リリムと不思議なサキュバス
「これでよし、と」
パンにハムとレタスを乗せると、最後にソースを塗ってもう一枚のパンで挟む。
今、私がしているのは朝食のサンドイッチ作り。
ちなみにソースはレナから教えてもらった特製で、調味料と魔界の香草を混ぜて作ったものだ。
これがとてもおいしく、初めて食べた時は感動を覚えるほどだった。
だからこそ、これを考えついたレナは本当にすごいと思う。
料理を始めたのは少し前になるが、自分でやってみると本当に難しい。
魔法なら理論を理解すればあとは簡単に出来るのに、料理は違う。
作り方を覚えたところで思った通りの味にならなかったり、以前と同じように作ったはずなのになぜか味が違ったりと、なかなか思い通りにいかない。
その分やりがいがあって楽しいのだけど。
完成したサンドイッチを皿に乗せると、コーヒーとともにテーブルへと運ぶ。
「いただきます」
まずはサンドイッチだ。
一口食べてみると、ほとんどレナの作ったものと同じ味がした。
本人から作り方の指導を受けたので近い味に出来てもおかしくはないのだが、それでもレナのものとほぼ同じ味を作れたのは嬉しく思う。
なんとなくだが、少しは上達している気がするのだ。
そんなことを思いながら二口目を食べようとした時だった。
扉をノックする音が聞こえた。
誰だろう?
「どちらさま?」
そう言って扉を開けると、そこには見慣れたハーピーがいた。
「おはようございます。いつもの、お持ちしましたよ」
ハーピーが手渡してきたのは魔界版の新聞だ。
「ありがとう」
「それとこちらも」
なぜか別の巻物らしきものを渡された。
「これは?」
「陛下からです」
陛下ということは母様か。
一体なんだろう。
とりあえず新聞は後回しにして母様からの巻物を開いてみると、そこには十人の男の顔が描かれていた。
ご丁寧に年齢やら住所といった詳細まで記されている。
ああ、そういうことか。
ようするにあれだ、お見合い写真みたいなものだ。
この中から気に入った男がいれば、ものにしてこいということなのだろう。
私は瞬時に興味をなくし、巻物を元のように丸める。
「なにが書いてあったんですか?」
魔王である母様が差し出したものだからか、ハーピーは興味津々といった様子。
「大したことは書いてないわ。ちょっとしたおせっかいだけよ」
ハーピーにそう説明すると、彼女は興味をなくしたらしい。
「そうですか。じゃあ、私はこれで」
そう言って飛び去る彼女を見送ると、私は台所に戻る。
巻物をテーブルの端のほうに放り投げ、新聞を片手に席につくと朝食を再開した。
サンドイッチを食べつつ、新聞に目を通す。
書いてある内容は人のものと変わりなく、あの人がついに結婚だとか、教団が東の大陸に進出したといったもの。
いくつもある記事に目を通していくと、そのうちに求人が書いてある誌面になった。
そこには日雇いの仕事から長期間の仕事まで様々なものが載っている。
普段から求人情報は数多く載っているので、いつものようにそのほとんどを流し読みしていると、ある求人が目に入った。
『戦闘能力に自信のあるサキュバス募集、報酬は応相談 依頼者ルカ』とあった。
「戦闘能力?」
私はその部分を声に出して確認する。
なぜサキュバスなのに戦闘能力なのだろう?美貌ではなくて?
なんとなく興味が沸いた私は依頼者の住所を確認する。
ここからそう遠くないわね。
「たまには散歩以外のことをしてもいいかな」
サンドイッチを完食し、コーヒーを飲み終えた私はリリムの衣装に着替えると、家を後にする。
向かうはルカの家。
なんとなく楽しそうな予感がする。
私は笑みをこぼすと翼を出して飛び立った。
そして誰もいなくなった家では開かれたままの新聞と、もう二度と開かれることはないであろう巻物がテーブルの上に虚しく転がっていた。
私が来たのはローハスという街だった。
人の世界のように防壁には覆われておらず、代わりにそのほとんどが森に囲まれている街だ。
家が近いという理由で私自身、何度も訪れている。だから街の作りはおおよそ把握している。
ルカとやらの家がこの街の近くにあるとのことだったので、私は街の入り口へと着地した。
さて、まずは家の場所を訊くことにしよう。
私は近くを歩いていたサキュバスに声をかけた。
「ごめんなさい。ちょっと訊きたいのだけど、ルカという人の家がどこにあるか知っているかしら?」
「ルカさんですか?彼女でしたら、街から少し東に行ったところに住んでいます。森の中に一つだけ家がありますから、行けば分かりますよ」
「そう、ありがとう」
丁寧に教えてくれたサキュバスに礼を言うと、私はその場から飛び立つ。
言われた通りに東に飛んでいると、すぐに一軒の家が目についた。
「あれね」
見渡す限りの森の中に一つだけあるので間違いないだろう。
私はその家の前に降りると、扉をノックした。
しばらくして扉が開き、顔を見せたのは一人のサキュバス。
見かけは子供と大人の中間といったところで、人でいうと15歳前後といったところ。
恐らくルカの娘だろう。肩のあたりまである亜麻色の髪に赤い角、藍色の瞳が特徴的だった。
「なにか用?」
「こんにちは。新聞を見てきたのだけど、ルカさんはいるかしら?」
「新聞…?ああそういえば、求人を出したわね。じゃ、説明するから入って」
少女は軽く手で来いと指示すると、中に入って行こうとする。
「説明するって、あなたが?ルカさんではなくて?」
「ルカならさっきから目の前にいるでしょ」
え?
私の目の前にいるのはこの少女だけ。
じゃあ、この子がルカ?
