最終話 稚拙な恋のゆく先にて/二人の夫のターン
魔物の侵攻により、アルカトラは陥落した。
防衛に当たった教団兵だけでなく、市民、旅人、貴族階級など、全ての人々が魔物の被害に遭い、運よく逃げ出せた者も襲われた。
しかし、私たち教団の人間が想像していた最悪の光景、魔物による暴力的な支配が横行する地獄は、そこにはなかった。
あるのは、欲に塗れ、爛れた生活を送ってはいるものの、何者にも縛られない自由な環境だった。
これは後からエミリアに教えられて確信を持ったのだが、教団は兵士に対して魔物の真実を伝えていなかったという。
人の肉を食らい、殺す事を至上の愉しみとする魔物は既にこの世にはなく、人間を愛し、愛欲と情欲を求める淫らな隣人となっていたのだ。
考えてみれば当然である。
魔物を人類の敵として捉えていたにもかかわらず、実際はまるで違う存在だという事が市井に知られれば、教団の存在意義がなくなる。そうなれば今まで信仰により利益を得ていた者達は路頭に迷う。だからこそ言わなかったのだろう。
ともあれ陥落後、襲撃してきた魔物たちの協力により、彼女たちが持つ様々な技術のおかげでこの街はさらなる発展と活気に満ち、前以上に巨大な都市になろうとしていた。
そこに貧富の差はなく、以前のような緊張感も完全に消えていた。代わりに妻との交わりに夢中になってしまい、ほとんどの市民が三日に一回程度しか働かなくなってしまったが、ご愛嬌というものだろうか。
まあ、何はともあれ私も被害者の一人だ。
部下だった二人の少女に縛られた挙句、押し倒されて気を失ってしまうまで搾られた。そして、その二人を娶る事となったのだ。
それからどうしたかというと、私は二人の協力も経て、この街の守衛部隊の一員となっていた。
・・・
目の前で、頭部から一対の角を生やした、元部下の少女が安らかな笑みを浮かべて眠っている。
「……えりあす、さぁん……♪」
元々は真面目一辺倒で、あまり笑う事のなかった彼女だが、魔物となってからはよく笑うようになった。主にいやらしい笑みばかりだが。
寝返りを打ち、後ろに顔を向ける。
「たいちょー……♪」
頭部から数本の角、そして爬虫類の耳、髪と同じ色の鱗を襟首まで纏った竜の少女が、口の端から涎を垂らしながら満面の笑みを浮かべて眠っている。
こちらの少女は前から無邪気で、それ故に困らされたものだが、今ではそれがかえって愛おしく思えるようになってきていた。
「――腰が……」
三人とも生まれたままの姿で、並んで眠っていたようだ。
――昨日はまた、相当だったな……。
二人の身体に飛び散っている情事の跡と、部屋に漂う雄と雌の香りから、昨晩の激しい交わりを思い出す。代わる代わる10回、いや20回は達しただろうか。
腰を動かす度に鈍い痛みが走り、動く事すらままならない。
それでも何とかベッドから這い出て、守衛隊の制服に肩を通す。どう見ても薄く、私服にしか見えないのだが、これを支給した者曰く魔法が掛けられていて、生半可な刃では傷一つ付かないものらしい。
装備を整え、重い身体に鞭を打ちながら朝靄の残る街に出ていくのであった。
・・・
魔物によって、アルカトラはこの上ない平穏を手に入れた。
しかし、小さいながらも、位置的には重要な場所だ。何時教団が、拠点を取り戻す為に侵攻してくるかは分からない。
その時の為に守衛隊は結成されたのだが、夫さえ居ればいい魔物たちに対して呼びかけてもあまり効果はなかったようだ。現に、私の二人の妻も興味はなかったようで、所属する事を伝えた時点では存在すら知らなかったようだ。
「――ふぅ。階段を上がるのも一苦労だな」
それでも私は、この平穏を守りたかった。
知らなかったとはいえ、今まで退治してきた魔物たちへの贖罪のつもりだった。
