好感度→
それから6日後。今週もどうにか乗り切ったー、とベッドの上でスマートフォンをいじっていると、
「なあ。明日暇か?」
先週個人席に座る羽目になった同僚がそんな事を聞いてきた。
暇じゃないね。何をするかって? ネットカフェに行ってクラウドのストレージスペースに保存してるエロゲをダウンロードして自家発電に勤しむんだよ。言わせんな恥ずかしい。聞かれる前に言ったの俺だけど。
「明日また『ロミ・ケーキ』に行こうと思ってるんだが、一緒に付いてきてくれねぇか?」
話聞いてたか? 俺は暇じゃないんだよ。
つーか、もうあそこに行くつもりねぇんだよなー。
「何でだ!? あそこ凄かったろ! 毎週と言わず毎日行ってもいいじゃねぇか!」
何でと言われても。こいつ先週店出た辺りから何か変だな?まあそれはともかくだ。
私物ロッカーを開け、引き出しに入っていた紙片を取り出す。フィネア、と書かれたその名刺を見る度、複雑な感情が湧き出てきてとっても不快だ。今までこんな気分になった事がないから余計に不快だ。
「名刺をちゃんと取っておいてるって事は、やっぱりお前も気になるのか?」
……まあ、意識していないと言えば嘘になる。
なにせ現実逃避が趣味のヘタレ童貞だ。成人して社会に出ても、そういう事に対する期待のような物を持ってしまうのは仕方ない、と思う。今までそういう期待をしようとしたら自分に『俺達が守らなきゃならないものは何だ!? 童貞だ! つーかお前みたいなゴミカスがこの現実に幸せを見つけられると思ってるのか!? 無理だ!』と言い聞かせて正気に戻っていたが、今回はどうにもそれが効かない。
『変えたい、と思った事は御座いますか?』
先週、フィネアに言われたあの言葉。アレが多分、心に引っかかってる。このままでいいのか。実は心の底ではこんな自分を変えたいと思ってるんじゃないか。そんな、ゴチャゴチャした思考にこの所囚われている。
そんな馬鹿な。二次元に萌え萌えしてる臆病者の今の自分が最高の状態だ。そう、言い切れなくなった。
正直困っていた。仕事してる最中は忙しくて考える暇が無いが、こうやって改めて考えると泥沼思考に陥る。
本当はどう考えているのか。その答えを見つけるのは簡単だ。
こう考えさせる原因になった彼女とまた話をして、自分の心の中を探ればいいのだ。間違いなく、彼女の話術があれば分かる事だろう。
だが、こんな名刺があるという事は、だ。フィネアは俺だけに構っていられる人物ではないのだろう。
先週の帰り際、それに気付いてからは自分で考える事にした。彼女を頼らない方向で考えるようにした。
今日も彼女はきっと、あの店で見知らぬ誰かに笑い掛けている。俺の知らない男と話をして、従者らしい奉仕をしている。そう考えると、何だかとっても虚しくなった。だから、アレはただの人生におけるヒントタイムだったんだ、と割り切る事にしたのだ。
だというのにこの野郎は人の努力を無駄にしようってのか。そうはいかねぇ絶対にあの店には行ってたまるか。
「店の前! 店の前まででいいんだ! 一人で行くのちょっと恥ずかしいんだよ!」
恥ずかしいなら行くんじゃねぇ! 自分で自分に誇れないような場所に行ってもお前の為にならねぇんだよ! 女とチャラ男は群れなきゃ生きてけねぇが、俺らはそうじゃねぇストイックな連中だろ! 実際の所は職務上無理矢理群れさせられてるけど!
「頼む! この通りだ! 来週一週間、お前の制服アイロンがけ、靴磨きに加えてアイスも付けるからさ!」
知るかぁぁぁ! つーか俺から仕事を取るんじゃねぇぇぇぇ!
「こんなに頼んでも駄目なのか!? じゃあこっちにも考えがあるぞ! 一緒に行かねぇと来週徹底的に仕事しねぇからな!? 連帯責任で『お前』だけじゃなくて班全員が被害食らうんだぞ!?」
何だよそれ!?
「何だって!? おいバカやめろ!」
「フル装備でマラソンとかもうやりたくねぇよ!」
「一緒に行ってやるだけだろ!? 行ってやれよ!」
ええい外野は黙ってろ!
その後、消灯時間を過ぎても言い争いが続いたが、数の暴力には勝てず、俺は仕方なく『店の前まで』という条件付きで同僚の話を飲む事にしたのだった。
嫌な予感しかしない。改めて言おう。嫌な予感しかしない……!
・・・
「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」
予感は的中した。今、俺は店の中で先週と変わらぬ見事なアイサツを見せるメイドさん達に出迎えられている。前までで済ませようとしたら外で待ち構えていたメイドさん達に引きずり込まれる形になったのだ。コレ無理矢理な客寄せじゃね?
何でだ……! と思いつつ隣を見ると、
「さ、サリアは居るかな?」
「――はぁい♪ あなたのサリアはここに居ますよー!」
「今日も来ちゃったけど、迷惑じゃなかったかな?」
「ううん、そんな事ありません♪ むしろ大歓迎です!」
すっかり専属メイドさんといい空気2名様入ります状態。もう帰っていいかな俺。いいよな俺。
「――ご主人、様? ご主人様っ!」
あ、やべぇ見つかった。今日も綺麗な桃色だねぇへへへ。
じゃ、そういう事で。
「どうして連絡して頂けなかったのですか! 私に足りない所があったのですか!?」
「フィーちゃん、中身は凄いのに押しが弱いからねー」
「髪色はピンクなのにねぇ……」
ヤバイ。彼女あと一歩で泣きそうな顔してるんだが。つーか周囲も慰める訳でもなく、遠巻きに彼女を哀れんでるように見えるんだけど肩を叩いて一緒に俺を罵るとかそういう事した方がいいんじゃないですかね女子的に。
まずは落ち着け俺。相手はこういう職場でのプロだ。おそらく、いや間違いなく、コレは確実に罠だ。俺をこのまま店内に引き込み、売上に変換する為の嘘泣きに違いない。
続けてそこから女子特有の『同情→数の暴力コンボ』が始まるだろう。だがそれは中学時代、女子に陰口を叩かれまくった俺からすればどうという事はない。いやあるんだがな。聞こえないフリだよ聞こえないフリ。
俺がするべきは回れ右を正しく行い、店外に出る事だ。
「……っ! ……お、お早い、お帰りを、お、お待ち、して、おりま、す」
いやいやいやちょっと待ってよそこ堪えないでよ思いっ切り泣く真似してよぉぉぉ!?
