連載小説
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(127)リビングドール
 私はお人形。今、旦那様の仕事場にいるの。
 旦那様のお仕事は、お人形の服を作ったり、修理したりすること。
 今日もお客様から預かったお人形の服を作ってるの。
「……」
 旦那様は仕事中、なにもしゃべらない。静かに手を動かして、服を縫い上げていくの。
 今はレースをたっぷり使ったスカートをふんわりと仕上げているところ。旦那様によれば、レースのバランスを間違えると、スカートが変に傾いちゃうから、気が抜けないんだって。
 でも仕事中の旦那様は、どんなときだって気を抜かない。だから私も、じっと旦那様を見ているの。


 最後の一針を通し、糸を丸く留めて切る。これでスカートは完成だ。
「ふぅ…」
 私は丸めていた背中を伸ばしながら、深く息を吐いた。手元に集中するため前かがみになっていたおかげで、背骨と筋肉がミシミシと音を立てた。肺が圧迫されて浅くなっていた呼吸が、自然といつものものに戻っていく。
「よっと…」
 私は微かによろめきながら椅子を立ち、軽く手足を揺らした。四肢に熱が通う感触が生じ、血の巡りが悪くなっていたことを自覚する。
 仕事の時はいつもこうだ。人形や衣装の補修のため、呼吸を殺し、手足の震えを押さえ込み、一針一筆を丁寧に重ねていく。時が経つのも忘れて手を動かすうち、私の体は徐々に冷たく、動かなくなっていくのだ。
「やっぱり、お前たちに近づいているのかな?」
 私は一通り体を動かすと、仕事場の棚を見回しながら呟いた。棚の中には仕事道具の筆や針などが半分、もう半分には客から預かった人形たちが納められていた。
 顔にひびの入ったもの、毛の抜けたもの、衣装が破れたもの、四肢が外れたもの、服を着ていないもの、塗料を乾かしているもの、客の引き取りを待つものなど様々だ。皆が皆、色とりどりの目で私を見ていた。
「…人形、か…」
 私は、ふと仕事に没頭するあまり、そのまま心臓まで止まってしまう瞬間を思い浮かべた。人形の相手をするうち、全身が冷たくなり、動きを失い、ついには人形になってしまった人形修理職人など、三文小説もいいところだ。
 そもそも、心臓まで止めたところで、私がなれるのは死体だ。人形などではない。
「さーて、と…」
 私は机の上のスカートをとると、棚に並ぶ人形の一体に近づいた。そして下半身むき出しの彼女に、スカートを履かせてやる。ふわりと仕上がったスカートは、彼女の腰回りをきれいに隠し、裾から赤い靴をちょこんと覗かせていた。経年劣化によってこの人形の衣装全てがぼろぼろになっていたが、どうにかこうして新しい装いを与えることができた。私には心なしか、人形が喜んでいるようにも見えた。
「さーて、次は…」
 私は仕事の期日を脳裏で思い返しながら、次は何をしようか棚を見回した。そして棚と仕事部屋の戸口の間ほどで、ふと私の目が止まった。
 そこにあったのは、一体の人形だ。破損個所はなく、顔も手足もきれいなものだ。誰から預かっているわけでもない、私自身の所有物だからだ。ただ、この人形は服を着ていなかった。人形修理職人、いや、針と糸を使う仕事を志した時に、いずれ自力で服を作ってやろうという決意のために手に入れたものだ。だが、人形修理の仕事に追われる私に、そんな余裕はなかった。
 今でこそそれなりに仕事が早くこなせるようになったとは思うが、それでもこの人形の衣装に手を着けられずにいた。
「悪いな…」
 冬の寒い日も、夏の暑い日も、仕事場の片隅で裸身をさらし続ける彼女に一言謝る。そして、自身の罪悪感から目を背けるように、私は預かった人形の一体を手に取った。


 私はお人形。今、旦那様を見守っているの。
 旦那様はスカートを作った後、私に一言謝ってから、次の人形の修理をしているの。
 なんで旦那様は謝るのかしら?
 私が裸だから?
 私はお人形。人間とは違って、寒さなんて感じないの。
 旦那様が私を手に入れてくれたときから、私はずっと旦那様を見ていたの。
 旦那様が忙しくて、私の服を作る時間がないことぐらい知ってるの。
 だから旦那様、謝らないで。


