連載小説
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リリムと四つの国(前編)
目を開けるとそこには見慣れた天井があった。
目覚めた私が寝ていたのは二人用のダブルベッド。
ただ、寝ているのは私だけなので広く感じる。
本当なら夫と一緒に使うものだが生憎と私は独り身だ。
夫が欲しいという気持ちがなくもないが、別にいなくてもあまり困ってない。
「さてと」
体を起こして伸びをするとベッドから降りた。
台所に行き、朝食の用意をする。
朝はそんなに食べられないので、目玉焼きと野菜のスープというシンプルなもの。
「いただきます」
そう言って私はスープに口をつける。
この前味付けが薄いと言われたので、最近はもう少し味付けを濃くしてみた。
調味料をいつもより多めに入れたスープは確実に味が濃くなっていたが、これなら嫌というほどでもない。
でもそれはあくまで自分の感想。
やはり誰か他の人から感想を聞かないとわからない。
「レナに味をみてもらおうかしら?」
料理を始めたのも実はレナの影響だったりする。あんなふうにおいしい料理を作りたいと思ったのだ。
だからレナは料理の師だと勝手に思っているので、味見をしてもらうのはいい考えかもしれない。
ついでにハンス君にも訊いてみよう。
レナの料理とどっちがおいしい?と訊いてみるのもおもしろそう。
きっと困り顔で顔を赤くすることだろう。
まあ、それでも最終的にはレナの方と答えるはず。
それを想像して笑ってしまう。
よし、今夜は久しぶりに「狐の尻尾」に行こう。
夜の予定はそれでいいとして、今日の散歩はどこに行こうか。
景色をみたい気分ではないし、おいしい料理を食べたいわけでもない。
「久しぶりに夫探しでもしようかしら?」
ここ最近、というか最後に夫探しをしたのがいつかも覚えていないが、気分転換にもなるし、今日はそうしよう。
そうなるとどこに探しに行くかだ。
「人の多そうなところ…」
朝食を済ませた私は世界地図を眺め、人がいそうなところを探す。
そして目についたのは四つの国がお互いすぐ近くにある地域。
よし、ここにしよう。
目的地を決めた私は転移魔法で四つの国の一つへと向かったのだった。




私が向かったのはトーハという名の国で、この国は親魔物派のようだ。
その証拠に私が来た街の入り口では普通の兵士とサラマンダーが通行人をチェックしていた。
入り口に列を作っている人達の最後尾に私も並ぶ。
ちなみに今は露出なんて無いに等しい服を着ている。
それだけでなく、その上からローブを身につけ、フードを目深にかぶって素顔があまり見えないようにもしている。
こうでもしないとリリムの私は人目を引き過ぎて色々大変なのだ。
そんなわけで人目対策はきちんとした私だったが少しやりすぎたらしい。
入り口を通過しようとして兵士に呼び止められてしまった。
「そこのお前。止まれ」
槍で行く手を遮られてしまい、私は足を止める。
「この街は現在祭りでな。怪しい者は入れるなと命令されている。すまないが顔を見せてもらいたい」
御苦労さまなことで。
仕事熱心な兵士に言われ、私は仕方なくフードを外し、顔を晒した。
途端に聞こえる感嘆の声や口笛。
間近で見た兵士に至っては口を半開きでポカンとしている。
ちょっと間抜けで可愛らしい。
その顔を眺めているのも悪くないが後ろにはまだ列がある。
「これでいいかしら?」
ほとんど放心状態の兵士は声をかけられて我に返ったようだ。
「あ、はい…。どうぞ…」
急に敬語になり、熱っぽい目で見ながら通してくれた。
私は一礼してフードをかぶると街に入る。
祭りというだけあって入り口でさえけっこうな人がいる。
きっと祭りということで近くの町や村からも人が集まっているのだろう。
これだけ人が多ければ私の夫になってくれそうな人がいるかもしれない。
少し期待してもよさそう。
軽く笑いながらそんなことを考えて、ふと足を止める。
そういえばこういう人の多い場所での夫探しってどうやるんだったかしら?
あまりにも久しぶりなせいか、探し方をすっかり忘れてしまったみたいだ。
目の前の光景には自分の目的の場所へと向かう人々。
その中には当然男だっている。
背の高い人、若くやる気に充ち溢れている人、体つきの良い人と、いくらでもいるのだが、なぜかみんな景色に見える。
人という景色の中に私が一人ぽつんと立っているだけ。
そんなふうに感じる。
精をもらう時やたまたま出会った人ならちゃんと男として認識できるが、こういう大勢の人がいるところだとどうも一人一人を男として認識できない。
「ひょっとして病気かしら?」
他の姉妹と比べて性欲が低いのは一応自覚している。
もしかしたらそのせいかもしれない。
でも、まぁいいか。
目に映る男がみんな景色に見えるなら、「景色」ではなく「男」として映る人を探せばいいだけのこと。
祭りを見物するついでに良さそうな人が見つかればいいくらいの気持ちで行こう。
そう考えをまとめた私は再び歩き出す。
とりあえずは広場にでも行こう。
祭りというからには何か見せ物でもやっているはずだし。
そんなわけで広場に向かったのだが、とにかく人が多い。
しかもそれぞれが思い思いの場所へと向かっているので真っ直ぐに歩くこともできない。
何度も道を譲りながらようやく広場に辿り着くと、そこでは音楽に合わせて何組もの男女がペアで踊っていた。
踊るといっても決められた動きの踊りではないようで、それぞれが好きに踊っている。
それでも他人とぶつからないのだから見事なものだと思う。
楽しそう。
祭りの空気は魔物さえも陽気にするようで、私はそんなことを思った。
見物客も多く、広場はちょっとした人の海になっている。
そんな客のためにか、急遽用意されたと思われるテーブルや椅子が広場を囲むようにあちこちへと設置されていた。
私はそのうちの一つに腰を下ろし、のんびりと踊っている様子を眺めることにした。
本当は一曲踊ってもいいのだが、ローブを身につけていては踊りずらいし、かといって脱いでしまえば人目を引いて後々面倒なことになる。
踊りたいという気持ちよりも面倒な事態を避けたいという気持ちが勝り、踊りは自重。
見物することにしたのだ。
踊りは自由参加な上に飛び入り参加も認められているようで、すぐ傍で青年が娘を誘っていた。
娘の返事はOKだったようで、二人で手を取り合って踊っている人々の中へ紛れて行った。
実を言うと私もさっきから何度も誘われている。
フードをかぶっているといっても完全に顔を隠せるわけではないので、時々覗く顔が見えた人が誘ってくれたのだろう。
だが、面倒を避けたい私は当然どの誘いも丁重にお断りした。
断られた人は皆揃ってものすごく残念そうな顔になるので、ちょっと申し訳ない気になる。
顔を赤くしながら回らない口でなんとか誘ってきた青年は微笑ましかったが。
…そろそろ行こう。一応、夫探しに来ているわけだし。
曲が終わり、それに合わせて踊っていた人達が動きを止める。
頃合いだと思い、立ち上がろうとした時だ。
ふと、一人の青年が目に入った。
歳は20前後といったところだろうか。
私と同じように椅子に座って踊りを眺めていた。
その目はどこか羨ましそうに踊る男女を見つめている。
踊る相手がいないのだろうか?
