前編
今日も店は閑古鳥が鳴いている。
それでも店主のリックはそれを気にしたことはない。
小さい頃から花屋を開くのが彼の夢だった。色鮮やかな無数の花に囲まれ、その香りを楽しむ。我ながら少し女々しい上に素朴だとは思うが、そんな生活に憧れていた。
そしてその夢は叶い、町の一角に小さいとはいえ念願の花屋を持つことができたのだ。花は日々の生活の必需品ではない上に、同じ町内には他に二店も同業がいるので売り上げは残念ながら芳しくないが、それでも彼は今の生活に満足だった。
そんなリックの店がなんとかやっていけている理由は、大口の買い付けをしてくれる客がいるからだ。その客とはこの辺りを治める領主で、月に一度町で開かれる会議に出席し、その日に決まってリックの店に来てくれるのだ。
そして今日はその会議の日。時刻はもうすぐ昼になろうとしていたが、いつ訪れるかもわからない領主のためにリックは昼休憩せずに店に立っていた。その甲斐はあったらしく、もうすぐ午後になろうかという時間に店の扉を開けて待ち人は現れた。
「リック、いるか?」
日傘を畳む彼女は開口一番にそう言った。
「お待ちしていました、クレア様」
カウンターにリックの姿を認めると、クレアはつかつかと歩み寄る。
その拍子に軽くウェーブのかかった見事な金髪が揺れ、彼女の甘い香りがリックの鼻をくすぐり、体に緊張が走る。
「様はやめろと言ったはずだ。こうしてここにいる以上は私も客の一人にすぎん。領主といえど、客を差別するな」
「すいません。では……クレアさん。今日もいつもので?」
「ああ」
誰に対しても平等に接しろというのが彼女の言い分なのだが、リックとしてはどうしてもさん付けで呼ぶことに抵抗を感じてしまう。
ヴァンパイアの彼女はいつもきっちりとした衣装に身を包み、背筋もきちんと伸ばしているので姿勢がいい。それだけでも気品があるのだが、そこに彼女の容姿が加わるのですごいことになる。
透けるような白い肌とルビーのような瞳を持つ顔はハッとするような美しさで、リックはいつも正視することができない。毛先だけ緩やかにウェーブする金髪も見事なもので、晴れている日は陽光によってきらきらと光り輝いている。
それらを全て併せ持つクレアはまさに上流貴族と呼ぶに相応しく、どうしてもさんではなく様付けで呼ぶ方が適正に思えてしまうのだ。
そんなクレアがいつもリックの店に来るのは、決まってある花を買うためだ。
「一応、ご覧になってからお決め下さい。出来がよくない花を売りつけるわけにもいきませんから」
「お前の育てた花にそんな心配は無用だと思うがな。まあ、分かったと言っておこう」
二人揃って店の一角に移動する。そこにあるのはバラの花だ。クレアはその前で屈みこみ、そっと顔を近づける。そして、ふと柔らかく笑った。
普段のクレアは口を引き結んで淡々とした表情しか浮かべないだけに、こうして不意に笑顔を見せられるとリックはどきりとする。
「やはりお前の育てたバラは色も香りもいいな。決まりだ。いつも通り頼む」
褒めてもらえるのはやはり嬉しいもので、クレアにつられるようにリックも笑う。
「ありがとうございます」
「帰りに引き取りに来る。代金はその時で構わないか?」
「はい。ただ、いつもまとめてお買い上げいただいてますし、今回は少し値引きしますね」
リックとしてはサービスのつもりで言った。しかし、それを聞いたクレアは途端に笑顔を消し、すっと目を細める。
「私に何度も同じことを言わせるな。客は全て平等に扱えと言ったはずだ。代金はきちんと本来の値段で払う。いいなっ!」
なにがいけなかったのか、機嫌を悪くしたらしいクレアはそう言い捨てて、店から出て行ってしまった。
リックは目を瞬かせてそれを見送ると、小さくため息をついた。またやってしまったという後悔が胸に渦巻いているのだ。
クレアが花を買いにきてくれた時はいつも他愛のない会話をするのだが、リックとしては発言に気を遣っているつもりでも、なぜかクレアの機嫌を損ねてしまうことが多々あった。
結果、今日のようにクレアが店を出て行くという形で終わるパターンがほとんどだ。人によっては理不尽だと怒るかもしれないが、リックはクレアに対して怒りを感じたことはない。
どれだけ理不尽な言い方をされても、極稀に見せるあの笑顔を思い出すだけで、全て自分が悪いのだと思えるからだ。
どうしようもないくらい彼女に想いを寄せている。
複雑なため息をつきながら、リックはバラの花を丁寧に包んでいった。
そんな会議の日から二週間後。
リックはクレアの屋敷へ向かう道を歩いていた。
懐には下書きに十日、清書に一週間と一月の実に半分以上を費やして書きあげた恋文が納まっている。前々から好きではあったが、ついに我慢ができなくなってしまったのだ。
きちんと想いを伝えたい。
そのために、店を長期休業にしてこうして彼女の屋敷に向かっているわけだ。店を休業にするのはよくないのだが、仮にいつも通り営業していたとしても売り上げは高が知れていたりする。
そんな後ろ向きな後押しもあり、こうして告白をしに向かっているわけだ。
玉砕覚悟、というより玉砕するのは目に見えていたが、それでもリックは構わなかった。
言わずに後悔するよりは、はっきりとフられた方がすっきりすると思っているからだ。
フられに行くにしてはしっかりとした足取りでリックが整備された道を進んでいると、やがて他の道との合流地点にぶつかった。
この辺りは旅人や商人などがよく通るので、整備された道を行く人の姿もちらほらと見受けることができる。だから、リックの正面にも一人の旅人らしい人物が少し道から外れた草原に座り込んで休憩をしていた。
時間は昼を過ぎたところで、空は青く風もない。のんびりとした午後を過ごすには絶好の日和と言えた。
