きっかけ
ミーネのせいで多大な被害を被った翌日。制服に着替えたルークが寝室から出ると、共同部屋ではなぜか荷物をまとめているキースがいた。
「何してんだキース。こんな朝っぱらから夜逃げか?」
「朝に逃げるのに、夜逃げはおかしくないか?」
朝から冴えわたるルークの軽口にえらくまともな疑問を返しつつ、キースはまとめ終えた荷物を手にした。
「で、実際にお前は何してんだ?」
「忘れたのか? 今日から俺は隣り町に出張だよ」
苦笑とともに言われて思い出した。国お抱えの騎士団なだけあって、その活動範囲は文字通り国全体に及ぶ。基本的には大きな町に本部を置いて活動するのだが、隣り町のように規模の小さい場所には近隣から派遣という形で治安の維持を図っているのだ。そして、派遣される騎士は一月交代制となっている。その順番がキースに回ってきたというわけだ。
「ああ、そういえばそうだったな。俺がいなくて寂しくても泣くなよ?」
「それはこっちの台詞だ。俺がいないからって、見回りをサボるなよ?」
キースの切り返しにルークは肩をすくめてみせる。
「心外だな。俺、今までサボったことなんて一度もないぞ。つーか、お前がいないとなると、俺は誰と組むんだ?」
別に見回り自体はルーク一人でも問題ないのだが、ルークは仕事が午前のみとなっているため、キースがいないと午後からルーク達の担当箇所を見回る者がいなくなってしまう。
「ああ、それなら隊長が手を打っておくと言っていたな。大方、出張帰りのヤツと組むんじゃないか?」
「隊長がそう言ったなら大丈夫そうだな。んじゃ、こっちは任せて、せいぜい楽しんでこいよ」
「旅行に行くんじゃないんだがな……」
苦笑しながらキースは「じゃ、一月後な」と言い残し、一足先に部屋から出て行った。
ルークも続けて部屋を出て、朝礼に参加すべく歩き出した。
キースを含む出張組がいなくなることで組み合わせの調整があったこと以外は、特に注意事項もなく朝礼が終わり、同僚達とともに廊下を歩いていく。そこに凛とした声が響いた。
「ルーク!」
声の方を見れば、本部の出口脇に腕を組んで立っているミラがいた。ルークは流れから外れてそちらに歩いていく。
「おー、隊長。ちょうどよかった。キースが出張でいなくなったが、代わりに組むヤツはどうなってるんだ?」
「ああ、それは私だ」
さらりと言われた言葉はちょっとよく分からなかった。
「は? 悪い、もう一回言ってくれるか?」
「お前と組むのは目の前にいる私だと言っている」
ミラが少しむっとした様子でもう一度言ってくる。これはまずい。対応を間違えると鉄拳が飛んでくる空気だ。それを敏感に感じ取ったルークはミラの機嫌を損ねないように当然の疑問を返した。
「いや、隊長は隊長の仕事があるだろ? 見回りなんかしてる暇あるのかよ?」
「そんなものは早朝の時点で半分以上片付けておいた。後は見回りが終わってからで問題ない。なにより、お前をキース以外の者に任せるわけにはいかないからな。それとも、私では不満か?」
目が笑っていなかった。それに気づいたルークはぶんぶん首を振る。
「いーや、そんなわけない。さて、見回りに行くか」
逃げるように歩き出すと「まったく……」と言いながらミラもついてくる。
こうして始まったミラとの見回りだが、ミラと並んで歩くというのはなんだか新鮮だった。恐らく、すれ違う人の大半がミラに挨拶をするのが理由だろう。ミラもそれに笑顔で答えていく。
「すげーな。さすが隊長。人望が厚いこって」
折り返し地点に差し掛かったところでぼやくと、ミラは小さく笑った。
「別に、大したことでもないだろう。私も元は一団員として見回りをしていたわけだしな。その頃からよく挨拶はされたよ。まあ、出身の影響もあるだろうが」
貴族の出身ということをミラは嫌がっている。そのことについて話すとミラの機嫌を損ねるので、ミラに貴族に関する話題を振らないことは騎士団員の間で暗黙の了解となっているが、なぜかルークだけはそれを口にしても怒られた試しがない。予想でしかないが、敬語も使わない不良団員なので、呆れて怒る気にもならないのだろう。
だから、遠慮なくそのことを口にした。
「貴族だから、ねぇ。育ちの悪い俺には理解しかねるな。隊長から見てどうだ? 俺みたいに敬語を使おうとしない人間を見ると、不遜だ! とか思うのか?」
「まともな貴族ならそう思うだろうな。額に青筋浮かべて怒鳴るかもしれん。だが、私は違う。騎士団に入った時点で貴族などという肩書きは捨てたつもりだからな。だから、お前のことは好ましく思っているよ」
微笑みながらそう言ったミラだったが「あ……」と呟いたかと思うと、瞬時に顔を真っ赤にした。
「ち、違うぞっ! 今のはなしだ! なし!」
「あ? なんだよ、肩書きは捨ててないってことか? まあ、無理に捨てなくてもいいんじゃねーの?」
貴族の地位が欲しいと思っても、簡単に手に入るわけでもないし、わざわざ捨てる必要もないだろう。そう思っての発言だったが、それを聞いたミラは表情をなくすと次の瞬間にはその拳が炸裂していた。
「いっ!」
まったく警戒していなかったため、不意打ちの鉄拳はとんでもない威力だった。一瞬、目の前が真っ白になる。
「おい隊長! 殴るなら殴るって言えよ! 隊長の拳はえげつない威力してんだぞ!?」
「黙れバカルーク! さっさと行くぞ!」
