助けてくれた少女は魔物だった
「ふぁ〜……」
あまりにも退屈で欠伸が出た。
それに釣られたのか、隣りを歩く同僚も続けて欠伸だ。
「おいルーク、お前のせいで欠伸が出たぞ」
「俺のせいにすんな。お前が勝手に欠伸をしたんだろ」
「そうは言うけどな、欠伸って移るものらしいぞ」
だからお前のせいだと目で訴えてくる同僚のキースに対して、ルークは肩をすくめてみせた。
国のお抱え騎士団に所属するルークとキースの二人は現在、市中を見回り中だった。見回りといってもここは小さな島国で、仲の悪い隣国の存在もないため、実に平和だ。国は反魔物派ではあるが、肝心の魔物は何十年も前に全て追い出したとのことで、島にいるのは人間だけ。魔物がいないから教団の存在もなく、争いの元になる要素は微塵もない。おかげで、小さないざこざがたまにあるくらいで、市中の見回りなんて仕事はただ退屈なだけなのだ。
「じゃあ、欠伸が出ないような話でもしてくれ」
「その必要はないな。お前と見回りをしていると、俺は退屈しない」
その時、向かいから若い女性がやってきた。手にした袋からは野菜が覗いていたので、買い物帰りだろう。
その女性はルーク達が歩いてくることに気づくと足を止め、ルークを見てぎょっとした表情になり、さっと道の端に避けてそそくさと素通りしていった。
「……」
「……」
少しすると、顔を背けたキースから忍び笑いが聞こえてきた。そして、すぐに声を上げて笑いだす。
「……人を笑い者にするのは騎士としてどうなんだよ」
「悪い、けど、仕方ないだろ。今すれ違った人の反応を見たらついな……!」
腹が痛いとか言いながらまだ笑っている時点で、悪いなんてちっとも思っていないに違いない。もっとも、キースに限らず、この反応は慣れているので今更腹が立つこともないのだが。
「いや、本当に似合わないよな。お前の顔に騎士の格好は」
「はいはい、どうせ俺は傭兵顔だよ」
自分でも理解しているが、常に睨んでいるかのような鋭い目つきなのだ。もちろんルーク自身はそんなつもりなどまったくないのだが、見ず知らずの人にはガラが悪く映るようで、先程のようにルークが一方的に威圧した感じで道を譲られることが多い。
おかげで、騎士団の制服を着用しているのにも関わらず、陰では酷い言われ方をしていることも知っている。傭兵や戦士なんて呼び方はまだ良い方で、酷いものになると山賊、チンピラ、似非騎士、人でなし……。
平和ボケしているとはいえ、仮にも国を守る騎士に山賊はないだろと思う。
「まあ、そういうなよ。ガラと態度が悪いことを除けば、お前も立派な騎士だって」
「フォローする気ないだろ。目が笑ってるぞ」
ルークとは対照的に、キースは常に爽やかな笑顔を浮かべている青年だ。顔立ちもまあまあ整っているおかげで、かなり騎士らしく見える。そんなキースと並んで歩いているものだから、他人から見ればかなりちぐはぐなコンビだ。
「お前みたいに睨んだ方がよかったか?」
「アホ言ってないで行くぞ。町中で堂々とさぼってたなんて隊長に知れてみろ。恐怖の鉄拳制裁だ」
「それはやばいな。下手したら頭の形が変わる」
「そういうこった。ほら、行くぞ」
おふざけはここまでにしようとして歩きかけた時だ。足を向けた先の露店が並ぶ通りから怒声が聞こえた。
「ど、泥棒! 誰か捕まえてくれ!」
反射的にルークは走り出していた。前方では慌てた様子の二人組が近くを通りかかった数人の旅人から馬を奪っているところが視界に入る。
それを見て軽く舌打ちすると、ルークは露店の傍に佇む馬に目を付け、飛び乗った。
「え? あ、ちょっと!」
「悪い、ちょっと借りてく。賃料はあいつに請求してくれ」
慌てた様子の店主にそう告げると、ルークはキースを指差した。
「おいルーク!」