座っている旅人は正にそうしているのだろうと思い、リックは邪魔にならないよう声はかけずに通り過ぎようとする。
だから、向こうから話しかけられたのは少し意外だった。しかも、それが若い女性の声だったのだ。
「おーい、そこの人。ちょっといいかな」
足を止めてそちらを見ると、例の旅人が立ち上がってこちらに軽く走ってくるところだった。
「あ、はい。なんで、す……」
儲かっていないとはいえ、リックも接客業を営んでいるので、どんな相手でも笑顔で対応することができる。しかし、今回ばかりは言いかけたまま口が止まった。
というのも、女性の旅人が色々と予想外だったのだ。
手にした麻袋には旅の必需品が入っているということで納得できるが、その服装はお世辞にも旅人とは思えなかった。なんというか、軽装すぎるのだ。
丈の短いホットパンツに膝下までのロングブーツは動きやすさ重視ととれなくもないが、むき出しにされた白い肌の健康的な太腿が嫌でも目に入ってしまう。
それだけならまだしも、腰から上も旅人とは思えなかった。
服の知識に乏しいリックはなんというか知らないが、彼女の黒い上着は胸から上しか覆っていなかった。つまり、胸下から腹部までがほとんど晒されているのだ。その上着にしても丈の短い服を無理矢理着たという感じで、たわわに実った二つの果実が窮屈そうに服の下から存在をアピールしている。
そこに長い手袋を付け、丈の短いマントなのか肩かけなのか区別がつかない物を羽織り、鍔の広い帽子を被っているのが彼女の姿だった。
恐らくは自衛のためだろう腰の剣も普通の物ではないらしく、見えている柄は少し禍々しい。
身なりからしてリックを驚かせてくれた彼女だが、その容姿にはもっと驚かされた。
女の一人旅だからどんな女傑かと思えば、思わず目を見開いてしまうような美人で、陽光に輝く金髪と赤い瞳は想い人のクレアを彷彿させた。
そのせいか、黒ずくめの衣装なのになぜか似たような気品を感じられる。
そのスタイルも見事なもので、胸は見ての通りだし、堂々と晒されている細い腰はくびれていて白い肌が目に眩しい。
大事に育てられた貴族の一人娘と言われても全く不思議ではない容姿で、なんでこんな人が旅を? と思わずにはいられない。
そんな女性に目の前に立たれ、リックが二の句を継げないでいると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうかしたの?」
「あ、いえ、なんでも……。えっと、それより僕に何か用ですか?」
慌てて尋ねると、彼女はにこりと笑った。他意のない笑顔に、リックはどきりとする。
「うん。行きたい所があるんだけど、ちょっと道に迷っちゃってね。教えてもらえないかな〜と」
「ああ、なるほど。確かにこの辺りは似たような景色ですからね。それで、どこに行きたいんですか?」
「えっとね、この辺りにヴァンパイアの領主の屋敷があるはずなんだ。わたしはそこに行きたいんだけど、知ってるかな?」
またしても予想外のことに、リックは再び驚いた。
「偶然ですね。実は僕もちょうどそこに向かうところだったんです」
リックがそう言うと、彼女は綺麗な目を輝かせた。
「え、そうなの? じゃあ、差し出がましいお願いかもしれないけど、一緒に行ってもいいかな? 方向音痴ってわけじゃないんだけど、話をきいただけじゃまた迷っちゃいそうでさ……」
困ったように笑う様がまたなんとも魅力的だ。それに籠絡されたわけではないが、リックは頷いていた。
「ええ、もちろん。ただ、到着は明日の昼くらいになりますけど、いいですか?」
暗に野宿があるという意味も含めて言ったのだが、彼女は迷う様子もなく頷いた。
「平気平気。旅は慣れてるからね。だからよろしくお願いします。えっと……」
ぺこりと頭を下げた後、彼女はリックをまじまじと見つめる。
「ああ、僕の名前はリックです。こちらこそよろしく」
「ん、リックだね。わたしはリーンベル。ちょっと言いづらいだろうから、リンベルとでも呼んで」
裏表のない笑顔にリックもつられて笑うと、握手を交わす。
不思議な連れができた瞬間だった。
「へぇ〜、じゃあリックは花屋さんなんだ?」
「ええ。小さい頃からの夢だったんです」
二人の会話は意外なほど弾んだ。リックは自分の会話能力は並みだと自覚しているので、これはリーンベルのおかげだろう。気さくな性格で、気兼ねなく話すことができるのだ。
「そういえば、なぜリンベルさんは領主様に会いに行くんですか? 何か申し入れでも?」
「そういうわけじゃないよ。ちょっと二つの探し物をしててね。そのうちの一つが妹探しなんだ。わたしの妹、ヴァンパイアなんだけどさ、家出したみたいなんだよね」
同じ目的地へと向かう道すがら、何気なく尋ねてみたらそんな返事がリーンベルから返ってきた。
「家出って、じゃあ、妹かもしれないから会いに行くということですか?」
「うん、そう」
すんなりと頷くリーンベルだが、リックは少し戸惑ってしまう。
自分の知っているクレアは家出をするような人物には思えない。だが、知らないだけということもあるのだ。実際、クレアに姉妹がいるのかさえ分からない。
「今から会いに行く領主様はクレアというんですけど、妹さん、クレアって名前ですか?」
「クレアっていうの? そのヴァンパイアの領主。じゃあ、ちょっと可能性は低いかなぁ……」
クレアの名前を聞いて、リーンベルは少し困り顔になった。
「どうやら、妹さんはクレアという名前ではないみたいですね。そうなると、会いに行く必要もなくなるのでは?」
「そうしたいんだけどね。家出するくらいの子だから、別の名前を名乗っている可能性もあるんだ。だから、この目できちんと確かめないことには違うって言い切れないんだよね」
