ねっちゅうしよう
幼馴染とは便利な言葉だ。小さな頃からの知己だった、ただそれだけの事実一つで、身分や性別、しきたりといった垣根を乗り越えて気兼ねないつきあいができるのだから。
もっとも、適切な関係が得られるかは努力に時の運も絡むが。
『ねー、エアコンの温度もうちょい下げてー』
俺の場合、お相手はどこかのお偉いお貴族様の一人娘、ダンピールだった。血は吸わないそうだが、人にたかって甘い汁を吸う特性があるようだ。寄生されるばかりでは面白くない。かといって舌戦ではとても敵わない。目下の悩みである。
『扇風機の風あっちにやってー、風邪ひいちゃうよボク』
そんなことをのたまった寄生虫、もとい幼馴染は、ごろりと人のベッドの上で転がった。ノーガードのお腹を庇うようなうつ伏せの恰好で、ちょっぴりふてくされたような顔。
風邪引くくらいならそのへそ出しルックを止めりゃあいいだろうに。
『なあに、そんな目してさ』
紅の瞳がこちらを射抜く。同時に口の端が吊り上がり、薄笑いの表情が浮かぶ。こんな風にこいつの顔が歪んだときはだいたいロクでもないことが起こる。というか起こす。
『見たい?』
胸元のリボンに指をかけたところを見て、咄嗟に視線を外す。
見たくない、と言えば嘘になる。というか見たい。見たいのだが、見たら最後こいつはずっとニタニタいやらしい笑いを浮かべながらそのままの恰好でいるのだ。からかいの声もおまけについてくる。たまったものではない。
でもやっぱり見たい。悔しいがこいつは男の、いや俺自身の性をよく理解しておられる。
『あーぁ、まだ汗乾いてなかったなー』
わざとらしい間延びした声を聞いてから、ほんの少しだけ首を傾けてみる。
『見た?』
「ミテマセン」
谷間が開いていた。うっすら汗がにじんでいた気がしなくもない。欲を言うならもう少し膨らみが欲しいところだが文句は言えまい。
『えっち』
「見てないって言ってるでしょうに」
『嘘つきは罰金だよ』
「庶民から巻き上げるほどお金に困ってないでしょうが」
『じゃあ何か飲み物持ってきてね♡ モノによっては見逃したげてもいいし、なんならもっとじっくり見せてあげるけど?』
そんな餌に釣られる俺だとでも思ったか、侮られたものだ。
『五分以内に持ってこないといやらしい目で胸見られたってお父様お母様に言いつけるから頑張ってね』
「ははあお嬢様ただいま持ってまいります今しばらくお待ちくださいませ」
俺はうやうやしく頭を垂れるとすぐさま台所へ向かうのであった。
§
『で、持ってきてくれたのがお水』
「おう、ただの氷水だが」
しかもただの水道水。お貴族様の口に合うような飲み物なんて一般家庭が常備してる訳ないでしょうに。
「レモンでも入れればマシになっただろうけど、なかったから我慢してくれ」
『ううん、ありがとね』
お礼を言ってから幼馴染は水を飲み始めた。グラスを傾けると涼し気な氷の音が鳴る。なんでもないそれをまるで大事なもののように、ゆっくり喉に通していく。
それなりに付き合いが長くなってようやく気づいたことだが、こいつは俺を従順な犬に仕立て上げたい訳ではないらしい。今だってわがままを通そうとすれば通せる状況にあるのだが、それでも何もしてこない。
『……んく、ぷぁ。冷たかったぁ』
「お気に召したようで何よりです」
『いや全然。もっと美味しいやつが飲みたい』
そう来るか。こいつはいつも俺の思考の一歩二歩先を行く。心を読まれてるんじゃないかと錯覚しかねない。それとも俺が分かりやすいだけか。そうであってほしい。
「ですがお嬢様の口に合うものはここにはありませぬが」
『あるよ、すぐそこ』
どこにだ。心当たりがない。
「……何もないぞ」
『あるよ』
空っぽになったグラスが宙に浮いたように見えて。
『ある』
気がつくと俺は、ベッドの上で押し倒されていた。痛みを感じない程度に片方の手首を握られている。
こいつの突飛な言動は今に始まったことではない。だが、大抵の場合はネタばらしをすると相好を崩して冗談だと笑い飛ばし、ひとしきり俺をからかってお終いだったはずだ。
『ここ』
僅かに湿った指先で撫でられる。ほんの少し冷たい指が、顎を、喉をなぞるように伝う。細い指先が首の血管を探る動きを見せる。
「……それは、人が飲むモノじゃない」
『ボクのお母様は飲んでた。……ボクのお父様のだけを、飲んでた──ボクも、そうしたい』
「俺は、そんな習慣は初めて知った」
『ボクが教えてあげる』
いつまで経ってもグラスが落ちた音は聞こえなかった。呼吸を忘れ、自分の心臓の鼓動の音だけがやたらに大きく聞こえてくる。