「ちょっと捕まえてくる。後は頼むわ」
ルークに遅れて追いついたキースに軽く手を上げてみせると、すぐに泥棒二人の後を追う。
「あの馬鹿。だから山賊なんて言われるんだよ……」
友人の呟きは当然ルークには聞こえなかった。
泥棒二人は町を出て東へと逃亡していた。
この先は見通しのいい平原だが、少し進むと森がある。二人はそこへ逃げ込むつもりらしく、街道を外れていく。そして、少しも速度を緩めることなく森へと突き進んで行った。
それを後ろから追っていたルークも躊躇うことなく森へ飛び込む。ここまで追っておいて逃げられましたでは騎士団の沽券に関わる。
森は鬱蒼としていて薄暗かったが、追う相手が二人いることもあって見失うことはなかった。
森の中での追跡劇を続けているうちに、一人の泥棒が乗っている馬の速度が急に落ちてきた。どうやら体力の限界が近いらしい。
好都合だとルークが意識をそちらに向けた時だ。やけに近くで馬蹄の音が聞こえた。続けて脇腹の辺りに何かがぶつかる。
なんだと思ったのは一瞬のこと。すぐに鋭い痛みが体を走り、思わず手綱を引いて馬を止める。
苦痛に顔を歪めつつ脇腹を見るとナイフが刺さっており、傍ではいつの間にかいた見慣れない男が無感動にこちらを見ていた。
「お前……」
完全に油断していた。三人目の仲間がいたのだ。それを口にしようとして、ルークは失敗した。体に力が入らず、馬から転げ落ちる。
ルークが追っていた泥棒二人は状況が良くなったからか、悠然と戻ってくる。ルークを刺した男はそれを見て声を荒げた。
「馬鹿野郎どもがっ。騎士なんか連れてきやがって」
「す、すいませんお頭」
「しかし、こうなっちまえば問題ないでしょ?」
泥棒二人はお頭と呼んだ男にはびくびくしつつも、ルークを見て嫌らしい笑みを浮かべる。
「ったく、いつになっても使えねえ奴らだ」
「まあ、そう言わないで下さいよ。で、こいつはどうします? 殺しますか?」
頭の男が冷やかな目でルークを見下ろす。手下二人と違って、こういった事態に慣れている目だとルークは思った。
「ほっとけ。どうせ死にかけだ。それにこんな森だ、狼の一匹や二匹はいるだろ。そいつらが勝手に処分してくれる。それより、金は取ってきたんだろうな?」
「もちろんでさぁ。たんまりいただいてきましたぜ」
泥棒の一人がぱんぱんに膨らんだ袋を得意げに見せる。それを見て頭の機嫌も少しはよくなったらしく、酷薄な笑みを浮かべた。
「よし。アジトに戻って山分けだ。行くぞ」
男三人はもうルークには目もくれずに、悠然と去って行く。
それを目で追うことしかできないルークは自嘲気味に笑った。
「まったく、なんてザマだよ……」
無理や無茶はよくするルークだが、今回ばかりはさすがに状況が芳しくない。キースも後は追ってきてくれるだろうが、森の中ではルークの発見に時間がかかるだろう。それまでルークがもつ可能性はあまりに低い。刺された脇腹はそれくらいの重傷だ。
「これまでか……」
瞼が重くなっていく。閉じたら駄目だとは分かっているが、体は既に言うことをきかない。
そして、ルークは意識を手放した。
優しい風が頬を撫でる感覚があった。それによって目を覚ますと、見慣れない天井が目に入る。少なくとも、騎士団兵舎の自分の部屋ではない。
「生きてる……?」
ぼやきつつ、顔を動かして部屋を見回す。
左手に開け放たれた窓があり、その先には森の景色。右手には小さな丸テーブルが一つと、それを挟んで置かれている椅子が二つあるだけの質素な部屋だ。天国と言うには程遠い趣きなので、間違いなく現実である。
「つっ!」
じゃあ、一体どこなんだと体を起こしたところで激痛が走った。その痛みが自分の身に起こったことを思い出させる。
