好感度0
「――メイド喫茶? この街にか?」
「そうそう。班長が帰り際に見たって言っててさ。こんな寂れた街にそんなの来るなんて、不思議な事もあるモンだよなぁ」
消灯時間の30分前。一日の課業を終え、さあこれから寝ようという所で同室の班員達がそんな話を始めた。流石去年まで高校の部活でしごかれていた若者達だ。日中あれだけ仕事をしていてまだ雑談をする体力があるとは。元理系の、それも年食いのモヤシはもう眠いんです。
「で、配ってたチラシがコレなんだけどさ」
「ちょ、何であるんだよ」
「班長から借りたんだよ。――ほら、レベル高くね?」
「どれどれ……、うぉ! この子可愛いな! ほら、こっちのセミロングの!」
「はぁ? どう見てもこっちのポニテの子の方が美人だから」
何かよく分からんが議論が始まった。他の班員も釣られて話に加わり、一時的に部屋がやかましくなる。チラシに貼られてる女の写真がそんなにネタになるとは。そんなに現実の女がいいのかお前等。
いいか、考えても見ろ。女なんて歩く災害じゃないか。
こっちが理論的に話を進めようとすると自分勝手な感情的思考を持ちだしてさも人間の正論のように語りだすし、下手な所突っ込むと泣き喚いて仲間を呼ぶし、周りを固めてこちらを排除しようとする。自称フェミニストのクソ男共も巻き込んで女である事を最大限利用して数の暴力を仕掛けてくるとか、これほど迷惑な存在は居ない。現に痴漢と叫ぶだけで軽々と男の人生壊せるんだしな。
加えてメイド喫茶に居るような女の中身なんぞ、恥を捨てて金を稼ごうなんて考えてる連中に違いない。金の為にやりたくない事をやる、という姿勢は評価するべきとは思うが、正直見るに耐えない。ぞわぞわする。
その点、二次元の女の子は実に良い。実にグレート。劣化しないし、可愛いし、こっちの人生を害する事など決してないのだから、嫁にするならこれ以上の存在はない。先日プレイしたエロゲにだって、
「よっしゃ! 今週の土日班の全員で行こうぜ!」
「いいな! 賛成!」
「べ、別に行きたい訳じゃねぇんだけどな。全員ってなら仕方ねぇ、付き合うぜ」
あれ? 何か話が面倒臭い方向に向かってねぇかなコレ。
寝たフリして聞いてませんでしたアピールするべきかどうするか迷ってると、
「ほら『お前』、こういうメイドとか、好きだろ? 行くよな? よっしゃ決定ー!」
おいコラ人の返答フェイズを全部スキップするんじゃない。行くともメイド好きとも一言も言ってない内から人の休日の予定を勝手に入れるな脳筋。
「おかえりなさいませご主人様、とかって言ってくれるんだろ? ちょっと萌え、とか分かんねぇけど、この子がそう言って出迎えてくれるんだったら、俺ならそのまま押し倒すね」
「何言ってんだよキメェ。そういうのは同意の上でだろ」
俺に聞くな知らん。しかも押し倒すとか、そこ多分ソープでも何でもねぇから。
「じゃ全員の同意出た所で! 明日も頑張ろうぜ!」
「あぁ〜……。さっさと休日来ねぇかなー」
各々自分のベッドに寝転び始める。中にはもう寝息立ててる奴とか居るんだが。
あ、コレ完全に断るタイミング逃した。
・・・
長く苦しい一週間を抜けた俺を待っていたのは、また地獄だった。
「ここだな。あからさまにそういう看板立ってるし」
「……正直、入りにくくね? 冷静になってみるとガチ過ぎて引くんだけど」
明らかに『そういう店』という雰囲気の建物の前で数名の若者がざわついている。
看板には『ロミ・ケーキ』というゴシック体で書かれており、これが店名なのだと分かりやすく伝えてくれる。
思うんだが、入りにくいなら入らなきゃいいんじゃねぇかな。もう帰ろうぜ。
「何やってんだよ。ここまで来たんだから、入ってみようぜ」
「まあ、後々笑い話にも出来るし、いいか」
もうちょっと迷えよ若人達。
来店を知らせるベルの音が鳴り、喫茶店特有の空気が肌に触れた直後、
「「「――お帰りなさいませ、ご主人様」」」
数名のメイド服に身を包んだ女性達が、画面の中でしか聞いた事のない台詞と共に恭しく御辞儀をしていた。
店内は思っていたより落ち着いた雰囲気で、過剰な装飾は何処にも見受けられず、一昔前の喫茶店という感じだった。
それに加え、出迎えてきたメイド達も、よくCMとかで見るようなフリフリのエプロンに短いスカート、パンプスではなく、とても暑そうなワンピースに純白のエプロン、しっかりとした革製ブーツという出で立ちだ。見た感じ、立ち振舞いも優雅で媚びるような動作がなく、本当に従者として一歩引いたような姿勢を取っている。
さらにさらに畏まっている女性達も、美醜を問うたら誰もが美しい、または可愛いと言うだろう。多分。現実を見ない俺にはその辺の価値観が分からん。でも少なくとも見るに耐えない顔立ちではないだろう。班員が見惚れている事が証拠だ。