ここで客帰らせちゃ駄目でしょうが! アンタ、プロでしょう!? 客商売でかつ、男を何人も相手取ってるでしょう!?
……はっ!? まさか、コレも一つの技術!? あえて待つ女という健気な自分を演出する事により、相手の罪悪感を、
「…………っ」
無い無い無いそれ無いあり得ない。だって見なよあのガチ顔。顔面蒼白、紫色の瞳にたっぷり涙溜め込んで、唇青くなるまでぎゅっと噛んで、拳なんてプルプル震えてるんだぜ? アレを演技で出来るんだったら、俺はもう一生女を信じられねぇよ。
いや、でもなぁ。しかしさ。だってよ。おいおい。
「……っ! ご、ご主人様!?」
あーはいはい。負けましたよ。今日もよろしくおねがいっと。
「はいっ!!!」
あああああ待って待って半泣きになりながら健気な笑み見せるのやめてぇぇぇ心が大震災からの地割れ起こしちゃうぅぅぅ。
先週と同じく個人席に案内され、メニューが手渡される。相変わらず『魔界風』というおどろおどろしい修飾語が付いているのが気になるが、何はともあれ選ばなければ。
昨日食堂で出た飯は魚だったし、ここはちょっと贅沢に『魔界風おろしハンバーグ』で行ってみようか。白米付くかなコレ。
「少々、いえ30秒お待ちください!」
いやいやいや、早いって。焦らなくても俺そこまで飢えてないって。というか俺は君に話が。
言い終わる前に厨房に消えてった。足速いなぁ。あ、戻ってきた。
「お待たせしました! 魔界風おろしハンバーグでございます!」
うわぁどこぞの牛丼とうどんとカレーが食べられる定食チェーン店も真っ青なハイスピードで注文来ちゃったよ。これまたレンチン食品には見えない感じ漂ってるし。どうやって作ってるんだこんな早さで。早さ足り過ぎてるって。
「本日は、その、先週の約束通り、私自ら腕を振るわせて頂きました。……お、お口に合わなければ、残して頂いて結構ですので」
これをのこすなんてとんでもない。美味しく頂かせてもらいます。
……こ、これはっ!
「……ど、どうでしょうか」
挽肉の質焼き加減下ごしらえの時の味付け溢れ出る肉汁丁度いいこね具合全体の固さのバランス大きすぎず小さすぎない完璧なサイズのみじん切り野菜デミグラスソースの完成度焼きたて食感大根おろしの冷たさ辛さ新鮮さそしていつも隣にある白米どんぶり……!
いい加減な食生活を送っていた俺にも、このハンバーグがどれだけ高価値かという事が理解出来た。
もう他所でハンバーグ食べても味がしないんじゃないか、ってくらい美味い。
「そ、そうですか……。よかった」
うわぁぁぁその安堵した笑顔でご飯何杯もいけちゃうよぉぉぉ。
「それではご主人様。――お食事を手伝わせて頂きます」
あ、それハンバーグでもやるんだね。あ、ふーふーしてくれるんだねありがたいね。俺ってば猫舌だからね。
何か先週やられた事もあって、あんまり抵抗感とか羞恥心とか無くなってきた。いや、それは人としてまずいんじゃないかと思うけど。でもコレ美味い。
「あ、あ〜ん……♪」
先週より積極的ですねフィネアさん。俺が食べる毎にちょくちょく嬉しそうに笑うのやめ……なくていいですハイ。眼福……じゃねぇよ! べ、別にリアルの女見て心揺らいでねぇからな!
「――ご主人様?」
うぉあぁぁぁ、小首を傾げてこっち見ないでぇぇぇ! 汚れきったマイハートが浄化の炎で昇天しちゃうぅぅぅ!
く、くそぅ! この子やっぱりプロだ! 男を惑わせる天然トリップマシーンだ!
「ご主人様」
ホァイ?
「……私には、ご主人様が何をお考えでらっしゃるのか、分かりません。ですが、それが私に関しての事で、その所為で先ほどお帰りになろうとなされたり、今もこうして悲しいお顔で私を見ているのだという事は感じ取れます。・・・もし、もしよろしければ、教えて頂けないでしょうか? 直せ、と言われれば直します。それが私そのものに関わる事ならば、別のメイドに専属を変わります。……さあ、ご遠慮なさらず」
いやいやいやいやいやいやいやいやいや、ちょっと待ってー!
別に俺は彼女に対して不満を持っている訳ではない。というか、俺には勿体無い位に良い子だ。たとえその外面がプロとしての演技だとしても、その外面を向けられる相手としてはハッキリとそう言える。
むしろ問題は俺の方だ。つまらないこだわりの所為で気を遣わせてしまっている俺の方がダメダメクソ野郎だ。やっぱり二次元に逃避します今まで本当にスイマセンでした賠償金とお代は財布に入ってる全額でよろしいでしょうか給料日前で申し訳ないんですが。
「え、え……? ぷ、プロ? ――待って下さいご主人様! 私はまだまだ見習いメイドなんですよ!?」
ウッソだー。見習いがあんなに完璧っぽい立ち振舞いしたり、人と話すの上手かったり、美味しいご飯作れたりしないでしょー。
「――フィネアの言っている事は事実で御座います」
うわぁぁぁビックリしたぁぁぁ! 唐突に後ろから声掛けられたぁぁぁ!