まじまじと見つめると目が合った。
「アタシがルカよ」
少女がつまらなそうに名乗り、私は内心やってしまったと思った。
「ごめんなさい。まさか本人だとは思わなくて」
「気にしてないから別にいいわ。それより、さっさと入って」
ルカはそう言って先に家に入ってしまう。
怒っている様子はなかったが、どうも態度が素気ない。
そう思ったものの、声には出さずルカの後に続いて家に入るとそこは図書館かと思うほどに幾つもの本棚と大量の本があった。
「ルカさん、あなたは学者か何かかしら?」
「研究者。それと、さんはつけなくていいわ」
振り向きもせずに返ってきた返事は実に素気なく、嫌われてるんじゃないかと錯覚しそうになる。
後ろで私がそんなことを思っているのを知ってか知らずか、ルカは平然とした動きで机から書類の束を取る。
「仕事内容を話すけどいい?」
「それは私を採用するということでいいの?」
「少し姿が違うけどあんたリリムでしょ?だったら問題ないわ」
「私がリリムだって分かるの?」
私の姿は他のリリムとは少し違うのに、ルカは一目で見抜いたらしい。
「それくらい分かるでしょ。大体、サキュバスみたいな姿でそんなバカみたいな魔力を持った魔物なんてリリムくらいしかいないわよ」
相変わらずつれない態度のルカだが、私は感心していた。
「優秀なのね。さすが研究者だわ」
「こんなの普通でしょ。それより説明するわよ」
そう言って書類の束を差し出してきた。
読めということらしい。
それを受け取って目を通すと、一人の男についての資料だった。
「今回の依頼は一人の勇者と戦って倒してもらうこと。そいつの詳しい情報については書類に目を通して」
なんだか意外な内容だ。
「倒すって、それだけなの?」
「けっこう面倒だと思うわよ?その勇者、加護で魅了が一切効かないから」
なるほど、だから戦闘能力に自信のあるサキュバスを募集したということか。
だが、それだと疑問が残る。
「仕事の内容は理解したわ。ただ、その内容だったらサキュバスでなくてもいいと思うのだけど」
単に勇者を倒すだけなら戦闘能力の高い魔物でもいいはずだ。
サキュバス限定なのが分からない。
「一応、本当に魅了が効かないかこの目でみたいのよ。戦闘能力に自信があるヤツってだけじゃ、勇者の加護が本物か分からないじゃない。だからサキュバスを指定したの」
ああ、そういうことね。
なんとも研究者らしい理由だ。
「種族を指定した理由はわかったわ。それで、あなたはその勇者に恨みでもあるの?それとも他に目的が?」
私がそう質問した時だった。
わずかに、ほんのわずかにだが、ルカの眉が少しだけ動いた。
それでもルカはそれ以上の変化を見せず、素気なく答える。
「…別にそいつに恨みなんてないわ。それと、私の目的はその勇者の血」
「血?」
「そうよ。どういうヤツが加護を受けるのか、その血を調べれば何か分かるかもしれないから。言ってしまえば知的好奇心を満たしたいからね。で、他に質問は?」
面倒くさそうにこちらを見るルカ。
私はその言葉を待っていたとばかりに問いかける。
「それは仕事以外のことでもいいのかしら?」
「内容によるわね。答えるのが面倒だったら答えないから。それでもいいなら質問するといいわ」
一応、質問は許可された。
では遠慮なくさせてもらおう。ずっと気になっていることがあるのだ。
「じゃあ訊きたいのだけど、あなたは本当にサキュバスなの?あなたから感じられる魔力はサキュバスとは思えないほど多い。一体どうなっているの?」
さっきからずっと疑問だった。
ルカの魔力は上位の魔物と勘違いするくらいに多いのだ。
それこそバフォメットなみに。
生まれつき魔力が多い人もいるにはいるが、それでもルカは異常だ。
だから尋ねてみたのだが。
「面倒だから却下」
あっさり弾かれた。
面倒と言うあたり、複雑な事情があるのかもしれない。
気にならないと言えば嘘になるが、答えたくないことを無理に言わせる気はないのでこの質問は諦めよう。
「じゃあ、あなたの歳は?」
「随分としょぼい質問になったわね。まあ、それくらいなら構わないけど。アタシは今年で64になるわね」
「え?」
その答えに思わず声が出てしまった。
別に歳そのものに驚いたわけではない。
魔物の寿命は人より遥かに長いのだからルカの歳が64でもなんら不思議はない。
私が驚いたのは歳と姿があっていないからだ。
仮に成長が遅いとしても、64にもなって未だ少女のままなど有り得ない。普通ならとっくに大人になっているはずだ。
「あんたが何を思ったかよーく分かるわ。アタシの姿と年齢があってない、でしょ?」
ルカは見事に私が思ったことを言い当ててきた。
「ええ、そうよ。それについては話してくれるのかしら?」
「それも却下ね」
今度の質問もダメだった。
どうやらルカは色々と複雑な事情を抱えているらしい。
「じゃあ質問はもういいわ。説明を続けて」
「そう。じゃ、報酬だけど、希望とかってある?」
「そうね。とりあえず、成功報酬ということでいいかしら?急に言われても思いつかないし」
「ふーん。ま、あんたがそれでいいって言うならいいけど。じゃ、行きましょ」
ルカはごそごそと本の下に埋もれていたローブを引っ張りだすと、それを身につけた。
「勇者の居場所は分かってるの?」
「大体は把握してるわ。最後に目撃されたのがジージスって街。それが二日前のことだから、そう遠くに行ってないはずよ」
「そう、じゃあ行きましょう」
目指すはジージス。
そう思って転移魔法を使おうとしたのだが。
「あ、転移魔法はアタシが使うわ」
ルカに言葉で制止された。
「使うって、あなた、転移魔法を使えるの?」
転移魔法はかなり高度な魔法だ。
だから上位の魔物でもない限り使うことはできないはずだが、サキュバスのルカは本当に使えるのだろうか?
「使えるわよ。あんたには勇者と戦ってもらうから魔力は温存してもらわないといけないし。ちなみになんで使えるのかって質問は却下ね」
質問する前から却下された。
それはいいのだが、ルカについてどんどん興味が沸いてくる。
ルカはサキュバスでありながら転移魔法を使えたり、その姿が少女のままだったりと他のサキュバスとは違う点が多い。
それがとても気になる。
なんでそんなに気になるのかと言われたら、恐らく私自身が他のリリムとは少し違うからだろう。
同種の仲間と比べて異なる点があるからか、似たような存在のルカには親近感を覚えるのだ。
「分かったわ。じゃあ、転移魔法はお願いするわね」
「じゃ、行くわよ」
こうしてルカの転移魔法で私達はジージスへと向かった。
私達が転移したのは、街から少し離れた位置だった。
「分かってると思うけど、あの街は反魔物派だから」
「そうでしょうね」
勇者が訪れた時点で親魔物派なわけがない。
そんなわけで愛用のローブを取り出し、身に纏う。
「随分と厳重ね。顔くらい出してもいいんじゃないの?」
ローブを身につけ、顔をフードで隠した私を見て、ルカはそう感想を漏らした。
「リリムはこれくらいしないと色々と面倒なのよ。あなただって、人を探している最中にたくさんの男から話かけられたり、付きまとわれたら嫌でしょ?」
私がそう言うと、ルカは苦虫でも噛み潰したような顔になった。
「確かにそれは嫌ね。殴りたくなるわ」
なんとなく本心から言っているように見えて、思わず笑ってしまう。
「じゃあ、行きましょ。勇者様の行方を捜しに」
街の入り口には見張りがいたが、ルカは魔法で角を消して当然のように通過し、私も顔を見せるとあっさりと通してくれた。
「さて、どうするの?二人いるんだし、手分けして探す?」
「そうね、その方が効率的だわ。じゃ、アタシは南から東にかけて話を聞いてくるから、あんたは残りの方角を頼むわ。一時間後に広場に集合ってことでいい?」
「わかったわ」
ルカとは入り口で別れ、私はまず西へと向かう。
とりあえず酒場に行けばいいだろう。勇者が街を訪れたのなら、それなりに話題になるはずだし。
そんなことを考えつつ歩きながら、ふと思った。
そういえば、最近人探しに縁があるなと。
ついこの間、四つの国を探し回ったと思ったら今度は勇者だ。
勇者といえば昔は夫探しの時によく会いに行ったものだが、今回はどうだろう。
今回の勇者は加護で魅了が効かないみたいだし、今までのように姿を見せたらそれで終わりということにはならないはず。
そう考えると、勇者に会うのが少し楽しみだ。
軽く笑いながら通りを歩いていると、ビールジョッキが描かれた看板が目に入った。
どうやら酒場らしい。
とりあえず、あそこから訊いてみることにしよう。
私はその酒場へと入っていく。
店内はまだ昼前だからか、客の姿はほとんどなく静かなものだった。
適当な席につくと、娘がさっそく注文を聞きにきた。
「いらっしゃいませー、注文は何にします?」
「そうね、甘い酒をお願い。種類はなんでもいいわ」
「はい、ありがとうございます」
注文を受けた娘は奥に引っ込み、すぐにジョッキを持って出てきた。
「はい、お待たせしました」
テーブルにジョッキを置いて代金を受け取ると、せっせと戻ろうとする娘を呼び止める。
「少し訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「あ、はい。なんです?」
