第七話 食卓にて/隊長のターン
一体何だったのだろうか。シャーランの存在がエミリアに暗い影を落としているのでは、と思っていたのだが、あの反応はそれとは関係ない気がする。あくまでそんな気がするだけだが。
「――あ。隊長、レフヴォネンさん。ここに居たんですか!」
「ハミルか。どうした?」
階段の方から姿を現したハミルの方に振り返り、その隣にアニーも居た事に気付く。
二人はこの分隊詰め所の構造上、仕方なく相部屋となっている。好き合っている訳でも嫌い合っている訳でもないから別に構わない、と言うのでそのままにしているが、本来ならば男部屋、女部屋で分けるべきではないだろうか、と思う事もある。
「おぉ、アネーも地味な人もおはよー」
声を聞いたのか、エプロンを着たシャーランが、両手に朝食と思わしきものを持ったまま廊下に顔を出しに来た。
「あ、コラ! ダメじゃないの、怪我人が勝手に動き回っちゃ!」
「そうですよ! そうしない為に昨日は隊長の部屋に居たんですから!」
「だってー、じっとしてらんないんだもの」
子供か、と思わずにはいられない。仕草といい喋り方といい、とても成人前の女性とは思えない行動ばかり見ている気がする。
「状態見て驚いたんですからね? 筋肉も骨も、血管に至るまでボロボロだったんですから」
実際に私も容態を見たのだが、本当に酷い有様だった。
彼女が無理をして戦っていた事は分かっていたのだが、内出血で赤黒く染まった手足を見た時は血の気が引いた。ここまでしてオーガと戦っていたのだ。
――しかし、何故そこまで……?
戦う前に何か言っていた、とアニーが教えてくれたが、命を投げ出してまで魔物を倒そうとする理由が分からない。
戦闘中の言動から、彼女が魔物に憎しみを持っている事は分かっていた。私は、そこに己の命を削って戦わなければならないほどの理由があると思う事にする。
――その内、聞いてみるか。
だが、何故だかこの少女からその答えを聞くのは難しい気がした。先ほどの遠慮といい、何処と無く距離を感じる。これが新人ゆえの物であればいいのだが。
「うーん、今度からは気をつけるよー」
この態度は、絶対に改める気がない。そんな予感がする。
今度無茶をしそうになったら全力で止めねばなるまい。
「あ、隊長もそうですよ。彼女に比べれば軽症って思われますけど、それでも十分大怪我の範囲に入るくらいなんですからね?」
「む……。これはすまん」
ついで、と言わんばかりに矛先がこちらに向かってきた。これに関しては純粋に謝るしかない。
「さて、折角新人がご飯用意してくれたんだし、早速食べよ。……あれ? エミリアは?」
「エミリアならば先ほど玄関を出て何処かに行った。……理由は分からんが」
二人が、いやシャーランも含めて三人が首を傾げる。
「よく分かりませんが、食べま――、……って地味って何ですか地味って!? 危うく流しそうになりましたよ!?」
反応が遅いだろう、と言いたくなる。
「いや、だってアンタ地味だしー」
「僕にはハミルっていう名前があるんですよ! せめて呼び捨てでもいいので名前で呼んでください!」
「じゃあ、ハミハミで」
「そんな気の抜けそうなあだ名は嫌ですよ!」
「……何気に昨日から呼ばれてるけど、アタシは『アネー』で決まりなのね……。まあここの中では一番年上の女だし、別にいいんだけど」
どうやらシャーランは人に妙なあだ名をつけるようだ。さっきから私の事を『タイチョー』と変に間延びした発音で呼んでいたのはあだ名のつもりだったのだろう。
何はともあれ、彼女が作ったという朝食を頂く事にする。
・・・
口にして分かる事もある。
