第十八話 戦いの果てにて/勇者候補のターン
「あ、れ?」
一瞬、意識が飛んだ様な気がしました。
シャーランに投げ飛ばして貰い、どうにか焼き払われる前に一撃を入れられた事はハッキリと覚えています。感触が手に残っていますし、剣の先端を濡らす竜の血がその結果を物語っていました。
ですが、それより先の記憶がありません。高所から落下した衝撃で意識を失っていたのでしょうか。
周囲を見回すと、どうやら私は地面に倒れていたようでした。
そして、否が応にも目に入る竜の巨体は、
「ゴァァグ、ギエァェッェァェ、ッァェァアアアッ!!!」
首筋に走る痛みの前に、身体を暴れさせ苦しみ悶えています。
しかし、その内動く事すらままならなくなるでしょう。
先ほどの刺突には、魔力の流れを乱す効果のある聖術を、全力で練り込んだ攻撃でした。ドラゴンが怒りに囚われ、私たちを攻撃しようとする時にはもう、身体が麻痺して動かなくなっているはずです。
「やった……。あの伝説の存在に、私たちは勝ったんですよ! シャーラン!」
すぐ近くで、私と共に戦ってくれた人の名前を叫びます。崖を登った時の符か負荷も、ドラゴンとの戦いで受けてしまったダメージもあるのですから、すぐさま治療してあげないと大変な事になってしまうでしょう。
とはいえ、彼女が居なければこの結果は生み出せませんでした。悔しいですが、最も活躍したのは彼女と言えるでしょう。
「――シャーラン?」
ここに来て初めて、違和感を覚えました。
返答が、何処からも帰っては来ないのです。
あんな高所から、それも高速で叩き落されたのです。彼女がどれだけ頑丈で無理をする人物だとしても、気絶していてもおかしくない事はわかります。
でも、彼女はエリアス隊長の側に落下したはずです。彼女が答えられる状況でなくても、隊長が私に対して、彼女の無事を伝えてくると思っていました。
なのに、
「エミリア!」
声に振り返ると、アニーさんが私の下に駆け寄ってきました。
「アニーさん、彼女は、シャーランは、何処ですか?」
「……そ、それは」
「……え?」
どうして、そんな風に私から目を背けるのでしょうか。うつむき、気まずい顔になっているのでしょうか。私たちは、傷付いたとはいえ勝ったというのに。
「――全員、撤退するぞ」
「待っ、きゃっ!?」
背後から落ち着いた男性の、エリアス隊長の声が耳に入ると同時に、私の身体はアニーさんとレイブンに挟まれ、抱え上げられてしまったのです。
「いろいろ文句はあると思うけど、今は大人しくしてて」
いつになく暗い顔の彼女を見て、横を並走するレイブンを見て、そして、『何か』を担いでいる、上着を着用していない隊長の震える身体を見て、違和感の原因に気付きました。
――何故、皆シャーランの事に触れないの?
誰しもが感情を無理やり抑えたように押し黙り、前へと、ハミルさんが居るであろう入口に向かって走っていくのです。おかしいとしか思えませんでした。
「隊長! まだあの人が、シャーランが!」
「――既に、全員がここに居る。ドラゴンの暴走でこの空間は危険だ、逃げるぞ」
「既に……?」
どう数えても足りないというのに、何を言っているのか。
そう考えた瞬間、私の脳裏にある予感が浮かび上がりました。
いえ、最初からそれを知っていて、気付かない振りをしていただけなのかもしれません。
「隊、長……。その、抱えてるのは、……まさか」
彼の上着を巻かれたその『何か』は、細長くて、まるで、人間のようで、
「……っ」
彼の、涙を堪えるような反応を見て、頭を殴られたかのような衝撃が走りました。同時に、何が起こったか、その原因となる光景もまた、蘇ってきたのです。
何故、こんな事に。どうして、こんな事を。
「おわっ! 危ねっ!」
ですが、その疑問は頭上から降り注ぎ始めた岩石によって振り払われる事となってしまいました。
「急げ!」
悲しみを振り払うように、張り上げられた声が私たちを急かします。
しかし、地震のように揺れる地面と落石は簡単には前へ進ませてはくれず、入口まで20歩ほどの距離の所で、目を疑いたくなる光景を見る事となってしまいました。
この空間と坑道を繋ぐ入口の真上から、大量に岩が落ちて来ていたのです。
「駄目だ、間に合わねぇ! 入口が崩れちまうよ!」