しかし、今はその他にも別な理由がある。
「さて、今日は――」
「――異常、なさそうですよ?」
「そうか。……いや、そうじゃない。エミリア、何故お前がここに居る」
いつも私が座っている筈の場所に、家で眠っていた筈の妻、エミリアが座っていたのだ。彼女は背中の翼をせわしなくはためかせながら立ち上がり、
「一人で出かけちゃ嫌、って前にも言いましたよね?」
「随分と心地よく眠っていたんでな。起こすのも悪いと思って」
「夢より現実の方が素敵なんですから、ちゃんと口にチューして起こしてくださいよ」
「童話の眠り姫か、まったく」
そこで、ある事に気付いた。
「――シャーランは、まだ寝たままか?」
彼女と同じくベッドで眠っていた、もう一人の妻がこの場に居ない事に。
「え? ええ、そうだと思い――」
突如、エミリアの言葉を遮る轟音が下から聞こえてきた。
見れば、街中では壁を破壊し、木をなぎ倒し、直線状の家に大穴を開けながら真っ直ぐこちらに向かってくる影があった。
「……」
「ほら、何も言わずに出てくるからこうなっちゃうんですよ?」
せめて一緒に来るくらいの気は利かせてくれないものか。
何かを引きずっているような音はついに階段から聞こえるようになり、そして、
「あーっ! ここにいたーっ!」
蛇のような長い下半身を持ったもう一人の妻、シャーランが泣きながら私の胸に飛び込んできた。
「――ぐぉっ!?」
腰に直接的衝撃を受けたものの、かろうじて踏み堪える。
「わたしひとりおいてくなんてひどいよーっ!」
「ぐぁああぁぁあぁ!?」
だが岩をも砕く膂力での抱擁はその限りではない。このままでは骨が軋むどころか粉微塵になる。
「悪かった! 私が悪かったから離してくれぇぇぇ!」
懇願すると、完全に身体を破壊される前に腕を緩めてくれた。
そのまま私の顔を上目遣いで窺い、
「だれもいなかったから……、こわかったんだよ……?」
涙に濡れた顔を見せたのだ。
「……すまなかったな」
普段から太陽のような笑みを浮かべる彼女が悲しげな表情をしている、という事がこの上なく罪悪感を生み、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
私は子供をあやすように彼女の頭を撫で、安心させてやる事にした。
「……♪」
「シャーランばかりズルいです。私も撫でてくださいよー♪」
「分かった分かった、こっちへ来い」
背中に肌を押し付けるエミリアも一緒に撫でながら、私は椅子に腰掛けた。
・・・
二人は魔物となり、その性質を大きく変えた。
真面目で曲がった事を嫌っていたエミリアは、実直さはそのままだが、危なっかしさに似た険しさが抜けて柔らかくなった。不安や迷いなど何処へやら、一途に私を愛してくれている。
私もその好意に答えようとはするのだが、これまでの人生において恋愛経験などなかったので、当然今回のようにどうにも上手くいかない事がある。その度に指摘されてしまい、結果的に腰を痛める羽目になるのだ。
まあ、学ぶ事の多い刺激に満ちた毎日だと言っておこう。
そして、一番大きな変化を見せたのはシャーランであった。
彼女は生い立ちからして不憫で、それにより達観した部分と子供らしい部分が混在した継ぎ接ぎな一面を持っていた。
だが、魔物化した彼女を見て、目を疑った。
あの危なっかしい雰囲気は何処へやら、明るく無邪気で寂しがり屋の少女になって、私に懐いてきたのだ。コロコロと表情を変えて精一杯甘えてくる様は、さながら幼児のようだ。
一体彼女に何があったのか。何度か聞いてみたのだが、それを知る事は出来なかった。
何故なら、彼女は人間だった時の記憶、そして知識のほとんどを、失ってしまっていたのだ。
その事がハッキリ分かったのは、先日偶然にも23分隊の全員と再会した時だ。