一見何の変哲も無いような、このシンプルな野菜スープにも特別な隠し味が使われているかもしれない、という事は食べなければ分からない。
他にも、コンソメを普段使われているものから自家製のものにしているかもしれない。
普段は全部まとめて鍋に入れる食材を、ウィンナーだけ後から入れて歯ごたえを出すように工夫しているかもしれない。
キャベツは一週間前から放置されているかもしれない。
以上のような事は、人間にも当てはまる。聞いた話だけではその人物の本質は見えてこない。だからこそ、話し合いによる相互理解は円滑な関係を築く為に重要なのだ。
「どうよ!? 美味しい!? 不味い!?」
「――辛すぎませんか」
「――辛っ」
「――その、何だ。随分とジンジャーだな」
「美味いか不味いか聞いたのに何で辛いしか言わないのよ!?」
そう言われても、このスープは本当に薬味が効いているのだ。いや、効き過ぎていると言うべきか。不味くはないのだが、いや。偽るのはよくない。ここはハッキリというべきだろう。そう思って口を開こうとした矢先、ハミルが先に言葉を発した。
「貴女、実は辛党でしょう?」
「うん。味覚薄いからね」
上手い事美味いか不味いか以外に会話の論点をずらした。やはりこの分隊きっての頭脳はだけはある。そうだな。真実を語る事がいいとは限らないよな。
――だがハミルよ。言わなければこれがまた続くんだぞ?
しかし、これだけ辛いものを食べ続けていれば、味覚もおかしくなるだろう。
「そういえばさ。ここって全部で6人の部隊だよね?」
「ああ。お前を含めて合計6人だが、それがどうした?」
「私、タイチョー、アネー、ハミハミと、さっきの勇者候補。……まだ一人、起きて来てないと思うんだけど」
その言葉と同時に、アニーとハミルが硬直したのが分かる。
確かに、私の部隊にはもう一人居る。おそらく彼は、今もまだ部屋で眠っている。昨日、領内に帰還してきて報告を終えた後、既に彼は目を覚ましていた。
だが、それっきりだ。誰とも会話する事も無く、部屋に閉じ篭ってしまっていた。
「レイブンならばまだ寝ている筈だ。普段なら10時くらいに起きてくる」
「何それ。随分ここの規則って緩いわねー」
「いや、そうではない。何度も注意はしているのだが、どうにも聞き入れてくれなくてな」
シャーランの眉間に皺が寄った。この少女は感情表現がやけに豊かだ。常に仏張面のエミリアに少し分けてやってほしいと思う。
「はぁ? タイチョーも大人なんだから、分からず屋の子供は殴って聞かせなきゃ」
「その考えで行くと、一番初めにエリアス隊長の拳を貰うのは貴女ですよね?」
ハミルに指摘され、はっ、となって黙り込んだ。それはつまり、私が何を言っても自分の意見を変えるつもりが無いという事だろうか。
「――話を戻そう。彼には複雑な事情があり、その所為で人に関わられる事を嫌うようになってしまったのだ」
「……」
あまり本人の居ない場所で事情を暴露したくは無いのだが、彼の気持ちを考えて貰う為にも、この少女には知って貰いたいのだ。
彼にまつわる、厄介な事情を。
・・・
レイブン・ケスキトロ。
ケスキトロという姓は、この国で知らない者は居らず、近隣国にまでその名を知る者が居るほどである。それも、アルカトラ支部における本隊、通称アルカトラ騎士団における大将軍、アードルフ・ケスキトロ様の存在があってこそである。
彼は、レイブンはアードルフ大将軍の孫という立場に居るのだ。さらにレイブンの父も将軍で、母は上級神官というサラブレッド級存在でもある。
そんな彼に周囲の人間が期待するのは当然の事だった。
『あの大将軍のお孫さんなのだから、きっと素晴らしい兵士になれるだろう』
