第一章
運ばれてきたビールを一口飲み、ディーノは不味いと即座に思った。
元々ビールは好きではないのだ。それでもビールを頼んだのは、懐事情が厳しいからに他ならない。
ディーノは家の賃貸業をやっているので、家賃という形で毎月彼の元にはまとまった収入が入るのだが、借り手がいなければ当然家賃も手に入らない。
現在、彼の所有する家には三組の借り手がいるが、正直それだけでは月の収入は少なすぎるのだ。人が少ない理由は単純で、貸家の位置がほとんど町の端という悪条件のせいだ。おかげで、ぶどう酒を飲みたいのを我慢して安いビールに甘んじているのである。
「まったく、やってられねぇ……」
職人らしき男達が好きな酒を片手に盛大に騒いでいるのを羨ましく思いながら、残りのビールを一息に飲み干してディーノは席を立った。
流通の拠点ともいえるこの町は夜でも活気があり、あちこちの店で賑やかな声が聞こえる。
賑やかだということは、それだけ人が入っているということだろう。
それに比べて自分のところはと愚痴りたくなるのを我慢し、ディーノは自宅に戻る。独身なので、家に戻ったところで誰がいるわけでもなく、寂しい一日が終わるだけだ。
しかし、この日は普段と違った。家の前に、一人の女が立っていたのだ。
女はディーノに気づいたらしく、ふと顔を向けてきた。
その人物の顔を見て、ディーノは目を剥いた。
相手はまだ若い色白の美人だった。それだけに、体に緊張が走る。これ程の器量で商売女だったら、少し手を触れただけでいくら取られるか分かったものではないからだ。
「ここで何を?」
声が届く距離でディーノが声をかけると、女は少し戸惑った様子で口を開いた。
「お部屋を貸していただけると聞いてお訪ねしたんです。家主さんでしょうか?」
媚びるような口調だったらもっと警戒したかもしれないが、女は至って丁寧にそう話した。
少なくとも押しかけの商売女ではないと分かり、ディーノは安堵のため息をつく。
「ああ、そうだ。ディーノという。客なら大歓迎だ。部屋なら幾つも空いてる。さっそく見るか?」
「はい。お願いします」
「わかった。じゃあ案内しよう」
久しぶりの客と分かり、ディーノは急いで家から空き部屋の鍵を取ってくると、先に立って歩き出した。
「あんた、今日この町に来たのか?」
「はい。稼ぐならこの町の方が遥かにいいと言われたので、隣り町から来ました」
そう言う女の着ている衣服は派手さこそないが、そこそこ値の張る物であることはディーノにも分かった。そのことから、意外と高級嗜好のある女なのかもしれないと内心思った。
何にしても、ディーノにとっては久しぶりに契約してくれそうな客だ。ここは丁寧に対応しなければならない。
「確かに、稼ぐには向いている町だ。もっとも、それは才能次第だが。俺みたいな貧乏人もいるわけだしな」
自虐的な冗談が受けたらしく、女は初めて笑った。美人の笑顔となればその破壊力も凄まじく、ディーノは嫌でもどきりとする。
「どうかなさいました?」
「いや……」
顔が赤くなっているのを自覚し、慌てて彼女から目を逸らした。
女と付き合った経験がない上に、これ程の美人に会ったことはなかった。要するに、免疫がなかったのである。それを悟られたくなくて、つい足早になってしまった。
自宅から少し離れた位置にある貸家は幾つか種類があった。格安で住める代わりに狭い家もあれば、風呂付きの家もある。もちろん、設備が整っている家ほど家賃もいただく仕組みだ。
それを説明した上で、ディーノは高い部類の家に案内した。少しでも月の収入を多くしたいという思いもあったし、なによりこの女は良い場所を好みそうだという勘が働いたのだ。
「ここが貸家の一つだ。家具や風呂はあるから、その気になればすぐに住むことができる」
室内は定期的に掃除を行っているので至って綺麗だ。女の反応も悪くないようで、興味深そうにあちこちを見て回った。
「綺麗な家ですね。気に入りました。ここを借ります」
まさかの即決だった。ここが気に入ってもらえなかったら、少し家賃の低い家を紹介しようと考えていたディーノにとっては嬉しい限りだった。それでも、建て前上はきちんとこう言った。
「まだ他の家は見せていないが、いいのか? 確かにここはお勧めではあるが」
「ええ。時間が時間ですから、私も早く決めてしまいたいのです。ここをお借し下さい」
「分かった。では、これが家の鍵だ」
鍵束からこの家の鍵を外すと、それを彼女に手渡す。
「後は契約書に名前を書いてもらえれば、手続きはそれで終わりだ。だが、それは明日に回そう。あんた、名前は?」
「エステルです」
「エステルさんだな。では、明日また契約書を持ってくる。都合のいい時間を教えてくれるか。その時間に来るから」
「あの、ディーノさんはもう夜はお済みですか?」
まったく脈絡のない返事が返ってきた。
「いや、まだだが」
少し戸惑いつつも素直に返事を返すと、エステルは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「そうなんですか? よかった。では、これから一緒にお食事に行きませんか? その時に、契約書にサイン致します。明日は色々と町を見て回りたいので」
これにはディーノも面食らった。女性からのお誘いなど初めてなのだ。どう返事を返していいかも分からなかった。
「あの、ご迷惑ですか?」
エステルが首を傾げたことで、ディーノはようやく我に返った。
「あ、いや……。いきなりのことで、少し驚いただけだ。迷惑というわけでは。だが、俺なんかと一緒でいいのか?」
「ええ、もちろん。この町に来たばかりなので、まだどこにどんな店があるのかも分かりませんから、ディーノさんのお勧めの店に連れてって下さい」
