第十二話 少年の自室にて/少年兵のターン
子供の頃、俺は立派な騎士になるのが夢だった。
爺さんには殆ど会った事がないが、五歳くらいになるまではずっと、大勢の部下に囲まれて、あれこれ指示を飛ばす親父の姿を見ていたからだろう。
『うしろでさくせんかんがえるより、おれはたたかいたいぞ!』
そんな事を言って、剣を模した木の枝を振り回して、誰も居ない庭で騎士ごっこをしていた。そう、たった一人でだ。
時折、親父かお袋を訪ねてきた客が俺の事を見て、
『筋がいいですね。君は将来素晴らしい騎士になれるでしょう!』
思ってもいない事を言っては親父達に取り入ろうとしていた。
当時の俺は純粋で、自分に本当に才能がある、と思い込んでしまい、ロクに訓練も積まないで訓練校に入学した。最初は同じような理由で入学した連中と肩を並べていたが、徐々にそいつらから距離を置かれるようになった。
理由は明白。俺が有名どころの生まれだからだ。
クラスどころか、学年、学校全体から『そういう目』で見られ、孤立していった。ついこの間まで仲間だと思っていた奴らが、俺の事を腫物のように扱い始めたのだ。
教師共は、貴方の為、君の為に、とか頼んでもいない事を無理やり押し付けて、勝手に祭り上げようとする。だけど俺にはそれに応えられるだけの才能なんてなくて、ただの世間知らずのガキで、虐めのような個人授業にひたすら耐える事しか出来なかった。
学校には居場所がない。街に出ても『そういう目』で見られる。家に帰っても、親父達は成績の事ばかり聞いてくる。
もううんざりだ。誰でもいいから、俺を普通のガキにしてくれ。
寝る前にいつも、そんな事を考えていた。
・・・
真夜中に目が覚めた。いつもの重苦しい夢から無理やり俺を覚醒させたのは、ノック音。
「――誰だよ」
何度も何度もやかましく鳴り響いてくる。火事か緊急出撃か、と思わせるくらいにしつこい。あのドアは朝の襲撃によって破壊されていたが、どうにか応急処置にまで治す事が出来たのだ。あまり手荒に扱って欲しくはない。
「……そういや、朝にもこんな感じでノックされてなかったか?」
ノック音の感覚。鳴り響く力加減。そして、徐々に大きくなっていく音。
堪らなく嫌な予感がした。
「待て待て待て、流石にそれは無――」
「入るわよー?」
既視感。
そして、飛来物。
「うおぁっ!」
だが、それ故に被害を免れた。応急処置の努力を一秒未満で無駄にしてドアが飛んできたが、身体を捩じり、何とか回避する事が出来た。
「へっ! そう何度も喰らいやしねぇよ!」
破壊された入口には、やはりと言うか何というか、思った通りの人物がいた。その人物、シャーランは遠慮も悪びれもせずに部屋に入り、俺の前に立った。
「おい馬鹿女! こんな真夜中に何しに、――臭っ!?」
目の前の女性は目が据わっており、顔も赤い。加えて吐息は酒臭く、ただ事ではない雰囲気が漂っている。
「いやー、知り合いと飲んでたら遅くなっちゃったわー。タイチョーに怒られてあっちで寝にくいし、ここで寝かせて?」
「――はぁ!?」
酔っ払いが、何やらとんでもない事を口走っていた。
「ななな何で俺の部屋なんだよ!?」
「だって他に部屋ないじゃなーい。私、床でも寝れるから心配ないよー? アンタが多感なお年頃だってのは知ってるから、今日はちゃんと服着て寝るよー」
「そういう意味で聞いてるんじゃねぇよ!」
普段は裸で寝ていると言うのか。
――……いやいや、俺は何を考えてるんだよ!
