第二話 街道にて/勇者候補のターン
事態は『最悪』という言葉が丁度当てはまるような有様でした。
『東側の街道で、数匹ほどで構成されたスライムの群れを発見した。これを退治、または討伐して欲しい』
このような報告を受けて、私こと『エミリア・キルペライン』の所属する主神教団アルカトラ支部第23分隊と24分隊は現地へ向かっていました。
たかがスライム数匹程度に分隊を二つも出させるだけの価値はないのですが、
「別種類の魔物が群れに加わっていた場合や、その他の万が一を考えた結果だろう」
部隊の長がそう仰ったので、私からは何もいう事はありませんでした。
発見者を自称する女性の先導に従い、私たちは馬で目的地に辿り着きました。そこは開けた場所で、何処から魔物が現れても容易に迎撃出来るほど見晴らしがいい平原でした。
裏を返せば向こうも私たちを囲みやすい、という事に気付かず、隊長同士で話を決めて隊を分けて捜索する事になりました。
その結果が、この有様です。
周囲は沢山の種類の魔物によって包囲され、第24分隊と部隊が分断され、僅か四人での孤立無援の戦いを強いられているのです。
「くそっ、くそぉっ!」
やたらめったら短槍を振り回し、間合いに近づけさせないよう必死になっている少年兵の悪態は、先ほどよりも力ない物になっていました。
普段ならば彼の事を『情けない』と思い、叱咤の一つでも投げかける所ですが、今はそんな事をしている暇も余裕も私にはありませんでした。
右を向けば小悪魔、インプ。
左を向けば蛇の魔物、ラミア。
正面には牛の化け物、ミノタウロスが斧を構えているのです。
その後ろにはもっと多くの、それも様々な種類の魔物が行列のように待ち構えているのでしょう。気を抜けば、そこから部隊は壊滅してしまいます。
「はあっ!」
「きゃんっ!」
死角から飛び掛ってきたワーウルフを剣で切り払い、続けて詠唱を始め、
「聖光よ! 閃となり、魔を滅する矢となれ!」
自身の魔力が指先に集まる感触を得た後、斧を水平に構えて私に襲い掛かってきたミノタウロスに向け、解き放ちました。
魔力は光となり、光は矢へと形を変え、六、七本の線となって牛の魔物へ突き刺さりました。
「うわっ!? 熱っ! 痛っ!?」
「――くっ!」
確かに急所を狙ったのですが、既に疲弊が限界に来ているようで、ミノタウロスの肌を焦がす程度で矢は砕けてしまいました。
「って、なにににこれれれ、しびれれれれ」
それでも効果は出たようで、ミノタウロスは身体を振動させたままその場に膝を突きました。斧も手放してしまい、完全に動けなくなっているようです。
これが、教団の中でも使える者が限られている『聖術』と呼ばれる魔法です。
信仰心に厚く、なおかつ正しい心を持った勇者や、それに類する者にしか使えないとされる魔法で、魔物が持つ魔力に直接影響し、内部より効果を発揮するという物なのです。
「全員、一箇所に固まれ! アニーが増援を連れて来るまで何としても持ちこたえるぞ!」
逞しい男性の声が辺りに響き、それに従うように後ろに下がります。
「いーまだーっ!」
下がろうとした隙を狙ってインプが襲い掛かってきましたが、
「――ふっ!」
「きゃーっ!?」
私が居た場所を、長剣が降り抜かれ、インプを弾き飛ばしてしまいました。その剣の持ち主は私の隣に立ち、肩を並べます。
「エミリア、余力はあるか?」
「はい! まだ頑張れます!」
「よし。全員が集まると同時に、私たちが前衛となって包囲を突破する。合図を待て」
「了解です!」
彼こそがこの第23分隊の隊長にして私の剣の師、エリアス・ニスカヴァーラさんでした。
冷静沈着で思慮深く、部下を見捨てないその姿勢。指揮官としても上司としても高い実力を持っていて、そして一度剣を握れば勇者候補の私以上の強さを誇るという素晴らしい人物。それが、彼でした。
現に、彼が私達の他に第24分隊にも協力を要請してなければ、さらなる物量戦術で私たちはとっくの昔に魔物の餌にされていた筈です。そして瞬間的な判断でアニーさんを包囲網から逃がしていなければ、今頃皆の心は折れてしまっていたでしょう。
「――一向に減る気配がありませんね」
「アニーが本隊から救援を連れてくる事を信じて戦うしかない。ハミル、魔力はまだ残っているか?」
私の背中に、別の大きな背中が押し付けられました。声から察するに、背中を合わせているのは私達の頭脳、ハミル・コブレフトさんでしょう。
「あと四割って所ですね。詠唱に掛ける時間があれば転移魔法ですぐ逃げられるんですが」
「駄目だ。まだ24分隊の隊員が生きている可能性があるこの段階で我々だけ逃げるわけにはいかない」
「はいはい分かってますよ。絶望しかけてるのに、さらに追い討ちかけるような真似は僕もしたくないですからね」
二人の会話はこんな状況下でも冷静で、二人がまだ諦めていない事を教えてくれます。
「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ」
空いていた隙間にもう一人、今度は小さな背中が押し当てられました。
「レイブン、大丈夫か?」
「――るせぇ。俺に構うんじゃねぇよ」
隊長の声を煩わしそうに返す少年、レイブン・ケスキトロは荒い息を整えながら短い槍を持ち直しました。彼は困った事に、何故か私たちには心を開いてはくれず、今のような反抗的な態度でしか言葉を返してくれないのです。
――隊長の苦労も知らず、そんな態度を取るなんて……っ!