「いい男はいねぇかーっ! ……なんつって。おひさー」
「お久しぶりです隊長。いやー、エミリアさんが隣に居るんじゃないか、ってのは分かってましたけどね。隅に置けませんねー、貴方は」
私とエミリアは、生きて、しかも私たちの戦ったドラゴンを妻に迎えたハミルと、蘇っても独り身で寂しいと愚痴るアニーと会った瞬間、目玉が飛び出るかと思った。
「???」
しかしシャーランは頭に疑問符を浮かべたままで、首を傾げていた。
彼女は、私とエミリア以外の仲間すら、忘れてしまっていたのだ。
――あの場はかなり混沌としていたな。……まあ、シャーランが実質二人いたのだから、当然か。
レイブンがシャーランのドッペルゲンガーを連れていた時は、それはそれで驚いた。まさかあれだけ乱暴にされて、嫌うどころか逆に好意を持っていたとは。
その所為かは知らないが、レイブンは今のシャーランの事を、彼女と認識できなかったようだ。
「あれ? アンタ、襲撃の時の子? 隊長、この子の名前は何て、――ぎゃぁぁぁっ!? 待てよシャーラン! 浮気じゃない! 浮気なんかじゃねぇって!」
彼の中でのシャーランと、今私に撫でられて安堵の息を漏らすシャーランとでは、あまりにも違い過ぎたのだろう。
記憶のほとんどが消えて、出会った初めの内、私は思わず心配した。
自分が今まで何をしてきたのか分からないなど、恐ろしくて仕方ない筈、と思い、彼女が不安を感じないよう、ほとんどの時間を共に過ごした。
だが、今ならば言える。彼女はシャーラン・レフヴォネンでなくなってよかったのだと。
復讐の為、己の身を捨てようとしていた時よりも、無垢な笑みを浮かべる今の彼女の方が私にとっては愛しいのだから。
・・・
「――そういえば」
「どうしました?」
今日も荷物を積んだ馬車が行きかうアルカトラを眼下に、私は改めて考えた。
「お前たちに押し倒された夜、こう言っていたな。『心配してくれる所に惚れた』と」
「はい。……それがどうかしましたか?」
今更何を聞いているんですか、と言うように即座に答えが返ってきた。
「私は、お前たちを気に掛けてやる事しか出来ていなかった筈だ。それなのに何故、私を選んだんだ?」
心配するだけして、特に何もしてはいなかったと思う。
だからこそ、この二人が私に夢中になる理由が分からなかったのだ。
「――そんな事ないですよ」
「え?」
「貴方は私に、十分すぎるほどに優しさを下さったじゃないですか。不器用で、人の事を気にしていられる程の余裕がないのに、それでも無理をして接してくれた事。今でも憶えていますよ?」
「えーっと、なんだかよくわかんないけど、わたしは……。タイチョー、いいにおいがするから、かな? ほかにも、あったかいし、やさしいし、なによりわたしのことをみててくれるから!」
両者別々に言葉が返ってきて、呆然としてしまう。
確かに、この二人には手を焼かされたものだ。だから上司として、先達の戦士として務めて触れあっていくべきだと思っていたのだ。
「タイチョーは、わたしたちのこと、すき?」
「む?」
唐突に、問いを返された。
見れば、シャーランは少し不安そうにこちらを窺っている。逆にエミリアは落ち着いた笑みである所を見るに、確信があるのだろう。
故に、私は答えた。
首肯によって。
「初めて出会った時は、何とも手の掛かる娘が出来たものだ、などと思っていた」
エミリアが入隊した時。あまりにも夢に向かって真っ直ぐで、危なさも孕んだ彼女を放っておけなかった。
「居なくなってもらっては困るというのに勝手な行動をして、随分とおてんばな娘だな、と頭が痛かったな」
シャーランに助けられた時。自分を顧みない戦い方に、そして彼女を戦わせているという自分に怒りを感じ、少しでも彼女の心を守ってやりたいと思った。
