シロツメクサのおやくそく
今日は日曜日。小学校はお休みで、お外もいい天気。ここしばらくは雨が続いてお外で遊べなかったから、今日はうんと駆け回りたい。
「おとーさん、おかーさん、いってきまーす!」
朝ごはんとお片付けを済ませてから、ぼくは家から飛びだした。
まったく、元気があるのは良いことだけどもうちょっと落ち着いてくれないかしら。男の子はあれくらい元気な方がいいよ。そんな二人のお話しも耳に入らないくらいにぼくは夢中になって駆けていた。
行先は家の裏手から少し離れた小さなお山。道路もなければ信号機もなくて、ぼくみたいな子供が集まって秘密基地を作っているかもしれない、そんな山。
そこでぼくは誰にもないしょの秘密を見つけたのだ。
「おーい! やっほー!」
すっかり通り慣れた獣道を抜け、洞穴の前で大きな声を出す。ここは山のてっぺんではないけれど、もし起きていたら返事を返してくれるはず。
「やっほー!」
穴の中から甲高い声。どどどどと地面が揺れる音が、だんだんとぼくの方へ向かってくる。自転車や自動車がぼくめがけて走ってくるようなそんな音。だけどぼくはちっとも怖くなかった。
「おっす!」
音の主はぼくの目の前で止まると、びしっと右手をあげてあいさつをした。ぼくよりも一回り大きくて、髪の長い女の子。大きくて硬くて、そして立派な爪がきらきらと光っている手をあげたままひらひらと動かしている。
「ワームちゃん、おっす!」
ぼくは、ワームちゃんがあげた右手めがけてめいっぱいに手を伸ばした。ぱぁんと小気味いい音のするハイタッチ。にししと笑うワームちゃんに、ぼくも嬉しくなって、そして少しだけ悔しかった。
「ざーんねん、まだまだあーしのほうがおっきいなー?」
ワームちゃんは両手で軽々とぼくを抱えて視線を合わせると、ぎざぎざの歯をむき出しにして笑うのだった。
「さびしかったぞー! 元気だったか?」
「うん!」
「そっかそっかー! それじゃあ今日はたっくさんあそべるなー!」
足の代わりに生えている尻尾をぶんぶん揺らし、ごつごつした手とやわらかい体で包まれる。ちょっぴり恥ずかしいけれど、ワームちゃんなりのあいさつのようなものだと分かっているので、いつもガマンしている。
「さっ、さっそく行こーぜ! あーしのせなかから手をはなすんじゃないぞ?」
ひょいと背中に乗せられておんぶのかたち。えいえいおー、とこぶしをあげてから、ワームちゃんはぼくを乗せて山道を上へ上へと登りだした。
「きょうはどこであそぼっか?」
ぼくはワームちゃんの背中で揺られながら訊ねてみる。ワームちゃんはぼくよりおっきいはずなのに、時々すごいうっかりをすることがあるからだ。どこに行こうかあれこれ考えながら走ったおかげで、めちゃくちゃな山道を作ったことは一回や二回じゃない。
「んーっと、そーだなー……そうだ! 雨があがったから見せたいものがあるんだ!」
最後まで言い切らないうちに、ぐるりと九十度向きが変わる。勢いでふわりと浮いた体は、尻尾で優しく受け止められた。
「たしかこっちだったはず! そんな気がする!」
「だいじょうぶ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ! もしまちがったらその分がんばるからへーき!」
ぼくの方を振り向いてにぃっと笑うワームちゃん。頭や角に木の枝がぶつかっているけれど、ワームちゃんは痛がるそぶりすら見せなかった。
「まえ、まえみないとあぶないよ!」
「へーきへーき、だいじょーぶだって! さ、いそぐぞー!」
ぼくが走るよりも、自転車に乗るよりもずっとずっと速く駆けていく。怖くないといったら嘘になるけれど、広い場所でかけっこやおにごっこをするのはとても楽しかったし、背中に乗って景色がすごい勢いで後ろに流れていくのは気持ちよかった。
「──むぎゅ!」
