第五話 結末にて/新兵のターン
痛い。握る両手が痛い。
痛い。二の腕や、肩、腰、足が痛い。
痛い。体中をおぞましい速さで動く血流が痛い。
痛い。全力疾走よりも激しく動く心臓が、今にも潰れそうで痛い。
今、全身に掛けている15倍の身体強化は確実に私の身体を破壊しようとしていた。
――……まだ。
普通、常人が耐えられる負荷は1.5倍だ。
私の唯一の手持ち魔法であるコレにはリミッターがなく、数値を当てはめるだけで何処までも強化できる。だが、その分負荷が増え、上げ続ければ間違いなく死ぬ。
他にいろいろ覚えようとした。だが、私に出来るのはこれだけだった。
馬鹿の一つ覚えもいい所だ。
――父さんが受けた苦しみに比べれば……っ。
だけど、私は逃げない。逃げれば、私が私でなくなってしまう。
――……許さない。
父さんを奪われ、一人になって、この力を手にして、決めたのだ。
絶対に『魔物』という存在そのものを許さない。この手が折れるまで、この足が砕けるまで戦い、
――いや、そんな綺麗じゃないわね。
ブチ殺す。
父さんを殺した魔物達に、その痛みを味あわせてやる。
復讐を遂げる為なら、私は死んだっていい。このどす黒い気持ちのまま、平和に生きるなんて出来はしないから。
「――っ!」
ふと、何かが聞こえた気がする。誰かの声がしたような気がする。そんな事ある筈がないのに。
私を思う人なんて、もう居ないというのに。
だから私はそれを無視して、肺に空気を流し込んだ。次の行動に必要な呼吸を、このタイミングで済ませる。
久しぶりに得られた酸素に安堵したのか、身体が揺れ、膝が落ちかける。
「なっ!?」
そのおかげで顔面狙いの拳を回避出来、オーガの隙を生み出す事が出来た。
――身体強化、倍率、二十倍。
唇の動きだけで私の武器を強化し、最後の力を振り絞って大地を踏み、
「――おぉ!」
渾身の右アッパーを撃ち放った。
・・・
私の拳は、オーガを倒すには至らなかった。生物的本能が回避を訴えていたのか、すんでの所で鬼は顎を引いていた。
「くっ!」
だが、それは少しだけ遅かった。拳は鬼の角に触れ、右の角を叩き割ったのだ。
「――っ!? ぐぁあっ!」
「も、いっちょ!」
続けざまに、先ほどのお返しと言わんばかりに膝蹴りを放った。その攻撃は見事にオーガにダメージを与え、怯ませた。
――今だっ!
両手に力を込め、全身全霊を込めて滅多打ちにする。
「――うおぉぉぉおおぉぉぉっ!」
右、左、右、左と何度も拳が突き刺さり、指の関節を潰しながらオーガを打撃していく。
「がっ、ぐぉ、ぶへっ、はぐっ!」
――これで、トドメっ!
身体を捻り、全体重を乗せ、
「――っ!」
オーガの身体を吹き飛ばした。
緑の身体はくの字になりながら後ろで起き上がろうとしていた魔物にぶつかり、共に動かなくなった。
「――はっ、はっ、はっ」
途端に、抑えていた疲労が決壊し、私に膝を突かせたのだ。
「シャーラン!」
アニーが慌てた様子で駆け寄ってきて、完全に突っ伏してしまう前に抱きかかえてくれた。必死に私の名を叫んでいるが、魔法により感覚神経も強化されている以上、うるさくて仕方ない。
「ちょ、まって、いま、きるから」
疲労により口すらもマトモに動かせない中で、どうにか強化を解除していく。いきなり平常時に戻すと、そのショックだけで死ぬ危険があるのだ。
少しずつ感覚が正しくなり、耳に入る音も落ち着いてきた時、アニー以外の気配が感じられた。
「シャーラン・レフヴォネンだな?」
首を動かせないので、どんな人物か分からないが、声の質からして男、それも男性と言える年齢だろう。何故だか、この声を聞いていると落ち着いてくる。
「――この、馬鹿者!」
「ぬわっ!?」
「一人で魔物に立ち向かうなど馬鹿のする事だ! 死にたいのか!?」
「い、いや、私は――」
「言い訳は聞かん! 帰ったら説教だ。覚悟しておけ!」
何だ、この男は。人の言葉も聞かずに勝手に決めつけて。
――やっぱ教団所属の上司ってどいつもこいつも……、あれ?
せめて顔だけは拝んでやろうと、動くようになった首を声の方に向ける。
そこには、心の底から安心しているような、そんな表情をした男が居たのだ。
「……まったく。私の下に就いたからには、勝手に死ぬ事は絶対に許さん。お前にどのような理由があろうともだ。何故なら――」
何故なら、
「今日からお前は、私の、私達の仲間なのだから」
「――」
そう言われて、私は戸惑った。何故だか分からないが、狼狽えた。
「オーガを相手に一歩も引かぬその勇気。凄かったぞ」
「――っ」
褒められた。怒られて、仲間だって言われて、褒められた。ただそれだけ。それだけなのに、急に調子が変になった。
――え、ちょっと、何、これ……っ!?