「しかし、お前たちの心に触れ、想いを知り、そして身体を重ねて気付いたのだ」
身近な存在を守りたい。そう思って教団に所属したのを思い出した。
放っておけば勝手に何処へでも行ってしまいそうな危うい二人を、私の手で守りたい。
誰の手にも渡らないよう、抱きしめていたい。
「お前たちに、側に居て欲しい。側に居て、私を安心させてほしいのだ」
既に二人は、私の人生にとって掛け替えのない存在となっていた。
私は先に一人目の妻の方を向いて、
「エミリア。お前は融通が利かなくて、ひたすらに真面目だったな。だからこそ清純で、綺麗だ。そこが好きだと言うのは、魔物に堕ちた今となっても変わらん」
「……エリアスさん」
面と向かって言われたからか、顔を赤らめて頬に手を添える彼女が、美しい。
そしてもう一人の妻の方に振り向いて、
「シャーラン。頑固で無茶苦茶だったお前が時折見せる無邪気な笑みが、私は好きだった。そして、今のお前の笑みは前以上に私の心に安心を与えてくれる」
「えへへ♪」
その時の記憶がない筈なのに、褒められているのが本能的に分かるのか、嬉しそうだ。
「こんな雰囲気のない場所で言うのは少し躊躇われるが、改めて言おう」
今言う事は無いかもしれないが、それでも今すぐに言いたかったのだ。この守るべき愛しい存在達に、すぐにでも教えたかった。
だから二人を同時に抱きしめ、
「――お前たちを、愛している。ずっと、私の傍に居て欲しい」
私は、そう告げた。
「ふふっ❤」
「あははーっ❤」
直後、答えの代わりに、私はまた押し倒される事となった。
しかし、これはこれで幸せだから文句など微塵もない。
稚拙な恋心を抱き、私を求めてくれた乙女たちを側で守れる幸せを与えてくれた事に対し、私は二人に感謝しなくてはなるまい。
今日もまた、私たちの幸せな日は続いていく。
防衛に当たった教団兵だけでなく、市民、旅人、貴族階級など、全ての人々が魔物の被害に遭い、運よく逃げ出せた者も襲われた。
しかし、私たち教団の人間が想像していた最悪の光景、魔物による暴力的な支配が横行する地獄は、そこにはなかった。
あるのは、欲に塗れ、爛れた生活を送ってはいるものの、何者にも縛られない自由な環境だった。
これは後からエミリアに教えられて確信を持ったのだが、教団は兵士に対して魔物の真実を伝えていなかったという。
人の肉を食らい、殺す事を至上の愉しみとする魔物は既にこの世にはなく、人間を愛し、愛欲と情欲を求める淫らな隣人となっていたのだ。
考えてみれば当然である。
魔物を人類の敵として捉えていたにもかかわらず、実際はまるで違う存在だという事が市井に知られれば、教団の存在意義がなくなる。そうなれば今まで信仰により利益を得ていた者達は路頭に迷う。だからこそ言わなかったのだろう。
ともあれ陥落後、襲撃してきた魔物たちの協力により、彼女たちが持つ様々な技術のおかげでこの街はさらなる発展と活気に満ち、前以上に巨大な都市になろうとしていた。
そこに貧富の差はなく、以前のような緊張感も完全に消えていた。代わりに妻との交わりに夢中になってしまい、ほとんどの市民が三日に一回程度しか働かなくなってしまったが、ご愛嬌というものだろうか。
まあ、何はともあれ私も被害者の一人だ。
部下だった二人の少女に縛られた挙句、押し倒されて気を失ってしまうまで搾られた。そして、その二人を娶る事となったのだ。
それからどうしたかというと、私は二人の協力も経て、この街の守衛部隊の一員となっていた。
・・・
目の前で、頭部から一対の角を生やした、元部下の少女が安らかな笑みを浮かべて眠っている。
「……えりあす、さぁん……♪」
元々は真面目一辺倒で、あまり笑う事のなかった彼女だが、魔物となってからはよく笑うようになった。主にいやらしい笑みばかりだが。
