやしく頭を下げると奥に引っ込んでいった。
そして持ってきたのはパン、バター、牛乳、一口サイズにカットされたチーズ、リンゴ丸ごと一つというものだった。
はっきり言って多すぎる。
確かにどれも調理の必要がないものだが、朝からこんなに食べられるほど私は空腹じゃない。
とはいえ出されたものに手を付けないのも悪いので、申し訳程度に食べておけばいいだろう。
そう思って食べ始めた時だった。
「そう言えば今朝早くにいらしたお客さんから聞いた話なのですが、何日か前にセスタールからほぼ東、ここからだと南に当たるローチの村付近でバイパー傭兵団を見かけたと言っていましたね」
おしゃべりが好きなのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、店主はそんなことを言ってきた。
「バイパー傭兵団?」
振られた話を無視するのも悪いので、私はその部分を復唱する。
「おや、ご存知ないですか?狙った獲物は必ず仕留めるということで、味方にすれば頼もしく、敵に回すとこれほど恐ろしい集団はいないと言われるペースド国出身の傭兵団ですよ」
店主は丁寧に説明してくれたが、私にとってはあまり興味を持てない話だ。
「ペースド国の傭兵さんがこの国になんの用かしらね」
「それはアレじゃないですか?最近この国の村が相次いで襲撃されているじゃないですか。国が犯人を捕えた者には懸賞金を出すと公言しましたから、それが目当てなのでは」
そういえば昨夜、酒場でもそんな話を聞いた。
懸賞金まで付けるということは、想像以上に深刻な問題のようだ。
出来ればそちらも手助けしたいところだが、今の私には優先しなければならないことがある。
なので襲撃事件については一旦保留にするしかない。
出来ることならそのバイパー傭兵団が解決してくれるといいのだが。
「なら、その傭兵さん達に期待しましょ」
私はそう言って立ち上がる。
パンは完食したので朝食はこれで終わりだ。
なにより、このまま座っていては店主の話に付き合うことになりかねない。
「ごちそうさま。そろそろ行くわ」
「そうですか…。では、またのご利用をお待ちしています」
どこか残念そうな目の店主に見送られながら、私は宿を後にした。
外に出ると早朝なだけあって空気が新鮮に感じられる。
「さてと」
まずはエトールだ。
ただ、反魔物派の街だからすぐ傍に転移して目撃されたら言い訳出来ない。
よって少し離れた位置に転移することにした。
エトールから少し離れた平原に転移した私は辺りを見回し、誰もいないのを確認する。
問題はなさそうだ。
平原にある道をしばらく進むと街が見えてきた。
そして到着したエトールでは当然のように見張りが街の入り口にいたが、堂々と歩いて行ったら簡単に通過できてしまった。
すんなりと街に入れたのはいいのが、見張りは少し怠慢な気もする。
まあ、困るのは私じゃないから別にいいのだけど。
そんなことを思いながら私は酒場に向かう。
朝の鐘が鳴って間もないが、私が見つけた酒場は開店していた。
さすがにこの時間では客はおらず、店内は静かだった。
「おや、朝一から客とは珍しい」
冗談めいた声でそう言ったのはカウンターの奥にいた若い男。
それ以外に人影はないのでこの男がマスターなのだろう。
「じゃあ、その珍しいお客さんと少しおしゃべりしてもらえるかしら?」
「へえ、女とは意外だね。けど、歓迎するよ。少なくとも野郎よりはよっぽどね」
そう言って悪戯っぽく笑う。
そんな笑顔にこちらも軽く笑うと、カウンター席に座る。
「さて、どんなお話をお望みで?」
「その前に水をもらえるかしら?歩きっぱなしで今さっき到着したところだから、喉が渇いてるの」
「おっと、これは失礼」
マスターはわざとらしくおどけると奥へ行き、すぐにグラスを持って帰ってきた。
「どうぞ、お嬢さん」
目の前に置かれたグラスには薄い紫色の液体がたっぷりとつがれていた。
どう見ても水ではない。
「私は水をお願いしたはずだけど」
「声から察するに美人みたいなのでサービスだよ。あ、それとも酒は苦手だったかな?」
美人は得をすると誰かが言っていた気がするが、これもそうなのだろうか?
ただ、ペースド国にいる以上この人も反魔物派なのだろう。
正体を明かしたらどんな顔をするか見てみたい気もするが、今はふざけている場合ではない。
「いいえ。じゃあ、遠慮なくいただくわ」
ぶどう酒へと口をつけると、マスターは満足そうに頷いた。
「いやあ、やはり美人に飲んでもらえると嬉しいね。で、肝心の本題は?」
「ちょっと人を探しているのだけど、戦士のような外見をした男と若い娘の二人組を知らないかしら?」
「ひょっとしてそれは商人の親子だったりするか?」
意外な返事だ。
私としては見た覚えがあればいいくらいの気持ちで尋ねたのだが、マスターはこちらの予想以上にジオ親子について知っているらしい。
「その通りよ。なにか知っているのね?」
「知っていると言えるかは分からないが、つい最近立ち寄った傭兵がそんな話をしていたのを覚えているよ。バイパー傭兵団という名でね、うちの国じゃ結構有名な連中なんだが、話ぶりじゃその親子を追ってるみたいだったかな」
その言葉に私は少なからず困惑する。
私がマスターに尋ねた二人組といったら、恐らくジオ親子しかいないはず。
しかし、なぜ傭兵があの親子のことを追うのだろう?