その時、強烈な気配を感じた。
「隊長っ!」
「――何!?」
隊長と呼ばれた男が向いた方に視線を戻すと、そこには、
「随分とやられちまったなぁ、おい」
緑の鬼が、痣だらけでフラフラになりながらも立ち上がっていたのだ。
「オーガ!? まだ生きて――、っ!」
こちらも立って応戦しようとしたが、足の腱が悲鳴を上げて千切れた事により立つ事が出来なかった。ここで戦えなければ、どうしようもないというのに。
だが、オーガはその場に立ったままこちらに向かっては来なかった。
「角も折られちまって、仲間もアタシもこんなにボコボコにされて。こりゃ完敗だぁね。出直すとするよ」
片手で頭を抱えるような素振りを見せ、ため息をついた後、オーガは言った。
「テメェらに二つ、言いてぇ事がある。一つはそこのいいパンチの女だ」
指を刺し、極上の料理を前にした笑みを浮かべ、
「『おぼえてろ』。テメェにゃそれだけだ。もう一つは――」
今度は指を横にスライドさせ、私の隣、隊長を指していた。
いや、正確にはその後ろ。彼が背負っている少女に向けられていた。
「そこの勇者候補。――随分辛気臭ぇ顔してるが、まあいいや」
今度はつまらない物を見るような目で、こう告げた。
「――ハッキリしやがれ。それだけだ」
言うだけ言って、オーガは踵を返した。それに合わせたように周りの魔物達も、身体を揺らしながらも起き上がる事が出来た。
「退くぞ、テメェら!」
その一言で、全員が弾かれるように四方八方へ逃げ出した。山に消えて行ったもの、空に消えて行ったもの、森に消えて行ったものと、数十匹は居た魔物が、瞬時にして居なくなったのだ。
追う事は出来なかった。今の身体では、物理的に立ち上がれない。
――クソッ!
仇を逃がした事に腹を立て、地面を力なく殴る。
「……助かった、のね」
「ど、どうやらそのようですね」
アニーともう一人、隊長でない男の声がした直後、意識にもやが掛かり始めた。
「え? ちょっと、シャーラ――」
「――っ! ――っ!?」
声も届かなくなるほどの暗闇に落ちていく感触。それを最後に、私は意識を手放した。
痛い。二の腕や、肩、腰、足が痛い。
痛い。体中をおぞましい速さで動く血流が痛い。
痛い。全力疾走よりも激しく動く心臓が、今にも潰れそうで痛い。
今、全身に掛けている15倍の身体強化は確実に私の身体を破壊しようとしていた。
――……まだ。
普通、常人が耐えられる負荷は1.5倍だ。
私の唯一の手持ち魔法であるコレにはリミッターがなく、数値を当てはめるだけで何処までも強化できる。だが、その分負荷が増え、上げ続ければ間違いなく死ぬ。
他にいろいろ覚えようとした。だが、私に出来るのはこれだけだった。
馬鹿の一つ覚えもいい所だ。
――父さんが受けた苦しみに比べれば……っ。
だけど、私は逃げない。逃げれば、私が私でなくなってしまう。
――……許さない。
父さんを奪われ、一人になって、この力を手にして、決めたのだ。
絶対に『魔物』という存在そのものを許さない。この手が折れるまで、この足が砕けるまで戦い、
――いや、そんな綺麗じゃないわね。
ブチ殺す。
父さんを殺した魔物達に、その痛みを味あわせてやる。
復讐を遂げる為なら、私は死んだっていい。このどす黒い気持ちのまま、平和に生きるなんて出来はしないから。
「――っ!」
ふと、何かが聞こえた気がする。誰かの声がしたような気がする。そんな事ある筈がないのに。
私を思う人なんて、もう居ないというのに。
だから私はそれを無視して、肺に空気を流し込んだ。次の行動に必要な呼吸を、このタイミングで済ませる。
久しぶりに得られた酸素に安堵したのか、身体が揺れ、膝が落ちかける。
「なっ!?」
そのおかげで顔面狙いの拳を回避出来、オーガの隙を生み出す事が出来た。
――身体強化、倍率、二十倍。
唇の動きだけで私の武器を強化し、最後の力を振り絞って大地を踏み、
「――おぉ!」
渾身の右アッパーを撃ち放った。
・・・
私の拳は、オーガを倒すには至らなかった。生物的本能が回避を訴えていたのか、すんでの所で鬼は顎を引いていた。
「くっ!」
だが、それは少しだけ遅かった。拳は鬼の角に触れ、右の角を叩き割ったのだ。
「――っ!? ぐぁあっ!」
「も、いっちょ!」
続けざまに、先ほどのお返しと言わんばかりに膝蹴りを放った。その攻撃は見事にオーガにダメージを与え、怯ませた。
――今だっ!