それとも踊れない?
なんとなく気になったので席に座り直し、彼の動向を見つめる。
あ、なかなか器量の良い娘に声をかけられた。
恐らく踊りの誘いだろう。
女性から誘われるとはなかなかの好青年らしい。
遠目だからはっきりとはわからないが、確かに穏やかそうな顔だ。
だが、青年は困ったような顔で手ですまないと娘に謝っていた。
どうやら断ったようだ。
なぜだろう?
待ち人でもいるのだろうか?
とりあえずこれからどうするのか眺めてみよう。
私の目には景色ではなく男として映ってるし。
そんなわけで彼に興味を持った私は彼を眺め続けた。


日が沈み始め、時刻はまもなく夜になることを告げていた。
それでも祭りだからか、人々の活気は衰えず、昼と変わらぬ状態を保っていた。
何度目かわからない踊りの誘いを断った時だった。
おもむろに彼は立ち上がり、どこかへと移動を始めた。
それに合わせて私も立ち上がり、彼の後を追おうと―
「あ、あの、すいません!」
したら声をかけられた。
「なにかしら?」
「よろしければ、一曲」
「せっかくだけど、遠慮させていただくわ。これから用事があるの」
全部聞かなくてもわかる誘いの言葉。
だから断りの言葉を返すと、私は彼の後を追った。
人ごみの中で見失いそうになったが、それでもなんとか彼の後を追う。
彼とは付かず離れずの距離を保っているせいか私には気づいていないらしく、彼は街を覆う防壁の方へと歩いて行く。
どうやら家は端の方にあるようだ。
そして家が密集している地帯に来ると、彼はある家の前で立ち止まり、その家を眺めた。
「?」
何をしているのだろう。
その家は窓をきっちりと閉め、扉は固く閉ざされている。
窓ガラスが汚れていることから、恐らく今は誰も住んでいないのだろう。
彼はそんな家をしばらく見つめると、鍵を取り出して隣の家の扉を開け、中へと入っていった。
彼の家の扉が閉まるのを確認すると、私は近くで隣の家を眺めてみる。
来る者を全て拒むようなその家は誰もいる気配はない。
庭だけは綺麗なのが不自然だが、言ってしまえばそれだけ。
この家がどうしたというのだろう。
彼の行動が気になるがそれは後で訊いてみればいいか。
なにより彼の家の位置は分かったことだし、夜に会いにくることにしよう。
そう思って私は一旦その場を後にした。



街の店で夕食を済ませ、完全に夜になったところで私は再び彼の家の前に来た。
家の中からは灯りが見えるのでまだ起きているだろう。
まあ、眠っていても起きてもらうのだが。
そんなことを思いながら、家の扉をノックしようとして手を止める。
今から精をもらうつもりなのだが、こんな時間に家を訪れて歓迎されるだろうか。
ないわね。
考えずともすぐにわかり、私はため息をつくと扉のノブの辺りを見つめる。
すると開錠音がした。
目から放つバフォメット直伝の開錠魔法だ。
よほど強固な魔法の力で封じれてでもいない限り、大概の鍵は開けられるという不思議な魔法。
そんな魔法を使って鍵を開けると、私はするりと家に入る。
家の中にある気配は一つ。
それは二階から感じる。
つまり彼は二階ということだ。
目の前にある階段を上りがてら、左手にあった居間を眺める。
棚やテーブルは綺麗に整えられ、生活する者の性格を写し出しているようだ。
几帳面なのだろう。
これは良いことだ。
軽く微笑みながら二階に上がると部屋は二つ有り、気配は奥の部屋から感じるのでその部屋の前に行くとフードを外す。
これで準備よし。
顔を見えるようにした私は扉を開けた。
「こんばんは」
扉を開けた先で、机に向かって何か書き物をしていた彼に声をかける。
「え?あなたは一体…」
こちらを見た青年は言いかけた言葉を詰まらせた。
少し頬が赤いので、私のリリムとしての容姿に魅了されたのだろう。
「これでわかるかしら」
私はローブの裾を少しだけ持ち上げ、尻尾を見せる。
「魔物…」
「そう。あなたに興味があったから、こうしてお邪魔させてもらったの。ここまで言えばなにが目的かわかるでしょ?」
私の問いに青年は頷く。
「いい子ね。じゃあ、一緒に楽しみましょう」
近くで見ると彼の魂は不思議な輝き方をしていた。
他の人より光を放っているのはもちろんだが、発光するような光り方をしていた。
こんな光り方を見るのは初めてだ。
綺麗…。
その輝きを見て私はそう思う。
これは、ひょっとしたら期待できるかもしれない。
少し鼓動が高まってきた。
まずは軽くキスをして確かめてみよう。姉妹の話だとキスをしただけで分かるらしいし。
私は一歩、二歩と彼に近づく。
私がそういう意思を持って近づけば近づくほど魅了する効果も強くなる。
その証拠に彼は椅子から立ち上がって、こちらへと歩み寄ってくる。
後三歩も近づけば完全に手が届くという距離になった時だった。
急に彼はその場に膝を付き、土下座をしてきた。
「え?」
全く予想外の行動に、私は戸惑ってしまう。
なんで土下座?