いつもならここで口喧嘩を披露するのですが、場所が場所だけに彼のささくれ立った心に文句をつけている暇はありません。上空から急降下してきたハーピーを聖術で撃ち抜き、さらに落ちてきた所を前に蹴り飛ばします。
「――今だ! 全員走れ!」
「はぁあっ!」
蹴り飛ばしたハーピーは前方の魔物達を巻き込み、よろめいた魔物に押されてまた後ろの者もよろめき、次々と体勢を崩していきます。その隙を狙い、隊長は全員に突撃命令を出し、走り出しました。当然私も、彼と並んだまま前へ進んでいきます。
迫る魔物を跳ね飛ばし、撃ち崩し、前へ、前へと進んでいきます。
――このまま包囲網を抜ければ……っ!
そう思った瞬間、
「よっと」
「――え?」
突然視界が動き、魔物達の群れが消え、一面の青い空だけになりました。身体に纏わりつく浮遊感の中、状況が全く飲み込めないまま、私は背中から地面に叩きつけられました。
「うぐぁっ!」
「エミリア!?」
衝撃に器官が詰まり、呼吸も出来ずにうめき声を上げる事しか出来ません。
せめて何が起こったのかだけでも確かめようと必死に頭を起こし、目の前に立っていた存在に愕然としました。
「いーい感じに抵抗してくれてるじゃねぇか。子分が慌てて来たからどんなスゴイ奴かと思えば、勇者候補とはなぁ」
「な、ゲホッ、お、オーガ!?」
傷一つない、瑞々しい緑色の肌。胸元と腰周りの、要所だけを隠す衣服の意味を成していない服装。引き締まっていてもなお、女性らしさを失っていない体つき。
そして何よりも目を引く頭部から生えている一対の角が、彼女が鬼と呼ばれる魔物、オーガである事を示していました。
「何故だ!? オーガは山岳地方に生息するのだろう!?」
「あー、確かにそうだな。いつもは山奥に居るぜ」
隊長が戸惑うのも無理はありません。
この魔物は山岳地方や洞窟、荒野などに出没する魔物で、この街道のような平原や、小高い丘がいくつもあるような草原に居る事は滅多にないのです。
「コイツらはアタシの子分でな? 片方の部隊は皆ヤっちまったからいいんだけど、もう片方がやけに抵抗激しいってんで、こうして手伝いに来てやったわけよ。面白そうだしな」
オーガには種族特性として、戦いを好む性質があります。相手が強者であればあるほど彼女達の表情は悦びに満ちたものになり、その細腕からは想像もつかない豪腕で相手を叩きのめすのです。
「テメェらは手を出すなよ! ジャマしたら折檻だからな!?」
嬌声や鳴き声が肯定を告げた後、
「さーて、二人がかりで来な! むしろ四人がかりでもいいぜ!」
凶暴な笑みを浮かべ、疲労が残る私達を挑発します。
――こんな所で、諦める訳には……っ!
身体を起こし、この絶望的な状況に震える足に喝を入れ、立ち上がります。
――私は、『あの人』のような、立派な勇者になると誓ったのだから!