振り返って声の主を見ると、そこには最初に俺達を案内してくれたお姉さん系メイドさんが佇んでいた。胸元のネームカードを見れば、『メイド長:フランソワ』と書かれている。って事はこの店のフロアチーフのようなものだろう。あ、胸元見てセクハラになりませんよね? なってたらスイマセンドゲザしますから許してください。
「この店のメイド達は皆、当店に就く直前までとある教育機関にて従者の訓練を受けた者達です。なので数度見ただけでは見習いだとお分かり頂けないのも無理はありません」
教育機関て。日本にそんな、メイドさんの為の学校なんてあるのか。流石クールジャパン。
「このフィネアもまた卒業した直後の娘で、まだまだ従者としては経験が浅く、この店で働き始めて一週間と少し。至らない点が多く御座います」
ハァ? 一週間ちょい? それってつまり、
「……そうです。ご主人様が、私の初めてで、かつ唯一のご主人様なんです」
日本、マジすげぇ。学校でここまでのメイドさんを生み出せるなんて。日本を守る職に就いててこれほど誇りに思った事はないね。
って事はアレか。売上云々とかそういうのの為に演技してる、とかは、
「はい。そのような事、我々に限っては神に誓ってあり得ない、と言えます」
「そもそも私達はお金の為に働いている訳ではありませんから」
考えてみたら確かにそうだ。この店の価格設定がやたら低い所がそれを物語っている。こんな価格で大丈夫か、と思ったけど、そもそもそこを度外視しているなら当然の価格設定だ。
でも、何でわざわざこんな事をしてるんだ君達。金じゃないなら何の為に働いてるんだ?
「――それに関しては、私からお話するのは無粋というもの。せっかく誤解が解けたのですから、専属の者から聞くのがよろしいかと。それでは失礼致します」
そう言って、メイド長が歩き去ってしまった。
残された俺はというと、どう切り出せばいいのか分からず黙ってしまう。
ちょっと待って、混乱しててよく分かんない。まず、プロのメイドだと思っていたフィネアは実は新人メイドで、この店に来たばかりで俺以外にはまだ応対してない子で、金目当てに働いてるんじゃなくて。これって要するにさ。
俺、完全に勘違いしてたんじゃねぇかぁぁぁ。
「……あ、あの」
不意にフィネアが声を掛けてきて、
「お話するよりも先に、昼食の続きをなされては如何でしょうか」
あ、そうだね。せっかくのハンバーグ冷めちゃうね。
・・・
「私がメイドになって誰かのお側に仕えようと思ったのは、母の背中を見続けて育ったからなんです」
昼食を美味しく頂いた後、とりあえず俺はフィネアがどういう経緯でメイドをやっているのか聞いてみた。
ちなみに今現在、彼女は俺の対面に座りながら話をしている。主と同じ席に座るのは従者としてアウトらしいが、横に立って話されるのも何だか俺が落ち着かないので、無理を言って座ってもらった。
「母も私と同じくキキー……、コホン。私と同じ学校に通っていて、今の私と同じく『ロミ・ケーキ』の別店舗に務め、父と出会いました」
え、実はこんなすげぇメイド喫茶、結構昔からあったの? 老舗? 老舗のメイド喫茶とか、改めて日本すげぇ。
「従者として父の側に侍り、共に生活をしていく内に、互いが居なければ何も出来ない程の関係になった二人が夫婦になるのは必然でした」
え、必然? 普通、主人と従者の恋って悲恋に終わらねぇかな? あ、それはファンタジーか上層階級だけの世界なんですね分かります。
「朝日が上れば愛する主を起こし、用意していた朝食を食べて頂き、乱れなど絶対に無いよう準備していた洋服の着付けを手伝い、見送った後も部屋にチリ一つ残さないよう徹底的に掃除をして、リクエストを叶えつつ栄養管理も完璧な食事を作る為に買い物をして、また明日袖を通す時にシミ一つ、糸のほつれ一つ無いように洗濯や手入れなどを行い、住み良い環境を作る為近所の方々の手助けも行いつつ、帰ってきた主人を労る為に完璧な湯加減のお風呂、食事、寝床の用意を帰宅直前には絶対に済ませ、どんな要望にも対応できるようにしてから出迎えて、――そ、そしてその後も……」
うわぁ、近頃のだらけきった主婦に聞かせてやりたい超ハードスケジュール。こんなの愛がなきゃ出来ない仕事だわー。
でもさコレ。見返り無くね? 見返りを求めないのが愛だとは思うけどさ。やっぱり愛する人の為だったら躊躇わないの?
「己の全てを以って主人を支える事、それそのものが私や母、この店で働くメイド達のような魔……、人物の生き甲斐なんです」
ヤベェ、この人達怖ぇ。超真顔だよ嘘でも冗談でもなく本気でそう思ってるよこの子。いやまあ、確かに先週から見てれば分かるけどさ、ここまで凄いの? 我が国のメイドさん。これがバイトと正社員の意識の差か……!