 作業机に、ぎりぎりまで顔を近づけていることにふと気が付いた。あたりが暗くて、手元がよく見えなかったのだ。
「もうこんな時間か」
 背筋を伸ばしながら窓の外をうかがうと、すでに日の光は西の空をわずかに照らすばかりだった。
「今日はここまでだな」
 私は髪の毛の植え付けをしていた人形をそっと机に寝かせると、椅子を立った。脚を組み替えることもなくじっと作業をしていたためか、膝がミシミシと音を立てそうなほど凝り固まっていた。
「うーん…」
 伸びをし、手足を揺らし、血の巡りを取り戻す。そして、少しばかり薄暗くなった仕事場を、私は戸口に向けて進み始めた。
 僅かばかりとはいえ、光の射し込む窓を背にして、戸口のあたりにうずくまる闇に向けて進む。床の上にはいくつか影が転がっているが、それが糸や布地といった消耗品の箱や包みであることを知っていた。目をつぶっていてもどこに何があるかわかる。だが、いくら頭でわかっていても、暗闇の中ではろくに進めない。
 私は不意に、つま先が何かに引っかかるのを感じた。そしてバランスを崩し、前のめりに倒れそうになる。
「うぉ!?」
 私は何もないはずの場所で何かにつまづいたことへの驚きと、全身を襲う転倒の浮遊感に声を上げていた。闇が回転し、床が立ち上がってく。
 しかし、床板が私の鼻を叩くよりも早く、私は一歩踏み出してとどまることができた。
「はぁ…びっくりした…」
 一走りしてきたときのように、心臓がドキドキと高鳴るのを感じながら、私はそう漏らした。
 落ち着いて転倒の原因を考えてみると、一歩踏み出した際につま先が思ったよりもあがっておらず、床にひっかけてしまったのが原因のようだ。
 次からは、足首もよく回さないと。
「さーて、飯にしようか…」
 私は照れくささをごまかすように声に出しながら、仕事場の戸口開き、出ていった。


 私はお人形。今、旦那様の仕事場を留守番しているの。
 今日も一日、真っ暗になるまで旦那様は仕事をがんばったわ。
 いつもなら真っ暗な仕事場をすたすた歩いて外に出ていくのに、旦那様は今日は躓いたの。何もない場所で転びそうになったの。
 でも、旦那様は踏みとどまってけがをしなかったわ。
 旦那様が無事でよかった、って喜ぶべきところだけど、喜べなかったの。
 だって、旦那様が転びそうになったとき、私は迷ってしまったの。
 旦那様を助けるか、助けないか。
 私はお人形。旦那様のお人形。お人形は動かないから、旦那様を助けたりしないの。
 でも旦那様は私の大切な旦那様。私が動けることを知られてもいいから、支えたかったの。
 私の中で二つがぶつかり合って、私はどちらも選べなかったの。
 旦那様を助けるには勇気が足りなくて、足を踏み出せなかったの。
 旦那様を見捨てるには覚悟が足りなくて、思わず腕が動いたの。
 仕事場は真っ暗で、旦那様は私の腕には気がつかなかったわ。
 ごめんなさい旦那様。
 私のすてきな旦那様。
 私は、私はまだどちらも選べないの。
 今は。


 一通り家事を片づけてから、私は寝室に入った。
 夫婦が使うことを想定した作りなのか、広々としていた。おかげで私のベッドをおいてもまだ場所があるため、あれこれと荷物を持ち込んでしまっている。
「さーてと」
 私は壁際の一角に向かうと、丸椅子に腰を下ろした。そこにあるのは、小さな作業台や棚、そして衣装台だ。
 三本の足の上に棒が立ち、その上に女性の胴を模したものが乗っている。腕も足も頭もなく、木材と針金と布を使った、人の形にはほど遠い人形もどきだ。
 これは本来、作りかけのドレスを着せて、最終的な形を整えるための道具だ。知り合いの服屋から不要になったものを二束三文で譲ってもらったが、なかなか便利だ。こうして作りかけのドレスを着せることで、立体的な形状を確認しながら作業を進めることができるからだ。
「うーむ…ショルダーパフは、もう少し小さい方がいいか…?」
 昨日の作業途中のままのドレスを見ながら、私は呟いた。小さな人形向けのドレスならば、デザイン画を重ねることで全体のバランスを確かめることができる。しかし、人間用のように巨大な、それも毎日少しずつ時間を見つけながらという作業方法の場合、後からバランスの狂いに気がつくこともあるのだ。
 今日は肩を飾る布の膨らみ、ショルダーパフのサイズを調整するぐらいにしておこう。
「さーて、と」
 私は寝室の作業椅子に腰を下ろすと、針と糸、そして柔らかな布を手に取った。