エステルはにこりと笑った。その笑顔に完全に籠絡され、ディーノは久しぶりに男の欲望が胸の奥にちらつき始めた。
「分かった。では、荷物を整理したら俺の家の前に来てくれ。こちらも契約書を用意しておく」
三十分後に落ち合うことを約束し、ディーノは貸家を出た。
胸が弾んだ。上手く家賃が高めな家を貸すことができたこともあるが、それ以上にエステルとの食事が楽しみで、ディーノは久しぶりにわくわくしていることを実感した。
急いで家に戻ると、タンスを引っかき回して一張羅を引っ張り出した。やはり女性と会って食事をする以上は、普段の安物を着て行くわけにはいかないと思ったのだ。会う相手がエステルのような美人なら尚更だ。
単純に男の見栄だったが、ディーノは少しもそんなことは考えずに素早く着替えると、契約書を用意してバッグに詰めた。
身だしなみを整え、少し早めにディーノが家を出ると、エステルは既に待っていた。
白いセーターにブラウンのショールを羽織り、黒のロングスカートという格好だった。彼女も着替えてきたようだ。
そこまで気取った服というわけではないが、文句なしに似合っている。
そんなエステルと待ち合わせをしているという事実はディーノを恋人気分にさせ、足取りは弾むようだった。
「すまない。待たせたか?」
「いいえ、ちょうど今来たところです」
如才なく笑うエスエルに、ディーノも軽く笑みを返した。
「それはよかった。待ち合わせに遅れるなんて情けない真似はしたくないしな」
「まだ時間に早いですよ。それなのに、きちんとした服装に着替えた上で、時間よりも早く来るなんて、ディーノさんは真面目ですね」
褒められた上に服装にも気づいてくれて、ディーノは少し照れたように笑った。
「あまり情けない格好では君に幻滅されそうだと思ってな。変じゃないか?」
「とんでもない。よく似合ってます」
「そう言ってもらえると助かる。くたびれた格好で会って、契約を取り消すと言われたら泣くに泣けないからな」
正直な本音を言うと、エステルは吹き出した。
「そんなこと言いませんよ。それより、どこに行くんですか?」
「町の中央の方だ。あっちは色々と賑やかで様々な店がある。これから行くのは、少し上等の料理店だな」
「そうなんですか? そう言われると期待してしまいますね。ただ、財布の中身は足りるかしら?」
「ああ、代金は気にしなくていい。今夜はご馳走するよ。久しぶりの契約者だからな。ただ、料理についてはあまり過度な期待はしないでくれよ? あくまで俺達庶民にとっては上等ってだけだからな」
本来なら奢れるほど儲かっているわけではないが、エステルにならそうしてもいい。
またも見栄を張ったディーノだが、今なら美人にはあれこれと優しくしたくなる男の気持ちがよく分かった。
「私も庶民ですから、貴族が食べるような料理を期待しているわけじゃありませんよ。でも、本当にご馳走してもらっていいんですか?」
「ああ。これは本音だが、君が家賃をきちんと払ってくれるなら、これくらいは安い出費だ」
「家賃を踏み倒すような真似はしませんから、ご安心を」
エステルとの会話は不思議なほど心地良かった。今日、それもつい先ほど出会ったばかりのはずなのに、まるで古くから知っている友と話している気分だった。
多くの人は家か酒場で空腹を満たしている時間だからか、中央に向かう通りに人の姿は少ない。代わりに、通り過ぎる酒場や食堂からは賑やかな声が必ずといっていいほど聞こえた。
ついでにいい匂いもするので、まだ夕食を食べていないディーノは腹の音が何度も鳴りそうになった。
「ここは良い町ですね。夜でも活気があるのに、水の音がどこか落ち着いた気持ちにしてくれる」
エステルの言う水の音とは、町中に張り巡らされた水路のことだ。この町のすぐ傍にはカーリ川という名の川があり、そこから水を引き入れて利用しているのだ。水路は町の景観を良くすることにも一役買っているが、水路に小舟を浮かべて利用することで、混み合う町の中を行かずに品物を運ぶことができるという利点がある。エステルが言ったように、流れる水の音を聞いて心を落ち着かせるということもあるだろうが、この町の人間が水の音を聞いて和むかは怪しいところだ。
「活気があるのも、水の音が落ち着くのも同意できるが、水路は明日見たら少しがっかりするかもしれない」
通りと並行している水路を見ていたエステルの目がディーノに向けられた。
「なぜですか?」
「この町の水はすぐ近くのカーリ川から引き入れているんだが、少し問題があったらしくてな。今は夜だから分かりにくいが、水が最近濁ってきているんだ。おかげで、町の景観は著しく損なわれている」
それだけでなく、飲み物などにも影響が出ている。ディーノが飲んでいた酒場でも、ビール本来の味とは別の苦みが感じられた。
実際、酒場に限らず飲食店は軒並み影響を受けているのだが、今は言わないでおいた。これから食事に行くというのに、わざわざ楽しみが損なわれるような発言をすることもない。
「それは色々と大変そうですね……」
エステルの青い目がすぐ近くの水路に向けられる。恐らくは水路の水を見ようとしているのだろう。だが、いくらそこかしこに明かりがあっても、さすがに夜に確認するのは不可能だ。
「確かに大変だ。だが、それをどうにかするのは俺達市民の仕事じゃない。さあ、辛気臭い話はそろそろ終わりしようか。もうすぐだ」
見えてきた中央通りの明るさになぜか笑みが浮かんでしまう。朝から夜まで賑やかな場所だから、つい陽気な気分にさせられるのかもしれない。
市民でさえそうなのだから、今日この町に来たばかりのエステルもきっと同じだと思って横目で彼女の整った横顔を見つめる。