殴るだけでは飽き足らず、罵りの言葉まで吐いてミラは行ってしまう。なんでこんな仕打ちを受けるのかさっぱり分からないが、これで追いかけなかったら鉄拳のおかわりをもらいかねない。
よって、急いでミラの隣りに戻ったのだが、ミラは相変わらず不機嫌そうな様子で顔を向けようとしてこない。ルークはまた殴られる覚悟をしつつ、ため息を吐いた。
「貴族の話題を出したことに怒ってんなら悪かったよ」
途端にミラが剣呑な目でじろりと睨んでくるが、すぐに大きなため息をついた。
「本当によくも悪くもお前はお前だな……」
なんだか知らないが呆れられた気がする。
「なんだよ。俺への評価は俺に分かるように言えって」
「断る。それより、そろそろ昼だ。切り上げて食事に行くぞ」
「あ、おい隊長っ」
つい追いかけてしまったが、昼はどこぞの狐娘と食べるという約束がある。そのため食事は遠慮しようとしたルークだったが、ミラの雰囲気に圧されて言い出せなかった。
「で、お前やキースは普段どこで食べてるんだ?」
「その日の気分によって変わるな。まあ、大体は食堂か、露店での買い食いってとこだ」
「ふむ、では今日は露店にするか。お前がいつも食べているものを私も食べてみたい」
「そこまで贔屓にしている店はほとんどないけどな」
「逆を言えば、贔屓している店は休憩時間以外でも立ち寄っているのだろう? なにしろ、お前は自他共に認める問題児だしな」
振り向いたミラは少し唇を吊り上げ、にやりと笑う。お前の行動などお見通しだとでも言わんばかりの表情だった。
「ばれてりゃ世話ないな。ま、隊長が露店でいいなら俺は構わないぞ」
「では行こう」
足取り軽く進んでいくミラと並んでやってきた露店通りは相変わらずの賑わいだった。食べ物を扱っている店には大なり小なり列ができており、ルークとミラもそれに並ぶ。ちなみに、並んだ店はいつもの串焼きだ。
「へい次の人……って、ルークか。それと……」
順番が回ってきたルークを見ておっという顔になる親父だったが、隣りに立つミラを見た途端に目を丸くした。
「ミラ様? おいルーク、一昨日はミーネちゃんで今日はミラ様とはどういうことだ。まさか二股か?」
じろりとルークを見た目がこのスケコマシ野郎と言っていた。
「んなわけないだろ。大体、親父は俺がモテるように見えるのか? だとしたら相当目がやばいぞ」
そもそも、二股って時点で有り得ない。仮にそうだったとしても、ミーネはともかく、ミラに二股が発覚した場合、その瞬間にあの世行きが確定する。
「ルーク、後ろにも並んでいる人がいるのだ。雑談は後にしろ。ご主人、私には牛肉で頼む」
「はい毎度。ルーク、お前は?」
「同じでいい」
注文を聞くと、親父はなかなかの手捌きで肉を焼きあげていく。そして出来上がったものを受け取ると、代金を払おうとポケットに手を突っ込む。しかし、ルークが財布を取り出すより先にミラが二人分の料金を払ってしまった。
「よし、次に行くぞ」
ミラに促されてとりあえず二人はその場を離れる。しばらく歩いたところでルークはミラに串焼きの代金を差し出した。
「隊長、立て替えてもらった代金だ」
ところがミラはちらりと一瞥しただけで受け取ろうとはしなかった。
「それはしまっておけ。串焼きくらいご馳走してやるさ」
「そういうわけにいくかよ。そもそも、奢ってもらういわれがねぇし」
「変なところで律儀なヤツだなお前は。だが、部下の面倒をみるのも隊長の仕事のうちだ。ご馳走する理由などそれで十分だろう。ほら、次の店に行くぞ」
次に向かったのはパン屋だった。そこでもミラはルークの分も支払いをすませ、買ったパンを差し出してくる。不本意ながらもそれを受け取ってむぐむぐしていると、ミラが小さく吹き出した。
「おい隊長、人を見て笑うのは失礼だと思うんだが」
「すまん。だが、なんだか面白くてな」
俺は面白くないぞと軽く睨むと、くつくつと笑っていたミラはふと歩く足を止めた。
「さてと、お前はそろそろ上がれ。それとも、まだ何か食べるか?」
「……いや、いい」
いっそのこと、ミラの財布の中身がなくなるまで食べてやろうかと思ったルークだが、ミーネが昼を作って待っているはずなのでその案はやめておく。
「そうか。ではまた明日のお楽しみということにしておこう。きちんと休めよ、ルーク」
「はいはい、お疲れさん」
短い挨拶を交わし、この日の見回りは終わった。
翌日から、昼食はミラに付き合わされるようになった。それ自体はルークも構わないのだが、毎度奢られるのは正直納得がいかない。だが「遠慮するな」とミラがルークが支払うことを拒否するため、ルークは昼を奢られる日々が続くことになった。そして、そんな日が続いたせいか、今度は別の問題が発生したのだった。
「ねぇルーク、最近、来るのが少し遅くないかな……。もしかして、仕事が忙しいの……?」
昼を少し回った時間にミーネの家に着くと、迎えてくれたミーネは少ししょんぼりとした様子でそんなことを言ってきた。
「あー、そういうわけじゃないんだがな……」
まさか、ミラとの昼食に付き合ってるせいだとも言えず、ルークは頭をかいて視線を逸らした。
「そうなの? じゃ、じゃあ、もう少し早く来てくれると嬉しいな」
ルークの曖昧な言い訳を追及するようなこともせず、ミーネはそんなことを言う。おかげで、ルークは良心がちくちくと痛んだ。
「努力するよ。で、今日の昼はなんだ?」
「今日はハンバーグだよ♪ 自分で言うのもなんだけど、おいしくできたんだ♪」