「そんな母に対し、父もまた全力で母を愛しています。まあ、母が喜ぶ事と言えば父の身の回りの世話なのでその辺り難しいみたいですけど、残業しないように仕事を頑張ったり、休日は必ず二人で外出したり、金曜日の夜は『ご褒美』と称して一晩中……♪」
見たか近頃の『お前はいつも家に居て楽でいいな』って妻に素で言う旦那達よ。これが真の愛妻家だ。子供もこうして赤面するくらいラブラブ(死語)夫婦である事は確定的に明らか。
「そ、それででして、私も母のように仕える主人を探す為、こうして働いているのです」
なるほどねー。で、運悪く俺に会ったと。
よっし、今からでも遅くない。冷静になるんだフィネア。こんな、絵に対して性欲バーストしてる変態ヘタレクソ野郎が君の夢見るご主人様になんて当てはまる訳無いだろう。さっさと目を覚まして俺を追い出すんだ。
「な、何を仰るんですか! そんな――」
いいかよく聞け。俺は小さい頃から甘えた卑怯者だった。
幼少期は疲れればすぐ立ち止まっておんぶを求め、運動会では走りたくないと我儘言って幼稚園の先生に迷惑を掛けた。少年期は習い事で嫌な事があると次の週仮病を起こしたり、友人が別の子供と遊んでいると、つまらないと言って不貞腐れて興味を引こうとしていた。思春期頃は人を引っ張るなんてしたくない、でも孤立するのが怖いから自分より弱い者を集め、自分を頼られる存在と見られるように仕向けた。女子が怖くなったのはその頃だ。女は男より成長が早い、って言葉が確かなら、女子たちには俺のゴミ虫っぷりが分かっていたんだろうな。だから誹謗中傷の的になった。だから、二次元に走った。
後の高校大学は、どっちも似たようなものだ。キツイ言葉を掛けてくるような者を遠ざけ、似た者、弱い者だけを集め、時には傘下に下り、逃げるように過ごした。
逃げてばかりで、現実なんて見ない。だから、将来の希望も何もない。信頼する先輩も、心を許せる友達も、頑張る動力源となる彼女も、俺には必要ない。ただ、今日を生きられればいい。生きる為の糧は妄想の中にあるから問題ない。
俺は、そんなんだ。そんな、人間のクズだ。
君みたいに、主人の為に心の底からの喜怒哀楽を表せられる素敵な人が、俺なんかに関わっちゃいけない。
「……ご主人、様」
何かすげぇスッキリした。今週一杯気にしていた、というか現実に未練を持っていた事もあって、今は非情に晴れ晴れとした精神状態だった。やっぱりフィネアと居ると自分に正直になれるみたいだ。
いやぁ、ありがとう。これでようやく割り切れたよ。
「ご主人様!」
どぅぇ!? 急に迫ってこられるとビックリするんだけど!?
「……先週、私はご主人様にこう、質問させて頂きました。『ご主人様は、自分のそう言った部分、お嫌いですか?』と」
ああ、そう言えば聞かれたね。あの時は、好きでも嫌いでも、自分である以上どうしようもない、って答えたような気がする。
「改めて聞かせて下さい。……ご主人様は、自分自身が嫌いでいらっしゃいますか?」
うーん、これははぐらかせない雰囲気。
自分が嫌い、ねぇ。どっちかっていったら。
「――」
好きになれる訳がない。
そして、自分が好きでない人間が、誰かに好かれる訳もなく、もちろん誰かを好きでいる資格もない。
生まれつき、俺はこんなんだ。ずっと変わらない、停滞したまま。
まあ、これ以上誰かに迷惑を掛けて世界から爪弾きにされないよう、それなりに努力をしなければ程度にしか思っていないから、別に誰かを好きになったり好かれたりしなくてもいいや。
俺はこのまま。一生、このまま。
なのに、目の前のメイドはそれが納得いっていないようで、
「――ご主人様は、自分はどうやっても変えられないと、本当にお思いですか……?」
そんなの当然だ。変えられるならとっくの昔に変えてる。
でも出来ない。何せ、変え方が分からない。そして、変えたくていろんな努力をしたけど変わっている気がしない。生まれてかれこれ二十数年。今更何を変えれるというのか。変わらないならいっそ、このまま年取っていくのも悪くないんじゃないかと思ってる。
「でしたら何故、そんなにも悔しそうな表情をなされてるのですか?」
え?
「本当にそう諦めてしまっているなら、そのような表情をされる事はないはずではありませんか……」
フィネアの手が、頬に触れる。
滑らかで、さらに柔らかい。石鹸のいい匂いだ。そんな、美術品のような指先が、俺の顔を優しく撫でているのだ。
「もう一度、自分に聞いてみてください。――ご主人様は、もし自分を変えられるきっかけが目の前にあるならば、手を伸ばすお方ですか?」
言われるがまま、俺は自分に問い掛けていた。
いや、まあ、その。そりゃ、正直に言えば、変われるなら変わりたいさ。
別に人気者になりたいとか、女の子にモテたいとか、そういうのじゃなくていい。ただこう、自分に自信持って、堂々としていられるような、そんな男になってみたい。
けれどそんなの、
「――はい、そこまでです」
もう片方の細腕が向かってきて、下に向かおうとしていた視線を左右から押し留めた。
「どうすればよいのか、という事やそのような事出来るのかどうか、という事は、今は考えないで下さい。ただ、今はご主人様の中に『自分を変えたいという意思』があるという事だけが重要だったんですから」
近い。何がって、彼女との距離だ。物理的な距離も、精神的な距離も。
未だかつて、赤の他人の女性にここまで近付かれた事はない。ましてや、触れられた事もなかった。
怖い、と普段なら思ってるんだろうけど、今回ばかりは違った。
「先週と今日、こうしてお話をして、ご主人様にだって他の方に負けないものがありました」
だから私は、と呟く。後半が小さくて聞き取れなかったが、こうしてもらっているという事は、その。期待してもいい、という事なのだろうか。
その答えの代わりに、フィネアは決心をした表情を見せて、言った。
「私が、ご主人様のお手伝いをします。まだ見習いの身ですが、それでも精一杯、ご主人様がご自身を好きになれるよう、お手伝いをします。……ですからもう、そんな顔で、そんな事を考えないで下さい」
目を奪われていた。いや、本当の所、目だけじゃなくて心も奪われていた。
優越心から来る親切じゃない。中途半端な同情から来る献身でもない。
言うなればそれは、奉仕。己の全てを捧げ、支える。そんな、常人には想像も付かないような、異常と呼べる精神。
だが俺には、それが堪らなく美しく感じていた。
「――お聞き入れて、頂けますか?」
ようやく理解した。フィネアはただ優しいだけの女性じゃない。心も身体も、完全に『メイド』だ。使用人とは違う、俺が妄想していた以上の存在だった。