エステルは案の定うっすらと笑っていた。ただ、その笑みは見えてきた中央通りに対する期待からではないように感じられた。それが少し気になったが、中央通りの喧騒でうやむやになってしまった。
ディーノの家がある西側は夜になれば静かなものなのに、中央は昼と大差ない賑やかさだ。さすがに人の数は昼に比べれば落ち着いているが、それでもその流れは途絶えそうになく、思い思いの方へ歩く人で賑わっていた。
ディーノ達も人の流れに逆らうことなく進み、中央通りに面した店の一つ「アーミスト」に入った。
店に入った途端に外の喧騒が嘘のように聞こえなくなり、代わりに静かに談笑する声が耳に入ってきた。もっとも、彼らの会話内容までは聞き取れない。代わりに、食べている料理の香りははっきりと嗅ぎ取ることができた。
見たところ、人の入りは八割といったところだ。店内はなかなかに広いのだが、こうしてそのほとんどの席が埋まっているところを見ると、儲けている人は儲けているのだなとつくづく痛感してしまう。
妬みにも近い感情から、ディーノは彼らには全く目を向けなかったが、逆に彼らの目はこちらに集中した。その理由はもちろんエステルだ。彼らの大半は何かの拍子にちらりと視線を向けてきただけだったが、エステルを見るとそのほとんどが驚いたように目を見開いていた。
彼女を連れているディーノは少しいい気分になったが、もちろん気にしていないふりをした。注目されているエステルも同じで、自分に好奇の視線を向けてくる連中など見えていないかのように歩いている。
奥のテーブル席に案内されると、エステルはさっそくメニューを開きつつ、ディーノに目を向けてきた。
「ディーノさんのお勧め料理はどれですか?」
「お勧めか。単品で頼んでもいいんだが、せっかくだからコースにしないか? 色々と出てくるし」
さり気なくコース料理を提案したのは、この店には片手で数える程度にしか来ていないからだ。当然、お勧めはこれだと言えるほどメニューの品を食べているわけもない。
幸い、エステルはディーノの思惑には気づいた様子もなくメニューを閉じて微笑んだ。
「ディーノさんがそう言うのなら、私はそれで構いません」
「そうか。では、コースはこちらに任せてもらうとしよう」
何か飲めない物はあるかとエステルに尋ねると特にないというので、飲み物も含めてそこそこ値の張るコースを注文する。
正直、かなり痛い出費だ。ディーノを知る人がこの場を見たら、見栄を張って分不相応なことをしていると苦笑しただろう。
それでも、そうする価値はあると目の前に座るエステルを見て思った。
「さて、さっそくだがこれが契約書だ。一応、目を通した後で一番下にサインしてくれ」
契約書を差し出すと、エステルの青い目が文面に向けられる。そしてすぐにペンを走らせて自分の名前を記入した。
「これでいいですね」
「ああ。これで契約の手続きは完了だ。で、稼ぎに来たと言ったが、具体的にどんな仕事をするつもりなんだ?」
「まずは町を見てからですね。その上で、どうするか決めようかと」
「なるほど。確かに、焦る必要もないな」
仮に娼婦にでもなったら、それこそ瞬時に一番人気に躍り出ることだろう。そうなったら、今のように気安く会話などできなくなるかもしれない。エステルの整った顔を見て、そんなことを思った。
「ディーノさん、今あまり人前では言えないようなことを考えているでしょう?」
まるでこちらの心を見透かしたような発言だ。それを言ったエステルは楽しそうに笑っている。その笑みは、間違いなく確信しているようだった。
「気を悪くしたなら謝る。申し訳ない。君のような女性を見ると、どうしてもそういう考えが浮かんできてしまうんだ」
「構いませんよ。そう思われることには慣れていますから。実際、そういった経験がないわけでもありませんし」
さすがにこの発言には驚いた。エステルはそういったこととは無縁に思えたからだ。
「意外そうですね」
「ああ。なんていうか、君はそういうことは軽蔑していそうな印象だったから」
そう言った途端、エステルは可笑しそうに笑った。
「私も女ですから、人並みに関心はありますよ。それも一つの稼ぎ方だと思っています。もっとも、この町でそうするつもりは今のところありませんけど」
「まあ、手段を問わずに稼ぐなら、それが一番効率的だろうな。お世辞にしか聞こえないだろうが、君の容姿なら間違いなくトップだ」
そんな会話をしているうちに料理が運ばれてきて、二人はワインで乾杯した。
ディーノはそれ以上はエステルの仕事について話さなかった。代わりに、この町で注意していくべきこと、どんな仕事が人気かなど当り障りのないことだけを話した。
エステルも若い見かけからは想像もつかないほど人生経験が豊富なようで、ディーノの話に相槌を打つだけでなく、そこから更に話題を掘り下げたり、逆に仮定の問題を取り上げてディーノに意見を求めた。
気がつけば、いつの間にか注文していたらしいワインの二本目のボトルが空になっていた。
「飲み足りなさそうですね。どこか別の場所で飲み直しますか?」
「いや、今夜はよそう。美人相手に醜態を晒すわけにはいかない」
調子に乗って吐くほど飲むわけではないが、エステル相手ではそうしないともいえない。空になった二つのボトルがそれを証明している。
エステルは声なく笑った。
「そうですね。ただ、ディーノさんならそんな情けない姿は見せない気もしますけど」
「それは買い被りだ。俺だって羽目を外すことはある」
それこそ、今夜みたいに。
内心ぼやきながら、かなり痛い支払いを済ませて店を出た。
ワインと会話に熱中していた体に、夜の空気が気持ちいい。
こんな感覚は久しぶりだなと思いつつ、エステルを家の前まで送っていった。
「では、俺はこれで。おやすみ」