「だからまえみてっていったのに……」
「へへへ、だいじょーぶだいじょーぶ……ほらな?」
でも今みたいに、おっきな木の幹にぶつかった時に照れ笑いで誤魔化すのは直してほしいなとも思うぼくであった。
§
「ついたぞー! ここだここ!」
「わぁ……!」
ワームちゃんの背中から下りて辺りを見渡す。そこには雲一つない青空と、その下で咲き誇る色とりどりの花があった。
「すげーだろ! 雨がふったあとは花がきらきらしてるんだぞ!」
ワームちゃんの言う通り、雨に濡れた花や草が太陽の陽射しを浴びてきらきらと光輝いている。赤色や黄色、紫色に白色。ぼくはお花に詳しくないけれど、この光景は誰かに自慢したくなることはとてもよく分かった。
「ワームちゃんはこのばしょをいつみつけたの?」
「わすれた!」
あららとずっこける。いばって言うことじゃないと思う。
「けど、もしともだちができたら見せてやりたいってずっとおもってたんだ!」
な、すげーだろ? すげーよな? そう言ってワームちゃんは胸をはった。両手を腰に当てて自慢げにふんぞり返る。おっきな体をさらにおっきく見せているはずなのに、尻尾をぶんぶん振っているからか人懐っこい子犬のようにも見える。ほめてほめてと言ってそうな気さえする。
「うん、すごいけしきだよ! ワームちゃん、ありがと!」
ぼくははしゃいでお礼を言うと、下りてきたワームちゃんの頭をよしよししてあげた。でへへ、そっかそっかー、うれしいかー、撫でられたワームちゃんはしばらくの間とても嬉しそうににへにへ笑い顔を見せていた。
がしかし、その笑い顔は突然なくなってしまった。屈んでいた身を起こすと、その表情は何もなかったかのような真顔に戻ってしまう。
「それじゃ行こっか」
「えっ? いくってどこへ?」
「いつもの広場だよ、ここじゃ思いっきり遊べないだろ?」
あっけらかんと軽い口調でそんなことを言われてしまい、ぼくは上手に返事ができなかった。
「だってあーし、体おっきいからさ……ここで遊んだらお花がつぶれちゃうだろ?」
そうだ。ワームちゃんのおっきな体で駆けまわれば、あちこちを荒らしてしまうだろう。何せ、ワームちゃんが通った跡は山道になっているくらいだ。綺麗に咲いているお花畑で動き回ってしまったらどうなるか、ワームちゃんはそれを知ってしまっている。
きっと、ワームちゃんはお花が好きで、だからこそこの場所を教えてあげたかったのだ。そして、自分の体ではお花と一緒に遊ぶことは難しいことも知っているみたいだ。
「それにこーいうとこって、あーしには似合わないっていうか……ほら! もういいだろ!」
そんなことより早くかけっこしようぜと言ったきり、ワームちゃんは元来た道の方を向いてしまった。ちらと見えた、見えてしまった、照れくさそうな、寂しそうな表情。
(せっかくすてきなけしきをみせてもらったのに、ざんねんだな)
ワームちゃんのそんな顔を見てしまい、ぼくはいたたまれない気持ちになった。ワームちゃんの言っていることは間違っていないし、悪気はないことは分かっている。けれど、せっかく見せてくれた素敵な景色という思い出に寂しい気持ちが入り込むのは、どうしても納得いかなかった。
(どうしたらワームちゃんはよろこんでくれるんだろう)
「どうしたんだよー? 早く行こうぜー!」
「もうちょっとまってー!」
何かいい方法がないかと辺りをきょろきょろ見回す。すると、ひとつの白い花がぼくの目に留まった。たしか、シロツメクサって名前だっけ。クラスの女の子が集めていたことを思い出す。
「そうだ!」
ぼくはシロツメクサがたくさん生えているところに駆け寄ると、その中一本の茎をつまんだ。
(お花さん、ごめんなさい)
ぷつりと音を立てて茎が離れる。同じように他の茎も摘まんで摘み取っていく。たしかこうやっていたはず、と思い出しながら茎と茎とを結い合わせ繋げていく。
(──できた!)
