連載小説
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カルテ4
「ごめん、なさい……」
史郎は己の非力を謝らずにはいられなかった。
(弱い。自分はあまりに弱すぎる)
その弱さのせいで、彼女を苦しめ続けている。

早く、一刻も早くと、史郎は崩れそうになる体を叱りつけて彼女の近くに立った。
だが、それが限界だった。
彼女の目線を受け止めながら、渾身の力をもって右手を持ち上げるが
「うぐっ!」
すぐに力なく垂れ下がってしまう。

見下ろす彼女の表情と呼吸は、苦悶に満ちているというのに。
目の前の戦い一つ、満足に終わらせることもできない非力が彼女を苦しめているのだ。


幼い胸に、再び、どす黒いものが広がった。
怒り、などというものではない。
それは憎悪だ。
果ての見えない憎悪が湧きあがってくる。


史郎は己の弱さを心底、憎んだ。


どうしようもなく涙がこぼれた。
(ほら、すぐに泣くのも弱いからだ。泣く暇があるのなら……)
史郎は彼女の苦痛、悪しき事すべてが自分の責任だと、己を戒め続ける。

(一体いつまで……僕は……)
目の前に倒れた、いや、自分が傷つけた女性も、さぞや自分を憎んでいるだろう。
そう思っていた。
なのに、見返してきた彼女の瞳には別の意思が映っている。
「……?」
その想いを見届けようと、瞳に映るものを懸命に読み取る。
繰り返される瞬きに宿った、彼女の想い。

…その時、なぜか史郎には
彼女の声が聴こえた気がした。

(君になら……いいよ)
優しい声。

(殺してもいいよ)
その瞳に宿る気持ちが、胸に届いた。


その想いに諦めはあっても、後悔はあっても
憎しみはない。

自分に向けられたのは、どこまでも優しい気持ち。
自分に託されたのは、あまりにも儚い願い。


まるで今しがた、目が覚めたかのように
史郎の目が見開かれた。
感情が抑えきれず、こぼれる涙も止まらなかった。
落ちた涙が、彼女の頬を濡らしていく。


―バカか、僕は。


何のためにここに来た?
何のために力を得た?
何を誓ってここに来たんだ?


―見ろ、彼女を。


自分の目の前に倒れている女性は、笑っている。
でも、泣いている。
諦めと悔しさが入り混じった、悲しい笑顔で泣いているのだ。


―誓いを忘れたか。


彼女たちを救うのだと、そう誓った。
絶望に身を浸し、なお進み、
そこに沈んだ手を掴むため。


(……くれぐれも無謀な……) 
己に問いかける最中、ふいに思い出す。
こんな自分を、こんな自分を気遣ってくれる羽倉の言葉。
しかし
(すみません、羽倉さん…警告に反します)
史郎の心は、すでに決まった。


―たとえこの身が朽ち果てようとも。


彼女たちを救う。
そのために力を。
そのために体を。
そのために…

「命を懸ける」

史郎が決意を呟いた。
小さくも凛と響いた言葉に応えるように、首輪に埋め込まれた水晶が紅い光を放った。

バン!

直後、破裂音を伴い、首輪と腕輪から吹き出した黒い霧が史郎の全身を包んだ。小さな体を覆った霧がまるで生きているように蠢き、変化を始める。

変化は一瞬で起きた。
見れば史郎の胸と腰は、濃密な霧が織り成した黒い布に覆われている。
反対に霧が晴れた部分からは先ほどまで着ていたはずの病院着は消えていて白い素肌が覗いていた。


…朦朧とし始めた意識の中、彼女は戸惑っていた。
突然の破裂音と、
目の前の少年を包む黒い嵐。
魔物である彼女でも見たことのない異変。
少年の服が消え、魔力を伴う布に包まれていく。
しかし、変化は服装だけにとどまらない。
少年自身の体にも…


今まさに現れた黒い布。
胸部を包むその布は、ささやかながらも確かな膨らみに押し上げられていた。
それは、男の子である史郎にはないはずの膨らみだった。
(……え?)
彼は確かに少年だった。
あれだけ貪っておいて今さら言うまでもないことだ。
なのに、あの膨らみは何だろうか。

彼女の疑問を差し置いて、変化はさらに加速していく。

史郎の両手の肘から指先、つま先から膝上を覆っていた黒い霧が凝縮し、黒く密集した獣毛を形作った。
その形が安定したとき、史郎の指先やつま先は最早ヒトのそれではなくなっていた。
手の指先から肘、足の指先から太ももの半ばまでは黒い獣毛で覆われ、その先端には人のそれではない、鈍く光る鋭い爪が備わっている。
頭頂部には人にはないはずの耳が立ち、腰から黒い尾が生えてきていた。
耳も尾も、自身の存在を確かめるように上下左右に動いている。
その動きは作り物でではなく、血の通った肉体であることの証明だった。
最後に史郎の黒い瞳が、金色の光を湛える。

(……)
今の彼女は声が出せない。
が、たとえ平時でも言葉を失っていただろう。
驚愕する彼女の脳裏に浮ぶ言葉は……

「……ワーウルフ」
自身の存在を確かめるように、史郎がその名を口にした。
17/01/29 23:30更新 / 水底
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■作者メッセージ
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信頼のおける第三者(羽倉さん)にお任せします。

羽倉「…待て」

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