寝返りを打ち、後ろに顔を向ける。
「たいちょー……♪」
頭部から数本の角、そして爬虫類の耳、髪と同じ色の鱗を襟首まで纏った竜の少女が、口の端から涎を垂らしながら満面の笑みを浮かべて眠っている。
こちらの少女は前から無邪気で、それ故に困らされたものだが、今ではそれがかえって愛おしく思えるようになってきていた。
「――腰が……」
三人とも生まれたままの姿で、並んで眠っていたようだ。
――昨日はまた、相当だったな……。
二人の身体に飛び散っている情事の跡と、部屋に漂う雄と雌の香りから、昨晩の激しい交わりを思い出す。代わる代わる10回、いや20回は達しただろうか。
腰を動かす度に鈍い痛みが走り、動く事すらままならない。
それでも何とかベッドから這い出て、守衛隊の制服に肩を通す。どう見ても薄く、私服にしか見えないのだが、これを支給した者曰く魔法が掛けられていて、生半可な刃では傷一つ付かないものらしい。
装備を整え、重い身体に鞭を打ちながら朝靄の残る街に出ていくのであった。
・・・
魔物によって、アルカトラはこの上ない平穏を手に入れた。
しかし、小さいながらも、位置的には重要な場所だ。何時教団が、拠点を取り戻す為に侵攻してくるかは分からない。
その時の為に守衛隊は結成されたのだが、夫さえ居ればいい魔物たちに対して呼びかけてもあまり効果はなかったようだ。現に、私の二人の妻も興味はなかったようで、所属する事を伝えた時点では存在すら知らなかったようだ。
「――ふぅ。階段を上がるのも一苦労だな」
それでも私は、この平穏を守りたかった。
知らなかったとはいえ、今まで退治してきた魔物たちへの贖罪のつもりだった。
しかし、今はその他にも別な理由がある。
「さて、今日は――」
「――異常、なさそうですよ?」
「そうか。……いや、そうじゃない。エミリア、何故お前がここに居る」
いつも私が座っている筈の場所に、家で眠っていた筈の妻、エミリアが座っていたのだ。彼女は背中の翼をせわしなくはためかせながら立ち上がり、
「一人で出かけちゃ嫌、って前にも言いましたよね?」
「随分と心地よく眠っていたんでな。起こすのも悪いと思って」
「夢より現実の方が素敵なんですから、ちゃんと口にチューして起こしてくださいよ」
「童話の眠り姫か、まったく」
そこで、ある事に気付いた。
「――シャーランは、まだ寝たままか?」
彼女と同じくベッドで眠っていた、もう一人の妻がこの場に居ない事に。
「え? ええ、そうだと思い――」
突如、エミリアの言葉を遮る轟音が下から聞こえてきた。
見れば、街中では壁を破壊し、木をなぎ倒し、直線状の家に大穴を開けながら真っ直ぐこちらに向かってくる影があった。
「……」
「ほら、何も言わずに出てくるからこうなっちゃうんですよ?」
せめて一緒に来るくらいの気は利かせてくれないものか。
何かを引きずっているような音はついに階段から聞こえるようになり、そして、
「あーっ! ここにいたーっ!」
蛇のような長い下半身を持ったもう一人の妻、シャーランが泣きながら私の胸に飛び込んできた。
「――ぐぉっ!?」
腰に直接的衝撃を受けたものの、かろうじて踏み堪える。
「わたしひとりおいてくなんてひどいよーっ!」
「ぐぁああぁぁあぁ!?」
だが岩をも砕く膂力での抱擁はその限りではない。このままでは骨が軋むどころか粉微塵になる。
「悪かった! 私が悪かったから離してくれぇぇぇ!」
懇願すると、完全に身体を破壊される前に腕を緩めてくれた。
そのまま私の顔を上目遣いで窺い、
「だれもいなかったから……、こわかったんだよ……?」
涙に濡れた顔を見せたのだ。
「……すまなかったな」