『重鎮のお二方の子なのだから、教団にとって非常に重要な存在に成長するだろう』
過度な期待に対し、幼い彼はよく分かりもせずに頷いていた。口車に乗せられて、将来きっと大物になる、と自分で豪言していた事もあるらしい。
そしてその数年後。
周囲の人間が向けてくる視線が、『大将軍の孫』や『将軍と神官の子』という名称にしか向けられておらず、レイブン・ケスキトロという人物に対してはこれっぽっちも向けられていない事に気付いてしまったのだ。
この頃から教団兵としての訓練をさせられており、努力しても並の人間程度の成果しか出ない彼に向かって人々はこう言ったのだ。
『あの大将軍の孫がこんな程度な訳がない』
『貴方のお父さんはこの頃から既に才覚を表していましたよ?』
『君のお母さんはこの程度の魔術書、一日もかけずに読んでいたんだがなぁ』
レイブンは打ちのめされた。何をやっても、どれだけ頑張っても出る結果は人並み。そして返ってくる反応も祝福ではなく、失望。
誰かに相談したくても、仕事で家族を省みない祖父と、腫れ物を扱うような対応しかしない両親には出来る訳がない。立場の所為で友達だって出来なかった。
そしていつしか彼は、努力する事を諦めてしまったのだ。
何をしても認められない。周りからは特別扱いされる。そんな気持ちで、彼は自分の殻に閉じこもってしまっていたのだ。
・・・
二年前、彼は何かから追いやられるようにこの分隊へ配属された。
「訓練に出ない事なんて日常茶飯事だったからね」
「命令無視や出撃しない、果ては隊の資金にも手を出した事もありましたよね」
その度に私は彼を怒るのだが、
『お前もあいつらと同じで俺の事見下してんだろ!? 俺に関わるんじゃねぇよ!』
そう言って逃げていってしまうのだ。
本来ならば何としてでも修正しなければならないのだが、彼を歪めてしまったのは大人だという事実があり、どうにも強気に出られなかったのだ。
「と、いう理由があるのだ。この件に関しては、口出ししても逆効果になるとしか思えんから、お前もあまり強くは――」
「うん。じゃあ叩き起こしに行くわ」
「――人の話を聞いていなかったのかお前!?」
あまりにも自然で不自然な回答に、怒り混じりの返答をしてしまう。しかしシャーランは私が言うのも聞かず、早々にリビングを出て行こうとしていた。
「ま、待て! 行って、何をするつもりだ!?」
「何って、ちょっとタイチョー。私が何をすると思ってるの?」
「ドアを蹴破ってレイブンの胸倉掴み、強制的に起こした後、ここに引きずり下ろす」
「あはははは。流石にそんな酷い事はしないよ?」
そうだったか。どうやら私は少々考えすぎかつ、彼女の事を誤解していたようだ。
「ドアをぶち壊してガキンチョの首根っこ捕まえて、物理的手段で起こした後、ここに自分から来てもらうんだよ」
私の想像以上に、この少女は問題児だった。
「やめろ! そっちの方が酷だ!」
「だって言わなきゃ人間って分からないじゃない」
「しかしだな――」
あーもう、と、シャーランは呆れたようにため息を吐き、言った。
「言えた立場じゃないけどさ。本当なら命令違反なんて罰せられて当然じゃない? それなのに、アンタの『複雑な事情があるからそっとしておこう』ってのはさ。それ自体がもう『特別扱い』なんじゃないの?」
「――なっ!?」
さらに少女は立て続けに語る。
「本当にガキンチョの事考えるなら、上司として普通に接しなきゃ駄目じゃないの? 『お前は特別なんかじゃなく、普通の人間だ』って。私は、そう思うよ」
「……」
確かに、シャーランの言う通りだ。今まで私は、知人から聞かされた彼の事情を知り、それゆえに彼の事を考えすぎていたのかもしれない。