「なぜ傭兵が商人を追うの?」
「さすがに理由は分からないな。ただ、商人が追われる理由は限られているからね。借金を踏み倒したとか、商品を持ち逃げしたとかじゃないかな」
その意見はもっともなもの。
ただ、私は会ったことはないが、話を聞く限りではジオはそんなことをする人ではない気がする。
それなのに追われていた。
理由は分からないが、いい感じはしない。
「…ありがとう。もう行くわ」
「なんだ、もう行くのか?もう少しお話しても…」
立ち上がり、足早に酒場を出て行く私にマスターの言葉はほとんど耳に入っていなかった。
頭に浮かぶのは今朝の宿の主人の話。
数日前にローチの村付近で見かけられたというバイパー傭兵団。
その傭兵団に追われていたというジオ親子。
これらの情報からは、どう考えても良い想像は出来そうもない。
酒場を出た私は細い路地へと入っていく。
辺りに人目がないのを確認すると、ローチの村へと転移した。
空は今日も快晴だ。どこまでも続く青は見ていて気持ちがいい。
晴れ渡った空だけを見ていられたなら、ずっと穏やかでいられたことだろう。
そう、空だけを見ていられたなら。
ローチの村に到着した私は絶句した。
そこにはかつては建物だっただろう残骸があちこちにあった。
中には無事なものもあるが、多くは焼かれて原型を留めていなかった。そのせいか、焼け焦げた匂いがする。
家がそんな状態だから、そこに住んでいた者達も無事なはずがなく、あちこちに遺体があった。
「なんでこんなことを…」
これがこの国で起きている襲撃事件なのだろう。
顔を歪めながら、私は村へと入っていく。
この村は魔物と人とが共に暮らしていたらしく、人だけでなく魔物の遺体も見受けられた。
昔、教団の粛清にあって壊滅した街を見たことがなければ、間違いなく胃の中のものを吐き出していただろう。
それくらい酷い光景だった。
それでも私は村の奥へと進む。
なんで奥へと進んだのかは分からない。
ひょっとしたら予感があったからかもしれない。
広場らしき場所に着いた時だった。
そこに倒れている一人の遺体が目に入った。
歳は40半ばといったところで、短い金髪。
そして、コインに似た首飾り。
それが分かった時、私の鼓動が一際大きく鳴った。
息を飲むと、ゆっくりとその人の傍に行く。
既に事切れているのは一目で分かる。
私はそっと首飾りに手を伸ばした。
その裏には『愛する父へ マリアン』という文字が刻まれていた。
「この人が…」
認めたくないが認めるしかない。
この人こそがジオなのだと。
私はそっとその頬に手を触れる。
当然だがそこにぬくもりはなく、あるのは生気を失った冷たい肌。
現実は甘くない。
それは理解している。
それでもこの現実はあんまりだ。
なぜ娘の幸せを願った父が殺されなければならないのだ。
やり場のない思いをこらえながら立ち上がろうとした時だった。
辺りに警笛が鳴り響いた。
その音に続いて近くの建物から男達が次々に飛び出してきた。
どうやら見張りがいたらしい。
村の惨状を目にしてすっかり気配を探ることを失念していた。
私を取り囲むように男達は包囲の輪を作る。
私を包囲した男達はどう見ても傭兵だ。
この人達がバイパー傭兵団なのだろうか?
私が油断なく辺りに神経を張り巡らせていると包囲の一部が崩れ、一人の男が姿を現した。
身に付けているものが他の人と比べて豪華なので、恐らく頭だろう。
「ほう、まだ生き残りがいたか」
頭はつまらなそうにこちらを見た。
「あなたが頭ね?」
こちらの問いに頭はおっという顔になる。
「女か。そうなると、殺すのはとりあえず保留だな」
「どういう意味かしら?」
私の問いに頭は初めて笑った。
まるで大事な秘密をばらすような笑みだった。
「簡単なことだ。お前が人間で、なおかつ器量の良い女だったなら殺しはしない。だが、普通の女だったり魔物だったなら死んでもらう」
「器量が良かったら、あなた達の玩具として生かしてもらえるということかしら?」
私の言葉に頭は笑みを強める。
「それは違う。俺達は依頼されたことをするだけだ。人の、それも器量の良い娘だけを連れて来いという依頼をな。さあ、そのフードを取って顔を見せてもらおうか」
「依頼されたから、こんな酷いことをしたの?」
そう言った途端、頭はついに声を上げて笑いだした。
「おかしなことを言う。酷いのは依頼者だろ?なにしろ人の娘以外は皆殺しにしろというんだからな。俺達は頼まれたことをしただけにすぎん。どんな汚い依頼だろうとこなし、その代わりに報酬をもらう。これが俺達の仕事だ」
確かに傭兵とはそういう存在だろう。
それが仕事として成立し、実際に人々の間で受け入れられている。
それは理解している。
ただ、理解するのと納得するのは話が別だ。
なにしろこの傭兵達はこの村を壊滅させたのだから。
「では、なぜこの人を殺したの?」
「ああ、そいつか。最初は殺すつもりはなかったさ。大人しく武具さえ差し出せば命は助かったのにな。全く商人ってヤツは理解しかねる」
どうやらジオのことを覚えているらしく、頭は呆れた口調でそう語った。
「それだけで?たったそれだけの理由で殺したというの?」
「そいつが魔物が作った武具を持ってさえいなければ、こうして追い回して殺すこともなかったさ。お前は知らないだろうが、俺達の国では魔物が作った武器は信じられない値段で取引される。そんな価値ある武具をたくさん持った商人が目の前に現れたら、是非ともお譲りしてもらいたくなるだろう?しかし、そいつは譲ってくれなかった。だから力づくで貰うことにしたわけだ」
だから殺したというのか。
あまりにも理不尽な物言いに静かな怒りが沸き上がってくる。
私が黙ってしまったのを怖気づいたと勘違いしたのか、頭は饒舌に話を続ける。