「ああ、それは確かにそうですね。僕達にとってクレア様の名は当り前ですが、それが本名かまでは分かりませんし」
「ほんと、困った妹だよ。まあ、わたしも放蕩娘だから、人のこと言えないんだけどね」
リーンベルはくつくつと笑った。体が僅かに揺れたからか、彼女の柑橘系のような爽やかな匂いが鼻に香り、思わずいい匂いだなと思ってしまう。
しかし、それがクレアを想う気持ちに対する裏切りのようで、慌てて首を振った。
「では、リンベルさんは妹さんを見つけたらどうするつもりですか? もっと言うなら、もしクレア様が妹だったらということですが」
「どうもしないよ。お母さんは連れ戻したがっているみたいだけど、わたしはそうは思ってない。だから、もし会えたら、一度きりの人生なんだから幸せになりなよって言ってあげるだけ」
その言葉にリックはホッとため息をついた。もしクレアがリーンベルの妹で、連れ戻すなんてことになったらどうしようかと思っていたのだ。
「なるほど……。えっと、それで今更な質問なんですけど、妹がヴァンパイアってことは、リンベルさんも魔物ってことですか?」
その質問はリーンベルをなんともいえない表情にした。
「一応ね。わたしはダンピールっていう種族なんだけど、分かる?」
そう尋ねてくるリーンベルだったが、聞いたことのないリックは正直に首を振る。
「うーん、説明が難しいんだよなぁ……。まあ、ヴァンパイアと人間のハーフみたいなものかな?」
リックはその説明で色々と納得した。半分は魔物だというならこの美貌も頷けるし、露出が多い服装なのも納得できる。
いくつかの疑問が解決し、頷きながらリーンベルの露出しているお腹の辺りに目がいく。この綺麗な肌も、魔物の血を引いているなら納得だと。
「あ、エッチな目してる! じろじろ見たって触らせてあげたりなんかしないから無駄ですよ〜!」
視線に気づいたらしく、慌てたようにお腹を両腕で隠し、少し頬を赤くしたリーンベルは恥ずかしそうにそう言った。
「あ、いや、そういうつもりじゃなくて……!」
「ふ〜ん? じゃあ、どういうつもりでわたしのお腹を見てたのかな?」
しどろもどろなリックに、リーンベルは疑わしげな目を向ける。
恥ずかしくて隠すくらいなら最初から出さなければいいのにとは言えず、リックは視線をさ迷わせた。
「そ、そんなことより! リンベルさんのもう一つの探し物はなんですかっ!?」
「え……」
苦し紛れに言ったリックの質問にリーンベルはきょとんとすると、ぷいと顔を逸らした。そして小さな声でぽつりと呟いた。その顔はなぜか赤かった。
「…………ん」
「え?」
まったく聞こえなかったリックが首を傾げると、彼女はほとんど聞き取れない声で再びぼそぼそと言った。
「…………さん」
「あ、あの、もう少し大きい声でお願いしたいんですけど……」
恐る恐るリックがそう言うと、リーンベルはキッと睨むように顔を向けた。
「だから! お婿さん! 結婚してくれる人を探してるの! 何度も言わせないでよ! 恥ずかしいんだから!」
本当に恥ずかしいらしく、顔を赤くしたリーンベルは再びぷいっと顔を逸らす。
「あ、す、すいません……」
「……次、リックの番」
むすっとしつつ、リーンベルが横目で見てきた。
「僕、ですか……?」
「そう。リックはそのクレアさんって人になんの目的で会いに行くの?」
「あ、いや、それはですね……」
まさか告白しに行きますとは言えず、さり気なく視線を逸らして頭をかいた。無意識のうちに手が恋文を納めている辺りを押さえる。
しかし、そこにあるはずの感触はなかった。
「?」
「あれ、なにか落ちたよ?」
リックが疑問に感じたのと、リーンベルが声を上げたのは同時だった。
足元を見れば、懐にあるはずの恋文がなぜか落ちている。それを見て、リックは顔から血の気が引いていくのを感じた。
まずいと思い、慌てて手紙に手を伸ばす。しかし、目の前にあった恋文は一瞬のうちにかすめ取られていた。
「クレア様へ……? リックより……」
表、裏とそこに書かれた文字を怪訝そうに読み上げるリーンベル。
しかし、すぐにその内容を察したらしく、好奇の目が向けられた。それから逃げるように、リックは顔を逸らす。
「これって、もしかして恋文?」
ここで否定できるほどリックは嘘が上手くない。だから、顔から火が出るほど恥ずかしく思いながらも白状した。
「はい……」
「そっか……」
納得したような声が聞こえ、リックは続くからかいの言葉を待ち受ける。
「はい、これ」
不意にそんな声が聞こえ、そっとそちらを見ると手紙を差し出してくるリーンベルがいた。
「からかわないんですか……?」
「そんなことしないよ。誰かに想いを伝えるのって、すごく勇気がいることだからね。そんなにいい人なんだ? そのクレアって人は」
「ええ、まあ……」
手紙を受け取って大事に懐にしまう。それを見届けると、リーンベルははにかむように呟く。
「それにしても恋文かぁ。いいなぁ、羨ましい。わたしも一度くらいは貰いたいなぁ……」
物欲しそうな目で見られ、リックは慌てて目を逸らした。
「リ、リンベルさんならいくらでも貰えると思いますよっ!」
「そうかなぁ……」
人差し指を唇に当て、リーンベルは不満そうに首を傾げた。
そうしているリーンベル自体とても魅力的で、恋文どころか求婚の言葉を頂戴したっておかしくない。
しかし、それを言えるほどリックも女性との会話に慣れているわけではない。どうしたものかとあたふたしていると、ふと思いついたことがあった。
自分の荷物を漁り、ずっと入れっぱなしだったそれを取り出す。
リックが取り出したのは、手のひらサイズの箱だ。それを見て、リーンベルが不思議そうに尋ねた。
