第四話 最中にて/隊長のターン
アニーから治癒の魔法が掛けられた術符を受け取る。
若干角度を付けて拳を受けたおかげか、物理的に鼻が曲がっただけで潰れてはいなかった。痛みを堪えて鼻の向きを戻し、術符を鼻に貼る。
痛みが和らいでいき、目の前の信じられない光景に驚けるだけの余裕が出来た。
「あれは、誰だ? オーガと一対一で戦える者など、今のアルカトラには居なかった筈だ」
「驚く事にね、アレ、今日来たばっかりの補充兵なのよ」
「…………は?」
何か聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。普段からこの女は冗談や軽口をよく言うが、流石に仕事中にまでそんな事をする訳がない。
「いや、本当。二日前に連絡来てたでしょ? 補充兵としてウチに女の子が配属されるって」
「あ、ああ。確か、名前はレフヴォネンとか言う」
「そ。アレが、そのシャーラン・レフヴォネンって子よ」
言われても、理解が追いつかなかった。
あんな、十代の子供、それも少女が。エミリアのように訓練を受けた訳でもなく、一般人から補充兵になった者が、鬼の魔物、オーガと正面から殴り合っているのだ。夢物語でなければ何だというのか。
少女の正拳が、空気が弾ける音を纏って魔物の顔面へ放たれる。
オーガは左腕でその拳を受け流し、右拳を軽いスナップで前に突き出す。
少女は首を傾けて魔物の拳を回避し、さらに自分にとって有利な距離に近づく。抱き合っているかのような超至近距離から、少女の膝蹴りがオーガの腹に入った。
だが、人間相手なら堪えきれず吹き飛ぶような一撃を、魔物は耐え切った。歯を食いしばり、頭突きを放つ。
負けじと少女も頭突きを放ち、鈍い音が響き渡る。
「……あれは何処の国に所属している勇者だ?」
「その気持ちは分かるわ……」
「明らかに私たちよりも強いだろう。――今の、右ストレートを肘で挟んでから右フックまでの流れとか、明らかに素人の技じゃないんだが」
「実戦経験はそこそこある、って言ってたけど、ここまでやるとはね……」
連れてきた当の本人も驚いている辺り、アニーは少女の言葉を信じていなかった事が分かる。いや、誰が信じようか。
「――だが、今の我々にとってはこの上ない救済だ」
一瞬、主神様が遣わした神の化身なのでは、とも思ったが、
「ハッ! 教団兵なのに随分と荒々しい戦い方するじゃねぇか! 神様の遣いってより、修羅って感じだな!」
「バケモノが、喋るんじゃ、ないわよっ! クソがっ!」
あんな乱暴な物言いをする神の遣いはいないだろう。
「隊長、大丈夫ですか?」
隊員の一人、ハミルが駆け寄ってきた。腹部を押さえているものの、まだ戦闘は続行可能らしい。不安要素は大きいが、これならば戦う事も逃げる事もどうにか出来るだろう。
「ああ、まだ痛むが何とか動ける。お前はどうだ?」
「私の方も、あばら骨を数本やられちゃいましたけど、魔力自体は大丈夫です」
「よし。アニー、レイブンの様子は?」
視界の端でアニーがレイブンに術符を貼っているのが見えたので、状態を問う。
「ちょっと分からないわね……。見る限りだと外傷は酷くなくて、頭を強く打って昏倒中って所だけど、――エミリア、ちょっとお願い」
現在、効果的な治癒系の魔法を使えるのはエミリアだけだ。聖術の使い手である彼女に治療してもらえば、死んで居ない限りはおよそ回復する。
だが、
「エミリア?」
「――」
治療の担い手は、力なく座り込んだまま、ある一点を凝視したまま固まってしまっていた。信じられない物を見る目で、荒々しく戦う少女を見つめていたのだ。
――無理もない、か。
彼女を入隊当時から世話しているからこそ、エミリアが『勇者』になる為、どれだけ努力を重ねていたかが痛いほど分かる。
裕福な家に生まれた彼女は幼い頃、とても臆病な少女だったと聞く。
何をやるにも両親や兄、姉の後ろに隠れては自分の知らない出来事に対してただ怯えていたらしい。
そんな彼女を変えたのが、一人の女性との出会いだった。