これが三次元でなければ好感が持てるのだが。
「おおっ……、本格的だな……」
本場を知ってるのかお前は。少なくとも俺はフレンチメイドとヴィクトリアンメイドの違いくらいしか分からんからな。初恋はメイドキャラだったが。
流石に人数が多いとの事なので、茶髪のクールなお姉さん系メイドに大きなテーブル席に案内されたが、
「――申し訳ありません。私共の不手際で、ご主人様皆様がお座りになられるテーブルが用意出来ませんでした。ですのでお二人、精一杯ご奉仕させて頂きますのでどなたか個別席にお移りになっては頂けないでしょうか?」
「えっ」
「じゃ、ジャンケンで決めようぜ!」
お前等、ノリで来たはいいけどここのガチメイドっぷりにビビってないか。
「あー、俺か……。後一人は……そうだ! 『お前』行けよ! 夢にまで見たメイドさんだぜ!?」
俺が夢にまで見たメイドさんは実像じゃなくて偶像なんだが。つーかさっきから俺の顔が引き攣ってるの見えないのかお前は。
「――左様でございますか。ではご案内します」
いやいや、まだ俺行きまーすとか言ってないんですけど。対面でリアル女性と向き合うなんて俺死んじゃう。恥ずかしさと苦しさと恐怖心に押し潰されて俺の胃が逝っちゃう。胃だけに。
つーかお前達も何ホッとしたニヤニヤ顔で俺に手を振ってるんだこのチキン野郎共。
「こちらへお座り下さい」
言われるがままに木製のしっかりした造りの椅子に座り込むと、即座におしぼりが手渡された。熱すぎず、かと言って冷めている訳ではない。この温度、いい仕事してますな。
即座にお冷もサーブされ、喫茶店としてのスタートは万端、といった感じである。このグラスも一個どれくらいするんですかね。結構上質なグラスじゃないですかコレ。透明度が市販の物と比べ物にならねぇんですけど。
「すぐにご主人様専属の者が参りますので、少々お待ちを……」
そう言ってお姉さん系メイドは班員達が座るテーブル席の方に向かっていった。
手も拭き、正直手持ち無沙汰な俺はお冷を持ってちびちびと水を飲み始める。ただの水なのに何故だか美味い・・・気がする。こう、透き通っているような、そんな爽快感。水だから味はない筈なんだが。コレ何処のミネラルウォーター?
「――お待たせしまい申し訳ありません、ご主人様」
水に意識を向けていた所為で接近に気付かず、危うくグラスを落としそうになった。危ない危ない。弁償出来る程給料無いんだよこっちは。
気を取り直して声の方向を見ると、そこには、
「本日ご主人様のご奉仕を務めさせて頂く、フィネアと申します。どうぞ、お見知り置きを」
桃色だった。何がかと言うと、髪の毛が、だ。
この国ではどう遺伝子を配合しても生まれないであろうその髪色。極稀に写真で見たりする、間違いなく染めているであろうカラフルな頭。
だが驚く事に、この、フィネアという源氏名なのか本名なのか分からん女性の髪は、染めているとは思えない程自然な色なのだ。艶のある髪が照明の光を浴びて柔らかな光を放っている、ような気がする。詩人じゃないしリアル女をそこまでマジマジ見てたら犯罪扱いされると思ってる俺は大人しく黙っておくが。
「どうされましたか?」
何でもないです。とりあえず注文よろしいでしょうかメイド様。
「……?」
小首を傾げる動作に対し、あ、ちょっと可愛いかも、と、俺の人間的本能が動いてしまう。落ち着け俺の人間性、ステイステーイ。ワターシチカーンデモハンザイシャデモナイデース。タダノコウムインデース。
あ、すいませんちょっと取り乱してました。メニュー頂けませんでしょうか。
「は、はぁ。こちらが本日の献立となっております」
ヤバイ。コレ絶対不審者扱いされてる。ちょっと卑屈になりすぎたか? もっと普通に接さなければ。ええいこれだからリアルの女は面倒な。
しかし何で喫茶店なのに麻婆豆腐とかあるんですかココ。とりあえず無難なのを。いやいや、商品名に全部『魔界風』っていう枕詞付いてるんだけど。何これココそういう店? あ、そういう店だった。まあいいか。良心的価格だし。
「魔界風特製オムレツですね、畏まりました」
ふわり、という効果音が付きそうな優雅な動作と柔らかな笑顔で御辞儀され、そして、
「――失礼します」
ファッ!?
思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。何故かと言うと、注文を聞いた筈のピンクメイドさんが一歩前に出て、テーブルの真横に移動したのだ。
いやいやいや、メイド喫茶ってメイドと客が対面で座ってこう、それっぽい会話する所って聞いたんですが。つーか注文は?