剣を構え、指を鳴らすオーガに対峙し、
「アタシを、楽しませてくれよ!?」
その言葉と同時に、斬りに行きました。
・・・
23分隊対オーガの戦闘は、凄惨としか言いようがありませんでした。
たった一手の、まるで地震の様な震脚によって全員の体勢が崩されてしまいました。
「ぐぉあ!」
一番動きが緩んでいたレイブンが地面に沈みます。
「灼熱よ! 縄となり、悪しきものを捕らえよ!」
背後を取ったハミルが、炎の属性を付与したと思われる拘束魔法を放ちました。
それは見事腕に纏わりつき、鬼の両腕を焼き、同時に使えなくしたのです。
今、と私と隊長はすぐさま剣を持ってオーガに斬りかかりました。
「これで抑えたつもりか!?」
ですが、オーガはその拘束を無理矢理引きちぎり、すぐに身体ごと腕を振り回しました。
「うぁっ!」
咄嗟にガードした私は後方に弾き飛ばされてしまいましたが、腕の下をすり抜けた隊長は間合いに入る事ができました。
「まだまだぁ!」
「何っ!?」
振り回した身体をもう半回転させ、コンパクトに構えた刺突を肘と膝で挟み止めたのです。攻撃した隊長は前にも後ろにも動けず、代わりにオーガが逆手でのショートパンチを放ちました。
しかし、あの隊長が対処できない筈がありません。おそらく次の瞬間には剣を離し、拳を避け、
「ぐおっ!」
「隊長!?」
避けなかったのです。
軽い一撃、とはいえ岩を砕き、鉄を割る力を持つとされる拳。受けて平気で居られるわけがありません。良くて気絶、悪くて顔面陥没です。
「おっ?」
しかし、隊長はそこから腰に力を入れ、オーガの腕を掴み、
「ハミ、ル、エ、ミリ、ア、――撃てっ!」
鼻から血を流し、焦点の合わない目で、隊長は叫びました。
おそらく隊長は、今の攻撃で接近戦では勝ち目が薄いと判断したのでしょう。故に、私たちに詠唱させる為、自らの身を呈して時間稼ぎをしようというのでしょう。
隊長の行動を無駄にしない為にも、私たちは一刻も早く行動する必要がありました。
「清水よ! 激流となり、我が敵を討て!」
「聖光よ! 神槍となり、魔を貫けっ!」
私たちは同時に詠唱を完了し、同時に魔法を放ちます。
「こなくそっ!」
しかし、対するオーガは隊長の身体を持ち上げ、その体制のまま地面に足を叩き込みました。
そして、
「――ぬぇああぁぁぁああ!」
地盤ごと足場を蹴り上げ、即席の盾としたのです。
「なっ!」
「馬鹿な!?」
驚くと同時に、岩盤が反対側から破砕され、その破片が私たちに向けて飛び散ってきました。当然、私たちは防御体勢に入ります。
「――それを待ってた!」
「きゃぁっ!?」
破片と一緒に、鬼が私の襟首を掴んできて、二度振り回した後ハミルさんに向けて投げ飛ばされました。
「あぐっ!」
「ごふぇっ!」
高速で振り回された事による吐き気で立ち上がれない私と、防いだものの豪速で飛んできた私に衝突して腹部を強く打ったハミルさん。鼻血と揺れる脳の所為で動けない隊長と、先ほどからピクリともしないレイブン。
三分も経たない内に、私たちの部隊は壊滅の危機を迎えていたのです。
――そんな、ここまで戦力差があるなんて……っ!