顔をしかめつつも刺された箇所を見ようと目を向けると、ルークの上半身はなぜか裸で、脇腹の辺りには包帯が巻かれていた。
きちんと手当てされているところを見ると、医者だろうか。しかし、ルークの知る限りでは窓から森が見える医者など町にはなかったはずだ。
自分の居場所にますます疑問を感じ、首を捻った時だ。部屋の扉が開き、一人の少女が入ってきた。
「あっ……」
「は?」
二人揃って声を上げた。少女が声を上げた理由はルークが起きていたからだろうが、ルークは信じられないものを見たからだ。
少女の頭には獣の耳があった。それだけでも驚きなのに、腰の辺りからは尻尾まである。
どう見ても人外の存在に、呆けていた頭が瞬時に答えを弾き出した。
「魔物っ!」
咄嗟に叫んだと同時に、ベッド脇に立てかけてあった自分の剣を掴むと、それを引き抜こうとする。そして再度、脇腹の激痛に襲われた。
「っ!」
猛烈な痛みに体を折る。反射的に手で押さえるが、気休めにもならない。
「だ、駄目だよっ、動いちゃ!」
心配した様子の魔物が近づいてこようとする。そちらを睨むと、少女は怯んだ。
「ひっ……」
普段から山賊だの傭兵だのと言われている目は力を発揮してくれたようで、少女は部屋の外まで逃げていった。そこから扉を盾にするように、恐る恐るといった感じで顔を覗かせる。その様子があまりにも子供っぽく、つい毒気を抜かれてしまう。
魔物という存在については伝聞でしか知らないルークだが、扉からひょっこりと顔を覗かせる少女からは悪意や敵意といったものは微塵も感じられない。どちらかというと、手当てをしてくれたらしい少女を睨みつつ剣を抜こうとしているルークの方がよっぽど悪人だ。
「……」
状況を正確に把握し、なんとも居心地の悪い空気になる。
「これじゃ、マジで山賊だな……」
溜め息をつくと、抜きかけた剣を戻し、扉の方へと転がした。
「きゃっ……」
扉の向こうで、少女がびくつく。これでは完全に弱い者いじめだ。
状況がどんどん面倒くさいものになっているようで、ルークは再び溜め息をこぼした。
「……悪い。もう剣を向けたりはしないから、持っててくれ」
少女の目がルークと剣とを交互する。そして扉の側に転がった剣を拾い上げると両手で抱くように持ち、おずおずとした様子でルークの側までやってきた。
出会った直後は異形の姿に目を奪われて気付かなかったが、思ったよりも年を重ねているようだ。とはいっても見かけは十代後半くらいで、顔に幼さが残っていることがそれを証明している。そのせいか、異形のはずの獣の耳と尻尾も愛嬌があるように見えるから不思議だ。
そんな少女はルークの側まで来ると、ずいと剣をつき返してきた。
「物を投げちゃいけません」
しかも、説教のおまけ付きときた。
少女はどこかたしなめるような言い方だったが、それも頑張って背伸びしているようにしか見えず、ルークの緊張感は盛大に霧散していった。
「……あのな、お前を傷つけるつもりはないってつもりで投げたのに、なんで渡しに来るんだよ」
「え? だって、これはあなたの持ち物だし……」
不思議そうに首を傾げる様を見るに、多分ルークの行動の意味が分かっていない。
もう、なんだか色々と疲れる。
いちいち言ってやる気にもなれず、ルークは大人しく剣を受け取ることにした。
「ああ、そうだな。確かにこれは俺のだよ。で、ここはどこだ? 俺を助けてくれたのはお前か?」
「うん。森の中であなたが倒れているのを見つけたから、家まで運んだんだ。それで、えっと、傷は大丈夫?」
「生きてんだから大丈夫だろ」
意識を失う前は正直、死を覚悟した。それがこうして生きている上に、意識もはっきりしているくらいだから、ルークとしては問題ない。
「それより俺はどれくらい寝てた?」