「厨房の者は耳が良いので、先ほど仰って下さった時点で聞き及んでおります。ご心配なく。――それに、従者が主人と同じ席に着くなど、無礼の極みでございますから」
周りを見れば、なるほど確かに。どのメイドさんも客と相席していない。
俺と同じ席に座るのが嫌、という訳ではないらしい。ひょっとするとそういう訳なのかもしれないが、まあ、こっちとしても対面で座られるよりかはマシだ。
多分これからお話タイムがあるんだろう。こっちとしては会話がないし対女性会話の経験値なんて0同然だから間違いなく気まずい雰囲気になりそうな予感。いや、直感。
頑張れ俺。沈黙に耐え、オムレツ食ったら一足先に出よう。班員には悪いが。いや微塵も悪いなんて思ってないんだけどさ。
「――おおおおっ! すげぇ! そんな事も出来るのか!?」
「従者の嗜みでございます。お次は――」
何で、多人数組の方はあんなに盛り上がってるんだ。従者の嗜みって何なんだよ。
「待ち時間の最中ご主人様を退屈させないよう、我々一同は全員一発芸を持っております。――ご覧になられますか?」
えー・・・。何、それ。いや、いいですうわぁすいません見たい見たいですからそんな露骨に落ち込まないで下さい。
今度は嬉々として何やら準備を始めたが、奥の方で呼ばれたらしく一礼した後引っ込んでしまった。
気疲れするから早い所料理来てくれないかなー・・・。
「――お待たせいたしました。こちら、魔界風特製オムレツでございます」
おいおい、いくらなんでも早くね? レンジでチンな製品なら分かるけどさ。
いや、これはそんな物じゃない。一目で分かった。
完璧に解きほぐされ、ふんわりと中身を包んだ黄金色の卵。漂う湯気、芳香。どれを取っても、実家に住んでいた頃作り置きした時のオムレツとは比べ物にならない。
「本来なら私のような専属のメイドが自ら作るのですが、ご主人様はお早く食事にしたいご様子でしたので、このような形にさせて頂きました」
え、そういうの分かるものなんですか。それとも帰りたいオーラ全開だったんですかね。
あれ、急に屈んでどうしたんですかメイドさん。そのスプーンで何をするつもりで、
「――どうぞ、口をお開けになってください」
いわゆる『あーん』という奴ですね分かります。
・・・いやいやいや、一人で食べれますって。二次元ではよくある風景だけどコレ想像以上にこっ恥ずかしいというか何というか。
でもこの、何かよく分からない期待に満ちた表情でスプーン出されると、こう、断りにくいというかですね。上手く回避するだけの話術も度胸もないので、しぶしぶ言われるがまま口を開ける。
「お口に合いますか?」
ええ、そりゃもう。恥ずかしくて味なんか分からないですとも。
今度は味を見たいからもう一回だなんて絶対言えない、とか思ってたら二回目が来た。
「どうぞ」
ああ、そんなに優しげな笑顔で俺を見ないで。小心者の俺は女性に見つめられると犯罪者認定されているんじゃないかと思ってビクビク怯えて死んじゃうんです。
というかコレもサービス料とかに入ってるんですかね。
「さ、先程から何故敬語なのですか?」
性分なんですマジスイマセン。
「私はご主人様の従者なのですから、敬語ではなく自然にお話下さいませ。名前も、メイドさんではなくフィネア、と呼び捨てにして頂いて結構です」
見ず知らずの女性にタメ口、しかも名前で呼び捨てにする。それは俺にとってまさしく無理難題と言えた。無理無理無理絶対無理、ああ話します、じゃねぇ話すからしょんぼりしないで下さでもないしょんぼりしないでくれよ。
とりあえず、持てる精神ポイントを全消費して、名前を呼び捨てにしてみた。たかが四文字なのに、発声するのがすげぇ苦に感じた。つーかちょっと噛んでヒネアって呼んでしまった。でも呼び直すには勇気が足りない。
「はいっ!」
ああ、嬉しそうに反応しちゃって。
さっきから思ってたけど、この子といい周囲のメイドさんといい、仕事だからやっているんだぞという雰囲気は全く伝わってこない。客の為に何かをする事に充実感を覚えて仕方がない、という感じだ。いやまあ俺が鈍くて勘違いしてるだけかもしれないが。
ともかく、このフィネアという女性は世間一般の女性よりかは俺の想像しているメイドに近いっぽい存在なんじゃないだろうか。そう思いつつ、再び笑顔で差し出されたスプーンを受け入れる為口を開けた。
三度目にしてようやく緊張が一割減という所で、舌が味覚情報を伝えてきた。うん、美味い。ふわふわでトロトロ。肉汁もたっぷりジューシー。コレだよ、コレ。ケチャップって男の子だよな。
「ご主人様はオムレツ、お好きですか?」
ええまあ、じゃなかった。ああ、うん。曖昧表現なのは変わらないが、当たり障りなく、かといって踏み込みすぎないタメ口と言えばこんな感じだろう。
オムレツは、というかこういう子供が食べるような料理は大体好きだ。よく子供舌と高校生の頃からかわれた物だが、好きな物は好きなのだ。そう言える気持ち、抱きしめてたい。
「でしたら今度ご来店の際、私自ら腕を振るいますね♪」
や、そこでどうしてリピーターになる事前提で話進めるんだ。俺またのご来店をお待ちしておりますって言っても多分もう来ねぇと思待て待て待てそこでじっとこちらの顔を凝視しながら俺の回答を待つんじゃぁない。
さっきから思ってたんだがコレ、結構汚い商法なんじゃねぇかな。演技って分かるようなワザとらしい動作じゃない分、余計に断りにくい。よほどの朴念仁かホモか、俺みたいな二次元オタクで無い限り、このナチュラルな微笑みを見たいと思って貢ぎ続けるんじゃないだろうか。
まあ、口約束口約束。はいはいまた来ますよーっと。
「ふふっ♪」