「何日か前にこの街を勇者が訪れたと聞いたのだけど、本当かしら?」
いきなり行方を尋ねて怪しまれるのもまずいので、まずは確認からだ。
「ああ、来ましたよ。それがどうかしたんですか?」
やはり来たらしい。
「いえ、勇者様がこの辺りになんの用かと思ってね。この地域に魔物が出たという話は聞いたことがないから」
「お客さん、旅人ですよね?ハーピーの話、聞いてないんですか?」
娘は意外そうな声を出した。
それに対して私はわざとらしく訊き返す。
「ハーピー?」
「ええ。つい最近、この辺りで目撃されるようになっているんですよ。勇者様が来たのもそれが理由だそうです」
つまり、勇者はハーピーの討伐に来たということか。
だとすると、勇者は彼女達の巣に向かっている可能性が高そうだ。
「ハーピーとは怖いわね。一体どの方角で目撃されているの?」
「ちょうど東の方角ですね。整備されてて旅人さんに愛用されてる道があるんですけど、そこでの目撃情報が多いです」
目撃情報が多い理由はなんとなくわかる。
利用する者が多いということは、それだけ彼女達も相手を見つけやすいからということなのだろう。
「なるほど、東ね。じゃあ、そっちには行かないようにしないと」
「ええ。そうした方がいいです。少なくとも、勇者様がなんとかしてくれるまでは」
「そうね。ありがとう、話はそれだけよ」
娘に礼を言うと、頬杖をついて情報を整理する。
ハーピーのことはけっこうな噂になっているらしい。
そうなると、勇者は十中八九ハーピー達のもとに向かっているはず。
そして勇者が彼女達のもとへ向かう理由は一つしかない。
「あまりゆっくりはしてられないわね…」
いきなり重要な話を聞けたのはいいが、それと同時にハーピー達に危険が迫っていることも分かってしまった。
注文した酒を一気に飲み干し、私は席を立つ。
向かうはルカのところ。
予定では一時間後に広場でということだったが、生憎とそんな余裕はなさそうだからだ。
酒場を出た私はこの街で唯一の魔力を探す。
ルカはまだ東にいるようで、私とは正反対の位置から魔力が感じられた。
彼女がまだ東にいるなら好都合だ。
足早にルカの元へと向かっていると、彼女に動きがあった。
ただ、その動きが妙だった。
ルカもどうやらこちらへ向かって来ているようなのだ。
それを不思議に思うも、理由なら会って聞けばいいだけのこと。
だから私はルカとの合流を急いだ。
「アタシに向かって来たってことは、あんたも同じような話を聞いたみたいね」
程なくして合流したルカは開口一番にそんなことを言ってきた。
「ええ、急ぎましょう。ハーピー達が危ないわ」
「話が早くて助かるわ。さっさと街から出ましょ。そこからは飛んで行けばいいわ」
その意見に異論はない。
私が無言で頷くと、ルカは街の入り口に向かって走り出した。
それに続いて私も走り、二人揃って外に出ると、見張りが見えない位置で立ち止まる。
「行き先はハーピー達の巣。でも、目的はあくまで勇者の血だから。それを忘れないでよ?」
「ええ、もちろん」
目的の確認をするとお互いに翼を出して、空へと飛び立つ。
「ねえ、会った時から不思議だったんだけどさ、あんたのその翼はなんなの?」
飛んでいる最中に、ルカがそう声をかけてきた。
「あら、私の問いには答えてくれなかったのに、同じような質問をするの?」
「それは…」
ちょっと意地悪な返事を返すと、どこかバツが悪そうにルカは視線を逸らす。
急いでいるというのに、私は不謹慎にも彼女のそんな様子を可愛いと思ってしまう。
「私にもよく分からないの。生まれた時からこの翼だったから」
他の姉妹とは全く違う私の翼。
それはなぜかと母様に訊いたこともあったが、個人差の一言で片づけられた気がする。
私自身も大して気にしてないので、そういうものかと納得してそれきりだ。
正直、翼としての役目を果たしてくれるなら形状なんて些細なことだし。
だから形についてはどうでもいいのだが、他の姉妹のものと違って手入れが面倒なのが玉に傷だったりする。それでも一つ上の姉から口うるさく言われたので、手入れはちゃんとやっているが。
「生まれた時から、か…。あんたも苦労してるわね」
そう言ったルカの声は少し同情的だった。
今までで最も感情がこもっている声に、私は思わず彼女の方を見た。
「それはどういう―」
言いかけた言葉はあることに気づいて中断される。
整備された道と並行して森があるのだが、その森の中にまとまっている複数の魔力が感じられる。恐らくはハーピー達だ。
だが、私が気づいたのは彼女達についてではない。
その彼女達に向かっている一つの気配。それは、人にしてはあまりにも強い気配。
間違いなく勇者だろう。
なにか特別な力でも使っているのか、それとも単なる勘なのか、広い森を真っ直ぐにハーピー達のもとへと向かっている。
まだ辿り着いてはいないが、このまま迷わずに進めるのならそれも時間の問題だろう。
だが間に合ってよかった。
「話の途中でどうしたのよ?」
「勇者を見つけたわ」
「見つけたの?」
「ええ、こっちよ」
勇者が進む方向へと先回りし、森の中へと着地する。
「ちょっと、誰もいないじゃない」
辺りに誰もいないからか、ルカは胡散臭そうな目で私を見た。
「大丈夫、すぐ来るわ」
そう言った直後、一人の男が姿を現した。
銀色に鈍く光る鎧を身につけ、威風堂々とした佇まい。
見事と言ってあげたいくらいに勇者だった。
「ほらね」
私が笑いかけると、ルカは瞬時に目を逸らす。
「そうね、じゃ、さっさと済ませて。戦闘不能にしてくれればいいから」
まるで虫でも追い払うかのように手を振る。
そんな態度に苦笑しながら、私は勇者へと向き直った。
「サキュバス、か?」
少し意外そうな顔をする勇者。
その言葉は目の前に現れたのがハーピーではなかったことか、それとも私の姿のことか、どちらだろう?
ひょっとしたら両方かもしれない。
まあ、どうでもいいことだが。
「こんにちは、勇者さん」
私が軽く微笑みかけると、勇者は無言で剣を構えた。
「あら、話すらしてもらえないの?悲しいわ」
「お前ら魔物と話すことなどない」
ぶっきらぼうに言い放つと冷たい視線を向けてきた。
私が微笑めば大概の人は魅了できるものだが、目の前の勇者にそんな様子は微塵もない。
情報通り、加護で魅了は効かないらしい。
ルカに視線をやると、小さく頷いた。
確認した、という意味だろう。
加護が本物だとわかったので、本来の目的に移ろう。
私は虚空から愛用の剣を取り出す。
「口を聞いてもらえないのなら、私が一方的に話すわ。あなたをこの先へは行かせない。ここで帰ってもらうわ」
「帰ってもらう、か。出来るものならやってみろ」
その言葉にニコリと笑みを返すと、転移魔法で勇者の側面に回り込む。
「くっ!!」
いきなりの転移に遅れを取った勇者は、剣を水平に払う。
風を切る音と共に振られる剣。
私はそれを左手で受け止める。
「馬鹿な!?」
まさか手で受け止められるとは思っていなかったのだろう。勇者の体が硬直した。
「隙だらけね」
勇者の剣を掴んだまま、彼の胴体目がけて剣を一閃させる。
殺す気はないのでもちろんみね打ちだ。
私の放った一撃が脇腹に直撃し、鎧にヒビが入る。
「ぐっ!!」
呻き声を漏らしながら、勇者はその場に力なく崩れ落ちた。
「はい、終わり」
「貴様、一体なにをした!?」
「そう怖い顔をしないで?ちょっと神経に衝撃を与えて麻痺させただけだから」
ちなみにこの技を教えてくれたのは、魔王軍で数少ない将軍の地位に就いているデュラハンだ。そして私の剣の師匠。
「ルカ、これでいいかしら?」
「まさか瞬殺するとは思わなかったわ…」
どこか呆れるような顔のルカに、私は苦笑を返した。
「苦戦した方がよかったかしら?」
ルカは返事代わりに肩をすくめると、懐から空の注射器を取り出して勇者の首に突き刺す。
「くっ、何をするつもりだ?」
勇者が問いかけるも、ルカは当然のように無視して注射器が満タンになるまで血を抜き取る。
「はい、これで終わり。じゃあ、行きましょ」
「そうね。でも、その前に」
勇者へと視線を移すと、目が合った。
まるで親の敵のように睨みつけてくる勇者に、軽く微笑んでおく。
「またの遭遇を期待しているわ。その時はもっと強くなっていてね」
軽く勇者に手を振ると、ルカと共に飛び立った。
そのままハーピー達の巣に赴き、事情を説明してこの地を去るように伝えると彼女達はあっさり了承してくれた。
「さて、これで大丈夫そうね」
「そうね、じゃ、さっさと戻りましょ。さっそくこの血を調べてみたいし」
どうやらルカの頭は既に研究のことでいっぱいらしい。
「その前に食事しない?」
「食事か。まあ、それくらいならいいわよ」
意外なことに誘いを受けてくれた。
「じゃあ、行きましょ。今度は私が転移魔法を使うから。なるべく男が多い場所の方がいいわよね?」
ルカの好みが分からない以上、人が多い場所の方がいいだろう。人が多いということは、それだけ様々な男がいるわけだし。
ところが私がそう言うなり、ルカは急に慌て出した。
「ちょ、ちょっと!男が多い場所ってどういうことよ!?食事に行くんじゃないの!?」
「そうだけど?あなたも魔力を使ったでしょ?精をもらって回復した方がいいと思うんだけど」
だから食事に行こうと言ったのだが、なにかおかしかっただろうか?