「そんなわけで強引に貰い受けることにしたんだが、商人にしては中々に抵抗したな。半年間の追いかけっこはそれなりに楽しかった。傑作なのはなんとか逃げ切れていると思っていたところか。俺達の最終目標であるこの村に逃げるように誘導されているとも知らずにな。おかげで思い通りに報酬と武具がまとめて手に入った」
頭はぱんぱんに膨らんだ袋を取り出すと得意気に見せてきた。
楽しそうな頭とは逆に、私の感情は急激に凍てついていく。
「で、お前はそいつの知り合いかなにかか?だとしたら悪いことをしたな。まあ、不幸な事故だったと思って諦め―」
「もういい。黙って」
限界だった。
もうこの男の話は聞きたくない。
だから私は言葉を遮ると同時にある魔法を使った。
「!?」
私の周りにいる傭兵達が次々に倒れていく。
頭も例外ではなく、他の者達と同様に地面にひれ伏した。
私はゆっくりと頭の前に歩み寄ると、見下ろしながら告げた。
「重力魔法を受けた気分はどう?」
「魔法!?…魔物か…!!」
頭がなんとか睨みつけてくるが、大地にひれ伏しているこの状況では迫力などありはしない。
「あなたに問うわ。彼の娘はどうしたの?」
「な、に…?」
「彼には娘がいたはず。一緒に行動していた娘がね。彼女はどうしたの?同じように殺した?」
冷たい目で見下ろしながら、無感情な声で問い質す。
傍から見れば、きっと処刑人かなにかに見えたことだろう。
「あの娘なら依頼者に引き渡した…!」
「では、その依頼者は誰?こんな酷いことを依頼した黒幕は?」
だが、私の問いに頭は顔を歪めるだけで答えなかった。
口封じも報酬に含まれていたのだろう。
この状況でも依頼者との約束を守ろうとするその心構えには普段なら感心するところだが、今は単なる悪あがきにしか見えない。
だから嫌でもしゃべるように重力魔法の威力を上げる。
「ぐあっ!!」
より強い重力が加わったからか、傭兵達は悲鳴を上げ、武器や鎧が軋む音がした。
「言いなさい。それとも、このまま体を潰されたい?」
脅し文句とともにまた威力を上げる。
そろそろ体の内部が圧迫されて痛みを感じるころだ。
それでもまだ話せるくらいには抑えているが。
「ペ、ペースド国の、ナー、ル…。その街の、トルウィン奴隷商だ…!この国の、村を襲えと言ったのも、あいつらだ…!」
観念したのか、頭はそう白状した。
つまりいくつもの襲撃事件はトルウィン奴隷商が企て、バイパー傭兵団が実行したということか。
「これで、全部だ…。頼む、助けて、くれ…!」
途切れそうな声で懇願してくる頭に、私は突き放すように言った。
「休息も慈悲も与えないわ。与えるのは絶望だけ」
「なっ…」
信じられないことを聞いたように頭は目を見開いた。
「なぜ驚いているの?武具欲しさに人を殺めたあなた達を許すとでも思った?罪には罰を。それは当然でしょう?」
そう言って別の魔法を使う。
それに合わせて傭兵達は次々に意識を失っていく。
使ったのは眠らせて悪夢を見せる魔法。
本当なら亡くなった人たちの無念を晴らしてあげたいが、彼らを裁くのはこの国に任せるべきだ。
「悪夢をさ迷うといいわ。次に目が覚めた時に待っているのは冷たい牢屋だと思うけど」
意識を失った頭にそう告げる。
依頼したのはトルウィン奴隷商でも、実行したのは彼らだ。
相応の報いを受けることだろう。
私は彼らの荷物からロープを探し出して傭兵達を一人残さず縛り上げると、次の作業に移る。
少しでも埋葬しやすいように亡くなった人達の遺体を一か所にまとめるのだ。
ローブを脱いで動きやすくすると、一番大きな家へ一人ずつ運んでいく。
そんな作業が終わったのはすっかり夜になってからだった。
最後の一人を運び終えた私の服は彼らの血で真っ赤になっていた。
これでいい。
私は広場へ移動すると、血に染まった衣服を脱いでそっと地面に置く。
続けて魔法でリリムとしての衣装に着替える。
今からやるのはダークプリーストに教えてもらった魂を弔う儀式。
必要なものは亡くなった人達の血と体の一部。そして儀式を実行する者の体の一部。
血は私が着ていた服に染み込んでいる。
体の一部は遺体を運ぶ際に髪の毛を少しだけ切っておいた。
それを服の周りに置く。
これで準備は整った。
あとは私の体の一部。
私は翼を出すと、そこから羽を一つ抜く。
その羽へ弔いの紅い炎を灯すと、服へ置いた。
瞬く間に燃え上がる服。
紅の炎はゆっくりと燃え広がり、静かな火柱となって空まで伸びる。
彼らの髪も燃え、火の粉となる。
だが火の粉は消えることはなく、螺旋を描くように火柱に寄り添って空へと昇っていく。
「あなた達の魂が、再びこの世界へと導かれますように」
亡くなった人達の魂がどうなるかは分からない。
それでも、いつかこの世界へ帰ってくると信じよう。
だからその日まで。
「さようなら…」
火柱を見上げながら、別れの言葉を告げる。
魂の弔いを済ませた私は静かにその場を後にした。
雲一つない夜だった。
まだ人が眠るには早い時間に、私はロックの店のドアを叩いた。
程なくして扉が開き、ヒルダが不機嫌そうな顔を覗かせた。
「こんな時間に一体だれ…、ああ、あんたか」
「夜分に訪問したことは謝るわ。少しいいかしら?」
ヒルダは無言でこちらを見ていたが私の様子から察してくれたらしく、くいと顔を動かした。
入れということだろう。
店に入った私はそのまま奥の部屋に通された。
恐らくは商談用の部屋だろう。
三人は座れそうなソファが二つ向き合って置かれていて、その間には綺麗なテーブルがあった。
ヒルダは片方のソファに座ると、私に向かいに座るようにと顎でしゃくる。
「こんな時間に来たってことは何か話があるんだろ?」
私が座るとヒルダはそう口火を切った。
「ええ、そうよ」
「で、ジオのヤツには会えたか?」
その問いにはどう答えるべきなのだろう。
素直に全てを話すべきだろうか?