主と決めた相手の今の生活、いわゆる現在を世話するだけではなく、主の未来、または将来をも含めて全力で支える。その為には、揺るがない自信と奉仕の精神を持っていなければ出来る訳がない。
彼女はそれが出来る。それだけの芯の強さが、瞳から伝わってくる。
だから俺は、頷いていた。
そうするとフィネアは微笑み、頬に絡ませていた指を離して、
「はい。では、これからよろしくお願いします」
真っ直ぐに、俺に御辞儀をしたのだった。
「なあ。明日暇か?」
先週個人席に座る羽目になった同僚がそんな事を聞いてきた。
暇じゃないね。何をするかって? ネットカフェに行ってクラウドのストレージスペースに保存してるエロゲをダウンロードして自家発電に勤しむんだよ。言わせんな恥ずかしい。聞かれる前に言ったの俺だけど。
「明日また『ロミ・ケーキ』に行こうと思ってるんだが、一緒に付いてきてくれねぇか?」
話聞いてたか? 俺は暇じゃないんだよ。
つーか、もうあそこに行くつもりねぇんだよなー。
「何でだ!? あそこ凄かったろ! 毎週と言わず毎日行ってもいいじゃねぇか!」
何でと言われても。こいつ先週店出た辺りから何か変だな?まあそれはともかくだ。
私物ロッカーを開け、引き出しに入っていた紙片を取り出す。フィネア、と書かれたその名刺を見る度、複雑な感情が湧き出てきてとっても不快だ。今までこんな気分になった事がないから余計に不快だ。
「名刺をちゃんと取っておいてるって事は、やっぱりお前も気になるのか?」
……まあ、意識していないと言えば嘘になる。
なにせ現実逃避が趣味のヘタレ童貞だ。成人して社会に出ても、そういう事に対する期待のような物を持ってしまうのは仕方ない、と思う。今までそういう期待をしようとしたら自分に『俺達が守らなきゃならないものは何だ!? 童貞だ! つーかお前みたいなゴミカスがこの現実に幸せを見つけられると思ってるのか!? 無理だ!』と言い聞かせて正気に戻っていたが、今回はどうにもそれが効かない。
『変えたい、と思った事は御座いますか?』
先週、フィネアに言われたあの言葉。アレが多分、心に引っかかってる。このままでいいのか。実は心の底ではこんな自分を変えたいと思ってるんじゃないか。そんな、ゴチャゴチャした思考にこの所囚われている。
そんな馬鹿な。二次元に萌え萌えしてる臆病者の今の自分が最高の状態だ。そう、言い切れなくなった。
正直困っていた。仕事してる最中は忙しくて考える暇が無いが、こうやって改めて考えると泥沼思考に陥る。
本当はどう考えているのか。その答えを見つけるのは簡単だ。
こう考えさせる原因になった彼女とまた話をして、自分の心の中を探ればいいのだ。間違いなく、彼女の話術があれば分かる事だろう。
だが、こんな名刺があるという事は、だ。フィネアは俺だけに構っていられる人物ではないのだろう。
先週の帰り際、それに気付いてからは自分で考える事にした。彼女を頼らない方向で考えるようにした。
今日も彼女はきっと、あの店で見知らぬ誰かに笑い掛けている。俺の知らない男と話をして、従者らしい奉仕をしている。そう考えると、何だかとっても虚しくなった。だから、アレはただの人生におけるヒントタイムだったんだ、と割り切る事にしたのだ。
だというのにこの野郎は人の努力を無駄にしようってのか。そうはいかねぇ絶対にあの店には行ってたまるか。
「店の前! 店の前まででいいんだ! 一人で行くのちょっと恥ずかしいんだよ!」
恥ずかしいなら行くんじゃねぇ! 自分で自分に誇れないような場所に行ってもお前の為にならねぇんだよ! 女とチャラ男は群れなきゃ生きてけねぇが、俺らはそうじゃねぇストイックな連中だろ! 実際の所は職務上無理矢理群れさせられてるけど!
「頼む! この通りだ! 来週一週間、お前の制服アイロンがけ、靴磨きに加えてアイスも付けるからさ!」
知るかぁぁぁ! つーか俺から仕事を取るんじゃねぇぇぇぇ!
「こんなに頼んでも駄目なのか!? じゃあこっちにも考えがあるぞ! 一緒に行かねぇと来週徹底的に仕事しねぇからな!? 連帯責任で『お前』だけじゃなくて班全員が被害食らうんだぞ!?」
何だよそれ!?
「何だって!? おいバカやめろ!」
「フル装備でマラソンとかもうやりたくねぇよ!」
「一緒に行ってやるだけだろ!? 行ってやれよ!」
ええい外野は黙ってろ!
その後、消灯時間を過ぎても言い争いが続いたが、数の暴力には勝てず、俺は仕方なく『店の前まで』という条件付きで同僚の話を飲む事にしたのだった。
嫌な予感しかしない。改めて言おう。嫌な予感しかしない……!
・・・
「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」
予感は的中した。今、俺は店の中で先週と変わらぬ見事なアイサツを見せるメイドさん達に出迎えられている。前までで済ませようとしたら外で待ち構えていたメイドさん達に引きずり込まれる形になったのだ。コレ無理矢理な客寄せじゃね?
何でだ……! と思いつつ隣を見ると、
「さ、サリアは居るかな?」
「――はぁい♪ あなたのサリアはここに居ますよー!」
「今日も来ちゃったけど、迷惑じゃなかったかな?」
「ううん、そんな事ありません♪ むしろ大歓迎です!」
すっかり専属メイドさんといい空気2名様入ります状態。もう帰っていいかな俺。いいよな俺。
「――ご主人、様? ご主人様っ!」
あ、やべぇ見つかった。今日も綺麗な桃色だねぇへへへ。
じゃ、そういう事で。
「どうして連絡して頂けなかったのですか! 私に足りない所があったのですか!?」
「フィーちゃん、中身は凄いのに押しが弱いからねー」
「髪色はピンクなのにねぇ……」
ヤバイ。彼女あと一歩で泣きそうな顔してるんだが。つーか周囲も慰める訳でもなく、遠巻きに彼女を哀れんでるように見えるんだけど肩を叩いて一緒に俺を罵るとかそういう事した方がいいんじゃないですかね女子的に。
まずは落ち着け俺。相手はこういう職場でのプロだ。おそらく、いや間違いなく、コレは確実に罠だ。俺をこのまま店内に引き込み、売上に変換する為の嘘泣きに違いない。
続けてそこから女子特有の『同情→数の暴力コンボ』が始まるだろう。だがそれは中学時代、女子に陰口を叩かれまくった俺からすればどうという事はない。いやあるんだがな。聞こえないフリだよ聞こえないフリ。
俺がするべきは回れ右を正しく行い、店外に出る事だ。
「……っ! ……お、お早い、お帰りを、お、お待ち、して、おりま、す」
いやいやいやちょっと待ってよそこ堪えないでよ思いっ切り泣く真似してよぉぉぉ!?