その女性は名うての『勇者』で、エミリアは勇気を振り絞って強さの秘訣を聞いたのだという。臆病な彼女に、その女性は優しげに手を差し伸べ、こう言ったそうだ。
『貴女に、大切な人は居ますか?』
その問いに、エミリアの心の中には家族が浮かび上がった。
『では、その人たちが悪い魔物に怪我させられたとすれば、どう思いますか?』
聞かれた瞬間、その光景を想像し、エミリアは恐怖のあまり泣き出してしまったらしい。
大好きな父が、母が、姉が、兄が傷つく事に比べれば、今自分が抱えている未知への恐怖など大した事ではない。
泣き喚くエミリアを慰めながら、最後に女性はこう言った。
『私はですね? そんな事を許せないから、こうして勇者になったのですよ』
それ以来、エミリアは変わった。女性が彼女に与えた影響は大きく、彼女の心を強くしたのだ。
どんな事だろうと、大事な人の笑顔を守れるのなら、怖くはない。
だからこそ、守れるようになりたい。守ってあげられる力が欲しい。
そう思うようになり、エミリアは勇者になる事を決意した。
説得の末、両親の同意を受けて他の人間より遅れて訓練校に入校し、それまで剣を握った事のない少女が他者に笑われながら必死に努力を続け、最終的には訓練校を主席で卒業するほどの力量と、『勇者候補』という称号を得る事が出来たのだ。
「――っ」
それほどの固い決意を持って戦っていたというのに、あの魔物には通用しなかった。しかもそれだけでなく、自分が手も足も出なかった魔物に対して、後から入ってきた自分と同年代の少女が、互角に戦っているのだ。
おそらくエミリアは、今までの努力が何だったのか分からなくなっているのだろう。
――エミリア……。
上司として、そして師匠として、彼女を支えるべきだ、と思わずにはいられない。
「ぬ、ああああぁぁぁぁあ!」
「ぐ、おぉぉぉぉぉおおお!」
そんなエミリアの心境を知る由も無い一人と一匹の戦闘は、さらに激しさを増していた。少女の身体を覆っていた陽炎はその濃さを増しており、もはや湯気のようになっている。
「しかし、あの少女が使っている魔法は何だ? 効果を見るに、身体強化魔法のようだが」
「私も知らないタイプの魔法です。強化系なのは分かりますが――」
動けないエミリアの代わりとして、ハミルがレイブンを治療しながら私の疑問に答える。彼は空いている手で顎を触り、少女を観察しながら考える素振りを見せた後、何かに気付いたような表情になる。
「――まさか」
「どうした?」
だが、ハミルが発言するよりも先にアニーが叫んだ。
「隊長っ! 周りの魔物達が!」
「何!?」
見れば、爆発の衝撃で倒れていた魔物達が、一様に身体を起こそうとし始めていたのだ。
――こうなる前に逃げねばならなかったのだが……っ!
戦いを好むオーガは、絶対にあの少女を逃さないだろう。故に、倒すか倒されるかのどちらかしかない。そして、私にはあの少女を見捨てて逃げるなど、出来はしない。
「――オラッ!」
「ぐっ!?」
オーガの拳が少女の腹部に刺さり、強制的にその身をくの字に折らせる。
「動きが鈍って来てる、ぜっ!」
「あがぁっ!」
落ちた頭に逆手での拳が刺さり、少女が地面に転がる。
「せやっ!」
「――っ! 強化15倍!」
少女の叫びと同時に、身に纏っている陽炎が白い霧へと濃度を変えた。
その瞬間、彼女の動作が目に見えて加速した。
「誰が、動き鈍ってるって!?」
「へっ、上等!」
明らかに荒い息から、少女がかなり無理をして戦っている事が分かる。
――何故そこまで……っ!
少し前まで私たちが守る対象だった少女が、命を削って戦う。その事実に、私は怒りを覚えていた。
余計な事をするな、という訳ではない。ただ、そうさせない為に戦っているというのに、今、少女にそうさせてしまっている、という私自身の無力さが、何よりも悔しかった。
だからこそ、私は願う。
「――死ぬな!」
たとえ少女が自らを犠牲にする事を望んでいたとしても、死んでほしくない。
――守れるはずのものを守れない事が、私たちにとって最も辛い事なのだから!