最後に茎同士を繋げると、ひとつの輪っかが完成した。はじめて作ったからところどころがよれたりしているけれど、ちゃんと輪っかの、冠のかたちができている。
「ワームちゃん!」
「お、おう」
振り向いてワームちゃんに声をかける。シロツメクサの冠は後ろに回した手で隠しているので、ワームちゃんからは見えていないはずだ。
ワームちゃんはぼくが何をしていたのか分かっていないみたいだ。夢中になって何かをしていたかと思えば、突然声をかけてきたぼくの様子に戸惑っているみたいだった。
「ちょっとめをつぶってて」
「目を? どうしたんだよ?」
「いいから! かがんでかがんで」
ぼくに言われるまま、ワームちゃんはぼくの目の前に頭を差し出してきた。角で傷つかないよう、そっと冠を乗せる。ワームちゃんの頭と比べると冠は少し小さかったみたいで、ちょこんと乗ってる様はかわいらしく見えた。
「うん! もうめをあけていいよ!」
「ん」
ワームちゃんはゆっくり体を起こすと、不思議そうな顔でぼくを見つめた。
「なんか頭にのっけた?」
「かんむりだよ! おはなのかんむり!」
どれどれと、ワームちゃんは頭を手探りで探しだした。探し出してすぐに、角で引っかかった冠に爪が触れる。ワームちゃんはゆっくりと冠を壊さないように持ち上げて、おそるおそる自分の目の前まで持ってきた。
「……これを、あーしに?」
「うん!」
その後、ぼくはワームちゃんに何を言ったのかは、あんまりよく覚えていない。ワームちゃんがお花さんが好きそうだったから。お花さんのことを大事にしていたから。お花さんと一緒に遊べなくてもせめてお花さんと一緒にいるところを見たかったから。お花さんにはかわいそうなことをしちゃったけど、でも、ワームちゃんがお花さんみたいに笑っていてくれるほうがぼくも嬉しいから。
「だから、その、えっとね、はじめてだったけど、かんむりつくって、かぶってほしくて、げんきだしてほしいって……」
夢中になってそこまで言ったところで、声が出なくなってしまう。胸の奥が、かけっこをした後みたいにどくんどくん音を立てている。喉がからからで、顔中が火照ったように熱い。
ワームちゃんは何も言わず、ただ立っていた。笑ってもいないし、喜んでもいない。俯いているのでどんな顔をしているのか、ぼくからは分からなかった。
「あの、ワームちゃん……?」
ワームちゃんがこんなに長い時間黙っているのは初めてだ。もしかしたらお花を摘んだことを怒られるかもしれない。そう思ったぼくが怖くなったころ、ようやくワームちゃんは俯いたまま、ぽつりと口にした。
「……もっかい、のせてほしい。あたまに」
おずおずと差し出された冠。爪と爪の間で挟まれている茎が、ふるふると震えていた。
「その、あーしが持ってると……かんむり、こわしちゃうから……」
「……! う、うん!」
ぼくは慌てて冠を受け取ると、もう一度ワームちゃんの頭の上にゆっくりと乗せた。胸の奥の音が全身に広がっていて震えが止まらない。さっきよりもずっとずっと長い時間をかけて、やっと冠をかぶせることができた。
「の、のっけたよ」
ぼくの言葉を聞いて、、ワームちゃんはむくりと体をもたげた。おもむろに首を右に左に振る。角と角の間にはまった冠は、ずれることなく頭に収まっていた。
「……似合う?」
「にあってるよ!」
「……ほんと? ほんとのほんと?」
こくこく頷いてみせると、ワームちゃんはようやく顔をほころばせて笑ってくれた。顔中まっかっかで、照れくさそうににやにやしながらそっか、そっかと何度も何度も繰り返している。
「これ、あーしの宝物にするよ。だいじにする」
「うん! ……でも、つんじゃったおはなは、いつかはかれちゃうよ」
「それでもだいじにする。……ぜったい、ぜったいわすれないから」
ワームちゃんは真っすぐにぼくを見つめて、胸の前でぎゅっと両手を握って、そう言ってくれた。
これまで見たことないくらいワームちゃんがよろこんでくれて、ぼくも同じくらい嬉しかった。ワームちゃんが忘れないって言ってくれたように、ぼくもこの思い出は絶対忘れない。大切な、二人だけの秘密の思い出。