ここで客帰らせちゃ駄目でしょうが! アンタ、プロでしょう!? 客商売でかつ、男を何人も相手取ってるでしょう!?
……はっ!? まさか、コレも一つの技術!? あえて待つ女という健気な自分を演出する事により、相手の罪悪感を、
「…………っ」
無い無い無いそれ無いあり得ない。だって見なよあのガチ顔。顔面蒼白、紫色の瞳にたっぷり涙溜め込んで、唇青くなるまでぎゅっと噛んで、拳なんてプルプル震えてるんだぜ? アレを演技で出来るんだったら、俺はもう一生女を信じられねぇよ。
いや、でもなぁ。しかしさ。だってよ。おいおい。
「……っ! ご、ご主人様!?」
あーはいはい。負けましたよ。今日もよろしくおねがいっと。
「はいっ!!!」
あああああ待って待って半泣きになりながら健気な笑み見せるのやめてぇぇぇ心が大震災からの地割れ起こしちゃうぅぅぅ。
先週と同じく個人席に案内され、メニューが手渡される。相変わらず『魔界風』というおどろおどろしい修飾語が付いているのが気になるが、何はともあれ選ばなければ。
昨日食堂で出た飯は魚だったし、ここはちょっと贅沢に『魔界風おろしハンバーグ』で行ってみようか。白米付くかなコレ。
「少々、いえ30秒お待ちください!」
いやいやいや、早いって。焦らなくても俺そこまで飢えてないって。というか俺は君に話が。
言い終わる前に厨房に消えてった。足速いなぁ。あ、戻ってきた。
「お待たせしました! 魔界風おろしハンバーグでございます!」
うわぁどこぞの牛丼とうどんとカレーが食べられる定食チェーン店も真っ青なハイスピードで注文来ちゃったよ。これまたレンチン食品には見えない感じ漂ってるし。どうやって作ってるんだこんな早さで。早さ足り過ぎてるって。
「本日は、その、先週の約束通り、私自ら腕を振るわせて頂きました。……お、お口に合わなければ、残して頂いて結構ですので」
これをのこすなんてとんでもない。美味しく頂かせてもらいます。
……こ、これはっ!
「……ど、どうでしょうか」
挽肉の質焼き加減下ごしらえの時の味付け溢れ出る肉汁丁度いいこね具合全体の固さのバランス大きすぎず小さすぎない完璧なサイズのみじん切り野菜デミグラスソースの完成度焼きたて食感大根おろしの冷たさ辛さ新鮮さそしていつも隣にある白米どんぶり……!
いい加減な食生活を送っていた俺にも、このハンバーグがどれだけ高価値かという事が理解出来た。
もう他所でハンバーグ食べても味がしないんじゃないか、ってくらい美味い。
「そ、そうですか……。よかった」
うわぁぁぁその安堵した笑顔でご飯何杯もいけちゃうよぉぉぉ。
「それではご主人様。――お食事を手伝わせて頂きます」
あ、それハンバーグでもやるんだね。あ、ふーふーしてくれるんだねありがたいね。俺ってば猫舌だからね。
何か先週やられた事もあって、あんまり抵抗感とか羞恥心とか無くなってきた。いや、それは人としてまずいんじゃないかと思うけど。でもコレ美味い。
「あ、あ〜ん……♪」
先週より積極的ですねフィネアさん。俺が食べる毎にちょくちょく嬉しそうに笑うのやめ……なくていいですハイ。眼福……じゃねぇよ! べ、別にリアルの女見て心揺らいでねぇからな!
「――ご主人様?」
うぉあぁぁぁ、小首を傾げてこっち見ないでぇぇぇ! 汚れきったマイハートが浄化の炎で昇天しちゃうぅぅぅ!
く、くそぅ! この子やっぱりプロだ! 男を惑わせる天然トリップマシーンだ!
「ご主人様」
ホァイ?
「……私には、ご主人様が何をお考えでらっしゃるのか、分かりません。ですが、それが私に関しての事で、その所為で先ほどお帰りになろうとなされたり、今もこうして悲しいお顔で私を見ているのだという事は感じ取れます。・・・もし、もしよろしければ、教えて頂けないでしょうか? 直せ、と言われれば直します。それが私そのものに関わる事ならば、別のメイドに専属を変わります。……さあ、ご遠慮なさらず」
いやいやいやいやいやいやいやいやいや、ちょっと待ってー!
別に俺は彼女に対して不満を持っている訳ではない。というか、俺には勿体無い位に良い子だ。たとえその外面がプロとしての演技だとしても、その外面を向けられる相手としてはハッキリとそう言える。
むしろ問題は俺の方だ。つまらないこだわりの所為で気を遣わせてしまっている俺の方がダメダメクソ野郎だ。やっぱり二次元に逃避します今まで本当にスイマセンでした賠償金とお代は財布に入ってる全額でよろしいでしょうか給料日前で申し訳ないんですが。
「え、え……? ぷ、プロ? ――待って下さいご主人様! 私はまだまだ見習いメイドなんですよ!?」
ウッソだー。見習いがあんなに完璧っぽい立ち振舞いしたり、人と話すの上手かったり、美味しいご飯作れたりしないでしょー。
「――フィネアの言っている事は事実で御座います」
うわぁぁぁビックリしたぁぁぁ! 唐突に後ろから声掛けられたぁぁぁ!