困惑する私に説明するように青年は声を出した。
「すいません、どうか見逃して下さい」
そう懇願する青年に、私は遅れて返事を返す。
「…とりあえず顔を上げてもらえる?」
私がそう言うと、青年はゆっくりと顔を上げる。
その顔は間違いなく私に魅了されている顔。
それでも、彼は私を拒む発言をした。
稀に強い耐性を持つ人がいるらしいが、彼もそうなのだろうか?
「一つ訊きたいのだけど、そこまでして私を拒む理由はなに?」
「…僕には将来を約束した人がいます。あなたは確かに美しい。けど僕は彼女以外の女性と関係を持たないと彼女に誓いました。だから、どうか見逃して下さい」
再び土下座された。それも額を擦りつけるように。
ここまで真剣に頼まれたら、さすがに襲えない。
それに、なぜ私の魅力に抗うのかもわかってしまった。
それは彼女への強い想い。
リリムである私を前にしても揺らがないほどの強い想い。
私はため息をつくと、彼に笑いかけた。
「…顔を上げて。もう襲ったりしないから」
「いいのですか?」
「ええ。その代わりと言ってはなんだけど、少し話ををしてくれない?」
既に誰かのもの。
その時点で私にとって彼はもう夫の候補ではなくなった。
その気になれば自分のものにすることもできるが、そういうやり方は好きじゃない。
だってそれは誰かから奪うということだから。
他人を踏みつけにして、自分だけが幸せになれればいいと思えるほど私は自分本位じゃない。
だから彼を夫候補としてはもう見ない。
それでもまだ彼には興味がある。
「話、ですか。それなら喜んで」
彼は立ち上がると近くのテーブルへと歩き、椅子を引いた。
「こちらにどうぞ」
そう言って引いた椅子へと手で案内する。
そんな対応に私は内心苦笑してしまう。
誰かのものになっているのが残念だな、と。
もちろん顔には出さず、招かれるままに椅子に座る。
「それで、どんなお話をお望みでしょうか?」
私の向かいに座った彼はそう切り出した。
「その前に自己紹介しましょう。私はミリア。よろしくね」
「クリスです。こちらこそよろしく」
彼はそう名乗ると礼をする。
「じゃあクリス君。話す前に訊きたいのだけど、私は顔を隠したほうがいいかしら?」
魅了しないようにそういう雰囲気は抑えているが、一応確認する。
「いえ、そのままで。ちゃんと面と向かって話したいですから」
「わかったわ。じゃあ、さっそくだけど、あなたの婚約者はこの街にいるのかしら?」
これはちょっとした質問というよりは確認だ。
恐らくその婚約者はこの街にはいない。
いれば今日一緒に踊っていたはずだから。
一緒に踊る男女を羨ましそうに眺めていたのも、今はいない想い人を思ってのことだろう。
「彼女ですか。婚約者、マリアンというのですが、彼女は今この街にはいません。ここから北東にあるラブク国に行っています」
やっぱり。
それにしても国内ならともかく、別の国とは随分な遠距離恋愛だ。
「随分と遠出してるわね。それで、いつ帰ってくるのかしら?」
私の問いにクリスは苦笑する。
「それが分からないんです」
分からない?
恋人なのにいつ帰るかも知らせていないのだろうか?
私ならそんなことは絶対にしない。
「分からないって、別れる時にそういう話はしなかったの?」
「もちろんしました。ただ、彼女の父が商人でして。いつ戻れるか、はっきりとしたことは分からなかったみたいです」
「そうなの…。でも、彼女は商人ではないのでしょう?あなたという婚約者がいるのに、なぜ父親についていったのかしら?」
「マリアンの母さんは彼女を生んですぐに亡くなったそうです。だから、彼女を育てたのは父さんだけ。彼女は親孝行者でしたから、男手一つで自分を育ててくれた父を手伝うと言って一緒に行ったんです。僕が好きになったのも、彼女のそんなところでした」
最後に話がずれたが、それくらい好きだということだろう。
私はクリスにバレないようにそっと苦笑しながら、続きを促した。
「では彼女達がこの街を出て行ったのはいつ?」
「二年前です」
その言葉に私は感心する。
二年もの間ずっと思い続けるなど、一途で素敵ではないか。
ただ、それだけに別の考えも頭に浮かんでくる。
「それだけ前なのなら、手紙の一つも貰ったんじゃない?」
「ええ。一年くらいはよく手紙が届きました。こっちは元気でやってる。一段落したら戻るからその時は結婚しよう、と。ただ、一年を過ぎた頃から手紙の頻度が減り、ここ半年は一通も来なくなりました…」
少しだけ表情を曇らせ、クリスはそう語る。
私はというと、予想通りの展開に小さくため息をついた。
二年という月日は事情が変わるのに充分だ。
手紙が来なくなったことを考えると、あまりいい感じはしない。
「恐らくは手伝いで忙しいのだと思います。最後に来た手紙でもそんなことが書いてありましたから」
「気になるなら、あなたから会いに行こうとは思わないの?」
「僕は彼女が戻るのをいつまでも待つと約束しました。僕が会いに行ってしまえば、彼女に対する裏切りになってしまう。だから僕は手紙を書きながら、彼女が帰ってくるのを待つだけです。マリアンがいつ帰ってきてもいいように」
そういえばこの部屋に入った時、クリスは机でなにか書き物をしていた。
もしかしなくても彼女宛ての手紙だろう。
それとは別にあることにも気づいた。
「もしかして、隣の家は…」
私の言葉にクリスは穏やかな顔で頷いた。
「ええ、彼女の家です」
だから立ち止まって眺めていたのか。
庭が綺麗だったのもクリスが掃除をしているからだろう。
そこまで彼女のことを思っている。
少し妬けてしまう。
私も夫にはこれくらい愛されたいものだ。
「ねえ、クリス君。一つ提案があるのだけど」
「なんですか?」
「あなたの婚約者、私が様子を見てきてあげましょうか?」
「え?」
信じられなかったのか、クリスは口を半開きにする。
全く微笑ましい顔だ。
「私は今、夫探しの途中でね。あなたがそうなってくれるんじゃないかと少し期待していたのだけど、婚約者がいるのなら諦めるわ。だから別の人を探すついでに様子を見てきてあげようかと思って。どうかしら?」
「…申し出は大変嬉しいのですが、生憎と僕はあなたに差し出せるものがありません」
「あら、なにもいらないわ。だってついでだもの」
「いえ、そういうわけにはいきません。僕は頼み事をする立場ですから。何かありませんか?」
律儀な子。
何かと問われたらあなたの精が欲しいと言いたいところだが、さすがにそれはやめておく。
「そうね…、じゃあ一晩泊めてもらえる?じつはまだ宿を取ってないのよ」
私としては無理のないお願いだと思った。
だが。
「一晩、ですか…」
なぜか微妙な顔になるクリス。
「?」
何かまずいのだろうか?