「それ、何?」
「店の売り物の一つですよ」
そう言って箱を開ける。入っているのは蝋で作った造花の百合だ。リックが削って形を整え、リャナンシーに着色してもらうのだ。
これが意外と好評で、様々な花を作っているおかげもあって毎月けっこうな量が売れている。時には本物の花より売れることもあるため、リックとしては少し複雑だったりする商品だ。
「本物にしか見えないけど、作り物だよね?」
「ええ。色を着けてくれるのがリャナンシーの方なので、ここまで綺麗にできるんです」
花屋のリックから見ても、文句のない出来栄えだ。離れて見る限りでは、ほとんど見分けがつかないと言っていい。
リックはそれをリーンベルへと差し出した。
「想い人がいるので恋文はあげられません。だから、これを代わりにどうぞ」
「え……」
リーンベルの目が花とリックの顔とを行き来する。
「でも、これって売り物なんでしょ? 貰っちゃってもいいの?」
「正確にはサンプルですね。だから問題ないです」
「で、でもわたし、花とか似合うタイプじゃないしさ……」
「そんなことないですよ。ちょっと帽子を借りていいですか?」
大人しく帽子を差し出してくるリーンベルからそれを受け取ると、リックは自分の荷物から裁縫道具を取り出す。
こんな物を持ってきている理由は、不慮の事態で服が破けたりほつれたりした場合、すぐに縫えるようにである。告白に行くというのに、ぼろぼろの格好ではあまりに情けないという謎の閃きがあったのだ。
もちろんそんな微妙な理由など告げず、リックは紺色の糸で造花を帽子にしっかりと固定した。
「はい、どうぞ」
「リック、器用なんだね……」
造花が綺麗に縫い付けられた帽子を受け取ると、リーンベルはそっと被ってみせる。
「えっと、どうかな……?」
不安そうに尋ねてくるリーンベル。だが、造花の白い百合は黒い帽子にとてもよく栄えている。その帽子を頭に乗せているせいか、彼女の魅力がより増したように感じた。
「とてもよく似合っていますよ。造花とはいえ、やはり女性が持つと見栄えするものですね」
「そ、そう……?」
再び帽子を取り、リーンベルは綺麗に縫い付けられた百合の造花を見つめる。だが、唐突にそれを勢いよく被り直した。
「どうかしたんですか?」
「なんでもないっ。その、ありがとっ!」
ぐいっと目深に被ると、すたすたと歩き出してしまう。
いきなりの行動はさっぱり訳が分からないが、とりあえずリックも彼女の後を追った。
それからのリーンベルはずっと無言だった。時折ちらちらとリックを見てくるのだが、視線に気づいたリックが顔を向けると彼女はぷいっと顔を逸らしてしまう。
そういう態度に出られるとリックもさすがに声をかけずらく、少し気まずい空気になる。
一体なにがまずかったのかと考えてみるが、彼女の機嫌を損ねるようなやり取りはしていないはずだ。これが俗にいう乙女心なのだろうか。
女性の思考回路など理解できないリックは首を捻ったのだった。
その後、リーンベルと会話をしたのは夕食の時と寝る時だった。ただ、あれが会話と呼べるかは正直怪しいところだ。
リックは簡素なスープを作ってリーンベルにふるまったのだが、「いいんじゃないかな」という返事をもらっただけだ。それきり夕食時の会話はなし。
寝る時も同様で、おやすみの一言をもらっただけである。
ここまでくると、いくらリックであっても機嫌を損ねたことくらいは分かる。それを謝罪しようと思ったのだが、リーンベルはリックに背を向けて寝ており、話しかけられるような雰囲気ではなかった。
「困ったな……」
すぐにでも謝りたかったが、寝ているところを起こすわけにもいかない。
悩んだ結果、明日の朝一番で謝ることにしようと決める。
そんなことを考えているうちに旅の疲れが出たらしく、眠気に襲われる。
野宿は初経験だったが、壁など存在しない平原は解放感があり、おかげでリックは意外なほどあっさりと眠りに落ちた。
それからしばらくした後、リーンベルがむくりと体を起こした。その視線は真っ直ぐにリックへと向かっており、彼女は四つん這いになってそろそろとリックへ近づいていく。
すぐ傍まで近づくと、リーンベルは彼をじっと見つめた。それでもリックは起きる様子もなく、規則正しい寝息を立てている。
リーンベルはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、ぐっと顔をリックへと近づけた。
互いの顔が近づき、吐息が頬にかかる。後少しで互いの唇が触れ合う距離だ。そこまで近づいたところでリーンベルはぴたりと止まり、そっと体を起こした。
その口からため息をつき、呆れた表情を浮かべる。
「はぁ……。やっぱり横恋慕だよね……。これじゃあわたし、格好悪い女だよ……」
その目がリックへと向き、不満そうにむくれた。
「君もずるいよ……。そんな寝顔見せられたら、襲えないじゃんか……」
無防備に眠りこけるリックに再びため息をつき、リーンベルは来た時と同じように四つん這いで元の位置に戻ると、枕代わりにしてある荷物へと寝転んだ。そして傍に置いてあった帽子を手に取り、そこに縫い付けられた造花を眺める。
白い百合は焚き火の明かりによって橙色に染まっている。それを見つめながら、彼女はぽつりと呟いた。
「男の人からの贈り物って、初めてだったんだよなぁ……」
切なげなため息を漏らすリーンベルの頬は焚き火のそれとは違った色に染まっている。
リーンベルはぼんやりと造花を眺めると、帽子を顔に乗せて様々な感情が入り混じった表情を隠した。そんな彼女に同情するように、焚き火にくべられた薪が小さく爆ぜたのだった。
それでも店主のリックはそれを気にしたことはない。