振り返って声の主を見ると、そこには最初に俺達を案内してくれたお姉さん系メイドさんが佇んでいた。胸元のネームカードを見れば、『メイド長:フランソワ』と書かれている。って事はこの店のフロアチーフのようなものだろう。あ、胸元見てセクハラになりませんよね? なってたらスイマセンドゲザしますから許してください。
「この店のメイド達は皆、当店に就く直前までとある教育機関にて従者の訓練を受けた者達です。なので数度見ただけでは見習いだとお分かり頂けないのも無理はありません」
教育機関て。日本にそんな、メイドさんの為の学校なんてあるのか。流石クールジャパン。
「このフィネアもまた卒業した直後の娘で、まだまだ従者としては経験が浅く、この店で働き始めて一週間と少し。至らない点が多く御座います」
ハァ? 一週間ちょい? それってつまり、
「……そうです。ご主人様が、私の初めてで、かつ唯一のご主人様なんです」
日本、マジすげぇ。学校でここまでのメイドさんを生み出せるなんて。日本を守る職に就いててこれほど誇りに思った事はないね。
って事はアレか。売上云々とかそういうのの為に演技してる、とかは、
「はい。そのような事、我々に限っては神に誓ってあり得ない、と言えます」
「そもそも私達はお金の為に働いている訳ではありませんから」
考えてみたら確かにそうだ。この店の価格設定がやたら低い所がそれを物語っている。こんな価格で大丈夫か、と思ったけど、そもそもそこを度外視しているなら当然の価格設定だ。
でも、何でわざわざこんな事をしてるんだ君達。金じゃないなら何の為に働いてるんだ?
「――それに関しては、私からお話するのは無粋というもの。せっかく誤解が解けたのですから、専属の者から聞くのがよろしいかと。それでは失礼致します」
そう言って、メイド長が歩き去ってしまった。
残された俺はというと、どう切り出せばいいのか分からず黙ってしまう。
ちょっと待って、混乱しててよく分かんない。まず、プロのメイドだと思っていたフィネアは実は新人メイドで、この店に来たばかりで俺以外にはまだ応対してない子で、金目当てに働いてるんじゃなくて。これって要するにさ。
俺、完全に勘違いしてたんじゃねぇかぁぁぁ。
「……あ、あの」
不意にフィネアが声を掛けてきて、
「お話するよりも先に、昼食の続きをなされては如何でしょうか」
あ、そうだね。せっかくのハンバーグ冷めちゃうね。
・・・
「私がメイドになって誰かのお側に仕えようと思ったのは、母の背中を見続けて育ったからなんです」
昼食を美味しく頂いた後、とりあえず俺はフィネアがどういう経緯でメイドをやっているのか聞いてみた。
ちなみに今現在、彼女は俺の対面に座りながら話をしている。主と同じ席に座るのは従者としてアウトらしいが、横に立って話されるのも何だか俺が落ち着かないので、無理を言って座ってもらった。
「母も私と同じくキキー……、コホン。私と同じ学校に通っていて、今の私と同じく『ロミ・ケーキ』の別店舗に務め、父と出会いました」
え、実はこんなすげぇメイド喫茶、結構昔からあったの? 老舗? 老舗のメイド喫茶とか、改めて日本すげぇ。
「従者として父の側に侍り、共に生活をしていく内に、互いが居なければ何も出来ない程の関係になった二人が夫婦になるのは必然でした」
え、必然? 普通、主人と従者の恋って悲恋に終わらねぇかな? あ、それはファンタジーか上層階級だけの世界なんですね分かります。
「朝日が上れば愛する主を起こし、用意していた朝食を食べて頂き、乱れなど絶対に無いよう準備していた洋服の着付けを手伝い、見送った後も部屋にチリ一つ残さないよう徹底的に掃除をして、リクエストを叶えつつ栄養管理も完璧な食事を作る為に買い物をして、また明日袖を通す時にシミ一つ、糸のほつれ一つ無いように洗濯や手入れなどを行い、住み良い環境を作る為近所の方々の手助けも行いつつ、帰ってきた主人を労る為に完璧な湯加減のお風呂、食事、寝床の用意を帰宅直前には絶対に済ませ、どんな要望にも対応できるようにしてから出迎えて、――そ、そしてその後も……」
うわぁ、近頃のだらけきった主婦に聞かせてやりたい超ハードスケジュール。こんなの愛がなきゃ出来ない仕事だわー。
でもさコレ。見返り無くね? 見返りを求めないのが愛だとは思うけどさ。やっぱり愛する人の為だったら躊躇わないの?
「己の全てを以って主人を支える事、それそのものが私や母、この店で働くメイド達のような魔……、人物の生き甲斐なんです」
ヤベェ、この人達怖ぇ。超真顔だよ嘘でも冗談でもなく本気でそう思ってるよこの子。いやまあ、確かに先週から見てれば分かるけどさ、ここまで凄いの? 我が国のメイドさん。これがバイトと正社員の意識の差か……!