明日からは朝食抜きにして、今日の分の帳尻を合わせるかなどと考えながら踵を返した時だ。不意に袖を引かれ、続けて耳元で囁かれた。
「泊まっていかない?」
思わずエステルの顔をまじまじと見つめていた。口調こそ淀みはなかったが砕けたものになっていたし、酔っているのかと思ったのだ。
しかし、間近で見たエステルの顔は酔いが回っている気配など少しもなかった。それどころか、青い瞳にはこちらを誘うような光が宿っている。
「……本気か?」
「酔った勢いで言っているとでも? これはご馳走のお礼よ。言ったでしょう、経験がないわけではないと。あなたが望むなら、今夜限りの関係ということでご奉仕してあげる」
「……実は娼婦なのか?」
今のエステルの雰囲気は正にそれだった。食事前とはまったくの別人といっていいくらいの変貌ぶりに、ディーノは戸惑いを隠せない。
それを嘲笑うかのように、エステルは目を細めて微笑んだ。
「仕事のついでに、恋人も探しに来ただけよ」
「それは、俺を恋人にということか?」
「お礼と言ったでしょ。まあ、あなた次第では本当に恋人になるかもしれないけど」
エステルがからかうような笑みを浮かべ、「さあ、どうする?」と聞いてくる。その様子は出会った時に感じた年下の毅然とした女性ではなく、年上の妖しい女といった雰囲気だ。それに促されるように、ディーノは頷いていた。
「誘ったのはそっちだからな」
「ええ、もちろん。さあ、どうぞ」
静かに開かれた扉の先は、自分が今日まで管理してきた部屋だ。だが、今見ると妖しい雰囲気を放っているように感じられる。
「さあ、ベッドに寝て」
言われるままにベッドに向かい、仰向けに寝ると、エステルもゆっくりと近づいてきた。その顔には薄い微笑が浮かび、不思議な魅力が放たれている。
その手がディーノのズボンにかけられると、するりと下ろされた。さすがにこの時点では勃起していなかったが、エステルの奉仕に期待はしていたのでその大きさは普段より一回り大きくなっていた。
経験がないと言っていたのは冗談ではないらしく、エステルはディーノの陰茎を見ても表情を変えず、そっとその手で包みこんだ。そして、そのまま男が自慰をする時のように手を動かして扱き始める。
エステルはどこをどうすれば気持ちがいいのか完全に把握しているようで、絶妙な力加減で刺激を与えてきた。それは自分で扱くよりも遥かに気持ちがよく、ディーノの陰茎はあっという間に膨張していく。
それを見て、エステルはふと笑った。
「さて、ここからが本番よ」
体勢を変えてディーノの下半身に覆い被さると、エステルは見違えるほどにたくましくなった陰茎を躊躇うことなく口に含んだ。
「っぁ……」
触れている唇の柔らかさと、口内に納められた部分に感じるエステルの吐息に声が漏れる。
エステルは頬張るようにディーノの陰茎のほとんどを口に入れると、飴でも味わうかのように舌で舐め回し始めた。
唾液に塗れた舌が裏筋や尿道をゆっくりと舐めていく度に、ディーノの背中に快感の鳥肌が走った。激しいわけでもないのに、それくらいエステルの舌の動きは刺激的だったのだ。
口で奉仕してもらうのは初めてだったディーノだが、エステルの技術がそこらの娼婦など比べ物にならないほど高いことだけは分かった。ゆっくりと、しかし確実に性感帯を刺激してくるエステルの舌に、早くも射精間近に追いやられた。
「っぅ、出すぞ……!」
エステルに許可を求めるより先に限界が訪れ、精が放たれた。
「ん……」
口内に広がる熱い精に一瞬だけくぐもった声を漏らしたエステルだが、嫌がる素振りはまったく見せなかった。それどころか、どこか満足そうにこくりと飲み始める。その表情はディーノが御馳走したどの料理よりも嬉しそうに味わっていたのだが、ディーノがそれに気付くことはなかった。
射精が終わり、精を出さなくなった陰茎を綺麗に舐め上げると、エステルはようやく顔を上げた。
「あら、疲れ切ってしまったの?」
「経験がないわけじゃないというのは本当だったな……。ここまで気持ちいいと思ったのは初めてだ……」
遠回しな賛辞に、エステルは不敵な笑みを浮かべた。
「それはよかった。じゃあ、もっと気持ちよくしてあげる」
そう言うと、エステルは再びディーノのモノを口に含み、奉仕を再開した。
「ま、待てっ。もう―」
言いかけた言葉は彼女の青い目と合ったことで飲み込んだ。その眼差しは頭を真っ白にし、心を引き込む魔力が宿っているように感じた。
「っ……」
再開された奉仕による快感から体が震え、ディーノは降参するように僅かに起こしていた上半身を倒した。
この謎の女性は一体なんなのだろう。そんな疑問が浮かんできたが、性器に与えられる快楽が思考を塗り潰し、それを楽しむことしか考えられなくなる。
エステルの口に五回目の射精をした時には、既に日付が変わった時間だった。
「ふふ、お礼はこれくらいでいいかしら?」
「ああ……俺の方がもらいすぎなくらいだな……」
最後の方はほとんど夢心地だったが、それでも気持ちよかったのは確かだ。おかげで、満足感に満たされた眠気が襲ってくる。
「ご馳走のお礼よ」
それはよかった。
ディーノはそう言ったつもりだったが、言葉として口にすることはなかった。五回の射精によって疲れ果て、意識を保つ気力もなく瞼が閉じた。
ディーノが完全に眠ると、エステルの口元に笑みが浮かぶ。
「ご馳走様。あなたの精、美味しかったけど、恋人にしたいとまではいかなかったわ」
穏やかに眠るディーノにそっと告げると、エステルは静かに服を脱いでいった。そして裸になると、浴室へ向かう。その過程で、彼女の姿が本来のものに戻っていく。
「さてと。どこから手を付けようかしら……」
薄い笑みを浮かべつつ、どこか楽しげな口調でエステルは浴室へと消えていった。