危ねぇ。三次は惨事、と言って憚らない俺が一瞬とはいえ、今のにはグラっと来た。揺れるな俺の心。どんなに魅力的に見えても相手は『女』っていう、危険物取扱者資格を持っていても手に余る代物だ。俺みたいな、インクや0と1の羅列に対して欲情している男にどうこう出来る訳がない。変な期待も邪な考えも、全部ダストでシュート、ハーイナイッショーデスネー。
よし、落ち着いた。これは作業だ。作業。いい言葉だ。うん。口に運ばれてくる美味なオムライスをパァクパクするだけの簡単なお仕事だ。幸い、あと10〜15回程度で終わる。残り時間はどうするんだとも思うが、まあその辺はどうにかしよう。
「あらら、おべんとが付いてしまいました。お拭きいたしますね♪」
ちょっと待て、一度に口に入るサイズで切り分けて、一口で食べてる筈なのにどうして挽肉の粒が付くんだ。でも取ってから口に含むような、あからさまな動作じゃなくてちゃんと紙ナプキンに包む辺りプロだね。
その後、幾度と無く繰り返された『あ〜ん』も終わりの兆しが見え、丁度食べ終わったタイミングで別のメイドさんが皿を回収していった。
「それでは、この店『ロミ・ケーキ』のルールを簡単にご説明いたします。質問などございましたらその都度でも終わってからでも構いませんので、どんどんどうぞ」
ルールねぇ。お触り禁止とかだろうか。
「それは本人の同意がない場合のみです」
あー、そうなんだ。
じゃあ俺が今ここでセクハラしたら完全アウトって事だよね同意貰ってないし。
「……か、構いませんよ?」
何だよその複雑な表情はよー。言うなら嫌ぁぁぁ気持ち悪ぃぃぃとかハッキリ言って欲しい。その方が総合ダメージが少ないと思う。言われた瞬間のダメージで多分俺死ぬけど。つーか触る度胸なんて持ち合わせてないから。俺超ヘタレ野郎だから。
「ヘタレ……? 本当に、そうなのですか?」
そうそう。生まれつきじゃないとは思うけど、気付けばこうなってたしなぁ。
「ご主人様は、自分のそう言った部分、お嫌いですか?」
嫌い? あー、いや、どうなんだろう。
まあ、どうしようもないとは思ってるかな。結局人間、いくら自分を嫌ってもそれから離れる為には変わるか死ぬかしかないんだし。
「変えたい、と思った事は御座いますか?」
そんな、よく分からない感じでお話タイムらしきものが始まった。
最初の内は何で説教されなきゃならないんだ、と思っていたが、次第に説教とも、上から目線の助言とも違う事に気付いた。
「――ご主人様は、真面目な人と言われてどうお思いですか?」
勝手にこちらを型にはめ、こういうものだ決めつけず、踏み込んでいいのか困っているこちらの背をそっと押してくれるような、そんな言葉を掛けてくるのだ。
「人と触れ合う事が怖い、というのは触れ合う事でその人を傷付けてしまうのではないか、と思ってしまうからだ、とよく言われるのですが、ご主人様はどうでしょうか」
普通なら、どう励まされても『俺は俺の事そう思ってねぇんだけどなぁ』という感じで放置しているのだが、彼女の言葉は非情に柔軟に聞き入れられる。こんなに話をするのが上手で、かつ相手の事を深く知ろうとする人間が居るものなのか。すげぇ。とても真似出来ねぇなコレ。会ったばかりでロクに会話もしていないのに、よくここまで関心持とうと出来るなぁ。
つーかヤベェ。話しやすい。質問してくる時は真面目に、しかもこちらの目を、わざわざ視線を合わせて見てくる。聞く姿勢だって、頷きや表情の変化などを加えて反応するので『聞いてくれている』という感じがすげぇする。心の中で溜めてた思いとかそういう複雑なものを話す時だって、馬鹿にする事無く真剣に聞いていてくれる。こんなの、母親にだってされた事はない。
話せば話すほど、心が軽くなっていく。そんな、不思議な感触。
気付けば時は流れており、時計が滞在時間の終わりを指していた。
彼女は彼女なりに俺の何かを掴んだらしく、静かに頷いた後に俺に小さな紙片を手渡してきた。
「――もし宜しければ、こちらにご連絡を下さいませ」
そこには彼女の名前らしき文字の羅列と、携帯電話番号と思わしき数字の羅列。あと、店名、店の住所、電話番号もついでに載っていた。裏には『次回ご来店の際、メニュー内のソフトドリンクから一本サービス致します』とか書かれている。
「本日は充実した時間をありがとうございました。またご来店して頂いた折には、今日以上に豊かな時間を送ったとお思い頂けるよう、精一杯務めさせて頂きます」
来た時と同じように、優雅な一礼に見送られ、俺は会計を済ませ外に出た。
時を同じくして外に出たテーブル席に座っていた全員は非情に満足気な表情で、貴重な休みを有意義に過ごせた事を悦んでいる。
ジャンケンに負け、俺と同じく個人席に移った奴はというと、一人何処か虚空を見つめては呆然としている。頬を赤らめているその様は、言うならば熱に浮かされた状態だ。何だかよく分からんが、よほど熱烈な奉仕でも受けたのだろうか。
「楽しかったな! 今度は班長達も呼んでこようぜ!」
「いいねぇ! 班長達びっくりするだろうな!」
周囲の様子を見て、自分は、どうだったか考える。楽しかったか楽しくなかったか。
楽しいかそうでないかは、正直分からない。ただ、自分の言葉を聞いてもらっただけだから。
想像していたメイド喫茶と大きく違い過ぎて、正直感想に困る。もっと吐き気がするくらい疲れると思っていたのに、逆に何か軽い気持ちになっていた。悪くはない。
また来てもいいかな。そう考えた矢先、彼女から手渡された名刺の角に描かれた、デフォルメされた犬、なのか鳥なのか分からない小動物を見て、ふと思った。
……電話番号とか指名とかってこれ、キャバクラとかそういう店の対応じゃね? って事は誰にでもこういう事やってるんじゃね?