「へー、ハンバーグね……」
「うん♪ すぐ温めるから、少し待っててね!」
嬉しそうなミーネが台所へ去っていくと、ルークはこっそりため息をついた。それというのも、本日ミラと一緒に食べた昼食がハンバーグだったのだ。まあ、食堂で出すレベルのものなので味は普通だが、キノコを使わなければ平均点の味になるミーネのハンバーグも似たようなものだろう。
やはりあの狐は無自覚にルークの精神に被害を与えてくる。
ハンバーグとの二戦目を想像してげんなりしつつ台所に向かうと、テーブルの上にはいい香りのハンバーグが用意されていた。
「へえ、見かけはよくできてるな。で、ソースは?」
「あ、待って。今からかけるから」
ミーネは小さな鍋を持ってやってくると、そこから赤茶色のソースをハンバーグにかける。それだけならよかったのだが、そこに入ってるものを見て、ルークはどうしても言わずにはいられなかった。
「おい、なんでソースにキノコが入ってるんだよ」
「え? だってキノコソースだもん。キノコが入ってるのは当然だよ♪」
にこにこと満面の笑みのミーネだが、そもそもキノコソースにする必要性がない。それを延々と説明してやろうかとも思ったが、ここ最近はルークも遅刻気味なので藪蛇になりそうな真似はやめておいた。
「はあ……。そうだな、キノコソースだもんな」
「うん♪ これが一番力を入れて作ったんだよ♪」
メインはハンバーグのはずなのに、一番力を入れたのがソースという時点でもうアレだ。
今日も絶好調にズレているミーネに突っ込む気力も起きず、ルークは大人しくミーネお手製ハンバーグを食べることにする。
「んじゃ、食べるかね……」
食べる前から軽い満腹感を感じつつ、ソースたっぷりのハンバーグをナイフで切って口に放り込む。
「ねえルーク、味はどうかな?」
少し不安そうな様子のミーネがこちらを窺うような目で見てくる。
「美味いと思うぞ。……特にソースが」
はっきり言ってやると調子に乗りそうだったので、後半は小声で呟いた。本当に癪だが、ソースがよくできているおかげで50点のハンバーグが90点以上の出来へと仕上がっている。相変わらず、キノコを使ったものだけは無駄に出来がいい。正直、昼に食べたハンバーグより美味い。もちろん、そう言ってはやらないが。
「そっか。頑張って練習したから、少しはできるようになったのかな」
「そうなんじゃねーの。ま、これからもせいぜい努力するこったな」
適当な返事を返しつつハンバーグをぱくついていると、ミーネはくすっと笑い、こんなことを言ってきた。
「うん。ねえルーク、このまま頑張って練習してたら、お店とか開けるかな?」
素敵なくらいにおめでたい言葉だった。
「いや待て、お前、自分の料理の腕前分かって言ってんのか? キノコ料理だけじゃ無理だぞ」
「違うよ! キノコだけじゃなくて、他の料理も出すもん!」
心外だ、と言わんばかりにミーネがむくれた。
「はいはい。つーか、いきなり何言い出すんだよ。将来は料理人になりたいのか?」
「え? えーと、それはほら、あれだよ。ねっ……」
急に頬を赤くし、ミーネはあたふたした様子で視線をさ迷わせ始めた。
「具体的に言え、具体的に。あれで分かるわけないだろ」
するとミーネは体をぴくりとさせつつも、ほんのりと赤くした顔を向けてきた。潤んだ瞳がルークへと向けられる。
「えっと、その、もしわたしがお店を出したら、ルークなら毎日来てくれるかなって……」
こいつは時々本心からの発言と素の無邪気な発言とでルークを困らせる。今回はどっちかと考えてみるが、どうにも前者のようだった。だからこそルークは言葉に詰まる。
「あー、まあ、安けりゃ行くかもな」
「あ、ええと、その、ルークはタダ、とか、こっそり量を多くしたりとか考えてたんだけど……」
ミーネはその行動基準にルークを置いてる節がある。それはなんとなく分かっていたが、こうもはっきり言われると冷静ではいられず、体が固まる。
「だから客を贔屓するなって。そんなことしてると俺しか来なくなるぞ」
「ルークが来てくれるならいいかな……」
止めの一言だった。
「客が俺しかいないんじゃ、店潰れるだろ……」
ぼそりと言ってハンバーグを口に放り込むが、なぜか味がまったくしなかった。
数日後。
「遅いなぁ……」
ソファに座り、ミーネはぼやいた。
時計を見るともうすぐ午後になるところだった。それなのに、ルークはまだ来ない。
最近は忙しいのか、来るのが遅くなった。でも、ルークは騎士だし、忙しくてもおかしくはない。そう思うようにしている。
「むー……」
あまりにも退屈で、尻尾をぐにぐにしてみるが、気は晴れない。
昔は一人が当たり前だったのに、最近は一人の時間に物足りなさを感じる。
「ルーク、早く来ないかなぁ……」
昼食は一緒にとのことで、まだお昼を食べていないお腹が空腹を訴えてくる。なだめるようにお腹を押さえつつ玄関の方に目を向けると、ミーネの期待に応えるかのように扉がノックされた。
「あ、来たぁ♪」
急いで立ち上がり、玄関に向かう。その間に、再び扉がノックされる。
「ちょっと待ってね、すぐに行くから!」
早足ももどかしくなり、走って玄関まで行く。やっとルークが来てくれた。それだけで嬉しくて、尻尾が揺れてしまう。
「えへへ、いらっしゃ―」
扉を半開きにしたところでミーネは固まった。次いで、目を何度もぱちくりさせ、目の前の人物を見やる。