『無理矢理にはしたくない、けど』
「けど?」
『ちょっとくらい強引にしないと気づかないって、言ってた』
「どっちが?」
『二人とも。……痛くしないけど、嫌なら、抵抗して』
ぼそりとつけ足された命令に、俺は身動き一つ取らなかった。こちらを見下ろす真紅の瞳はどこまでも真剣で、余計な茶々を入れる隙さえも与えてはくれなかった。
期待と不安に揺れて、潤んでいるようにも見えた。
『じゃあ吸うよ、いいよね……怖かったら目つぶってて』
無言を許可と取って、少し早口でまくし立てる。気遣いをした当人がおそるおそるのあまりに目を閉じていることに可笑しさを感じながら、首筋に触れる唇の感触に愛おしさを──
『────ふにゃぅ』
感じる間も情緒もなく、頭から湯気を噴き出し目を回して倒れこむ幼馴染を受け止めるのであった。
§
「大丈夫か」
『無理、やっぱ無理。ボクには無理』
数分後、ベッドの上には顔どころか全身を真っ赤にした幼馴染が横たわっていた。額に濡れタオルを乗せてやる。俺の行為に弱々しい微笑みで感謝の意を示すと、急いでタオルをひっかぶって顔を隠した。恥ずかしいらしい。
「血を吸いたくなきゃ無理して吸うこともないんじゃないか」
『それじゃダメなんだよぉ……』
お母様みたいに血を吸ってボクのモノにしないと、と物騒なことが聞こえた気がするが触れないでおく。そういうしきたりなんだろうか。赤ワインとかトマトジュースとかじゃダメなんだろうか。
『……でもいつまでもこのままだと手出してこないし……ボクがどうにかしないと……けど襲うのはよくないし……ぶつぶつ』
「オイ聞こえてるぞ」
『聞かせてるの』
暗にヘタレ呼ばわりされてる気がしてちょっと腹が立つ。経緯はどうあれ受け入れる覚悟を決めたところで台無しにされたのは俺も同じなんだと言ってやりたい。
いいやそれとも、あれか。ここまで含めて計算づくか。ここまでしないと俺から迫ってくれないからとの演技か。
だったら乗ってやろうじゃないか。
『あーぁ、いつになったら少しは進展するのかなー』
半ば捨て鉢になった俺にはそんなぼやきさえも燃料にしかならず、熱が籠ったタオルを剥ぎ取って、
『──ぁえ? ちょっと、タオル、返し────!!?』
無理矢理に、唇を奪ったのであった。
§
「こちら119番、火事ですか? 救急ですか?」
「両方です、ダンピールが顔から火を噴いて倒れました」
もっとも、適切な関係が得られるかは努力に時の運も絡むが。
『ねー、エアコンの温度もうちょい下げてー』
俺の場合、お相手はどこかのお偉いお貴族様の一人娘、ダンピールだった。血は吸わないそうだが、人にたかって甘い汁を吸う特性があるようだ。寄生されるばかりでは面白くない。かといって舌戦ではとても敵わない。目下の悩みである。
『扇風機の風あっちにやってー、風邪ひいちゃうよボク』
そんなことをのたまった寄生虫、もとい幼馴染は、ごろりと人のベッドの上で転がった。ノーガードのお腹を庇うようなうつ伏せの恰好で、ちょっぴりふてくされたような顔。
風邪引くくらいならそのへそ出しルックを止めりゃあいいだろうに。
『なあに、そんな目してさ』
紅の瞳がこちらを射抜く。同時に口の端が吊り上がり、薄笑いの表情が浮かぶ。こんな風にこいつの顔が歪んだときはだいたいロクでもないことが起こる。というか起こす。
『見たい?』
胸元のリボンに指をかけたところを見て、咄嗟に視線を外す。
見たくない、と言えば嘘になる。というか見たい。見たいのだが、見たら最後こいつはずっとニタニタいやらしい笑いを浮かべながらそのままの恰好でいるのだ。からかいの声もおまけについてくる。たまったものではない。
でもやっぱり見たい。悔しいがこいつは男の、いや俺自身の性をよく理解しておられる。
『あーぁ、まだ汗乾いてなかったなー』
わざとらしい間延びした声を聞いてから、ほんの少しだけ首を傾けてみる。
『見た?』
「ミテマセン」
谷間が開いていた。うっすら汗がにじんでいた気がしなくもない。欲を言うならもう少し膨らみが欲しいところだが文句は言えまい。
『えっち』
「見てないって言ってるでしょうに」
『嘘つきは罰金だよ』
「庶民から巻き上げるほどお金に困ってないでしょうが」
『じゃあ何か飲み物持ってきてね♡ モノによっては見逃したげてもいいし、なんならもっとじっくり見せてあげるけど?』
そんな餌に釣られる俺だとでも思ったか、侮られたものだ。
『五分以内に持ってこないといやらしい目で胸見られたってお父様お母様に言いつけるから頑張ってね』
「ははあお嬢様ただいま持ってまいります今しばらくお待ちくださいませ」
