魔物のための秘密の経典
晴れ渡る青空の下、街があった。定期的に市場が開かれる大通りと、住宅の連なる路地から成る街だった。
昼日中ということもあってか、街の大通りを多くの人影が行き交っていた。老若男女、街の住民やよそから来た旅行者や商人など、様々だ。そして、人々の中に紛れるように、異様な風体をした影があった。それは、身体を厚手の布で覆い隠していた。羽織ったケープの前を合わせ、フードを深々と被っている。
身の丈と布越しの肩幅からすると女だろうか。しかし裾が地面につきそうなほど長いケープとフードにより、それ以上の事は推測しようもなかった。
身体を覆い隠すようなその姿に対し、向けられる視線は二種類あった。一つは驚きと困惑の混ざり合った奇異の視線で、もう一つは特に何の感情もない風景の一部に対するものだった。前者の視線を向けるのは旅行者によるもので、後者はこの街の住人の物だ。
そう。布を被ったその姿は、街の住民にとって慣れ親しんだ物だったのだ。
ケープ姿の人物は、大通り沿いに開かれている市場を進み、軒を連ねる露店の一つに近づいて行った。
「おう、いらっしゃい！」
接近するケープとフードの姿に、露店の店主が積み上げられた野菜越しに声を上げた。
「…こんにちは…」
フードの下、かろうじて見える整った口元が小さく動き、低い声音で挨拶を返す。
「今日はなんにする？一応こいつと、これが安いよ！」
店主は根菜と野菜をいくつか手で示しながら、笑顔を彼女に向けた。
「じゃあ、それとこれと…あとこれも下さい…」
「はいよ！」
店主はケープの下から出てきた袋に、彼女の求めた品物を入れてやると、代金を受け取った。
「毎度アリ！ところで、今日はいつもより多いね？」
「ええ…夫が帰ってくるので…」
「へえ！出稼ぎかい？」
「…まあ…」
フードから覗く形の良い唇が、どこか嬉しげにその端を釣り上げた。
「だったら、今夜はたっぷりと可愛がってもらわねえとな！」
店主は、そう冗談めかした調子で言った。他人の夫婦の私生活に踏み込むような発言ではあるが、彼の出身地やこの辺りでは冗談として受け止められるレベルのものだ。そして彼もケープとフード姿の客が、多少恥じらいながらも笑みを浮かべるものだと思っていた。
「……失礼します」
彼女は口元に浮かべていた笑みを掻き消すと、踵を返して露店の前から離れて行った。
「あ…ま、毎度！また来てくれよ！」
その風体に最初は驚いた物の、最近ようやく多少言葉を交わせるようになったケープとフードの客。馴染みの客を一人失ってしまった予感に、店主は人通りへと消えていく彼女の後姿に向けて声を張り上げた。しかし、その声に彼女は何の反応も返さなかった。
彼女は露店を離れると、通り沿いにまっすぐ進み、やがて路地の一本へと入っていった。建物と建物の合間を足早に進み、とある扉の前で足を止めた。
木製の扉には手のひらほどの大きさの、金属製の紋章が掲げてあった。半ば目蓋を下ろした目の紋章だ。
彼女はケープの下から手を出すと、扉の取っ手を握り、軽く捻った。扉が薄く開き、彼女はその隙間に身を滑り込ませ、後ろ手に閉めた。
「……」
扉の前でしばしじっとしながら、彼女は薄暗い室内に目を慣らした。
天井付近に設けられた明り取りの窓から差し込む日の光が、ゆっくりと室内の様子を照らしていく。彼女の前に有ったのは四脚のベンチと、ベンチと向い合せにおかれた丸椅子、そして丸椅子の背後におかれた、布袋を被せられ麻ひもで縛られた縦長の何かだった。ベンチと丸椅子には既にいくつかの人影が腰を下ろしており、そのいずれも彼女と同じようにケープとフードを纏っていた。
「いらっしゃい、フェイ」
丸椅子に腰かけていた人物が、戸口に立つ彼女の名を呼んだ。
「そろそろ始めようと思っていたところです。お掛けなさい」
「はい…」
野菜などを詰めた袋を下げた彼女、フェイは短く答えると、並ぶベンチの一脚に腰を下ろした。
「さて、今日も皆さんよく集まってくださいました」
丸椅子に腰かけた人物が、ベンチに座る者たちを見回しながら口を開いた。
「この場所にいるのは私達だけです。惑わされるものはここにはいません。フードを外し、顔を見せましょう」
その一言に呼応するように、全員がケープから手をだし、フードを下ろした。
布の下から出てきたのはいずれも女の顔だった。だが、髪の間から角を生やした者、耳が人のそれより尖っている者、肌に鱗を備えた者ばかりだった。そしてフェイの金色の髪の間から突き出ているのは、先端が黒く染まった三角形の耳だ。
「それでは、今日のお話を始めたいと思います」
ベンチに腰を下ろす魔物たちと同じく、丸椅子に腰かけるフードの女がにっこりとほほ笑んだ。
妖狐のフェイがこの街に流れ着いたのは、何年前のことだったろうか。生来身にまとった色気を武器に、男を誑かし、ひと時の快楽を楽しんでから次へと移る。そんなことを繰り返しながら、彼女はこの街にやってきた。
街道沿いでそこそこの大きさを誇るこの街ならそこそこ楽しめそうだと、彼女は考えていた。そして街の小金持ちに接近するため、フェイは適当に目についた男に接近し、泊めるよう頼んだのだった。
ひと時の快楽を引き替えに、数日間滞在する。そして酒場などに接客係としてもぐりこんで、やってきた金を持ってそうな客にすり寄り、少しずつ上を目指す。いつも通りはずだった。