元々ビールは好きではないのだ。それでもビールを頼んだのは、懐事情が厳しいからに他ならない。
ディーノは家の賃貸業をやっているので、家賃という形で毎月彼の元にはまとまった収入が入るのだが、借り手がいなければ当然家賃も手に入らない。
現在、彼の所有する家には三組の借り手がいるが、正直それだけでは月の収入は少なすぎるのだ。人が少ない理由は単純で、貸家の位置がほとんど町の端という悪条件のせいだ。おかげで、ぶどう酒を飲みたいのを我慢して安いビールに甘んじているのである。
「まったく、やってられねぇ……」
職人らしき男達が好きな酒を片手に盛大に騒いでいるのを羨ましく思いながら、残りのビールを一息に飲み干してディーノは席を立った。
流通の拠点ともいえるこの町は夜でも活気があり、あちこちの店で賑やかな声が聞こえる。
賑やかだということは、それだけ人が入っているということだろう。
それに比べて自分のところはと愚痴りたくなるのを我慢し、ディーノは自宅に戻る。独身なので、家に戻ったところで誰がいるわけでもなく、寂しい一日が終わるだけだ。
しかし、この日は普段と違った。家の前に、一人の女が立っていたのだ。
女はディーノに気づいたらしく、ふと顔を向けてきた。
その人物の顔を見て、ディーノは目を剥いた。
相手はまだ若い色白の美人だった。それだけに、体に緊張が走る。これ程の器量で商売女だったら、少し手を触れただけでいくら取られるか分かったものではないからだ。
「ここで何を?」
声が届く距離でディーノが声をかけると、女は少し戸惑った様子で口を開いた。
「お部屋を貸していただけると聞いてお訪ねしたんです。家主さんでしょうか?」
媚びるような口調だったらもっと警戒したかもしれないが、女は至って丁寧にそう話した。
少なくとも押しかけの商売女ではないと分かり、ディーノは安堵のため息をつく。
「ああ、そうだ。ディーノという。客なら大歓迎だ。部屋なら幾つも空いてる。さっそく見るか?」
「はい。お願いします」
「わかった。じゃあ案内しよう」
久しぶりの客と分かり、ディーノは急いで家から空き部屋の鍵を取ってくると、先に立って歩き出した。
「あんた、今日この町に来たのか?」
「はい。稼ぐならこの町の方が遥かにいいと言われたので、隣り町から来ました」
そう言う女の着ている衣服は派手さこそないが、そこそこ値の張る物であることはディーノにも分かった。そのことから、意外と高級嗜好のある女なのかもしれないと内心思った。
何にしても、ディーノにとっては久しぶりに契約してくれそうな客だ。ここは丁寧に対応しなければならない。
「確かに、稼ぐには向いている町だ。もっとも、それは才能次第だが。俺みたいな貧乏人もいるわけだしな」
自虐的な冗談が受けたらしく、女は初めて笑った。美人の笑顔となればその破壊力も凄まじく、ディーノは嫌でもどきりとする。
「どうかなさいました?」
「いや……」
顔が赤くなっているのを自覚し、慌てて彼女から目を逸らした。
女と付き合った経験がない上に、これ程の美人に会ったことはなかった。要するに、免疫がなかったのである。それを悟られたくなくて、つい足早になってしまった。
自宅から少し離れた位置にある貸家は幾つか種類があった。格安で住める代わりに狭い家もあれば、風呂付きの家もある。もちろん、設備が整っている家ほど家賃もいただく仕組みだ。
それを説明した上で、ディーノは高い部類の家に案内した。少しでも月の収入を多くしたいという思いもあったし、なによりこの女は良い場所を好みそうだという勘が働いたのだ。
「ここが貸家の一つだ。家具や風呂はあるから、その気になればすぐに住むことができる」
室内は定期的に掃除を行っているので至って綺麗だ。女の反応も悪くないようで、興味深そうにあちこちを見て回った。
「綺麗な家ですね。気に入りました。ここを借ります」
まさかの即決だった。ここが気に入ってもらえなかったら、少し家賃の低い家を紹介しようと考えていたディーノにとっては嬉しい限りだった。それでも、建て前上はきちんとこう言った。
「まだ他の家は見せていないが、いいのか? 確かにここはお勧めではあるが」
「ええ。時間が時間ですから、私も早く決めてしまいたいのです。ここをお借し下さい」
「分かった。では、これが家の鍵だ」
鍵束からこの家の鍵を外すと、それを彼女に手渡す。
「後は契約書に名前を書いてもらえれば、手続きはそれで終わりだ。だが、それは明日に回そう。あんた、名前は?」
「エステルです」
「エステルさんだな。では、明日また契約書を持ってくる。都合のいい時間を教えてくれるか。その時間に来るから」
「あの、ディーノさんはもう夜はお済みですか?」
まったく脈絡のない返事が返ってきた。
「いや、まだだが」
少し戸惑いつつも素直に返事を返すと、エステルは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「そうなんですか? よかった。では、これから一緒にお食事に行きませんか? その時に、契約書にサイン致します。明日は色々と町を見て回りたいので」
これにはディーノも面食らった。女性からのお誘いなど初めてなのだ。どう返事を返していいかも分からなかった。
「あの、ご迷惑ですか?」
エステルが首を傾げたことで、ディーノはようやく我に返った。
「あ、いや……。いきなりのことで、少し驚いただけだ。迷惑というわけでは。だが、俺なんかと一緒でいいのか?」
「ええ、もちろん。この町に来たばかりなので、まだどこにどんな店があるのかも分かりませんから、ディーノさんのお勧めの店に連れてって下さい」
エステルはにこりと笑った。その笑顔に完全に籠絡され、ディーノは久しぶりに男の欲望が胸の奥にちらつき始めた。
