第六話 始まりにて/勇者候補のターン
夢を見ない熟睡から覚め、目蓋を上げました。毛布を持ち上げ、上半身を起こします。
「んー……」
ハッキリ言って、私は朝が苦手です。低血圧という訳ではないのですが、底なし沼に沈んでいくような感触が私を二度寝に誘い込もうとしているのです。
――……いけないいけない。
それでも起きなければ部隊の皆に迷惑が掛かります。ですので、頑張ってベッドから這い出て、カーテンを開けます。
今日も快晴で、曇り一つない空でした。これはいい訓練日和でしょう。
――昨日は不覚を取ってしまいましたし、まだまだ精進が足りないですからね。
早速鏡台の前に座り、寝癖を櫛でとかしていきます。昔は自分でやろうとしても上手くできなかったのに、今では何事もなくこなせるようになっていました。元々髪質が固くなかったのが幸いだったようです。
「痛っ!」
とかしていた最中に、櫛が何かに引っかかってしまい、髪を引っ張ってしまったようです。異物を取り除く為、髪を手で触ってみると、細長くて固い感触が返ってきました。
「――あ」
思い出したようにそれを髪から引き抜き、掌の上に乗せます。
「ヘアピン、したまま寝ちゃったんですね」
針金のように細い、シンプルな黒のヘアピン。留める必要がないほどしか長さはないのですが、私はこれを肌身離さずつけるようにしているのです。
――カトリーナ様……。
このヘアピンを見る度、私の憧れだった人の顔が浮かんできます。
たなびく金色の髪に、濃緑の瞳。整った顔立ちに、凛とした立ち振る舞い。いつも優しげな表情を浮かべていて、いつも私に勇気をくれていました。
――私はまだ、未熟です。……でも、きっと強くなりますから。
幼い頃に誓った約束を胸に、私はまた鏡を見ます。
「……あれ?」
そこまで来て、私の中にふと疑問が浮かび上がりました。
流石に肌身離さず、とはいっても眠っている最中に失くしては元も子もないので、このヘアピンは必ず就寝前に鏡台の上に置くようにしています。
それなのに、付けたまま眠ってしまっていた、という事は、昨日はよほど疲れていたか、その事に気が回らないほどの事があったのか。そのどちらかでしょう。
「魔物の群れと戦闘になった後、どうしましたっけ。確か――」
理由を思い返し、そして、
「あっ!」
解答に行き着いたのです。
その瞬間、立ち上がっていて、考えるよりも先に私は部屋を飛び出していました。階段を転げ落ちていくような速度で降り、リビング兼会議室へ飛び込みました。
毎日早朝から起きているエリアス隊長ならば全て知っているのでは、と思った故の行動でした。
ですがそこに彼は居ませんでした。その代わり、
「ん? あー、おはよう。朝ご飯出来てるよー?」
「……へっ?」
昨日見たあの少女が、何事もなかったかのようにテーブルへ料理を運んでいたのです。
自前の物でしょうか、継ぎ接ぎだらけのエプロンを着て、焼きたてのパンが積まれた皿と出来立ての、独特の香りを漂わせるスープを持っているではありませんか。
「ちょっとー。何そこで突っ立ってるのよ。入るんなら入りなさいよー」
彼女の顔を見る度に、昨日のオーガと繰り広げた激戦が脳裏に蘇ってきます。
私は負け、彼女は勝った。必死に鍛え上げてきた私の剣はあの鬼には通用せず、しかしこの少女の拳は鬼を退治するに至った。
――この人は、私より……強い?