私が何も答えず俯いたままだったからか、ヒルダは訝しむように目を細めた。
「…まさか、あいつらの身に何かあったのか?」
私は顔を上げて彼女の目を見ると、ゆっくりと首を横に振った。
残念だった、とでも言うように。
それが分かったのか、ヒルダの目が見開かれる。
そして彼女はすぐに片手で両目を覆った。
「あの馬鹿…。だからあたしは言ったのに…」
覆っている手の間から涙がこぼれる。
どうやらジオには同じ商売仲間以上の感情があったらしい。
私はそんなヒルダにどう声をかけていいのか分からず、黙り込むしかなかった。
それからしばらくは部屋にヒルダのすすり泣く声だけが響いた。
「…みっともないところを見せたね」
やがて泣き止んだヒルダはまだ赤い目でこちらを見ながらそう言った。
「いいえ。あなたにとって彼は大事な仲間だったのでしょう?親しい人のために涙を流すのは悪いことじゃないわ」
「ああ、そうだね…。大事な仲間だったよ。それこそ、一緒に商売をしたいと思うほどに」
ヒルダは立ち上がると席を外し、隣りの部屋から大きな酒瓶とグラスを二つずつ持ってきた。
「酒は飲めるだろう?」
「それは上等のものではないの?」
私の問いに、テーブルに酒瓶を置いたヒルダは軽く笑う。
「ああ。あいつの、マリアンの結婚式に贈ろうと思っていた酒だ。けど、もう意味がない。だから責めて願おう。あの世では笑って暮らせるように」
そう言って栓をあけようとするヒルダの手を、私は手を重ねて止める。
「その酒、開けるのはまだ早いわ」
「どういう意味だい?」
「恐らく、マリアンはまだ生きているわ」
ヒルダは驚いた顔でこちらを見た。
「生きてるのか…?あの子は?」
「ええ。だからこの酒は予定通り、二人の結婚式に贈って」
「じゃあ、そっちの酒は?」
ヒルダは私の前に置かれた酒を目で示す。
その問いに私は笑顔で答えた。
「彼の墓前に」
ヒルダはその言葉に目を閉じる。
しばらくして目を開いた彼女は穏やかな顔でこちらを見た。
「…そうしよう」
「では、ここに来た理由を話してもいいかしら?」
「理由?ジオの訃報を報せてくれたんじゃないのか?」
「それもあるけど、私がここに来たのはあなたに頼みたいことがあったからよ」
ジオの死。
確かにそれを報せる意味でもここに来たのは事実。
だが、本当の目的は他にある。
「それはなんだい?」
「亡くなった人達の埋葬をお願いしたいの。場所はローチの村。遺体は大きな家にまとめておいたから」
言葉ともにぱんぱんに膨らんだ袋を取り出してテーブルに置く。
頭から奪っておいたお金だ。
「このお金でお願い」
「随分あるな。こんな大金、一体どうしたんだ?」
ヒルダは私と袋とを交互に見つめる。
「亡くなった人達の命の値段よ。だから全部使ってくれて構わないわ」
「…そうか。分かった」
「それと、村の襲撃犯も捕まえてあるから、そっちもお願い」
「襲撃犯って、最近騒がれているヤツらか?だとしたら賞金が出るぞ」
それは知っている。
だが、お金なんて欲しくはない。
そんなものを貰ったところで死者は帰ってこないのだから。
「あなたが代理で貰って。賞金は亡くなった人達の埋葬に当ててもらえる?」
「代理って、あんたが直接もらえばいいだろ」
「私には、まだやることがあるから」
マリアンの奪還という仕事が私には残っている。
だからヒルダに頼みに来たのだ。
「やること?」
「マリアンは奴隷商に引き渡されたそうよ。だから、返してもらいに行くわ。彼女は、マリアンは彼のものなのだから」
「奴隷商だと?だとしたら、今はどこにいるかも分からないだろ?もう売られてしまった可能性だって―」
「関係ないわ」
私は遮るように言葉を重ねると、ヒルダを見た。
「彼女が今どこにいようと関係ない。例え世界に果てがなくとも、必ず見つけ出すわ」
そう、必ず見つけ出してみせる。
ジオが幸せを願い、クリスが愛した人なのだから。
「…どうしてそこまでするんだ?あたしには理解出来ない」
初めて会った時にも言われた言葉。
それを再び言ったヒルダの目は真剣そのもの。
私はその目を真っ直ぐに見つめ返す。
「娘の幸せを願った父はこの世を去り、その娘は愛する人と結ばれず奴隷へと成り果てた。この世界ではありふれた悲劇の一つね。でも、この現実は私が望んだ結末ではないから」
私が望んだのはささやかな結末。
「私は見たいのよ」
そう言ってヒルダに微笑む。
彼女はそれだけでは分からなかったのか、どういう意味だ?と目で訴えてきた。
「私が見たいのは悲劇ではなく、愛し合う二人は結ばれて幸せになるという物語。そんなお伽噺のような結末が見たいからよ」
私は母様のように世界のシステムを書き換えることは出来ない。
それでも人が織り成す物語くらいなら私でも書き換えることは出来る。
だからマリアンを返してもらいに行くのだ。
彼女がクリスのもとへ帰ることが出来れば、悲劇は愛し合う二人は結ばれて幸せに暮らしたという物語に書き換わるのだから。
「…なぜアルバがあんな紹介状を書いたのか分かったよ」
そう言ってヒルダは笑った。
「あんたの頼みは引き受ける。葬儀屋には話をつけとく。立派な墓も作ってもらう。だから、私も一つ頼みたい」
ヒルダはそこで言葉を区切る。
そして母親のような目で私を見た。
「あの子を、マリアンを必ず取り返してくれ。あの子はジオの忘れ形見だから」
「ええ、約束するわ」
短い挨拶を交わすと、私はロックを後にする。