「あ、あの、確かに僕にはマリアンがいますからそういうことはしないと思うんですけど、独り身の男の家に泊まるというのは…。ミリアさんはそれでいいんですか?」
ああ、なるほど。
つまりクリスが私を襲うかもしれないということか。
そんな彼の気遣いに笑ってしまう。
どちらかというと襲うのは私なのに。
「ええ、いいわ。それと、襲いたくなったらいつでもどうぞ♪」
そう言ってあげると、クリスは顔を赤くして俯いてしまった。
全く可愛らしい顔だ。
ひょっとして初心なのだろうか?
「まあ、冗談はこの辺にして、部屋に案内してもらってもいいかしら?」
「え、あ、ああ、はい…」
まだ顔が赤いからか、クリスはこちらを見ずに立ち上がる。
「ではこちらに」
クリスは私を隣りの部屋へと案内した。
「ここをお使い下さい」
「ありがとう。遠慮なく使わせてもらうわ」
「なにか用がありましたら、隣りにいますから声をかけて下さい」
そう言ってクリスは部屋から出て行こうとする。
その横顔はまだ僅かに赤く、さっきのからかいが効いているらしい。
あんな顔を見せられては嗜虐欲がわいてきてしまう。
せっかくだし、もう少しからかってあげよう。
「あら?クリス君、これはなに?」
ベッド脇で彼に背を向け、私はクリスを手で呼ぶ。
もちろん視線の先には何もない。
クリスを呼び寄せるための嘘だ。
「え?どれですか?」
何も分からないクリスが無防備にすぐ傍に来ると、私はクリスをベッドへと押し倒した。
「え?え!?」
何が起こったのか理解していないクリスをよそに、私はクリスに覆いかぶさるように体の位置を変えると上半身だけを軽く起こし、クリスの顔を見下ろしながらそっと言ってあげた。
「一人は寂しいの。添い寝してくれる?」
ちゃんとした雰囲気とともに甘い声で言えば、恐らく瞬時に男を落とせる言葉。
ただ、今の私はクリスを落とす気はないので甘い声ではなく冗談めいた声。
だが、ほとんど密着しているこの状態ではさすがに理性が揺らいでいるらしい。
もう一人の彼が反応し、私の太ももの辺りにそんな感触が感じられた。
「あ、いや、その…」
間近で見る顔を赤くしたクリスは本当に可愛い。
このまま続きをしてしまいたくなるが、可愛い顔が見れたから良しとしよう。
だからクリスが逃げられるように体をずらしてあげた。
「冗談よ。からかっただけ♪」
それでようやく理解したらしい。
クリスはほとんど逃げるようにベッドから降りた。
「勘弁して下さいよ…」
どこか疲れたような顔でクリスはトボトボと部屋から出て行く。
「クリス君」
扉を閉めようとしたクリスを呼び止める。
「なんですか?」
まだからかうんですか?とこちらを見た目が語っていた。
それでも顔は怒っているわけではなく困り顔。
「おやすみ」
少しやりすぎな気もしたので、優しい声音でそう言ってあげた。
それと同時に目で謝っておく。
クリスは私のそんな言葉が意外だったのか目を瞬かせていたが、すぐに笑顔になった。
「ええ、おやすみなさい」
ゆっくりと扉が閉められると、私はため息をついた。
それは満足のため息。
なかなか楽しいやり取りだった。
赤い顔で戸惑っているクリスを思い出して、再びクスクスと笑ってしまう。
人のものになっているのが本当に残念だ。
もっと早くに出会えていれば本気で落としにかかったかもしれない。
だからこそクリスが見初めたマリアンという人物がどういう人なのか気になる。
ベッドに寝転がり、ぼんやりとそんなことを考えたところであることを思い出した。
そういえば、今夜はレナのところへ行く予定だった。
けど、無理に今日でなくてもいいだろう。
別に急ぐ用事でもないのだし。
「とりあえずは人探しね…」
半年前から連絡がつかないとなると最悪の可能性も考えなければならない。
クリスは仕事の手伝いで忙しいからだと思っているようだが、現実がそうとは限らないだろう。
そんなことを考えながら私は眠りに落ちたのだった。



翌日、私は扉をノックする音で目が覚めた。
「ミリアさん、起きていますか?」
続いてクリスの声。
私は体を起こすと声のした扉を見つめた。
随分と早起きだ。
「起きてるわ」
「部屋に入っても大丈夫ですか?」
そう言われて自分の服装を見る。
ローブは脱いであるが、露出は一切なしの上下。着衣の乱れもなし。
これなら問題ないはず。
「どうぞ」
「失礼します。朝食の準備ができていますから、下へ…」
なぜかクリスは途中で話すのをやめてしまった。
「どうしたの?」
「あ、いえ、その大したことでは…」
バツが悪そうに逸らした横顔は少し赤い。
そしてクリスの傍にはいつも私が使っているローブが脱いである。
それでなんとなく分かった。
私は転移魔法でクリスの後ろに回り込むと、その両肩を掴み、背伸びして耳元でそっと囁く。
「何を思ったのか言わないといじめちゃうわよ?」
と。
「え!?な!?」
いきなり後ろから接触されたからか、クリスの体が硬直する。
それが分かった私は彼を放してあげた。
解放されたクリスはすぐに距離を取ってこちらを見る。
理解ができないと言った顔で。
「それで、何を思ったのかしら?」
おおよそ見当はついているが、それでもクリスに言わせる。
「えっと、その、いい匂いだなと…」
やっぱり。
私自身はどういう匂いなのか分からないが、リリムという種族上、男にとってはいい匂いなのだろう。
ただ、改めてそう言われると少し恥ずかしい。
だから照れ隠しの笑顔とともに言ってあげた。
「ありがとう。じゃあ、朝食にしましょ」