小さい頃から花屋を開くのが彼の夢だった。色鮮やかな無数の花に囲まれ、その香りを楽しむ。我ながら少し女々しい上に素朴だとは思うが、そんな生活に憧れていた。
そしてその夢は叶い、町の一角に小さいとはいえ念願の花屋を持つことができたのだ。花は日々の生活の必需品ではない上に、同じ町内には他に二店も同業がいるので売り上げは残念ながら芳しくないが、それでも彼は今の生活に満足だった。
そんなリックの店がなんとかやっていけている理由は、大口の買い付けをしてくれる客がいるからだ。その客とはこの辺りを治める領主で、月に一度町で開かれる会議に出席し、その日に決まってリックの店に来てくれるのだ。
そして今日はその会議の日。時刻はもうすぐ昼になろうとしていたが、いつ訪れるかもわからない領主のためにリックは昼休憩せずに店に立っていた。その甲斐はあったらしく、もうすぐ午後になろうかという時間に店の扉を開けて待ち人は現れた。
「リック、いるか?」
日傘を畳む彼女は開口一番にそう言った。
「お待ちしていました、クレア様」
カウンターにリックの姿を認めると、クレアはつかつかと歩み寄る。
その拍子に軽くウェーブのかかった見事な金髪が揺れ、彼女の甘い香りがリックの鼻をくすぐり、体に緊張が走る。
「様はやめろと言ったはずだ。こうしてここにいる以上は私も客の一人にすぎん。領主といえど、客を差別するな」
「すいません。では……クレアさん。今日もいつもので?」
「ああ」
誰に対しても平等に接しろというのが彼女の言い分なのだが、リックとしてはどうしてもさん付けで呼ぶことに抵抗を感じてしまう。
ヴァンパイアの彼女はいつもきっちりとした衣装に身を包み、背筋もきちんと伸ばしているので姿勢がいい。それだけでも気品があるのだが、そこに彼女の容姿が加わるのですごいことになる。
透けるような白い肌とルビーのような瞳を持つ顔はハッとするような美しさで、リックはいつも正視することができない。毛先だけ緩やかにウェーブする金髪も見事なもので、晴れている日は陽光によってきらきらと光り輝いている。
それらを全て併せ持つクレアはまさに上流貴族と呼ぶに相応しく、どうしてもさんではなく様付けで呼ぶ方が適正に思えてしまうのだ。
そんなクレアがいつもリックの店に来るのは、決まってある花を買うためだ。
「一応、ご覧になってからお決め下さい。出来がよくない花を売りつけるわけにもいきませんから」
「お前の育てた花にそんな心配は無用だと思うがな。まあ、分かったと言っておこう」
二人揃って店の一角に移動する。そこにあるのはバラの花だ。クレアはその前で屈みこみ、そっと顔を近づける。そして、ふと柔らかく笑った。
普段のクレアは口を引き結んで淡々とした表情しか浮かべないだけに、こうして不意に笑顔を見せられるとリックはどきりとする。
「やはりお前の育てたバラは色も香りもいいな。決まりだ。いつも通り頼む」
褒めてもらえるのはやはり嬉しいもので、クレアにつられるようにリックも笑う。
「ありがとうございます」
「帰りに引き取りに来る。代金はその時で構わないか?」
「はい。ただ、いつもまとめてお買い上げいただいてますし、今回は少し値引きしますね」
リックとしてはサービスのつもりで言った。しかし、それを聞いたクレアは途端に笑顔を消し、すっと目を細める。
「私に何度も同じことを言わせるな。客は全て平等に扱えと言ったはずだ。代金はきちんと本来の値段で払う。いいなっ!」
なにがいけなかったのか、機嫌を悪くしたらしいクレアはそう言い捨てて、店から出て行ってしまった。
リックは目を瞬かせてそれを見送ると、小さくため息をついた。またやってしまったという後悔が胸に渦巻いているのだ。
クレアが花を買いにきてくれた時はいつも他愛のない会話をするのだが、リックとしては発言に気を遣っているつもりでも、なぜかクレアの機嫌を損ねてしまうことが多々あった。
結果、今日のようにクレアが店を出て行くという形で終わるパターンがほとんどだ。人によっては理不尽だと怒るかもしれないが、リックはクレアに対して怒りを感じたことはない。
どれだけ理不尽な言い方をされても、極稀に見せるあの笑顔を思い出すだけで、全て自分が悪いのだと思えるからだ。
どうしようもないくらい彼女に想いを寄せている。
複雑なため息をつきながら、リックはバラの花を丁寧に包んでいった。
そんな会議の日から二週間後。
リックはクレアの屋敷へ向かう道を歩いていた。
懐には下書きに十日、清書に一週間と一月の実に半分以上を費やして書きあげた恋文が納まっている。前々から好きではあったが、ついに我慢ができなくなってしまったのだ。
きちんと想いを伝えたい。
そのために、店を長期休業にしてこうして彼女の屋敷に向かっているわけだ。店を休業にするのはよくないのだが、仮にいつも通り営業していたとしても売り上げは高が知れていたりする。
そんな後ろ向きな後押しもあり、こうして告白をしに向かっているわけだ。
玉砕覚悟、というより玉砕するのは目に見えていたが、それでもリックは構わなかった。
言わずに後悔するよりは、はっきりとフられた方がすっきりすると思っているからだ。
フられに行くにしてはしっかりとした足取りでリックが整備された道を進んでいると、やがて他の道との合流地点にぶつかった。
この辺りは旅人や商人などがよく通るので、整備された道を行く人の姿もちらほらと見受けることができる。だから、リックの正面にも一人の旅人らしい人物が少し道から外れた草原に座り込んで休憩をしていた。
時間は昼を過ぎたところで、空は青く風もない。のんびりとした午後を過ごすには絶好の日和と言えた。
座っている旅人は正にそうしているのだろうと思い、リックは邪魔にならないよう声はかけずに通り過ぎようとする。