ここからでは、どうやっても間に合わない。
その時、私たちの背後から、魔力を感じました。
「――突風よ、疾く現れ、我が仲間を吹き飛ばせ」
声と同時に、私たちの身体は背中から強く押され、崩れ落ちようとしていた入口を通り過ぎ、狭い坑道に投げ出されました。
「何が起こ――」
こんな事が出来るのは、私たちの中には一人しかいません。
「――ハミルさん!?」
顔を上げ、振り返りました。
その先には、未だ崩れ落ちようとしている空間の中で、弱々しく笑みを浮かべているハミルさんが立ち尽くしていました。
「――隊長、皆さん。私はここまでです。せっかく拾った命、無駄にしないで下さいよ?」
「ハミルさん、どうして!?」
早くこっちへ、そう叫ぼうとした私の前に、岩が次々と積み重なり、彼の姿を見えなくしていきます。
「エミリアさん。……貴女は、絶対に生きなければなりません。それが――」
「っ!?」
言葉の続きは、聞く事はありませんでした。入口が、完全に塞がってしまったのです。
「――行こう」
「隊長!?」
「ハミルの思いを無駄にしない為にも、ここで私たちは死ぬ訳にはいかん!」
その咆哮は、彼との付き合いで一度も聞いた事のない、感情を露わにしたものでした。それだけ彼が、押さえつけられないくらいに悲しみや無念を感じているのでしょう。
「……っ!」
「くそ……っ!」
隣の二人も、歯を食いしばって、同様に走り出しました。
・・・
悲壮に満ちた面持ちのまま、私たちは揺れ動く坑道の中を走り続けていました。
「クソ竜が……っ! 暴れてるんじゃねぇよ!」
「いいから走る! さっさとあの子を外に出さなきゃいけないんだから!」
あの子。私は初め、アニーさんが誰の事を差しているのか理解が追い付きませんでした。
ハミルさんの、最後の笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかったからでしょうか。『彼女』の事を、一瞬とはいえ忘れてしまっていたのです。
「――アニー、さん」
シャーランは、と聞こうと口を開きました。
「……本当に、馬鹿な子だよ」
なにせ、
「世界最凶の毒、とまで言われるドラゴンの血液を、頭から被りそうになったアンタを庇って自分を盾にするなんてね。――一番死にそうなの、自分だった癖に」
俯いたまま、前髪に隠れたアニーさんの表情は見えませんでした。ですが、その声色が、何よりも彼女の感情を語っていたのです。
――なんで。
何故、私を庇ったのか。これっぽっちも理解できなくて、
「嘘、ですよね? ねぇ?」
死体のように動かない彼女に向かって、気が付けば私は呼びかけていました。
「約束したじゃないですか! 帰ったら、二人、貴女と私で、一緒に伝えに行くって!」
言葉は返って来ないであろう事を、心の何処かで分かってはいました。
「どっちが正しいか確かめる為に、同時に告白しようって!」
返事がない事を、心の底から信じたくありませんでした。
「――失恋したら、二人で、お酒を飲みに行くって、約束したじゃないですか!」
「……っ!?」
誰かがすぐ側で、驚いたような声を上げた気がしました。しかし、そんな事に構っていられるほど、私の心は平静でいられなかったのです。
ここまで登ってくる直前、彼女は笑いながら、
『もし二人とも撃沈したらさ、一緒にヤケ酒飲みに行こうよ』
その言葉に、私はワインしか飲めない、と言ったのです。
『だったらビールの美味しさを教えてあげるよ』
そう言って、彼女はまた笑っていました。
主神教団の人間は、人々の見本となるべき存在です。にもかかわらず、彼女は本当に型破りで、こんな人間が居ていいものか、と思う事が多々ありました。
ですが、嫌ではなかったのです。
生まれて初めて出来た、対等な立場の存在。そんな彼女に、私は不思議な友情を感じていたのでしょう。そしてきっと、逆の立場ならば、私もまた同じ事をしたのでしょう。
「――エミリア、もう……」
「死んでしまったら、貴女は永遠にひとりぼっちになってしまうんですよ!? 誰にも触れられない、誰からも触れられない、そんな存在になってしまうんですよ!?」
だから。だから、
「――死なないで……っ! お願いですから、生きてください!」
せっかく通じ合ったのに。
せっかく、友達になれたのに。