俺はうやうやしく頭を垂れるとすぐさま台所へ向かうのであった。
§
『で、持ってきてくれたのがお水』
「おう、ただの氷水だが」
しかもただの水道水。お貴族様の口に合うような飲み物なんて一般家庭が常備してる訳ないでしょうに。
「レモンでも入れればマシになっただろうけど、なかったから我慢してくれ」
『ううん、ありがとね』
お礼を言ってから幼馴染は水を飲み始めた。グラスを傾けると涼し気な氷の音が鳴る。なんでもないそれをまるで大事なもののように、ゆっくり喉に通していく。
それなりに付き合いが長くなってようやく気づいたことだが、こいつは俺を従順な犬に仕立て上げたい訳ではないらしい。今だってわがままを通そうとすれば通せる状況にあるのだが、それでも何もしてこない。
『……んく、ぷぁ。冷たかったぁ』
「お気に召したようで何よりです」
『いや全然。もっと美味しいやつが飲みたい』
そう来るか。こいつはいつも俺の思考の一歩二歩先を行く。心を読まれてるんじゃないかと錯覚しかねない。それとも俺が分かりやすいだけか。そうであってほしい。
「ですがお嬢様の口に合うものはここにはありませぬが」
『あるよ、すぐそこ』
どこにだ。心当たりがない。
「……何もないぞ」
『あるよ』
空っぽになったグラスが宙に浮いたように見えて。
『ある』
気がつくと俺は、ベッドの上で押し倒されていた。痛みを感じない程度に片方の手首を握られている。
こいつの突飛な言動は今に始まったことではない。だが、大抵の場合はネタばらしをすると相好を崩して冗談だと笑い飛ばし、ひとしきり俺をからかってお終いだったはずだ。
『ここ』
僅かに湿った指先で撫でられる。ほんの少し冷たい指が、顎を、喉をなぞるように伝う。細い指先が首の血管を探る動きを見せる。
「……それは、人が飲むモノじゃない」
『ボクのお母様は飲んでた。……ボクのお父様のだけを、飲んでた──ボクも、そうしたい』
「俺は、そんな習慣は初めて知った」
『ボクが教えてあげる』
いつまで経ってもグラスが落ちた音は聞こえなかった。呼吸を忘れ、自分の心臓の鼓動の音だけがやたらに大きく聞こえてくる。
『無理矢理にはしたくない、けど』
「けど?」
『ちょっとくらい強引にしないと気づかないって、言ってた』
「どっちが?」
『二人とも。……痛くしないけど、嫌なら、抵抗して』
ぼそりとつけ足された命令に、俺は身動き一つ取らなかった。こちらを見下ろす真紅の瞳はどこまでも真剣で、余計な茶々を入れる隙さえも与えてはくれなかった。
期待と不安に揺れて、潤んでいるようにも見えた。
『じゃあ吸うよ、いいよね……怖かったら目つぶってて』
無言を許可と取って、少し早口でまくし立てる。気遣いをした当人がおそるおそるのあまりに目を閉じていることに可笑しさを感じながら、首筋に触れる唇の感触に愛おしさを──
『────ふにゃぅ』
感じる間も情緒もなく、頭から湯気を噴き出し目を回して倒れこむ幼馴染を受け止めるのであった。
§
「大丈夫か」
『無理、やっぱ無理。ボクには無理』
数分後、ベッドの上には顔どころか全身を真っ赤にした幼馴染が横たわっていた。額に濡れタオルを乗せてやる。俺の行為に弱々しい微笑みで感謝の意を示すと、急いでタオルをひっかぶって顔を隠した。恥ずかしいらしい。
「血を吸いたくなきゃ無理して吸うこともないんじゃないか」
『それじゃダメなんだよぉ……』
お母様みたいに血を吸ってボクのモノにしないと、と物騒なことが聞こえた気がするが触れないでおく。そういうしきたりなんだろうか。赤ワインとかトマトジュースとかじゃダメなんだろうか。
『……でもいつまでもこのままだと手出してこないし……ボクがどうにかしないと……けど襲うのはよくないし……ぶつぶつ』
「オイ聞こえてるぞ」
『聞かせてるの』
暗にヘタレ呼ばわりされてる気がしてちょっと腹が立つ。経緯はどうあれ受け入れる覚悟を決めたところで台無しにされたのは俺も同じなんだと言ってやりたい。
いいやそれとも、あれか。ここまで含めて計算づくか。ここまでしないと俺から迫ってくれないからとの演技か。
だったら乗ってやろうじゃないか。
『あーぁ、いつになったら少しは進展するのかなー』
半ば捨て鉢になった俺にはそんなぼやきさえも燃料にしかならず、熱が籠ったタオルを剥ぎ取って、
『──ぁえ? ちょっと、タオル、返し────!!?』
無理矢理に、唇を奪ったのであった。
§
「こちら119番、火事ですか? 救急ですか?」
「両方です、ダンピールが顔から火を噴いて倒れました」
22/08/02 18:34更新 / ナナシ