絶望し、それでも立ち上がろうとしますが、強引にかき混ぜられた三半規管はこれっぽっちも言う事を聞いてはくれません。
「――そこの勇者候補!」
突然、オーガが私の事を大声で呼びました。
その表情は、先ほどまでと違い、不機嫌そうなもので、今視線を向けている私に対して何か不満を持っているようです。
「テメェ、フザケてんのか!?」
思い切り、罵倒されてしまいました。
「……何、ですって?」
「候補っつっても、勇者候補は勇者の卵だろ!? なのに連戦で疲れてる事を差し引いても、テメェは弱すぎるんだよ! そこの隊長さんが根性で耐えた拳にポンポン吹っ飛ばされやがって!」
「い、言わせておけば――」
確かに隊長の胆力には頭が下がります。あの場で剣から手を離し、攻撃を回避する事だって出来た筈なのに、彼は次に繋げる為に自らの身を犠牲にして攻撃を受け、その分時間を稼いだのですから。
「――何をそんなに迷ってるってんだよ! あぁ!?」
「っ!?」
迷い。
そんなもの、ある訳ありません。
私は強くなって、どんな時も折れない心を持った勇者になって、魔物の脅威に怯える人たちの支えになる事を目標にしているのです。
だから、剣を鈍らせる要因など、ある訳が、
「あー、腹立つ! 興冷めだ! おいテメェら! コイツらもアジトに持ち帰るぞ!」
「わーい!」
「私、かっこいいおじさん貰いー!」
「うーん、好みの人が居ないよぅ」
沢山の魔物の声に、私はどうする事もできず、ただ倒れている事しか出来ませんでした。
――主神様、アニーさん。
最後に唯一出来た事は、神と、この場に居ない仲間に助けを求める事でした。
――私はどうなってもいいんです。ですから、皆を……、隊長を……っ!
家族や仲間、友達が傷つく姿が見たくないから、勇者になって皆を守りたい。そう思って必死になって身体を鍛えたのに、通じない。それが悔しい。
けれど、それ以上に、私は、
「私の大切な人を、助けて下さい!」
人が傷つく様を、見たくはないのです。
「――は?」
その時、私の頭上を、何かが通り過ぎました。
「――えっ?」
どうやら仰向けに倒れていたハミルさんは何が通ったのか見えたらしく、私が気付くよりも先に声を上げていました。
そこからの出来事は、一つ一つ鮮明に記憶に刻まれていく程、強烈なものでした。
「おおぉぉぉりゃぁぁああぁぁっ!」
雄叫びを上げ、何者かが飛び出してきたのです。その者は、太陽を背にし、体に薄い靄のような光を纏っていました。
「何――、がふぇっ!」
何者かはオーガの顔面を蹴り、勢いのまま鬼の身体を宙に浮かせただけでなく、雑巾掛けのように引きずって行ってしまいました。
そして、
「皆っ、伏せなさい!」
聞き覚えのある声と同時に、影がもう一つ頭上を通りました。
「――っ!」
「わっ!?」
ハミルさんによって頭を下げられるのと同時に、轟音が頭上で響いたのです。
『東側の街道で、数匹ほどで構成されたスライムの群れを発見した。これを退治、または討伐して欲しい』
このような報告を受けて、私こと『エミリア・キルペライン』の所属する主神教団アルカトラ支部第23分隊と24分隊は現地へ向かっていました。
たかがスライム数匹程度に分隊を二つも出させるだけの価値はないのですが、
「別種類の魔物が群れに加わっていた場合や、その他の万が一を考えた結果だろう」
部隊の長がそう仰ったので、私からは何もいう事はありませんでした。
発見者を自称する女性の先導に従い、私たちは馬で目的地に辿り着きました。そこは開けた場所で、何処から魔物が現れても容易に迎撃出来るほど見晴らしがいい平原でした。
裏を返せば向こうも私たちを囲みやすい、という事に気付かず、隊長同士で話を決めて隊を分けて捜索する事になりました。
その結果が、この有様です。
周囲は沢山の種類の魔物によって包囲され、第24分隊と部隊が分断され、僅か四人での孤立無援の戦いを強いられているのです。
「くそっ、くそぉっ!」
やたらめったら短槍を振り回し、間合いに近づけさせないよう必死になっている少年兵の悪態は、先ほどよりも力ない物になっていました。
普段ならば彼の事を『情けない』と思い、叱咤の一つでも投げかける所ですが、今はそんな事をしている暇も余裕も私にはありませんでした。
右を向けば小悪魔、インプ。
左を向けば蛇の魔物、ラミア。
正面には牛の化け物、ミノタウロスが斧を構えているのです。