認めた瞬間から、私の胸の中には情けないような、悔しいような複雑な感情が渦巻き始めていました。今まで積み重ねてきた日々は、何だったのか。私が守れなかった物を、この少女は守り通す事が出来た。
それはつまり、私は不要という事に他ならなくて、
「む、エミリアか。早いな」
その時、私の背後からエリアス隊長が話しかけてきました。思考に気を取られていた所為か、気が付きませんでした。すぐさま挨拶を返そうと振り返り、
「あ、タイチョー。おはよー」
「……お前、今日は休んでいろと言われていた筈だが」
そのタイミングを、逃してしまいました。
「いやー、じっとしてるの性に合わなくってね。ていうか人のベッドだと寝にくいよ」
「仕方ないだろう、手当てをしようにも私の部屋のベッド以外マトモな寝床が無かったのだからな。――不快な臭いでもしたか?」
「――っ!?」
隊長のベッドで、寝た。
その事を聞いた瞬間、理由の分からない私の身体に電撃が走りました。突然、胸が締め付けられるような痛みが走り、息が詰まるような感触を得ました。
「いやー、快適そのものだっただけどね? ……タイチョーが気にしないかなー、って」
「何を遠慮がちな。随分と変な所で気を遣うな、お前は」
「あははは。どーもね」
傷ついた彼女を手当てする為、という理由を聞いても、このざわめきは一向に引く気配がありません。むしろ、自分の負傷を気に留めず、彼女の手当てを付きっ切りで行っていたであろう事に、より一層胸の締め付けが強くなります。
「すまんエミリア。先に部屋に入って――、エミリア?」
「はひっ!?」
突然話しかけられ、跳び上がる様に驚いてしまいました。
何事か、と隊長が私の顔を覗き込んできて、その見慣れた筈の顔が近づいてくる度、心臓の鼓動が早まって、それで、その、
「――し、ししし、失礼しますっ!」
「お、おい!?」
耐え切れなくなった私は、引き止める隊長の脇をすり抜け、玄関から朝靄の残る外へ飛び出していってしまいました。
燃えているのではないかと思うほど身体が熱く、まだ数秒も走っていないのに心臓がうるさいほど響いているのです。
――何? 何なんですか、これは?
自らに起こっている異常の正体が分からず、ひたすらに戸惑いながら頭を冷やす事しか出来ません。
そして、冷静になろうとすればなるほど、隊長とあの少女の顔が浮かんでくるのです。
だから私は、外にいる事を忘れて叫んでしまいました。
「――あんな人、絶対に認めません!」
「んー……」
ハッキリ言って、私は朝が苦手です。低血圧という訳ではないのですが、底なし沼に沈んでいくような感触が私を二度寝に誘い込もうとしているのです。
――……いけないいけない。
それでも起きなければ部隊の皆に迷惑が掛かります。ですので、頑張ってベッドから這い出て、カーテンを開けます。
今日も快晴で、曇り一つない空でした。これはいい訓練日和でしょう。
――昨日は不覚を取ってしまいましたし、まだまだ精進が足りないですからね。
早速鏡台の前に座り、寝癖を櫛でとかしていきます。昔は自分でやろうとしても上手くできなかったのに、今では何事もなくこなせるようになっていました。元々髪質が固くなかったのが幸いだったようです。
「痛っ!」
とかしていた最中に、櫛が何かに引っかかってしまい、髪を引っ張ってしまったようです。異物を取り除く為、髪を手で触ってみると、細長くて固い感触が返ってきました。
「――あ」
思い出したようにそれを髪から引き抜き、掌の上に乗せます。
「ヘアピン、したまま寝ちゃったんですね」
針金のように細い、シンプルな黒のヘアピン。留める必要がないほどしか長さはないのですが、私はこれを肌身離さずつけるようにしているのです。
――カトリーナ様……。
このヘアピンを見る度、私の憧れだった人の顔が浮かんできます。
たなびく金色の髪に、濃緑の瞳。整った顔立ちに、凛とした立ち振る舞い。いつも優しげな表情を浮かべていて、いつも私に勇気をくれていました。
――私はまだ、未熟です。……でも、きっと強くなりますから。
幼い頃に誓った約束を胸に、私はまた鏡を見ます。
「……あれ?」