「え、はい」
クリスに案内されて台所へ行くと、二人分の朝食が用意されていた。
パン、目玉焼き、サラダという絵に描いたような朝食三セット。
「大したものではなくて申し訳ありません」
クリスは苦笑交じりにそう言うが、私が毎朝食べているものとほとんど変わらない。
「そんなことないわ。朝は食欲ないからこれで充分よ」
「それはよかった。仕事が早いものですから、あまり食事に時間をかけられず、いつもこんなものなんですよ」
お互いに向き合った状態で席につくと、いただきますの声で食べ始める。
「そういえば仕事は何をしているの?」
「しがない靴職人です。親から継いだ仕事ですよ」
「じゃあ、彼女の親は?」
「マリアンの父さんは武具を扱う商人です」
何気ない会話は食事が終わるまで続いた。
「ごちそうさま、おいしかったわ」
「お粗末さまでした」
「じゃあ、私はもう行くわね」
「もう、ですか?」
「ええ、一つの国から一人の人を見つけ出すのは大変だろうから、時間は無駄に出来ないわ」
「そうですか…。彼女達が向かったのはラブクにあるソロニーという街です。人に尋ねる時は彼女の父、ジオさんの名を出すといいと思います」
ソロニー、ジオ、と頭に必要な情報を記憶する。
「わかったわ。それでジオさんに何か特徴はあったりするかしら?」
「ええ。短い金髪を刈り上げ、戦士みたいな顔と体つきをした方で、コインのような首飾りを付けています。恐らく一目で分かるでしょう」
それだけ特徴的なら分かるだろう。
「それならすぐに見つかりそうね。じゃあ、行ってくるわ」
「あの、図々しいのですが、もし彼女が忙しいようだったら僕は元気でやってると伝えてもらってもいいですか?」
どこか申し訳なさそうにクリスはそう付け加えた。
「ええ、わかったわ」
「では、お気をつけて」
簡単な別れのあいさつをすませた私はクリスの家を出た。
「まずはソロニーね」
そこにいてくれればいいのだが、そう都合よくはいかないだろう。
そんなことを思いながら転移魔法を使い、私はソロニーへと向かった。



ソロニーは商業都市のようだった。
あちこちに出店があり、小僧が呼び込みを行っている。
もちろん商店もたくさんあり、全体的に活気に満ちた街だ。
時間があれば気ままに見て回りたいところだが、今は用事がある。
さて、人探しといこう。
今探す人物は明確な特徴がある。
いるかどうかも分からない夫探しより遥かに楽だ。
クリスの話ではマリアンの父親は武具を扱う商人だそうだから、同じように武具を扱う商人に話を聞けばいいはず。
だから私は近くにあった剣を扱っている商人に話を聞いてみたのだが、知らないようだった。
まあ一軒目だし、そう簡単には見つからないだろう。
この時は楽観的に考えていた私だが、すぐにそれは間違いだったと気づいた。
どの店でも知らないの一点張りなのだ。
特徴的な外見だからすぐに知っている人が見つかると思っていたのだが、甘かったらしい。
「やっぱり簡単にはいかないか」
苦笑を浮かべ、辺りを見回す。
結構な面倒事だとは分かっていたから、別に焦ったりはしてない。
これで焦るようだったら夫探しなど出来ないしね。
次の店はどこにあるかと見回していたら、剣と盾の看板が目に入った。
「あそこは…まだ行ってないわね」
来た覚えがないので初見で間違いないだろう。
そんな商店へ入ると中年の男性が迎えてくれた。
「いらっしゃい。何をお求めで?」
「ちょっと訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「ほぉ、怪しい格好だからどんな陰気なヤツかと思ったら女とは。声を聞く限り若そうだな。で、俺に何を訊きたい?女性の質問だから特別にタダで答えるぜ?」
そう言って男はにかりと笑う。
随分と気さくな商人だな、と思いながらも私は問いかける。
「ジオという人を探しているのだけど、どこにいるか知らないかしら?」
「ジオ、ねえ…」
私の問いに男は考えるように首をひねる。
だが、私は見逃さなかった。
ジオの名を出した瞬間、男の眉が僅かに動いたのだ。
今までははずれだったが、今回は違うようだ。
この男からは是非とも情報を手に入れさせてもらおう。
それこそ手段を問わずに。
そう思ったのだが、男は意外にもすんなりと話してくれた。
「確かアルバさんがそんな名の男と取引していると聞いたことがあるな」
予想以上に重要な情報だ。
つまりそのアルバという人に聞けば行方が分かるかもしれない。
「そのアルバさんとやらはどこにいるのかしら?」
「会いに行く気か?やめとけ、あんたみたいな小娘が会いに行ったところで門前払いをくらうだけだ」
その可能性はありそうだ。
その気になれば無理矢理押し入ることもできるが、それをやると今度は情報が得られない。
「じゃあ、どうすればアルバさんに会えるのかしら?」
「手っ取り早いのは誰かに話をつけてもらうことだな。ちなみにそれぐらいなら俺でもできるが、どうする?」
どうするもなにも、できるのならしてもらいたい。
だが。
「その対価にあなたは私になにを望むの?」
人の商人が善意で何かをしてくれることはまずない。
あるとすればそれは何かを企んでいる時だ。
私はそう教わった。
「なに、簡単だ。俺の質問に一つ答えてくれるだけでいい」
「…いいわ。答えてあげる」
「じゃあ聞かせてくれ。なぜジオに会いたがる?」
男は瞬時に真面目な顔になると、そう尋ねてきた。
さすが商人だと感心する。
まるで顔芸のようだ。