「さあ、終幕にしましょう」
誰にともなく呟くと転移魔法でナールへと向かった。
トルウィン奴隷商は立派な商会だった。
五階建ての建物は隣接する建物と比べても一際目立っている。
それだけ儲かっているのだろう。
その方法が真っ当かは別だが。
私は商会を見上げると、この建物を覆うように結界を張る。
これでこの建物は世間から断絶された。
だから中でどんな騒ぎが起ころうと回りが気づくことはない。
準備を済ませると私は入り口へと向かう。
夜なので扉は当然閉まっているが、そんなものは関係ない。
開錠魔法で鍵を開けると私は中へ入る。
大きい建物なだけあって感じられる気配が多い。
とりあえず一階にある二つの気配へと向かおう。
奴隷の居場所はそのどちらかから訊き出せばいい。
私は二つの気配がする部屋の前に移動するとノブに手をかける。
しかし、意外なことに鍵がかかっていた。
仕方なく魔法で鍵を外して扉を開けると、一組の男女が交わっていた。
いや、正確には娘が犯されていたと言ったほうがいいかもしれない。
なにしろ娘は辛そうな顔で涙を流していたのだから。
私という突然の訪問者に二人は揃ってこちらを見た。
男は性交の邪魔をする者を睨みつけるように。
娘は助けを求めるような目で。
「なんだ、お前は!!」
今の私はローブを着ているからだろう。
男は魅了されずにベッド脇にあったテーブルから短剣を掴むと、私に斬りかかってきた。
短剣一本、裸で向かってくる勇気は評価してあげなくもないが、はっきり言って無謀だ。
私は短剣を人差し指だけで受け止める。
「な!!」
男が驚いている隙に刃の部分を素早く握り崩壊魔法をかける。
結果、短剣の刃の部分は塵となって消滅した。
「馬鹿な!対魔の剣だぞ!?」
その発言には呆れてしまう。
確かに触ってみてそんな力はあったが、申し訳程度のもの。
あれでは成長した魔物には普通の剣と大差ない。
つまり見習いが作った物だろう。
そんな剣でリリムに効果があるわけがない。
私は驚く男の頭を掴むと、魔法をかける。
「今から二十四時間、悪夢をさ迷いなさい」
男が白目を向いて倒れるのを確認すると、娘に視線を向ける。
娘のこちらを見た目は心底怯えていた。
私は娘の傍に歩み寄るとフードを外す。
「心配しないで。私はあなたに危害を加える気はないから」
微笑みかけると、娘はそれで少し安心したのだろう。顔から怯えの色が消えた。
「あなたは一体…」
「私はある人を助けに来たのよ。あなたは奴隷としてここに連れてこられたのでしょう?私を他の奴隷のところに案内してもらえないかしら?あなた達を助けたいの」
娘は理解出来ないといったように呆けていたが、やがて頭が言葉を認識したらしい。
私を見ると、力強く頷いた。
「ありがとう。じゃあ、服を着て。案内はそれからね」
さすがに裸の娘に案内させるつもりはない。
娘が服を着るのを見計らって行こうとすると、呼び止められた。
「あの、あなたは何者なんですか?」
振り返れば、娘は恐怖と好奇心とが混ざったような顔をしていた。
娘は器量が良いのでそんな顔も可愛らしい。
私は口の端だけで笑うと、ローブを脱いだ。
着ていた服はローチの村で燃やしてしまったのでリリムの衣装のままだ。
それに加えて翼も出し、尻尾と一緒に見せてあげた。
「魔物…」
「そうよ。ところであなたの名前はマリアンだったりするかしら?」
「いいえ。その人を助けに来たんですか?」
私の問いに娘は首を振ると、逆に問い返してきた。
「ええ。だから案内して?みんながいる場所へ」
「分かりました。でも、まずは鍵を見つけないと…」
「それは問題ないわ。どんな鍵だろうと、人が作った鍵なんて私には無意味だから」
「そうなんですか?じゃあ、こっちです」
娘は私の前に出て歩き始める。
そして案内されたのは一階の一番奥にある部屋だった。
その部屋は倉庫らしく、広い空間に様々な物が置いてあった。
娘は倉庫の奥にある扉の前で足を止める。
「この先です」
「分かったわ」
私は開錠魔法を使い、鍵を開ける。
扉を開けた先は、下り階段があった。
どうやら地下室があるらしい。
今度は私が先に出て階段を下りて行く。
大して長くない階段が終わると、またしても扉があった。
「厳重なことね」
「この先にいるのは奴隷は奴隷でも商品として売られない奴隷です…。その、せ―」
娘が全部を言う前に、私はその唇に人差し指を当てて封をした。
「それ以上は言わなくていいわ。同じ女として聞きたくないから」
娘がなにを言おうとしたかは分かる。
この先にいるのは商品ではない奴隷。
つまり性奴隷ということだろう。
それが間違いでないことは、先程この娘が犯されていたことから間違いないはず。
私はため息をつくと、魔法で鍵を外して扉を開けた。
扉の先にあった部屋は、牢屋ばかりで奴隷に相応しい地下室だった。
一人一人別の牢屋に入れられていて、人のいる牢屋が全部で15個。
私が扉を開けたからか、全員が怯えるような目でこちらを見ていた。
全員の意識がこちらに向いているのを確認すると、私は穏やかに告げた。
「この中にマリアンという人はいる?」
私の言葉に、最も奥にいた娘がビクリと体を反応させた。
なるほど、彼女がそうか。
私は再びため息をつくと、人がいる牢屋全てに開錠魔法を使う。
それに合わせて鍵が外れ、勢いよく牢の扉が開いていく。
「あなた達は自由よ。ここから逃げなさい」
驚く娘達にそう言うと、私は真っ直ぐにマリアンのもとへと歩み寄る。