彼女の誤算は、最初の足掛かりにしようとした男との相性が完璧だったことだ。男の体に合わせて自分の体が、あるいはフェイのために男の体が作られたかのように、何もかもがしっくりとなじんだ。男を誑かし、着飾って衆目を一身に浴び、美味しい料理や酒を楽しみ、夜のひと時を過ごす。これまで楽しみだと思っていたことが、朝日を拝む頃にはフェイの内から消え去っていた。
夜通し肌を重ね、へとへとになりながらも固いベッドの上で横になる。そんな状態で、ただ指先を触れあわせているだけでも、彼女の胸の奥には多幸感が溢れていた。
その日から彼女は楽しみを求めることを止め、男の側で幸せに過ごすことを選んだのだった。男のために料理をし、家を掃除し、帰りを待つ。そして夜は男とその日のことを話し合い、ともに寝床に入る。二人の幸せのため、フェイは生き方を改めた。
だが、即座に変わらないものもあった。フェイの考え方だ。
フェイが考える男にとっての幸せの一つに、最高に美しい女を連れて衆目を浴びることがあった。これまで彼女が誑かした男とともに浴びた、羨望と嫉妬の混ざり合った視線。見られるという行為のもたらす陶酔感こそ、幸せの一つだと考えていたのだ。
もちろん、金持ちがしてくれたように上等な服や装身具を揃えることはできない。だが、フェイには生まれ持った美貌と肉体があった。街で手に入る普通の衣服でも、ブラウスのボタンを二つ外し、スカートを少し短くするだけで、彼女の魅力は十二分に発揮された。男と腕を組んで通りを進めば、視線が二人を射抜いた。
見られることは楽しい。人々の視線を肌に感じながら、彼女は日々を過ごしていた。
そんなある日、いつものように二人で買い物を済ませ、帰路を急いでいると、不意に二人の前後に数人の男が立ちふさがった。手に木の棒を握った彼らは目を血走らせており、一目で興奮しているとわかった。フェイが狙いなのだ。フェイのふりまく色香に毒され、彼女を手に入れるためなら何でもしようと言う気になっているのだ。
実際のところ、魔物であるフェイにとって十人程度の男などどうと言うこともなかった。だが、いくら襲われそうになったからと言っても、相手を叩きのめしてしまえば肩身の狭い思いをするであろうことは明らかだった。そして勢い余って相手を一人でも殺してしまえば、どうなるか。フェイは、手加減しつつも男と自分を守れるか不安になりながら、徐々に距離を狭めてくる男たちを睨んでいた。
その時だった。
「もし」
通りに声が響き、一同の視線が向けられる。そこに立っていたのは、ケープとフードで身体を覆い隠した二人組だった。すると、二人組の片方がうつむきがちだった顔を上げ、フードの下の顔を晒そうとした。フェイは、フードの下から徐々に覗きつつあった、顔の上半分を覆う黄色い何かを認めた瞬間、傍らに立つ男の目をふさぎ、自身も目を瞑った。
直後、彼女の耳に石畳を木の棒が打つ音が届いた。建物の合間に響き渡ったその音は、男達の手から棒が取り落とされたことを示していた。
「あなた達は、今日のことを忘れます」
「今日のことを忘れます」
フェイの目蓋の裏の闇に、高い声と男たちの声が響く。
「あなた達は、妖狐とその夫を襲いません」
「妖狐とその夫を襲いません」
「あなた達は、まっすぐ家に帰ります」
「まっすぐ家に帰ります」
数度のやり取りの後、半ば引きずるような足音が響き渡った。
「さて、もう大丈夫ですよ」
足音が二人の側を通り過ぎたところで、女の声が響いた。
それが、シスターエルストロスとの出会いだった。
「こうして、五郎は呪われましたとさ…みなさん、今の話を聞いて、どう思いましたか？」
布袋に包まれた何かを背に、シスターエルストロスはベンチに腰を下ろす魔物たちに向けて問いかけた。
「このように、人は弱いものです。容易く誘惑され、簡単に正気を失い、やすやすと命を投げ出します」
それぞれの胸に何らかの答えが浮かんだところで、シスターエルストロスは聞かせた話の教訓を口にした。
「人は、路傍に咲く花よりもか弱いのです。私たち魔物が触れるだけで、簡単に壊れてしまいます。だというのに人は目先の誘惑に惑わされ、私達に襲い掛かろうとするのです」
そう。あの日、シスターエルストロスと出会った日、あの男たちはフェイを襲おうとしていたのだ。彼女が浴びていた視線の源には、確かに嫉妬と羨望が渦巻いていたのだ。
「彼らは何故私たちを襲おうとするのか。それは容易に手に入らないからです」
フェイには事実上の夫がいた。だから彼らにはフェイに触れる方法が無かった。
「彼らは何故、容易に手に入らないはずの私たちを欲するのか。それは私達が惑わせてしまったからです」
フェイは常日頃その肢体を晒して街を歩いていた。だから彼らは見せつけられる身体を手に入れようとした。
「私達には責任があります。か弱き彼らを守る為、彼らを惑わせないようにする責任があります」
そう、フェイがもう少し慎み深く過ごしていれば、あの日男たちに襲われそうにならなかったのだ。
「経典にはこうあります」
シスターエルストロスは、ふと引用を始めた。
「人を守る為、私たちに出来ることをしなさい。彼らの目を惑わさぬよう、姿を隠しなさい。彼らの耳を惑わさぬよう、声を隠しなさい。彼らの心を惑わさぬよう、好意を隠しなさい。それが、人を、あなたを、夫を守るのです」