商談だったら一気に相手のペースへと引きずりこまれてしまうような顔。
だが、こちらはリリム。
相手を、ましてや男を手玉に取ることなどお手のものだ。
だから男の表情を驚きのソレへと変えてあげよう。
「愛しているから」
私は短くそう答えた。
「なっ」
予想すらしてなかったのか、男は表情を崩し、声を漏らす。
嘘は言ってない。ただ、言葉が足らないだけだ。
「私の知り合いが、彼の娘を。私はその使者」
足らなかった言葉を足すと、男の顔は悔しそうに歪む。
勝敗は明らかだろう。
「さあ、あなたの問いには答えたわ。今度はあなたが約束を守る番よ」
「…大した娘さんだよ、まったく。ああ、約束は守る。だから話はつけとく。少し時間がかかるだろうから、日が沈む頃になったらまた来てくれ」
「わかったわ」
となると時間を潰す必要があるわけか。
まあ、この街なら見るところはいくらでもあるだろうからそれほど長い時間でもない。
「ああ、そうだ。少しいいか?」
店を出ようとしたところで声をかけられた。
「なにかしら?」
「大したことじゃない。ちょっとこいつの感想を聞かせてくれ」
そう言って男は小さな袋を投げてきた。
私はそれを受け取ると近くで眺めてみる。
口をきっちり縛った手の平に乗るくらいの袋。これが一体なんだというのだろう。
「これはなにかしら?」
「匂い袋だよ。それは薔薇の香りがするだろ?」
言われてみれば確かにそんな匂いがする。
「するけど、これをどう使うつもり?」
「そいつは最近考えられた新商品候補でな。使用法はブーツや甲冑の踵の部分に仕込むだけ。目的は足の匂いの消臭だそうだ」
なるほど、そういう使い方をするわけか。
着眼点はおもしろい。
おもしろいが。
「酷な言い方だけど、売れないと思うわ」
売れているところが全く想像できないので、正直に感想を言ってあげた。
「やっぱりか」
男も同じだったらしく、私が匂い袋を返すと胡散臭そうな物を見る目で受け取った。
「用はこれだけ?」
「そうだな。じゃあ、あんたの顔を一目見せてもらいたいってのはどうだ?」
「私の顔を見たら火傷じゃすまないわ。だからその要望はお断りね」
リリムである以上、自信過剰でもなんでもなくただの事実だ。
素顔を見せればこの男など簡単に魅了できる。
「はっはっは。それは随分な自信だな。ひょっとしてサキュバスか?」
その答えは遠くて近い。
一応、上位のサキュバスには違いない。
正式にはリリムだが言ったところで分からないだろう。
「判断はお任せするわ」
私がなんの種族か勝手に想像されても別に困らないのでそう言っておいた。
それと同時に、この男との会話に付き合ってあげるつもりはないのでさっさと店から出て行く。
これで夕方には信頼性の高い情報が手に入る。
後は夕方までどうするかだが、気分はもう夫探しではないし、街を適当に見て回ればいいだろう。
そういえば街の見物も久しぶりだ。
何か目的を持って行動するのも悪くないが、意味もなくふらふらすることの方が好きだったりする。
さっきは武具を扱っている店しか回らなかったから、今度は興味のある店を覗くことにしよう。
そんなわけで少しの間店巡りを楽しんだ私だが、ふとあることに気づいた。
少し前から尾行されている気がするのだ。しかも同じ魔族に。
それが勘違いかどうか確かめるために、別れ道に差し掛かるとどちらに行こうか悩むふりをして足を止める。
案の定、私が足を止めると、同じように動きの止まった魔力がある。
私が人の少ない通りを選んで歩き出すと、止まっていた魔力も動きだす。
間違いなく尾行されている。
ただ、その理由が分からない。
ましてや同族に尾行されるなど初めての経験だ。
何かしたかしら?
しかし思い当たることはない。
となると、尾行している本人から訊くしかないか。
そうと決まればさっそく行動しよう。
私は近くの細い路地へと入る。
そこは入り組んでいて、普通なら追手をまくのに好都合な場所。
私はまくどころか捕まえるつもりなのだが。
だから二手に分かれている道を曲がる直前に、踏んだら発動する魔法を地面に設置しておく。
怪我をさせるつもりはないのでただ拘束するだけの簡単な魔法だ。
私は道を左へと曲がると歩く速度を変えずに進み、罠にかかるのを待つ。
そして。
「きゃっ!?」
悲鳴が聞こえた。
どうやら思惑通りに罠に引っかかってくれたようだ。
私は来た道を引き返し、捕えた相手を見る。
そこには私と同じようにローブを身にまとい、フードで顔を隠した同族がいた。
「人を尾行なんて感心できないわね。何が目的かしら?」
私の問いに彼女はフードから覗く口元を歪ませる。
そこから見えたのは長い犬歯。
「………」
「答えてもらえないのなら無理矢理訊きだすことになるわね。同族相手に手荒なことはしたくないのだけど。どうしても話す気はないのかしら?」
私の言葉を最後通告だと思ったのか、彼女はフードを外した。
あらわになった素顔。
その頭には凛々しい獣の耳があった。
この外見で尖った犬歯となるとワーウルフか。
「…なぜ、ジオを探すの?」
やっとしゃべってもらえたと思ったら逆に質問された。
訊きたいのは私なんだけど。
「その問いに答えてほしいのなら、まずは私の質問に答えてもらおうかしら。あなたはなぜ私を尾行していたの?」
「旦那に頼まれたからよ」
「その旦那さんって誰かしら?」
「アルバ」
ワーウルフは短く答えた。
アルバといえば夕方会う予定になっている人物だ。
それがなぜ私の尾行などしたのだろう?