その後ろにはもっと多くの、それも様々な種類の魔物が行列のように待ち構えているのでしょう。気を抜けば、そこから部隊は壊滅してしまいます。
「はあっ!」
「きゃんっ!」
死角から飛び掛ってきたワーウルフを剣で切り払い、続けて詠唱を始め、
「聖光よ! 閃となり、魔を滅する矢となれ!」
自身の魔力が指先に集まる感触を得た後、斧を水平に構えて私に襲い掛かってきたミノタウロスに向け、解き放ちました。
魔力は光となり、光は矢へと形を変え、六、七本の線となって牛の魔物へ突き刺さりました。
「うわっ!? 熱っ! 痛っ!?」
「――くっ!」
確かに急所を狙ったのですが、既に疲弊が限界に来ているようで、ミノタウロスの肌を焦がす程度で矢は砕けてしまいました。
「って、なにににこれれれ、しびれれれれ」
それでも効果は出たようで、ミノタウロスは身体を振動させたままその場に膝を突きました。斧も手放してしまい、完全に動けなくなっているようです。
これが、教団の中でも使える者が限られている『聖術』と呼ばれる魔法です。
信仰心に厚く、なおかつ正しい心を持った勇者や、それに類する者にしか使えないとされる魔法で、魔物が持つ魔力に直接影響し、内部より効果を発揮するという物なのです。
「全員、一箇所に固まれ! アニーが増援を連れて来るまで何としても持ちこたえるぞ!」
逞しい男性の声が辺りに響き、それに従うように後ろに下がります。
「いーまだーっ!」
下がろうとした隙を狙ってインプが襲い掛かってきましたが、
「――ふっ!」
「きゃーっ!?」
私が居た場所を、長剣が降り抜かれ、インプを弾き飛ばしてしまいました。その剣の持ち主は私の隣に立ち、肩を並べます。
「エミリア、余力はあるか?」
「はい! まだ頑張れます!」
「よし。全員が集まると同時に、私たちが前衛となって包囲を突破する。合図を待て」
「了解です!」
彼こそがこの第23分隊の隊長にして私の剣の師、エリアス・ニスカヴァーラさんでした。
冷静沈着で思慮深く、部下を見捨てないその姿勢。指揮官としても上司としても高い実力を持っていて、そして一度剣を握れば勇者候補の私以上の強さを誇るという素晴らしい人物。それが、彼でした。
現に、彼が私達の他に第24分隊にも協力を要請してなければ、さらなる物量戦術で私たちはとっくの昔に魔物の餌にされていた筈です。そして瞬間的な判断でアニーさんを包囲網から逃がしていなければ、今頃皆の心は折れてしまっていたでしょう。
「――一向に減る気配がありませんね」
「アニーが本隊から救援を連れてくる事を信じて戦うしかない。ハミル、魔力はまだ残っているか?」
私の背中に、別の大きな背中が押し付けられました。声から察するに、背中を合わせているのは私達の頭脳、ハミル・コブレフトさんでしょう。
「あと四割って所ですね。詠唱に掛ける時間があれば転移魔法ですぐ逃げられるんですが」
「駄目だ。まだ24分隊の隊員が生きている可能性があるこの段階で我々だけ逃げるわけにはいかない」
「はいはい分かってますよ。絶望しかけてるのに、さらに追い討ちかけるような真似は僕もしたくないですからね」
二人の会話はこんな状況下でも冷静で、二人がまだ諦めていない事を教えてくれます。
「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ」
空いていた隙間にもう一人、今度は小さな背中が押し当てられました。
「レイブン、大丈夫か?」
「――るせぇ。俺に構うんじゃねぇよ」
隊長の声を煩わしそうに返す少年、レイブン・ケスキトロは荒い息を整えながら短い槍を持ち直しました。彼は困った事に、何故か私たちには心を開いてはくれず、今のような反抗的な態度でしか言葉を返してくれないのです。
――隊長の苦労も知らず、そんな態度を取るなんて……っ!
いつもならここで口喧嘩を披露するのですが、場所が場所だけに彼のささくれ立った心に文句をつけている暇はありません。上空から急降下してきたハーピーを聖術で撃ち抜き、さらに落ちてきた所を前に蹴り飛ばします。
「――今だ! 全員走れ!」
「はぁあっ!」
蹴り飛ばしたハーピーは前方の魔物達を巻き込み、よろめいた魔物に押されてまた後ろの者もよろめき、次々と体勢を崩していきます。その隙を狙い、隊長は全員に突撃命令を出し、走り出しました。当然私も、彼と並んだまま前へ進んでいきます。
迫る魔物を跳ね飛ばし、撃ち崩し、前へ、前へと進んでいきます。
――このまま包囲網を抜ければ……っ!