「……そうだ! ワームちゃん、ぜったい、ぜったいにわすれない、いいほうほうがあるんだ!」
§
「ゆびをにほんたてて、のこりはぎゅってにぎってね」
「これであってるか?」
「そうそう、それでそのままかおのよこまでもっていって」
「かおのよこ……ここか」
「ワームちゃん、わらってわらってー」
「……お、おう。なんだか、てれくさいな」
「はい、チーズ」
パシャリ。
ぼくの指の合間にワームちゃんが映る。白い花冠を頭に乗せて、色とりどりに咲き誇る花に囲まれて。
ぎこちなくはにかんだワームちゃんの笑みを、ぼくはこの先ずっと忘れることはないだろう。
「おとーさん、おかーさん、いってきまーす!」
朝ごはんとお片付けを済ませてから、ぼくは家から飛びだした。
まったく、元気があるのは良いことだけどもうちょっと落ち着いてくれないかしら。男の子はあれくらい元気な方がいいよ。そんな二人のお話しも耳に入らないくらいにぼくは夢中になって駆けていた。
行先は家の裏手から少し離れた小さなお山。道路もなければ信号機もなくて、ぼくみたいな子供が集まって秘密基地を作っているかもしれない、そんな山。
そこでぼくは誰にもないしょの秘密を見つけたのだ。
「おーい! やっほー!」
すっかり通り慣れた獣道を抜け、洞穴の前で大きな声を出す。ここは山のてっぺんではないけれど、もし起きていたら返事を返してくれるはず。
「やっほー!」
穴の中から甲高い声。どどどどと地面が揺れる音が、だんだんとぼくの方へ向かってくる。自転車や自動車がぼくめがけて走ってくるようなそんな音。だけどぼくはちっとも怖くなかった。
「おっす!」
音の主はぼくの目の前で止まると、びしっと右手をあげてあいさつをした。ぼくよりも一回り大きくて、髪の長い女の子。大きくて硬くて、そして立派な爪がきらきらと光っている手をあげたままひらひらと動かしている。
「ワームちゃん、おっす!」
ぼくは、ワームちゃんがあげた右手めがけてめいっぱいに手を伸ばした。ぱぁんと小気味いい音のするハイタッチ。にししと笑うワームちゃんに、ぼくも嬉しくなって、そして少しだけ悔しかった。
「ざーんねん、まだまだあーしのほうがおっきいなー?」
ワームちゃんは両手で軽々とぼくを抱えて視線を合わせると、ぎざぎざの歯をむき出しにして笑うのだった。
「さびしかったぞー! 元気だったか?」
「うん!」
「そっかそっかー! それじゃあ今日はたっくさんあそべるなー!」
足の代わりに生えている尻尾をぶんぶん揺らし、ごつごつした手とやわらかい体で包まれる。ちょっぴり恥ずかしいけれど、ワームちゃんなりのあいさつのようなものだと分かっているので、いつもガマンしている。
「さっ、さっそく行こーぜ! あーしのせなかから手をはなすんじゃないぞ?」
ひょいと背中に乗せられておんぶのかたち。えいえいおー、とこぶしをあげてから、ワームちゃんはぼくを乗せて山道を上へ上へと登りだした。
「きょうはどこであそぼっか?」
ぼくはワームちゃんの背中で揺られながら訊ねてみる。ワームちゃんはぼくよりおっきいはずなのに、時々すごいうっかりをすることがあるからだ。どこに行こうかあれこれ考えながら走ったおかげで、めちゃくちゃな山道を作ったことは一回や二回じゃない。
「んーっと、そーだなー……そうだ! 雨があがったから見せたいものがあるんだ!」
最後まで言い切らないうちに、ぐるりと九十度向きが変わる。勢いでふわりと浮いた体は、尻尾で優しく受け止められた。
「たしかこっちだったはず! そんな気がする!」
「だいじょうぶ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ! もしまちがったらその分がんばるからへーき!」
ぼくの方を振り向いてにぃっと笑うワームちゃん。頭や角に木の枝がぶつかっているけれど、ワームちゃんは痛がるそぶりすら見せなかった。
「まえ、まえみないとあぶないよ!」
「へーきへーき、だいじょーぶだって! さ、いそぐぞー!」