「え? えっと、運んできたのが一昨日だから、一日、かな?」
丸一日は寝てたらしい。つまり、騎士ルークがそれだけの時間を行方不明になっているということだ。
これは非常によろしくない。
頭がやばいと判断した瞬間、ルークは脇腹が痛むのも構わずにベッドを下りていた。
「あ、まだ動いたら駄目だよっ!」
「そうもいかない。さっさと戻らないと、騒ぎがでかくなる」
下手をしたら、今頃捜索部隊が編成されているかもしれない。そう考えると気が重い。一分でも早く戻らなくてならない。
「じゃ、じゃあ、せめて痛み止めだけでも飲んでよ。持ってきてあるから」
少女は慌てた様子でぱたぱたと部屋を出ていき、すぐに盆を持ってきた。
盆の上には水の入ったコップと、小さな皿に盛られた白い粉。一瞬、毒という考えが頭をよぎったが、ルークは丸一日も無防備に眠りこけていたのだ。何かするつもりだったらとっくにしてただろうと思い、躊躇うことなく薬を口に入れる。
口内に広がる苦みを水で飲み下すと、少女は今度は騎士団の制服を差し出してきた。
「洗っておいたけど、まだ穴は直してなくて……」
少女はちょっと申し訳なさそうだが、ルークには十分だ。
「洗っておいてくれただけで助かる。そうだ、お前、名前は?」
「わたし? あ、えっと、はじめまして。ミーネです」
受け取った騎士団の制服を着たところで、少女が今更すぎる自己紹介をしてくる。
「ルークだ。この礼は必ずしに来る。じゃ、またな」
それだけ言うと、ぽかんとしているミーネの脇を通って部屋を出た。短い廊下の先は玄関になっていて、ルークは足早にミーネの家を出る。
泥棒を追う時に拝借した馬は家の近くに繋がれていて、ルークが近づくと退屈そうな顔を向けてきた。
「ひとっ走り頼むぞ」
縄を解いて強めに首を撫でると、背に飛び乗る。そして、町に向かって馬を走らせたのだった。
あまりにも退屈で欠伸が出た。
それに釣られたのか、隣りを歩く同僚も続けて欠伸だ。
「おいルーク、お前のせいで欠伸が出たぞ」
「俺のせいにすんな。お前が勝手に欠伸をしたんだろ」
「そうは言うけどな、欠伸って移るものらしいぞ」
だからお前のせいだと目で訴えてくる同僚のキースに対して、ルークは肩をすくめてみせた。
国のお抱え騎士団に所属するルークとキースの二人は現在、市中を見回り中だった。見回りといってもここは小さな島国で、仲の悪い隣国の存在もないため、実に平和だ。国は反魔物派ではあるが、肝心の魔物は何十年も前に全て追い出したとのことで、島にいるのは人間だけ。魔物がいないから教団の存在もなく、争いの元になる要素は微塵もない。おかげで、小さないざこざがたまにあるくらいで、市中の見回りなんて仕事はただ退屈なだけなのだ。
「じゃあ、欠伸が出ないような話でもしてくれ」
「その必要はないな。お前と見回りをしていると、俺は退屈しない」
その時、向かいから若い女性がやってきた。手にした袋からは野菜が覗いていたので、買い物帰りだろう。
その女性はルーク達が歩いてくることに気づくと足を止め、ルークを見てぎょっとした表情になり、さっと道の端に避けてそそくさと素通りしていった。
「……」
「……」
少しすると、顔を背けたキースから忍び笑いが聞こえてきた。そして、すぐに声を上げて笑いだす。
「……人を笑い者にするのは騎士としてどうなんだよ」
「悪い、けど、仕方ないだろ。今すれ違った人の反応を見たらついな……!」
腹が痛いとか言いながらまだ笑っている時点で、悪いなんてちっとも思っていないに違いない。もっとも、キースに限らず、この反応は慣れているので今更腹が立つこともないのだが。
「いや、本当に似合わないよな。お前の顔に騎士の格好は」
「はいはい、どうせ俺は傭兵顔だよ」