しかし、無理に彼の殻を壊してしまえば、それこそ一生治らない心の傷が残る危険だってある。もっと普通に接するというのは分かるが、やはり彼女を行かせるのは心配だ。
だが、シャーランは既にリビングから姿を消していた。代わりに、廊下の上から階段を上がっていく足音が聞こえる。
「話を聞けというに! 待――」
慌てて廊下に出ようとした。
しかし、
「隊長。貴方こそストップです」
その行く手を、二つの影が遮った。
「ハミル、アニー!? 何故止めるんだ!」
扉から出ようとした私の前に、ハミルとアニーが神妙な面持ちで立ちはだかったのだ。
「ひょっとするとこれ、いい機会かもしれませんよ?」
「何……?」
「世の中には、荒療治が必要になる場面もあります。これを期に変化が起こるかもしれません」
それに、
「彼女がどんな人物か、これから部隊の仲間として戦うんですから、これで見極める事が出来ると思うんですよ。――まあ、絶対に荒っぽい事するのは目に見えてますが、そこは彼には今まで身勝手してきたツケが返ってきた、と思ってもらうしか」
「だが!」
あのさ、といつになく真面目な表情のアニーが言う。
「アンタがお人好しなのは分かってるよ? 長い付き合いだもん。けど、だからこそアンタが気ぃ遣い過ぎるって事も知ってる。前も新人兵の意思を尊重して、結果的にあの子除隊しちゃったんだしさ」
だから、
「今度は、ちゃんと言っていこうよ。あの子、シャーランほどじゃなくていいからさ」
訓練校からの友人に言われ、私はぐうの音も出なくなってしまった。
二人が言う事は正しい。いや、ただ単に私が心配しすぎているだけなのだろう。
――シャーランの言う通りかもしれん、か。
そうして半ば諦めたように体をリビングの方に戻し、再び自分の席に着く。
「――分かった。奴を信じて、ここでレイブンが降りてくるのを信じればいいんだな?」
「そうそう。降りてきたら普通に接しなさいよ? 今まで大目に見ていたが、これからは寝坊なんて許さ――」
ない、と私の声をマネして言う直前。その続きを、アニーが告げる事はできなかった。
なぜなら、
「――っ!?」
「……おおぅ」
私達の頭上、二階から、振動を伴った轟音が鳴り響いてきたのだ。
「……不安だ」
「――あ。隊長、レフヴォネンさん。ここに居たんですか!」
「ハミルか。どうした?」
階段の方から姿を現したハミルの方に振り返り、その隣にアニーも居た事に気付く。
二人はこの分隊詰め所の構造上、仕方なく相部屋となっている。好き合っている訳でも嫌い合っている訳でもないから別に構わない、と言うのでそのままにしているが、本来ならば男部屋、女部屋で分けるべきではないだろうか、と思う事もある。
「おぉ、アネーも地味な人もおはよー」
声を聞いたのか、エプロンを着たシャーランが、両手に朝食と思わしきものを持ったまま廊下に顔を出しに来た。
「あ、コラ! ダメじゃないの、怪我人が勝手に動き回っちゃ!」
「そうですよ! そうしない為に昨日は隊長の部屋に居たんですから!」
「だってー、じっとしてらんないんだもの」
子供か、と思わずにはいられない。仕草といい喋り方といい、とても成人前の女性とは思えない行動ばかり見ている気がする。
「状態見て驚いたんですからね? 筋肉も骨も、血管に至るまでボロボロだったんですから」
実際に私も容態を見たのだが、本当に酷い有様だった。
彼女が無理をして戦っていた事は分かっていたのだが、内出血で赤黒く染まった手足を見た時は血の気が引いた。ここまでしてオーガと戦っていたのだ。
――しかし、何故そこまで……?