「冗談じゃないわ!精なんて絶っ対にいらないから!そういう食事なら、あんた一人で行きなさいよ!」
なぜか急に怒り出したルカはそっぽを向いてしまう。
「いらないって、あなたサキュバスでしょ?」
「だからなによ。言っとくけど、アタシは男なんて大嫌いだから」
私は耳を疑った。
腹立たしげに言うルカはおよそ嘘を言っているようには見えない。
サキュバスなのに、男が嫌い。
そんなことがあるのだろうか?
性欲が低いと自覚している私でさえ、男を嫌いだとは思っていない。
それなのにルカは大嫌いと言い切った。
ただ、このことについても何か理由があるはずだし、尋ねたところで答えてはくれないだろう。
訊いてみたいという欲求を抑えながら、私はルカに微笑んだ。
「じゃあ、食事はいいわ。帰りましょう」
「ふん。最初からそうすればいいのよ」
どこか勝ち誇ったような顔のルカに苦笑を返しながら、私達は転移魔法でルカの家へと戻った。
「さて、無事に血が手に入ったことだし、一応お疲れ様と言っておくわ。で、報酬は決まってる?」
ルカに言われて思い出した。
そもそも報酬目当てで来たわけではないので、すっかり忘れていた。
「ごめんなさい。すっかり忘れてたわ」
途端に露骨なため息をつくルカ。
忘れてたのは申し訳ないと思うが、この態度は少し傷つく。
「あんた一体なにを目的に来たのよ…。じゃあそうね、あんた、もう結婚してるの?」
「結婚してたら、こうして求人の募集になんか来ないわ」
結婚してたら多分、旦那様といちゃいちゃしているはずだ。
それは想像でしかないが。
「ふーん、まだなんだ。じゃあ、これでいい?」
ルカは棚に置かれていた試験管を取ると、差し出してきた。
試験管には青い液体が入っているが、今の質問とこの液体の関係が分からない。
「…これはなにかしら?」
いかにも怪しい液体は研究者らしい報酬だと思えなくもないが、これの使い道が分からない。
「簡単に言えば変身薬ね。これにあんたの血を混ぜて男に飲ませると、そいつはあんたの理想の男に姿を変えるわ。永遠にね。性格は変わらないのが難点だけど、容姿は悪くても性格はいい男ならいくらでもいるでしょ?」
なんだかすごい事をさらっと言う。
要するに、この薬は男の容姿を自分好みに変えられる薬というわけか。
「これ、あなたが作ったの?」
「当然でしょ」
ほとんど確認のような問いだったが、改めてルカのすごさを思い知らされた気がする。
確かにこの薬は私のような独身の魔物にはうってつけの報酬だろう。
だが、これは邪道。
それが、この薬に対する私の感想だ。
こんな方法で理想の男が手に入っても、私は納得できない気がするのだ。
「これはいらないわ。もっと欲しいものが思いついたから」
「けっこう貴重なものだけど、いいの?これ以上に欲しいものって何よ?」
試験管を押し返されたルカは困惑した表情を浮かべる。
そんなルカに、私は微笑んだ。
「私はあなたが欲しい」
「へ?」
私の言葉にルカは一瞬ポカンとするが、やがて言葉の意味を理解したらしくその白い頬が赤く染まっていく。
「な、な、なにバカなこと言ってんのよ!?アタシは女よ女!!メス!!同性!!」
顔を真っ赤にしてルカはそう訴える。
もちろん言われなくたってそんなことは分かっている。
さっきの言葉はちょっと誤解されそうな言い方だったが、嘘は言ってない。
「見れば分かるわ。だからあなたが欲しいの。友達として」
私がこんなにも興味を持ったのはルカが初めてだ。
だから、ルカのことをもっと知りたい。
ルカと仲良くなりたい。
それが私の望む報酬だ。
「ちょ、と、友達って……」
相変わらず顔を赤くしたまま、ルカは顔を背けてしまう。
どうやら、真正面からの好意に弱いらしい。
こんな様子は見かけ通りの少女そのもので、とても可愛い。
それを近くで見せつけられ、私はつい微笑んでしまう。
「私と友達になってほしい。それが私の望む報酬。ダメかしら?」
「……あんた、名前は?」
いきなりの質問はわけが分からなかった。
え、名前?
しかし不思議に思ったのは一瞬のことで、すぐに出会った時のことを思い出す。
あの時は会話の流れでそのまま仕事の話になってしまい、名乗るのを忘れていた。
我ながら間抜けね…。
内心苦笑しながら、自分の名を告げる。
「ごめんなさい、まだ名乗っていなかったわね。私はミリア」
「ミリアね。じゃあ、アタシは忙しいから、とりあえず帰って」
ルカは私の体を方向転換させると、扉の方へと押していく。
「私はまだ報酬を貰っていないのだけど」
家の外へと出された私が振り向くと、顔を赤くしたルカと目が合った。
「アタシは忙しいの!だから…その、と、友達なら邪魔しないでよ!!」
最後の方は顔を逸らしてしまうルカだったが、その言葉は私を喜ばせるのに充分だった。
報酬はきちんとくれるみたいだ。
あまり素直ではないようだが、そんな彼女が可愛らしく、つい笑ってしまう。
「な、なに笑ってんのよ…」
照れているのがありありと分かるルカに、私は手を差し出す。
「これからよろしくね、ルカ」
ルカは腕組みをして顔をあらぬ方向へと向けていたが、それでも目は私の顔と差し出された手を交互にちらちらと見ていた。
しばらくは微動だにしなかったルカだが、やがて観念したように手を握ってくれた。
「…これでいいでしょ!ほら、今日はもう帰って!」
確かにもう帰ったほうがいいかもしれない。
耳まで真っ赤になっているルカを見て私はそう思った。
「そうね、今日はもう帰るわ。じゃあ、またね、ルカ」
そう、また今度。
だから今日は早く帰ろう。そして、また今度遊びに来るのだ。
新しい友達が出来たことに笑みを浮かべながら、私は家へと帰る。
あのろくでもない巻物と違って、新聞は私に新しい出会いをもたらしてくれた。
それも普通に暮らしていたら、絶対に知り合うことはなかったであろう人物を。
「求人広告もたまにはいいものね」
家に帰った私はテーブルの上にあった巻物をゴミ箱に投げ捨てると、新聞を丁寧に折り畳んだのだった。
パンにハムとレタスを乗せると、最後にソースを塗ってもう一枚のパンで挟む。
今、私がしているのは朝食のサンドイッチ作り。
ちなみにソースはレナから教えてもらった特製で、調味料と魔界の香草を混ぜて作ったものだ。
これがとてもおいしく、初めて食べた時は感動を覚えるほどだった。
だからこそ、これを考えついたレナは本当にすごいと思う。
料理を始めたのは少し前になるが、自分でやってみると本当に難しい。
魔法なら理論を理解すればあとは簡単に出来るのに、料理は違う。
作り方を覚えたところで思った通りの味にならなかったり、以前と同じように作ったはずなのになぜか味が違ったりと、なかなか思い通りにいかない。
その分やりがいがあって楽しいのだけど。
完成したサンドイッチを皿に乗せると、コーヒーとともにテーブルへと運ぶ。
「いただきます」
まずはサンドイッチだ。
一口食べてみると、ほとんどレナの作ったものと同じ味がした。
本人から作り方の指導を受けたので近い味に出来てもおかしくはないのだが、それでもレナのものとほぼ同じ味を作れたのは嬉しく思う。
なんとなくだが、少しは上達している気がするのだ。
そんなことを思いながら二口目を食べようとした時だった。
扉をノックする音が聞こえた。
誰だろう?