突然湧いた余計な思考を頭を振ってうち消し、
「俺の部屋で寝るのを誰が許可したってんだよ!?」
「部隊の人間の男女が一緒に寝ちゃいけない、っていう決まりはないじゃない。ハミハミとアネーがそうなんだし、問題ないでしょ?」
昨日は隊長のトコのベッドで寝てたからねー、と言う女に、俺は戦慄した。確かに、望ましくない、褒められる事ではないというだけで、やってはいけない事ではない。
「だからって何で俺なんだよ!」
「二人の部屋には入れないし、タイチョーのトコには行きにくいし、……えーと、あの子なんて言うんだっけ。エモリカ?」
「エミリアか?」
「そうそう。何か知らないんだけど、どうもあの子に嫌われてるらしくって」
言われて見れば今朝からエミリアの奴は調子が変だった。まあ、俺の気にする事ではないので無視してたが。
「だから、空いてるアンタの部屋に来たって訳。明日寝坊しなくて済むから助かるでしょ?」
「起こしてくれなんて頼んでねぇだろ! 余計な事するんじゃねぇ! 出て――」
「――タイチョーから聞いたんだけど、アンタ寝坊の常習犯らしいねー?」
出て行け、と言うよりも先に、バカ女が喋る方が早かった。酔っ払った顔を面白そうに歪め、意地の悪い目で俺の事を見ている。
「もし明日起きれなかったら、また……」
フフフ、と含み笑いをする女に寒気を感じた。
ヤバイ。この女を部屋で寝かせて起こされるのはヤバイが、もし明日起きれなくて起こされた場合、それ以上にヤバイ結末が待っている気がする。いや、確信がある。
実を言うと、俺は朝が超苦手だ。どう頑張っても、時間通りに起きれた事など殆どない。現に、四年前にこの部隊に配属されて以来、最初の数回だけしか起きれた記憶がないのだ。
やる気の問題だろうが、実際に弱いのだ。
意地を張って×××されるか、プライドを捨てるか。
「……クソッ、分かったよ! 好きにしろ!」
俺は、プライドを捨てる事にした。してしまった。
吐き捨てた言葉の後、思わず膝をついてしまいそうになるほどの屈辱感を味わった。
「お願いします、でしょ?」
「お願いしますこのクソ女ぁ!」
ふふん、と得意げに鼻で笑い、馬鹿女は何処に持っていたのか、枕を取り出し、置いた。
俺のベッドの上に。
「――何をやってるんだぁぁぁぁぁぁ!?」
つい先ほど床でも寝られる、と言った人間が今、まさに俺と同衾しようとしているじゃないか。俺が言えた義理じゃないが、教団員が、曲がりなりにも結婚前の男女が同衾していい筈がないだろう。
「好きにしろ、って言ったじゃない。流石に『寝られる』とは言ったけど別に『寝たい』訳じゃないわ」
不味い事を言ってしまった気がした。完全に、この女に場の主導権を持っていかれている。ここで何か反論しなければ、酔っ払いに全部取られて俺が床で寝る羽目になりそうだ。
「ほらほらー、添い寝したげるから寝ようよー」
床で寝た方がマシだった。
――お前に添い寝されて、無事に明日の朝日が拝めると思えねぇ!
確証はないが、この女には抱き癖があるような気がする。何となくそんな感じだ。ラミアに巻き付かれるように、そのまま全身の骨という骨を破壊され、次の日には起こしても目の覚めない変死体になっていそうで怖い。
「断固お断りだ! クッソ掛け布団貸せ、俺は床で――」
「うーるさーい!」
「へあっ!?」
襟首を掴まれ、放るようにベッドへ投げ飛ばされた。
「私はもう眠いんだから、ゴチャゴチャ言ってるんじゃないの。そんな余計な事考えてるから寝坊するのよ」
流れるような動作で掛け布団を掴み、被せられてしまった。
目の前には女の顔。吐息が酒臭い事を除けば、文句なしに綺麗と言える。
触れる肌が体温を伝えてきて、意識していないにもかかわらず心臓の鼓動を早める。
――……近ぇっ!?