戦う前に何か言っていた、とアニーが教えてくれたが、命を投げ出してまで魔物を倒そうとする理由が分からない。
戦闘中の言動から、彼女が魔物に憎しみを持っている事は分かっていた。私は、そこに己の命を削って戦わなければならないほどの理由があると思う事にする。
――その内、聞いてみるか。
だが、何故だかこの少女からその答えを聞くのは難しい気がした。先ほどの遠慮といい、何処と無く距離を感じる。これが新人ゆえの物であればいいのだが。
「うーん、今度からは気をつけるよー」
この態度は、絶対に改める気がない。そんな予感がする。
今度無茶をしそうになったら全力で止めねばなるまい。
「あ、隊長もそうですよ。彼女に比べれば軽症って思われますけど、それでも十分大怪我の範囲に入るくらいなんですからね?」
「む……。これはすまん」
ついで、と言わんばかりに矛先がこちらに向かってきた。これに関しては純粋に謝るしかない。
「さて、折角新人がご飯用意してくれたんだし、早速食べよ。……あれ? エミリアは?」
「エミリアならば先ほど玄関を出て何処かに行った。……理由は分からんが」
二人が、いやシャーランも含めて三人が首を傾げる。
「よく分かりませんが、食べま――、……って地味って何ですか地味って!? 危うく流しそうになりましたよ!?」
反応が遅いだろう、と言いたくなる。
「いや、だってアンタ地味だしー」
「僕にはハミルっていう名前があるんですよ! せめて呼び捨てでもいいので名前で呼んでください!」
「じゃあ、ハミハミで」
「そんな気の抜けそうなあだ名は嫌ですよ!」
「……何気に昨日から呼ばれてるけど、アタシは『アネー』で決まりなのね……。まあここの中では一番年上の女だし、別にいいんだけど」
どうやらシャーランは人に妙なあだ名をつけるようだ。さっきから私の事を『タイチョー』と変に間延びした発音で呼んでいたのはあだ名のつもりだったのだろう。
何はともあれ、彼女が作ったという朝食を頂く事にする。
・・・
口にして分かる事もある。
一見何の変哲も無いような、このシンプルな野菜スープにも特別な隠し味が使われているかもしれない、という事は食べなければ分からない。
他にも、コンソメを普段使われているものから自家製のものにしているかもしれない。
普段は全部まとめて鍋に入れる食材を、ウィンナーだけ後から入れて歯ごたえを出すように工夫しているかもしれない。
キャベツは一週間前から放置されているかもしれない。
以上のような事は、人間にも当てはまる。聞いた話だけではその人物の本質は見えてこない。だからこそ、話し合いによる相互理解は円滑な関係を築く為に重要なのだ。
「どうよ!? 美味しい!? 不味い!?」
「――辛すぎませんか」
「――辛っ」
「――その、何だ。随分とジンジャーだな」
「美味いか不味いか聞いたのに何で辛いしか言わないのよ!?」
そう言われても、このスープは本当に薬味が効いているのだ。いや、効き過ぎていると言うべきか。不味くはないのだが、いや。偽るのはよくない。ここはハッキリというべきだろう。そう思って口を開こうとした矢先、ハミルが先に言葉を発した。
「貴女、実は辛党でしょう?」
「うん。味覚薄いからね」
上手い事美味いか不味いか以外に会話の論点をずらした。やはりこの分隊きっての頭脳はだけはある。そうだな。真実を語る事がいいとは限らないよな。
――だがハミルよ。言わなければこれがまた続くんだぞ?