そう思った瞬間、
「よっと」
「――え?」
突然視界が動き、魔物達の群れが消え、一面の青い空だけになりました。身体に纏わりつく浮遊感の中、状況が全く飲み込めないまま、私は背中から地面に叩きつけられました。
「うぐぁっ!」
「エミリア!?」
衝撃に器官が詰まり、呼吸も出来ずにうめき声を上げる事しか出来ません。
せめて何が起こったのかだけでも確かめようと必死に頭を起こし、目の前に立っていた存在に愕然としました。
「いーい感じに抵抗してくれてるじゃねぇか。子分が慌てて来たからどんなスゴイ奴かと思えば、勇者候補とはなぁ」
「な、ゲホッ、お、オーガ!?」
傷一つない、瑞々しい緑色の肌。胸元と腰周りの、要所だけを隠す衣服の意味を成していない服装。引き締まっていてもなお、女性らしさを失っていない体つき。
そして何よりも目を引く頭部から生えている一対の角が、彼女が鬼と呼ばれる魔物、オーガである事を示していました。
「何故だ!? オーガは山岳地方に生息するのだろう!?」
「あー、確かにそうだな。いつもは山奥に居るぜ」
隊長が戸惑うのも無理はありません。
この魔物は山岳地方や洞窟、荒野などに出没する魔物で、この街道のような平原や、小高い丘がいくつもあるような草原に居る事は滅多にないのです。
「コイツらはアタシの子分でな? 片方の部隊は皆ヤっちまったからいいんだけど、もう片方がやけに抵抗激しいってんで、こうして手伝いに来てやったわけよ。面白そうだしな」
オーガには種族特性として、戦いを好む性質があります。相手が強者であればあるほど彼女達の表情は悦びに満ちたものになり、その細腕からは想像もつかない豪腕で相手を叩きのめすのです。
「テメェらは手を出すなよ! ジャマしたら折檻だからな!?」
嬌声や鳴き声が肯定を告げた後、
「さーて、二人がかりで来な! むしろ四人がかりでもいいぜ!」
凶暴な笑みを浮かべ、疲労が残る私達を挑発します。
――こんな所で、諦める訳には……っ!
身体を起こし、この絶望的な状況に震える足に喝を入れ、立ち上がります。
――私は、『あの人』のような、立派な勇者になると誓ったのだから!
剣を構え、指を鳴らすオーガに対峙し、
「アタシを、楽しませてくれよ!?」
その言葉と同時に、斬りに行きました。
・・・
23分隊対オーガの戦闘は、凄惨としか言いようがありませんでした。
たった一手の、まるで地震の様な震脚によって全員の体勢が崩されてしまいました。
「ぐぉあ!」
一番動きが緩んでいたレイブンが地面に沈みます。
「灼熱よ! 縄となり、悪しきものを捕らえよ!」
背後を取ったハミルが、炎の属性を付与したと思われる拘束魔法を放ちました。
それは見事腕に纏わりつき、鬼の両腕を焼き、同時に使えなくしたのです。
今、と私と隊長はすぐさま剣を持ってオーガに斬りかかりました。
「これで抑えたつもりか!?」
ですが、オーガはその拘束を無理矢理引きちぎり、すぐに身体ごと腕を振り回しました。
「うぁっ!」
咄嗟にガードした私は後方に弾き飛ばされてしまいましたが、腕の下をすり抜けた隊長は間合いに入る事ができました。
「まだまだぁ!」
「何っ!?」
振り回した身体をもう半回転させ、コンパクトに構えた刺突を肘と膝で挟み止めたのです。攻撃した隊長は前にも後ろにも動けず、代わりにオーガが逆手でのショートパンチを放ちました。
しかし、あの隊長が対処できない筈がありません。おそらく次の瞬間には剣を離し、拳を避け、
「ぐおっ!」
「隊長!?」
避けなかったのです。
軽い一撃、とはいえ岩を砕き、鉄を割る力を持つとされる拳。受けて平気で居られるわけがありません。良くて気絶、悪くて顔面陥没です。
「おっ?」
しかし、隊長はそこから腰に力を入れ、オーガの腕を掴み、
「ハミ、ル、エ、ミリ、ア、――撃てっ!」
鼻から血を流し、焦点の合わない目で、隊長は叫びました。
おそらく隊長は、今の攻撃で接近戦では勝ち目が薄いと判断したのでしょう。故に、私たちに詠唱させる為、自らの身を呈して時間稼ぎをしようというのでしょう。
隊長の行動を無駄にしない為にも、私たちは一刻も早く行動する必要がありました。
「清水よ! 激流となり、我が敵を討て!」
「聖光よ! 神槍となり、魔を貫けっ!」
私たちは同時に詠唱を完了し、同時に魔法を放ちます。
「こなくそっ!」
しかし、対するオーガは隊長の身体を持ち上げ、その体制のまま地面に足を叩き込みました。
そして、
「――ぬぇああぁぁぁああ!」
地盤ごと足場を蹴り上げ、即席の盾としたのです。
「なっ!」
「馬鹿な!?」
驚くと同時に、岩盤が反対側から破砕され、その破片が私たちに向けて飛び散ってきました。当然、私たちは防御体勢に入ります。
「――それを待ってた!」
「きゃぁっ!?」
破片と一緒に、鬼が私の襟首を掴んできて、二度振り回した後ハミルさんに向けて投げ飛ばされました。
「あぐっ!」
「ごふぇっ!」
高速で振り回された事による吐き気で立ち上がれない私と、防いだものの豪速で飛んできた私に衝突して腹部を強く打ったハミルさん。鼻血と揺れる脳の所為で動けない隊長と、先ほどからピクリともしないレイブン。
三分も経たない内に、私たちの部隊は壊滅の危機を迎えていたのです。
――そんな、ここまで戦力差があるなんて……っ!