近くで見たマリアンは私から見ても美人だった。
髪は母親譲りなのだろう、綺麗な空色。
だが、顔がだいぶやつれてしまっている。
「あなたがマリアンね?」
牢の中に入ると、床に座り込んでしまっている彼女に声をかける。
「…あなたは一体誰ですか?なぜ私を…」
「私はミリア、クリスの使いよ。あなたを迎えに来たわ、マリアン」
クリスと聞いてマリアンの顔に少しだけ活力が戻った。
「クリスの…。あの人は、クリスは元気でしたか?」
「ええ。手紙でやり取りしていたのだから、それくらいは分かるでしょう?」
「手紙…。そうですね、半年前までは…、傭兵に追われるまではずっとやり取りしていました」
マリアンは辛そうに顔を俯かせた。
半年間の逃亡生活、そして父の死が彼女をここまで疲弊させてしまったのだろう。
そんな彼女の様子は見ていて辛かった。
だから早く彼のもとへ連れていこう。
「彼は今もあなたの帰りを待っているわ。さあ、行きましょう。私が連れていってあげるわ」
しかし、マリアンは私が差し出した手を掴むことはなく、顔をゆっくりと横に振った。
「…行けません」
「どうして?」
「私は汚されてしまった…。クリスと将来を約束した私はもういないんです…。だから、クリスに伝えて下さい。マリアンは父とともに死んでいたと。だから、私のことは忘れて幸せになってと。そう彼に」
話しながらマリアンは涙を流す。
そんな様子が見ていられず、私は無理矢理マリアンを引っ張り上げて立たせると、言ってあげた。
「嘘ね」
「え?」
「心が泣いてるわ」
マリアンの胸へそっと手を当てる。
「彼を愛しているのでしょう?その彼に忘れられてもいいの?彼と一緒に幸せにならなくていいの?」
「幸せになんて、なれません…。私のせいで父さんは死んでしまった…。それなのに、私だけが幸せになんてなれるはずがありません。そんなの、許されるはずが…」
「そうね、確かにジオさんは亡くなってしまった。でも、あなたは生きてる。だからあなたは幸せにならなくちゃいけない。ジオさんの分までね。あなたは幸せになる義務があるわ」
「でも」
「クリスは」
マリアンが何か言おうとするのを、私は言葉で遮る。
「クリスは他の娘の誘いにも応じず、私の誘惑にも負けず、あなたを想い続けているわ。彼の真っ直ぐな想いに応えられるのはあなただけなのよ」
「それでもダメです!こんな、こんな汚れてしまった私は絶対にクリスには見せられない!!」
悲痛な叫びとともにマリアンは両手で顔を覆う。
好きな人のために、清らかな身でいたかったのだろう。
その気持ちは痛いほど分かった。
だから私はある提案をした。
「じゃあ、生まれ変わる?」
「…え?」
マリアンは顔を上げると、すがるような目で私を見た。
「私は人を魔物に変えることが出来るの。『人』としてのマリアンが彼に会えないなら、『魔物』になれば会えるということよね?」
「私が魔物に…?」
「強要はしないわ。それは人を辞めるということだから。あくまで選択肢の一つ。人として彼のところに帰るか、魔物として彼のところに帰るかの違いだけ」
「魔物に…」
魅力的な提案だったのか、マリアンは繰り返し呟いていた。
「さあ、どうする?あなたの答えを聞かせて」
「私が魔物になっても、クリスは受け入れてくれるでしょうか…?」
「その問いの答えはあなたが一番よく解っているはずよ。あなたが知る彼を思い出してみるといいわ」
「クリスを…」
姉妹の中には積極的に魔物に変えようとする者もいるが、私は消極的だ。
本人が望むのなら魔物に変えるが、無理矢理変えたりはしない。
魔物に変えるということは存在を変えてしまうことだから。
だからマリアンにも強要はしない。
望むのなら与える。
それだけだ。
やがてマリアンはどうするのか決めたらしく、強い意志の宿った目で見つめてきた。
「私を魔物にして下さい」
「いいの?人を辞めても」
気持ちは変わらないだろうが、一応確認する。
「はい…。私はずっと守られてばかりだったから、だから、今度は私が守りたいんです。クリスを、クリスとの幸せを。魔物になれば、それくらいは私にも出来るはずだから」
「そう」
私は軽く笑うと彼女と距離と詰め、そっとキスをした。
「ミリアさん?一体なにを…」
「あなたを魔物にするための準備よ」
そう言って再びキスをする。
さっきのように一瞬ではなく、恋人同士がするような長いキスを。
「や、やめ…んっ…」
マリアンは最初こそ嫌がるように私の体を押し返してきていたが、生憎とリリムのキスだ。それは女性さえも魅了できる。
すぐに私を押していた手は腰に回され、今度は逆に引き寄せてきた。
私も負けじと抱きしめ、マリアンの体を壁に押し付ける。
マリアンはすっかり私に魅了されたらしく、貪るように舌を絡めてくる。
私もそれに舌で応じながら、手をマリアンの腰に移動させ、下着を脱がそうとする。
しかし、そこに下着の手応えはなかった。
恐らく、商館の人間がすぐに事に望めるように下着を着させていないのだろう。
だが、今はそれがありがたい。
マリアンはスカートなので、その内側へと尻尾を侵入させる。
それに気づいたのか、マリアンは私から唇を離した。
「ミリアさん?なにを…」
「汚されてしまったのでしょう?だから綺麗にしてあげるわ。上だけでなく、下の口もね」
それと同時にマリアンの秘部へと尻尾を潜り込ませる。
「んっ!あっ…そこは、んっ、ダメ…あっ!んんー!」