ぼくが走るよりも、自転車に乗るよりもずっとずっと速く駆けていく。怖くないといったら嘘になるけれど、広い場所でかけっこやおにごっこをするのはとても楽しかったし、背中に乗って景色がすごい勢いで後ろに流れていくのは気持ちよかった。
「──むぎゅ!」
「だからまえみてっていったのに……」
「へへへ、だいじょーぶだいじょーぶ……ほらな?」
でも今みたいに、おっきな木の幹にぶつかった時に照れ笑いで誤魔化すのは直してほしいなとも思うぼくであった。
§
「ついたぞー! ここだここ!」
「わぁ……!」
ワームちゃんの背中から下りて辺りを見渡す。そこには雲一つない青空と、その下で咲き誇る色とりどりの花があった。
「すげーだろ! 雨がふったあとは花がきらきらしてるんだぞ!」
ワームちゃんの言う通り、雨に濡れた花や草が太陽の陽射しを浴びてきらきらと光輝いている。赤色や黄色、紫色に白色。ぼくはお花に詳しくないけれど、この光景は誰かに自慢したくなることはとてもよく分かった。
「ワームちゃんはこのばしょをいつみつけたの?」
「わすれた!」
あららとずっこける。いばって言うことじゃないと思う。
「けど、もしともだちができたら見せてやりたいってずっとおもってたんだ!」
な、すげーだろ? すげーよな? そう言ってワームちゃんは胸をはった。両手を腰に当てて自慢げにふんぞり返る。おっきな体をさらにおっきく見せているはずなのに、尻尾をぶんぶん振っているからか人懐っこい子犬のようにも見える。ほめてほめてと言ってそうな気さえする。
「うん、すごいけしきだよ! ワームちゃん、ありがと!」
ぼくははしゃいでお礼を言うと、下りてきたワームちゃんの頭をよしよししてあげた。でへへ、そっかそっかー、うれしいかー、撫でられたワームちゃんはしばらくの間とても嬉しそうににへにへ笑い顔を見せていた。
がしかし、その笑い顔は突然なくなってしまった。屈んでいた身を起こすと、その表情は何もなかったかのような真顔に戻ってしまう。
「それじゃ行こっか」
「えっ? いくってどこへ?」
「いつもの広場だよ、ここじゃ思いっきり遊べないだろ?」
あっけらかんと軽い口調でそんなことを言われてしまい、ぼくは上手に返事ができなかった。
「だってあーし、体おっきいからさ……ここで遊んだらお花がつぶれちゃうだろ?」
そうだ。ワームちゃんのおっきな体で駆けまわれば、あちこちを荒らしてしまうだろう。何せ、ワームちゃんが通った跡は山道になっているくらいだ。綺麗に咲いているお花畑で動き回ってしまったらどうなるか、ワームちゃんはそれを知ってしまっている。
きっと、ワームちゃんはお花が好きで、だからこそこの場所を教えてあげたかったのだ。そして、自分の体ではお花と一緒に遊ぶことは難しいことも知っているみたいだ。
「それにこーいうとこって、あーしには似合わないっていうか……ほら! もういいだろ!」
そんなことより早くかけっこしようぜと言ったきり、ワームちゃんは元来た道の方を向いてしまった。ちらと見えた、見えてしまった、照れくさそうな、寂しそうな表情。
(せっかくすてきなけしきをみせてもらったのに、ざんねんだな)
ワームちゃんのそんな顔を見てしまい、ぼくはいたたまれない気持ちになった。ワームちゃんの言っていることは間違っていないし、悪気はないことは分かっている。けれど、せっかく見せてくれた素敵な景色という思い出に寂しい気持ちが入り込むのは、どうしても納得いかなかった。
(どうしたらワームちゃんはよろこんでくれるんだろう)
「どうしたんだよー? 早く行こうぜー!」
「もうちょっとまってー!」
何かいい方法がないかと辺りをきょろきょろ見回す。すると、ひとつの白い花がぼくの目に留まった。たしか、シロツメクサって名前だっけ。クラスの女の子が集めていたことを思い出す。
「そうだ!」
ぼくはシロツメクサがたくさん生えているところに駆け寄ると、その中一本の茎をつまんだ。
(お花さん、ごめんなさい)
ぷつりと音を立てて茎が離れる。同じように他の茎も摘まんで摘み取っていく。たしかこうやっていたはず、と思い出しながら茎と茎とを結い合わせ繋げていく。
(──できた!)