一拍の間をおいてから、彼女は続ける。
「私たちが身を隠すのは、人々の目から隠れるためではありません。私たちが不要な暴力を振るわずに済むように、夫以外の人々を惑わさぬようにするためです」
フェイはふと思い出していた。シスターエルストロスと出会ったあの日、フェイと夫は彼女によってこの秘密教会に連れられ、同じ話を聞かされたのだった。
「全ては私たちを愛するただ一人の男性のために。さあ、皆さんも唱えましょう」
シスターエルストロスの言葉とともに、全員がベンチから腰を浮かした。フェイも彼女らに倣って立ち上がり、両手を合わせて指を組んだ。
「全ては私達を愛するあの人のために」
「あの人のために」
胸中に夫の姿を思い浮かべ、彼の帰宅の無事を願いながら、フェイはそう唱えた。
「それでは、今日のお話はここまでです。フードを被るのを忘れずに」
シスターエルストロスは組んでいた指を解くと、一同を見回しながらそう告げた。魔物たちは互いに言葉を交わしながらフードを被り、シスターエルストロスに別れの挨拶をして、秘密教会を出て行った。
だがフェイは立ったまま、出て行こうとしなかった。
「シスターエルストロス。よろしいですか？」
最後の一人が秘密教会から路地へと出て行ったところで、フェイは声を上げた。
「どうしたのですか、フェイ？」
「実は、報告したいことが…」
「何でしょう…さあ、こちらへ」
シスターエルストロスは最前列のベンチに腰を下ろすと、フェイを招いた。彼女は招かれるがままシスターエルストロスの側に歩み寄り、隣に腰を下ろした。
「実はその、夫が帰ってくるのです」
「ああ、フェイの旦那様は、出稼ぎで街を離れていましたね」
彼女はにっこりとほほ笑むと、フェイに向けて続けた。
「一人での食事は味気なかったでしょう」
「はい…」
「誰もいない家に一人帰るのは辛かったでしょう」
「はい…」
「一人きりの夜は寂しかったでしょう」
「はい…」
「よく耐えましたね。今夜は沢山可愛がってもらいなさい」
シスターエルストロスはにっこりとほほ笑み、フェイの頬に触れた。恥じらいを抱きつつも、どこか嬉しそうに撫でられる妖狐には、もはや男を手玉に取っていた頃の影は無かった。
それから、フェイはシスターエルストロスと二言三言交わし、最後に布と紐でくるまれた像に向けて祈りを捧げてから、秘密教会を後にした。足取りも軽く、しかしケープとフードの外から悟られぬよう気を付けながら家路を急ぐ。彼が帰ってくる。ただそれだけでフェイの胸は期待で高鳴っていた。
そして、彼女が自宅の戸をくぐって数時間後、太陽が西に傾いた頃。一人の男が荷物を背負いながら、扉の前に立った。
「ふぅ…」
呼吸を整え、拳を握ると、彼は扉を打った。しばしの間をおいて足音が扉の向こうに迫り、閂の抜ける音が響く。
そして薄く開いた扉の隙間から、フードを被ったフェイが顔を覗かせた。
「ただいま」
「お帰りなさい…！」
男の姿を認めるや、フェイは扉をあけ放ち、彼に飛びついた。勢いによってフードが外れ、彼女の金髪や耳が露になるが、フェイは気にすることなく彼に抱きついた。
「ああお帰りなさい、お帰りなさい…！」
「ああ、ただいま。はは、そんなに喜んでくれるなんて、嬉しいなあ」
男は抱きついてくる彼女の温もりを感じながら、扉をくぐる。そして後ろ手に扉を閉めると、改めてフェイと目を合わせた。
「ただいま、フェイ」
「お帰りなさい、あなた…」
フェイと男の視線が交錯し、どちらからともなく二人の顔が接近する。そして二人の唇が触れ合った。
温もりと柔らかさを共有し、相手の存在を確かめ合うように吸い、舐める。触れ合う程度だった接吻はいつしか吸いあうように、貪り合うようにその激しさを増していく。そして互いの口内に舌を差し入れ、頬の裏側や歯列をなぞるようになった頃、抱きしめあっていた二人の手は互いの体をまさぐっていた。
男の手が、フェイの背中を抱え込みつつ、もう一方の手で尻を掴んでいた。フェイの手が、男の二の腕を撫でつつ、もう一方の手でわき腹から太腿に掛けてを撫でさすっていた。
「ん…う…」
「ちゅ…む…」
唇の合間から濡れた音と低いうめき声を漏らしながら、二人は唇を貪り合い、互いの体を確かめ合っていた。
そして愛撫を続けながらも、二人は荷物をおろし、ケープを脱いで、二人を隔てる衣服の分の距離を少しずつ狭めて行った。扉一枚向こうは通りであるにもかかわらず、男はボタンを引き毟るような勢いでシャツを脱ぎ、フェイはスカートをすとんと足元に落としてふさふさとした毛に覆われた三本の尻尾を晒した。
男はフェイの纏っていたブラウスのボタンを外すと、その内側に手を差し入れ、彼女の背筋に直に触れた。ケープの中で籠っていた熱と、男と抱き合ううちに高まった興奮により、彼女の肌はしっとりと湿り気を帯びていた。男の指先は滑らかに、彼女の背筋から尻尾の付け根までを滑り降りて行った。背骨から分岐する三本の尾の付け根を、親指と人差し指で軽く挟む。するとコリコリとした手ごたえとともに、彼女の身体が跳ねるように震えた。
「…っ…！」