どうして主神様は、彼女にこんな結末を与えたのか。
「走れ! もうすぐ出口だ!」
涙となって頬を落ちていく悲しみとは裏腹に、外の明かりが、それこそ僅かではありましたが見え始めていました。
あと30歩、20歩、10歩。そして、
「――っ!」
ついに、私たちは空の下に戻って来る事が出来たのです。
既に夕方を迎えていたようで、山の向こうに太陽は沈んでいこうとしていましたが、松明のいらない場に、私たちは帰って来る事が出来たのです。
大きな、取り返しのつかない大きな犠牲を払って。
・・・
その場にへたり込んだ私たちは、言葉を発する事無く、満身創痍の身体を少しでも休ませようと俯いていました。
しかし、こうしてはいられません。急いでアルカトラに戻り、この事を報告しなければならないでしょう。
この廃坑に住むドラゴンが、そしてドラゴンに追いやられたと思われる魔物たちが出て来てからでは全てが遅いのです。
「――アニー、急ぎ狼煙を上げろ。救援を呼ばなければ」
「了解。……正直、焼け石に水だとは思うけど、エミリア。この子の事、頼むよ」
「は、はい」
既に私には殆どと言っていいほど魔力は残っていませんでした。それでも、身を挺して私の命を救ってくれた彼女に何かできないか、そう考え、意識を集中します。
その時、
「居たぞっ! こっちだーっ!」
「え?」
数十の足音と鉄がぶつかり合う音が聞こえたと思った時にはもう、私たちは囲まれていたのです。
現れた影は全員が金属製の鎧や武器を向け、僅かな隙もなくこちらの様子を窺っています。ですが、私たちの装備にも彫り込まれている印が入った彼らの武具には見覚えがあり、この状況は誤解によるものだと気付きました。
「私たちは人間だ! 武器を下ろしてくれ、重症の者が居るんだ!」
隊長が前に出て訴えますが、彼らは表情を一切変えません。代わりに一人、部隊の長と思われる男が前に出て来て、
「ならば所属部隊、階級、名前を言ってみろ!」
「私は主神教団アルカトラ支部、第23分隊隊長、エリアス・ニスカヴァーラだ! 特務を受け、ここに来ている!」
懐から任務内容が書かれた紙を出し、この場の全員が見えるように掲げました。
「――っ!?」
その瞬間、隊長の顔が歪んだのです。それも、痛みによって。
「な、にっ?」
「エリアス!?」
「隊長っ!」
紙を掲げた彼の手に、矢が突き刺さっていたのです。
驚き、彼の下に駆け寄ろうとしましたが、
「動くなっ!」
向こうの隊長の一喝により、周囲の全員が一歩前に踏み出しました。
「――この付近の魔物がニスカヴァーラ部隊長に化けて出てくる可能性がある、と聞いた時には我を疑った。が、どうやら報告の通りだったようだな」
「な、何を! 私たちは、確かに――」
「そんな任務を受けている、などと私たちは聞いていない。いや、正確にはこちらではなく、23分隊には三日前の襲撃時に撃退したオーガの掃討作戦を命じられていたはずだ」
言い放たれた事実に、耳を疑わずにはいられませんでした。
私たちに任務を与えてきた男性は、確かに教団の人物である事を示す証明書を持って、今隊長が持っている任務書を彼へ手渡したのです。
故にこの任務は、教団自体から与えられた任務のはず。
ですが彼らが嘘を言っているようには聞こえず、私たちは混乱するばかりです。
「そんな馬鹿な! ありえない!」
「ならば個人を証明できる物を提出しろ! 本物だというのなら、教団の証明書くらい持っているのだろう!?」
言われ、隊長は無事な方の手で懐を探り、
「――っ!」
突如、青ざめました。
「そら見ろ。証明できるはずがないだろう!? そんなものを持っていると知らずに擬態したのならな! 貴様らを拘束し、公開処刑とする!」
「――ま、まさか……っ!」
何かに気付いたように顔を上げた隊長ですが、周りの兵士達は彼が何か発言をするよりも先に向かってきて、
「が……っ!」
先の戦いと逃走による疲労で、抵抗する力も残っていなかった隊長はいともあっけなく押さえつけられ、地面に組み伏されてしまったのです。
「このっ! エリアスを離しなさ――」
アニーさんが彼を助ける為に駆け寄りますが、
「――へ?」
悲鳴を上げるよりも速く、彼女の背中から一本の槍が突き抜けてきたのです。
「……アニー、さん?」