普段から太陽のような笑みを浮かべる彼女が悲しげな表情をしている、という事がこの上なく罪悪感を生み、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
私は子供をあやすように彼女の頭を撫で、安心させてやる事にした。
「……♪」
「シャーランばかりズルいです。私も撫でてくださいよー♪」
「分かった分かった、こっちへ来い」
背中に肌を押し付けるエミリアも一緒に撫でながら、私は椅子に腰掛けた。
・・・
二人は魔物となり、その性質を大きく変えた。
真面目で曲がった事を嫌っていたエミリアは、実直さはそのままだが、危なっかしさに似た険しさが抜けて柔らかくなった。不安や迷いなど何処へやら、一途に私を愛してくれている。
私もその好意に答えようとはするのだが、これまでの人生において恋愛経験などなかったので、当然今回のようにどうにも上手くいかない事がある。その度に指摘されてしまい、結果的に腰を痛める羽目になるのだ。
まあ、学ぶ事の多い刺激に満ちた毎日だと言っておこう。
そして、一番大きな変化を見せたのはシャーランであった。
彼女は生い立ちからして不憫で、それにより達観した部分と子供らしい部分が混在した継ぎ接ぎな一面を持っていた。
だが、魔物化した彼女を見て、目を疑った。
あの危なっかしい雰囲気は何処へやら、明るく無邪気で寂しがり屋の少女になって、私に懐いてきたのだ。コロコロと表情を変えて精一杯甘えてくる様は、さながら幼児のようだ。
一体彼女に何があったのか。何度か聞いてみたのだが、それを知る事は出来なかった。
何故なら、彼女は人間だった時の記憶、そして知識のほとんどを、失ってしまっていたのだ。
その事がハッキリ分かったのは、先日偶然にも23分隊の全員と再会した時だ。
「いい男はいねぇかーっ! ……なんつって。おひさー」
「お久しぶりです隊長。いやー、エミリアさんが隣に居るんじゃないか、ってのは分かってましたけどね。隅に置けませんねー、貴方は」
私とエミリアは、生きて、しかも私たちの戦ったドラゴンを妻に迎えたハミルと、蘇っても独り身で寂しいと愚痴るアニーと会った瞬間、目玉が飛び出るかと思った。
「???」
しかしシャーランは頭に疑問符を浮かべたままで、首を傾げていた。
彼女は、私とエミリア以外の仲間すら、忘れてしまっていたのだ。
――あの場はかなり混沌としていたな。……まあ、シャーランが実質二人いたのだから、当然か。
レイブンがシャーランのドッペルゲンガーを連れていた時は、それはそれで驚いた。まさかあれだけ乱暴にされて、嫌うどころか逆に好意を持っていたとは。
その所為かは知らないが、レイブンは今のシャーランの事を、彼女と認識できなかったようだ。
「あれ? アンタ、襲撃の時の子? 隊長、この子の名前は何て、――ぎゃぁぁぁっ!? 待てよシャーラン! 浮気じゃない! 浮気なんかじゃねぇって!」
彼の中でのシャーランと、今私に撫でられて安堵の息を漏らすシャーランとでは、あまりにも違い過ぎたのだろう。
記憶のほとんどが消えて、出会った初めの内、私は思わず心配した。
自分が今まで何をしてきたのか分からないなど、恐ろしくて仕方ない筈、と思い、彼女が不安を感じないよう、ほとんどの時間を共に過ごした。
だが、今ならば言える。彼女はシャーラン・レフヴォネンでなくなってよかったのだと。
復讐の為、己の身を捨てようとしていた時よりも、無垢な笑みを浮かべる今の彼女の方が私にとっては愛しいのだから。
・・・
「――そういえば」
「どうしました?」
今日も荷物を積んだ馬車が行きかうアルカトラを眼下に、私は改めて考えた。
「お前たちに押し倒された夜、こう言っていたな。『心配してくれる所に惚れた』と」
「はい。……それがどうかしましたか?」