「そうそう。班長が帰り際に見たって言っててさ。こんな寂れた街にそんなの来るなんて、不思議な事もあるモンだよなぁ」
消灯時間の30分前。一日の課業を終え、さあこれから寝ようという所で同室の班員達がそんな話を始めた。流石去年まで高校の部活でしごかれていた若者達だ。日中あれだけ仕事をしていてまだ雑談をする体力があるとは。元理系の、それも年食いのモヤシはもう眠いんです。
「で、配ってたチラシがコレなんだけどさ」
「ちょ、何であるんだよ」
「班長から借りたんだよ。――ほら、レベル高くね?」
「どれどれ……、うぉ! この子可愛いな! ほら、こっちのセミロングの!」
「はぁ? どう見てもこっちのポニテの子の方が美人だから」
何かよく分からんが議論が始まった。他の班員も釣られて話に加わり、一時的に部屋がやかましくなる。チラシに貼られてる女の写真がそんなにネタになるとは。そんなに現実の女がいいのかお前等。
いいか、考えても見ろ。女なんて歩く災害じゃないか。
こっちが理論的に話を進めようとすると自分勝手な感情的思考を持ちだしてさも人間の正論のように語りだすし、下手な所突っ込むと泣き喚いて仲間を呼ぶし、周りを固めてこちらを排除しようとする。自称フェミニストのクソ男共も巻き込んで女である事を最大限利用して数の暴力を仕掛けてくるとか、これほど迷惑な存在は居ない。現に痴漢と叫ぶだけで軽々と男の人生壊せるんだしな。
加えてメイド喫茶に居るような女の中身なんぞ、恥を捨てて金を稼ごうなんて考えてる連中に違いない。金の為にやりたくない事をやる、という姿勢は評価するべきとは思うが、正直見るに耐えない。ぞわぞわする。
その点、二次元の女の子は実に良い。実にグレート。劣化しないし、可愛いし、こっちの人生を害する事など決してないのだから、嫁にするならこれ以上の存在はない。先日プレイしたエロゲにだって、
「よっしゃ! 今週の土日班の全員で行こうぜ!」
「いいな! 賛成!」
「べ、別に行きたい訳じゃねぇんだけどな。全員ってなら仕方ねぇ、付き合うぜ」
あれ? 何か話が面倒臭い方向に向かってねぇかなコレ。
寝たフリして聞いてませんでしたアピールするべきかどうするか迷ってると、
「ほら『お前』、こういうメイドとか、好きだろ? 行くよな? よっしゃ決定ー!」
おいコラ人の返答フェイズを全部スキップするんじゃない。行くともメイド好きとも一言も言ってない内から人の休日の予定を勝手に入れるな脳筋。
「おかえりなさいませご主人様、とかって言ってくれるんだろ? ちょっと萌え、とか分かんねぇけど、この子がそう言って出迎えてくれるんだったら、俺ならそのまま押し倒すね」
「何言ってんだよキメェ。そういうのは同意の上でだろ」
俺に聞くな知らん。しかも押し倒すとか、そこ多分ソープでも何でもねぇから。
「じゃ全員の同意出た所で! 明日も頑張ろうぜ!」
「あぁ〜……。さっさと休日来ねぇかなー」
各々自分のベッドに寝転び始める。中にはもう寝息立ててる奴とか居るんだが。
あ、コレ完全に断るタイミング逃した。
・・・
長く苦しい一週間を抜けた俺を待っていたのは、また地獄だった。
「ここだな。あからさまにそういう看板立ってるし」
「……正直、入りにくくね? 冷静になってみるとガチ過ぎて引くんだけど」
明らかに『そういう店』という雰囲気の建物の前で数名の若者がざわついている。
看板には『ロミ・ケーキ』というゴシック体で書かれており、これが店名なのだと分かりやすく伝えてくれる。
思うんだが、入りにくいなら入らなきゃいいんじゃねぇかな。もう帰ろうぜ。
「何やってんだよ。ここまで来たんだから、入ってみようぜ」
「まあ、後々笑い話にも出来るし、いいか」
もうちょっと迷えよ若人達。
来店を知らせるベルの音が鳴り、喫茶店特有の空気が肌に触れた直後、
「「「――お帰りなさいませ、ご主人様」」」
数名のメイド服に身を包んだ女性達が、画面の中でしか聞いた事のない台詞と共に恭しく御辞儀をしていた。
店内は思っていたより落ち着いた雰囲気で、過剰な装飾は何処にも見受けられず、一昔前の喫茶店という感じだった。
それに加え、出迎えてきたメイド達も、よくCMとかで見るようなフリフリのエプロンに短いスカート、パンプスではなく、とても暑そうなワンピースに純白のエプロン、しっかりとした革製ブーツという出で立ちだ。見た感じ、立ち振舞いも優雅で媚びるような動作がなく、本当に従者として一歩引いたような姿勢を取っている。
さらにさらに畏まっている女性達も、美醜を問うたら誰もが美しい、または可愛いと言うだろう。多分。現実を見ない俺にはその辺の価値観が分からん。でも少なくとも見るに耐えない顔立ちではないだろう。班員が見惚れている事が証拠だ。