自分でも理解しているが、常に睨んでいるかのような鋭い目つきなのだ。もちろんルーク自身はそんなつもりなどまったくないのだが、見ず知らずの人にはガラが悪く映るようで、先程のようにルークが一方的に威圧した感じで道を譲られることが多い。
おかげで、騎士団の制服を着用しているのにも関わらず、陰では酷い言われ方をしていることも知っている。傭兵や戦士なんて呼び方はまだ良い方で、酷いものになると山賊、チンピラ、似非騎士、人でなし……。
平和ボケしているとはいえ、仮にも国を守る騎士に山賊はないだろと思う。
「まあ、そういうなよ。ガラと態度が悪いことを除けば、お前も立派な騎士だって」
「フォローする気ないだろ。目が笑ってるぞ」
ルークとは対照的に、キースは常に爽やかな笑顔を浮かべている青年だ。顔立ちもまあまあ整っているおかげで、かなり騎士らしく見える。そんなキースと並んで歩いているものだから、他人から見ればかなりちぐはぐなコンビだ。
「お前みたいに睨んだ方がよかったか?」
「アホ言ってないで行くぞ。町中で堂々とさぼってたなんて隊長に知れてみろ。恐怖の鉄拳制裁だ」
「それはやばいな。下手したら頭の形が変わる」
「そういうこった。ほら、行くぞ」
おふざけはここまでにしようとして歩きかけた時だ。足を向けた先の露店が並ぶ通りから怒声が聞こえた。
「ど、泥棒! 誰か捕まえてくれ!」
反射的にルークは走り出していた。前方では慌てた様子の二人組が近くを通りかかった数人の旅人から馬を奪っているところが視界に入る。
それを見て軽く舌打ちすると、ルークは露店の傍に佇む馬に目を付け、飛び乗った。
「え? あ、ちょっと!」
「悪い、ちょっと借りてく。賃料はあいつに請求してくれ」
慌てた様子の店主にそう告げると、ルークはキースを指差した。
「おいルーク!」
「ちょっと捕まえてくる。後は頼むわ」
ルークに遅れて追いついたキースに軽く手を上げてみせると、すぐに泥棒二人の後を追う。
「あの馬鹿。だから山賊なんて言われるんだよ……」
友人の呟きは当然ルークには聞こえなかった。
泥棒二人は町を出て東へと逃亡していた。
この先は見通しのいい平原だが、少し進むと森がある。二人はそこへ逃げ込むつもりらしく、街道を外れていく。そして、少しも速度を緩めることなく森へと突き進んで行った。
それを後ろから追っていたルークも躊躇うことなく森へ飛び込む。ここまで追っておいて逃げられましたでは騎士団の沽券に関わる。
森は鬱蒼としていて薄暗かったが、追う相手が二人いることもあって見失うことはなかった。
森の中での追跡劇を続けているうちに、一人の泥棒が乗っている馬の速度が急に落ちてきた。どうやら体力の限界が近いらしい。
好都合だとルークが意識をそちらに向けた時だ。やけに近くで馬蹄の音が聞こえた。続けて脇腹の辺りに何かがぶつかる。
なんだと思ったのは一瞬のこと。すぐに鋭い痛みが体を走り、思わず手綱を引いて馬を止める。
苦痛に顔を歪めつつ脇腹を見るとナイフが刺さっており、傍ではいつの間にかいた見慣れない男が無感動にこちらを見ていた。
「お前……」
完全に油断していた。三人目の仲間がいたのだ。それを口にしようとして、ルークは失敗した。体に力が入らず、馬から転げ落ちる。
ルークが追っていた泥棒二人は状況が良くなったからか、悠然と戻ってくる。ルークを刺した男はそれを見て声を荒げた。
「馬鹿野郎どもがっ。騎士なんか連れてきやがって」
「す、すいませんお頭」
「しかし、こうなっちまえば問題ないでしょ?」
泥棒二人はお頭と呼んだ男にはびくびくしつつも、ルークを見て嫌らしい笑みを浮かべる。
「ったく、いつになっても使えねえ奴らだ」
「まあ、そう言わないで下さいよ。で、こいつはどうします? 殺しますか?」