 私はお人形。旦那様のお人形。
 真っ暗な仕事部屋には、窓から差し込む月の光以外なにもない。
 日が沈み、真夜中を迎え、朝までもういくらもないというこの時間、私は動くの。
「……」
 力を込めると、腕と肘と肩と腰と膝と足首の間接が、軽く擦れながら動いたわ。そしてしばらく体を揺らしていくと、じっとしている間に固まっていた間接がなめらかに動くようになるの。
 仕事終わりの旦那様みたい。
 私は足を踏み出すと、窓から差し込む月の光の中に立ったわ。
 青白い光が私の真っ白な肌の上で踊って、きらきらと私を輝かせるの。
「う、ふ、ふ、ふ」
 窓を通った四角い光の中でくるりと回って、私は途切れ途切れに笑ったわ。まだ、声を出すのは下手だから仕方ないの。
 これで準備運動はおしまい。私は窓に背中を向けると、仕事場の扉に向かって、取っ手をつかむの。
 旦那様が預かってきた『お客様』はとても小さいから、扉を開けることなんてできないけど、私は大きいから一人で扉を開けられるの。
 扉を開けたら、廊下を進む。ゆっくりゆっくり、かちかちの足の裏と、木の板がぶつかる音もしないように、ゆっくりゆっくり。
 そして旦那様の寝室の扉を、仕事場のときよりも静かに開けるの。
 中から響いてくるのは旦那様の寝息。今夜もぐっすり眠ってる。
 お仕事で疲れきっているから、旦那様は毎晩ぐっすり。だから私が寝室に入っても、絶対気が吐かないの。
 ゆっくりゆっくり。
 静かに静かに。
 寝室の床の上を進んで、ベッドの上の旦那様に近づいていく。できるだけ旦那様を見て、ほかには何もみないようにしながら。
 特に、部屋の片隅のお化け人形はみないの。
 細長い一本足だけの、手も頭もないお化け人形。お化けのくせに、作りかけのドレスを着せてもらってるの。レースと飾りがたくさんついた、ふわふわの立派なドレス。毎日毎日、少しずつドレスはできあがってるの。
 私の服もまだなのに、お化け人形のドレスを作ってる。少しだけ悔しいけど、見なければ何ともないの。それに、お化け人形じゃなくて、別の人の為のドレスを作ってるんじゃないかって、考えずにすむの。
 ゆっくりゆっくり。
 静かに静かに。
 いつの間にか私は旦那様のそばに立っていたの。
 旦那様のベッドに側にかがみ込んで、真っ暗闇の中で旦那様の寝顔を見る。仕事場で見ているのはほとんど後ろ姿で、何かをとるときぐらいにしか見えない旦那様の顔。それが、すぐ側にある。
「……」
 すぅすぅ、と静かに寝息をたてる旦那様に、私はそっと触れようとした。でもだめ。旦那様が起きちゃう。
 私は旦那様に触る直前で指を止めて、旦那様の髪の毛にちょこんと指先を当てたの。ふわふわした髪の毛がくすぐったい。
「……」
 わたしはしばらく旦那様を見守ってから、ベッドのそばを離れた。
 もうすぐ朝がくる。旦那様が目を覚ます前に、仕事場に戻らないと。
 ゆっくりゆっくり。
 静かに静かに。
 寝室の床の上を進んでいって、私は廊下に出る。そして、扉を閉める直前に、旦那様にいうの。
「お、や、す、み、な、さ、い」
 旦那様には聞こえないけど。