しかし、目の前の女は俺の事などお構いなしに瞼を閉じ、今にも夢の世界へ旅立ってしまいそうだった。
「――クソッ! やっぱり一緒になんか寝られるかっ!」
「むー、そんなに私とはやなの?」
既に睡眠体勢に入っているのか、声に気だるさが含まれている。
――嫌、って訳じゃ、ねぇけど。
俺だって一応、男だ。その、『そういう事』に関して興味はある。そしてもちろん、『そういう事』は綺麗な異性とやりたいと思っている。
その点、この女は外見だけなら合格だ。
そんじょそこらの女にはない『違い』があって、それがコイツを引き立てている。
エミリアが『可愛い』系の外見ならば、コイツは『カッコいい』系だ。他の女のように群れず、陰湿でなくて、自分の道を突き進む。
だからこそ、今、俺の心臓は高鳴っているんだろう。
――だから何を考えてるんだって、俺!?
訳の分からない熱でのぼせあがった思考を振り払って前を見ると、
「ぐー」
「人が悩んでる最中に熟睡するなぁぁぁぁぁぁ!」
「さっきからうるさいわねー。アンタ何様のつもり?」
この部屋の主のつもりだよチクショウ。
「てか何を悩んでるのよ。女の子と一緒に寝た事ないの?」
「ある訳ねぇだろ!?」
教団の人間で、結婚前に女と同衾した事のある奴なんて、そうそう居ないんじゃないだろうか。ていうか居てたまるか。
「まあそうよねー。私も初めてだし」
え。
「緊張したりする、って聞いてたけど、そんな事全くないわー。何でか知らないけど」
それは俺を異性として見てないからじゃねぇのか。そう思い、男としてのプライドが瓦解する音が聞こえ、沈みそうになる。
「――ち、違ぇ!」
俺はこんな暴力女に対して何も思っちゃいねぇ。いくら外面が綺麗でも、事あるごとに理不尽振り回すような女、こっちからゴメンだ。
「まったく、じゃあ何が嫌なのよ。――下らない理由だったら無理やり寝かしつけるから」
「……は? え、ちょ、待て!」
あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべると同時に、毛布の下からポキポキと軽快な音がくぐもって聞こえた。指の関節を鳴らしているのだろう。
――シャレにならねぇっ!
この距離で打撃技は考えにくい。あるとすれば、関節技による昏倒だ。それはつまり、酸欠で気絶させられる事。そんな眠りのつき方は絶対に嫌だ。
かといって、コイツを納得させられる理由が見当たらない。異性として気にしているから、なんて口が裂けても言えないし、一人で寝たいから、なんて理由は既に使えない。酒臭いから、なんて言った日には、
『よーし、臭いが気にならなくしてやろーう!』
などと言って、首を絞めてくるんじゃないだろうか。
――万事休すか!? ……や、ちょっと待て。
いや、あった。この女を納得させる理由。
今朝から抱えていた疑問。理不尽に扱われている事を考えれば、普通ならば絶対に答えてはくれない。だからこそ、これを理由にする。
「――お前が何を考えてるのか分からないんだよ」
それが気に食わない。
今まで俺に関わってきた奴は、だいたいが権力のおこぼれを狙おうとしてたり、今の内に恩を売って将来的に得をしようとしてた。たまにそうじゃない奴も居たけど、そういう奴は俺に関わろうとしなかった。
なのに、この女は、俺の事情を知った上で関わってきた。へりくだる事も、ゴマを摺る事もしない。無能と嗤う事も、蔑む事もせず、俺を殴りに来たんだ。
「教えてくれ。お前は、何で俺にこんな事するんだ?」
自分からは何も言ってくれないこの女の真意を、俺は知りたかった。強くて滅茶苦茶で、それでいて俺の事をただのワガママなガキとして見ているのは、何でなのか。
「何で、って。私にとってこうするのが当然だからよ?」
他に何があるのか、という表情に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「アンタ、『大将軍の孫』って名前?」
「は?」
「同じ事何度も言わせないでよ。アンタの名前は、『大将軍の孫』って言うのか聞いてんの」
「違ぇよ! そんな名前じゃねぇ!」
「じゃあ『将軍の息子』?」
「それでもねぇよ!」
だったらさ、
「アンタの名前は、何?」
そんなの、決まっている。