頭の男が冷やかな目でルークを見下ろす。手下二人と違って、こういった事態に慣れている目だとルークは思った。
「ほっとけ。どうせ死にかけだ。それにこんな森だ、狼の一匹や二匹はいるだろ。そいつらが勝手に処分してくれる。それより、金は取ってきたんだろうな?」
「もちろんでさぁ。たんまりいただいてきましたぜ」
泥棒の一人がぱんぱんに膨らんだ袋を得意げに見せる。それを見て頭の機嫌も少しはよくなったらしく、酷薄な笑みを浮かべた。
「よし。アジトに戻って山分けだ。行くぞ」
男三人はもうルークには目もくれずに、悠然と去って行く。
それを目で追うことしかできないルークは自嘲気味に笑った。
「まったく、なんてザマだよ……」
無理や無茶はよくするルークだが、今回ばかりはさすがに状況が芳しくない。キースも後は追ってきてくれるだろうが、森の中ではルークの発見に時間がかかるだろう。それまでルークがもつ可能性はあまりに低い。刺された脇腹はそれくらいの重傷だ。
「これまでか……」
瞼が重くなっていく。閉じたら駄目だとは分かっているが、体は既に言うことをきかない。
そして、ルークは意識を手放した。
優しい風が頬を撫でる感覚があった。それによって目を覚ますと、見慣れない天井が目に入る。少なくとも、騎士団兵舎の自分の部屋ではない。
「生きてる……?」
ぼやきつつ、顔を動かして部屋を見回す。
左手に開け放たれた窓があり、その先には森の景色。右手には小さな丸テーブルが一つと、それを挟んで置かれている椅子が二つあるだけの質素な部屋だ。天国と言うには程遠い趣きなので、間違いなく現実である。
「つっ!」
じゃあ、一体どこなんだと体を起こしたところで激痛が走った。その痛みが自分の身に起こったことを思い出させる。
顔をしかめつつも刺された箇所を見ようと目を向けると、ルークの上半身はなぜか裸で、脇腹の辺りには包帯が巻かれていた。
きちんと手当てされているところを見ると、医者だろうか。しかし、ルークの知る限りでは窓から森が見える医者など町にはなかったはずだ。
自分の居場所にますます疑問を感じ、首を捻った時だ。部屋の扉が開き、一人の少女が入ってきた。
「あっ……」
「は?」
二人揃って声を上げた。少女が声を上げた理由はルークが起きていたからだろうが、ルークは信じられないものを見たからだ。
少女の頭には獣の耳があった。それだけでも驚きなのに、腰の辺りからは尻尾まである。
どう見ても人外の存在に、呆けていた頭が瞬時に答えを弾き出した。
「魔物っ!」
咄嗟に叫んだと同時に、ベッド脇に立てかけてあった自分の剣を掴むと、それを引き抜こうとする。そして再度、脇腹の激痛に襲われた。
「っ!」
猛烈な痛みに体を折る。反射的に手で押さえるが、気休めにもならない。
「だ、駄目だよっ、動いちゃ!」
心配した様子の魔物が近づいてこようとする。そちらを睨むと、少女は怯んだ。
「ひっ……」
普段から山賊だの傭兵だのと言われている目は力を発揮してくれたようで、少女は部屋の外まで逃げていった。そこから扉を盾にするように、恐る恐るといった感じで顔を覗かせる。その様子があまりにも子供っぽく、つい毒気を抜かれてしまう。
魔物という存在については伝聞でしか知らないルークだが、扉からひょっこりと顔を覗かせる少女からは悪意や敵意といったものは微塵も感じられない。どちらかというと、手当てをしてくれたらしい少女を睨みつつ剣を抜こうとしているルークの方がよっぽど悪人だ。
「……」
状況を正確に把握し、なんとも居心地の悪い空気になる。
「これじゃ、マジで山賊だな……」
溜め息をつくと、抜きかけた剣を戻し、扉の方へと転がした。
「きゃっ……」
扉の向こうで、少女がびくつく。これでは完全に弱い者いじめだ。