「分かった。では、荷物を整理したら俺の家の前に来てくれ。こちらも契約書を用意しておく」
三十分後に落ち合うことを約束し、ディーノは貸家を出た。
胸が弾んだ。上手く家賃が高めな家を貸すことができたこともあるが、それ以上にエステルとの食事が楽しみで、ディーノは久しぶりにわくわくしていることを実感した。
急いで家に戻ると、タンスを引っかき回して一張羅を引っ張り出した。やはり女性と会って食事をする以上は、普段の安物を着て行くわけにはいかないと思ったのだ。会う相手がエステルのような美人なら尚更だ。
単純に男の見栄だったが、ディーノは少しもそんなことは考えずに素早く着替えると、契約書を用意してバッグに詰めた。
身だしなみを整え、少し早めにディーノが家を出ると、エステルは既に待っていた。
白いセーターにブラウンのショールを羽織り、黒のロングスカートという格好だった。彼女も着替えてきたようだ。
そこまで気取った服というわけではないが、文句なしに似合っている。
そんなエステルと待ち合わせをしているという事実はディーノを恋人気分にさせ、足取りは弾むようだった。
「すまない。待たせたか?」
「いいえ、ちょうど今来たところです」
如才なく笑うエスエルに、ディーノも軽く笑みを返した。
「それはよかった。待ち合わせに遅れるなんて情けない真似はしたくないしな」
「まだ時間に早いですよ。それなのに、きちんとした服装に着替えた上で、時間よりも早く来るなんて、ディーノさんは真面目ですね」
褒められた上に服装にも気づいてくれて、ディーノは少し照れたように笑った。
「あまり情けない格好では君に幻滅されそうだと思ってな。変じゃないか?」
「とんでもない。よく似合ってます」
「そう言ってもらえると助かる。くたびれた格好で会って、契約を取り消すと言われたら泣くに泣けないからな」
正直な本音を言うと、エステルは吹き出した。
「そんなこと言いませんよ。それより、どこに行くんですか?」
「町の中央の方だ。あっちは色々と賑やかで様々な店がある。これから行くのは、少し上等の料理店だな」
「そうなんですか? そう言われると期待してしまいますね。ただ、財布の中身は足りるかしら?」
「ああ、代金は気にしなくていい。今夜はご馳走するよ。久しぶりの契約者だからな。ただ、料理についてはあまり過度な期待はしないでくれよ? あくまで俺達庶民にとっては上等ってだけだからな」
本来なら奢れるほど儲かっているわけではないが、エステルにならそうしてもいい。
またも見栄を張ったディーノだが、今なら美人にはあれこれと優しくしたくなる男の気持ちがよく分かった。
「私も庶民ですから、貴族が食べるような料理を期待しているわけじゃありませんよ。でも、本当にご馳走してもらっていいんですか?」
「ああ。これは本音だが、君が家賃をきちんと払ってくれるなら、これくらいは安い出費だ」
「家賃を踏み倒すような真似はしませんから、ご安心を」
エステルとの会話は不思議なほど心地良かった。今日、それもつい先ほど出会ったばかりのはずなのに、まるで古くから知っている友と話している気分だった。
多くの人は家か酒場で空腹を満たしている時間だからか、中央に向かう通りに人の姿は少ない。代わりに、通り過ぎる酒場や食堂からは賑やかな声が必ずといっていいほど聞こえた。
ついでにいい匂いもするので、まだ夕食を食べていないディーノは腹の音が何度も鳴りそうになった。
「ここは良い町ですね。夜でも活気があるのに、水の音がどこか落ち着いた気持ちにしてくれる」
エステルの言う水の音とは、町中に張り巡らされた水路のことだ。この町のすぐ傍にはカーリ川という名の川があり、そこから水を引き入れて利用しているのだ。水路は町の景観を良くすることにも一役買っているが、水路に小舟を浮かべて利用することで、混み合う町の中を行かずに品物を運ぶことができるという利点がある。エステルが言ったように、流れる水の音を聞いて心を落ち着かせるということもあるだろうが、この町の人間が水の音を聞いて和むかは怪しいところだ。
「活気があるのも、水の音が落ち着くのも同意できるが、水路は明日見たら少しがっかりするかもしれない」
通りと並行している水路を見ていたエステルの目がディーノに向けられた。
「なぜですか?」
「この町の水はすぐ近くのカーリ川から引き入れているんだが、少し問題があったらしくてな。今は夜だから分かりにくいが、水が最近濁ってきているんだ。おかげで、町の景観は著しく損なわれている」
それだけでなく、飲み物などにも影響が出ている。ディーノが飲んでいた酒場でも、ビール本来の味とは別の苦みが感じられた。
実際、酒場に限らず飲食店は軒並み影響を受けているのだが、今は言わないでおいた。これから食事に行くというのに、わざわざ楽しみが損なわれるような発言をすることもない。
「それは色々と大変そうですね……」
エステルの青い目がすぐ近くの水路に向けられる。恐らくは水路の水を見ようとしているのだろう。だが、いくらそこかしこに明かりがあっても、さすがに夜に確認するのは不可能だ。
「確かに大変だ。だが、それをどうにかするのは俺達市民の仕事じゃない。さあ、辛気臭い話はそろそろ終わりしようか。もうすぐだ」
見えてきた中央通りの明るさになぜか笑みが浮かんでしまう。朝から夜まで賑やかな場所だから、つい陽気な気分にさせられるのかもしれない。
市民でさえそうなのだから、今日この町に来たばかりのエステルもきっと同じだと思って横目で彼女の整った横顔を見つめる。
エステルは案の定うっすらと笑っていた。ただ、その笑みは見えてきた中央通りに対する期待からではないように感じられた。それが少し気になったが、中央通りの喧騒でうやむやになってしまった。