「どちらさま?」
そう言って扉を開けると、そこには見慣れたハーピーがいた。
「おはようございます。いつもの、お持ちしましたよ」
ハーピーが手渡してきたのは魔界版の新聞だ。
「ありがとう」
「それとこちらも」
なぜか別の巻物らしきものを渡された。
「これは?」
「陛下からです」
陛下ということは母様か。
一体なんだろう。
とりあえず新聞は後回しにして母様からの巻物を開いてみると、そこには十人の男の顔が描かれていた。
ご丁寧に年齢やら住所といった詳細まで記されている。
ああ、そういうことか。
ようするにあれだ、お見合い写真みたいなものだ。
この中から気に入った男がいれば、ものにしてこいということなのだろう。
私は瞬時に興味をなくし、巻物を元のように丸める。
「なにが書いてあったんですか?」
魔王である母様が差し出したものだからか、ハーピーは興味津々といった様子。
「大したことは書いてないわ。ちょっとしたおせっかいだけよ」
ハーピーにそう説明すると、彼女は興味をなくしたらしい。
「そうですか。じゃあ、私はこれで」
そう言って飛び去る彼女を見送ると、私は台所に戻る。
巻物をテーブルの端のほうに放り投げ、新聞を片手に席につくと朝食を再開した。
サンドイッチを食べつつ、新聞に目を通す。
書いてある内容は人のものと変わりなく、あの人がついに結婚だとか、教団が東の大陸に進出したといったもの。
いくつもある記事に目を通していくと、そのうちに求人が書いてある誌面になった。
そこには日雇いの仕事から長期間の仕事まで様々なものが載っている。
普段から求人情報は数多く載っているので、いつものようにそのほとんどを流し読みしていると、ある求人が目に入った。
『戦闘能力に自信のあるサキュバス募集、報酬は応相談 依頼者ルカ』とあった。
「戦闘能力?」
私はその部分を声に出して確認する。
なぜサキュバスなのに戦闘能力なのだろう?美貌ではなくて?
なんとなく興味が沸いた私は依頼者の住所を確認する。
ここからそう遠くないわね。
「たまには散歩以外のことをしてもいいかな」
サンドイッチを完食し、コーヒーを飲み終えた私はリリムの衣装に着替えると、家を後にする。
向かうはルカの家。
なんとなく楽しそうな予感がする。
私は笑みをこぼすと翼を出して飛び立った。
そして誰もいなくなった家では開かれたままの新聞と、もう二度と開かれることはないであろう巻物がテーブルの上に虚しく転がっていた。
私が来たのはローハスという街だった。
人の世界のように防壁には覆われておらず、代わりにそのほとんどが森に囲まれている街だ。
家が近いという理由で私自身、何度も訪れている。だから街の作りはおおよそ把握している。
ルカとやらの家がこの街の近くにあるとのことだったので、私は街の入り口へと着地した。
さて、まずは家の場所を訊くことにしよう。
私は近くを歩いていたサキュバスに声をかけた。
「ごめんなさい。ちょっと訊きたいのだけど、ルカという人の家がどこにあるか知っているかしら?」
「ルカさんですか?彼女でしたら、街から少し東に行ったところに住んでいます。森の中に一つだけ家がありますから、行けば分かりますよ」
「そう、ありがとう」
丁寧に教えてくれたサキュバスに礼を言うと、私はその場から飛び立つ。
言われた通りに東に飛んでいると、すぐに一軒の家が目についた。
「あれね」
見渡す限りの森の中に一つだけあるので間違いないだろう。
私はその家の前に降りると、扉をノックした。
しばらくして扉が開き、顔を見せたのは一人のサキュバス。
見かけは子供と大人の中間といったところで、人でいうと15歳前後といったところ。
恐らくルカの娘だろう。肩のあたりまである亜麻色の髪に赤い角、藍色の瞳が特徴的だった。
「なにか用?」
「こんにちは。新聞を見てきたのだけど、ルカさんはいるかしら?」
「新聞…?ああそういえば、求人を出したわね。じゃ、説明するから入って」
少女は軽く手で来いと指示すると、中に入って行こうとする。
「説明するって、あなたが?ルカさんではなくて?」
「ルカならさっきから目の前にいるでしょ」
え?
私の目の前にいるのはこの少女だけ。
じゃあ、この子がルカ?