最後に茎同士を繋げると、ひとつの輪っかが完成した。はじめて作ったからところどころがよれたりしているけれど、ちゃんと輪っかの、冠のかたちができている。
「ワームちゃん!」
「お、おう」
振り向いてワームちゃんに声をかける。シロツメクサの冠は後ろに回した手で隠しているので、ワームちゃんからは見えていないはずだ。
ワームちゃんはぼくが何をしていたのか分かっていないみたいだ。夢中になって何かをしていたかと思えば、突然声をかけてきたぼくの様子に戸惑っているみたいだった。
「ちょっとめをつぶってて」
「目を? どうしたんだよ?」
「いいから! かがんでかがんで」
ぼくに言われるまま、ワームちゃんはぼくの目の前に頭を差し出してきた。角で傷つかないよう、そっと冠を乗せる。ワームちゃんの頭と比べると冠は少し小さかったみたいで、ちょこんと乗ってる様はかわいらしく見えた。
「うん! もうめをあけていいよ!」
「ん」
ワームちゃんはゆっくり体を起こすと、不思議そうな顔でぼくを見つめた。
「なんか頭にのっけた?」
「かんむりだよ! おはなのかんむり!」
どれどれと、ワームちゃんは頭を手探りで探しだした。探し出してすぐに、角で引っかかった冠に爪が触れる。ワームちゃんはゆっくりと冠を壊さないように持ち上げて、おそるおそる自分の目の前まで持ってきた。
「……これを、あーしに?」
「うん!」
その後、ぼくはワームちゃんに何を言ったのかは、あんまりよく覚えていない。ワームちゃんがお花さんが好きそうだったから。お花さんのことを大事にしていたから。お花さんと一緒に遊べなくてもせめてお花さんと一緒にいるところを見たかったから。お花さんにはかわいそうなことをしちゃったけど、でも、ワームちゃんがお花さんみたいに笑っていてくれるほうがぼくも嬉しいから。
「だから、その、えっとね、はじめてだったけど、かんむりつくって、かぶってほしくて、げんきだしてほしいって……」
夢中になってそこまで言ったところで、声が出なくなってしまう。胸の奥が、かけっこをした後みたいにどくんどくん音を立てている。喉がからからで、顔中が火照ったように熱い。
ワームちゃんは何も言わず、ただ立っていた。笑ってもいないし、喜んでもいない。俯いているのでどんな顔をしているのか、ぼくからは分からなかった。
「あの、ワームちゃん……?」
ワームちゃんがこんなに長い時間黙っているのは初めてだ。もしかしたらお花を摘んだことを怒られるかもしれない。そう思ったぼくが怖くなったころ、ようやくワームちゃんは俯いたまま、ぽつりと口にした。
「……もっかい、のせてほしい。あたまに」
おずおずと差し出された冠。爪と爪の間で挟まれている茎が、ふるふると震えていた。
「その、あーしが持ってると……かんむり、こわしちゃうから……」
「……! う、うん!」
ぼくは慌てて冠を受け取ると、もう一度ワームちゃんの頭の上にゆっくりと乗せた。胸の奥の音が全身に広がっていて震えが止まらない。さっきよりもずっとずっと長い時間をかけて、やっと冠をかぶせることができた。
「の、のっけたよ」
ぼくの言葉を聞いて、、ワームちゃんはむくりと体をもたげた。おもむろに首を右に左に振る。角と角の間にはまった冠は、ずれることなく頭に収まっていた。
「……似合う?」
「にあってるよ!」
「……ほんと? ほんとのほんと?」
こくこく頷いてみせると、ワームちゃんはようやく顔をほころばせて笑ってくれた。顔中まっかっかで、照れくさそうににやにやしながらそっか、そっかと何度も何度も繰り返している。
「これ、あーしの宝物にするよ。だいじにする」
「うん! ……でも、つんじゃったおはなは、いつかはかれちゃうよ」
「それでもだいじにする。……ぜったい、ぜったいわすれないから」
ワームちゃんは真っすぐにぼくを見つめて、胸の前でぎゅっと両手を握って、そう言ってくれた。
これまで見たことないくらいワームちゃんがよろこんでくれて、ぼくも同じくらい嬉しかった。ワームちゃんが忘れないって言ってくれたように、ぼくもこの思い出は絶対忘れない。大切な、二人だけの秘密の思い出。
「……そうだ! ワームちゃん、ぜったい、ぜったいにわすれない、いいほうほうがあるんだ!」
§
「ゆびをにほんたてて、のこりはぎゅってにぎってね」
「これであってるか?」
「そうそう、それでそのままかおのよこまでもっていって」
「かおのよこ……ここか」
「ワームちゃん、わらってわらってー」
「……お、おう。なんだか、てれくさいな」
「はい、チーズ」
パシャリ。
ぼくの指の合間にワームちゃんが映る。白い花冠を頭に乗せて、色とりどりに咲き誇る花に囲まれて。
ぎこちなくはにかんだワームちゃんの笑みを、ぼくはこの先ずっと忘れることはないだろう。
23/06/01 20:23更新 / ナナシ