ディーノの家がある西側は夜になれば静かなものなのに、中央は昼と大差ない賑やかさだ。さすがに人の数は昼に比べれば落ち着いているが、それでもその流れは途絶えそうになく、思い思いの方へ歩く人で賑わっていた。
ディーノ達も人の流れに逆らうことなく進み、中央通りに面した店の一つ「アーミスト」に入った。
店に入った途端に外の喧騒が嘘のように聞こえなくなり、代わりに静かに談笑する声が耳に入ってきた。もっとも、彼らの会話内容までは聞き取れない。代わりに、食べている料理の香りははっきりと嗅ぎ取ることができた。
見たところ、人の入りは八割といったところだ。店内はなかなかに広いのだが、こうしてそのほとんどの席が埋まっているところを見ると、儲けている人は儲けているのだなとつくづく痛感してしまう。
妬みにも近い感情から、ディーノは彼らには全く目を向けなかったが、逆に彼らの目はこちらに集中した。その理由はもちろんエステルだ。彼らの大半は何かの拍子にちらりと視線を向けてきただけだったが、エステルを見るとそのほとんどが驚いたように目を見開いていた。
彼女を連れているディーノは少しいい気分になったが、もちろん気にしていないふりをした。注目されているエステルも同じで、自分に好奇の視線を向けてくる連中など見えていないかのように歩いている。
奥のテーブル席に案内されると、エステルはさっそくメニューを開きつつ、ディーノに目を向けてきた。
「ディーノさんのお勧め料理はどれですか?」
「お勧めか。単品で頼んでもいいんだが、せっかくだからコースにしないか? 色々と出てくるし」
さり気なくコース料理を提案したのは、この店には片手で数える程度にしか来ていないからだ。当然、お勧めはこれだと言えるほどメニューの品を食べているわけもない。
幸い、エステルはディーノの思惑には気づいた様子もなくメニューを閉じて微笑んだ。
「ディーノさんがそう言うのなら、私はそれで構いません」
「そうか。では、コースはこちらに任せてもらうとしよう」
何か飲めない物はあるかとエステルに尋ねると特にないというので、飲み物も含めてそこそこ値の張るコースを注文する。
正直、かなり痛い出費だ。ディーノを知る人がこの場を見たら、見栄を張って分不相応なことをしていると苦笑しただろう。
それでも、そうする価値はあると目の前に座るエステルを見て思った。
「さて、さっそくだがこれが契約書だ。一応、目を通した後で一番下にサインしてくれ」
契約書を差し出すと、エステルの青い目が文面に向けられる。そしてすぐにペンを走らせて自分の名前を記入した。
「これでいいですね」
「ああ。これで契約の手続きは完了だ。で、稼ぎに来たと言ったが、具体的にどんな仕事をするつもりなんだ?」
「まずは町を見てからですね。その上で、どうするか決めようかと」
「なるほど。確かに、焦る必要もないな」
仮に娼婦にでもなったら、それこそ瞬時に一番人気に躍り出ることだろう。そうなったら、今のように気安く会話などできなくなるかもしれない。エステルの整った顔を見て、そんなことを思った。
「ディーノさん、今あまり人前では言えないようなことを考えているでしょう?」
まるでこちらの心を見透かしたような発言だ。それを言ったエステルは楽しそうに笑っている。その笑みは、間違いなく確信しているようだった。
「気を悪くしたなら謝る。申し訳ない。君のような女性を見ると、どうしてもそういう考えが浮かんできてしまうんだ」
「構いませんよ。そう思われることには慣れていますから。実際、そういった経験がないわけでもありませんし」
さすがにこの発言には驚いた。エステルはそういったこととは無縁に思えたからだ。
「意外そうですね」
「ああ。なんていうか、君はそういうことは軽蔑していそうな印象だったから」
そう言った途端、エステルは可笑しそうに笑った。
「私も女ですから、人並みに関心はありますよ。それも一つの稼ぎ方だと思っています。もっとも、この町でそうするつもりは今のところありませんけど」
「まあ、手段を問わずに稼ぐなら、それが一番効率的だろうな。お世辞にしか聞こえないだろうが、君の容姿なら間違いなくトップだ」
そんな会話をしているうちに料理が運ばれてきて、二人はワインで乾杯した。
ディーノはそれ以上はエステルの仕事について話さなかった。代わりに、この町で注意していくべきこと、どんな仕事が人気かなど当り障りのないことだけを話した。
エステルも若い見かけからは想像もつかないほど人生経験が豊富なようで、ディーノの話に相槌を打つだけでなく、そこから更に話題を掘り下げたり、逆に仮定の問題を取り上げてディーノに意見を求めた。
気がつけば、いつの間にか注文していたらしいワインの二本目のボトルが空になっていた。
「飲み足りなさそうですね。どこか別の場所で飲み直しますか?」
「いや、今夜はよそう。美人相手に醜態を晒すわけにはいかない」
調子に乗って吐くほど飲むわけではないが、エステル相手ではそうしないともいえない。空になった二つのボトルがそれを証明している。
エステルは声なく笑った。
「そうですね。ただ、ディーノさんならそんな情けない姿は見せない気もしますけど」
「それは買い被りだ。俺だって羽目を外すことはある」
それこそ、今夜みたいに。
内心ぼやきながら、かなり痛い支払いを済ませて店を出た。
ワインと会話に熱中していた体に、夜の空気が気持ちいい。
こんな感覚は久しぶりだなと思いつつ、エステルを家の前まで送っていった。
「では、俺はこれで。おやすみ」
明日からは朝食抜きにして、今日の分の帳尻を合わせるかなどと考えながら踵を返した時だ。不意に袖を引かれ、続けて耳元で囁かれた。
「泊まっていかない?」