まじまじと見つめると目が合った。
「アタシがルカよ」
少女がつまらなそうに名乗り、私は内心やってしまったと思った。
「ごめんなさい。まさか本人だとは思わなくて」
「気にしてないから別にいいわ。それより、さっさと入って」
ルカはそう言って先に家に入ってしまう。
怒っている様子はなかったが、どうも態度が素気ない。
そう思ったものの、声には出さずルカの後に続いて家に入るとそこは図書館かと思うほどに幾つもの本棚と大量の本があった。
「ルカさん、あなたは学者か何かかしら?」
「研究者。それと、さんはつけなくていいわ」
振り向きもせずに返ってきた返事は実に素気なく、嫌われてるんじゃないかと錯覚しそうになる。
後ろで私がそんなことを思っているのを知ってか知らずか、ルカは平然とした動きで机から書類の束を取る。
「仕事内容を話すけどいい?」
「それは私を採用するということでいいの?」
「少し姿が違うけどあんたリリムでしょ?だったら問題ないわ」
「私がリリムだって分かるの?」
私の姿は他のリリムとは少し違うのに、ルカは一目で見抜いたらしい。
「それくらい分かるでしょ。大体、サキュバスみたいな姿でそんなバカみたいな魔力を持った魔物なんてリリムくらいしかいないわよ」
相変わらずつれない態度のルカだが、私は感心していた。
「優秀なのね。さすが研究者だわ」
「こんなの普通でしょ。それより説明するわよ」
そう言って書類の束を差し出してきた。
読めということらしい。
それを受け取って目を通すと、一人の男についての資料だった。
「今回の依頼は一人の勇者と戦って倒してもらうこと。そいつの詳しい情報については書類に目を通して」
なんだか意外な内容だ。
「倒すって、それだけなの?」
「けっこう面倒だと思うわよ?その勇者、加護で魅了が一切効かないから」
なるほど、だから戦闘能力に自信のあるサキュバスを募集したということか。
だが、それだと疑問が残る。
「仕事の内容は理解したわ。ただ、その内容だったらサキュバスでなくてもいいと思うのだけど」
単に勇者を倒すだけなら戦闘能力の高い魔物でもいいはずだ。
サキュバス限定なのが分からない。
「一応、本当に魅了が効かないかこの目でみたいのよ。戦闘能力に自信があるヤツってだけじゃ、勇者の加護が本物か分からないじゃない。だからサキュバスを指定したの」
ああ、そういうことね。
なんとも研究者らしい理由だ。
「種族を指定した理由はわかったわ。それで、あなたはその勇者に恨みでもあるの?それとも他に目的が?」
私がそう質問した時だった。
わずかに、ほんのわずかにだが、ルカの眉が少しだけ動いた。
それでもルカはそれ以上の変化を見せず、素気なく答える。
「…別にそいつに恨みなんてないわ。それと、私の目的はその勇者の血」
「血?」
「そうよ。どういうヤツが加護を受けるのか、その血を調べれば何か分かるかもしれないから。言ってしまえば知的好奇心を満たしたいからね。で、他に質問は?」
面倒くさそうにこちらを見るルカ。
私はその言葉を待っていたとばかりに問いかける。
「それは仕事以外のことでもいいのかしら?」
「内容によるわね。答えるのが面倒だったら答えないから。それでもいいなら質問するといいわ」
一応、質問は許可された。
では遠慮なくさせてもらおう。ずっと気になっていることがあるのだ。
「じゃあ訊きたいのだけど、あなたは本当にサキュバスなの?あなたから感じられる魔力はサキュバスとは思えないほど多い。一体どうなっているの?」
さっきからずっと疑問だった。
ルカの魔力は上位の魔物と勘違いするくらいに多いのだ。
それこそバフォメットなみに。
生まれつき魔力が多い人もいるにはいるが、それでもルカは異常だ。
だから尋ねてみたのだが。
「面倒だから却下」
あっさり弾かれた。
面倒と言うあたり、複雑な事情があるのかもしれない。
気にならないと言えば嘘になるが、答えたくないことを無理に言わせる気はないのでこの質問は諦めよう。
「じゃあ、あなたの歳は?」
「随分としょぼい質問になったわね。まあ、それくらいなら構わないけど。アタシは今年で64になるわね」
「え?」
その答えに思わず声が出てしまった。
別に歳そのものに驚いたわけではない。
魔物の寿命は人より遥かに長いのだからルカの歳が64でもなんら不思議はない。
私が驚いたのは歳と姿があっていないからだ。
仮に成長が遅いとしても、64にもなって未だ少女のままなど有り得ない。普通ならとっくに大人になっているはずだ。
「あんたが何を思ったかよーく分かるわ。アタシの姿と年齢があってない、でしょ?」
ルカは見事に私が思ったことを言い当ててきた。
「ええ、そうよ。それについては話してくれるのかしら?」
「それも却下ね」
今度の質問もダメだった。
どうやらルカは色々と複雑な事情を抱えているらしい。
「じゃあ質問はもういいわ。説明を続けて」
「そう。じゃ、報酬だけど、希望とかってある?」
「そうね。とりあえず、成功報酬ということでいいかしら?急に言われても思いつかないし」
「ふーん。ま、あんたがそれでいいって言うならいいけど。じゃ、行きましょ」
ルカはごそごそと本の下に埋もれていたローブを引っ張りだすと、それを身につけた。
「勇者の居場所は分かってるの?」
「大体は把握してるわ。最後に目撃されたのがジージスって街。それが二日前のことだから、そう遠くに行ってないはずよ」
「そう、じゃあ行きましょう」
目指すはジージス。
そう思って転移魔法を使おうとしたのだが。
「あ、転移魔法はアタシが使うわ」
ルカに言葉で制止された。
「使うって、あなた、転移魔法を使えるの?」
転移魔法はかなり高度な魔法だ。
だから上位の魔物でもない限り使うことはできないはずだが、サキュバスのルカは本当に使えるのだろうか?
「使えるわよ。あんたには勇者と戦ってもらうから魔力は温存してもらわないといけないし。ちなみになんで使えるのかって質問は却下ね」
質問する前から却下された。
それはいいのだが、ルカについてどんどん興味が沸いてくる。
ルカはサキュバスでありながら転移魔法を使えたり、その姿が少女のままだったりと他のサキュバスとは違う点が多い。
それがとても気になる。
なんでそんなに気になるのかと言われたら、恐らく私自身が他のリリムとは少し違うからだろう。
同種の仲間と比べて異なる点があるからか、似たような存在のルカには親近感を覚えるのだ。
「分かったわ。じゃあ、転移魔法はお願いするわね」
「じゃ、行くわよ」
こうしてルカの転移魔法で私達はジージスへと向かった。
私達が転移したのは、街から少し離れた位置だった。
「分かってると思うけど、あの街は反魔物派だから」
「そうでしょうね」
勇者が訪れた時点で親魔物派なわけがない。
そんなわけで愛用のローブを取り出し、身に纏う。
「随分と厳重ね。顔くらい出してもいいんじゃないの?」
ローブを身につけ、顔をフードで隠した私を見て、ルカはそう感想を漏らした。
「リリムはこれくらいしないと色々と面倒なのよ。あなただって、人を探している最中にたくさんの男から話かけられたり、付きまとわれたら嫌でしょ?」
私がそう言うと、ルカは苦虫でも噛み潰したような顔になった。
「確かにそれは嫌ね。殴りたくなるわ」
なんとなく本心から言っているように見えて、思わず笑ってしまう。
「じゃあ、行きましょ。勇者様の行方を捜しに」
街の入り口には見張りがいたが、ルカは魔法で角を消して当然のように通過し、私も顔を見せるとあっさりと通してくれた。
「さて、どうするの?二人いるんだし、手分けして探す?」
「そうね、その方が効率的だわ。じゃ、アタシは南から東にかけて話を聞いてくるから、あんたは残りの方角を頼むわ。一時間後に広場に集合ってことでいい?」
「わかったわ」
ルカとは入り口で別れ、私はまず西へと向かう。
とりあえず酒場に行けばいいだろう。勇者が街を訪れたのなら、それなりに話題になるはずだし。
そんなことを考えつつ歩きながら、ふと思った。
そういえば、最近人探しに縁があるなと。
ついこの間、四つの国を探し回ったと思ったら今度は勇者だ。
勇者といえば昔は夫探しの時によく会いに行ったものだが、今回はどうだろう。
今回の勇者は加護で魅了が効かないみたいだし、今までのように姿を見せたらそれで終わりということにはならないはず。
そう考えると、勇者に会うのが少し楽しみだ。
軽く笑いながら通りを歩いていると、ビールジョッキが描かれた看板が目に入った。
どうやら酒場らしい。
とりあえず、あそこから訊いてみることにしよう。
私はその酒場へと入っていく。
店内はまだ昼前だからか、客の姿はほとんどなく静かなものだった。
適当な席につくと、娘がさっそく注文を聞きにきた。
「いらっしゃいませー、注文は何にします?」
「そうね、甘い酒をお願い。種類はなんでもいいわ」
「はい、ありがとうございます」
注文を受けた娘は奥に引っ込み、すぐにジョッキを持って出てきた。
「はい、お待たせしました」
テーブルにジョッキを置いて代金を受け取ると、せっせと戻ろうとする娘を呼び止める。
「少し訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「あ、はい。なんです?」