必死に戦っている少女の耳に入っているとは思えないが、私はそう叫ばずにいられなかったのだ。
それがきっかけとなったのだろうか。私の呼び掛けの直後、戦況が一瞬にして変わった。
少女が、膝から崩れ落ちたのだ。
若干角度を付けて拳を受けたおかげか、物理的に鼻が曲がっただけで潰れてはいなかった。痛みを堪えて鼻の向きを戻し、術符を鼻に貼る。
痛みが和らいでいき、目の前の信じられない光景に驚けるだけの余裕が出来た。
「あれは、誰だ? オーガと一対一で戦える者など、今のアルカトラには居なかった筈だ」
「驚く事にね、アレ、今日来たばっかりの補充兵なのよ」
「…………は?」
何か聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。普段からこの女は冗談や軽口をよく言うが、流石に仕事中にまでそんな事をする訳がない。
「いや、本当。二日前に連絡来てたでしょ? 補充兵としてウチに女の子が配属されるって」
「あ、ああ。確か、名前はレフヴォネンとか言う」
「そ。アレが、そのシャーラン・レフヴォネンって子よ」
言われても、理解が追いつかなかった。
あんな、十代の子供、それも少女が。エミリアのように訓練を受けた訳でもなく、一般人から補充兵になった者が、鬼の魔物、オーガと正面から殴り合っているのだ。夢物語でなければ何だというのか。
少女の正拳が、空気が弾ける音を纏って魔物の顔面へ放たれる。
オーガは左腕でその拳を受け流し、右拳を軽いスナップで前に突き出す。
少女は首を傾けて魔物の拳を回避し、さらに自分にとって有利な距離に近づく。抱き合っているかのような超至近距離から、少女の膝蹴りがオーガの腹に入った。
だが、人間相手なら堪えきれず吹き飛ぶような一撃を、魔物は耐え切った。歯を食いしばり、頭突きを放つ。
負けじと少女も頭突きを放ち、鈍い音が響き渡る。
「……あれは何処の国に所属している勇者だ?」
「その気持ちは分かるわ……」
「明らかに私たちよりも強いだろう。――今の、右ストレートを肘で挟んでから右フックまでの流れとか、明らかに素人の技じゃないんだが」
「実戦経験はそこそこある、って言ってたけど、ここまでやるとはね……」
連れてきた当の本人も驚いている辺り、アニーは少女の言葉を信じていなかった事が分かる。いや、誰が信じようか。
「――だが、今の我々にとってはこの上ない救済だ」
一瞬、主神様が遣わした神の化身なのでは、とも思ったが、
「ハッ! 教団兵なのに随分と荒々しい戦い方するじゃねぇか! 神様の遣いってより、修羅って感じだな!」
「バケモノが、喋るんじゃ、ないわよっ! クソがっ!」
あんな乱暴な物言いをする神の遣いはいないだろう。
「隊長、大丈夫ですか?」
隊員の一人、ハミルが駆け寄ってきた。腹部を押さえているものの、まだ戦闘は続行可能らしい。不安要素は大きいが、これならば戦う事も逃げる事もどうにか出来るだろう。
「ああ、まだ痛むが何とか動ける。お前はどうだ?」
「私の方も、あばら骨を数本やられちゃいましたけど、魔力自体は大丈夫です」
「よし。アニー、レイブンの様子は?」
視界の端でアニーがレイブンに術符を貼っているのが見えたので、状態を問う。
「ちょっと分からないわね……。見る限りだと外傷は酷くなくて、頭を強く打って昏倒中って所だけど、――エミリア、ちょっとお願い」
現在、効果的な治癒系の魔法を使えるのはエミリアだけだ。聖術の使い手である彼女に治療してもらえば、死んで居ない限りはおよそ回復する。
だが、
「エミリア?」
「――」
治療の担い手は、力なく座り込んだまま、ある一点を凝視したまま固まってしまっていた。信じられない物を見る目で、荒々しく戦う少女を見つめていたのだ。
――無理もない、か。
彼女を入隊当時から世話しているからこそ、エミリアが『勇者』になる為、どれだけ努力を重ねていたかが痛いほど分かる。
裕福な家に生まれた彼女は幼い頃、とても臆病な少女だったと聞く。
何をやるにも両親や兄、姉の後ろに隠れては自分の知らない出来事に対してただ怯えていたらしい。
そんな彼女を変えたのが、一人の女性との出会いだった。
その女性は名うての『勇者』で、エミリアは勇気を振り絞って強さの秘訣を聞いたのだという。臆病な彼女に、その女性は優しげに手を差し伸べ、こう言ったそうだ。