男の腕の中でフェイは一通り痙攣すると、お返しとばかりに彼のベルトを緩め、ズボンの内側に手を差し入れた。下着に指先が入り込み、男の下腹を軽く撫でる。すると彼女の指先が、熱を帯びた妙に固いものに触れた。彼女に対する欲情の証に、フェイは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「ぷは…はぁ、はぁ…」
キスを中断し、唇を離すと、二人の間を唾液の糸が橋を渡した。そして興奮に潤んだフェイの瞳を見つめたまま、男が問いかける。
「なあ、もう…」
「うん、ここで…」
皆まで言わずとも、二人には分かり合えていた。
男とフェイは腕を緩めて身体を離すと、もどかしげに体を覆う布を脱ぎ捨てた。フェイがブラウスから袖を抜くと同時に、男はズボンをおろす。男が下着から足を抜くと同時に、フェイも下腹を覆っていた柔らかな布を脱いだ。
そして一糸まとわぬ姿になって、二人は改めて向かい合った。
男の両足の間では屹立した分身が先端に透明な滴を滲ませており、フェイの両足の付け根から太腿に向けて幾筋もの濡れ跡が道を作っていた。
「来て…」
フェイが両足を開き、男に向けて腕を伸ばす。
男は導かれるように彼女の腕の中に入ると、広げられた足の間、しとどに濡れそぼつ女陰に分身の先端を押し当てた。そして、フェイの腰を抱き寄せながら、彼女の胎内に屹立を押し込んだ。
「っああああ…！」
「っ…！」
屹立が女陰を押し広げ、膣肉を掻き分けながら入り込んでいく瞬間、フェイが声を漏らし、男が小さく呻いた。直後、二人の体が震え、ほぼ同時に達した。膣半ばに白濁した体液が迸り、膣肉が幾度も屹立を締め付けた。
絶頂の快感を経た二人は、膣内に広がる温もりと、屹立を包み込む柔らかさを味わいながら、しばしあっけない絶頂の余韻に浸っていた。
「…ぁ…まだ、大丈夫…？」
「…あぁ、うん…」
しばらく呆然としてから二人は言葉を交わし、半ばまで挿入していた屹立を根元まで沈めた。膣内で精液と愛液の混濁したものが屹立に絡み付き、襞肉の隙間に染み入っていく。
膣奥の壁面を小突かれる感触と、先端から根元までに絡み付く柔肉の感触に耐えながら、二人は再び抱き合った。
玄関のすぐ内側、衣服や荷物を周囲に脱ぎ散らかしたまま、二人は立ったまま繋がり合っていた。
「はぁ、はぁ…」
激しく腰を動かしているわけでもなく、ただ繋がりあっているだけだというのに、自然とフェイの呼吸は乱れていった。そして男の方も、喘ぎ声こそ出していなかったが、抱き合うことで心臓の高鳴りがフェイに伝わっていた。
「フェイ…」
「あな、たぁ…ん…！」
夫の呼び声に応えようとしたフェイの唇を、男は自身のそれで塞いだ。柔らかな感触が再び彼女の口内を襲い、頭の芯が痺れていく。男以外の辺りの景色や、心拍以外の音がぼやけていく。膣内の屹立だけがフェイの体を支える芯であり、男の肌と接する部分だけがフェイの身体を包む表皮のようだった。
「ん…ちゅ…んむ…」
夫の唇を吸い、舌を絡めるうち、フェイはこうして彼と体を重ねるために生まれてきたのではないかという考えに捕らわれていった。事実、夫が出稼ぎに出てる間は、この一瞬だけを待ち望んで生きていた。こうして屹立を胎内に感じ、たくましい腕と胸板に抱かれるために強を待っていたのだ。
「ちゅ…ん…む、ぅ…」
喉奥で声を漏らしながら、男の唾液を啜りつつ彼女は考えた。酒も料理も必要ない。この唇は、男の唇を吸うためにあったのだ。
男の腕の中で軽く身じろぎし、胸板に押しつぶされる乳房をさらに彼に押し付け、すらりとした太腿を彼の太ももと擦り合わせながら彼女は考えた。きれいな服も装身具も必要ない。この肢体は、彼の肌と触れ合うためにあったのだ。
そう考えるだけで、フェイの脳髄は蕩けるような陶酔感に満たされ、快感が高まっていった。
そして、腰を揺するわけでもなくただ挿入しているだけの屹立に対し、フェイの膣内は
男に快感を少しでももたらそうとするかのように蠢動を始める。屹立に浮かぶ血管や、カリ首の段や裏筋の膨らみに襞肉が寄り集まり、緩急をつけた締め付けと弛緩の繰り返しで愛撫を加える。膣壁の蠢きに肉棒はヒクヒクと脈動を繰り返し、ついに再び限界を迎えた。
フェイの胎内で屹立が一回り膨張し、一瞬遅れて白濁が膣奥に向けて迸る。
興奮によって熟成された体温を帯びた精液は、彼女の腹奥を叩いた。胎内の熱と衝撃に、フェイは軽く背筋をのけぞらせながら、遅れて絶頂に至った。
自身の胎内が男に染め上げられていく感覚が、フェイの意識を塗りつぶしていく。
これだけ精液を注ぎ込まれれば、孕むのではないだろうか。
そんな考えが脳裏の一角をよぎると、彼女は意識の底が白くなるような興奮を覚えた。
そして、十数度に及ぶ脈動を経て、男の射精が収まった。
「はぁ、はぁ…」
二人は唇を離し、荒く息を吐きながら視線を交わした。
「すごい、こんなに…」
屹立と膣口の間から溢れ、太ももへと伝う白濁の感触に、フェイは声を漏らした。快感に膝が小さく震えているが、まだ足りない。
「あなた…今度は、ベッドで…ね？」
「そうだね…」
二人は言葉を交わすと、抱き合い、繋がりあったままゆっくりと移動を始めた。快感の余韻のせいで足が震えるため、どこかぎこちない二人の歩き方は、まるで不格好なダンスか蟹のようだった。だが、二人の姿を見る者はいないため、その滑稽さを笑う者はいなかった。
フェイの肢体も、痴態も、ただ夫のためだけにあるのだ。彼女にとっては、その事実がただ嬉しかった。