「――レイブン。俺は、レイブンだ!」
俺は『大将軍の孫』でも、『将軍の息子』でもない。ましてや『神官の子供』なんかじゃないんだ。俺にすり寄って来た貴族共、俺を避けていた奴ら、全員聞けよ。
俺は、俺なんだよ。
ん、と小さく頷いた後、女は、
「誰がどう思おうと、アンタはアンタでしょ? 大層な肩書持ってるけど、ただの生意気なガキンチョでしかない。期待に応えようと努力してるのでなく、親と完全に縁を切って別の道に挑もうとしてる訳でもない、ただの文句垂れてるだけのガキンチョ。そんなのに気を遣うなんて、私は嫌よ」
この女は、最初から俺の事を色眼鏡なしで見ていたのだろう。俺の事情になんか関心を一切持たないで、ただ『同じ部隊の人間だったから』という理由で年下の俺を叱りに来てくれたのだろう。
それはつまり、俺の事を一人の人間として扱っていた訳で。
今まで誰もしてくれなかった事を、さも当然のようにしてくれて。
――ぁ。
自覚した瞬間、目頭が熱くなってきた。
その、何と言うか、嬉しかったのだ。生まれて初めて一人の人間として見てもらえた事が、だ。自分でも安っぽいとは思うが、それでも前が霞んで見えなくなっていく。
「生意気なガキンチョにはお灸を据える必要があるでしょ? だから私は――」
ふと、そこで女の声が止まった。
「……? だから、何だよ」
湿った瞳を擦り、視界を元に戻す。するとそこには、
「――ぐぅ」
「はぁ!?」
すやすやと笑顔で、涎を垂らしながら眠る顔があった。出会った当初から期待してはいなかったが、ここまではしたない有様とは。
――男が涙を軽々しく流すんじゃない、笑っていろ、って事なのか?
勝手な想像だ。しかし、彼女の顔がそう言っているようで、気が付けば俺の口は笑みを形作っていた。
「……さ、サンキュー、な」
不慣れと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、聞こえないような小さい声で礼を言った。
――……いや、起きてる時に言わねぇと、また殴られそうだな。
初めて得た感情に踊らされながら、俺は人生最高潮の眠りに就いた。
爺さんには殆ど会った事がないが、五歳くらいになるまではずっと、大勢の部下に囲まれて、あれこれ指示を飛ばす親父の姿を見ていたからだろう。
『うしろでさくせんかんがえるより、おれはたたかいたいぞ!』
そんな事を言って、剣を模した木の枝を振り回して、誰も居ない庭で騎士ごっこをしていた。そう、たった一人でだ。
時折、親父かお袋を訪ねてきた客が俺の事を見て、
『筋がいいですね。君は将来素晴らしい騎士になれるでしょう!』
思ってもいない事を言っては親父達に取り入ろうとしていた。
当時の俺は純粋で、自分に本当に才能がある、と思い込んでしまい、ロクに訓練も積まないで訓練校に入学した。最初は同じような理由で入学した連中と肩を並べていたが、徐々にそいつらから距離を置かれるようになった。
理由は明白。俺が有名どころの生まれだからだ。
クラスどころか、学年、学校全体から『そういう目』で見られ、孤立していった。ついこの間まで仲間だと思っていた奴らが、俺の事を腫物のように扱い始めたのだ。
教師共は、貴方の為、君の為に、とか頼んでもいない事を無理やり押し付けて、勝手に祭り上げようとする。だけど俺にはそれに応えられるだけの才能なんてなくて、ただの世間知らずのガキで、虐めのような個人授業にひたすら耐える事しか出来なかった。
学校には居場所がない。街に出ても『そういう目』で見られる。家に帰っても、親父達は成績の事ばかり聞いてくる。
もううんざりだ。誰でもいいから、俺を普通のガキにしてくれ。
寝る前にいつも、そんな事を考えていた。
・・・
真夜中に目が覚めた。いつもの重苦しい夢から無理やり俺を覚醒させたのは、ノック音。
「――誰だよ」
何度も何度もやかましく鳴り響いてくる。火事か緊急出撃か、と思わせるくらいにしつこい。あのドアは朝の襲撃によって破壊されていたが、どうにか応急処置にまで治す事が出来たのだ。あまり手荒に扱って欲しくはない。
「……そういや、朝にもこんな感じでノックされてなかったか?」
ノック音の感覚。鳴り響く力加減。そして、徐々に大きくなっていく音。