 何もかも順調だった。仕事も、家事も、夜のドレス制作もだ。
 私は久々の休日に家を出ると、日用品の買い物を済ませ、その足で町の手芸店に向かった。
 糸や綿は直接業者から買い付けているが、ちょっとした小物や、ボタン一つ飾り糸一束ぐらいの買い物はここでするのだ。
「いらっしゃーい」
 店の奥から店主の声が響いた。姿を現したのは、私と同じぐらいの年の頃の女だった。
「あら、今日は何?」
「レース地を探しているんだ。なるべくシンプルなものがいい」
「レースね、えーと」
 店主にそう伝えると、彼女は店内の一角に向けて歩いていく。そして壁の棚から、何枚か白いレースを取り出した。
「とりあえず、うちにあるのはこのぐらいね」
「うーん…ああ、これがいい」
 私は彼女の出してくれた見本を見比べ、そのうちの一つを指した。
「これね?どのぐらい?」
「とりあえず一巻」
「わかったわ」
 店主は店員に、私の指定したレースを包むよう命じた。
「それで、今度はどんな仕事?」
「ドレスだよ」
 レースを用意してもらいながら、私はとの雑談に応じた。
「レースをたっぷり使った、ふんわりとしたドレスを作ってるんだ」
「へえ。でも、人形用のドレスにしては、ちょっとレースが多いんじゃない?」
「まあ、相手は特別だからね」
「へー、珍しい」
 店主は目に好奇の色を浮かべた。
「てっきりあなた、人形一筋だと思ってたわ」
「まあ、今は人形一筋だけど、昔は服飾全般を目指していたからな。多少難儀はするが、人用のドレスだって作れるさ」
 他愛のない会話を重ねていると、店員がレースの包みを手に奥から出てきた。
「お待たせしました」
「ありがとう」
 支払いを済ませ、包みを受け取る。
「じゃあ、今日はこのぐらいで」
「あら、もう少しゆっくりしていったらいいのに。お茶ぐらいなら用意させるわよ?」
「悪いね。ドレスの完成を待ち望んでいる子がいるからな」
 店主の誘いに、私は肩をすくめて辞退した。
「じゃあ、また今度」
「ああ、またな」
 そう言葉を交わし、私は店を後にした。通りを進み、自宅を目指す。まだ昼にもなっていなかったが、今日の用事はこれでおしまいだ。
 あとは寝室に戻り、ドレスを進めるばかりだ。
「…ふぅ…」
 なかなかよいレースを手に入れたという高揚感のためか、私は胸郭の内側で心臓が強く脈打つのを感じていた。加えて妙な胸の苦しさが私を襲う。まるで、十代の頃の恋のときめきのようだ。
 いや、実際に私は恋をしていた。あのドレスに。
「ふふ…」
 ドレスが完成し、彼女がそれを着る様子が脳裏に浮かび、私は笑みをこぼしていた。胸は苦しいというのに、こんなに楽しい。
 やがて私は自宅の玄関をくぐり、まっすぐに仕事場に向かった。扉を開き、作業台でレースの包みを開くと、私は純白の生地を広げた。
「うん、よしよし」
 日の光を透かして模様を描きあげるレースを検分し、私は頷いた。これなら、思い通りの飾りができそうだ。
「喜んで…くれるはずだ、うん」
 彼女がドレスをまとった様子を思い描くと、私はそう断言した。作っている私が不安では、よいドレスは仕上がらない。
「さーて、今日は進めるぞ」
 私はそう声に出していうと、レースを手に仕事場の戸口に向かった。そして、廊下にでる直前、私は扉脇の人形を見た。一糸纏わぬ姿の、私が最初に買った人形をだ。
「……ごめんな」
 いつまでも服を作ってやれなくてすまなかった。そういう意味を込めて、私は一言彼女に話しかけた。


 私はお人形。旦那様のお人形。
 旦那様はお休みの日もお人形のことばかり。
 預かっている人形の様子を見たり、材料を注文したり、買い物に出たり。
 留守の間、家にいるのは私だけ。でも、私はじっと旦那様を待っているの。だって、いつ帰ってくるかわからないもの。
 そして今日も、旦那様は買い物から帰ってくると、まっすぐ仕事場に入った。
 今日買ってきたのは、真っ白なレース。包みから出して、広げて見せてくれたの。
 窓から射し込む光を浴びて、レースはきらきらと輝いて見えた。とってもきれい。あんなレースで、袖口を飾ったら、どんなきれいなドレスができるんだろう。
「うん、よしよし」
 私がそんなことを考えていると、旦那様は嬉しそうな顔で頷きながら言った。
「喜んで…くれるはずだ」
 その一言で、私は旦那様が何のためにレースを買ってきたかわかったの。寝室においてある、あの人形もどき。人形もどきが着ているドレスのために買ってきたの。
 私の頭の中に、あのレースをあちこちにあしらったドレスが浮かぶ。でも、両袖はだらーんとぶら下がって、袖口の飾りは全く見えないの。
 知っている。本当は知っている。あの人形もどきは、ドレスを作るための台でしかない。あのドレスを着る誰かが、別にいることを、私は知っている。
 旦那様の知り合いの、私の知らない誰かのためのドレス。
「さーて、今日は進めるぞ」
 旦那様はやる気のこもった声でそういうと、くるりと戸口に向かって歩きだしたの。でも、扉の前で足を止めて、私の方を見たの。
「……ごめんな」
 私に向かってそう謝ってから、旦那様は部屋を出ていった。
 扉が閉まって、旦那様の足音が廊下を進んでいく。
 そしてまた一人になったところで、私はやっと認めたの。あのドレスはやっぱり、私のものじゃないんだって。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 私が心の中でこんなに呼んでも、旦那様は私がそう呼んでることを知らないの。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様が私を見ても、私のことは見ていないの。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 なぜなら私はお人形。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様のお人形。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 私をただの人形としてしか見ていない、旦那様のお人形。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様がほしい。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様に私を見てほしい。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様に私のことを考えてほしい。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 旦那様、旦那様、旦那様旦那様旦那様、旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様。
 旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様
 私は決めたの。
 私は、旦那様を手に入れるの。
 だって私はお人形。旦那様のお人形。