二人の夜は、もうしばらく続く。
昼日中ということもあってか、街の大通りを多くの人影が行き交っていた。老若男女、街の住民やよそから来た旅行者や商人など、様々だ。そして、人々の中に紛れるように、異様な風体をした影があった。それは、身体を厚手の布で覆い隠していた。羽織ったケープの前を合わせ、フードを深々と被っている。
身の丈と布越しの肩幅からすると女だろうか。しかし裾が地面につきそうなほど長いケープとフードにより、それ以上の事は推測しようもなかった。
身体を覆い隠すようなその姿に対し、向けられる視線は二種類あった。一つは驚きと困惑の混ざり合った奇異の視線で、もう一つは特に何の感情もない風景の一部に対するものだった。前者の視線を向けるのは旅行者によるもので、後者はこの街の住人の物だ。
そう。布を被ったその姿は、街の住民にとって慣れ親しんだ物だったのだ。
ケープ姿の人物は、大通り沿いに開かれている市場を進み、軒を連ねる露店の一つに近づいて行った。
「おう、いらっしゃい！」
接近するケープとフードの姿に、露店の店主が積み上げられた野菜越しに声を上げた。
「…こんにちは…」
フードの下、かろうじて見える整った口元が小さく動き、低い声音で挨拶を返す。
「今日はなんにする？一応こいつと、これが安いよ！」
店主は根菜と野菜をいくつか手で示しながら、笑顔を彼女に向けた。
「じゃあ、それとこれと…あとこれも下さい…」
「はいよ！」
店主はケープの下から出てきた袋に、彼女の求めた品物を入れてやると、代金を受け取った。
「毎度アリ！ところで、今日はいつもより多いね？」
「ええ…夫が帰ってくるので…」
「へえ！出稼ぎかい？」
「…まあ…」
フードから覗く形の良い唇が、どこか嬉しげにその端を釣り上げた。
「だったら、今夜はたっぷりと可愛がってもらわねえとな！」
店主は、そう冗談めかした調子で言った。他人の夫婦の私生活に踏み込むような発言ではあるが、彼の出身地やこの辺りでは冗談として受け止められるレベルのものだ。そして彼もケープとフード姿の客が、多少恥じらいながらも笑みを浮かべるものだと思っていた。
「……失礼します」
彼女は口元に浮かべていた笑みを掻き消すと、踵を返して露店の前から離れて行った。
「あ…ま、毎度！また来てくれよ！」
その風体に最初は驚いた物の、最近ようやく多少言葉を交わせるようになったケープとフードの客。馴染みの客を一人失ってしまった予感に、店主は人通りへと消えていく彼女の後姿に向けて声を張り上げた。しかし、その声に彼女は何の反応も返さなかった。
彼女は露店を離れると、通り沿いにまっすぐ進み、やがて路地の一本へと入っていった。建物と建物の合間を足早に進み、とある扉の前で足を止めた。
木製の扉には手のひらほどの大きさの、金属製の紋章が掲げてあった。半ば目蓋を下ろした目の紋章だ。
彼女はケープの下から手を出すと、扉の取っ手を握り、軽く捻った。扉が薄く開き、彼女はその隙間に身を滑り込ませ、後ろ手に閉めた。
「……」
扉の前でしばしじっとしながら、彼女は薄暗い室内に目を慣らした。
天井付近に設けられた明り取りの窓から差し込む日の光が、ゆっくりと室内の様子を照らしていく。彼女の前に有ったのは四脚のベンチと、ベンチと向い合せにおかれた丸椅子、そして丸椅子の背後におかれた、布袋を被せられ麻ひもで縛られた縦長の何かだった。ベンチと丸椅子には既にいくつかの人影が腰を下ろしており、そのいずれも彼女と同じようにケープとフードを纏っていた。
「いらっしゃい、フェイ」
丸椅子に腰かけていた人物が、戸口に立つ彼女の名を呼んだ。
「そろそろ始めようと思っていたところです。お掛けなさい」
「はい…」
野菜などを詰めた袋を下げた彼女、フェイは短く答えると、並ぶベンチの一脚に腰を下ろした。
「さて、今日も皆さんよく集まってくださいました」
丸椅子に腰かけた人物が、ベンチに座る者たちを見回しながら口を開いた。
「この場所にいるのは私達だけです。惑わされるものはここにはいません。フードを外し、顔を見せましょう」
その一言に呼応するように、全員がケープから手をだし、フードを下ろした。
布の下から出てきたのはいずれも女の顔だった。だが、髪の間から角を生やした者、耳が人のそれより尖っている者、肌に鱗を備えた者ばかりだった。そしてフェイの金色の髪の間から突き出ているのは、先端が黒く染まった三角形の耳だ。
「それでは、今日のお話を始めたいと思います」
ベンチに腰を下ろす魔物たちと同じく、丸椅子に腰かけるフードの女がにっこりとほほ笑んだ。
妖狐のフェイがこの街に流れ着いたのは、何年前のことだったろうか。生来身にまとった色気を武器に、男を誑かし、ひと時の快楽を楽しんでから次へと移る。そんなことを繰り返しながら、彼女はこの街にやってきた。
街道沿いでそこそこの大きさを誇るこの街ならそこそこ楽しめそうだと、彼女は考えていた。そして街の小金持ちに接近するため、フェイは適当に目についた男に接近し、泊めるよう頼んだのだった。
ひと時の快楽を引き替えに、数日間滞在する。そして酒場などに接客係としてもぐりこんで、やってきた金を持ってそうな客にすり寄り、少しずつ上を目指す。いつも通りはずだった。