これが三次元でなければ好感が持てるのだが。
「おおっ……、本格的だな……」
本場を知ってるのかお前は。少なくとも俺はフレンチメイドとヴィクトリアンメイドの違いくらいしか分からんからな。初恋はメイドキャラだったが。
流石に人数が多いとの事なので、茶髪のクールなお姉さん系メイドに大きなテーブル席に案内されたが、
「――申し訳ありません。私共の不手際で、ご主人様皆様がお座りになられるテーブルが用意出来ませんでした。ですのでお二人、精一杯ご奉仕させて頂きますのでどなたか個別席にお移りになっては頂けないでしょうか?」
「えっ」
「じゃ、ジャンケンで決めようぜ!」
お前等、ノリで来たはいいけどここのガチメイドっぷりにビビってないか。
「あー、俺か……。後一人は……そうだ! 『お前』行けよ! 夢にまで見たメイドさんだぜ!?」
俺が夢にまで見たメイドさんは実像じゃなくて偶像なんだが。つーかさっきから俺の顔が引き攣ってるの見えないのかお前は。
「――左様でございますか。ではご案内します」
いやいや、まだ俺行きまーすとか言ってないんですけど。対面でリアル女性と向き合うなんて俺死んじゃう。恥ずかしさと苦しさと恐怖心に押し潰されて俺の胃が逝っちゃう。胃だけに。
つーかお前達も何ホッとしたニヤニヤ顔で俺に手を振ってるんだこのチキン野郎共。
「こちらへお座り下さい」
言われるがままに木製のしっかりした造りの椅子に座り込むと、即座におしぼりが手渡された。熱すぎず、かと言って冷めている訳ではない。この温度、いい仕事してますな。
即座にお冷もサーブされ、喫茶店としてのスタートは万端、といった感じである。このグラスも一個どれくらいするんですかね。結構上質なグラスじゃないですかコレ。透明度が市販の物と比べ物にならねぇんですけど。
「すぐにご主人様専属の者が参りますので、少々お待ちを……」
そう言ってお姉さん系メイドは班員達が座るテーブル席の方に向かっていった。
手も拭き、正直手持ち無沙汰な俺はお冷を持ってちびちびと水を飲み始める。ただの水なのに何故だか美味い・・・気がする。こう、透き通っているような、そんな爽快感。水だから味はない筈なんだが。コレ何処のミネラルウォーター?
「――お待たせしまい申し訳ありません、ご主人様」
水に意識を向けていた所為で接近に気付かず、危うくグラスを落としそうになった。危ない危ない。弁償出来る程給料無いんだよこっちは。
気を取り直して声の方向を見ると、そこには、
「本日ご主人様のご奉仕を務めさせて頂く、フィネアと申します。どうぞ、お見知り置きを」
桃色だった。何がかと言うと、髪の毛が、だ。
この国ではどう遺伝子を配合しても生まれないであろうその髪色。極稀に写真で見たりする、間違いなく染めているであろうカラフルな頭。
だが驚く事に、この、フィネアという源氏名なのか本名なのか分からん女性の髪は、染めているとは思えない程自然な色なのだ。艶のある髪が照明の光を浴びて柔らかな光を放っている、ような気がする。詩人じゃないしリアル女をそこまでマジマジ見てたら犯罪扱いされると思ってる俺は大人しく黙っておくが。
「どうされましたか?」
何でもないです。とりあえず注文よろしいでしょうかメイド様。
「……?」
小首を傾げる動作に対し、あ、ちょっと可愛いかも、と、俺の人間的本能が動いてしまう。落ち着け俺の人間性、ステイステーイ。ワターシチカーンデモハンザイシャデモナイデース。タダノコウムインデース。
あ、すいませんちょっと取り乱してました。メニュー頂けませんでしょうか。
「は、はぁ。こちらが本日の献立となっております」
ヤバイ。コレ絶対不審者扱いされてる。ちょっと卑屈になりすぎたか? もっと普通に接さなければ。ええいこれだからリアルの女は面倒な。
しかし何で喫茶店なのに麻婆豆腐とかあるんですかココ。とりあえず無難なのを。いやいや、商品名に全部『魔界風』っていう枕詞付いてるんだけど。何これココそういう店? あ、そういう店だった。まあいいか。良心的価格だし。
「魔界風特製オムレツですね、畏まりました」
ふわり、という効果音が付きそうな優雅な動作と柔らかな笑顔で御辞儀され、そして、
「――失礼します」
ファッ!?
思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。何故かと言うと、注文を聞いた筈のピンクメイドさんが一歩前に出て、テーブルの真横に移動したのだ。
いやいやいや、メイド喫茶ってメイドと客が対面で座ってこう、それっぽい会話する所って聞いたんですが。つーか注文は?
