連載小説
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見送り
病室から退出する恵奈を見送り、その足音が遠ざかっていくのを羽倉と史郎の二人は無言で待った。そして、十分な時間が経ち、羽倉が史郎に向き直ったとき……

カチリ

誰も触れていない入り口の鍵が音を立てて施錠された。
病院という場所だけあって冗談では済まされない現象だが、二人は驚いた様子もなく話し始める。

「……いい娘そうじゃないか。しかし、お姉ちゃんとはな……」

恵奈について、羽倉が笑みを含んで呟く。
先ほどと比べ、口調も砕けている。

「……ええ、本当に、楽しくて良い方です」

かすかに笑いながら史郎が受けた。
内心、史郎の照れた表情のひとつも期待した羽倉だったが、史郎の、年齢にそぐわぬあまりに落ち着いた反応を見て、先ほどの笑みは苦笑に変わった。
久々に面白そうな話題だったのに、残念に思う。
さらに踏み込むだけの時間的な猶予がないからだ。
何しろ今は……。

「<診察時間>ですよね」

羽倉の思考を引き継ぐように史郎が本題を促した。
その表情からは先ほどまでの笑みは消え去り、声色からも何の感情も読み取れない。
しかし、夕焼けが照らし出す室内には、圧倒的な気配が満ちていた。
その気配は、間違いなく史郎の幼い身体から立ち上っている。

その圧迫感に羽倉はわずかに眉根を寄せつつ、静かに応える。

「そうだ……わずかな反応があったが詳細は掴めなかった。更なる追跡には……」

言い終わるのを待たず、史郎は無言で右手を差し出した。
その目線は床に落ち、どこを見るともなく焦点が合っていない。
羽倉もまた無言で自らの右手を差し出し、史郎と手をつないだ。

「んっ!」

その瞬間、つないだ右手から全身に向けて言い知れぬ快感が駆け抜け、羽倉の喉から艶めかしい声が漏れ出した。
おとがいをそらし、ぶるりと震えた羽倉の容姿に、異様な変化が起こった。
髪の色が光沢のある灰色、あるいは銀色に変じ、肌の色も白よりもなお白くなっていく。髪も肌も、その色と同時に生者らしさを失い、それとは別の力を宿して輝きを増していくかの様にも見えた。
先ほどまで強い意志を宿していた瞳が微睡むような半眼になり、そこから淡い紫の光が放たれていく。

人から、魔物娘への変化。

変化は身体的なものだけではない。
右手から流れ込む快感は強烈で、ずっと握り続けていたい欲求を際限なく湧きあがらせた。いや、握手を交わすだけでは物足りない。理性など捨てさり、このまま魔物の本能の赴くまま貪ってしまえばどんなに……

バチッ
「……っく!」

突如、二人のつながれた手に青白い電撃が発生し、その衝撃に弾かれるように羽倉は手を放した。
史郎から供給されるものが一定量に達したとき、自動で発動するように仕掛けた電撃の術式。当初は不測の事態に対しての、あくまでデッドラインのつもりで設定したものだった。しかし何度やっても危うい衝動に抗うことはできず、度重なる分析からして

(やはり、慣れる、などというほど生易しいものではないな、これは)

と今では術式に頼ってしかるべきという結論に至っていた。

欲望から理性を取り戻したが、その瞳は変わらず薄紫に染まったままだ。
髪も肌も、もはや人のそれではない。
ないが、その姿からは他の魔物娘の例に漏れず、人を惹きつけて止まない、尋常ではないほどの色気とでもいうべきものが漂っている。

魔物娘の中でも遥かな魔力と底知れぬ知識を持つ、久遠の知の探究者。
この上級アンデットの総称を<リッチ>という。
羽倉美玲も、そのうちの一体だ。

羽倉は自らの術を受けた右手を眺めた。
むろん、怪我をするようなことはないが、念のため異常がないことを確認する。
次に同じ術を受けたはずの少年に視線を移した。

だが、少年は薄く細い煙を上げる右手を気にも留めていなかった。
相変わらず床を眺めていた目線を緩慢な動きで上げていく。

目が合った。

「……大丈夫ですか?」

目を合わせ、気遣う言葉をかけてきたが、羽倉は先ほどとは違う感覚が背筋を走り抜けるのを抑えられなかった。
その目には光がなく、底知れぬ暗さだけが覗いていたからだ。
史郎本人は以前、力を譲渡する際の影響を最小限にするために心を閉じるのだと話していた。
経箱を持つリッチである羽倉さえ、あれほどの衝動に駆られるのならば決して大げさな話ではないのだろうが

(いや、この子の場合は、それだけでは……)

そう考えが巡りかけたとき、

「……あ。……すみません、また……」

羽倉の瞳がわずかに揺らいだのを見て、ようやく史郎の目にも光が戻った。

「いや……それより先に進もう」

今は優先すべきことがある、自分に言い聞かせるように羽倉は言った。

そして、おもむろにベッド脇にたたまれていたシーツを掴むと、無造作に天井に向かって放り投げた。
それと同時に何やら呪文のようなものを呟く。すると、シーツは重力を無視するかのように中空で動きを止め、次に新品の折り紙のようにシワなく広がり始める。

さらに羽倉が何かを呟くと、白いシーツに青白い光が浮かび上がり、何かを映し出した。
それは静波病院から数キロ離れた場所にある、ちょっとした歓楽街の地図。
その中の、小さなビルが乱雑に建つ区画に赤い点が浮かび上がった。

「ここですか」

赤い点を中心に周囲の地図を記憶しつつ、史郎が問い

「ああ、<診察>(探知)に使用した魔力は十分な量だった。
 精度は誤差範囲のはずだ」

羽倉は淀みなく答えた。

「ありがとうございます」

史郎はベッドの上で向きを変えると、おもむろに窓の鍵をあけ、ガラス製のそれを開け放った。

「行くのか」

今まさに窓から身を投げ出そうという患者に、医師がかける言葉としては、あまりに相応しくない。

「はい、行ってきます」

そして患者が答えるにしても常軌を逸した返答。

しかし、この二人に限っては自然な会話と行動だった。

間もなく史郎は窓から外へと消え、羽倉をそれを静かに見送った。

しばらく、窓を眺めるでもなく見つめていたが、やがて病室の扉までの数歩を歩く。

その時には髪も肌も瞳も、羽倉の容姿は人間の、医師のそれに戻っていた。

「ふうぅ〜……う」

廊下に出た途端、深いため息をつくと、病院独特の薬品の匂いが鼻につき、わずかに息が詰まった。
16/05/16 02:27更新 / 水底
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■作者メッセージ
長い……(自業自得)

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