 太陽が傾いて、あたりが真っ暗になった頃、家の中に小さな音が響いた。
 扉がゆっくりと開く音だ。
 窓から差し込む月の光が、一度床に照り返されて作り出す僅かな陰影の中、人影が一つ廊下に歩みだした。
 廊下の床板を踏む、少しだけ固い音と、床板の擦れ合う音がする。
 みしり、みしり、
 音の主は薄闇の中を進んでいた。闇の中に浮かぶ白い影は、曖昧ながらも人の形を描き出していた。
 ネグリジェやローブといった衣類による輪郭の乱れはほとんど見られない。まるで、何も着ていないかのようだ。
 人影が廊下に面した窓の側を通った瞬間、それが事実であることが明らかになる。月の明かりに照らし出されたのは、滑らかな曲線を惜しげもなくさらす女の姿だったからだ。
 青白い光を浴びる白い肌は、その整った顔立ちと相まって、見るものの背筋を凍らせるほどの美貌を織りなしていた。まるで、人形のようだ。
 事実、彼女は人形であった。膝、足の付け根、腰、肩、肘に球体を埋め込まれた人形だ。一歩一歩、ややぎこちなく足を進めながら、彼女は主の寝室を目指していた。
 やがて廊下を渡り、扉の前に達すると、彼女は取っ手に手をかけた。力を込めると、扉は蝶番を鳴らしながら、ゆっくりと開いた。
 人形を迎えたのは、廊下よりも暗い闇だった。カーテンが閉まっているからだ。カーテンの隙間から差し込むか細い光が、床の上に線を描くほか、何も見えない。だが、闇の中でも彼女には主の居場所が分かった。
 彼女は部屋のとある一角に目を向けぬよう気をつけながら、主の寝台を目指した。固いマットレスに尻を降ろし、シーツの上に指を滑らせる。しかし、彼女が触れるはずだった柔らかな盛り上がりは、そこにはなかった。
「…?」
 何かがおかしい。
 主を自身のものにすることのほか、何も考えていなかった彼女の意識に、疑念が芽生える。普段の夜とは何かが違う。
 彼女は寝台から腰を上げると窓に向かい、垂れ下がる布を左右に開いた。そして、月の光が照らし出した室内の様子に、人形の目が見開く。
 寝室の一角、ほぼ完成しているようにも見えるドレスの前に、男が一人崩れ落ちていたのだ。傍らのランプは煤で真っ黒になっており、油が尽きてしまったことを示していた。
「旦那様…!」
 人形の唇から言葉が紡がれ、主の元に駆け寄る。しかし、彼女の固い指先に触れたのは、いくらか冷たい主の肉体だった。
 人形の自分よりかは柔らかく、温かい。だが、固い床の上に倒れ込んでいたせいか、かなり冷えていた。
「だ、旦那様…」
 自身と主の関係も忘れて、彼女が揺すって声をかけるが、男は身じろぎ一つしなかった。
「ひ、人を呼ばないと…!」
 人形の脳裏に、主を訪ねてきた訪問客の顔と名前が浮かぶ。しかし、どうやって呼べばいい?人形が夜の町を歩き回って、誰が素直について来る?腹や手足の関節を隠せば、多少はごまかせるかもしれない。だが、服はどこにある?
 人形は迷った。主の服を借りようにも、彼女とは体格がかなり違う。
 しかしこうして手をこまねいている間にも、徐々に男は冷たくなっていく。
「…そうだ…」
 人形の目に、寝室で作られ続けていた、誰かのためのドレスが映った。