「厨房の者は耳が良いので、先ほど仰って下さった時点で聞き及んでおります。ご心配なく。――それに、従者が主人と同じ席に着くなど、無礼の極みでございますから」
周りを見れば、なるほど確かに。どのメイドさんも客と相席していない。
俺と同じ席に座るのが嫌、という訳ではないらしい。ひょっとするとそういう訳なのかもしれないが、まあ、こっちとしても対面で座られるよりかはマシだ。
多分これからお話タイムがあるんだろう。こっちとしては会話がないし対女性会話の経験値なんて0同然だから間違いなく気まずい雰囲気になりそうな予感。いや、直感。
頑張れ俺。沈黙に耐え、オムレツ食ったら一足先に出よう。班員には悪いが。いや微塵も悪いなんて思ってないんだけどさ。
「――おおおおっ! すげぇ! そんな事も出来るのか!?」
「従者の嗜みでございます。お次は――」
何で、多人数組の方はあんなに盛り上がってるんだ。従者の嗜みって何なんだよ。
「待ち時間の最中ご主人様を退屈させないよう、我々一同は全員一発芸を持っております。――ご覧になられますか?」
えー・・・。何、それ。いや、いいですうわぁすいません見たい見たいですからそんな露骨に落ち込まないで下さい。
今度は嬉々として何やら準備を始めたが、奥の方で呼ばれたらしく一礼した後引っ込んでしまった。
気疲れするから早い所料理来てくれないかなー・・・。
「――お待たせいたしました。こちら、魔界風特製オムレツでございます」
おいおい、いくらなんでも早くね? レンジでチンな製品なら分かるけどさ。
いや、これはそんな物じゃない。一目で分かった。
完璧に解きほぐされ、ふんわりと中身を包んだ黄金色の卵。漂う湯気、芳香。どれを取っても、実家に住んでいた頃作り置きした時のオムレツとは比べ物にならない。
「本来なら私のような専属のメイドが自ら作るのですが、ご主人様はお早く食事にしたいご様子でしたので、このような形にさせて頂きました」
え、そういうの分かるものなんですか。それとも帰りたいオーラ全開だったんですかね。
あれ、急に屈んでどうしたんですかメイドさん。そのスプーンで何をするつもりで、
「――どうぞ、口をお開けになってください」
いわゆる『あーん』という奴ですね分かります。
・・・いやいやいや、一人で食べれますって。二次元ではよくある風景だけどコレ想像以上にこっ恥ずかしいというか何というか。
でもこの、何かよく分からない期待に満ちた表情でスプーン出されると、こう、断りにくいというかですね。上手く回避するだけの話術も度胸もないので、しぶしぶ言われるがまま口を開ける。
「お口に合いますか?」
ええ、そりゃもう。恥ずかしくて味なんか分からないですとも。
今度は味を見たいからもう一回だなんて絶対言えない、とか思ってたら二回目が来た。
「どうぞ」
ああ、そんなに優しげな笑顔で俺を見ないで。小心者の俺は女性に見つめられると犯罪者認定されているんじゃないかと思ってビクビク怯えて死んじゃうんです。
というかコレもサービス料とかに入ってるんですかね。
「さ、先程から何故敬語なのですか?」
性分なんですマジスイマセン。
「私はご主人様の従者なのですから、敬語ではなく自然にお話下さいませ。名前も、メイドさんではなくフィネア、と呼び捨てにして頂いて結構です」
見ず知らずの女性にタメ口、しかも名前で呼び捨てにする。それは俺にとってまさしく無理難題と言えた。無理無理無理絶対無理、ああ話します、じゃねぇ話すからしょんぼりしないで下さでもないしょんぼりしないでくれよ。
とりあえず、持てる精神ポイントを全消費して、名前を呼び捨てにしてみた。たかが四文字なのに、発声するのがすげぇ苦に感じた。つーかちょっと噛んでヒネアって呼んでしまった。でも呼び直すには勇気が足りない。
「はいっ!」
ああ、嬉しそうに反応しちゃって。
さっきから思ってたけど、この子といい周囲のメイドさんといい、仕事だからやっているんだぞという雰囲気は全く伝わってこない。客の為に何かをする事に充実感を覚えて仕方がない、という感じだ。いやまあ俺が鈍くて勘違いしてるだけかもしれないが。
ともかく、このフィネアという女性は世間一般の女性よりかは俺の想像しているメイドに近いっぽい存在なんじゃないだろうか。そう思いつつ、再び笑顔で差し出されたスプーンを受け入れる為口を開けた。
三度目にしてようやく緊張が一割減という所で、舌が味覚情報を伝えてきた。うん、美味い。ふわふわでトロトロ。肉汁もたっぷりジューシー。コレだよ、コレ。ケチャップって男の子だよな。
「ご主人様はオムレツ、お好きですか?」
ええまあ、じゃなかった。ああ、うん。曖昧表現なのは変わらないが、当たり障りなく、かといって踏み込みすぎないタメ口と言えばこんな感じだろう。
オムレツは、というかこういう子供が食べるような料理は大体好きだ。よく子供舌と高校生の頃からかわれた物だが、好きな物は好きなのだ。そう言える気持ち、抱きしめてたい。
「でしたら今度ご来店の際、私自ら腕を振るいますね♪」
や、そこでどうしてリピーターになる事前提で話進めるんだ。俺またのご来店をお待ちしておりますって言っても多分もう来ねぇと思待て待て待てそこでじっとこちらの顔を凝視しながら俺の回答を待つんじゃぁない。
さっきから思ってたんだがコレ、結構汚い商法なんじゃねぇかな。演技って分かるようなワザとらしい動作じゃない分、余計に断りにくい。よほどの朴念仁かホモか、俺みたいな二次元オタクで無い限り、このナチュラルな微笑みを見たいと思って貢ぎ続けるんじゃないだろうか。
まあ、口約束口約束。はいはいまた来ますよーっと。
「ふふっ♪」