だから、向こうから話しかけられたのは少し意外だった。しかも、それが若い女性の声だったのだ。
「おーい、そこの人。ちょっといいかな」
足を止めてそちらを見ると、例の旅人が立ち上がってこちらに軽く走ってくるところだった。
「あ、はい。なんで、す……」
儲かっていないとはいえ、リックも接客業を営んでいるので、どんな相手でも笑顔で対応することができる。しかし、今回ばかりは言いかけたまま口が止まった。
というのも、女性の旅人が色々と予想外だったのだ。
手にした麻袋には旅の必需品が入っているということで納得できるが、その服装はお世辞にも旅人とは思えなかった。なんというか、軽装すぎるのだ。
丈の短いホットパンツに膝下までのロングブーツは動きやすさ重視ととれなくもないが、むき出しにされた白い肌の健康的な太腿が嫌でも目に入ってしまう。
それだけならまだしも、腰から上も旅人とは思えなかった。
服の知識に乏しいリックはなんというか知らないが、彼女の黒い上着は胸から上しか覆っていなかった。つまり、胸下から腹部までがほとんど晒されているのだ。その上着にしても丈の短い服を無理矢理着たという感じで、たわわに実った二つの果実が窮屈そうに服の下から存在をアピールしている。
そこに長い手袋を付け、丈の短いマントなのか肩かけなのか区別がつかない物を羽織り、鍔の広い帽子を被っているのが彼女の姿だった。
恐らくは自衛のためだろう腰の剣も普通の物ではないらしく、見えている柄は少し禍々しい。
身なりからしてリックを驚かせてくれた彼女だが、その容姿にはもっと驚かされた。
女の一人旅だからどんな女傑かと思えば、思わず目を見開いてしまうような美人で、陽光に輝く金髪と赤い瞳は想い人のクレアを彷彿させた。
そのせいか、黒ずくめの衣装なのになぜか似たような気品を感じられる。
そのスタイルも見事なもので、胸は見ての通りだし、堂々と晒されている細い腰はくびれていて白い肌が目に眩しい。
大事に育てられた貴族の一人娘と言われても全く不思議ではない容姿で、なんでこんな人が旅を? と思わずにはいられない。
そんな女性に目の前に立たれ、リックが二の句を継げないでいると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうかしたの?」
「あ、いえ、なんでも……。えっと、それより僕に何か用ですか?」
慌てて尋ねると、彼女はにこりと笑った。他意のない笑顔に、リックはどきりとする。
「うん。行きたい所があるんだけど、ちょっと道に迷っちゃってね。教えてもらえないかな〜と」
「ああ、なるほど。確かにこの辺りは似たような景色ですからね。それで、どこに行きたいんですか?」
「えっとね、この辺りにヴァンパイアの領主の屋敷があるはずなんだ。わたしはそこに行きたいんだけど、知ってるかな?」
またしても予想外のことに、リックは再び驚いた。
「偶然ですね。実は僕もちょうどそこに向かうところだったんです」
リックがそう言うと、彼女は綺麗な目を輝かせた。
「え、そうなの? じゃあ、差し出がましいお願いかもしれないけど、一緒に行ってもいいかな? 方向音痴ってわけじゃないんだけど、話をきいただけじゃまた迷っちゃいそうでさ……」
困ったように笑う様がまたなんとも魅力的だ。それに籠絡されたわけではないが、リックは頷いていた。
「ええ、もちろん。ただ、到着は明日の昼くらいになりますけど、いいですか?」
暗に野宿があるという意味も含めて言ったのだが、彼女は迷う様子もなく頷いた。
「平気平気。旅は慣れてるからね。だからよろしくお願いします。えっと……」
ぺこりと頭を下げた後、彼女はリックをまじまじと見つめる。
「ああ、僕の名前はリックです。こちらこそよろしく」
「ん、リックだね。わたしはリーンベル。ちょっと言いづらいだろうから、リンベルとでも呼んで」
裏表のない笑顔にリックもつられて笑うと、握手を交わす。
不思議な連れができた瞬間だった。
「へぇ〜、じゃあリックは花屋さんなんだ?」
「ええ。小さい頃からの夢だったんです」
二人の会話は意外なほど弾んだ。リックは自分の会話能力は並みだと自覚しているので、これはリーンベルのおかげだろう。気さくな性格で、気兼ねなく話すことができるのだ。
「そういえば、なぜリンベルさんは領主様に会いに行くんですか? 何か申し入れでも?」
「そういうわけじゃないよ。ちょっと二つの探し物をしててね。そのうちの一つが妹探しなんだ。わたしの妹、ヴァンパイアなんだけどさ、家出したみたいなんだよね」
同じ目的地へと向かう道すがら、何気なく尋ねてみたらそんな返事がリーンベルから返ってきた。
「家出って、じゃあ、妹かもしれないから会いに行くということですか?」
「うん、そう」
すんなりと頷くリーンベルだが、リックは少し戸惑ってしまう。
自分の知っているクレアは家出をするような人物には思えない。だが、知らないだけということもあるのだ。実際、クレアに姉妹がいるのかさえ分からない。
「今から会いに行く領主様はクレアというんですけど、妹さん、クレアって名前ですか?」
「クレアっていうの? そのヴァンパイアの領主。じゃあ、ちょっと可能性は低いかなぁ……」
クレアの名前を聞いて、リーンベルは少し困り顔になった。
「どうやら、妹さんはクレアという名前ではないみたいですね。そうなると、会いに行く必要もなくなるのでは?」
「そうしたいんだけどね。家出するくらいの子だから、別の名前を名乗っている可能性もあるんだ。だから、この目できちんと確かめないことには違うって言い切れないんだよね」