状況がどんどん面倒くさいものになっているようで、ルークは再び溜め息をこぼした。
「……悪い。もう剣を向けたりはしないから、持っててくれ」
少女の目がルークと剣とを交互する。そして扉の側に転がった剣を拾い上げると両手で抱くように持ち、おずおずとした様子でルークの側までやってきた。
出会った直後は異形の姿に目を奪われて気付かなかったが、思ったよりも年を重ねているようだ。とはいっても見かけは十代後半くらいで、顔に幼さが残っていることがそれを証明している。そのせいか、異形のはずの獣の耳と尻尾も愛嬌があるように見えるから不思議だ。
そんな少女はルークの側まで来ると、ずいと剣をつき返してきた。
「物を投げちゃいけません」
しかも、説教のおまけ付きときた。
少女はどこかたしなめるような言い方だったが、それも頑張って背伸びしているようにしか見えず、ルークの緊張感は盛大に霧散していった。
「……あのな、お前を傷つけるつもりはないってつもりで投げたのに、なんで渡しに来るんだよ」
「え? だって、これはあなたの持ち物だし……」
不思議そうに首を傾げる様を見るに、多分ルークの行動の意味が分かっていない。
もう、なんだか色々と疲れる。
いちいち言ってやる気にもなれず、ルークは大人しく剣を受け取ることにした。
「ああ、そうだな。確かにこれは俺のだよ。で、ここはどこだ? 俺を助けてくれたのはお前か?」
「うん。森の中であなたが倒れているのを見つけたから、家まで運んだんだ。それで、えっと、傷は大丈夫?」
「生きてんだから大丈夫だろ」
意識を失う前は正直、死を覚悟した。それがこうして生きている上に、意識もはっきりしているくらいだから、ルークとしては問題ない。
「それより俺はどれくらい寝てた?」
「え? えっと、運んできたのが一昨日だから、一日、かな?」
丸一日は寝てたらしい。つまり、騎士ルークがそれだけの時間を行方不明になっているということだ。
これは非常によろしくない。
頭がやばいと判断した瞬間、ルークは脇腹が痛むのも構わずにベッドを下りていた。
「あ、まだ動いたら駄目だよっ!」
「そうもいかない。さっさと戻らないと、騒ぎがでかくなる」
下手をしたら、今頃捜索部隊が編成されているかもしれない。そう考えると気が重い。一分でも早く戻らなくてならない。
「じゃ、じゃあ、せめて痛み止めだけでも飲んでよ。持ってきてあるから」
少女は慌てた様子でぱたぱたと部屋を出ていき、すぐに盆を持ってきた。
盆の上には水の入ったコップと、小さな皿に盛られた白い粉。一瞬、毒という考えが頭をよぎったが、ルークは丸一日も無防備に眠りこけていたのだ。何かするつもりだったらとっくにしてただろうと思い、躊躇うことなく薬を口に入れる。
口内に広がる苦みを水で飲み下すと、少女は今度は騎士団の制服を差し出してきた。
「洗っておいたけど、まだ穴は直してなくて……」
少女はちょっと申し訳なさそうだが、ルークには十分だ。
「洗っておいてくれただけで助かる。そうだ、お前、名前は?」
「わたし? あ、えっと、はじめまして。ミーネです」
受け取った騎士団の制服を着たところで、少女が今更すぎる自己紹介をしてくる。
「ルークだ。この礼は必ずしに来る。じゃ、またな」
それだけ言うと、ぽかんとしているミーネの脇を通って部屋を出た。短い廊下の先は玄関になっていて、ルークは足早にミーネの家を出る。
泥棒を追う時に拝借した馬は家の近くに繋がれていて、ルークが近づくと退屈そうな顔を向けてきた。
「ひとっ走り頼むぞ」
縄を解いて強めに首を撫でると、背に飛び乗る。そして、町に向かって馬を走らせたのだった。
13/05/07 00:16更新 / エンプティ
戻る
次へ