『貴女に、大切な人は居ますか?』
その問いに、エミリアの心の中には家族が浮かび上がった。
『では、その人たちが悪い魔物に怪我させられたとすれば、どう思いますか?』
聞かれた瞬間、その光景を想像し、エミリアは恐怖のあまり泣き出してしまったらしい。
大好きな父が、母が、姉が、兄が傷つく事に比べれば、今自分が抱えている未知への恐怖など大した事ではない。
泣き喚くエミリアを慰めながら、最後に女性はこう言った。
『私はですね? そんな事を許せないから、こうして勇者になったのですよ』
それ以来、エミリアは変わった。女性が彼女に与えた影響は大きく、彼女の心を強くしたのだ。
どんな事だろうと、大事な人の笑顔を守れるのなら、怖くはない。
だからこそ、守れるようになりたい。守ってあげられる力が欲しい。
そう思うようになり、エミリアは勇者になる事を決意した。
説得の末、両親の同意を受けて他の人間より遅れて訓練校に入校し、それまで剣を握った事のない少女が他者に笑われながら必死に努力を続け、最終的には訓練校を主席で卒業するほどの力量と、『勇者候補』という称号を得る事が出来たのだ。
「――っ」
それほどの固い決意を持って戦っていたというのに、あの魔物には通用しなかった。しかもそれだけでなく、自分が手も足も出なかった魔物に対して、後から入ってきた自分と同年代の少女が、互角に戦っているのだ。
おそらくエミリアは、今までの努力が何だったのか分からなくなっているのだろう。
――エミリア……。
上司として、そして師匠として、彼女を支えるべきだ、と思わずにはいられない。
「ぬ、ああああぁぁぁぁあ!」
「ぐ、おぉぉぉぉぉおおお!」
そんなエミリアの心境を知る由も無い一人と一匹の戦闘は、さらに激しさを増していた。少女の身体を覆っていた陽炎はその濃さを増しており、もはや湯気のようになっている。
「しかし、あの少女が使っている魔法は何だ? 効果を見るに、身体強化魔法のようだが」
「私も知らないタイプの魔法です。強化系なのは分かりますが――」
動けないエミリアの代わりとして、ハミルがレイブンを治療しながら私の疑問に答える。彼は空いている手で顎を触り、少女を観察しながら考える素振りを見せた後、何かに気付いたような表情になる。
「――まさか」
「どうした?」
だが、ハミルが発言するよりも先にアニーが叫んだ。
「隊長っ! 周りの魔物達が!」
「何!?」
見れば、爆発の衝撃で倒れていた魔物達が、一様に身体を起こそうとし始めていたのだ。
――こうなる前に逃げねばならなかったのだが……っ!
戦いを好むオーガは、絶対にあの少女を逃さないだろう。故に、倒すか倒されるかのどちらかしかない。そして、私にはあの少女を見捨てて逃げるなど、出来はしない。
「――オラッ!」
「ぐっ!?」
オーガの拳が少女の腹部に刺さり、強制的にその身をくの字に折らせる。
「動きが鈍って来てる、ぜっ!」
「あがぁっ!」
落ちた頭に逆手での拳が刺さり、少女が地面に転がる。
「せやっ!」
「――っ! 強化15倍!」
少女の叫びと同時に、身に纏っている陽炎が白い霧へと濃度を変えた。
その瞬間、彼女の動作が目に見えて加速した。
「誰が、動き鈍ってるって!?」
「へっ、上等!」
明らかに荒い息から、少女がかなり無理をして戦っている事が分かる。
――何故そこまで……っ!
少し前まで私たちが守る対象だった少女が、命を削って戦う。その事実に、私は怒りを覚えていた。
余計な事をするな、という訳ではない。ただ、そうさせない為に戦っているというのに、今、少女にそうさせてしまっている、という私自身の無力さが、何よりも悔しかった。
だからこそ、私は願う。
「――死ぬな!」
たとえ少女が自らを犠牲にする事を望んでいたとしても、死んでほしくない。
――守れるはずのものを守れない事が、私たちにとって最も辛い事なのだから!
必死に戦っている少女の耳に入っているとは思えないが、私はそう叫ばずにいられなかったのだ。
それがきっかけとなったのだろうか。私の呼び掛けの直後、戦況が一瞬にして変わった。
少女が、膝から崩れ落ちたのだ。
13/09/04 22:17更新 / イブシャケ
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