「あなたが頼まれたのは尾行だけ?」
「可能ならつれて来いとも言われたよ。失敗だったけど」
ワーウルフそう言って少しむくれた。
この場合のつれて来いとは、内密に、ということだろう。
「あなたが尾行してた理由は分かった。だからこそ不思議なのだけど、どうやってこの広い街から私を見つけたの?」
「あんた、最後に会った武具屋の男を覚えてる?」
「ええ」
「そいつ、フロンっていうんだけど、うちの旦那と懇意にしててね。自ら言いに来たんだよ。ろくに顔も見せない魔物があんたと話したがってるってね。で、うちの旦那は調査としてあたしを向かわせた。匂いは付けておいたからってフロンが言ったからね」
そう言われて気がついた。
そうか、あの匂い袋はそういう意図があったのか。
さすが商人だと感心せざるを得ない。
私は苦笑とともに魔法を解除して彼女を解放した。
「…なんで魔法を解いたの?」
「あなたがちゃんと話してくれたからよ」
そう言ってフードを外す。
「うわ、すごい美人…。顔を見せられないわけだ、間違いなく男共が群がるわ。やっぱりサキュバス?」
私が頷くと、ワーウルフは納得という顔になる。
「なるほど。で、あたしの質問には答えてもらえないの?」
「彼の娘の婚約者から頼まれたからよ」
「ああ、そう言えばマリアンが言ってたわね。クリスだっけ?」
「ええ」
クリスやマリアンの名前が出てきたということは間違いなくアルバはジオを知っている。
これはなんとしてでも彼に会う必要がある。
「ねぇ、あなたは私を連れてくるように言われたのでしょう?よかったら、あなたの旦那様のもとへ案内してくれないかしら?」
「そうね…」
ワーウルフはこちらを値踏みするような目で見てくる。
「あたしの旦那を誘惑しないなら、つれてってあげる」
それくらいならお安い御用だ。
「それは大丈夫。あなたの夫がどんなにいい男だろうと、結婚した男には手を出さない主義だから」
「それならいいわ。で、えーと、あんた名前は?」
「ミリアよ」
「ミリアね。あたしはチェロ、よろしくね。じゃあ、行きましょ。こっちよ」
チェロはフードをかぶると、先に歩き出す。
先導するチェロにつれて来られたのは立派な商会だった。
チェロはそんな商会に平然と入っていく。
「これは奥さま。お疲れ様でした。首尾はいかがでしたか?」
入るなり、一人の男がチェロに声をかける。
「ちょっと予定とは変わったけど、連れて来たわ。で、あの人は?」
「主でしたらいつもの執務室でございます」
「そう。じゃあ、あたしは報告に行くから、あなたはこの人に飲み物でも出しておいて。客人だから丁重にもてなしなさい」
男にそう言い含めると、チェロは「ちょっと行ってくる」と言って行ってしまった。
「失礼します。飲み物はなにがよろしいですか?」
「そうね、じゃあ、紅茶をお願いしてもいいかしら?」
「紅茶ですね。すぐにお持ちします」
男はそう言うと足早に立ち去り、文字通りすぐに紅茶を持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
出してもらった紅茶はいい香りがする。
一口飲んでみて、それが決して安いものではないとすぐにわかった。
「おいしい紅茶ね」
「恐縮です」
そんなやり取りとしているとチェロが戻ってきた。
「お待たせ。すぐに会いたいってさ」
「わかったわ」
「じゃ、こっちよ」
チェロは私を奥の方にある部屋へと案内する。
そして突き当たった部屋の前で足を止めた。
「あなた、入るわよ?」
すぐに「ああ」という返事がしたので、チェロは扉を開けた。
そこにいたのは30を過ぎたくらいの男。
予想よりかなり若い。
「ようこそミリアさん。俺が当商会の主、アルバだ。まあ、かけてくれ。話はゆっくりしようじゃないか」
アルバは向かいのソファに座るように促す。
「ああ、それとチェロ。悪いがお前は外してくれ」
「なんで?」
「俺が美人を二人も相手にして、まともにしゃべれると思ってるのか?」
「情けない発言しないでよ…。ま、わかったわ。あたしは後で飲み物でも持ってくる」
情けないというよりはのろけにしか聞こえなかったが、チェロは言われた通りに出ていった。
「さてと。じゃあ、話す前にそのフードを取ってもらっていいか?言葉が通じる以上、やはり面と向かって話をしたいからな」
「申し訳ないけど、奥さんにあなたを誘惑しないように言われているの。私は特別なサキュバスだから、顔を見せたら恐らく魅了してしまう。このままというわけにはいかないかしら?」
「その辺は大丈夫だ」
透明な液体の入った小瓶を取り出してこちらに見せた。
「それは?」
「気付け薬みたいなものだ。飲むと一時的にだが、魅了や誘惑に強い耐性を得られる。チェロがあんたはとんでもない美人だと言っていたから、特別に効果が高いやつを用意した」
そう言ってアルバは薬を飲み干す。
「さあ、フードを取ってくれ」
あんなもので効果があるのだろうか?