そこまで来て、私の中にふと疑問が浮かび上がりました。
流石に肌身離さず、とはいっても眠っている最中に失くしては元も子もないので、このヘアピンは必ず就寝前に鏡台の上に置くようにしています。
それなのに、付けたまま眠ってしまっていた、という事は、昨日はよほど疲れていたか、その事に気が回らないほどの事があったのか。そのどちらかでしょう。
「魔物の群れと戦闘になった後、どうしましたっけ。確か――」
理由を思い返し、そして、
「あっ!」
解答に行き着いたのです。
その瞬間、立ち上がっていて、考えるよりも先に私は部屋を飛び出していました。階段を転げ落ちていくような速度で降り、リビング兼会議室へ飛び込みました。
毎日早朝から起きているエリアス隊長ならば全て知っているのでは、と思った故の行動でした。
ですがそこに彼は居ませんでした。その代わり、
「ん? あー、おはよう。朝ご飯出来てるよー?」
「……へっ?」
昨日見たあの少女が、何事もなかったかのようにテーブルへ料理を運んでいたのです。
自前の物でしょうか、継ぎ接ぎだらけのエプロンを着て、焼きたてのパンが積まれた皿と出来立ての、独特の香りを漂わせるスープを持っているではありませんか。
「ちょっとー。何そこで突っ立ってるのよ。入るんなら入りなさいよー」
彼女の顔を見る度に、昨日のオーガと繰り広げた激戦が脳裏に蘇ってきます。
私は負け、彼女は勝った。必死に鍛え上げてきた私の剣はあの鬼には通用せず、しかしこの少女の拳は鬼を退治するに至った。
――この人は、私より……強い?
認めた瞬間から、私の胸の中には情けないような、悔しいような複雑な感情が渦巻き始めていました。今まで積み重ねてきた日々は、何だったのか。私が守れなかった物を、この少女は守り通す事が出来た。
それはつまり、私は不要という事に他ならなくて、
「む、エミリアか。早いな」
その時、私の背後からエリアス隊長が話しかけてきました。思考に気を取られていた所為か、気が付きませんでした。すぐさま挨拶を返そうと振り返り、
「あ、タイチョー。おはよー」
「……お前、今日は休んでいろと言われていた筈だが」
そのタイミングを、逃してしまいました。
「いやー、じっとしてるの性に合わなくってね。ていうか人のベッドだと寝にくいよ」
「仕方ないだろう、手当てをしようにも私の部屋のベッド以外マトモな寝床が無かったのだからな。――不快な臭いでもしたか?」
「――っ!?」
隊長のベッドで、寝た。
その事を聞いた瞬間、理由の分からない私の身体に電撃が走りました。突然、胸が締め付けられるような痛みが走り、息が詰まるような感触を得ました。
「いやー、快適そのものだっただけどね? ……タイチョーが気にしないかなー、って」
「何を遠慮がちな。随分と変な所で気を遣うな、お前は」
「あははは。どーもね」
傷ついた彼女を手当てする為、という理由を聞いても、このざわめきは一向に引く気配がありません。むしろ、自分の負傷を気に留めず、彼女の手当てを付きっ切りで行っていたであろう事に、より一層胸の締め付けが強くなります。
「すまんエミリア。先に部屋に入って――、エミリア?」
「はひっ!?」
突然話しかけられ、跳び上がる様に驚いてしまいました。
何事か、と隊長が私の顔を覗き込んできて、その見慣れた筈の顔が近づいてくる度、心臓の鼓動が早まって、それで、その、
「――し、ししし、失礼しますっ!」
「お、おい!?」
耐え切れなくなった私は、引き止める隊長の脇をすり抜け、玄関から朝靄の残る外へ飛び出していってしまいました。
燃えているのではないかと思うほど身体が熱く、まだ数秒も走っていないのに心臓がうるさいほど響いているのです。
――何? 何なんですか、これは?
自らに起こっている異常の正体が分からず、ひたすらに戸惑いながら頭を冷やす事しか出来ません。
そして、冷静になろうとすればなるほど、隊長とあの少女の顔が浮かんでくるのです。
だから私は、外にいる事を忘れて叫んでしまいました。
「――あんな人、絶対に認めません!」
14/11/15 22:08更新 / イブシャケ
戻る
次へ