彼女の誤算は、最初の足掛かりにしようとした男との相性が完璧だったことだ。男の体に合わせて自分の体が、あるいはフェイのために男の体が作られたかのように、何もかもがしっくりとなじんだ。男を誑かし、着飾って衆目を一身に浴び、美味しい料理や酒を楽しみ、夜のひと時を過ごす。これまで楽しみだと思っていたことが、朝日を拝む頃にはフェイの内から消え去っていた。
夜通し肌を重ね、へとへとになりながらも固いベッドの上で横になる。そんな状態で、ただ指先を触れあわせているだけでも、彼女の胸の奥には多幸感が溢れていた。
その日から彼女は楽しみを求めることを止め、男の側で幸せに過ごすことを選んだのだった。男のために料理をし、家を掃除し、帰りを待つ。そして夜は男とその日のことを話し合い、ともに寝床に入る。二人の幸せのため、フェイは生き方を改めた。
だが、即座に変わらないものもあった。フェイの考え方だ。
フェイが考える男にとっての幸せの一つに、最高に美しい女を連れて衆目を浴びることがあった。これまで彼女が誑かした男とともに浴びた、羨望と嫉妬の混ざり合った視線。見られるという行為のもたらす陶酔感こそ、幸せの一つだと考えていたのだ。
もちろん、金持ちがしてくれたように上等な服や装身具を揃えることはできない。だが、フェイには生まれ持った美貌と肉体があった。街で手に入る普通の衣服でも、ブラウスのボタンを二つ外し、スカートを少し短くするだけで、彼女の魅力は十二分に発揮された。男と腕を組んで通りを進めば、視線が二人を射抜いた。
見られることは楽しい。人々の視線を肌に感じながら、彼女は日々を過ごしていた。
そんなある日、いつものように二人で買い物を済ませ、帰路を急いでいると、不意に二人の前後に数人の男が立ちふさがった。手に木の棒を握った彼らは目を血走らせており、一目で興奮しているとわかった。フェイが狙いなのだ。フェイのふりまく色香に毒され、彼女を手に入れるためなら何でもしようと言う気になっているのだ。
実際のところ、魔物であるフェイにとって十人程度の男などどうと言うこともなかった。だが、いくら襲われそうになったからと言っても、相手を叩きのめしてしまえば肩身の狭い思いをするであろうことは明らかだった。そして勢い余って相手を一人でも殺してしまえば、どうなるか。フェイは、手加減しつつも男と自分を守れるか不安になりながら、徐々に距離を狭めてくる男たちを睨んでいた。
その時だった。
「もし」
通りに声が響き、一同の視線が向けられる。そこに立っていたのは、ケープとフードで身体を覆い隠した二人組だった。すると、二人組の片方がうつむきがちだった顔を上げ、フードの下の顔を晒そうとした。フェイは、フードの下から徐々に覗きつつあった、顔の上半分を覆う黄色い何かを認めた瞬間、傍らに立つ男の目をふさぎ、自身も目を瞑った。
直後、彼女の耳に石畳を木の棒が打つ音が届いた。建物の合間に響き渡ったその音は、男達の手から棒が取り落とされたことを示していた。
「あなた達は、今日のことを忘れます」
「今日のことを忘れます」
フェイの目蓋の裏の闇に、高い声と男たちの声が響く。
「あなた達は、妖狐とその夫を襲いません」
「妖狐とその夫を襲いません」
「あなた達は、まっすぐ家に帰ります」
「まっすぐ家に帰ります」
数度のやり取りの後、半ば引きずるような足音が響き渡った。
「さて、もう大丈夫ですよ」
足音が二人の側を通り過ぎたところで、女の声が響いた。
それが、シスターエルストロスとの出会いだった。
「こうして、五郎は呪われましたとさ…みなさん、今の話を聞いて、どう思いましたか？」
布袋に包まれた何かを背に、シスターエルストロスはベンチに腰を下ろす魔物たちに向けて問いかけた。
「このように、人は弱いものです。容易く誘惑され、簡単に正気を失い、やすやすと命を投げ出します」
それぞれの胸に何らかの答えが浮かんだところで、シスターエルストロスは聞かせた話の教訓を口にした。
「人は、路傍に咲く花よりもか弱いのです。私たち魔物が触れるだけで、簡単に壊れてしまいます。だというのに人は目先の誘惑に惑わされ、私達に襲い掛かろうとするのです」
そう。あの日、シスターエルストロスと出会った日、あの男たちはフェイを襲おうとしていたのだ。彼女が浴びていた視線の源には、確かに嫉妬と羨望が渦巻いていたのだ。
「彼らは何故私たちを襲おうとするのか。それは容易に手に入らないからです」
フェイには事実上の夫がいた。だから彼らにはフェイに触れる方法が無かった。
「彼らは何故、容易に手に入らないはずの私たちを欲するのか。それは私達が惑わせてしまったからです」
フェイは常日頃その肢体を晒して街を歩いていた。だから彼らは見せつけられる身体を手に入れようとした。
「私達には責任があります。か弱き彼らを守る為、彼らを惑わせないようにする責任があります」
そう、フェイがもう少し慎み深く過ごしていれば、あの日男たちに襲われそうにならなかったのだ。
「経典にはこうあります」
シスターエルストロスは、ふと引用を始めた。
「人を守る為、私たちに出来ることをしなさい。彼らの目を惑わさぬよう、姿を隠しなさい。彼らの耳を惑わさぬよう、声を隠しなさい。彼らの心を惑わさぬよう、好意を隠しなさい。それが、人を、あなたを、夫を守るのです」
一拍の間をおいてから、彼女は続ける。