「あれ、ちょ、これ」
あまりに唐突な事態に、彼女の脳は戸惑っているのでしょうか。痛みではなく、先に理解のできない光景に声を上げます。
「一部を除き、抵抗してくる魔物は処理していい、と仰せつかっている。私たちとしても、元同僚の顔をした貴様らを手に掛けたくは……、いや。主神様の遣いとして恥ずかしいが、むしろ彼らの名を辱める貴様らを罰したくてウズウズしているな。とはいえ、貴様らを捕えるのが私たちの任務だ。あまり暴れてくれるなよ」
「――ぁ」
ついに脳が痛覚を得はじめて、彼女の身が震え、口から血液を吐きだしました。
「しかし、貴様は抵抗した。――殺れ」
「待……っ!」
待って。そう言おうとした時にはもう、数本の槍が四方から彼女の身体を貫いていたのです。何の抵抗もなく、嘘みたいにあっさりと、アニーさんの身体から力が失われ、
「――」
その場に、崩れ落ちて、動かなくなりました。
「――アニーさんっ! アニーさんっ!?」
名を呼べども、体中を貫かれた彼女はもう、動く事はありません。
でも認められなくて、認めたくなくて、兵士に頭を殴られて意識を失う寸前まで、叫んでいました。
消えゆく意識の中、兵士たちがシャーランの身体を術符で巻いていた所を見ました。おそらく死に体の彼女すら、魔物という汚名を着せて殺すのでしょう。
――誰が、何の為に?
こうして私たちは、荷物のように馬車に詰め込まれ、両手足を縛られ、魔力を封印された上で、アルカトラへと帰る事となりました。
ハミルさんを洞窟内に、アニーさんをその場に残したまま。
一瞬、意識が飛んだ様な気がしました。
シャーランに投げ飛ばして貰い、どうにか焼き払われる前に一撃を入れられた事はハッキリと覚えています。感触が手に残っていますし、剣の先端を濡らす竜の血がその結果を物語っていました。
ですが、それより先の記憶がありません。高所から落下した衝撃で意識を失っていたのでしょうか。
周囲を見回すと、どうやら私は地面に倒れていたようでした。
そして、否が応にも目に入る竜の巨体は、
「ゴァァグ、ギエァェッェァェ、ッァェァアアアッ!!!」
首筋に走る痛みの前に、身体を暴れさせ苦しみ悶えています。
しかし、その内動く事すらままならなくなるでしょう。
先ほどの刺突には、魔力の流れを乱す効果のある聖術を、全力で練り込んだ攻撃でした。ドラゴンが怒りに囚われ、私たちを攻撃しようとする時にはもう、身体が麻痺して動かなくなっているはずです。
「やった……。あの伝説の存在に、私たちは勝ったんですよ! シャーラン!」
すぐ近くで、私と共に戦ってくれた人の名前を叫びます。崖を登った時の符か負荷も、ドラゴンとの戦いで受けてしまったダメージもあるのですから、すぐさま治療してあげないと大変な事になってしまうでしょう。
とはいえ、彼女が居なければこの結果は生み出せませんでした。悔しいですが、最も活躍したのは彼女と言えるでしょう。
「――シャーラン?」
ここに来て初めて、違和感を覚えました。
返答が、何処からも帰っては来ないのです。
あんな高所から、それも高速で叩き落されたのです。彼女がどれだけ頑丈で無理をする人物だとしても、気絶していてもおかしくない事はわかります。
でも、彼女はエリアス隊長の側に落下したはずです。彼女が答えられる状況でなくても、隊長が私に対して、彼女の無事を伝えてくると思っていました。
なのに、
「エミリア!」
声に振り返ると、アニーさんが私の下に駆け寄ってきました。
「アニーさん、彼女は、シャーランは、何処ですか?」
「……そ、それは」
「……え?」
どうして、そんな風に私から目を背けるのでしょうか。うつむき、気まずい顔になっているのでしょうか。私たちは、傷付いたとはいえ勝ったというのに。
「――全員、撤退するぞ」
「待っ、きゃっ!?」
背後から落ち着いた男性の、エリアス隊長の声が耳に入ると同時に、私の身体はアニーさんとレイブンに挟まれ、抱え上げられてしまったのです。
「いろいろ文句はあると思うけど、今は大人しくしてて」
いつになく暗い顔の彼女を見て、横を並走するレイブンを見て、そして、『何か』を担いでいる、上着を着用していない隊長の震える身体を見て、違和感の原因に気付きました。
――何故、皆シャーランの事に触れないの?