しかし、これだけ辛いものを食べ続けていれば、味覚もおかしくなるだろう。
「そういえばさ。ここって全部で6人の部隊だよね?」
「ああ。お前を含めて合計6人だが、それがどうした?」
「私、タイチョー、アネー、ハミハミと、さっきの勇者候補。……まだ一人、起きて来てないと思うんだけど」
その言葉と同時に、アニーとハミルが硬直したのが分かる。
確かに、私の部隊にはもう一人居る。おそらく彼は、今もまだ部屋で眠っている。昨日、領内に帰還してきて報告を終えた後、既に彼は目を覚ましていた。
だが、それっきりだ。誰とも会話する事も無く、部屋に閉じ篭ってしまっていた。
「レイブンならばまだ寝ている筈だ。普段なら10時くらいに起きてくる」
「何それ。随分ここの規則って緩いわねー」
「いや、そうではない。何度も注意はしているのだが、どうにも聞き入れてくれなくてな」
シャーランの眉間に皺が寄った。この少女は感情表現がやけに豊かだ。常に仏張面のエミリアに少し分けてやってほしいと思う。
「はぁ? タイチョーも大人なんだから、分からず屋の子供は殴って聞かせなきゃ」
「その考えで行くと、一番初めにエリアス隊長の拳を貰うのは貴女ですよね?」
ハミルに指摘され、はっ、となって黙り込んだ。それはつまり、私が何を言っても自分の意見を変えるつもりが無いという事だろうか。
「――話を戻そう。彼には複雑な事情があり、その所為で人に関わられる事を嫌うようになってしまったのだ」
「……」
あまり本人の居ない場所で事情を暴露したくは無いのだが、彼の気持ちを考えて貰う為にも、この少女には知って貰いたいのだ。
彼にまつわる、厄介な事情を。
・・・
レイブン・ケスキトロ。
ケスキトロという姓は、この国で知らない者は居らず、近隣国にまでその名を知る者が居るほどである。それも、アルカトラ支部における本隊、通称アルカトラ騎士団における大将軍、アードルフ・ケスキトロ様の存在があってこそである。
彼は、レイブンはアードルフ大将軍の孫という立場に居るのだ。さらにレイブンの父も将軍で、母は上級神官というサラブレッド級存在でもある。
そんな彼に周囲の人間が期待するのは当然の事だった。
『あの大将軍のお孫さんなのだから、きっと素晴らしい兵士になれるだろう』
『重鎮のお二方の子なのだから、教団にとって非常に重要な存在に成長するだろう』
過度な期待に対し、幼い彼はよく分かりもせずに頷いていた。口車に乗せられて、将来きっと大物になる、と自分で豪言していた事もあるらしい。
そしてその数年後。
周囲の人間が向けてくる視線が、『大将軍の孫』や『将軍と神官の子』という名称にしか向けられておらず、レイブン・ケスキトロという人物に対してはこれっぽっちも向けられていない事に気付いてしまったのだ。
この頃から教団兵としての訓練をさせられており、努力しても並の人間程度の成果しか出ない彼に向かって人々はこう言ったのだ。
『あの大将軍の孫がこんな程度な訳がない』
『貴方のお父さんはこの頃から既に才覚を表していましたよ?』
『君のお母さんはこの程度の魔術書、一日もかけずに読んでいたんだがなぁ』
レイブンは打ちのめされた。何をやっても、どれだけ頑張っても出る結果は人並み。そして返ってくる反応も祝福ではなく、失望。
誰かに相談したくても、仕事で家族を省みない祖父と、腫れ物を扱うような対応しかしない両親には出来る訳がない。立場の所為で友達だって出来なかった。
そしていつしか彼は、努力する事を諦めてしまったのだ。
何をしても認められない。周りからは特別扱いされる。そんな気持ちで、彼は自分の殻に閉じこもってしまっていたのだ。
・・・
二年前、彼は何かから追いやられるようにこの分隊へ配属された。
「訓練に出ない事なんて日常茶飯事だったからね」
「命令無視や出撃しない、果ては隊の資金にも手を出した事もありましたよね」
その度に私は彼を怒るのだが、
『お前もあいつらと同じで俺の事見下してんだろ!? 俺に関わるんじゃねぇよ!』
そう言って逃げていってしまうのだ。
本来ならば何としてでも修正しなければならないのだが、彼を歪めてしまったのは大人だという事実があり、どうにも強気に出られなかったのだ。