堪らなく嫌な予感がした。
「待て待て待て、流石にそれは無――」
「入るわよー?」
既視感。
そして、飛来物。
「うおぁっ!」
だが、それ故に被害を免れた。応急処置の努力を一秒未満で無駄にしてドアが飛んできたが、身体を捩じり、何とか回避する事が出来た。
「へっ! そう何度も喰らいやしねぇよ!」
破壊された入口には、やはりと言うか何というか、思った通りの人物がいた。その人物、シャーランは遠慮も悪びれもせずに部屋に入り、俺の前に立った。
「おい馬鹿女! こんな真夜中に何しに、――臭っ!?」
目の前の女性は目が据わっており、顔も赤い。加えて吐息は酒臭く、ただ事ではない雰囲気が漂っている。
「いやー、知り合いと飲んでたら遅くなっちゃったわー。タイチョーに怒られてあっちで寝にくいし、ここで寝かせて?」
「――はぁ!?」
酔っ払いが、何やらとんでもない事を口走っていた。
「ななな何で俺の部屋なんだよ!?」
「だって他に部屋ないじゃなーい。私、床でも寝れるから心配ないよー? アンタが多感なお年頃だってのは知ってるから、今日はちゃんと服着て寝るよー」
「そういう意味で聞いてるんじゃねぇよ!」
普段は裸で寝ていると言うのか。
――……いやいや、俺は何を考えてるんだよ!
突然湧いた余計な思考を頭を振ってうち消し、
「俺の部屋で寝るのを誰が許可したってんだよ!?」
「部隊の人間の男女が一緒に寝ちゃいけない、っていう決まりはないじゃない。ハミハミとアネーがそうなんだし、問題ないでしょ?」
昨日は隊長のトコのベッドで寝てたからねー、と言う女に、俺は戦慄した。確かに、望ましくない、褒められる事ではないというだけで、やってはいけない事ではない。
「だからって何で俺なんだよ!」
「二人の部屋には入れないし、タイチョーのトコには行きにくいし、……えーと、あの子なんて言うんだっけ。エモリカ?」
「エミリアか?」
「そうそう。何か知らないんだけど、どうもあの子に嫌われてるらしくって」
言われて見れば今朝からエミリアの奴は調子が変だった。まあ、俺の気にする事ではないので無視してたが。
「だから、空いてるアンタの部屋に来たって訳。明日寝坊しなくて済むから助かるでしょ?」
「起こしてくれなんて頼んでねぇだろ! 余計な事するんじゃねぇ! 出て――」
「――タイチョーから聞いたんだけど、アンタ寝坊の常習犯らしいねー?」
出て行け、と言うよりも先に、バカ女が喋る方が早かった。酔っ払った顔を面白そうに歪め、意地の悪い目で俺の事を見ている。
「もし明日起きれなかったら、また……」
フフフ、と含み笑いをする女に寒気を感じた。
ヤバイ。この女を部屋で寝かせて起こされるのはヤバイが、もし明日起きれなくて起こされた場合、それ以上にヤバイ結末が待っている気がする。いや、確信がある。
実を言うと、俺は朝が超苦手だ。どう頑張っても、時間通りに起きれた事など殆どない。現に、四年前にこの部隊に配属されて以来、最初の数回だけしか起きれた記憶がないのだ。
やる気の問題だろうが、実際に弱いのだ。
意地を張って×××されるか、プライドを捨てるか。
「……クソッ、分かったよ! 好きにしろ!」
俺は、プライドを捨てる事にした。してしまった。
吐き捨てた言葉の後、思わず膝をついてしまいそうになるほどの屈辱感を味わった。
「お願いします、でしょ?」
「お願いしますこのクソ女ぁ!」
ふふん、と得意げに鼻で笑い、馬鹿女は何処に持っていたのか、枕を取り出し、置いた。
俺のベッドの上に。
「――何をやってるんだぁぁぁぁぁぁ!?」
つい先ほど床でも寝られる、と言った人間が今、まさに俺と同衾しようとしているじゃないか。俺が言えた義理じゃないが、教団員が、曲がりなりにも結婚前の男女が同衾していい筈がないだろう。
「好きにしろ、って言ったじゃない。流石に『寝られる』とは言ったけど別に『寝たい』訳じゃないわ」
不味い事を言ってしまった気がした。完全に、この女に場の主導権を持っていかれている。ここで何か反論しなければ、酔っ払いに全部取られて俺が床で寝る羽目になりそうだ。
「ほらほらー、添い寝したげるから寝ようよー」
床で寝た方がマシだった。
――お前に添い寝されて、無事に明日の朝日が拝めると思えねぇ!