「私たちが身を隠すのは、人々の目から隠れるためではありません。私たちが不要な暴力を振るわずに済むように、夫以外の人々を惑わさぬようにするためです」
フェイはふと思い出していた。シスターエルストロスと出会ったあの日、フェイと夫は彼女によってこの秘密教会に連れられ、同じ話を聞かされたのだった。
「全ては私たちを愛するただ一人の男性のために。さあ、皆さんも唱えましょう」
シスターエルストロスの言葉とともに、全員がベンチから腰を浮かした。フェイも彼女らに倣って立ち上がり、両手を合わせて指を組んだ。
「全ては私達を愛するあの人のために」
「あの人のために」
胸中に夫の姿を思い浮かべ、彼の帰宅の無事を願いながら、フェイはそう唱えた。
「それでは、今日のお話はここまでです。フードを被るのを忘れずに」
シスターエルストロスは組んでいた指を解くと、一同を見回しながらそう告げた。魔物たちは互いに言葉を交わしながらフードを被り、シスターエルストロスに別れの挨拶をして、秘密教会を出て行った。
だがフェイは立ったまま、出て行こうとしなかった。
「シスターエルストロス。よろしいですか？」
最後の一人が秘密教会から路地へと出て行ったところで、フェイは声を上げた。
「どうしたのですか、フェイ？」
「実は、報告したいことが…」
「何でしょう…さあ、こちらへ」
シスターエルストロスは最前列のベンチに腰を下ろすと、フェイを招いた。彼女は招かれるがままシスターエルストロスの側に歩み寄り、隣に腰を下ろした。
「実はその、夫が帰ってくるのです」
「ああ、フェイの旦那様は、出稼ぎで街を離れていましたね」
彼女はにっこりとほほ笑むと、フェイに向けて続けた。
「一人での食事は味気なかったでしょう」
「はい…」
「誰もいない家に一人帰るのは辛かったでしょう」
「はい…」
「一人きりの夜は寂しかったでしょう」
「はい…」
「よく耐えましたね。今夜は沢山可愛がってもらいなさい」
シスターエルストロスはにっこりとほほ笑み、フェイの頬に触れた。恥じらいを抱きつつも、どこか嬉しそうに撫でられる妖狐には、もはや男を手玉に取っていた頃の影は無かった。
それから、フェイはシスターエルストロスと二言三言交わし、最後に布と紐でくるまれた像に向けて祈りを捧げてから、秘密教会を後にした。足取りも軽く、しかしケープとフードの外から悟られぬよう気を付けながら家路を急ぐ。彼が帰ってくる。ただそれだけでフェイの胸は期待で高鳴っていた。
そして、彼女が自宅の戸をくぐって数時間後、太陽が西に傾いた頃。一人の男が荷物を背負いながら、扉の前に立った。
「ふぅ…」
呼吸を整え、拳を握ると、彼は扉を打った。しばしの間をおいて足音が扉の向こうに迫り、閂の抜ける音が響く。
そして薄く開いた扉の隙間から、フードを被ったフェイが顔を覗かせた。
「ただいま」
「お帰りなさい…！」
男の姿を認めるや、フェイは扉をあけ放ち、彼に飛びついた。勢いによってフードが外れ、彼女の金髪や耳が露になるが、フェイは気にすることなく彼に抱きついた。
「ああお帰りなさい、お帰りなさい…！」
「ああ、ただいま。はは、そんなに喜んでくれるなんて、嬉しいなあ」
男は抱きついてくる彼女の温もりを感じながら、扉をくぐる。そして後ろ手に扉を閉めると、改めてフェイと目を合わせた。
「ただいま、フェイ」
「お帰りなさい、あなた…」
フェイと男の視線が交錯し、どちらからともなく二人の顔が接近する。そして二人の唇が触れ合った。
温もりと柔らかさを共有し、相手の存在を確かめ合うように吸い、舐める。触れ合う程度だった接吻はいつしか吸いあうように、貪り合うようにその激しさを増していく。そして互いの口内に舌を差し入れ、頬の裏側や歯列をなぞるようになった頃、抱きしめあっていた二人の手は互いの体をまさぐっていた。
男の手が、フェイの背中を抱え込みつつ、もう一方の手で尻を掴んでいた。フェイの手が、男の二の腕を撫でつつ、もう一方の手でわき腹から太腿に掛けてを撫でさすっていた。
「ん…う…」
「ちゅ…む…」
唇の合間から濡れた音と低いうめき声を漏らしながら、二人は唇を貪り合い、互いの体を確かめ合っていた。
そして愛撫を続けながらも、二人は荷物をおろし、ケープを脱いで、二人を隔てる衣服の分の距離を少しずつ狭めて行った。扉一枚向こうは通りであるにもかかわらず、男はボタンを引き毟るような勢いでシャツを脱ぎ、フェイはスカートをすとんと足元に落としてふさふさとした毛に覆われた三本の尻尾を晒した。
男はフェイの纏っていたブラウスのボタンを外すと、その内側に手を差し入れ、彼女の背筋に直に触れた。ケープの中で籠っていた熱と、男と抱き合ううちに高まった興奮により、彼女の肌はしっとりと湿り気を帯びていた。男の指先は滑らかに、彼女の背筋から尻尾の付け根までを滑り降りて行った。背骨から分岐する三本の尾の付け根を、親指と人差し指で軽く挟む。するとコリコリとした手ごたえとともに、彼女の身体が跳ねるように震えた。
「…っ…！」
男の腕の中でフェイは一通り痙攣すると、お返しとばかりに彼のベルトを緩め、ズボンの内側に手を差し入れた。下着に指先が入り込み、男の下腹を軽く撫でる。すると彼女の指先が、熱を帯びた妙に固いものに触れた。彼女に対する欲情の証に、フェイは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「ぷは…はぁ、はぁ…」