「そんな母に対し、父もまた全力で母を愛しています。まあ、母が喜ぶ事と言えば父の身の回りの世話なのでその辺り難しいみたいですけど、残業しないように仕事を頑張ったり、休日は必ず二人で外出したり、金曜日の夜は『ご褒美』と称して一晩中……♪」
見たか近頃の『お前はいつも家に居て楽でいいな』って妻に素で言う旦那達よ。これが真の愛妻家だ。子供もこうして赤面するくらいラブラブ(死語)夫婦である事は確定的に明らか。
「そ、それででして、私も母のように仕える主人を探す為、こうして働いているのです」
なるほどねー。で、運悪く俺に会ったと。
よっし、今からでも遅くない。冷静になるんだフィネア。こんな、絵に対して性欲バーストしてる変態ヘタレクソ野郎が君の夢見るご主人様になんて当てはまる訳無いだろう。さっさと目を覚まして俺を追い出すんだ。
「な、何を仰るんですか! そんな――」
いいかよく聞け。俺は小さい頃から甘えた卑怯者だった。
幼少期は疲れればすぐ立ち止まっておんぶを求め、運動会では走りたくないと我儘言って幼稚園の先生に迷惑を掛けた。少年期は習い事で嫌な事があると次の週仮病を起こしたり、友人が別の子供と遊んでいると、つまらないと言って不貞腐れて興味を引こうとしていた。思春期頃は人を引っ張るなんてしたくない、でも孤立するのが怖いから自分より弱い者を集め、自分を頼られる存在と見られるように仕向けた。女子が怖くなったのはその頃だ。女は男より成長が早い、って言葉が確かなら、女子たちには俺のゴミ虫っぷりが分かっていたんだろうな。だから誹謗中傷の的になった。だから、二次元に走った。
後の高校大学は、どっちも似たようなものだ。キツイ言葉を掛けてくるような者を遠ざけ、似た者、弱い者だけを集め、時には傘下に下り、逃げるように過ごした。
逃げてばかりで、現実なんて見ない。だから、将来の希望も何もない。信頼する先輩も、心を許せる友達も、頑張る動力源となる彼女も、俺には必要ない。ただ、今日を生きられればいい。生きる為の糧は妄想の中にあるから問題ない。
俺は、そんなんだ。そんな、人間のクズだ。
君みたいに、主人の為に心の底からの喜怒哀楽を表せられる素敵な人が、俺なんかに関わっちゃいけない。
「……ご主人、様」
何かすげぇスッキリした。今週一杯気にしていた、というか現実に未練を持っていた事もあって、今は非情に晴れ晴れとした精神状態だった。やっぱりフィネアと居ると自分に正直になれるみたいだ。
いやぁ、ありがとう。これでようやく割り切れたよ。
「ご主人様!」
どぅぇ!? 急に迫ってこられるとビックリするんだけど!?
「……先週、私はご主人様にこう、質問させて頂きました。『ご主人様は、自分のそう言った部分、お嫌いですか?』と」
ああ、そう言えば聞かれたね。あの時は、好きでも嫌いでも、自分である以上どうしようもない、って答えたような気がする。
「改めて聞かせて下さい。……ご主人様は、自分自身が嫌いでいらっしゃいますか?」
うーん、これははぐらかせない雰囲気。
自分が嫌い、ねぇ。どっちかっていったら。
「――」
好きになれる訳がない。
そして、自分が好きでない人間が、誰かに好かれる訳もなく、もちろん誰かを好きでいる資格もない。
生まれつき、俺はこんなんだ。ずっと変わらない、停滞したまま。
まあ、これ以上誰かに迷惑を掛けて世界から爪弾きにされないよう、それなりに努力をしなければ程度にしか思っていないから、別に誰かを好きになったり好かれたりしなくてもいいや。
俺はこのまま。一生、このまま。
なのに、目の前のメイドはそれが納得いっていないようで、
「――ご主人様は、自分はどうやっても変えられないと、本当にお思いですか……?」
そんなの当然だ。変えられるならとっくの昔に変えてる。
でも出来ない。何せ、変え方が分からない。そして、変えたくていろんな努力をしたけど変わっている気がしない。生まれてかれこれ二十数年。今更何を変えれるというのか。変わらないならいっそ、このまま年取っていくのも悪くないんじゃないかと思ってる。
「でしたら何故、そんなにも悔しそうな表情をなされてるのですか?」
え?
「本当にそう諦めてしまっているなら、そのような表情をされる事はないはずではありませんか……」
フィネアの手が、頬に触れる。
滑らかで、さらに柔らかい。石鹸のいい匂いだ。そんな、美術品のような指先が、俺の顔を優しく撫でているのだ。
「もう一度、自分に聞いてみてください。――ご主人様は、もし自分を変えられるきっかけが目の前にあるならば、手を伸ばすお方ですか?」
言われるがまま、俺は自分に問い掛けていた。
いや、まあ、その。そりゃ、正直に言えば、変われるなら変わりたいさ。
別に人気者になりたいとか、女の子にモテたいとか、そういうのじゃなくていい。ただこう、自分に自信持って、堂々としていられるような、そんな男になってみたい。
けれどそんなの、
「――はい、そこまでです」
もう片方の細腕が向かってきて、下に向かおうとしていた視線を左右から押し留めた。
「どうすればよいのか、という事やそのような事出来るのかどうか、という事は、今は考えないで下さい。ただ、今はご主人様の中に『自分を変えたいという意思』があるという事だけが重要だったんですから」
近い。何がって、彼女との距離だ。物理的な距離も、精神的な距離も。
未だかつて、赤の他人の女性にここまで近付かれた事はない。ましてや、触れられた事もなかった。
怖い、と普段なら思ってるんだろうけど、今回ばかりは違った。
「先週と今日、こうしてお話をして、ご主人様にだって他の方に負けないものがありました」
だから私は、と呟く。後半が小さくて聞き取れなかったが、こうしてもらっているという事は、その。期待してもいい、という事なのだろうか。
その答えの代わりに、フィネアは決心をした表情を見せて、言った。
「私が、ご主人様のお手伝いをします。まだ見習いの身ですが、それでも精一杯、ご主人様がご自身を好きになれるよう、お手伝いをします。……ですからもう、そんな顔で、そんな事を考えないで下さい」
目を奪われていた。いや、本当の所、目だけじゃなくて心も奪われていた。
優越心から来る親切じゃない。中途半端な同情から来る献身でもない。
言うなればそれは、奉仕。己の全てを捧げ、支える。そんな、常人には想像も付かないような、異常と呼べる精神。
だが俺には、それが堪らなく美しく感じていた。
「――お聞き入れて、頂けますか?」
ようやく理解した。フィネアはただ優しいだけの女性じゃない。心も身体も、完全に『メイド』だ。使用人とは違う、俺が妄想していた以上の存在だった。
主と決めた相手の今の生活、いわゆる現在を世話するだけではなく、主の未来、または将来をも含めて全力で支える。その為には、揺るがない自信と奉仕の精神を持っていなければ出来る訳がない。
彼女はそれが出来る。それだけの芯の強さが、瞳から伝わってくる。
だから俺は、頷いていた。
そうするとフィネアは微笑み、頬に絡ませていた指を離して、
「はい。では、これからよろしくお願いします」
真っ直ぐに、俺に御辞儀をしたのだった。
14/08/31 13:02更新 / イブシャケ
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