誰しもが感情を無理やり抑えたように押し黙り、前へと、ハミルさんが居るであろう入口に向かって走っていくのです。おかしいとしか思えませんでした。
「隊長! まだあの人が、シャーランが!」
「――既に、全員がここに居る。ドラゴンの暴走でこの空間は危険だ、逃げるぞ」
「既に……?」
どう数えても足りないというのに、何を言っているのか。
そう考えた瞬間、私の脳裏にある予感が浮かび上がりました。
いえ、最初からそれを知っていて、気付かない振りをしていただけなのかもしれません。
「隊、長……。その、抱えてるのは、……まさか」
彼の上着を巻かれたその『何か』は、細長くて、まるで、人間のようで、
「……っ」
彼の、涙を堪えるような反応を見て、頭を殴られたかのような衝撃が走りました。同時に、何が起こったか、その原因となる光景もまた、蘇ってきたのです。
何故、こんな事に。どうして、こんな事を。
「おわっ! 危ねっ!」
ですが、その疑問は頭上から降り注ぎ始めた岩石によって振り払われる事となってしまいました。
「急げ!」
悲しみを振り払うように、張り上げられた声が私たちを急かします。
しかし、地震のように揺れる地面と落石は簡単には前へ進ませてはくれず、入口まで20歩ほどの距離の所で、目を疑いたくなる光景を見る事となってしまいました。
この空間と坑道を繋ぐ入口の真上から、大量に岩が落ちて来ていたのです。
「駄目だ、間に合わねぇ! 入口が崩れちまうよ!」
ここからでは、どうやっても間に合わない。
その時、私たちの背後から、魔力を感じました。
「――突風よ、疾く現れ、我が仲間を吹き飛ばせ」
声と同時に、私たちの身体は背中から強く押され、崩れ落ちようとしていた入口を通り過ぎ、狭い坑道に投げ出されました。
「何が起こ――」
こんな事が出来るのは、私たちの中には一人しかいません。
「――ハミルさん!?」
顔を上げ、振り返りました。
その先には、未だ崩れ落ちようとしている空間の中で、弱々しく笑みを浮かべているハミルさんが立ち尽くしていました。
「――隊長、皆さん。私はここまでです。せっかく拾った命、無駄にしないで下さいよ?」
「ハミルさん、どうして!?」
早くこっちへ、そう叫ぼうとした私の前に、岩が次々と積み重なり、彼の姿を見えなくしていきます。
「エミリアさん。……貴女は、絶対に生きなければなりません。それが――」
「っ!?」
言葉の続きは、聞く事はありませんでした。入口が、完全に塞がってしまったのです。
「――行こう」
「隊長!?」
「ハミルの思いを無駄にしない為にも、ここで私たちは死ぬ訳にはいかん!」
その咆哮は、彼との付き合いで一度も聞いた事のない、感情を露わにしたものでした。それだけ彼が、押さえつけられないくらいに悲しみや無念を感じているのでしょう。
「……っ!」
「くそ……っ!」
隣の二人も、歯を食いしばって、同様に走り出しました。
・・・
悲壮に満ちた面持ちのまま、私たちは揺れ動く坑道の中を走り続けていました。
「クソ竜が……っ! 暴れてるんじゃねぇよ!」
「いいから走る! さっさとあの子を外に出さなきゃいけないんだから!」
あの子。私は初め、アニーさんが誰の事を差しているのか理解が追い付きませんでした。
ハミルさんの、最後の笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかったからでしょうか。『彼女』の事を、一瞬とはいえ忘れてしまっていたのです。
「――アニー、さん」
シャーランは、と聞こうと口を開きました。
「……本当に、馬鹿な子だよ」
なにせ、
「世界最凶の毒、とまで言われるドラゴンの血液を、頭から被りそうになったアンタを庇って自分を盾にするなんてね。――一番死にそうなの、自分だった癖に」
俯いたまま、前髪に隠れたアニーさんの表情は見えませんでした。ですが、その声色が、何よりも彼女の感情を語っていたのです。