「と、いう理由があるのだ。この件に関しては、口出ししても逆効果になるとしか思えんから、お前もあまり強くは――」
「うん。じゃあ叩き起こしに行くわ」
「――人の話を聞いていなかったのかお前!?」
あまりにも自然で不自然な回答に、怒り混じりの返答をしてしまう。しかしシャーランは私が言うのも聞かず、早々にリビングを出て行こうとしていた。
「ま、待て! 行って、何をするつもりだ!?」
「何って、ちょっとタイチョー。私が何をすると思ってるの?」
「ドアを蹴破ってレイブンの胸倉掴み、強制的に起こした後、ここに引きずり下ろす」
「あはははは。流石にそんな酷い事はしないよ?」
そうだったか。どうやら私は少々考えすぎかつ、彼女の事を誤解していたようだ。
「ドアをぶち壊してガキンチョの首根っこ捕まえて、物理的手段で起こした後、ここに自分から来てもらうんだよ」
私の想像以上に、この少女は問題児だった。
「やめろ! そっちの方が酷だ!」
「だって言わなきゃ人間って分からないじゃない」
「しかしだな――」
あーもう、と、シャーランは呆れたようにため息を吐き、言った。
「言えた立場じゃないけどさ。本当なら命令違反なんて罰せられて当然じゃない? それなのに、アンタの『複雑な事情があるからそっとしておこう』ってのはさ。それ自体がもう『特別扱い』なんじゃないの?」
「――なっ!?」
さらに少女は立て続けに語る。
「本当にガキンチョの事考えるなら、上司として普通に接しなきゃ駄目じゃないの? 『お前は特別なんかじゃなく、普通の人間だ』って。私は、そう思うよ」
「……」
確かに、シャーランの言う通りだ。今まで私は、知人から聞かされた彼の事情を知り、それゆえに彼の事を考えすぎていたのかもしれない。
しかし、無理に彼の殻を壊してしまえば、それこそ一生治らない心の傷が残る危険だってある。もっと普通に接するというのは分かるが、やはり彼女を行かせるのは心配だ。
だが、シャーランは既にリビングから姿を消していた。代わりに、廊下の上から階段を上がっていく足音が聞こえる。
「話を聞けというに! 待――」
慌てて廊下に出ようとした。
しかし、
「隊長。貴方こそストップです」
その行く手を、二つの影が遮った。
「ハミル、アニー!? 何故止めるんだ!」
扉から出ようとした私の前に、ハミルとアニーが神妙な面持ちで立ちはだかったのだ。
「ひょっとするとこれ、いい機会かもしれませんよ?」
「何……?」
「世の中には、荒療治が必要になる場面もあります。これを期に変化が起こるかもしれません」
それに、
「彼女がどんな人物か、これから部隊の仲間として戦うんですから、これで見極める事が出来ると思うんですよ。――まあ、絶対に荒っぽい事するのは目に見えてますが、そこは彼には今まで身勝手してきたツケが返ってきた、と思ってもらうしか」
「だが!」
あのさ、といつになく真面目な表情のアニーが言う。
「アンタがお人好しなのは分かってるよ? 長い付き合いだもん。けど、だからこそアンタが気ぃ遣い過ぎるって事も知ってる。前も新人兵の意思を尊重して、結果的にあの子除隊しちゃったんだしさ」
だから、
「今度は、ちゃんと言っていこうよ。あの子、シャーランほどじゃなくていいからさ」
訓練校からの友人に言われ、私はぐうの音も出なくなってしまった。
二人が言う事は正しい。いや、ただ単に私が心配しすぎているだけなのだろう。
――シャーランの言う通りかもしれん、か。
そうして半ば諦めたように体をリビングの方に戻し、再び自分の席に着く。
「――分かった。奴を信じて、ここでレイブンが降りてくるのを信じればいいんだな?」
「そうそう。降りてきたら普通に接しなさいよ? 今まで大目に見ていたが、これからは寝坊なんて許さ――」
ない、と私の声をマネして言う直前。その続きを、アニーが告げる事はできなかった。
なぜなら、
「――っ!?」
「……おおぅ」
私達の頭上、二階から、振動を伴った轟音が鳴り響いてきたのだ。
「……不安だ」
13/09/04 22:29更新 / イブシャケ
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