そこにいたのはルークではなかった。フード付きのローブを身に纏い、フードを目深に被った見知らぬ人物だった。
「こんにちは」
朗らかに挨拶され、ミーネは首を傾げる。顔は見えないが、声から察するに女性らしい。
「ルーク、じゃない……? えっと、どちら様ですか?」
「あなたと同じ魔物よ。種族は違うけれど」
ローブの裾を摘むと、そっと持ち上げられた。そこから覗いたのは悪魔のような白い尻尾。
「魔物だ……」
ぽかんとした様子で白い尻尾に釘付けになるミーネだったが、すぐにハッと目の前の人物を見た。
「わたし、自分以外の魔物の人と会うの初めてです! どこから来たんですか!?」
「かなり遠い場所からね。気まぐれで散歩に来たの」
「散歩? あ、確かに森の中って、散歩すると気持ちいいですよね!」
「ええ、そうね。ところで、ここは反魔物派の島なのだけど、なぜあなたはこんな所にいるのかしら?」
「あ、えっと、実はわたし、元は人間だったんです」
さり気なく訊かれたからか、ミーネは特に考えもせずに答えていた。ルークがこの場にいたら、間違いなく余計なことをしゃべんなと怒鳴っていたことだろう。
「ああ、そういうこと。反魔物派の島に一人でいるものだからおかしいとは思ったけど、魔物化したのね。それで納得したわ。今まで大変だったでしょう?」
「あ……えっと、はい……」
孤児院を追い出されてからのことを思い出し、つい顔を逸らしてしまう。謎の女性はミーネのそんな反応だけで充分だったらしい。
「でも、今はそうでもなさそうね。先程あなたが勘違いした誰かのおかげかしら。ルーク、といったわね。その人はあなたの恋人?」
「ち、違います! そんな、恋人なんて……」
急に恥ずかしくなり、顔が赤くなっていることを自覚したミーネはそっと顔を逸らした。
「あら、違うの? 森の奥での男女の逢瀬なんて、ロマンチックだと思ったのだけど」
「ル、ルークとはそんな関係じゃなくて……」
そう、そんな関係じゃない。しかし、自分で否定しておきながら、ミーネは胸がもやもやした。
「そう。でも、あなたは彼のことが好きなんでしょ?」
あまりにも直球な言葉がミーネの心に突き刺さった。
「え……。そんな、こと……」
蚊の鳴くような声で否定しようとするミーネだったが、続きが喉から出て来ない。
「ふふ、まだ自分の気持ちに完全には気づいていないといったところかしら。いいわ、じゃあ試してあげる」
「え……」
試すとはどういう意味なのか、不思議に思ってミーネが見つめると、謎の女性は一歩前に出てミーネに近づいた。
「今から私が言うことを彼に言われたと思って聞いてみて。じゃあいくわよ」
そう前置きし、彼女は続けた。
「結婚することになった。だから、もうここには来ない」
「っ!」
その言葉は頭の中でルークの声へ変換され、その場面がぼんやりと思い浮かぶ。その途端に胸の奥が痛みだし、ミーネの目尻に涙が浮かんだ。
「や、やだ……」
両手がズボンをきゅっと握り、いやいやをするように首を振る。そんなミーネの頬に白い手が添えられた。同時に、甘く優しい香りがふわりと漂う。
「じゃあ、その想いをきちんと彼に伝えないとね。今のままでいたら、いずれ本当にさっきの言葉を彼から聞くことになるかもしれないわ」
すっと女性がミーネから離れた。頬に添えられていた手の温もりが消え、名残り惜しむように彼女の手を目で追ってしまう。
「もっと触れていてほしいの? でも、私よりも彼に触れてもらいたいでしょう?」
彼女の言葉に釣られて、ついそれを想像してしまう。ルークが頬を撫でてくれる。それは恥ずかしいが、多分とても嬉しいに違いない。一度想像してしまうと、そうしてほしくてたまらなくなってくる。
「図星みたいね。じゃあ、今度彼が来た時はもっと頑張ってみて」
くるりと謎の女性は踵を返した。
「あ、あの! なんで、わたしによくしてくれるんですか?」
「人と魔物が愛し合っていける世界にすることが私の仕事だからよ。そういうわけだから、また様子を見に来るわね。その時は朗報を期待しているわ」
手をひらひらさせると、謎の女性はまるで風景に溶け込むかのように消えてしまった。
「人と魔物が愛し合う……」
言われた言葉を呟いてみる。それはつまり、自分の場合はルークと愛し合うというわけで。頭の中に、どこかの町でルークと二人で幸せそうに暮らしているところがぼんやりと思い浮かぶ。
「っ〜〜!」
瞬間、顔がかーっと熱くなり、ミーネは顔をぶんぶん振る。心なしか、顔だけでなく、体の熱も上がった気がする。
「なに顔振り回してんだよ。ノミでも付いてたのか?」
不意に声をかけられ、ミーネの体がビクつく。
「ぅはぃっ!? え、ルーク!? いつ来たの!?」
「いや、今着いたところだけどよ。なんだよ、なんでそんなに驚いてんだ?」
不思議そうに見つめてくるルーク。今さっき自分の気持ちを理解したばかりのミーネはまともにルークの顔を見ることもできず、慌てて顔を逸らした。
「な、なんだもっちない!」
「……」
ものすごく噛んだせいで、ルークは呆れたような目を向けてくる。
「あ、えっと、す、すぐにお昼の準備するからっ!」
恥ずかしさでいっぱいいっぱいだったミーネはこれ以上は限界だと家の中に逃げていく。
「相変わらず変なヤツだな……」
独り言をぼやくと、ルークも家に入っていく。
この日、なぜかミーネはしどろもどろだった。