「何日か前にこの街を勇者が訪れたと聞いたのだけど、本当かしら?」
いきなり行方を尋ねて怪しまれるのもまずいので、まずは確認からだ。
「ああ、来ましたよ。それがどうかしたんですか?」
やはり来たらしい。
「いえ、勇者様がこの辺りになんの用かと思ってね。この地域に魔物が出たという話は聞いたことがないから」
「お客さん、旅人ですよね?ハーピーの話、聞いてないんですか?」
娘は意外そうな声を出した。
それに対して私はわざとらしく訊き返す。
「ハーピー?」
「ええ。つい最近、この辺りで目撃されるようになっているんですよ。勇者様が来たのもそれが理由だそうです」
つまり、勇者はハーピーの討伐に来たということか。
だとすると、勇者は彼女達の巣に向かっている可能性が高そうだ。
「ハーピーとは怖いわね。一体どの方角で目撃されているの?」
「ちょうど東の方角ですね。整備されてて旅人さんに愛用されてる道があるんですけど、そこでの目撃情報が多いです」
目撃情報が多い理由はなんとなくわかる。
利用する者が多いということは、それだけ彼女達も相手を見つけやすいからということなのだろう。
「なるほど、東ね。じゃあ、そっちには行かないようにしないと」
「ええ。そうした方がいいです。少なくとも、勇者様がなんとかしてくれるまでは」
「そうね。ありがとう、話はそれだけよ」
娘に礼を言うと、頬杖をついて情報を整理する。
ハーピーのことはけっこうな噂になっているらしい。
そうなると、勇者は十中八九ハーピー達のもとに向かっているはず。
そして勇者が彼女達のもとへ向かう理由は一つしかない。
「あまりゆっくりはしてられないわね…」
いきなり重要な話を聞けたのはいいが、それと同時にハーピー達に危険が迫っていることも分かってしまった。
注文した酒を一気に飲み干し、私は席を立つ。
向かうはルカのところ。
予定では一時間後に広場でということだったが、生憎とそんな余裕はなさそうだからだ。
酒場を出た私はこの街で唯一の魔力を探す。
ルカはまだ東にいるようで、私とは正反対の位置から魔力が感じられた。
彼女がまだ東にいるなら好都合だ。
足早にルカの元へと向かっていると、彼女に動きがあった。
ただ、その動きが妙だった。
ルカもどうやらこちらへ向かって来ているようなのだ。
それを不思議に思うも、理由なら会って聞けばいいだけのこと。
だから私はルカとの合流を急いだ。
「アタシに向かって来たってことは、あんたも同じような話を聞いたみたいね」
程なくして合流したルカは開口一番にそんなことを言ってきた。
「ええ、急ぎましょう。ハーピー達が危ないわ」
「話が早くて助かるわ。さっさと街から出ましょ。そこからは飛んで行けばいいわ」
その意見に異論はない。
私が無言で頷くと、ルカは街の入り口に向かって走り出した。
それに続いて私も走り、二人揃って外に出ると、見張りが見えない位置で立ち止まる。
「行き先はハーピー達の巣。でも、目的はあくまで勇者の血だから。それを忘れないでよ?」
「ええ、もちろん」
目的の確認をするとお互いに翼を出して、空へと飛び立つ。
「ねえ、会った時から不思議だったんだけどさ、あんたのその翼はなんなの?」
飛んでいる最中に、ルカがそう声をかけてきた。
「あら、私の問いには答えてくれなかったのに、同じような質問をするの?」
「それは…」
ちょっと意地悪な返事を返すと、どこかバツが悪そうにルカは視線を逸らす。
急いでいるというのに、私は不謹慎にも彼女のそんな様子を可愛いと思ってしまう。
「私にもよく分からないの。生まれた時からこの翼だったから」
他の姉妹とは全く違う私の翼。
それはなぜかと母様に訊いたこともあったが、個人差の一言で片づけられた気がする。
私自身も大して気にしてないので、そういうものかと納得してそれきりだ。
正直、翼としての役目を果たしてくれるなら形状なんて些細なことだし。
だから形についてはどうでもいいのだが、他の姉妹のものと違って手入れが面倒なのが玉に傷だったりする。それでも一つ上の姉から口うるさく言われたので、手入れはちゃんとやっているが。
「生まれた時から、か…。あんたも苦労してるわね」
そう言ったルカの声は少し同情的だった。
今までで最も感情がこもっている声に、私は思わず彼女の方を見た。
「それはどういう―」
言いかけた言葉はあることに気づいて中断される。
整備された道と並行して森があるのだが、その森の中にまとまっている複数の魔力が感じられる。恐らくはハーピー達だ。
だが、私が気づいたのは彼女達についてではない。
その彼女達に向かっている一つの気配。それは、人にしてはあまりにも強い気配。
間違いなく勇者だろう。
なにか特別な力でも使っているのか、それとも単なる勘なのか、広い森を真っ直ぐにハーピー達のもとへと向かっている。
まだ辿り着いてはいないが、このまま迷わずに進めるのならそれも時間の問題だろう。
だが間に合ってよかった。
「話の途中でどうしたのよ?」
「勇者を見つけたわ」
「見つけたの?」
「ええ、こっちよ」
勇者が進む方向へと先回りし、森の中へと着地する。
「ちょっと、誰もいないじゃない」
辺りに誰もいないからか、ルカは胡散臭そうな目で私を見た。
「大丈夫、すぐ来るわ」
そう言った直後、一人の男が姿を現した。
銀色に鈍く光る鎧を身につけ、威風堂々とした佇まい。
見事と言ってあげたいくらいに勇者だった。
「ほらね」
私が笑いかけると、ルカは瞬時に目を逸らす。
「そうね、じゃ、さっさと済ませて。戦闘不能にしてくれればいいから」
まるで虫でも追い払うかのように手を振る。
そんな態度に苦笑しながら、私は勇者へと向き直った。
「サキュバス、か?」
少し意外そうな顔をする勇者。
その言葉は目の前に現れたのがハーピーではなかったことか、それとも私の姿のことか、どちらだろう?
ひょっとしたら両方かもしれない。
まあ、どうでもいいことだが。
「こんにちは、勇者さん」
私が軽く微笑みかけると、勇者は無言で剣を構えた。
「あら、話すらしてもらえないの?悲しいわ」
「お前ら魔物と話すことなどない」
ぶっきらぼうに言い放つと冷たい視線を向けてきた。
私が微笑めば大概の人は魅了できるものだが、目の前の勇者にそんな様子は微塵もない。
情報通り、加護で魅了は効かないらしい。
ルカに視線をやると、小さく頷いた。
確認した、という意味だろう。
加護が本物だとわかったので、本来の目的に移ろう。
私は虚空から愛用の剣を取り出す。
「口を聞いてもらえないのなら、私が一方的に話すわ。あなたをこの先へは行かせない。ここで帰ってもらうわ」
「帰ってもらう、か。出来るものならやってみろ」
その言葉にニコリと笑みを返すと、転移魔法で勇者の側面に回り込む。
「くっ!!」
いきなりの転移に遅れを取った勇者は、剣を水平に払う。
風を切る音と共に振られる剣。
私はそれを左手で受け止める。
「馬鹿な!?」
まさか手で受け止められるとは思っていなかったのだろう。勇者の体が硬直した。
「隙だらけね」
勇者の剣を掴んだまま、彼の胴体目がけて剣を一閃させる。
殺す気はないのでもちろんみね打ちだ。
私の放った一撃が脇腹に直撃し、鎧にヒビが入る。
「ぐっ!!」
呻き声を漏らしながら、勇者はその場に力なく崩れ落ちた。
「はい、終わり」
「貴様、一体なにをした!?」
「そう怖い顔をしないで?ちょっと神経に衝撃を与えて麻痺させただけだから」
ちなみにこの技を教えてくれたのは、魔王軍で数少ない将軍の地位に就いているデュラハンだ。そして私の剣の師匠。
「ルカ、これでいいかしら?」
「まさか瞬殺するとは思わなかったわ…」
どこか呆れるような顔のルカに、私は苦笑を返した。
「苦戦した方がよかったかしら?」
ルカは返事代わりに肩をすくめると、懐から空の注射器を取り出して勇者の首に突き刺す。
「くっ、何をするつもりだ?」
勇者が問いかけるも、ルカは当然のように無視して注射器が満タンになるまで血を抜き取る。
「はい、これで終わり。じゃあ、行きましょ」
「そうね。でも、その前に」
勇者へと視線を移すと、目が合った。
まるで親の敵のように睨みつけてくる勇者に、軽く微笑んでおく。
「またの遭遇を期待しているわ。その時はもっと強くなっていてね」
軽く勇者に手を振ると、ルカと共に飛び立った。
そのままハーピー達の巣に赴き、事情を説明してこの地を去るように伝えると彼女達はあっさり了承してくれた。
「さて、これで大丈夫そうね」
「そうね、じゃ、さっさと戻りましょ。さっそくこの血を調べてみたいし」
どうやらルカの頭は既に研究のことでいっぱいらしい。
「その前に食事しない?」
「食事か。まあ、それくらいならいいわよ」
意外なことに誘いを受けてくれた。
「じゃあ、行きましょ。今度は私が転移魔法を使うから。なるべく男が多い場所の方がいいわよね?」
ルカの好みが分からない以上、人が多い場所の方がいいだろう。人が多いということは、それだけ様々な男がいるわけだし。
ところが私がそう言うなり、ルカは急に慌て出した。
「ちょ、ちょっと!男が多い場所ってどういうことよ!?食事に行くんじゃないの!?」
「そうだけど?あなたも魔力を使ったでしょ?精をもらって回復した方がいいと思うんだけど」
だから食事に行こうと言ったのだが、なにかおかしかっただろうか?