可愛い声で喘ぎ始めたマリアンの口は再びキスをしてふさぐ。
マリアンの蜜壺はさっきのキスですっかりその気になったらしく、既に愛液でぐしょぐしょに濡れていた。
おかげで尻尾はするすると膣の奥へと入っていく。
それが感じられるからか、マリアンは私にキスをされながら快感に身悶えする。
だが、私は少し悲しかった。
本来ならあるはずの膜がなかったから。
それを破るのはクリスだったのに。
唇を離してマリアンを見つめる。
私という媚薬に完全に酔ってしまったらしく、マリアンは恍惚とした表情で目をさ迷わせていた。
性に溺れる彼女も魅力的だ。
だから、もっと可愛いところを見せてもらおう。
私は尻尾を円を描くように膣へと擦りつける。
「あうっ!や、ん、ああッ、だ、だめ…も、もう、ん!げ、限界…んぅ!」
悲鳴にも近い声を上げるマリアンの体が痙攣してきた。
宣言通り、限界が近いらしい。
「じゃあ、これで終わりにしましょう」
とっくに到達していた尻尾の先端を子宮へとぶつけた。
「ああああッ!」
私が一際強く尻尾で突き上げると、マリアンは絶頂を迎えた。
私はそれと同時にマリアンの中へと魔力を放つ。
同時に溢れる愛液が尻尾を濡らし、スカートにシミを作っていく。
「はあ、はあ、あぅぅ…」
魔力を放ち終わると、尻尾を抜いて彼女の体を解放する。
糸の切れた人形のように崩れ落ちるマリアン。
だが、休む間もなく変化が始まった。
「あう!?」
魔物化する際に感じるのは痛みではなく快感。
マリアンも内側からの快感を抑え込むように体を抱きしめる。
そんなマリアンの頭からは、空色の髪をかき分けて白い角が顔を見せた。
「ん、くうッ…!」
続けて羽ばたくような音とともに、髪と同じ空色の翼が上着を突き破って腰の辺りに生える。
最後にハート型の尻尾が突き出て、ようやく体から出られたことを喜ぶようにゆらゆらと揺れた。
「はあ、はあ、はあ…」
変化が終わったマリアンは荒い息とともに床に手をつく。
実は変化はこれだけでなく、もう一つある。
もっとも、それは一番最初に終わっているのだが。
その変化とは処女膜の再生。
ちぎれてしまった腕などは無理だが、処女膜くらいなら再生出来るのだ。
それも魔物化する際に一度だけだが。
だが、今度こそは愛する人がそれを破ってくれるだろう。
「どう?生まれ変わった気分は?」
「不思議な気分です。でも、嫌な気はしません」
「そう。じゃあ、行きましょう。彼が待っているわ」
私とマリアンが牢を出ると、他の娘達に行く手を遮られた。
一体どういうつもりなのだろう?
それを問おうと思ったのだが、一番最初に出会った娘が先に声を出した。
「あの…、お、お願いがあります。私達も魔物にして下さい」
意外な申し出だ。
「自分の言っていることを理解してる?魔物になるということは、人を辞めるということよ。あなたに、あなた達にその覚悟があるの?」
「覚悟は出来てます。私達にはもう帰る場所も、帰りを待っている人もいません…。みんな殺されてしまったから…。だから…人であることに未練などありません」
そう言った娘の顔は赤い。
私とマリアンの情事を見ていたからだろう。
それでも、その顔には強い意志が見てとれた。
他の娘も顔を上気させてこそいるものの、こちらを見る目は希望に満ちていた。
「…分かったわ。その願いを叶えましょう。覚悟が出来ている人から前へ出なさい。望み通り、魔物にしてあげる」
ため息とともにそう言うと、娘達は次々に前へ出てくる。
そして、地下室には娘達の嬌声が響いた。
最後の一人がラミアへと姿を変えると、私達は地下室から倉庫へと上がった。
変化する過程で服が破けてしまった者もいるので、倉庫で服を調達する。
彼女達は服を着ると、忠実なしもべの如く私の前に整列した。
「さあ、宴を始めましょう。あなた達全員が主役よ。これからは思うように生きなさい」
私は一人一人の顔を見ると、最後に言い放った。
「誕生日おめでとう、みんな」
それを合図に彼女達は我先にと倉庫を飛び出していく。
彼女達が望んだのは復讐。
自分たちをこんな目に遭わせた者達への報復だった。
一応、命は奪わないように言っておいたから死人は出ないだろう。
逆を言えば命以外は保障しないということだが、それは自業自得と言える。
「私も少し行ってくるわ。あなたはここで待ってて」
一人残っていたマリアンにそう言い残し、早くもあちこちから悲鳴が聞こえる商館を最上階へと向かう。
向かうのはこの商会の主の部屋。
でも私自身は何もしない。
ただ告げるだけだ。
最上階に着いた私は唯一気配がある部屋の扉を開ける。
そこでは一人の男が積み上げた金貨の枚数を数えていた。
「お邪魔するわ」
男に声をかけると、まるで死人でも見たような顔をした。
「なっ!魔物!?一体どこから!?」
「もちろん、入り口から」
「な、何が目的だ!?俺を食うつもりか!?」
「いいえ。私は告げに来ただけ」
「告げるだと?なにをだ!」
男は声を荒げるが、私は微笑むだけ。
彼女達の気配が近づいてくるのが分かる。
「どうやら来たみたいね。あなたの死神達が」
私がそう言った瞬間、扉が乱暴に開けられ、次々に彼女達が入ってくる。
「な、なんで、こんなに魔物が…」
「良かったわね。みんな、あなたにお礼がしたいそうよ。たっぷりと可愛がってもらいなさい」
獲物を追い詰めるように彼女達はゆっくりと男へ近づいていく。
「ま、待て…、金ならいくらでも払う。だ、だから、助け…」