「何してんだキース。こんな朝っぱらから夜逃げか?」
「朝に逃げるのに、夜逃げはおかしくないか?」
朝から冴えわたるルークの軽口にえらくまともな疑問を返しつつ、キースはまとめ終えた荷物を手にした。
「で、実際にお前は何してんだ?」
「忘れたのか? 今日から俺は隣り町に出張だよ」
苦笑とともに言われて思い出した。国お抱えの騎士団なだけあって、その活動範囲は文字通り国全体に及ぶ。基本的には大きな町に本部を置いて活動するのだが、隣り町のように規模の小さい場所には近隣から派遣という形で治安の維持を図っているのだ。そして、派遣される騎士は一月交代制となっている。その順番がキースに回ってきたというわけだ。
「ああ、そういえばそうだったな。俺がいなくて寂しくても泣くなよ?」
「それはこっちの台詞だ。俺がいないからって、見回りをサボるなよ?」
キースの切り返しにルークは肩をすくめてみせる。
「心外だな。俺、今までサボったことなんて一度もないぞ。つーか、お前がいないとなると、俺は誰と組むんだ?」
別に見回り自体はルーク一人でも問題ないのだが、ルークは仕事が午前のみとなっているため、キースがいないと午後からルーク達の担当箇所を見回る者がいなくなってしまう。
「ああ、それなら隊長が手を打っておくと言っていたな。大方、出張帰りのヤツと組むんじゃないか?」
「隊長がそう言ったなら大丈夫そうだな。んじゃ、こっちは任せて、せいぜい楽しんでこいよ」
「旅行に行くんじゃないんだがな……」
苦笑しながらキースは「じゃ、一月後な」と言い残し、一足先に部屋から出て行った。
ルークも続けて部屋を出て、朝礼に参加すべく歩き出した。
キースを含む出張組がいなくなることで組み合わせの調整があったこと以外は、特に注意事項もなく朝礼が終わり、同僚達とともに廊下を歩いていく。そこに凛とした声が響いた。
「ルーク!」
声の方を見れば、本部の出口脇に腕を組んで立っているミラがいた。ルークは流れから外れてそちらに歩いていく。
「おー、隊長。ちょうどよかった。キースが出張でいなくなったが、代わりに組むヤツはどうなってるんだ?」
「ああ、それは私だ」
さらりと言われた言葉はちょっとよく分からなかった。
「は? 悪い、もう一回言ってくれるか?」
「お前と組むのは目の前にいる私だと言っている」
ミラが少しむっとした様子でもう一度言ってくる。これはまずい。対応を間違えると鉄拳が飛んでくる空気だ。それを敏感に感じ取ったルークはミラの機嫌を損ねないように当然の疑問を返した。
「いや、隊長は隊長の仕事があるだろ? 見回りなんかしてる暇あるのかよ?」
「そんなものは早朝の時点で半分以上片付けておいた。後は見回りが終わってからで問題ない。なにより、お前をキース以外の者に任せるわけにはいかないからな。それとも、私では不満か?」
目が笑っていなかった。それに気づいたルークはぶんぶん首を振る。
「いーや、そんなわけない。さて、見回りに行くか」
逃げるように歩き出すと「まったく……」と言いながらミラもついてくる。
こうして始まったミラとの見回りだが、ミラと並んで歩くというのはなんだか新鮮だった。恐らく、すれ違う人の大半がミラに挨拶をするのが理由だろう。ミラもそれに笑顔で答えていく。
「すげーな。さすが隊長。人望が厚いこって」
折り返し地点に差し掛かったところでぼやくと、ミラは小さく笑った。
「別に、大したことでもないだろう。私も元は一団員として見回りをしていたわけだしな。その頃からよく挨拶はされたよ。まあ、出身の影響もあるだろうが」
貴族の出身ということをミラは嫌がっている。そのことについて話すとミラの機嫌を損ねるので、ミラに貴族に関する話題を振らないことは騎士団員の間で暗黙の了解となっているが、なぜかルークだけはそれを口にしても怒られた試しがない。予想でしかないが、敬語も使わない不良団員なので、呆れて怒る気にもならないのだろう。
だから、遠慮なくそのことを口にした。
「貴族だから、ねぇ。育ちの悪い俺には理解しかねるな。隊長から見てどうだ? 俺みたいに敬語を使おうとしない人間を見ると、不遜だ! とか思うのか?」
「まともな貴族ならそう思うだろうな。額に青筋浮かべて怒鳴るかもしれん。だが、私は違う。騎士団に入った時点で貴族などという肩書きは捨てたつもりだからな。だから、お前のことは好ましく思っているよ」
微笑みながらそう言ったミラだったが「あ……」と呟いたかと思うと、瞬時に顔を真っ赤にした。
「ち、違うぞっ! 今のはなしだ! なし!」
「あ? なんだよ、肩書きは捨ててないってことか? まあ、無理に捨てなくてもいいんじゃねーの?」
貴族の地位が欲しいと思っても、簡単に手に入るわけでもないし、わざわざ捨てる必要もないだろう。そう思っての発言だったが、それを聞いたミラは表情をなくすと次の瞬間にはその拳が炸裂していた。
「いっ!」
まったく警戒していなかったため、不意打ちの鉄拳はとんでもない威力だった。一瞬、目の前が真っ白になる。
「おい隊長! 殴るなら殴るって言えよ! 隊長の拳はえげつない威力してんだぞ!?」
「黙れバカルーク! さっさと行くぞ!」
殴るだけでは飽き足らず、罵りの言葉まで吐いてミラは行ってしまう。なんでこんな仕打ちを受けるのかさっぱり分からないが、これで追いかけなかったら鉄拳のおかわりをもらいかねない。