今更何を聞いているんですか、と言うように即座に答えが返ってきた。
「私は、お前たちを気に掛けてやる事しか出来ていなかった筈だ。それなのに何故、私を選んだんだ?」
心配するだけして、特に何もしてはいなかったと思う。
だからこそ、この二人が私に夢中になる理由が分からなかったのだ。
「――そんな事ないですよ」
「え?」
「貴方は私に、十分すぎるほどに優しさを下さったじゃないですか。不器用で、人の事を気にしていられる程の余裕がないのに、それでも無理をして接してくれた事。今でも憶えていますよ?」
「えーっと、なんだかよくわかんないけど、わたしは……。タイチョー、いいにおいがするから、かな? ほかにも、あったかいし、やさしいし、なによりわたしのことをみててくれるから!」
両者別々に言葉が返ってきて、呆然としてしまう。
確かに、この二人には手を焼かされたものだ。だから上司として、先達の戦士として務めて触れあっていくべきだと思っていたのだ。
「タイチョーは、わたしたちのこと、すき?」
「む?」
唐突に、問いを返された。
見れば、シャーランは少し不安そうにこちらを窺っている。逆にエミリアは落ち着いた笑みである所を見るに、確信があるのだろう。
故に、私は答えた。
首肯によって。
「初めて出会った時は、何とも手の掛かる娘が出来たものだ、などと思っていた」
エミリアが入隊した時。あまりにも夢に向かって真っ直ぐで、危なさも孕んだ彼女を放っておけなかった。
「居なくなってもらっては困るというのに勝手な行動をして、随分とおてんばな娘だな、と頭が痛かったな」
シャーランに助けられた時。自分を顧みない戦い方に、そして彼女を戦わせているという自分に怒りを感じ、少しでも彼女の心を守ってやりたいと思った。
「しかし、お前たちの心に触れ、想いを知り、そして身体を重ねて気付いたのだ」
身近な存在を守りたい。そう思って教団に所属したのを思い出した。
放っておけば勝手に何処へでも行ってしまいそうな危うい二人を、私の手で守りたい。
誰の手にも渡らないよう、抱きしめていたい。
「お前たちに、側に居て欲しい。側に居て、私を安心させてほしいのだ」
既に二人は、私の人生にとって掛け替えのない存在となっていた。
私は先に一人目の妻の方を向いて、
「エミリア。お前は融通が利かなくて、ひたすらに真面目だったな。だからこそ清純で、綺麗だ。そこが好きだと言うのは、魔物に堕ちた今となっても変わらん」
「……エリアスさん」
面と向かって言われたからか、顔を赤らめて頬に手を添える彼女が、美しい。
そしてもう一人の妻の方に振り向いて、
「シャーラン。頑固で無茶苦茶だったお前が時折見せる無邪気な笑みが、私は好きだった。そして、今のお前の笑みは前以上に私の心に安心を与えてくれる」
「えへへ♪」
その時の記憶がない筈なのに、褒められているのが本能的に分かるのか、嬉しそうだ。
「こんな雰囲気のない場所で言うのは少し躊躇われるが、改めて言おう」
今言う事は無いかもしれないが、それでも今すぐに言いたかったのだ。この守るべき愛しい存在達に、すぐにでも教えたかった。
だから二人を同時に抱きしめ、
「――お前たちを、愛している。ずっと、私の傍に居て欲しい」
私は、そう告げた。
「ふふっ❤」
「あははーっ❤」
直後、答えの代わりに、私はまた押し倒される事となった。
しかし、これはこれで幸せだから文句など微塵もない。
稚拙な恋心を抱き、私を求めてくれた乙女たちを側で守れる幸せを与えてくれた事に対し、私は二人に感謝しなくてはなるまい。
今日もまた、私たちの幸せな日は続いていく。
13/09/05 00:19更新 / イブシャケ
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