思わずエステルの顔をまじまじと見つめていた。口調こそ淀みはなかったが砕けたものになっていたし、酔っているのかと思ったのだ。
しかし、間近で見たエステルの顔は酔いが回っている気配など少しもなかった。それどころか、青い瞳にはこちらを誘うような光が宿っている。
「……本気か?」
「酔った勢いで言っているとでも? これはご馳走のお礼よ。言ったでしょう、経験がないわけではないと。あなたが望むなら、今夜限りの関係ということでご奉仕してあげる」
「……実は娼婦なのか?」
今のエステルの雰囲気は正にそれだった。食事前とはまったくの別人といっていいくらいの変貌ぶりに、ディーノは戸惑いを隠せない。
それを嘲笑うかのように、エステルは目を細めて微笑んだ。
「仕事のついでに、恋人も探しに来ただけよ」
「それは、俺を恋人にということか?」
「お礼と言ったでしょ。まあ、あなた次第では本当に恋人になるかもしれないけど」
エステルがからかうような笑みを浮かべ、「さあ、どうする?」と聞いてくる。その様子は出会った時に感じた年下の毅然とした女性ではなく、年上の妖しい女といった雰囲気だ。それに促されるように、ディーノは頷いていた。
「誘ったのはそっちだからな」
「ええ、もちろん。さあ、どうぞ」
静かに開かれた扉の先は、自分が今日まで管理してきた部屋だ。だが、今見ると妖しい雰囲気を放っているように感じられる。
「さあ、ベッドに寝て」
言われるままにベッドに向かい、仰向けに寝ると、エステルもゆっくりと近づいてきた。その顔には薄い微笑が浮かび、不思議な魅力が放たれている。
その手がディーノのズボンにかけられると、するりと下ろされた。さすがにこの時点では勃起していなかったが、エステルの奉仕に期待はしていたのでその大きさは普段より一回り大きくなっていた。
経験がないと言っていたのは冗談ではないらしく、エステルはディーノの陰茎を見ても表情を変えず、そっとその手で包みこんだ。そして、そのまま男が自慰をする時のように手を動かして扱き始める。
エステルはどこをどうすれば気持ちがいいのか完全に把握しているようで、絶妙な力加減で刺激を与えてきた。それは自分で扱くよりも遥かに気持ちがよく、ディーノの陰茎はあっという間に膨張していく。
それを見て、エステルはふと笑った。
「さて、ここからが本番よ」
体勢を変えてディーノの下半身に覆い被さると、エステルは見違えるほどにたくましくなった陰茎を躊躇うことなく口に含んだ。
「っぁ……」
触れている唇の柔らかさと、口内に納められた部分に感じるエステルの吐息に声が漏れる。
エステルは頬張るようにディーノの陰茎のほとんどを口に入れると、飴でも味わうかのように舌で舐め回し始めた。
唾液に塗れた舌が裏筋や尿道をゆっくりと舐めていく度に、ディーノの背中に快感の鳥肌が走った。激しいわけでもないのに、それくらいエステルの舌の動きは刺激的だったのだ。
口で奉仕してもらうのは初めてだったディーノだが、エステルの技術がそこらの娼婦など比べ物にならないほど高いことだけは分かった。ゆっくりと、しかし確実に性感帯を刺激してくるエステルの舌に、早くも射精間近に追いやられた。
「っぅ、出すぞ……!」
エステルに許可を求めるより先に限界が訪れ、精が放たれた。
「ん……」
口内に広がる熱い精に一瞬だけくぐもった声を漏らしたエステルだが、嫌がる素振りはまったく見せなかった。それどころか、どこか満足そうにこくりと飲み始める。その表情はディーノが御馳走したどの料理よりも嬉しそうに味わっていたのだが、ディーノがそれに気付くことはなかった。
射精が終わり、精を出さなくなった陰茎を綺麗に舐め上げると、エステルはようやく顔を上げた。
「あら、疲れ切ってしまったの?」
「経験がないわけじゃないというのは本当だったな……。ここまで気持ちいいと思ったのは初めてだ……」
遠回しな賛辞に、エステルは不敵な笑みを浮かべた。
「それはよかった。じゃあ、もっと気持ちよくしてあげる」
そう言うと、エステルは再びディーノのモノを口に含み、奉仕を再開した。
「ま、待てっ。もう―」
言いかけた言葉は彼女の青い目と合ったことで飲み込んだ。その眼差しは頭を真っ白にし、心を引き込む魔力が宿っているように感じた。
「っ……」
再開された奉仕による快感から体が震え、ディーノは降参するように僅かに起こしていた上半身を倒した。
この謎の女性は一体なんなのだろう。そんな疑問が浮かんできたが、性器に与えられる快楽が思考を塗り潰し、それを楽しむことしか考えられなくなる。
エステルの口に五回目の射精をした時には、既に日付が変わった時間だった。
「ふふ、お礼はこれくらいでいいかしら?」
「ああ……俺の方がもらいすぎなくらいだな……」
最後の方はほとんど夢心地だったが、それでも気持ちよかったのは確かだ。おかげで、満足感に満たされた眠気が襲ってくる。
「ご馳走のお礼よ」
それはよかった。
ディーノはそう言ったつもりだったが、言葉として口にすることはなかった。五回の射精によって疲れ果て、意識を保つ気力もなく瞼が閉じた。
ディーノが完全に眠ると、エステルの口元に笑みが浮かぶ。
「ご馳走様。あなたの精、美味しかったけど、恋人にしたいとまではいかなかったわ」
穏やかに眠るディーノにそっと告げると、エステルは静かに服を脱いでいった。そして裸になると、浴室へ向かう。その過程で、彼女の姿が本来のものに戻っていく。
「さてと。どこから手を付けようかしら……」
薄い笑みを浮かべつつ、どこか楽しげな口調でエステルは浴室へと消えていった。
13/04/01 23:57更新 / エンプティ
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