「ああ、それは確かにそうですね。僕達にとってクレア様の名は当り前ですが、それが本名かまでは分かりませんし」
「ほんと、困った妹だよ。まあ、わたしも放蕩娘だから、人のこと言えないんだけどね」
リーンベルはくつくつと笑った。体が僅かに揺れたからか、彼女の柑橘系のような爽やかな匂いが鼻に香り、思わずいい匂いだなと思ってしまう。
しかし、それがクレアを想う気持ちに対する裏切りのようで、慌てて首を振った。
「では、リンベルさんは妹さんを見つけたらどうするつもりですか? もっと言うなら、もしクレア様が妹だったらということですが」
「どうもしないよ。お母さんは連れ戻したがっているみたいだけど、わたしはそうは思ってない。だから、もし会えたら、一度きりの人生なんだから幸せになりなよって言ってあげるだけ」
その言葉にリックはホッとため息をついた。もしクレアがリーンベルの妹で、連れ戻すなんてことになったらどうしようかと思っていたのだ。
「なるほど……。えっと、それで今更な質問なんですけど、妹がヴァンパイアってことは、リンベルさんも魔物ってことですか?」
その質問はリーンベルをなんともいえない表情にした。
「一応ね。わたしはダンピールっていう種族なんだけど、分かる?」
そう尋ねてくるリーンベルだったが、聞いたことのないリックは正直に首を振る。
「うーん、説明が難しいんだよなぁ……。まあ、ヴァンパイアと人間のハーフみたいなものかな?」
リックはその説明で色々と納得した。半分は魔物だというならこの美貌も頷けるし、露出が多い服装なのも納得できる。
いくつかの疑問が解決し、頷きながらリーンベルの露出しているお腹の辺りに目がいく。この綺麗な肌も、魔物の血を引いているなら納得だと。
「あ、エッチな目してる! じろじろ見たって触らせてあげたりなんかしないから無駄ですよ〜!」
視線に気づいたらしく、慌てたようにお腹を両腕で隠し、少し頬を赤くしたリーンベルは恥ずかしそうにそう言った。
「あ、いや、そういうつもりじゃなくて……!」
「ふ〜ん? じゃあ、どういうつもりでわたしのお腹を見てたのかな?」
しどろもどろなリックに、リーンベルは疑わしげな目を向ける。
恥ずかしくて隠すくらいなら最初から出さなければいいのにとは言えず、リックは視線をさ迷わせた。
「そ、そんなことより! リンベルさんのもう一つの探し物はなんですかっ!?」
「え……」
苦し紛れに言ったリックの質問にリーンベルはきょとんとすると、ぷいと顔を逸らした。そして小さな声でぽつりと呟いた。その顔はなぜか赤かった。
「…………ん」
「え?」
まったく聞こえなかったリックが首を傾げると、彼女はほとんど聞き取れない声で再びぼそぼそと言った。
「…………さん」
「あ、あの、もう少し大きい声でお願いしたいんですけど……」
恐る恐るリックがそう言うと、リーンベルはキッと睨むように顔を向けた。
「だから! お婿さん! 結婚してくれる人を探してるの! 何度も言わせないでよ! 恥ずかしいんだから!」
本当に恥ずかしいらしく、顔を赤くしたリーンベルは再びぷいっと顔を逸らす。
「あ、す、すいません……」
「……次、リックの番」
むすっとしつつ、リーンベルが横目で見てきた。
「僕、ですか……?」
「そう。リックはそのクレアさんって人になんの目的で会いに行くの?」
「あ、いや、それはですね……」
まさか告白しに行きますとは言えず、さり気なく視線を逸らして頭をかいた。無意識のうちに手が恋文を納めている辺りを押さえる。
しかし、そこにあるはずの感触はなかった。
「?」
「あれ、なにか落ちたよ?」
リックが疑問に感じたのと、リーンベルが声を上げたのは同時だった。
足元を見れば、懐にあるはずの恋文がなぜか落ちている。それを見て、リックは顔から血の気が引いていくのを感じた。
まずいと思い、慌てて手紙に手を伸ばす。しかし、目の前にあった恋文は一瞬のうちにかすめ取られていた。
「クレア様へ……? リックより……」
表、裏とそこに書かれた文字を怪訝そうに読み上げるリーンベル。
しかし、すぐにその内容を察したらしく、好奇の目が向けられた。それから逃げるように、リックは顔を逸らす。
「これって、もしかして恋文?」
ここで否定できるほどリックは嘘が上手くない。だから、顔から火が出るほど恥ずかしく思いながらも白状した。
「はい……」
「そっか……」
納得したような声が聞こえ、リックは続くからかいの言葉を待ち受ける。
「はい、これ」
不意にそんな声が聞こえ、そっとそちらを見ると手紙を差し出してくるリーンベルがいた。
「からかわないんですか……?」
「そんなことしないよ。誰かに想いを伝えるのって、すごく勇気がいることだからね。そんなにいい人なんだ? そのクレアって人は」
「ええ、まあ……」
手紙を受け取って大事に懐にしまう。それを見届けると、リーンベルははにかむように呟く。
「それにしても恋文かぁ。いいなぁ、羨ましい。わたしも一度くらいは貰いたいなぁ……」
物欲しそうな目で見られ、リックは慌てて目を逸らした。
「リ、リンベルさんならいくらでも貰えると思いますよっ!」
「そうかなぁ……」
人差し指を唇に当て、リーンベルは不満そうに首を傾げた。
そうしているリーンベル自体とても魅力的で、恋文どころか求婚の言葉を頂戴したっておかしくない。
しかし、それを言えるほどリックも女性との会話に慣れているわけではない。どうしたものかとあたふたしていると、ふと思いついたことがあった。
自分の荷物を漁り、ずっと入れっぱなしだったそれを取り出す。
リックが取り出したのは、手のひらサイズの箱だ。それを見て、リーンベルが不思議そうに尋ねた。
「それ、何?」
「店の売り物の一つですよ」