「冗談じゃないわ!精なんて絶っ対にいらないから!そういう食事なら、あんた一人で行きなさいよ!」
なぜか急に怒り出したルカはそっぽを向いてしまう。
「いらないって、あなたサキュバスでしょ?」
「だからなによ。言っとくけど、アタシは男なんて大嫌いだから」
私は耳を疑った。
腹立たしげに言うルカはおよそ嘘を言っているようには見えない。
サキュバスなのに、男が嫌い。
そんなことがあるのだろうか?
性欲が低いと自覚している私でさえ、男を嫌いだとは思っていない。
それなのにルカは大嫌いと言い切った。
ただ、このことについても何か理由があるはずだし、尋ねたところで答えてはくれないだろう。
訊いてみたいという欲求を抑えながら、私はルカに微笑んだ。
「じゃあ、食事はいいわ。帰りましょう」
「ふん。最初からそうすればいいのよ」
どこか勝ち誇ったような顔のルカに苦笑を返しながら、私達は転移魔法でルカの家へと戻った。
「さて、無事に血が手に入ったことだし、一応お疲れ様と言っておくわ。で、報酬は決まってる?」
ルカに言われて思い出した。
そもそも報酬目当てで来たわけではないので、すっかり忘れていた。
「ごめんなさい。すっかり忘れてたわ」
途端に露骨なため息をつくルカ。
忘れてたのは申し訳ないと思うが、この態度は少し傷つく。
「あんた一体なにを目的に来たのよ…。じゃあそうね、あんた、もう結婚してるの?」
「結婚してたら、こうして求人の募集になんか来ないわ」
結婚してたら多分、旦那様といちゃいちゃしているはずだ。
それは想像でしかないが。
「ふーん、まだなんだ。じゃあ、これでいい?」
ルカは棚に置かれていた試験管を取ると、差し出してきた。
試験管には青い液体が入っているが、今の質問とこの液体の関係が分からない。
「…これはなにかしら?」
いかにも怪しい液体は研究者らしい報酬だと思えなくもないが、これの使い道が分からない。
「簡単に言えば変身薬ね。これにあんたの血を混ぜて男に飲ませると、そいつはあんたの理想の男に姿を変えるわ。永遠にね。性格は変わらないのが難点だけど、容姿は悪くても性格はいい男ならいくらでもいるでしょ?」
なんだかすごい事をさらっと言う。
要するに、この薬は男の容姿を自分好みに変えられる薬というわけか。
「これ、あなたが作ったの?」
「当然でしょ」
ほとんど確認のような問いだったが、改めてルカのすごさを思い知らされた気がする。
確かにこの薬は私のような独身の魔物にはうってつけの報酬だろう。
だが、これは邪道。
それが、この薬に対する私の感想だ。
こんな方法で理想の男が手に入っても、私は納得できない気がするのだ。
「これはいらないわ。もっと欲しいものが思いついたから」
「けっこう貴重なものだけど、いいの?これ以上に欲しいものって何よ?」
試験管を押し返されたルカは困惑した表情を浮かべる。
そんなルカに、私は微笑んだ。
「私はあなたが欲しい」
「へ?」
私の言葉にルカは一瞬ポカンとするが、やがて言葉の意味を理解したらしくその白い頬が赤く染まっていく。
「な、な、なにバカなこと言ってんのよ!?アタシは女よ女!!メス!!同性!!」
顔を真っ赤にしてルカはそう訴える。
もちろん言われなくたってそんなことは分かっている。
さっきの言葉はちょっと誤解されそうな言い方だったが、嘘は言ってない。
「見れば分かるわ。だからあなたが欲しいの。友達として」
私がこんなにも興味を持ったのはルカが初めてだ。
だから、ルカのことをもっと知りたい。
ルカと仲良くなりたい。
それが私の望む報酬だ。
「ちょ、と、友達って……」
相変わらず顔を赤くしたまま、ルカは顔を背けてしまう。
どうやら、真正面からの好意に弱いらしい。
こんな様子は見かけ通りの少女そのもので、とても可愛い。
それを近くで見せつけられ、私はつい微笑んでしまう。
「私と友達になってほしい。それが私の望む報酬。ダメかしら?」
「……あんた、名前は?」
いきなりの質問はわけが分からなかった。
え、名前?
しかし不思議に思ったのは一瞬のことで、すぐに出会った時のことを思い出す。
あの時は会話の流れでそのまま仕事の話になってしまい、名乗るのを忘れていた。
我ながら間抜けね…。
内心苦笑しながら、自分の名を告げる。
「ごめんなさい、まだ名乗っていなかったわね。私はミリア」
「ミリアね。じゃあ、アタシは忙しいから、とりあえず帰って」
ルカは私の体を方向転換させると、扉の方へと押していく。
「私はまだ報酬を貰っていないのだけど」
家の外へと出された私が振り向くと、顔を赤くしたルカと目が合った。
「アタシは忙しいの!だから…その、と、友達なら邪魔しないでよ!!」
最後の方は顔を逸らしてしまうルカだったが、その言葉は私を喜ばせるのに充分だった。
報酬はきちんとくれるみたいだ。
あまり素直ではないようだが、そんな彼女が可愛らしく、つい笑ってしまう。
「な、なに笑ってんのよ…」
照れているのがありありと分かるルカに、私は手を差し出す。
「これからよろしくね、ルカ」
ルカは腕組みをして顔をあらぬ方向へと向けていたが、それでも目は私の顔と差し出された手を交互にちらちらと見ていた。
しばらくは微動だにしなかったルカだが、やがて観念したように手を握ってくれた。
「…これでいいでしょ!ほら、今日はもう帰って!」
確かにもう帰ったほうがいいかもしれない。
耳まで真っ赤になっているルカを見て私はそう思った。
「そうね、今日はもう帰るわ。じゃあ、またね、ルカ」
そう、また今度。
だから今日は早く帰ろう。そして、また今度遊びに来るのだ。
新しい友達が出来たことに笑みを浮かべながら、私は家へと帰る。
あのろくでもない巻物と違って、新聞は私に新しい出会いをもたらしてくれた。
それも普通に暮らしていたら、絶対に知り合うことはなかったであろう人物を。
「求人広告もたまにはいいものね」
家に帰った私はテーブルの上にあった巻物をゴミ箱に投げ捨てると、新聞を丁寧に折り畳んだのだった。
11/10/24 16:42更新 / エンプティ
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