よって、急いでミラの隣りに戻ったのだが、ミラは相変わらず不機嫌そうな様子で顔を向けようとしてこない。ルークはまた殴られる覚悟をしつつ、ため息を吐いた。
「貴族の話題を出したことに怒ってんなら悪かったよ」
途端にミラが剣呑な目でじろりと睨んでくるが、すぐに大きなため息をついた。
「本当によくも悪くもお前はお前だな……」
なんだか知らないが呆れられた気がする。
「なんだよ。俺への評価は俺に分かるように言えって」
「断る。それより、そろそろ昼だ。切り上げて食事に行くぞ」
「あ、おい隊長っ」
つい追いかけてしまったが、昼はどこぞの狐娘と食べるという約束がある。そのため食事は遠慮しようとしたルークだったが、ミラの雰囲気に圧されて言い出せなかった。
「で、お前やキースは普段どこで食べてるんだ?」
「その日の気分によって変わるな。まあ、大体は食堂か、露店での買い食いってとこだ」
「ふむ、では今日は露店にするか。お前がいつも食べているものを私も食べてみたい」
「そこまで贔屓にしている店はほとんどないけどな」
「逆を言えば、贔屓している店は休憩時間以外でも立ち寄っているのだろう? なにしろ、お前は自他共に認める問題児だしな」
振り向いたミラは少し唇を吊り上げ、にやりと笑う。お前の行動などお見通しだとでも言わんばかりの表情だった。
「ばれてりゃ世話ないな。ま、隊長が露店でいいなら俺は構わないぞ」
「では行こう」
足取り軽く進んでいくミラと並んでやってきた露店通りは相変わらずの賑わいだった。食べ物を扱っている店には大なり小なり列ができており、ルークとミラもそれに並ぶ。ちなみに、並んだ店はいつもの串焼きだ。
「へい次の人……って、ルークか。それと……」
順番が回ってきたルークを見ておっという顔になる親父だったが、隣りに立つミラを見た途端に目を丸くした。
「ミラ様? おいルーク、一昨日はミーネちゃんで今日はミラ様とはどういうことだ。まさか二股か?」
じろりとルークを見た目がこのスケコマシ野郎と言っていた。
「んなわけないだろ。大体、親父は俺がモテるように見えるのか? だとしたら相当目がやばいぞ」
そもそも、二股って時点で有り得ない。仮にそうだったとしても、ミーネはともかく、ミラに二股が発覚した場合、その瞬間にあの世行きが確定する。
「ルーク、後ろにも並んでいる人がいるのだ。雑談は後にしろ。ご主人、私には牛肉で頼む」
「はい毎度。ルーク、お前は?」
「同じでいい」
注文を聞くと、親父はなかなかの手捌きで肉を焼きあげていく。そして出来上がったものを受け取ると、代金を払おうとポケットに手を突っ込む。しかし、ルークが財布を取り出すより先にミラが二人分の料金を払ってしまった。
「よし、次に行くぞ」
ミラに促されてとりあえず二人はその場を離れる。しばらく歩いたところでルークはミラに串焼きの代金を差し出した。
「隊長、立て替えてもらった代金だ」
ところがミラはちらりと一瞥しただけで受け取ろうとはしなかった。
「それはしまっておけ。串焼きくらいご馳走してやるさ」
「そういうわけにいくかよ。そもそも、奢ってもらういわれがねぇし」
「変なところで律儀なヤツだなお前は。だが、部下の面倒をみるのも隊長の仕事のうちだ。ご馳走する理由などそれで十分だろう。ほら、次の店に行くぞ」
次に向かったのはパン屋だった。そこでもミラはルークの分も支払いをすませ、買ったパンを差し出してくる。不本意ながらもそれを受け取ってむぐむぐしていると、ミラが小さく吹き出した。
「おい隊長、人を見て笑うのは失礼だと思うんだが」
「すまん。だが、なんだか面白くてな」
俺は面白くないぞと軽く睨むと、くつくつと笑っていたミラはふと歩く足を止めた。
「さてと、お前はそろそろ上がれ。それとも、まだ何か食べるか?」
「……いや、いい」
いっそのこと、ミラの財布の中身がなくなるまで食べてやろうかと思ったルークだが、ミーネが昼を作って待っているはずなのでその案はやめておく。
「そうか。ではまた明日のお楽しみということにしておこう。きちんと休めよ、ルーク」
「はいはい、お疲れさん」
短い挨拶を交わし、この日の見回りは終わった。
翌日から、昼食はミラに付き合わされるようになった。それ自体はルークも構わないのだが、毎度奢られるのは正直納得がいかない。だが「遠慮するな」とミラがルークが支払うことを拒否するため、ルークは昼を奢られる日々が続くことになった。そして、そんな日が続いたせいか、今度は別の問題が発生したのだった。
「ねぇルーク、最近、来るのが少し遅くないかな……。もしかして、仕事が忙しいの……?」
昼を少し回った時間にミーネの家に着くと、迎えてくれたミーネは少ししょんぼりとした様子でそんなことを言ってきた。
「あー、そういうわけじゃないんだがな……」
まさか、ミラとの昼食に付き合ってるせいだとも言えず、ルークは頭をかいて視線を逸らした。
「そうなの? じゃ、じゃあ、もう少し早く来てくれると嬉しいな」
ルークの曖昧な言い訳を追及するようなこともせず、ミーネはそんなことを言う。おかげで、ルークは良心がちくちくと痛んだ。
「努力するよ。で、今日の昼はなんだ?」
「今日はハンバーグだよ♪ 自分で言うのもなんだけど、おいしくできたんだ♪」
「へー、ハンバーグね……」
「うん♪ すぐ温めるから、少し待っててね!」