確証はないが、この女には抱き癖があるような気がする。何となくそんな感じだ。ラミアに巻き付かれるように、そのまま全身の骨という骨を破壊され、次の日には起こしても目の覚めない変死体になっていそうで怖い。
「断固お断りだ! クッソ掛け布団貸せ、俺は床で――」
「うーるさーい!」
「へあっ!?」
襟首を掴まれ、放るようにベッドへ投げ飛ばされた。
「私はもう眠いんだから、ゴチャゴチャ言ってるんじゃないの。そんな余計な事考えてるから寝坊するのよ」
流れるような動作で掛け布団を掴み、被せられてしまった。
目の前には女の顔。吐息が酒臭い事を除けば、文句なしに綺麗と言える。
触れる肌が体温を伝えてきて、意識していないにもかかわらず心臓の鼓動を早める。
――……近ぇっ!?
しかし、目の前の女は俺の事などお構いなしに瞼を閉じ、今にも夢の世界へ旅立ってしまいそうだった。
「――クソッ! やっぱり一緒になんか寝られるかっ!」
「むー、そんなに私とはやなの?」
既に睡眠体勢に入っているのか、声に気だるさが含まれている。
――嫌、って訳じゃ、ねぇけど。
俺だって一応、男だ。その、『そういう事』に関して興味はある。そしてもちろん、『そういう事』は綺麗な異性とやりたいと思っている。
その点、この女は外見だけなら合格だ。
そんじょそこらの女にはない『違い』があって、それがコイツを引き立てている。
エミリアが『可愛い』系の外見ならば、コイツは『カッコいい』系だ。他の女のように群れず、陰湿でなくて、自分の道を突き進む。
だからこそ、今、俺の心臓は高鳴っているんだろう。
――だから何を考えてるんだって、俺!?
訳の分からない熱でのぼせあがった思考を振り払って前を見ると、
「ぐー」
「人が悩んでる最中に熟睡するなぁぁぁぁぁぁ!」
「さっきからうるさいわねー。アンタ何様のつもり?」
この部屋の主のつもりだよチクショウ。
「てか何を悩んでるのよ。女の子と一緒に寝た事ないの?」
「ある訳ねぇだろ!?」
教団の人間で、結婚前に女と同衾した事のある奴なんて、そうそう居ないんじゃないだろうか。ていうか居てたまるか。
「まあそうよねー。私も初めてだし」
え。
「緊張したりする、って聞いてたけど、そんな事全くないわー。何でか知らないけど」
それは俺を異性として見てないからじゃねぇのか。そう思い、男としてのプライドが瓦解する音が聞こえ、沈みそうになる。
「――ち、違ぇ!」
俺はこんな暴力女に対して何も思っちゃいねぇ。いくら外面が綺麗でも、事あるごとに理不尽振り回すような女、こっちからゴメンだ。
「まったく、じゃあ何が嫌なのよ。――下らない理由だったら無理やり寝かしつけるから」
「……は? え、ちょ、待て!」
あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべると同時に、毛布の下からポキポキと軽快な音がくぐもって聞こえた。指の関節を鳴らしているのだろう。
――シャレにならねぇっ!