両手に力を込め、全身全霊を込めて滅多打ちにする。
「――うおぉぉぉおおぉぉぉっ!」
右、左、右、左と何度も拳が突き刺さり、指の関節を潰しながらオーガを打撃していく。
「がっ、ぐぉ、ぶへっ、はぐっ!」
――これで、トドメっ!
身体を捻り、全体重を乗せ、
「――っ!」
オーガの身体を吹き飛ばした。
緑の身体はくの字になりながら後ろで起き上がろうとしていた魔物にぶつかり、共に動かなくなった。
「――はっ、はっ、はっ」
途端に、抑えていた疲労が決壊し、私に膝を突かせたのだ。
「シャーラン!」
アニーが慌てた様子で駆け寄ってきて、完全に突っ伏してしまう前に抱きかかえてくれた。必死に私の名を叫んでいるが、魔法により感覚神経も強化されている以上、うるさくて仕方ない。
「ちょ、まって、いま、きるから」
疲労により口すらもマトモに動かせない中で、どうにか強化を解除していく。いきなり平常時に戻すと、そのショックだけで死ぬ危険があるのだ。
少しずつ感覚が正しくなり、耳に入る音も落ち着いてきた時、アニー以外の気配が感じられた。
「シャーラン・レフヴォネンだな?」
首を動かせないので、どんな人物か分からないが、声の質からして男、それも男性と言える年齢だろう。何故だか、この声を聞いていると落ち着いてくる。
「――この、馬鹿者!」
「ぬわっ!?」
「一人で魔物に立ち向かうなど馬鹿のする事だ! 死にたいのか!?」
「い、いや、私は――」
「言い訳は聞かん! 帰ったら説教だ。覚悟しておけ!」
何だ、この男は。人の言葉も聞かずに勝手に決めつけて。
――やっぱ教団所属の上司ってどいつもこいつも……、あれ?
せめて顔だけは拝んでやろうと、動くようになった首を声の方に向ける。
そこには、心の底から安心しているような、そんな表情をした男が居たのだ。
「……まったく。私の下に就いたからには、勝手に死ぬ事は絶対に許さん。お前にどのような理由があろうともだ。何故なら――」
何故なら、
「今日からお前は、私の、私達の仲間なのだから」
「――」
そう言われて、私は戸惑った。何故だか分からないが、狼狽えた。
「オーガを相手に一歩も引かぬその勇気。凄かったぞ」
「――っ」
褒められた。怒られて、仲間だって言われて、褒められた。ただそれだけ。それだけなのに、急に調子が変になった。
――え、ちょっと、何、これ……っ!?
その時、強烈な気配を感じた。
「隊長っ!」
「――何!?」
隊長と呼ばれた男が向いた方に視線を戻すと、そこには、
「随分とやられちまったなぁ、おい」
緑の鬼が、痣だらけでフラフラになりながらも立ち上がっていたのだ。
「オーガ!? まだ生きて――、っ!」
こちらも立って応戦しようとしたが、足の腱が悲鳴を上げて千切れた事により立つ事が出来なかった。ここで戦えなければ、どうしようもないというのに。
だが、オーガはその場に立ったままこちらに向かっては来なかった。
「角も折られちまって、仲間もアタシもこんなにボコボコにされて。こりゃ完敗だぁね。出直すとするよ」
片手で頭を抱えるような素振りを見せ、ため息をついた後、オーガは言った。
「テメェらに二つ、言いてぇ事がある。一つはそこのいいパンチの女だ」
指を刺し、極上の料理を前にした笑みを浮かべ、
「『おぼえてろ』。テメェにゃそれだけだ。もう一つは――」
今度は指を横にスライドさせ、私の隣、隊長を指していた。
いや、正確にはその後ろ。彼が背負っている少女に向けられていた。
「そこの勇者候補。――随分辛気臭ぇ顔してるが、まあいいや」
今度はつまらない物を見るような目で、こう告げた。
「――ハッキリしやがれ。それだけだ」
言うだけ言って、オーガは踵を返した。それに合わせたように周りの魔物達も、身体を揺らしながらも起き上がる事が出来た。
「退くぞ、テメェら!」
その一言で、全員が弾かれるように四方八方へ逃げ出した。山に消えて行ったもの、空に消えて行ったもの、森に消えて行ったものと、数十匹は居た魔物が、瞬時にして居なくなったのだ。
追う事は出来なかった。今の身体では、物理的に立ち上がれない。
――クソッ!
仇を逃がした事に腹を立て、地面を力なく殴る。
「……助かった、のね」
「ど、どうやらそのようですね」
アニーともう一人、隊長でない男の声がした直後、意識にもやが掛かり始めた。
「え? ちょっと、シャーラ――」
「――っ! ――っ!?」
声も届かなくなるほどの暗闇に落ちていく感触。それを最後に、私は意識を手放した。
13/09/04 22:21更新 / イブシャケ
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