嬉しそうなミーネが台所へ去っていくと、ルークはこっそりため息をついた。それというのも、本日ミラと一緒に食べた昼食がハンバーグだったのだ。まあ、食堂で出すレベルのものなので味は普通だが、キノコを使わなければ平均点の味になるミーネのハンバーグも似たようなものだろう。
やはりあの狐は無自覚にルークの精神に被害を与えてくる。
ハンバーグとの二戦目を想像してげんなりしつつ台所に向かうと、テーブルの上にはいい香りのハンバーグが用意されていた。
「へえ、見かけはよくできてるな。で、ソースは?」
「あ、待って。今からかけるから」
ミーネは小さな鍋を持ってやってくると、そこから赤茶色のソースをハンバーグにかける。それだけならよかったのだが、そこに入ってるものを見て、ルークはどうしても言わずにはいられなかった。
「おい、なんでソースにキノコが入ってるんだよ」
「え? だってキノコソースだもん。キノコが入ってるのは当然だよ♪」
にこにこと満面の笑みのミーネだが、そもそもキノコソースにする必要性がない。それを延々と説明してやろうかとも思ったが、ここ最近はルークも遅刻気味なので藪蛇になりそうな真似はやめておいた。
「はあ……。そうだな、キノコソースだもんな」
「うん♪ これが一番力を入れて作ったんだよ♪」
メインはハンバーグのはずなのに、一番力を入れたのがソースという時点でもうアレだ。
今日も絶好調にズレているミーネに突っ込む気力も起きず、ルークは大人しくミーネお手製ハンバーグを食べることにする。
「んじゃ、食べるかね……」
食べる前から軽い満腹感を感じつつ、ソースたっぷりのハンバーグをナイフで切って口に放り込む。
「ねえルーク、味はどうかな?」
少し不安そうな様子のミーネがこちらを窺うような目で見てくる。
「美味いと思うぞ。……特にソースが」
はっきり言ってやると調子に乗りそうだったので、後半は小声で呟いた。本当に癪だが、ソースがよくできているおかげで50点のハンバーグが90点以上の出来へと仕上がっている。相変わらず、キノコを使ったものだけは無駄に出来がいい。正直、昼に食べたハンバーグより美味い。もちろん、そう言ってはやらないが。
「そっか。頑張って練習したから、少しはできるようになったのかな」
「そうなんじゃねーの。ま、これからもせいぜい努力するこったな」
適当な返事を返しつつハンバーグをぱくついていると、ミーネはくすっと笑い、こんなことを言ってきた。
「うん。ねえルーク、このまま頑張って練習してたら、お店とか開けるかな?」
素敵なくらいにおめでたい言葉だった。
「いや待て、お前、自分の料理の腕前分かって言ってんのか? キノコ料理だけじゃ無理だぞ」
「違うよ! キノコだけじゃなくて、他の料理も出すもん!」
心外だ、と言わんばかりにミーネがむくれた。
「はいはい。つーか、いきなり何言い出すんだよ。将来は料理人になりたいのか?」
「え? えーと、それはほら、あれだよ。ねっ……」
急に頬を赤くし、ミーネはあたふたした様子で視線をさ迷わせ始めた。
「具体的に言え、具体的に。あれで分かるわけないだろ」
するとミーネは体をぴくりとさせつつも、ほんのりと赤くした顔を向けてきた。潤んだ瞳がルークへと向けられる。
「えっと、その、もしわたしがお店を出したら、ルークなら毎日来てくれるかなって……」
こいつは時々本心からの発言と素の無邪気な発言とでルークを困らせる。今回はどっちかと考えてみるが、どうにも前者のようだった。だからこそルークは言葉に詰まる。
「あー、まあ、安けりゃ行くかもな」
「あ、ええと、その、ルークはタダ、とか、こっそり量を多くしたりとか考えてたんだけど……」
ミーネはその行動基準にルークを置いてる節がある。それはなんとなく分かっていたが、こうもはっきり言われると冷静ではいられず、体が固まる。
「だから客を贔屓するなって。そんなことしてると俺しか来なくなるぞ」
「ルークが来てくれるならいいかな……」
止めの一言だった。
「客が俺しかいないんじゃ、店潰れるだろ……」
ぼそりと言ってハンバーグを口に放り込むが、なぜか味がまったくしなかった。
数日後。
「遅いなぁ……」
ソファに座り、ミーネはぼやいた。
時計を見るともうすぐ午後になるところだった。それなのに、ルークはまだ来ない。
最近は忙しいのか、来るのが遅くなった。でも、ルークは騎士だし、忙しくてもおかしくはない。そう思うようにしている。
「むー……」
あまりにも退屈で、尻尾をぐにぐにしてみるが、気は晴れない。
昔は一人が当たり前だったのに、最近は一人の時間に物足りなさを感じる。
「ルーク、早く来ないかなぁ……」
昼食は一緒にとのことで、まだお昼を食べていないお腹が空腹を訴えてくる。なだめるようにお腹を押さえつつ玄関の方に目を向けると、ミーネの期待に応えるかのように扉がノックされた。
「あ、来たぁ♪」
急いで立ち上がり、玄関に向かう。その間に、再び扉がノックされる。
「ちょっと待ってね、すぐに行くから!」
早足ももどかしくなり、走って玄関まで行く。やっとルークが来てくれた。それだけで嬉しくて、尻尾が揺れてしまう。
「えへへ、いらっしゃ―」
扉を半開きにしたところでミーネは固まった。次いで、目を何度もぱちくりさせ、目の前の人物を見やる。
そこにいたのはルークではなかった。フード付きのローブを身に纏い、フードを目深に被った見知らぬ人物だった。
「こんにちは」