危ねぇ。三次は惨事、と言って憚らない俺が一瞬とはいえ、今のにはグラっと来た。揺れるな俺の心。どんなに魅力的に見えても相手は『女』っていう、危険物取扱者資格を持っていても手に余る代物だ。俺みたいな、インクや0と1の羅列に対して欲情している男にどうこう出来る訳がない。変な期待も邪な考えも、全部ダストでシュート、ハーイナイッショーデスネー。
よし、落ち着いた。これは作業だ。作業。いい言葉だ。うん。口に運ばれてくる美味なオムライスをパァクパクするだけの簡単なお仕事だ。幸い、あと10〜15回程度で終わる。残り時間はどうするんだとも思うが、まあその辺はどうにかしよう。
「あらら、おべんとが付いてしまいました。お拭きいたしますね♪」
ちょっと待て、一度に口に入るサイズで切り分けて、一口で食べてる筈なのにどうして挽肉の粒が付くんだ。でも取ってから口に含むような、あからさまな動作じゃなくてちゃんと紙ナプキンに包む辺りプロだね。
その後、幾度と無く繰り返された『あ〜ん』も終わりの兆しが見え、丁度食べ終わったタイミングで別のメイドさんが皿を回収していった。
「それでは、この店『ロミ・ケーキ』のルールを簡単にご説明いたします。質問などございましたらその都度でも終わってからでも構いませんので、どんどんどうぞ」
ルールねぇ。お触り禁止とかだろうか。
「それは本人の同意がない場合のみです」
あー、そうなんだ。
じゃあ俺が今ここでセクハラしたら完全アウトって事だよね同意貰ってないし。
「……か、構いませんよ?」
何だよその複雑な表情はよー。言うなら嫌ぁぁぁ気持ち悪ぃぃぃとかハッキリ言って欲しい。その方が総合ダメージが少ないと思う。言われた瞬間のダメージで多分俺死ぬけど。つーか触る度胸なんて持ち合わせてないから。俺超ヘタレ野郎だから。
「ヘタレ……? 本当に、そうなのですか?」
そうそう。生まれつきじゃないとは思うけど、気付けばこうなってたしなぁ。
「ご主人様は、自分のそう言った部分、お嫌いですか?」
嫌い? あー、いや、どうなんだろう。
まあ、どうしようもないとは思ってるかな。結局人間、いくら自分を嫌ってもそれから離れる為には変わるか死ぬかしかないんだし。
「変えたい、と思った事は御座いますか?」
そんな、よく分からない感じでお話タイムらしきものが始まった。
最初の内は何で説教されなきゃならないんだ、と思っていたが、次第に説教とも、上から目線の助言とも違う事に気付いた。
「――ご主人様は、真面目な人と言われてどうお思いですか?」
勝手にこちらを型にはめ、こういうものだ決めつけず、踏み込んでいいのか困っているこちらの背をそっと押してくれるような、そんな言葉を掛けてくるのだ。
「人と触れ合う事が怖い、というのは触れ合う事でその人を傷付けてしまうのではないか、と思ってしまうからだ、とよく言われるのですが、ご主人様はどうでしょうか」
普通なら、どう励まされても『俺は俺の事そう思ってねぇんだけどなぁ』という感じで放置しているのだが、彼女の言葉は非情に柔軟に聞き入れられる。こんなに話をするのが上手で、かつ相手の事を深く知ろうとする人間が居るものなのか。すげぇ。とても真似出来ねぇなコレ。会ったばかりでロクに会話もしていないのに、よくここまで関心持とうと出来るなぁ。
つーかヤベェ。話しやすい。質問してくる時は真面目に、しかもこちらの目を、わざわざ視線を合わせて見てくる。聞く姿勢だって、頷きや表情の変化などを加えて反応するので『聞いてくれている』という感じがすげぇする。心の中で溜めてた思いとかそういう複雑なものを話す時だって、馬鹿にする事無く真剣に聞いていてくれる。こんなの、母親にだってされた事はない。
話せば話すほど、心が軽くなっていく。そんな、不思議な感触。
気付けば時は流れており、時計が滞在時間の終わりを指していた。
彼女は彼女なりに俺の何かを掴んだらしく、静かに頷いた後に俺に小さな紙片を手渡してきた。
「――もし宜しければ、こちらにご連絡を下さいませ」
そこには彼女の名前らしき文字の羅列と、携帯電話番号と思わしき数字の羅列。あと、店名、店の住所、電話番号もついでに載っていた。裏には『次回ご来店の際、メニュー内のソフトドリンクから一本サービス致します』とか書かれている。
「本日は充実した時間をありがとうございました。またご来店して頂いた折には、今日以上に豊かな時間を送ったとお思い頂けるよう、精一杯務めさせて頂きます」
来た時と同じように、優雅な一礼に見送られ、俺は会計を済ませ外に出た。
時を同じくして外に出たテーブル席に座っていた全員は非情に満足気な表情で、貴重な休みを有意義に過ごせた事を悦んでいる。
ジャンケンに負け、俺と同じく個人席に移った奴はというと、一人何処か虚空を見つめては呆然としている。頬を赤らめているその様は、言うならば熱に浮かされた状態だ。何だかよく分からんが、よほど熱烈な奉仕でも受けたのだろうか。
「楽しかったな! 今度は班長達も呼んでこようぜ!」
「いいねぇ! 班長達びっくりするだろうな!」
周囲の様子を見て、自分は、どうだったか考える。楽しかったか楽しくなかったか。
楽しいかそうでないかは、正直分からない。ただ、自分の言葉を聞いてもらっただけだから。
想像していたメイド喫茶と大きく違い過ぎて、正直感想に困る。もっと吐き気がするくらい疲れると思っていたのに、逆に何か軽い気持ちになっていた。悪くはない。
また来てもいいかな。そう考えた矢先、彼女から手渡された名刺の角に描かれた、デフォルメされた犬、なのか鳥なのか分からない小動物を見て、ふと思った。
……電話番号とか指名とかってこれ、キャバクラとかそういう店の対応じゃね? って事は誰にでもこういう事やってるんじゃね?
14/08/30 16:34更新 / イブシャケ
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