「う…ん…」
 うめき声を漏らしてから、私は自分が眠っていたことに気が付いた。暖かなベッドの中で軽く動くと、関節がみしりと音を立てるように痛んだ。
「うぅ…」
 風邪でも引いたか?思い出してみれば、昨晩はベッドには言った記憶がない。ドレスの完成が近くて針仕事に熱中しすぎたのかもしれない。
「あ、気が付いた?」
 不意に、聞きなれた声が男の耳に届いた。
「う…え…?」
 目を開くと、ぼやけた視界に見慣れた天井が映り、遅れて私の顔をのぞき込む顔が見えた。手芸店の女主人だ。
「ど、どうしてここに…」
「あんた、昨日のこと覚えてないの?」
 彼女の一言に、私の心臓は口から飛び出さんばかりに打った。もしかして覚えてないだけで、何かあったのだろうか?
「もう、びっくりしたわよ。呼ばれてあんたの家に着てみたら、床に倒れてるんだもん」
「倒れて…?」
「そう、ちょうどそこのあたりに倒れ込んでて、かなり冷たくなってたわよ」
 おぼろげながら、私は思いだしていた。ドレスがほぼ完成に近づき、キリのよいところで寝ることにしたのだ。だが、熱中しすぎていたのと、疲れがたまっていたのと出、いつもの立ちくらみを起こして倒れたのだ。
「二人がかりでベッドに寝かせた後、医者をたたき起こして呼んできて…大変だったわよ」
「そうか…助かった…」
 彼女の献身に、私は頭の下がる思いだった。だが、続く彼女の言葉は、私の感謝の念を脳裏の片隅に追いやった。
「お礼ならあの娘にも言いなさいよ」
「あの娘?」
 誰かほかにいるのだろうか?思い返してみれば、二人がかりでベッドに寝かせたとか言っていた。
「あの娘って、店員か誰か…?」
「もー、とぼけちゃって」
 彼女はにやにやと笑みを浮かべながら、手をひらひらと振って見せた。
「あんなカワイコちゃんがいるんなら、こないだの誘いもそう言って断ってくれればよかったのにー」
「いや、だから何を…」
「ああ、そうそう。私ってばもうおじゃま虫みたいだから、この辺で退散するわね」
 彼女はベッドの脇の椅子から立ち上がった。
「いや、待ってくれ」
「ほら、無理しないで看病されてなさい。もうすぐご飯ができるとかなんとか言ってたから」
 私がベッドに身を起こす間に、彼女はすたすたと寝室の戸口をくぐった。
「あ、あと医者からの伝言。目が覚めたら起きても大丈夫だけど、これからの仕事は根を詰めすぎないように、だって」
「そ、そうか…」
「じゃーねー」
 風邪の時のようにだるい体を動かすが、とうとう彼女には追いつけなかった。
 ベッド脇に置いてあった上着を寝間着の上から羽織る間に、玄関が開け閉めされる音が響く。
 そして、男は一人になった。いや、彼女の言葉によるならば、二人だ。あの女店主を呼んでくれた誰か。その誰かに、私は心当たりがないわけではなかった。
 私は寝室を出ると、ゆっくりと廊下を進み、仕事場に向かった。
 そして扉を押し開き、入り口傍らを見た。
 そこにはいつものように、人形が立っていた。
 ただ、私の作ったドレスを纏っていた。
「そうか…順番が逆になったけど、よく似合ってるね…」
 私はそう言ってから、彼女の頬に手を伸ばした。固い表面に指が触れる。
「ありがとう」
 そう言うと、私には彼女が心なしか、少しだけほほえんでるように見えた。私より背の高い人形は、確かにほほえんでいた。
14/04/06 18:44更新 / 十二屋月蝕
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■作者メッセージ
 リビングドール、すなわち人形というと小さくてかわいい、せいぜい大きくても身長1メートル未満のものが想像されがちな気がするのは私だけでしょうか。もう少しマネキンみたいに大きなお人形がいてもよいのではないのでしょうか。そう思って今回の作品を書き上げました。
 まあもう少し、人形を活動的に動かして、上背を利用した力付くでの性的行為もあってもよかったかなーと思ってます。身長180オーバー系女子にねじ伏せられる身長160系男子とか最高だと思う。

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