そう言って箱を開ける。入っているのは蝋で作った造花の百合だ。リックが削って形を整え、リャナンシーに着色してもらうのだ。
これが意外と好評で、様々な花を作っているおかげもあって毎月けっこうな量が売れている。時には本物の花より売れることもあるため、リックとしては少し複雑だったりする商品だ。
「本物にしか見えないけど、作り物だよね?」
「ええ。色を着けてくれるのがリャナンシーの方なので、ここまで綺麗にできるんです」
花屋のリックから見ても、文句のない出来栄えだ。離れて見る限りでは、ほとんど見分けがつかないと言っていい。
リックはそれをリーンベルへと差し出した。
「想い人がいるので恋文はあげられません。だから、これを代わりにどうぞ」
「え……」
リーンベルの目が花とリックの顔とを行き来する。
「でも、これって売り物なんでしょ? 貰っちゃってもいいの?」
「正確にはサンプルですね。だから問題ないです」
「で、でもわたし、花とか似合うタイプじゃないしさ……」
「そんなことないですよ。ちょっと帽子を借りていいですか?」
大人しく帽子を差し出してくるリーンベルからそれを受け取ると、リックは自分の荷物から裁縫道具を取り出す。
こんな物を持ってきている理由は、不慮の事態で服が破けたりほつれたりした場合、すぐに縫えるようにである。告白に行くというのに、ぼろぼろの格好ではあまりに情けないという謎の閃きがあったのだ。
もちろんそんな微妙な理由など告げず、リックは紺色の糸で造花を帽子にしっかりと固定した。
「はい、どうぞ」
「リック、器用なんだね……」
造花が綺麗に縫い付けられた帽子を受け取ると、リーンベルはそっと被ってみせる。
「えっと、どうかな……?」
不安そうに尋ねてくるリーンベル。だが、造花の白い百合は黒い帽子にとてもよく栄えている。その帽子を頭に乗せているせいか、彼女の魅力がより増したように感じた。
「とてもよく似合っていますよ。造花とはいえ、やはり女性が持つと見栄えするものですね」
「そ、そう……?」
再び帽子を取り、リーンベルは綺麗に縫い付けられた百合の造花を見つめる。だが、唐突にそれを勢いよく被り直した。
「どうかしたんですか?」
「なんでもないっ。その、ありがとっ!」
ぐいっと目深に被ると、すたすたと歩き出してしまう。
いきなりの行動はさっぱり訳が分からないが、とりあえずリックも彼女の後を追った。
それからのリーンベルはずっと無言だった。時折ちらちらとリックを見てくるのだが、視線に気づいたリックが顔を向けると彼女はぷいっと顔を逸らしてしまう。
そういう態度に出られるとリックもさすがに声をかけずらく、少し気まずい空気になる。
一体なにがまずかったのかと考えてみるが、彼女の機嫌を損ねるようなやり取りはしていないはずだ。これが俗にいう乙女心なのだろうか。
女性の思考回路など理解できないリックは首を捻ったのだった。
その後、リーンベルと会話をしたのは夕食の時と寝る時だった。ただ、あれが会話と呼べるかは正直怪しいところだ。
リックは簡素なスープを作ってリーンベルにふるまったのだが、「いいんじゃないかな」という返事をもらっただけだ。それきり夕食時の会話はなし。
寝る時も同様で、おやすみの一言をもらっただけである。
ここまでくると、いくらリックであっても機嫌を損ねたことくらいは分かる。それを謝罪しようと思ったのだが、リーンベルはリックに背を向けて寝ており、話しかけられるような雰囲気ではなかった。
「困ったな……」
すぐにでも謝りたかったが、寝ているところを起こすわけにもいかない。
悩んだ結果、明日の朝一番で謝ることにしようと決める。
そんなことを考えているうちに旅の疲れが出たらしく、眠気に襲われる。
野宿は初経験だったが、壁など存在しない平原は解放感があり、おかげでリックは意外なほどあっさりと眠りに落ちた。
それからしばらくした後、リーンベルがむくりと体を起こした。その視線は真っ直ぐにリックへと向かっており、彼女は四つん這いになってそろそろとリックへ近づいていく。
すぐ傍まで近づくと、リーンベルは彼をじっと見つめた。それでもリックは起きる様子もなく、規則正しい寝息を立てている。
リーンベルはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、ぐっと顔をリックへと近づけた。
互いの顔が近づき、吐息が頬にかかる。後少しで互いの唇が触れ合う距離だ。そこまで近づいたところでリーンベルはぴたりと止まり、そっと体を起こした。
その口からため息をつき、呆れた表情を浮かべる。
「はぁ……。やっぱり横恋慕だよね……。これじゃあわたし、格好悪い女だよ……」
その目がリックへと向き、不満そうにむくれた。
「君もずるいよ……。そんな寝顔見せられたら、襲えないじゃんか……」
無防備に眠りこけるリックに再びため息をつき、リーンベルは来た時と同じように四つん這いで元の位置に戻ると、枕代わりにしてある荷物へと寝転んだ。そして傍に置いてあった帽子を手に取り、そこに縫い付けられた造花を眺める。
白い百合は焚き火の明かりによって橙色に染まっている。それを見つめながら、彼女はぽつりと呟いた。
「男の人からの贈り物って、初めてだったんだよなぁ……」
切なげなため息を漏らすリーンベルの頬は焚き火のそれとは違った色に染まっている。
リーンベルはぼんやりと造花を眺めると、帽子を顔に乗せて様々な感情が入り混じった表情を隠した。そんな彼女に同情するように、焚き火にくべられた薪が小さく爆ぜたのだった。
13/02/13 00:17更新 / エンプティ
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