キスを中断し、唇を離すと、二人の間を唾液の糸が橋を渡した。そして興奮に潤んだフェイの瞳を見つめたまま、男が問いかける。
「なあ、もう…」
「うん、ここで…」
皆まで言わずとも、二人には分かり合えていた。
男とフェイは腕を緩めて身体を離すと、もどかしげに体を覆う布を脱ぎ捨てた。フェイがブラウスから袖を抜くと同時に、男はズボンをおろす。男が下着から足を抜くと同時に、フェイも下腹を覆っていた柔らかな布を脱いだ。
そして一糸まとわぬ姿になって、二人は改めて向かい合った。
男の両足の間では屹立した分身が先端に透明な滴を滲ませており、フェイの両足の付け根から太腿に向けて幾筋もの濡れ跡が道を作っていた。
「来て…」
フェイが両足を開き、男に向けて腕を伸ばす。
男は導かれるように彼女の腕の中に入ると、広げられた足の間、しとどに濡れそぼつ女陰に分身の先端を押し当てた。そして、フェイの腰を抱き寄せながら、彼女の胎内に屹立を押し込んだ。
「っああああ…！」
「っ…！」
屹立が女陰を押し広げ、膣肉を掻き分けながら入り込んでいく瞬間、フェイが声を漏らし、男が小さく呻いた。直後、二人の体が震え、ほぼ同時に達した。膣半ばに白濁した体液が迸り、膣肉が幾度も屹立を締め付けた。
絶頂の快感を経た二人は、膣内に広がる温もりと、屹立を包み込む柔らかさを味わいながら、しばしあっけない絶頂の余韻に浸っていた。
「…ぁ…まだ、大丈夫…？」
「…あぁ、うん…」
しばらく呆然としてから二人は言葉を交わし、半ばまで挿入していた屹立を根元まで沈めた。膣内で精液と愛液の混濁したものが屹立に絡み付き、襞肉の隙間に染み入っていく。
膣奥の壁面を小突かれる感触と、先端から根元までに絡み付く柔肉の感触に耐えながら、二人は再び抱き合った。
玄関のすぐ内側、衣服や荷物を周囲に脱ぎ散らかしたまま、二人は立ったまま繋がり合っていた。
「はぁ、はぁ…」
激しく腰を動かしているわけでもなく、ただ繋がりあっているだけだというのに、自然とフェイの呼吸は乱れていった。そして男の方も、喘ぎ声こそ出していなかったが、抱き合うことで心臓の高鳴りがフェイに伝わっていた。
「フェイ…」
「あな、たぁ…ん…！」
夫の呼び声に応えようとしたフェイの唇を、男は自身のそれで塞いだ。柔らかな感触が再び彼女の口内を襲い、頭の芯が痺れていく。男以外の辺りの景色や、心拍以外の音がぼやけていく。膣内の屹立だけがフェイの体を支える芯であり、男の肌と接する部分だけがフェイの身体を包む表皮のようだった。
「ん…ちゅ…んむ…」
夫の唇を吸い、舌を絡めるうち、フェイはこうして彼と体を重ねるために生まれてきたのではないかという考えに捕らわれていった。事実、夫が出稼ぎに出てる間は、この一瞬だけを待ち望んで生きていた。こうして屹立を胎内に感じ、たくましい腕と胸板に抱かれるために強を待っていたのだ。
「ちゅ…ん…む、ぅ…」
喉奥で声を漏らしながら、男の唾液を啜りつつ彼女は考えた。酒も料理も必要ない。この唇は、男の唇を吸うためにあったのだ。
男の腕の中で軽く身じろぎし、胸板に押しつぶされる乳房をさらに彼に押し付け、すらりとした太腿を彼の太ももと擦り合わせながら彼女は考えた。きれいな服も装身具も必要ない。この肢体は、彼の肌と触れ合うためにあったのだ。
そう考えるだけで、フェイの脳髄は蕩けるような陶酔感に満たされ、快感が高まっていった。
そして、腰を揺するわけでもなくただ挿入しているだけの屹立に対し、フェイの膣内は
男に快感を少しでももたらそうとするかのように蠢動を始める。屹立に浮かぶ血管や、カリ首の段や裏筋の膨らみに襞肉が寄り集まり、緩急をつけた締め付けと弛緩の繰り返しで愛撫を加える。膣壁の蠢きに肉棒はヒクヒクと脈動を繰り返し、ついに再び限界を迎えた。
フェイの胎内で屹立が一回り膨張し、一瞬遅れて白濁が膣奥に向けて迸る。
興奮によって熟成された体温を帯びた精液は、彼女の腹奥を叩いた。胎内の熱と衝撃に、フェイは軽く背筋をのけぞらせながら、遅れて絶頂に至った。
自身の胎内が男に染め上げられていく感覚が、フェイの意識を塗りつぶしていく。
これだけ精液を注ぎ込まれれば、孕むのではないだろうか。
そんな考えが脳裏の一角をよぎると、彼女は意識の底が白くなるような興奮を覚えた。
そして、十数度に及ぶ脈動を経て、男の射精が収まった。
「はぁ、はぁ…」
二人は唇を離し、荒く息を吐きながら視線を交わした。
「すごい、こんなに…」
屹立と膣口の間から溢れ、太ももへと伝う白濁の感触に、フェイは声を漏らした。快感に膝が小さく震えているが、まだ足りない。
「あなた…今度は、ベッドで…ね？」
「そうだね…」
二人は言葉を交わすと、抱き合い、繋がりあったままゆっくりと移動を始めた。快感の余韻のせいで足が震えるため、どこかぎこちない二人の歩き方は、まるで不格好なダンスか蟹のようだった。だが、二人の姿を見る者はいないため、その滑稽さを笑う者はいなかった。
フェイの肢体も、痴態も、ただ夫のためだけにあるのだ。彼女にとっては、その事実がただ嬉しかった。
二人の夜は、もうしばらく続く。
13/09/23 23:12更新 / 十二屋月蝕