――なんで。
何故、私を庇ったのか。これっぽっちも理解できなくて、
「嘘、ですよね? ねぇ?」
死体のように動かない彼女に向かって、気が付けば私は呼びかけていました。
「約束したじゃないですか! 帰ったら、二人、貴女と私で、一緒に伝えに行くって!」
言葉は返って来ないであろう事を、心の何処かで分かってはいました。
「どっちが正しいか確かめる為に、同時に告白しようって!」
返事がない事を、心の底から信じたくありませんでした。
「――失恋したら、二人で、お酒を飲みに行くって、約束したじゃないですか!」
「……っ!?」
誰かがすぐ側で、驚いたような声を上げた気がしました。しかし、そんな事に構っていられるほど、私の心は平静でいられなかったのです。
ここまで登ってくる直前、彼女は笑いながら、
『もし二人とも撃沈したらさ、一緒にヤケ酒飲みに行こうよ』
その言葉に、私はワインしか飲めない、と言ったのです。
『だったらビールの美味しさを教えてあげるよ』
そう言って、彼女はまた笑っていました。
主神教団の人間は、人々の見本となるべき存在です。にもかかわらず、彼女は本当に型破りで、こんな人間が居ていいものか、と思う事が多々ありました。
ですが、嫌ではなかったのです。
生まれて初めて出来た、対等な立場の存在。そんな彼女に、私は不思議な友情を感じていたのでしょう。そしてきっと、逆の立場ならば、私もまた同じ事をしたのでしょう。
「――エミリア、もう……」
「死んでしまったら、貴女は永遠にひとりぼっちになってしまうんですよ!? 誰にも触れられない、誰からも触れられない、そんな存在になってしまうんですよ!?」
だから。だから、
「――死なないで……っ! お願いですから、生きてください!」
せっかく通じ合ったのに。
せっかく、友達になれたのに。
どうして主神様は、彼女にこんな結末を与えたのか。
「走れ! もうすぐ出口だ!」
涙となって頬を落ちていく悲しみとは裏腹に、外の明かりが、それこそ僅かではありましたが見え始めていました。
あと30歩、20歩、10歩。そして、
「――っ!」
ついに、私たちは空の下に戻って来る事が出来たのです。
既に夕方を迎えていたようで、山の向こうに太陽は沈んでいこうとしていましたが、松明のいらない場に、私たちは帰って来る事が出来たのです。
大きな、取り返しのつかない大きな犠牲を払って。
・・・
その場にへたり込んだ私たちは、言葉を発する事無く、満身創痍の身体を少しでも休ませようと俯いていました。
しかし、こうしてはいられません。急いでアルカトラに戻り、この事を報告しなければならないでしょう。
この廃坑に住むドラゴンが、そしてドラゴンに追いやられたと思われる魔物たちが出て来てからでは全てが遅いのです。
「――アニー、急ぎ狼煙を上げろ。救援を呼ばなければ」
「了解。……正直、焼け石に水だとは思うけど、エミリア。この子の事、頼むよ」
「は、はい」
既に私には殆どと言っていいほど魔力は残っていませんでした。それでも、身を挺して私の命を救ってくれた彼女に何かできないか、そう考え、意識を集中します。
その時、
「居たぞっ! こっちだーっ!」
「え?」
数十の足音と鉄がぶつかり合う音が聞こえたと思った時にはもう、私たちは囲まれていたのです。
現れた影は全員が金属製の鎧や武器を向け、僅かな隙もなくこちらの様子を窺っています。ですが、私たちの装備にも彫り込まれている印が入った彼らの武具には見覚えがあり、この状況は誤解によるものだと気付きました。
「私たちは人間だ! 武器を下ろしてくれ、重症の者が居るんだ!」
隊長が前に出て訴えますが、彼らは表情を一切変えません。代わりに一人、部隊の長と思われる男が前に出て来て、
「ならば所属部隊、階級、名前を言ってみろ!」
「私は主神教団アルカトラ支部、第23分隊隊長、エリアス・ニスカヴァーラだ! 特務を受け、ここに来ている!」