絶望し、それでも立ち上がろうとしますが、強引にかき混ぜられた三半規管はこれっぽっちも言う事を聞いてはくれません。
「――そこの勇者候補!」
突然、オーガが私の事を大声で呼びました。
その表情は、先ほどまでと違い、不機嫌そうなもので、今視線を向けている私に対して何か不満を持っているようです。
「テメェ、フザケてんのか!?」
思い切り、罵倒されてしまいました。
「……何、ですって?」
「候補っつっても、勇者候補は勇者の卵だろ!? なのに連戦で疲れてる事を差し引いても、テメェは弱すぎるんだよ! そこの隊長さんが根性で耐えた拳にポンポン吹っ飛ばされやがって!」
「い、言わせておけば――」
確かに隊長の胆力には頭が下がります。あの場で剣から手を離し、攻撃を回避する事だって出来た筈なのに、彼は次に繋げる為に自らの身を犠牲にして攻撃を受け、その分時間を稼いだのですから。
「――何をそんなに迷ってるってんだよ! あぁ!?」
「っ!?」
迷い。
そんなもの、ある訳ありません。
私は強くなって、どんな時も折れない心を持った勇者になって、魔物の脅威に怯える人たちの支えになる事を目標にしているのです。
だから、剣を鈍らせる要因など、ある訳が、
「あー、腹立つ! 興冷めだ! おいテメェら! コイツらもアジトに持ち帰るぞ!」
「わーい!」
「私、かっこいいおじさん貰いー!」
「うーん、好みの人が居ないよぅ」
沢山の魔物の声に、私はどうする事もできず、ただ倒れている事しか出来ませんでした。
――主神様、アニーさん。
最後に唯一出来た事は、神と、この場に居ない仲間に助けを求める事でした。
――私はどうなってもいいんです。ですから、皆を……、隊長を……っ!
家族や仲間、友達が傷つく姿が見たくないから、勇者になって皆を守りたい。そう思って必死になって身体を鍛えたのに、通じない。それが悔しい。
けれど、それ以上に、私は、
「私の大切な人を、助けて下さい!」
人が傷つく様を、見たくはないのです。
「――は?」
その時、私の頭上を、何かが通り過ぎました。
「――えっ?」
どうやら仰向けに倒れていたハミルさんは何が通ったのか見えたらしく、私が気付くよりも先に声を上げていました。
そこからの出来事は、一つ一つ鮮明に記憶に刻まれていく程、強烈なものでした。
「おおぉぉぉりゃぁぁああぁぁっ!」
雄叫びを上げ、何者かが飛び出してきたのです。その者は、太陽を背にし、体に薄い靄のような光を纏っていました。
「何――、がふぇっ!」
何者かはオーガの顔面を蹴り、勢いのまま鬼の身体を宙に浮かせただけでなく、雑巾掛けのように引きずって行ってしまいました。
そして、
「皆っ、伏せなさい!」
聞き覚えのある声と同時に、影がもう一つ頭上を通りました。
「――っ!」
「わっ!?」
ハミルさんによって頭を下げられるのと同時に、轟音が頭上で響いたのです。
13/09/04 21:17更新 / イブシャケ
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