顔を引きつらせる男に、私は笑顔で告げた。
「良い夜を」
それを合図に彼女達が一斉に襲いかかる。
男の絶叫と悲鳴が響く部屋の扉をゆっくりと閉めて後にすると、私は倉庫へ戻った。
「もういいんですか?」
「ええ。じゃあ、行きましょう。愛しい彼のもとへ」
「あの人達は置いていくんですか?」
「転移魔法陣を置いておくから問題ないわ」
この魔法陣の行き先は魔界のとある街。
まだまだ発展途上だから、彼女達を受け入れる余裕がある街だ。
「さあ、行きましょう」
私はマリアンの手を握ると、クリスの家の前へと飛んだ。
「ここは、クリスの家?」
「そうよ。ほら、行きなさい。彼が待っているわ」
クリスの家の前に転移すると、私は彼女を促す。
そう言われてマリアンはおずおずと扉の前に行くと、控えめにノックする。
「はい。どちらさま…」
すぐに出てきたクリスは目の前にいる人を見て固まった。
「マリアン…?」
「ええ、そうよ…。久しぶり、クリス」
「マリアン?その姿は一体…」
「こ、これは、その…」
クリスはマリアンの姿を見て驚いたようだったが、すぐに真剣な表情になった。
「もしかして、魔物になったから手紙の返事をくれなかったのかい?」
「違う!違うの!この姿と手紙は関係ないの!私が魔物になったのは、あなたとずっと一緒にいたかったから!あなたと幸せになりたかったから!だから…」
途中で力尽きたかのように俯くマリアンに、クリスは微笑んだ。
「そうか」
そう言ってマリアンを抱きしめた。
「え?」
「人の君も綺麗だったけど、魔物になった君はもっと綺麗だよ」
「いいの?私はもうあなたの知ってるマリアンじゃないのよ?それでもいいの?」
「関係ないよ。人だろうと魔物だろうとマリアンはマリアンだ」
そう言われ、マリアンの目から涙がこぼれる。
「クリス、クリス!会いたかった、ずっと会いたかった!」
「おかえり、マリアン」
二人は見つめ合い、そのままキスをする。
完全に二人だけの世界だ。
もっとも感動の再開を邪魔する気はない。
だからそっとその場を立ち去るつもりだった。
「待って下さい!」
振り返れば、クリスとマリアンが揃ってこちらを見ていた。
「なにか用?」
「あなたのおかげでマリアンが無事に帰ってきました。本当にありがとうございます」
クリスが頭を下げ、それに続けてマリアンも頭を下げる。
「礼を言われるようなことはしてないわ。それに…救えなかった命もあるから」
マリアンはハッとしてクリスを見る。
「クリス、父さんは」
ジオのことを告げようとしたマリアンを、クリスは手で制す。
「言わなくていい。君だけが帰ってきた。それだけで察しは付いてたから。…辛かったね」
「クリス…」
「クリス君。彼女を守ってあげられるのはもうあなただけよ。だから、大切にしてあげてね」
力強く頷くクリス。
「はい!」
彼の返事に満足の笑みを浮かべると、私は告げた。
「あなた達に良き日々が多くありますように」
軽く手を振って彼らと別れる。
静かな夜道を歩くのは私一人。
それでも私は笑みをこぼす。
転移魔法をはじめとするいくつもの魔法に魔物化。
おかげで随分と魔力を使ってしまった。
もう魔力は半分も残っていない。
そこまでして私が得られたものはない。
いや、一つだけある。
それは小さな満足感。
費やした労力と見返りに釣り合いは取れていないが、そんなことはどうでもいい。
悲劇は私が望んだ結末へと書き換えることが出来たのだから。
「さてと」
これからどうしようか。
最優先すべきは失った魔力の補充だが、あの二人を見た後ではそんな気分になれない。
そうなると。
「夕食ね」
今日は朝食を軽く食べただけだ。
かといって、今から家に帰って自分で作る気は全くしない。
よって行き先は一つ。
私は「狐の尻尾」へと転移した。
営業時間は過ぎていたがまだ扉に鍵はかかっておらず、私が扉を開けると二人が後片付けをしていた。
「あ、ミリアさん。どうしたんです?今日は食事ですか?」
すぐに気づいたレナが声をかけてくれた。
「ええ。適当に料理とお酒をお願いしたいの。いいかしら?」
「もちろんですよ。待ってて下さいね、今用意しますから」
「では、テーブルは汚れているのでカウンター席へどうぞ」
すっかり従業員らしくなったハンス君に案内され、席に座る。
「今日もまた散歩に?」
お冷を出しながらハンス君が質問してくる。
「ええ。でも、今回はさすがに疲れたわ」
その後、シーフードパスタを食べ、赤ワインを飲んだところまでは覚えているのだが、そこからの記憶がない。
どうも、疲れてそのまま眠ってしまったらしい。
私の寝顔にハンス君が見惚れて、その後レナにたっぷりと搾られたらしいのだが、それを私が知ったのは後日だった。
私が目を覚ましたのはレナの家の客室。
そっと部屋を出ると、レナの部屋の前で足を止める。
静かに扉を開けて中を覗けば、裸の二人が抱き合うように眠っていた。
状況を見るに、昨夜もシていたらしい。
お礼を言おうと思ったのだが、起こすのも悪いので書置きを残して私は店を後にする。
「まずは魔力の補充ね」
私の四つの国を巡る物語は昨日で終わった。
そして今日はまた別の物語を見ることになるだろう。
私は今から行く先で見られるであろう物語に思いを馳せ、笑みをこぼす。
そして私は今日もまた、気ままな散歩へと出かけたのだった。
11/10/24 00:25更新 / エンプティ
戻る
次へ