朗らかに挨拶され、ミーネは首を傾げる。顔は見えないが、声から察するに女性らしい。
「ルーク、じゃない……? えっと、どちら様ですか?」
「あなたと同じ魔物よ。種族は違うけれど」
ローブの裾を摘むと、そっと持ち上げられた。そこから覗いたのは悪魔のような白い尻尾。
「魔物だ……」
ぽかんとした様子で白い尻尾に釘付けになるミーネだったが、すぐにハッと目の前の人物を見た。
「わたし、自分以外の魔物の人と会うの初めてです! どこから来たんですか!?」
「かなり遠い場所からね。気まぐれで散歩に来たの」
「散歩? あ、確かに森の中って、散歩すると気持ちいいですよね!」
「ええ、そうね。ところで、ここは反魔物派の島なのだけど、なぜあなたはこんな所にいるのかしら?」
「あ、えっと、実はわたし、元は人間だったんです」
さり気なく訊かれたからか、ミーネは特に考えもせずに答えていた。ルークがこの場にいたら、間違いなく余計なことをしゃべんなと怒鳴っていたことだろう。
「ああ、そういうこと。反魔物派の島に一人でいるものだからおかしいとは思ったけど、魔物化したのね。それで納得したわ。今まで大変だったでしょう?」
「あ……えっと、はい……」
孤児院を追い出されてからのことを思い出し、つい顔を逸らしてしまう。謎の女性はミーネのそんな反応だけで充分だったらしい。
「でも、今はそうでもなさそうね。先程あなたが勘違いした誰かのおかげかしら。ルーク、といったわね。その人はあなたの恋人?」
「ち、違います! そんな、恋人なんて……」
急に恥ずかしくなり、顔が赤くなっていることを自覚したミーネはそっと顔を逸らした。
「あら、違うの? 森の奥での男女の逢瀬なんて、ロマンチックだと思ったのだけど」
「ル、ルークとはそんな関係じゃなくて……」
そう、そんな関係じゃない。しかし、自分で否定しておきながら、ミーネは胸がもやもやした。
「そう。でも、あなたは彼のことが好きなんでしょ?」
あまりにも直球な言葉がミーネの心に突き刺さった。
「え……。そんな、こと……」
蚊の鳴くような声で否定しようとするミーネだったが、続きが喉から出て来ない。
「ふふ、まだ自分の気持ちに完全には気づいていないといったところかしら。いいわ、じゃあ試してあげる」
「え……」
試すとはどういう意味なのか、不思議に思ってミーネが見つめると、謎の女性は一歩前に出てミーネに近づいた。
「今から私が言うことを彼に言われたと思って聞いてみて。じゃあいくわよ」
そう前置きし、彼女は続けた。
「結婚することになった。だから、もうここには来ない」
「っ!」
その言葉は頭の中でルークの声へ変換され、その場面がぼんやりと思い浮かぶ。その途端に胸の奥が痛みだし、ミーネの目尻に涙が浮かんだ。
「や、やだ……」
両手がズボンをきゅっと握り、いやいやをするように首を振る。そんなミーネの頬に白い手が添えられた。同時に、甘く優しい香りがふわりと漂う。
「じゃあ、その想いをきちんと彼に伝えないとね。今のままでいたら、いずれ本当にさっきの言葉を彼から聞くことになるかもしれないわ」
すっと女性がミーネから離れた。頬に添えられていた手の温もりが消え、名残り惜しむように彼女の手を目で追ってしまう。
「もっと触れていてほしいの? でも、私よりも彼に触れてもらいたいでしょう?」
彼女の言葉に釣られて、ついそれを想像してしまう。ルークが頬を撫でてくれる。それは恥ずかしいが、多分とても嬉しいに違いない。一度想像してしまうと、そうしてほしくてたまらなくなってくる。
「図星みたいね。じゃあ、今度彼が来た時はもっと頑張ってみて」
くるりと謎の女性は踵を返した。
「あ、あの! なんで、わたしによくしてくれるんですか?」
「人と魔物が愛し合っていける世界にすることが私の仕事だからよ。そういうわけだから、また様子を見に来るわね。その時は朗報を期待しているわ」
手をひらひらさせると、謎の女性はまるで風景に溶け込むかのように消えてしまった。
「人と魔物が愛し合う……」
言われた言葉を呟いてみる。それはつまり、自分の場合はルークと愛し合うというわけで。頭の中に、どこかの町でルークと二人で幸せそうに暮らしているところがぼんやりと思い浮かぶ。
「っ〜〜!」
瞬間、顔がかーっと熱くなり、ミーネは顔をぶんぶん振る。心なしか、顔だけでなく、体の熱も上がった気がする。
「なに顔振り回してんだよ。ノミでも付いてたのか?」
不意に声をかけられ、ミーネの体がビクつく。
「ぅはぃっ!? え、ルーク!? いつ来たの!?」
「いや、今着いたところだけどよ。なんだよ、なんでそんなに驚いてんだ?」
不思議そうに見つめてくるルーク。今さっき自分の気持ちを理解したばかりのミーネはまともにルークの顔を見ることもできず、慌てて顔を逸らした。
「な、なんだもっちない!」
「……」
ものすごく噛んだせいで、ルークは呆れたような目を向けてくる。
「あ、えっと、す、すぐにお昼の準備するからっ!」
恥ずかしさでいっぱいいっぱいだったミーネはこれ以上は限界だと家の中に逃げていく。
「相変わらず変なヤツだな……」
独り言をぼやくと、ルークも家に入っていく。
この日、なぜかミーネはしどろもどろだった。
13/08/26 23:46更新 / エンプティ
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