訝しみながらもフードを外して顔を見せると、アルバは目を見開いた。
「…こいつは驚いた。確かにとんでもない美人だな。薬を飲んでなかったら、いや、効果の高いヤツじゃなかったら一目で魅了されてたな」
納得したようにアルバは頷くが、こっちも驚きだ。
「本当にあんな薬で効果があるのね。素直に驚いたわ」
「こんな世界だ、あんた達魔物と商売をすることだってある。ところが困ったことに魔物は女しかいない。しかも揃って美人ときた。おかげで何度煮え湯を飲まされたか分からん。そんな女に弱い男のために作られたのがこの薬だ。一時的とはいえ、効果はごらんの通り」
アルバは得意げに笑う。
その顔は確かに魅了されている顔ではない。
リリムの魅了にさえ抗える薬とは、誰が作ったかしらないが大したものだ。
「納得してもらえたようだな。では早速本題にいきたいところだが、まずは謝らせてくれ。尾行して悪かった」
「気にしてないから謝らなくていいわ。でも、その理由は訊いてもいいかしら?」
「理由か。まあ、当然か。率直に言えば興味があったからだな」
「興味?」
「ああ。俺達商人にとって同じ商品を扱うやつは商売敵だが、同時に同じ情報を共有する仲間でもある。それであんただ。武具を扱う連中の間ですぐに噂になったようだな。ローブを着てフードで顔隠した怪しいヤツがジオのことを嗅ぎ回ってるってな。そんな噂が俺の耳に入り、なんでそんなことをしてるのか興味が湧いた。だからだな」
アルバの饒舌な説明が終わると、私は本題を尋ねる。
「商人は好奇心旺盛ね。それじゃあ本題に入るけど、あなたはジオの行方を知っているかしら?」
「ああ。今どこにいるかまでは分からないが、向かった先なら知っている」
「それはどこ?」
「まあそう慌てるな。今度は俺がなぜジオの行方を知りたがるのか訊いてもいいだろう?」
本当に好奇心旺盛なことだ。
もっとも、アルバは話上手なようで質問されても嫌な気はしない。
隠すことでもないので、私は素直に答える。
「彼の娘の婚約者に様子を見てくるように頼まれたのよ」
「婚約者…、ああそういえばいるって言ってたな。マリアンはいい女だから、同じ男としてその気持ちはよく分かる。なるほど、だからジオの行方を知りたいわけか」
その通りなので私は軽く頷く。
「そういうことなら俺も協力しないわけにはいかないな。ジオならこの国から見て南にあるイダヤ国に向かった。かれこれ半年以上前にな」
どうやらジオ親子は別の国へ向かったらしい。
人の身での旅は楽でないだろうに、なぜそんなに頑張るのだろう。
「随分と遠出するのね。そんなにあちこちに取引相手がいるのかしら?」
「いや、そうじゃない。確かにジオのヤツは取引相手も多いが、今回に限っては大儲けするためだ」
大儲け。
商人である以上、儲けたいと思うのは当然だろう。
だが、そこまで儲けてどうするのだろう。
私には理解が出来ない。
「理解出来ないって顔だな。まあ、それは当然の反応だ。わざわざ別の国に行かなくてもこの国だけで充分稼ぐことはできるからな。だから訊いてみたんだ。なんでそこまで儲けようとするのかってな。そしたらあいつはなんて言ったと思う?」
アルバはそこで言葉を区切ると、楽しそうに私に訊いてきた。
「さあ。商人の考えなんて私には分からないわ」
「あいつはこう言ったよ。『娘の結婚式はいいものにしてやりたいだろう?』とな。そう言って笑っていたよ。それを聞いて俺は納得しちまった。あいつは商人としてではなく、一人の父親として娘のために稼ぎに行ったのさ。俺にはまだ子はいないが、それでもあいつの考えには共感できる。俺が同じ立場だったら全く同じことをするだろうからな」
親の仕事を手伝う子と、子の幸せを願う親。
微笑ましい親子関係だ。
だからこそ幸せになってもらいたい。
いや、なってもらおう。
そのために私はこうして動いているのだから。
「素敵な父親ね。早く会ってみたいものだわ」
「やっぱり会いに行くのか?」
「ええ。そのために私はここまで来たのだから」
「あんたも随分なお人好しだな。ああ、そうだ、少し待っててくれ」
アルバはそう言うと立ち上がって机へと移動し、紙を出して何か書き始めた。
程なくしてそれは書き上がったようで、アルバはそれを持ってこちらへ来た。
「ジオが向かったのはイダヤ国のセスタールという街だ。そこにミノタウロスが店主のロックという店がある。ジオをそこで品を仕入れると言っていたから、まずはそこに行くといい」
そう言いながらアルバは書いたばかりの書類を丸めて紐で縛り、差し出してきた。
「ロックの店主は頑固者だが、これを見せれば話をしてくれるだろう」
「ありがとう」
私は差し出された封書を受取る。
「なに、ジオは俺にとっても大切な取引相手だからな。だから伝言を頼みたい。いつまでも娘を引きずり回してないでさっさと結婚させてやれと伝えてくれ」
そんなことを言うアルバは楽しそうに笑っていた。
その言葉に私も笑顔で返事を返す。
「ええ、伝えるわ。必ずね」
「よろしく頼む。それと、何かあったらいつでもうちに来てくれ。あんたみたいな人は大歓迎だ。アルバ商会の名のもとにいくらでも力を貸そう」
そう言ってアルバは手を差し出してくる。
私も手を差し出し、きっちりと握手を交わす。
全くこの人も充分お人好しだ。
会ったばかりの私にそんなことを言うのだから。
でも悪い気はしない。
「ありがとう、必要になったらまた来るわ。じゃあ、私はこれで。奥さんによろしくね」
さて、次の目的地はイダヤ国のセスタールだ。
そこで探し人が見つかるといいのだけど。
私はそう思いながらイダヤ国へと向かったのだった。

11/07/11 21:01更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
気が付けば5000view突破。読んでくれた皆様、本当にありがとうございます!
それだけでなく票まで入れて下さった方々。感謝感激であります!!
さて、前編ですが新作をお送りします。
今回は序章を除くと初のミリア視点です。
書いてて楽しかったのですが、それと同時に難しかった!
そんな「リリムと四つの国 前編」ですが、エロなし、バトルなし、盛り上がりなしと三拍子揃った長文。
これって小説として大丈夫なのかと疑問を持たずにはいられません。
後編は頑張ります…、はい…。
以下のセリフは後編で収録される予定のものです。ちょっとした次回予告だと思って下さい。

「誰かの幸せを願うのはいけないことなの?」
「これが俺達の仕事だ」
「さようなら…」
「あの馬鹿…」
「この現実は私が望んだ結末ではないから」
「さあ、宴を始めましょう」
「良い夜を」

話の内容を想像して楽しんでいただければ幸いです。
ではまた後編でお会いしましょう。

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