この距離で打撃技は考えにくい。あるとすれば、関節技による昏倒だ。それはつまり、酸欠で気絶させられる事。そんな眠りのつき方は絶対に嫌だ。
かといって、コイツを納得させられる理由が見当たらない。異性として気にしているから、なんて口が裂けても言えないし、一人で寝たいから、なんて理由は既に使えない。酒臭いから、なんて言った日には、
『よーし、臭いが気にならなくしてやろーう!』
などと言って、首を絞めてくるんじゃないだろうか。
――万事休すか!? ……や、ちょっと待て。
いや、あった。この女を納得させる理由。
今朝から抱えていた疑問。理不尽に扱われている事を考えれば、普通ならば絶対に答えてはくれない。だからこそ、これを理由にする。
「――お前が何を考えてるのか分からないんだよ」
それが気に食わない。
今まで俺に関わってきた奴は、だいたいが権力のおこぼれを狙おうとしてたり、今の内に恩を売って将来的に得をしようとしてた。たまにそうじゃない奴も居たけど、そういう奴は俺に関わろうとしなかった。
なのに、この女は、俺の事情を知った上で関わってきた。へりくだる事も、ゴマを摺る事もしない。無能と嗤う事も、蔑む事もせず、俺を殴りに来たんだ。
「教えてくれ。お前は、何で俺にこんな事するんだ?」
自分からは何も言ってくれないこの女の真意を、俺は知りたかった。強くて滅茶苦茶で、それでいて俺の事をただのワガママなガキとして見ているのは、何でなのか。
「何で、って。私にとってこうするのが当然だからよ?」
他に何があるのか、という表情に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「アンタ、『大将軍の孫』って名前?」
「は?」
「同じ事何度も言わせないでよ。アンタの名前は、『大将軍の孫』って言うのか聞いてんの」
「違ぇよ! そんな名前じゃねぇ!」
「じゃあ『将軍の息子』?」
「それでもねぇよ!」
だったらさ、
「アンタの名前は、何?」
そんなの、決まっている。
「――レイブン。俺は、レイブンだ!」
俺は『大将軍の孫』でも、『将軍の息子』でもない。ましてや『神官の子供』なんかじゃないんだ。俺にすり寄って来た貴族共、俺を避けていた奴ら、全員聞けよ。
俺は、俺なんだよ。
ん、と小さく頷いた後、女は、
「誰がどう思おうと、アンタはアンタでしょ? 大層な肩書持ってるけど、ただの生意気なガキンチョでしかない。期待に応えようと努力してるのでなく、親と完全に縁を切って別の道に挑もうとしてる訳でもない、ただの文句垂れてるだけのガキンチョ。そんなのに気を遣うなんて、私は嫌よ」
この女は、最初から俺の事を色眼鏡なしで見ていたのだろう。俺の事情になんか関心を一切持たないで、ただ『同じ部隊の人間だったから』という理由で年下の俺を叱りに来てくれたのだろう。
それはつまり、俺の事を一人の人間として扱っていた訳で。
今まで誰もしてくれなかった事を、さも当然のようにしてくれて。
――ぁ。
自覚した瞬間、目頭が熱くなってきた。
その、何と言うか、嬉しかったのだ。生まれて初めて一人の人間として見てもらえた事が、だ。自分でも安っぽいとは思うが、それでも前が霞んで見えなくなっていく。
「生意気なガキンチョにはお灸を据える必要があるでしょ? だから私は――」
ふと、そこで女の声が止まった。
「……? だから、何だよ」
湿った瞳を擦り、視界を元に戻す。するとそこには、
「――ぐぅ」
「はぁ!?」
すやすやと笑顔で、涎を垂らしながら眠る顔があった。出会った当初から期待してはいなかったが、ここまではしたない有様とは。
――男が涙を軽々しく流すんじゃない、笑っていろ、って事なのか?
勝手な想像だ。しかし、彼女の顔がそう言っているようで、気が付けば俺の口は笑みを形作っていた。
「……さ、サンキュー、な」
不慣れと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、聞こえないような小さい声で礼を言った。
――……いや、起きてる時に言わねぇと、また殴られそうだな。
初めて得た感情に踊らされながら、俺は人生最高潮の眠りに就いた。
13/09/04 22:50更新 / イブシャケ
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