懐から任務内容が書かれた紙を出し、この場の全員が見えるように掲げました。
「――っ!?」
その瞬間、隊長の顔が歪んだのです。それも、痛みによって。
「な、にっ?」
「エリアス!?」
「隊長っ!」
紙を掲げた彼の手に、矢が突き刺さっていたのです。
驚き、彼の下に駆け寄ろうとしましたが、
「動くなっ!」
向こうの隊長の一喝により、周囲の全員が一歩前に踏み出しました。
「――この付近の魔物がニスカヴァーラ部隊長に化けて出てくる可能性がある、と聞いた時には我を疑った。が、どうやら報告の通りだったようだな」
「な、何を! 私たちは、確かに――」
「そんな任務を受けている、などと私たちは聞いていない。いや、正確にはこちらではなく、23分隊には三日前の襲撃時に撃退したオーガの掃討作戦を命じられていたはずだ」
言い放たれた事実に、耳を疑わずにはいられませんでした。
私たちに任務を与えてきた男性は、確かに教団の人物である事を示す証明書を持って、今隊長が持っている任務書を彼へ手渡したのです。
故にこの任務は、教団自体から与えられた任務のはず。
ですが彼らが嘘を言っているようには聞こえず、私たちは混乱するばかりです。
「そんな馬鹿な! ありえない!」
「ならば個人を証明できる物を提出しろ! 本物だというのなら、教団の証明書くらい持っているのだろう!?」
言われ、隊長は無事な方の手で懐を探り、
「――っ!」
突如、青ざめました。
「そら見ろ。証明できるはずがないだろう!? そんなものを持っていると知らずに擬態したのならな! 貴様らを拘束し、公開処刑とする!」
「――ま、まさか……っ!」
何かに気付いたように顔を上げた隊長ですが、周りの兵士達は彼が何か発言をするよりも先に向かってきて、
「が……っ!」
先の戦いと逃走による疲労で、抵抗する力も残っていなかった隊長はいともあっけなく押さえつけられ、地面に組み伏されてしまったのです。
「このっ! エリアスを離しなさ――」
アニーさんが彼を助ける為に駆け寄りますが、
「――へ?」
悲鳴を上げるよりも速く、彼女の背中から一本の槍が突き抜けてきたのです。
「……アニー、さん?」
「あれ、ちょ、これ」
あまりに唐突な事態に、彼女の脳は戸惑っているのでしょうか。痛みではなく、先に理解のできない光景に声を上げます。
「一部を除き、抵抗してくる魔物は処理していい、と仰せつかっている。私たちとしても、元同僚の顔をした貴様らを手に掛けたくは……、いや。主神様の遣いとして恥ずかしいが、むしろ彼らの名を辱める貴様らを罰したくてウズウズしているな。とはいえ、貴様らを捕えるのが私たちの任務だ。あまり暴れてくれるなよ」
「――ぁ」
ついに脳が痛覚を得はじめて、彼女の身が震え、口から血液を吐きだしました。
「しかし、貴様は抵抗した。――殺れ」
「待……っ!」
待って。そう言おうとした時にはもう、数本の槍が四方から彼女の身体を貫いていたのです。何の抵抗もなく、嘘みたいにあっさりと、アニーさんの身体から力が失われ、
「――」
その場に、崩れ落ちて、動かなくなりました。
「――アニーさんっ! アニーさんっ!?」
名を呼べども、体中を貫かれた彼女はもう、動く事はありません。
でも認められなくて、認めたくなくて、兵士に頭を殴られて意識を失う寸前まで、叫んでいました。
消えゆく意識の中、兵士たちがシャーランの身体を術符で巻いていた所を見ました。おそらく死に体の彼女すら、魔物という汚名を着せて殺すのでしょう。
――誰が、何の為に?
こうして私たちは、荷物のように馬車に詰め込まれ、両手足を縛られ、魔力を封印された上で、アルカトラへと帰る事となりました。
ハミルさんを洞窟内に、アニーさんをその場に残したまま。
13/09/04 23:32更新 / イブシャケ
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